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「ネット右翼」とは何か?
http://www.asyura2.com/17/lunchbreak54/msg/133.html
投稿者 中川隆 日時 2018 年 3 月 13 日 21:38:47: 3bF/xW6Ehzs4I koaQ7Jey
 

(回答先: 阿修羅掲示板は「ルールを脱したひとを罰する」ことが大好きな「正義依存症」 投稿者 中川隆 日時 2018 年 3 月 07 日 20:44:54)


「ネット右翼」とは何か?


2018年03月13日
古谷経衡は何様のつもりなのか? / 偏差値で能力を測る日本人(前編)
http://kurokiyorikage.doorblog.jp/archives/68705769.html


どのツラ下げてモノを言っているのか

  先週、チャンネル桜の『夜桜亭』を観ていたら、視聴者からの質問をSayaさんが読み上げ、水島総社長が答えるコーナーがあり、昔キャスターを務めていた古谷経衡(ふるや・つねひら)の話になった。筆者は同番組の『さくらじ』をたまに観ていたので、古谷氏を覚えていたが、番組降板後の活動は気にしていなかったので、彼が何をしていたのか知らなかった。しかし、チャンネル桜を去った後、彼が同番組と出演者に対し陰口を叩いていたことを聞いて、少々不愉快になった。そこで、ちょいとインターネットで調べてみると、傲慢不遜な発言があったので「イヤな奴だなぁ」と思った次第である。  

  古谷氏は『文藝春秋』2017年10月号で、辻田真佐憲を相手に「ネトウヨが保守論壇をダメにした」という題目で対談を行っていた。彼はインターネット上の言論に詳しいようで、「ネット右翼」と政治をネタにしていたようだ。例えば、

  新聞やテレビを見ない若者へのネットの影響力は見過ごすことはできません。ネット右翼の基本的な傾向は「嫌韓」「嫌中」「嫌マスコミ」。安倍政権が韓国に対して厳しい態度を取ると大喜びします。たとえば円とウォンの通貨スワップが継続されずに終了したときなどは「ついに安倍総理がキレた」などと大変な盛り上がりようでした。

  古谷氏が言う「ネット右翼」とやらが、朝鮮や支那を嫌いなのは何も不思議なことじゃないだろう。まともな日本人なら昔からそうだ。逆に、朝鮮人や支那人が大好きな進歩的知識人とか朝日新聞などが異常なだけ。それに、マスコミが嫌いな人は、ネットユーザー以外にも大勢いるだろう。朝から晩まで下らない「森友問題」を取り上げているマスコミに、好意を抱いている国民の方が頭がおかしいんじゃないか。安倍政権が南鮮に厳しい態度を取るのは正常行為で、もしもNHKが喜ぶような「甘い態度」を取るなら安倍政権の評価はもっと下がるだろう。そもそも、南鮮に特別な「心配り」をする議員の方がおかしく、冷たく突き放すのが良識的な日本人である。我が軍の将兵を強姦魔とか侵掠者と侮辱する民族に優しくする義理は無い。

  そもそも、「ネット右翼」って誰のことなのか? 古谷氏の定義によれば、「保守系言論人や文化人の理論に寄生する烏合の人々」らしい。しかし、不特定多数から成る「烏合の衆」なら、節操も無く誰にでもタカるだろうし、こうした大衆は気紛れだから、何かの拍子で興味を失えば蜘蛛の子を散らすように離れて行くだろう。無節操な連中というのは、左翼が勢いづけば左翼知識人の理論に寄り添うし、自民党が多数を握れば、「寄らば大樹の陰」とやらで“俄仕込み”の自民党支持層となる。信念の無い大衆は小泉劇場が人気を博せば、小泉政権支持者となり、民主党が与党になれば、「政治改革だぁ〜」と浮かれて反日議員に靡く。たぶん、「ネット右翼」なる者は、状況次第で「ネット左翼」になるんじゃないか。烏合の衆はイワシの群れと似ていて、昨日の左翼も時勢に阿って右に傾くし、風向きが左に流れれば、また左翼に戻る。希望の党を支持した者が、小池百合子の没落を目にして失望し、願望を抱えて立憲民主党に傾く、なんてのはよくあることだ。

