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日銀内に漂う、政府との緊張感が薄れた「平静ムード」の正体(ダイヤモンド・オンライン)
http://www.asyura2.com/17/hasan124/msg/126.html
投稿者 赤かぶ 日時 2017 年 10 月 12 日 18:07:05: igsppGRN/E9PQ kNSCqYLU
 


日銀内に漂う、政府との緊張感が薄れた「平静ムード」の正体
http://diamond.jp/articles/-/145366
2017.10.12 ダイヤモンド・オンライン編集部 


「アベノミクス」が始まってまもなく5年が経過する。新日銀法施行以降も緊張感に包まれていた政府と日銀の関係は、黒田東彦・日銀総裁の就任、そして進める異次元緩和政策によって大きく変化した。DOL特集「砂上の楼閣 日本銀行」第7回では、関係変化の裏にあるものを探る。(時事通信社解説委員 軽部謙介)


政府の“圧力”に負けて
狂乱物価やバブルを生んだ過去


 かつて、金融政策をめぐって政府と日銀がバトルを繰り広げた例は枚挙にいとまがないし、「独立性」の維持に苦闘する日銀の姿が常にあった。

 1987年1月、のちにバブルを生み出すことになる金融政策の“決断”も、政府高官からの一本の電話が契機だった。

「宮沢さんが米国に行く決断をした。宮沢さんは、日銀も協力してくれないかと言っていますけれどもどうですか」

 声の主は、大蔵省(現財務省)の吉野良彦事務次官(以降肩書きはいずれ当時)。

 日銀の三重野康副総裁に対し、宮沢喜一蔵相が円高是正の要請で米ワシントンに行くことになったと説明した後、次官はそう言ったのだ。

 次官の話し方はあくまでもスマートで、当時の「誘導目標」だった公定歩合について「下げてくれ」とは一言も言わない。

 しかし、経常赤字縮小を目指し、急騰する「円高」を放置しているかのような米国を動かすため、まずは「日銀が公定歩合を引き下げてくれ」と言っていることは明らかだった。

 米国の財政と貿易の「双子の赤字」が止まらない中で、85年9月、米日独などの主要国が「ドル安是正」を決めたものの、ドル急落(円高)は止まらなかった。そうした中、米国から利下げを求める声が強まるなかで、日本としても内需拡大に努力している姿勢を見せる必要があったのだ。そこで公定歩合の引き下げを求めてきたのだ。

 日銀内には、引き下げに抵抗する動きもあったが、行き過ぎたドル安の是正を名目に、「円高ストップ」を打ち出す同年2月の「ルーブル合意」直前、日銀は公定歩合を2.5%に引き下げる。

 円高是正を米国に認めさせるための「手土産」的な性格があったこの引き下げで、公定歩合は当時の史上最低水準になり、日銀はその後、「バブルを生んだ一因だった」と指弾されることになる。

 それより前の1970年代、戦後、日銀最大の“失政”とされる「狂乱物価」も、日銀が政府と一体になって、金融緩和を続けていたことが背景にあった。

「ニクソンショック」で変動相場制に移行後、円の高騰を回避したい思惑から大幅な金融緩和が行われていた中で、石油ショックが重なり、さらには当時の田中角栄内閣の「列島改造」に伴う大規模予算が重なって、物価は異様な上昇を見せる。

 72年末にマネーサプライが前年比26.5%増加するなどの「過剰流動性」が発生、74年度には消費者物価が対前年度21%もアップした。

 このときの佐々木直総裁は、田中首相の意向に抵抗できずに引き締めが遅れたとされ、やはり“日銀犯人説”が指摘されていたのだ。

 では、これらの局面で、日銀は政府の意向を実際に拒否することができたのかと言われれば、答えは「ノー」だ。

 それは当時の法律にあった。

 当時の旧日銀法は、1942年(昭和17年)の戦時立法。「日本銀行ハ国家経済総力ノ適切ナル発揮ヲ図ル為」という書き出しで始まり、「総裁の解任権」や「一般的な業務指揮権」などを規定していた。

 この法律は第二次大戦後も改正されず、長らく金融政策では大蔵省(現財務省)が日銀よりも優位に立っていた。本店の所在地をもじって「大蔵省本石町出張所」などと揶揄されていたほどだ。

 この状況は80年代のバブル発生以降も変わらず、公定歩合の引き上げを求める日銀に対して大蔵大臣が「白紙撤回」を命じたり、引き下げを渋る日銀に自民党幹部が「総裁は首だ」と公言したりするなど、中央銀行の独立性について考慮されることはなかった。

