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東京・明治百五十年賛美は危険。小泉の薩摩田布施と安倍の長州田布施解明が先決、アッキードと加計の喚問である。
http://www.asyura2.com/18/cult19/msg/559.html
投稿者 ポスト米英時代 日時 2018 年 8 月 19 日 18:55:46: /puxjEq49qRk6 g3yDWINnlcSJcI6ekeM
 

ヒラリーサックスの飼い犬にして朴娘サックスの盟友の安倍サックスは頑固な油汚れのように、便器にこびりついたうんこのようにしつこく政権にしがみついているが、一億人にここまで馬鹿にされて、グリーンの首相は馬鹿にしかさせないというオフレコ発言もネットでは常識化しており、それ以外あり得ない馬鹿さだから妙に納得できるという訳である。
昨日は、高校野球が面白く、8チームはワシが育てたみたいな気分で総合監督として見守っていた訳だが、ちょっとヤフーを見たら、名古屋が史上初の最高気温と最低気温を記録し、北海道も史上初の夏雪とか気象庁サックスが発表しており、偽ユダヤが猛暑兵器から寒冷兵器に切り替えたようだが、馬鹿丸出しである。
私のOLビキニ化計画もパーで、わが社でガリガリ君を買収提案しようとした話もおじゃんで、早速、七輪販売事業部を立ち上げた所だが、えー加減にせーよーという感じである。  

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コメント
1. はろー[1363] gs2C64Fb 2018年8月19日 20:16:47 : uFCT5UT0Y6 : Gxib1H9DNVQ[603] 報告
藤原直哉の「日本と世界にひとこと」
8/8[冷戦終結を飲み込めない人たち]、8/15[トランプ革命進展中]ほか 
藤原直哉のインターネット放送局 (podcast)
https://player.fm/series/1123915
テレビやラジオのニュースがあれなんで、今や自分にとってはこれがニュースです。
2. 2018年8月19日 20:31:46 : ezjGiBuFbY : zkG8_9TSlAw[2] 報告
♪仮病じゃ仮病じゃ、ゴルフかよ〜♪こんな歌を道端で歌っていた高校生集団にすれ違った。
本日は、2018年8月19日。
3. 2018年8月20日 02:40:30 : 3ah459lR8Q : BQKXrt2t@gY[945] 報告
こんばんは、久しぶりに来ましたよ、飯山氏の言霊に乗って(笑)
おっしゃる通り明治維新は先日のウクライナのクーデターとにてますね。それから安倍君のような指導者が第二次大戦まで日本を統治し、敗戦後は従属国家になってしまった。逆らう首相がでると宗主国から頭を叩かれる、小澤さんは頭を叩かれたので幼稚園児のような現首相になってしまった。日本は明治維新で終わりました。人口減少から言って日本はなくなると思いますよ。アメリカは韓国から撤退しても、日本からは撤退しないですから。
4. 2018年8月20日 09:09:34 : fCZ83cf8p2 : ZyE@@HR5cDA[4413] 報告

大河も戦国と維新ばっかですが特に維新賛美みたいな風潮は変で無理があり今回の最低視聴率にも表われており国民も飽き飽きデス、オールジャパン唱えた竜馬はまだしも薩長主体の新政府が何やったのかは言うまでもなく大政奉還したのにクーデターや内乱とかはワの伝統にも合わずいつまでも薩長側を英雄視して有難がる、有難がらせるなどはもうイイ加減にすることで御意であり大河も戦国だけでよく、あ//もうイイヨ、皆そう思ってる;蛭子嘆息
5. 2018年8月20日 09:15:38 : fCZ83cf8p2 : ZyE@@HR5cDA[4414] 報告
>>4 最後部分に関する補足

 もうイイヨ、皆そう思ってる(から) //類例表現;送らんでイイヨ、取りにいくから

6. 2018年8月20日 12:10:30 : 132f8rRfcg : tQm@Vfj08eM[211] 報告
盆休み 久し振りに自宅のパソコンいじくり始めて、モニター置いた台の下の棚にBIGの結果を見てない一枚を発見して当り・ハズレを確認したら当然ハズレでしたが、すぐ検索で “サッカーくじ、インチキ選挙と同じか?” と打ったら1頁から次は固まって先へ行きません、もう一度試しても1頁で固まって強制終了しました。 はてさて五輪・拳闘界のクズが〜と思って居りましたらサッカーも同じ仲間かぁ と薄い頭髪撫でながら 「だろうなぁ」と全てがインチキで成り立っているのを再確認致しました。クソ暑いクソ寒いこの夏空・飛行機雲ばっかで気持ちの良い入道雲に出会えなかった恨みも含めてグラバー末裔の根絶を盆踊り眺めながら神社境内で何度も祈願致しました。
7. 2018年8月20日 12:49:21 : BO9Qa22atq : ecTpWGQdN_Y[116] 報告
バーモント州の知事候補、民主党はLGBTの元電力会社CEOなんだが、その言うことにはトランプ大統領の誕生に勇気づけられたと。この国は変革しうる国であることが証明されたと言う。トランプ大統領はかなり広範囲に影響を及ぼしているようだ。

それを日本では150年の墨守を誇っている。
これまで一度も見直してない。
太平洋戦争も見直してない。
島原の乱すらまだ見直しをしていない。
最近であればシリア紛争との類似に誰でも気付きそうなものだが見直しの気配すら無い。
かなり遅れた国だな。

8. 2018年8月20日 14:33:14 : fCZ83cf8p2 : ZyE@@HR5cDA[4416] 報告

ったく、暑い夏をより暑く、寒い冬をより寒く、というジジイらにはもう忍耐も限界デ、ニビルから空中ブランコで飛び移ってきたみたいな外道宇宙人一派には正統マットウな由緒正しい宇宙連合、銀河連盟のセンセイ方もカンカンでお前らオバタサンの爪の垢でも煎じて飲メヤとお怒りデス //ワシらはプレアデス、シリウスからの直行組で本家デ  ヨリ
9. 2018年8月20日 14:36:34 : FFx5Pca1eM : vVbJeI6TLIE[83] 報告
トランプの「米国ファースト作戦」という名のドブ掃除を効率よく進めるには

先ずは日本のドブ(安倍自公不正選挙政権征倭会とその背後のCIA御用達朝鮮カルト

及びCIA御用達財団)掃除も並行して進めるべきだった事実をトランプ自身が

ちゃんと認識できていたかどうか

ロスチャイルドの番頭ソロス・ディープステート陣営が不正選挙でヒラリーを

大統領に据える戦略からトランプ大統領誕生へと切り替えたというような裏情報を

選挙戦前に暴露していたのは副島氏

CIA御用達財団のトップがtwitterを止めた云々で安倍の総裁選立候補取りやめ

の可能性という見立てはやはり無理がある

日本を牛耳るCIAはいまだにトランプの軍門には下ってはいないのだから

安倍3選シナリオで強行突破する方向で動いている筈

情報源がベンがモサド副島氏がロスチャイルド板垣がCIAだという推察に立てば

なおのこと

イスラエルのネタニヤフがいまだに野放し起訴されないということは

日本の安倍とその背後の朝鮮カルトマフィアと検察とがグルという構図そのまま

検察が早々に佐川の不起訴を発表したこと自体安倍3選シナリオに沿った援護射撃である

10. 2018年8月21日 00:09:31 : 5pYyeCd9nA : C_zQeGtrqAE[16] 報告
明治維新以来150年間、我が家は反骨でした。幕末の名君、井伊大老を生んだ彦根藩の家臣の末裔ですので、ずっと政府に反逆してきましたね。うちのおじいさん、身体が弱くて第二次世界大戦末期の予備役召集にもかかりませんでしたが、おかげで非国民呼ばわりされ、大変苦労したそうです。

あんなテロリストの吉田松陰が称えられて、領民のための政治を行なった井伊大老が悪者扱いされ、実に酷い150年間でした。

ずっと反自民で社会党を応援してきたおじいさんでしたが、このあたりに理由がありそうですね。

11. 2018年8月21日 00:19:25 : DbtYM4rfNI : aNtqSx1aktg[1] 報告
>3 はよくわかってるな。
ヤハウェって気づいて名前の鍵を解いたらロスチャイルドがとんでもない不敬をしたのが暴露されるよ。ていうか暴露したから結構、各国キレはじめて、トランプも欧州と喧嘩してる。
ドイツフランスは分が悪すぎて逆に擦り寄りはじめてますわ。
12. 2018年8月21日 00:33:17 : mNMfUmI0wM : Ux3zkJvOmQM[2] 報告
>>10

何かと言うと欧米列強の殖民地にされないためにやったんだとか言うけど、殖民地って何?外国人が国内で好き勝手できない事でしょう。

ところが結局は外国の軍隊が国内に駐留する羽目になってしまったわけで、薩長土肥のやってる事は結果的に言ってる事と逆なんですけど。こんな戯言を聞いて納得している国民は、だからインパール作戦などでの悲惨な死に方を余儀なくされるのでしょうね。

13. 2018年8月21日 01:10:52 : K9AFfI0ByY : fi3Ig@oVGoo[8] 報告
どうでも良いことだが。
田布施は長州じゃなく防州。
14. 2018年8月21日 01:40:37 : z8La6lV2bg : rHGx9R@h1B8[8] 報告
中井貴一って、津川雅彦と同根、安倍友系極右のイメージで受け止めていて
映画もドラマも、どんなに面白そうな匂いがしても完全スルー
大体あのふぞろいの林檎の柳沢慎吾ちゃんだけ兄弟に加われないって
まるで今村昌平監督「楢山節考」の左とんぺいさんって感じで心外なんだよねw
以前にポストさんの投稿記事で井伊直弼のことを小耳に挟み
明治維新とやらの真実とも併せてこれまで常識として思い込まされてきた歴史がいかに
嘘、為政者権力者サイドのご都合主義かを再確認した次第
下記の話では大老の話は伺えないけど
上げた内容は現在の安倍や祖父の岸そして日本会議の在り方とは真逆
こやつらは徹底的に潰す弾圧言論封殺抹殺しか行ってきていない連中だから
亡くなった津川も表向きはこうした内容に深い感化を受けていた筈だろうに
実際の言動は真逆だっただもんね


「柘榴坂の仇討」wiki から引用

〜「命懸けで国を想う者を無下にするな」という直弼の言葉と「国を想う者に不当な処罰を与えれば、誰も国を想わなくなる」という秋元の言葉を思い出し〜

15. 豊岳正彦[99] lkyKeJCzlUY 2018年8月21日 08:03:02 : AKB67GaCh2 : rOxK_DunrP0[100] 報告
〜「命懸けで国を想う者を無下にするな」という直弼の言葉と


安政の大冤罪

こいzみ安倍と一緒やね

井伊は詐欺師じゃよ冤罪着せて命懸けで国を想う者を無下に殺したのさ。

だから維新回天が燃え上がった。

16. 豊岳正彦[100] lkyKeJCzlUY 2018年8月21日 08:29:13 : AKB67GaCh2 : rOxK_DunrP0[101] 報告
井伊の彦根での善政を吉田松陰が称えたけど

大老になってアメリカにびびったのが

「命懸けで国を想う者を無下に」テロリストの非国民呼ばわりして冤罪で殺した安政の大量人殺しで

全国の大和魂が燃え上がった

貼っておこ。

世界の人の前で安保法制を批判される安倍首相――長崎平和祈念式典(生き生き箕面通信)阿修羅♪

>>11
>>>2. 2015年8月09日 12:48:07 : D5htUxA97c 様
>>原爆の日に、安保法制の話を持ち出すのは筋違い(海外のメディアにもそう映っている)。
>>まずはその場でアメリカに向かって謝罪を求めるべきだろう、それが被爆者の一番の思いのはず。
>まさにまさに おっしゃる通りです
http://www.asyura2.com/15/senkyo190/msg/376.html#c11

違う。
アメリカにではない。
一神教悪魔カルトであり生まれつき常に世界征服全人類奴隷化をたくらむ悪の秘密結社フリーメーソンに対して謝罪と反省を求めるのである。

すなわち平成27年現在フリーメーソンが支配する政教一致悪魔カルト国家「イスラエル(NWO世界本部政教一致)・USA(キリスト教悪魔カルト政教一致)・UK(イギリス国教会悪魔カルト政教一致)・バチカン(言わずと知れたテンプル騎士団十字軍虐殺略奪悪魔カルト政教一致)」たちに、人類に対する犯罪「ヒロシマナガサキ原爆投下」の故意の加害責任があるのだ。

前記一神教悪魔カルト政教一致国家のすべての共通項が、「政治とはすなわち戦争である」の国是である。
それ故有史以来世界中のすべての戦争を起こしているのは常にフリーメーソン悪魔カルトだと判明するのである。

これが、フリーメーソン悪魔詐欺師がでっち上げた現代世界史の教科書には絶対に書かれない、真実の世界史である。

ヒロシマナガサキに投下された原爆を作ったのは、ユダヤ人フリーメーソンオッペンハイマー&アインシュタインである。
これは世界史の唯一の真実である。

原爆投下命令を出したアメリカ大統領トルーマンはユダヤ人フリーメーソンである。

イギリス首相チャーチルはユダヤ人フリーメーソンである。

ドイツ総統ヒットラーはユダヤ人フリーメーソンである。

共産主義革命国家ソ連の指導者スターリンはユダヤ人フリーメーソンである。

中国人民解放軍指導者毛沢東はユダヤ人フリーメーソンである。

これはすべて世界史の唯一の真実である。


日本史の真実。

ザビエルはユダヤ人フリーメーソンである。

ペリーはユダヤ人フリーメーソンである。

伊藤博文を筆頭に、長州ファイブはイギリスフリーメーソンである。

漁師の息子ジョン万次郎はアメリカフリーメーソンである。

岩崎弥太郎もグラバーに弟子入りしたフリーメーソンである。

薩摩藩大久保利通・会津攻略薩摩藩士隊武将・小松帯刀・・・(NHKが大河ドラマで知られざる明治維新の偉人として発掘し脚光を浴びせかける者)は皆イギリスフリーメーソンである。

山県有朋・福沢諭吉・新渡戸稲造・内村鑑三・その他文明開化を好いものとしてやたら大声で謳った偽善者は皆英米のフリーメーソンである。

昭和天皇ヒロヒトは皇太子時代からイギリスフリーメーソンである。

統制派皇軍軍人はヒロヒト側近の全員がフリーメーソンである。

アメリカ大統領ルーズベルトはユダヤ人フリーメーソンである。

山本五十六・源田実・吉田茂・鳩山一郎はフリーメーソンである。

・・・

ヒロシマナガサキ原爆投下はフリーメーソンヒロヒトがユダヤ人フリーメーソンルーズベルトに依頼して大和魂武士道日本人のまほろばの国に投下せしめたものである。

すなわち、すべての原爆投下極悪非道戦争犯罪の故意の加害責任は、すべてフリーメーソンが負わねばならない。

これが真実の歴史の審判である。


明治政府のフリーメーソンは、明治六年政変で和韓論西郷隆盛と彼に賛同した武士道武士たち政府重臣をフリーメーソン伊藤博文の陰謀で追い落として下野させた後、政府に残った政府重臣が全員フリーメーソンであると判明するのである。

「決定版 昭和史 第一巻昭和前史・文明開化(幕末ー明治18年)」昭和59年6月30日に毎日新聞社から刊行
寄稿「近代日本の礎となった政治家大久保利通」毛利敏彦大阪市立大教授
http://www.asyura2.com/13/senkyo158/msg/472.html#c139

武士道武士
・ただ一人の陸軍大将で筆頭参議西郷隆盛
・参議の板垣退助、江藤新平、後藤象二郎、副島種臣の四人

政府に潜り込んだフリーメーソン
・大久保利通
・太政大臣(首相)三條実美
・岩倉具視
・吉井友実宮内省高官

「吉井友実とは」
・・・ここに登場したのが、長州派の策士(非武士:転記者補追)伊藤博文である。かれは、かねてから、初代司法卿の参議江藤新平による長州派の同僚山県有朋や井上馨の汚職摘発を食い止めようと苦心していたが、三條卒倒の椿事につけこんで、一気に江藤追い落としを謀った。伊藤の策略は、岩倉を太政大臣代理につけて強引に西郷使節派遣を葬れば、江藤を含む参議連中が抗議の辞表を出すにちがいないから、逆手を取って辞表を受理すればいい、というものであった。
 伊藤は、この陰謀を大久保に吹き込んだ。怒りに平素の冷静さを失っていた大久保は、まんまと伊藤の策略に乗せられた。大久保は、薩藩以来の同志で宮内省の高官になっている吉井友実(よしいともざね)に手をまわし、岩倉を太政大臣代理に就けることに成功した。
http://www.asyura2.com/13/senkyo158/msg/472.html#c144


カルトとは政教一致である。

EUバチカン諸国と大英帝国連合諸国と合衆国及びイスラエルを見てごらん。すべて憲法の上にキリスト教の全能の唯一絶対神を仰ぐ信仰第一政教一致国家、つまりカルト国家である。

そして一神教はすべて異教徒を許容せず攻撃して滅ぼせと信者に政治行動を命令する。異教徒も人間だから攻撃されれば当然反撃するので,神の命令によって異教徒の血と信者の血が大量に流れることになる。一神教の神は特に人間が血を流すのが多ければ多いほどご満悦のようだ。そんなら最初から異教徒や信者の人間や動物を作らないで大好物の「血」だけ作れば良いのに造物主、ばっかじゃなかろうか。

そして一神教の唯一絶対神は人間が自分と同格の神になることを決して許さない。人間は未来永劫身(すなわち「血」)も心(すなわち「霊」「魂」)もすべて絶対神に生け贄として捧げる奴隷で無ければならない。

