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「テロ」の黒幕が米国の支配層だということはアル・カイダやグラディオの歴史を振り返れば明らか(櫻井ジャーナル)
http://www.asyura2.com/16/warb18/msg/167.html
投稿者 赤かぶ 日時 2016 年 7 月 04 日 10:37:30: igsppGRN/E9PQ kNSCqYLU
 

「テロ」の黒幕が米国の支配層だということはアル・カイダやグラディオの歴史を振り返れば明らか
http://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/201607020001/
2016.07.04 10:25:30 櫻井ジャーナル


 もし、本心から「テロリズム」を憎んでいるのなら、その大本であるアメリカ政府と対峙しなければならない。アメリカの破壊工作人脈こそが「テロリスト」を動かしている張本人なのだ。7月1日のダッカにおけるレストラン襲撃や6月28日にトルコのアタテュルク国際空港であった爆破ではダーイッシュ(IS、ISIS、ISILなどとも表記)とい名前が出ているが、本ブログで何度も書いたように、この武装集団を生み、育て、使ってきたのはアメリカ、イスラエル、サウジアラビアを中心とする国々の好戦派である。

【イスラム武装勢力】

 イスラム武装集団の生みの親と言える存在がズビグネフ・ブレジンスキーであり、そのメンバーは多くがサラフ主義者/ワッハーブ派やムスリム同胞団。ブレジンスキーはソ連の脅威を煽るために「危機の弧」という概念を使っていたが、これを考え出したのはプリンストン大学の教授でイギリス出身のバーナード・ルイスで、危機の弧とはイスラム諸国と接するソ連の南部国境地帯を指している。

 ルイスの影響を受けた人物の中には、国防総省内部のシンクタンク「ONA(ネット評価室)」で室長を務めていたアンドリュー・マーシャルやヘンリー・ジャクソン議員が含まれていた。このふたりを中心にしてネオコン/シオニストは強大化した。

 ルイスの考え方の基盤は、1904年にハルフォード・マッキンダーが発表した「ハートランド理論」。ヨーロッパ、アジア、アフリカの「世界島」、イギリスや日本のような島国を「沖合諸島」、そして南北アメリカやオーストラリアのような「遠方諸島」と言うように分け、「世界島」の中心が「ハートランド」、具体的にはロシアだとしている。世界制覇のためにはロシアを制圧する必要があるということだ。

 そのため、外側からハートランドを締め上げようと考え、「内部三日月帯」や「外部三日月地帯」を想定する。前者は西ヨーロッパ、パレスチナ(1948年にイスラエル建国を宣言)、サウジアラビア(サウード家のアラビアを意味するサウジアラビアが登場するのは1932年)、インド、東南アジア諸国、朝鮮半島をつなぐ地域で、後者はその外側。

 ブレジンスキーがこの理論に引かれた理由のひとつは彼の出自が関係している。彼自身はポーランドのワルシャワ生まれだが、一族はポーランド東部(現在はウクライナ)の貴族で反ロシア感情が強い。ロシアの制圧を戦略の軸に据えるマッキンダーの理論は魅力的に映ったのだろう。ここでブレジンスキーとネオコンは融合する。

 ブレジンスキーのプランに基づき、CIAが秘密工作を始めたのは1979年4月。(Alfred W. McCoy, “The Politics Of Heroin”, Lawrence Hill Books, 1991)ブレジンスキーの思惑通り、1979年12月にソ連軍の機甲部隊がアフガニスタンへ軍事侵攻、戦争が始まる。

 戦闘員を雇ったのはサウジアラビアで、この国の総合情報庁長官を務めていたタルキ・アル・ファイサルが責任者。その下で戦闘員を集めていた人物がオサマ・ビン・ラディンだ。後に「アル・カイダ」を指揮していると言われたが、このアル・カイダは戦闘集団でなく、オサマ・ビン・ラディンが戦闘を指揮するということも考え難い。ロビン・クック元英外相によると、アル・カイダはCIAから軍事訓練を受けた「ムジャヒディン」のコンピュータ・ファイルだ。

