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日本人の黒澤明信仰を考える
http://www.asyura2.com/17/ban7/msg/374.html
投稿者 中川隆 日時 2020 年 1 月 05 日 09:46:31: 3bF/xW6Ehzs4I koaQ7Jey
 

(回答先: メモ帳 _ ドストエフスキー 投稿者 中川隆 日時 2020 年 1 月 04 日 11:28:48)

日本人の黒澤明信仰を考える


1 :777:2009/12/25(金) 22:53:51

橋本忍 『複眼の映像 -- 私と黒澤明』 

共同脚本、というのは黒澤の専売特許なのか?そんなことはないはずである。小津安二郎もやっていたはずだ(しかし、<共同>の形態がちがっているのだろう)。

黒澤のやり方は、全く同じ場面を2人〜3人が描き、仲裁を別のライターが行う、というやりかた。
                                 
なぜ共同なのか?黒澤は、監督の自分だけで書くと、現場で辛くなる書き方をつい省略するから、であると説明する、
  が、
橋本忍はそれは、まっ赤な嘘である、という。黒澤はそんなことができるわけがない。共同でやればいいものができるから。それだけである。しかし、一人で描けば一月で仕上がるところ、複数でやれば数ヶ月、最悪半年かかる。しかも、ニッポンの代表的なライターをこの間、二本でも有数のシナリをライターを拘束するのだから会社の出費が馬鹿にならないし、ライターにとっても稼ぎが減る。

乱や影武者の失敗は、黒澤が編み出した共同執筆という形式を放棄し、黒澤の独断で書いたため、である。

しかし、力があり自尊心の強いライターを従えてリーダーシップをとれる監督が黒澤以外にいはしない。

黒澤のすぐれたところは人物の造形力である。大学ノート一杯に登場人物の造形をやっていく。絵コンテも描く。 橋本忍は伊丹万作門下。黒澤より10歳年下。いつかは黒澤の上をいくシナリオライターになってやる、と意欲満々であった。黒澤のように絵コンテの描けない橋本が、人物造形力をみにつけるにはどうするか。かれは<山手線方式>を編み出す。一日中山手線にのり、乗車する客から使えそうな人物パターンを蓄積していき(クレッチマーか?)、以後、このストックから選び出して登場人物に当て嵌めていくのである。

張り込み、砂の器、八甲田山、という大当たりも取るが、幻の湖、という大失敗もやらかす。http://www.youtube.com/watch?v=5spuk17nE5w

wiki 幻の湖
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B9%BB%E3%81%AE%E6%B9%96

黒澤は既にこの世にいないから、黒澤が生きていれば書けないような批判も遠慮なく書いている。橋本忍がこの本を書いたのは88歳の頃になる(3年前)。 新藤兼人と同様、長持ちの人である(丈夫、ではない)。


橋本は、黒澤の助監督であった野村芳太郎(『砂の器』監督)に尋ねた:
「黒澤さんにとって、私、橋本忍って、いったいなんだったのでしょう?」
野村「黒澤さんにとって橋本忍は会ってはいけない男だったんです」
  「そんな男に会い、『羅生門』なんて映画を撮り、外国でそれが戦後初めての賞などを取ったりしたから、映画にとって無縁な、思想とか哲学、社会性まで作品へ持ち込むことになり、どれもこれも妙に構え、重い、しんどいものになった」
橋本「しかし、野村さん、それじゃ、黒澤さんのレパートリーから『羅生門』、『生きる』、『七人の侍』が?」

野村「それらはないほうがよかったのです」
  「それらがなくても、黒澤さんは世界の黒澤に。。現在のような虚名に近いクロサワではなく、もっとリアルで現実的な巨匠の黒澤明になっています」
  「僕は黒澤さんに二本ついたから、どれほどの演出力。。つまり、力があるかを知っています。彼の映像感覚は世界的なレベルを超えており、その上、自己の作品をさらに飛躍させる、際限もない強いエネルギッシュなものに溢れている。だから。。。いいですか、よけいな夾雑物がなく、純粋に。。純粋にですよ、映画のおもしろみのみ追求していけば、彼はビリーワイルダーにウイリアムワイラーを足し、2で割ったような監督になったはずです」
  「ビリーワイルダーより巧く、大作にはワイラーよりも足腰が強靱で絵が鋭く切れる。その監督がどんな映画を作るのか。。橋本さんにもわかるはずです。。。文字どおり掛け値なしの、世界の映画の王様に。。橋本さんはそうは思いませんか?」
  私(橋本忍)は目の前がくらくらした。野村さんの言っていることにも一理あるが、どこか衒学的であり、肝心な点が間違っている。なにか言おうとした。だが言葉が出ないp227


