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日本政府は嵌められた南京大虐殺のユネスコ記憶遺産登録や,、慰安婦資料の登録でも暗躍するオーストラリア人、レイ・エドモンド
http://www.asyura2.com/16/senkyo213/msg/795.html
投稿者 怪傑 日時 2016 年 10 月 03 日 18:58:43: QV2XFHL13RGcs ifaMhg
 

日本政府は嵌められた南京大虐殺のユネスコ記憶遺産登録や,、慰安婦資料の登録でも暗躍するオーストラリア人、レイ・エドモンドソン氏のユネスコからの更迭の戦略化を!!

また、この中国・韓国などの慰安婦資料のユネスコ登録を影で支えてるのはアッチ系の日本人だった。
http://gansokaiketu.sakura.ne.jp/20161003-nipponseifha-hamerareta-nankindaigyakusatuno-kiokuisan-tourokuya-ianpushiryouno-tourokudemo-anyakusuru-goushuujin-edmondosonno-yunescokarano-koutetuno-senryakukawo.htm

【櫻井よしこ 美しき勁き国へ】
日本の敵は日本人なのか このままでは慰安婦関連資料もユネスコ記憶遺産に登録される 

 日本 外務省は、いい加減、希望的観測にすがる外交をやめるときだ。日本を不当におとしめる内外の勢力が用意周到な動きを展開し、少なからぬ日本人組織が協力している現状を直視して、日本の名誉を守り得る対策を講ずるべきだ。

今年5月、中国を筆頭に、日本も含めた8カ国14団体に大英帝国戦争博物館が合流、2700点もの慰安婦関連資料を国連教育科学文化機関(ユネスコ)の記憶遺産に正式に登録申請した。

 事実上の最終決定を行うユネスコ登録小委員会の会合は来年1月。資料2700点に反論する時間的余裕は全くないために、外務省は昨年から、後述する制度改革をユネスコに促すことで登録を阻止する戦術を取ってきた。関係諸国への働きかけはおおむね順調だと外務省は言うが、むしろ「南京大虐殺」関連資料を登録された昨年同様、悲惨な結果になる可能性が高い。

 昨年の「南京大虐殺」登録問題に際し、日本はいわれなき非難を浴びている当事国でありながら、登録資料が開示されないため、訳がわからないうちに悪逆無道の虐殺国として登録された。大失態だ。

 その反省から、記憶遺産登録に当たって、提出資料の真実性、妥当性を、当事国を交えて議論する制度改革をユネスコに働きかけてきた。

 だが、9月9日、日本政府の正攻法に冷や水が浴びせられたと、明星大学特別教授の高橋史朗氏は次のように指摘する。

 「オーストラリア人でユネスコ記憶遺産問題のキーマン、レイ・エドモンドソン氏が、東京都千代田区でのシンポジウムで基調講演し、日本政府が提唱する普遍的制度改革は、現在進行中の慰安婦登録には適用しない、と明言したのです」


制度改革を登録阻止の切り札としてきた外務省戦略の破綻である。氏は制度改革小委員会のコーディネーターだ。

 そもそも氏は1996年からユネスコ記憶遺産登録の制度を作り上げてきた。各国のNGO(非政府組織)から申請がなされると、登録小委員会が結論をまとめ、国際諮問委員会に勧告、国際諮問委員会が追認し、小委員会の結論が事実上の決定となる。

 氏はこの登録小委員会の委員長を長年務め、いまは制度改革の責任者だ。その立場の人物が日本政府の提案を否定したからには、戦略の根本的見直しが迫られる。外務省にその危機感はあるのか。

 氏は昨年の「南京大虐殺」の登録でも重要な役割を果たした。中国側は申請した資料の一切を日本側にも国際諮問委員会にも隠したまま登録にこぎつけた。ただ一人全資料を見たのがエドモンドソン氏だが、氏は中国語を解さない。中国との関係の近さはうかがえるが、資料の当否判断はできない。こうした状況下で南京大虐殺は登録された。

 そしていま、日本は慰安婦問題に直面する。中国は昨年も登録に動きかけたが、エドモンドソン氏だと思われるユネスコ国際諮問委員会の専門家から他国と連携して登録申請するように助言され、今年5月の8カ国共同申請につながったと、これは中国側が言っている。


 私の脳裏で、エドモンドソン氏と、大東亜戦争当時、中国国民党中央宣伝部に雇われて南京大虐殺の捏造に貢献したオーストラリア人、ハロルド・ジョン・ティンパーリーが重なってみえる。

 日本は中国を主軸とする国際社会の暗い陰謀に、ずっと昔から試されてきたのである。公正さも中立性も欠落させた人物がユネスコの世界「記憶遺産」制度改革のコーディネーターであり続けるのを受け入れてはならないだろう。政府・外務省は何よりもまず、氏の更迭をユネスコに強く申し入れよ。

 同時に、日本への悪意に満ちた誹謗を国策とする中国をはじめ国際社会の勢力を支えているのは、実は日本人だという事実に、私たちはもっと注目しなければならない。

 たとえば、9月9日、エドモンドソン氏とともに会を盛り上げた日中韓の参加者の中にユネスコ慰安婦登録日本委員会代表の渡辺美奈氏がいる。「女たちの戦争と平和資料館」(WAM)事務局長、「女たちの戦争と平和人権基金」の理事でもある。WAMには、女性国際戦犯法廷関連の資料や、昭和天皇とみられる男性が目隠しをされて木に縛りつけられ、複数の銃口がつきつけられている絵なども展示されている。

 女性国際戦犯法廷は朝日新聞の故松井やより記者らが2000年に開催した。崩御後のことで弁明もできない昭和天皇を被告とし、弁護人不在で行われたイベントは、法廷などとは到底呼べないが、資料館にはその関連資料や『松井やより全仕事』と題する書籍などが展示されている。


松井氏と同期入社の元朝日新聞記者、長谷川煕氏は『崩壊朝日新聞』(WAC)で、シンガポール特派員時代にマレーシアの山岳地帯を取材した松井氏が、そこで長年続く現地部族同士の争いで殺害された住民も全て、日本軍が殺害したことにしておきなさい、それで構わないと現地の人々に言ったと、書いている。いかなる理由からか強い反日思想で事実を歪曲して日本を告発した松井氏。松井氏の遺志が色濃く継がれているWAM。松井人脈に連なる事務局長の渡辺氏は「慰安婦問題解決オール連帯ネットワーク」の呼びかけ人でもある。その事務局は辻元清美氏らが作ったピースボートである。

 慰安婦問題での不条理な日本非難で連帯を強める人々やNGO、彼らの反日的行動の実態こそ、広く明らかにしていかなければならない。  

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コメント
 
1. 中川隆[4294] koaQ7Jey 2016年10月03日 19:14:07 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[4702]
日本人はこういうのが大好きなんだよ:


