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捕虜死亡率 / ドイツ軍:1・2%、日本軍:37・7%、ロシア:10%
http://www.asyura2.com/16/warb19/msg/451.html
投稿者 赤かぶ 日時 2017 年 1 月 02 日 23:51:30: igsppGRN/E9PQ kNSCqYLU
 

捕虜死亡率 / ドイツ軍:1・2%、日本軍:37・7%、ロシア:10%
http://blog.goo.ne.jp/nrn54484/e/270d2ee1778d77b111c5278a6dd31417
2017年01月02日 のんきに介護


J.S.エコハ
‏@JS_Ecoha さんのツイート。

――ドイツ軍の捕虜となったアメリカ兵の死亡率は1.2%にすぎない。ところが、日本軍の捕虜となったアメリカ兵の死亡率は37.7%にのぼる。捕虜になる文化が日本兵になかったこともあるが、自国の軍人さえ大切にしない日本軍の性格が、どうしても、そのまま捕虜への虐待につながってくる。〔12:05 - 2017年1月1日 〕—―

これを受けて、

Simon_Sin‏@Simon_Sin さんが

こんなツイート。

――過酷だと言われているシベリア抑留の日本兵の死亡率は10%。ソ連軍よりも過酷なのが日本軍の捕虜収容所だったのですな〔19:31 - 2017年1月1日 〕—―





































 

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コメント
 
1. 2017年1月03日 10:40:42 : qe3oHuwqL6 : ZOQAtu@dwPo[2]
まともに国際法を教えず「生きて不慮の辱めを受けず」と教えられた日本の兵隊。こんな教えを受けていれば捕虜を虐待するのに抵抗感はないだろう。

日本の皇軍の教えを受けていた人間が捕まったら精神が崩壊し、逆に何でもしゃべってしまったとの報告もある。

戦後すぐには捕虜になっても力を尽くし生き抜いた人間の映画はいくつもあった。
クワイ川マーチとか。マケインは大統領候補になるのに自身の捕虜経験を宣伝につかった。


2. 2017年1月03日 11:35:28 : Uth8eW5rTM : nMv1Hu096QY[32]
アメリカ軍やオーストラリア軍の捕虜死亡率が書かれていない。
アメリカ軍やオーストラリア軍の日本兵や日本人の一般住民に対する虐殺は下のサイトに沢山書かれている。
米兵はサイパン島で日本人婦女子らを大虐殺した。
日本本土での米軍の大虐殺よりは人数は少ないが。

アメリカ軍やオーストラリア軍の蛮行
http://seitousikan.blog130.fc2.com/blog-entry-162.html
【サイパン】米兵、婦女子らに残虐行為
昭和19年7月9日、元陸軍大尉(独立混成第47旅団)の
田中徳裕(のりすけ)氏らが山の中腹の洞窟から眼下の
バナデル飛行場で繰り広げられた惨状を証言
『我ら降伏せず サイパン玉砕戦の狂気と真実』田中徳裕著(立風書房 昭和58年)

昭和19年6月15日午前8時45分、チランカノアの海岸に、
約3個師団と推測される敵兵が上陸してきた。
そこからサイパン島の陸上戦が始まった。

当時はサイパン島には砂糖工場があり日本人も居住していた、
民間人がいたことでかなり悲惨な結果になってしまった。

7月9日、このころには日本軍の組織的な抵抗は無くなり
掃討戦の様相をあらわしてきた。

敵は流ちょうな日本語でジャングル地帯に童謡を流し
投降を促す放送を流し始めた。
日本軍は組織的な抵抗は捨て、
洞窟に、数人、あるいは数十人ぐらいが生き残り潜んでいた。

米軍は日本人に対し、戦争が終わりサイパン島は米軍の手に落ちたこと、
隠れている日本人に投降を勧めました。
「投降すれば、立派な衣服や、美味しい食料も充分に与えます。
もはや犬死にすることはない、
今や死んでも花実は咲きません。みなさんの投降を待っています」

その後に、兎追いしかの山、と続く童謡を流し始めました。
これには潜んでいた日本軍も参ってしまった、
その後、桃太郎、天然の美、荒城の月などが流されたそうです。
「米軍は虐待しません。命が大切です。早く出て来てください。」