しかし、一方で、若くしてなくなった師である伊丹万作が天国で語る声を橋本忍は聴いている:
「橋本よ。。。いつかはおまえが出会う、いや、会わねばならぬ男、それが黒澤明だ」p42

2 :777:2009/12/25(金) 22:56:18

黒澤と橋本忍の関係を軸に、その周辺のシナリオライター(菊島、小國)の仕事ぶりを橋本忍の視点でみたヒストリーである。このヒストリー自体が橋本の傑作シナリオである『羅生門』的面白さ。


『七人の侍』。。。現代版に書き直すとすれば、野武士は、政府か、官僚か、警察&ウヨクか。 侍は?
   

昨日からNHK BSでは10年前に放映した黒澤キャラクタ特集を再放送している。改めてみて、面白かったのは、橋本忍による黒澤との交流(この本の内容と同じ)、それに、大島渚による黒澤評価である。

黒澤全集を引っ張り出してみたが、当時の映画評論家の黒澤評価はとてつもなく厳しく、トンチンカンなモノが多いが、逆に、淀川長治のような西洋ザルが、小津安二郎を全く理解せず、小津には映画のリズムと文法が欠落している、として黒澤を持ち上げるのも惨めで滑稽、贔屓の引き倒しである。

山田洋次が晩年の黒澤宅に呼ばれて、訪れたとき、黒澤明は一人でビデヲを観ていた。それは小津安二郎『東京物語』であったという。

大島渚の黒澤批判は、技法としてはともかく、内容が古い、というものだ。女性を描かない、とか、シェークスピアなど戦後とりあげる必然性があったのか(黒澤の戦争協力も暗に批判している)?

映画『乱』の試写会。橋本忍は、焼け落ちる城から、白髪を逆立てた幽鬼のような老人(リア王〜仲代達矢)がふらふら出てくるのをみて、口の中で声をあげた。この老人が黒澤明に見えたのだ。


黒澤は独断的な芸術家になってしまった、と橋本は批判している。わたしも、『赤髭』より後の黒澤作品は何度見ても、最後に到着する前に、途中で放り投げてしまっている。NHKのメーキングフィルムをみると、黒澤はスタッフや俳優をどなりまくっている。「きみは下手なんだから、端っこにいろ!真ん中に出てくるんじゃない!」 聴くに堪えない罵詈雑言である。私が俳優だったら監督を殴り倒してオサラバするだろう。それでも黒澤を許せるのは彼の飽くなき努力ゆえ、である。おなじNHKの番組で谷口千吉(監督)が語っている。「ぼくと黒澤は戦時中、あるブリキ屋に下宿していた。深夜になっても黒澤はシナリオを書いている。おい、寝られネエじゃねえか!電灯を消せ!と怒鳴る。背の高い黒澤が立って電灯を消す。ところがしばらくすると畳の上に蝋を垂らして蝋燭を立て、また、書き出す。ぼくと黒澤に差があるのはこの辺ですね」


字を書く職人であれ。伊丹万作はこのことを橋本忍に何度も述べたそうだ。
橋本忍は、シナリオライターとは職人である、芸術家であろうとおもうな、という戒めであると解釈した。
1946年9月21日肺結核で伊丹万作死す。橋本は伊丹の死を、新聞の死亡欄を読んで知った。

橋本が療養所で最初に書いたシナリオ『山の兵隊』を、伊丹万作に送ったのは療養所を無断退院して姫路でサラリーマンをしていた頃。1942年のこと。伊丹からは丁寧な返書が来た。橋本は京都に伊丹を尋ねて指導を受けた。シナリオは会社までの通勤電車で書いた。

伊丹万作法要の席で、伊丹の奥さんが伊丹万作の助監督を務めた佐伯清を紹介した。佐伯は黒澤明と知人であった。この縁で、橋本の書いたシナリオ『雌雄』に黒澤が目をつけた。が、このシナリオは短すぎる、と黒澤が言う。芥川の『羅生門』を追加することを伊丹が提案した。
http://furuido.blog.so-net.ne.jp/2008-05-05

3 :777:2009/12/25(金) 23:06:55

橋本 忍(はしもと しのぶ、1918年4月18日- )は、昭和期の脚本家、映画監督。男性。兵庫県神崎郡鶴居村(現・神崎郡市川町鶴井)に生まれる。

中学校卒業後、1938年応召したものの、粟粒性結核に罹り、療養生活に入る。シナリオに興味を持ち、伊丹万作のもとに作品を送り、指導を受ける。伊丹死去後、上京し、伊丹夫人より佐伯清監督を紹介される。

