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「国家による殺人」を禁止するのが正しい判断ー(植草一秀氏)
http://www.asyura2.com/16/senkyo214/msg/148.html
投稿者 赤かぶ 日時 2016 年 10 月 08 日 08:40:05: igsppGRN/E9PQ kNSCqYLU
 

「国家による殺人」を禁止するのが正しい判断ー(植草一秀氏)
http://www.twitlonger.com/show/n_1sp676h
7th Oct 2016 市村 悦延 · @hellotomhanks


日本国憲法第36条の条文を日本国民は知っているか。

第三十六条 公務員による拷問及び残虐な刑罰は、絶対にこれを禁ずる。

日本には死刑制度があり、現実に死刑が執行されている。

世論調査では死刑制度を肯定する意見が多いとされることが多いが、

質問に際して、憲法36条の存在を周知したうえで調査を行うべきである。

日本は立憲主義国家であり、憲法は国の基本法である。

国家権力といえども、憲法を踏みにじることは許されない。

このことを周知したうえで調査を行えば、結果は逆転すると考えられる。

死刑制度について、日本弁護士連合会は次のように記述している
(2015年6月25日付「死刑執行に強く抗議し、改めて死刑執行を停止し、
死刑制度の廃止についての全社会的議論を求める会長声明」より一部抜粋)。