日中戦争証言 車河堡 王さん(69歳)柳河口

 1回だけ見たことがあります。強姦したのは普通子どもには見せないんです。

1回見たのは、若い女性に沢山水を飲ませて、お腹を膨らませたり、

鉄の棒を火で焼いて、赤い鉄の棒を乳房に当てたり、女性の生殖器に差し込んだり、

あるいは銃剣の先を焼いて乳房や生殖器をえぐり取ったりしました。

http://www.jade.dti.ne.jp/~kaworu/syogen/syakaho.html

日中戦争証言 劉寨子 王さん(64歳)さんの話


 1972年の日中友好国交回復に対して、この地域の人はみんな反対しました。

私たちは、つらい経験したのに、どうして今更友好などという言葉を言い出して関係を回復するのか。

政府は何回も説得して、

「当時は軍国主義のやったことで、日本人民、日本国民たちとは友好関係を持っていかなくてはだめだ。戦争は、普通の人民の責任ではない。」

と教えられた。

しかし、今も気持ちとしては、今になってもやはり「日本」という二文字を聞いたら「憎む」という気持ちが湧いてきます。

私の考え方では、このような歴史はいつまでも次世代、どんな世代になっても忘れてはいけないことです。私はわりと若いですから、当時の詳しい話は次の夏さんに教えていただきたいです。
http://www.jade.dti.ne.jp/kaworu/syogen/ryujya.html#ou78


2. 2016年10月03日 19:43:27 : 0CejVRban6 : urcdmA9xc1s[575]
「アッチ系の日本人」

通じる日本語を書いてください。
まるで意味が分かりません。


3. 2016年10月03日 19:49:06 : oViyeepHGA : SCllw2wa02M[40]
>>1
 その虐殺が日本軍がやったかどうかも定かではないことは確かだろう。
 通州事件じゃ権益から中国に住んでいた、日本人や軍属はもっと酷い
 虐殺に会っているよ。

4. 2016年10月03日 19:52:19 : oViyeepHGA : SCllw2wa02M[41]
>>2
 あほう。少しは自分で調べろよ。
 今日、この投稿するのに、こっちはファイルを作ったり
 して、反日くらいかかってるんだぞ。

5. 中川隆[4295] koaQ7Jey 2016年10月03日 20:02:41 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[4703]
>>3
同じ様なのが沢山あるから日本人の仕業だとわかるのさ:

拷問の光景を見てみよう。

  土地の者ではないということが、怪しいとみた理由だが、功名心にはやる土屋にとっては、それで十分だった。抗日分子なら大手柄だ。「オレが張った綱にかかった」のである。名前を張文達といった。三十三歳の近くの農村の農民で、「この街に買い物に来ただけ」と、おびえた目で話した。「いやいや、これは怪しい。この男は抗日軍の物資調達係だろう。貫禄から見て班長級だな」ど、士屋は決め込んだ。「何としても本拠地を吐かせ一網打尽にしたい」「これは大変な功績になるぞ」。思いだけは駆け巡るのだが、土屋は実際の取り調べをしたことがなかった。それて先輩格の伍長に取り調べを頼んだ。・・・
 
 まず、伍長が命じたのは、「こん棒を持ってこい。それも生木の丈夫なのだ」。これで殴りつけろ、という。土屋の頭に浮かんだのは、「何も生木のこん棒でなくても。相手は人間なのだから、せめて竹刀ででもいいではないか」という思いだった。だが、伍長の、それも実務を教えてくれようとする上官の命令だ。士屋ど同僚の上等兵とで、こん棒を振り回した。男は殴りつけるたびに、「ウッ」「ウッ」と声を立てたが、何も言わなかった。着ている綿衣からほこりだけはあがった。

 効果がないのが分かると、伍長は、机を二列にして、積み重ねさせ、上に棒を渡した。いわば器械体操をする鉄棒のような形だ。この棒に、両手足を麻縄で縛った男を後ろ手にしてつるした。体の重みを不自然な形の両腕で支えるのだから、苦しい。それも一時間、二時間の単位だ。はじめ真っ赤になった男の顔は、青ざめていき。脂汗をにじませてきた。だが、何もいわない。「こんちくしょう」と、伍長は十キロもある石を軍馬手に持ってこさせ、浮いていた男の足に縛りつけた。両肩の関節がゴクッとなった。「ウーン」とうなり、男は気絶した。舌打ちをした伍長は「今日はもういい、明日は必ず吐かせてやる」と言い残して自分の部屋に戻ってしまった。・・・

 二日目もひどい拷問が続いた。指南役の伍長は、どこからか焼きゴテを探して持ってきていた。これをストーブで焼け、という。「赤くなるまでだ」と、次の場面を予想して躊躇する土屋に付け加えた。男を留置場から引き出し、上着をはがし、背中をむき出しにした。赤く焼けたコテを男に見せて脅し、自白を強要するのか、と士屋は思った。ところが違った。伍長はいきなり背中に押しつけた。ジューッという音と、煙、それに激痛に思わず口をついた男の叫び声があがった。と同時に、何ともいいようのないにおいが部屋にも充満した。

 「お前の本拠はどこだ。仲間は?言え!言わないか!」。伍長は、怒鳴りながら何回となく男の背中を焼いた。「苦しい」を繰り返し、男はついに、「話す。話すからやめてくれ」といった。伍長は手を休めたが、相手は、肩で大きく息をするだけで、結局、何もいわない。伍長が再び赤く焼かせたコテを使った。部屋には鼻をつく臭気がこもり、断続的な男の低いうめき声が床をはった。・・・

 拷問は、さらに続いた。逮捕して二日間というもの、男に何も食べ物を与えていなかった。水すらも飲ませなかったと思う。それが三日目は水責めだった。弱り果てた男を裸にし、長椅子にあおむけに縛りつけた。そして、水を入れた大きなやかんで口と鼻に水をジャージャーと注ぎ込んだ。絶え間ない水のため、息ができず男は口をパクパクさせて水をどんどん飲み込む。みるみる腹が膨らんでいった。すると、拷問指南役の伍長は、「腹に馬乗りになって水を吐かせろ。そして、また注ぎ込め」という。この繰り返しだった。何回やっても同じだ。相手は気絶している。自白を得るという効果はなかった。・・・

 三日目は水責めで終わり、四日目は、いわゆるソロバン責めだった。「丸太を三本持って来い」と、伍長がいい、軍馬手に三角柱になるように削らせた。三本並ペ、その中でも鋭角の部分を上にし、男を座らせた。足はズボンを脱がせ素肌である。いわゆる弁慶の泣きどころに角が当たり、体重がかかる。男はこれまでの苦痛とは別の痛みで、悲鳴をあげた。その上だ。伍長は、男の上に乗っかれ、という。しかも土屋と同僚二人一緒にだ。そして、体を揺すれ、といった。ゴキッと音がし、男はうなるような声を立てた。もはや、脂汗も出ないほど弱っていた。男のすねの状態を、どう表現したらいいか。「生ぬるい。足に板をはさみ、両端に重石をのせろ」。すでに別の世界にいたのか、伍長は、さらに命令した。・・・