1949年、芥川龍之介の短編小説『藪の中』を脚色した作品を書く。伊丹死後、未亡人が伊丹の手元にあった橋本脚本を佐伯に渡し、黒澤明がそれを譲り受ける。黒澤は『藪の中』の脚色作品に注目、黒澤の助言により芥川の同じ短編小説『羅生門』も加えて完成。この脚本を基に翌1950年黒澤が演出した映画『羅生門』が公開され、橋本忍は脚本家としてデビュー。同作品はヴェネチア国際映画祭グランプリを受賞するなど高い評価を受けた。


◆映画『羅生門』のアイデアは突発的に・・・

「あんたの書いた、『雌雄』だけど、これ、ちょっと短いんだよな」

「じゃ、『羅生門』を入れたら、どうでしょう?」

「羅生門?」

「じゃ、これに『羅生門』を入れ、あんた、書き直してみてくれる?」

「ええ、そうします」

同じ不条理ではあっても、真相は分らないとするテーマから、人間とは得手勝手なものであるとするテーマへの移行が感じられ、映画全体を少し難解で分りにくいものにしている。

http://book-sakura.cocolog-nifty.com/blog/2008/04/2006_4e39.html

4 :777:2009/12/25(金) 23:13:54

この日 ヴェネチアでは “ヴェネチア国際映画祭” が フィナーレを
迎えようとしていた。      
グランプリ(金獅子賞)をはじめ、全受賞作がつつがなく選出されたが、
その裏で “前代未聞のとんでもない騒ぎ” が持ちあがっていた。

祝福されるべき最高の栄誉「サンマルコ獅子像」を満場の拍手とともに
受けとるはずの関係者の姿が、どこをどう探しても見当たらないのだ。

見事 金獅子を射止めたのは 「羅生門」という日本映画だった。

ところが 信じられないことに、プロデューサー、監督、俳優など関係者は ひとりとして ヴェネチアに来ていなかった。
しかし、そもそも どうしてこういう事になったのか?
話は その年の春にさかのぼる。
ひとりのイタリア人女性が、東京を拠点に精力的に活動していた。
イタリーフィルム社長、ジュリアーナ・ストラミジョリ女史である。
彼女の仕事は、イタリア映画を 日本に売り込むことであった。
大戦直後に起こった空前の「ネオ・レアリズモ」ブームの中、
彼女は 多くの利益をイタリアにもたらした。
そんな経緯から、彼女の伊映画界への発言力は増していた。
また、伊映画を愛してくれる日本国民への謝意を表す意味でも、
欧米に 日本映画の良作を紹介してあげようか、と考えたのは
ごく自然の成り行きだった。

1951年6月、ヴェネチア映画祭への出品作を探していた女史は、
何本か観るうちに 「羅生門」 にぶつかった。
運命の出会いだった。

ベリッシモ! (何て素晴らしいの!) 
こんな美しい映画 観たことないわ。
ぜひとも 世界に紹介したい。

胸の高鳴りを押さえることが出来ない彼女は、すぐさま
大映に対し (映画祭への) 出品を要請した。

ところが なぜか 大映・永田社長は出品に消極的で、
「イタリアの国際映画祭に出したい? 何のために?
日本の映画が海外で評価されるなんて 有り得んだろう。
出したところで、恥をかくのがオチだ。
英語・イタリア語の字幕を付けるための費用が要る?
そんな金は出せないよ。 まさか詐欺じゃないだろうね。
ま、いずれにしても 今回は遠慮させてもらうよ」
と冷ややかな対応に終始した。

永田のこの対応に落胆した女史だったが、やはりどうしても
あきらめることが出来なかった。
思い悩んだ末、“熱血行動派”の彼女は 大胆な行動に出た。
自費で英語字幕をつけ、秘密裏にヴェネチアに送ったのだ。

いくら映画芸術に通じた者でも、よほどの映画愛がなければ
こんなことは出来ない。
そして、ストラミジョリ女史は 「熱血慧眼の映画人」だった。
彼女の眼がいかに鋭かったかは、“金獅子”の獲得によって
見事 証明されることとなる。

5 :777:2009/12/25(金) 23:21:20

日本には名誉とか栄光に全く無関心な、クロサワという
大変な実力の映画人がいる。

湖に巨石が投じられ、そのすさまじいエネルギーは、次々に
大きな波紋を作り出していった。
「ジャパンのクロサワ」への世界の映画人からの尊敬ぶりは、
“ヴェネチア事件”をきっかけに、日本人の想像を超えたものに
なっていく。 映画祭に顔を出していた フェデリコ・フェリーニという
新人監督は、「羅生門」観賞後 しばらく興奮が収まらなかった。