旧約聖書に神の言葉で「宇宙の万物を創造した私はねたむ神であり滅ぼす神である」とあり、異教徒を含めすべての人間の体と心(すなわち血と肉と霊魂である)をわざわざ自分に似せて作ったほどの全知全能を独占する絶対神造物主が、自分の造作物に対して一体何をねたむというのであろうか?もし宇宙のすべてを一人で作ったというのが本当なら、人間に対してねたむというこの造物主は智慧というものを持たぬ、底抜けに愚かな出来損ないであるというほかない。この出来損ない愚物造物主をかくまでの愚か者に育てた親の顔が見たいものだ(笑)

この絶対神の愚かさは悪魔の愚かさと全く寸分違わず同じである。ということはこの地球という惑星上のすべての愚かなる絶対晋三物主(笑)もとい絶対神造物主は則ち悪魔そのものである。これをニーチェは「神は死んだ」と云ったのである。白人にも偶には賢い人がいるね。古代ローマ人みたいに。

釈尊は黄色人種モンゴロイドだったように、黄色人種は人天の師たるすぐれた人材を輩出する人種である。ユダヤ人フリーメーソン悪魔は宇宙の始まりからそのこと知っているが、ねたみ心から絶対にその真実を認めずただただ口から出任せのでたらめを流布し真理を葬って人間から隠蔽しようと必死に歴史の上であがき続けている。それが悪魔の詐欺魔術錬金術西洋科学の根底にある「ビッグバンのおお嘘」の正体だ。
_________

イスラエル国営フリーメーソン放送局NHKはいま大河ドラマ「花の宴」で田布施非人長州ファイブフリーメーソン伊藤博文を明治維新の元勲として必死で持ち上げて賛美する「真っ赤な嘘」偽旗作戦遂行中の真っ盛りである(笑)


17. 豊岳正彦[101] lkyKeJCzlUY 2018年8月21日 09:01:07 : AKB67GaCh2 : rOxK_DunrP0[102] 報告
貼っておこ。

http://www.asyura2.com/13/senkyo158/msg/472.html#c82

82. 2013年12月27日 13:43:44 : rWn9PLlcps
靖国神社について語るには神道についてしらねばならない。

戦前俗に皇紀2600年と言い習わしていたが釈尊生誕が2500年前と言われていた頃なのでそれよりも100年古い歴史があると言いたかったのであろう。

万世一系の天皇という「神話」を捏造したのは正に明治維新政府元勲江戸時代人別帳非人出身新平民伊藤博文と山県有朋であり、

それまでは国として神仏習合した聖徳太子以来ずっと日本は仏教国であり神社には必ず神護寺という寺が併設されて

寺僧のほうが宮司より上位におかれて仏法僧の三宝が日本の国中ですべての民衆によって篤く敬われてきていたのである。

このため日本の民衆社会では江戸時代末まですべての人別も教育も寺で行われてきた。

つまり日本では古来の神道は聖徳太子以来国教である仏教が貴ぶ仏法僧三宝の輩下に置かれていたのだ。

全国に国分寺国分尼寺を建て総本山東大寺に大仏を鋳造した聖武天皇が詔して自らを「三宝の奴(やっこ)」として以来仏教が日本の国教で国是となった。


釈尊の霊鷲山講話に「七不衰法」がある。

仏教は他の一神教と違い異教の神を否定せず受け入れる教えである。

「 1 しばしば会合し、よく集まる間は彼らは繁栄こそすれ、衰えることは決してない。

 2 一致和合して会合し決議しことを処理している間は衰えることはない。

 3 新しい制度を設けたり、前の制度を捨てたりせず、旧来の風習を守っている間は衰えることはない。

 4 年長者を尊敬し、その言うことを聞いている間は衰えることはない。

 5 婦女子を強制して言うことを聞かせるようなことをしない間は、衰えることはない。

 6 各宗教の宗廟を尊敬し、昔からの仕来りの供物を怠らない間は衰えることはない。

 7 宗教家達を尊敬し、よそから喜んで宗教家がそこを訪れ、そこにいる宗教家は喜んで留まっている間は衰えることはない。」

転載元http://wandara.net/blog/blog.php?key=23867

聖徳太子以後の平安時代、中世を中略して

明治維新新政府が5世紀以来の国教である仏教を「神仏分離令」で廃仏毀釈して

それまでずっと神道のうえに会った仏法僧の僧侶を追放して

宮司神官を逆に国教の最上位に据えた。

これは七不衰法の3.と6.を直接破る者で、

明治維新政府の衰亡はこの廃仏毀釈の時に定まったと言えるでしょう。


なぜ伊藤博文は廃仏毀釈したか?

それは自分が非人であったことが寺の人別帳にはっきりと記載されていたからです。

これが維新政府の「特定秘密」でした。

これを仏教ごと証拠隠滅するために

神仏分離令を出し

廃仏毀釈して

全国の寺の宗旨人別帳を破棄させた。

そしてうちたてたのが万世一系という虚偽の衣を着た明治神道というわけです。

つづく

18. 豊岳正彦[102] lkyKeJCzlUY 2018年8月21日 09:41:53 : AKB67GaCh2 : rOxK_DunrP0[103] 報告
つづき
http://www.asyura2.com/13/senkyo158/msg/472.html#c86

そして靖国神社であるが、

これは元々長州藩士(人別帳で武士階級である)高杉晋作が下関市の桜山に、

師の吉田松陰と松下村塾の学友たち

安政の大獄以来幕府から加えられた弾圧との戦いの中で戦死した者たちを

それぞれの墓所(すなわち菩提寺。すべてに於いて神社(神道)より寺(仏教すなわち仏法僧)が上位であった時代であるゆえ)とは別に

石碑を建て集めた招魂場(神社ではない)を作って高杉晋作個人として慰霊を行ったものが、

高杉晋作の死後大村益次郎によって東京九段に同じ趣旨で招魂する対象を拡大して九段招魂場として建てられたが、

のちに靖国「神社」とされたのである。

ゆえに日本の神社に絶対に必要な由来書(氏子)も神護寺(檀家)もない、

古来神道の「神社」とは似て非なる者である。

ゆえに靖国神社の国家神道などそもそも宗教ですらないし、

国家神道など日本には古来伝わっていなかったのだ。


国教国是は仏教なんだからね。


つづくhttp://www.asyura2.com/13/senkyo158/msg/472.html#c89


単なる私設招魂場にすぎない九段招魂場がなぜ明治天皇の詔勅一本で「靖国神社」となったのか?

なぜ西郷隆盛や榎本武揚や勝海舟や会津藩士や戊辰戦争の東北武士たちが祀られないのか?

これにも江戸時代の本籍戸籍台帳である寺の宗旨人別帳に書かれた当時の人の本当の身分が関係している。

明治新政府に参加した薩長他の倒幕派雄藩人材のうち

薩摩も旧幕臣も土佐も肥後もみな宗旨人別帳で武士であった者ばかりだが、

長州だけは伊藤博文と山県有朋が宗旨人別帳で武士でなく非人(伊藤博文)や商人以下(山県狂介)であった(桂小五郎は武士であったが凡庸な愚物であった)。

彼らは日本古来の武士道の躾を受けていないので、

不作法破廉恥な私利私欲の富貴名誉栄達を無理無体に求める餓鬼道欧米フリーメーソンの全身全霊手先であった(>長州ファイブ)。

倒幕後の戊辰戦争で武士にあるまじき無慈悲無惨な殲滅戦で暴虐の限りを尽くして戦果を上げ、

維新政府樹立の功績第一等を自負する伊藤山県らは、

明治天皇の教育係に就いた西郷隆盛と山岡鉄舟の日本古来武士道が理解できず、

宗旨人別帳で武士でない自分たちがそのうちに新政府から排除されるのではないかと恐怖して、

エタから成った明治天皇を欺して廃仏毀釈し神社にした靖国をもとに国家神道を作ることを承知させた。

明治6年陰謀を巡らせ本来和韓論の西郷隆盛を征韓論に仕立てて追放し天皇の詔を偽造して

新政府軍を使って日本古来武士道政治家大西郷を伐たせたので有る。

伊藤博文はかつて戦国時代フリーメーソンイエズス会と結託して仏教徒国民善男善女を殺し多くの寺を破壊した織田信長を超えた、

日本全国の寺院を破壊した仏敵国賊大悪魔であった。

伊藤がこの武士道西郷を謀殺した本当の目的「自分の出身が武士でなく非人で有ること」を隠すために、

陽動作戦で明治天皇へ大村益次郎の招魂場を神社にして倒幕の正当性を天皇に保障させる一方、

倒幕で働いた自分の数々の武士道にあるまじき残虐非道行為を靖国神社という粉飾で隠蔽して、

仏教徒国民からの国賊仏敵悪魔としての断罪を封じ込めようとしたのです。

この伊藤の心は神道で言う穢れそのものであり仏陀が戒める身を滅ぼす煩悩そのものです。

(余談ですが穢れ多き者をエタと神代の昔から日本では呼び習わしてきました。

江戸時代の宗旨人別帳では非人とエタは異なる人別でした。

大室寅之佑は人別ではエタです。

公家もそうですね。)

このように国家神道などどこにも存在せず、

靖国神社は依り代の墳墓もなければご神体もない日本古来神社神道に全く無縁で何の関わりも持たない、

ただ長州藩武士吉田松陰の言う武士道大和魂の招魂場なのです。

・・・・・・・・・・・・

http://www.asyura2.com/13/senkyo158/msg/472.html#c96

さて日本の国教が聖徳太子以来仏教であることを歴史的事績という事実によって証明しましょう。

聖徳太子の事績は有名な「日いずる国の天子書を日没する国の天子にいたす。つつがなきや」です。

聖徳太子は自ら天子と名乗り、日本の大王天皇であることを大国隋の皇帝煬帝に告知しています。

そして隋の答礼使ハイセイセイが日本の都を訪れたとき

「隋は仏法僧に帰依する国と聞いています。

私も仏法僧に帰依しており貴国のように広大な国をいかなる仏法の方便で治めておられるのかその智慧に学びたいと思って国書を送りました」

と煬帝への伝言を託したのです。

また聖徳大王タリシヒコは国事行為として仏典「維摩経、ショウマンキョウ、華厳経」の三経を解釈講義しました。

聖徳太子は伊予の道後温泉で自然の恵みである温泉がすべての生物に惜しみなくあふれ出て恩恵をもたらすのを見て正覚(仏教で言う悟り)を得て

「世間虚仮唯佛是真」と釈尊の教えに帰依する仏弟子となったことを宣言したのです。

そして戦に明け暮れる現世を自分が統治する日本国から仏法僧の三宝に帰依して得られる佛智によって正そうと

和を以って貴しとなす十七条(三宝帰依)憲法を定めたのです。

その後

「海ゆかば水漬く屍 山ゆかば草蒸す屍 大君の辺にこそ死なめ かへり見はせじ」で有名な大伴家持が忠誠をささげた聖武天皇が

自らを「三宝の奴(やっこ)」と詔勅して日本全国に国分寺国分尼寺を建立し東大寺大仏を総本山本尊とする佛国日本を確立したのです。

大伴家持のあの歌は大仏の全面に貼る黄金を得るために陸奥へ金鉱脈を探しに行った大伴家持が

苦難の末に金を掘り当てて聖武天皇の念願をかなえることができた忠臣としての心からの喜びを謳いあげたものなのです。

・・・・・・・・・・・

つづくhttp://www.asyura2.com/13/senkyo158/msg/472.html#c107

仏教は宗教ではなく宇宙の真理ですから、いかなる一神教カルトも宇宙の真理を壊すことはできません。

一神教多神教のすべての神もまた必ず死ぬものであります。

宇宙の真理は因果応報生者必滅諸行無常ですから。

この輪廻を脱するには慈悲菩薩行の生を500回転生して生き抜く道しかないと

釈尊は2600年前に大慈悲をもってすべての生あるものへ教え諭し示されたもうたのです。

釈尊が人天の師と称えられる由縁です

(人とは人間界、天とは天界すなわち神の世界。

キリスト教ユダヤ教イスラム教ミトラ教ゾロアスタ教ヒンズー教すべての一神教でいう天国や、日本で聖武天皇以降宗派化された排外仏教

(釈尊は異教を排外しないで遍く宇宙の真理を教えたのですから

三宝に帰依する佛弟子は他宗教も他宗派も攻撃することはありません)

のいう極楽浄土もこれに含まれます。

聖徳太子が神仏習合して仏法僧の三宝に帰依し「世間虚仮唯佛是真」と

みずからが大王天皇として治める日出づる国を釈尊が示された宇宙の真理に帰依する佛国土にする不退転の菩薩の誓願をお立てになりました。

これによって日本は宇宙の真理に帰依する人天界唯一の菩薩常民国となったのです。

天皇が仏弟子であるという伝統は聖徳太子の正覚(悟り)によって始まりました。

すなわち皇紀2700年皇国日本は仏法僧の三宝に帰依する慈悲道徳菩薩国そのものなのです。


108. 2013年12月29日 11:05:26 : rWn9PLlcps

天皇が仏弟子であるという伝統は聖徳太子の伊予道後温泉での正覚(悟り)によって始まり、

聖武天皇が大詔して「朕は三宝の奴(やっこ:忠実に心身ともにささげて三宝にお仕えする、の意)である」と

日本全国に国分寺国分尼寺を建立し

奈良の都に日本国のみならず宇宙全土へ釈尊の大慈悲を遍く垂れたもうびる遮那佛の大仏を鋳造して

東大寺という釈尊生誕地の東方に位置する大きな仏弟子のサンガすなわちお寺を建立したことで、

日本こそが末法の世に佛弟子菩薩常民の手で打ち立てられた佛国土であることが地球の歴史に刻まれました。

111. 2013年12月29日 19:55:49 : rWn9PLlcps

聖武天皇の前に

天武天皇も壬申の乱の前に出家して僧となり吉野の山へ隠棲しました。

その後還俗したとはどの歴史書にも記載されてないから天武天皇も仏弟子だったというのが歴史的事実となります。

聖徳太子以後は日本の政を行う大王天皇の国家統治を補佐するのは神道ではなく、

人天の師釈尊が地上で説き示した仏法僧の三宝であったという事実が証明されました。

19. 2018年8月21日 10:03:58 : fCZ83cf8p2 : ZyE@@HR5cDA[4417] 報告

維新のことを言うとヤッパ色んなヒトが来て面倒臭いスレになってタイヘンw それより空を見ろ! あ、鳥だ、飛行機だ、タケ、いや宇宙連合だ、という状況が大事で、まあこれも実際展開中ですので一般の目に見えるのももうスグです、//維新どころか縄文、ムー、プレアデス位遡らないと話が繋がらないわけダガ;2チャン的考察の会
20. 豊岳正彦[103] lkyKeJCzlUY 2018年8月21日 10:27:09 : AKB67GaCh2 : rOxK_DunrP0[104] 報告
http://www.asyura2.com/13/senkyo158/msg/472.html#c112
靖国神社と明治22年伊藤博文大日本帝国憲法制定のつづきです


>この金湯館に「伊藤博文を筆頭とするメンバー30人ほどで来訪し、当館にて明治憲法も草案されております。」とのことです。
>明治ロスチャイルド憲法が草案された宿
http://richardkoshimizu.at.webry.info/201312/article_139.html

伊藤博文は忍者すなわち非人でした。武士ではありません。それは先祖代々の寺の宗旨人別帳に永代保存されていました。

明治新政府で雄藩出身者のうち武士でなかったものは伊藤博文と山県有朋だけです。
暗殺や陰謀などの破壊工作謀略を専門とする忍者は武士道にもとる存在なので非人にこれを命じたのです。
彼らは誰にも隔てなく大和魂を説いた吉田松陰の松下村塾同門長州藩士高杉晋作が創設した奇兵隊に入隊したことによって外見は武士の格好をしていましたが、心と宗旨人別帳は非人のままでした。
明治新政府に参画したとき他藩出身者はすべて由緒正しい宗旨人別帳に記載された先祖代々の武士でしたが、
伊藤と山県は武士道を知らない躾を受けていない代々非人の家に生まれた無慈悲無法な外道の殺人者だったのです。

武士に対して大きなコンプレックスを持つ伊藤と山県が維新政府でまずやったことは
四民平等と断髪令廃刀令でした。

しかし全国の寺に永代保管されている宗旨人別帳を見れば伊藤と山県だけが武士道無き無頼の下賎者が
日本人が嫌う卑怯卑劣な下克上で成り上がったとバレてしまいます。

伊藤と山県にとって宗旨人別帳が何が何でも消し去ってしまわねばならない秘密、ちょうど今の安倍総理が同じように必死で言う「特定秘密」だったのです。

しかし聖徳太子以来仏法僧の三宝に帰依する国となった(奈良時代以降国師とは常に神官ではなく僧侶でした)日本で寺院は政治と教育の中心でした。

その寺に日本人は士農工商全員が檀家となって帰依していたので、
「寺にある宗旨人別帳を破棄せよ」と新政府が命令すれば
逆に非人である伊藤と山県が日本人士農工商民衆から誅求されます。

そこで非人のふたりが憲法をつくって
天皇をキリスト教のごとき絶対神に定めて
仏教を国境の地位から落としめて、

江戸時代まで寺社法度で寺と僧の支配下に置かれていた神社宮司を

新憲法で捏造した国家神道の長にまつりあげ、

神仏分離令を出して全国の寺を官権力で廃仏毀釈すなわち破壊して廃寺追僧して寺の資財を宗旨人別帳ごと焼き捨てる、

佛寺に対する神社のいわゆる卑劣な下克上を行ったのです。

これが一神教カルトイエズス会ザビエル以来綿々と続くフリーメーソンイルミナティ外道悪魔の下賎外道な入れ智慧に基づくことは明らかです。

長州藩吉田松陰高杉晋作は学問ある大和魂武士でしたが

長州ファイブ伊藤博文は学問が無いので留学の実が挙がらず

中途で帰国してイギリスのフリーメーソンスパイとして長州に戻って倒幕に加わったのですから。

吉田松陰も高杉晋作も久坂玄瑞も長州大和魂武士は皆倒幕を果たす前にやまとの野辺に身が朽ちましたので、

新政府に参加した長州藩代表は非人でありフリーメーソンスパイである伊藤と山県の、

大和魂無きユダ金スパイ、武士でない偽の日本人軍人すなわち戦争テロリストだけだったのです。

釈尊も人の価値は血筋や地位にかかわりなく清らかな行いによってのみ決まると仰っておられるが、

人間は躾がすべてです。すずめ百まで踊り忘れず、ですよw

つまりムー大陸時代から江戸時代まで常に同時代地球最高の真善美道徳慈悲民衆菩薩国であった日本の劣化は

明治維新で文明開化と称してフリーメーソンスパイ伊藤博文と山県有朋が政府高官に成りすまして

国家神道というカルトを国教としてでっち上げた「廃仏毀釈」によって始まったということです。

これが、宇宙の真理を教えたもうた仏陀が生まれた地球がある宇宙の歴史の真実です。

21. 豊岳正彦[104] lkyKeJCzlUY 2018年8月21日 11:18:16 : AKB67GaCh2 : rOxK_DunrP0[105] 報告
121. 2014年1月02日 00:54:42 : rWn9PLlcps
>>59つづき

