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参院選で露呈した「若者に無責任な政治」のリアル 問われるべきは「大人」たちの態度だ(現代ビジネス)
http://www.asyura2.com/16/senkyo211/msg/663.html
投稿者 赤かぶ 日時 2016 年 8 月 24 日 10:40:05: igsppGRN/E9PQ kNSCqYLU
 

参院選で露呈した「若者に無責任な政治」のリアル 問われるべきは「大人」たちの態度だ
http://gendai.ismedia.jp/articles/-/49465
2016年08月24日(水) 後藤 和智 現代ビジネス


文/後藤和智(同人サークル「後藤和智事務所OffLine」代表)

■若者たちの「政治の季節」

2016年7月に行われた参議院議員選挙から、選挙権を持つ年齢が18歳に引き下げられました。それと前後してか、若い世代において「政治的」な運動が広がりました。

最も有名なのは、大学生(当時)の奥田愛基らが創設した団体「SEALDs」でしょう。同団体は、2015年に安全保障関連法案に反対する目的で結成され、国会前のデモにも顔を出してきました。2016年の参院選においても活躍し、同年8月15日に解散しました。

SEALDsは、左派の運動界隈にも、ネット上においても、いまどき珍しい「政治的な主張をする若者」として、過剰と言える絶賛や批判に晒されてきました。左派においては、彼らを若い世代による新しい運動の旗手として持ち上げ、出版業界も関連書を多数出してきました。

思想家や知識人の中にも、彼らを礼讃する向きがあり、例えばいままで『下流志向──学ばない子どもたち、働かない若者たち』(講談社、2007年)などで若い世代について誤った「解説」をしてきた内田樹はそのひとりに数えられるでしょう。

他方で、ネット上の、主に左派を嘲笑する側においては、彼らは共産党や左派政党の手先であるなどといった評価が常につきまといました。

私も経験はあるのですが、若い世代が何らかの政治的・社会的主張をすると、必ず「良識派」ぶる大人から「お前は誰々に政治利用されている」という「評価」を受けます。

例えば私が学生の頃、共著で『「ニート」って言うな!』(光文社新書、2006年)を出したり、若者論関係の勉強会や講演会に呼ばれたりしたとき、「お前は本田由紀氏(東京大学大学院教授、『「ニート」って言うな!』共著者)や浅野智彦氏(東京学芸大学教授、『検証・若者の変貌』(勁草書房、2006年)などの著者)に利用されている」というメールをいただいたことがあります。

自分とは考えが違う「若者」が現れたとき、彼らは自分の気に入らない、あるいは敵対している政治勢力の傀儡である、という考えはよく見られるものです。

そのため、SEALDsの奥田が解散の記者会見時に《「若い人がイエス、ノーを言うのがこんなにもつらく、大変なのかと思った」と活動の苦しさを語った1》というのは、実感としてよくわかります――特に、主に直上の世代による、左派への嘲笑、中傷が猖獗を極めているネット界隈の現状を知っていれば……。

また、政治的主張をする若い世代は、何もSEALDsに限ったものではありません。

『SAPIO』2016年9月号においては、SEALDsの主張に敵対もしくは対立する団体として、AO入試予備校代表の斎木陽平による「高校生未来会議」と、東大生の小村聡士が主宰で、反共(勝共)主義に基づく団体「UNITE」が採り上げられています2。

また、若い世代による社会活動団体を立ち上げた富樫泰良(『ボクらのキボウ 政治のリアル』ディスカヴァー・トゥエンティワン、2016年)や、中学生のときにマーケティング会社を立ち上げ経営者となった椎木里佳(『大人たちには任せておけない!政治のこと――18歳社長が斬る、政治の疑問』(http://urx.red/xUXY)マガジンハウス、2016年)も、政治に関する著作を出すようになっています。

若い世代において、急速に「政治の季節」がやってきたような印象を受けます。

特にSEALDsに関しては、その活動や解散に関して様々な人が意見、助言と称するものを投げかけています。しかし私は、そのような状況にこそ危うさを感じるのです。

最初に述べておきますが、SEALDs自体には私はなんの新しさも感じていません。『「ニート」って言うな!』を出して以降、いくつか若い左派の運動が勃興して消滅しましたが、その過程とあまり変わらないからです。

