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「南京虐殺はなかった」アパホテル反論の“嘘と詐術”を検証する! そして、安倍首相とのただならぬ関係とは?(リテラ)
http://www.asyura2.com/17/senkyo219/msg/391.html
投稿者 赤かぶ 日時 2017 年 1 月 19 日 18:45:05: igsppGRN/E9PQ kNSCqYLU
 

                 アパグループHPより


「南京虐殺はなかった」アパホテル反論の“嘘と詐術”を検証する! そして、安倍首相とのただならぬ関係とは?
http://lite-ra.com/2017/01/post-2862.html
2017.01.19. 世界に知れ渡った「歴史修正主義ホテル」APAの正体(後編)  リテラ


 グループ代表自らが「南京虐殺はなかった」と主張する歴史修正トンデモ本を客室に設置していたことが海外で知れ渡り、大問題に発展したアパホテル。前回の記事では、その元谷外志雄・アパグループ代表の著書『理論 近現代史学II 本当の日本の歴史』のトンデモな内容と、ホテルを自分の思想宣伝に利用している元谷代表の私物化経営の実態を紹介した。

 だが、アパグループは全く反省する姿勢を見せず、17日17時頃、公式サイト上で、以下の“反論声明”を公開。書籍撤去を拒否し、歴史修正キャンペーンを正当化した。

〈本書籍の中の近現代史にかかわる部分については、いわゆる定説と言われるものに囚われず、著者が数多くの資料等を解析し、理論的に導き出した見解に基づいて書かれたものです。国によって歴史認識や歴史教育が異なることは認識していますが、本書籍は特定の国や国民を批判することを目的としたものではなく、あくまで事実に基づいて本当の歴史を知ることを目的としたものです。したがって、異なる立場の方から批判されたことを以って、本書籍を客室から撤去することは考えておりません。〉(アパグループ公式サイト、ニュースリリースより)

 続けて、開き直るかのように、〈末尾に本書籍P6に記載しています、南京大虐殺に関する見解を掲載いたしますので、事実に基づいて本書籍の記載内容の誤りをご指摘いただけるのであれば、参考にさせていただきたいと考えています〉と自信ありげに挑発すらしてみせた。

 ならば、それがいかにトンデモかを指摘しようではないか。ちなみに、ここでいう「本書籍」とは『理論 近現代史学 本当の日本の歴史』のことで、そこにはこんな見解が書かれていた。

〈中国は日本軍が南京で三十万人を虐殺したと主張しているが、そもそも当時の南京市の人口は二十万人であり、三十万人を虐殺し、その一ヶ月後には人口が二十五万人に増えていたなどあり得ないことだ。しかも国民党中央宣伝部に雇われていた二人を除いて、欧米人など第三国の人が虐殺を目撃した日記も手紙も写真も、記録したものが一つもないことなど、更には、上海大学の朱学勤教授が「いわゆる南京大虐殺の被害者名簿というものは、ただの一人分も存在していない」と論文で発表したにもかかわらず、辞職もさせられていないことなどから、いわゆる南京虐殺事件が中国側のでっちあげであり、存在しなかったことは明らかである。〉

 よくもまあ、こんな滅茶苦茶な理屈で〈事実に基づいて本当の歴史を知ることを目的としたもの〉などといえたものである。これこそ、歴史修正主義者、ネトウヨが使う詐術の典型はないか。

 たしかに、南京事件の被害者の人数の問題については数十万人から数万人、数千人まで諸説がある。当時の南京の人口は、元谷氏の言うように「20万人」ではなく、実際は、南京防衛軍および他所からの難民も含めて40〜50万人だったという推測もあるが、それでも中国側の主張する「30万人虐殺」というのは、なかなか考えにくい数字だろう。

 しかし、そのことをもって、南京事件自体を「存在しなかった」とするのは、完全に論理のすり替えだ。

 南京陥落前後に日本軍が中国人捕虜や民間人を虐殺したことは、中国側だけでなく複数の旧日本兵たちの膨大な日誌や証言が残っており、日本軍による市民を含む大量殺害行為があったことは、保守系歴史学者も認めている歴史的事実である。実際、歴史修正主義者たちもこうした資料には、ほとんど有効な反論ができず、一部のトンデモ学者以外「南京事件は存在せず、犠牲者は0人」とする主張はほとんどなくなった。

 しかしどうしても「南京事件はすべて中国のでっち上げである」と主張したい連中は、中国側の宣伝の「30万人」をもち出し、それを攻撃することで、「虐殺はなかった」「でっちあげだった」というイメージ操作を行っているのだ。

 元谷氏は、まさに保守系の歴史学者の間でも呆れられているこうした“南京事件まぼろし派”のトンデモ学者たちが口にしてきた詐術をそのまま使っているだけなのである。 

 それだけではない。もっともらしく並べている他の根拠も、インチキだらけだ。元谷代表は〈欧米人など第三国の人が虐殺を目撃した日記も手紙も写真も、記録したものが一つもない〉というが、実際には南京事件初期の時点で、アメリカのニューヨークタイムズのF・T・ダーディン記者やシカゴデイリーニューズのA・T・スティール記者の記事をはじめ、海外の多くの新聞や雑誌で日本軍の暴挙が報道されていた。また、当時南京に駐在していたアメリカとドイツの外交官も本国へ事件の報告書を郵送していたことも判明している。

 さらに、唖然としたのは、〈上海大学の朱学勤教授が「いわゆる南京大虐殺の被害者名簿というものは、ただの一人分も存在していない」と論文で発表したにもかかわらず、辞職もさせられていない〉として、それを南京事件がなかったことの証明のように主張していたことだ。

 元谷氏のいう「朱学勤教授の論文」が何を指すのか、調べてみると、どうやら産経新聞2007年12月20日付記事が元ネタらしい。それによれば、南京事件70周年の翌日、リベラル系中国紙「南方都市報」に朱学勤教授の論文が掲載されていたという。その内容について、記事では〈パール・ハーバーの記念碑には犠牲者の姓名がしっかり刻まれていたのに、南京大虐殺記念館には30万人の犠牲者の名前はない〉と引用されている。

 この時点で、元谷代表の言い分がかなり歪曲されたものであることは自明だが、たしかにこの論文で朱教授は、南京事件の犠牲者の“名簿がない”ことについては言及している。しかし「南京事件は存在しない」と言っているのではない。逆だ。

 ウェブマガジン「ChinaFile」12年6月12日付に、その論文と思われる朱教授の文章が、英訳で引用されている。これによれば、中国では、長らく大衆が南京事件について議論することを禁じられており、それが許されたと思ったら、地方自治体がすぐさま虐殺の記念碑を造りだして、大衆の前に“30万”という数字が出てきた。一方、真珠湾の記念館やベトナム戦争の記念館ではすべての犠牲者の姓名が刻まれており、とてもディティールに富んでいる。朱教授はこう述べる。

〈30万を殺すことは虐殺であるのに、20万から10万あまりであれば虐殺ではないのか? それが1人か2人ならば、命ではないのか? 私たちの目の前にある“30万”は曖昧な概念であり、(犠牲者個人が思い浮かぶような)ディティールのある数字ではない。そして、概念では人々を納得させることはできない。かわりに、人々に猜疑を芽生えさせ、日本に言い逃れのための口実を与えさえする。私たちは決定的な数字を使うべきであり、最も良いのは、具体的に個人の名前を刻むことだろう。そうしたときだけ、私たちは他者を畏敬させ、国際社会から敬意を得ることができる。〉(編集部訳)

 つまり、南京事件では多くの人が犠牲になって、追悼するに十分な理由があるのに、世界から敬意を払ってもらえていない。それは、中国政府がもち出す30万という数字だけでは、犠牲者ひとりひとりの人間像が表れないからだ。朱教授はそう指摘し、犠牲者の名前を掲載しない中国政府の態度を批判しながら、追悼のために犠牲者個人の名を刻むことを求めたのである。そして、上っ面の数字にこだわると、犠牲者の命という本質を忘れてしまい、歴史修正をされかねないと警告までしている。

