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シャルル・アズナヴール 名曲集
http://www.asyura2.com/17/ban7/msg/331.html
投稿者 中川隆 日時 2018 年 10 月 21 日 17:31:14: 3bF/xW6Ehzs4I koaQ7Jey
 

(回答先: ポール・マッカートニー 名曲集 投稿者 中川隆 日時 2017 年 8 月 09 日 11:35:44)

Charles Aznavour - YouTube 動画
https://www.youtube.com/results?search_query=Charles+Aznavour


シャルル・アズナヴール(Charles Aznavour, 1924年5月22日 - 2018年10月1日)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B7%E3%83%A3%E3%83%AB%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%82%A2%E3%82%BA%E3%83%8A%E3%83%B4%E3%83%BC%E3%83%AB

シャルル・アズナヴールは、フランス・パリ出身のシンガーソングライター・俳優。
アルメニア系で、本名はシャアヌール・ヴァリナグ・アズナヴーリアン(Shahnour Varinagh Aznavourian)。


経歴

アズナヴールの父はグルジア(現:ジョージア)で生まれた。その父(アズナヴールの祖父)はロシア帝国皇帝であったニコライ2世のコックをしていたという説があるが、アズナヴール本人が否定している。

母はアルメニア系トルコ人の商人の家系である。

第一次世界大戦とロシア革命による内戦と混乱を逃れた彼らはアメリカ行きのビザを申請するためパリに滞在している時に知り合い、1922年に結婚した。

アズナヴールの両親は、早くからアズナヴールとその兄弟を彼らがパリに持つレストランや多くの舞台に立たせた。9歳より芸能活動を開始し、アズナヴールの芸名を名乗る。

1946年にフランスの有名な女性歌手エディット・ピアフに認められたことにより、アズナヴールの経歴はより著名なものとなっていった。ピアフのフランスおよびアメリカでのツアーに同伴した。

アズナヴールのシャンソンはそのほとんどが愛を謳い上げており、また60本以上の映画にも出演している。母国語の仏語だけでなく英語等も堪能で、5つの言語で歌い、アズナヴールは最も世界に知られたフランスのシャンソン歌手の1人でもあった。

1995年以来、アルメニアの駐ユネスコ大使を務めている。また、2009年2月15日、ロシアのインタファクス通信等の報道によると、アズナヴールの母方の祖国であるアルメニア共和国政府は、アズナヴールを同国の駐スイス大使に任命することを決定した。

結婚は3回している。最初の妻ミシュリーヌとは1940年代に結婚、次の妻エブリンとは50年代に再婚、晩年まで添い遂げた最後の妻ウラとは60年代に再々婚した。3回の結婚でもうけた子供は計6人いる(長女セダ、長男チャールズ、次男パトリック、次女カティア、三男ミーシャ、四男ニコラス)。

2018年、日本政府から春の叙勲で旭日小綬章を受章[1]。

2018年5月には腕を骨折して一時療養するも、活動復帰。9月には来日し、17日の東京のNHKホール及び19日の大阪のNHK大阪ホールでのコンサートを行い、帰国後の28日のテレビ番組インタビューでも引退を考えていないことを明言するなど精力的な姿勢をみせていた(結果的にこれがアズナヴールの最後のコンサートになってしまった)。

2018年10月1日、南フランスの自宅で死去[2]。94歳没。死因は、入浴中に生じた呼吸不全と心不全であった[3]。アズナブールの葬儀は、10月5日に[4]、フランス共和国の国葬としてパリのオテル・デ・ザンヴァリッドで営まれ[5]、エマニュエル・マクロン大統領と大統領夫人が葬列に加わった他[5]、アズナブールの母国であるアルメニアのニコル・パシニャン(英語版)首相などの多くの要人が参列した[5]。


