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「幕藩体制」に追放された舛添知事 東京の本当の問題は「無駄遣い」ではない 政治家1人を殺すのに刃物は不要、扇動でいい
http://www.asyura2.com/16/senkyo207/msg/885.html
投稿者 軽毛 日時 2016 年 6 月 17 日 13:03:30: pa/Xvdnb8K3Zc jHmW0Q
 

「幕藩体制」に追放された舛添知事
東京の本当の問題は「無駄遣い」ではない
2016.6.17(金) 池田 信夫
舛添都知事の辞任は日本の意思決定の特徴を示している。写真は東京都庁(資料写真、出所:Wikimedia Commons)
 東京都の舛添要一知事が辞任した。彼は重大な失政をしたわけでもなく、違法行為があったわけでもない。海外出張が豪華すぎるという批判は石原慎太郎知事のときもあったが、辞任するほどの問題ではないと自民党も考えていた。しかし運悪く参議院選挙と重なったため、イメージ悪化を恐れて安倍首相が辞任を勧告した。

 この事件は、普通の民主政治とは違う日本の意思決定の特徴を示している。そこで絶対的な価値をもつのは法ではなく「空気」であり、知事は最高の意思決定者ではなく、官僚機構の調整機関である。この意味で日本の政治システムは、江戸時代からあまり変わっていないのだ。

舛添知事は官僚の「みこし」に乗っていただけ

 都道府県知事というのは大きな権限をもっているようだが、実は大したことはできない。たとえば、いま問題になっている保育所の待機児童は東京都が全国最悪で、世田谷区では希望者の47%に達するが、他方で幼稚園は定員割れになっているところが多い。

 普通に考えれば、両者を合併して一体運用すればいいのだが、知事にはできない。保育所の所管は厚生労働省、幼稚園は文部科学省で、都庁の中でも担当部局が違うからだ。「幼保一元化」の話し合いは10年以上続いているが、最近ようやく「認定こども園」という保育所まがいの施設が少しできただけだ。

 この点で、知事の立場は国政でいうと閣僚に似ている。形式的には厚労省の最高責任者は厚労相だが、実際には彼にはほとんど権限がない。行政の多くは他の官庁と関係しており、各省折衝で関係者が一致しないと大臣に上がってこない合意とボトムアップによる意思決定になっているからだ。

 この点は、舛添氏自身が厚労相を752日間(閣僚としては比較的長い)やった体験として書いている。医学部の定員を増やすとか後期高齢者の補助を増やすなど、役所の予算が増える政策はスムーズに進むのだが、最大の懸案である公的年金については「事務方にまかせた」としか書いていない。

 役所にとって不利になる問題は大臣まで上がってこないので、決定しようがないのだ。こういう統治システムを知らないで民主党政権のように政務三役が権限を振り回すと、長妻厚労相のように逆に大臣のクビが飛ぶ。

 東京都知事としての舛添氏の手法も同じだ。猪瀬前知事は行政改革をやろうとして労働組合の反発を受けたが、舛添知事は職員や労組に評判がいい。官僚のいいなりに余りある財源を気前よく使ったからだ。彼の政治手法は、官僚のいやがることはしないで彼らのみこしに乗ることだった。

改革しようとする殿様は「押込」にあう

 このように家臣のいう通りにすることが幕藩体制で「殿様」としてうまくやるコツで、へたに財政改革をしようとすると、家臣が反乱を起こして殿様を座敷牢に幽閉する主君押込と呼ばれる事件が起こった。

 各藩は独自に徴税権も法律も軍隊も持っていたが、平和が続くと軍事費が負担になる。しかしリストラをしようとした殿様は「押込」にあい、何もしない殿様が名君とされた。幕末の長州藩主だった毛利敬親は、重臣からの上奏にすべて「そうせい」と答えたので「そうせい候」と呼ばれた。

 いわば舛添氏は「そうせい候」であり、豪華な「都市外交」は参勤交代のようなものだ。それは藩の財政には負担だが、藩士をもてなして機嫌をとる役には立った。東京都の予算は7兆円もあって今は黒字なので、節約する必要もなかった。