武士道の「武」の文字は「戈を止める」と書く表意文字である。
http://www.asyura2.com/13/senkyo158/msg/472.html#c59


一円融合のこのエントリーの最後に書かれたつぎの文章がまさに日本武士道を語り尽くしている。↓

・・・だが気づいた。戦争とは罪もない女性、子供を殺すことだ。自分にはそれはできない。
じゃあ、軍人にその責を押し付けるか?それは卑怯だ。出した答えが、丸腰でも精神
の高潔さで相手に刀を抜かせない、闘わずして勝つ、それが真の武士道だということ。

それはつまり、平和主義、戦争放棄の憲法前文と9条だった。

2013/12/07/Sat | 日本と日本人・・・
http://ichienyuugou.blog.fc2.com/blog-entry-927.html


◎大和魂武士中田厚仁「武士道とは死ぬことと見つけたり」

中田厚仁さんが命がけでカンボジアに実現した「手作りの公明正大な選挙」こそが日本国憲法前文にある「正当な選挙」である。
そして自分が死んでもほかの人々のために正義を教え示す菩薩の行いを貫き通すこと、これこそが大和魂武士道であり仏教徒である日本人が守り通す釈尊「八正道」の教えにしたがう真理(ダルマすなわち法)の行いである。

「 だけれども僕はやる・・・中田厚仁」
http://ichienyuugou.blog.fc2.com/blog-entry-988.html

 カンボジアで選挙監視員中田さんが担当していた、最も危険だったコンボトム州の投票率は99.99%です。考えられないような高投票率でした。選挙は大成功でした。

ねずさんの ひとりごと 2011年01月14日(以下略)
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・



122. 2014年1月02日 01:03:20 : rWn9PLlcps

忠孝の大和魂武士道は佛天子が帰依する三宝に帰依する。


123. 2014年1月02日 01:17:42 : rWn9PLlcps
>>121つづき

あたらしい憲法のはなし 文部省
   1947(昭和22)年7月28日同日翻刻印刷
   1947(昭和22)年8月2日同日翻刷発行
   1947(昭和22)年8月2日文部省検査済
http://www.aozora.gr.jp/cards/001128/files/43037_15804.html

・・・

三 國際平和主義

 國の中で、國民ぜんたいで、物事をきめてゆくことを、民主主義といいましたが、國民の意見は、人によってずいぶんちがっています。

しかし、おゝぜいのほうの意見に、すなおにしたがってゆき、またそのおゝぜいのほうも、すくないほうの意見をよくきいてじぶんの意見をきめ、みんなが、なかよく國の仕事をやってゆくのでなければ、民主主義のやりかたは、なりたたないのです。


 これは、一つの國について申しましたが、國と國との間のことも同じことです。

じぶんの國のことばかりを考え、じぶんの國のためばかりを考えて、ほかの國の立場を考えないでは、世界中の國が、なかよくしてゆくことはできません。

世界中の國が、いくさをしないで、なかよくやってゆくことを、國際平和主義といいます。

だから民主主義ということは、この國際平和主義と、たいへんふかい関係があるのです。

こんどの憲法で民主主義のやりかたをきめたからには、またほかの國にたいしても國際平和主義でやってゆくということになるのは、あたりまえであります。

この國際平和主義をわすれて、じぶんの國のことばかり考えていたので、とうとう戰爭をはじめてしまったのです。

そこであたらしい憲法では、前文の中に、これからは、この國際平和主義でやってゆくということを、力強いことばで書いてあります。

またこの考えが、あとでのべる戰爭の放棄、すなわち、これからは、いっさい、いくさはしないということをきめることになってゆくのであります。

・・・・・

六 戰爭の放棄

 みなさんの中には、こんどの戰爭に、おとうさんやにいさんを送りだされた人も多いでしょう。

ごぶじにおかえりになったでしょうか。

それともとう/\おかえりにならなかったでしょうか。

また、くうしゅうで、家やうちの人を、なくされた人も多いでしょう。

いまやっと戰爭はおわりました。

二度とこんなおそろしい、かなしい思いをしたくないと思いませんか。

こんな戰爭をして、日本の國はどんな利益があったでしょうか。

何もありません。

たゞ、おそろしい、かなしいことが、たくさんおこっただけではありませんか。

戰爭は人間をほろぼすことです。

世の中のよいものをこわすことです。

だから、こんどの戰爭をしかけた國には、大きな責任があるといわなければなりません。

このまえの世界戰爭のあとでも、もう戰爭は二度とやるまいと、多くの國々ではいろ/\考えましたが、

またこんな大戰爭をおこしてしまったのは、まことに残念なことではありませんか。


 そこでこんどの憲法では、日本の國が、けっして二度と戰爭をしないように、二つのことをきめました。

その一つは、兵隊も軍艦も飛行機も、およそ戰爭をするためのものは、いっさいもたないということです。

これからさき日本には、陸軍も海軍も空軍もないのです。

これを戰力の放棄といいます。

「放棄」とは「すててしまう」ということです。

しかしみなさんは、けっして心ぼそく思うことはありません。

日本は正しいことを、ほかの國よりさきに行ったのです。

世の中に、正しいことぐらい強いものはありません。

 もう一つは、よその國と爭いごとがおこったとき、けっして戰爭によって、相手をまかして、じぶんのいいぶんをとおそうとしないということをきめたのです。

おだやかにそうだんをして、きまりをつけようというのです。

なぜならば、いくさをしかけることは、けっきょく、じぶんの國をほろぼすようなはめになるからです。

また、戰爭とまでゆかずとも、國の力で、相手をおどすようなことは、いっさいしないことにきめたのです。

これを戰爭の放棄というのです。

そうしてよその國となかよくして、世界中の國が、よい友だちになってくれるようにすれば、日本の國は、さかえてゆけるのです。


 みなさん、あのおそろしい戰爭が、二度とおこらないように、また戰爭を二度とおこさないようにいたしましょう。


124. 2014年1月02日 01:25:29 : rWn9PLlcps
>>123つづき


五箇条の御誓文(ごかじょうのごせいもん)とは、

慶応4年(明治元年)3月14日(1868年4月6日)に明治天皇(満15歳)が公卿や諸侯などに示した明治政府の基本方針。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BA%94%E7%AE%87%E6%9D%A1%E3%81%AE%E5%BE%A1%E8%AA%93%E6%96%87


一 広ク会議ヲ興シ万機公論ニ決スヘシ[編集]

(現代表記)広く会議を興し、万機公論に決すべし。

一 上下心ヲ一ニシテ盛ニ経綸ヲ行フヘシ[編集]

(現代表記)上下心を一にして、さかんに経綸を行うべし。

一 官武一途庶民ニ至ル迄各其志ヲ遂ケ人心ヲシテ倦マサラシメン事ヲ要ス[編集]

(現代表記)官武一途庶民にいたるまで、おのおのその志を遂げ、人心をして倦まざらしめんことを要す。

一 旧来ノ陋習ヲ破リ天地ノ公道ニ基クヘシ[編集]

(現代表記)旧来の陋習を破り、天地の公道に基づくべし。

一 智識ヲ世界ニ求メ大ニ皇基ヲ振起スヘシ[編集]

(現代表記)智識を世界に求め、大いに皇基を振起すべし。


125. 2014年1月02日 01:30:25 : rWn9PLlcps
>>124続き


聖武天皇は仏教に深く帰依し、天平13年(741年)には国分寺建立の詔を、天平15年(743年)には東大寺盧舎那仏像の建立の詔を出している。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%81%96%E6%AD%A6%E5%A4%A9%E7%9A%87



126. 2014年1月02日 01:47:40 : rWn9PLlcps
>>125つづき


「日いずる国の天子」聖徳太子の詔勅事績「十七条憲法」
http://www.geocities.jp/tetchan_99_99/international/17_kenpou.htm


第一条

「原文」 一曰。以和為貴。無忤為宗。人皆有黨。亦少達者。是以或不順君父。乍違于隣里。然上和下睦。諧於論事。則事理自通。何事不成。

「読み下し」  一に曰(い)わく、和を以(も)って貴(とうと)しとなし、忤(さから)うこと無きを宗(むね)とせよ。人みな党あり、また達(さと)れるもの少なし。ここをもって、あるいは君父(くんぷ)に順(したが)わず、また隣里(りんり)に違(たが)う。しかれども、上(かみ)和(やわら)ぎ下(しも)睦(むつ)びて、事を論(あげつら)うに諧(かな)うときは、すなわち事理おのずから通ず。何事か成らざらん。

「現代語訳 」 一にいう。和をなによりも大切なものとし、いさかいをおこさぬことを根本としなさい。人はグループをつくりたがり、悟りきった人格者は少ない。それだから、君主や父親のいうことにしたがわなかったり、近隣の人たちともうまくいかない。しかし上の者も下の者も協調・親睦(しんぼく)の気持ちをもって論議するなら、おのずからものごとの道理にかない、どんなことも成就(じょうじゅ)するものだ。


第二条

「原文」 二曰。篤敬三寳。三寳者仏法僧也。則四生之終帰。萬国之極宗。何世何人非貴是法。人鮮尤悪。能教従之。其不帰三寳。何以直枉。

「読み下し」 二に曰わく、篤(あつ)く三宝(さんぼう)を敬え。三宝とは仏と法と僧となり、則(すなわ)ち四生(ししょう)の終帰、万国の極宗(ごくしゅう)なり。何(いず)れの世、何れの人かこの法を貴ばざる。人尤(はなは)だ悪(あ)しきもの鮮(すく)なし、能(よ)く教うれば従う。それ三宝に帰せずんば、何をもってか枉(まが)れるを直(ただ)さん。

「現代語訳」 二にいう。あつく三宝(仏教)を信奉しなさい。3つの宝とは仏・法理・僧侶のことである。それは生命(いのち)ある者の最後のよりどころであり、すべての国の究極の規範である。どんな世の中でも、いかなる人でも、この法理をとうとばないことがあろうか。人ではなはだしくわるい者は少ない。よく教えるならば正道にしたがうものだ。ただ、それには仏の教えに依拠しなければ、何によってまがった心をただせるだろうか。


第三条

「原文」 三曰。承詔必謹。君則天之。臣則地之。天覆地載。四時順行。万氣得通。地欲覆天。則致壊耳。是以君言臣承。上行下靡。故承詔必慎。不謹自敗。

「読み下し」 三に曰わく、詔(みことのり)を承(う)けては必ず謹(つつし)め。君をば則(すなわ)ち天とし、臣(しん)をば則ち地とす。天覆(おお)い地載せて四時(しじ)順行し、万気(ばんき)通うことを得(う)。地、天を覆わんと欲するときは、則ち壊(やぶ)るることを致さむのみ。ここをもって、君言(のたま)えば臣承(うけたまわ)り、上行なえば下靡(なび)く。ゆえに、詔を承けては必ず慎め。謹まずんばおのずから敗れん。

「現代語訳」 三にいう。王(天皇)の命令をうけたならば、かならず謹んでそれにしたがいなさい。君主はいわば天であり、臣下は地にあたる。天が地をおおい、地が天をのせている。かくして四季がただしくめぐりゆき、万物の気がかよう。それが逆に地が天をおおうとすれば、こうしたととのった秩序は破壊されてしまう。そういうわけで、君主がいうことに臣下はしたがえ。上の者がおこなうところ、下の者はそれにならうものだ。ゆえに王(天皇)の命令をうけたならば、かならず謹んでそれにしたがえ。謹んでしたがわなければ、やがて国家社会の和は自滅してゆくことだろう。


第四条

「原文」 四曰。群卿百寮。以礼為本。其治民之本。要在乎礼。上不礼而下非齊。下無礼以必有罪。是以群臣有礼。位次不乱。百姓有礼。国家自治。

「読み下し」 四に曰わく、群卿百寮(ぐんけいひゃくりょう)、礼をもって本(もと)とせよ。それ民(たみ)を治むるの本は、かならず礼にあり。上礼なきときは、下(しも)斉(ととの)わず、下礼なきときはもって必ず罪あり。ここをもって、群臣礼あるときは位次(いじ)乱れず、百姓(ひゃくせい)礼あるときは国家自(おのずか)ら治(おさ)まる。

「現代語訳」 四にいう。政府高官や一般官吏たちは、礼の精神を根本にもちなさい。人民をおさめる基本は、かならず礼にある。上が礼法にかなっていないときは下の秩序はみだれ、下の者が礼法にかなわなければ、かならず罪をおかす者が出てくる。それだから、群臣たちに礼法がたもたれているときは社会の秩序もみだれず、庶民たちに礼があれば国全体として自然におさまるものだ。


第五条

「原文」 五曰。絶餮棄欲。明辯訴訟。其百姓之訴。一日千事。一日尚尓。况乎累歳須治訟者。得利為常。見賄聴 。便有財之訟如石投水。乏者之訴似水投石。是以貧民則不知所由。臣道亦於焉闕。

「読み下し」 五に曰わく、餮(あじわいのむさぼり)を絶ち、欲(たからのほしみ)を棄(す)てて、明らかに訴訟(うったえ)を弁(わきま)えよ。それ百姓の訟(うったえ)、一日に千事あり。一日すらなお爾(しか)り、況(いわ)んや歳(とし)を累(かさ)ぬるをや。頃(このごろ)、訟を治むる者、利を得るを常となし、賄(まいない)を見て?(ことわり)を聴く。すなわち、財あるものの訟は、石を水に投ぐるがごとく、乏しき者の訴は、水を石に投ぐるに似たり。ここをもって、貧しき民は則ち由(よ)る所を知らず。臣の道またここに闕(か)く。

「現代語訳」 五にいう。官吏たちは饗応や財物への欲望をすて、訴訟を厳正に審査しなさい。庶民の訴えは、1日に1000件もある。1日でもそうなら、年を重ねたらどうなろうか。このごろの訴訟にたずさわる者たちは、賄賂(わいろ)をえることが常識となり、賄賂(わいろ)をみてからその申し立てを聞いている。すなわち裕福な者の訴えは石を水中になげこむようにたやすくうけいれられるのに、貧乏な者の訴えは水を石になげこむようなもので容易に聞きいれてもらえない。このため貧乏な者たちはどうしたらよいかわからずにいる。そうしたことは官吏としての道にそむくことである。


第六条

「原文」 六曰。懲悪勧善。古之良典。是以无匿人善。見悪必匡。其諂詐者。則為覆国家之利器。為絶人民之鋒釼。亦侫媚者対上則好説下過。逢下則誹謗上失。其如此人皆无忠於君。无仁於民。是大乱之本也。

「読み下し」 六に曰わく、悪を懲(こら)し善を勧(すす)むるは、古(いにしえ)の良き典(のり)なり。ここをもって人の善を匿(かく)すことなく、悪を見ては必ず匡(ただ)せ。それ諂(へつら)い詐(あざむ)く者は、則ち国家を覆(くつがえ)す利器(りき)たり、人民を絶つ鋒剣(ほうけん)たり。また佞(かたま)しく媚(こ)ぶる者は、上(かみ)に対しては則ち好んで下(しも)の過(あやまち)を説き、下に逢(あ)いては則ち上の失(あやまち)を誹謗(そし)る。それかくの如(ごと)きの人は、みな君に忠なく、民(たみ)に仁(じん)なし。これ大乱の本(もと)なり。

「現代語訳」 六にいう。悪をこらしめて善をすすめるのは、古くからのよいしきたりである。そこで人の善行はかくすことなく、悪行をみたらかならずただしなさい。へつらいあざむく者は、国家をくつがえす効果ある武器であり、人民をほろぼすするどい剣である。またこびへつらう者は、上にはこのんで下の者の過失をいいつけ、下にむかうと上の者の過失を誹謗(ひぼう)するものだ。これらの人たちは君主に忠義心がなく、人民に対する仁徳ももっていない。これは国家の大きな乱れのもととなる。


第七条

「原文」 七曰。人各有任掌。宜不濫。其賢哲任官。頌音則起。 者有官。禍乱則繁。世少生知。尅念作聖。事無大少。得人必治。時無急緩。遇賢自寛。因此国家永久。社稷勿危。故古聖王。為官以求人。為人不求官。

「読み下し」 七に曰わく、人各(おのおの)任有り。掌(つかさど)ること宜(よろ)しく濫(みだ)れざるべし。それ賢哲(けんてつ)官に任ずるときは、頌音(ほむるこえ)すなわち起こり、?者(かんじゃ)官を有(たも)つときは、禍乱(からん)すなわち繁(しげ)し。世に生れながら知るもの少なし。剋(よ)く念(おも)いて聖(ひじり)と作(な)る。事(こと)大少となく、人を得て必ず治まり、時(とき)に急緩となく、賢に遇(あ)いておのずから寛(ゆたか)なり。これに因(よ)って、国家永久にして、社稷(しゃしょく)危(あや)うきことなし。故(ゆえ)に古(いにしえ)の聖王(せいおう)は、官のために人を求め、人のために官を求めず。