代表曲

愛のために死す(炎の恋) Mourir d'aimer - アンドレ・カイヤット監督の同名の映画にインスパイアされて製作。日本封切時にはこの曲が主題歌に使われた。
アヴェ・マリア Ave Maria
イザベル Isabelle
生命にかけて Sur ma vie
想い出の瞳 Et pourtant
想い出をみつめて Mes emmerdes
帰り来ぬ青春 Hier encore - ロバート・アルドリッチ監督、バート・レイノルズとカトリーヌ・ドヌーヴ主演のアメリカ映画『ハッスル』(Hustle, 1975年)の挿入歌として使用された。
哀しみのヴェニス Que c'est triste Venise
希望に満ちて Je m'voyais déjà
声のない恋 Mon emouvant amour
コメディアン Les comédiens
じっとこうして Reste
ジュザベル Jezebel
青春という宝 Sa jeunesse
世界の果て Emmenez-moi
遠い想い出 Non, je n'ai rien oublié
人々の言うように Comme ils disent
フォー・ミー・フォーミダーブル For me formidable
二つのギター Les deux guitares
昔かたぎの恋 Les plaisirs démodés
ラ・ボエーム La bohême
ラ・マンマ La mamma
私は旅する Je voyage
私は一人片隅で Et moi dans mon coin
酔いしれて
忘れじのおもかげ(シー) She - イギリスの連続TVドラマ「女の七つの顔」のために作られ、その後さらにエルヴィス・コステロがカバーし映画『ノッティングヒルの恋人』の主題歌としてリバイバル・ヒット、また仏語詞が後で付けられている(Tous Les Visages De L'amour)。

1964年にアズナヴールが作詞(作曲は、ジョルジュ・ガルヴァレンズ)した「アイドルを探せ」(La plus belle pour aller danser)も、シルヴィ・ヴァルタンが唄って大ヒットした。


主な出演作品

ピアニストを撃て Tirez sur le pianiste (1960年)
オルフェの遺言 Le Testament d'Orphée(1960年)
フランス式十戒 Le Diable et le Dix Commandements(1962年)
アイドルを探せ Cherchez l'idole(1963年)
キャンディ Candy (1968)
ブリキの太鼓 Die Blechtrommel(1979年)
シャレード The Truth About Charlie(2002年) - 本名で登場し歌も披露した。
アララトの聖母 Ararat(2002年)
ゴリオ爺さん Le Père Goriot(2004年)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B7%E3%83%A3%E3%83%AB%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%82%A2%E3%82%BA%E3%83%8A%E3%83%B4%E3%83%BC%E3%83%AB
 

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コメント
1. 中川隆[-13382] koaQ7Jey 2018年10月22日 11:22:10 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-19453] 報告

2018年 10月 20日
想い出のシャルル・アズナヴール 1
https://tannoy.exblog.jp/30115720/

アズナヴールが遂に召されました。1924年(大正13年)生まれでしたから今年94歳でした。葬儀は歴代の大統領も参列したフランスの国葬として営まれました。棺は三色旗に包まれ、儀仗兵に担がれナポレオンも眠る由緒正しい傷病兵の病院と寺院の中庭で行われました。文字通りのフランスを代表する歌手でした。

会場では、最後に彼の曲”Emmenez-moi"が歌われ、見送りの歌となりました。最期に地の果ての楽園へと旅だったのです。この曲を聴いたのが、ちょうど50年前の彼の公演でした。アズナヴールの曲は、常に私の中で消えない炎のように燃え続けています。


Hommage à Aznavour Emmenez-moi interprétée par la Garde républicaine - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=7c6o6bt9ybA