 このように君主を「みこし」としてかつぐボトムアップの意思決定を、丸山眞男は日本型デモクラシーと呼んだ。その典型が天皇制で、ある意味では日本型デモクラシーは1000年以上も続いている。もちろん鎌倉時代や戦国時代など軍事政権の時代もあったが、江戸時代以降は基本的に変わらない。

 これは明治維新で大きく変わったように見えるが、実際には明治憲法では内閣の権限がなく、各官庁が独立の藩のような存在で、彼らが合意しないと内閣は何もできなかった。議会には立法権も予算編成権もなく、政府に「協賛」するだけだった。

 この点は新憲法では改められ、内閣の権限も強まったが、実態は官僚内閣制と呼ばれる縦割りの構造が残った。閣僚に形式的な権限はあるが、実際の政策は事務方が他省庁や「族議員」と合意形成しないと実施できない。

 この点では知事も同じような立場に置かれており、舛添氏は当初は無難にこなしていたが、韓国人学校の問題をきっかけにマスコミの「百姓一揆」が起こり、これが都市外交の浪費に飛び火し、家臣も彼を守れなくなって「押込」にあったというところだろう。

幕末のように貧困化すると「革命」が起こる

 しかし東京の最大の問題は知事の無駄遣いではなく、急速に進む高齢化である。地方の高齢化はもうピークを越えたが、これから大都市の高齢化が加速する。いま東京都の人口分布のピークは35〜39歳だが、25年後には60〜65歳になり、高齢者が143万人も増える。

 これに老人ホームなどの増設で対応しようとしても、現役世代の減少で税収も減るので、都市財政が破綻する。昨年の労働力人口の減少率は1.5%。それを補うためには1.5%の労働生産性の増加があってやっとゼロ成長だ。

 1人当りのGDP(国内総生産)は伸びるが、社会保障のゆがみによって現役世代の可処分所得は減り、給料の8割が天引きされる時代が来る。このゆがみは世代間では若年層の貧困化として、地域間では都市のスラム化としてあらわれ、今後は東京でもホームレスが大量に出現するだろう。これを避けるには社会保障を抜本改革する必要がある。

 都市財政が悪化するとインフラ整備ができなくなるので、今のうちに財政支出を減らして「小さな都政」にする必要がある。賄賂の疑惑を呼んでいるオリンピックは返上し、安価な賃貸住宅の建設を補助するなどのスラム化対策に公共投資を重点配分すべきだ。

 だがこういう「引き算」の改革は痛みをともなうので、官僚機構の「主君押込」にあってしまう・・・というわけで、江戸時代の藩主は事なかれ主義で250年過ごしたが、さすがに幕末になると借金が藩の年収の2倍を超え、武士の生活は水呑百姓並みになった。

 ここまで来ると、貧困化した下級武士が革命を起こすが、藩主のほうも借金以外に失うものがないので、簡単に特権を手放してしまう。廃藩置県のような大改革が10年余りでほとんど戦争もなく実現したのは、このような各藩の財政破綻が原因だった。

 この意味では、消費税の増税を再延期して財政破綻を早めた安倍首相と、大名旅行やオリンピックで都の財政を悪化させた舛添氏は、「幕末型革命」のきっかけをつくった名君として歴史に残るかもしれない。
http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/47126


政治家1人を殺すのに刃物は不要、扇動でいい
脳内の血流が明かす、人間の脳の意外な弱点
2016.6.17(金) 伊東 乾

 いま仮に、誰かがある政治家を失脚させたいと思ったとしましょう。

 どうすればよいでしょうか?