「現代語訳」 七にいう。人にはそれぞれの任務がある。それにあたっては職務内容を忠実に履行し、権限を乱用してはならない。賢明な人物が任にあるときはほめる声がおこる。よこしまな者がその任につけば、災いや戦乱が充満する。世の中には、生まれながらにすべてを知りつくしている人はまれで、よくよく心がけて聖人になっていくものだ。事柄の大小にかかわらず、適任の人を得られればかならずおさまる。時代の動きの緩急に関係なく、賢者が出れば豊かにのびやかな世の中になる。これによって国家は長く命脈をたもち、あやうくならない。だから、いにしえの聖王は官職に適した人をもとめるが、人のために官職をもうけたりはしなかった。

(後略)


127. 2014年1月02日 02:14:26 : rWn9PLlcps
>>121つづき


釈尊「八正道」(転法輪経)

「修行僧たちよ。その中道とは何であるか。

それは八つの部分からなりたつ聖(きよ)い道である。

すなわち正しい見解、正しい決意、正しい言葉、正しい行為、正しい生活、正しい努力、正しい思念、正しい瞑想である」


「四聖諦(四つの聖なる真理)」

「修行僧たちよ。苦悩についての聖い真理というのは次のとおりである。

すなわち、誕生は苦悩であり、老は苦悩であり、病は苦悩であり、死は苦悩である。

憎らしいものに遇うことは苦悩であり、愛するものと別れることは苦悩であり、欲しいものが手にはいらないことは苦悩である。

要するに人間的存在を構成するあらゆる物質的および精神的の要素は苦悩である」

以上のような生老病死を四苦といい、あとの分を加えて八苦といいます。

日本でふつう「四苦八苦」という言い方の起原がこれです。


(以上、「新釈尊伝(旧字)」渡辺 照宏【著】昭和四十一年 大法輪閣発行 より抜粋)


128. 2014年1月02日 04:37:58 : rWn9PLlcps


>>112つまりムー大陸時代から江戸時代まで常に同時代地球最高の真善美道徳慈悲民衆菩薩国であった日本の劣化は明治維新で文明開化と称してフリーメーソンスパイ伊藤博文と山県有朋が政府高官に成りすまして国家神道という似非カルトを国教としてでっち上げた「廃仏毀釈」によって始まったということです。これが、宇宙の真理を教えたもうた仏陀が生まれた地球がある宇宙の歴史の真実です。


つづき(「新釈尊伝(旧字)」渡辺 照宏【著】昭和四十一年 大法輪閣発行 より抜粋)


人天の師ゴータマ・ブッダ(釈尊)が入滅前霊鷲山でヴリッヂ族の都市国家ヴァイシャリー(維摩居士の国)を武力征服しようと企てるマガダ国アジャータシャトル王の重臣ヴァルシャカーラ大臣(バラモン)の訪問を受けたときに説いた「七不衰法」にこうあります(大般涅槃経)。

「アーナンダよ。

第一、ヴリッジの人たちはしばしば会合し、よく集まっているか。

第二、ヴリッジの人たちは一致和合して会合し、決議し、事を処理しているか。

第三、彼らは新しい制度を設けたり、前の制度を捨てたりせず、旧来の風習を守っているか。

第四、彼らは年長者を尊敬し、その言うことを聞くか。

第五、彼らは婦女や少女を強制して言うことをきかせようとはしないか。

第六、彼らは内外の社(やしろ)を尊敬し、昔からしきたりの供物を怠らないか。

第七、彼らは宗教家たちを尊敬し、よそから喜んで宗教家がそこを訪れ、そこにいる宗教家は喜んでそこに留まっているか。

これらを守っているあいだは、ヴリッジの人たちは繁栄こそするが、衰えることは決してない」


「バラモン(ヴァルシャカーラ大臣)よ。

かつて私はヴァイシャリーのヴリッジの人たちに、これらの七不衰の法を教えた。

彼らがこれらの法を守っているあいだは繁栄こそするが、衰えることは決してない」

「釈尊(ゴータマ・ブッダ)よ。

(ヴリッジの人たちが)これらの七不衰法のうちのただひとつでも守っているあいだは繁栄こそするが、衰えることは決してありますまい。

七つの法がぜんぶ揃っていれば申すまでもありません。

マガダ国のアジャータシャトル王は武力で彼らをくだすことはできません。

もっとも、陰謀か内部分裂でもおこれば別でしょう」

・・・内外の社とさまざまの宗教家とを尊敬すべしという教えは注目に値します。

ここで「内外の社」と訳しておきましたが漢訳には「宗廟」とあります。

内は氏神、外は氏神以外の社をさすものでしょう。

佛陀が既存の民族宗教の信仰を廃するどころか、むしろその信仰を奨励した証拠がこれであります。

のちに仏教は中国でも日本でも土地固有の信仰を採用しました。

神仏の融和を日本における仏教の堕落だと考える学者もいますが、そういう人はインド仏教を知らないからそういえるのです。

あらゆる宗教に対する寛容もこの七ヵ条の中にあります。


・・・

129. 2014年1月02日 05:10:52 : rWn9PLlcps
>>128つづき


伊藤博文が明治憲法を作って天皇を絶対不可侵の現人神にまつりあげた動機を

鬼塚氏は孝明天皇暗殺の下手人はじめ伊藤博文が幕末に犯した多くの犯罪を隠蔽するためだと考察しました(日本の真実)。

しかし神話時代から国王(天皇)暗殺は
大国主命国譲りや
日本武尊熊襲建兄弟暗殺や
藤原鎌足乙巳の変蘇我大王天皇暗殺や
天智天皇暗殺の壬申の乱など、
枚挙に暇がありません。

伊藤博文の最大の大罪は孝明天皇暗殺ではなく、

天皇の伝統の佛天子ではなく「現人神天皇」を聖徳太子以来のしきたりを破って捏造し、

神仏分離令と廃仏毀釈で仏教を国教の地位から蹴落として「万世一系国家神道」なるカルト一神教をでっち上げて、

江戸時代仏教僧侶の配下のエタの地位にあった宮司神官を下克上で国家神道の官吏になりあがらせたことです。


これがまさに128で先述の「七不衰の法」をすべて破るものであったことはすでに明らかに示したとおりです。

そして佛天子が治める菩薩国であった先祖伝来日本の劣化がまさに伊藤博文政府の「廃仏毀釈」によって始まったことも、

釈尊が2500年前に教えくださった宇宙の真理「七不衰の法(ダルマすなわち真理)」によって真実であることが明らかです。

・・・・・

22. 豊岳正彦[105] lkyKeJCzlUY 2018年8月21日 11:33:36 : AKB67GaCh2 : rOxK_DunrP0[106] 報告

「日いずる国の天子」聖徳太子の詔勅事績「十七条憲法」
http://www.geocities.jp/tetchan_99_99/international/17_kenpou.htm


第一条

「原文」 一曰。以和為貴。無忤為宗。人皆有黨。亦少達者。是以或不順君父。乍違于隣里。然上和下睦。諧於論事。則事理自通。何事不成。

「読み下し」  一に曰(い)わく、和を以(も)って貴(とうと)しとなし、忤(さから)うこと無きを宗(むね)とせよ。人みな党あり、また達(さと)れるもの少なし。ここをもって、あるいは君父(くんぷ)に順(したが)わず、また隣里(りんり)に違(たが)う。しかれども、上(かみ)和(やわら)ぎ下(しも)睦(むつ)びて、事を論(あげつら)うに諧(かな)うときは、すなわち事理おのずから通ず。何事か成らざらん。

「現代語訳 」 一にいう。和をなによりも大切なものとし、いさかいをおこさぬことを根本としなさい。人はグループをつくりたがり、悟りきった人格者は少ない。それだから、君主や父親のいうことにしたがわなかったり、近隣の人たちともうまくいかない。しかし上の者も下の者も協調・親睦(しんぼく)の気持ちをもって論議するなら、おのずからものごとの道理にかない、どんなことも成就(じょうじゅ)するものだ。


第二条

「原文」 二曰。篤敬三寳。三寳者仏法僧也。則四生之終帰。萬国之極宗。何世何人非貴是法。人鮮尤悪。能教従之。其不帰三寳。何以直枉。

「読み下し」 二に曰わく、篤(あつ)く三宝(さんぼう)を敬え。三宝とは仏と法と僧となり、則(すなわ)ち四生(ししょう)の終帰、万国の極宗(ごくしゅう)なり。何(いず)れの世、何れの人かこの法を貴ばざる。人尤(はなは)だ悪(あ)しきもの鮮(すく)なし、能(よ)く教うれば従う。それ三宝に帰せずんば、何をもってか枉(まが)れるを直(ただ)さん。

「現代語訳」 二にいう。あつく三宝(仏教)を信奉しなさい。3つの宝とは仏・法理・僧侶のことである。それは生命(いのち)ある者の最後のよりどころであり、すべての国の究極の規範である。どんな世の中でも、いかなる人でも、この法理をとうとばないことがあろうか。人ではなはだしくわるい者は少ない。よく教えるならば正道にしたがうものだ。ただ、それには仏の教えに依拠しなければ、何によってまがった心をただせるだろうか。


第三条

「原文」 三曰。承詔必謹。君則天之。臣則地之。天覆地載。四時順行。万氣得通。地欲覆天。則致壊耳。是以君言臣承。上行下靡。故承詔必慎。不謹自敗。

「読み下し」 三に曰わく、詔(みことのり)を承(う)けては必ず謹(つつし)め。君をば則(すなわ)ち天とし、臣(しん)をば則ち地とす。天覆(おお)い地載せて四時(しじ)順行し、万気(ばんき)通うことを得(う)。地、天を覆わんと欲するときは、則ち壊(やぶ)るることを致さむのみ。ここをもって、君言(のたま)えば臣承(うけたまわ)り、上行なえば下靡(なび)く。ゆえに、詔を承けては必ず慎め。謹まずんばおのずから敗れん。

「現代語訳」 三にいう。王(天皇)の命令をうけたならば、かならず謹んでそれにしたがいなさい。君主はいわば天であり、臣下は地にあたる。天が地をおおい、地が天をのせている。かくして四季がただしくめぐりゆき、万物の気がかよう。それが逆に地が天をおおうとすれば、こうしたととのった秩序は破壊されてしまう。そういうわけで、君主がいうことに臣下はしたがえ。上の者がおこなうところ、下の者はそれにならうものだ。ゆえに王(天皇)の命令をうけたならば、かならず謹んでそれにしたがえ。謹んでしたがわなければ、やがて国家社会の和は自滅してゆくことだろう。


第四条

「原文」 四曰。群卿百寮。以礼為本。其治民之本。要在乎礼。上不礼而下非齊。下無礼以必有罪。是以群臣有礼。位次不乱。百姓有礼。国家自治。

「読み下し」 四に曰わく、群卿百寮(ぐんけいひゃくりょう)、礼をもって本(もと)とせよ。それ民(たみ)を治むるの本は、かならず礼にあり。上礼なきときは、下(しも)斉(ととの)わず、下礼なきときはもって必ず罪あり。ここをもって、群臣礼あるときは位次(いじ)乱れず、百姓(ひゃくせい)礼あるときは国家自(おのずか)ら治(おさ)まる。

「現代語訳」 四にいう。政府高官や一般官吏たちは、礼の精神を根本にもちなさい。人民をおさめる基本は、かならず礼にある。上が礼法にかなっていないときは下の秩序はみだれ、下の者が礼法にかなわなければ、かならず罪をおかす者が出てくる。それだから、群臣たちに礼法がたもたれているときは社会の秩序もみだれず、庶民たちに礼があれば国全体として自然におさまるものだ。


第五条

「原文」 五曰。絶餮棄欲。明辯訴訟。其百姓之訴。一日千事。一日尚尓。况乎累歳須治訟者。得利為常。見賄聴 。便有財之訟如石投水。乏者之訴似水投石。是以貧民則不知所由。臣道亦於焉闕。

「読み下し」 五に曰わく、餮(あじわいのむさぼり)を絶ち、欲(たからのほしみ)を棄(す)てて、明らかに訴訟(うったえ)を弁(わきま)えよ。それ百姓の訟(うったえ)、一日に千事あり。一日すらなお爾(しか)り、況(いわ)んや歳(とし)を累(かさ)ぬるをや。頃(このごろ)、訟を治むる者、利を得るを常となし、賄(まいない)を見て?(ことわり)を聴く。すなわち、財あるものの訟は、石を水に投ぐるがごとく、乏しき者の訴は、水を石に投ぐるに似たり。ここをもって、貧しき民は則ち由(よ)る所を知らず。臣の道またここに闕(か)く。

「現代語訳」 五にいう。官吏たちは饗応や財物への欲望をすて、訴訟を厳正に審査しなさい。庶民の訴えは、1日に1000件もある。1日でもそうなら、年を重ねたらどうなろうか。このごろの訴訟にたずさわる者たちは、賄賂(わいろ)をえることが常識となり、賄賂(わいろ)をみてからその申し立てを聞いている。すなわち裕福な者の訴えは石を水中になげこむようにたやすくうけいれられるのに、貧乏な者の訴えは水を石になげこむようなもので容易に聞きいれてもらえない。このため貧乏な者たちはどうしたらよいかわからずにいる。そうしたことは官吏としての道にそむくことである。


第六条

「原文」 六曰。懲悪勧善。古之良典。是以无匿人善。見悪必匡。其諂詐者。則為覆国家之利器。為絶人民之鋒釼。亦侫媚者対上則好説下過。逢下則誹謗上失。其如此人皆无忠於君。无仁於民。是大乱之本也。

「読み下し」 六に曰わく、悪を懲(こら)し善を勧(すす)むるは、古(いにしえ)の良き典(のり)なり。ここをもって人の善を匿(かく)すことなく、悪を見ては必ず匡(ただ)せ。それ諂(へつら)い詐(あざむ)く者は、則ち国家を覆(くつがえ)す利器(りき)たり、人民を絶つ鋒剣(ほうけん)たり。また佞(かたま)しく媚(こ)ぶる者は、上(かみ)に対しては則ち好んで下(しも)の過(あやまち)を説き、下に逢(あ)いては則ち上の失(あやまち)を誹謗(そし)る。それかくの如(ごと)きの人は、みな君に忠なく、民(たみ)に仁(じん)なし。これ大乱の本(もと)なり。

「現代語訳」 六にいう。悪をこらしめて善をすすめるのは、古くからのよいしきたりである。そこで人の善行はかくすことなく、悪行をみたらかならずただしなさい。へつらいあざむく者は、国家をくつがえす効果ある武器であり、人民をほろぼすするどい剣である。またこびへつらう者は、上にはこのんで下の者の過失をいいつけ、下にむかうと上の者の過失を誹謗(ひぼう)するものだ。これらの人たちは君主に忠義心がなく、人民に対する仁徳ももっていない。これは国家の大きな乱れのもととなる。


第七条

「原文」 七曰。人各有任掌。宜不濫。其賢哲任官。頌音則起。 者有官。禍乱則繁。世少生知。尅念作聖。事無大少。得人必治。時無急緩。遇賢自寛。因此国家永久。社稷勿危。故古聖王。為官以求人。為人不求官。

「読み下し」 七に曰わく、人各(おのおの)任有り。掌(つかさど)ること宜(よろ)しく濫(みだ)れざるべし。それ賢哲(けんてつ)官に任ずるときは、頌音(ほむるこえ)すなわち起こり、?者(かんじゃ)官を有(たも)つときは、禍乱(からん)すなわち繁(しげ)し。世に生れながら知るもの少なし。剋(よ)く念(おも)いて聖(ひじり)と作(な)る。事(こと)大少となく、人を得て必ず治まり、時(とき)に急緩となく、賢に遇(あ)いておのずから寛(ゆたか)なり。これに因(よ)って、国家永久にして、社稷(しゃしょく)危(あや)うきことなし。故(ゆえ)に古(いにしえ)の聖王(せいおう)は、官のために人を求め、人のために官を求めず。

「現代語訳」 七にいう。人にはそれぞれの任務がある。それにあたっては職務内容を忠実に履行し、権限を乱用してはならない。賢明な人物が任にあるときはほめる声がおこる。よこしまな者がその任につけば、災いや戦乱が充満する。世の中には、生まれながらにすべてを知りつくしている人はまれで、よくよく心がけて聖人になっていくものだ。事柄の大小にかかわらず、適任の人を得られればかならずおさまる。時代の動きの緩急に関係なく、賢者が出れば豊かにのびやかな世の中になる。これによって国家は長く命脈をたもち、あやうくならない。だから、いにしえの聖王は官職に適した人をもとめるが、人のために官職をもうけたりはしなかった。


第八条

原文 八曰。群卿百寮。早朝晏退。公事靡 。終日難盡。是以遅朝。不逮于急。早退必事不盡。

読み下し 八に曰わく、群卿百寮、早く朝(まい)りて晏(おそ)く退け。公事?(もろ)きことなし、終日にも尽しがたし。ここをもって、遅く朝れば急なるに逮(およ)ばず。早く退けば事(こと)尽さず。

現代語訳 八にいう。官吏たちは、早くから出仕し、夕方おそくなってから退出しなさい。公務はうかうかできないものだ。一日じゅうかけてもすべて終えてしまうことがむずかしい。したがって、おそく出仕したのでは緊急の用に間にあわないし、はやく退出したのではかならず仕事をしのこしてしまう。


第九条

原文 九曰。信是義本。毎事有信。其善悪成敗。要在于信。群臣共信。何事不成。群臣无信。万事悉敗。

読み下し 九に曰わく、信はこれ義の本(もと)なり。事毎(ことごと)に信あれ。それ善悪成敗はかならず信にあり。群臣ともに信あるときは、何事か成らざらん、群臣信なきときは、万事ことごとく敗れん。

現代語訳 九にいう。真心は人の道の根本である。何事にも真心がなければいけない。事の善し悪しや成否は、すべて真心のあるなしにかかっている。官吏たちに真心があるならば、何事も達成できるだろう。群臣に真心がないなら、どんなこともみな失敗するだろう。


