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ローマ帝国はこうして滅びた
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投稿者 中川隆 日時 2020 年 9 月 29 日 10:21:00: 3bF/xW6Ehzs4I koaQ7Jey
 

(回答先: イランの歴史 投稿者 中川隆 日時 2020 年 1 月 12 日 10:03:25)

ローマ帝国はこうして滅びた

労働は外国人にやらせ、戦争はアメリカにやらせ、生活はベーシックインカムで
2020.09.29
https://blackasia.net/?p=20464


帝国の国民は衆愚主義に染まって堕落する。衆愚の「愚」は、もちろん「愚か」であることを意味している。「パンとサーカス」を与えるのが衆愚政策であり、それで皮肉にも政治が安定し、文化は爛熟して芸術も花開く。しかし、その爛熟は崩壊の兆しでもある。では、現代人はローマ帝国やら大英帝国の教訓から学んで「パンとサーカス」にうつつを抜かさない人生を送っているのだろうか。(鈴木傾城)


労働は奴隷、戦争は傭兵、娯楽は自分

ローマ帝国は世界最強の帝国だった。しかし、この強大な帝国も自壊していった。なぜか。国民が豊かさに酔い、傲慢になり、苦労や苦痛を避け、食べることと遊ぶことだけに夢中になっていったからだ。

ローマ帝国の市民たちは、国が強大になるにつれて、次第に働くことも戦うことも嫌うようになった。労働はつらい。戦争はもっとつらい。誰もつらいことをしたくない。そこで、その「つらいこと」をアウトソーシングするようになった。

具体的に言えば、面倒くさい「労働」はすべて奴隷にやらせた。そして戦争は傭兵にさせた。そして自分たちは、たらふく食って与えられた娯楽で楽しんで贅沢三昧に人生を過ごしていたのである。

「たらふく食う」というのは比喩でも何でもない。貴族階級はたらくふ食うために宴会に6時間以上もかけていた。

世界中から掻き集めた奇妙な珍味を集めて食べて食べて食べまくり、食べきれなくなったら嘔吐してまた食べるのが通例となった。嘔吐するための道具すらも最初から用意されていた。上から下までそれくらい「たらふく食っていた」のである。

労働は奴隷に。
戦争は傭兵に。
娯楽は自分に。
生活費は政府に。

この娯楽は「サーカス」と評された。コロッセオでは猛獣同士を死ぬまで戦わせたり、猛獣や犯罪者と剣闘士(グラディエーター)を戦わせたり、奴隷同士を死ぬまで戦わせたりしていた。

あるいは、犯罪者の公開処刑も「娯楽」として開催されていた。それは、食って寝るだけで何もしないローマ帝国の市民たちの暇つぶしだったのだ。朝から晩まで、いろんな「催し」があって、ローマ市民はそれを見て喜んでいた。

もちろん、売春も大っぴらでフォークやナイフや容器もセックスの絵で満ち溢れ、売春宿のマークは男性器だった。

栄華もすべて消え去って歴史の藻屑に

この享楽的なライフスタイルが蔓延することによって、強大だったはずのローマ帝国は次第に軍事費や贅沢な施設の維持費で莫大な財政赤字を計上するようになり弱体化するようになる。

しかし、ローマ帝国は延々と市民に社会保障を与えていた。そうすれば、国民は政治のことなど考えず、自分たちの地位は永遠に安泰だったからだ。それは今で言うところの「ベーシックインカム」に近い。

これはもちろんローマ帝国の財政を蝕んでいく元凶と化した。しかし、ローマ市民は膨れ上がる財政赤字にも危機感を抱かなかった。「パンとサーカス」で忙しくて、誰も国がどうなるのか考えていなかったからである。

支配者が与えてくれた「パンとサーカス」で、完全に人間としての資質を台なしにされてしまっていた。もはや、食べて、遊んで、セックスに狂って、寝ることくらいしか関心がなくなっていたのだ。

結局、どうなったのか。

強大だったはずのローマ帝国は没落して東から台頭してきたオスマン帝国に占領され、国は分裂し、贅沢三昧は吹き飛び、栄華もすべて消え去って歴史の藻屑と化した。何もかもなくなった。

オスマン帝国は武装集団だった。自ら馬に乗って戦い、ローマ帝国の領土をどんどん侵食していった。ローマ帝国の兵士は傭兵だったが、傭兵は金で雇われているので形成が不利になったらすぐに戦場を放棄して逃げる。自国の防衛を傭兵で固めたローマ帝国が勝てるはずもない。