「ブラーヴォ! すごいものを見たぞ!」
 
「クロサワという日本人が作った凄い映画を この目で見たんだ!」

と 辺り構わず大声で話し続け、周囲にたしなめられた。

彼にとって 「羅生門」 の衝撃は大き過ぎたのだ。
この映画祭で見た奇跡について話すとき、この純情な男の眼から
涙があふれ 流れ落ちた。

その後も、イタリーフィルムの ストラミジョリ女史が日本から
帰国するたび 頻繁に彼女のもとを訪れたフェリーニ青年は、
質問攻めにすることがたびたびだった。

「クロサワとはどんな男? どんな顔をしてる?」
その質問は 子供のそれと変わらなかった。
ストラミジョリには、そんなフェリーニが可愛らしくも思えた。
彼女は、クロサワの他作品も観たいと熱望する彼のために、
1本の映画を日本から直送し、“個人上映会” を開いた。
映画のタイトルを 「白痴」といった。

映画鑑賞後のフェリーニの様子は、またしても尋常ではなかった。
泣きはらして充血したその目は、異様な光を帯びていた。
映画は、彼にとって 「羅生門」 以上の衝撃だったのだ。

1954年、フェリーニの最初の傑作 「ラ・ストラーダ」(邦題 「道」)
が公開され、世界に大きな衝撃を与えた。「白痴」のムイシュキンは ジェルソミーナ となって、このイタリアの
地に甦ったのだ。

「道」 から28年が過ぎた1982年9月、ヴェネチア国際映画祭
創立50周年を記念して設けられた 獅子の中の獅子賞
(歴代グランプリ中の最高傑作)として、満場一致で「羅生門」
が選出された。選定にあたって諮問を受けたフェリーニは こう述べた。

「我々映画人はクロサワから多くのことを学んだ。
クロサワは映画界にとって最大の恩人である。
どれだけ感謝しても足りるものではない。

映画祭50周年にあたり、最も優れた映画を1本選べというなら、私は迷わず「羅生門」を推挙する。
この偉大な映画を世界で最初に見出したのが、わがヴェネチアだったという事実は、イタリア人に
とって何よりの名誉である」
http://white-knight.blog.so-net.ne.jp/2007-02-01

6 :「羅生門」:2009/12/25(金) 23:23:11

監督 黒澤明
原作 芥川龍之介
脚本 黒澤明 橋本忍
撮影 宮川一夫
音楽 早坂文雄

キャスト(役名)
三船敏郎 (多襄丸)
森雅之 (金沢武弘)
京マチ子 (金沢の妻・真砂)
志村喬 (杣売)
千秋実 (旅法師)

http://www.youtube.com/watch?v=-K5RCVRDObM&feature=PlayList&p=0182B495522EBCE1&index=1
http://www.youtube.com/watch?v=CHVfccK_cRI&feature=PlayList&p=0182B495522EBCE1&index=2
http://www.youtube.com/watch?v=VH2fr_h-LKo&feature=PlayList&p=0182B495522EBCE1&index=3

http://www.youtube.com/watch?v=e83FEdYi4IY&feature=PlayList&p=0182B495522EBCE1&index=4
http://www.youtube.com/watch?v=I54So5Y2OAU&feature=PlayList&p=0182B495522EBCE1&index=5
http://www.youtube.com/watch?v=Rm9MLoifAS4&feature=related

http://www.youtube.com/watch?v=w-NczyX1ilM&feature=related
http://www.youtube.com/watch?v=JR5HAHR-X-I&feature=related

7 :「白痴」:2009/12/25(金) 23:30:11

監督 黒澤明
助監督 野村芳太郎
中平康
キャスト 原節子(女優) 那須妙子
森雅之(男優) 亀田欽司
三船敏郎(男優) 赤間伝吉
久我美子(女優) 大野綾子
志村喬(男優) 大野
東山千栄子(女優) 妻里子
柳永二郎(男優) 東畑
千秋実(男優) 香山睦郎
千石規子(女優) 妹孝子
高堂国典(男優) 父順平
左卜全(男優) 軽部
三好栄子(女優) 香山の母
爆弾小僧(男優)
岸恵子(女優)
原作 フョードル・ドストエフスキー 「白痴」
脚本 久板栄二郎
黒澤明
音楽 早坂文雄

