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731部隊に関与した医師・医学関係者  
http://www.asyura2.com/16/iryo5/msg/397.html
投稿者 魑魅魍魎男 日時 2016 年 11 月 20 日 08:17:39: FpBksTgsjX9Gw 6bOWo@mx6bKSag
 

731部隊に関与した医師・医学関係者     作成者:小俣和一郎
hirukawamura.web.fc2.com/731/731.htm
https://web.archive.org/web/20150807215132/http://hirukawamura.web.fc2.com/731/731.htm

氏名(生没年)・出身地・卒業校(卒業年)・職歴・勤務地・地位・最終階級・戦後履歴
*顔写真あり
 
1.石井四郎(1892[3?]−1959)Ishii Shiro *
千葉県(千代田村加茂)・京大医学部卒(1920)・陸軍軍医・1930陸軍軍医学校教官・1932東郷部隊長(背陰河)・石井部隊(のち731部隊)長・軍医中将・1939ノモンハンで細菌戦指揮・1940寧波細菌戦(ペスト菌散布)指揮/記録映画撮影・1942チェーガン細菌戦(ペストノミ散布)指揮・1945/731部隊長(再任)/対ソ細菌戦準備・1945平房から逃走(大連より帰国?)・1946初頭に尋問(A.T.トンプソン獣医中佐)・1947年5月以降に再尋問(フェル、ヒル)・東一で癌死(喉頭癌、67歳)
2.北野政次(−1986)Kitano Masaji *
東大医学部卒(1920)・陸軍軍医・軍医学校教官・満州医科大学教授(細菌学/瀋陽1936−42)・731部隊長(1942・8−1945・3)・上海派遣軍軍医部長・軍医中将・1945上海で中国軍捕虜・1946上海から帰国(脱獄?)・日本ブラッドバンク東京支部長(のちミドリ十字役員)・「防疫秘話」ほか(日医新報)執筆・日本学術会議第一期南極特別委員
3.梶塚隆二(1888−)Kajitsuka Ryuuji
田尻市・東京大学医学部卒(1914)・東一勤務・陸軍省医務局衛生課長・関東軍軍医部長(1939−45)・細菌爆弾の実験・軍医中将・ハバロフスク裁判被告・1956帰国
4.増田知貞(1901−52)Masuda Tomosada *
石川県金沢市・京大医学部卒(1926)・陸軍軍医学校防疫研究室・多摩部隊(南京1644部隊)長(1939‐45)・軍医大佐・千葉で開業まもなく交通事故死(頭部外傷)
5.内藤良一(―1982[1?])Naito Ryouichi *
1931京大医学部卒・陸軍軍医学校防疫研究室・1937−39ドイツ・アメリカへ派遣・1939輸血用血液の凍結乾燥を実用化(国産第一号の凍結真空乾燥機製造)・南方軍防疫給水部設立・軍医中佐・GHQと取引き(サンダース通訳)・(株)日本ブラッドバンク社長(1950)・1977勲三等旭日中綬章
6.北条円了(1894‐)Houjou *
防疫研究室・1933東郷部隊・1941ベルリン大使館付・1945年6月20日米軍に逮捕・軍医大佐・
7.西村英二()Nishimura Eiji
8.金子順一()Kaneko Junnichi
東大卒・伝研・東郷部隊・東芝生物理化学研・軍医少佐・1947フェルにより尋問
9.北川正隆(−1943)Kitagawa Masataka
731部隊第二部長・南方軍防疫給水部隊初代部長・軍医大佐・1943年5月飛行機事故死
10.朝比奈正二郎 ()Asahina Seijirou
731部隊昆虫班・戦後予研(昆虫部長)
11.梅沢浜夫 ()Umesawa Hamao
予研
12.所安夫 ()Tokoro Yasuo
東大助手・軍医中尉・1943/731部隊(石川の後任)・診療部・帝京大教授
13.白川初太郎()Shirakawa Hatsutaro
軍医学校防疫研究室・
14.高橋正彦()Tkahashi Masahiko
731部隊・軍医少佐/731部隊第一部(ペスト菌)・戦後千葉県茂原市で開業
15.永山太郎()Nagayama Taro
731部隊診療部長・軍医大佐
16.園田三郎()Sonoda Saburo
731部隊教育部長・1942
17.園田太郎()Sonoda Taro
軍医少佐/731部隊病理
18.川島清(1893-)Kawashima Kiyoshi
千葉県(山武郡)・1934東郷部隊・731部隊第四部長(1941−43)・ハバロフスク裁判被告・1956帰国、千葉県八街市少年院医師
19.柄沢十三夫(1911‐1956)Karasawa Tomio
長野県(豊里)・東京医学専門学校・軍医学校・731部隊第四部第一課長(川島の部下)・安達の野外人体実験(炭疸菌/1943)・ハバロフスク裁判被告(禁固20年)・軍医少佐・1956年11月自殺(帰国直前)
20.貴宝院秋雄()
京都府立医大講師・防疫研究室・1939/731部隊・1942南方軍防疫給水部(シンガポール)・結核菌研究・京都微生物研
21.三谷幸雄()
731部隊第四部第二課長(乾燥菌の製造)・軍医少佐
22.降旗武臣()Orihata Takeomi
軍医少佐・731部隊第一部(ペスト菌)
23.佐々木義孝()Sasaki Yositaka
軍医中佐・孫呉支部長(1940−43)・
24.榊原秀夫(1908-)Sakakibara Hideo *
1934岡山医大卒・1940軍医学校入学・1941漢口第11軍軍医・1942チャムス代10師団防疫給水部長・1944林口支部長・軍医少佐・1956年中国で裁判・1957年釈放帰国、山口県内の総合病院勤務医
25.秦正氏()Hata Masaujji
千葉医科大学卒・1941第28師団軍医・1944/731部隊総務部翻訳班長・軍医中尉・1951逮捕・1956中国人民法廷被告・
26.西俊英(1904-)Nishi Toshihide
鹿児島県・北京防疫給水部・1944年731部隊教育部長・1943年孫呉支部長兼任・軍医中佐・ハバロフスク裁判被告・世田谷区で開業
27.尾上正男(1910-)Ogami Masao
鹿児島県・1943牡丹江支部長・軍医少佐・ハバロフスク裁判被告
28.加藤恒則()Kato Tsunenori
ハイラル支部長・軍医少佐
29.安東洪次()Andou Kouji *
大連衛生研究所長・1939/731部隊大連支部長(二等技師)・1947帰国・東大教授(伝研)・日本モンキーセンター所長
30.菊池斉()Kikuchi Hitosi
731部隊第一部(研究部)長・軍医少将・1947尋問(N.H.フェル)
31.荻原
大連
32.碇常重()Ikari Tsunesige
731部隊第二部(実験部)長・軍医大佐・ノモンハン細菌戦(1939)決死隊長・1947尋問(フェル)
33.太田澄()Oota Kiyosi *
岡山大学医学部卒・731部隊総務部(第四部)長・南京1644部隊長・1941常徳細菌戦指揮官・1943再び常徳細菌戦(コレラ)指揮・軍医大佐・1947尋問(フェル)・山口県で開業・自殺
34.村上隆()Murakami Takasi
軍医大佐・ノモンハン細菌戦・1947尋問(フェル)
35.佐藤俊二(1896-)Sato Shunnji
愛知県(豊橋市)・医科大学卒(1923)・軍医学校防疫研究室・関東軍第五軍医部長・軍医少将・ハバロフスク裁判被告・1956年帰国
36.羽山良雄()Hayama Yoshio
南方軍防疫給水部隊長(1943−45)・軍医少将・
37.目黒 正彦()Meguro Masahiko *
軍医少佐、大連衛生研
38.山下 昇()Yamasita Noboru
曹長・1952中国で供述書
39.山口 省一()Yamguchi Shouichi
軍医大佐・初代林口支部長
40.荒瀬 清一()Arase Seiichi
軍医少佐・第二代林口支部長
41.藤野 恒三郎()Fujino Kouzaburo
南方軍給水部・技師・阪大教授(生物学研)
42.小林栄三()Kobayashi Eizou
軍医中尉・
42.安東清()Andou Kiyoshi
慶応助手・軍医中尉・慶応助教授
43.三井但夫()
多摩部隊・慶応大助教授・予研検定部長
44.湊正男()Minato Masao
京大医学部卒(1935)・平房731部隊コレラ班長・奉天/鉄西捕虜収容所でも人体実験
45.石川太刀雄丸(?−1973)Isikawa Tachiomaru *
京大講師(清野の弟子)・1938/731部隊六等技師・1943帰国(840の剖検標本を持参)・金沢医大教授(病理)・同大医学部長・日本ブラッドバンク企業株主
46.田名部(田部井?)和()Tanabu Nagomu
京大助教授(細菌学)・731部隊・1945帰国・兵庫医大教授
47.吉村寿人(1907−90)Yshimura Hisato(Toshinndo?)*