Emmenez-moi   世界の果てに  Charles Aznavour  

Vers les docks où le poids et l'ennui

Me courbent le dos

Ils arrivent le ventre alourdi

De fruits les bateaux


  重圧と憂鬱が

  僕の背を曲げさせている

  ドックに

  果物を満載した船が着く


Ils viennent du bout du monde

Apportant avec eux

Des idées vagabondes

Aux reflets de ciels bleus

De mirages


  船は世界の果てからやって来た

  幻影の

  青空の輝きへの

  とりとめもない思いをも

  もたらしつ


Traînant un parfum poivré

De pays inconnus

Et d'éternels étés

Où l'on vit presque nus

Sur les plages


  人々が海辺で

  裸同然で暮す

  見知らぬ国の

  常夏の国の

  胡椒の香りをもたずさえて


Moi qui n'ai connu toute ma vie

Que le ciel du nord

J'aimerais débarbouiller ce gris

En virant de bord


  僕は今までずっと

  北国の空しか知らなかったから

  方向転換して

  この灰色の世界から抜け出したかった


Emmenez-moi au bout de la terre


Emmenez-moi au pays des merveilles

Il me semble que la misère

Serait moins pénible au soleil


  僕を地の果てに連れてって

  僕をすばらしい国に連れてって

  辛いことも

  少しはましになりそうだ太陽の下でなら


Dans les bars à la tombée du jour

Avec les marins

Quand on parle de filles et d'amour

Un verre à la main


  日暮れに酒場で

  船乗りたちと

  グラス片手に

  女や恋のことを話していると


Je perds la notion des choses


Et soudain ma pensée

M'enlève et me dépose

Un merveilleux été

Sur la grève


  物事の観念を失い

  そして僕の思いは突然

  僕をさらって

  目くるめく夏の

  砂浜に連れて行く


Où je vois tendant les bras

L'amour qui comme un fou

Court au devant de moi

Et je me pends au cou

De mon rêve


  そこで僕は腕を差し伸べつつ目にする

  狂人のように

  僕の前を走り去る恋を

  そして僕はすがりつく

  自分の夢に


Quand les bars ferment, que les marins

Rejoignent leur bord

Moi je rêve encore jusqu'au matin

Debout sur le port


  酒場が閉まり、船乗りたちは

  船に戻るが

  僕は港につっ立って

  明け方まで夢を見続ける


Emmenez-moi au bout de la terre


Emmenez-moi au pays des merveilles

Il me semble que la misère

Serait moins pénible au soleil


  僕を地の果てに連れてって

  僕をすばらしい国に連れてって

  辛いことも

  少しはましになりそうだ太陽の下でなら


Un beau jour sur un rafiot craquant

De la coque au pont

Pour partir je travaillerais dans

La soute à charbon


  いつの日か、船体から甲板までが

  ギシギシときしむぼろ船に乗って

  出発するために僕は働こう

  炭倉で


Prenant la route qui mène

À mes rêves d'enfant

Sur des îles lointaines

Où rien n'est important

Que de vivre


  子供の頃の夢へ

  僕を運んでくれる道を辿り

  はるかな遠い島へと向かう

  そこでは生きていることだけが

  大切で


Où les filles alanguies

Vous ravissent le coeur

En tressant m'a-t-on dit

De ces colliers de fleurs

Qui enivrent


  そこでは物憂げな娘たちが

  心酔わせる

  花輪を編んで

  ひとの心を奪うという


Je fuirais laissant là mon passé

Sans aucun remords

Sans bagage et le cœur libéré

En chantant très fort


  僕はここに過去を捨てて去る

  なんら悔いを残さず

  荷物も持たず解き放たれた心で

  声高々に歌いながら


Emmenez-moi au bout de la terre

Emmenez-moi au pays des merveilles

Il me semble que la misère

Serait moins pénible au soleil


  僕を地の果てに連れてって

  僕をすばらしい国に連れてって

  辛いことも

  少しはましになりそうだ太陽の下でなら


lalalalalalalalalalalalalala...


  ラララララララララララ…


訳詞 copyright © 2018 朝倉ノニー

Charles Aznavour - Emmenez-moi live 1998 - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=0lA7T2xc2xc

これは1998年、彼がまだ74歳の時のエネルギーあふれる公演です。

2007年、彼が83歳の時の公演を最後だと思って観に行きました。その9年後の2016年、91歳の時に最後の公演と銘打って、また来日されました。さすがに、90歳も過ぎてエネルギーも落ちては来ましたが、それでもアズナヴールでした。


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それも驚きでしたが、今年の五月、再度来日公演が告げられたのです。ところが、その来日直前に足を骨折して延期され、その公演が九月に東京と大阪のNHKホールで開かれたのです。私は、2007年の完璧な想い出を保つため、敢えてこの公演は行きませんでした。しかし、その大阪公演が、彼の生涯最後のコンサートになったのです。


1968年の初来日から、何度となく日本に足を運んでくれました。1972年の来日公演の時、今は無いサンケイホールの楽屋口で、握手したときの厚く大きな手を覚えています。あのときは精悍な顔つきでした。

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by TANNOY-GRF| 2018-10-20 16:49| 好きなレコード | Comments(1)


Commentedby パグ太郎 at 2018-10-21 06:20 x

おはようございます。10/1に亡くなられてから、blogでも触れられず、お邪魔した時(ちょうど葬儀のあった日でしたね)にも一言もなかったので、GRFさんの中でこの事を受け入れる整理をしておられるのだろうなと勝手に思っていました。
偉大なアーティストでした。ご冥福をお祈りします。
https://tannoy.exblog.jp/30115720/