第十条

原文 十曰。絶忿棄瞋。不怒人違。人皆有心。心各有執。彼是則我非。我是則彼非。我必非聖。彼必非愚。共是凡夫耳。是非之理能可定。相共賢愚。如鐶无端。是以彼人雖瞋。還恐我失。我獨雖得。従衆同擧。

読み下し 十に曰わく、忿(こころのいかり)を絶ち瞋(おもてのいかり)を棄(す)て、人の違(たが)うを怒らざれ。人みな心あり、心おのおの執(と)るところあり。彼是(ぜ)とすれば則ちわれは非とす。われ是とすれば則ち彼は非とす。われ必ず聖なるにあらず。彼必ず愚なるにあらず。共にこれ凡夫(ぼんぷ)のみ。是非の理(ことわり)なんぞよく定むべき。相共に賢愚なること鐶(みみがね)の端(はし)なきがごとし。ここをもって、かの人瞋(いか)ると雖(いえど)も、かえってわが失(あやまち)を恐れよ。われ独(ひと)り得たりと雖も、衆に従いて同じく挙(おこな)え。

現代語訳 十にいう。心の中の憤りをなくし、憤りを表情にださぬようにし、ほかの人が自分とことなったことをしても怒ってはならない。人それぞれに考えがあり、それぞれに自分がこれだと思うことがある。相手がこれこそといっても自分はよくないと思うし、自分がこれこそと思っても相手はよくないとする。自分はかならず聖人で、相手がかならず愚かだというわけではない。皆ともに凡人なのだ。そもそもこれがよいとかよくないとか、だれがさだめうるのだろう。おたがいだれも賢くもあり愚かでもある。それは耳輪には端がないようなものだ。こういうわけで、相手がいきどおっていたら、むしろ自分に間違いがあるのではないかとおそれなさい。自分ではこれだと思っても、みんなの意見にしたがって行動しなさい。


第十一条

原文 十一曰。明察功過。罰賞必當。日者賞不在功。罰不在罪。執事群卿。宜明賞罰。

読み下し 十一に曰わく、功過(こうか)を明らかに察して、賞罰必ず当てよ。このごろ、賞は功においてせず、罰は罪においてせず、事(こと)を執(と)る群卿、よろしく賞罰を明らかにすべし。

現代語訳 十一にいう。官吏たちの功績・過失をよくみて、それにみあう賞罰をかならずおこないなさい。近頃の褒賞はかならずしも功績によらず、懲罰は罪によらない。指導的な立場で政務にあたっている官吏たちは、賞罰を適正かつ明確におこなうべきである。


第十二条

原文 十二曰。国司国造。勿斂百姓。国非二君。民無兩主。率土兆民。以王為主。所任官司。皆是王臣。何敢與公。賦斂百姓。

読み下し 十二に曰わく、国司(こくし)国造(こくぞう)、百姓(ひゃくせい)に斂(おさ)めとることなかれ。国に二君なく、民(たみ)に両主なし。率土(そつど)の兆民(ちょうみん)は、王をもって主(あるじ)となす。任ずる所の官司(かんじ)はみなこれ王の臣なり。何ぞ公(おおやけ)とともに百姓に賦斂(ふれん)せんや。

現代語訳 十二にいう。国司・国造は勝手に人民から税をとってはならない。国に2人の君主はなく、人民にとって2人の主人などいない。国内のすべての人民にとって、王(天皇)だけが主人である。役所の官吏は任命されて政務にあたっているのであって、みな王の臣下である。どうして公的な徴税といっしょに、人民から私的な徴税をしてよいものか。


第十三条

原文 十三曰。諸任官者。同知職掌。或病或使。有闕於事。然得知之日。和如曾識。其非以與聞。勿防公務。

読み下し 十三に曰わく、もろもろの官に任ずる者同じく職掌(しょくしょう)を知れ。あるいは病(やまい)し、あるいは使(つかい)して、事を闕(か)くことあらん。しかれども、知ること得(う)るの日には、和すること曽(かつ)てより識(し)れるが如くせよ。それあずかり聞くことなしというをもって、公務を防ぐることなかれ。

現代語訳 十三にいう。いろいろな官職に任じられた者たちは、前任者と同じように職掌を熟知するようにしなさい。病気や出張などで職務にいない場合もあろう。しかし政務をとれるときにはなじんで、前々より熟知していたかのようにしなさい。前のことなどは自分は知らないといって、公務を停滞させてはならない。


第十四条

原文 十四曰。群臣百寮無有嫉妬。我既嫉人人亦嫉我。嫉妬之患不知其極。所以智勝於己則不悦。才優於己則嫉妬。是以五百之後。乃今遇賢。千載以難待一聖。其不得賢聖。何以治国。

読み下し 十四に曰わく、群臣百寮、嫉妬(しっと)あることなかれ。われすでに人を嫉(ねた)めば、人またわれを嫉む。嫉妬の患(わずらい)その極(きわまり)を知らず。ゆえに、智(ち)おのれに勝(まさ)るときは則ち悦(よろこ)ばず、才おのれに優(まさ)るときは則ち嫉妬(ねた)む。ここをもって、五百(いおとせ)にしていまし賢に遇うとも、千載(せんざい)にしてもってひとりの聖(ひじり)を待つこと難(かた)し。それ賢聖を得ざれば、何をもってか国を治めん。

現代語訳 十四にいう。官吏たちは、嫉妬の気持ちをもってはならない。自分がまず相手を嫉妬すれば、相手もまた自分を嫉妬する。嫉妬の憂いははてしない。それゆえに、自分より英知がすぐれている人がいるとよろこばず、才能がまさっていると思えば嫉妬する。それでは500年たっても賢者にあうことはできず、1000年の間に1人の聖人の出現を期待することすら困難である。聖人・賢者といわれるすぐれた人材がなくては国をおさめることはできない。


第十五条

原文 十五曰。背私向公。是臣之道矣。凡人有私必有恨。有憾必非同。非同則以私妨公。憾起則違制害法。故初章云。上下和諧。其亦是情歟。

読み下し 十五に曰わく、私に背(そむ)きて公(おおやけ)に向うは、これ臣の道なり。およそ人、私あれば必ず恨(うらみ)あり、憾(うらみ)あれば必ず同(ととのお)らず。同らざれば則ち私をもって公を妨ぐ。憾(うらみ)起こるときは則ち制に違(たが)い法を害(そこな)う。故に、初めの章に云(い)わく、上下和諧(わかい)せよ。それまたこの情(こころ)なるか。

現代語訳 十五にいう。私心をすてて公務にむかうのは、臣たるものの道である。およそ人に私心があるとき、恨みの心がおきる。恨みがあれば、かならず不和が生じる。不和になれば私心で公務をとることとなり、結果としては公務の妨げをなす。恨みの心がおこってくれば、制度や法律をやぶる人も出てくる。第一条で「上の者も下の者も協調・親睦の気持ちをもって論議しなさい」といっているのは、こういう心情からである。


第十六条

原文 十六曰。使民以時。古之良典。故冬月有間。以可使民。従春至秋。農桑之節。不可使民。其不農何食。不桑何服。

読み下し 十六に曰わく、民を使うに時をもってするは、古(いにしえ)の良き典(のり)なり。故に、冬の月には間(いとま)あり、もって民を使うべし。春より秋に至るまでは、農桑(のうそう)の節(とき)なり。民を使うべからず。それ農(たつく)らざれば何をか食(くら)わん。桑(くわ)とらざれば何をか服(き)ん。

現代語訳 十六にいう。人民を使役するにはその時期をよく考えてする、とは昔の人のよい教えである。だから冬(旧暦の10月〜12月)に暇があるときに、人民を動員すればよい。春から秋までは、農耕・養蚕などに力をつくすべきときである。人民を使役してはいけない。人民が農耕をしなければ何を食べていけばよいのか。養蚕がなされなければ、何を着たらよいというのか。


第十七条

原文 十七曰。夫事不可独断。必與衆宜論。少事是輕。不可必衆。唯逮論大事。若疑有失。故與衆相辨。辞則得理。

読み下し 十七に曰わく、それ事(こと)は独(ひと)り断(さだ)むべからず。必ず衆とともによろしく論(あげつら)うべし。少事はこれ軽(かろ)し。必ずしも衆とすべからず。ただ大事を論うに逮(およ)びては、もしは失(あやまち)あらんことを疑う。故(ゆえ)に、衆とともに相弁(あいわきま)うるときは、辞(ことば)すなわち理(ことわり)を得ん。

現代語訳 十七にいう。ものごとはひとりで判断してはいけない。かならずみんなで論議して判断しなさい。ささいなことは、かならずしもみんなで論議しなくてもよい。ただ重大な事柄を論議するときは、判断をあやまることもあるかもしれない。そのときみんなで検討すれば、道理にかなう結論がえられよう。

[出典]金治勇『聖徳太子のこころ』、大蔵出版、1986年

http://www.geocities.jp/tetchan_99_99/international/17_kenpou.htm

23. 豊岳正彦[106] lkyKeJCzlUY 2018年8月21日 12:04:09 : AKB67GaCh2 : rOxK_DunrP0[107] 報告
http://www.asyura2.com/18/senkyo243/msg/600.html#c21


1.
五箇条の御誓文

https://ja.wikipedia.org/wiki/五箇条の御誓文

五箇条の御誓文

この項目では、1868年に布告された五項目からなる明治政府の基本方針について説明しています。朝鮮商工連と国税庁との間に取り交わされたとされる五項目の協定については「五項目の合意事項」をご覧ください。

五箇条の御誓文(ごかじょうのごせいもん)は、慶応4年3月14日[1](1868年4月6日)に明治天皇が天地神明に誓約する形式で、公卿や諸侯などに示した明治政府の基本方針である。正式名称は御誓文であり、以下においては御誓文と表記する。

(転記者註:天皇が天地神明に誓約することを日本古来「詔勅」という。
聖徳太子は法皇大王すなわち後の天皇とおなじ位であるから、
十七条憲法も日本古来日本語の正しい意味で天皇が天地神明に誓う「詔勅」であり、
十七条憲法と五箇条ご誓文とは同じである。

しかしながら、大日本帝国憲法は明治22年明治政府総理として廃仏毀釈した伊藤博文が天皇絶対不可侵の唯一絶対神専制独裁条項を盛り込んで起草しており、
これは十七条憲法と五箇条ご誓文の詔勅を臣下の身で恣意的に破棄した大逆不敬の菲法であった。
大日本帝国憲法は中世キリスト教ヨーロッパの王権神授説そのものであり、
政教一致カルト専制弾圧搾取の武器でしかなかったのである。)


起草の過程[編集]
明治新政府は大政奉還後の発足当初から「公議」を標榜し[2]、その具体的方策としての国是を模索していた。慶応4年(1868年)1月、福井藩出身の参与由利公正が、「議事之体大意」五箇条[3]を起案し、次いで土佐藩出身の制度取調参与福岡孝弟が修正し、そのまま放置されていた。それを同年3月に入って長州藩出身の参与木戸孝允が加筆し[4]、同じく参与の東久世通禧を通じて議定兼副総裁の岩倉具視に提出した。
福岡孝弟は、由利五箇条に対して第一条冒頭に「列矦會議ヲ興シ」(列侯会議ヲ興シ)の字句を入れるなどして封建的な方向へ後退させ、表題も「会盟」に改めたため、列侯会盟の色彩が非常に強くなった。さらに福岡は発表の形式として天皇と諸侯が共に会盟を約する形を提案した。しかし、この「会盟」形式は、天皇と諸侯とを対等に扱うものであり、「諸事神武創業之始ニ原キ」とする王政復古の理念にも反するという批判にさらされた。

そこで、参与で総裁局顧問の木戸孝允は、

天皇が天神地祇(てんじんちぎ。簡単に言えば神)を祀り、神前で公卿・諸侯を率いて共に誓いの文言を述べ、かつ、その場に伺候する全員が署名するという形式を提案し、

これが採用されることとなった。その際、木戸は、(1)福岡案第一条の「列侯会議ヲ興シ」を「廣ク會議ヲ興シ」(広ク会議ヲ興シ)に改め、(2)「徴士」の任用期間を制限していた福岡案第五条を削除して、(3)木戸最終案第四条「旧来ノ陋習ヲ破リ天地ノ公道ニ基クヘシ」を新たに組み込み、五箇条の順序を体裁良く整え直すなど、大幅に変更を加え、より普遍的な内容にした。また、議定兼副総裁の三条実美も福岡案表題の「会盟」を「誓」に修正したため、木戸による五箇条が「誓文」「御誓文」「五箇条誓文」「五箇条の御誓文」と呼ばれるようになった。この木戸五箇条が、天下に布告すべき日本国の国是として明治天皇の裁可を受け、慶応4年3月14日(1868年4月6日)、朝廷の偉大さを天下に確定させんとする木戸の狙い通り、誓約された。木戸は後日その意図について、「天下の侯伯と誓い、億兆の向ふ所を知らしめ、藩主をして其責に任ぜんと欲し」たと述べている[5]。

儀式と布告[編集]

中略参照https://ja.wikipedia.org/wiki/五箇条の御誓文


一 廣ク會議ヲ興シ萬機公論ニ決スベシ[編集]
(現代表記)広く会議を興し、万機公論に決すべし。

一 上下心ヲ一ニシテ盛ニ經綸ヲ行フべシ[編集]
(現代表記)上下心を一にして、さかんに経綸を行うべし。

一 官武一途庶民ニ至ル迄各其志ヲ遂ケ人心ヲシテ倦マサラシメン事ヲ要ス[編集]
(現代表記)官武一途庶民にいたるまで、おのおのその志を遂げ、人心をして倦まざらしめんことを要す。

一 舊來ノ陋習ヲ破リ天地ノ公道ニ基クべシ[編集]
(現代表記)旧来の陋習を破り、天地の公道に基づくべし。

一 智識ヲ世界ニ求メ大ニ皇基ヲ振起スべシ[編集]
(現代表記)智識を世界に求め、大いに皇基を振起すべし。


勅語[編集]

勅語と奉答書(太政官日誌掲載)
(現代表記)我が国未曾有の変革を為んとし、朕、躬を以て衆に先んじ天地神明に誓い、大にこの国是を定め、万民保全の道を立んとす。衆またこの旨趣に基き協心努力せよ。年号月日 御諱
(意味)我が国は未曾有の変革を為そうとし、わたくし(天皇)が自ら臣民に率先して天地神明に誓い、大いにこの国是を定め、万民を保全する道を立てようとする。臣民もまたこの趣旨に基づき心を合わせて努力せよ。


奉答書[編集]
(現代表記)勅意宏遠、誠に以て感銘に堪えず。今日の急務、永世の基礎、この他に出べからず。臣等謹んで叡旨を奉戴し死を誓い、黽勉従事、冀くは以て宸襟を安じ奉らん。慶応四年戊辰三月 総裁名印 公卿諸侯各名印
(意味)天皇のご意志は遠大であり、誠に感銘に堪えません。今日の急務と永世の基礎は、これに他なりません。我ら臣下は謹んで天皇の御意向を承り、死を誓い、勤勉に従事し、願わくは天皇を御安心させ申し上げます。

(奉答書の日付が「慶応四年」となっているが、後の明治改元により慶応四年は1月1日に遡って明治元年に改められた(大正以降の改元とは異なるので要注意)。よって正式には「慶応四年」は「明治元年」に読みかえる[要出典]。)


江戸幕府の天下のご政道を受け継いだものである。

武士始め士農工商四民はみな佛教を奉じていたので、天下のご政道は「和を以て貴しとなす」十七条憲法に遵って天下を治める佛教の政教分離統治であった。

_______________


2.

日本国憲法前文
小6が暗唱:日本国憲法前文! THE CONSTITUTION OF JAPAN
https://www.youtube.com/watch?v=ePPDNN_QxME

前 文

日本国民は、正当に選挙された国会における代表者を通じて行動し、われらとわれらの子孫のために、諸国民との協和による成果と、わが国全土にわたつて自由のもたらす恵沢を確保し、政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起ることのないやうにすることを決意し、ここに主権が国民に存することを宣言し、この憲法を確定する。

そもそも国政は、国民の厳粛な信託によるものてあつて、その権威は国民に由来し、その権力は国民の代表者がこれを行使し、その福利は国民がこれを享受する。

これは人類普遍の原理であり、この憲法は、かかる原理に基くものである。

われらは、これに反する一切の憲法、法令及び詔勅を排除する。

日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであつて、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。

われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めてゐる国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ。

われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する。

われらは、いづれの国家も、自国のことのみに専念して他国を無視してはならないのであつて、政治道徳の法則は、普遍的なものであり、この法則に従ふことは、自国の主権を維持し、他国と対等関係に立たうとする各国の責務であると信ずる。

日本国民は、国家の名誉にかけ、全力をあげてこの崇高な理想と目的を達成することを誓ふ。


________________


3.