投降を勧める放送は再三繰り返されたが日本軍は、
その放送を頭から否定した。むしろ敵愾心がわいてきたそうです。

投降呼び掛けの放送とはうらはらな、
人道上許し難い残虐な行為をしだした。
日本軍はバナデル飛行場を見下ろせる洞窟にいて、
その距離1キロ位先で展開された。

そこへ、三方から追い込まれた数百の住民が逃げ込み、捕われの身となった。
幼い子供と老人が一組にされ、滑走路の奥へ追いやられた。
婦女子が全員、素っ裸にされた。

そして、無理やりトラックに積み込まれた。
そして無理矢理積み込まれた順にトラックは走り出した。
婦女子全員が、トラックの上から
「殺して!」「殺して!」と絶叫している。

その声がマッピ山にこだまし、
次つぎとトラックは走り出し、彼女たちの声は遠ざかっていた。
なんたることをするのだ、
小銃だけではどうすることもできず、此方の位置も知れてしまう。
この悲劇をただ見守るしかなかった。
(この婦女子はその後一人として生還しなかった)

婦女子が連れ去られたあと、
こんどは滑走路の方から、子供や老人の悲鳴があがった。
ガソリンがまかれ、火がつけられた。
飛び出してくる老人子供たち。
その悲鳴。

「米軍は虐待しません、命が大切です。早く出てきなさい」
の投降勧告の意味は一体なんだったのか。

常夏の大空をこがさんばかりに燃え上る焔と黒煙。
幼い子供が泣き叫び、絶叫する。断末魔があがる。
残虐な行為は凄絶をきわめた。

火から逃がれ出ようとする子供や老人を、周囲にいる敵兵は、
ゲラゲラ笑いながら、また火の中へ突き返す。
かと思えば、死に物狂いで飛び出してくる子供を、
再び足で蹴り飛ばしたり、
銃で突き飛ばしては火の海へ投げ込んでいる。

二人の兵隊が滑走路のすぐ横の草むらに
置き去られて泣いている赤ん坊を見つけ出し、
両足を持って、真二つに引き裂いて火の中へ投げ込んだ。
「ギャッ」という悲鳴。
人間がまるで蛙のように股さきにされ殺されてゆく。

彼らは、それをやっては大声で笑った。
無気味に笑う彼らの得意げな顔が、鬼人の形相に見えた。

〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓

連合軍が日本兵を捕虜にせず殺害しまくった例は枚挙に暇がない。

カリフォルニア大学のダワー教授はその著『人種偏見』において、
連合軍側の虐殺行為を詳しく紹介している。

例えば、すでに米軍の支配下にあった島に、
仲間とはぐれた日本兵を一人放ち、
その兵士が身の安全を求めて
狂ったように駆け出すところを銃の標的として楽しんだ。

ペリリュー島や沖縄の激戦地で、
米軍兵士は日本兵の死体から
手を切り取って戦果のトロフィーとする、金歯を漁る、
死体のあいた口めがけて小便をする、恐れおののく沖縄の老女を撃ち殺し、
「みじめな生活から逃れさせてやっただけだ」と気にもとめない、
といった具合である。

太平洋地域担当の従軍記者エドガー・L・ジョーンズは、
一九四六年一昭和二十一年一の『アトランティック・マンスリー』誌に、
「われわれは捕虜を容赦なく撃ち殺し、
病院を破壊し、救命ボートを機銃掃射し、
敵の民間人を虐待、殺害し、傷ついた敵兵を殺し、
まだ息のある者を他の死体とともに穴に投げ入れ、
死体を煮て頭蓋骨をとりわけ、
それで置き物を作るとか、
または他の骨でぺーパーナイフを作るとかしてきたのだ」と書いた。

これらの陰湿な虐殺行為は政府によって公認されたこともあった。

ジョン・ダワー教授はいう。
「ブーゲンビルで投降しようとして殺された負傷兵の場合のように、
日本兵殺害の中には上官の命令下に行なわれたもの、
あるいは少なくとも上官が事後承認を与えたものがあった。
たとえば日本の輸送船を沈め、その後一時間以上もかけて何百何千という
生き残り日本兵を銃で撃ち殺したアメリカの潜水艦艦長は、
この虐殺をその公式報告書に記録し、
しかも上官から公の賛辞を与えられている。」

さらに、ダワー教授はこう述べる。

「連合国側の虐殺行為は何ら罪を問われず、免責されたままだ。
そして、補虜虐待について言えば、それでなくとも物資不足に喘ぎ、
補虜を受け入れるだけの設備も食糧も不足していた日本側が
それでも交戦法規を忠実に守って、
大量に投降してくる敵兵を捕虜にしたからこそ
様々な問題が生じたのである。 」


