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大林宣彦 22才の別れ Lycoris 葉見ず花見ず物語 (角川ヘラルド映画 2007年)
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/1048.html
投稿者 中川隆 日時 2021 年 4 月 01 日 22:38:23: 3bF/xW6Ehzs4I koaQ7Jey
 

(回答先: 大林宣彦 なごり雪 (大映 2002年) 投稿者 中川隆 日時 2021 年 4 月 01 日 22:30:40)

大林宣彦 22才の別れ Lycoris 葉見ず花見ず物語 (角川ヘラルド映画 2007年)



監督・編集:大林宣彦
原案:伊勢正三
脚本:南柱根、大林宣彦
音楽:山下康介、學草太郎、伊勢正三
撮影:加藤雄大
配給 角川ヘラルド映画
公開 2007年8月18日


『22才の別れ Lycoris 葉見ず花見ず物語』は、2007年8月18日に公開された大林宣彦監督の日本映画作品。大林の大分三部作の第2作である。『なごり雪』に続き伊勢正三作詞・作曲の楽曲「22才の別れ」をモチーフにして、母娘二代にわたる恋の物語を描く。


伊勢正三の出身地である津久見市で撮影が行われたほか、前作の主な舞台であった臼杵市、大分市などでもロケが行われている。


この作品は、南田洋子が芸能活動休止前に最後に撮影に臨んだ映画となり、結果的に映画作品の遺作となった。


キャスト


筧利夫(川野俊郎)
鈴木聖奈(田口花鈴)
中村美玲(北島葉子)
窪塚俊介(浅野浩之)
寺尾由布樹(若き日の川野俊郎)
細山田隆人(相生)
岸部一徳(医師)
山田辰夫(配送センターの人)
三浦景虎(配送センターの人)
立川志らく(電話を取り次ぐ男)
斉藤健一(藤田有美に恋する男)
小形雄二
河原さぶ(警官)
中原丈雄(配送センターの人)
蛭子能収(車を運転する人)
左時枝(ケーキ屋の店員)
根岸季衣(俊郎の母)
南田洋子(田辺恭子) ※遺作
峰岸徹(松島専務)
村田雄浩(花鈴の父)
三浦友和(杉田部長)
長門裕之(やきとり屋甚平)
清水美砂(藤田有美)



撮影協力:大分県、大分市、臼杵市、津久見市、竹田市、福岡市、大分市ロケーションオフィス、大分市教育委員会、福岡フィルムコミッション、別府市観光協会 津久見市教育委員会、津久見市観光協会 ほか


ロケ地


JR九州日豊本線日代駅 - 劇中の東津久見駅
津久見市立日代中学校 - 劇中の津久見美浜高校
七ツ森古墳群 - 大分県竹田市


https://ja.wikipedia.org/wiki/22%E6%89%8D%E3%81%AE%E5%88%A5%E3%82%8C_Lycoris_%E8%91%89%E8%A6%8B%E3%81%9A%E8%8A%B1%E8%A6%8B%E3%81%9A%E7%89%A9%E8%AA%9E
 

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コメント
1. 中川隆[-6094] koaQ7Jey 2021年4月02日 19:14:59 : Ft8UfP6Ll6 : dnpvazRXendDazY=[50] 報告
大林宣彦監督【OBsワールド】コミュの【ロケ地発見!Vol.2】『22才の別れ−Lycoris 葉見ず花見ず物語−』in大分
https://mixi.jp/view_bbs.pl?comm_id=1947264&id=22711281


【ロケ地発見!Vol.2】『22才の別れ−Lycoris 葉見ず花見ず物語−』in大分

mixiユーザー
2007年10月21日 14:35

大林映画【ロケ地発見!】第2弾は、
8月25・26日「ふるさと風の映画学校」にて参加の大分県より、もちろんカチンコ『22才の別れ−Lycoris 葉見ず花見ず物語−』のロケ地を紹介わーい(嬉しい顔)

映画では、主人公<川野俊郎>の過去をセメント工場で削られた山肌の白と海に見る青が映える<津久見>で、花鈴と運命的に出会う現在を<大分市内>。そして、花鈴の<ふるさと>として描かれた<臼杵>等で撮影されました。

まずはカチンコ『なごり雪』でも描かれた情緒溢れる風情の残る<臼杵市内>から、

カメラ左:少しロケ地紹介から外れますが、ここは市の中心地にもあたる<辻ロータリー>にある<かぼす工房>。お店では黄かぼすのソフトクリーム等が食べれます。看板には昨年まで映画『なごり雪』が描かれていましたが、ここから大林映画の世界が始まると言った感じがします。

カメラ中:アーケードを取り外し昔の風情を取り戻した<八町大路>にある<サーラ・デ・うすき>。映画のラストに美しく描かれる竹宵のシーンが撮影されました。

カメラ右:ご存知『なごり雪』雪子の家。雪が撒かれた場所は駐車場で、チラシ・ポスターにもなった家壁もここです。そして直ぐ近くに有るのが<花鈴の家>で、ここは約200年の歴史ある武家屋敷。昨年の「映画学校」でも案内していただき、玄関口にも入らせていただきましたが、伊勢正三さん直々の指導による「22才の別れ」をギターで爪弾く父親役の村田雄浩さんは、本当にかっこよかったです。わーい(嬉しい顔)


1
[1] mixiユーザー
09月09日 15:43

続いて、大分市内から。
ここでのロケ地めぐりは、パンフレットに詳しく紹介されており比較的簡単にまわれます。

ロケ地の3大テーマは「電車」「公園」「ラーメン」。電車鉄道を趣味にしている主人公と、大分駅周辺にたくさんある公園。そして九州はラーメンが有名と、何度となくスクリーンに登場します。

カメラ左:花鈴のアパートに繋がる道で、大分駅の直ぐ近くの踏み切りです。映画と同じ形の特急列車を撮影待ちしていたのですが、3度目の諦めた後に走ってました。わーい(嬉しい顔)

カメラ中:俊郎と有美が佇む公園<若草公園>。街中に咲く一輪のリコリスが印象的でした。大分県内には蒸気機関車が展示されている公園が何件かあるようですが、ここもそのひとつで昭和12年に製造され46年までの34年間日豊本線で活躍した<C55型蒸気機関車>が展示されています。俊郎の落ち着く場所だったのかな?るんるん

カメラ右:俊郎の住むマンション前にある公園で、花鈴との出会いの場所<ふたば公園>クローバー。蝋燭を燈すシーソーが現実に存在し、実際に真似をする人もいたとか。でもコンビ二はありませんでした。わーい(嬉しい顔)

[2] mixiユーザー
09月11日 22:01
そして、昨年8月26・27日の「映画学校」課外授業より<津久見市内>のロケ地を紹介。

カメラ左:主人公<川野俊郎>が少年時代を過した家。
映画同様駅に面しており、2階の窓からはホームに電車が見えます。この環境なら「鉄道マニア」にもなるだろうなぁ〜。

2階の部屋には監督、根岸季衣さん、寺尾由布樹さん、中村美玲さんのサインが書かれた3枚の色紙が置かれていました。
カメラ中:そして福良公民館前に置かれた「東津久見駅」の駅名板。
俊郎の家から見えた駅ですが、実際は「日代駅」。駅名板の裏には大林監督はじめ、俳優さんにスタッフのサインの寄せ書きえんぴつがされていました。
カメラ右:主人公が高校生の青春時代を謳歌し、映画では「津久見美浜高校」として映画された「日代中学校」。

俊郎(今年参加の寺尾さん)や相生(昨年参加でこの場にも同行された細山田隆人さん)がサッカーをした広いグランドに海と山に囲まれ、スクリーンでも映えた絶景のロケーション。この年既に全校生徒7人で、近々近隣の中学校と統合が予定されているようです。最後の雄姿が映画の中に残されました。

https://mixi.jp/view_bbs.pl?comm_id=1947264&id=22711281

2. 中川隆[-6093] koaQ7Jey 2021年4月02日 19:27:24 : Ft8UfP6Ll6 : dnpvazRXendDazY=[51] 報告
『22才の別れ Lycoris 葉見ず花見ず物語』:2007、日本

43歳の川野俊郎は、医者から非閉塞性無精子症と診断される。雷雨の中で傘も差さず歩き、コンビニで買い物をしていると、研修中の店員 ・田口花鈴が『22才の別れ』を口ずさんでいた。「流行ってるの、そんな古い歌?」と俊郎が尋ねると、彼女は「父が良く歌ってました」 と答えた。200X年、秋。福岡県福岡市、ドーンインターナショナル福岡支社。俊郎は松島専務から上海行きを促される。「3年頑張って、 それなりの業績を残してくれば、東京本社の取締役だな」と彼は言う。先輩の杉田部長ではなく自分が選ばれた理由について尋ねると、 「俺が目を掛けているってことよ」と松島は告げた。

俊郎は松島の秘書・藤田有美と一緒に、やきとり屋の甚平で夕食を取った。2人とも独身で、結婚したことは一度も無い。36歳の有美は、 親方の甚平に「3年後には子供を産んで会社を辞める」と宣言した。それは俊郎に向けた言葉だった。「貴方もね、子供が産まれたら」と 有美が話し掛けても、有美は何の反応も示さない。そこで彼女は話題を変え、「行った方がいいよ、上海」と微笑して告げる。

俊郎が自宅マンションに向かって歩いていると、公園で火を灯した蝋燭を何本も立てている花鈴の姿があった。彼女は「待ってたんです。 ここを通ること、知ってたから。私とエンコーしてください。クビになりました。今月の家賃払ったら、お金一円も無くて。母の命日なん です。それから私の誕生日なんです」と言う。彼女の田舎が臼杵市だと知り、俊郎は「僕も大分生まれだよ。臼杵の隣の津久見」と告げる 。家族について尋ねると、彼女は「父親はいるけど反対を押し切って出て来たから帰りたくない、弟も2人いるけど本当の兄弟じゃない。 義理のお母さんも死んじゃった」と話した。

俊郎は花鈴に「エンコーじゃなくて、いっそ嫁に来るか」と真顔で言う。それから「蝋燭、全部買うよ。今夜は僕のお祭りでもあるから」 と言って金を渡す。「どうすればいいの、私」と尋ねる花鈴に、彼は「吹き消すのさ」と答える。「それだけでいいの?」と訊かれ、俊郎 は「ああ。でもまた会おう。ここで会えるよね」と告げる。マンションへ戻った彼は、北島葉子の死を電話で伝えられた時のことを回想 した。葉子は臼杵の田口家へ嫁に行き、最初のお産の時に死んだのだ。葉子は花鈴の母親だった。