  筆者には断定する“これ”といったデータは無いが、所謂「ネット右翼」なる名称は、主要メディア、すなわち全国紙や地上波テレビを支配する左翼分子が、危機感を募らせて創り出した用語じゃないのか? 「ネット右翼」なる人々は“偉い”論説員の主張に従わず、別の情報源で勝手に判断するから、焦った左翼ジャーナリストが「あの連中は右翼だ !」と言い放ったのが起源かも知れないぞ。「ネット右翼」なる呼称が誕生した真相を是非知りたいものだ。元々、日本の国柄や日本人の精神を改造したい極左分子は、伝統的価値観や世間の常識で判断する庶民が大嫌いだ。日本の一般人は謙虚というか、自分の判断材料に自信がないから、どうしても偉い学者や高名な専門家の意見を求めたがる。しかし、こうした知識人が一体どんな指導教授に附き、如何なる勉強をしたのか不明なんだから、最初から信じるのは危険だ。たとえ恩師が偉大でも、弟子が碌でなしという場合も多い。小室直樹先生に附いて学んでも、宮台真司や副島隆彦みたいな弟子が生まれてくるんだから。

  ところで、「私はネット右翼です」といって言論を発信する人は、具体的に誰なのか? 筆者は「ネット右翼」に疎いので、現実社会の右翼しか知らない。例えば、古くは頭山満の「玄洋社」や内田良平の「黒龍會」、昭和の「蒼龍會」などは有名で、一般人でも耳にしたことがあるはずだ。マスコミ関係者なら「一水会」の木村三浩とか鈴木邦男を思い浮かべるだろう。だが、右翼を“脱した”鈴木邦男などは誠におぞましく、本当に元「右翼活動家」だったのか、と首を傾げたくなるような人物だ。今では社民党の福島瑞穂と「仲良し」で、福島は自分の対談番組に鈴木氏を呼び、「今日は、敬愛する鈴木さんをお招きしました !」と笑顔で述べていた。これには彼の右翼仲間もさぞかし驚いたんじゃないか。要するに、鈴木は昔から左翼体質の人間なのだろう。産経新聞に入社したのも「一水会」に属したのも、愛国者を演じたかったからじゃないのか。「右翼」を辞めた鈴木が極左分子の福島と昵懇なのは、元々あった“自分らしい”姿に戻ったからだろう。

  「右翼」の定義はともかく、古谷氏が云う「ネット右翼」は、自然発生的なものらしい。彼は次のように述べていた。

  ネット右翼のそもそもの始まりは自然発生的なものでした。2002年の日韓共催のサッカーワールドカップで、韓国代表の試合で、あまりにも酷い誤審が続き、世界ランク上位のイタリアとスペインに勝った。これは審判の買収などの陰謀があったに違いないという意見がネットでは噴出しました。一方で、既存のマスコミは、そうした声を報じることは一切なく「ワールドカップ万歳」「日韓友好」で押し切った。それが今に続く「嫌韓」「嫌マスコミ」につながっていきます。

  もしも、古谷氏が説明するように「ネット右翼」が「自然発生的なもの」ならば、それは日鮮友好を“ゴリ押し”するマスコミへの“自然な”反撥なんじゃないか。電通とNHKが裏で結託し、民放各局を巻き込んで「韓流ブーム」を仕掛けたんだから、敏感な国民が反感を抱いたのも当然だろう。2008年前後はこの「ブーム」の押しつけが最も激しく、各局とも南鮮人の歌手や俳優を番組に招き、不自然なほど彼らを持ち上げていた。例えば、笑福亭鶴瓶なんかは、深夜番組の「きらきらアフロ」で何回も鮮人歌手を褒めていた。でも、あれは番組プロデューサーやフジテレビへの「ゴマすり」だと思う。全部の歌番組を調べた訳じゃないから伝聞でしかないけど、いくつかの番組では“お抱え藝人”に「韓流ファン」のフリをさせ、「提灯持ち」の役を演じさせていたようだ。

  しかしこれって、詐欺師が安物の壺とか羽毛蒲団を売りつける手口とソックリじゃないか。例えば、お金を巻き上げようと謀る詐欺師が、アホな一般人の「カモ」を高級ホテルの大広間に招く。そこには「サクラ」が仕込んであり、彼らは口々に「えぇぇぇ、安い ! 買った ! 二つくれ!」と叫ぶ。すると、何も知らない客も焦りだし、「私にも一つ頂戴 !」と言い出す。詐欺師は「しめしめ」と呟いて笑顔がこぼれる。一般人というのは、みんながこぞって買い始めると、それが必要でなくても、「買わなきゃ損 !」とか「きっとお買い得なんだわ !」と勘違いし、我先にと求めてしまうのだ。悪党どもはこうした群衆心理を上手く突いて利益を手にする。フジテレビがつまらないK-POPをイチ押ししたのは、鮮人歌手のCD販売権を持っていたからだろう。この凋落したテレビ局は、儲けを出すためになり振り構わず、必死で鮮人ミュージシャンを称讃し、ネギを背負ってやって来る日本人を絶好のカモにしてきたんだから悪質である。