1930京大医学部卒・京大講師(1936、生理学)・731部隊凍傷研究班長(1938)・1945帰国・1950−52英文日本生理学会誌に論文発表・日本学術会議南極特別委員会委員・生気象学会長・1967京都府立医大学長・1972兵庫医大教授・1980神戸女子大教授/1978勲三等旭日中授賞
48.二木秀雄()Futaki Hideo
731部隊六等技師・結核班長・金沢医大(細菌学)・戦後日本ブラッドバンク
49.渡辺辺(‐1940)Watanabe Hotori
熊本医専卒・京大・731部隊第四部長・二等技師(コレラ)・1940年10月新京ペスト作戦中オートバイ事故死
50.渡辺廉()Watanabe
陸軍一等軍医・東郷部隊・
51.岡本耕造()Okamoto Kouzou *
京大助手(病理)・731部隊コレラ・ブルセラ・ペスト・近畿大学医学部長・兵庫医大教授
52.林一郎()Hayashi Ichiro
京大助手(病理)・731部隊・自主的に帰国・京大講師・長崎医大教授
53.斉藤幸一郎()Saito Koichiro
京大助手(生理)・1938/731部隊・1941帰国・山口医専教授・長崎医大教授
54.石野琢次郎()Ishino Takujiro
京大(外科)・石川の協力のもと肝切除実験・戦後医学部同窓会誌『芝蘭』第79号に回想文(1977)
55.池田苗夫(1902−90)Ikeda,
1929新潟医大卒・1940/731部隊・軍医中佐(流行性出血熱で人体実験)・戦後(1958)大阪で開業(皮膚科・性病科)・日本伝染病学会誌に1942当時の記録を発表(1967/68)
56.田中英雄 ()Tanaka Hideo *
京大講師(医動物)・731部隊(昆虫研究、ペスト蚤増産)・大阪医専・大阪市大医学部長
57.田中巌 ()Tanaka Iwao
軍医大佐・広東波部隊長
58.岡田啓(−1945)Okada Hiraku
東大医学部卒・社会主義者(クリスチャン)・増田の義弟・伝研・1945自殺
59.宮川米次()Miyagawa Yoneji
北京・伝研教授(細菌学)・公職追放・東芝生物物理化学研究所長
60.神林浩()Kanbayasi Hirosi
陸軍省医務局長・軍医中将
61.小泉親彦 (―1945)Koizumi Chikahiko *
近衛師団軍医部長・1933陸軍軍医学校長・1934陸軍省医務局長(軍医総監)・1941第三次近衛内閣+東条内閣厚生大臣・1945自殺
62.小島三郎()Kojima Saburo *
1935伝研教授・1941+1944多摩部隊・1947ヒルによる尋問・1954予研第二代所長(1954−)
63.福見秀雄()Fukumi Hideo
多摩部隊(1944)・予研所長(インフルエンザワクチン禍)・長崎大学学長
64.細谷省吾()Hosoya Shougo
東大医学部卒・1936台北大医学部教授・破傷風トキソイドの人体実験・1937軍医少尉・東大伝研教授・朝日賞受賞
65.柳沢謙()Yanagisawa Yuzuru
東大伝研・内藤とともに凍結乾燥BCGの研究に人体実験・予研第五代所長・朝日賞受賞
66.笠原四郎()Kasahara Shiro
北里研究所員・1939/731部隊(六等技師)・北研副所長・都立豊島病院
67.宮川正
東大・731部隊レントゲン班長・東大教授・
68.谷口腆二()Taniguchi
東大卒・防疫研究室嘱託・大阪大学・デング熱・浅川賞受賞・阪大微研観音寺研究所長・第二期日本学術会議会員
69.小林六造()Kobayashi Rokuzo
慶応大学(北研所員兼務)・予研初代所長
70.小酒井望()Kozakai Nozomu
防疫研究室・軍医中尉・順天堂大学付属病院長
71.石光薫()Ishii Kaoru
東大卒・技師・731部隊(破傷風菌人体実験)
72.村田良介()Murata Ryosuke
南京多摩部隊・予研所長
73.有田正義
軍医少佐・731部隊第三部(ワクチン開発)
74.内野仙治(?−1957)
京大教授(生化学)・防疫研究室嘱託・名古屋市大学長
75.上田正明
赤痢菌
76.上田弥太郎()Ueda
1938陸軍入隊・承徳陸軍病院衛生兵・1941/731部隊・1943離隊・1956人民法廷被告・
77.浜田豊博
78.山之内裕次郎
731部隊(ブルセラ)・ヒル+ヴィクター尋問
79.早川清()Hayakawa Kiyosi
731部隊(ツツガムシ)・南方軍・軍医少佐・早川予防衛生研究所開業
80.鈴木啓之()Suzuki
731部隊・軍医中佐
81.清野謙次()Kiyono Kennji
京大教授(病理学)・京都の古寺から骨董品を窃盗・辞任
82.木村廉 ()Kimura
京大教授(細菌学)・京大名誉教授(内藤の恩師)・名市大学長・日本学術会議会員
83.戸田正三(1885−19 )Toda Shouzo
京大教授(衛生学)・金沢大学学長(1949−61)・日本学士院会員・日本学術会議第一期南極特別委員
84.正路倫之助(1886−1962)Masamichi Rinnnosuke
京大教授(生理学)・兵庫県立医大学長・日本学術会議会員
85.緒方富雄(1901−)Ogata Tomio
東大助教授(伝研・病理)・陸軍嘱託・秋元を派遣・東大教授(学生部長)
86.緒方規雄
87.木下良順(1893−)Kinosita
阪大教授(病理)・六研嘱託
88.波多野輔久(1898−)Hatano
熊本医大教授(病理)・七研嘱託
89.田崎一二(1910−)Tazaki Kazuji
陸軍技研嘱託
90.田宮猛雄()Tmiya Takeo
東大・北京・伝研所長・東大医学部長・国立ガンセンター総長・日本医師会長
91.中山英司(1904−)Nakayama Eiji
京大講師(解剖)・陸軍省嘱託
92.青木義勇(1905−)Aoki
長崎大名誉教授
93.篠田統()Shinoda Osamu
京大理学部(昆虫学者)・北京・大阪教育大教授(−1965)
94.秋元寿恵夫()Akimoto Sueo
731部隊秋元班(血清)・1945帰国・秋元波留夫の実弟
95.井口昌夫(1904−)Iguchi Masao
慶応助手(細菌学)・軍医学校嘱託
96.大林静男(1911−)Oobayashi Shizuo
慶応助手(細菌学)・陸軍嘱託
97.小林栄三(1901−)Kobayashi Eizo
慶応助教授(細菌学)・軍医学校嘱託
98.田辺操 (1895−)Tanabe Misao
京城大助教授・軍医学校嘱託
99.田村乙一(1900−)Tamura
軍医学校嘱託
100.谷友次(1896−)Tani
金沢医大講師・軍医学校嘱託
101.遠藤雄三(1912−)Endou Yuuzou
慶応助手
102.阿部俊男()Abe Toshio
伝研・新京衛生技術廠長
103.井田清()Ida Kiyosi
伝研・100部隊技師
104.野星隆一
105.菅原敏()Sugawara
106.遠藤武()Endo Takesi
107.中井俊夫() Nakai Toshio
108.井沢馨()Izawa Kaoru
109.村田礼二()Murata Reiji
110.佐藤清()Sato Kiyoshi
111.竹脇潔()Takewaki Kiyoshi
112.大月明(1910−)Ootsuki Akira
京大助教授・大阪市立医専教授(細菌学)
113.宮内正広()Miyauchi Masahiro
114.長谷川昇()Hasegawa Noboru
115.江口豊潔()Eguchi
陸軍軍医学校防疫学教室・一等軍医・神奈川県で開業
116.井上隆朝()Inoue
117.勝矢俊一()Katsuya
118.小嘉多晴雄
防疫研究室嘱託
119.山内豊紀()
1938防疫研究室技師・731部隊(渡辺辺の助手)・戦後に囚人暴動事件を証言
120.永井寅男(1914−)Nagai Torao
北大助手(生理学)・軍医学校嘱託
121.安部英(1916−)Abe Takesi *
東大医学部卒・海軍軍医学校・内藤と関係・帝京大副学長・薬害エイズ事件被告
122.作山元治 ()Sakuyama Motoharu
軍医少佐・防研
123.津山義文 ()Tsuyama Yoshifumi
1943−45軍医学校・
124.浅沼靖 ()Asanuma Yasushi
1942−43・731・伝研(田宮の部下)
125.土屋毅 ()Tsychiya Tsuyoshi
南京・順天堂名誉教授
126.山田秀一 ()Yamada Shuuichi
大連・熊本大教授・横浜市衛生局長
127.山中太木 ()Yamanaka Motoki
南京・大阪医科大学長・日本微生物学会長(1974)
128.川上善 ()Kawakami
京大・満州で死亡
129.近喰秀大 ()Konjiki
南京(1644)
130.秋貞
満州医大・731(赤痢)
131.内海 ()Utsumi
731部隊(血清)
132.江島真平 ()Ejima Shinpei
731部隊(赤痢)・国立予研
 