3. 2017年1月03日 12:26:45 : HjtvxzK2BM : msV1Ub_4ESM[1]
ドイツ軍に捕まったソ連軍捕虜の死亡率は約60%。
死者は300万人以上。
ドイツ軍の方が圧倒的に捕虜の扱いは酷い。

4. 2017年1月03日 23:40:25 : FlPXyKd1Ek : acira9gl6H4[1]
くそうよ

日本軍は自軍の兵士さえ殺しただろう。

だいたいおめえらみたいなヘタレから内務班でしごかれて首を吊るんだよ。


5. 2017年1月05日 00:44:34 : vHWHxK3glO : LIvCT9tkJps[1]
ドイツ軍に囚われたソ連軍の捕虜の死亡率は約60%で死者は約300万人。
同じくソ連軍に囚われたドイツ軍捕虜の死亡率は約40%で死者は約100万人。
明らかに自分の主張に都合の良い数字を切り貼りして日本軍の捕虜死亡率が
高く見えるように操作しているな。
卑劣な奴だ。

6. 2017年1月05日 01:26:47 : hiMJeiC8rA : E4aHfSbRQIU[43]
ドイツの場合は、いわゆる「収容所」も実際は敵国民(送還先の国が存在しない国民も含む)または敵性国民収容所だったわけだから、
そこでの病死率とかを加えれば死亡率はもっと高いでしょう

600万人かどうかは知らないけれど


7. 2017年1月06日 08:56:19 : RzOr01j02A : X0rqIHJ31aI[327]
捕虜を取らないのが米軍の方針だったようです。
投稿兵は無差別に殺されていたというのが
その後の玉砕戦をみても、
およそ察しがつくことと。


チャールズ・リンドバーグ 太平洋戦争の日記 〜日本軍捕虜の実態〜
https://www.youtube.com/watch?v=7IVxslZeZoU


8. 2018年10月12日 18:47:53 : Y1wdEJ3ETY : 4NBjeSmpvDU[1] 報告
10年ほど前に80代の男性から、九州で戦闘機が不時着し捕虜になった米兵を刀で切り殺した話を聞いたことがある。
本人は「自分ではなく聞いた話し」としていたが、この人が切り殺したんだな、と伝わるものがあった。
仕事がら戦争体験者の実体験を聞く機会が多いが、このような残忍な行為の場合、「自分がやった」と話す者はいない。必ず「聞いた話しだが」となる。
その人に「従軍慰安婦はいたのか?」と尋ねると「いた、いた」と大きく頷き、「聞いた話しで自分ではないが」と言いながら実態を詳しく教えてくれた。聞き終わった後に吐き気がした。
9. 2018年10月13日 20:20:36 : BwdFe3s7iM : s272fjdPvU0[4] 報告
>>3

ヒトラーの人種理論からすると、ロシア人(スラブ系)はアングロより一段劣る列島人種だからね。
相手の人種よって捕虜の扱いが違ったって有名だよ。

10. 2018年10月13日 20:24:40 : BwdFe3s7iM : s272fjdPvU0[5] 報告
東京裁判でも問題になってるし、B級C級戦犯の問題ね。
日本軍の悪いところは認めたうえで、
連合軍の残虐行為を指摘しないとな。

>虐待だらけだった中国軍や無差別爆撃の米軍については何も無かったように言う日本の左翼はオカシイ。特に対中国ではそう。100%スルー

少なくとも米軍の無座別爆撃についてはさんざん指摘されてきたし非難されてきたぞ、左翼の間では。むしろ戦後の親米政権がその問題に蓋をしたんだけど。

11. 2018年10月13日 22:26:51 : dDn2b2QZBA : Z@LsjbjNSmE[40] 報告
統計が本物か疑問だが、そもそもアメリカ軍の戦いがどんなものだったか日本人は知らな過ぎる。
日本軍との戦いでは捕虜を取らない方針。皆殺しが基本。
民間人も同様。
わずかに生き残った民間人を工作員として育成する。

支配者として家来を操る術を心得ているのがアメリカ人。
善意を持って接し相手を怒らせてしまう日本人が叶う相手ではない。

明治以降徐々に日本国内のシンパを増やしたアメリカ。
国家戦略を持てなかった日本は戦えば必ず負ける状態だった。
敗戦後属国化して自らの国家戦略を持つ必要が無くなった日本。
誰が総理になっても務まるという政治家にとっての楽園が出現してしまった。