 こんな発言で辞職にならないのは当然だろう。いったいどこをどう読めば、「南京虐殺はでっちあげであり、存在しなかった」という根拠になるのだろうか。

 元谷代表は続けて、日本軍による南京占領後に起きた市民の虐殺は、実は中国側の敗残兵の仕業だったという無茶苦茶な持論まで展開している。

〈上海事変で勝利した日本軍は、敗走する国民党政府軍を追撃し、国民党政府の首都であった南京を攻略し、同年十二月十三日に南京占領。このとき敗残兵が住民に対して略奪、虐殺を行った。それらの敗残兵が民間人の衣服を奪って便衣兵(ゲリラ)となったことから、日本軍は便衣兵の掃討作戦を行った。便衣兵(ゲリラ)の殺害は国際法上認められているものであり、一般住民を虐殺したのはこの敗残兵達(督戦隊が撃ち殺したのは、逃亡中国兵であった。)であった。しかし、こうした事実が歪められて、情報謀略戦として、「南京三十万人虐殺説」が流布されたのである。〉(『理論 近現代史学 本当の日本の歴史』より)

 いったい、このワンマン経営者はどういう妄想を書き連ねているのか。当時は日本兵が便衣兵と民間人を正確に区別することは困難で、保守派の歴史学者である秦郁彦氏も〈便衣兵の摘発に際しては、憲兵、通訳、中国人も加えて査問する建前になっていたが、実際には「良民ト便衣兵ノ区分困難ナリ」(歩三八連帯行動表)とか、「青壮年ハスベテ敗残兵又ハ便衣兵トミナシ」(歩六旅団の掃蕩要領)となってしまっていたようだ〉(『南京事件 増補版』中公新書)と書いている。

 また、陥落直後の南京で、撃墜された日本軍機の搭乗員の遺体捜索活動に従事した奥宮正武氏(第一三航空隊分長)は、「(南京陥落直後では)私の知る限り、彼ら(=便衣兵)のほとんどは、戦意を完全に失って、ただ、生きるために、軍服を脱ぎ、平服に着替えていた。したがって、彼らを、通常いわれているゲリラと同一視することは適当とは思えない」(『私の見た南京事件』PHP研究所)と記している。

 それを、全部、自分の都合のいい風に解釈しなおし、悪質なデマゴギーをふりまくのである。

 しかも、元谷代表は南京事件否定の延長で、「張作霖爆殺事件はソ連の特務機関の犯行である」とか「中華民国を操り我が国を陥れようとしたコミンテルンの策略が大東亜戦争の遠因で、日本は侵略をした加害者ではなく、戦争に引きずり込まれた被害者である」などというコミンテルン陰謀史観まで開陳している。

 前回の記事でも少し触れたが、アパグループ主催の懸賞論文の第一回最優秀賞を受賞した田母神俊雄氏の論文も、やはりコミンテルン陰謀史観満載で、今回の元谷氏の主張と瓜二つのものだった。このときは、保守系歴史学者の秦郁彦氏が徹底的に反論。“張作霖爆殺事件の犯人はコミンテルンの工作員”との主張に対しては「首謀者が関東軍の河本大作であることは99%確定的」とし、そのトンデモぶりをこう切って捨てた。

「コミンテルンの陰謀説が四つも五つも出てくる。歴史上の出来事はすべて特定の人間や団体の陰謀によって起きたという『陰謀史観』を唱える人は少なくないが、ふつうは一つか二つしか出さないものなのに(笑い)」
「(田母神論文は)『上杉謙信は実は女だった』というのと同じくらいの珍説です」(「週刊朝日」朝日新聞出版/08年11月28日号、田岡俊次氏との対談)

 いかがだろうか。元谷氏が「数多くの資料等を解析し、理論的に導き出した」などと大見得をきった主張がいかにトンデモかわかっていただけたはずだ。こんなシロモノが全世界に発信されたという事実こそが、日本の恥というべきだろう。

 しかも、強調しておきたいのは、これが、単に民間のネトウヨワンマン経営者の暴走、という話ではすまないことだ。元谷代表はこの国の政界に食い込み、日本の最高権力者である安倍首相ときわめて親密な関係にあるからだ。

 たとえば、2007年11月に盛大に催された元谷代表の次男夫妻の結婚式には、政界からも森喜朗元首相、中川秀直元自民党幹事長ら錚々たる面々が駆けつけていた。元谷代表は森氏と同郷の石川県小松市出身。1986年、元谷氏は地元の政治家や財界人を集めた会員組織「小松グランド倶楽部」を結成したのだが、そのとき最高顧問に就いたのが森氏で、2003年にはアパグループの機関紙「Apple Town」で対談も行い、元谷代表の著書の出版パーティの発起人を森氏が務めるまでになった。そして、アパグループは森氏との蜜月を機に政界に人脈を広げ、その子分である安倍晋三と関係を深めていったのだという。

 実際、05年10月12日、元谷代表の自宅で行われた「日本を語るワインの会」なる会合に、官房長官に就任する直前の安倍氏が出席していたことを、「週刊ポスト」(小学館)06年9月29日号が写真付きで報じた。また、元谷代表の妻でアパホテル社長の芙美子氏が旧森派議員のパーティに参加し、安倍氏とツーショット写真を撮っていたことも発覚した。

 そして極めつきは、安倍氏の秘密後援会「安晋会」の存在だ。当時メディアを賑わせていた姉歯・ヒューザーの耐震偽装事件で、耐震偽装マンションを販売したヒューザーの小嶋進社長が、国会証人喚問で国交省への事件もみ消しの働きかけを、当時官房長官だった安倍氏の秘書・飯塚洋氏に依頼していたことを暴露。そのとき、小嶋社長は「安晋会」に入っていたから、とその関係を説明したことがあった。「安晋会」には小嶋社長の他にも、吉村文吾・AIG株式会社会長や前田利幸・前田興産代表取締役社長、そしてライブドア事件にからみ沖縄で怪死を遂げた野口英昭氏が副社長を務めていた、エイチ・エス証券の澤田秀雄社長(エイチ・アイ・エス会長)など、実業界の実力者が集結し、様々な疑惑が報じられたのだが、実は、その「安晋会」の副会長を務めていたのがアパグループの元谷代表だったのだ。

 そんなことから、当時、姉歯・ヒューザー事件に続いて発覚したアパホテルの耐震偽造事件では、偽装が発覚後も行政のメスが異様に鈍かったことから、政権とグルになった隠ぺい工作があり、そこに元谷代表と安倍首相の個人的な親密さが関係しているのではないかとの見方が広がったこともある。

 結局、このアパホテルの耐震偽造事件は、隠蔽疑惑が解明されないまま風化していったが、その後も元谷代表は、安倍首相の有力な支援者であり続けている。

 今回、アパホテルに設置してあることで問題となった著書『理論 近現代史学II 本当の日本の歴史』には、こんな一節がある。

〈安倍政権は十年以上続く長期政権を目指し、日本を立て直し、誇れる祖国・日本の再興を果たして欲しい。そして自ら招致に成功した東京オリンピックの開会式で、安倍首相が「君が代」と共に開会宣言を行うのが理想だ。中国、韓国にしっかり対応していくためにも、安倍政権が長期政権となるべく、私も最大限のサポートをしていくつもりだ。〉

 そして、アメリカのAP通信はこの一件を紹介する記事の中で元谷代表のことをこう紹介した。

〈元谷は、安倍の声高な支持者であり、与党自民党の超保守派と結びついている。彼は複数の講演を主催し、主要な歴史修正主義者やイデオローグ、政治家を招いて講師にしている。〉

 トンデモ陰謀史観に基づく極右歴史修正主義を世界に発信したのはただの企業経営者ではない。この国の総理大臣がその人物と深くつながり、その主張にも大きな影響を与えていることを、私たちはしかと認識するべきだろう。