 足を痛めつけた翌日、伍長は、何を思ったか、太い針を買って来いと命じた。通訳が布団針を四、五本求めてきた。この針を男の手の指に刺せという。指といっても爪と肉の間にだ。映画でみたか、話に聞いたか、そんな拷問があるとは知っていたが、自分がやることになるとは思いもしなかった。ためらっていると、ほおのこけた伍長が病的な目でにらんだ。やらなければならない。男はこれから何をされるのかを察し、腕を縮めた。この腕を同僚に押さえつけてもらい、土屋は、右手中指の爪の間に針を刺した。だが、実際はろくに刺さらなかった。相手はあれだけ痛めつけられていたのに満身の力で手を引こうとした。それに、土屋はおっかなびっくりだった。それで、腕を押さえるのに伍長も加わった。だが刺さらない。男も自白らしいことは、むろん何も言わない。そのうち血やら汗やらで針がすべり出した。それでも刺そうとすると、針を持つ土屋の指のほうが痛くなってきた。

 男はすでに死を覚悟していたらしく、悲鳴もあげなくなった。ただ、ものすごい形相で土屋たちをにらんでいた。足がすくむような思いに襲われながらも、伍長の命令で続けた拷問だったが、ついに伍長もあきらめた。「張文達三十三歳、近くの農村から買い物に来ただけ」ということ以外、何の自白も得られなかった。班長格の軍曹は、すでに男を抗日分子としてハルビン憲兵隊に報告していた。だが、拷問の限りを尽くしても、本拠地の所在など肝心なことは何一つ聞き出せなかった。かといって、拷問によって半死半生になっている男を、このまま釈放するわけにはいかなかった。男の処分はどうするのか、土屋にはわからなかった。

 こういう時の処分で悩むのは、土屋のような新米憲兵ぐらいである。土屋が初年兵時に公主嶺で経験したように、仕掛けがあった。針の拷問から二日後だった。平陽鎮にいた満州国軍歩兵十五師団の日系軍官である中尉が訪ねてきて、男を連れて行った。「日本刀の試し斬りに」だった。男が墓地で首を落とされるのを土屋も見た。(p.81-86)
http://www.ne.jp/asahi/kuma/radical/dokusyo/special/kenpei_kiroku.htm


広東州の中央憲兵隊へ補助憲兵として私は派遣された。野戦補助憲兵といって、憲兵と同伴の時だけにかぎって憲兵の資格を有していた。主な任務は、保全地区(駐留日本軍の勢力圏内)での治安維持であった。特に、思想犯に目を光らせた。思想犯を捕え、拘留し、洗脳するのであったが、そのやり方は目を覆うものであった。

 コンクリートの上に、真っ赤に焼けた木炭を敷きつめ、その上に裸にした“囚人”を転がした。喚き、のた打つ“囚人”は隅へ隅へと転がってくるが、周囲には日本兵がいて、それを蹴飛ばして再び中央へ戻した。“囚人”の反応の仕方は、もはや人間のものとは思えなかった。多くの“囚人”は三日目を境に死んでいった。

 女に対してもその残虐度は同様であった。やはり全裸にして、獣のように四つん這いにさせ、丸太で打ちのめした。

私は、そればかりはどうしてもできなかった。すると、

「これしきのこと、できんのかッ」

 一人の憲兵が私を蹴飛ばしてから、丸太で渾身の力を込めて女を打ちすえた。

中国人は人間に非ず、否、生き物にさえ非ずとでも思っているような拷問であった。彼らの抵抗は死以外の何ものでもなかった。
http://page.freett.com/sokagakkai_komei/www.sokagakkai.or.jp/sokanet/HBK/Heiwa/hansen-7.html



6. 2016年10月03日 20:29:57 : oViyeepHGA : SCllw2wa02M[42]
忘れ去られる通州事件
https://www.youtube.com/watch?v=Qtkn0HZjpTo

7. 2016年10月03日 20:32:47 : oViyeepHGA : SCllw2wa02M[43]
南京大虐殺にすり替えられた通州事件とは?1
https://www.youtube.com/watch?v=AjDJzO_SRfE

8. 中川隆[4296] koaQ7Jey 2016年10月03日 21:04:40 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[4704]
>>7
通州事件は唯の個人的犯罪

南京大虐殺は昭和天皇の命令でやった組織的犯罪

比較するのが間違ってるよ


9. 2016年10月03日 21:13:10 : oViyeepHGA : SCllw2wa02M[44]
>>8
 ばかだな
 個人で超能力でもなきゃ、数百人の住民や軍人を虐殺できるわけないだろね。

 南京が組織的な虐殺なら、証拠がのこるだろうな。
 第一、南京の住民は事件後もほとんど人口は変わっていなかった
 らしいね。


10. 2016年10月03日 21:17:09 : oViyeepHGA : SCllw2wa02M[45]
>>9
 むしろ、南京にいた残虐な、国民党軍が日本軍に追われ逃げたから、
 人口は増えてるんじゃないかな。

11. 中川隆[4297] koaQ7Jey 2016年10月03日 21:52:38 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[4706]
アホ右翼に通州事件の真実を教えてやるよ:

日本側が中国との戦争について討論する時よく通州の反乱について取り上げ、しばしば「通州大虐殺」について触れる。では、通州の反乱とはどういうことだったのか?
実際通州の反乱の過程はシンプルで、それほど書くことはない。これは7月29日当時旧冀東防共自治政府の拠点、通州で起こった偽軍(治安部隊)反日事件である。

日本側は、通州事件では合わせて235人が死亡したと公言している。その中には細川特務機関・日本車隊などの軍人も含まれていた。ではたとえ軍人が50人だけだったとしても死亡した残りの移民は200人にも満たず、また日本人もその中の半分は朝鮮人が占めていると公言している。では、日本人のうち通州で死亡した移民は実質たかだか数十人に過ぎないということになる。もし女性子どもを除けば人数はもっと少なくなる。こう見ると比較的大きな交通事故の死亡人数と変わらないではないだろうか。

それに対し旧日本軍は中国で起こした数十人規模が死亡する屠殺事件は千にとどまらない。もしこの規模の事件すらも日本の教科書が記載するというのなら、日本の学生のカバンは閉まらなくなってしまう恐れがある。

_______


 「通州事件」とは、日本の傀儡政権であった「冀東防共自治政府」の保安隊が日本側に対して反乱を起こし、約200名の日本人居留民(ただし厳密には、このうち約半数は朝鮮人)を虐殺した、 という事件です。この事件は、当時日本の「暴支膺懲」を煽り立てる絶好の材料とされ、今日でも「南京虐殺」の相殺材料であるかのように利用されることが珍しくありません。


 今日の我々は、当時のような単純な「暴支膺懲」の視点ではなく、事件の背景や意味づけなど、多面的な視点から「事件」を見る必要があるでしょう。ここでは、「事件」に関連したいくつかの記述を紹介します。


*ネットでは、事件の「残虐性」のみをことさらに強調する発言が目立ちます。 事件が「残虐」であったことは事実ですが、私は、歴史学の視点からは、そのような見方は一面的なものであると考えます。 なおそういう方が、 「通州事件」をはるかに上回る規模の日本軍による虐殺事件、「平頂山事件」に言及することは、まずありません。

 まず事件の概要について、信夫信三郎氏のまとめを紹介します。


信夫信三郎「聖断の歴史学」より

7 通州事件(三)

 通州に駐屯していた日本の特務機関(陸軍の諜報工作機関)は、一九三七年七月二六日、日本軍の北京・天津地区にたいする攻撃が迫ったため、 通州門外の兵営に駐屯していた中国第二九軍の部隊にたいし「貴部隊が停戦協定線上に駐屯せられる事は、 在留邦人の保全と冀東の安寧に害がある」という理由で二七日午前三時までに武装を解除するとともに北京に向けて退去するよう要求した。