12. ぢっとみる[271] gsCCwYLGgt2C6Q 2018年10月14日 12:45:25 : LLC16YRhF6 : 2yUQTAqpjc8[271] 報告
> 過酷だと言われているシベリア抑留の日本兵の死亡率は10%。

小学二年生の時にシベリア抑留の話を聞いた。
シベリアなんかに連れて行かれたら、
日本人はみんな死んでしまったんだろうと思った。
後で調べてみたら、
帰ってこられた人が半分以上もいるのだと、ひどく驚いた。
シベリアでは、普通でも、半分くらいは、絶対に確実に死んでしまうと思っていたから。
そこで、日本人は意外と丈夫なのだろうか?と思った。
やっぱり、コドモの考えだ。

統計の数字が、30だ、60だ、37.7だと、
こだわり過ぎると…
こっちは「さほど」悪くない、あいつらの方が「より一層」悪い、
という主張がしたいだけに見えてしまう。

確かなのは、
「捕虜」は、元々は「敵」だったものだ。
相手に対して当然、敵愾心もある。
仲間を殺されたという怨み、憎しみ、無念さもある。
自分も殺されていたかもしれない、この先、殺されるかもしれないという恐怖心もある。
自分が生殺与奪の権を握っているという優越感もある。
あるいは、反対に何らかの劣等感が底にあるかもしれない。
または、普通に考え付くような優越感から生じる差別意識ではなく、
元々持っていたものか、あるいは軍隊の中、
戦争という「異常」な状況の中で、生まれたか増幅されたかした優越感/劣等感からくる差別意識もあるかもしれない。
とにかく、放っておけば、単に殺すだけでは済まなくなる。
あらゆる残虐行為に及んでしまうだろう。

正規の「戦争」は国家が国家に対して行うものだ。
だから、「ルール」が絶対に必要だ。
守らないかもしれない、守れないかもしれないなどという、個人的なレベルの話ではなく、決められたルールが「厳として」あるということが肝要だ。
そこで、「国家」として、アチラの方がウチより多い/少ないと申し立てるのは、他国から見て「得策」とは言えない。
相手側が言わば「お相子」と見なしてくれた場合には、ただ、頭を下げれば良いが、
「そら見たか」と高揚するようでは、元の木阿弥になってしまう。
他国には“禊は済んだ”というのは通用しない。
相手が取り立てて言挙げしなくなっても、それについて、“日本式”に、事実が消えて無くなってしまったような解釈はできない。

--------------------

日本は1929年の「俘虜の待遇に関する条約」を署名はしたものの、批准は行わなかった。

ソ連は「戦地軍隊における傷病者の状態の改善に関する条約」には加盟していたが、
「俘虜の待遇に関する条約」には署名をしていない。
その代わりに、ベラルーシ中央執行委員会とソ連人民委員会議で、
1929年の「俘虜の待遇に関する条約」をなぞる形ではあるが、異同のある、
独自案の「俘虜に関する法令」を1931年3月19日に承認した。

しかし、ソ連が1929年の「俘虜の待遇に関する条約」に署名していないのは、広く知られた事実だったので、
ソ連に侵攻後に、ナチスが捕虜に対する残虐、非道行為を行う時の口実として利用されてしまった。
その結果、双方による非難合戦が始まり、自国民に対しての戦意高揚のプロパガンダもエスカレートして行き、
一層、事態が過激化されてしまったという。

日本が「俘虜の待遇に関する条約」批准には至らなかったものの、
署名は行っているということから、
米国との開戦後に、米英から条約の遵守に関する日本の方針について、
利益代表国を通じて問い合わせが来たというのも、
上のソ連、ナチスの例を踏まえての事だっただろう。

では何故、ソ連、日本は「俘虜の待遇に関する条約」に加盟しなかったのか。

ソ連政府については、「ハーグ陸戦条約」に既に加盟済みだったし、
それに総ての重要事項が網羅されているとの判断だった。

日本は、軍部の反対だけが理由で批准されなかったわけではなく、
天皇の諮詢を受けてから開かれる枢密院会議で審議のうえ、
その反対意見を上奏した結果、批准されなかった。
当時の日本においての批准権者は天皇であった。

卑近な表現を使えば、
こっちは捕虜になんてならないのに、
あっちが捕虜になって良い待遇を要求できるのは、
不公平だ。こっちの損だ。
ということが理由だ。

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