http://www.asyura2.com/16/senkyo206/msg/150.html
Tweet |
「舛添会見はマイナス1億点」内閣参与・飯島勲が激辛採点! 〜危機管理のプロが見た問題点とは
http://gendai.ismedia.jp/articles/-/48657
2016年05月15日(日) 飯島勲 現代ビジネス
■あれなら、やらないほうが良かった
13日の金曜日に行われた舛添都知事の「釈明会見」をみて、納得した都民はどれくらいいるだろうか。「あまりに問題が多すぎる。点数をつけるなら、マイナス1億点」と指摘するのは、小泉内閣で首席秘書官を務め、「政界の裏のウラまで知り尽くした男」と畏れられた飯島勲・内閣参与(特命担当)だ。
小泉内閣時代にいくつもの危機を乗り切ってきた「危機管理のプロ」で、5月7日には永田町での経験をまとめた『権力の秘密』を出版した飯島勲氏が緊急提言!
舛添要一都知事の釈明会見。メディアから、「危機管理のプロとして、あの会見は何点か」と聞かれたので採点させてもらうが、100点満点でマイナス1億点である。あの会見を経て、都知事として職務を正常に遂行するのは不可能と言わざるを得ない。舛添が来年、都知事として「竜宮城ホテル三日月」に家族と宿泊することもないだろう。
では、何が間違っていたのか。
確かに、舛添はうまい言い方を連発した。「ホテル三日月で政治の機微に触れるような人と会ったから、誰と会ったかは言えない」というのは、たとえ嘘であってもバレない。これ以上にうまい言い逃れはない。
しかし、怪しげな領収書やその計上方法について、指摘された部分しか謝罪をしなかったことが、致命的な戦略ミスであった。まず、これがマイナス5000万点だ。そして、あの「感じの悪い言い方」がマイナス5000万点。あれでは、会見に好感をもった人はいない。
毒にも薬にもならない会見であれば0点であっただろうが、あのレベルの会見なら開かないほうがよかった。ゆえに舛添の会見は、マイナス1億点なのである。ベッキーの謝罪会見のほうがまだよかった。
私は小泉内閣時代を含め、会見などの取り仕切りを何度も行ってきた。もちろん謝罪会見もだが、「危機管理のプロ」と呼ばれるのはそのためである。そして、その経験から会見には「いい会見」と「悪い会見」があると断言できる。
詳しく説明しよう。
■「いい会見」「悪い会見」の最大の違い
危機管理の面から考えて、謝罪会見の意義とは、これ以上、スキャンダルのダメージを防ぐものである。スキャンダルが法的に重いものであるか、軽いものであるかは問題ない。
おかしな話に聞こえるかもしれないが、例えば、以前に「不倫は文化だ」という旨の発言をしたタレントがいて、相当期間仕事がなくなってしまったと聞いたが、そのタレントは法的に間違ったことを言ったわけではない。しかし、仕事がこなくなってしまった以上、それは「悪いもの」だったのだ。彼の場合、「悪いことをした」と認めなかったこと、聞かれたことにしか答えなかったことがダメージを大きくしてしまった。
舛添の場合、質問に答える形式ではなく、すべての不正計上やあらゆる領収書の精査をしたうえで、自らそのすべてを説明し、ひとつひとつに謝るべきだったのだ。
また、弁明に「感じがいい・悪い」などない、という人もいるだろうがそれは違う。
先日、お亡くなりになられた塩川正十郎・元財務大臣は、在任当時、官房機密費について過去の発言と現在の発言が食い違うことを共産党から糾弾され、大ピンチになった。しかし、そこで塩川大臣は、持ち前の人の良さそうな顔つきで「発言したことを忘れてしまいました」と言った。
まったく答えになっていない回答であったのだが、不思議なもので、これでこの問題は沈静化し、内閣がぶっ潰れるかもしれない大ピンチを乗り切ることができたのだ。
決して論理的に納得のいくものではない。しかし多くの国民はこのひと言で彼を許してしまったのだ。感じのいい弁明とはそれほどまでに大事なのだ。
ここでぜひ伝えておきたいのは、謝罪の方法というものは、過去の会見から学べるということだ。特に、政治家あるいは霞が関の会見は、謝罪術の宝庫である。