http://www.youtube.com/watch?v=6HXENZZGmR8&feature=PlayList&p=20C6DD53762D882A&index=0&playnext=1
http://www.youtube.com/watch?v=hCrjWcWBIag&feature=PlayList&p=20C6DD53762D882A&index=1
http://www.youtube.com/watch?v=bNtu26Go_Zw&feature=PlayList&p=20C6DD53762D882A&index=2

http://www.youtube.com/watch?v=oPWiDM28Y0E&feature=PlayList&p=20C6DD53762D882A&index=3
http://www.youtube.com/watch?v=oDf5TklwQOg&feature=PlayList&p=20C6DD53762D882A&index=4
http://www.youtube.com/watch?v=AEPFIJ4DxS8&feature=PlayList&p=20C6DD53762D882A&index=5

http://www.youtube.com/watch?v=9psKQOLe-W4&feature=PlayList&p=20C6DD53762D882A&index=6
http://www.youtube.com/watch?v=gJSUyDlRJM4&feature=PlayList&p=20C6DD53762D882A&index=7
http://www.youtube.com/watch?v=u5Y77Y-t6rs&feature=PlayList&p=20C6DD53762D882A&index=8

http://www.youtube.com/watch?v=tJYM_Px9XIs&feature=PlayList&p=20C6DD53762D882A&index=9
http://www.youtube.com/watch?v=vPPehuonj0Y&feature=PlayList&p=20C6DD53762D882A&index=10
http://www.youtube.com/watch?v=KkEZHuZcnyM&feature=PlayList&p=20C6DD53762D882A&index=11

http://www.youtube.com/watch?v=Xi1LIXHt2y0&feature=PlayList&p=20C6DD53762D882A&index=12
http://www.youtube.com/watch?v=Z9wAZzE09ic&feature=PlayList&p=20C6DD53762D882A&index=13
http://www.youtube.com/watch?v=EIEq7mpT_v4&feature=PlayList&p=20C6DD53762D882A&index=14

http://www.youtube.com/watch?v=E-kqPyms9TI&feature=PlayList&p=20C6DD53762D882A&index=15
http://www.youtube.com/watch?v=f-6Uhax4f3w&feature=PlayList&p=20C6DD53762D882A&index=16
http://www.youtube.com/watch?v=4B9izhciTJg&feature=PlayList&p=20C6DD53762D882A&index=17

8 :「羅生門」:2009/12/25(金) 23:35:17

ベルイマンを含め欧米の映画人が驚愕したのは特にこのシーンの台詞による逆転劇の連続とその映像・カットの素晴らしさ。そして美しい美しい三船敏郎・京マチ子・森雅之。  

『羅生門』の名セリフは一杯あるが、一番素晴らしいのは真砂役の京マチコが話すセリフだ。英語ヴァージョンで。 言葉の凄さをこれほど著したセリフは映画史上でも稀ということができる。


(侮辱された夫:森雅之に向かって)

It's you who are weak.

If you are my husband, why don't you kill this man?

Then you can tell me to kill myself.

That's a real man.

You're not a real man either.

(多襄丸:三船敏郎 も向かって)

When I heard you were Tajomaru, I stopped crying.

I was sick of this tiresome daily farce.

I thought, ''Tajomaru might get me out of this.''

''If he'd only save me, I'd do anything for him.''

I thought to myself.

But you were just as petty as my husband.


この言葉によって、二人の男から侮蔑のどん底にまで落されていた京マチ子は蘇り、二人の男は殺し合うことになる。宮川一夫のカメラと三人の演技とこのセリフのシーンは何回観ても唸ってしまう。
http://d.hatena.ne.jp/tougyou/20070920/p3

9 :「羅生門」:2009/12/25(金) 23:37:36

黒澤伝説はここから始まった

“羅生門”は今では日本文化・芸術を代表する作品の一つになってしまった、と言っても過言ではないと思います。 外国人のほうが日本人より鑑賞眼があるーなどど言う気は毛頭ありませんが、こと“羅生門”に関して言えば、“よく分からない映画”という評論が支配的だったという国内の状況より、国際映画祭の批評家たちの方が慧眼だったーと言えるのではないでしょうか。 世界人類が共通に抱えている問題を画期的な映像表現で描き出し、その世界的価値に日本人自身が気が付かなかったわけですから。

同じ事象でも、見る人によって感じ方、捉え方がまったく違うーという、言ってみれば20世紀後半のポストモダニズムを先取りしているわけですが、そんな小難しいことを言わずとも、人間の本質に切り込む先鋭的な内容をめくるめくような映像美でとらえたエンターテイメントとして現在でも通用すると思います。 