あたらしい憲法のはなし

文部省


一 憲法

 みなさん、あたらしい憲法ができました。そうして昭和二十二年五月三日から、私たち日本國民は、この憲法を守ってゆくことになりました。このあたらしい憲法をこしらえるために、たくさんの人々が、たいへん苦心をなさいました。

ところでみなさんは、憲法というものはどんなものかごぞんじですか。じぶんの身にかゝわりのないことのようにおもっている人はないでしょうか。もしそうならば、それは大きなまちがいです。

 國の仕事は、一日も休むことはできません。また、國を治めてゆく仕事のやりかたは、はっきりときめておかなければなりません。そのためには、いろ/\規則がいるのです。この規則はたくさんありますが、そのうちで、いちばん大事な規則が憲法です。

 國をどういうふうに治め、國の仕事をどういうふうにやってゆくかということをきめた、いちばん根本になっている規則が憲法です。

もしみなさんの家の柱がなくなったとしたらどうでしょう。家はたちまちたおれてしまうでしょう。いま國を家にたとえると、ちょうど柱にあたるものが憲法です。

もし憲法がなければ、國の中におゝぜいの人がいても、どうして國を治めてゆくかということがわかりません。それでどこの國でも、憲法をいちばん大事な規則として、これをたいせつに守ってゆくのです。國でいちばん大事な規則は、いいかえれば、いちばん高い位にある規則ですから、これを國の「最高法規」というのです。

 ところがこの憲法には、いまおはなししたように、國の仕事のやりかたのほかに、もう一つ大事なことが書いてあるのです。

それは國民の権利のことです。この権利のことは、あとでくわしくおはなししますから、こゝではたゞ、なぜそれが、國の仕事のやりかたをきめた規則と同じように大事であるか、ということだけをおはなししておきましょう。

 みなさんは日本國民のうちのひとりです。國民のひとり/\が、かしこくなり、強くならなければ、國民ぜんたいがかしこく、また、強くなれません。
國の力のもとは、ひとり/\の國民にあります。

そこで國は、この國民のひとり/\の力をはっきりとみとめて、しっかりと守ってゆくのです。そのために、國民のひとり/\に、いろ/\大事な権利があることを、憲法できめているのです。この國民の大事な権利のことを「基本的人権」というのです。これも憲法の中に書いてあるのです。


 そこでもういちど、憲法とはどういうものであるかということを申しておきます。

憲法とは、國でいちばん大事な規則、すなわち「最高法規」というもので、その中には、だいたい二つのことが記されています。

その一つは、國の治めかた、國の仕事のやりかたをきめた規則です。

もう一つは、國民のいちばん大事な権利、すなわち「基本的人権」をきめた規則です。

このほかにまた憲法は、その必要により、いろ/\のことをきめることがあります。

こんどの憲法にも、あとでおはなしするように、これからは戰爭をけっしてしないという、たいせつなことがきめられています。

 これまであった憲法は、明治二十二年にできたもので、これは明治天皇がおつくりになって、國民にあたえられたものです。

しかし、こんどのあたらしい憲法は、日本國民がじぶんでつくったもので、日本國民ぜんたいの意見で、自由につくられたものであります。

この國民ぜんたいの意見を知るために、昭和二十一年四月十日に総選挙が行われ、あたらしい國民の代表がえらばれて、その人々がこの憲法をつくったのです。

それで、あたらしい憲法は、國民ぜんたいでつくったということになるのです。

 みなさんも日本國民のひとりです。

そうすれば、この憲法は、みなさんのつくったものです。

みなさんは、じぶんでつくったものを、大事になさるでしょう。

こんどの憲法は、みなさんをふくめた國民ぜんたいのつくったものであり、國でいちばん大事な規則であるとするならば、みなさんは、國民のひとりとして、しっかりとこの憲法を守ってゆかなければなりません。

そのためには、まずこの憲法に、どういうことが書いてあるかを、はっきりと知らなければなりません。

 みなさんが、何かゲームのために規則のようなものをきめるときに、みんないっしょに書いてしまっては、わかりにくい[#「わかりにくい」は底本では「わかりくい」]でしょう。

國の規則もそれと同じで、一つ/\事柄にしたがって分けて書き、それに番号をつけて、第何條、第何條というように順々に記します。

こんどの憲法は、第一條から第百三條まであります。

そうしてそのほかに、前書が、いちばんはじめにつけてあります。

これを「前文」といいます。

 この前文には、だれがこの憲法をつくったかということや、どんな考えでこの憲法の規則ができているかということなどが記されています。

この前文というものは、二つのはたらきをするのです。

その一つは、みなさんが憲法をよんで、その意味を知ろうとするときに、手びきになることです。

つまりこんどの憲法は、この前文に記されたような考えからできたものですから、前文にある考えと、ちがったふうに考えてはならないということです。

もう一つのはたらきは、これからさき、この憲法をかえるときに、この前文に記された考え方と、ちがうようなかえかたをしてはならないということです。

挿絵2

 それなら、この前文の考えというのはなんでしょう。

いちばん大事な考えが三つあります。

それは、「民主主義」と「國際平和主義」と「主権在民主義」です。

「主義」という言葉をつかうと、なんだかむずかしくきこえますけれども、少しもむずかしく考えることはありません。

主義というのは、正しいと思う、もののやりかたのことです。

それでみなさんは、この三つのことを知らなければなりません。

まず「民主主義」からおはなししましょう。


二 民主主義とは

 こんどの憲法の根本となっている考えの第一は民主主義です。

ところで民主主義とは、いったいどういうことでしょう。

みなさんはこのことばを、ほう/″\できいたでしょう。

これがあたらしい憲法の根本になっているものとすれば、みなさんは、はっきりとこれを知っておかなければなりません。

しかも正しく知っておかなければなりません。


 みなさんがおゝぜいあつまって、いっしょに何かするときのことを考えてごらんなさい。

だれの意見で物事をきめますか。

もしもみんなの意見が同じなら、もんだいはありません。

もし意見が分かれたときは、どうしますか。

ひとりの意見できめますか。

二人の意見できめますか。

それともおゝぜいの意見できめますか。

どれがよいでしょう。

ひとりの意見が、正しくすぐれていて、おゝぜいの意見がまちがっておとっていることもあります。

しかし、そのはんたいのことがもっと多いでしょう。

そこで、まずみんなが十分にじぶんの考えをはなしあったあとで、おゝぜいの意見で物事をきめてゆくのが、いちばんまちがいがないということになります。

そうして、あとの人は、このおゝぜいの人の意見に、すなおにしたがってゆくのがよいのです。

このなるべくおゝぜいの人の意見で、物事をきめてゆくことが、民主主義のやりかたです。


 國を治めてゆくのもこれと同じです。

わずかの人の意見で國を治めてゆくのは、よくないのです。

國民ぜんたいの意見で、國を治めてゆくのがいちばんよいのです。

つまり國民ぜんたいが、國を治めてゆく――これが民主主義の治めかたです。


 しかし國は、みなさんの学級とはちがいます。

國民ぜんたいが、ひとところにあつまって、そうだんすることはできません。

ひとり/\の意見をきいてまわることもできません。

そこで、みんなの代わりになって、國の仕事のやりかたをきめるものがなければなりません。

それが國会です。

國民が、國会の議員を選挙するのは、じぶんの代わりになって、國を治めてゆく者をえらぶのです。

だから國会では、なんでも、國民の代わりである議員のおゝぜいの意見で物事をきめます。

そうしてほかの議員は、これにしたがいます。

これが國民ぜんたいの意見で物事をきめたことになるのです。

これが民主主義です。

ですから、民主主義とは、國民ぜんたいで、國を治めてゆくことです。

みんなの意見で物事をきめてゆくのが、いちばんまちがいがすくないのです。

だから民主主義で國を治めてゆけば、みなさんは幸福になり、また國もさかえてゆくでしょう。


 國は大きいので、このように國の仕事を國会の議員にまかせてきめてゆきますから、國会は國民の代わりになるものです。

この「代わりになる」ということを「代表」といいます。

まえに申しましたように、民主主義は、國民ぜんたいで國を治めてゆくことですが、國会が國民ぜんたいを代表して、國のことをきめてゆきますから、これを「代表制民主主義」のやりかたといいます。


 しかしいちばん大事なことは、國会にまかせておかないで、國民が、じぶんで意見をきめることがあります。

こんどの憲法でも、たとえばこの憲法をかえるときは、國会だけできめないで、國民ひとり/\が、賛成か反対かを投票してきめることになっています。

このときは、國民が直接に國のことをきめますから、これを「直接民主主義」のやりかたといいます。

あたらしい憲法は、代表制民主主義と直接民主主義と、二つのやりかたで國を治めてゆくことにしていますが、代表制民主主義のやりかたのほうが、おもになっていて、直接民主主義のやりかたは、いちばん大事なことにかぎられているのです。

だからこんどの憲法は、だいたい代表制民主主義のやりかたになっているといってもよいのです。


 みなさんは日本國民のひとりです。

しかしまだこどもです。

國のことは、みなさんが二十歳になって、はじめてきめてゆくことができるのです。

國会の議員をえらぶのも、國のことについて投票するのも、みなさんが二十歳になってはじめてできることです。

みなさんのおにいさんや、おねえさんには、二十歳以上の方もおいででしょう。

そのおにいさんやおねえさんが、選挙の投票にゆかれるのをみて、みなさんはどんな氣がしましたか。

いまのうちに、よく勉強して、國を治めることや、憲法のことなどを、よく知っておいてください。

もうすぐみなさんも、おにいさんやおねえさんといっしょに、國のことを、じぶんできめてゆくことができるのです。

みなさんの考えとはたらきで國が治まってゆくのです。

みんながなかよく、じぶんで、じぶんの國のことをやってゆくくらい、たのしいことはありません。

これが民主主義というものです。

三 國際平和主義

 國の中で、國民ぜんたいで、物事をきめてゆくことを、民主主義といいましたが、國民の意見は、人によってずいぶんちがっています。

しかし、おゝぜいのほうの意見に、すなおにしたがってゆき、またそのおゝぜいのほうも、すくないほうの意見をよくきいてじぶんの意見をきめ、みんなが、なかよく國の仕事をやってゆくのでなければ、民主主義のやりかたは、なりたたないのです。

挿絵3

 これは、一つの國について申しましたが、國と國との間のことも同じことです。

じぶんの國のことばかりを考え、じぶんの國のためばかりを考えて、ほかの國の立場を考えないでは、世界中の國が、なかよくしてゆくことはできません。

世界中の國が、いくさをしないで、なかよくやってゆくことを、國際平和主義といいます。

だから民主主義ということは、この國際平和主義と、たいへんふかい関係があるのです。

こんどの憲法で民主主義のやりかたをきめたからには、またほかの國にたいしても國際平和主義でやってゆくということになるのは、あたりまえであります。

この國際平和主義をわすれて、じぶんの國のことばかり考えていたので、とうとう戰爭をはじめてしまったのです。

そこであたらしい憲法では、前文の中に、これからは、この國際平和主義でやってゆくということを、力強いことばで書いてあります。

またこの考えが、あとでのべる戰爭の放棄、すなわち、これからは、いっさい、いくさはしないということをきめることになってゆくのであります。

四 主権在民主義

 みなさんがあつまって、だれがいちばんえらいかをきめてごらんなさい。

いったい「いちばんえらい」というのは、どういうことでしょう。

勉強のよくできることでしょうか。

それとも力の強いことでしょうか。

いろ/\きめかたがあってむずかしいことです。


 國では、だれが「いちばんえらい」といえるでしょう。

もし國の仕事が、ひとりの考えできまるならば、そのひとりが、いちばんえらいといわなければなりません。

もしおおぜいの考えできまるなら、そのおゝぜいが、みないちばんえらいことになります。

もし國民ぜんたいの考えできまるならば、國民ぜんたいが、いちばんえらいのです。

こんどの憲法は、民主主義の憲法ですから、國民ぜんたいの考えで國を治めてゆきます。

そうすると、國民ぜんたいがいちばん、えらいといわなければなりません。

挿絵4

 國を治めてゆく力のことを「主権」といいますが、この力が國民ぜんたいにあれば、これを「主権は國民にある」といいます。

こんどの憲法は、いま申しましたように、民主主義を根本の考えとしていますから、主権は、とうぜん日本國民にあるわけです。

そこで前文の中にも、また憲法の第一條にも、「主権が國民に存する」とはっきりかいてあるのです。

主権が國民にあることを、「主権在民」といいます。

あたらしい憲法は、主権在民という考えでできていますから、主権在民主義の憲法であるということになるのです。


 みなさんは、日本國民のひとりです。

主権をもっている日本國民のひとりです。

しかし、主権は日本國民ぜんたいにあるのです。

ひとり/\が、べつ/\にもっているのではありません。

ひとり/\が、みなじぶんがいちばんえらいと思って、勝手なことをしてもよいということでは、けっしてありません。

それは民主主義にあわないことになります。

みなさんは、主権をもっている日本國民のひとりであるということに、ほこりをもつとともに、責任を感じなければなりません。

よいこどもであるとともに、よい國民でなければなりません。


・・・・・・・

中略(参照)https://www.aozora.gr.jp/cards/001128/files/43037_15804.html

・・・・・・・

十五 最高法規

 このおはなしのいちばんはじめに申しましたように、「最高法規」とは、國でいちばん高い位にある規則で、つまり憲法のことです。

この最高法規としての憲法には、國の仕事のやりかたをきめた規則と、國民の基本的人権をきめた規則と、二つあることもおはなししました。

この中で、國民の基本的人権は、これまでかるく考えられていましたので、憲法第九十七條は、おごそかなことばで、この基本的人権は、人間がながいあいだ力をつくしてえたものであり、これまでいろ/\のことにであってきたえあげられたものであるから、これからもけっして侵すことのできない永久の権利であると記しております。

 憲法は、國の最高法規ですから、この憲法できめられてあることにあわないものは、法律でも、命令でも、なんでも、いっさい規則としての力がありません。

これも憲法がはっきりきめています。

 このように大事な憲法は、天皇陛下もこれをお守りになりますし、國務大臣も、國会の議員も、裁判官も、みなこれを守ってゆく義務があるのです。

また、日本の國がほかの國ととりきめた約束(これを「條約」といいます)も、國と國とが交際してゆくについてできた規則(これを「國際法規」といいます)も、日本の國は、まごころから守ってゆくということを、憲法できめました。

 みなさん、あたらしい憲法は、日本國民がつくった、日本國民の憲法です。

これからさき、この憲法を守って、日本の國がさかえるようにしてゆこうではありませんか。


おわり


底本:「あたらしい憲法のはなし」日本平和委員会
   1972(昭和47)年11月3日初版発行
   2004(平成16)年1月27日第38版
底本の親本:「あたらしい憲法のはなし」実業教科書株式会社
   1947(昭和22)年7月28日同日翻刻印刷
   1947(昭和22)年8月2日同日翻刷発行
   1947(昭和22)年8月2日文部省検査済
※「/\」と「/″\」の使い方は、底本通りにしました。
入力:林 幸雄
校正:松永正敏
2004年6月9日作成
2013年6月7日修正
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。

*表記について
このファイルは W3C 勧告 XHTML1.1 にそった形式で作成されています。
[#…]は、入力者による注を表す記号です。


____青空文庫の「あたらしい憲法のはなし」
がアクセスできなくなったので、

挿絵入りが保存されているブログがこちらです。


みんなの知識 ちょっと便利帳

「あたらしい憲法のはなし [ふりがな付き]」
[ 1947年(昭和22年) 文部省 中学1年生用教科書 ]

https://www.benricho.org/kenpou/atarashii-ruby.html
_____________

24. 豊岳正彦[107] lkyKeJCzlUY 2018年8月21日 13:19:47 : AKB67GaCh2 : rOxK_DunrP0[108] 報告

「十七条憲法」
五箇条の御誓文
日本国憲法

↑↑↓

仏教聖典おしえ第一章因縁第三節第三項 (華厳経)

 この世の中には、三つの誤った見方がある。もしこれらの見方に従ってゆくと、この世のすべてのことが否定されることになる。

 一つには、ある人は、人間がこの世で経験するどのようなことも、すべて運命であると主張する。二つには、ある人は、それはすべて神の御業(みわざ)であるという。三つには、またあるひとは、すべて因も縁もないものであるという。

 もしも、すべてが運命によって定まっているならば、この世においては、善いことをするのも、悪いことをするのも、みな運命であり、幸・不幸もすべて運命となって、運命のほかには何ものも存在しないことになる。

 したがって、人びとに、これはしなければならない、これはしてはならないという希望も努力もなくなり、世の中の進歩も改良もないことになる。

 次に、神の御業であるという説も、最後の因も縁もないとする説も、同じ非難が浴びせられ、悪を離れ、善をなそうという意志も努力も意味もすべてなくなってしまう。

 だから、この三つの見方はみな誤っている。どんなことも縁によって生じ、縁によって滅びるものである。

(A6文庫本p45)
____________________


 法句経の現代語訳から

「自分よりも愛しいものはない。同様に他の人々にも、自己は愛しい。故に自己を愛するものは、他人を害してはならない。」

「生き物を自ら害すべからず。また他人をして殺さしめてはいけない。また、他の人々が殺害するのを容認してはならない。」

「あらゆる生物にたいして暴力や悩みを与えてはならない。」

「世界はどこも、とどまってはいない。すべての方角も揺れ動いている。私は、安住の地を求め探したが、どこにもなかった。すべて、死や苦しみにとりつかれている所ばかりだった。殺そうとしている人々を見よ。武器をとって打とうとしたことから恐怖が起こった。すべてのものは、燃えている。欲望と怒りと愚かさによって。」

「怨みは怨みをもって止まず。怨みを捨ててこそ止む」

「人の価値とは、生まれや身分によるものではなく、清らかな行いによって決まる」

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http://www.asyura2.com/15/senkyo198/msg/416.html#c30

仏教聖典p85

おしえ第四章煩悩第一節心の穢れ第七項( パーリ、本事經二四)


 外から飛んでくる毒矢は防ぐすべがあっても、内からくる毒矢は防ぐすべがない。貪(むさぼ)りと瞋(いか)りと愚かさと高ぶりとは、四つの毒矢にもたとえられるさまざまな病を起こすものである。

 心に貪りと瞋りと愚かさがあるときは、口には偽りと無駄口悪口と二枚舌を使い、身には殺生と盗みとよこしまな愛欲を犯すようになる。

 意の三つ、口の四つ、身の三つ、これらを十悪という。
 知りながらも偽りを言うようになれば、どんな悪事をも犯すようになる。悪いことをするから、偽りを言わなければならないようになり、偽りを言うようになるから、平気で悪いことをするようになる。
 人の貪りも、愛欲も恐れも瞋りも、愚かさからくるし、人の難儀も不幸も、また愚かさからくる。愚かさは実に人の世の病毒にほかならない。


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___________________________________
http://www.asyura2.com/15/senkyo198/msg/416.html#c29


仏教聖典 はげみ 第二章実践の道 第二節 さまざまな道 A6文庫本p177〜

十二、(パーリ、本事經三九、四〇)