 自由社会での有効な方法は、その政治家に関する「スキャンダルめいたもの」をばらまくのが有効です。別に「スキャンダル」でなくてもよい。「めいたもの」で十分で、煙を立てていぶし、本人が登場したところで、大衆がネガティブな印象を抱くような失態を演じさせるのがよく効きます。

 答弁でも記者会見でも院外の失言でも場外の勇み足でも、何でもいい。そういうデータ、今日の情報ネットワークを前提にするのであれば、音声動画コンテンツの形で、そうした「みっともない」「見苦しい」シーンを延々繰り返して流し続ける。

 ほっておいても勝手に世の中が自走して、時間の問題で失脚してしまう公算が高い。そういう事例が近々あったか、久しくなかったかは別論としましょう。

 こういうのを「民主主義」と勘違いしてはいけません。メディア衆愚制と呼ぶのが正確な状態にほかなりません。

実証倫理の最前線

 話が突然変わりますが、6月24日金曜日 夕方から、東京大学本郷キャンパスで久しぶりに「脳機能可視化ライヴ」を開きます。

 久しぶりと言うのは2004年、2005年、2008年とかつてはしばしば開催していたのが、ここ数年・・・とりわけ3.11以降・・・ご無沙汰になっていたからであります。

 6月24日は18時から、ミュンヘン工科大学のクラウス・マインツァー教授をお迎えし、ドイツ連邦共和国バイエルン州政府日本代表部などのご後援をいただいて技術とELSIの問題を議論いたします(「哲学熟議11+哲楽遊戯5」)。

 参加ご希望の方はgakugeifu@yahoo.co.jpまでご来場者名とご連絡先を明記のうえお申込み下さい。1通で4人までお申し込みいただけます。「哲楽遊戯」ではエドワード・スノーデン氏のテクストによる新作の演奏などもありますので、ご期待下さい。

 さて、ELSIというのは聞き慣れない言葉かもしれません。テクノロジーを(Ethical)倫理的、(Legal)法的 そして(Social)社会的な(Issues)事柄から考える、という喫緊の課題でありますが、従来は、その重要性にもかかわらず、どちらかと言うと技術開発の横にお荷物のように言葉がついている、といったことが、実のところ少なくなかった。

 言葉に言葉で応じても、水かけ論になってしまったらその先に進めません。そこで私たちは日本とドイツを結んで確かな測定結果に基づく倫理の議論を展開しようと考えています。

 つまり「実証倫理」のフロントエンドの問題に正面から取り組んでいるわけです。

 背景には1930年代〜45年まで、日独両国共通に見られた現象、すなわち、第1に世界同時経済大恐慌、そして第2にそれを受けて創発してしまった「メディア・マインドコントロール」によるファシズム・マス=ヒステリー状態という、二度と繰り返すべきではない愚かな事態が存在しています。

 論より証拠、具体的な内容をご紹介いたしましょう。

マルチメディア・コンテンツの並列脳応答評価

 私のコラムや書籍、あるいは小研究室(東京大学作曲指揮研究室)のアクティヴィティをご存じの方なら、幾度か見かけたことがあるであろう図からお目にかけましょう。

(* 配信先のサイトでこの記事をお読みの方はこちらで図をご覧いただけます。http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/47125

恐怖の情動で虚血する脳(右半球:活性化)

前頭前野連合野:虚血

左半球:活性化
 これは、ネットワーク上に公開された残虐な音声動画コンテンツを視聴しているとき、恐怖の情動によって前頭前野の血中酸素濃度が低下して、ものがよく考えられなくなっている状態の脳を近赤外光スペクトロスコピー(fNIRS)と呼ばれるテクノロジーを使って測定、結果をモデル脳表面にマッピングしたものです。

 こうしたデータをお目にかけると、ほとんどあらゆる局面で「さっきの脳波・・・」などというコメントや質問を受けますが、これは脳波ではありません。

 脳内の血流に含まれる酸素、正確には酸素化ヘモグロビンを測定しているもので、実は日本の大学や企業(具体的には島津製作所、日立製作所)とドイツ・ミュンヘンの大学や企業が協力して開発したものにほかなりません。