むしろ私が感じるのは、SELADs、そして参院選における若者の投票行動に仮託して、若者を「語りたがる」人が多いという状況の危うさです。このことは、我が国の、若い世代をめぐる政治状況における、大人たちの「無責任さ」を見事に表しています。以下それについて述べていきたいと思います。

■「若者と政治」の失敗史

「若者の政治的無関心」が嘆かれていたのは、何も最近のことではありません。

私が2013年に『統計学で解き明かす成人の日社説の変遷――平成日本若者論史5』(後藤和智事務所OffLine、2013年)という同人誌を書いたとき、1994年から2013年までの20年分の「成人の日」の社説を分析したのですが、1994年の段階ですでに若い世代の政治的無関心は嘆かれていました。

〈 若者像を知る手がかりとなる「世界青年意識調査」をみると、気になる点もある。日本の青年は政治や社会への関心度の項目でいずれも低い数字を示している。

国情の違いがあり、むしろ日本社会の安定をあらわしているという見方もあるかもしれないが、関心がいかにも内に向き過ぎている。個を確立することは望ましいが、新時代を切り開いていかなければならない世代としてはもっと心の窓を外に向けて欲しいと願う。(1994年1月15日付読売新聞)〉

〈「怒れる若者」の時代は、とっくに去り、いまは自分の殼に閉じこもって身近な幸せを求める若者たち。透明なカプセルに入って安住しようとしているようだ。

その「カプセル化」は人間関係にも見られる。友人と面白おかしいことはしゃべりあうが、相手の心の中に踏み込んでまで付き合うことは避けたがる。「相手を傷つけたくない」。それは「自分も傷つけられたくない」ことでもある。

社会に対しても、友人に対しても一定の距離を置こうとする。総じて日本の若者は社会的に未熟といえよう。「社会化」されていない。(1994年1月15日毎日新聞)〉

若い世代の政治的無関心が嘆かれるのと表裏一体の現象として、積極的に政治的な主張をするような若者が「素晴らしい若者」としてメディアに採り上げられることがあります。

2000年代以降の例で言うと、例えば当時予備校生で、NHKの「真剣10代しゃべり場」で保守系の主張をしていた遠藤維大が、『正論』2001年9月号に「自傷行為「リスカ」と日教組」という文章を寄稿。その内容は、若い世代の精神状況の原因は日教組に代表される戦後教育である、というものでした。

また2014年に産経新聞社が開設したニュースサイト「iRONNA」においては、1995年生まれの慶大生の山本みずきが「特別編集長」として登場しています3。

そもそも山本は、高校生時代にボランティア団体を立ち上げ、2013年には『正論』2013年9月号に「18歳の宣戦布告」という文章を寄稿しています。特定の主張を持った若い世代をメディアが「利用」するのは、決してSEALDsまわりの論客のような左派だけではない、ということは知っておいた方がいいでしょう。

さらにメジャーな例を挙げるとすれば、タレントの春香クリスティーンでしょう。クリスティーンは出身地であるスイスでの経験から、日本の若い世代がなぜかくも政治的に無関心なのかに疑問を持ち、もっと政治に興味を持つべきだ、と述べることがあります。

例えば2013年の参院選のときには、毎日新聞において《高校2年まで暮らしていたスイスの学校では、休み時間になると政治や社会問題について友達と当たり前に話していた。それが日本に来てびっくり。まるでタブーかのように一切話さないでしょう。聞くと「政治家はみんなウソつき」とか「私が関わっても何も変わらない」という子が多くて》というコメントを出しています4。

そのほか、NHKの「日曜討論」などの番組にも登場し、「政治や社会に関心のある若者」のモデルとしての活動が見られます。

他方で、先に引いた1994年の成人の日における毎日新聞の社説にもあるとおり、若い世代の政治参加のロールモデルとして、1960年代の全共闘運動、学生運動や、1970年代のカウンターカルチャーに代表される「怒れる若者」が存在してきました。若い世代の政治参加の可能性としてかつてのデモを採り上げる動きは、過去に何回か見受けられます。