独立性を与えられた改正後も
政府とのバトルは続いた


 こうした大蔵省との“主従関係”が変わったのは、98年の「新日銀法」施行からだ。

 新日銀法では、第三条で「日本銀行の通貨及び金融の調節における自主性は、尊重されなければならない」と規定され、初めて中央銀行の独立性が明文化された。

 そして金融政策は、3人の正副総裁に6人の審議委員を加えた、9人の合議制で多数決により決定されることになった。

 ただ、新日銀法は、第4条で「日本銀行は、その行う通貨及び金融の調節が経済政策の一環をなすものであることを踏まえ、それが政府の経済政策の基本方針と整合的なものとなるよう、常に政府と連絡を密にし、十分な意思疎通を図らなければならない」とも言っている。政権と違うことはさせない、という趣旨にも読める条文だ。

 新日銀法施行以降、日銀はこの3条の「自主性」と、4条の「政府との十分な意思疎通」の間で揺れてきたのだ。

 表向き「独立性」は強化されたとはいえ、現実は日銀と政府が対立する局面は続いていた。

 最初に対立が先鋭化したのは、2000年8月の「ゼロ金利解除」だ。

 時の日銀総裁は速水優氏。何があっても「円高擁護」の姿勢を崩さず、財務省と対立した人物だ。当時のゼロ金利を解除しようとした日銀に対して 政府は新日銀法で認められた「議決延期請求権」の提案を行って対抗したが、最終的に押し切られる。

 そして06年3月には福井俊彦総裁の下で量的緩和政策解除を行い、7月には利上げを実施した。このときも政府は反対したが、福井氏は「日本経済は健全な歩みを示すところまで前進してきた」と強調して押し切った。

 いずれも、新日銀法で認められた独立性を重視し、意見の食い違っていた政府を抑え込んだ形となったが、結果的には2000年も06年も失敗だったという評価が一般的だ。

 政府と日銀の「最後の対立」となったのは、13年12月から14年1月にかけてだろう。ちょうど安倍政権が誕生し、日銀が抵抗してきた物価目標の設定と「アコード」の締結を求めていたときだ。

「日銀は四面楚歌だった。自民党だけでなく、民主党(現民進党)内にも強硬な声はあったし、みんなの党なども独自の日銀法改正案を議員立法で提出した。周りは敵だらけという状況だった」と、政府との折衝に参加した日銀関係者は振り返る。

 このときは、「マネーの量を増やし穏やかなインフレを起こせばデフレは解消する」というリフレ論を採用した安倍政権と、「デフレは様々な経済主体の動きが絡まって生じたもので、金融政策だけでは限界がある」という日銀は対立した。

 しかし、最終的に13年1月の金融政策決定会合で、日銀は政府との「共同声明」を採択。「2%物価目標」という明確なインフレターゲット政策を、史上初めて導入せざるを得ないところまで追い込まれた。

黒田総裁就任後、
戦わない日銀に一変


 だが、こうしたバトルの風景は、2013年3月、黒田東彦・現総裁が就任すると一変する。

「2%物価目標」を掲げ、大量の国債買い取りなどの「異次元緩和」に突き進む今の日銀は、政府と鋭く対立した過去の面影はないし、安倍首相も黒田総裁に対する信頼を表明している。

 また、最近もリフレ派のエコノミストを審議委員に据えるなど「体制固め」が進む。

 理事経験者のあるOBが現役だったころは、「日銀と政府の意見が一致しないことなど日常茶飯だった」と言う。

 「今の日銀は、政府の言うなりになっているように見える。一昔前のようだ。独立の気概はどこに行ってしまったのか」とあきれ顔だ。

 確かに黒田総裁がトップとなって以降、政府との間で世間に注目されるような対立が顕在化したことはない。

 安倍首相は、脱デフレの物価目標を掲げ、12年の選挙で勝利して政権に返り咲いて以降、「アベノミクス」と名付けた経済政策を推し進めてきたが、その中心は黒田総裁による異次元緩和。「デフレからの脱却には大規模な金融緩和が必要だ」とする政権側と黒田総裁の考え方は一致し、対立は生じなかった。