(以下、非医師)
133.天辰良道()
長崎薬専・薬剤中佐
134.川島三徳()
東大・薬剤大尉
135.増田美保()Masuda
東京薬専/薬剤少佐・石井の親類・自衛隊勤務
136.増田美積()Masuda *
731部隊航空班長・細菌散布
137.大谷()
731部隊資材部長・薬剤少将・
138.草味正夫()Kusami Masao
薬剤中佐・昭和薬科大教授
139.山口忠重(山納?)
金沢医大・1939・731部隊/薬剤大尉・1940薬剤少佐・南京1644へ/興和化学東京研究所長
140.若松有次郎()Wakamatsu Yujiro
獣医少将・1941/100部隊長(関東軍軍馬防疫廠)・1945帰国・
141.高橋隆篤(1888‐1952)
秋田県・東大農学部卒(1928)・1935関東軍獣医部長・100部隊を監督・軍医中将・ハバロフスク被告・1952年夏脳出血死
142.平櫻全作(1916-)
石川県金沢市・獣医中尉・100部隊員・ハバロフスク裁判被告・
143.八木沢行[和?]正()Yagisawa Kazumasa *
北大理学部(植物学)・戦後日本ペニシリン協会事務長・国立予研
144.朴沢三二()Hoozawa Sanji
東北大学(昆虫学)
145.加藤陸奥雄()Kato Mutsuo
東北大(昆虫学)・東北大学長
146.栗原義雄
東郷部隊雇員
147.田村良雄(旧姓・篠塚)(1923−)
1939・731部隊少年隊員/1941雇員(第四部)/1952中国で拘束
148.山下昇
149.熊沢治郎吉
東京工業試験所第三部長
150.河島千尋
東京工業試験所(珪藻土)・東京工業大学教授
151.安川隆()Yasukawa
水産講習所・食品衛生・水産大学長(?)
152.竹田宮 Takeda
昭和天皇の従兄弟(明治天皇の孫の一人)・関東軍司令部作戦部副長・石井部隊担当・中佐・戦後は竹田恒徳として日本スケート連盟会長・1962日本オリンピック委員会長
153.石井剛夫
石井四郎の実兄・731部隊構内監獄監督者
154.石井三男
石井四郎の実兄・731部隊動物舎管理
155.荻原英夫
156.荻原周夫
航空班操縦士、細菌爆弾の投下
157.在田勉
158.三友一男(1924-)
埼玉県・農業学校卒・100部隊員・ハバロフスク裁判被告・
159.菊池則光(1922-)
愛媛県・農業学校卒・643部隊衛生兵・ハバロフスク裁判被告
160.久留島祐司 (1923-)
香川県・162部隊衛生兵・ハバロフスク裁判被告・
161.森三吾
162.堀口正雄
163.高木貞次郎
164.成井昇
166.高見忠男
167.津田玄郎
168.山下正
731部隊カメラマン
169.胡桃沢正邦
731部隊解剖助手
170.石橋直方
 
171.上園直二
731部隊総務部印刷班
172.山田乙三 (1882?−1965)Yamada Otozou
1939日本軍教育総監・関東軍司令官(1944−45)・ハバロフスク裁判被告・
173
 
174.保利信明
海軍軍医中将
175.山本本治
100部隊・獣医
 
*1945年8月撤退時731部隊の博士号をもつ医官は53名いた。731部隊の最大人員数は約3900人(支部含め)といわれ、陸軍防疫給水部隊の総数は約5千人といわれる。
 
 

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コメント
 
1. 中川隆[5063] koaQ7Jey 2016年11月21日 19:34:09 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[5493]
昭和天皇の命令で行なわれた(?)生体実験

731部隊の全貌
http://www7a.biglobe.ne.jp/~dev2ec82/index.htm

731部隊・石井四郎の野望・元部隊員の証言
http://www.youtube.com/watch?v=-qOV2saI5kQ


 昭和17年(1942年)春のことだった。入営以来の住み馴れた
東満国境の部隊から関東軍防疫給水部に転勤になったとき、私に与えられた職務は
教育部付きとして各支部に配属される衛生兵の教育だった。
それが終了した後、第一部吉村班に出向ということになった。

 ここは主として凍傷に関する研究を担当していて、私が行ったとき、たまたま
喝病〔原文ママ〕の生体実験が行われている最中だった。

それまでこの部隊は防疫給水、特に濾水機の製造補給が主な任務と聞いていた私には、
初めて接する部隊の隠された側面にただ驚くばかりであった。

堅牢なガラス張りの箱に全裸の人間を入れ、下から蒸気を注入して人工的に
喝病にかかりやすい気象条件を作り出して罹患させ、臨床的、病理的に観察し、
その病因を究明するためのものだった。

 時間が経過するにつれ全身が紅潮し汗が滝のように流れ出る。
いかに苦しくとも束縛されていて身動きもできない。

やがて発汗が止まる。苦渋に顔が歪み、必死に身悶えする。
耐えかねて哀訴となり、怒号となり、罵声となり、狂声と変わっていく
あの凄まじい断末魔ともいえる形相は、今もって脳裏にこびりついて離れない。

私は初めて見るこの凄惨な光景をとても直視するに忍びず、一刻も早く逃げ出したかった。
それにしても平然としてこのような実験に取り組んでいる人たちは、果たしてどんな神経の持ち主なのであろうか。……
http://hide20.blog.ocn.ne.jp/mokei/2008/05/post_44a5.html


実験その1。

厳冬の厳しい真冬の寒さの中に「マルタ」を長時間置き、凍傷を作りその治療をするという人体実験。

この場合限界まで外に置き完全に凍傷をさせる死の直前まで外に置く。

死んでは治療が出来なくなためです。そして体に出来た各部の凍傷を治療するという人体実験。

零下40度cの中に、長時間置かれるだけでも苦痛なのに。凍傷しているかを試すのに、
角材で、手、足を殴り、痛いうちはまだ凍傷になって
いないため更に、長時間、外に凍傷するまで置かれたという。

実験その2。

腹部に銃弾を撃ち込み、その銃弾の摘出手術をするという人体実験。
治癒するまでの時間がどの位掛かるのか。


実験その3。

無理やり全身麻酔の注射をして、人体を解剖し、足、腕、を切断し、接続する人体実験。
頭部を切り落とし脳の中の仕組みを調べる。


実験その4。

「マルタ」の男女にセックスをさせる実験。目的は梅毒に感染させるため。
日本兵が梅毒に感染した時の治療方法の研究。


実験その5。

細菌に感染させる人体実験。チフス、ぺスト、コレラ、赤痢、結核、梅毒等に感染させて、
その病状の変化の様子を克明に記録した。


実験その6。人間はどの位食べ物を摂らずに生きていられるかの実験。

兵士の背負う重装備の「背嚢」→はいのう。約30キロはある重い物を
背負わせ。5時間〜6時間歩かせ、水、食べ物をも与えず何日位位耐えられるのか。

あるいは飲料水と乾パンだけで、何日耐えられるか。

この実験には2人の中国人が使われた。何も与えない人。水と乾パンだけの人。
それぞれのデーターが記録された。


実験その7。

臓器摘出の人体実験。「マルタ」に全身麻酔をして、切り開かれた体内の臓器に、
刺激を与えどのような反応をするのかの人体実験。

そして摘出をして、ホルマリン漬けにする。まだぴくぴくと動いていたという。


実験その8。

「マルタ」を逆さつりにして、何時間何分で死に至るのかの人体実験。
身体の各部はどのように変化するるのかのテスト。


実験その9。

猿や馬の血液と人間の血液の交換実験。「マルタ」の体内血液を全て抜き取り、
どの位の分量の血液が搾り取る事が出来るかの人体実験。


凍傷の人体実験では、極寒の零下40度に長時間放置し、冷凍人間に近いものを作って
人体実験をした部分は記載中涙が止まらなかった。何故そのような事が行われたのか?