 おのれに恥じず、他にも恥じないのは、世の中を破り、おのれを恥じ、他にも恥じるのは、世の中を守る。慚愧(ざんぎ)の心があればこそ、父母・師・目上の人を敬う心も起こり、兄弟姉妹の秩序も保たれる。まことに、自ら省みて、わが身を恥じ、人の有様を見ておのれに恥じるのは、尊いことといわなければならない。

 懺悔(さんげ)の心が起これば、もはや罪は罪でなくなるが、懺悔の心がないならば、罪は永久に罪として、その人をとがめる。

 正しい教えを聞いて、いくたびもその味わいを思い、これを修め習うことによって、教えが身につく。思うこと修めることがなければ、耳に聞いても身につけることはできない。

 信と慚(ざん)と愧(ぎ)と努力と智慧(ちえ)とは、この世の大きな力である。
このうち、智慧の力が主であって、他の四つは、これに結びつく従の力である。

 道を修めるのに、雑事にとらわれ、雑談にふけり、眠りを貪るのは、退歩する原因である。

_______________


仏教聖典p229第三節もろ人のために から転載する。


一、(長阿含經第二、遊行經)

 ここに国家を栄えさせる七つの教えがある。

 一つには、国民はしばしば会合して政治を語り、国防を厳にして自ら守り、

 二つには、上下心を一つにして相和し、ともに国事を議し、

 三つには、国風を尊んでみだりにあらためず、礼を重んじ義を尊び、

 四つには、男女の別を正し、長幼の序を守って、よく社会と家庭の純潔を保ち、

 五つには、父母に孝し、師長に仕え、

 六つには、祖先の祭壇をあがめて祭儀を行い、

 七つには、道を尊び徳をあがめ、徳の高い師について教えを仰ぎ、厚く供養することである。

 どんな国でも、この七つの教えをよく守って破ることがないならば、その国の栄えることは疑いがなく、外国の侮りを受けることはないであろう。

二、(華厳経第三四、入法界品)

 昔、大光王は、自分の王道を次のように説いた。

 「自分の国家を治める道は、まず自分を修めることである。自ら慈の心を養って、この心をもって国民に臨み、人びとを教え導いて心の垢を除き去り、身と心を和らげて、世の中の楽しみにまさる正しい教えの喜びを得させる。

 また、貧しいものが来たときには、蔵を開いて心のままに取らせる。そしてこれを手がかりとして、すべての悪から遠ざかるように戒める。

 人びとは各々その心をもととして、見るところを異にする。この城中の民にしても、この都を美しいと見るものもあれば、また汚いと見るものもある。これは各々、その心、その環境がそうさせるのである。

 教えを尊び、心の正しい素直な人は、木石にも瑠璃の光を見るのであるが、欲が深くて自分を修めることを知らない者は、どんな立派な御殿でもなお美しいと見ることはできない。

 国民の生活は、万事みなこのとおり、心がもとになっているから、わたしは国を治める大もとを、民にその心を修めさせることに置いている。」

三、(金光明經第一二、四天王護国品)

 大光王のことばどおり、政道の大もとは、民にその心を修めさせることにある。

 この心を修めることはさとりの道に進むことであるから、政治の上に立つ人は、まず仏の教えを信じなければならない。

 もし政治を行う人が、仏を信じ、教えを信じて、慈悲深く徳のある人を敬い、これに供養するならば、敵もなく、恨みもなく、国家は必ず栄えるに違いない。

 そして、国が富み栄えるならば、他の国を貪り攻めることもなく、また他を攻める武器の必要もなくなるであろう。

 したがって国民も満足して楽しみを受け、上下和らいでむつみあい、善を増し徳を積んで互いに敬愛し喜び合うから、いよいよ人は栄え、寒さ暑さもととのい、日も月も星も常の程度を失わず、風雨が時に従うようになり、こうしていろいろの災いも遠ざかるようになるであろう。

四、(大薩遮尼ノ子所説經)

 王たるものの勤めは、民を守ることにある。王は民の父母であり、教えによって民を守るからである。民を養うことは、父母が赤子を養うようなもので、父母が赤子のことばを待たず、湿ったものを取り替えて新しい布を当てがうように、いつも民に幸いを与えて悩みを去るよう慈しみ養うのである。まことに王は、民をもって国の宝とする。これは、民が安らかでなければ政道が立たないからである。

 だから、王たるものは、民を憂えてしばらくも心を離さない。民の苦楽を察し、民の繁栄をはかり、そのためには常に水を知り、風、雨を知り、実りの善悪を知り、日照りを知り、民の憂いと喜びを知り、罪の有無と軽重、功績の有無などをよく知って、賞罰の道を明らかにする。

 このように民の心を知って、与えなければならないものは時をはかって与え、取るべきものはよく量って取り、民の利を奪わないよう、よく税を軽くして民を安らかにする。

 王は力と権威によって民を守り、このようにして民の心になって民をよく見守るものが王と呼ばれる。


五、この世の中の王を転輪王というが、転輪王とはその家系が正しく、身分が尊くてよく四辺を統御し、また教えを守るところの王である。

 この王のゆくところには、戦いもなく恨みもなく、よく教えによって徳をしき、民を安らかにして邪と悪を下す。

 また転輪王は、殺さず、盗まず、よこしまな愛欲を犯さず、偽り、悪口、二枚舌、むだ口を言わず、貪らず、瞋らず、愚かでない。この十善を行って民の十悪を去らせる。

 また、教えによって政治を正すから、天下において思いのままになすことができ、そのゆくところには戦いがなく、恨みもなく、互いに相犯すこともない。したがって、民は和らぎ、国は安らいで、民にいよいよその生を楽しませることができる。だから教えを守る王といわれるのである。

 また転輪王は、王の中の王であるから、もろもろの王はみなその徳を喜び、その教えに従って各々その国を治める。

 このように転輪王は、もろもろの王をして各々その国に安んじさせ、正しい教えのもとに王の任を果たさせる。

六、また王は罪を裁決するにも、慈悲の心をもととしなければならない。明らかな智慧をもってよく観察し,五つの原則をもってよく処置しなければならない。

 五つの原則というのは、

 一つには、実によって不実によらない。これは、事実を調べて、その事実によって処断することである。

 二つには、時(じ)によって非時(ひじ)によらない。これは、王に力のあるときが時(じ)であり、力のないときが非時(ひじ)である。力のあるときは罰しても効果があるが、力のないときには罰しても混乱があるだけであるから、時を待たなければならない。

 三つには、動機によって結果によらない。これは、罪を犯すものの心に立ち入って、それが故意であるか故意でないかを見きわめ、故意のことでなければ許すのをいう。

 四つには、親切なことばによってあらいことばによらない。これは、罪が規則のどれに当たるかを明らかにして罪以上の罰を与えないようにし、また柔らかい優しいことばで諭してその罪を覚(さと)らせるのをいう。

 五つには、慈悲の心によって瞋(いか)りの心によらない。罪を憎んで人を憎まず、慈悲の心をもととして、罪を犯したものにその罪を悔いあらためさせるように仕向けるのである。

七、もし王の重臣であって国家の大計を思わず、ただ自分の利ばかりを求め、賄賂を取って政道を曲げ、人民の気風を頽廃させるならば、人民は互いに相欺くようになり、強い者は弱い者をしいたげ、貴い者は卑しい者を軽んじ、富んだ者は貧しい者を欺き、曲がった道理をもって正しいものを曲げることになるから、災いがいよいよ増長するようになる。
 
 すると忠実な重臣は隠れ退き、心あるものも危害を怖れて沈黙し、ただへつらう者だけが政権をとって、みだりに公権を用いて私腹を肥やし、民の貧しさは少しも救われないようになる。

 このようになると、政令は行われなくなり、政道はまったくゆるんでしまう。

 このような悪人こそ、民の幸福を奪う盗賊であるから、国家のもっとも大きな悪賊といわなければならない。なぜなら、上を欺き下を乱して、一国の災いの源となるからである。王はこのような者を、もっとも厳しく処罰しなければならない。

 また教えによって政治をしく王の国において、父母の生育の恩を思わず、妻子にだけ心を傾けて父母を養わず、あるいはまた、父母の所有を奪ってその教えに従わないものは、これをもっとも大きな悪の中に数えなければならない。

 なぜなら、父母の恩はまことに重くて、一生心を尽くして孝養しても、し尽くせないものだからである。主君に対して忠でなく、親に対して孝でない者は、もっとも重い罪人として処罰しなければならない。

 また教えによって政治をしく王の国の中においては、仏と教えと教団(仏法僧)の三宝に対して信ずる心がなく、寺を壊し経を焼き、僧侶を捕らえて駆使するなど仏の教えを破る行いをする者は、もっとも重い罪の者である。

 なぜなら、これらはすべての善行のもとである民の信念を覆すものだからである。これらの者は、みなすべての善根を焼き尽くして、自ら自分の穴を掘るものである。

 この三種の罪がもっとも重く、したがってもっとも厳しく処罰しなければならない。その他の罪は、これらに比べると、なお軽いといわなければならない。」

八、正しい教えを守る王に対して逆らう賊が起こるか、あるいは外国から攻め侵すものがあるときは、正しい教えの王は三種の思いを持たなければならない。

 それは、第一には、逆賊または外敵は、ただ人を損い人民を虐げることばかりを考えている。自分は武力をもって民の苦しみを救おう。

 第二には、もし方法があるなら、刃(やいば)を動かさないで、逆賊や外敵を平らげよう。

 第三には、敵をできるだけ生け捕りにして、殺さないようにし、そしてその武力をそごう。

王はこの三つの心を起こして、それから後に部署を定め訓令を与えて戦いにつかせる。

 このようにするとき、兵はおのずから王の威徳をおそれ敬ってよくその恩になずき、また戦いの性質をさとって王を助け、そして王の慈悲が後顧の憂いをなくすことを喜びながら、王の恩に報いるために戦いに従うから、その戦いはついに勝利を得るだけでなく、戦いもかえって功徳となるであろう。

25. 2018年8月21日 13:39:14 : fCZ83cf8p2 : ZyE@@HR5cDA[4418] 報告

ナンか知らんけどタラタラ書いても性急で忙しい現代人の皆さんは誰も読まないから、//ワシラ気が長いほうだが5行が限度ダヨナ、;2チャン的考察の会
26. 2018年8月21日 15:45:29 : 3ah459lR8Q : BQKXrt2t@gY[946] 報告
>24
ほぼ同感

国防については日本がファシズム的侵略戦争を犯してしまったために、其の後世界の政治の世界で相手にされない存在になってしまった、日本から武力を取り上げたことは日本と言う国を正常に機能させなくするためであった、そして、機能しなくなった。独自の国防の出来ない国が正常な政治を行うことはできない。全ては明治維新以降のテロリスト政府が引き起こした結果であろう。後戻りはできないし、この国の将来はないだろう、愛国心(国土を守る為に軍と一人一人の国民、老若男女が協力すると言う姿)は明治以降の噓の指導者により消滅してしまった。

27. 2018年8月21日 20:20:19 : FIYltZkKuA : 1zO20pfHJPc[1] 報告
中曽根康弘はやはり国民に丁寧な説明をする必要がある情勢ですね
平民は無線電話すら持てなかった時代でしたから、永遠に記録されて何度でも蒸し返される
事態は予想もできなかった、お釈迦様でも知らぬ仏のお富さんだったのは、仕方がありませんね
墓場に持ってくつもりが長生きしてしまったから 元気で長生きも難儀ですね!

出典はよいのだが、長文コピペはやはりマナーに反すると私は思ってます

28. はろー[1369] gs2C64Fb 2018年8月21日 20:24:58 : uFCT5UT0Y6 : Gxib1H9DNVQ[606] 報告
夏休みの宿題、追い込み中にもう一教科忘れてましたーみたいな。頑張って読みます。😓
@@さんも草らない草らない。
29. 2018年8月21日 22:04:20 : fCZ83cf8p2 : ZyE@@HR5cDA[4419] 報告
 ↑
  御意w
30. 2018年8月21日 22:41:13 : AuQPF5rRkM : Q9rNz3kibZE[16] 報告
だらだらダラダラ長い 長文コメントはすごく迷惑です。ていうか妨害行為だと思います。

長文書きたいなら自分のブログ作って書けばいいでしょ?!

他の人のコメントが読めなくてほんと迷惑!!!怒💢

31. 2018年8月21日 22:58:14 : ATGJdXjP3g : 73WmNb73Tag[2] 報告
簡節にまとめてくれれば面白い内容だったと思いますけど。
しかし長文だと読む気も失せますよね。
32. 2018年8月21日 23:28:04 : N5sEgV5Lys : gJDc90AKsFQ[501] 報告
長文だと読む気もうせる=

何故なら君たちが、スマホ・ピコピコの twitter 世代の馬鹿(長文を読む能力が無い様にしつけられた「奴隷」)であるためです。

You are a 「GOIM」。

33. 2018年8月22日 00:05:44 : VPFjmOmuzE : _xdQFCco9xY[5] 報告
中身は何でもいい、皆の興味を失くさせれば目的達成と云うところだろう。
34. 2018年8月22日 00:29:00 : U1D6lvvKjI : KoF4aT6Gkss[3] 報告
長文を読む世代ですけど、コメント欄におけるコピペはスレ潰しの荒らしとみなされても
仕方がないと思います

問題になっているコピペはよい出典ですけど、リンクを貼るにとどめるのが、常識であり、マナーだと思う
あえてそれを踏み越えると言うならば、別の話だが

原則、コメントはオリジナルの発言であるべきでしょうね スレ主である投稿者様もそうなのですから

35. 2018年8月22日 04:54:27 : N5sEgV5Lys : gJDc90AKsFQ[502] 報告
マナーとか原則とか常識とか、誰が勝手に決めたのか知りませんが、

例えば、私のブログは、『阿修羅管理人』によってリンクを貼る事自体、禁止にされているので、投稿する事が出来ないのですよ。

良い出典だと思うなら、文句を言う前に、もっと先を読むべきでしょう。

違いますか?

S.C.

36. 豊岳正彦[111] lkyKeJCzlUY 2018年8月22日 05:17:20 : AKB67GaCh2 : rOxK_DunrP0[112] 報告
>>34
メンゴ。
でもこれを見て。

「株式日記と経済展望」
株式をはじめ政治経済外交文化歴史などの論評です。


2018年06月19日 | その他
https://blog.goo.ne.jp/2005tora/e/87c6e9c12ea997f16763e6117f065b1e?fm=entry_awc

フェイスブックの長い文章を読めない人が増えているそうで、LINEやツイッター
上の2〜3語で構成される文でなければ読むのがつらいのだという


2018年6月19日 火曜日

◆危険すぎるスマホ依存 長文読めず、言語能力は2歳児レベルに 6月16日 週刊朝日

 いまや人々の生活とは切っても切り離せないスマートフォン。「スマホ依存」という言葉も定着しているが、それは子どもだけに限らない。小さな子を持つ親世代から定年を過ぎた年配者まで、大きな影響を与えていることがわかった。

【あなたは大丈夫?スマホ依存度チェックリストはこちら】

 自己抑制を担う脳の前頭葉が完成するのは、20歳から30歳と言われる。

「アルコールやたばこと同じです。依存性のあるものに対し、脳の機能が未発達な子どもたちが、自分の意思でコントロールするのは難しい」

と話すのは仙台市と東北大学の加齢医学研究所の研究所長で「脳トレ」でも有名な同大教授の川島隆太氏だ。

 札幌市在住の良子さん(仮名)が娘にスマホを持たせたのは小学6年の3学期。クラスの半数がスマホを持っていたが、Wi−Fiでネットがつながるリビングでしか使えないようにしていた。

 だが、飲食店や百貨店や娯楽施設など、大抵の場所はWi−Fiがあり、ネットに接続できる。

「スポットを見つけてはやりたがります。なので、親が、ネットを使える時間を設定できるアプリをスマホに入れて管理しています」(良子さん)

 川島教授らは中学・高校に出向き、こう訴える。

「勉強と食事、睡眠中はスマホのスイッチを切ること。これを約束しよう」

 その川島教授だが、別の危惧を覚えている。

「スマホ依存から抜け出せないのは、むしろ大人のほうですよ」

 2013年、川島教授らの研究チームは、仙台市内の幼稚園で、「家庭で親子だけで遊ぼう」というプロジェクトを開いた。市内でも教育熱心といわれる地域の親たちに向かって、川島教授らがこう言った。

「(普段から)10分、子どもと向き合ってみてください」

 だが、大半の親は真顔でこう返した。

「忙しくてできない」

 予想もしなかった回答に衝撃を受けた川島教授らは、こう投げかけた。

「その忙しい中で、テレビやスマホをどれだけ見てますか」

 川島教授が考案した「10分間遊び」を取り入れ、プロジェクトは終了。その1カ月後、参加者の様子が報告された。子どもの問題行動が目に見えて少なくなり、親のストレスは激減したという。

「たった10分間、親と子が向き合う。それだけのことで、親という『緊急避難基地』を得た子どもの精神状態は安定する。それが証明されたのです」(川島教授)

 調べるときに、手に取るのは紙の辞書だろうか、それともスマホだろうか。

 後者と答えた人は、じわじわと脳をむしばまれる危険性がある。

 川島教授は脳機能の働き方について計測実験をしたことがある。

 相手の顔を見て話すなど、人を相手にコミュニケーションをしたときの脳を近赤外線分光装置で測ると、前頭前野は活発に動いた。だが、同じ人物と電話やテレビ会議で話をした場合、脳は全く動かない。囲碁についても同様で、人と対面して打つと前頭前野が活発に動くが、コンピューター相手だと動かない。

「前頭前野はリアルなコミュニケーションによって活動することがわかりました」(川島教授)

 ペンと紙を使って文字を書いてみよう。漢字を思い出し、書き順にならって丁寧に書くだろう。すべての過程で脳を働かせる必要がある。一方、パソコンやスマホを使う場合はどうか。漢字を忘れていても、ひらがなを入力して変換キーを押せば、自動的に漢字が表示される。人の脳がやるべき作業はITが肩代わりをし、人間がやるべき作業は、漢字が正しいかどうか判断するだけだ。