  そもそも、日本人は朝鮮文化が好きなのか? TBSとかフジテレビは南鮮のダンサー歌手やアイドル・グループを招いて「今、人気沸騰中の◯◯さんでぇ〜す」と紹介していたが、本当に話題の鮮人なのかどうか判らず、何となく怪しかったのを覚えている。不思議な事に、彼らは英語、あるいは拙い日本語で歌を披露し、朝鮮語の歌詞で唄うことは少なかったと思う。筆者が知らないだけで、実際は朝鮮語の歌が流行っていたのかも知れない。しかし、一体、どれ程の日本人が朝鮮語で彼らの歌を聴き、朝鮮語で一緒に唄っていたのか? そもそも、日本人で朝鮮語を理解する者が、そんなに多いとは思えない。朝鮮ドラマだって人気があった訳じゃないだろう。例えば、TBSは2010年に『アイリス』という南鮮ドラマを夜9時台に放映したが、視聴率は惨憺たるものだった。毎回、6%から7%をうろつくだけで、良心的なサラ金業者の金利みたいだ。

  もっとも、TBSの社員だって高視聴率は期待していなかたはず。彼らも私生活で外国ドラマを観るなら、アメリカ・ドラマの『24』や『プリズン・ブレイク』の方を選ぶだろう。毎日新聞の社員も、自腹で買うなら「東スポ」か「スポニチ」なんじゃないか。産経新聞社は系列の雑誌『正論』を読者に勧めているが、産経社員でそんなつまらない雑誌を読む奴がいるとは思えない。 『正論』を買い支えているのは真面目な高齢者くらいで、若者はそっぽを向いている。せいぜい月刊雑誌の『Hanada』を買うくらいだろう。話を戻すと、筆者は「話題沸騰」の南鮮ドラマを一度も観たことはないが、世間の噂でその惨状を想像できる。BS放送では今でも下らない南鮮ドラマを垂れ流しているが、こんな番組を観ている日本人は暇を持て余して死にそうなカウチ・ポテト族くらいだろう。 おそらく、他に流すコンテンツが無いから、BS放送局は仕方なく「時間潰し」として放送しているんじゃないか。もし、有料放送局のWOWOWで週末のゴールデン・タイムに南鮮映画を流したら、苦情が殺到し、解約者が出るだろう。無料放送局の視聴率は当てにならない。

  古谷氏は「チャンネル桜」が誕生したことで、ネット右翼が増大し、中堅以下の保守系言論人が世間の注目を集めるようになったと述べていた。

  古谷 / 今振り返ると2004年は、ネット右翼にとって大きなエポックメイキングだったと思います。右派系独立放送局の「チャンネル桜」がこの年に誕生しました。そして2007、8年頃から同番組はYouTubeとニコニコ動画へ転載されるようになり、爆発的に広まっていきます。このときから保守系の言論人と自然発生的に生まれたネット右翼の共依存関係が始まったんです。それまで、保守系言論人は『正論』などに原稿を載せても大した反響をもらえなかった。ところが、YouTubeに中韓の悪口を載せると3万回再生されたり、「先生のいうことは素晴らしい」などと反響が書き込まれる。櫻井よしこさんや故渡部昇一さんのような大御所ではなく、中堅以下のほぼ無名だった「保守系言論人予備軍」たちが一躍脚光を浴びるようになっていったのです。彼らは支持を増やすためにより過激によりわかりやすい「敵」への批判を繰り返していった。

  ここで古谷氏に尋ねたいのは、「中堅以下」の「保守系言論人予備軍」とは誰なのか、ということである。一般国民からすると、「予備軍」といった曖昧な表現ではなく、具体的に実名を挙げて説明してもらいたい。渡部昇一先生よりも格下で、支持者を増やすために「中韓」を過激に批判する保守系言論人の卵って誰なのか? また、古谷氏が「支那人や朝鮮人に対する悪口」という意見も、別の人にとったら「まともな批判」ということも有り得るだろう。誰のどんな「悪口」なのか知りたいところである。

  古谷氏が言う「保守言論人」には、彼自身も含まれているんじゃないか、と思えてならない。(ただし、彼が保守派言論人であるか否かは別問題。) 彼はこう述べていた。

  ネット右翼200万人のうちの0.5パーセントでも本を買ってくれれば、1万部売れることになります。書き手も出版社も儲かるからその手の本が粗製乱造されるわけです。

  確か、古谷氏は初めての著書をチャンネル桜で宣伝していたが、彼は同局の視聴者をどんな人々と考えていたのか? たぶん、彼の対談番組を観ていた人達だけは「非ネット右翼」で、自分の著書は高品質の本だと思っているのだろう。しかし、当時、まだ駆け出しの著述家だった古谷氏は、チャンネル桜の視聴者を主要な購読者層にしていたはずだ。水島社長の支援を受けて有名になった事は明らかで、古谷氏が自分一人の力だけで本を売ったとは到底思えない。筆者は貧乏なので古谷氏の著書を買う余裕が無いが、彼の意見を信じるなら、古谷氏の著作は中身の濃い高品質な本なんだろう。