 しかし、第二九軍はうごこうとしなかった。日本軍は、二七日午前四時から攻撃を開始し、午前一一時ごろまでに第二九軍を掃蕩した。通州門外に中国軍隊はいなくなった。

 ところが、日本軍は、通州の中国軍隊兵舎のとなりに冀東防共自治政府保安隊の幹部訓練所があることをよく知らず、保安隊の隊員を第二九軍の兵士と誤認して爆撃し、 数名の保安隊員を死傷させた。

 特務機関長の細木繁中佐は、冀東防共自治政府の長官に陳謝し、犠牲者の家族に挨拶し、賠償に誠意をつくした。

  北京特務機関補佐官として現地にいた寺西忠輔大尉は、日本軍が誠意をつくしたため、「保安隊員は心中の鬱憤を軽々に、表面立って爆発させる事はしなかったのである」としるしたが、 北平駐在大使館付武官補佐官として北平にいた今井武夫少佐は、保安隊員は「関東軍飛行隊から兵舎を誤爆されて憤激の余り、愈々抗日戦の態度を明かにした」と述べた。

 七月二九日、保安隊は予定の行動に蜂起した。日本軍の守備隊は、北京南苑の攻撃に向っていて通州の守備は手薄であった。 まさか傀儡政権の保安隊が抗日の蜂起をするとは夢にもおもわず、逆に通州は安全だというので北京から戦火を避けて避難してくるものさえあった。

 日本軍は完全に虚をつかれた。 留守を守る守備隊の数は、寄せ集めて百十名ばかりであった。保安隊の攻撃は、通州守備隊と特務機関に集中した。守備隊長藤尾心一中尉と機関長細木繁中佐は戦死した。

 守備隊と特務機関のつぎには居留民が攻撃をうけた。居留民の家は一軒のこらず襲撃をうけ、掠奪と殺戮にあった。 掠奪には保安隊員だけでなく市民も加わった。日本人の旅館近水楼の掠奪は徹底的であった。死体には烏が群がった。性別のわからない死体もあり、新聞は「鬼畜の行為」とつたえた。

 陸軍省がしらべた犠牲者の数は、八月五日現在で発見できたもの一八四名、男九三名、女五七名、性別不明者三四名であり、 生き残って保護をうけたものの数は、一三四名、その内訳は「内地人」七七名と「半島人」(朝鮮人)五七名であった。

 当時の支那駐屯軍司令官香月清司中将の『支那事変回想録摘記』が記録する犠牲者の数は、日本人一〇四名と朝鮮人一〇八名であり、 朝鮮人の大多数は「アヘン密貿易者および醜業婦にして在住未登録なりしもの」であった。

 朝鮮人のアヘン密貿易者が多数いたことは、通州がアヘンをもってする中国毒化政策の重要な拠点であったことを示していた。 通州事件は、日本の中国「毒化政策」にたいする中国民族の恐怖と抵抗を標示していた。

 戦史家児島襄は、「在留邦人三百八十五人のうち幼児十二人をふくむ二百二十三人が殺され、そのうち三十四人は性別不明なまでに惨殺されていた」と指摘し、 「生き残った者は、かろうじて教会に逃げこみ、あるいは例外的な中国人の好意でかくまわれ、中国服を着用して変装できた人々であった」としるした。

 七月三〇日、守備隊に増援部隊が加わり、事件はおさまった。

(P115〜P116)

*信夫氏は「誤爆」を事件の契機とする従来の通説に従っていますが、反乱の首謀者だった張慶餘の回想記公表(1986年)以降は、 「張慶餘は事件前から冀察政権(ゆう注 中国側)の要人・・・と連絡を切らさず」「通州の防備が空白となった機会」をとらえて反乱に踏み切った、という説明が有力になっているようです。 (秦郁彦氏「盧溝橋事件の研究」P313〜)

2004.8.18
「通州事件」の直接の引き金については、こちらにアップしましたので、興味のある方はご覧ください。

 これに続けて、信夫氏は、事件の発表経緯に関する興味深い資料を掲載しています。 これによれば、支那派遣司令部は、当初は「配下の保安隊」の「叛乱」を隠そうとしたが、結局「保安隊とせずに中国人の部隊」として発表することにした、ということであるようです。


信夫信三郎「聖断の歴史学」より 

 8 通州事件(四)

 通州事件は、飼犬に手を噛まれたような事件であり、不幸な事件であるとともに不名誉な事件であった。 松村秀逸少佐は、陸軍省の新聞班に所属し、盧溝橋事件が起るとともに天津へ出張してきていたが、通州事件の報に接した支那派遣軍司令部の狼狽ぶりをしるした―


 その報、一度天津に伝わるや、司令部は狼狽した。私は、幕僚の首脳者が集っている席上に呼ばれて、<この事件は、新聞にでないようにしてくれ>との相談を受けた。

 「それは駄目だ。通州は北京に近く、各国人監視のなかに行われたこの残劇(ママ)が、わからぬ筈はない。もう租界の無線にのって、世界中に拡まっていますヨ」

 「君は、わざわざ東京の新聞班から、やってきたんじゃないか。それ位の事が出来ないのか」

 「新聞班から来たから出来ないのだ。この事件をかくせなどと言われるなら、常識を疑わざるを得ない」

 あとは、売言葉に買言葉で激論になった。私は、まだ少佐だったし、相手は大、中佐の参謀連中だった。 あまり馬鹿気たことを言うので、こちらも少々腹が立ち、配下の保安隊が叛乱したので、妙に責任逃れに汲々たる口吻であるのが癪にさわり、上官相手に激越な口調になったのかもしれない。

 激論の最中に、千葉の歩兵学校から着任されて間もなかった矢野参謀副長が、すっくと立上がって<よし、議論はわかった。 事ここに至っては、かくすななどと(ママ)姑息なことは、やらない方がよかろう。発表するより仕方がないだろう。 保安隊に対して天津軍の指導宜しきを得なかった事は、天子様に御詫しなければならない>と言って、東の方を向いて御辞儀をされた。この発言と処作で、一座はしんとした。

 <では発表します>と言って、私が部屋を出ようとすると、この発表を好ましく思っておらなかった橋本参謀長(秀信中佐)は 「保安隊とせずに中国人の部隊にしてくれ」との注文だった。勿論、中国人の部隊には違いなかったが、私は、ものわかりのよい橋本さんが、妙なことを心配するものだと思った。


―かくして通州事件はあかるみに出たが、新聞は逆に「地獄絵巻」を書き立てて日本の読者を煽りたてた。

(P116〜P117)

 


 「事件」に対する歴史学者の見解として、江口氏、および大杉氏のものを紹介します。


江口圭一「十五年戦争研究史論」より 

補論 通州事件について

 中国の抗日は日本の侵略にたいする反撃であり、正当・当然であるからといって、通州保安隊その他による日本人・朝鮮人・女性・幼児にいたる無差別虐殺は容認できるものではない。 しかし通州事件の評価・位置づけには少なくとも以下の三点への留意が必要である。

