★阿修羅♪ > 戦争b17 > 128.html
 ★阿修羅♪  
▲コメTop ▼コメBtm 次へ 前へ
凄惨な比島決戦 生還兵が見た「太ももの肉が削がれた日本兵の死体」〈週刊朝日〉
http://www.asyura2.com/16/warb17/msg/128.html
投稿者 赤かぶ 日時 2016 年 2 月 08 日 07:58:45: igsppGRN/E9PQ kNSCqYLU
 

                ルソンに立つ神風特攻隊の像(撮影/写真部・馬場岳人)


凄惨な比島決戦 生還兵が見た「太ももの肉が削がれた日本兵の死体」〈週刊朝日〉
http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20160208-00000005-sasahi-soci
週刊朝日 2016年2月12日号より抜粋


 フィリピンには7千もの島があり、日米両軍の戦闘はルソン島以外でも展開された。レイテ島はもちろん、大岡昇平の作品で知られるミンドロ島でも、観光地として有名なセブ島でも……。

 バナナの生産地として知られるミンダナオ島で凄惨(せいさん)な体験をしたのは、谷口末廣さん=東京都武蔵野市在住、95歳=だ。

 1944(昭和19)年9月。第133飛行場大隊に所属する谷口さんは、同島のバレンシア飛行場にいた。

 友軍機を待っていたところ、まるでカラスの群れのように40〜50機が頭上の空を覆った。

「おーい。友軍機がやってきたぞ」

 大声で叫ぶと、仲間たちが兵舎から飛び出してきて、飛行機に手を振った。

 ところが、その機体が急降下したかと思うと、バラバラッと爆弾や焼夷弾(しょういだん)を投下してきた。

 谷口さんは、身一つを守る穴(タコつぼ)に飛び込んだ。直後に爆弾が炸裂(さくれつ)し、降ってきた土に首まで埋まった。隣に首のない戦友がいた。

 米軍機による飛行場への爆撃は4、5日おきに続いた。滑走路は弾痕ででこぼこにされ、そのたびに穴埋め作業に追われた。

 年が明けると、米軍が島の南北から上陸し、本格的な攻撃が始まった。航空司令部は「飛行場を死守せよ」と言うばかり。4月下旬には、「山岳地に撤退して陣地を構築し、玉砕覚悟で徹底抗戦せよ」との命令が下った。

 岩石を積んだだけの粗末な陣地に身を潜めた。マラリアで伏せっていた部下の上等兵が谷口さんの手を握り、「班長殿、家内が迎えに来ましたので、お先に帰ります」とつぶやいて息をひきとった。煙が立つから荼毘にはふせない。せめて家族に遺骨を届けようと、手首を切り取って持ち歩いた。

 空爆は激しさを増し、航空司令部との連絡も途絶えた。6月下旬、大隊は解散した。間もなく、食料の監視役を銃剣で刺し、乾パンを奪う悲劇が起こった。

 それぞれ5、6人程度の人数で潜伏した。谷口さんらも、飛んでくる虫、自分の足に張り付いて血を吸うヒルをはがして煮て食べた。

 飢えと病気で兵隊がバタバタと死んだ。潜伏中、出会う遺体は、「命綱」だ。ポケットをあさり、ドロドロになった乾パンがあれば幸運。死人の周りをチョロチョロうごめく、爬虫(はちゅう)類を捕まえては食べた。

 生きた日本兵にも会った。6人ほどの兵隊が輪になって、虫の息の兵隊を囲み、爪をはがしている。谷口さんが「まだ生きているではないか」と声をかけると、一人が答える。

「ここまで連れてきたが、限界です。せめて遺骨代わりに……」

 倒れた兵隊は、痛みを感じているのかいないのか、目頭に小さな涙の玉が光っていた。これも極限状態における戦友愛なのか。

 8月に入ったころ、小高くなった尾根で3人の兵隊が飯盒(はんごう)を抱えて、うまそうに何かを食べていた。

 谷口さんら6人が、力を振り絞り、はうように近づくと、焼けた肉の匂いに喉が鳴った。

 一切れを分けてもらい、のみ込むように口に入れた。

「何の肉だ。大トカゲ、サル、鼠か」

 そう聞いても、彼らは「何でもいいじゃないか」と言うばかり。礼を伝えて歩きだすと、背中越しに笑い声が響いた。

 水を飲もうと谷に下りると、兵隊3人が顔を川に突っ込んだまま死んでいた。ふと河川敷を見て仰天した。まだ時間の経っていない飯盒炊爨(すいさん)の跡。そして傍らには、太ももの肉が削がれた日本兵の死体が横たわっていた。部下の一人が声を震わせた。

