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忠良ナル汝アホ臣民ニ告ク!(補記3)― 辺見庸ブログ
http://www.asyura2.com/16/senkyo210/msg/928.html
投稿者 烏滸の者 日時 2016 年 8 月 13 日 15:38:51: hk3SORw2nEVEw iUef9YLMjtI
 

(回答先: 忠良ナル汝アホ臣民ニ告ク!(補記2)― 辺見庸ブログ 投稿者 烏滸の者 日時 2016 年 8 月 12 日 10:51:01)

忠良ナル汝アホ臣民ニ告ク!(補記3)
 
たそがれどきに皇居のあたりをあるくと、ひどく馬糞くさいときがある。にほひは、こちらからカシコキアタリへの流れではない。馬糞臭はうたがひもなく、あちらからこちらへとただよってくる。やれありがたや、ありがたやと馬糞のにおいを胸いっぱいすっているのかどうかはしらぬが、ドジンどもはだれも文句を言わない。逆ならどうなのだ。こちら側の馬のクソ、ひとのクソのにほひが禁中にながれこんだら、連中、少しもさわがず、歌でも詠むといふのか。 秋風は 涼しくなりぬ 馬並(な)めて いざ野に行かな 萩の花見に 道々クソをひりつつ…。ありえない。旧内務省のエトスをうけつぐ当局と地域住民が、皇居ではなく、人民の側からのクソ異臭遮断に血道をあげるだろう。
 
新憲法担当国務大臣だった金森徳次郎は敗戦の翌年の国会答弁で、天皇を「国家の象徴とし、あこがれの中心として将来も敬愛することは日本人の高い道徳的教養でなければならない」[1]と答弁している。慶べ、これらはいま、ついに全面的に実現されたのだ。マスコミは「オキモチ」「オコトバ」だけでなく「御下血」「御失禁」「御脱糞」「御放尿」「御放屁」「御認知(御ボケ)」までをも、推奨される皇室用語として「記者ハンドブック」に追加するかもしれない。そして天皇(制)を崇拝する「高い道徳的教養」をそなえたものどもが、ヒノマルや旭日旗をふって「朝鮮人は死ね!」「朝鮮人は息するな!」とわめくのだ。だが、かれらをなめてはならない。
 
農本ファシストで超国家主義者の橘孝三郎はたいへんな理論家であり、街頭で「朝鮮人は死ね!」などと叫んだりはしなかったらしい。しかし、五・一五事件に参加し「やむにやまれぬ至情」とか「聖なるか賊か是か非か問ふ勿れ、ただひたすらに祖国抱きて」とうたった。これについてあるひとは書いた。「いかなる行動も、至情から出ている限り、彼自身においては正当である」[2](藤田省三『天皇制国家の支配原理』1966年)。至言である。「聖なるか賊か是か非か問ふ勿れ、ただひたすらに祖国抱きて」――の「祖国」は、「勅命」「大君」「組織」「党」「会社」「天命」などと代替が可能である。「聖なるか賊か是か非か問ふ勿れ、ただひたすらに祖国抱きて」の精神は、このドジンコクにあってはかつて、左右の政治勢力(共産党も反共産党系も)の別ない、殺人をも許容する「至情主義」であった。天皇制に骨がらみ馴致されたその心性は、いまも基本的には変わっていない。
 
どうかおどろかないでいただきたい。障がい者殺傷事件のあの青年について、わたしは「いかなる行動も、至情から出ている限り、彼自身においては正当である」のセンテンスと「聖なるか賊か是か非か問ふ勿れ、ただひたすらに祖国抱きて」の、じつにバカげた一首をおもったのだ。7月26日未明の惨劇は、あの青年の「至情」の結果であり、まぎれもない蹶起でもあった。あれは倒錯した社会がこしらえた、未来を徴す血の影絵でもあった。その社会に、スメラギよ、あなたは「内在」し、なおも深く「内在」しつづけようというのか。
(2016/08/12)
 
汝アホ臣民ニ告ク(辺見庸ブログ)[回答先の元記事に追加された部分を抜粋]
http://yo-hemmi.net/article/440874162.html
 
 
 
                    ◇
 
 
投稿者注[1]
 