(編集部)

 

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コメント
 
1. 2017年1月19日 19:15:35 : 0CejVRban6 : urcdmA9xc1s[1420]
あーあ…

Japan hotelier's Nanjing massacre denial angers China

But the chain has refused to withdraw the book and Mr Motoya, an outspoken revisionist, has stood by his views.
(そのホテルチェーンは本の回収を拒否し、あからさまな歴史修正主義者・モトヤ氏は自分の見解を変えていない)
http://www.bbc.com/news/world-asia-38673407

英中黄金時代…


2. 2017年1月19日 19:18:06 : F19os4ncg2 : Ffayp1dvugc[1]
アパの言っていることが」真相が道の別名義がコピペしていることとほとんど一緒で笑った。
つかこのあっぱっぱの社長別に学者でも研究者でもなく、いわゆるネット受け売りをそのまままとめただけでしょ?
この社長が入れ込んだタモ何とかの顛末をみれば単なるブラック社長の保守気取りの素人道楽以外の何物でもないとわかるよね ふつー

3. 2017年1月19日 19:19:43 : 4wnaEWkfPM : Xyeda77IoQY[312]
言論詐欺師本田勝一が1977年に「中国の旅」の中でたった一人の「証人」の話をもとに「30万人大虐殺」をでっち上げるまで、中共が一言もこの話を持ち出さなかったのは何故だろか。これだけギャーギャーうるさい連中が、一言も触れない。おかしいではないか。

4. 2017年1月19日 19:20:09 : 0CejVRban6 : urcdmA9xc1s[1421]
アパホテル問題で海外メディア「代表は安倍首相の支持者」と紹介
http://www.huffingtonpost.jp/2017/01/18/apa_n_14256262.html

なんかオオゴトになったな。恥ずかしい…


5. どうでもいい中国人[16] gseCpILFguCCooKikoaNkZBs 2017年1月19日 19:21:26 : HtRpYcg4fY : hpb2vYCzdEI[8]
こういう文章はいらないよ。
南京虐殺はなかったんです。
アパホテルのやり方は正しい。

ーー中国人より


6. パラノイア[313] g3CDiYNtg0ODQQ 2017年1月19日 19:21:30 : ssYfF21Uoc : 8sNx59y_BiQ[1]
なんかもう、南京とか慰安婦とか。
めんどくせ〜、おまえら一生やってろ!って感じ。
でもそうはいかないんだ、このネトウヨちゃんと中韓両政府の関係って切っても切れないんだよね、両国の幼気な国民を欺いての支持率アップまたはネトウヨちゃん得意のトンデモ本の売り上げなどなど。w

7. 2017年1月19日 19:21:52 : F19os4ncg2 : Ffayp1dvugc[3]
そのうちエルカンターレの本も置くようになったりして

8. 2017年1月19日 20:01:54 : 0CejVRban6 : urcdmA9xc1s[1422]
ガーディアンも…

Japan hotel chain angers China over book's denial of Nanjing massacre
https://www.theguardian.com/world/2017/jan/18/japan-hotel-chain-apa-group-angers-china-over-book-denial-nanjing-massacre

世界中に拡散されとるなぁ…


9. 2017年1月19日 20:12:08 : w3M1BHSquE : 5KToaZSVnLw[1149]
コミンテルンの陰謀 とか言ってる時点で フリーメーソンの陰謀なんたら と変わりなし
オカルト紛いの陰謀論に都合よく便乗しているだけで 何も説得力無し 
日本の馬鹿を 世界に晒している笑われ者 「日本の恥晒しウヨ」。。。

10. 2017年1月19日 20:36:32 : Bunf6rS8Sk : 1s8hDfq@gY0[1]
だからといって一会社を中国政府がサイバー攻撃するなんて
ファシズムだろうが! 
正義だから何をやってもいいとは限らない。中国のやっていることは
威嚇であり、限度を越えている。

11. 2017年1月19日 20:59:06 : Gir3rbMEVc : k6xo8uzGgoU[146]

   >>3 4wnaEWkfPM  >言論詐欺師本田勝一が1977年に「中国の旅」の中でたった一人の「証人」の話をもとに「30万人大虐殺」をでっち上げるまで、中共が一言もこの話を持ち出さなかったのは何故だろか。


   持ち出すも何も、南京虐殺は1948年に既に決着のついた話だ。

   南京虐殺に関しては1948年東京裁判で既に決着がついている。 
   《 南京に関わる事実認定 極東国際軍事裁判所判決 1948.11.1 

   「日本軍が占領してから最初の六週間に、南京とその周辺で殺害された一般人と捕虜の総数は、二十万以上であったことが示されている。これらの見積りが誇張でないことは、埋葬隊とその他の団体が埋葬した死骸が、十五万五千に及んだ事実によって証明されている。これらの団体はまた死体の大多数がうしろ手に縛られていたことを報じている。これらの数字は、日本軍によって、死体を焼き棄てられたり、揚子江に投げこまれたり、またはその他の方法で処分されたりした人々を計算に入れていないのである。」 》

   70年前に決着がついた話だ。日本政府もこの『極東国際軍事裁判所判決』を受け入れている。当時多くの「証言」や「記録」によって事実認定がなされているものを、当時生まれてもいなかった者が70年後になって否定できるわけが無い。




12. 2017年1月19日 21:04:59 : 4ByTS07Xqg : STLmd2HzQA8[3]
〉だからといって一会社を中国政府がサイバー攻撃するなんて
ファシズムだろうが! 
正義だから何をやってもいいとは限らない。中国のやっていることは
威嚇であり、限度を越えている。

一市民団体の活動にムキになって(防衛大臣がやらかしたのに)大使を帰国させた国があったような?


13. 2017年1月19日 21:08:33 : JW4kQkOW9o : dSI7DqbtatE[277]

もちろんリテラも南京事件の利権屋 ♪

在日コリアン紛れているんだから宗主の御主人の代理でほざかないといけないわけですからね


14. 2017年1月19日 21:13:36 : zEKLnmi5Uo : F@tgmZUd0l8[-181]
13>統一教会の朝鮮アルバイトのおまえも強制送還しなきゃね ♪ 爆笑キムチバイト

日本でバイトするな。済州島へ帰れ。

[32初期非表示理由]:担当:言葉使いで処理が大量にあるので全部処理

15. 2017年1月19日 21:37:01 : ZQaUpuhUK2 : cc0dtlqGZdo[345]
▼安倍政権も認めている南京大虐殺!首相も関わった日中歴史共同研究が発表!
安倍首相が立ち上げた「日中歴史共同研究」が南京大虐殺を正式に認めていました
http://saigaijyouhou.com/blog-entry-15129.html
http://xn--nyqy26a13k.jp/archives/26072

16. 2017年1月19日 22:19:53 : 0CejVRban6 : urcdmA9xc1s[1425]
一年半前ですが…

中曽根康弘氏
「自己の歴史の否定的な部分から目をそらすことなく、これらを直視する勇気と謙虚さを持つべきであるし、そこから汲み取るべき教訓を心に刻み、国民、国家を正しい方向に導くことこそが現代政治家の責務だと考える」
http://www.huffingtonpost.jp/2015/08/06/yasuhiro-nakasone-tribute-thesis_n_7953486.html

歴史は修正(改ざん)せずに、直視するものですよね。


17. 2017年1月19日 22:20:14 : esmsVHFkrM : Z3UQbl@PdwA[593]

右翼にはいい加減にしてほしい。

南京虐殺が歴史的事実であることは、敗戦時の日本政府と軍による組織的かつ徹底的な焼却、隠滅を生き残った日本側公文書、私文書によって実証されている。その犠牲者数についても同じく生き残った部隊日誌等の記録(何人殺したとかの記録)から、それが中国側の主張する30万人に達しないとしても20万人前後と推定されるに至っており、それが虐殺であったことについてまったっく議論の余地がない。