■内閣転覆レベルのスキャンダル。どう謝罪するか
本来、政治家から謝罪を学ぶことは、非常に有意義なことだ。現在、国家公務員は64万人、霞が関という日本最大の組織の頂点に立つのが大臣であり総理大臣である。これだけ大きな組織を率いると、ありとあらゆるトラブルや不祥事、係争事案が発生していく。
またトラブルは霞が関の中だけで起こるとも限らない。例えば国土交通省であればJR北海道や航空会社の墜落事故などの社会的問題について、国民の納得いく形でどう幕引きさせるかが極めて重要な問題となっていく。
特に、社会部案件と呼ばれる新聞紙面の事件・事故、不祥事を扱う部署が多いとされるのが厚生労働省だ。薬害エイズも年金問題も、最近では「ブラック企業」も担当している。
数年程度、厚生労働大臣として社会部案件の処理に携われば、民間企業で起きうるほとんどの不祥事を網羅することができる。テレビのニュースや新聞に接するときに、厚生労働省がトラブルを穏便にどう処理しようとしているかについて注意を払ったほうがいい。多くの学びを得ることができるはずだ。
国会議員が不祥事を起こしたときに有利なのは、「責任をとって役職を辞職する」というカードを切れることだろう。閣僚、党の要職に対してのマスコミや野党の追及は、尋常ではないぐらいに厳しいが、役職のない人物に対しては優先順位がかなり下がる。
潔く役職を退いて、ほとぼりが冷めたところで復帰するというのが常套手段だ。特に女性スキャンダルに関しては、法律的というよりも道義的な問題であることが多いため、公職を辞するというのは極めて有効だ。
同じことが民間企業の創業者社長にもいえるだろう。なにか不祥事が起きたら責任をとってさっさと辞める。その場合、その人物が大株主だったりするので、役職などなくとも隠然たる力を持ち続けることが可能なのだ。
もし、内閣がひっくり返るような大スキャンダルが発生したときに、その影響をどう最小限で済ませるか。それにはまず事態の全貌を把握することだ。この調査を徹底しないと、謝罪会見のあとにまた謝罪会見を開く羽目になり、余計なダメージを受けることになる。その点において舛添は政治家失格だ。
一度、記者が色メガネをつけてしまうと、どんな事象でも悪くうつってしまう。いい成果を発表しても、その発表に悪いことが潜んでいるのではないかと見つけ出そうとするし、ちょっとでも悪いニュースが流れると、それが世界の終わりを迎える序曲であるかのように書き散らす。
有効なマスコミ対策としては、新聞休刊日の前日にネガティブな情報を文面で発表することだ。これによってネガティブな影響が文字通り消えてなくなることになる。
■「謝罪」を入れない謝罪
また自分のスキャンダルではないのに、心ならずも謝罪会見に追い込まれたなら、謝っているようで謝っていない文言を選ぶことだ。「痛切な悲しみを覚える」「誠に遺憾だ」「反省し、行動に生かす」「これがもし本当に事実なら残念でならない」など、本来「謝罪」という言葉に相応しい形容表現だが、肝心な「謝罪」という言葉を入れない。最後の抵抗として政治家がよくやる手段といえよう。
もし「謝罪」という文言を入れなくてはならないなら「混乱した事態を招いたのだとすれば、謝罪します」がいいだろう。
最後になるが、私が秘書をしていた小泉純一郎元総理は、旧厚生省史上最大のスキャンダルといっていい「岡光事件」のとき、たまたま厚生大臣だった。本来であれば「関知していない」の一点張りで逃げ切れる案件であったが、弁明、釈明会見を厚生省幹部に代わって引き受け、国民に対して強い説明責任を果たしたことを付言しておく。
投稿コメント全ログ コメント即時配信 スレ建て依頼 削除コメント確認方法
▲上へ ★阿修羅♪ > 政治・選挙・NHK206掲示板 次へ 前へ
スパムメールの中から見つけ出すためにメールのタイトルには必ず「阿修羅さんへ」と記述してください。
すべてのページの引用、転載、リンクを許可します。確認メールは不要です。引用元リンクを表示してください。