「次に國體と云ふことの意味でありまするが、是は御説のやうな考へ方も十分成立し得る餘地があると思ひます、由來國體の言葉は決して一樣には使はれて居りませぬ、延喜式に國體と云ふ言葉が使はれた以來、或は其の前にあるかも知れませぬが、種々雜多な意味に用ひられて居るのであります、併しながら之を學問的な立場で見ないで、國民一般の常識に照して考へて見まする時に、如何なものであらうか、國民全體の心の中に活々として、拭ふべくも拭ふべきにあらず、變化し能はむも變化し能はないものは、度々申して居りますやうに、天皇を憧れの中心とする國民の心の繋りと云ふことでございます、それを本として國家が存在して居ることを、國體と云ふ言葉で言つて居るものと思ふのであります、此の點に付きましては絶對に我々は變つたことはない、又將來變るべきものでないと信じて居りまして、國體不變の原則をはつきり言はざるを得ないと思ふのであります」
 
金森徳次郎(貴族院第90回本会議第23号 昭和21[1946]年08月26日 [30/36] )
 
 
「私は天皇の本當の御地位は我々の心の根柢との繋りに於てあるものである、敢て一片の法律を以て作り得るものでもなく、法律を以て消し得るものでもない、日本民族の熱烈なる血液が流れて居る限り、我々の全精神との繋りに於て天皇の御地位がはつきりと國民の心の中に在るのであるし、又遡つて見れば歴史の中にはつきり現れて居る、其の基本の考を提へて言へば、是が即ち日本の本當の姿ではないか、それの本當の姿と言へば、それは即ち國體と云ふ言葉を一つの意味として言ひ表し得るのではないか、且又國民が常識的に國體と言つて居る其の姿ではなからうか、此の前提の下に此の國體と云ふものは日本國民の心の奧深く持つて居る其の天皇との繋りと云ふものに於て日本民族と云ふものは結成せられ、それに基いて國家が出來て居る、其の特色を言ふのであると云ふ説明をして居つたのでありまして、私は今日に於て其の考が正しいのであると思ひ、先程此の點ではなかつたかも能く存じませすが、南原君は一種の自己欺瞞であると、此の點ではなかつたら申譯ありませぬが、一種の自己欺瞞であると仰せになりました、言葉の使ひ方は別としまして、私は全責任を以て自己欺瞞と信じて居ないと云ふことを明言致したいと考へて居るのであります、次に斯樣な基礎の下に於きまして天皇の御地位はどうであるかと云ふ道徳的方面に於きましては、國民の歴史と心との中に宿つて居る、面も現實の政治の面、法律の面に運び來りまする時に如何にするかと云ふことが起つて來る、是から憲法の問題となつて來るのであります、是以前は憲法の以前の問題であります、其の本質が憲法に接觸して先づ現れまする所が憲法の第一條であります、「天皇は日本國の象徴であり日本國民統合の象徴」であると天皇の御地位は日本國民の總意、所謂國家活動の源泉となる所の「日本國民の至高の總意に基く」と規定してあるのでありまして、茲にはつきり國家活動の源泉となる國民の總意に基く天皇の御地位が神祕的なる考のみに基いて是が説明せられるのではなく、確乎不動の歴史と國民の心の中に根差して居ると云ふことがはつきりしたのであります、今迄の天皇の御地位と云ふものは、小學校の子供と雖も、疑を差挾めば差挾み得るやうな神話を基礎として日本の基礎原理を規定したと云ふことは、どうしてさう云ふことがやれたか今日でも不思議に思はれるのであります、之に依つて愈愈天皇の御地位は御安泰と申すことが出來得た次第であります、斯樣に天皇の御地位がはつきりと國法上に認定し得たことは、先程南原君が申されました通り、諸國の知識を廣く集めると同時に、日本の中に備つて居る美しい特殊なる傳統を尊重しなければならぬと云ふ原理に當ると思ひます、日本國民の心の中心となつておいでになる方が國民の總意に依つて國民統合の象徴であると云ふ風に定めることは、實に適切であると考へて居ります」
 
金森徳次郎(貴族院第90回本会議第24号 昭和21[1946]年08月27日 [8/66] )
 