支配者層が国民の歓心を得るために「パンとサーカス」を与え、それを支えるために財政赤字が膨らみ、労働や防衛という大切なものも他にアウトソーシングするようになったら、もうその国は終わりだということになる。

労働を避け、遊ぶことしか考えず、ベーシックインカムみたいなもので国から養ってもらうのが当たり前みたいな考え方をし、労働みたいなものは他所から連れてきた奴隷(移民)にやらせる。

ローマ帝国はそれをやって国を滅ぼした。

国民を馬鹿に仕立て上げる

国民が政府の与えてくれる福祉に寄りかかり、政府が国民の人生の「揺りかごから墓場まで」面倒を見るようになって衰退していく例は「7つの海を支配した」と言われる強大な大英帝国も同様だ。

支配者層は自分たちの権力基盤を強化するために、「国民の歓心を得て、同時に政治を忘れさせる」という方策を取る必要がある。そのために何が効果的なのかは、すでにローマ帝国が手本を示している。

国民には「たらふく食わせ、娯楽を与える」ことで自分たちの支配基盤を高めるのである。

これを「衆愚政策」という。

為政者にとっては、自分たちの権力や政治に目を光らせて不正や汚職を批判してくる「聡明な国民」は邪魔なだけである。政治に関心を持って、不正を許さない反骨精神を持った市民は脅威なのだ。

だから、自分たちの権力を維持するためには「国民が馬鹿な方が都合がよい」という発想になる。自分たちに刃向かわないように働かなくても飢え死にしないようにして、後は娯楽で腑抜けにさせていく。

この発想に基づいて、国民を「積極的に馬鹿に仕立て上げる」のが衆愚政策だった。馬鹿は統治しやすい。そういう意味だったのである。

人間は時に気晴らしが必要だし、たまには暴飲暴食もしたくなれば、おいしいものも食べたくなる。しかし、連日連夜のようにグルメにうつつ抜かし、娯楽にまみれていると、それが人間の資質を破壊してしまうのはよく知られている。

さらに働かなくても福祉やらベーシックインカムなんかで食べていけるというのであれば、なおさら人間が駄目になる。

ローマ帝国は為政者が国民の歓心を買うためにそれをやったのだが、馬鹿げたことに大英帝国もまた最終的には同じことをやって国を衰退させた。

働かないで、何でもかんでも国に面倒を見てもらう「怠けた国民、だらけた国民」を増やすことによって国は滅びていった。

インドの貧困層の女性たちを扱った『絶対貧困の光景 夢見ることを許されない女たち』の復刻版はこちらから

愚かさが忍び寄って操られる
ろくに仕事をせず、娯楽ばかり追い求め、生活も社会保障もみんな国におんぶに抱っこで自分は何もしない。為政者も国民が政治に不満を持って暴動やら抗議を起こさないようにひたすら国民を甘やかす。

だから、帝国の国民は衆愚主義に染まって堕落する。衆愚の「愚」は、もちろん「愚か」であることを意味している。

「パンとサーカス」を与えるのが衆愚政策であり、それで皮肉にも政治が安定し、文化は爛熟して芸術も花開く。しかし、その爛熟は崩壊の兆しでもある。

では、現代人はローマ帝国やら大英帝国の教訓から学んで「パンとサーカス」にうつつを抜かさない人生を送っているのだろうか。

私たちはグルメだ、遊びだと、騒いでいないだろうか。現代の衆愚政策は「3S」で成し遂げられると言われている。3Sとは「スポーツ、セックス、スクリーン」のことだが、スクリーンというのは「映し出されるもの」の象徴だ。

映し出されるものは、映画であったりテレビであったりゲームであったりスマートフォンだったりするのだが、それはすべてディスプレイやモニターを介して手に入れる娯楽である。

朝から晩までテレビの前に座って痴呆化していく老人を見ても分かる通り、スクリーンは実に強烈な衆愚政策の道具となりやすい。テレビなどはまさに現代のサーカスであるとも言える。私たちはこんなものに溺れていないだろうか。

社会は多くの「パンとサーカス」、すなわち贅沢やら娯楽を提供してくれており、それはとても魅惑的に見えるのかもしれない。自分を夢中にしてくれるかもしれない。

しかし、「パンとサーカス」にどっぷりと溺れて抜けられなくなっていくと、やがては愚かさが忍び寄って操られるだけの人間になっていく。「パンとサーカス」は罪のない顔をしてやってくる。

しかし、それに浸ると、ドラッグ依存症の患者のように人生を破壊されていく。それは、罠だったのである。

日本はどうだろうか。キツい労働は外国人の移民にやらせ、軍事は「戦争反対」とか言ってアメリカにやらせ、自分たちは「政府はベーシックインカムを実現しろ」とか言って娯楽に狂っていないだろうか?