 脳内の血流の酸素濃度ですから「ここが薄い」「ここは濃い」つまり「こちらは活性化している」「こっちは虚血状態」といったことが分かります。

 上のマッピングでは、意識の座とされる前頭前野が強い恐怖の感情によって虚血的になっていることが示されています。

 実際には中東で人質になった日本人が原理主義者テロリストの手によって残酷な方法で殺害される場面を視聴しており、そのとき私たちは十分にものを考えることができない。

 実は喜怒哀楽、人間の持つ大半の感情について、過度に気持ちが揺れているとき、私たちの脳は必ずしも十分に人間らしい脳・・・類人猿などでは未発達な大脳新皮質とりわけ前頭前野・連合野など・・・を十分に活性化させることができないのです。

 例えば、激しく怒っているとき、私たちは十分に冷静に思考することができません。強く悲しんでいるとき、泣きじゃくっているときなども、高度な知性の座は虚血してしまい、合理的に緻密に考えるのに適さない脳の状態になっている。

 テレビやネット動画などで、政治家が仏頂面していたり、見苦しいふるまいなどをしているように見えるコンテンツを延々流し続けるとすれば、またそれを運悪く視聴してしまい、何らかの感情を強く持ってしまうと・・・。

 それが「嫌悪」であれ「軽蔑」であれ「怒り」であれ、人は十分に合理的な思考を働かせることができず、短慮な結論に急ぎ、性急かつ愚かな選択を容易にしてしまう可能性がある。

 1933年、アドルフ・ヒトラーが政権を簒奪するにあたっては、ユダヤ人という「敵」を作り出し、その憎悪と、それを排撃する「正義」への陶酔という形で、人々をメディア・マインドコントロールしました。

 感情に揺り動かされているとき、人は合理的に考えることができません。それが5人でも10人でも、100万人でも、情動で荒れ狂っている状態の生物は、おしなべて「阿呆である」これは覚えておいていい、基本的生理的な事実です。

 「怒りに任せて××した・・・」なんて行動が、ろくな結果に結びつくことがないのは、私たちの日常の生活経験でも、実感するところではないでしょうか?

 加えて言えば「音楽は人間の感情を動かすことが<目的>である」などと言うトンデモない素人判断を目にすることがありますが、それはつまり「人間を阿呆にすることが<目的>である」と言っているのと同じ程度に、救いようのない話でしかありません。

 21世紀の音楽ビジネスの大半は「ファン」をリピーターとしてそこから小銭を巻き上げることで成立している、こすからい商売です。

 みなさんは、社会問題にもなった「なんとか総選挙」というくだらない商法をご存知でしょう。親のクレジットカードを黙って持ち出して、何十万円という金額、どうでもよい同じCDを買い続けて「応援」・・・。

 アホ以外の何者でもないですが、どうしてこういうバカな行動を取るのか。

 「いけない」と親が意見しても治るとは限りません。が少なくとも強い感情で縛られてしまうと、人間が合理的に思考しにくくなるという基本的な事実は、少なくとも大人はよく分別しておく方がよい。

 よく「ブログ炎上」みたいな情けない話を耳にし、また目にもするわけですが、そういうときは大概、脳の活性が足りないと思っておくと安全でしょう。さらに強い情動は「記憶」や「意思決定」に影響を及ぼすことが知られています。

 わざわざ「頭の悪い状態」に落ち込んで、それを「意思決定」習い性にしてしまう。

 ファンを作ってそれらリピーターに寄生してマーケットを回していくという、音楽を利用した営利行動全体を、私は注意して観察すべき商法と思って見ています。私に限らず、1945年の惨禍を作り出してしまった直後、少なくとも欧州では徹底的にこうした事態への反省があった。そして日本ではほとんどなかった。

 ヨーロッパではナチスやファシスト党に加担した音楽家は生活の資を絶たれ、人によっては音楽史から抹殺すらされていますが、日本では軍歌で政府に媚びて営利した連中が、戦後は手のひらを返して進駐軍に媚び、平和を歌って見せ、それを誰も指摘しなかった。

 古関裕而という人間がありますが、若者を戦地に送る歌で営利したのち、戦後は長崎の鐘がどうしたといったポップスで再び営業し、当時の日本人はそれを不思議にも思わず、同じ体質は71年経った今でも基本的にあまり変わっていません。