 
「我々は國が變るとは思つて居りませぬ、我々の國家は一人の天皇、それは過去及び將來に亙つての一貫せる國民結合の倫理的中心である、私は天皇を憧れの中心であると申しましたことは、是は早分りする、謂はば枕詞附に於て言ふ所の言葉でありまして、必しも的確なる内容とは言はれないでありませう、稍稍正確に言へば結局國民の心が天皇に繋つて、奧深くそこに聯繋が出來て居る、之に依つて日本國家が確定不動の一つの結合體となつて居ると云ふことでありまして、此の意味に於きまして我々は變るものとは思つて居りませぬ、だから此の意味に於きまして、我々は何等國家の基本特色は變つて居ないのである、國家は同一性を持つて居るものであると考へて居るのであります、茲に國體と云ふ意義を用ひ來るならば、國體は不可變であると云ふことになり、私は其の言葉を定義を加へつ、今迄説明をして來て居ります、謂はれなく國體は變らぬとは申しては居りませぬ」

「日本の國家は歴史に現れて居りまする若干の文字は、神話を基礎として國民に納得を強ふるが如き姿を呈して居ります、併し我々過去の國民も固より神話に依つて誘導されたものもありませう、併しそれのみに依つて此の日本の國家が結合をして居つたものとは思はれませぬ、近代的の歴史家の論證する所に依りますれば、此の點に於て相當明かなるものがあるのであります、私は歴史家ではありませぬ、從つて包括的なる見地に立つてそれぞれの歴史家の意見を承認するより外に途はありませぬが、我々の知り得べき過去の歴史に遡り、又現在の我々の心に顧みまして、天皇を以て、私の言葉の謂はば憧れの中心とし、之に依つて統一せられて來たと云ふことは結局是は儼然たる事實である、而も斯くの如き姿であると云ふことは、盲目的に國の權力に服從して居つたのではありませぬ、意識的に服從して居つたのである、脅迫せられて服從して居つたのでもなければ、神經を麻痺せられて服從させられて居つた譯ではありませぬ、其の時々の姿に於きましては、或法律の規定、或神話の教へと云ふものは強い姿を持つて居つたかも知れませぬが、心の中に於きまして、はつきり自己の意思と云ふものに、價値を認めて居つたと云ふことは、過去の文學、或は若干の事實、多くの人の所見と云ふものを通して不十分ながらも認め得るであらうと思ひます、私今の立場に立つて、之を反省致しまする時に、我々は過去に於て不十分ではあつたけれども、主權は矢張り私の申しましたやうに、國家の意思の源泉たるものが、國民全體にありと云ふ氣持を持つて居つたのである、或はそれがはつきり意識されないで、外のもが特に顯著に現れて居つたのである、今日必要を生じ、又時代の轉囘に應じて心が目覺めた時に、我々は茲に認識の轉換を生ずるのである、認識の轉換それ自身は、社會的に見て大きな事實である、私は認識の轉換と言つたからつて、事柄が小さくなるとは申しませぬ、昨日申しました變な説ではありまするけれども、天動説、地動説が矢張り此の場合に當嵌るのでありまして、認識が變つたとしても、現實の本質が變らないと云ふことに於きまして、日本の國家は完全なる一貫性を持つて居るのである、既に日本の國家が一貫して居るとすれば、曩に申述べました通り、國家の一貫性に伴つて、憲法は法的一貫性を持つて居る、其の憲法の一貫性を以て、政體が變つて行くと云ふことは、適法に是認せられて宜いのではなからうかと、斯樣に私は考へて居る次第であります」

金森徳次郎(貴族院第90回本会議第25号 昭和21[1946]年08月27日 [11/27] )
 
