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溝口健二 お遊さま(大映 1951年)
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/160.html
投稿者 中川隆 日時 2019 年 1 月 15 日 06:32:26: 3bF/xW6Ehzs4I koaQ7Jey
 

(回答先: 昔の日本映画は熱かった _ 溝口健二 赤線地帯 (大映 1956年) 投稿者 中川隆 日時 2019 年 1 月 13 日 19:10:41)


溝口健二 お遊さま(大映 1951年)

監督 溝口健二
原作 谷崎潤一郎 芦刈
脚本 依田義賢
撮影 宮川一夫
美術 水谷浩
音楽 早坂文雄
製作年 1951年
配給 大映


動画
https://www.youtube.com/watch?v=VxQye8mJuCc

https://www.youtube.com/watch?v=uVN1px8gIZ8
https://www.youtube.com/watch?v=VQK6g-EDm8I


キャスト
田中絹代 お遊さま
乙羽信子 お静
堀雄二 槙之助
平井岐代子 おすみ
金剛麗子 おつぎ
柳永二郎 栄太郎
進藤英太郎 久左衛門
小林叶江 乳母
横山文彦 番頭一
藤川準 番頭二
芝田総二 番頭三
久原亥之典 丁稚
藤代鮎子 女中
南部彰三 医者
小松みどり 女将
相馬幸子 生花の師匠
石原須磨男 僧侶

▲△▽▼


お遊さま:溝口健二の世界

溝口健二は、戦中から戦後にかけてつまらぬ映画を何本も作ったが、「お遊さま」もそうした駄作の一つである。にもかかわらず筆者がここに取り上げるのは、これが谷崎の小説を映画化したものだからである。谷崎の原作「芦刈」の、あの独特の世界を溝口がどう映画化したか、そしてどのような理由で失敗したか、それに興味があった。

原作の「芦刈」には、大まかに言って二つの眼目がある。一つは、谷崎と思しき老人が能「芦刈」の舞台である淀川の溜りで幽霊と出会い、その幽霊から昔語りを聞かされるという点、もう一つは、その幽霊の語る話と言うのが、男の口を通しての女人礼賛になっているという点である。この小説の最も大きな特徴は、男の目から見た女の美しさ・素晴らしさを、それこそ極楽の蓮華を見たように語る所にある。その女人礼賛が、谷崎一流の粘っこい文体に乗って、聞くものをして恍惚とさせるわけである。

ところが溝口は、原作の眼目を二つとも無視した。この映画には幽霊などは出てこず、従って幽霊の語る怪しげな物語ではなく、現実の出来事として描かれている。その点で、原作の持つ幽玄の趣きを甚だしく軽視している結果になっている。また、男の目からではなく、女の視線に寄り添って映画が作られている。その結果、映画の中の女は、男が礼賛する対象ではなく、自分で自分の美を誇る自立した女となってしまっている。自分で自分の美を誇るというのは、ある種の矛盾であるから、その点で、この映画は破綻せざるを得ない宿命を負っているわけである。

溝口が、女に寄り添いながら、女の視点から映画作りをしたということはよく知られている。それはそれで、素晴らしい方法と言える。だが、そうした方法は、「芦刈」のような小説の世界には、あまり、というか全く、相応しくない。

こうした欠陥は、原作を考慮に入れるから一層目につくわけで、そうした事情を無視して一個の独立した映画作品として見たらどう映るか。そのように見た場合でも、これが著しく女の視点に支配されているということは否めない。二人の姉妹のうち姉に惚れこんだ男が、姉とは結婚できないまでも、親族の立場から親しく往来できることを期待して妹と結婚するという筋書きは、男の立場に立てば不自然ではないが(事実原作では全く不自然に感じられない)、女の立場からすると、つまり女のほうから望んでそうしたということになると、極めて不自然に映る。やはり谷崎の原作のような不道徳な作品は、女の視点から描くには相応しくないと言うべきである。女を不道徳な存在として描くのは、溝口の本意でもなかろう。