  『夜桜亭』で水島社長が呆れていたけど、古谷氏は「喧嘩別れ」をしたチャンネル桜を小馬鹿にしていたそうだ。同局の世話になった古谷氏によれば、チャンネル桜に集まった人々はたいそう知的レベルが低いそうで、「偏差値38」程度であるらしい。彼は幻冬舎の新春対談で、従来の街宣右翼が衰退し、その代替として「ネット右翼」が台頭したと述べていた。そして、ここから派生したのが、「チャンネル桜」と「在日特権を許さない市民の会」であるそうだ。ただし、古谷氏はチャンネル桜のキャスター達とは違うらしい。彼はこう述べていた。

  僕自身はと言えば、チャンネル桜とは喧嘩別れしましたし、どこが本籍地ということはありません。でも、チャンネル桜に集まった人々と何年かつきあってみて、僕が彼らを過大評価してたと思い知らされました。渡部昇一さん(上智大学名誉教授)や長谷川三千子さん(埼玉大学名誉教授)をはじめ、名の通った論客が顔を揃えているから、まともな集団だと思ってたんですよ。 ・・・・でも実際にそこで仕事をしてみると、ファクトに基づいて議論するといった、メディアとして最低限の作法も身についていない。要するに「陰謀論」と「トンデモ」の巣窟なんです。偏差値61どころじゃない、言ってしまえば偏差値38だったんですよ。

  では、古谷氏が糾弾する「陰謀論」や「トンデモ」論を吐く人物とは誰なのか? まず思いつくのは、毎日の番組を担当するキャスターの面々だろう。具体的に言えば馬淵睦夫大使や渡邉哲也、有本香、高山正之、宮崎正弘、福島香織などだ。筆者はこうしたキャスターの偏差値がどれほどあるのか判らない。古谷氏がどのような方法で彼らの「偏差値」を測定したのかも不明だが、きっと「根拠」のある尺度で測ったのだろう。水島社長は番組の中で古谷氏の出演を呼びかけていたから、高い偏差値を誇る古谷氏はキャスター討論会に出演すべきだ。是非とも、目の前に坐る「トンデモ」論客の発言を指摘し、具体的な批判を加えてもらいたい。そうすれば偏差値の低い視聴者も納得するだろう。古谷氏がどれほど深い教養を持っているのか、皆の前で堂々と披露すべきだ。その時は偏差値の低い筆者も必ず拝見する。
http://kurokiyorikage.doorblog.jp/archives/68705769.html

 

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コメント
 
1. 中川隆[-7672] koaQ7Jey 2018年4月02日 17:45:35 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-9805]

「ネット右翼でした」 沖縄に暮らし、記者になって思うこと
4/2(月) 11:19配信 琉球新報


編集局内にある文化部教育班のブースで原稿を書く塚崎昇平記者=3月27日午後、那覇市天久の琉球新報社

2018年3月25日、琉球新報に掲載された1本の記事がインターネット上で話題を集めました。公式サイトに掲載された訳ではありませんが、新聞記事の写真がツイッターやフェイスブックで拡散され、個人ブログなどで紹介する人も続出し、賛否両論を巻き起こしたのです。

話題となった記事は、入社2年目の塚崎昇平記者(26)が書いた「ネット右翼でした」というタイトルのコラム。琉球新報の記者が「ネット右翼」だった過去を告白する内容は、ネットでの反応を見る限り大きな関心を呼んだようです。「記者ですが」というコーナーは2017年6月4日から毎週日曜日に掲載している記者のコラムです。記者たちの素顔を垣間見ることができると好評で、開始以来42回を数えます。

なぜ「ネット右翼」だった彼が琉球新報の記者になったのでしょうか。どのような心境の変化、葛藤があったのでしょうか。「伝えきれなかった思いがまだあるはずだ」と思い、塚崎記者にインタビューしました。

ネットで考えを固めていた高校時代

―なぜコラムに「ネット右翼だった」ということを書こうと思ったのですか。

題材については教育担当(当時)として教科書問題のことなど幾つか候補がありました。その中で自分にしか書けないことは何だろうと考えました。そういえば、琉球新報社内で「自分はネット右翼だった」と公言しているのは私ぐらいだなと思ったんです。であれば、なぜ自分が「ネット右翼」だったのか、そして、考えが変わったのはどうしてなのか、ということを伝えたいと考えました。