 
「此の憲法改正案の骨子と致します所は、天皇を憧れの中心とする歴史と國民の感情とに基く基本の事實、基本の原理と云ふものをはつきり把握して居りまして、此の根本の思想に基いて政治的な國法的な世界が其の上に現出されて來るので、其の國法的な世界に於きましては、其の基本の事實と密接して、天皇は國の象徴であると云ふ國法的な地位をはつきり樹立させ、併しそれは神話に基くに非ず、無形の法に基くに非ず、國民の總意に基いてと云ふ確實なる基盤を之に認めまして、さうして其の象徴たる天皇…言ひ換へますれば、誰が見ても天皇を仰ぐことに依つて國家を認め、天皇を仰ぐことに依つて國民統合を現實に意識すると云ふ法律的なる地位たらしめ、其の天皇の御地位を更に充實する爲に、此の憲法改正案に示しまするが如く、多からず少からざる適當なる權能を天皇の御働きの中に歸屬せしめて、而もそれから萬々一弊害が起つて天皇の御徳を傷けたり、國家の政治運行に思はしくない色彩の生ずることは、有らゆる工夫を以て之を排除したのであります、即ち法律的の裁可と云ふやうな積極的なる意思行動の權能は之を存在せしめないことにして、且つ又一切の行爲に付て内閣の助言と承認と云ふ一つの要件に繋らしむる、斯う云ふことに依りまして、國民感情の有らゆる面を必要なる限度に於て適正に盛り込むと云ふことが此の憲法の精神であります」

金森徳次郎(貴族院第90回本会議第26号 昭和21[1946]年08月29日 [11/18] )
 
以上「帝国議会会議録検索システム」 http://teikokugikai-i.ndl.go.jp/
 
 
投稿者注[2]
 
「日本ファシズムが、イタリー・ファシォやナチズムにと比較して、著しい「矮小性」をもっていることは、すでにすぐれた作品によって知られている。その成立のプロセスが、激烈な「変革」によるのではなくて、漸次的な総力戦国家への移行によって特徴づけられること。多くの運動のリーダーは、デモクラシー一般に対する自己の否定衝動から、自己の政治的リアリズムを武器として、大衆を煽動し、自主的結社を打倒し、自己の政治権力を獲得していくのではなくて、つねに究極的には既存の国家機構とくに軍部の一部に依存する姿勢でしかことを運ばなかったこと。そうしてすべてのファシストは、国内的には天皇の前に敬虔なる臣下であり、国際的には、世界否定を試みる無類の攻撃的ニヒリズムとしてのナチズムに対して息切れしながら追随するフォロワーでしかなかったこと。それらすべての特徴が示すことは、「反動」化と呼ばれる過程においてもまた、いかに日本社会の歴史的経過が明確なキレ目を持たないか、そうしてこのことに対応して、その経過を営む人間が、いかに歴史的連続を遮断するだけの主体的行動性を欠いていたか、ということである。」(p.119)
 
「日本では、郷土は国家の郷土でもあった。郷土を離れた個人もなければ、郷土を離れた国家もなかったのである。いかなる国でも一般に都市においては、機械化の程度が進行するにつれて、生活様式の全般にわたる万国普遍の規格化が行なわれるから、そこでは祖国は、物質的生活様式の中にではなく、言語と観念の中にのみ存在するようになる、という傾向をもっている。秩序にたいする内面的自覚と国家の存在理由の合理的認識がない場合には、生活意識における脱国民化は、実に容易に発生し一般化する。そうして明治以来の日本においては、合理的な秩序感覚は、ひとり大衆のみならずいかなる階層にも存在しなかった。国家は「一村一家」の延長であり、家と村における全人格的な心情的結合が直ちに公的な国家秩序の支柱であるとされていたのである(忠孝一致)。したがって都市において、「郷党社会」(伊藤博文)とのつながりを失うことは、同時に祖国を失うことであった。しかも一方で、近代国際社会の権力政治的状況に対処すべく、都市と機械化が国家理性から要求されていた。ここにおいては、国家自体が、国家理性と国家心情の強い内的矛盾を包含していたのである。」(p.120-121)
 