答えは、かってシベリア出兵の時日本軍は凍傷に悩まされた経験を持っていました。
この凍傷の克服のために731部隊では、凍傷実験が行われたのです。

この実験で手足を無くした「マルタ」の身体は、かろうじて残された頭部だけです。
そして最終的には毒ガス実験などに「再利用」されたという

その他「マルタ」を柱に縛り付け、空中から細菌爆弾を投下し効果がどの位あるのかを実験した。
「細菌の効力を確かめるため」

毒ガス実験では、ガラス張りの中に「マルタ」を入れ、毒ガスで死亡していく経過を映像に記録したり。絵画を描いたという。
http://homepage2.nifty.com/yocyan1854/ikari4.htm

そやね。私たちが片付けにいったとき、中国の女の人がありましたね。

梅毒の実験の。スペロヘータの実験の。それは思い出ありますね。

えーと、やられた先生は、園田中佐。教育隊の中佐のね。

それで私たちが入ったのは梅毒のそれをやったあとですから、恥部をずうっと切り開いとったですね。

その実験がどういうようにしたとかはお聞きになりましたか?

いやー、それは聞いてない。それは恥部と、それとあばらを開いとったですね。

その中をどうあたっていたかは覚えてないですね。顔とかはあたってないです。
まあ、そのような繰り返しです。
http://tenjin.coara.or.jp/~makoty/library/memory731.htm


その真空試験いうのは?

結局カプセルの中に入れて空気を抜くわけです。そうすると穴という穴から腸とか全部飛び出してくるいうて、凄かったらしいです。

それを言われた方、覚えていますか?

はい、1班におったのですね。茨木の方です。4年次になってちょっとして聞いたですね。

何班ですか?

それは研究班になるんですね。岡本班ですね。どういう意味でやったのかそこまで聞かなんだけどね。
http://tenjin.coara.or.jp/~makoty/library/memory731.htm


証拠隠滅=殺しつくし、焼きつくす

 撤収作業で緊急を要したのは、マルタの処置であった。

 ロ号7,8棟に、青酸ガスを噴出させて、かなりのマルタを殺した、
また、私たちが直接手を出さないで確実に殺す方法を編み出した。

つまり、マルタ2人を互いに向かい合わせ、首にロープをまき、その中央に棒を差し込んで、2人がねじるのである。

もちろん、私たちはかたわらで銃を構えている。2,3分で2人とも自らの首を自らの手で締め上げていった。

この方法で私たちは多数のマルタを殺した。また、その他いろいろな方法で、マルタを整理したのである。

 私たちは、マルタを殺す前、マルタ自身に溝を掘らせてから処置することも忘れなかった。

そんな時、彼らは足かせを引きずりながら、生気の無いドロンとした眼で、シャベルや鍬(すき)をにぎっていた。
きっと、その溝が何のためのものかわかっていたのだろう。
http://xa0007.blogspot.com/2009/10/731_27.html


アメリカが主導した昭和天皇の戦争犯罪の証拠隠滅

昭和天皇と731部隊


欧米の帝国主義にならって、日本も中国侵略を真剣に考え、実行していった。
当時、天皇は現人神であり、日本国においては絶対の存在だった。小さい頃から、家庭や学校で天皇を拝み、学校では教育勅語を奉読され、天皇のために死ぬことが最高の価値のように教えられた時代でもあった。

 日本の傀儡政権が満州に成立すると、早速、その地で、安くて強力な兵器(貧者の核爆弾)の開発を目指した。その中心になったのが陸軍軍医少佐の石井四郎であった。

 1936年、天皇の認可の下に中国ハルピンの郊外平房の広大な敷地に研究施設を作り、東京の陸軍軍医学校やその他の石井のネットワークと連携しながら、中国人・朝鮮人・ロシア人・モンゴル人などをマルタと称して生体実験・生体解剖などをし、試行錯誤を重ね、より強力な細菌兵器の開発を目指した。

 そこで開発された細菌爆弾(陶器爆弾)は中国の都市で実戦された。ペスト菌で多くの被災者を出し都市は混乱した。
 研究成果は思ったよりも上がらず、兵器の開発を急いだが、時すでに遅く、ソ連の参戦を許してしまった。

 ソ連が参戦するや否や、軍部・天皇はいち早く731部隊の証拠隠滅をはかり、建物を爆破し、収容されていたマルタを全員殺し、731部隊員を急遽日本へ戻した。

 これも戦争犯罪がばれると、天皇にもその責任が問われることになるからだ。
 731部隊にも何人かの皇族が行き来し、実際731に係わっていた皇族もいた。東条も足を運び、大元帥昭和天皇の耳にも731についての情報は入っていたはずである。

 莫大な予算をかけ、全国の優秀な医学者を集めて作られた731部隊は、軍部・天皇がもっとも期待していた部隊ではなかったか?

 戦後、アメリカは731部隊幹部の尋問を細菌兵器の専門家に担当させた。
ところが、731部隊幹部は事実を隠し続け、人体実験はしていないと嘘を通した。

 1947年(昭和22年)1月に、ソ連が石井ら日本にいる731部隊員の尋問を要求した。ソ連とアメリカの交渉により、人体実験のことが明らかになると、アメリカは人体実験・細菌戦のデータを独占しようと、石井らと打ち合わせをする。その結果、ソ連の尋問は形式的なものになってしまった。

 731の戦犯追及をしていた占領軍(アメリカ)の法務部の活動はアメリカ自身の手によって強制的に停止され、詳細なデータはアメリカが独占することになり、東京裁判では731部隊のことは裁かれなかった。

 マッカーサーと本国アメリカとの交渉の中で、データの独占のこともあったが、もう1つの大きな懸案は、天皇にその責任が及ばないようにすることだったのではないか?

 マッカーサーは当初から日本の占領にあたって、天皇の力を利用しようと考えていた。

 また、マッカーサーは自国の遅れていた細菌兵器の開発に日本軍のデータが役立つだろうと見ていた。何としても、細菌戦や細菌兵器のデータが欲しかった。
 731部隊の戦犯追及をすると、そのデータは独占できなくなり、またその責任が天皇に及ぶのを恐れたのではないか?

 (ドイツでは人体実験にかかわった医師などが「ニュルンベルグ継続裁判」によってアメリカの手によって裁かれている!最高責任者ヒトラーはすでに自殺している。)

 日本政府とアメリカは、一緒になって、731の隠蔽を図り、これが東京裁判で裁かれない様にし、その残虐な事実が国民の前に公表されないようにした。

昭和天皇とマッカーサーとの会談は極秘裏に戦後11回行われた。

新憲法が制定された後でも、「象徴天皇」という新たな憲法上の地位に“制約”を感じることもなく「政治的行為」として、マッカーサーと「トップ会談」がなされていた。それも、当時の政府を飛び越えて行われていた。

 それ結果、裁判で国民の前に731の情報が公開されなかったし、追及もされなかったものだから、大元帥昭和天皇の戦争責任は問われなかった。

※パウエルの記事と森村の本は、日本で政府が見解を出さざるを得ないほどの騒ぎを巻き起こした。政府は国会で731部隊の存在と、731部隊の戦争犯罪について初めて認めた。議論の中で政府は、石井の細菌実験について知りながら石井にかなりの軍人恩給を給付していたことを全く偶然に露呈してしまった。(『死の工場』ハリス著:柏書房)

・天皇裕仁は、明らかに、2度にわたって石井の実演を目にしている。

1度目は1933年に陸軍軍医学校を視察した折、もう1度は恒例の天皇訪問の際の、海軍の艦船上においてである。石井が濾水機の1つに放尿し、その濾過水を飲み干すよう天皇に恭しく差し出したとされているのは、天皇が視察したそうした折のことだった。・・・天皇はその申し出を断り、そして石井は尿を濾過したその水を見るからに嬉々として飲み干したという。

・軍医中将で元関東軍軍医部長の梶塚隆二によれば、石井は「天皇の軍令」によって1936年に平房の実験を開始する許可を与えられたと言う。・・・・梶塚によれば、その後1939年に、天皇は、石井の特殊部隊を再編成するようさらにもう1つ軍令を発布した。・・・・

 石井が東京の高い地位のところに、ひょっとすれば最も上のところに味方を持っていたことは明らかである。


・軽く見てはならないのは、石井と若松の部隊は、裕仁の勅令によって設立された部隊であるという事実である。他の多くの部隊は、必要とされた時に陸軍の内部で適当な司令官によって設立された。