実は私、アメリカの大学で“映画史”の授業を二度取った事があるのですが、いずれの場合も“羅生門”が上映された時の、学生たちの画面に食い入るような反応が忘れられません。 “国民の創生”とか、“戦艦ポチョムキン”や“市民ケーン”といった欧米の歴史的名作が上映された時とは、ディスカッションの場においてもみんなの熱の入りようがまるで違っていました。 

それらの作品が映画史においては、技術的・理論的な革新をもたらしたのに過ぎないのに対して、“羅生門”のもつ、人間の心の闇に肉薄する答えのない問いかけーという内容は時代が変わっても古びることがないのだと思います。 基本的に、古いものーそれも昔の外国映画などにまったく興味の無いアメリカの一般の若者たちに引き起こしたあの反応は、この作品の持つ底知れぬ力を純粋に証明するに足るものではないでしょうか?
http://www.amazon.co.jp/%E7%BE%85%E7%94%9F%E9%96%80-DVD-%E9%BB%92%E6%BE%A4%E6%98%8E/dp/B0014IMRQM

10 :「羅生門」:2009/12/25(金) 23:42:01

日本映画が世界を驚かせた端緒となった作品です。
実際、今見ても非常に見事な作品だと思います。
物語は神話的であり、それ故、普遍性に満ち、黒澤作品の中でもこれから評価が高まるでしょう。

映画は、冒頭の篠付くような豪雨に、半壊した大門、羅生門の描写から、異様な予感をはらみます。これだけで断然たる出来です。

そして最初のセリフが「わからない。さっぱりわからない」と来る。
いきなり映画のテーマ、結論を言ってしまっているんですが、その後の映像が見事なので、まったく退屈しない。

呆然と空を見上げるシーンから登場する三船は、唐突に狂騒的な笑いを発し、森を駆ける様は野生そのものです。
その三船が女の手を引き、森を疾走するだけでスリルが高まります。
京マチ子の体現した、女の性の際どさと、刃の鋭さ、その毒性の濃厚さ。
そう言えば近年、このレベルの高度なエロティシズムは見かけませんね。

その時の感情と共に、幾たびも幾たびも姿を変えては再生される「客観的と主張される記憶」この人として内包する根源的な矛盾を突き、
「羅生門の鬼ですら、人の恐ろしさに逃げ出した」という深遠を問うことに成功したから、この映画は永遠の命を得たのだ、と思うのです。
http://harukun1147.cocolog-nifty.com/firosofianholiday/2008/04/post_4dcf.html


時代は平安時代、能を取り入れた伝統の様式美・・・・これでは
「王朝絵巻のような 時代がかって退屈な映画」 以外の具体的
イメージを持てというほうがムリだ。

封切り当時、多くの観客が、そんな先入観で頭を一杯にして
映画を観、そして裏切られた。
でも、不思議なことに 客の入りは悪くなかった。
ほとんどの映画館が満員だったという記録が残っている。
(不入りだったというのは、後から作られた“伝説”です)

人々の “満足” は別の所にあった。
映画を観た人の口伝えに、三船敏郎と京マチ子の扇情的なキス
シーンやレイプ場面が 密かに話題になっていたのだ。
人々は、まるで “成人映画” を観る感覚で「羅生門」を観に行き
画面にくぎ付けになった。

じつに、「羅生門」は “ケモノの匂い” のする映画だった。
盗賊多襄丸を演じる三船敏郎の、日本人離れしたエネルギッシュで
ギラギラした野性。

人妻・真砂を演じる京マチ子の、西洋人のようなグラマラスな肉体。
盗賊が女を犯す場面やキスシーンの欲望むき出しの刺激的演出。

しかも、全編にわたって流れる音の基調は “ボレロのリズム” だ。
当時の観客からすれば、どこをどう探しても“日本的情緒の片鱗”さえ
見いだせないこの映画に心底面くらい、“真のねらいや価値”について
考える余裕など持てなかったのである。

そう、すべては “タブー”だったのだ。
夏の太陽にカメラを向けることも、ギラギラした欲望を大胆に解き放つことも。
そんな黒澤の野心的演出に、保守的な批評家たちは内心面食らったのだろう。
http://white-knight.blog.so-net.ne.jp/2007-02-01