例えば『週刊金曜日』編集部による『70年代 若者が「若者」だった時代』(金曜日、2012年)は、1970年代のカウンターカルチャーを参照して、「社会を変える」可能性を現代に見出すというものでした。また1988年生まれの政治学者である佐藤信は、2011年に出された『60年代のリアル』(ミネルヴァ書房、2011年)で、現代では失われた政治の「リアル」に触れています。

このように「現代の若者の政治的無関心」と「かつての『怒れる若者』」という、「若者と政治」をめぐる2つの像が交錯する中で、若い世代をめぐる政治についての議論は深められてきたかというと、残念ながらそうとは言えません。

2000年代終わり〜2010年代はじめの「ロストジェネレーション(ロスジェネ)」による運動です。2005年〜2007年における「ニート」論への反論や若い世代の労働環境の過酷さを訴える言説に端を発するこの運動は、若い世代の「新しい運動」として採り上げられつつも、最終的には世代の問題に閉じ込められ、左派を既得権益層としてバッシングする言説のみが残ったというのは、以前の「現代ビジネス」の文章で触れた通りです。

若い世代の政治的無関心を嘆きつつ、他方でその時々に現れた「怒れる若者」を持ち上げて消費するというメディアの動向は、むしろ若い世代を身近な政治から遠ざけ、無関心を醸成してきたと言えるでしょう。

左派の運動界隈がSEALDsを持ち上げている影で、ネット上においては彼らに対する中傷としか言い様がない批判が渦巻いていたのは、むしろ若い世代の政治的無関心を嘆き、「怒れる若者」や「政治に関心のある若者」を消費しつつも、実際にどう考え、行動すべきかについては「お前らが考えろ」と「大人」としての責任をメディアが放棄してきた故の結果と言うほかありません。

■「選挙に行かないから若者が不幸になる」?

ここまで見たとおり、我が国の「若者と政治」をめぐる言説は、若い世代の「政治的無関心」を嘆くのと、「新しさ」に過剰に反応して持ち上げ、消費するという動きが並行して進んできました。

そのような流れの中で、我が国の政治言説において、若い世代の問題が大人たちの問題とは「切り離された」ものであるという認識が強められていったのではないかと思います。

それを象徴するのが、「若い世代が選挙に行かないから若者が不幸になる」といった類の言説です。ネット上で有名なあるツイッタラーは、若い世代における過酷な労働環境の進行と、若い世代の投票率の低さを並べて、「これが若者が選挙に行かないから起こった結果なのだ」という言説を展開しました。そしてそれは、7000以上のリツイートをもって拡散されています(2016年8月16日確認)。

〈 出産・育児環境の整備やブラック企業取り締まり、最低賃金引き上げといった政策がいつまでたっても進まない根拠画像をあげとくね。これが50%超えれば一気に変わるよ。間違いなく。5〉

残念ながら、これは若者バッシングの論理、若い世代をバッシングする上で持ち出される「自己責任」の論理とまったく変わるところはありません。この短文の中には、いくつもの根拠に基づかない幻想が含まれています。

第一に、若い世代における投票率の低さを《出産・育児環境の整備やブラック企業取り締まり、最低賃金引き上げといった政策がいつまでたっても進まない根拠》としていますが、出産や育児環境の整備、若い世代に過酷な労働を強いる企業の取り締まりという問題は「若者」のための政策であり、上の世代とは敵対するものだというものです。

しかし若い世代の労働環境の悪化は、上の世代にとっても決して無視できない問題のはずです。

第二に、これを《根拠》とする客観的根拠が不明瞭です。このような認識も、恐らく若い世代と上の世代が敵対するものだという考えから来ているものでしょう。

第三に、《これが50%超えれば一気に変わるよ。間違いなく》と言っていますが、これも根拠がありません。若い世代に投票を促すための方便だとしても、このような「お前らのせいで社会が悪くなったのだ、責任を取れ」という物言いでは、むしろ若い世代の反発を生むだけではないでしょうか。

■問い直されるべき「大人の視線」

私は2015年6月に共同通信で配信された、選挙権年齢の引き下げに関する論考で、「問われているのはむしろ大人のほうだ」と述べました。

〈 しかし、若者の問題は社会情勢と無縁に存在しているわけではないし、それは中高年、高齢者の問題もそうだ。例えばデフレ不況に伴う財源の不足は、福祉の後退という点で現役世代も高齢者も苦しめるものだ。そうした世代を超えた課題に触れることなく、いたずらに「若い世代」の責任を強調するだけでは、かえって世代間の対立を強めることにしかならない。