 そんな現役の姿にOBたちは、「一体、あいつらは何で政府と戦わないのだ」と、怒り心頭だ。

 また、日銀内で育ってきた当局者ばかりではなく、最近まで審議委員を務め、黒田路線に反対を続けた野村総合研究所エグゼクティブ・エコノミストの木内登英氏も、「13年4月に黒田総裁の提案で、『2年で2%』の物価目標を決めたときは、日銀の独立性の観点からも危うさを感じた。審議委員も多様性が重要だ」と話す。

 同じく審議委員を務めていた、元学習院大教授でキヤノングローバル戦略研究所特別顧問の須田美矢子氏も、同研究所が発行する月刊誌に寄稿し「今の政策委員会は多様性が十分でなく、マーケットや国民が懸念する金融政策の副作用への言及はあまりない」と日銀を批判している。

日銀現役は冷めたムード
「インフレの時代と違う」


 しかし、こうした批判に、行内のムードは冷めており、先の理事経験者のOBも、「異様なくらい静かだ」と言う。

 その理由はなぜなのか。

 これは、黒田総裁の方針や考え方というよりも、日銀当局者たちの独立性に対する感覚が、以前とは微妙に異なってきていることが根底にあると思われる。

 例えば、最近まで金融政策の立案に携わっていた現役幹部は、「引き締め方向をイメージさせるだけの“独立性”という言葉はあまり好きではない」と話す。

 狂乱物価やバブルを生み出したのは、日銀にとっては痛恨の出来事だった。だが当時は、世界的な構造変化のショック、さらには「外圧」もあって、日本全体が「受け身」の中で、対応せざるを得なかった局面だった。

 しかしその時と今とでは状況が大きく違う。にもかかわらず、その時代のOBたちからことさら「独立性」を言われるのは「何か違う」という思いがあるようなのだ。

 この現役幹部は、「われわれは正副総裁の指示で動く事務方だ。肩ひじを張る必要もない」と話す。

 このような意見は現在の日銀では決して少数意見ではない。

 昨年まで理事を務めていた、みずほ総合研究所エグゼクティブ・エコノミストの門間一夫氏は、次のように指摘する。

「昭和40年代までに入行した日銀マンは、インフレの時代を経験しているので、独立性への強い思いがある。しかし、デフレの時には、政府・日銀が一体となって対応する方が適切な場合もある」

 またこの5年の間には、決定会合の開催回数の削減や、買い取り資産などの評価損が生じた時に備えた引当金制度の導入など、日銀が政府に求めたこともある程度、実現している。

「これらのことは閣議にかけて、政府の承認が必要な政令事項だが、すんなりと通った。やりたいことができている。政権も日銀の意見をよく聞いてくれる。日銀と政府の関係が円滑にいっているからだ」と現役幹部は話す。

真価問われる「出口」局面
官邸に屈せず利上げできるか


 だが、デフレ脱却を掲げての長い政府との“共闘期間”の間に、政府とは違う本来の中央銀行の役割、そしてそのための「独立性」の重要さを忘れてしまっている恐れはないのか。

 確かに、政府と日銀の関係が、インフレ時代もデフレ時代も同じでいいのかという点については議論の余地がある。

 だが、「中央銀行の独立性が真に問われるのは、インフレのリスクがある時。目先の景気を多少犠牲にしてでもインフレを防止しなければならない局面では、日銀と政府の意見が大きく食い違うことはあり得る」(門間一夫氏)。

 そういう意味では、今後、政策局面が異次元緩和の「出口」に向かい、引き締め方向に転じようとするときには、再び独立性の議論が前面に出てくる可能性も高い。

 利上げが必要な局面になった時に、長期金利が上がって、国債の利払い負担などが重くなることを嫌がる財務省や、国債増発が難しくなって増税を国民に求めるしかなくなった政治から、「圧力」が強まった時に、日銀は躊躇なく利上げできるのか。

 日銀自身も利上げ局面となれば、保有国債などの利回りと準備預金の「付利」が「逆ザヤ」になるなどして、へたをすれば「債務超過」に陥る可能性がある。

 それを避けるために、利上げをすべき時に利上げを先延ばしして、インフレを放置してしまうことはないのか。

 そうなったとき、今、冷めている日銀当局者たちは、どのような対応を示すのだろうか。大きな注目点になってくる。


軽部謙介(かるべ・けんすけ)/時事通信社解説委員。経済部次長、ワシントン支局長、ニューヨーク総局長などを経て2016年7月まで解説委員長。財務省、日本銀行などを担当し、著書に「検証・経済失政」「ドキュメントゼロ金利」「検証バブル失政」(いずれも岩波書店刊)などがある。


 

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