 「日本人14歳説」に私が一定首肯する1つの残念な証拠にほかなりません。

 閑話休題。一時の感情の高まりで政治的な決定をしたり、経営判断を下したりすると、まずもってろくなことにはなりません。

 で、一時的な感情の高まりで選挙を乗り切ろうというバカバカしい作戦が1955年あたり以降の日本では定石として定着してしまった。

 だから日本の選挙はろくな結果を生み出さなくなってしまった。衆愚制という病を損ねた背景は、ヒト脳の基本的な生理からも考察することが可能なELSIの対象と言うことができます。

「脳波」は何を語るのか?

 さて、先ほどお目にかけた脳のマッピング、くどいようですが、これは脳波ではありません。脳血流を通してみる「部位の活性化」の指標です。

 この種の測定で、例えば前頭前野の虚血が常態化している、といったことが判明すれば、責任能力の有無を検討することができるでしょう。

 禁治産者などのケースを考えると分かりやすいと思います。人間が人間らしく考えたり感じたりするのは、実はなかなか大変なことなのです。逆に獣の様に一過性の感情に身を任せるのは 実に容易なことであります。

 では、よく世の中で誤解される「脳波」、これは何を語るのでしょう?

 一言で言えば、脳波は脳全体の活動状態を反映して得られる「波」の情報で「場所」つまり点を特定しにくい。

 しばしば「α波が出ているときはリラックスしている」なんて言うのはお聞きになったことがあるかもしれません。「α波」とは低周波のゆっくりした脳内電位の変化を指す用語で、脳のこの場所がこう活性化しているからどうだ、こうだ、という議論とは直結しにくい。

 でも、私たちの主観的な意識、内観もまた、どこのニューロンがどうした、というのではなく、全体からもたらされる情報として 意識の座に上がってきます。

 私たちは、腹が減ったとか、背中がかゆい、とかいうとき、左側頭葉のどこの部分のニューロンが発火して・・・なんてことは感じない。意識することなどできません。

 そういう内観の総体と、脳波は関連づけられて、ほぼ1世紀近くにわたる巨大臨床情報、つまりある種の「ビッグデータ」が蓄積されている。

 このように考えると、脳波測定にも新たな活用の可能性が見えてきます。

 先ほどと同様の残虐画像を視聴しているときの、被験者の「脳波」を、広島国際大学の岩城達也先生が解析されたデータを見てみましょう。

脳波計測を用いた視聴覚コンテンツの認知評価(広島国際大学・岩城達也研究室)
 図示しているのは、データ上で大きな感情の揺れがあったと思しい脳波反応があった部分です。これは、もとのコンテンツと時間軸上で対象できるので、「コンテンツ認知評価」の測定になっているのが解るでしょう。

 脳血流だけでは感情の機微は必ずしも分かりませんが、脳波測定ないし脳波ビッグデータ・マイニングからは、血流や酸素濃度、活性化部分の分布だけでは知ることができない、より高度な人間の心の動きを見ることができる。

 注目すべきは、上の図の一番右のピークです。このとき、実はすでに残虐画像の提示は終わっているのです。でも「あぁ、嫌だった」と思っているとき、その追想、つまり「フラッシュバック」に相当する内観を、データとして客観化することに成功しているわけです。

 人間の内観、つまり、本来「絶対的に自由であるべき心の中」の出来事が、外から手にとるように見ることができる。実はこうした技術のあり方そのものが、1つの「技術倫理」の対象でもあるわけです。

 そのうえで、こうした刃、サイエンスも、テクノロジーも、常に「両刃の剣」であるということを、私たちは決して忘れるべきではありません。

 これらを適切に用い、かつて欧州も日本も最悪の惨禍に巻き込んでしまったような、社会複雑系の破壊的創発、カタストロフィーをどのように回避できるか?

 こうした問題を私たちの研究室は考え、正面から取り組んでいます。6月24日、ご関心の方はどうぞ、東大本郷にお運びください。
http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/47125

 

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