27年前、大分県津久見市、美浜高等学校。サッカー部の相生は人気者で、短歌愛好会の女子生徒たちは彼の活躍を眺めていた。相生が ゴールを決めると、葉子は「相生君、凄い」と言い、短歌を詠む。それを見ていた俊郎は、グラウンドを走り去った。放課後、自転車が 動かなくなった葉子が困っていたので、通り掛かった俊郎は直してやる。葉子は「ありがとう、俊郎君」と下の名前で呼ぶ。「今度なんか お礼するね」と言って去った。

クリスマス、俊郎は葉子が教室で編んでいたマフラーを相生が着けているのを目撃した。葉子は帰り道に待ち伏せていて、クリスマス プレゼントを俊郎に渡す。「いいの、俺なんかに?」と確認すると、彼女は「別に深い意味は無いのよ」と口にした。俊郎は急いで自宅に 戻り、包みを開ける。すると「知ってる?この赤い色。リコリスの花。わたしの大好きな花の色よ。でもみんなの前ではしないこと!」と いう手紙と共に、手編みの赤いマフラーが入っていた。

200X年。俊郎は建築現場で警備のバイトをしている杉田を目撃した。杉田は「同級生が警備会社やってて、出来る日があればやらせてやる って言われてさ」と告げる。彼は俊郎に、長男が就職に失敗してニートをやっていること、次男は才能も無いのにミュージシャン志望で女 とギャンブルにハマって借金まみれであることを語り、「例えわずかでも、稼げるものは稼いでおかないとな」と笑った。

有美は花鈴を連れて歩いている俊郎を見掛け、思わず隠れた。俊郎は花鈴を甚平へ連れて行き、焼き鳥を食べさせた。翌日、有美は会社で 俊郎に「若い子と遊んでるの楽しい?見掛けたよ」と声を掛けた。俊郎が真顔で「一緒になろうと思ってるんだ」と言うので、彼女は狼狽 した。上海行きの返事を迷っている俊郎は松島から急かされ、「お受けするつもりですが、もう少し猶予を下さい」と述べた。
帰宅した俊郎は、花鈴に「向こうへ行って落ち着いたら呼び寄せるから。3年経って日本へ戻ったら、どこかへ君の店を出そう」と言う。 「でも私たち、まだキスもしてないのに」と花鈴が告げると、彼は「やらしい親父にはなりたくないから」と口にする。花鈴は「やっぱり 上海連れてって。そうしてもらいたい。あの人が死んじゃうからいけないの」と漏らした。俊郎は高校時代を回想する。彼は葉子と2人で 山へ出掛けた。墓地の周囲には曼珠沙華がたくさん咲いている。それがリコリスだ。葉子は「思うのはあなた一人」「悲しい思い出」と いう花言葉を教え、「葉見ず花見ず」の物語も話した。彼女は「決めたんだ。俊郎君が東京の大学へ行くのなら、私も一緒に行こうって」 と言い、俊郎は並んで写真を撮った。

200X年。有美は自分に好意を寄せる年下の男・小磯を誘ってデートへ繰り出した。その途中、彼女は花鈴が若い男と一緒にいるのを目撃 した。花鈴が男と別れた後、有美は尾行した。その夜、花鈴はたくさん買い物をしてくれた俊郎に、母親の記憶が何も無いことを話す。 「私があの人と一緒に死んだ方が、お父さんは幸せだったんだって」と彼女は口にした。後日、上海行きを承知した俊郎に、有美は花鈴の アパートの住所を告げ、「彼女、貴方に大きな隠し事をしてる」と恋敵の存在を教える。泣き出す彼女に、俊郎は病気のことを明かし、 「君の子供の父親にはなれない」と告げる。

俊郎が有美から教わったアパート「春風荘」へ行くと、花鈴は浅野浩之という青年と同棲中だった。浩之が出掛けるのを尾行すると、彼は 交通整理のバイトをしていた。その姿を見て、俊郎は自分が若かった頃を回想した。初めて配達のバイトに入った日、彼は担当区域として 多摩ニュータウンはどうかと責任者から提案された。ニュータウンへ赴いた彼は、一所懸命に仕事をこなした。最後に田辺恭子という老女 の部屋を訪れ、彼は仕事を終わらせて達成感に浸った。

200X年。俊郎はインターナショナル・スクールまで花鈴を送り、春風荘へ行って浩之を連れ出した。浩之は「誤解の無いように言って おきますが、俺と花鈴はただのルームメイトです。同級生なんでルームシェアしてるだけです」と説明する。「そんな言い訳が通用すると 思ってるのか」と俊郎が言うと、彼は「花鈴のお父さんもそう言いました」と告げる。「じゃあ花鈴のことはどう思ってるんだ。俺が彼女 を連れていってもいいのか」という問いに、浩之は「彼女から聞いてましたけど、そりゃ少しは寂しいです」と本音を明かす。

俊郎は浩之を甚平へ連れて行き、ビールと焼き鳥をおごって花鈴とのことを聞く。すると浩之は、高校時代から彼女のことが好きだったと 打ち明ける。しかし親しくなったことで、逆にそんな雰囲気じゃなくなったのだという。焼き鳥を食べながら、彼は「美味い、花鈴にも 食わせてやりたい」と泣く。俊郎が「今日のことは花鈴には黙っていてくれ。それから、花鈴にはもう食べさせた」と言うと、浩之は 「あいつのこと、幸せにしてやって下さい」と告げた。

帰宅した俊郎は、22年前を回想した。東京都内の下宿に間借りしていた彼は、葉子の22歳の誕生日を祝いたかった。しかし仕送り前で金が 無いので、ケーキを買えずに困っていた。するとケーキ屋の奥さんは、半額にしてくれた。下宿へ戻ると、待っている葉子は暗い表情 だった。彼女は「レコード持って来た」と言い、『22歳の別れ』を差し出す。「今日で私、22歳だもんね」と葉子は静かに告げた。俊郎が 「でも、別れは?」と尋ねると、「学生生活との別れよ。来年の春で卒業だもんね」と彼女は答えた。

葉子の「卒業したら、こっちで働くの」という質問に、俊郎は「ああ。あの会社、営業部で1年間試されて、そこで無難にこなせば、 やがて海外勤務も出来るんだって」と答える。「君はどうするんだ?化粧品会社の面接、上手くいったのか」と尋ねると、葉子は「私、 何だか疲れちゃった。東京には夢が無い。ただ人間が多いだけ。私、擦り切れて無くなっちゃいそう。帰ろうよ、津久見に。私、田舎が いいよ」と目を潤ませた。

葉子が「大きすぎるよね、東京って。迷子になりそう。貴方、どうしてそんなに元気にしていられるの?」と訊くので、俊郎は「疲れない ようにしているだけさ」と告げる。2人はケーキの蝋燭に火を付けたが、そこに幸福感は無かった。葉子は「私、もうボロボロ」と絞り 出すように言い、アパートを後にした。外は雷雨なのに、彼女は傘も差さずに歩いていった。それが、葉子を見た最後になった。部屋に 残されていた手紙には、「さようなら、田舎に帰ります」と記されていた…。

監督は大林宣彦、原案は伊勢正三〈22才の別れ〉より、脚本は南柱根&大林宣彦、製作者は鈴木政徳、エグゼクティブプロデューサーは 大林恭子&頼住宏、Co-プロデューサーは山崎輝道&安井ひろみ、撮影は加藤雄大、美術は竹内公一、照明は西表灯光、録音は内田誠、編 集は大林宣彦、美術協力は増本知尋、VFXスーパーバイザーは田中貴志、音楽は山下康介&學草太郎、〈22才の別れ〉詞・曲・歌・ ギター演奏は伊勢正三。

出演は筧利夫、鈴木聖奈、中村美玲、窪塚俊介、清水美砂、長門裕之、村田雄浩、峰岸徹、三浦友和、岸部一徳、左時枝、山田辰夫、 中原丈雄、蛭子能収、立川志らく、河原さぶ、小形雄二、根岸季衣、南田洋子、寺尾由布樹、斉藤健一、細山田隆人、大園麻領亜、大蔵愛 、越智巴、林えりか、宮原美雪、清水幸、小崎泰生、高橋和志、宮嶋剛史、三浦影虎ら。

『なごり雪』に続く、大林宣彦監督の大分3部作の第2作。伊勢正三の歌『22才の別れ』をモチーフにしている。

大まかに言うならば、『はるか、ノスタルジィ』のリメイクである。

俊郎を筧利夫、花鈴を鈴木聖奈、葉子を中村美玲、浩之を窪塚俊介、有美を清水美砂、甚平を長門裕之、花鈴の父を村田雄浩、松島を 峰岸徹、杉田を三浦友和、若き日の俊郎を寺尾由布樹、小磯を斉藤健一(お笑い芸人「ヒロシ」の本名)、相生を細山田隆人、医者を 岸部一徳、俊郎の母を根岸季衣が演じている。
鈴木聖奈と中村美玲には(新人)という表記が付いているが、これが映画デビューというわけではない。

前作『なごり雪』ではオープニング・クレジットで伊勢がギターを演奏しながら歌う様子が映し出されていたが、今回はクロージング・ クレジットで彼が登場して『22才の別れ』を演奏しながら歌う。

大林監督の中で、伊勢の歌唱シーンを盛り込むことに強い思い入れがあるのかもしれないが、ハッキリ言って邪魔。
あと、タイトルが無駄に長いよ。なんで単純に『22才の別れ』としておかなかったのか。

『22才の別れ』というタイトルに訴求力が無いとしたら、それを『22才の別れ Lycoris 葉見ず花見ず物語』にしたからって、観客が 魅力的に感じることは無いと思うぞ。

私は本作品より先に『転校生 -さよなら あなた-』を見たのだが、それと同じく斜めのアングルを使いまくっている。
あちらが最初から最後まで一貫して斜めアングルだったのに対し、それより先に作られた本作品では真っ直ぐな構図になるカットもある けど、斜めアングルのカットが大半だ。

そりゃあ主人公が抱える不安を表現するという部分では意味があるかもしれないけど、それ以外の部分でも平気で斜めのアングルを多用 する。
どういう意図なのか、サッパリ分からんよ。

映画が始まると、いきなり「これは悲しみを含むサスペンスなのか」というような音楽が流れてくる。
「ではこれより、ちょっと不思議な物語をいたしましょう。もちろん、戯れにです。」と俊郎がモノローグを語るのだが、その後に登場 する映像も、やはりサスペンスっぽい。
っていうか、どことなくホラーっぽい感じさえする。
病室なんて、まるでリアリティーが無いし、やたらと薄暗いし。