・軍事細菌研究のさらにもう1つの拠点が長春の第100部隊(部隊長:若松有次郎)であった。作戦任務のための資金供給は莫大かつ無制限だった。部隊は2つの経路から資金を得ていた。すなわち、東京の陸軍省と、関東軍司令部の第2部である。(陸軍省から人件費60万円の予算が、100万円が関東軍司令部の第2部から攻撃的生物戦の研究のために支出された。731部隊の予算総額は1000万円、人件費300万円、20万から30万が各支部の運営費、600万円が細菌製造、実験、研究費用である。しかも731部隊の予算は国会の場で細部を発表されることはなかった。関東軍の獣医将校は、生物戦の資金は底なしだと自分は理解していたと語っている。)

・石井はノモンハン事件の間に彼が行ったサービス業務に対する褒美として、天皇の玉璽の押してある大変名誉な政府表彰を受けた。彼の部隊は、同じ戦闘中における英雄的な行動に対して、天皇から価値ある表彰状を贈られた。

このことも、またしても無二の名誉だったのである。他の医療部隊も日本の戦争において勇敢に働いた。それなのに、20世紀において他の医療部隊が天皇の表彰状をその業務に対して受けたことはない。裕仁が、これらの名誉ある賞を与える前に、いくらかの調査を行ったのではないかと疑ってもおかしくない。

 (1939年に発生したノモンハン事件では、出動部隊の給水支援を行うことになり、石井式濾水機などを装備した防疫給水隊3個ほかを編成して現地へ派遣し、部長の石井大佐自身も現地へ赴いて指導にあたった。最前線での給水活動・衛生指導は、消化器系伝染病の発生率を低く抑えるなど大きな成果を上げたとされる。その功績により、第6軍配属防疫給水部は、第6軍司令官だった荻洲立兵中将から衛生部隊としては史上初となる感状の授与を受け、石井大佐には金鵄勲章と陸軍技術有功賞が贈られた。)

・『731部隊−天皇は知っていたか?』と題されたそのドキュメンタリーは、2人のベテランのテレビジャーナリストによって製作された。・・・アメリカ、イギリス、その他の連合国軍の西洋人捕虜が、人体実験の犠牲になったことが暴露された。その上、ドキュメンタリーの製作者・ナレーターは、天皇が満州での細菌戦の人体実験を知っていたことを強く示唆している。

・1930年代において、くるくる替わった日本の内閣においては役目を果たすように〔大臣職に〕任命された軍部のリーダーたちは、誰もが満州で起こっていることを認識していた。参謀本部のスタッフ〔立案者〕とその上司たちは、石井、若松、北野のプロジェクトに精通していたし、細菌兵器の開発研究を助けた。・・・・

 何千人もの、もしかしたら何万人もの陸軍の軍医や獣医、生物学者、化学者、微生物学者、技術スタッフその他の似たような職の人々が、定期的に交代で満州や〔その他の〕中国占領地に派遣されている。(731部隊には専用の飛行場があり、専用の飛行機も複数持っていた。東京⇔ハルピン間を何度も往復して情報交換や物資の輸送などをしていた。また、他の部隊との連絡にも使った。)

・軍部を除けば、外務省が平房での秘密の任務について認識していたことは確実と思われる。それは、ハルピンの日本領事館の地下室がマルタの留置場として使われていたことからも言える。

・東久邇は早い時期に、平房の施設を旅先で訪れている。

・1939年2月9日に、裕仁の弟である活発な秩父宮は、陸軍省の大会議室で、2時間半にわたる石井の「雄弁な」講演に出席した。

・天皇の一番下の弟である三笠宮は、施設の多くに立ち寄った。

・竹田宮は関東軍の首席主計官として、満州におけるすべての細菌戦の関連施設に割り当てられる金を扱った。・・・また、平房〔の施設〕に立ち入る際には竹田宮・宮田が発行した通行証を求める必要があった。関東軍司令官もしくはその直属の部下が731部隊を訪れるときは、竹田宮自身が彼らの一行に混じって彼らをエスコートした。

・天皇は、その倹約〔の精神〕でも知られていた。彼は常々、役に立たないもしくは取るに足らないプロジェクトのために、政府の支出が無駄に使われないよう懸念していると表明していた。細菌戦のプログラムは、国の資源の大規模な乱費であった。第2次世界大戦中、平房、長春、奉天、南京の主要な基地および多くの支部施設は、少なくとも1500万円から2000万円、多分それ以上の年間予算を食い潰して機能していたに違いない。天皇が軍事予算を詳細に調べたなら、満州やその他の中国における何千もの人員の滞在は、天皇にとって関心事だったはずである。裕仁はまた、特別の武器研究にその使途を限定された秘密の帝国予算を持っていたが、それが満州や中国において細菌戦の研究に使用されていても何の不思議も無い。

・裕仁は細菌戦の研究については知っていたのだろうか。おそらくイエス、であろう。このプロジェクトは、単純に、天皇の目から隠しおおすには、大規模すぎた。費用も、天皇の政府費用に対する鋭い関心から逃れるには巨額すぎた。・・・・最終的に、大日本帝国において、政策決定は政府の最高レベルで行なわれるべきものであって、陸軍の将軍たちの気まぐれでできるものではなかったのである。

(以上『死の工場(隠された731部隊)』:シェルダン・H・ハリス著、近藤昭二訳より抜書き)

・731部隊の組織犯罪については、関東軍という日本陸軍の一駐留軍の指揮命令系統下にあった。部隊そのものは関東軍司令官の直轄であり、あらゆる人体実験も形式上は司令官の命令無しには行なわれえなかった。また、731部隊以外の「防疫給水部隊」(北京、南京、広東など)も日本陸軍の中国派遣軍の指揮下にあった。

日本陸軍を統括していたのは陸軍省であり、その上には天皇がいた。したがって731部隊の人体実験の最終責任者も天皇である。(『検証 人体実験 731部隊・ナチ医学』小俣和一郎著:第3文明社)

http://blog.livedoor.jp/nobug51/archives/1103925.html


戦後も731部隊出身研究者の大活躍が続きます

石井四郎が京都大学医学部の出身であったように、731部隊をはじめとする生物化学兵器研究の幹部は、エリートが多く、そのほとんどは戦後になって、東京大学や京都大学を初めとする医学部の教授、陸上自衛隊衛生学校校長、国立予防衛生研究所所長、大阪大学微生物病研究所幹部等、日本の医学界、医薬品業界、厚生行政の重鎮となり、さらに満州のA級戦犯岸信介らが政界の重鎮となり日本国内での人道的見地からの責任追及の動きを封じていく。しかし、近年になり旧幹部の引退などに伴い徐々に弱まって来ている。

1947年、国立予防衛生研究所の幹部となった北岡正見(旧731部隊ウイルスリケッチア部長)らは府中刑務所の受刑者を使って発疹チフスの人体実験を行った。

1950年、GHQとコネができた内藤は、後年に薬害エイズを引き起こすミドリ十字の前身の日本ブラッドバンク(6人の取締役のうち3人が731部隊関係者。731部隊隊長を一時務めた北野政次とサンダース中佐が顧問)を創立した[7]。

1952年の名古屋市立乳児院事件では、乳児達に対して大腸菌を直接飲ませて激しい下痢を起こさせるという人体実験を行い乳児一人を殺している。乳児達は親のいない子が多く拒むことはできなかった。名古屋市立大学小児科の旧731部隊員小川二郎が中心となり石井四郎のネットワークの一つである東京1644部隊にいた小川透、東大伝染病研究所(現在の医科学研究所)、国立予防衛生研究所が協力して行った実験であった。

同1952年、日本学術会議総会において若手医学者達が731部隊について反省・総括が必要と主張。それに対し戦前からの医学界の重鎮である戸田正三(石井の京大での恩師で731部隊に積極的に協力してきた)は「細菌兵器は今日ほとんど実用になりません。実用にならぬものを苦労して日本で作るというバカが出ましたら、そんなバカなことをするなという勧告を私からよく致しますから、どうかその点、ご安心ください」と回答した。

1956年、新潟精神病院ツツガムシ病人体実験では、新潟大学医学部の桂重鴻教授らと旧731部隊の北岡正見、浅沼靖が協力して、149人の精神病患者にツツガムシの病原体(リケッチア)を投与し、8人が死亡、9人が腕から皮を剥がされる結果となった。これはアメリカ軍の生物兵器部隊406研究所の出資により行われた、米軍にツツガムシ病がでないための実験であった。

1967年、ミドリ十字は赤痢予防薬の人体実験を陸上自衛隊員を使って行い、1089人中577人に急性食中毒を起こさせた。また、人工血液製剤の承認を求める際に厚生省に提出したデータに改竄の跡があり、その調査の過程で瀕死の女性患者に人工血液を未承認のまま投与する人体実験をしていたことが明らかになった。