https://goo.gl/2cQ5Q6

「死刑の廃止は国際的な趨勢であり、世界で死刑を廃止又は停止している国は140か国に上っている。

死刑を存置している国は58か国であるが、

2014年に実際に死刑を執行した国は更に少なく、日本を含め22か国であった。

いわゆる先進国グループであるOECD(経済協力開発機構)加盟国(34か国)の中で

死刑制度を存置している国は、日本・韓国・米国の3か国のみであるが、

韓国は17年以上にわたって死刑の執行を停止、

米国の19州は死刑を廃止しており、死刑を国家として統一して執行しているのは日本のみである。

こうした状況を受け、国際人権(自由権)規約委員会は、

2014年、日本政府に対し、死刑の廃止について十分に考慮すること等を勧告している。」


日本弁護士連合会は10月7日、福井市で開かれた人権擁護大会で、

「2020年までに死刑制度の廃止を目指し、終身刑の導入を検討する」

とする宣言を採択した。

日弁連が死刑制度の廃止を明確に打ち出すのは初めてである。

採択されたのは

「死刑制度の廃止を含む刑罰制度全体の改革を求める宣言」。

https://goo.gl/6CV3aM

最高裁はこれまでの判例で死刑が憲法第36条に反しないとの見解を示している。

しかし、これは、死刑制度を維持することを前提とする権力機関としての裁判所の判断が示されたものに過ぎず、

最高裁自身の正当性を揺るがす根拠にもなり得る重大な誤判例と言わざるを得ない。


八幡製鉄献金事件(八幡製鉄が与党政党に献金した事件)で最高裁は1970年6月24日に、

企業献金を合憲とする判決を示した。

これによって、企業献金が大手を振ってまかり通る事態が生じ、

現在の状況がもたらされているが、岡原昌男元最高裁長官は、

1993年11月2日に、国会で次のような意見を表明した。

「企業献金は全面禁止する方向に持っていくのが、正しいと思っている」

「そもそも、企業献金は、悪である。

そして、善悪以前に、企業献金を、法律的に適法であると理論的に説明することはできない。

理屈が通らない。つまり、企業献金は『違法』である。」

「しかし、八幡製鉄献金事件が起きた当時、つまり、それは昭和35年のことであるが、

その当時、企業献金は、全部の候補者が受け取っている状況であった。」

「そのような状況で、最高裁が、『アレ』をやれるわけがない。

だから、本当は、適法性がない=『違法』なのだが、『アレ』はやれなかった。」

岡原氏が述べた「アレ」とは、違憲立法審査権(憲法第81条)の行使である。

日本において「三権分立」は機能していない。

裁判所は政治権力=行政権=内閣の下部に位置する権力機関の一翼に過ぎない。

米軍駐留が憲法違反であることを示した砂川事件の伊達秋雄判決(1959年3月)に対して、

最高裁長官田中耕太郎は当時の駐日大使ダグラス・マッカーサー2世と密会して、

跳躍上告されたこの事案について、同年12月に原判決を破棄し地裁に差し戻した。

まさに、最高裁が権力の「狗(いぬ)」として、裁判を行った象徴的な事例を残した。


日本の警察、検察、裁判所制度は前近代に取り残されたままである。

政治的な敵対者を犯罪者に仕立て上げる人物破壊工作も実行されている。

冤罪を生み出す構造的な欠陥が指摘されながら、その構造の是正がまったく進まない。

1980年代には4件(免田事件、財田川事件、松山事件、島田事件)の死刑事件について

再審無罪が確定している。

さらに、2014年3月、袴田巖死刑確定者が約48年ぶりに東京拘置所から釈放され、

再審開始が決定され、死刑と拘置の執行が停止された。

しかし、飯塚事件では、再審無罪となった足利事件と同時期に同じ方法で行われたDNA型鑑定が

有罪の有力証拠とされて死刑が確定し、2008年10月に執行されてしまった。

えん罪であるにもかかわらず死刑が執行された可能性を否定できない。

えん罪がいくらでも生み出される危険が放置されて、死刑が次々に執行されることが許されるわけがない。

そして、犯罪の刑罰のあり方として、「死刑」が本当に正しい選択肢のひとつなのか、

日本の全市民が考えるべきときが来ている。

犯罪の存在は、国家による殺人を正当化する理由にはならない。


死刑を正当化する根拠として用いられるのが「被害者感情」である。

上記の

「死刑制度の廃止を含む刑罰制度全体の改革を求める宣言」。

https://goo.gl/6CV3aM

は、冒頭に次のように記述している。

「悲惨な犯罪被害者・遺族のための施策は、犯罪被害者・遺族が、被害を受けたときから、

必要な支援を途切れることなく受けることができるようなものでなければならず、

その支援は、社会全体の責務である。

また、犯罪により命が奪われた場合、失われた命は二度と戻ってこない。

このような犯罪は決して許されるものではなく、遺族が厳罰を望むことは、ごく自然なことである。」

被害者感情を踏まえた考察をしている。


国際社会の流れはどこにあるか。

この点について、上記「宣言」は次のように記す。

「2015年に国際連合(以下「国連」という。)総会で改定された被拘禁者の処遇のための最低基準規則
(以下「マンデラ・ルール」という。)は、文字どおり被拘禁者を人間として尊重し、
真の改善更生を達成するために求められる最低基準であって、
これに基づいて刑事拘禁制度を抜本的に改革することが求められている。

また、国際人権(社会権)規約委員会(以下「社会権規約委員会」という。)は、

2013年には、強制労働を科す懲役刑制度は国際人権(社会権)規約第6条に照らして

見直すべきことも勧告している。

そして、刑罰制度全体の改革を考えるに当たっては、

とりわけ、死刑制度が、基本的人権の核をなす生命に対する権利(国際人権(自由権)規約第6条)を

国が剥奪する制度であり、国際人権(自由権)規約委員会(以下「自由権規約委員会」という。)や

国連人権理事会から廃止を十分考慮するよう求められていることに留意しなければならない。

この間、死刑制度を廃止する国は増加の一途をたどっており、

2014年12月18日、第69回国連総会において、

「死刑の廃止を視野に入れた死刑執行の停止」を求める決議が、

117か国の賛成により採択されているところである
(日本を含む38か国が反対し、34か国が棄権したものの、過去4回行われた同決議の採択で
最も多くの国が賛成した。)。

このように国際社会の大勢が死刑の廃止を志向しているのは、

死刑判決にも誤判のおそれがあり、刑罰としての死刑にその目的である重大犯罪を抑止する効果が乏しく、

死刑制度を維持すべき理由のないことが次第に認識されるようになったためである。

(中略)