ホラーっぽい雰囲気の中、しかも医者から「非閉塞性無精子症」と診断される中で、『22才の別れ』のメロディーがインストとして流れて 来るので、「合ってねえなあ」と言いたくなる。

その歌が持つ物悲しさって、そういうモノではないし。
その後、「これからは遊び放題ってやつですね」という俊郎の問い掛けに医者が「はい」とニヤついてから瞬時に怖い顔になるとか、雨の 中を傘も差さずに俊郎が歩いていくという流れは、「主人公がショックを受けている」というより、ホラー的な演出だと感じる。
曲だけじゃなくて、挿入される効果音も、そんな感じだし。

病室だけでなく、花鈴がバイトしているコンビニも、停電中なのかと思ってしまうぐらい薄暗い。俊郎のマンションも薄暗い。 とにかく、どの場所も全て室内は薄暗い。
そんなに薄暗さにこだわった意味が全く分からん。どういう効果を狙ったモノなのか。

俊郎がコンビニへ立ち寄ったのに傘を買わないのも変だし。コンビニなら傘ぐらい売っているはずだもんな。
それに、そこで会話を交わしたのなら、花鈴が「傘はいいんですか」ぐらい訊くのが自然な流れじゃないか。

大林監督と言えば、「ファンタジー」と「ノスタルジー」の人だ。
しかし、この映画では珍しく、その2つの構築に失敗している。
公園での俊郎と花鈴のやり取りにしても、まるで現実味が無くてヘンテコではあるのだが、それを「大林ファンタジー」として描写できて いない。
いつもだったら、それがヘンテコであっても、何となく受け入れられるような雰囲気作りをやってのけるのが大林監督の持ち味なのに。

大林監督は、若手女優を魅力的に撮る能力と、若手女優を脱がせる能力に秀でた人だと私は思っている。

3部作の第1作『なごり雪』ではヒロインの須藤温子を「大林ワールドのヒロイン」として魅力的に撮っていたし、彼女は脱がなかった けど宝生舞がオッパイを見せていた。

それに比べると、今回は新人女優2人が全く魅力的に見えないし、誰も脱がない。
だから、大きなマイナス査定となる。

あと、新人女優の2人に関しては、そもそもキャスティングの段階で間違っていると思うぞ。

まあ鈴木聖奈がモッサリしているのは、髪型や眼鏡や服装の影響も多分にあるけれど。

主役を演じる筧利夫も、完全にミスキャスト。
そもそもキャラ造形にも問題があって、ほぼ無表情&無感情で、リアクションは薄くて、ずっと重苦しくて辛気臭い。

それに加えて、筧利夫が真顔で黙っていると、なんか怖いんだよ。常に無愛想で不機嫌な奴にしか見えない。

そうじゃなくて、黙っていても人の良さが感じられるような柔和なイメージのある人の方がいいでしょ。
そして大林組なら、それにピッタリの尾美としのりという役者がいるでしょうに。

俊郎に惚れている有美は、なかなか素直になれなかったり、ショックを隠して明るく振る舞ったり、酔っ払って絡んだりと、感情表現が 豊かで魅力的なキャラクターになっている。

彼女のキャラが面白いだけに、メインで進行する全く現実感も生命力も感じない虚ろな男女の物語は、ますます退屈で魅力の無いモノに 見える。
俊郎と花鈴のシーンって、ただ単に陰気な男女が中身のボンヤリした会話を淡々と続けているだけのモノになっている。
俊郎の心情は全く見えて来ないし。

何度か回想シーンが挿入されるが、そこから見えてくるべき俊郎と葉子の「愛の道程」も、ものすごくボンヤリしている。
そして現在の物語とのリンクも、やはりボンヤリしている。
現在の花鈴&浩之の置かれている立場と、俊郎&葉子の過去を重ね合わせようとしていることは分かる。

ただ、回想シーンのチョイスが悪いのか、俊郎と葉子は「学生時代に仲良くしてました」の後、急に「大学生になって東京へ出たけど、 貧乏のせいでギクシャクしている」というところへ飛んでしまうので、それこそギクシャクしている。

「強かった葉子が都会生活の中で弱くなってしまった」というのも、経緯が全く描かれていないから、なぜ彼女がそこまで東京に疲れて いるのか、まるで理解できないのだ。

だから、そこで「帰ろう。田舎がいいよ」と言われても、「都会に合わなかったんだね」とは思うけど、その別れに対して全く悲劇性を 感じないのだ。

「この時代に青春時代を過ごした人なら、わざわざ説明しなくても何となく共感できるでしょ」ということなんだろうか。
だとしても、やはり不親切だと思うぞ。

(観賞日:2012年2月1日)

http://www1.kcn.ne.jp/~pop/spcpm/j15n/22saino_wakare.html

3. 中川隆[-6084] koaQ7Jey 2021年4月03日 08:54:30 : jgSxyjNUpc : anNESFVpRHplbUU=[11] 報告
女子大学生の自殺、なぜ急増?動機別で「就職失敗・進路の悩み」が増加…曖昧耐性が大事に(Business Journal)
http://www.asyura2.com/21/hasan135/msg/256.html

2021.04.01 18:20 文=木村誠/教育ジャーナリスト Business Journal

 大学生の年代を含む15歳〜20代の死亡原因の第1位は依然として自殺となっており、特に20代は死亡原因の約半分を占めている。また、大学生の自殺数が減少していない。

 その点について、藤本昌さん(全国大学生協共済生活協同組合連合会・全国大学メンタルヘルス学会個人会員)は、次のように指摘する。

「身体の不調、言葉や態度に垣間みられる、自殺につながるSOSサインを見逃してはならない。簡単なことではないが、日頃からそう意識しておくこと自体が重要だ。大学生協では、全国大学メンタルヘルス学会・日本学生相談学会等でつながる方にご協力いただき、学生とともに『体と心の両方をサポート!健康チェック・メンタルヘルスの活動』を実施している。コロナ禍の今こそ、つながり合い、語り合い、助け合おう! という学生自身の強い気持ちが根底にある。

 すべての学生を孤立させずに、今いる場所で必要な人とつながることが『最強の自殺予防策』といえる。ぜひ、コロナ禍の学生を対象として実施された、全国大学生活協同組合会の2020年調査・2021年3月公表の『第56回学生生活実態調査』も併せてご覧いただきたい。『自殺予防のヒント」が隠れている、と考えるからだ」

 この調査結果なども踏まえて、大学生の悩みや生活の不安、それに起因する自殺の問題について考えてみたい。

■大学1年生に多い「友達がいない悩み」

 大学生の悩みについては、表1「日常生活の中で日頃悩んでいることや気にかかっていること」(第56回学生生活実態調査)を見てみよう。

「友だちができない(いない)・対人関係がうまくいかないこと」を気にかけているのは17.3%(前年比+6.0ポイント)。1年生34.5%(同+20.3ポイント)、2年生13.6%(同+0.8ポイント)、3年生10.1%(同+0.4ポイント)、4年生6.9%(同−1.0ポイント)と、特に1年生の増加率が大きい。対面授業が減り、オンライン授業中心でキャンパスに行けないことが主な理由と考えられる。

「就職のこと」は42.7%(同+6.0ポイント)。1年生31.8%(同+3.6ポイント)・2年生47.4%(同+8.9ポイント)、3年生61.4%(同+8.5ポイント)、4年生32.0%(同+2.9ポイント)と、やはり企業の採用人数の大幅減少を懸念してか、2・3年生で特に増加している。

 また、「生きがいなどが見つからないこと」は23.5%(同+1.7ポイント)で、自宅生24.4%(同+2.9ポイント)、下宿生22.6%(同+1.1ポイント)となっている。

「サークル等の活動のこと」は14.7%(同+2.4ポイント)で、1年生21.8%(同+5.9ポイント)、2年生17.1%(同+0.5ポイント)、3年生11.9%(同+1.7ポイント)、4年生5.4%(同−0.1ポイント)と、やはり1年生の増加率が大きい。友人関係と同じような悩みといってよいだろう。

 悩んでいることを相談する相手が「いる」は81.7%、「いない」が18.3%となっている。最も相談しやすい相手は「友人」39.7%、「親」25.8%で、「友人」は前年から2.1ポイント減、「親」は4.6ポイント増となっている。このような悩みは直接自殺の動機になるものではないが、それが積み重なって心の病に発展し、自殺という取り返しのつかない事態を引き起こすこともあり得る。

■女子大学生の自殺が増えている背景

 表2「動機別自殺者数(大学生)2014→2020年」(厚生労働省調査から筆者作成)で2014年と2020年の経年変化を見ると、総数は微減となっている。自殺の動機についても、その順序に大きな変化はないが、精査すると、やはり新型コロナの影響と推測できる数字が出てくる。それは、特に男女比の変化から読み取ることができる。

 2014年と比べ、2020年の自殺者総数は男性が20ポイント減となっているが、逆に女性は50ポイントも増加しているのである。実数では男性は女性の2倍だが、その差は急速に縮小している。

 動機別に見ると、「親子関係の不和」が男女ともに倍増しており、これは新型コロナの影響でステイホームの時間が長くなり、親子間の生活意識や価値観が対立する場面が多くなったと推測できる。

「うつ病による悩みや影響」では男性は減少気味なのに、女性は2ポイントも増えている。これも新型コロナの影響と言えるかもしれない。

 また、これは共通点があると思われるのが、「就職失敗」と「その他進路に関する悩み」である。ともに男性は2014年と比べて減っているのに、女性は急激に増えている。男性は大勢順応で「俺だけではない」と考えるのに対し、女性は真剣に思い詰める傾向があるのかもしれない。また、就職や進路に関していえば、女性の希望者が多い航空会社、デパート、大手アパレル、ホテルなどの求人がコロナ禍で減少していることも関連があるのだろう。

 精神的にも、孤独感を動機とする自殺は、男性は減っているのに、女性は2人から9人に増えている。総じて、コロナ禍の大学生活では、女性が精神的に追い詰められているという印象になっている。

■白黒をつけなくてもいい「曖昧耐性」とは

 日本学生相談学会理事長で甲南大学文学部教授の高石恭子さんは、学生相談室カウンセラーの経験から、次のようにアドバイスする。

「心理学には、『曖昧耐性(ambiguity tolerance)』という言葉があります。不安になると、人は早く白黒をつけてしまいたくなるものですが、グレーはグレーのまま、決まらないものは決まらないままに置いておける能力のことです。『曖昧』というとマイナスのイメージを持たれるかもしれませんが、実は、人が生きていく上では、何が正しいかはすぐわからないことの方がずっと多いのです。曖昧耐性=不確実さに耐える力は、よりよく生きるために『多様性を抱える力』『待つ力』と言い換えてもよいでしょう。