ネトウヨはそういう根本事実については一切無視した上で根拠も論拠となる資料もなく南京虐殺を否定するばかりなので、改めて、以下にその事実をまとめて、実証を重んじるまともな日本人の参考に供したい。

旧陸軍士官の親睦団体である偕行社の親睦雑誌「偕行」紙上に、1984年4月から1985年2月まで連載された畝本正巳編「証言による南京戦史」は、偕行社会員の証言資料提供による南京虐殺の否定を目的として始められながら皮肉にも結局その存在を確認することとなったことで有名だ。その経緯はこうだ。

畝本正巳は陸士第46期、戦後防衛大学校教授で、「東京裁判という報復的政治的裁判を発端として、一部日本人の告発記・研究発表により『二十万〜三十万虐殺』『野蛮・非人間的な日本軍の蛮行』という誤った南京大虐殺説が定着しつつある」現状に危機感を持ってこの「証言による南京戦史」連載を開始、南京攻略戦に参加した将校からの証言を募集した(「偕行」1983年11月号)。ところが、始まってみるとそのような意図とは反対に「虐殺をやった」「見た」という証言や記録が多々出てきてしまい、連載終了後の編集部加登川幸太郎執筆責任による「その総括的考察」においては、南京虐殺の存在を認めざるを得なくなった。

加登川の「その総括的考察」は、中支方面軍司令部の下克上的な指導も含めて、捕虜の処理の適正を欠いた根本の責任は軍上層部にあるが、しかし、前線部隊にも軍紀・風紀の乱れがあり、椋奪・暴行などの不法行為が多発したとの事実を認め、その傍証として、それらの非行を戒るために出された異例な陸軍参謀総長閑院宮載仁親王の軍紀・風紀引き締めの訓示と、それをうけて中支方面軍参謀長塚田少将からだされた「軍紀風紀に関する件」と題した依命通牒(以下に詳説)を紹介した。また、「南京事件はその当時、すでに軍によって大きな問題として扱われていたようである」と指摘して、その傍証として、西義章中佐、本間雅晴参謀本部第二部長を南京に現地調査に派遣してその事実を確認した上で上記参謀総長訓示を出したこと(以下に詳説)を挙げている。さらに「長嘆息のほかはない」として「こうした事情は当時は、もちろん、世人の目にも耳にも伏せられていた。それを今日、この戦史の結びとすることにはまことに残念であるが、すでに公にされた資料に基づく真実であって如何ともしがたい」と述べている。(「偕行」1985年3月号)

この経緯をうけて、偕行の南京戦史編集委員会からは、『南京戦史』(階行社1989年)、『南京戦史資料集』(偕行社1989年)、『南京戦史資料集II』が出ている。『南京戦史資料集』と『南京戦史資料集II』には『南京戦史」を執筆するために収集した資料およびその後収集された資料(防衛庁(当時)防衛研究所に所蔵されていたものを中心に)が収録されている。すなわち、松井石根中支方面軍司令官以下、参謀、師団長さらに下士官、兵にいたるまでの陣中日誌や、軍中央、中支方面軍、上海派遣軍、第10軍の作戦命令や、軍、師団、各部隊の通牒、訓示、作戦経過概要、戦時旬報、戦闘詳報、陣中日記など、戦争終結直後の政府と軍による組織的文書焼却隠滅を免れた多くの記録文書である。

南京戦に関連して、日本軍の公式記録と司令官・参謀・師団長クラスの日記がこれほどまとまって資料集に収録されたのは画期的で、これによって、南京事件を上海から南京への進撃と攻略そして占領といった具体的な歴史展開に即して分析することが可能となった。各部隊の戦闘詳報、陣中日誌、指揮官の陣中日記には、各部隊が処断・処分(即ち殺害)した捕虜や投降兵、敗残兵の数が記録されていて殺害者数を推定する基本資料となっている。ただし、これらは南京戦参加全部隊の約三分の一の分に過ぎず、残りの三分の二は戦争終結時に焼却隠滅されて依然行方不明だ。

それでは、その偕行社南京戦史編集委員会によって資料集に採集された「生き残った」一次資料をも踏まえて、南京虐殺の事実を見て行こう。

南京虐殺については、発生直後から報告され、政府、軍部の上層部はそれを認識していた。具体的には発生と同時に南京の日本領事館から外務省に報告が送られ、それらは陸軍省、海軍省へ送付されている。

当時外務省東亜局長であった石射猪太郎は、戦後1947年東京裁判において、弁護側証人(弁護側に注目)として以下の証言をしている。

「(1937年)12月13日頃、わが軍が南京に入場する、そのあとをおってわが南京総領事代理(福井敦氏)も上海から南京に復帰した。同総領事代理から本省への最初の現地報告はわが軍のアトロシテーズ(残虐行為)に関するものであった。この電信報告は遅滞なく東亜局から陸軍省軍務局長宛に送付された。当時、外務大臣はこの報告に驚きかつ心配して、私に対し早く何とかせねばならぬとお話があったので、私は電信写はすでに陸軍省に送付されていること、陸海外三省事務当局連絡会議の席上、私から軍当局に警告すべきことを大臣にお答えした。
その直後、連絡会議が私の事務室で行われ(中略)、その席上、私は陸軍軍務局第一課長にたいし右アトロシテーズ問題を提起し、いやしくも聖戦と称し皇軍と称する戦争においてこれは余りにもヒドイ、早速厳重処置することを切実に申し入れた。同課長もまったく同感で、右申し入れを受け入れた。
その後いくばくもなくして在南京総領事代理から書面報告が本性へ到着した。それは南京在住の第三国人で組織された国際安全委員会が作成した我軍アトロシテーズの詳報であって、英文でタイプされてあり、それをわが南京総領事館で受付け、本性に輸送してきたものである。私は逐一これに目を通し、その概要を直ちに大臣に報告した。そして大臣の意を受けて、私は次の連絡会議の席上、陸軍軍務局第一課長にその報告を提示し、重ねて厳重措置方要望したが、軍はもはやすでに現地軍に云ってやったとの話であった」。(桐富雄『日中戦争 南京大虐殺事件資料集 第1巻』青木書店 1985年)

このうち、「軍はもはやすでに現地軍に云ってやった」ことの中には、参謀総長閑院宮載仁親王から中支那方面軍に1938年1月4日付けで下達された訓示を、中支那方面軍参謀長塚田攻少将から各部隊に向けて下達した「軍紀風紀に関する通牒」があり、それは以下の通りである。

「軍紀風紀において忌まわしき事態の発生近時ようやく繁を見、これを信ぜざらんと欲するもなお疑わざるべからざるものあり、惟うに一人の失態は全隊の真価を左右し一隊の過誤もついに全軍の聖業を傷つくるに至らん。(中略)軍紀を厳正にし戦友相戒めてよく越軌粗暴を防ぎ、各人みずから矯めて全軍放縦を戒むべし」。(『続・現代史資料(6)軍事警察』)

さらに陸軍上層部の南京虐殺認識について傍証を続ければ、

当時陸軍軍事課長であった田中新一大佐は、詳細な『支那事変記録』を記していて、その中で、1938年1月12日の陸軍省局長会報において、中国戦線から帰国した陸軍省人事局長阿南惟幾少将が中支那方面軍の軍紀について次のように報告したと述べている。

「軍紀風紀の現状は皇軍の一大汚点なり。強姦、略奪たえず、現に厳重に取り締まりに努力しあるも部下の掌握不十分、未教育補充兵等に問題なお絶えず」。(『支那事変記録 其の四』防衛研究所図書館蔵)