―「記者ですが」は冒頭、「学生時代、私は『ネット右翼』だった」と書き出しています。なぜ、自分を「ネット右翼」と定義したんですか。

「ネット右翼」という言葉も定義はきちっと定まっているものではないと思います。ただ私が思う「ネット右翼」の定義としては、現場に行かないで、例えばインターネット上の情報で自分の考えを固め、「右」的な考えをネットで発信するというものではないかと考えました。そういう意味で、自分は「ネット右翼」だったと思っています。例えば、ネット上などでよく言われているように「中国や北朝鮮を抑えるため、沖縄には基地が必要だ」という意見などです。日本政府はそう説明しますが、私も過去、それを無批判に受け入れていました。

ファクトチェックされていない情報うのみに

―影響されたネット上の情報というのはどのような内容ですか。

ファクトチェックを受けていない根拠のない情報や、個人の考えがそのまま載ってしまっているブログなどです。ある意味、事実と反する情報でもネットではそれなりに影響力を持つ場合があります。ネットだけでなく、本を読む際にも自分に都合のいい情報だけを集めていたように思います。

元防衛大学校の方が書いた本や防衛省が発行している防衛白書なども読んで、自分の考えをまとめていました。ネットだけで情報を得ていたわけではありませんが、自分の考えを補強するために本なども読んで「私の意見は論文に基づいた考え方だ」と誇示していた、ということに近いかもしれません。

「ミリタリー好き」が入り口に

―自分が「ネット右翼」だと感じたのはいつごろからですか。

小学生のころはイラク戦争に反対していた覚えがあります。明確なきっかけはありません。高校時代までは大分県で暮らしましたが、今考えると高校の後半ぐらいからいわゆる「ネット右翼」のようなことをしていたと思います。自衛隊の航空ショーに出向くなど戦闘機や戦車などミリタリー(軍事)に関するものに興味がありました。いわば「ミリタリーおたく」です。「ミリタリー好き」から安保への興味につながりました。「ネット右翼」になったのも、自分の場合はミリタリー好きが関係していたのかと思います。

―「沖縄には基地は必要だ」という考え方を持っていたと言っていましたが、「沖縄に基地は必要ない」という意見があることは知っていましたか。

それはもちろん把握していました。私が琉球大学に入学するために沖縄に来たのは2010年4月で、現在8年目になります。米軍普天間飛行場の県内移設に反対する県民大会(2010年4月25日)の前後だったと思います。その当時は民主党政権で、いったん白紙にされた米軍普天間飛行場の移設先について、数日ごとに新たな候補地が示されていくような時期でした。

せっかく自民党政権が苦労して名護市辺野古に移設先を決めたのに、なぜひっくり返すようなことをするんだろうと感じていました。

「沖縄には米軍基地が必要だ」を確かめるため

―進学を機に沖縄へ。琉球大学に進学した理由は何ですか。

「沖縄には米軍基地が必要だ」と思っていたので、それを自分の目で確認したいという気持ちがありました。政治や国際関係を専攻し、最初は「ネット右翼」のスタンスを維持していました。自分なりに正しいと思っていた国家論を振りかざしていましたね。

友人からは「地に足が付いていない」とよく言われていました。「おまえは沖縄に根ざしていない。沖縄にいる意味はないのではないか」というような内容のことを言われた記憶もあります。大学時代の友達に会うと今もからかわれますね。「あのおまえが琉球新報に?」と言われることも少なくありません。

琉球新報の論調に怒りさえあった

―琉球新報に入社しましたがメディア志望だったんですか。

なんとなくマスコミに入りたいと思っていました。イラク戦争の時、米軍と共に行動しながら取材している記者のテレビ番組を見た時に、マスコミに興味を持つようになりました。いろいろな人に話を聞くことは楽しいだろうなと思い、新聞記者になりたいと考えるようになりましたが、直接のきっかけは思い出せません。ただ当時、琉球新報への入社は考えてもいませんでした。

―当時、琉球新報についてはどのように思っていましたか。

ちょうど大学時代に東日本大震災があり、米軍の「トモダチ作戦」に共感を覚えていました。琉球新報は「トモダチ作戦」について米軍が自分たちの宣伝活動に使っているのではないか、と思われるような論調で報道していると受け止めていました。「現場の人たちは頑張っているのに何を考えているんだ」と怒り、そういう思いを自分のツイッターに書き込んだ記憶があります。

「論破してやろう」と辺野古・高江へ

―「記者ですが」に、「考えが変わり始めたのは友人と訪ねた辺野古や東村高江の現場を目の当たりにしてからだ」とあります。大学時代には辺野古や高江の現場をよく訪ねたんですか。

