本題からずれますが、お許しください。 2016年8月4日 文化放送 アーサー・ビナード氏(音声ファイルをテキスト化) 昨年の8月が過ぎて、僕が秋にアメリカの大学でスピーチする仕事があり、文化放送で「探しています」という週一番組の中で、アメリカの日系人の戦争体験の話を聞くことができたら、それは大事な視点だよねって、みんなと話し合って調べたら、シカゴが日系人社会で人数も多く歴史もあるので、戦争の時にアメリカに居た6人の日本人と方々と直接お会いして話をする機会を持てた。 そのとき僕は原爆のことは考えていなくて、なんで1941年の真珠湾攻撃のあとに、アメリカで生まれて、アメリカの社会で貢献をしながらアメリカで真面目に働いて、アメリカの国家に脅威になることは有り得ない人たちを、どうしてわざわざ強制収容所に入れられて、住んでいた根ざしていた地域から追い出されて、なんで基本的人権を否定するアメリカ合衆国憲法を踏みにじるようなことをルーズベルト政権がわざわざやったのか、という大きな疑問符を持って僕はアメリカへ行った。 それで6人にお会いして、6人の実体験を聞いて、その一人一人に、僕が広島に行って、広島に半分くらい住んで、僕が広島の絵本を作ってという話をすると、もちろん原爆の話になるでしょ。 そうすると一人一人、言葉を詰まらせながら長崎と広島の人々がされたことが自分と直接繋がる、どうにも表現できない筆舌に尽くし難い痛ましいことだと語っていた。 僕は最初その理由がわからなかった。 だけど僕としてはなんで理不尽な有り得ないような、ナチスが強制収容所でやったこと(ガス室はなかったけど)アメリカ政府がなんで入れたのか。 僕は疑問があって(アメリカへ)行ったわけ。 みんなが原爆の話をする時に、僕のなかでやっと、あとになって繋がって、実はルーズベルト政権はもう真珠湾攻撃の時に既に核開発に手を染めているわけ。 どこに落とすか、最初から日本を想定しているわけで、本格的に翌年からどんどんどんどんプルトニウムの作りに入っていくわけね。 で、(原爆を)落とすひとつ世論的なクリアしなければいけない条件は、相手がとんでもない輩でならず者で、人間の名に値しないというような空気を作らなければいけない。 そのためには隣にジーン三島ていう素敵な日系人が住んでいると困るでしょ。 日系人が真面目に働いて、それまでと同じようにアメリカの社会で貢献して、みんなと友愛の関係を結んでいて、アメリカのなかに日系人が、それまでと同じように根ざした生活をしていると困るわけ。 だって隣のリッチ日高さんが友だちだったら、アメリカ政府が日本に原爆を投下することを容認しないでしょ。 なんでイタリア人やドイツ人をみんな強制収容にぶち込まなかったかというと、やっぱり原爆投下がはっきりしてるわけ。 このことがやっと見えてきて、これから僕が掘り下げなきゃいけない問題がウワッと出てきたわけ。 つまり原爆投下は長期計画、長期に計画にわたって核開発をした。 その日系人をアメリカ社会から摘出して、強制収容所に入れるのも長期計画なんだよね。 3年かけてやってる。 だから根っこのタイミングも重なってるし、日系人のみなさんが長崎と広島に対して思っている想いも、実はそういうところが繋がっていた。 それがやっと僕に見えてきた。 今年は僕にとってオバマの訪問よりももっと重要な発見があったんですけど。 オバマ大統領が広島に来て17分間綺麗ごとを並べて、それをどうやら松井市長が引用するらしい。 引用するほどの言葉じゃないですよ。 だって勇気を持たなければいけないのは、こっちの言うセリフだよ。オバマちゃんよ、勇気を持てって、こっちが言うべきであって、勇気を持たなきゃいけないのは、アベコベ総理とオバマさんと松井さん・・・などなどなどで。 だけど実はこの話は、さっきまでアメリカの学生たちとしていた。 