 ぜひ、この機会に、みなさんも意識して『曖昧耐性』を身につけてください。『この判断は正しいか、誤りか』と二分法で考えず、何%ぐらい妥当かな、と考える癖をつけるのです。それでも不安でたまらないという人は、どうぞみなさんの大学の学生相談室にいるカウンセラーに話してみてください。不安を話す=離すだけでも、曖昧耐性はアップするはずです」

 コロナ禍で行き先不透明の現在、すぐに白黒を決めたり、もうダメだと失望するのでなく、曖昧なまま、わからないことは先延ばしにしてもよい、という考え方を、大学生の間に広げていくことが必要だろう。

4. 中川隆[-6083] koaQ7Jey 2021年4月03日 09:02:34 : jgSxyjNUpc : anNESFVpRHplbUU=[12] 報告
岡村隆史「コロナ明けたら可愛い人が風俗嬢」発言が浮き彫りにした貧困女性の地獄=鈴木傾城
2020年4月28日
https://www.mag2.com/p/money/915225


岡村隆史という芸人が「コロナが収束したら、もう絶対面白いことあるんですよ。コロナ明けたら、短期間ですけれども、美人さんがお嬢(風俗嬢)やります」と述べて批判を受けている。実のところ、今の状況下ではこの男が言ったことは「現実に起こり得る話」である。そして、今のところ誰も「そうした女性がいるなら救済しようじゃないか」と声を上げる人はいない。(『鈴木傾城の「ダークネス」メルマガ編』)

ほぼすべての業界が苦境に落ちた

中国発コロナウイルスによって緊急事態宣言に入った日本は、それによって多くの企業が休業に追い込まれて資金繰りが悪化している。

すでに2月末から3月にかけて自粛が起き始めていた飲食業界が次々と事業停止や破産に追い込まれていき、ホテル業界・民泊業界も4月に入って次々と経営破綻が起きている。

WBFホテル&リゾーツも負債160億で経営破綻に追い込まれ、カプセルホテルを全国展開する「ファーストキャビン」も経営破綻した。

他にも、小売業、食品製造業、アパレル、出版、卸売、製造、イベント葬祭業、ケータリングサービスなど、日本のほぼすべての業界が苦境に落ちた。

上場企業も無事ではなく、100社以上が業績の見通しを引き下げている。

ステイホームで63兆円の経済損失
中国発コロナウイルスの感染者を減らすためには、自粛・休業・ステイホームの徹底は重要なのだが、それを厳格にすればするほど経済に与えるダメージは巨大化するばかりだ。

関西大学名誉教授で経済学者の宮本勝浩氏は、日本全体で約63兆円の経済損失が出るのではないかと予測している。しかし、全世界の経済を破壊している中国発コロナウイルスが「いつ収束するのか」は不明なので、63兆円で済むのかは分からない。

一時的に収束させたとしても、場合によっては第二波の感染拡大が起きたりすることもあり得る。感染拡大が抑え込めたとしても、自粛や休業が今後も長く続くようであれば、63兆円以上の経済損失が発生してもおかしくない。

まさに未曾有の事態が目の前で起きている。

こうした中で、吉本興業所属の岡村隆史という49歳の芸人が「コロナ明けたら、可愛い人が短期間ですけれども、お嬢(風俗嬢)やります」と述べ、「今我慢して風俗に行くお金をためとき」と述べて顰蹙(ひんしゅく)を買っている。

経済苦に落ちた女性を手ぐすね引いて待ち望む発言

この発言は、「コロナの影響で、今後しばらくは風俗に行けない」というリスナーからの悩みの回答として述べられたもので、岡村隆史という芸人はこのように言い放っていた。

『今面白くなかったとしても、コロナが収束したら、もう絶対面白いことあるんですよ。コロナ明けたら、短期間ですけれども、美人さんがお嬢(風俗嬢)やります』

その理由はこうだ。

『なぜかというと、やっぱり稼がないと苦しいですから』『3カ月の間、集中的にかわいい子がそういうところでパッと働きます。それで、それなりの生活に戻ったらパッとやめます』

そして岡村隆史はこのように結んだ。

『え、こんな子入ってた?っていう子たちが絶対入ってきますから。だから今我慢しましょう。今我慢して風俗に行くお金をためとき、仕事ない人も切り詰めて切り詰めて、その3カ月のためにがんばって、今、歯を食いしばって踏ん張りましょう』『僕はそれを信じて今、頑張ってます』

この発言は4月23日に生放送されたのだが、当然のことながら、経済苦に落ちた女性を手ぐすね引いて待ち望むような発言に批判が起きた。

ニッポン放送は3日後の4月27日に公式ホームページ上で『放送をお聴きになって不快に感じられた皆様、関係の皆様にお詫び申し上げます。弊社番組に関わる全ての制作スタッフには、迅速に、より一層の教育を図ってまいります』として謝罪している。

20代女性の貧困率が15%を超えている日本社会
中国発コロナウイルスによって経済が壊滅的ダメージを受ける前から日本の女性たちは貧困で苦しんできた。独身女性の貧困は日本社会においては特に深刻だった。

その理由は、彼女たちの多くは非正規雇用者として雇用されるからである。

女性の非正規雇用者の割合は男性よりも圧倒的に多い。男女共同参画局が2019年に発効した「男女共同参画白書 令和元年年版」によると、女性の非正規雇用の割合がいかに多いのかが見て取れる。

15〜24歳:男性45.7% 女性52.3%
25〜34歳:男性16.4% 女性41.4%
35〜44歳:男性9.2% 女性54.8%
45〜54歳:男性9.0% 女性59.2%
55〜64歳:男性32.5% 女性67.5%

25歳から34歳までの女性については40%台に入っているのだが、その他の年代はほぼすべて50%を超える割合になっているのが分かる。

つまり、日本社会では働いている女性の半分は非正規雇用なのである。

「非正規雇用」に落とし込まれた女性たち
非正規雇用は、日本経済がバブル崩壊の後遺症で苦しむようになった1990年代後半から増えてきた雇用形態だ。

この雇用は従業員を「低賃金で雇えて」「景気が悪くなればいつでも解雇できて」「長く働かせても昇進させなくてもいい」というものだった。

2000年代に入ってからこの雇用形態は「派遣の規制緩和」によって拡大していくことになるのだが、その形態に落とし込まれたのが女性たちだったのだ。

女性は正規雇用で働いても結婚・出産によって正規雇用に転じることが多い。それは中小企業・小規模事業者では働けない社員に賃金を出す余裕がなく、必然的に「出産=退職」という流れを女性に強いてしまう環境もある。

また現在では3組に1組が結婚しても離婚に追いやられるのだが、シングルマザーもフルタイムで働きにくく、パートやアルバイトで働くしかなくなる。

だから、女性たちは『20代女性の貧困率は15%を超えた』『一部の非正規雇用の中でも収入の低い一部の女性が貧困層』と男女共同参画局が述べるような状況に陥っている。


ちなみにシングルマザーの貧困率は50%を超えている。

女性の生活破綻を待ち望む男もいるという現実
中国発コロナウイルスによって経済に大ダメージを受ける前から、日本の女性たちは社会のあり方によって貧困を余儀なくされていた。2019年10月には消費税が10%に引き上げられて、女性たちはますます切り詰めなければならないような状況に追い込まれていた。

非正規雇用の女性の中でも特に収入の低い女性の中には、もう住所すらも持つことができずにネットカフェなどを渡り歩くしかないような生活をしている女性も大勢いるのである。ネットカフェに泊まるカネも尽きると、彼女たちは山手線に乗って、死んだように眠りながらグルグルと回っていたりしている。

【関連】日本で急増する「住所を喪失」した人たち〜車上生活、漂流女子、8050問題が行き着く地獄=鈴木傾城
https://www.mag2.com/p/money/750924


何とか住所を維持している女性も、貧困の中で「明日はどうやって生きたらいいのだろうか」と不安と恐怖にさいなまれ、どうしても這い上がれない生活の中で涙しながら生きている。

2020年2月から日本でも中国発コロナウイルスが蔓延していくようになって3月には自粛が広がっていき、4月に入ってからは緊急事態宣言が出されて日本経済は一気にストップした。

大企業も、中小企業・小規模事業者も、すべてが壊滅的ダメージを受けて多くの従業員を切り捨てたり、賃金を削減したり、無給の一時休業したりしている。コロナショックはいつ収束するのか先が読めず、体力のない企業は次々と潰れている。水商売も風俗もみんな停止している。

女性たちは生きるか死ぬかのギリギリの瀬戸際にまで追い込まれる。すでに一部の女性はそうなっている。5月、6月になれば困窮して餓死や自殺に追い込まれる女性も出てくるだろう。

こうした状況の中、岡村隆史という49歳の芸人は「絶対面白いことあるんですよ」と言って「集中的にかわいい子がそういうところでパッと働きます」とか「今我慢して風俗に行くお金をためとき」とか言っている。

女性の生活破綻を待ち望み、女性が困窮して苦しむ中で風俗に落ちていく女性を「面白いことあるから準備しておけ」と言っている。

この男が言う「面白いこと」というのは、パンデミックという災害で女性が経済苦に落ちて風俗に流れ落ちることなのである。困窮して落ちてくる女性をカネを貯めて待つ。別に発言を切り取っているわけではない。そのような主旨になっている。

当然、この男は批判されている。女性が貧困で風俗に落ちるのを「絶対面白いことあるんです」というのだから、顰蹙(ひんしゅく)を買うのは分かっていて言ったのだろう。

誰も救済しようとしない現実

しかし、私自身はこの男の発言よりも、この男が浮き彫りにした女性のことをずっと考えている。実のところ、今の状況下ではこの男が言ったことは「現実に起こり得る話」だからである。

しかし、今のところ誰も「そうした女性がいるなら救済しようじゃないか」と声を上げる人はいない。日本社会はずっとそうだ。貧困に落ちやすい女性の境遇に思いを馳せる人はほとんどいないのだ。

今回のコロナショックの中でも女性は見捨てられてしまうのだろう。私にはそちらの方がずっと気がかりだ。

5. 中川隆[-6082] koaQ7Jey 2021年4月03日 09:05:10 : jgSxyjNUpc : anNESFVpRHplbUU=[13] 報告
なぜ日本のシングルマザーは地獄なのか?約123万2,000世帯の半数が貧困=鈴木傾城
2019年9月9日
https://www.mag2.com/p/money/760115