1993年、大阪大学微生物病研究所(旧731部隊渡辺栄らが作ったワクチンメーカー)はMMRワクチン(はしか、おたふく風邪、風疹の三種混合ワクチン)のおたふく風邪ワクチンの成分を厚生省に無断で変えて無菌性髄膜炎を多発させ2人の幼児を死亡させた。

近年、アメリカのダグウェイ実験場でも731部隊の人体実験のデータが発見され公開されている。その中には実験で標本にされた人体の顕微鏡写真も含まれていた。
http://ja.wikipedia.org/wiki/731%E9%83%A8%E9%9A%8A


細菌戦部隊を支えた主な人物 戦後の就職先

安東洪次(大連衛生研究所→武田薬品顧問)

石川太刀雄丸(731郡隊→金沢大医学部)

江島真平(731部隊→国立予防研究所〔予研〕)

緒方富雄(防疫研究所〔防研〕→東大医学部)

岡本耕造(731部隊→兵庫医大・東北大等)

小川透(1644部隊→名古屋大医学部)

笠原四郎(731部隊→北里研究所)

春日仲善(731部隊→北里研究所)

北野政次(731部隊→ミドリ十字取蹄役)

木村廉(防研→京大細菌学教室)

草味正夫(731部隊→昭和薬科大)

小島三郎(1644部隊→予研第2代所長)

児玉鴻(731部隊→予研初代所長)

正路倫之助(防研→京大)

園口忠男(731部隊→陸上自衛隊衛生病学校、熊本大)

田中英雄(731部隊→大阪市立大医学部長)

田部井和(731部隊→京大医学部)

所安夫(731部隊→東大病理学、帝京大医学部)

内藤良一(防研→ミドリ十字会長)

中黒秀外之(731部隊→陸上自衛隊衛生学校校長)

細谷省吾(防研→東大伝染病研究所長)

増田美保(731部隊→防衛大学)

湊正男(731部隊→京大)

村田良介(防研→予研第7代所長)

八木沢行正(731部隊→抗生物質協会)

山口一季(731部隊→国立衛生試験所)

吉村寿人(731部隊→京大航空医学教室、京都府立医大)

柳沢謙(防研→予研第5代所長)
http://www1.ocn.ne.jp/~sinryaku/731butaiseturitu.htm


七三一部隊と「ミドリ十字」

 帰国した次の日、二十日の「しんぶん赤旗」で、私は「ミドリ十字」の見出しの
小さな記事を目ざとく見つけた。「七三一部隊はこうしてまだ息の根を止めていない」と、怒りがわいた。

 某病院の照会に、C型肝炎汚染の血液製剤の納入はしなかったとうそをついていたミドリ十字が、実は納入していたことを認めていたニュースだった。このため、医師は汚染血液製剤を患者に使ってしまっていた。

 薬害エイズの問題を初めとし、人工血液で捏造問題を次々起こしている「ミドリ十字」の前身「日本ブラックバンド」は、
七三一部隊二代目の元部隊長、北野政治が創設した会社であることは、誰もが知っている事実である。

命を何とも思わない考えは脈々と流れているではないか。
これは偶然ではなく、中国で行った人体実験の実績が利用された疑いも、最近濃厚になっているという話もあるくらいだ。

 七三一部隊の責任者だった石井四郎は、許しがたいことにアメリカ軍との取引で、
細菌戦の膨大な資料の提供と引き換えに戦犯を免れているのである。
当然一級戦犯になるべき人物が!

 アメリカの侵略戦争は、マルタとなった命を踏みつけて、
さらに罪なき人の屍を無数に積み上げる人でなしの行為である。
http://www.akazukin-sanae.com/column/china2004/c05_03.html


[スレ主【魑魅魍魎男】による初期非表示理由]:アラシかも(アラシや工作員によくあるコメントはスレ主が処理可能)