 文字を入力しない、AIによる音声操作が浸透してきたが、この状況に川島教授は一層の危機感を持っている。川島教授によると、フェイスブックの長い文章を読めない人が増えているそうで、LINEやツイッター上の2〜3語で構成される文でなければ読むのがつらいのだという。

 実は、この2語、3語といった長さの文は2歳児の言語レベル。「その2語文でさえAIの音声操作が代行し、人の行動を補完していくならば、そのうち人が口にするのは『ウー、キー』で済んでしまう。脳を使わず退化した人類は猿以下になるのでは、と本気で思っています」(同)

 スマホ依存で脳の働きが鈍くなる。加えて情報の洪水にさらされると、脳の検索や管理機能が働かなくなり、40〜50代では脳が「ゴミため」になってしまうと刺激的な指摘をする専門家もいる。さらにスマホを手にする機会が増えてきた高齢者にも“危険”が迫っている。

 認知症などの脳神経疾患を専門とする「おくむらメモリークリニック」(岐阜県)の奥村歩院長を訪ねた68歳の男性は、こう訴えた。

「頭がボーッとしてだるい。人としゃべるのもおっくうなんです」

スマホ依存度チェックリスト(週刊朝日 2018年6月22日号より)

 家族の名前も出てこない。昨日見たテレビの内容も忘れてしまう。MRIで画像診断をしたが記憶をつかさどる脳の海馬部分の萎縮も見られない。ただ、ひどく疲れていた。自宅での様子を尋ねると、弱々しい声でこう答えた。

「ネットで映画を見たり、本を探したり……」

 名の通った企業に勤めていた男性だが、定年後に転機が訪れる。疲労骨折で足を痛め、自宅で療養することになった。暇を持て余して仕方がない。試しにインターネットの動画サイトをのぞいてみると、映画やドラマも視聴できるではないか──。動画を見ていると、あっという間に一日が過ぎる。次第に倦怠(けんたい)感と頭痛に襲われ、食欲も失せた。

「認知症ではなくネットの長時間使用による脳過労の状態です。骨折や肺炎などで体調を崩し、自宅にこもるタイミングが端緒となる高齢者が多いですね」(奥村院長)

 ネット漬けが続けば、脳疲労が回復することなく、うつ症状も表れ、認知症へと進行する危険性さえある。

 男性はIQが高く、最新システムを積極的に取り入れる柔軟なタイプだったそうだが、インターネットに取り込まれてしまったのは皮肉な話だ。

 記憶や学習をつかさどる脳の中枢である前頭前野は、ふたつの働きに分かれる。ネット検索など頭を使わずに調べ、一時的に固有名詞を記憶する際に使うのは、浅く物を考えるワーキングメモリーの機能。逆に、じっくりと手紙を書いたり、人と会って話をしたりするなど、五感をフル活動させるのが熟考の機能だ。

 元気なときは、友人と喫茶店でコーヒーを飲みながらおしゃべりをしたり、まめに手紙を書いたりしていた女性でも、外出がおっくうになると、電話になり、メールやLINEでメッセージを送る生活になる。それを続けていれば、熟考機能が衰えるのはごく自然な流れだ。最近、物忘れや、仕事の効率が下がってまずいなと感じているあなた。スマホやネットの電源を切って、街に出かけよう。

「出張や旅行でビジネスホテルに泊まったときなど、僕はホテルの窮屈なバスタブには入らず、地元の銭湯を探して、土地の人びとの空気や会話を楽しみます」(奥村院長)

 たとえば夕食のお店を、ネットの「食べログ」で探さず、店構えや店内の雰囲気、漂う匂いで、おいしい店を探してみる。新しい発見に刺激を受けた脳が、働きだすに違いない。(本誌・永井貴子)


(私のコメント)

「株式日記」は、最盛期には一日の訪問者数が14000件ほど有り、閲覧数は40000ページほどあったのですが、スマホの普及とともにアクセス数が徐々に減っていった。スマホの小さな画面では長文を読むことが面倒なことが原因で、「株式日記」のような文字サイトはアクセス数が減少していくだろう。

グーグルなどの検索でも、政治的なサイトは検索されないように排除されがちだ。ネットでスマホとパソコンの両方を使う人は少なく、どうしてもスマホでネットを見るようになってしまう。電車の中や公園などの広場ではスマホを見る人を多く見かけますが、その光景が異様に思えてしまう。スマホに魂を奪われたように見えてしまうのだ。

私はスマホはほとんど持ち歩かないが、日本でもスマホで買い物の決済をすることが主流になるだろう。そうなると持ち歩かなければ買い物もできなくなるだろう。朝から晩までスマホが無いと生活ができなくなり、コミニケーションも取れなくなる。便利すぎることが問題であり、スマホ依存性が社会問題になるだろう。

スマホは子供の脳の発達にも影響しており、スマホ依存性はこれから大きな問題となって行くだろう。子供たちは本を読まなくなり、本一冊を読み切ることも難しくなるだろう。パソコンで電子書籍を一冊読むことは難しく、スマホではまず無理だ。つまり長文を読む訓練ができなければ、前頭葉の発達にも影響してくる。

前頭葉の発達が小さければ自分の感情もコントロールできなくなり、相手の感情も読み取ることが難しくなるだろう。記事でも、「相手の顔を見て話すなど、人を相手にコミュニケーションをしたときの脳を近赤外線分光装置で測ると、前頭前野は活発に動いた。だが、同じ人物と電話やテレビ会議で話をした場合、脳は全く動かない。囲碁についても同様で、人と対面して打つと前頭前野が活発に動くが、コンピューター相手だと動かない。」という事ですが、話し相手の感情を読み取ることが難しくなる。

メールや電話だと問題がこじれやすいのは、相手の感情を読み取ることができないからであり、説得することも難しくなる。「自己抑制を担う脳の前頭葉が完成するのは、20歳から30歳と言われる。」という事ですが、スマホばかり見て育った子供は感情の抑制が難しくなるということだろうか。

スマホはまだ普及したばかりであり、子供にどのような影響が出るかまだわからない。パソコンならパソコンが置いてある机に座らないとできないが、スマホはどこでも使えるし、親の目を盗んでも出来る。スマホを持ち歩けばどうしても使ってしまうし、スマホ依存症になる可能性が出てくる。

私もネット依存症になり、ネットがないと「株式日記」も書く事は不可能だ。漢字も書けなくなったし、ペンを持って書く事事態がほとんど無くなってしまった。しかし「株式日記」を書く事が認知症の予防にもなっているのでしょうが、ネットをやりすぎれば脳疲労となり認知症を誘発しかねない。


ジャンル:
学校
_______________


悪いけど、もう一つ同じブログから。

2015年03月26日 | その他
https://blog.goo.ne.jp/2005tora/e/e739663c5cc7b1b53c00c742a58f2948

日本語で文章を書くときの自由度の高さは、英語とは比較にならない。
日本語で思い付いても、英語で表現しようとすると本当に大変なのだ。


2015年3月26日 木曜日

◆日本語と漢字を廃止した某国 文献を読めないのは悲劇か喜劇か K・ギルバート氏 3月25日

私はブログとフェイスブックに載せる記事を、原則として日本語と英語の2カ国語で書いている。記事の題材や資料が英語の場合、先に英語で書いてから日本語に翻訳する。この場合はあまり苦労を感じない。

 しかし、参照する資料などが日本語だった場合、先に日本語で記事を書いてから英語に翻訳する場合が多い。このパターンは少々やっかいだ。

 日本語は漢字という1種類の表意文字と、ひらがなとカタカナという2種類の表音文字を組み合わせて表記できる。しかも、「助詞」をうまく使えば、日本語は文の中で語順を入れ替えることすら自由自在だ。

 他方、英語はアルファベットという26文字だけで全てを表現しなければならない。便利な「助詞」は存在せず、倒置法などは限られる。

 ちなみに、日本語の仮名は「五十音」と言われるが、「がざだば」行の濁音、「ぱ」行の半濁音、「ぁ」行と「っゃゅょゎ」という捨て仮名を入れると、ひらがなは76文字。カタカナは「ヴ」も使うから77文字ある。加えて、常用漢字は2136字/4388音訓もあり、同じ言葉でも、どの文字種を使うかで微妙に意味を変えられる。

 従って、日本語で文章を書くときの自由度の高さは、英語とは比較にならない。うまい皮肉を日本語で思い付いても、英語で表現しようとすると本当に大変なのだ。

 世界に誇るべき日本語の表現力だが、前回の連載で、君が代の変遷について書く際に、日本の初代文部大臣の森有礼(ありのり)について調べていたら、驚くべき事実を知ってしまった。

森は10代で英国に留学しており、英語が非常に堪能だった。この日英バイリンガルの大先輩は「日本語を廃止して、英語を日本の国語にすべきだ」と考えていた。漢字の複雑さを特に問題視していたようだ。

 確かに、明治初期の漢字は今よりも複雑で数も多かった。話し言葉は口語、書き言葉は漢文という不自由な習慣もあった。西洋に後れた政治や経済、科学などの学習に必要不可欠な英単語は、日本では概念すら存在しないものが多かった。

 例えば、「社会」「存在」「自然」「権利」「自由」「個人」「品性」「人格」「情報」「近代」「美」「恋愛」「芸術」「彼・彼女」などの言葉は、江戸時代の日本にはなかった。明治期の先人が苦労を重ねて生み出したのだ。

 もし、これらの言葉が使えなかったら、日本語の文筆作業は相当もどかしい。だから、当時の森の気持ちも理解できるが、現代から見れば、満41歳で暗殺された森の考えは若気の至りだった。

 ところが、本当に漢字を廃止して、独自の表音文字だけにした国が、日本の近くに存在する。結果、国民の大多数が、わずか70年前の書籍や新聞を全く読めず、真実の歴史に向き合えない。悲劇と呼ぶべきか、喜劇なのか。それが問題だ。

 ■ケント・ギルバート 米カリフォルニア州弁護士、タレント。1952年、米アイダホ州生まれ。71年に初来日。80年、法学博士号・経営学修士号を取得し、国際法律事務所に就職。83年、テレビ番組「世界まるごとHOWマッチ」にレギュラー出演し、一躍人気タレントとなる。現在は講演活動や企業経営を行っている。最新刊は『不死鳥の国・ニッポン』(日新報道)。


(私のコメント)

「株式日記」を英訳する事を考えた事もありましたが、翻訳ソフトで翻訳しても簡単で短い文章でないと翻訳しにくいようだ。つまり主語述語がはっきりと分かるように書かないと正確に翻訳は出来ないらしい。日本語の場合主語を省略しても述語の内容で分かりますが、英語は主語を付けないと文章にならない。

日本語の場合は、ケント・ギルバート氏が書いているように言葉が前後しても助詞に使い方で言葉の順序が自由にできる。ケント氏の話だと英語から日本語に訳すのは楽だが、日本語から英語に訳すのは主語述語の語順を守らなければならないし、語彙の数も日本と英語の国語辞典を見れば分かるように比較にならない。

つまり英語を日本語に訳すにも、多くの漢字から組み合わせて該当する意味を作ることは出来ますが、日本語の言葉を英語に訳す場合該当する単語が無い場合は訳しようが無い。「玉虫色」を英語でどう訳すのだろうか? 「前向きに善処する」と言う言葉を国際会議で「YES」と翻訳したら外交問題になってしまった。

日本語で書かれた書物がなかなか英語に翻訳されないのは、語彙の数や複雑な言い回しを英語に訳す事が難しいからだろう。YESともNOとも取れる曖昧な表現を英語に訳す事は不可能に近い。日本の政治家はそれを多用するが通訳はそれを単純な英語で訳してしまう。

このような問題は日本語にも英語にも精通した人しか分かりませんが、英語の書籍が日本語に翻訳される数と、日本語の書籍が英訳される数との差は一方通行に近い。ネット上でも翻訳ソフトで翻訳するにしても、日本語ならへんてこな日本語の文章に翻訳されても分かるように翻訳する事は可能でも、日本語の文章を英訳する場合は英訳しやすい文章に一旦書き換える作業が必要になるだろう。

日常会話レベルの英語や日本語を覚える事はさほど難しくは無いのでしょうが、仕事で使う専門分野の言葉を使う場合、専門用語をどう翻訳するかは重要ですが、日本語の場合は外来語はカタカナ表記で間に合わせることが出来る。インターネットは「インターネット」と表記すればいいが、中国語の場合は「電網」に翻訳できなければ漢字で当て字で書かなければならない。この場合混乱が大きいだろう。

外国語に訳す問題は、意味が正確に伝わるかが問題ですが、ネットの場合は英語のサイトを日本語に翻訳させて見ていますが、日本語サイトの場合は英訳しても意味が通じているのだろうか。英米人は世界各地の英字新聞から情報を得ているようですが、日本の英字新聞は左翼系ばかりだ。

中国・韓国などは自国の情報を英語や日本語などでも流していますが、欧米人よりかわは中国や韓国の事情を類推することが出来ますが、欧米人には中韓の情報は限度がある。朝日毎日読売には英字新聞がありますが、産経新聞には英語版が無い。

最近では外務省などが動画サイトなどで英語版などで広報していますが、中韓との情報戦では有効に働いている。ネット上ではテキサス親父やケント・ギルバート氏が日本側に立って英語で発信してくれていますが、韓国などではテキサス親父のサイトはブロックされている。

翻訳に関しては、日本語で書かれたものは韓国語や中国語に翻訳しやすく、欧米の思想などは日本を経由して輸入された。欧米の思想や哲学などを直接中国語や韓国語の訳すのは訳語の関係で困難を伴うが、日本語に訳されていれば「日本語」が直接中国語や韓国語になっているから翻訳しやすい。

ケント氏が言うように、日本語に比べて表現力の違いで日本語を英語に訳す事が困難だという事は、前から感じていた事ですが、ケント氏から言われると説得力がある。三島由紀夫や村上春樹氏などの小説が英語に翻訳されたのも三島氏や村上氏が英語が出来るからであり、英語に翻訳しやすい日本語で文章を書いているからだろう。

ジャンル:
文化


37. 豊岳正彦[112] lkyKeJCzlUY 2018年8月22日 05:22:01 : AKB67GaCh2 : rOxK_DunrP0[113] 報告
>>30

《拈華微笑 南無父母無二佛》
https://hougakumasahiko.muragon.com

8月20日父正道の命日に供養のためのブログを作りました。

父正道の墓は母悦子が昭和56年8月20日建立し、
墓所は岩国市藤生の臨済宗天龍寺派松巖院(しょうがんいん)の
陶晴賢遺髪供養塔がある
松巖院裏山の代々先住住職墓所にあります。

豊岳正道 生年大正15年1月20日 没年昭和56年8月20日 
戒名 拈華院千聖不傳居士(ねんげいんせんしょうふでんこじ)
 父豊岳宗伯(臨済宗妙心寺派豊岳山久昌寺先々々代住職)
母豊岳智香(久昌寺先々代住職)
建立者 
豊岳悦子 生年昭和3年12月28日 鹿児島県生まれ
 父岡村精治(昭和10年6月1日揖宿郡頴娃町別府水成川にて没) 
 母岡村(旧姓青見)よし乃(平成2年1月12日白濱ヨシノとして出水郡高尾野千間山にて没)

合掌
南無父母無二佛
南無阿弥陀佛
南無釈迦牟尼佛
南無三世一切諸仏諸尊菩薩摩訶薩

38. 2018年8月22日 09:31:02 : fCZ83cf8p2 : ZyE@@HR5cDA[4420] 報告

川島教授の主張や理論は自分も知ってて賛成、塾関係の人間など特に注目してた。
ただココで取り上げるならお題との関連性や自分の意見のエッセンスを手短に説明する
工夫がカンヨー、 でないとご指摘もようにアラシ認定が来る //ナラまあ10行迄にまけとくワ;蛭子交渉
39. 2018年8月22日 16:36:14 : XXmC5TtTc6 : hhfoKLOgAnQ[2] 報告
>>32

ゴイム認定恐れ入りますw
確かに戦後教育は国文をおろそかにして理科系ばかりを重視していますね。小生も子供の時もっと習字と筆記を習う機会があれば良かったのにと思っておりますが、親も教育も自分では選べないので運命だったと考えるしかありません。

お父さんの年齢から判断して小生より10〜20歳古い世代だとお見受けしましたが、その当時はちゃんと学校で国文教育がなされていたのでしょうか。それとも家庭の事情で特別に良い教育を受けたのか、いずれにせよ国文軽視理科系重視の教育を受けた世代としてはゴイムになってしまったのも自分ではどうする事も出来ない運命であり、長文を読むのが苦痛なのは事実なので配慮をお願いしたいとしか言えませんね。

40. 2018年8月22日 17:08:15 : N5sEgV5Lys : gJDc90AKsFQ[503] 報告
訂正:

ゴイムは複数形で、単数形はゴイでした。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B4%E3%82%A4

加えて、綴りはそれぞれ goy と goyim でした。

正しくは:
You are a goy.

でした。

(ジョークなので真に受けないでくださいね・・・)

41. 豊岳正彦[113] lkyKeJCzlUY 2018年8月23日 20:50:02 : AKB67GaCh2 : rOxK_DunrP0[114] 報告
「いつも長文投稿掲載ありがとうございます」 (豊岳正彦)
2018-08-23

阿修羅管理人さんいつも長文コメントを掲載して頂きありがとうございます。

投稿文字数無制限ブログ開設しました。

「豊岳正彦の無有万機公論」
http://hougakumasahiko.cocolog-nifty.com/blog/

今後とも長文投稿をどうかよろしくお願い申し上げます。

豊岳正彦@修道学園27期生 拝

42. はろー[1388] gs2C64Fb 2018年9月04日 23:15:27 : ElaG0yCnEA : vxAU9UUmq00[4] 報告
>>35 コメントルールによると、自分のサイトに誘導したり自分のブログやサイトのリンクを貼ったりは禁止らしいです。しかし、こちらの豊岳さんの場合は管理人さんというよりポスト先生がふところが深いところがあるからか許可になったのかもしれませんね。


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