シングルマザー(母子家庭)は日本に約123万2,000世帯いるという。そして、その約半数が貧困にあえいでいる。ひとつ踏み外すだけで地獄の底まで転落していく。(『鈴木傾城の「ダークネス」メルマガ編』)

無職・非正規が62%。娘の制服代払えず…母娘心中の悲しい末路

仕事中の突然死
2016年6月。私は大阪・天王寺区の谷町九丁目駅を降りて、あるラブホテルの一室を見せてもらっていた。47歳の女性が1ヶ月前にそこで亡くなっていた。彼女は熟女デリヘルに勤めていたデリヘル嬢だったのだが、ラブホテルの一室で体調に変調をきたして突然死していた。

ドアを開けて中を入ると、病院に置いてあるような安っぽい赤いスリッパが置いてあった。それを履いて中に入ると、昭和と場末の雰囲気が漂う部屋に、壊れそうなダブルベッドがポツリと置かれていた。

彼女はこのベッドの上で突然死したのだが、驚いた客は死んだ彼女を放置してそのまま逃亡していた。

彼女はふたりの子供を持ったシングルマザーだった。仕事場のラブホテルで突然死してしまうほど無理をしていた。彼女が突然死する前はゴールデンウィークだったのだが、彼女は全出勤をして必死で稼ごうとしていたのだった。

熟女デリヘルは単価が安く、1回転で数千円ほどしか稼げない。やってくる客はそれほど多くなく、出勤しても客がつかないこともしばしばある。連日のフル出勤を風俗嬢たちは「鬼出勤」と呼ぶのだが、彼女もまた鬼出勤していたのだ。

しかし、鬼出勤しても客がつかないことには稼げない。客の指名がつくまで彼女たちは狭い待機室やネットカフェでひたすら何時間も拘束されて待たされる。稼がなければならないのに、何もできずに時間だけが過ぎていく。

ふたりの子供を抱えており、何とか現金を持って帰りたい。シングルマザーだった彼女の焦燥感は、かなりのものだったに違いない。彼女の亡くなった場末のラブホテルの一室は、そんな彼女の怨念が漂っているような雰囲気だった。

必死で生きて無念に消えていったシングルマザーの生き様がそこにあった。

シングルマザー約123万世帯の半数が貧困
シングルマザーの家庭、つまり「母子家庭」は日本ではどれくらい存在するのか。

厚生労働省の『平成29年度母子家庭の母及び父子家庭の父の自立支援施策の実施状況』によると、母子世帯は約123万2,000世帯となっている。

最初から未婚のままシングルマザーとなった世帯や、死別によってシングルマザーになった世帯もあるのだが、ひとり親世帯になった理由の79.5%は離婚によるものであるのが統計から見て取れる。

この母子家庭の相対的貧困率は54.6%で、分かりやすく言えば約半数が貧困にあえいでいる。

無職と非正規で62%を占めている
母子家庭の18.2%、つまり約20%の母親は仕事を持っていない。そして、仕事を持っている母子の43.8%は非正規である。シングルマザーは無職と非正規で62%を占めているということになる。

子供を抱えたシングルマザーは、子供を抱えてフルタイムの仕事はなかなか難しい。子供に時間を取られて仕事に打ち込めない。できる仕事は非正規のパートタイムばかりで、それも子供の都合で休みがちになる。

月10万円の生活
では、この非正規で働いているシングルマザーはいくら稼いでいるのだろうか。厚生労働省の資料『ひとり親家庭等の現状について(平成27年4月20日)』によると、平均年間就労収入は「125万円」であると述べている。

125万円と言えば、月換算で計算すると約10万4,200円ほどである。ざっくり言えば月10万円がシングルマザーの収入であると言える。10万円で母親は自分と子供の生活を成り立たせなければならないのである。

今の日本では、自分ひとりで10万円で暮らすというのも経済的に苦しいが、母子家庭はそこに子供が加わる。その貧困は私たちが想像する以上に悲惨なものになっている。

谷町九丁目のラブホテルの一室で突然死して見捨てられた47歳の女性が、なぜそんな歳になってデリヘルの仕事をしなければならなかったのかは、こうした統計をつぶさに見ていけば浮かび上がってくる。

都会の片隅で死んでしまった彼女だけでなく、多くのシングルマザーは普通にしていれば生きていけない極限状態にある。まして具合が悪いからと言って休んでいたら、なおさら生きていけない。

カサブランカ・グループ
西日本で有名なデリヘルにカサブランカ・グループがある。広島から始まったデリヘル・グループだが、創業者は長谷川華という女性だ。

彼女にインタビューした時、「シングルマザーの女性も面接にくる。若い女性に需要があるのは当然だが、30代以上の女性の方も想定以上に需要があった」と語っていたのは印象に残った。

長谷川華さんは『ママの仕事はデリヘル嬢』という書籍を上梓している。そこには、彼女自身もまた離婚してシングルマザーとなり、次の男ともうまくいかずに別れ、電気もガスも止められた翌日にデリヘル嬢になることを決意したと記されている。

日本では結婚したカップルの3組に1組は離婚に至る。離婚に至る理由は様々なものがあるのだが、現代の日本は昔と違ってひとり親世帯に転がり落ちやすい環境にあると言える。

子供を抱えて離婚すると、子供の多くは母親が面倒を見ることになる。本来であれば、離婚したとしても父親が養育費を送らなければならないのだが、養育費の未払いは珍しくない。取り立てようとすると、住所すら分からなくなる父親もいる。

その前に、もともと稼げていない父親も多い。取り立てようにも現金をもっていないのである。そうなると、女性は働きながら何とか自力で子供を養わなければならない状況になる。

しかし、こういったシングルマザーにフルタイムの仕事は、なかなかできない。子供に時間が取られるからだ。

そうなると働き先は必然的にパートになるのだが、このパートの基本賃金が安いのである。しかも、子供が病気になったりすると欠勤も余儀なくされるので、収入が減る要素の方が増えていく。

娘の制服代が致命傷になった
2014年9月24日、千葉県銚子市の県営住宅に住む母子が賃料滞納のために立ち退きを迫られた。このシングルマザーは長年の生活苦に疲れ果てていた。

家賃の滞納も生活苦から来たものであり、ここを追い出されると彼女は14歳の娘と共に路頭に迷うしかなかった。

そのため、母親は親子心中を思いつき、立ち退きの日に娘の首を絞めて殺し、死んだ娘の側で母親は娘が写っているビデオを無言で見ていた。このビデオが終わったら、彼女は自分も死ぬつもりだった。

しかし、その前に立ち退きの執行官がやってきて、母親は死ねなかった。そんな事件があった。

彼女も離婚によってシングルマザーになっていたのだが、離婚の原因は、夫のめちゃくちゃな経済観念だった。元夫は分かっているだけで600万円近い借金を持っていた。

彼女は自分の親に金を借りて元夫に渡した。それは働いて返してもらう約束をしたのだが、元夫はその約束を守らなかった。結局、このことが原因で別れることになったのだが、夫はその後、カネを返さないまま行方不明になった。

彼女は給食センターのパートで働いていたのだが、月給は平均して11万円程度であった。

その中で、彼女は娘が欲しいというアイドル関連のDVDやデッキや液晶のテレビなどを買い与えていたのだが、親としてなるべく子供に貧困を感じさせないように努力していた形跡が垣間見える。

こうしたものは分割36回ローンでまかなっていたが、もともと月給が少ない彼女にとっては痛い出費だっただろう。

やがて、娘が中学生に上がる頃、娘の制服代が払えずに社会福祉協議会に借り入れをしたのだが、それでも足りずに彼女は関わってはいけないものに関わった。

ヤミ金に足りない金を借りたのである。利息も聞かずに彼女は金を借りた。そうすると毎週1万円を返せと激しく電話がかかってくるようになり、少しでも返済が遅れると脅されるようになってしまった。

このヤミ金にカネを毟り取られ続けて家賃も払えなくなってしまい、そして強制立ち退きの日に娘を殺してしまったのだった。

娘の制服代が致命傷になった悲しいシングルマザーの事件だった。

貧困が原因のトラブルの連鎖
一度、そうやって貧困側に堕ちていくと、ありとあらゆる要素が悪い方のドミノ倒しになっていく。

アメリカのピューリッツァ賞の記者であるデイヴィッド・シプラーは、著書『ワーキング・プア アメリカの下層社会』の中で、このように述べる。

「どの問題もその他の影響力を増幅させ、すべてがしっかりと結びついているため、1つの不運がもともとの原因からずっとかけ離れた結果を伴う連鎖反応を起こすことがある」

日本では「弱り目に祟り目」だとか「泣きっ面に蜂」という格言がある。いったん問題が起きると、それが引き金になって次から次へと悪いことが一気に表れる。

デイヴィッド・シプラーが、上記の著書で述べている例はこのようなものだった。

1. 荒廃したアパートに住んでいる。
2. それが、子供の喘息を悪化させる。
3. それが、救急車を呼ぶことにつながる。
4. それが、払えない医療費となる。
5. それが、カード破産を招く。
6. それが、自動車ローンの利息を引き上げる。
7. それが、故障しやすい中古車の購入になる。
8. それが、職場の遅刻につながる。
9. それが、昇進と稼得能力を制約する。
10. 荒廃したアパートから出られなくなる。

悪いことが、次の悪いものを引き寄せ、それがまた悪いものを引き寄せる。荒廃した粗末な住宅に住んでいることが、予想もしない悪影響を与え合って、どんどん自分の足を引っ張る。

まるで玉突き衝突のように、ひとつの悪いことが次の悪いことを引き寄せて止まらない。そうやって、負の連鎖、負のスパイラルがぐるぐると回って、いったん蟻地獄に落ちると、這い上がるのに相当な時間がかかるか、もしくは二度と這い上がれなくなってしまうのだ。

ひとつ踏み外すと、彼女たちはいつでも地獄が待っている
人の人生はとても不確かだ。

今は順調でも、何かほんの些細な出来事や決断が、予想もしない致命傷となって自分の人生を壊してしまうことがある。今の日本は、シングルマザーにそうした転がり落ちるような貧困に向かわせる社会となっている。

約123万2,000世帯の母子家庭のうち半数は順調ではなく、いつでも極限に沈む恐れがある。社会全体が縮小していくと、シングルマザーの苦境も放置される。場末のラブホテルで突然死し、放置される事件も起きる。

ひとつ踏み外すと、彼女たちはいつでも地獄が待っている。

6. 中川隆[-6081] koaQ7Jey 2021年4月03日 09:07:15 : jgSxyjNUpc : anNESFVpRHplbUU=[14] 報告
漂流女子〜住所を持たず、大都会を漂流する
https://www.mag2.com/p/money/750924/2