また、当時陸軍省兵務局防諜班長であった宇都宮直賢少佐はその回想録において、陸軍中央の南京虐殺対応について以下の通り記している。

「南京の暴行残虐事件についても私は帰京後に聞いた。(中略)私は参謀本部の本間(雅晴)第二部長、渡(左近)支那課長、米(アメリカ)班の西(義章)班長以下に会ってこれらの事件の対策について諮問におよばずながら応えいろいろ進言した。
米班長で大本営参謀の西中佐(31期陸代同期)が実地調査のため直ちに南京へ急行することとなり、広田大佐と協同して事件の究明と解決に努力した。次いで杉山陸相の要請で、本間第二部長も急遽南京に向かい事情調査を実施することとなった。
南京の暴行虐殺事件のニュースについては、日本側はこれを発表することを禁止したが、全世界に知れわたって轟々たる非難の的となったことはまことに遺憾千万だった」。(『黄河・揚子江・珠江 − 中国勤務の思い出』 非売品 1980年)

ここにある本間雅晴参謀本部第二部長の調査結果を受けて、陸軍中央は松井石根中支那方面軍司令官の不作為による南京虐殺発生を確認、松井を処分する方針となったが、それはあくまでも内部処分の形(直接その責任を問わない)をとり、1938年2月14日松井を中支那方面軍司令官から解任して日本に召還した。

このようなことなかれ主義的処分には陸軍中央内部にも不満が残り、田中隆吉は1939年に1月に兵務局兵務課長となって以後憲兵隊の調査報告書の提供も受けて、松井石根ら中支那方面軍幹部を軍法会議にかけて裁くように提案したが、参謀総長らに拒否されたという。(『東京裁判資料 田中隆吉尋問調書』大月書店 1994年)

一方松井も、南京虐殺が国際的な非難をあびて自分の更迭につながるであろうことは認識していたと見えて、1938年2月7日に行われた慰霊祭(1973年12月18日の第一回とは別の2回目)において、全部隊長を集めて行った訓示でみずからの悲憤の心中を吐露している。それを目撃した上海派遣軍参謀課長飯沼守少将はその日記に以下の通り松井の言葉を記している。

「南京入場の時は誇らしき気持ちにて、その翌日の慰霊祭(1973年12月18日の第一回)またその気分なりしも、本日は悲しみの気持ちのみなり。それはこの50日間に幾多の忌まわしき事件を起こし、戦没将士の樹てたる功を半減するにいたりたればなり、何をもってこの英霊に見えんや」。(「飯沼守日記」『南京戦史資料集』偕行社 1989年)

さらに、この南京虐殺は南京に総司令部を置いた中支那派遣軍幹部の間では歴代一大不祥事として語り伝えられていたようで、昭和天皇の末弟である三笠宮崇仁はその自叙伝において次のように述べている。

「1943年1月、私は支那派遣軍参謀に補せられ、南京の総司令部に赴任しました。そして1年間在勤しました。その間に私は日本軍の残虐行為を知らされました」。(『古代オリエント史と私』学生社 1984年)

以上、南京虐殺発生直後から政府、陸軍中央には報告が行われ、その存在は認識され、その抑制が指示され、将官を派遣した現地調査が行われ、それに基づいて松井石根中支那方面軍司令官の更迭が行われ、松井自身はそれを悔い、南京虐殺自体がその後の中支那派遣軍幹部の間で語り継がれたことが事実として確認される。

当時の日本政府および陸軍中央が「ある」ものとして調査、認識、対処、処分を行っていたものを、今になって「なかった」と強弁するのは、いったいいかなる精神によるものであろうか。歴史的事実を正しく客観的に認識できない知的障害があるのであろうか。自己の主張に都合の悪い事実は知らない、無視する、という道義的退廃があるのであろうか。

右翼保守のデマ本を読んで南京虐殺はなかったと信じ込まされてきたネトウヨは今からでも遅くはない。右翼保守のデマゴークが都合が悪くてその本に決して書かない事実を知ってもらいたい。世界はそれを知っているから、一部日本人の「南京虐殺はなかった」との主張に対して冷笑と軽蔑を返しているのだ。

ここまで書いて、どうせ「そのような不祥事が一部にあったとしても、その犠牲者数はわずかで虐殺と呼ぶには値しない」との右翼保守デマゴークの受け売りが出てくるだろうから、犠牲者数についても検討しておこう。

そもそも犠牲者数の算出は非常に困難だ。すでに発生から70年以上経過していること、日中戦争と国共内戦その後の毛沢東政権下の混乱により中国側の調査と記録が十分でないこと、日本政府および軍が戦争終結時に組織的かつ徹底的に公文書を焼却して証拠隠滅を行ったこと等によりすべては残された一次資料、証言等からの推測に止まる。

そんな中で、まず南京虐殺はなかったとの主張を行うものの内唯一歴史学者と呼べる秦郁彦の主張をみよう。秦は、その主著『南京事件 − 虐殺の構造』(中公新書 1986年)において、南京虐殺の犠牲者数を3万8千から4万2千人と推計し、これは「あくまで中間的な数字に過ぎない」、「新資料の出現で動くこともある」としている。

秦の計算は、捕虜の殺戮、投降兵の殺戮、敗残兵の殺戮(いわゆる便衣兵問題)について当時日本政府が署名批准していた戦時国際法には従わず、戦意を完全に失って逃げ回っている「敗残兵」や「投降兵」の殺害を「戦闘の延長として見られる要素もある」として虐殺とみなさず、また生存と逃走のため軍服を脱ぎ捨てて民間人の服装をした「敗残兵」がいるはずで、これらは「便衣兵」とみなせるとして、そのような「敗残兵」およびそのような「便衣兵」の容疑をかけられて殺された民間人をすべて虐殺から除くなどの操作を行って算出した数字で、とても妥当な計算であるとは言えないことは明らかだが、しかし、その秦をしてさえも、3万8千から4万2千人という不法殺害の犠牲者数を認めている。これだけでも立派な「南京大虐殺」だ。

それに対して、捕虜の殺戮、投降兵の殺戮、敗残兵の殺戮(いわゆる便衣兵問題)について当時日本政府が署名批准していた戦時国際法に正しく従って算定した推定として、笠原十九司の研究がある。笠原は「南京事件において十数万以上、それも二○万人近いかあるいはそれ以上の中国軍民が犠牲になったことが推測される」と結論づけているが、以下にその笠原十九司の推定を引用する。

「 現在公刊されている日本軍側の資料から、南京攻略戦に参加した各師団がどのくらい中国兵および中国兵とみなされた民間人を、捕虜・投降兵・敗残兵・「便衣兵」として殺戮・処刑したかの累計をこころみたのが表1である。第九師団・第一一四師団・第六師団の各部隊の戦闘詳報や戦中日記の公開がとくに遅れているが、もしも日本軍側の全連隊の戦闘詳報がそろえば、捕虜、敗残兵の被虐殺数(ここには民間人の男子も含まれている)の総数がかなりあきらかになることがわかるだろう。

 もっとも、戦闘詳報の記録はいっぱんに戦果を多く報告する傾向があるから、この数字はあくまで概数として扱うほかはない。それでも、( )をつけなかった虐殺者数は八万人以上となろう。可能性のあった捕虜のほぼ全員殺害を想定すれば、一○万人以上となる。

 わたしは、総数一五万人の防衛軍のうち、約四万人が南京を脱出して再集結し、約二万人が戦闘中に死傷、約一万人が撤退中に逃亡ないし行方不明となり、残り八万余人が捕虜・投降兵・敗残兵の状態で虐殺されたと推定する(「南京防衛戦と中国軍」)。

[概数の資料]中国兵の犠牲者数については、日本と中国の資料から概数は推定できたが、きわめて困難なのが民間人の犠牲者数の推定である。総数を推定する参考になる当時の三つの資料を紹介する。

(1)ラーベの「ヒトラーへの上申書」
「中国側の申し立てによりますと、十万人の民間人が殺されたとのことですが、これはいくらか多すぎるのではないでしょうか。我々外国人はおよそ五万から六万人とみています」(ラーベ『南京の真実』)。三八年二月二三日にラーベが南京を離れた段階での推定数である。南京城内にいたラーベら外国人には、城外・郊外の広い地域でおこなわれた集団虐殺の多くをまだ知っていない。それでも、難民区国際委員たちが当時の情報を総合して推測した数として参考になろう。