今回の公選法改正で危惧されるのは、またぞろ「若者」と「大人」の対立をあおり、前者の「味方」であることを強調する論客たちによる「祭り」が再燃することである。「老害」といった言葉が乱舞する「祭り」の火種は、既成の政党からネットまで至る所でくすぶっている。そこに油を注ぎ、ヘイトスピーチのような不毛な分断を広げる愚は、避けなければならない。(後藤和智「不毛な分断は避けたい――世代間対立の再燃を懸念」2015年6月17日共同通信配信記事)〉

このような状況は、改善されないばかりか、むしろこの1年の間で悪化したと言っても過言ではありません。

若い世代による政治的な運動を無責任に持ち上げたり中傷したりして若い世代から「政治」を遠ざけつつ、いざ選挙となると若い世代に「政治的になれ」「社会が変わらないのはお前達の責任だ」という視線を投げかける状況は、果たして健全な状況と言えるのか。

改めて強調しますが、若い世代の政治参加を考えるとき、真に問い直されるべきなのは、「大人」たちの視線なのです。


後藤和智(ごとう・かずとも)
1984年生まれ、宮城県仙台市出身。 東北大学工学部卒業、同大学院工学研究科博士課程前期修了、修士(工学)。2004年に若者論を検証するブログを開設。 サークル「後藤和智事務所OffLine」としての活動は「コミックマーケット73」(2007年冬コミ)より。現在は若者論研究のほか、同人誌では統計学や社会学の解説書、データジャーナリズムなども扱う。公式ブログ: http://kazugoto.hatenablog.com/

1朝日新聞デジタル「SEALDs最後の会見『これで終わりじゃない』」2016年8月16日
2西谷格「「安倍の縁戚」から「旧統一教会(家庭連合)」まで 若きリーダーたちに会ってきた」、『SAPIO』2016年9月号、pp.24-25
3http://ironna.jp/moderator/1281
42013年7月20日毎日新聞大阪本社夕刊p.6
5https://twitter.com/tarareba722/status/749188878871859201

 

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コメント
 
1. 2016年8月24日 18:29:45 : pbJfI9akDs : 6QxN3uRHDU8[2]
老人政治家のでしゃばりすぎは、正さなければならないよね。

2. 2016年8月24日 20:17:43 : tHIVKuZsdo : _YgkBQOb_8U[1307]
ゆとり世代てのが宛らカプセル入り初代ってな辺りになるか。
以降盛りの付いた其れを両親に増殖して天然ゆとり家庭で純粋培養…と世代を重ね、純化を続けて今に至る此の辺りは、
何れの日にや第二次団塊世代とでも呼ばれる様になるのだろうか。
そして更に年月を重ねた何れの日にや、彼らはこう云う事を口走るに違いなかろう。
「引きこもっていたら戦争になった」
で、彼らは次の若者に期待するのか。 …考えてみた処で顔が引き攣って来た。
今の若者の運動はそんな最中の良い意味での「徒花」だろう。然しそんな彼らにしか期待出来ない状況の皮肉をなんとしたものか。
件造語してみた「第二次団塊」は、引き籠りの次に来る『何かの形』が再び呼び起こす戦争への流れに己が疎かな過去を振返り何を云うのだろうか。
そして再び幸運な徒花の出現を見て、…そしてまた彼らに一縷の望みを掛け、其の方やで『何かの形』の大勢が此れを潰して行くのだろうか。

イナゴのデスマーチを思い出した…。
純化の行き着く先は絶滅だろう。

その方やに少数の隔世遺伝子が呼び起こされる。
彼らをデスマーチから逃れさせ、絶やさぬ工夫が鍵だ。此れは何度でも賭けるに値する。
とは言え然し此れは残酷だ。こういう事を、あと何世代繰り返さねばならないのか。
だから先程に顔が引き攣った。

気に病んでも始まらぬか。 取り敢えず直近の彼らを守る事しか今の俺等には出来ぬ。
ベターがベストなら何と云われ様が其れをやる迄よ。
奴隷根性糞食らえ


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