 第一は、事件が中国で、それも日本のさらなる中国侵略の拠点とされた通州で発生したという単純な事実である。 中国軍が日本へ侵攻し、たとえば九州で引きおこした日本人虐殺事件ではないのである。異なる次元・地平に属するものを相殺のためにもち出すことはできない。

 第二は、中国側にとってもある意味で「魔の通州」と呼ぶべき事情が存在していたことである。 通州は冀東政権の本拠地であり、華北併呑の舌端であるとともに、アヘン・麻薬の密造・密輸による「中国毒化」の大拠点であった。 ヘロイン製造にあたった山内三郎は「冀東地区から、ヘロインを中心とする種々の麻薬が、奔流のように北支那五省に流れ出していった」と記し、 中国の作家林語堂は「偽冀東政権は日本人や朝鮮人の密輸業者、麻薬業者、浪人などにとって天国であった」と書いた。

 信夫信三郎「通州事件」は「日本の中国『毒化政策』に恐怖し憤激した通州の市民が保安隊反乱の混乱に乗じて日本の居留民―および朝鮮人に―に報復した抗日事件」として通州事件をとらえた。

 第三は、日本軍の守備責任の問題である。通州の日本軍主力は北平総攻撃にむかっており、反乱に対応できなかった。 支那駐屯軍司令官であった香月清治中将は、杉山元陸軍大臣から通州事件について再三「遺憾」の意をあらわせと催促されたのにたいして、


通州に於て予期せざる保衛隊の叛乱に遭いて多数常人(一般人)は生命を殞すに至りたることは甚だ不幸の事に相違なきも之は寧ろ一種の避け難かりし天災と見るを適当とするが如し。 軍は当然努むべきことを努め貴重なる将兵多数の生命を犠牲となせり。・・・此の局部の事象を以て軍司令官が謝罪的遺憾の意を表明するは軍爾後の作戦指導及志気に影響する所大なりと信ずるものなり。

と回答した。

 軍司令官は「天災」といってのけたが、山中恒氏はこれを「初めから日本人居留民などを切り捨てていた」と断ずる。

 いずれにせよ通州事件は日本を逆上させ、 「暴支膺懲」を加速し増幅させた。中国は通州での非行について高すぎる代償を支払わされることとなる。

(P239〜P241)

大杉一雄「日中十五年戦争史」より 

悲劇、通州事件の真実

 今回の通州の場合、虐殺は日本軍の誤爆によって触発されたといわれる。たしかに七月ニ十七日の通州近傍の冀察第二十九軍との戦闘の際、援護した日本空軍が誤って保安隊を襲撃したことは事実である (寺平忠輔『盧溝橋事件』)。

 しかし事件の真因はそのようなところにあるのではなかった。盧溝橋事件以後の日中両軍の衝突が決定的になると、冀察側から冀東保安隊に対し、抗日決起の強力な働きかけが行われていた。 たまたま廊坊、広安門での二十九軍勝利の情報が伝わり、これに刺激された冀東各地の保安隊が、二十九日午前二時を期して一斉に蜂起し日本側を攻撃したものである(今井武夫『支那事変の回想』)。

 同盟軍といっても名ばかりのことで、平等な立場での協力ではなく、むしろ傀儡政権の保安隊であることに不満をもつ将兵がいて当然であり、いつ寝返っても不思議はない状況であった。

 「通州事件は戦争が生んだ最大の悲惨事であった。私は悲しみ且つ憤る。・・・しかし武力によっては解決できない何物かがそこにあり、また支那民衆の抗日意識の根強さが尋常なものでないことを、率直に教えている」 (『改造』三七年十月号アンケート「北支事変の感想」に対する鈴木茂三郎の回答「武力で解決出来ないもの」)のであった。

  しかし当時このような見解が発表されることはまれで、もっばら中国軍の暴虐が宣伝されていたのである。 鈴木はさらに続けて「抗日の原因はよし支那側の誤解であろうとも抗日の原因を……究明しなければ日支問題の根本的解決がむつかしくはないかと思う」と述べているが、 さすが戦後日本社会党の委員長をつとめた人だけあって正鵠を射た批判を示していた。

 また山川均も短文の回答を寄せており、そのタイトルが「支那人の鬼畜性」となっていたため、戦後問題にされたが、 その真意は「むやみに国民感情を排外主義の方向に煽動し刺激することの危険」を警告したものといえる。 これに対し現在、通州事件を「南京大虐殺」と対抗させてとりあげる向きがあるが、両者はその規模も性格もまったく違うことを認識すべきである。

(P271〜P272)


また「保守派」の秦郁彦氏も、「通州事件」については、このように冷静な見解を語っています。

秦郁彦 『中村粲氏への反論 謙虚な昭和史研究を』より 

  この種の残虐事件で、今もよく引き合いに出されるのが、盧溝橋事件から三週間後に北京近郊の通州で起きた邦人虐殺事件である。 死者百二十数人と数も多く、その惨状を見聞きして敵愾心を高めた京都第十六師団の兵士が、華中に転戦して南京で報復したという説すらある。

 当時の日本の新聞も大々的に宣伝したものだが、実は日本のカイライ政権である冀東政府の保安隊が、日本機に通州の兵舎を誤爆され、疑心暗鬼となっておこした反乱によるもので、 いわば飼犬に手を噛まれたようなもの。さすがの日本軍も、殷汝耕政府主席の費任は問えなかった(戦後、漢奸として処刑)。

 ところが、今でも南京虐殺が話題になると通州事件を持ち出Lて相殺しようとする人が少なくない。中村氏はさすがにパスしたが、本誌十月号の「まいおぴにおん」欄で、 田久保忠衛氏が「冀東政府の所在地だった通州などで日本人が受けた惨劇はどう考えたらいいのか」と相殺論を展開している。 おそらく中国人が日本人を集団虐殺した唯一に近い「例証」として、今後も長く通州事件は語りつがれるのではあるまいか。

 アジアでもっとも温和な仏教徒との定評があったカンボジアでポル・ポトの大虐殺が起きたように、残虐性と民族性を結びつける議論は成り立たぬし、不毛だと筆者は考える。 そうだとすると、○○人も日本人を惨殺した、というたぐいの情報集めに血まなこになる必要もない、というものである。

(『諸君!』 1989年11月号 P216)


 「冀東政権」の存在が中国経済に与えた影響、そしてその存在が「反日感情」を刺激していた事情については、当時憲兵として上海にいた塚本誠氏が、コンパクトにまとめています。


塚本誠「ある情報将校の記録」より 

 昭和十年十一月、日本の工作により華北に段汝耕を主班とする冀東政権が樹立された。これは段汝耕という留日学生出身の、中国ではあまり高く評価されていない男に、通州を中心とした停戦地域内に地方政権をたてさせ、 そこを通じて日本の商品を合法的に中国に「密輸出」しようとしたものである。

日本の商品は大連に陸上げされると、鉄道で満州を通ってこの政府の「領土」にはいる。その時、その商品はごく安い税がかけられる。 冀東政権は中国のなかにある地方政権ということになっているから、ここで一度税をかけられた商品はそこから中国のどこに運ばれようと、中国では二度と税はかけられない。 いや中国があえてそれに税をかけようとすれば日本から厳重な抗議が出ることを覚悟しなければならない。