(2)埋葬諸団体の埋葬記録(『中国関係資料編』の第V編「遺体埋葬記録」に収録)
南京の埋葬諸団体が埋葬した遺体記録の合計は一八万八六七四体になる。これは戦死した中国兵の遺体も含まれているし、遺体の埋めなおしなど埋葬作業のダブリの問題もある。しかし、長江に流された死体の数が膨大であったことを考えると、南京攻略戦によってこうむった中国軍民の犠牲の大きさを判断する資料となる。

(3)スマイスの「南京地区における戦争被害 ― 一九三七年十二月〜一九三八年三月 ―都市および「農村調査」
同調査では、市部(南京城区)では民間人の殺害三二五〇人、拉致されて殺害された可能性の大きい四二〇〇人を算出、さらに城内と城壁周辺の入念な埋葬資料調査から一万二〇〇〇人の民間人が殺害されたとしている。近郊区では四県半の県城をのぞいた農村における被害者数は二万六八七〇人と算出している。この調査は、三八年三月段階で自分の家にもどった家族を市部で五〇軒に一軒、農村で一〇軒に一軒の割合でサンプリング調査したものであるから、犠牲の大きかった全滅家族や離散家族は抜けている。それでも、同調査は当時おこなわれた唯一の被害調査であり、犠牲者はまちがいなくこれ以上であったこと、および民間人の犠牲は城区よりも近郊農村の方が多かったという判断材料になる。

 以上の犠牲者数についての資料状況と本書で叙述してきた南京事件の全体状況とを総合すれば、南京事件において十数万以上、それも二○万人近いかあるいはそれ以上の中国軍民が犠牲になったことが推測される。日本側の資料の発掘・公開がさらに進み、中国側において近郊農村部の犠牲者数の記録調査がもっと進展すれば、より実数に迫る数字を推定することが可能となろう」。(岩波新書「南京事件」1997年)」

というわけで、右翼保守が大好きな秦の、捕虜の殺戮、投降兵の殺戮、敗残兵の殺戮(いわゆる便衣兵問題)について当時日本政府が署名批准していた当時日本政府が署名批准していた戦時国際法に従わない操作を行って算出した数字でさえ「3万8千から4万2千人」、戦時国際法に正しく従って算定した笠原の推定では、「十数万以上、それも二○万人近いかあるいはそれ以上」ということになる。

これは、どう見ても、どうひっくり返しても、議論の余地なく「大虐殺」だ。

以上見た日本の学者による推定は、現在中国政府が主張する30万人には達しないが、その中国政府の30万人という数字は、日本人の一部の「南京虐殺はなかった」との主張に対して対抗上出てきたものであることについては特に注意を喚起しておきたい。

即ち、ほとぼりが冷めてからの「犯人側」の「やってない」との主張に対して「被害者側」が当然怒って被害程度について防御的に多めに主張するようになっているということで、そうであるからこそ、中国を相手にしてもまた国際世論を前にしても、すでに「犯人側」から主張する数字はなんであれ(秦のような過小評価操作を行わない笠原の推定でさえ)まったく説得力を持たなくなってしまったということだ。このような事態に立ち至ったのは、右翼保守の無責任なデマゴークとそれに追従する一部の知力に劣り道義に欠け勇気と誠実さをもたない日本人のおろかな企てによるものだということは、まともな日本人として怒りをもって覚えておきたい。

さらに、念のために指摘しておけば(馬鹿馬鹿しくてうんざりするが)、このスレにも散見される「南京虐殺」は30万人だとしたうえで、犠牲者数30万人が証明できなければ「南京虐殺」そのものがなかったとする主張は無意味だ。これは右翼保守デマゴークの南京虐殺否定論でよく使われるトリックだが、これがナンセンスなことは普通の大人なら自明のことだ。犠牲者数30万人が証明できなければ、犠牲者数が30万人でないということだけで、そもそも「南京虐殺はなかった」ことにはまったくならない。

以上、長々と述べたが、これを読む人には「南京大虐殺はなかった」という主張がどれほど荒唐無稽なものであるか事実に基づいてよくお分かりいただけるものと思う。

誇りあるまともな日本人は「南京大虐殺はなかった」などという戦前の亡霊の復活を許してはならない。ほとぼりが冷めたからなかったことにしようなどという卑怯で女々しいまねを許してはならない。さもなければ、日本人は世界に特にアジアに友人を失ってしまう。

あったものを、今頃になってほとぼりが冷めたからと「なかった」と主張するような卑怯で姑息な日本の右翼には猛省を求めたい。

右翼保守は恥を知れ。


18. 2017年1月19日 22:38:05 : 0CejVRban6 : urcdmA9xc1s[1427]
ニューズウィークも…

JAPANESE HOTEL CHAIN UNDER FIRE FROM CHINA OVER WWII MASSACRE DENIAL
http://europe.newsweek.com/japanese-hotel-chain-under-fire-china-over-wwii-massacre-denial-544428

あーあ…
世界はネトウヨ界隈と違って、甘くないねぇ…


19. 2017年1月19日 22:43:31 : 0CejVRban6 : urcdmA9xc1s[1428]
アパホテルに本の撤去打診 冬のアジア大会組織委

「組織委員会から正式に申し入れは受けておりませんので、書籍の撤去についてはお答えできかねます。ご依頼があったとしても、撤去する考えはございません」
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20170119/k10010845791000.html

ライバル会社はニンマリですな。


20. 2017年1月20日 02:10:58 : 0CejVRban6 : urcdmA9xc1s[1434]
なんでこんなに海外メディアの食いつきがいいのか?

アパホテル と安倍政権との繋がりもバッチリ英語で報じられてるんだな。これで窮地に陥るがいい。
https://twitter.com/goyou/status/822040271705677824

ちょっと不思議だ…


21. 2017年1月20日 03:14:47 : w3M1BHSquE : 5KToaZSVnLw[1150]
ネトウヨなんて、威勢がいいのはネットの世界だけ ネトウヨが必死になって攻撃した 「花王」 を見て御覧
過去最高益を更新したり、順風満帆な経営が続いているでしょう? 不買運動なんてどこ吹く風

逆に アパホテルなんて あと数年で経営は傾くだろう ネトウヨの支援なんぞスズメの涙
ネカフェに泊まるぐらいが関の山な連中に アパホテルなんぞ泊まれる訳がない。


22. 2017年1月20日 09:43:59 : Eu9sOQlGeU : 9CiyiOHDOXg[3]
ついでにDHCも潰れれば良いね。

D(ダマス)H(ヘンタイ)C(コンプレックス)も、アッパッパー共々破産させないと。

[32初期非表示理由]:担当:スレ違い

23. 真相の道[2060] kF6RioLMk7k 2017年1月20日 12:37:30 : T8iD3fD606 : kQK1OSr0eCg[975]
>>17さん
>それが虐殺であったことについてまったっく議論の余地がない。

そんなことはない。

確実な証拠がないため、南京で虐殺があったのかなかったのか、あった場合の被害者の数などは、いずれも不明です。

否定派の主張は、ゲリラ兵を殺害しただけであり戦闘行為なので虐殺ではないというものです。(下記)

『「大虐殺」否定説・戦時国際法上合法説では、30万人の市民の「大虐殺(大屠殺)」はなかったと主張。佐藤和男の戦時国際法上合法説では、便衣兵(ゲリラ兵)や投降兵の殺害も戦闘行為の延長であり、戦時国際法上合法とする[55]。ほか、南京安全区の欧米人記録やその話をもとにしたジャーナリストの記録の信頼性への疑問、国民党は事件の翌年の300回の記者会見で言及しなかった[56]、国民政府の記録[57]での人口記録の矛盾、また日本軍の非行として訴えられた殺人は計26件、目撃された事件は合法殺害1件のみ[58]、「大虐殺」を証明する写真がないと主張[58]。』
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8D%97%E4%BA%AC%E4%BA%8B%E4%BB%B6%E8%AB%96%E4%BA%89#.E4.BE.BF.E8.A1.A3.E5.85.B5.E3.81.A8.E6.88.A6.E6.99.82.E5.9B.BD.E9.9A.9B.E6.B3.95
  