死刑制度を存続させれば、死刑判決を下すか否かを人が判断する以上、

えん罪による処刑を避けることができない。

さらに、我が国の刑事司法制度は、長期の身体拘束・取調べや証拠開示等に

致命的欠陥を抱え、えん罪の危険性は重大である。

えん罪で死刑となり、執行されてしまえば、二度と取り返しがつかない。」


日弁連の「宣言」は、

「当連合会は、以下のとおり、国に対し、刑罰制度全体を、

罪を犯した人の真の改善更生と社会復帰を志向するものへと改革するよう求めるとともに、

その実現のために全力を尽くすことを宣言する。」

としている。

「刑罰制度は、犯罪への応報であることにとどまらず、

罪を犯した人を人間として尊重することを基本とし、その人間性の回復と、

自由な社会への社会復帰と社会的包摂(ソーシャル・インクルージョン)の達成に

資するものでなければならない。

この考え方は、再犯の防止に役立ち、社会全体の安全に資するものであって、

2003年に行刑改革会議が打ち立て、政府の犯罪対策閣僚会議においても確認されている考え方である。

人権を尊重する民主主義社会であろうとする我々の社会においては、

犯罪被害者・遺族に対する十分な支援を行うとともに、

死刑制度を含む刑罰制度全体を見直す必要があるのである。」

としている。


村上春樹氏による

『アンダーグラウンド』

は1995年に発生した地下鉄サリン事件を素材として取り扱った著作である。

当然のことながら、村上氏は犯罪そのものを憎み、犯罪を許さないとの基本に立っているが、

同時に、犯罪を受けた側であるこちら側と犯罪を行った側である向う側の間を、

まったく別の世界ではないとの考察を行っている。

ものごとのこちら側と向う側。

何事かが発生し、結果が出た時点では、こちら側と向う側はまったく別の世界であり、

文字通り、敵と味方、生きるか死ぬか、やるかやられるかの世界になるが、

その両者に共通するものが存在し得ることを村上氏は深く思索する。


そもそも、人間社会が完璧なものであるかどうか、考えればすぐに分かる。

古来、人の世から不条理と理不尽が消えたことはない。

その原因は、突き詰めれば人間の不完全性による。

完璧な人間はいない。

善と悪、真と偽は複雑に絡まり合っている。

そして、社会において力を持つ者が、善であり真であることは、むしろ圧倒的に少なかった。

勝ったものが善となり、勝ったものが真とされてきただけである。


当然のことながら、素朴に善を愛し、真理を求めることは崇高なことだ。

その行為が否定される理由は皆無である。

しかし、社会における「権力」が発揮する巨大な力、「法的拘束力」なるものには、

よほどの注意と警戒が必要なのである。

そして、真・善・美を追求する人間は尊いし、真・善・美を維持する人間は美しいが、

社会を構成する多くの人間が、その領域に位置するのかと言えば、残念ながら、そうではない。

その、真・善・美ではない人間が、ある誰かを、その人命を消し去ることを主張するときに、

社会は底知れぬ恐ろしさを発揮するのである。

「戦争」はその象徴的事例だろう。

そして、過去の「殺戮」を正当化する主張と、

重大な殺人を犯した者の命は奪えとの主張は根本的に矛盾する。


少なくとも、日本国憲法は第36条に、

「公務員による拷問及び残虐な刑罰は、絶対にこれを禁ずる」

と記している。

すべての市民は、死刑が「公務員による残虐な刑罰」にあたらないのかどうか、まずはよく考えてみるべきだ。

因みに自民党憲法改定案では、第36条が次のように改変されている。

第三十六条 公務員による拷問及び残虐な刑罰は、禁止する。

現行憲法との相違は、

「絶対に」

が消滅していることだ。

「絶対に禁止」ではなく、ただの「禁止」としたのは、「死刑」を例外とするためであると思われる。

「死刑」は「国家権力による殺人」である。

これを正当とするのか、不当とするのか、一人一人がよく考えるべきだ。

 

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コメント
 
1. 2016年10月08日 09:29:22 : Gir3rbMEVc : k6xo8uzGgoU[11]

   植草氏の意見には賛成できない。

   国家がルール(社会的取決め)を無視し、嘗てのような絶対的権力者として死刑を行なっているわけでは無い。国民主権の国家では社会的取決めを決めるのは主権者たる国民であり、国民による社会的取決めによって行なわれる死刑を「国家による殺人」というのは当たらない。

   問題にすべきは、「死刑廃止」という新しい社会的取決めが正当なものかどうかということだ。それを考えてみよう。

   その社会的取決めとは、あらかじめ「殺人者がどんなに残虐なやり方でどれだけ多くの命を奪っても、その殺人者の命は奪わないと約束する」という事だが、その社会的取決めは不当ではないか。

   例えば「女子高生を監禁して強姦し、嬲殺しにしてコンクリート詰めにする」、あるいは「押し入った家の主婦の命乞いに構わず殺して犯し、傍らで泣く赤子までも殺す」。

   こういった残虐な犯行で多くの『生きる権利』を奪おうとする殺人者に対し、あらかじめ「殺人者のあなたがどんなに人間の尊厳を傷つける残虐なやり方でどんなに多くの人の『生きる権利』を奪っても、あなたの『生きる権利』を奪わないと約束します」と言うような社会的取り決めが正当なものとは言えないだろう。



2. 2016年10月08日 12:49:38 : 0CejVRban6 : urcdmA9xc1s[616]
「国に対し、刑罰制度全体を、罪を犯した人の真の改善更生と社会復帰を志向するものへと改革するよう求める」

日弁連に賛成です。植草氏にも賛成です。
死刑廃止は当たり前。その上で、一度罪を犯した者がどうやったら、再犯しないか。社会に溶け込めるのか。それを刑罰制度だけでなく、社会システム全体として考えていきたいものです。
真に更生した者に対する就職や結婚時の差別もなくしたいです。
改名できる制度とか、教育を受けやすくする制度とか、過去をマスコミにバラされない権利とか、会社に犯罪歴を明かさない権利とか、色々考えられると思います。
そうやって、社会から少しでも犯罪をなくしていけば、誰にとっても住みやすい社会になるでしょう。

植草氏、がんばってください。応援しております。


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