労働は外国人にやらせる。
戦争はアメリカにやらせる。
娯楽は自分が楽しむ。
生活費はベーシックインカムで。

もし、そういう社会を実現しているのであれば、日本の将来はかなり暗いことになるのではないのだろうか?
https://blackasia.net/?p=20464  

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コメント
1. 献血中毒者[44] jKOMjJKGk8WO0g 2021年2月03日 23:59:56 : m6yGZ8vWBo : U1dYV1J6M2NDd28=[44] 報告
>全体

 どうあがいても、やるせなさを晴らすためのサラリーマン川柳を投書して掲載された事実を密かに噛み締めることだけが唯一無二の娯楽だったドミノ都市群が、とある公害を大幅に超えたいつぞやの某天▽館のような指定感染症1類レベルの異臭とともに生物兵器のごとき"欲を煽る薬剤"を突如として『バトロワ1』の冒頭で散布させられた"青燐の一夜"事件により『無職強制収容所』を経た『食糧人類』な歓楽都市になってしまった某M.M.O.のユールモアにしか見えないのだが…自身が知っている時代よりも後の様相なのだろうな。

>売春宿のマークは

 昔、"閉塞された世界の中でメインシナリオ編が終わると仲間が次々と人格崩壊を起こしていく(個人的には伝説の)RPG"のモチーフとなったであろう某大陸にて全身に青燐水をぶちまけれた挙げ句性別すら判別不可能な損壊状態で放置された謎の焼死体事件の調査をしていた。その際、やむを得ずサイコメトリーで足跡を辿ったときに必ず遺言として認識できた内容は『n...uきやにいk』だった。暫定的に事件現場を『吹屋(吹き矢を転じて)』と定義した。その背景に関しては、竹筒に痺れ粉あたりの毒の小針を仕込んで、某永遠の7歳児による"時計台の"盤面を向けて相手の背後から首筋を狙い打ち、『パーマン』で描写されていた某略奪惑星の要領でワンマンショーでも催すものだと仮定していた。

だいぶ後になって色々食い違ったようだったが、そのおかげで脳内物理演算持ちがデフォルトで、上の耳に発信器(ビーコン)付きのタグを無理やり穿たれないように戦闘力を研鑽するしかなかったことで何度となく凍蝶endを迎えてしまったハイパーボリア人集団による祭endが充足されたものだった。

 外に出ることができない自身の住民たちが手作りしたescapeGhost用のサウナスーツを元にしたナマズスーツも必見。

>世界中から掻き集めた奇妙な珍味

 それはあれだろう。資金力の乏しくなった紫禁城の出入口あたりで100年ものの梅干しよりも歴史のあるピクルス漬けになっているという例の…

>衆愚政策

 この居住区に於ける衆愚政権にとっては、全力ばたん級の『パンとサーカス』を浸透させたつもりなのだろう。だが、どうやら"塞の河原に突如としてやって来たクラフター集団"が洋裁の成果物を無償配布し出しただけでなく積み上げた石を固めて要塞を作り出してしまった事件の主犯格の尊称として拝命された(他称)"算術士"持ちの"曲芸師きょうだい"として進撃してしまった集合体恐怖症や醜悪恐怖症ではなく、潔癖症(不潔恐怖症)持ちの方には通用しなかったようだ。

○遺稿

 先日、原初世界のダラガプから独裁政権を成り立たせるために全世界の生きとし生ける意思と御魂を有した存在に対して無差別に脳内へ押し流していた『channel(チャネル)』と仮称したヴゥードゥー現象に対する抵抗勢力として打ち立てられた、幻術師ギルドマスターもしくは角尊にしか修得できない『マスヴィジョン(多影幻視鏡)』を、