こうした事情を抜きにして、細かいところには、それなりに見どころがある。お遊を演じた田中絹代は、彼女の持っている美しさがもっともよく出ているのではないか。乙羽信子には気の毒だが、二人が並ぶと、田中の美しさが引き立ち、乙羽のほうは、添え物のように見える。これでは男がこちらの方に心を奪われるのも無理はない、と思わせるくらいだ。田中は小柄な女性だったそうだが(身長が150センチちょっと)、全体が小作りで、しかも顔が細面にできていたので、あまり小さく見えない。一方乙羽のほうは、背丈が高い上に顔の幅も広いので、田中とふたり並ぶと、大女に見える。少なくとも美人には見えない。乙羽にとっては実際気の毒千万というほかはない(筆者は乙羽ファンだったのでなおさら)。

映画の中で、姉妹が男を含めて三人で謡曲を歌う場面が出てくる。「君なくてあしかりけりと思ふにもいとど難波のうらはすみうき」という、能「芦刈」の一節である。ところがこれに伴奏しているのが、能の囃方ではなく、雅楽というのが溝口らしい。どういうつもりでこのような演出をしたのか。まさか、能と雅楽の区別がつかなかったわけでもあるまい。

映画のラストに近い部分がダラけているのも気になる。クライマックスに向って盛り上がって行くと言うよりも、ダラダラと続きながら(内容は女の世帯やつれだ)、なんとなく終わる、そんな感じだ。これは、女の立場を重んじすぎるからである。女の生き方を強調したい気持ちはわからぬではないが、そのあまり女人礼賛というテーマがボヤけてしまうのでは、何のためにこの映画を作ったのかもわからなくなろうというものだ。
https://movie.hix05.com/mizoguchi/mizo113.oyu.html


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谷崎潤一郎「蘆刈」と溝口健二の「お遊さま」 

◇お遊さま
谷崎潤一郎「蘆刈」が原作の溝口作品。
冴えわたる宮川一夫のカメラが鮮烈に印象を残す逸品。

原作となる「蘆刈」は谷崎の古典傾斜の時代の中での傑出した作品のひとつに数えられているもの。

1932年の作。時代は昭和大恐慌から満州事変を経て、暗い脚音がせまりつつある時代である。

谷崎「蘆刈」は、大和物語や世阿弥の謡曲の同名の物語を下敷きにしているが、落ちぶれた男が女の姿を垣間見るというテーマ以外はさして物語には関係はない。

この女性を仰ぎ見る落ちぶれた男という関係性のみ谷崎が引き取り、夢幻模様の中で、不思議な男女の関係を、さらにその子から回想させるという非常に凝った小説である。

映画は、ふとしたきっかけで出会った美しい女性への許されない思慕、そしてそれがその女性の妹を媒介としながら、のっぴきならない関係性へと落ち込んでいき、ついに零落を招いていく流れをきっちりと描きだしている。

原作との違いを参考までにいくつか。

映画「お遊さま」は、零落した果てにお遊さまの妹との子供を授かるも、すぐに母は死んでしまう。その子供はお遊さまに引きとられてしまい、そのまま育てられることになる結末。

お遊さまを頂点として、そこから姉にかしづく妹−主人公の男−その子供という階層ができている原作の構造は引き継がれながら、蘆が生い茂る水無瀬に消えていく主人公がラストシーンとなるのが映画。

原作は、もっと複雑な物語構造となっているばかりか、魅惑するお遊さまとその残酷な禁断の主従関係を、かなりきわどく描写している。

映画ではつかわれていた、主人公の男の息を止めたりするシーン(谷崎のお得意のマゾヒズム表現です)はともかくとして、妹は冬の季節には足を暖めるために布団に入らされ姉の足を抱かされていたり、子供ができて乳が張っている姉の母乳を口をつけて飲んでいたりする。

そのような、耽美的で性愛的なエピソードを織り交ぜながら、物語を幻ともつかぬ男(妹と男の子供)に語らせて、丁寧に絵巻物のように綴りとるのが、この「蘆刈」の名作たるところ。