2. 中川隆[-13381] koaQ7Jey 2018年10月22日 11:28:08 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-19453] 報告

2018年 10月 21日
想い出のシャルル・アズナヴール 2
https://tannoy.exblog.jp/30116452/


シャルル・アズナヴールを始めて知ったのは東京オリンピックの頃でした。シルヴィ・バルタンの「アイドルを探せ」という映画で、1964年に封切られていますが、阿佐ヶ谷の二流館のオデオン座にその年の内に来たのは定かではありません。ビートルズがやってくる ”A Hard Day's Night”と同じ頃だったとも思います。その映画の中で最後に出てくる冴えないおじさんが歌った、「エ・プルタン」という曲を聴いたとき、雷に打たれた様に驚きました。


Charles Aznavour - Et pourtant - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=27J3i4xGDA0

驚いたのは、その冴えないおじさんが、熱烈な恋の歌を朗々と歌ったからです。驚きのまま、エンドタイトルを見たら、Charles Aznavourと書かれていました。「アイドルを探せ」のレコードも買ったのですが、そのおじさんがその頃ラジオで頻繁に流されていた「イザベル」を歌っている人だと始めて知ったのです。


https://www.youtube.com/watch?v=g_hfQNMthC4
Charles Aznavour à l'Olympia 1963 - Et Pourtant - YouTube


Olympia 1963 - Et Pourtant Henry Byrs (piano)


Et pourtant    だけど (想い出の瞳)