学習障害なガンスリンガー機関車ではない、ロシアンブルーとして時を渡った発明家の持ちうる科学技術で応用した通称マスメディア(2channel)を、さらに民間人向けにダウングレードした世界線5週目を意味する現代での5channelにて、コメント欄に余裕が大幅に残されているのにも関わらず『ERROR:あなたはこのスレッドにはもう書けません。(🐙タコマーク)』が鬱陶しいルール違反な広告群と同様に差し込まれて久しい。

 何度も同現象に見舞われたことから、今後も自身の遺稿を刻むことは叶わないと判断したことから、大事な板面を間借りしてでも、コンテンツ産業の先行きを憂いた現状のみに言及しただけの中途半端な状態だった松の内の書面を追記させていただこうと感じた。当該書き込みにアクセス規制が掛けられていることを考慮して、一度記載した内容と全く同じ文面に関しては、再掲載をさせていただきたい。

-----以下、再掲載分-----
50 夢を捨てた無意識研究者 sage 2021/01/14(木) 18:50:24.75 0
献血中毒者は、かく語りき。

とあるゲーム事業の…2010年4月に「障害者の雇用の促進等に関する法律」の定める特例子会社を設立したことにより、情報倫理の遵守と規律の乱数処理化が頻発することになった企業様より、新年の挨拶をいただいた。

その際、『エンターテインメント』の行く末を考えた。遊ぶ先の閉ざされた人民にとっての最後の砦なのだろう。文面のみならず筆者の懐の広さに頭が上がらないものだ。

ここ3年、ニアショア、オフショア等を無理やり人員として組み入れるための水増し業務を下支えする大惨事(情報)産業についてはこれでもかと非難を繰り返してきたが、この業界は(一部のお国柄を除き)全く非難すべき要素がないと感じる。

PCやゲーム機器等のハードウェアを初期投資するだけで、後は、展開されている…驚くほど安価で指先と脳の機能訓練に最適かつ時代背景やギミックひとつとっても優秀な教材として機能する再帰的(リカレント)かつ再使用可能性(リユーサブル)なソフトウェアコンテンツを正規の手段で得さえすればその恩恵をふんだんに受けられるのだ。

現代ではただの消耗財として扱われているようで嘆かわしい限りだが、サイバーダイブによる『催眠療法』では限界だった性的虐待被害者たちにとっては、コカインはおろか事前学習の要らない『自由連想法』の大いなる助けになったものだ。

永く付き合えるコンテンツ産業に対して、ウォーターフォールやアジャイルよりも…最もやってはならないイテレーション状態でプロジェクトを進めざるを得なくさせられていて久しい。その現状は、情報産業を野戦病院と例えるならば…応急処置or精神分析技能ロール可能なプレイアブルキャラクターが存在しないことと同義だろう。
-----再掲載【終】-----
いつぞや、情報コンテンツ産業の最も消耗材として扱うべきではないファンタジーを主軸としたゲームは――価値観の狭められたユートピアではない社会に於いて"行く皮"財布のキャッシュフロー"(流れ)は絶えず"予後の貯蓄を食い潰す勢いで選択権のない浪費を余儀なく選択させられるように"して"家族を養わされるという枷をはめられた逃げ場のない――男性のために創られたものだという旨を投じた。だが、そこから…手加減用の杖以外に興味がなかったどこかの冷たい妖精王のように、うっかり風脈に乗ってしまうといつまで経っても復興中の蒼天のごとく天望を仰ぐことができなくなりそうだから、地脈あたりにもぐっておこう。

端的に告げると、いっそのこと『フリ―メイソン的な大人のコンテンツ』を目指してみては如何だろうか?

具体的な内容としては

・世界規模となったパッケージコンテンツのプレイヤー層に加え、ご新規様かつ、せめてフリートライアルを超えた特定のストーリー進行度(酷すぎるミリしらシリーズのような悲劇を引き起こさない程度の世界観に対する理解とキャラクターに対する愛着形成の素地ができた妥当だと思われる頃)によって解放される新コンテンツとしてのR20枠を設ける

・見た目が年寄りだと思って舐めて掛かったら逆に門下生にされたヤサグレ者の小話や、竜騎士が竜に炙らせたという超冒涜的なスルメイカの小話のような『○○秘話』シリーズ以外の公式コンテンツを、むしろ、握られる宛のない御魂のジャックポットという名のヤマト砲を暴発させない程度に刺激する『大人の読み物』をプロダクトローンチとしてリリース
 →敢えてローンチ動画を作成しないで現行版のコンテンツをプレイさせながら、プレイヤーサイドの…紅蓮版ヒンズースクワット(筋トレ)ではなく読解力という名の『構造的思考』を鍛えておく