はい。大学3年だった2012年の夏、ヘリパッド(ヘリコプター発着場)造成に対する反対運動が行われている東村高江の現場に足を運びました。座り込んで反対運動をしている人たちが何を考えているんだろう、ということに興味がありました。ただ、あわよくば、座り込みをしている人たちの考えを論破してやろうという思いもありました。

座り込んでいる人に声をかけ、活動をしている理由について尋ねると「生活を守るためにヘリパッドを造らせない」ということでした。米軍が沖縄に駐留していることについて、座り込んでいる人が「米軍の力に頼るのは疑問がある」と言ってきました、それに対して私は「中国の公船が尖閣諸島の近くに入ってきているし、北朝鮮もミサイルを打ち上げている。米軍の力があるからこの程度で済んでいるのではないか」と反論しました。そうしたら、後方で話を聞いていた高江に住む男性から「おまえは違う」とぴしゃりと言われました。

自分が考えていることを主張して、「間違っている」と面と向かって指摘されたことは友人以外では初めてでした。その後のやりとりは覚えていませんが、現場に向き合い続けている人の言葉だったからこそ、心に突き刺さったのだと思います。もんもんとしたものを抱えたまま現場を離れました。

現場を知り、見えてきたこと

―それが変わるきっかけになったということですか。

それをきっかけに時々、辺野古の現場にも行くようになりました。新基地建設に反対する集会にも足を運びました。男性から指摘された後は、もんもんとした思いを持ちながら授業などで沖縄の歴史を学ぶことになりました。住民が名護市辺野古に米軍キャンプ・シュワブを誘致したわけではないということにも気づくことができました。

ただ、大学3、4年だったこの時期は、人に指摘されたからといって自分のスタンスを変えるのは嫌だなとも思っていました。その頃、ちょうど、自民党の安倍政権が誕生し、特定秘密保護法や集団的自衛権などの政策を次々と進めていきました。それらは日本の国の形を、比喩ではなく、「戦争ができる国」にしてしまうのだろうなと思うようになりました。そして、そのような流れの中にある「沖縄」について考えるようになりました。

それと同時に安倍政権は沖縄県民が強固に反対している米軍普天間飛行場の名護市辺野古移設について、県民の声を無視する形で強引に推し進めようとしていました。こんなに沖縄の人たちがあらがい続けているのにそれが通らない、県民が反対しても強行するというのはおかしくないか、と思い始めました。この頃になると、自分のスタンスを維持し続けるのが論理的なことだけでなく、精神的にも苦しくなってきました。それなら、考えを変えた方が自分に正直ではないかと思いました。

そんなとき、2014年8月25日に米軍キャンプ・シュワブゲート前で開かれた県民集会(止めよう新基地建設!みんなで行こう、辺野古へ。8・23県民大行動)に足を運びました。琉球大学大学院人文社会科学研究科1年のころでした。その際、琉球新報の記者に取材され、記事として掲載もされました(2014年8月25日付21面)。振り返ると、いわゆる「ネット右翼」というスタンスから完全に離れたのは大学院生時代だったと思います。

「反対」の根底にある沖縄戦

―学生時代に沖縄戦のことを学んでいたんですか?

大学では安全保障などを研究していたので、沖縄戦は教養の講義で学ぶ程度でした。ちょうど高校1年生のころ、文部科学省の高校歴史教科書検定で、沖縄戦における「集団自決」(強制集団死)の日本軍強制の記述削除・修正された問題で、教科書検定意見の撤回を求める県民大会がありました。

当時は大分県の高校生だったので、あまり記憶にはありません。その後の文科省と県内の対立ややりとりにも特段関心はありませんでした。ですが、大会で高校生の代表2人が「この記述をなくそうとしている人たちは、沖縄戦を体験したおじい、おばあがうそをついていると言いたいのだろうか」と言っていたことだけはテレビで見て、鮮明に覚えています。同世代の訴えだったからこそ、沖縄に特段関心のなかった当時の私にも、響いたのかもしれません

沖縄戦のことをきちんと知るようになったのは入社してからです。入社後に教科書検定があり、文化部の教育担当になった私が沖縄戦に関する記述について、記事を書くことになりました。当時の教育担当キャップに原稿を見せたら、「君は安保のことは詳しいかもしれないが、沖縄戦のことは何も分かっていないな」と言われました。がつんときました。

入社二年目には、ちょうど教科書検定の県民大会から10年ということで、「集団自決」(強制集団死)のおきた渡嘉敷島に出向いたり、東京で教科書執筆者や編集者を取材したりして、当時を振り返る記事を書きました。当時の新聞記事や資料を読み込んでから取材をしましたが、その取材の原動力となったのも、当時の教育キャップの言葉だったと思います。