だからこういう合法的密輸品が中国の市場に大手をふって汎濫すれば、中国の商工業は破算するしかない。もし中国政府にそれを阻止する力がないとすれば、 中国はもはや国家の破算を待つばかりだ。これが中国の愛国者を捉えた切迫した感情だった。この感情で一番ゆさぶられたのは若い学生たちだった。

 十年十二月、北京の学生が冀東政権に反対して起ちあがると、それにつづいて上海では学生が蒋政府に対して対日抗戦の請願デモを行った。これは必然的ななりゆきである。この運動はたちまち全土に波及した。

(P149〜P150)


 なおこの「通州事件」は、南京戦終了まもない1937年12月下旬、「冀東自治政府」と日本との間で、「正式解決」を見ています。当時の新聞記事を紹介します。


「大阪朝日新聞」昭和12年12月23日"

 通州事件愈よ解決

  冀東政府から誠意披露

【北京特電 二十二日発】

 去る七月二十九日日支軍衝突と同時に冀東保安隊の反乱によつて発生した通州事件の悲惨なる想出は今なほわが国民の脳裡を去りやらぬ痛恨事であるが、 冀東政府の現政務長官池宗墨氏は事件解決策につき北京大使館当局と種々折衝中のところ大体左のごとき解決案を発見、 池長官は二、三日中に北京大使館に森島参事官を訪問、 冀東政府を代表し正式陳謝をなし犠牲者に対する慰藉金、日本側機関に対する損害賠償など合計百二十万円を日本側に交付し、 これをもつて同事件の正式解決をはかることに決定した。

 即ち冀東自治政府としては北京の中華民国臨時政府に正式合流をなすに先立ち通州事件の正式解決をいそぎ、もつて日本国民に対する慰藉、陳謝の態度を明にしたものである。

 なほ前長官殷汝耕氏も事件後厳重な取調べを受けつつあつたが間もなく同事件に通謀したる事実なきことも明白になりこれまた近く釈放されるものと見られる、 また我が同胞の尊き霊を永遠になぐさめるため遭難地通州に大供養塔が建設されることになつてゐるが、右基金は冀東政府要路者の心からなる義金によるものである。

(同紙 一面左下 三段記事)

「東京日日新聞」昭和12年12月25日 

 通州事件正式解決

  冀東政府と公文交換

【北京廿四日発同盟】

 未曾有の惨事として世人の記憶新たなる通州事件の解決方に関しては冀東政府長官池宗墨氏と日本大使館森島参事官との間に折衝が続けられてゐたが、 今廿四日午後四時半池長官は北京大使館を訪問し公文を手交して正式陳謝と将来の保障をなし併せてこの事件による被害者に対する弔意賠償金を手交し 森島参事官より右に対する回答文を手交、ここに同事件は全く解決を告げるに至った、交換公文の全文左の如し


*「ゆう」注 以下、「書翰」の全文が掲載されています。原文は改行も文字間もない大変読みづらいものですので、適宜改行を入れて読みやすくしました。 なお、マイクロフィッシュのコピーで判読困難な箇所もあり、その部分は■で表示してあります。


【冀東政府より森島参事官宛て書翰】

以書翰啓上致候 陳者 本年七月廿九日通州において冀東政府保安隊の叛乱勃発し多数貴国民を殺傷し且貴国人所有財産に尠からず損害を与へたる不幸なる事件発生致候処

 右に関し本官は責任の重大なるを痛感しここに冀東政府を代表し貴国政府に対し深甚なる陳謝の意を表し候

 冀東政府は本事件責任者及び加害者を厳重処断する意向なるところ、 右関係者はすでに辞任しまたは逃亡若くは貴国軍により討伐せられたるをもつて最早処分の方法無之次第につき右事情御諒察相成度、 なほ将来は再び斯くの如き不祥事件を発生せしめざるやう誓つて万般の処置を構ずべく候

 冀東政府は死者及び負傷者に対し夫々弔慰金及び見舞金を贈呈し、或は物質的損害につき相当の賠償を支払うべく右総額として金百廿万円を提供致度に付 貴官において然るべく分配方御取計らひ御煩らせ度く右に御異存無きにおいては前記金額中、金四十万円は直ちに御送付致すべく残額金八十万円も成るべく速かに調達の上御送付可申上候、

 なほ本事件による犠牲者の慰霊塔を建設敷地提供方御要求の次第も諒承致候については、早速当方代表者会同実地検分の上協議決定のことと致度候、

  右に関し何分の御回答を致度候、右申し講じ旁々本官は■に重ねて閣下に向つて敬意を表し候          敬具

 中華民国二十六年十二月二十四日
 冀東防共自治政府代理政務長官 池宗墨

在中華民国日本帝国大使館 森島守人閣下

【森島参事官より冀東政府池長官宛て返論】

以貴論啓上致候、陳者本月廿四日付書翰をもつて左の通り御照会相成諒承致候(中略)

 よつて本官は貴官申出の次第を受諾し貴政府において貴論記載の各項を誠実に履行せられたる上は 本事件は解決を見たるものと認むべく候

右回答旁々本官はここに重ねて閣下に向つて敬意を表し候

 昭和十二年十二月廿四日

 在中華民国日本帝国大使館参事官 森島守人

冀東防共自治政府代理政務長官 池宗墨閣下

(ゆう注 「中略」は原文通り)

*「弔慰金は遭難者に配分 大使館当局談」との記事がこれに続きますが、省略します。

(同紙二面左下 見出し四段、記事五段)

「東京朝日新聞」昭和12年12月26日

 通州事件の解決に感無量

  思ひ出に生きる遺児節ちゃん 温い祖父の膝下に

 支那事変に於ける第二の尼港事件として国民の痛憤を買つた通州事件で、非業の最期を遂げた遭難者に対し百二十万円の弔慰見舞金、 慰霊塔の建設等で二十四日北京において日本大使館と冀東政府長官池宗墨氏との間に解決がついたが地下の霊や遺族や奇跡の生存者達は感慨無量のものがあらう

 通州事件で両親冀東医院○○直之助氏(三六)母シゲ子さん(三一)妹紀子ちゃん(二才)の一家全部を失ひながらも使用人支那人看護婦のためたつた一人救はれた可憐の孤児○○節子さん(五才)は 祖父渋谷区○○ ○○直太郎氏(六一)に淋しく育てられてゐるが

廿五日は母方の実家群馬県利根郡水上村 ○○周作さん方へ遊びに行つて不在

時折あの残虐な当時をフト思ひ出しては子供ながらも淋しい顔をするものの元気で可愛く、時々支那の歌を唱つてゐる  又感心な支那の看護婦何鳳岐さんも満州国吉林省の病院に勤めつつ時折節子チャンの消息を尋ねてくる、直太郎は語る

通州事件は重大な国際問題ですからその解決方法は利欲に偏してはならないと私はかねがね思つてゐます、五千円の収入のあつた方は十万円の請求をしていいといふ方もありますが、私はそんな考へはありません、 元元あの事件は運命の悪戯の仕業と思つて何もかもあきらめてゐます