  
つまり南京虐殺の真偽については諸説あり、事実は判明していないのです。

ただし、上記サイトの通り、中国が主張する犠牲者30万人はデマのようです。
   
  


24. 2017年1月20日 15:51:29 : FDkTQoCnMk : eZcuBmqinJI[128]
宮根がアパ援護?
本当にとんでもない上から目線
『19日の「ミヤネ屋」(日本テレビ系)はこれまでの動きをまとめたVTRを放送したが、司会の宮根誠司は「中国の人、泊まらないのは自由かもしれないけど、アパホテル泊まらなかったら泊まるところないですよ」と発言。さらに、「(予約が)パンパンですよ」「ホント泊まらない? 絶対隠れて泊まる人、出てきますよね」と畳みかけた。

 この発言に対し、SNSや掲示板では<日本にはアパホテルしかないのか?><観光に来るなってことかな?>などの声が噴出。<中国がおかしいと言っておけば済む問題ではない><(騒動を)茶化してるだけに見える>といったコメントも上がっている。


25. 2017年1月20日 16:47:08 : FO51xwFxMI : sl3SyqWd5Ss[1]
中国はアジア大会ボイコットするだろうな
こうなるとあらゆる面で大打撃影響は避けられんだろ

それにこの糞ホテルの件はすでにIOCや各国際スポーツ団体に
伝わってるだろう


26. 2017年1月20日 16:56:14 : w3M1BHSquE : 5KToaZSVnLw[1152]
>>23
ウヨにしては 祝捷な発言じゃないか そのとおりだよ 疑問を挟めるのは【人数だけ】なのである

「30万人という数字は デマである」 と、始めからそう言えば叩かれぬものを
事のついでに調子こいて 「南京虐殺はなかった」 などと 都合の良い捻じ曲げ方をいけしゃあしゃあと
三段論法かますから ウヨ連中は嘘つきだ恣意的だ ご都合主義だ と言われるのだ

「つまり南京虐殺の真偽については諸説あり、事実は判明していないのです。」

↑ こう言いつつも その一方で 「なかった」 などと言うのは 【完全に 二枚舌というもの】で
何処かの某総理大臣と一緒ではないか ☆(*`ェ´*)☆


27. 2017年1月20日 18:57:03 : esmsVHFkrM : Z3UQbl@PdwA[599]

お答えしましょう。

>>23、真相の道さん、

>>17にあるように、敗戦時の組織的証拠隠滅を生き延びた南京攻略軍部隊日誌等の戦闘詳報を基に推計すれば、当時日本政府が批准していた戦時国際法に違反するそのような「便衣兵殺害」を除ても、右派秦郁彦が推計するように、3万8千から4万2千人となります(『南京事件 − 虐殺の構造』(中公新書 1986年))。おっしゃるように「便衣兵はみんな殺してもいいんだ」としても、それでもやはり立派な大虐殺ですね。

さて、その「便衣兵」識別の実態はどうかと言えば、「日本軍には、便衣兵と民間人を区別する専門の担当者がいた。「便衣兵と民間人は簡単に見分けがつき、便衣兵と間違えて民間人を処断したことはなかった。」中国軍兵士の多くは坊主頭で、ヘルメット焼けや、銃ダコの有無、その他の身体的特徴が重なった場合は、「兵士」と判断した」(あなたのお仲間の右翼「大和狼」さんの引用(http://www.asyura2.com/17/senkyo219/msg/369.html#c25))、「「目につく殆どの若者は狩り出される」、「市民と認められる者はすぐ帰」すが、他は銃殺、「哀れな犠牲者が多少含まれているとしても、致し方のないこと」(水谷上等兵の証言、秦郁彦 『南京事件―「虐殺」の構造』( 中公新書、2007年))なんですから、多くの民間人が「便衣兵」だ誤認されて殺されたことがわかります。

さらに、「便衣兵は殺してもいいんだ」の根拠は、「便衣兵はゲリラ兵だから」ですが、軍服も着ておらず武器も持たず敵対行動もないのですから、まずとても「ゲリラ兵」とは言えず、「便衣兵と民間人は簡単に見分けがつき」、「中国軍兵士の多くは坊主頭で、ヘルメット焼けや、銃ダコの有無、その他の身体的特徴が重なった場合は、「兵士」と判断した」」んですから、そんなに簡単に民間人と区別できる人間はとても「スパイ」とも言えず、単に戦闘意欲を失って軍服を脱いで武器を捨てて逃亡する「敗残兵」に過ぎません。虐殺が起こった時点ではすでに中国側の戦闘行為は一切なくなっていたわけですから「戦闘の延長」とも言えず、したがって「敗残兵」やまして「便衣兵」と誤認された民間人の殺害は、明白に当時日本政府が批准していた戦時国際法上違法です。

したがって、戦時国際法に従い「便衣兵」とされ殺された「敗残兵」や民間人を算入すれば、笠原十九司が推計するように「南京事件において十数万以上、それも二○万人近いかあるいはそれ以上」となります。泰の推計ですら大虐殺ですから、正しく計算された犠牲者数では当然大虐殺(それ以上に大規模な大虐殺)になります。

「南京安全区の欧米人記録やその話をもとにしたジャーナリストの記録の信頼性への疑問」については、当時外務省東亜局長であった石射猪太郎が、東京裁判において、弁護側証人(弁護側に注目)として、「(1937年)12月13日頃、わが軍が南京に入場する、そのあとをおってわが南京総領事代理(福井敦氏)も上海から南京に復帰した。同総領事代理から本省への最初の現地報告はわが軍のアトロシテーズ(残虐行為)に関するものであった」(桐富雄『日中戦争 南京大虐殺事件資料集 第1巻』青木書店 1985年)と証言しており、また、当時陸軍省兵務局防諜班長であった宇都宮直賢少佐はその回想録において「南京の暴行虐殺事件のニュースについては、日本側はこれを発表することを禁止したが、全世界に知れわたって轟々たる非難の的となったことはまことに遺憾千万だった」(『黄河・揚子江・珠江 − 中国勤務の思い出』 非売品 1980年)と述懐していますから、あなたは「疑問」に思っても、当時の日本政府と軍中央はまったく「疑問」とせず、その実態調査に佐官や将官まで派遣しその対応と処分に喧々諤々していますよ。その迫真の様子は、>>17において、当時の政府公文書や政府や軍高級感部の私文書、回想録を引用して述べたとおりです。

「国民党は事件の翌年の300回の記者会見で言及しなかった[56]、国民政府の記録[57]での人口記録の矛盾、また日本軍の非行として訴えられた殺人は計26件、目撃された事件は合法殺害1件のみ[58]、「大虐殺」を証明する写真がないと主張[58]」は、あなた「真相の道」がwikiからの抽出(関係部分の全文引用ではない)ですが、その関連部分のwikiの記述全文をお読みになればおわかりのように、それらは例の亜細亜大学教授東中野修道等が正当な根拠もなしに主張していることですから、歴史学会では相手にされていません。

おもしろいことに、こういう類の人たちは、>>17に日本側一次資料により実証されたような、「ないはずの南京虐殺」の発生に、政府と軍中央が右往左往し、佐官将官の軍幹部を調査に派遣し、調査結果に基づいてその対応と処分に紛糾した事実については、ただ沈黙するばかりです。これでは、南京虐殺の実証された基本的事実については目をつむり、細部のデマばかりで南京虐殺を否定しようとする右翼デマゴーグであると評されても仕方がありません。したがって、こういう右翼デマゴーグを「諸説」とするのでなければ、学会に「諸説」などありません。