溝口作品「お遊さま」では、そのような重層的な物語構造を省きながら、圧倒的なカメラの美学で魅せていく映画となっている。

もともと、この物語は「お遊さま」の妹がポイントとなっていて、姉への崇拝を二代に渡る隷属関係に昇華させていくのは、この妹が鍵となっている。

崇拝の対象となる田中絹代のお遊さまが圧倒的な美しさを誇らねばならない一方、切なさや儚さを前に出しながらも、切羽詰った思慕を悪魔的に秘めている妹が重要になる。

乙羽信子は、これをしっかり演じている。

溝口健二は、すでに40を越えて華麗さも衰えつつあった田中絹代に、あなたをもっと美しく撮ると宣言したらしい。実際にそれだけの役柄なのであり、この映画の焦点はそこにあるといってもいいのだが、ちょっときついかな・・・現在の観客にとっては。
http://masterlow.net/?p=282


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谷崎潤一郎『蘆刈』と溝口健二『お遊さま』

 JR京都線から阪急電鉄へ乗り換える方法はふたつあり、一つ目は正攻法的に大阪駅まで行って梅田で乗り換えるというものなのだが、二つ目はJR山崎駅でいったん電車を降り、阪急大山崎駅まで町をすこしだけ歩くというものであった。その時僕はJR京都駅から何駅だったか忘れたが、とにかく阪急の駅に行かねばならず、どこかで阪急の路線に乗り換えなければならなかった。別に急ぐ用事ではなかったが、インターネットの乗換案内をみると後者の方が少しばかり早く目的地に着くということでもあったので、山崎駅で電車を降りてみることにした。京都-大阪間で山崎といえば、豊臣秀吉が明智光秀を討ち取った山崎の戦いのことを思い出して、何かそれらしいものでも見つけることができたらという目論見もあった。山崎駅から大山崎駅までの道のりには別段変わったものはなく、結局古戦場の名残は何も見つけることができなかったのだけれども、あとで調べてみると、山崎駅の裏に見えていた山が、あの天下分け目の天王山であったらしい。現在はサントリーのウィスキー工場が建っていて、なるほどこの辺りは名水の採れる土地柄であるようであった。谷崎潤一郎の「蘆刈」に出てくる水無瀬の宮が、その近くにあるということは全く知らなかったので行くことはなかったのだが、そこにも名水が湧くということがこの小説でも紹介されている。

 そういうことで僕は「蘆刈」の舞台を少しだけ歩いたことがあった。大阪と京都、JRと阪急、明智と豊臣という色々なものごとの狭間にある変な土地、というイメージがなんとなくあって、だんだんとゆめまぼろしの度合いが上がっていくような「蘆刈」の作りにのっけから入り込むことができたような気がする。とはいってもそれは少し出来すぎな話で、実際は、舞台が山崎のあたりであるのを知るまでにも時間がかかったし、そこが自分の見知っている土地であるのを喜んだのも束の間、主人公の「私」が実際に街できつねうどんを食べる辺りまではなかなか小説が読み進まなかった。あのきつねうどんはなんだか美味しそうで、ああいう状況で出てくるにあたって、最も似つかわしい食べ物のような気がした。その後も瓶入りの正宗や、瓢箪入りの日本酒など、妙に魅力的な食べ物に興味を惹かれるうちに、物語の本腰であるお遊さまの話が始まっていた。

 このお遊さまの話が面白いのは、お遊という一つ人物が、強烈な力をもって慎之助とお静を惹きつけているからであり、またその様が読者である僕にとっても面白かったからだろう。お遊がなぜそのように人を惹きつけるのかという理由はなかなかつかみ辛く、そうだからそうとしか言いようのないところもあるのだけれども、小説中に少しだけその理由のようなものが説明されている。いわく、お遊には演技性のようなものがあるというのだ。この部分はかなり僕にとって興味深かった。おそらく凡百の書き手ならば、こうしたお遊のような人物を描写する際に「彼女には全く芝居がかったところがなく、ごく自然な高貴さ、洗練さをその身に纏っていた」とかなんとかいうようなことを書くのではないのだろうか。というか、この部分を最初に読んだとき、お遊に芝居気がないという描写を読んで驚いているような僕は、上のような描写を十分にする可能性がある。