・壮大なプロット構成能力が前提となるが、FF7ACあたりで採用されていたというモーションキャプチャー技術(Vジャンプ参照)があるのだから、誰か有志を募ってでも10/96程度は纏められるであろう網羅的な本番体勢と、場面にあった台詞回しくらいはアドリブしてもらって何本か撮影して、テクスチャー技術班に後を託しておく
 →無論、感染症対策は…今は亡きプロテスに代わるウォールラテックスあたりに頼りながら術的に完備した体で何とかする)

・コンテンツに対する感想をSNS的に求めたところで飴よりも鞭の方が多そうだから、毎回愚痴の多そうな『ハウジング混雑問題』を解決するついでに既存のメールフォーム限定でプロジェクト担当者(主にプロット構成班と技術班)と直接やり取りする
 →特典として、電子媒体を含め口外しないことを条件にメールフォームから直接追い出し予定情報をリークしたり、色味のあるファンタジー要素を大幅に逸脱しない程度にはシチュエーションや場面の要望を組む。ただ、SLA(サーピルレベルアグリメント)の水準をそれとなく引き下げられないように従業員を守るためにも『一物一対(1回は1回の殴り合い的なレスポンス頻度)』型のやり取りに留めておく

先行きが黎明となることを願うばかりだ。
-----追記【終】-----

2. 2022年5月02日 13:08:21 : pPnJTI3VXA : RjBab21TUXpYUE0=[4] 報告
雑記帳
2022年04月30日
本村凌二『剣闘士 血と汗のローマ社会史』
https://sicambre.seesaa.net/article/202204article_31.html


https://www.amazon.co.jp/%E5%B8%9D%E5%9B%BD%E3%82%92%E9%AD%85%E3%81%9B%E3%82%8B%E5%89%A3%E9%97%98%E5%A3%AB%E2%80%95%E8%A1%80%E3%81%A8%E6%B1%97%E3%81%AE%E3%83%AD%E3%83%BC%E3%83%9E%E7%A4%BE%E4%BC%9A%E5%8F%B2-%E6%AD%B4%E5%8F%B2%E3%81%AE%E3%83%95%E3%83%AD%E3%83%B3%E3%83%86%E3%82%A3%E3%82%A2-%E6%9C%AC%E6%9D%91-%E5%87%8C%E4%BA%8C/dp/4634482215


 中公文庫の一冊として、中央公論新社より2016年9月に刊行されました。電子書籍での購入です。本書はおもに帝政期の剣闘士競技に焦点を当てたローマ社会史です。本書の構成でまず驚かされるのが、冒頭で剣闘士ミヌキウスの手記を長く紹介していることです。架空の剣闘士(だと思います)ミヌキウスの手記を「訳す」という体裁は、根拠となる史料が後に明かされているとはいえ、歴史書というよりは小説・物語と言うべきでしょうが、当時の剣闘士の在り様を浮き彫りにできているという点で、成功しているように思います。著者のような大家でなければできないというか、編集者に許されることではないかもしれませんが。

 剣闘士の起源については大別すると2説あり、一方はエトルリア人起源説、もう一方はカンパニア地方起源説です。本書は後者のイタリア半島南部起源説の方が妥当だと推測しますが、いずれにしても、ローマ帝国のずっと前より剣闘士競技は行なわれていました。剣闘士競技は元々、葬儀との関連が強かったようです。これは、葬儀に伴う人身犠牲との関連が指摘されています。ローマにおける最古の剣闘士競技は、紀元前4世紀にまでさかのぼるようです。葬儀慣行の一環として励行されていた剣闘士競技は、ローマにおいて次第に世俗化していき、それは大規模化していったことからも窺えます。本書はその契機として、戦没者に限らず故人となった父祖に奉るようになったことと、故人を何度も供養するようになったことがある、と指摘します。すでにこの世俗化傾向は初期から見られ、紀元前2世紀には専業化した剣闘士が存在しました。