ていうのは僕は今、広島女学院大学の電話を借りて(お世話になっていたんですけど)、さっきまで僕のふるさとのオハイオ州からボーリング・グリーン大学の学生が来ていて、お昼からずーっと、こういう話をしていた。 彼らは(8月)1日から8日までずーっと広島にいて、掘り下げるんだけど、まぁなかなか鋭くて、オバマの演説の事もみんなで原文見ながら読み取いたんだけど。 学生たちは教育学をずっとやっている面白いマシューという学生がいて(マット君)、こういう話をした時に、彼が急に日本の英語教育制度のことを語り始めた。 彼は教育学とアジア言語の両方をやっていて、教育学の論文も書いたんだけど、彼は日本の戦後からの英語教育をずーっと研究していた。 で、日本の英語教育、英会話スクールも含めて、これはすべて日米同盟と日米同盟がもたらす支配組織を維持するための教育であり、英語が上手になるための教育じゃないんだってことを彼が(はっきり)言った。(僕も思っていた) 文部科学省のあのやり方でやって100年200年やっても上手にならない。 なんでやねん、って思うでしょう? なんで他の国の人たちは話せるようになるのに、日本人はいつまで経っても受験英語なのかってこと。それは実は、すごく大きな雄大な計画であって、それで日本を支配していく。 つまり日本人は英語で語る側になかなか回れない。 いつまで経っても外交だろうと軍事政策だろうとTPPのペテンだろうと、いつもアメリカ様が言ったことを和訳して、あるいは下手クソな英語で言って、主権者とか語る主役になれない。これが実は英語教育がもたらしてるものだと、彼が書いていて。 広島でのオバマの演説が、こういう形で引用されるのも、彼が研究してきたことと繋がると、彼も思ってるし僕も思ってる。 つまり広島の市長ですよ松井さんは。 広島を語る言葉を一番持っているはずなんですよ。 一番広島に立脚した根ざした言葉を発する言葉でできるはずなのに、広島市長による平和宣言の目玉はオバマのスピーチ・ライターの詐欺師が作った英語の和訳なんだよね。 こんなことをする必要があるんですか? 広島のことをオバマに言ってもらわないと困るの? 僕はね、引用することも有りうると思う。 でもオバマの言うとおりのあの演説を引用するなら、バッサリ切るために引用すべき。 だってオバマ大統領は、核なき世界を追求する勇気を持たなきゃいけないと言って、自分の勇気を一切示さないでしょ。 具体的な対策、政策、具体的な道筋は一切示さないでしょ。 そうすると松井さんも結局これを引用する形で、多分具体的な道筋を示さないまんま終わるんじゃないかなという気がする。 で、過去の平和宣言を見てみると、去年とか一昨年とか僕は広島で聞いてるんだけど、松井さんは具体的なことをやろうとしてないから、結局最後に必ず世界の首脳に対してオバマ大統領を含めた「広島に来てください」と呼びかけていた。 今年はそれができないの、来ちゃったからね。 来ちゃったからできないから何か違う言葉が必要で、この違う言葉が、どうやら「勇気を持て」ということらしいんです。 でも勇気を持てって、本当は僕らに言ってもらうセリフじゃなくて、権力者が持てばいいんです。日本語としてはおかしいんですよ、松井さんに言っときますけど。 今から直した方が良いよ。 『核保有国は恐怖の論理から逃れ』って言ってるんです。 恐怖の論理から逃れって言うと、逃れるのも恐怖って感じなので、日本語としてイマイチなんです。 こなれてないです、この訳。 「逃れ」に変わる動詞を探して、そこを直して喋った方が良いと思います。 広島は語れる人はいっぱいいるし、「探してます」という番組でも本当に体験者の話は今も聞けるので。 体験者の話に耳を澄まして、それで平和宣言とかね、総理大臣の薬にも毒にもならないような話は批判的に聞いて8月6日を迎えましょうね。
[32初期非表示理由]:担当:関連が薄い長文
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