2018年5月。新宿歌舞伎町のコインロッカーで赤ん坊が捨てられているのが発覚し、防犯カメラの映像からひとりの女性が逮捕されたことがあった。25歳の女性だったが、彼女はネットカフェに寝泊まりする25歳の「漂流女子」だった。

父親は誰だか分からない子供で、彼女はネットカフェの中で赤ん坊を産み落としていた。その赤ん坊を歌舞伎町の中にあるコインロッカーに捨てた。

すでにネットカフェ難民が忘れられて久しい。しかし、彼らは消えたわけではない。東京を代表する歓楽街である歌舞伎町には十数件ものネットカフェが林立しているのだが、どのネットカフェにも、そこに「住み着いている人たち」が大勢いる。

男性だけでなく女性も多い。そのため、女性専用のフロアを用意しているネットカフェも普通になった。

早朝、歌舞伎町をぼんやりと佇んでいると、ネットカフェから出てきてキャリーバッグを2つほど引きずって疲れた足取りで人気のない雑居ビルの入口に座り込み、暗い顔でスマートフォンの画面をのぞき込んでいる若い女性を見ることもある。

彼女たちも住所がない。仕事は日雇いの派遣などが多いのだが、いつも仕事があるわけでもないので資金が乏しくなる。そのためネットカフェに24時間いることもできず、寝る時だけ入って目が覚めたらチェックアウトしている。そしてキャリーバッグを2つほどを転がして、どうしたらいいのか思案しているのである。

帰るべき家も助けてくれる家族もない
こうした女性たちの一部は性風俗の店で働いているのだが、容姿や精神的な理由で性風俗からも弾かれる女性もいる。そんな女性がラブホテルが林立する区域にある大久保公園の周囲に座り込んでいる。

そこまで経済的に追い込まれているのであれば、実家に戻ればいいという人もいるのだが、彼女たちの多くは実家と折り合いが悪くて家を捨てており、帰るべき家も助けてくれる家族もない。

住所を持たず、大都会のどん底を這い回っている。こうした女性を支援する行政の相談窓口もあれば、NPO団体も存在するが、彼女たちがそこに助けを求めることはない。彼女たちは自ら孤立してさまようだけだ。

今の日本ではネットカフェに泊まり込む人たちは1日約4,000人いるとも言われている。決して少ない数ではない。

7. 中川隆[-6080] koaQ7Jey 2021年4月03日 09:10:15 : jgSxyjNUpc : anNESFVpRHplbUU=[15] 報告
住所を失うというのは社会から抹殺されるも同然の出来事だ


2016年10月7日、加藤未香という24歳の女性が家賃を4ヶ月も滞納した挙げ句「仕事もなく、生きていくことがもう嫌になった」という理由で、家賃催促にきた大家を刺し殺して逮捕されるという事件があった。

24歳の女性が包丁で大家を刺し殺すのだから、尋常ではない精神状態に追い込まれていたと推測される。

収入もなく、貯金もない人間が4ヶ月も家賃を滞納したら、もう返すことはできない。そして、強制退去されれば新しい住処に入ることもできなくなる。

追い出されるその日が人生の終わりだと彼女は思いつめてしまったのだろう。

経済的に困窮すると、いろんなものを失っていくが、最後まで人が死守したいと考えるのは「住居」である。それを失ったら、事実上すべてを失ったも同然だ。

しかし、金がないとあっさりと失ってしまうのも住居である。住居を維持するというのは経済的に困窮した人間には大変な負担だからである。

実際、住居を失うというのは、どのような段階を経て行われるのだろうか。

家賃を滞納すると、いったいどうなるのか?

大家を刺し殺した加藤未香は、大家の二階を間借りしていた。そのため、大家自身が直に彼女のところに出向いて、繰り返し催促をしていたようだ。

大家も家賃収入が入らなければ他人に部屋を貸している義理はない。回収するのに必死だったはずだ。

最近は多くが不動産を生業とする管理会社が間に入っているので家賃滞納が起きた場合、その取り立ては管理会社が行うことになる。

家賃を滞納すると、すぐに管理会社から迅速に支払うように電話が入る。多くの滞納者は電話があると驚いてしまって、たとえ金がなくても必死になって金を掻き集めて支払う。

しかし、ない袖は振れない人もいるわけで「近いうちに支払います」と言いながら支払わない人も出てくる。そうすると、内容証明郵便で「契約解除予告状」というものが届き、数ヶ月のうちに契約解除に至る。

その合間に、連帯保証人に連絡がいき家賃の請求を連帯保証人にするケースも出てくるのだが、そうなったときは連帯保証人も寝耳に水であり、家賃の支払いを渋るケースが多い。

連帯保証人は、実際には法的に支払う義務があるのだが、現実はそれほどすんなりといかないのである。

最近では連帯保証人を家賃保証会社が行うこともあるのだが、家賃保証会社の場合は、当事者が一ヶ月でも滞納すると、一瞬にして部屋の退去を求められる。

契約解除に至るとどうなるのか。

部屋の鍵を勝手に変えてしまう管理会社もあれば、不在時に勝手に所持品を撤去してしまう荒っぽい管理会社もある。

以前、池袋北口のラブホテル街を抜けた向こうにあるアパートが密集した地区を歩いていたとき、あるアパートの前に寝具から家具から家電まで、一切合切を放り出されていた光景を見たことがある。

家賃滞納で部屋の中のものを、何もかも放り出されたらしいのはおおよそ想像が付いた。こうしたやり方は違法なのだが、違法などと言ってられない事情が大家にもある。


「無一文」で放り出されるのではないという事実

家賃を滞納する側も、住居を失うというのは死活問題なのだが、同時に大家の方も家賃を滞納されたまま住まれるのは死活問題である。

なぜなら、ほとんどの大家は借金をして不動産を所有しており、家賃収入をそのまま借金の返済に回しているからだ。家賃滞納が起きると、自分が銀行に絞められる。

そのため、大家は自分の資産を守るために、何が何でも「強制退去」させようと必死になる。そのために何度も家賃の督促を行い、内容証明郵便で証拠を取る。

そして、3ヶ月で裁判を起こし、6ヶ月以内には強制退去を完了させる。

多くの滞納者は勘違いしているのだが、強制退去されたら「無一文」で放り出されるのではない。莫大な損害賠償を請求されて放り出されるのだ。

今まで滞納した家賃の請求はもちろん、退去費用も、裁判費用も、違約金も、遅延損害金も、損害賠償金も、ありとあらゆるものを乗せられて、請求されるのである。

金がないから放り出されるのだが、返さなければならない借金を背負わされて放り出されるのだから、困窮して住居を失う人が「これで人生が終わった」と考えるのは無理もない。

世の中は、金のある人間には配当や利息で不労所得を山ほど与えるのだが、金のない人間からは持っているものを奪い、さらに借金を覆いかぶせる仕組みになっている。

分かるだろうか。いったん金がなくなると、すべてを奪われた上に、将来の稼ぎも奪われることになるのだ。

損害賠償は「裁判命令」である。そこから逃れられない。さらにブラックリストにも載せられて就職にも困難をきたす。その前に、次の住処(すみか)が見つからない。


絶対に「住所」だけは失ったらいけないのだ

大家が家賃の回収よりも強制退去の方を望むのはなぜか。それは、金を滞納する人間は「滞納癖」があると経験則で知っているからだ。

滞納しない人間は10年でも20年でも同じところに住み続けても1回も滞納することはない。しかし、滞納癖のある人間は、頻繁に家賃の遅延を起こし、滞納し、いったん支払ってもまた気が付けば滞納を繰り返す。

だから一度でも滞納が起きると、大家は家賃を回収するよりも、もっと信頼できる人に貸したいと合理的に考える。次もきちんと払ってもらえるのかどうか分からないというのは、銀行に借金を持っている人間にとっても眠れない事態だ。

家賃を滞納している側だけでなく、滞納されている側もまた夜も眠れないのである。

だから家賃の滞納が起きると強制退去させる方向に向かい、困窮した人は住居を失ってより困窮してしまう。

住んでいる場所を失うというのは、受けられるべき行政の保護からも弾き飛ばされるということになる。生活保護も住居がないと受けられない。

仕事も住居がなければ見つからないことの方が多い。カードどころか、銀行口座も、郵便局の口座も、住所がなければ作れない。さらに携帯電話も住所がなければ手に入らない。

住所を失った時点で、すべてを失うのである。

住所を失うというのは、単に寝る場所を失うだけでなく、社会から抹殺されるも同然なのである。

そのため、どんなに小さくてもボロボロでも何でもいいから、現代社会との接点を見失わないためには、絶対に「住所」だけは失ったらいけないのだ。

社会から抹殺されたくなければ……。


加藤未香。「仕事もなく、生きていくことがもう嫌になった」という理由で、家賃催促にきた大家を刺し殺して逮捕された。追い出されるその日が人生の終わりだと彼女は思いつめてしまったのだろう。
https://daily.5ch.net/test/read.cgi/newsplus/1475850111/l50

8. 中川隆[-6079] koaQ7Jey 2021年4月03日 10:11:13 : jgSxyjNUpc : anNESFVpRHplbUU=[16] 報告
学費のためにソープで働く慶大生、売り専に走る男子学生も…カラダを売るしかない「貧困大学生」が急増中
http://lite-ra.com/2015/11/post-1648.html
2015.11.04. リテラ

 親のスネをかじり、勉強もせずにコンパ三昧で青春を謳歌する。かつて大学生がこんな風に揶揄されていた時代が確かにあった。今思えばそれは良き時代だったのかもしれない。

 身体を売って学費や生活費を捻出するしかない。そんな大学生が急増しているという。そんな学生たちの実態をルポした『女子大生風俗嬢 若者貧困大国・日本のリアル』(朝日新書/中村淳彦)は衝撃的だ。

「今の女の子たちは昔みたいに遊ぶためじゃなくて、生活するため、学費を払うために、自分の意志でカラダを売っている」

 高齢の祖父母と統合失調症を患った母親を介護しながらデリヘルで学費を稼ぐ中堅大3年生。父親の稼ぎは介護や通院で精一杯なためだ。また父親がリストラされ月々10万円の奨学金を貰いながらデリヘルで働く明治学院大4年生も登場する。

 しかし、彼女たちのように家庭に特別な事情があるケースばかりではない。中流といわれる家庭でもそれは例外ではないことだ。現在、親の世代も生活することだけで精一杯で、バイトもせずに生活できるほどの仕送りを貰っている学生は今どき“いない”という。地方出身なら尚更だ。東北出身で慶応義塾大学に進学し、現在は大手一部上場企業に務める山城亜里沙さん(仮名24)は現在の学生が抱える様々な問題を集約したようなケースだ。