 剣闘士競技は紀元前1世紀には共和政期ローマにおいてすっかり定着し、公職選挙のために有力者が積極的に開催するようになります。世俗的な催しとしての剣闘士競技の完成は、野獣狩りが剣闘士競技の添物として登場した時だろう、と本書は推測します。一方で、見世物として剣闘士競技が派手になることを国家秩序の脅威と考える人々は少なくありませんでした。帝政期の剣闘士競技には、公職選挙のための意味合いは実質的に失われていましたが、政治的基盤の弱い皇帝にとって、民衆の支持を得られる剣闘士競技は重要でした。そうした中で、紀元後80年にはローマでコロッセウム(円形闘技場)が建設され、これ以降、ローマ帝国の各地でコロッセウムを模範とした円形闘技場が建設されていきますが、その範囲はローマ帝国のおもに地中海沿岸部と南部の諸都市で、これは、内陸部のケルト系住民が都市集落化しなかったからだろう、と推測されています。

 見世物としての剣闘士競技が現れた紀元前2世紀には、武装型はサムニウム闘士とガリア闘士の2種類だけで、これは剣闘士の起源が戦争捕虜であることを反映しています。剣闘士興行の初期の剣闘士の起源は戦争捕虜でしたが、その供給源として罪人や奴隷もいました。一方で、借財のためや剣闘士競技自体に惹かれて剣闘士になる自由人もいました。剣闘士の中でも上位と評価される者のなかには、少なくとも軍人並の自由を得ていた者もいたようですが、本書はそうした剣闘士が例外的存在だった可能性を指摘します。剣闘士の武装型には、上述の初期の2種類以外に、網や弓矢や騎馬や戦車もありました。

 剣闘士競技がひじょうに危険であることは間違いありませんが、正確な死亡率の推定は史料の残存状況から困難です。本書では、具体的に取り上げられた紀元後1世紀の32例のうち6例で死者が出ています。ただ、それから200年後には、死亡率がかなり高くなっていたようです。剣闘士競技は、死亡率が高いものの、興行維持のためには新人を勧誘しなければいけないわけで、最初の数回を生き延びて経験を積んでいったものは、死なずにすむ確率が高まります。本書はそうした点を考慮して、紀元後1世紀の剣闘士は、10人のうち1人は生きて剣闘士を辞めることができたのではないか、と推測しています。じっさいに剣闘士が戦う頻度は、1問に数回程度で、回数はほとんどが20戦以下、死亡年齢はほとんどが30歳以下と推測されています。

 このような危険を冒してまで剣闘士競技が行なわれたのは、それが広く人々に支持されていたからですが、本書は、剣闘士競技が衰退した理由に、その歴史的・社会的意味を見出しています。上述のように、元々ローマでは、剣闘士競技には当初から批判もありましたが、それは剣闘士競技を中止させる大きな力にはなりませんでした。キケロなど剣闘士競技への批判者の中には、剣闘士競技の精神修練としての効用を認める者もいました。つまり、剣闘士競技は非情で残忍ではあるものの、苦痛や死から目を逸らさないという、戦場で必要な心構えの鍛錬になる、というわけです。剣闘士競技の衰退は、キリスト教の公認が原因との見解は有力かもしれませんが、本書は、キリスト教は剣闘士競技だけではなく見世物全般を批判し、とくに強い批判対象とされたのは演劇で、剣闘士競技の批判においてキリスト教はさほど際立っていたわけでなかった、と指摘します。本書は、紀元後3世紀には剣闘士競技の死亡率は高くなり、もはや自由身分の志願者はほとんどおらず、戦争捕虜の占める割合が高くなり、殺すか殺されるかの殺し合いとなって、高度な技術で張り合う競技ではなくなっていた、と推測します。

 本書は、末期の剣闘士競技は殺人場面と死骸だけが興味をかき立てる異様なものになっており、それはローマを支えた「軍国精神(共和政ファシズム)」のなれの果てだった、と指摘します。共和政期ローマでは、指導者も民衆も好戦的熱気を維持することで、ローマを守り、拡大させました。これが「共和政ファシズム」ですが、独裁に向かいやすいファシズムは、独裁を憎むローマにおいては短期間で独裁が成立しなかった、というわけです。この独裁政の成立により、皇帝にとって剣闘士競技のような民衆の好戦的気運を煽るような見世物は必要なくなり、皇帝にとって民衆は慈しむ存在となります。紀元後404年にはホノリウス帝が剣闘士競技の廃止を命じ、紀元後5世紀半ばには剣闘士競技はすっかり廃れてしまいました。本書は、カエサルとアウグストゥスにより提唱された「国父の慈愛」が肯定支配の理念となり、剣闘士競技衰退の一因になった、と指摘します。

https://sicambre.seesaa.net/article/202204article_31.html

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