 ソ連軍と戦わせるため、CIAは戦闘員に爆弾製造や破壊工作の方法を教え、都市ゲリラ戦の訓練もしている。勿論、武器/兵器も提供したが、それだけでなく、麻薬取引の仕組みも作り上げた。ベトナム戦争の際、CIAは東南アジアの山岳地帯、いわゆる「黄金の三角地帯」でケシを栽培、ヘロインの密輸で資金を稼いでいたが、その拠点をパキスタンとアフガニスタンにまたがる山岳地帯へ移動させたのだ。ここは現在でも非合法ヘロインの主要供給地だ。この麻薬ルート上にはコソボがある。アメリカはコソボ乗っ取りでも麻薬取引を利用した。

 1988年にソ連軍はアフガニスタンから撤退、91年にソ連が消滅する。その後、アメリカの支配層は旧ソ連圏を支配下におきはじめ、チェチェンを含むカフカスを奪おうと画策し始め、再びサラフ主義者/ワッハーブ派やムスリム同胞団を中心とする武装集団が登場してくる。

【NATOの秘密部隊】

 ヨーロッパにおけるアメリカの破壊(テロ)活動は、主に「NATOの秘密部隊」が行ってきた。1941年6月にドイツ軍はソ連に対する電撃作戦「バルバロッサ」を開始、9月にはモスクワまで約80キロメートルの地点まで迫った。

 1942年8月にドイツ軍はスターリングラード市内へ突入して市街戦が始まるが、11月になってソ連軍が猛反撃、ドイツ軍25万人は完全に包囲され、43年1月に生き残った9万1000名の将兵は降伏した。そしてソ連軍は西へ進撃を開始する。

 慌てたアメリカの支配層は1944年6月にノルマンディーへ上陸(オーバーロード作戦)するが、その一方、イギリスとアメリカの情報機関(SOEとSO)はゲリラ戦を目的とするジェドバラを編成した。当時、レジスタンスはコミュニストが多かったため、これに対抗することが目的だったのだろう。

 第2次世界大戦後、ジェドバラの人脈は極秘の破壊工作組織OPCを創設、1950年10月にCIAへ吸収されて52年8月から計画局(The Directorate of Plans)と呼ばれるようになる。その後、1973年3月に作戦局(The Directorate of Operations)へ名称変更、2005年からNCS(国家秘密局)になった。

 OPCはヨーロッパに秘密工作を目的とするネットワークを作り、1948年まではCCWUが統括していた。NATOが創設されるとCPCの指揮下に入る。このCPCは欧州連合軍総司令部(SHAPE)と各国の情報機関を結ぶ役割を果たしているという。1950年代になると、秘密部隊の本部としてACCなる委員会が設置され、各国の情報機関はこの委員会で情報の交換を行っているとも言われている。NATO加盟国は秘密部隊を設置する義務があり、1960年代から80年代にかけて「極左」を装って爆弾攻撃を繰り返したイタリアのグラディオは中でも有名だ。

 この秘密部隊のネットワークが実際に存在していることが公的に認められたのは1990年10月のこと。フェリチェ・カッソン判事の求めを拒否できなくなったイタリアのジュリオ・アンドレオッチ首相が同年7月にSISMI(イタリアの対外情報機関)の公文書保管庫を捜索する許可を出し、その存在を否定できなくなったのだ。(Daniele Ganser, “NATO’s Secret Armies”, Frank Cass, 2005)

 アル・カイダ系武装集団にしろ、グラディオにしろ、アメリカが人心操作のために使っていることは秘密でもなんでもない。一時期はヨーロッパの有力メディアも取り上げて事実なのだ。「テロ」をテーマにしていながらこの事実に触れない人を私は信用しない。アメリカ政府が宣伝する「テロとの戦い」はお笑い種だ。

 

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コメント
 
1. 2016年7月04日 19:30:21 : Zdp8bcnNMg : U2u9@KNSCwo[4]
テロ組織 麻薬資金で 育て上げ

2. 2016年7月08日 18:35:25 : kqxnhQVNQI : QE_udeqx2ro[3]
アベ、想定内?
スガの動きも妙にスピンじみていたり。

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