ただ残された節子だけは身体を丈夫に芸術や学問を十分させる義務が私にかかつてゐるのでどうしてもあの子は立派に育てたいと思つています、 あの子を救って呉れた支那人看護婦何鳳岐さんからも損害賠償の点を心配して「損害の件はどんなにしましたか、伺ひ申し上げます」とつたない文字ながら真情溢るる手紙を数日前呉れました


(同紙十面上 見出し四段、記事五段)

*記事中の氏名、住所は、プライバシーを考慮して、○○としました。


2010.9.25追記

川合貞吉『或る革命家の回想』に、尾崎秀実が「通州事件」に言及した記録を見つけました。当時における「支那通」のひとつの見方として、紹介しておきます。


川合貞吉『或る革命家の回想』より

 それから、話が七月に起きた中国人による日本人虐殺の通州事件に及ぶと、

「あれは君、支那民族の怒りの姿だよ、眠れる獅子が目を醒まして咆哮した姿だ。冀東地域へ入りこんでいる日本人に碌な奴はいない。 淫売、破落戸(ごろつき)、事件屋 ― そんな連中が兵隊の威力をかりて威張り散らし、 悪辣極まることをして土着民を絞り虐待しているんだ。そういう政策を押し進めている日本の民度の低さに罪があるんだ」

と、尾崎は悲しそうな顔をした。(P300)
 


 なお尾崎は、のち「コミンテルンのスパイ」として処刑されたというイメージが強いのですが、この時期は著名なジャーナリストとして活躍しており、特に中国の内部情勢についての的確な分析には定評がありました。

  当然ながら上のような見解が当時のメディアに発表されることはありませんでしたが、「暴支膺懲」ムードの日本の中で、知識人らしい冷静な見方を披歴したもの、と言えるかもしれません。
http://www.geocities.jp/yu77799/tuushuu/tuushuu1.html


12. 中川隆[4298] koaQ7Jey 2016年10月03日 22:15:40 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[4707]
>>9
>第一、南京の住民は事件後もほとんど人口は変わっていなかったらしいね。


また嘘言ってる

中国が30万人の犠牲者が出たとしている範囲は南京城区(20万人住んでいた)だけでなく周辺4県半を含んでおり、その人口は虐殺前は優に160万人に達していた。

虐殺後の調査では25万人に減っていた


13. 中川隆[4299] koaQ7Jey 2016年10月03日 22:19:42 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[4708]
30万人殺害は長江デルタ 南京大虐殺で英記者電報

【ロンドン21日共同】1937年12月中旬に始まった旧日本軍による南京大虐殺から65年。当時、「長江(揚子江)デルタで市民30万人以上が虐殺された」と上海から打電しようとし、日本人検閲官に差し止められた英紙記者の電報記事コピーを21日までに共同通信が入手した。

犠牲者数について、中国側の公式見解は南京だけで30万人とするが、日本では数千人−20万人など諸説ある。

電報では、犠牲者「30万人以上」は、南京だけではなく、上海なども含む長江デルタ地域全体の数字として記されていることが確認された。

電報は38年1月16日付。書いたのは英マンチェスター・ガーディアン(現ガーディアン)紙の中国特派員ハロルド・ティンパリー記者(54年死去)。 電報のコピーは、英中部マンチェスター大学のジョン・ライランズ図書館書庫に保管されていた。

2002/12/21 09:31 【共同通信】


14. 中川隆[4300] koaQ7Jey 2016年10月03日 22:25:27 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[4709]

鬼頭久二(1916年8月生まれ)
第16師団歩兵第33連隊 第1大隊

南京戦の時、当時の宮さん〔朝香宮〕から命令があって、その命令は中隊長か小隊長から聞いたけど、

「犬も猫も含め生きている者は全部殺せ」

ちゅう命令やった。

天皇陛下の命令やと言ったな。

当時のことを書いた日記帳は終戦の時に全部焼いた。


15. 大和狼[574] keWYYZhU 2016年10月04日 05:29:38 : rS8CXaJbUM : 6YqHAdB1ECA[1]
文化大革命当時の虐殺と中国人の人肉食習慣。

オーストラリア人のアボリジニハンテイングホロコーストを
殿堂入りさせろ。


南京は真っ赤な嘘、捏造だよ。

中川隆、相変わらず妄想猟奇証拠が豊富だなあ、感心するが。
悪魔の飽食の森村誠一も真っ赤な捏造作家、731部隊も捏造。
角川文学自体が朝鮮の捏造大量書店によるもの。

中川隆猟奇小説で文壇に打って出たらどうだ(笑)


16. 2016年10月04日 08:52:16 : oViyeepHGA : SCllw2wa02M[45]
>>11
 >それに対し旧日本軍は中国で起こした数十人規模が死亡する屠殺事件は千にとどま
 >らない。

 なんでも日本軍の仕業にすればいいと思ってるようだね。きみは朝日の関係者っぽいね

>>12
 >中国が30万人の犠牲者が出たとしている範囲は南京城区(20万人住んでいた)だけ
 >でなく周辺4県半を含んでおり、その人口は虐殺前は優に160万人に達していた。
 
 悪逆な蒋介石軍と毛沢東軍の戦争の結果を日本軍のせいにしてるだろ。嘘つくなよ

>>13
 ハロルド・ティンパリーは南京大虐殺を捏造した、シナ国民党宣伝部の顧問だった
 ことが明らかになってるね。

>>14
 鬼頭久二は、どうせ中帰連の関係者だろ。
 証拠の日記を焼いたというのもウソっぽいな。
 


17. 2016年10月04日 09:04:18 : oViyeepHGA : SCllw2wa02M[46]
いまもその雰囲気があるが、シナ共産党はソ連の飼い犬だったようだ

(7)盧溝橋事件を拡大させたコミンテルン指令と日本人虐殺事件

 盧溝橋事件そのものは国民党政府軍の宋哲元が、正式陳謝し、責任者を処罰し、部隊を撤収させることで解決(現地協定)をみていた。
 ところが事件を機に日中間の全面衝突に発展させようとするソ連・コミンテルンの策動が行われた。
 すなわちソ連・コミンテルンは次のような指令を発したのである。
 「あくまで局地解決を避け、日支の全面的衝突に導かなければならぬ。日本への譲歩に依(よ)って、支那の解放運動を裏切ろうとする(中国人)要人を抹殺(まっさつ)してもよい。下層民衆階級に工作し、・・・・国民政府をして戦争開始のやむなきにたち到らしめなければならぬ。党(中国共産党)は対日ボイコットを全支那的に拡大しなければならぬ。紅軍は国民政府と協力する一方パルチザン的行動にでなけらばならぬ。」(興亜院政務部興亜資料政治篇「盧溝橋事件に対するコミンテルン指令」)と。
 この結果、7月25日、北京から75キロ離れた郎坊(ろうぼう)にて、日本軍に対し、突如中国兵が小銃、機関銃を乱射してくる事件、次いで北京の広安門から北京城内に入城する日本軍に対して、中国側から突如襲撃が行われる事件が起こり、日中間は戦争状態に立ち至ったのである。
 さらに広安門事件から僅(わず)か4日後の7月29日、通州にて非戦闘員である日本人男女子供が虐殺される事件(通州事件)が起こった。
 通州の中国保安隊が蜂起(ほうき)して、日本の警察分署、旅館、出張所、食堂、民家を襲撃したのである。
 保安隊員は小銃、青龍刀をふりかざして次々に虐殺行為に及び、ある人は数珠つなぎに処刑場に連行され、虐殺行為を受け、殺害された。
 殺害された人は223人にも及び、そのうち34人は性別不明なまでに惨殺された。
 この事件をきっかけに、日本国民と日本軍の間には激しい怒りが支那側に向けられることになり、日中間で対立が極度に激化したのである。
 これはコミンテルンが発した「あくまで局地解決を避け、日支の全面的衝突に導かなければならぬ」という指令がまさに現実化していったことにほかならない。