 芝居気というものはどういうものなのだろうか。それは「科(しな)」とか「外連」とかいうものに近いかもしれない。いや、言葉を置き換えただけでは何の説明にもならないのでもう少し考えてみることにするけれども、なにか一つの行動を起こすときに、普通の人がするような所作でそれをせずに、なにか普通とは別のルール(作法)に従ってことを為すことを芝居がかるとここでは言っているような気がする。うちかけを着て琴を弾くということも、本当の貴族の娘ならば何の違和感も覚えさせないのだろうが、お遊は裕福な育ちではあるが、町屋の娘であり、それは普通のことではない。そのあたりのズレが芝居気をうみだしているのだろう。思い出してみれば『春琴抄』の春琴も町屋の娘ながら、盲目という境遇ゆえに特権的な地位が家から与えられていて、それ故に雅な性格をしているという人物だった。彼女にも芝居気というようなものが多分にあるような気がする。そしてその芝居気は春琴が顔に傷を負って、佐助が目をつぶして以後、一層強まっていくし、そのような描写も実際にあったような気がする 。このような高貴な振る舞いと実際の地位のズレがうみだす芝居気が谷崎文学に登場する女性像において重要な気がするような気がするけれども、ここまで言っておいて、そんなことは全く重要ではないのではないかという気持ちの方が今は強い。仮にうまれも育ちも完全に雅な、姫かなんかがいたとしても、その人物は谷崎文学の中でしっかりと男の信仰を集めそうな気がする。お遊や春琴が町屋の娘であるのは、それぞれの作品の時代背景の設定に則っていて、かつ谷崎が書き得たのが、こうした暮らしの娘だったからであり、つまりは作品のリアリティーを保つためではないだろうか。

 そうした人物造形におけるリアリティーは優れたもので、それはおしずの描写においても言えることだと思う。この小説ではお遊に劣らずおしずもなかなか魅力的な人物として描かれているが、僕が一番好きなのは、慎之助との結婚後にお遊も交えて遊ぶようになったおしずが、二人をくっつけようとして、慎之助を困らせるという場面だ。サディスティックな気のあるお遊に対して、「忍ぶおんな」であるおしず、という単純な対比を超えたものがそこにはきちんと存在している。谷崎潤一郎の文学はSMの文学だという宣伝文句を見ることがよくある。この前NHKでやっていた『春琴抄』の特集は「谷崎は実はマゾヒストだった!?」というような作りだったし、柴門ふみの『日本レンアイ文学のすすめ』というエッセイでも谷崎はそんなような扱いだった。マゾヒズムを抜きにして谷崎潤一郎の文学を語るのは不自然なことかもしれないが、そればかりで語るのも不自然で、作家やその作品を矮小化しているような気もする。とはいえ、谷崎潤一郎のことを何も知らない人に対して「この谷崎っていうひとは妖しい心をよびさますアブナイ愛の魔術師 なんだよ〜」といって谷崎の本をお勧めするのもそれはそれで悪いことではないような気もする。そもそも多くの人は谷崎潤一郎の本をお勧めされても谷崎の本を読まない。「この谷崎っていう人はお堅い文豪みたいななりをしてるけど、実はSMのこととか書いちゃうような妖しい人なんだよ〜〜」っていう宣伝文句は谷崎に全く興味のない人に対して送られたギリギリのメッセージなのだろう。こういう問題は、昨今とても流行っている(ように感じられる)文豪のキャラクター化という問題にもつながっていくが、そこに目くじらを立てるのも少し大人げない気がするのでこの話はこの辺でやめにして、溝口健二の映画についての話をすることにしよう。

 溝口健二の1951年の映画に『お遊さま』というのがある。これは谷崎の『蘆刈』を映画化したものなのだが、あまり有名な作品ではない。確かにところどころ、溝口らしいきれいなカットはあるのだが、そこまで目を引くようなものがないのだ。これはどうもキャスティングによるところが多いような気がする。お遊を演じるのは田中絹代、おしずは乙羽信子である。有体に言ってしまえば、この映画の中で圧倒的な存在感を放たなくてはいけないはずの田中絹代が乙羽信子に喰われかけてしまっているのだ。