11 :「羅生門」:2009/12/26(土) 09:54:03

黒澤は土砂降りのシーンを撮影するにあたり、雨に墨汁を混ぜて重い質感を出したという。さらにこの場面に凄まじい迫力を加えるために、消防車三台の出動を求めて消化ホース5本を使用。屋根には放水装置を施して、瓦の壊れから滝のように落下する雨を表現した。さらに、門の周囲に掘つた溝には水槽タンクから大量の水を一気に流し込んで溝に溢れる豪雨の感じを出し、しかも万全を期するためにわざわざ雨の日を選んで撮影を行なうという凝りようだった。このことは"日本映画史上類を見ない大胆な撮影"として、今も語りつがれている。
 この他にも、羅生門の屋根瓦を作るために、新たに焼きあげた瓦の数が4000枚、その一つ一つに「延暦寺十七年」と年号が刻まれていたとか、羅生門のセットが大き過ぎて上部の屋根を作つたら柱がささえきれないから、屋根を半分壊した形にしたとか、黒澤の偏執狂的な映画製作に関するエピソードは尽きない。
 その飽くなきこだわりがことごとく映画に独特の雰囲気を醸し出し、この名作が誕生するに至った。

この映画の終盤で語られる、原作にはない<木樵り>のエピソードは、事件をことさら複雑にするために新たに付け加えられたのではなく、黒澤がこの映画の中で"真砂"の人格をより強烈に描くために"是が非でも必要だったのだ。原作の中で、母親に「男にも劣らぬくらい勝ち気な娘」と言わせているこの女性のイメージ作りに、演技指導の点でも映像表現の面でも極端な情熱が注がれていることに注目したい。

「羅生門」は戦後間もなく公開され、51年度ヴェネチア映画祭グランプリ、52年度アカデミー賞最優秀外国語映画賞に輝いた。この受賞が当時、敗戦の痛手の中で何もかも自信を失っていたわが国の人々に与えた衝撃と希望は計り知れないものが合ったという。
 海外で高く評価された理由としてさまざまな要因が云われているが、あの時代にこういった観念論的な裁判劇を世界に先駆けて生みだした黒澤の先見性こそが、その最たる理由であったことに今や疑いの余地はない。
 「羅生門」はまさに日本映画を黒澤の名とともに世界に送り出した記念すべき「門」でもあった。      

 なお、カメラ技法における工夫も多く、中でも有名なものは"ギラギラと輝く太陽を望遠レンズで映す"という手法だった。当時は太陽にカメラを向けることはフィルムを焼き切る可能性があったため、一般的にはタブーとされていたのだが、この難題に敢然と挑戦したのが撮影担当の宮沢一男だった。彼のカメラは森の奥深くに入り込み、大きな反射鏡を利用しながら、木々の間から見え隠れするギラついた太陽を延々と追いかけ、それによって照り付ける陽光と乾いた森の雰囲気を遺憾なく描写することに成功した。この技法が映画公開時、世界の批評家から絶賛され、「黒澤は太陽を初めてカメラにおさめた」という有名な賛辞が生まれた。
 当時の映画界の巨匠、溝口健二のキャメラマンとしても名高い宮川一男は、「色を使わずに、白と黒の間にある無数の鼠色の濃淡によってみるものに色を感じさせる」という黒澤の演出に対しても、独特の水墨画感覚で応じた。雨の“黒”と検非違使庁の庭に敷かれた砂の“白”との絶妙な対比、木樵りが森を歩いていくシーンでの木々の微妙なコントラスト、木漏れ陽の輝き、斧の刃にきらめく日光、何とも豊穰な映像表現である。
 他にも、当時としてはまだ新しいテクニックだったパン・フォーカス(近景と遠景と同時にピントを合わす技法)が、随所に使われていることも見逃せない。

 さらにこの作品にはおびただしい数のカットつなぎ(画面と画面の切り返し)が施されている。評論家のドナルド・リチー氏によれば、映画の本体だけで408ショット、これは普通の作品の二倍以上にもなるという。しかし観客はショットの多さで気が散るようなことはない。それどころか、ともすると単調になりがちなストーリーに言い知れぬ躍動感を生みだしている。

12 :しかし,何かがおかしい:2009/12/26(土) 09:59:32

黒澤明の作品の中で、ただ一つだけ、見終わった後にどうしても釈然としない作品がある。それが皮肉にも彼の名を一躍世界に知らしめるきっかけとなった映画「羅生門」(50)なのである。いかに黒澤作品といえども、最後まで犯人が分からないストーリー展開に、他の黒澤映画に慣れ切つた僕たちは、映像の美しさなどさしおいて、不遜にも軽いいらだちすら覚えてしまう。こんなことは彼の作品においては極めて稀なことなのだ。
果たして彼はこの作品で何を表現したかったのだろうか?などと普段しなくてもよいはずの詮索をついしてみたくなる。黒澤の代表作といわれ、世界的にも評価の高い作品であるだけにもっと思う存分楽しみたいと思うのは僕だけではないだろう。そのためには、僕たちはどうしてもその原作に一度立ち返つてみる必要がありそうだ。