 山城さんは父親が地元サラリーマンで母親も訪問介護のパートをしており世帯収入は600万円ほどの一般家庭に育った。地元大学に進学することを希望した両親だが、優秀でもあった山城さんは慶応への進学を選び学費は自分で払うことを条件に両親を納得させた。仕送りは月5万円。しかし慶応の入学金は20万円で、毎年の授業料は約130万円。毎月11万円ほどが学費として必要だ。その他家賃、食費、交通費などで毎月14万5000円ほどかかってしまう。

「普通のアルバイトを1年間やってみたけど、経済的に時間的に無理だった。地方出身の大学生は、常に不安があるんですね。近くに頼れる人がいない。本当にお金がかかるから真面目に勉強したい、将来はちゃんと就職したいって意識がある。ちゃんと将来を見据えている女の子ほど、風俗を選択する傾向がある」

 そのため山城さんが選んだのは吉原の高級ソープだった。しかも単に学費や生活費を稼ぐためではない。来るべく就職活動に備えるためでもあった。普通のバイトでは就職活動中でもバイトを止められない。それではきちんとした活動さえできない。そんな思いから風俗を選択したのだ。

 そのため必死で性的サービスの技を学び大学3年の夏までの間の1年半、合計1620万円ほどソープで稼ぎ、540万円の貯金をした。

「まったく遊ばないで風俗までやって、それでやっと手にした就職活動という権利ですから。風俗をやっている女の子ほど本気で活動するんです。このときのためにがんばってお金を貯めてきたって。吉原の店には早稲田、明治、青山学院の現役大学生の友達がいました。慶応の学校内でも風俗やってるんだろうなっていう子は何人もいた。そういう子たちはみんな良いところに就職しましたね」

 勉強をする時間を確保し、将来のため、きちんとした就職活動をするために風俗を選択する。本書でもそれは「特別なことではない」と指摘されているが、ここまでしなければきちんとした就職はできず、エリートコースから脱落し、貧困層に陥ることが容易に想像できる。それが現在の“普通の学生”が置かれた暗澹たる状況なのだ。


▲△▽▼

借金883万円……カラダを売って大学進学?“女子大生風俗嬢”大量参入の背景とは
2015/11/ 7

ノンフィクションライター・中村淳彦さんは、新著『女子大生風俗嬢』(朝日新書)で、ここ10年、女子大生が風俗に続々と参入し続けているという驚愕の現実を伝えている。

 これまでにも『日本の風俗嬢』(新潮社刊)、『ルポ 中年童貞』(幻冬舎刊)など、風俗業やアダルトビデオ業界についての著作に定評がある中村さんによると、どの風俗店にも一定数の女子大生風俗嬢が存在するという。

 彼女たちがセックスワークを選ぶ理由は決して“遊ぶ金欲しさ”などではなく、ほとんどが「学費を払うため」だ。

 いわゆるバブル世代と呼ばれる世代は、世帯収入が高く、大学の学費は親が支払うことが当然だった。しかし、慢性的な雇用不安や格差拡大を背景に、現代では大学進学までの学費を負担できない家庭も多い。多くの若者が、自力で学費を捻出しなければならなくなっているのだ。

 さらに学費の高騰が学生たちを苦しめている。日本の大学の授業料は、近年上昇し続けており、1960年代の国立大学の授業料は、年間1万2000円だが、それが今では年間授業料は53万円にも上る。貨幣価値の上昇を勘案しても、格段に高騰しているのは間違いない。

 学費を払うために、長時間のアルバイトで疲弊し、学業が疎かになってしまっては本末転倒。同書に登場する女子大生風俗嬢は、過労死レベルの“ブラックバイト”で消耗するよりも単価が高い風俗で働けて良かった、そのお金で海外留学したい、就職活動に集中したいと述べる。向上心が高い学生ほどカラダを売っているという、皮肉な現象が起こっているのだ。

 何も風俗までしなくても、学費が払えないならば“奨学金を利用すれば学費は賄えるのでは?”と考える人も多いだろう。実際に、経済的に進学が困難でも、奨学金の恩恵を受けて高等教育を受けるチャンスを与えられた人は多い。

 だが、中村氏によれば奨学金制度は、使い方によってはかえって自分の首を絞めかねない面もあると述べる。


奨学金といえば日本学生支援機構(旧:育英会)の制度が代表的だが、同機構の奨学金には、無利子の第一種奨学金と、有利子の第ニ種奨学金があり、いずれも返済義務がある“貸与”だ。大学卒業後も返せない人が続出し、訴訟にまで発展していることも知られている。

 たとえば同書で取り上げた、沖縄県内の私立大学に通う20歳の女子大生は、第一種奨学金を毎月6万4000円、第ニ種奨学金を毎月12万円も借り、返済額は4年間で883万円にも上る。沖縄県内では、新卒の給与は手取りで14万円が平均。そのなかから毎月3〜5万円を、15〜20年にわたり返済していくことになる。

 中村氏は、社会人へのスタートを切る時点で1000万円近くの借金を背負うことのリスクに警鐘を鳴らす。もっとも、自己破産相当の高額な借金を負っているのは彼女だけではない。沖縄県では、ほとんどの学生が奨学金で大学に進学している。最低賃金680円のアルバイトで年間100万円近くの学費を賄うのは難しく、勉強の時間と学費を確保するための割のいいバイトといえば、「風俗嬢とキャバ嬢くらい」(同書より)なのだという。

 あくまでも自身の個人的見解であるが、と断った上で中村氏は、その大学を卒業することでバリバリ稼げて、速やかに奨学金を返済できる見込みがないのならば、安易に大学に進学すべきではない。学費が安い通信制の大学を選択することも視野に入れて、現実的に自分の進路を熟考すべきだと訴えている。

 大学進学のためにセックスワークに従事する彼女たちのリアルに迫った中村氏は、「これから女子大生風俗嬢は、ますます一般化することは間違いない」(同書より)と断言している。
http://dot.asahi.com/dot/2015110500049.html


▲△▽▼


風俗をセーフティーネットに生きる女性は、特別な存在ではなくなりつつある。高騰する学費をまかなうために風俗を選ぶ都会の女子大生も、後を絶たない。

父のリストラで学費なし


「風俗という仕事があって、本当に良かった……」


山田史織さん(仮名、22)は、微笑みながらそう語る。都内の有名私立大学4年生。育ちの良さそうな清楚な風貌で、いくつか志望企業に内定をもらっている。大学の授業料を払い、普通の学生生活を送ることができたのは風俗のおかげだった。


中学2年生のとき、父親(53)はリストラされた。製造業にも派遣を認める派遣法改正の影響だった。何年就職活動しても正社員になることはかなわず、非正規職を転々とした。

やがてアルコール依存になり、生活費を入れなくなった父親に代わり、看護師資格を持つ母親(50)が時給のパートで生活を支えた。収入はせいぜい月15万〜18万円。娘を私立大学に通わせるお金は家庭になかった。


高校は進学校で、大学進学は当たり前の環境だった。祖父母が援助してくれたのは入学金までで、授業料は奨学金とアルバイトで何とかする計画だった。

学費と留学費のため風俗嬢に


日本学生支援機構から毎月10万円借りた。“奨学金”と名付けられているが、返済義務のある有利子の借金は4年間で480万円にもなる。


入学してすぐに自宅近くの飲食店で働き始めたが、アルバイトは時給900円。授業を優先すると1日3〜4時間しか働けず、せいぜい月3万円にしかならない。授業料は年間100万円強。途方にくれた。


「大学2年生になる直前の春休みに、学校の掲示板にあった私費留学のポスターを見た。30万円が必要だったけど、どうしても行きたくて、もう風俗店で働くしかないって瞬間的に思いました。心からお金が欲しいと思った」


その日のうちに渋谷のデリバリーヘルスに応募して、採用された。翌日出勤して3人の見ず知らずの中年男性の相手をして、店長から3万6000円のお金を日払いでもらった。


「こんなにお金がもらえるの、って驚きました。1カ月くらいで最初の目的だった30万円は超えた。でも、全然風俗を辞める気が起こらなくて、まだ続けています。奨学金の返済があるから就職しても辞めません」


山田さんのように経済的に追い詰められて風俗を始める「女子大生風俗嬢」は、特に都内の有名私立大学で増えている。


なぜなら、40年前と比べて、国立大学の学費は15倍、私立大学でも4倍以上に跳ね上がっているからだ。一方で大卒男子の初任給は2倍強にしかなっておらず、物価上昇を考えても大学で学ぶためのコストは急騰している。さらに、景気の悪化で世帯収入は全国的に下落。首都圏の大学に通う新入生では、仕送りの額が1994年の12万4900円をピークに減少。2013年には過去最低の8万8500円となり、3割も減っている。


大学進学率が5割を超える時代に、“普通の生活”ができる給料を得ようとすると4年制大学卒業は必須条件。「平成型苦学生」が増えているのだ。
http://news.yahoo.co.jp/feature/81

詳細は


風俗嬢「涙の極貧物語」
http://www.asyura2.com/13/lunchbreak53/msg/286.html

相場に失敗すると奥さんとお嬢さんにはこういう運命が待っている
http://www.asyura2.com/17/lunchbreak54/msg/250.html

TPP賛歌 _ TPPに加入するとこんな甘美な世界が待っている。
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/204.html

大阪 飛田遊郭 _ やり手ばばぁ がまだ現役でおわします  江戸時代みたい
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/328.html

もう3億、4億は稼げない! リーマンショックを機に変わった愛人契約
http://www.asyura2.com/13/ban6/msg/132.html

松下金融相が愛人を怒らせた理由は? _ 女性の相場はこんなもの
http://www.asyura2.com/12/lunchbreak52/msg/421.html

風俗嬢に沖縄出身女性が多い理由
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/224.html

9. 中川隆[-6046] koaQ7Jey 2021年4月03日 21:45:48 : jgSxyjNUpc : anNESFVpRHplbUU=[53] 報告
この映画は伊勢正三「なごり雪」・「22才の別れ」の歌詞とは何の関係も無い話になっていますね。
何でこんな見当外れの映画作ったのかな?