2. 2017年8月14日 08:34:28 : PC3cpwwHNA : JKxPiEMAc_4[1]
2013.05.29 Wednesday
731部隊の人体実験・細菌戦はぜんぶウソ(全て作り話)
写真もウソ。1910年に満州でペストが大流行した時の写真
http://cooljapan2.jugem.jp/?eid=978
731部隊が人体実験をしたというマトモな資料は何一つない。
南京大虐殺をでっち上げた東京裁判でも審理すらされなかった。
ハバロフスク裁判では審理されたが、ソ連に抑留・拘禁された捕虜?の証言は、「人を凍結して復活させる実験とか、心臓を交換する実験」など、誰も信じない荒唐無稽な内容であり、反日左翼学者でさえ呆れて相手にしない。
ところが、1980年代になると中帰連(支那共産党によって洗脳された精神障害者の団体)の湯浅謙や推理小説作家の森村誠一らが、それをネタ元にして様々な作り話を考え、まるで史実であったかのように宣伝したのだった。
その後、大学教授(経済学部)の松村高夫が古本屋で見つけた自然感染とか動物実験とか死体解剖とかの医学書を「731部隊の生体実験の資料」として資料集に所収したりしたが、全部嘘っぱちだ。
動物に対する実験すらも、人間への実験と解釈して、証拠物件に挙げていた
「第二章に『潤背筋』と書いてありますが、こんな名前の筋肉は人間には無いですが、馬にはあります」
なるほど、こういう動物に対する実験すらも、人間への実験と解釈して、証拠物件に挙げていたわけだ。
まー、素人は験体が動物か人間かまでは、区別できないからね。
要するに、日本を悪者にできる材料なら、何でもいいわけだな。
篠塚良雄という元731部隊の少年隊の一員だった爺がいる。この篠塚良雄はテレビに出演するのが大好きだ。
2005年8月6日(土曜日)の「朝まで生テレビ」にも出演し、「中帰連だ」と恥ずかしげもなく自己紹介し、「731部隊に志願して入ったのは1939年」と証言し、
医学部出身でもなく医療の知識がないのに保菌部隊に入れて、
よくよく計算すると、志願した当時、なんと14歳だった篠塚良雄(81歳)。
その篠塚良雄・81歳は、2006年1月17日の『筑紫の「ニュース23」(TBS)』の【731部隊の石井中将の日記特集】にも出演して、「証拠隠滅のために731部隊に収容していたマルタを全員皆殺しにした。」と証言した。
しかし、731部隊に14歳の少年兵が所属する「少年隊」はなかった。
もう一人、似たような奴がいる。
森下清人(元七三一部隊少年隊2期生)
インタビューは大分協和病院において91年9月に行われた
<少年隊に入隊>
いや、飛行機です。そのために専用の飛行場持っとるんですから。呑龍(どんりゅう)いう大きな飛行機も持っとるんです。
あれで上海やら重慶やらから直接連れてきとったんじゃないですかねえ。そりゃハルピンからも連れてきとったんかもしれませんけど。
よく深夜とか明け方近くに飛行場の滑走路に明りがともるんですよ。そしたらゴーいうて大きな爆音がして飛行機が着陸するんです。少年隊の宿舎からちょいちょい見えてました。
ああ、またマルタ連れてきたなあ思いよりましたですなあ
www
戦後も時が経ち、反日思想が充満すると、人はこうもいい加減な事を口走るようになるのだろうか。
こいつは、マルタを重慶から連れてきたように想像している。
日本軍がいつ重慶に行ったのだろうか。
重慶は国民党(蒋介石政府)の首都だが、日本軍はここを陥落していないし、占領もしていない。
戦後の馬鹿ガキなら間違えても仕方ないが、当時、その時代を生きていた日本軍の者が、安易にこんなことを口走るとは。
占領もしていない重慶から、どうやってマルタを連れて来たのか?!
ちなみに、こいつは、昭和17年(1942年)の3月29日に、大分高等小学校を14歳で卒業し、ハルピンに向かい、731部隊の「少年隊」に行ったそうだ。昭和17年といえば、上海では戦闘などなく、ほとんど日本の支配地みたいなものだった。どうしてそんな上海からマルタを連れて来る必要があったのだろうか。
外国人や報道関係者も多いし、人目が憚られる。もう少し戦地に近いところで、捕虜で死刑にすべき者などを連れてくれば良かったし楽だったろうに。よりによって、こいつは、
【日本軍が占領もしていない敵の中心地の重慶】や【外国人や報道関係者が沢山居た大都市の上海】からマルタを飛行機に乗せて満州国へ連れて来ていたと考えていた。
こんなことを話した時点で、法螺話であることがバレバレだ。
「人間に感染する細菌の量を人間で実験した」というのである。
731部隊にかかわる論争はこの一点の真偽を確定することに限ってのみ根拠がある。
が、他の事項に関しては論争する以前のものばかりで、 何らの根拠も存在せず、妄想の域のものばかりである。
加えてヒル・レポートは、 人体実験の「唯一の物的証拠」は、石川太刀雄丸が敗戦前の 1943年に日本に持ち帰った病理標本だけ、と結論付けている。
731部隊にからみ、人体実験の“証拠”はそれ以外まったく存在しないのである。
第二次世界大戦中、細菌兵器を攻勢作戦で使用できる態勢にあったのは英国、ロシア、米国の三ヶ国であった。化学兵器では最先進国のドイツはなぜか細菌兵器では遅れをとった。石井中将が発明した宇治式爆弾のお粗末さを見てもわかるように、日本は、英米露から見ればB兵器の後進国であった。
前に述べたフェル第一レポートですら、「我々(米国)が大規模生産という点でも、気象学の研究という点からも、実用的軍需生産という点でも、日本より十分優れていたことは明白である」と述べている。
石川太刀雄丸がもっていた病理標本のほかは、米国は石井731部隊から学ぶものがなかった。
東京裁判に訴追しなかったのは、取引をしたからではない。「免責」という言葉を与えたようだが、初めから訴追する気がなかった。
石井731部隊の訴追にソ連の謀略の匂いを、米国は充分に嗅ぎとっていたからである。
一言付け加えるならば、病理標本(臓器標本ではない)は大量の臨床例があれば人体実験をしなくても作成できる。
そして満州は風土病の宝庫だった。
病理標本の存在だけで、人体実験の実在を断定することは不可能だ。
常徳のペスト流行について1941年11月4日の日本軍機による細菌散布により発生したとの支那側の発表に対して米英などは当初から懐疑的だった。
米英は、重慶政府の発表のはるか以前に、独自の情報網を使ってその発生の原因と経過についてかなり正確な情報を入手していた。
英のポートン細菌研究所は、
•飛行機から地上まで物体が落ちる道筋をたどった目撃者が特定されていない。
•物体(穀類、紙、木綿ぼろ)が見つかった付近には通常のゴミの山が見られた。
•収集された米穀類からペスト菌が発見されなかった。
•常徳では以前にペスト流行はなかったとされているがそれを証明できる死亡統計が得られていない。
などの理由により、ペストの流行が風土病である可能性を排除できないとして常徳のペスト流行が日本軍の細菌投下によるものであることを否定した。
そもそも、大量のペスト感染ノミを製造するのは不可能なのだ。
100グラムのノミを製造するのに1600頭の白鼠が必要。そうすると、10キログラムのノミを造るには160,000頭の白鼠が必要。こんなに大量の白鼠をどうやって集めるのか。
しかも、白鼠の固鼠器内の生命は約一週間という。頻繁に取り替えなければならない。これでは、大量に作るまでに時間がかかる。最後の一匹が出来たとき、最初に造ったノミは生きているのか。
結局、ノミの人工的な大量繁殖は不可能で、ノミ(ペスト菌)を使っての細菌戦も嘘っぱちということだ。それから、田中淳雄少佐が余暇にノミの増殖研究を命ぜられたのは1943年だから、1940年〜1942年に731部隊の細菌戦によってペスト被害に遭ったとする「731細菌戦賠償訴訟」は完全な出鱈目なのだ。
田中淳雄少佐は1913年生まれで、1941年に京大医学部卒業、同年軍医学校で防疫学を学び、翌年関東軍防疫給水部に入隊、終戦まで主としてペスト防疫に従事していた人物。
この尋問録は、1945年10月30日に京都の都ホテルにおいて行われた、米軍のムーレイ・サンダース軍医中佐による、田中少佐への尋問の記録であり、この尋問の前提として、サンダース中佐は「戦争犯罪を云々するもので無く飽く迄科学者として話したい」と田中少佐に語っている。
命ぜられたのが「昭和18年(1943年)」であったことに注目。
「1943年、余暇にノミの増殖研究を命ぜられたが、到底不可能であることが判明した」というのが真実なのだ。
つまり、1940年〜1942年に731部隊の細菌戦によってペスト被害に遭ったとする「731細菌戦賠償訴訟」(1997年提訴)は、最初から嘘っぱちのでっち上げだったのだ。
731部隊細菌戦国家賠償請求訴訟が、実際のところは、どうだったのかと言うと、
実は東京地裁の判決文には、【客観的証拠は何ら提出されなかった】と述べられている。
つまり、731部隊の細菌戦というのは、インチキ事実認定が平気でまかり通る民事訴訟であるにもかかわらず、客観的証拠が何ら提出されなかったために、裁判所は事実認定についても触れなかったのだ!
これで、731部隊が行ったとされる細菌戦なるものが嘘っぱちのでっち上げであることが確定したのだ。
要するに、731部隊(関東軍防疫給水部)が行っていたことは、近年イラク派遣自衛隊が行っていたのと同じようなことだ。
防疫・給水、すなわち、疫病の研究をして清潔な水を供給することが任務だったのだ。
ただ、ソ連や支那が細菌戦を実行したので防衛的細菌戦の研究を行ったということだ。
731部隊(関東軍防疫給水部)は細菌戦研究はしていたものの、細菌戦を行った証拠は全くなかった。
米国立公文書館は、731部隊が満州で行った細菌戦研究などに関する米情報機関の対日機密文書10万ページ分を公開した。
石井四郎中将を始めとする731部隊関係者の個別尋問記録や、石井中将が細菌戦研究の成果を1947年6月ごろ執筆し米軍に引き渡したことを裏付ける最高機密文書も明らかになった。文書内容の大半は731部隊など細菌戦研究に関する内容だった。
ナチス・ドイツと日本の「戦争犯罪」を調査するため、クリントン政権当時の99年に構成された記録作業部会(IWG)は、「慰安婦問題」などの悪事を裏付ける文書も探したが、証拠は見つからなかった。
奉天(瀋陽)の収容施設で、連合軍の捕虜に細菌実験が行われなかったかを調べたり、日本からの風船爆弾が細菌戦に使われないかを調べたりしたが、「当面は細菌戦を想定していない」と結論づけた文書も公開された。
つまり、アメリカが持っていた731部隊に関する10万ページの機密文書には、731部隊が人体実験を行ったり細菌戦を行った証拠は全くなく、戦後に言われたことは全て嘘っぱちのでっち上げだったのだ。
古今東西、細菌戦の研究はどこの国でも行われており、問題は実際に細菌戦を実行したかどうかだ。
支那事変で支那軍が細菌戦を行ったことは間違いないし、ノモンハン事件でソ連軍も細菌戦を行った形跡がある。
731部隊は、そのような支那軍やソ連軍の細菌戦から日本軍や住民を守るために防衛的細菌戦研究を行っていたことはよく知られている。
支那軍による虐殺4・上海における支那軍の細菌戦
人体実験・生体解剖など
森下清人や「中帰連」の篠塚良雄などは自分の犯罪を証言したが、二人とも731部隊に入隊したのが14歳のときだと証言しており嘘がばれている。
GHQの占領下で、米国は石井四郎ら731部隊関係者を調査した。それらのレポートの中で、「人体実験の証拠」となる可能性が残るモノは、「人間に感染する細菌の量を人間で実験した」というヒル・レポートのみで、その「唯一の物的証拠」は、石川太刀雄丸が敗戦前の1943年に日本に持ち帰った病理標本だけだが、その病理標本も証拠にならないと判明した。
以上のように、731部隊が人体実験をしたというマトモな資料は何一つない。
南京大虐殺をでっち上げた東京裁判でも審理すらされなかった。
ハバロフスク裁判では審理されたが、ソ連に抑留・拘禁された捕虜?の証言は、「人を凍結して復活させる実験とか、心臓を交換する実験」など、誰も信じない荒唐無稽な内容であり、反日左翼学者でさえ呆れて相手にしない。
ところが、1980年代になると中帰連(支那共産党によって洗脳された精神障害者の団体)の湯浅謙や推理小説作家の森村誠一らが、それをネタ元にして様々な作り話を考え、まるで史実であったかのように宣伝した。その後、大学教授(経済学部)の松村高夫が古本屋で見つけた自然感染とか動物実験とか死体解剖とかの医学書を「731部隊の生体実験の資料」として資料集に所収したりしたが、全部嘘っぱちだ。
細菌戦
1993年、吉見義明は、元陸軍参謀本部の井本熊男の業務日誌の中に細菌戦に関する記述があることを防衛庁の図書館で発見した。4年後、それを証拠として、4人の支那人が731部隊細菌戦国家賠償請求訴訟を起こした。ところが、井本熊男の業務日誌の細菌戦に関する記述は、おかしなことばかりだ。
結局、731部隊の細菌戦というのは、インチキ事実認定が平気でまかり通る民事訴訟であるにもかかわらず、客観的証拠が何ら提出されなかったために、裁判所は事実認定についても触れなかった!
また、「田中淳雄少佐尋問録」によると、 1943年、余暇にノミの増殖研究を命ぜられたが、到底不可能であることが判明した。
つまり、1940年〜1942年に731部隊の細菌戦によってペスト被害に遭ったとする「731細菌戦賠償訴訟」(1997年提訴)は、最初から嘘っぱちのでっち上げだったのだ。
当時も、英のポートン細菌研究所は、常徳のペスト流行について1941年11月4日の日本軍機による細菌散布により発生したとの支那側の発表を否定していた。
結論を言うと、731部隊(関東軍防疫給水部)が行っていたことは、近年イラク派遣自衛隊が行っていたのと同じようなことだ。
防疫・給水、すなわち、疫病の研究をして清潔な水を供給することが任務だった。
ただ、ソ連や支那が細菌戦を実行したので防衛的細菌戦の研究を行ったということだ。