「こん畜生、よくもだましたな──」

 

  拍手はせず、拍手一覧を見る

コメント
 
1. 2016年2月08日 20:24:45 : aQq0UGoaxY : pNHEWTkf6T8[75]
戦争を煽った朝日新聞は、全く責任を取らなかった。
逆に「一億総ざんげ」などと他人のせいにして逃げてしまった。
当時も、新聞とラジオが国民を騙したのだ。

2. taked4700[5025] dGFrZWQ0NzAw 2016年2月10日 16:04:01 : BsvgutbRzY : o6sY2w1usB0[3]
>>01

>戦争を煽った朝日新聞は、全く責任を取らなかった。
>逆に「一億総ざんげ」などと他人のせいにして逃げてしまった。
>当時も、新聞とラジオが国民を騙したのだ。

朝日だけではなく、ほぼ全てのメディアが戦争をあおったのです。

日露戦争で日本が勝ったことを過剰に宣伝し、日本軍を皇軍と持ち上げたのが間違いのもと。結局、そうやった方が売り上げが上がったからで、一般市民は自分たちが偉いのだと思い込んで気分がいい。

それと、自分たちが日本を動かしていると勘違いした軍部が日露戦争の実情、つまり、ロシアの共産革命の影響などを隠ぺいしたことが重なり、結局、戦争への世論を止めることが出来なかった。

満洲出兵時点では、出征兵士の見送りが盛大に行われたが、太平洋戦争開戦時には、そういった盛大な見送りもなく、ある程度世界情勢に通じたものは誰もが勝ち目のない戦争だと考えていたという。悲劇だったのは一般市民で、アメリカの実情など知る由もなく、単に鬼畜英米とだけ教え込まれ、犠牲にされていった。

そもそも、太平洋戦争開戦時には、物資不足が常態化していて、一般家庭から鍋釜などの金属製品の供出がされていた。軍部も物資が続かないことは分かっていて、だからこそ、奇襲作戦をして、短期に戦争を終わらせることが当初の作戦だった。ところが、結局、短期に終戦交渉することが、国際的にできなかった。つまり、アメリカは長期戦に持ち込むことで、自国が戦場にならず、アメリカが戦後の支配国となれることを知っていた。

日本の支配層を含み、あまりに国際情勢を知らなすぎたことが全ての失敗のもと。自分たちの都合しか考えないのは未だに日本の支配層に色濃く残る特徴だと思う。


3. 2016年2月12日 02:14:08 : udV4eHFYhY : msromzFcpb4[5]
日本が日本人が本当の国際情勢を知らず、新聞がうそ報道を繰り返すことは先の大戦時と今、まったく変わっておりません。

  拍手はせず、拍手一覧を見る

フォローアップ:


★登録無しでコメント可能。今すぐ反映 通常 |動画・ツイッター等 |htmltag可(熟練者向)
タグCheck |タグに'だけを使っている場合のcheck |checkしない)(各説明

←ペンネーム新規登録ならチェック)
↓ペンネーム(2023/11/26から必須)

↓パスワード(ペンネームに必須)

(ペンネームとパスワードは初回使用で記録、次回以降にチェック。パスワードはメモすべし。)
↓画像認証
( 上画像文字を入力)
ルール確認&失敗対策
画像の URL (任意):
投稿コメント全ログ  コメント即時配信  スレ建て依頼  削除コメント確認方法

▲上へ      ★阿修羅♪ > 戦争b17掲示板 次へ  前へ

★阿修羅♪ http://www.asyura2.com/ since 1995
スパムメールの中から見つけ出すためにメールのタイトルには必ず「阿修羅さんへ」と記述してください。
すべてのページの引用、転載、リンクを許可します。確認メールは不要です。引用元リンクを表示してください。
 
▲上へ       
★阿修羅♪  
戦争b17掲示板  
次へ