この映画の題名は芥川龍之介の短篇小説からとったものだが、実際に小説「羅生門」の中の描写があるのは冒頭の1シーンだけで、ストーリーそのものは同じ芥川の短編「薮の中」が原作となっている。
<時は戦乱と天災で荒れ果てた平安時代の乱世。一人の侍が森の中で胸を刺されて死んでいるのが発見される。この事件の犯人をめぐって、検非違使庁の庭において一種の法廷劇が展開される。木樵り、旅法師、放免の状況説明に続いて尋問されるのは悪名高き盗賊の多襄丸、死んだ男の妻、そして巫女の口を借りた男の死霊。この三人によって事件の経緯が次々と説明されるのだが、何故かこれらの供述が微妙な食い違いをみせる。果たして真犯人は誰だったのか。真相は最後まで明らかにされない。>
 この小説に関しては従来から何人もの人たちによって分析が試みられてきた。その結果、<薮の中>という常套句に代表されるように、「犯人を特定すること」がこの作品の主題なのではなく、「あえて作者がそれを明瞭にしないところ」にこの小説の真髄があるという考え方が、現在における定説になっている。

黒澤の「羅生門」は、木樵りにも男を殺した可能性があるとした点を除いてほぼ忠実に原作を再現しているのだが、僕ら観客にとっては、そもそも三人の証人かいずれも"自分が犯人だと言い張つている点"がどうしても賦に落ちない。
 
普通、証言台で嘘をつくのは罪を逃れるためなのに、このニ人はそうではない。山賊はいとも簡単に男を殺したことを認め、妻も無意識のうちにせよ夫を殺したと言い、男自身も自分で命を絶つたと頑なに主張している。めいめい自分の有罪を認めており、決して罪のなすりあいはしていない。最後に述懐する短刀を盗んだと思われる心樵りはともかく、他の三人は嘘をついても何の得もないように思われる。それなのに何故彼らは嘘をつくのか。自分の死と引き替えにしてまで・・・・。

学者らの説によれば、作者は「すべてのモラル、すべての真実に疑問を投げ付けることでアナーキーな自分の心情を吐露したかった」とか、あるいは、「最初から事件の真相などというのはさしたる重大事ではなく、告白の欺瞞性を通して現実社会の裏側を透視したかった」とかいった解釈が主流なのだが、しかし、それではあえて作者が三人に殺人を犯したと告白させている必然性がない。

芥川といえば志賀直哉とともに、大正期における短篇作家の双璧であり、その作風は理知的で洗練巧緻を極めているにもかかわらず、きわめて大衆的であり、しかも分かりやすい風刺に富んでいる。そんな彼が、何故この作品だけことさら分かりにくくする必要があったのだろうか。なぜこの作品を同じ中世の「今昔物語」から題材をとった他の平易な作品(例えば「鼻」や「芋粥」など)と並列に論じてはいけないのか。

この小説を難しくしているのは、かえって後世の「不条理劇」に影響された学者たちではないのか。芥川が言おうとしていたことは、実はもっと単純で、誰の心にも思い当たるような、人の心理の"あや"だったのではないのだろうか。
 
真相は思いの外、単純なのかもしれない・・・・・。

13 :生きる:2009/12/29(火) 05:12:12
ふん、アメリカでウケただけだから「ニッポンが世界に誇る!」と言っている
だけだ・・・”ラストサムライ”や ”SAYURI”ってアメリカ映画を知
ってるか?

14 :まじめな考察:2009/12/29(火) 05:37:16
例えば、黒沢作品は「いつ?」「どこで?」「誰が?」などの実際上の歴史
的な要素は問わない。いわば『おとぎ話』の世界だ。
                (↑これを「箱庭空間」と呼びます )

いわば ”昔々、あるところに一人の武将と三人の息子たちがおりました。
その武将はその息子たちに言いました「おい、息子たちよ。これはたった1
本の矢だが、3本合わせると」”・・・・の世界だ。
登場人物たちは、全て ”サムライA”とか ”百姓B”とか ”町人C”
とかいう「架空の名前」で呼ばれていて。例えば「豊臣秀吉は5歳の時に暗
殺された」とか「関ヶ原の合戦で石田光成が勝利して、徳川家康が打ち首に
なったのは西暦1601年のことである」なんて、歴史上の史実は登場しな
い。


(無声映画と同じように)だから『世界のどの国でも通用した』のだ・・・
お・と・ぎ・ば・な・し・だっ・た・か・ら。  

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