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犠牲者を悼み各地で続く祈り 東日本大震災発生から10年(東京新聞・共同)
http://www.asyura2.com/17/jisin22/msg/816.html
投稿者 蒲田の富士山 日時 2021 年 3 月 11 日 14:02:49: OoIP2Z8mrhxx6 ipeTY4LMlXiObY5S
 

2021年3月11日 12時00分
 
https://www.tokyo-np.co.jp/article/90865
 
 戦後最大の自然災害となった2011年3月の東日本大震災は11日、発生から10年を迎えた。死者、行方不明、震災関連死は計約2万2000人。「悲しみは果てない」「元気に過ごしているよ」。被害が大きかった岩手、宮城、福島3県の各地では早朝から人々が手を合わせ犠牲者を悼んだ。午後には政府主催の追悼式を東京都内で開催、天皇、皇后両陛下が即位後初めて出席される。東京電力福島第1原発事故の原子力緊急事態は宣言されたまま。約4万1000人が今も避難を続ける。

 大震災は11年3月11日午後2時46分ごろ発生、宮城県で最大震度7を観測した。警察庁や岩手、宮城、福島3県警によると全国の死者は1万5900人、行方不明者は2525人に上る。避難中の持病悪化などによる震災関連死は3775人。 (共同)  

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コメント
1. 2021年3月12日 05:22:02 : nfoGTNZeTs : QkxqMHJTTGRjWkU=[64] 報告
訂正してもらいたいな
大震災は11年3月11日午後2時46分ごろ発生 ×
   
大震災は11年3月11日午後2時46分ごろ第1波が発生
翌3月12日、再度地震・津波発生 1日中連続し被害規模が拡大していった

大震災は1度・1回の地震発生では終わりでなかった
翌実3月12日数100KMにも及ぶ震源帯で地震が発生し続け
連続して何度となく津波が発生し1日中被災地を襲い続けた
そして被害は次第に拡大南下していった

2. 2021年3月12日 13:28:34 : 1hFwhl5XF6 : dXZTY1pyS01GUXM=[1110] 報告
http://blog.nihon-syakai.net/blog/2021/03/11740.html
暴かれる天皇家の事実〜トランプは金塊を回収/プーチンが3.11人工地震の真犯人を暴露〜

http://www.asyura2.com/10/nametoroku6/msg/1974.html
阿修羅に投稿されたのが2011年8月15日
殺された人たちは、首謀者が誰か知っている。

中曽根の国葬には、3人分の勲章があった。

3. 2021年3月13日 19:01:09 : 8ZOfzsUjXw : SmpsVDRtem00WS4=[291] 報告
癒えないよ 心の傷は 宣伝で
4. 蒲田の富士山[608] ipeTY4LMlXiObY5S 2021年4月09日 13:21:21 : ThU5Gy6dsg : UWU5VlZ1UlRBak0=[36] 報告
少女は故郷で住民の命を守る看護師になった 南三陸町を離れ、もがいた10年で「震災に向き合おう」(東京新聞)

2021年4月8日 12時00分

https://www.tokyo-np.co.jp/article/96598?rct=national

 東日本大震災の直後、宮城県南三陸町で高校を卒業したばかりの少女を取材した。あれから10年。ためらいながらも、進学のため大きな被害に遭った故郷を離れることを決めた彼女は、住民の命を守る看護師になった。 (森本智之)

 高橋美里さん(28)は津波で自宅を流され、祖母と消防士だったおじが亡くなった。当時18歳。地元の県立高校を卒業し、仙台市の看護専門学校へ進むことが決まっていた。

 町は中心部が津波に襲われ、壊滅的被害を受けた。同じように進学予定だった地元の友人は、ボランティアのため地元に残ると決めた。家族のため、町のため、「自分もここでできることがあるんじゃないか」。悩んだが、その家族からも背中を押された。

 震災から10日、避難所で高橋さんに出会ったのはこの頃だ。はにかむ写真を添えて「看護の道へ 18歳『町を出る』」と記事にした。笑顔の裏の葛藤を分かっていなかったと、今になって思う。

 町を離れて3年後、高橋さんは仙台で学生生活を終えても、就職する気になれなかった。自分でも驚くほど看護の勉強は楽しくて、向いていると思っていたのに。

 50人いた同級生に被災者は「自分くらい」で、仙台で震災の話はほとんどしなかった。ただ、時折届く故郷からの連絡で、友人や知り合いの死を遅れて知った。卒業後に震災に遭い、体験を友人たちと共有できないまま巣立った高橋さんの記憶は時間が止まったようだったという。

 気持ちを紛らわせるように、盛岡市の別の学校に進んで助産師の資格を取ることにした。1年後、看護師としてスタートを切ったのは、故郷から遠く離れた神奈川県藤沢市の病院だった。

 都心のベッドタウンで看護師も医師も若く、たくさんの患者からさまざまな症例を競うように学んだ。忙しかったが、充実していると、その時は思った。

 3年が過ぎた2018年秋、鹿児島・奄美大島にある系列の病院に応援で入った。大型台風が近づいていた。湿った空気、ざわざわする室内。不意に震災直後の避難所を思い出した。

 やがて顔の右半分がまひで動かなくなった。臨床心理士のカウンセリングで「震災のことをふたしてきたのがひとつの原因かもしれない」と指摘された。

 自分は大丈夫だと思っていた。でも、診断を受けて、「ずっとせき立てられるように生きてきた」と気付いた。

 「震災に向き合おう」と思った時、心に浮かんだのが故郷だった。南三陸町の総合病院で働き始めて1年がたった高橋さんに今年3月、10年ぶりに再会した。「こんな状況で看護学校に入ったんだから勉強しなきゃ、働かなきゃってずっと『やんなきゃない』の10年だったかもしれません」と高橋さんは振り返る。「10年たって、ようやく自分の人生を歩もうかなと思えるようになりました」

 小児科で働く今、気に掛けるのは心のケアという。自分すら気付かないまま震災の記憶が重荷になっている子はないか。ゆっくりでいい。そう思えるのはこの10年があったからだ。

【関連記事】変わったこと 変わらないこと<あの日から 東日本大震災10年>

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