辺野古の現場などに足を運ぶと、座り込んでいる人が沖縄戦について話してくれることがあります。沖縄戦の記憶は、体験した人の記憶だけではなく、ある種世代を超えて共有されているのだろうと思います。それが脈々と残っているということが、私を変えた一因にもつながっているような気がします。

現場でデマだと実感

―「記者ですが」には県民大会に参加した際、「ネット上のデマが現実離れしていると感じた」と書いています。

「反対運動をしているのはお金をもらった人々」というデマです。現場に足を運ぶと、現場を見ていない人が言っているんだなということが分かりました。現場には家族連れも普通の学生も、いろいろな立場や世代の人がいますから。

辺野古のゲート前で一日取材をして記事を出すと、どうしても内容は抗議行動をしている市民らが警察に排除されるというようなことを伝える内容になりがちです。ですが実は現場はずっと緊迫している訳ではありません。大学の講義で「座り込みの時間の多くは暇だ」と言われたことを思い出しました。楽しげに歌を歌ったり、踊りを踊ったりして楽しげな雰囲気に包まれることもあります。

中国の人に会ったことない

―お金をもらっているから反対運動をしている、というネット上の言説に対しては間違いだと思いますか。

はい。むしろ現場に来るためにガソリン代やバス代などの負担は大きいと思います。ネットではよく中国などの勢力がお金を出して運動を扇動し、日米安全保障体制を崩そうとしている、とか、現場には中国人や韓国人がいっぱいだ、という記述をよく目にします。実は私もそのように思っていた時期もありました。でも、私自身は辺野古や高江の現場に足を運んで中国の人に会ったことは一度もありません。もし、いたとしても一市民として、この状況が問題だと思って参加しているんだと思います。

「ニュース女子」(東京MXの番組)で高江の現場について「中国人はいるわ、韓国人はいるわ」と伝えていました。番組を見て「本当に現場に行ったことがあるのか」と怒りを感じました。ただ、昔だったら信じてしまっていたのではないか、もしかしたら喜んでその主張に飛びついていたのではないか、とも思います。

両論併記についても昔は双方の意見をしっかり書くべきだと思っていました。でも今は、圧倒的に力の差がある中で両者の中間に立つということが本当に公平なのか、ということだと考えるようになりました。

批判は真摯に受け止める

―今回の「記者ですが」はかなり反響がありますね。どのように感じましたか。

「記者ですが」について意見が書いてあるツイッターなどSNSを数多く見ました。「こいつは何も反省していない」「自分は変わることができて良かったね」などという批判もたくさんありました。「ネット右翼で多くの人を傷つけていたことについての反省はないのか」という内容の指摘もありました。

確かに私は「ネット右翼」だった当時、特定の個人を「極左だ」とかレッテルを貼って周りの人に話をしていたことがありました。人を殴ったり、お金を盗ったりした訳ではないので、コラムが紙面に掲載されて、そうした指摘があるまで、私に罪の意識は正直ありませんでした。人を傷つけたという意識もありませんでした。だからこそ、「反省はないのか」などの批判は真摯(しんし)に受け止め、胸に刻みつけておかなければいけないと思っています。

ただ今回、批判も予測しながらも「ネット右翼でした」というタイトルでコラムを書いたのは、こんな私だからこそ、伝えられることがあるのではないかと思ったからです。

―「ネット右翼」と呼ばれる人たちからの反応もあったとか。

「『ネット右翼』だったと言っているのは嘘だろう」というような批判もありました。それに対しては「はい。ネット右翼でした」と答えます。「シールズの元メンバーだ」というような指摘もあります。私は大学院生時代、「ゆんたくるー」(若い世代に基地問題の現状を知ってもらおうと活動している県内の大学生らでつくるグループ)の集まりに参加したことはありますが、メンバーではなかったし、シールズのメンバーになったこともありません。ただ、もしシールズの元メンバーだったとしても特に問題はないと思います。

「実名を書いて言うことは勇気のいることだと思う」という内容の反応もあり、救われた思いもしました。いろいろな反応の中で、「『対話は意味がないものではない』と気付かせてくれたのはありがたい」という内容のものもありました。

人の思想を「左」「右」にレッテルを貼って分けることには違和感を覚えています。自分と違うスタンスにいる人に対しても意見を言ったり、意見を聞いたりすることは意味のあることだということを感じてくれた人もいたようです。

互いのレッテル≠乗り越えたい

―「記者ですが」掲載後の反響などを踏まえ、今どう感じていますか。

批判はあると思いますが、書いたことを後悔はしていませんし、別の題材で書けば良かったとも思っていません。4月から北部報道部に配属されますが、北部に行くに当たっての決意表明でもありました。