[スレ主【魑魅魍魎男】による初期非表示理由]:アラシかも(アラシや工作員によくあるコメントはスレ主が処理可能)
3. クリニックイマイ[1] g06DioNqg2KDToNDg32DQw 2017年8月14日 11:31:04 : 2JQNQOly0A : pGv1CDYsWus[1]
 小俣和一郎様 名古屋の町医者 手作り化粧水 美肌水の今井龍弥です。詳しい自己紹介は 「不登校だったやつあるあるを言い合おうぜw」 に電話番号入りで書いています。(広告ではありません、文責の表現です、適当に添削下さい)
 さて、無記名で妄誤(語ではなく)の多い仮想情報空間の中で署名入りの詳細な報告を拝見させて頂きました。知りたい情報を沢山提供していただきました。

 昨夜 NHK の「731部隊」 を視聴しましたら、関係医師は京大のみと思っていましたが、東大よりも関係者があることを知り、長与又郎(1878-1941)東京帝国大学総長も部隊に関与していると知り驚愕致しました。
 若き日の田部井教授、吉村非常勤講師(当時京都府立医大教授、後総長)の肖像を知りました。若き日の岡本耕造教授のことなどを期待しておりましたが、病理担当者の報道は無しでした。
 温厚な学者の雰囲気の漂う岡本耕造教授からは病理学の、退官近くで、鋭さの無く、助教授任せのやる気のない感じの田部井和教授からは細菌学の単位を頂きました。
 吉村寿人非常勤講師(京都府立医大教授)からは寒冷生理学の講義を受けました。吉村先生の講義には普段は出席者のあまり居ない生理学教室にも石井部隊時代の話が聞けるかと思ってか多くの級友が出席して居りました。南米大陸先端原住民の研究が講義であったように記憶致して居ります。
同級生には岡山大学病理学教授の瀬尾左知丸教授の息子さんが居られました。
 以上御礼方々御報告


4. クリニックイマイ[2] g06DioNqg2KDToNDg32DQw 2017年8月14日 18:07:41 : 2JQNQOly0A : pGv1CDYsWus[2]
 前文を送信しようと致しましたが、「読み直して、度々押せ」 と度々画面に出ましたので、読み直していますと、貴頁に篠田統先生の名前がありまして、吃驚致しました。大学紛争が終わり、各会派が「研修病院」を確保し、卒業後の会派への取り込みを画策し始めましたので、反発し船医になりました。二年後皮膚科に入局しました。皮膚科では白癬菌類(水虫菌)も扱いますので、その縁で農学部の人たちが主宰する「菌類研究会」に加わり、採集会に参加しました。そこで、篠田統先生の謦咳に接しました。とても温厚な老学者と言った雰囲気でした。昼食後の雑談で、陸軍技師として中国へ行き、「硝石の栽培」 の研究調査をしたと話されました。その後、先生の著作に関心が出て少し読んでみますと、篠田先生は京都帝国大学理学部化学科御卒業の栄養学者のようでした。
 1978年8月10日に亡くなっていますが、石井部隊ではどのような仕事和されていたのでしょうか、ペスト蚤の研究でもされていたのでしょうか。あの温厚な先生が石井部隊で、なにか残虐な仕事をされていたかとは全く信じ難と言うのが本音です。
 本頁の御蔭で 『15年戦争と日本の医学医療研究会会誌 』 を知りました。目次を少しずつ見て、篠田先生の関与されたことを知りたく思います。また瀬尾佐知丸教授の事蹟も同書から調べたく思います。
 考古学に興味が在りますので清野謙次教授の名前はかねて頭にありましたが、『15年戦争と日本の医学医療研究会会誌 』 にありますような不祥事があったとは吃驚仰天でした。昨夜 のNHK の 「731部隊」 を録画してありますの画面を見ながら貴頁を読みかえしてみます。
 無署名投稿者は昨夜 のNHK の 「731部隊」 を 「Cgだ!」 と投稿して来るのでしょう、楽しみです。
 従来敗戦記念日が近付きますと「被害報道」ばかりしていたNHKが加害情報をも報道するようになったのは進歩です。

5. 2017年8月14日 23:47:21 : RjQm7u1QrM : ZRqGd4OHSdM[5]
★阿修羅♪ > 政治・選挙・NHK230 > 565.html  

「嘘つき内閣」は国民をあらぬ方向に扇動する恐れがあるー(田中良紹氏)
http://www.asyura2.com/17/senkyo230/msg/565.html
投稿者 赤かぶ 日時 2017 年 8 月 12 日 02:56:05: igsppGRN/E9PQ kNSCqYLU

19. 2017年8月14日 23:44:53 : RjQm7u1QrM : ZRqGd4OHSdM[4]

▲△▽▼
トランプもプーチンも、G20会議で安倍との会談を希望しなかった
そのトランプは安倍を相当こき下ろしたと報道されており
北朝鮮の対グアム・ミサイル発射計画が反トランプ陣営の御用達CIA
により、そのまた手下のマスコミを通じて発表、予定通りの大騒ぎで
トランプの足を引っ張り、今回のヤラセ人種差別クーデターも、計画どおり
トランプの足引っ張り、麻生の縁戚ロスチャイルドやブッシュと縁戚の
英国王室は、莫大な借金をチャラにしたり、ぼろ儲けしたり、戦争を
引き起こすために、対立や紛争や諍い事を仕込むのは古くからの常套手段


★阿修羅♪ > 政治・選挙・NHK230 > 625.html  

発覚!アメリカと北朝鮮のプロレス茶番劇(simatyan2のブログ)
http://www.asyura2.com/17/senkyo230/msg/625.html
投稿者 赤かぶ 日時 2017 年 8 月 13 日 18:05:05: igsppGRN/E9PQ kNSCqYLU

15. 2017年8月14日 23:29:37 : 0bC7KsAqwQ : ADF0MyUdyw4[1]

▲△▽▼
2017.08.14 21:49|カテゴリ:政治経済| コメント(5)
アメリカの衝突、極右勢力を批判しないトランプ大統領に批判殺到!ホワイトハウスが弁明!右派の会見は中止へ

コメント

これも無知から起こること
アメリカで教育を受けてる人なら、リー将軍は奴隷制度に反対していたと勉強するのに、
日本の従軍慰安婦問題と同じく、在日のようなバカが捏造して悪の親玉に仕立て上げたのだろう。

リー将軍は銀英伝で言うところのヤン・ウェンリーのような穏やかな人物で、
皆に押されて仕方なく参戦した。戦後は(ゲティスバーグ)処刑されることもなく過ごしていることを
見てもわかるだろうに。
日本でもアメリカでも対立を煽って儲けている糞どもがいる。

[ 2017/08/14 23:22 ] 名無し


KKKは、大統領選挙戦で、民主党ヒラリー陣営を、ブッシュと共に支持。
日本にもナチスに学べと発言した人物が、安倍の内閣改造でちゃんと大臣を継続。

要は、アメリカを支配している影の権力者が、TPPでもパリ協定でもシリア
侵略でも、YESと従わないトランプ追い落とし工作に、あらゆる機会と手段を
利用していて、とりわけマスコミ、これはアメリカも日本もどちらもこのトランプ
追い落としキャンペーンに尽力しているという構図を、日本国民は予備知識を
持ってこうしたプロパガンダ情報に接しなければ、小沢鳩山の国民支持政党
破壊キャンペーンと同じ様に騙されるでしょう。
[ 2017/08/14 23:24 ] 名無し

[スレ主【魑魅魍魎男】による初期非表示理由]:この投稿に対するコメントとしては場違い。別の投稿にコメントしてください。(アラシや工作員によくあるコメントはスレ主が処理可能)


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