Charles Aznavour  シャルル・アズナヴール

Un beau matin je sais que je m’éveillerai

Différemment de tous les autres jours

Et mon cœur délivré enfin de notre amour

Et pourtant, et pourtant

Sans un remords, sans un regret je partirai

Droit devant moi sans espoir de retour

Loin des yeux loin du cœur j’oublierai pour toujours 

Et ton cœur et tes bras

Et ta voix

Mon amour


  ある朝 僕は目が覚めるだろう

  ほかの日と違ったふうに

  そして僕の心は僕らの恋からついに自由になる

  だけど、だけど

  後悔もなく、未練もなく僕は出て行く

  まっすぐ前を向いて、戻る望みももたずに

  日毎に遠くなり 僕は永遠に忘れるだろう

  君の心も 君の腕も

  君の声も

  愛する人よ


Et pourtant, pourtant, je n’aime que toi

Et pourtant, pourtant, je n’aime que toi

Et pourtant, pourtant, je n’aime que toi

Et pourtant


  だけど、だけど、僕は君しか愛さない

  だけど、だけど、僕は君しか愛さない

  だけど、だけど、僕は君しか愛さない

  だけど


J’arracherai sans une larme, sans un cri

Les liens secrets qui déchirent ma peau 

Me libérant de toi pour trouver le repos

Et pourtant, et pourtant

Je marcherai vers d’autres cieux, d’autres pays 

En oubliant ta cruelle froideur

Les mains pleines d’amour j’offrirai au bonheur

Et les jour et les nuits

Et la vie

De mon cœur 


  皮膚を傷つけながらも 僕は涙も流さず、叫びもせずに

  隠れたきずなを引きはがし

  休息を見出すために君から自分を自由にする

  だけど、だけど

  僕は異郷へと、他国へと向かって歩む

  君のつれない冷たさを忘れるために

  愛でいっぱいの両手を

  大事な人の幸福のために

  その人の昼と夜と

  人生のために差し出すだろう


Et pourtant, pourtant, je n’aime que toi

Et pourtant, pourtant, je n’aime que toi

Et pourtant, pourtant, je n’aime que toi

Et pourtant


  だけど、だけど、僕は君しか愛さない

  だけど、だけど、僕は君しか愛さない

  だけど、だけど、僕は君しか愛さない

  だけど


Il faudra bien que je retrouve ma raison 

Mon insouciance et mes élans de joie

Que je parte à jamais pour échapper à toi 

Et pourtant, et pourtant


Dans d’autres bras quand j’oublierai jusqu’à ton nom 

Quand je pourrai repenser l’avenir

Tu deviendras pour moi qu’un lointain souvenir

Quand mon mal et ma peur

Et mes pleurs

Vont finir


  僕は自分の理性や

  気楽さや歓びの高まりをまた見出さなければならない

  永遠に君から逃れるために

  だけど、だけど

  ほかの人の腕のなかへと その時僕は君の名すら忘れているだろう

  その時僕は未来のことをまた考えられるだろう

  君は僕にとって遠い思い出に過ぎなくなる

  その時僕の苦しみや僕の恐れや

  僕の涙は

  終わりを告げる

Et pourtant, pourtant, je n’aime que toi

Et pourtant, pourtant, je n’aime que toi

Et pourtant, pourtant, je n’aime que toi

Et pourtant


  だけど、だけど、僕は君しか愛さない

  だけど、だけど、僕は君しか愛さない

  だけど、だけど、僕は君しか愛さない

  だけど

訳詞 copyright © 2018 朝倉ノニー

Charles Aznavour - Et pourtant (1963) - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=Ls2uYR5J5E0


この歌詞を聞き込んで行く内に、韻を踏むという詩の約束をしながら、体言止めで想いを伝えるという歌詞の素晴らしさを学んだ気がします。フランス語が得意では無くとも、この部分を韻を踏んで発言すると、アズナヴールの素晴らしさが心に伝わってきます。

Et ton cœur et tes bras

Et ta voix

Mon amour

Et les jour et les nuits

Et la vie

De mon cœur 

Quand mon mal et ma peur

Et mes pleurs

Vont finir


それでも、それでも、僕は君しか愛していない!と繰り返すのです。


Et pourtant, pourtant, je n’aime que toi

素晴らしい曲でしょう。高校二年生が始めて出会った本当の愛の歌でした。その衝撃は大きく、数十年経ったいまでも、その映画館に呆然としていた自分を思い出すことが出来ます。私の中のアズナヴールの存在は小林秀雄と同じぐらいです。その頃の衝撃と感動を50年間続けてくれたのです。

Charles Aznavour Et pourtant - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=ejvIYABmYxM

by TANNOY-GRF| 2018-10-21 09:47| 好きなレコード | Comments(2)


Commentedby GRFat 2018-10-21 09:59 x

パグ太郎さん おはようございます。アズナヴールが亡くなっても、速報は日本に届きましたが、フランスでの報道が伝わらなく、葬儀の後まで見守っていました。

自分の中で存在が余りにも大きく、彼の死を納得するまで時間が必要だったのでしょう。90歳を過ぎてからは、さすがに昔の勢いは無くなり、その舞台を見るのが少しつらくなってきたのも事実です。

しかし、歴代の大統領を列席してのフランスの国葬で、見送られるとは驚きましたし、そのような彼を50年間追い続けてきた自分も褒めて上げたいと思いました。

次回は、アズナヴールの特集でもしましょうか?テレサ・テンよりレコードは多いですよ(爆)

Commentedby パグ太郎 at 2018-10-21 14:03 x

彼も移民の息子(ジョージア人とアルメニア人の両親)だったのですね。そちらの国家元首も参列したというニュースを見ました。ここにも東欧とフランスの出会いがあったのかと思いました。是非、次回は偲ぶ会をお願いします。
https://tannoy.exblog.jp/30116452/

3. 中川隆[-13365] koaQ7Jey 2018年10月29日 07:26:26 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-19642] 報告

Charles Aznavour - Non, Je N'ai Rien Oublié (1971) - YouTube 動画
https://www.youtube.com/watch?v=mF7asPkc_aA


Non je n'ai rien oublie 1971 GRFのある部屋 2006年 06月 08日
https://tannoy.exblog.jp/2447659/

1971年の夏、銀座の七丁目のレコード店で、今でも鮮やかにそのレコードを手に取ったときの感動がよみがえります。待望のアズナヴールのこのアルバムは、生涯忘れ得ぬレコードとなりました。原題は 「Non je n'ai rien oublie´ /いや、僕は何も忘れてはいない」、邦題は「遠い想い出」です。


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いろいろな意味で人生の岐路に立っていた私は、自分の中の様々な問題と格闘しながら彷徨っていました。「Hier ancore/昨日僕は二十歳だった」の最後のフレーズのように。そんなときに、人生に明かりをともしてくれたのが、この曲でした。
アズナヴールの名曲は、皆あきらめない想いを歌っています。自分の本当の気持ちを、正直に自分に語りかけます。「それがわかれば」、「想い出の瞳」、そして「遠い想い出」と。まだお聴きになられていない方は、ぜひ、お聴きになられてください。そして、アズナヴールの世界を知っていただきたい。傷心の、青春がすぎていく青年の心を、47歳のアズナヴールが作詞をした歌です。47歳になっても、このような歌が作れるのだと、感動しました。