「郷土主義は、かくて日本の対外的緊張が増大し、資本主義恐慌の打撃が農村において深刻化するとともに、祖国=郷土の敵を攻撃しながら立ちあらわれる。ナショナリズムのアルトラ化と「国家改造」の心情的主張が、社会生活の画一的機構化、都市の無習俗性に反撥する。財閥の専制、政党の腐敗、あらゆる日本近代社会の病理現象は、すべてそれに結びつけられた。対外的消極政策と国内の規則合理的機構がその病弊のモトなのである。いまや我国古来から自然に生成した制度に還すべきである。「民俗の成俗」としての郷土自治を主張するものが、「権力者の命令に従順なれと云ふのではなく、汝自らの純心純情を満足させよ」という掛声のもとに運動を起す(権藤成卿「成俗の漸化と立制の期限」、『中央公論』1932年6月号)。この国の歴史的重畳性から生れた制度と機構の乖離が爆発的エネルギーを発揮しはじめた。しかし、その制度は「自然而治」るのであって規範意識を内に含むものではないから、そこからは「心情」の力しか発散しない。組織的行為は生れる余地がない。だから行動の専門家が必要である。「破壊屋」が、待機していた。井上日召一派のように「我々は破壊を引受けて殪れる覚悟でゐるのだから、建設案のことまで研究しようと云ふ気はない」(『日召自伝』)と云って、「閥」打倒に熱狂する、右翼「急進ファシズム」運動の一つの類型がそれであった。彼ら運動家は郷土に籠るのではなくて、逆にそれを離れて「東奔西走」する。彼らは、郷土と農民のために「天皇親政」を実現すべく、非日常的な世界に活躍する「志士」であると考えていた。だからして又、彼等の行動そのものは、アウト・ローズのそれであっても、精神形式においては、天皇に対する徹底的に忠義者である。むしろ逆説的だが、忠義者たることによってアウト・ローズ化していたに過ぎない。何如なる行動規範をも認めないニヒリストではなく、最高価値への献身によって他のすべてを無視できると思い上がっていただけである。彼らもナチ指導者もともに異常者ではあるけれども、ナチ・リーダーのヒステリックな熱狂はあくまでも自己の衝動から発生したのに対して、日本の気狂いは、普通人には真似の出来ない「天皇信仰」に凝り固まっていた一種の「新興宗教」型のオルガナイザーであったにすぎない。こうしたタイプの人間がどうして大手を振って「活動」できたのか。」
(p.121-123)

「天皇制のもとでは、「天皇は道徳的価値の実体でありながら、第一義的に絶対権力者でないことからして、倫理的意思の具体的命令を行いえない相対的絶対者となり、したがって臣民一般はすべて、解釈操作によって自らの恣意を絶対化して、これ又相対的絶対者となる。ここでは、絶対者の相対化は相対的絶対者の普遍化である」(拙著)のだから、天皇絶対の建前をどこまでも貫いて行くものは、天皇を除くすべての「恣意的な相対的絶対者」つまり権力者に反抗することができる。我日本で、共産主義を除くすべての運動が一君万民主義をスローガンとしたのは、こうした事情を利用するという一面をもっていた、そうして日本における反俗物主義と「正義感」の主たる培養基もこのイデオロギーの中にあった。天皇制的俗物とは、建前は天皇の絶対を認めておいて、実際は自分の恣意を貫くとか、天皇を価値の究極目的とするのではなくて、自分の立身出世の単なる道標(そこに近づくか、又はそこに近いものに近づくかの努力の地理標)としてしまうのであるから、天皇「目的」主義は、このような天皇「存在」化傾向に対する憤慨の力となるのである。」(p.123)
 