18. 中川隆[4304] koaQ7Jey 2016年10月04日 10:10:18 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[4713]
アホ右翼の妄想はもういいよ

虐殺否定派の論拠はすべてデタラメだというのが歴史学会の定説だからね


19. 2016年10月04日 11:27:46 : CpWa2OOkR2 : FmWRDix5djY[22]
中川隆さん君は日本人か

で 旧日本軍人も日本人だ 虐殺、戦争犯罪日本なら 地球上に日本なんて国はいら

あない、存在意義のないどうしようもない日本人、君もその一員だよ。

よかったね、よろこびなさい。

君はサヨク、パヨクで特別な日本人か?


20. 中川隆[4305] koaQ7Jey 2016年10月04日 12:26:10 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[4714]
日本は多民族国家だからね

残酷な事をやるのは天皇とか日本の支配階級の朝鮮系渡来人

優しくて暖かいのは縄文・弥生系日本人


21. 2016年10月04日 13:35:05 : oViyeepHGA : SCllw2wa02M[47]
>>20
 >天皇とか日本の支配階級の朝鮮系渡来人
 
 なんで天皇家が朝鮮系なんだ。新羅・百済を通じて半島を支配
 していた天皇家が朝鮮系のわけなどあるはずはない。

 天皇家はユダヤの末裔だというのを知らん様だね

 1つ教えてやるが、伊勢神宮の石灯篭にはユダヤの紋章があるし、神器
 の鏡にもユダヤの紋章があるのを、みた人がいるようだぞ。

 >優しくて暖かいのは縄文・弥生系日本人

 たまにゃ、まっとうなことも言えるようだね。これも生きる知恵かもな


22. 中川隆[4307] koaQ7Jey 2016年10月04日 14:50:12 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[4716]
>なんで天皇家が朝鮮系なんだ。新羅・百済を通じて半島を支配
 していた天皇家が朝鮮系のわけなどあるはずはない。


天皇が自分で認めてることだろ:

昨年12月23日の天皇誕生日の前の12月17日、宮中で記者会見があった。記者クラブが7つ質問している。その中の一つが

「来年はワールドカップで日韓共催でやる。天皇はどう思われるか」

という質問に

「自分の先祖である桓武天皇の生母高野新笠は百済武寧王の子孫であった。
韓国とのゆかりを感じます」

と語られたわけです。私にもすぐ朝日新聞社からコメント依頼がきました。私が感動したのは、人物の交流が皇室を含めてあったのだけれども

「不幸な関係があったということも忘れてはなりません」

とちゃんと言っておられる点ですね。そこがあまり報道されてないんです。

 私は朝日のコメント依頼に「そこが大事だ。それを書いてくれなければコメントしない」と申し上げたのです。1月16日、京都新聞には載りませんでしたが、共同通信が後追いの記事を出しました。なるほどと思ったのは「誕生日の記者会見くらいは自分の言葉で言わせてほしい」と言われたそうです。

宮内庁のチェックはなかったようですね。宮内庁は大慌てになったということを1月16日の共同通信配信で知りました。私はその日、松江に行っていまして、山陰中央新報で知りました。実はこれは、神話の問題とも関係があります。


23. 2016年10月04日 16:22:48 : oViyeepHGA : SCllw2wa02M[48]
高野新笠

24. 2016年10月04日 16:32:41 : CpWa2OOkR2 : FmWRDix5djY[23]
19>>。ヨ残酷な事をやるのは天皇とか日本の支配階級の朝鮮系渡来人
    優しくて暖かいのは縄文・弥生系日本人」

   なるほど、その理屈から言えば、中国人とか朝鮮人のDNAに問題がある

   わけだ、日本が戦争で残虐行為した、それは中国とか朝鮮人の遺伝子の

   影響をうけたわけで、とんでもないやつらだ、中国、朝鮮はおまえらの

   おかげで、日本人の性格わるくなっちまったぜ。

   となる。


25. 2016年10月04日 16:45:57 : oViyeepHGA : SCllw2wa02M[49]
>>23
 >自分の先祖である桓武天皇の生母高野新笠は百済武寧王の子孫であった。
 >韓国とのゆかりを感じます

ただの1つの学説を、さも本当のように左がかった陛下の側近が今上天皇陛下を誑かした可能性が高そうだ。


26. 中川隆[4309] koaQ7Jey 2016年10月04日 16:49:52 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[4718]
皇室で古くから伝わる儀式はすべて朝鮮の儀式だからな

27. 2016年10月04日 18:19:14 : oViyeepHGA : SCllw2wa02M[50]
>>26
 朝鮮半島は倭国や二ホンの統治した時代以外は、神社や神事など無縁の地だろ。おのま
 まあ、朝鮮の儀式といえば、宗主国さまのシナの儀式をパクったのが今もあるね。

28. 中川隆[4312] koaQ7Jey 2016年10月04日 18:56:42 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[4721]
>>27
朝鮮の王族や天皇は漢民族だよ

29. 2016年10月04日 20:21:35 : GkU3d0XTZo : L7CG8sOO9do[1]
30万説を支持していない多くの日本人学者を説得するほうが先だろ。

30. 2016年10月04日 20:55:27 : oViyeepHGA : SCllw2wa02M[51]
>>28
 日本人は朝鮮人やシナ人とは、遺伝子がちがうのも知らんのか

 *東ユーラシア人の中で最初に分岐したのは縄文人だった? 縄文人の核ゲノム配列
  をはじめて決定
  http://gansokaiketu.sakura.ne.jp/20160831-higashi-yurashiajinno-nakade-saishoni-bunkisitanoha-jyomonjin-datta-jyoumonjinno-kakugenomuno-hairetuwo-hajimete-kettei.htm


31. 2016年10月05日 08:42:57 : CpWa2OOkR2 : FmWRDix5djY[24]
だいたい、阿修羅さよくが、日本人は永久に謝罪しろとか言ってる

その自虐体質、洗脳されたクルクルパ−体質が問題だよ。

中国とか韓国 永久に謝罪しろ、永久に許さん、もいいいよ、じゃ日本は彼ら

はその程度と考えればいいだけ。

中国の現在はどうなんだ、チベット弾圧、ウイグル弾圧、人のこと言えたぎりか

とやり返すしかない。どの口さげて日本の批判するのだ、捏造は中国共産党の

常套手段、人民抑圧、人権無視、パヨクノバカ 日本人を貶めてなんになる。

ま、バカにいっても馬耳東風じゃろが。

阿修羅でガス抜きか、それもいい。


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