Non je n'ai rien oublie´ (Charles Aznavour)

Je n'aurais jamais cru qu'on se rencontrerait
Le hasard est curieux, il provoque les choses
Et le destin presse´ un instant prend la pause
Non je n'ai rien oublie´

Je souris malgre´ moi, rien qu'a` te regarder
Si les mois, les anne´es marquent souvent les e^tres
Toi, tu n'as pas change´, la coiffure peut-e^tre
Non je n'ai rien oublie´

Marie´, moi ? allons donc, je n'en ai nulle envie
J'aime ma liberte´, et puis, de toi a` moi
Je n'ai pas rencontre´ la femme de ma vie
Mais allons prendre un verre, et parle-moi de toi

Qu'as-tu fait de tes jours ? es-tu riche et comble´e ?
Tu vis seule a` Paris? mais alors ce mariage ?
Entre nous, tes parents ont du^ crever de rage
Non je n'ai rien oublie´

Qui m'aurait dit qu'un jour sans l'avoir provoque´
Le destin tout a` coup nous mettrait face a` face
Je croyais que tout meurt avec le temps qui passe
Non je n'ai rien oublie´

Je ne sais trop que dire, ni par ou` commencer
Les souvenirs foisonnent, envahissent ma te^te
Et le passe´ revient du fond de sa de´faite
Non je n'ai rien oublie´, rien oublie´

A l'age ou` je portais mon amour pour toute arme
Ton pe`re ayant pour toi bien d'autres ambitions
A brise´ notre amour et fait jaillir nos larmes
Pour un mari choisi sur sa situation

J'ai voulu te revoir mais tu e´tais cloi^tre´e
Je t'ai e´crit cent fois, mais toujours sans re´ponse
Cela m'a pris longtemps avant que je renonce
Non je n'ai rien oublie´

L'heure court et de´ja` le cafe´ va fermer
Viens je te raccompagne a` travers les rues mortes
Comme au temps des baisers qu'on volait sous ta porte
Non je n'ai rien oublie´

Chaque saison e´tait notre saison d'aimer
Et nous ne redoutions ni l'hiver ni l'automne
C'est toujours le printemps quand nos vingt ans re´sonnent
Non je n'ai rien oublie´, rien oublie´

Cela m'a fait du bien de sentir ta pre´sence
Je me sens diffe´rent, comme un peu plus le´ger
On a souvent besoin d'un bain d'adolescence
C'est doux de revenir aux sources du passe´

Je voudrais, si tu veux, sans vouloir te forcer
Te revoir a` nouveau, enfin... si c'est possible
Si tu en as envie, si tu es disponible
Si tu n'as rien oublie´
Comme moi qui n'ai rien oublie´

https://tannoy.exblog.jp/2447659/

4. 中川隆[-13364] koaQ7Jey 2018年10月29日 07:28:57 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-19642] 報告

アズナヴールのレコード GRFのある部屋 2018年 10月 28日
https://tannoy.exblog.jp/30129424/

久しぶりにシャルル・アズナヴールのレコードを整理してみました。量的には個人別のクラシック以外のレコードでは、一番多いかもしれません。レコード棚の幅を見ても、テレサ・テンより多いようです。良く聴くAznavour et Tokioなどは、三枚揃えていますし、お気にいりは複数枚持っているのが特徴です。理由は、シャンソンのレコードには滅多にお目にかかれないからです。来日記念盤で発売された輸入盤が最初のLPになりました。

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ポールモーリア楽団をバックにした1965年のレコードです。今聴くとオーケストラの響きが懐かしいですね。


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その第二集です。「それがわかれば」「Et pourtant」などのヒット曲が収録されています。これもポールポーリアの編曲です。ポールモーリアはアズナヴールの伴奏をして有名になりました。


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Aznavour65と銘打たれた初期のアルバムです。「イザベル」「レスト」「セ・フィニ」などのヒット曲が収録されています。当時文化放送で土居まさると同じ頃に活躍されていた桜井陽子さんが、自分の番組で毎回、必ず「イザベル」を掛けていました。良い番組でした。その熱い気持ちが伝わりますね。


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地中海の眩しいひかりのなかで歌われるEmmenez-Moi・僕を連れて行ってが収録された1967年のアルバムです。精悍な顔つきのアズナヴールがいます。