「22才の別れ」と「なごり雪」の謎 2016-02-05
https://ameblo.jp/kashii-ucchan/entry-12508916848.html


どちらとも万人が認める名曲です。
「22才の別れ」は”風”、「なごり雪」は”イルカ”が唄ったシングル盤が有名です。
両曲とも「かぐや姫の伊勢正三」の作詞・作曲によります。
楽曲としての最初の発表は”かぐや姫”の4枚目のアルバム「三階建の詩(さんかいだてのうた)」の中です。


●アルバム「三階建の詩」  左から山田パンダ・南こうせつ・伊勢正三

「三階建の詩」は1974年3月の発売です。 ”かぐや姫”は前年1973年の「神田川」で大ブレークしています。
”南こうせつ”は「3人全員が平等に曲作りに参画した新しいアルバムを作ろう」と提案します。
それが「三階建の詩」です。”三階建”とは”三人で作った”と言う意味です。

全12曲の内、三分の一の4曲に”伊勢正三”が絡んでいます。
4曲の中の2曲が「22才の別れ」と「なごり雪」です。
同じ時期に作られました。後から触れますが、この「同じ時期」がポイントです。

「三階建の詩」を発表した1年後(1975年)の4月に”かぐや姫”は解散し、それぞれ独自の活動を開始します。

”伊勢正三”は”大久保一久”と「風」を結成、「22才の別れ」でシングルデビュー。
”伊勢正三”と親交が深い友人の一人に”シュリークス”と言うフォークグループのリーダー”神部和夫”がいました。「かぐや姫」の”山田パンダ”は、以前は”シュリークス”のメンバーでした。
ある日”神部和夫”は”伊勢正三”に頼みました。
「”なごり雪”を女房の唄でシングルカットさせてくれないだろうか?」
”神部和夫”の若き奥さんとは”神部としえ”=”イルカ”です。

こうして2枚のシングルレコードは大ヒットします。
近年、この2曲は歌詞の意味について、「噂」と言うか「謎」が囁かれています。

先にこの2曲を聴いてみましょう。

22才の別れ  you-tube   fujimarumasaさん提供





22才の別れ       作詞・作曲  伊勢正三


あなたに「さよなら」って言えるのは 今日だけ
明日になって また あなたの 暖かい手に触れたら
きっと言えなくなってしまう そんな気がして
わたしには 鏡に映った あなたの姿を見つけられずに
わたしの 目の前にあった 幸せに すがりついてしまった


わたしの 誕生日に 22本の ローソクをたて
ひとつひとつ みんな 君の 人生だねって言って
17本目からは 一緒に火をつけたのが きのうのことのように
今はただ 5年の月日が 長すぎた春と 言えるだけです

あなたの 知らないところへ 嫁いでゆく 私にとって

ウウウ〜 ウウウウ〜 ウウウウウ〜


一つだけ こんな 私の わがまま 聞いてくれるなら
あなたは あなたのままで 変わらずに いてください そのままで

なごり雪  you-tube   fujimarumasaさん提供




なごり雪         作詞・作曲  伊勢正三


汽車を待つ 君の横で 僕は 時計を気にしてる
季節はずれの雪が降ってる
「東京で見る雪は これが最後ね」と
さみしそうに君がつぶやく 

なごり雪も降る時を知り ふざけ過ぎた季節のあとで
* いま 春がきて 君はきれいになった
去年より ずっと きれいになった

動きはじめた 汽車の窓に 顔をつけて 君は何か 言おうとしてる
君のくちびるが 「さよなら」と 
動くことが こわくて 下を向いてた

時がゆけば 幼い君も 大人になると 気づかないまま
* 繰り返し

君が 去った ホームにのこり 
落ちては 溶ける 雪を 見ていた
* 繰り返し

去年より ずっと きれいになった
去年より ずっと きれいになった




2曲とも若い男女の”別れ”を唄っています。
”伊勢正三”ファンの間で囁かれている「謎」とは・・・

「2曲の中で描かれている男女は、同じカップルではないのか?」

同じ別れを「22才の別れ」では彼女が唄い、「なごり雪」では彼氏が唄った。
この様に考えているファンをブログの中で何人か探し出しました。

最初に話したように、この2曲はアルバムの中で同時期に作られています。
よって、”伊勢正三”が2曲の詩でイメージした男女は同じ可能性が高いのです。
男とは”伊勢正三”自身だとする見方をしたブログもありました。

ただ、これらの件に関して”伊勢正三”自身はコメントを出していません。
ファンの各人が独自に想像から浪漫を組み立てて行くしかありません。
先のファンのブログも参考にして、うっちゃんは以下の様に考えました。

「”A太郎”と”B子”の物語」です。


1951年(昭和26年)、”A太郎”は大分県津久見市郊外で生まれました。大分県の片田舎で育った”A太郎”は都会での成功を夢見て勉学に励みます。高校は大分市の有名校「大分舞鶴高校」へ進学。
音楽部(クラブ活動)で活躍していた3年生の時、1学年後輩で同郷(津久見)出身の”B子”と知り合い、お互いに淡い好感を持つようになります。

”A太郎”はエンジニアを目指し、東京の大学の工学部への進学を決めます。
”A太郎”が東京に旅立つ日、”B子”は津久見駅で見送り、「来年、自分も勉強して東京の大学へ行くから」と想いを伝えます。3月の末なのに小雪が降ってました。
”A太郎”が東京に出て来た1969年(昭和44年)は”東京大学本郷キャンパス安田講堂の占拠”など全共闘運動による大学生運動のピークでした。

1960年代後半は学生による”日米安全保障条約”の延長阻止とベトナム戦争反対運動など反米感情の高まりが活発化していました。学生たちは様々なサークル等を拠点として、討論や学習を繰り返しました。その力は大学運営の民主化などを求める闘争ともなり、全国に波及し、安田講堂事件を引き起こしたのです。

そんな中での次の年、”B子”は東京の女子大学の受験に合格し、上京して来ました。
親元からの僅かな仕送りとバイト代だけでの生活は苦しく、お互いに愛を感じた時期を境に、”B子”は”A太郎”の御茶ノ水の下宿で一緒に住むことにしました。
御茶ノ水の下宿の横には神田川が流れていました。

1970年(昭和45年)の”大阪万博”の開催など日本社会が豊かになり、また、1972年(昭和47年)の沖縄返還によって反米感情は薄れて行き、学生達は潮が引くかのように運動から遠のいていきました。

学生運動に染まっていた”A太郎”も気が抜けた毎日を過ごしていました。そこに、先に上京していた大分舞鶴高校の先輩が「一緒にフォークグループをやらないか」との誘い。
”A太郎”は大学を中退し、大好きだった音楽の道に進みます。

エンジニアを目指していた”A太郎”の心変わりに”B子”は少し心配にはなりましたが、彼を信じて応援していました。
高校生の時に知り合った”B子”のそんな純粋な姿に”A太郎”は益々彼女の愛を想い感じるのでした。

”A太郎”と先輩の音楽活動での収入は殆ど無かったが、彼は希望に満ちて前を見つめていました。そんな苦しい生活の中でも、”A太郎”と”B子”は強い愛で結ばれ毎日を過ごしていました。
そして2年の時が経ちました。


”B子”は卒業と共に”A太郎”と別れることになります。
1年前から大分の両親が薦める縁談の話を承諾し、九州の福岡へお嫁に行くことになったのです。
”A太郎”は”B子”がお嫁に行く理由で別れるなんてことは知りません。
”A太郎”は「別れなくてはならない」と言う事実だけが、まだ信じられないのです。

この時代、女性が大学に行く割合は数割で、殆どが中学・高校で仕事に就き、22歳から25歳までにお嫁に行ってました。
”B子”は大学を卒業した時点で適齢期になってました。
「愛があれば何もいらない」と、本気で思ってました。
”B子”の大分の両親は経済的に安定した男性との結婚を強く希望しています。
帰郷する度に、両親は”B子”の幸せな結婚を望んでいることを本人に伝えます。
”A太郎”はと言えば、頭の中は音楽のことでいっぱいで、”B子”との結婚なんて考えたこともありません。

”B子”は”A太郎”を愛しているのに、「結婚して社会生活を営んでいけるのであろうか?」と言う不安と疑問が頭から離れず、悩んでいました。

そして、別れる日の前夜と当日にそれぞれの詩になりました。



”B子”の”A太郎”に対する想い。
「私を愛し続けてくれた日々」=「長すぎた(楽しかった)春をありがとう。」
「貴方の現在の音楽に対する純粋な気持ちを見ていると、私の結婚感とはどうしても一致しない貴方がいるんです」=「わたしには 鏡に映った あなたの姿を見つけられずに・・・」
「貴方とはもう会えない」=「東京で見る雪は これが最後ね」
「私は両親を裏切れない、それと貴方との将来をどうしても描ききれない自分がいるの」=「目の前にあった 幸せに すがりついてしまった」
「でも、私は貴方の純粋な気持ちは好きなのです。貴方がいつの日か成功することを祈っています」=「あなたは あなたのままで 変わらずに いてください そのままで」


東京駅で見送る時の、”A太郎”が”B子”に対する想い。
「初めて会ったのは君が17歳の時だった」=「17本目からは 一緒に火をつけた」
「僕はいつの時でも君を心から愛していたよ」=「ふざけ過ぎた(楽しかった)季節」
「僕が東京へ行く時、君が見送りに来てくれた。あの時も雪が降っていたことを思い出す」=「君が 去った ホームにのこり 落ちては 溶ける 雪を 見ていた」
「僕は音楽のことばかりに夢中で、しかも君がいつも傍にいてくれたのを当たり前の様に思っていたので、君の女性としての成長に気が付かなかった。ごめんね。今日は、とてもきれいだよ」=「時がゆけば 幼い君も 大人になると 気づかないまま いま 春がきて 君はきれいになった 去年より ずっと きれいになった」
「僕の自分勝手な想いのために、大切なB子を失ってしまった。とても哀しい。」



と言うことで、うっちゃんは2曲の中の男女は同じカップルとします。



”A太郎”が”伊勢正三”の投影かどうかは皆さんの想像にお任せします。
もし、そうだと仮定しましょう。
”A太郎”が先輩(南こうせつ)と組んだグループ(かぐや姫)は数年後に「神田川」と言う曲で大ブレークします。そして、その翌年「三階建の詩」(アルバム)の中で、”A太郎”の「22才の別れ」と「なごり雪」の2曲が発表されたのです。


「神田川」など、いわゆる「四畳半フォーク」と呼ばれる貧しい生活をする若者を唄った曲がこの時代の特徴です。
自分達が貧しかった想いを詩にした名曲が数多く残っています。
飽食時代である現在のミュージシャンには、実感として書くことが難しいテーマなのかも知れません。


うっちゃんの思い出の一曲


香椎浪漫

https://ameblo.jp/kashii-ucchan/entry-12508916848.html

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