というわけで、南京虐殺が存在したことに疑問の余地も論争の余地もありえません。

真相の道さんには、以上の事実に目を背けることなく、「南京虐殺はなかった」とか「南京虐殺の真偽については諸説あり、事実は判明していない」などと大嘘をついて、人々を騙そうとすることをやめてもらいたいものだと思います。

ほとぼりが冷めたからと歴史的事実を否定しようという企ては、無謀で不可能であるばかりでなく卑怯で姑息です。普通のまともな日本人はそんな卑怯者ではありません。それが、真相の道さんを始めとした右翼保守のみなさんが、そんな卑怯で姑息な妄論で騒げば騒ぐほど、右翼保守ばかりかm日本人全体が卑怯で姑息であると国際社会において見られてしまうことになります。これこそがまさに「反日」です。

「南京虐殺」はなかったと主張する真相の道さんを始めとする「反日」右翼保守の皆さんには猛省を求めたいと思います。

少しは恥を知って下さい。いいですね。


28. ボケ老人[1247] g3uDUJhWkGw 2017年1月20日 20:32:44 : cB5CYxrR62 : I4bTmy45DHQ[11]
>23. 真相の道

このような輩が結果として日本の国益を損ねるのだ。
慰安婦問題も、朝日の吉田証言が発端だったとしても
おおごとにして世界の耳目を集め、世界中に日本がsexslaverを云々と
不名誉な烙印を押されたのは安倍と取り巻きのチンピラ右翼であるように

今回も
第一次安倍政権で日中共同研究で『南京事件』は実在であると認めたものを
日本はおとなしくじっとしているべきなのに
元谷のような扇動者と応援するバカウヨクが騒ぎたくって
結果として日本を貶める

真相の道はそんなことも分からないバカなのだろう。

    


29. 2017年1月20日 20:44:21 : TBBVoGSPRM : @t7ySPX@97Y[2]
詐欺業者に国民が近づかないように、
証拠がなくとも怪しいものには近づかなく
なるもの。

911の証拠は?証拠は?
と、騒いでいた人間達って今どうしてんのかねぇ

バレない覚醒させない 工作は、現代では結局不可能なのか
と気づきました。


30. 真相の道[2062] kF6RioLMk7k 2017年1月20日 23:52:20 : T8iD3fD606 : kQK1OSr0eCg[977]
>>27さん
>秦郁彦が推計するように、3万8千から4万2千人となります(『南京事件 − 虐殺の構造』(中公新書 1986年))。
  
     
それは秦氏による推計であり説の一つです。

一方、虐殺はなかったとの説もあります。

例えば下記。
http://www2.biglobe.ne.jp/remnant/nankingmj.htm
  
  
つまり真相は不明なのです。
  
真相が不明である場合、事実に基づいた推論、つまり「説」が複数あることは健全です。

逆に「説」を葬ろうとすることは、憲法で禁じられた思想の自由への迫害ではないのでしょうか?
  
    
   



31. 2017年1月21日 01:47:50 : esmsVHFkrM : Z3UQbl@PdwA[610]

お答えしましょう。

>>30、真相の道さん、

「一方、虐殺はなかったとの説」としてお挙げになったURLは、「「南京大虐殺」は捏造だった」と題された右翼のサイトですが、これが「虐殺はなかったとの説」ですか?

こういうネットにおける、論拠となる一次資料もなく、論証もなく、自分たちの願望や妄想を書き連ねるいい加減で無責任なサイトはたくさんありますから、こういうものを「説」として「南京虐殺の真偽については諸説ある」と言うのであれば、ナチスのホロコーストにも、太平洋戦争の実在にも、火星人の存在にも、「諸説」あることになってしまいますよ。

右翼が主張する「南京虐殺はなかった」とか「南京虐殺の真偽については諸説ある」というのはそういうレベルの話なのですね。だったら、ここ政治板ではなく空耳板でやって下さい。あなたが、そういうトンデモ説を、空耳板で存分のご主張されるのはもちろん自由ですよ。

なにも、政府がその資金力や権力に物を言わせて、新聞社やテレビ局の経営者を買収したり威嚇したりしているのではないのですから、そういうレベルの「諸説」にかぎらずどんな説だって、それを言論で批判することは同じく自由です。憲法が禁止するのは、権力や金や地位やその他の特権や暴力により物理的に発言を封じるような言論の封殺ですから(現在安倍自民党政権が行っているような)、すべての言論による批判は言論の自由の侵害にはあたりません。そういう相互批判の中で、あなたのレベルの「諸説」がみんな嘘だということはすでに明らかとなり、学会は愚か右翼同士を除くどこにおいても「説」とは見なされていないからと言って、それが嘘だという批判を「言論の自由への侵害」だとして封殺しようとするのは「言論の自由」の本質を理解しない右翼の妄論です。

日本国憲法がお嫌いで、その基本的人権を廃止しようとしているくせに、廃止しようとする表現の自由を、自分たちの妄論への批判を封じ込める道具に利用しようとするような恥ずべき真似はやめましょうね。

返す返す、日本の右翼には恥を知ってもらいたいものだと思います。

というわけで、南京虐殺が存在したことに疑問の余地も論争の余地もありませんよ。


32. ボケ老人[1249] g3uDUJhWkGw 2017年1月21日 08:54:21 : DPIHWzSy2A : ryp5mYY74JA[625]
>30. 真相の道:つまり真相は不明なのです。

これは右翼が論破されて、議論に詰まった時に持ち出す常套句だね。

第一次安倍政権で安倍が訪中、胡錦涛と日中の歴史認識の誤解を解くために
日中歴史共同研究を持ちかけました。
この時の結果が外務省HPで検索できます。

外務省HP
日中歴史共同研究 日本語論文(日本側の研究)から
4)南京攻略と南京虐殺事件 から一部抜粋した。

石射猪大郎東亜局長は、38年1月6日の日記に、「上海から来信、南京に於ける我軍の暴状を詳報し来る。略奪、強姦、目もあてられぬ惨状とある。嗚呼これが皇軍か」と記していた。

一方、日本側の研究では 20万人を上限として、4万人、2万人など様々な推計がなされている。このように犠牲者数に諸説がある背景には、「虐殺」(不法殺害)の定義、対象とする地域・期間、埋葬記録、人口統計など資料に対する検証の相違が存在している。
日本軍による暴行は、外国のメディアによって報道されるとともに、南京国際安全区委員会の日本大使館に対する抗議を通して外務省にもたらされ、さらに陸軍中央部にも伝えられていた。その結果、38年1月4日には、閑院宮参謀総長名で、松井司令官宛に「軍紀・風紀ノ振作ニ関シテ切ニ要望ス」との異例の要望が発せられたのであった。
虐殺などが生起した原因について、宣戦布告がなされず「事変」にとどまっていたため、日本側に、俘虜(捕虜)の取扱いに関する指針や占領後の住民保護を含む軍政計画が欠けており、また軍紀を取り締まる憲兵の数が少なかった点、食糧や物資補給を無視して南京攻略を敢行した結果、略奪行為が生起し、それが軍紀弛緩をもたらし不法行為を誘発した点などが指摘されている。


歴史認識の微妙な問題は
双方の歴史家の共同研究に任せて、外野はおとなしくしているのが国益にかなうと思うのだが
馬鹿な右翼どもが大騒ぎして墓穴を掘り
世界中の笑いものになって
勇ましく嫌中嫌韓の雄たけびを上げた後で
アメリカにコツンとやられれば
国庫から10億円を拠出して、『不可逆的最終合意』などと大見得を切って
すぐに裏切られるという外交の大失態。

こんな無様な姿は二度と見たくない。

    


33. 2017年1月22日 06:53:09 : ENgFawNsjY : mKogao5kbhw[7]
南京事件は全くの捏造だよ。


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