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オランピア劇場での実況録音盤です。大変残響の多い特殊な録音をしています。Emmenez-Moi・僕を連れて行って、Et Moi Dans Mon Coin・私は一人片隅に、Le Cabotin・大根役者、Les Enfants De La Guerre・戦争の子供達、Paris Au Mois D'Août・八月のパリ、Il Faut Savoir・それがわかれば・・・などの初期の名曲が目白押しの素晴らしい1968年のアルバムです。

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1968年の初めての来日の時に、新宿の厚生年金会館で収録された日本での実況録音盤です。何度も、ご紹介しましたが、私のレコードの中でも特別な存在です。歌っている曲は前のアルバムと同じですが、アレンジがジャズピアニストのHenri Byrsで、切れの良い演奏と、ピアノ、ドラム、ベース、ギターそしてトロンボーンの五名なのですが、とてもそれだけには聞こえないアレンジが素敵です。


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そして、私の中でも忘れられないアルバムになったのが、この「遠い想い出」をメインにしたこのアルバムです。24歳の迷ってばかりの私にいろいろな指針を与えてくれたアルバムです。その後、この名曲はアズナヴールの代表作になりました。このイントロが始まると、会場の空気が変わります。遠くを見る彼の顔が忘れられません。


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これも、1971年の九月に新宿厚生年金会館でおこなわれたアズナヴール二回目の実況録音盤です。発売は72年でした。伴奏は良く収録されているのですが、肝心のアズナヴールの声が少し遠いアルバムです。録音がクラシック的ともいえるのですで、会場のアンビアンスはよく出ています。彼の歌は何時もながら大変安定しているのですが、少し小さい感じですね。そこで、アルカリ水と洗顔用の振動発生機を使って洗っていました。すると、見違えるようにスクラッチが無くなり、静かで、雰囲気が聞こえる良い音になりました。


彼は翌年の72年にも来ています。

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1972年のオランピアでの実況録音盤です。隣の美女は三人目の奥さんになった Ulla Thorsellです。彼女はスウェーデン出身の歌手でした。彼女とは50年以上添え遂げて、三人の子供に恵まれました。長女のKatiaは彼の舞台でコーラスとして歌っていました。実は、この上と下のレコードは同じ演奏です。

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音そのものは、上のオリジナルの方が良いのですが、所々、レヴェルが大きくなったり小さくなったりする不具合があり、あとから再発された下のレコードも買ってみました。今聞き直しても特定の曲、大根役者などのその傾向があります。良いのですが、、。これも洗ってみようかという気になりました。

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これは、76年の彼の六回目!の来日時の実況録音盤です。アレンジが新しくなっています。前の二枚に比べてオーケストラは大きくなりましたが、その分演奏の質が問われてきます。音はレコードを洗うとしっかりとした音が現れました。新宿厚生年金では無く五反田の郵便貯金会館と、中野サンプラザで収録されています。私は、五反田で聴いた覚えがあります。


その前年にも彼は来日(五回目)しており日本中で公演をしました。その時は、二週間の間に11回の公演回数です。すさまじいエネルギーでした。訳のわからないスケジュールです。東京→広島→大阪→山形→福岡→札幌→東京→千葉→東京。いまでもそうですが、山形から博多に行くには、東京か大阪で乗り換えなくてはなりません。4〜5時間も掛かる移動です。移動してそのまま演奏会をこなすというスケジュールになります。


1月22日,23日 日比谷公会堂、

24日 広島郵便貯金会館、

25日 大阪厚生年金会館、

26日 山形県民会館、

27日 福岡市民会館、

28日 北海道厚生年金会館、

29日 東京郵便貯金会館、

30日 千葉県文化会館、

2月1日 東京厚生年金会館、

3日 東京郵便貯金会館


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これは1980年にでたアルバムで、自叙伝と銘打たれています。このアルバムからは、あまり有名な曲はでていません。


これから下の同じデザインの盤は、再発ものの全集です。10巻あり、ほぼ発売順に並べられています。音はしっかりとしたBarclay特有のサウンドですね。壮年時の精悍なアズナヴールが写っています。この頃のイメージと晩年のイメージは随分と変わりました。