―「記者ですが」では、「かつて私のような人たちに現場の状況を理解してもらえるか、考え続けている」と結んでいます。

どんな立場や考えの人であっても、事実に基づいた力ある記事なら、人の心にちゃんと届くと思います。記事をきっかけに、例えば「一度ぐらいは辺野古の現場に足を運んでみようか」とか「現場に行った人に話を聞いてみようか」など、少しでも何かしらの行動につながればいいと思っています。

現場≠ノ行くことなど考えてもいなかった人や、「ちょっと怖そう」と思って敬遠している人も多いかもしれません。私が現場に行ったのは逆に、座り込みしている人を論破しようと思っていたということもあります。残念ながら、「琉球新報は左だ」などというレッテルが貼られているのも事実です。そのレッテルに邪魔されて、書いたことが真っすぐに届いていないと感じて苦しくなることもあります。

そんなレッテルは、私たちから打ち破る必要もあるかもしれません。そして、もしかしたら異なる立場から打ち破ってくれる人もいるかもしれません。

今さらですが「ネット右翼」という表現も、一つのレッテル貼りなのでしょう。そんな言葉こそが、対話の機会を遠ざけている要因の一つなのかもしれません。私が『ネット右翼だった』と自認すること自体も、過去の私にレッテルを貼る行為なのかもしれません。いつの間にかつくりあげてしまったレッテルの亡霊≠ノ邪魔されて、対話ができないような事態を飛び越えられるような記事を書いていくことができれば、と考えています。

そのためには私自身も、レッテルの亡霊から解き放たれる必要があるのだと考えます。今回のコラムがいろいろな論議を呼んだことも含めて、私自身がレッテルの亡霊から離れる一歩になったと考えています。


〜 プロフィル 〜

塚崎 昇平(つかざき・しょうへい) 琉球新報社北部報道部記者。1991年、大分県生まれ。大分県内の高校から沖縄県の琉球大学に進学。2016年に琉球大学の大学院を修了し同年琉球新報社に入社。2018年3月まで文化部で教育を担当。同年4月1日から米軍普天間飛行場の移設問題などを抱える名護市を管轄する北部支社に配属となった。

〈インタビューを終えて〉

同僚に1時間30分近くインタビューするなんて約20年の記者生活の中で初めての経験でした。日米安保に詳しいことは入社当時から聞いていましたが、かつて「ネット右翼」だったということは最近初めて知りました。

新聞記者も一人一人、いろいろな考え方を持っています。細かい点では言い合いになるほど考え方は多種多様です。そのような記者が取材相手と向き合うことでいろいろなことを学びます。塚崎記者は入社2年目。私も同じですが、沖縄戦や基地問題だけでなく、まだまだ取材などを通して知らなければいけないことが山積みです。

自分の考え方が変わってしまうような瞬間に接することが、記者には幾度となくあります。「ネット右翼」だったと自認する塚崎記者だからこそ、異なる立場や考えの人々と語らい、多くの人の心に届く記事を書いていけるはずだと信じています。


〜 聞き手 〜

宮城 久緒(みやぎ・ひさお) 1996年琉球新報社に入社。編集局付。写真部、社会部、運動部、政治部、北部報道部、東京報道部などを経て4月からデジタル編集担当。

2018年3月25日 オピニオン面掲載

〈記者ですが〉 ネット右翼でした

文化部 塚崎昇平 26歳

 学生時代、私は「ネット右翼」だった。辺野古や高江で米軍基地建設に反対して座り込む人々に、ネット上の言説を根拠に「反日勢力」とレッテルを貼った。琉球新報など、権力にあらがう人々を伝える報道には、自分なりの国家論を振りかざして反論した。持論がネット上で賛同されるのを見て、悦に入っていた。

 考えが変わり始めたのは友人と訪ねた辺野古や高江の現場を目の当たりにしてからだ。座り込む人たちに、自分の意見をぶつけたが「君は間違っている」とぴしゃりと言われた。対話を重ねるうちに、抗議を続ける動機に「生活を守る」という意識と、沖縄戦の記憶が流れていることに気付いた。ネット上の情報だけを信じていた自身の浅はかさを痛感した。

 その後も戦後史を学ぶにつれ、辺野古新基地建設に対して強い疑問が生まれた。「自分も意思表示したい」。そう思うようになり、新基地建設に抗議する県民大会に足を運んだ。家族連れら、さまざまな人が集まった様子を見て「反対運動はお金をもらった人々」というネット上のデマが現実離れしていると感じた。その中で「より多くの人に現場の状況を知らせたい」と思い始め、記者を志望することにした。

 教育担当記者となった今も、辺野古取材班に加わっている。4月からは北部報道部に配属となる。ゲートに座り込む市民を取材する機会も多くなる。「ネット右翼」だったかつての私のような人たちに、どうすれば現場の状況を理解してもらえるか、考え続けている。
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琉球新報社


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