「けれども、郷土は又、「自然而治」るものであるからこそ、権藤が云うように、決して「衣食住男女のことを離れない」ものなのである。明治以来の天皇制がその社会機構の底辺に置いて「国家の基礎」として重視した村の自治とは、政治権力がそれ自身として独立して存在することを許さない無為自然の共同体であったからこそ、一方では「政争軋轢緩和作用」(伊藤博文)をもっていたけれども、他方そこには普遍的規範精神のいかなるものも存在しえなかった。そうして無規範の世界では、制度は動物的接触によってのみ、その範囲でのみ存在しうる。「生物自然の欲求」の相互関係こそが郷土であるとすれば(権藤、前掲論文)、郷土の日常生活をやめて東奔西走するものは、郷土からの支持を得ることは出来ない。だから郷土主義は、当然に「具体的生活」の価値を強調しながら、部落に根を置いた形で生れ出てくる。そうして現代社会における「具体的生活」を重視する限り、とくに恐慌下においては、日常生活のある程度の合理化は避けられない。その際農業経営の合理化は、「生物自然の欲求」を満たさんとするものであるから、実にナチュラルに行われて、それが内面世界の「純心純情」性を冒すことは決してないのである。それは主体的行為ではなくて、自然の運命であるから、社会経済上の生産関係を変革しようとしないのは勿論、いかなる精神世界の変化をももたらさない。例えば、急進ファッショの中の一類型をなしている愛郷塾橘孝三郎のように「理想部落建設運動」を行なっているものの場合を見よ。彼らは攻撃と破壊だけを行なうのではない。郷土(彼らは兄弟村と呼んだ)の部落経営面で、畜産組合や花卉部や実費診療所まで設けて改良運動を怠らない(橘孝三郎『獄中通信』1934年)。のみならずルヨ・ブレンターノの『イギリス経済発達史』とかF・オッペンハイマーの『社会学体系』とかについて社会科学を熱心に勉強して見たりする。この点は影山正治のように「理論」を全く拒否するのとは対蹠的である。しかしその差は全人間的な差異ではない。橘は、一方、価値の世界では茫漠として合理的理解の出来ない王道楽土主義者であり、行動の世界では、「已むに已まれぬ至情」から、一切の合理的配慮を無視して五・一五事件に参加するのである。そうして行動結果については、「聖なるか賊か是か非か問ふ勿れ、ただひたすらに祖国抱きて」と唱う。漠然たる価値観から発した「至情」の結果は、正確な価値測定の出来ないのが当然である。そこには価値判断のチャンとした尺度そのものがないのだから。ただひたすらに祖国を抱けば、それで価値と行動とは矛盾なくつながる。いかなる行動も、至情から出ている限り、彼自身においては正当である。「抱けばよい」というその精神形式が私生活を貫くとき、そこの生ずるものは、今もわれわれが体験している日本型男女関係である。しかもそれは親子の温情関係と密接に連続している。さすがに「生物自然の欲求」の体系である。天皇制精神の実体はこれであった。こうして、欲望自然主義のもとにはどんな行動もすべて当然のものとして包入される。日常生活の合理化や社会科学の研究もその一部であるに過ぎない。橘やその弟子林正三(洋画家)の通信を見ると、ハイカラな洋画や原書への関心が、新興宗教的な心情的信仰性や「ただすべてに感謝悦服あるのみです」(例えば林)といった自然の運命への徹底的な従順さと、御当人には何の不思議も感じさせないで、奇妙な織合せを示しながら共存している。こうした精神構造こそが、日本ファシズムの「国家改造」をキレ目なく行なわしめた基体であった。天皇制の内部に存在する近代国家としての合理的機構化と前近代的共同態としての伝統的心情の価値化との、二つの傾向が生み出す深刻な矛盾を、更めて媒介し縫合するものは、こうした精神以外にはなかった。ただ、心情のままに何処まで行動が進んでゆくか測り知れない欲望ナチュラリズムに一定の限界を置きさえすればよい。そこに全生活を空間的な郷土の中でだけ行なわせようとする、正真正銘の郷土主義があらわれる。それは明治以来の日本に一貫して存在して居たものであって、橘などは、それの病理現象にすぎなかったのであるが、昭和大恐慌後には、国家の全機関の援助を受けて、ずっと大規模に、展開された。青年団、農民塾、産業組合化などの運動である。」(p.125-127)
 
藤田省三「天皇制とファシズム」(『天皇制国家の支配原理』1966年 未来社※)

※現在みすず書房から出ている。
http://www.msz.co.jp/book/detail/08347.html 
 
                    ◇
 
 
辺見庸は一体何をやっているのだろう。芸人の「つかみ」をひねったような一種の暴力的な「つかみ」のことだ。当然のことながら、客席では金を返せと大騒ぎになる。客は結局、怒りと軽蔑と失望を無理やりおみやげに持たされて、帰る。帰る。どんどん帰る。在特会のデモへのカウンターで功名と悪名を同時にあげたしばき隊の作風にも通じるところがありそうだ。少し違う気もするが、コンサートをやめた有名なピアニストのことも連想される。客をあからさまに拒絶しながらも、同時にドジンにしてアホ臣民たるわれわれへの(およびかたじけなくもスメラギにたいする)辛抱強い親愛の気持ちのようなものを感じさせてくれる「私事片々」での辺見庸の態度は、思うに昔の隠者や数寄者にこそいかにも似つかわしいものだ。

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