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これらの輸入レコード他にも、当初は日本盤を買っていました。いまでもそうですが、なかなかフランスのオリジナル盤は、東京では手に入りません。日本の会社が直輸入として入れてくれないと難しかったのです。下の日本盤の中にも、再発盤では無く新譜でオリジナルアルバムとして出たものも、半分あります。何時かチャンスがあれば幸みゅうしたと思ったまま、CDの時代へと変わっていきました。


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これらの、フランス盤がオリジナルであるのに比べて、実況録音盤は日本盤がオリジナルです。最初の68年のときのトロンボーンは名人でしたが、71年の時からアレンジが代わり、フルートやサックスが入るようになりました。フルートで、アズナヴールの曲のイメージが変わったのを覚えています。でも、その71年は今から47年も前です。
https://tannoy.exblog.jp/30129424/

5. 中川隆[-13432] koaQ7Jey 2018年11月04日 09:14:24 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-19969] 報告
2018年 11月 03日
Henry Byrsと彼のピアノ GRFのある部屋


昨日フランスから送られてきたレコードは、アズナヴールが、最初に日本に来たときに、編曲・指揮とピアノを担当していました、アンリ・ビルスのレコードでした。彼はジャズピアニストでした。アズナヴールの演奏会の伴奏は、1965年から1970年に掛けて行っていたようです。1968年に日本に来たときは、そのバックバンドを務めて、ピアノ、ベース、ドラムスのピアノトリオに、ギターとトロンバーンを加えた五人の編成で、見事な演奏を行っていました。

その演奏の見事さは、Aznavour et Tokioというアルバムになっているので、アズナヴールファンはよくご存じでしょう。1971年の二枚目の日本公演の時は、もう交代していましたから、アンリ・ビルスとアズナヴールの公演のレコードは、その期間を探さなければなりません。

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その頃もオランピアで何時も公演していましたが、このHenri Byrsとのレコーディングは、東京公演しか残っていないようです。このレコードは、後ろにアズナヴールがいますが、実際は歌の無い歌謡曲みたいな盤です。すなわち、アズナヴールは歌っていないのです。


ジャケットの裏面は、アズナヴールの推薦状みたいな彼のメッセージが書かれています。フランス語の手書きなので、スペルがよくわかりません。それならば専門家にお聞きすればと、お昼休みにパグ太郎さんにこの写真をおくって依頼致しました。


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すると、早くも三時過ぎに出張中の新幹線の中からご返事があって、移動中に飜訳されたとご連絡がありました。

今日も新幹線です。フランス人の手書きは独特で読めないですよね。特に数字。手書きメニューで幾らだか分からず、なんて良くありました(もう何十年と行っていませんが)。こんな感じでしょうか。いつも思いますが、欧米人のこういう紹介は心がこもっている上にお洒落で格好いいですね。


仏文と英文が併記されていました。驚き感謝をしていましたら、出張から帰宅されたパグ太郎さんか、追伸が来て


帰宅して再読してみたら、綴り違いがありました。また、文節の区切りを変えて、英文が素直に出るようにしてみました。


Fanatique de Jazz,

Amoureux de la chanson, il a partagé son temps entre l’improvisation et l’accompagnement, faisant ce métier ingrat de ceux qui dans l’ombre font tout ce qui est en leur pouvoir pour mettre en valeur les artistes qu’ ils accompagnent, mettant leur coeur et leur talent au service des autres.


Aujourd’hui, le projecteur enfin se braque sur lui, et je suis particulièrement heureux d’être le premier à vous présenter "Henry Byrs".

Fanatic of Jazz,

In love with the song, he has shared his time between improvisation and accompaniment, doing the thankless job of those who, in the shadows, do everything in their power to showcase the artists they accompany. their heart and their talent at the service of others.


Today, the spotlight is finally on him, and I am particularly happy to be the first to introduce "Henry Byrs".

感謝感謝です。アズナヴールのバックの陽の当たらないけど大変重要な影のミュージシャンに対する最大級の賛辞が書かれていました。


このレコードは、アンリ・ビルスのこだわりから出来ていて、楽器一つ一つの収録に使ったマイクの種類も書かれていて、随分とオタクっぽいアルバムだと思いました。

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でも、このこだわりがあってあの演奏が出来るのですね。彼自身はJAZZピアニストですから、他のアルバムは、ジャズアルバムです。日本に一緒に来たベーシストとも一緒のアルバムに参加しています。その時のドラマーはKenny Clarleでした。
https://tannoy.exblog.jp/30141246/

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