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二つの再出発 この人を見よ 夕張の10年目 沖縄で大学生(サンデー毎日)
http://www.asyura2.com/16/senkyo204/msg/174.html
投稿者 赤かぶ 日時 2016 年 4 月 07 日 13:15:05: igsppGRN/E9PQ kNSCqYLU
 

二つの再出発 この人を見よ 夕張の10年目 沖縄で大学生
http://mainichibooks.com/sundaymainichi/column/2016/04/17/post-782.html
サンデー毎日 2016年4月17日号


倉重篤郎のサンデー時評 連載95

 4月は年度の変わり目。列島のあちこちで人々の再出発が始まる。

 鈴木直道夕張市長(35)もその一人である。同市が自治体初の財政再生団体に指定されてはや10年。借金返し一辺倒だった行政をようやく地域再生同時並行に切り替えることが可能になった。

 振り返れば厳しい日々だった。埼玉県出身の鈴木氏が生まれて初めてこの北の地を訪れたのは2008年のこと。都庁職員として1年限定の派遣だったが、自ら志願して2年3カ月働いた。その間アンケートによる住民たちの意識調査を自ら提起、その若くて精力的な行動力が評価され、11年4月全国最年少の市長に選出された。

 それから5年。自身でも驚くほどのコストカッターとして財政再建を進めてきた。

 まずは人件費。市長の給与を70%、職員を40%カット(現在は15%)。おかげで市職員は250人以上いたのが今では120人ほど。部課長級は3人しか残らなかった。市議会も定員18人を9人にした。

 行政サービスもこれでもかと切り込んだ。小学校は6校を、中学は3校をそれぞれ1校に統合、出先機関も五つを一つにし、図書館、児童館、子育て支援室、市民会館といった類いはすべて閉鎖した。

 行政効率を向上させるため点在する住居を拠点地域に集めるコンパクトシティー化も率先垂範した。夕張には炭鉱住宅を公営化したものが約3500戸あったが、これをスクラップアンドビルドして集約化、200人の住民と個別交渉して住居を移ってもらった。

 8億円の市税収入しかない市がこの5年間で借金を95億円返済してきたことになる。

 この夕張の実験は、全国的にも注目された。やればできる。なぜ他の地域ではできないのか。国の財政のあり方を議論する財政審議会にも参考人として呼ばれ、意見とコツを聴取された。市長会では「お前はそんなに働くな。俺たちもなぜそうしないかと言われてしまう」と冗談めいた恨み節も出た。かつて、赤字市政を批判してきた住民たちの間からも「職員の給与を何とか上げてもらえないか」と同情の声が漏れ始めた。

 この潮目の変化をこの若い市長は見逃さなかった。借金返済は続けるが、同時に行政本来の仕事である地域再生にも着手する。10年目にしての市政転換、再出発である。3月に有識者会議の答申を得て、国からもOKをもらった。

 ◇沖縄という日本の縮図の地で戦争の記憶と平和の未来を思考する

 では、どう再出発するか。最大の課題はとどまるところを知らない人口流出対策である。破綻時には約1万2000人が今では9000人を切り、2040年には4000人台になると予測されている。

「関わり人口を増やす」という鈴木プランがユニークだ。課題が多いことが財産だ。なぜならば、課題が人を呼び込み、課題解決が一人一人の成功体験となり、市政関与者としてのネットワークが生まれてくる。これを夕張方式として戦略的に強化したい、という。

 もう一人の再出発者は、身近にいた。毎日新聞元大阪本社編集局長の藤原健氏(66)だ。沖縄大学大学院(現代沖縄研究科沖縄・東アジア地域研究専攻)に入学、4月からは那覇で学生生活を始める。

 大阪社会部のエースといわれた人物である。紙面を使い執拗(しつよう)に報道を重ね、世論を通じて世の中の仕組みを変えていくキャンペーン報道の達人だった。沖縄戦や広島、長崎被爆報道にはこだわった。

 沖縄戦では、離島の悲劇を特報した。戦争末期、波照間島の全島民がマラリア猖獗(しようけつ)の地・西表島(いりおもてじま)に疎開させられ、3分の1が死んだ事件である。小学校に先生として潜り込んでいた陸軍中野学校の残置諜者(スパイ)たちが、突然軍人に変身、疎開を強行した。藤原氏は、中野学校の生き残りを探し出し取材、その責任を問うた。

「ヒバクシャ」という企画は、大阪編集局長時代に始めた。生き残りの被爆者たちにマンツーマンで記者を寄り添わせ、その動静を繰り返しリポートさせた。8月にメモリアル報道するだけでなく、その死と生をまるごと引き受ける。それが世界でただ一つの被爆国の新聞の責任だと主張した。

 記者として、新聞人として、実績を積んできた人である。後は悠々自適、という選択肢もあったはずだ。それを60ヅラ下げて、なんで沖縄で一から勉強し直すのか。

 それは、沖縄が日本という国の過去、現在、未来の縮図だからである。あの無謀な戦争を最も身近で経験せざるを得なかった地であり、戦後70年も経ながらなお外国軍基地が占拠する地であり、また、中国の台頭で荒れ模様の東シナ海で平和の橋頭堡(きようとうほ)的役割を果たす可能性を持つ地であるからだ。沖縄が抱えるこの普遍性に着目した。

 奥様が沖縄出身、そのまたお母様がひめゆり部隊の生き残りだったこともある。昨年9月、92歳でその義母が亡くなった葬儀の席で、藤原氏はある後悔にさいなまれた。かけがえのない体験談を記者として聞いたことがあっただろうか。と同時に義母のささやきが聞こえたという。あなたにはやるべきことがあるのではないの、と。

 語り部だった義母の遺志を引き継ぎ、戦争の記憶をどう継承するか。なすべきことが見えてきた。

『琉球新報』『沖縄タイムス』という、沖縄2紙の平和報道にも関心がある。特に、戦後60年の時に、『琉球新報』がサイパン陥落から降伏まで14回にわたり特集面で検証報道を展開し、新聞協会賞を受賞した仕事には脱帽した。琉球処分以降の沖縄インテリの悩みや心の葛藤も含め、闘う沖縄ジャーナリズムを再評価するのも課題の一つだ。

 それぞれに違う分野ではあるが、2人の再出発を心から祝したい。願わくはその元気をいただき、我もまた明日に向け再出発せん。

 

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コメント
 
1. 2016年4月07日 19:23:41 : VmoJnQfY7s : Uq4cr5fT4k8[121]
そういう人達が重なって、日本も再出発が出来る。

2. 2016年4月07日 20:24:40 : 6klrCUZG2M : gGIEBkkDv98[2]
行政サービスぶった切っても
映画祭始め観光に名を借りたイベント行政道楽は手つかずなんだよね
さすが慎太郎氏が送り込んだ鉄砲玉
鈴木市長

3. 2016年4月07日 22:17:17 : 4XDKrNSC1g : so0uSXnIt9s[46]
>映画祭始め観光に名を借りたイベント行政道楽
これって唯一の外貨獲得産業なんじゃねーの?
これまで切ったらどーして生きていくのでしょうかね?

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