 そうした役者のパワーバランスを考慮してのことかどうかは知らないが、脚本はそこそこ大きな原作からの改変が施されている。映画はおしずと慎之助のお見合いの場面から始まる。そこで慎之助はお遊を見初める。原作にあった枠構造は取り払われているのだが、これは大きな問題ではない。問題はその後で、おしずと慎之助が仮の結婚をしたところからなのだが、ここでクローズアップされるのはお遊、おしず、慎之助の奇妙な関係の方ではなく、「忍ぶ女」としてのおしずなのである。自分を犠牲にしてお遊と慎之助の幸せを願う健気な女としておしずは描かれる。このようなおしずの態度にほだされて慎之助はおしずとの子どもを作る。しかし、おしずは慎之助との子どもを出産する際に、なんとも涙ぐましい感じで死んでしまう。その子供を慎之助がお遊の元へ届けるというところで物語が終わる。映画の後半部ではお遊は半ば退場したも同然となってしまうのだ。たしかにこのようなおしずの新解釈には見るところもあって、興味深かったのだが、全体を通してみるとちぐはぐな印象は避けられない。

 田中絹代は当時四十代前半で、前年に作られた木下惠介の『婚約指環』に出演した際には「老醜」という誹りさえも受けていたらしい。さらにその数年後に作られる『山椒大夫』(1954)では老婆の役 をこなしているくらいなので決して、1951年当時若かったとはいえない。しかし、『お遊さま』におけるキャスティングの微妙さは、彼女の年齢からくるものではない。少なくとも『お遊さま』での田中絹代は年齢を感じさせる容姿、雰囲気はしておらず、乙羽信子と姉妹だという設定にも無理はない。田中絹代にはお遊が持つ浮世離れしたような雰囲気を作ることが出来なかったのだ。

 田中絹代はなんだかヴィヴィアン・リーに似ているような気がして、それは顔の造形が似ているという意味ではなくて、作品の中でのオーラというか立ち位置が似ているということがいいたいのだけれど、二人ともいってみれば強い女性であったり、汚れ役をするのが上手い。ヴィヴィアン・リーも『アンナ・カレーニナ』は全然良いとは思わなかったけれども、『欲望という名の電車』や『風と共に去りぬ』は素晴らしい。田中絹代も『夜の女たち』や『西鶴一代女』はよい。これってつまりは世間の一般的な評価と全く同じで、なんら特別なことや真新しいことは言っていないのだが、観たところそうなのだから仕方がない。

 そういうことで田中絹代を先頭に立てて発進した企画が、途中で、今が旬の乙羽信子を中心にしたものにシフトしていったという経緯を考えてみることもできよう。

 溝口健二が田中絹代に対して恋心を抱いていたというのは有名な話で、この時どうだったのかはよくわからないけれども、ものの本に田中絹代の次のようなエピソードが書いてあった。『溝口健二の世界』の著者、佐藤忠男は国際近代美術フィルムミュージアムの「田中絹代特集」の『お遊さま』の回において田中絹代と会った。そこで田中絹代は『お遊さま』について次のように語る。引用してみよう。

じつはこの映画、この特集のはじめのプランには入っておりませんでしたの。それをわたしがとくにお願いして入れていただきました。この映画を撮ったとき、溝口先生がこうおっしゃったのです。君ももう年で、若くてきれいな役はもうこなくなる。だからぼくが、さいごに君のいちばんきれいな映画をとってあげよう……って (佐藤忠男『溝口健二の世界』平凡社、2006年、422頁)

 なんとも美しい話ではあるが、田中絹代はこの中途半端な作りの映画に納得していたのだろうか。

 そしてここからは完全に僕の邪推なのだけれども、溝口はこの時、谷崎的な「蘭たけた女性」というものを上手く表現できなかったことを後悔して、後にもう一度同じ題材で映画を撮り直したのではないだろうか。その作品というのが1954年の『近松物語』だ。この頃の溝口は乗りにのっていた。『西鶴一代女』、『雨月物語』、『山椒大夫』という傑作をヴェネチア国際映画賞に送りこみ、三年連続入賞させるという稀なことを成していた。『近松物語』は近松門左衛門の『大経師昔暦』を下敷きにした戯曲『おさん茂兵衛』の映画化である。ヒロインのおさんを演じているのは香川京子なのだが、これは非常に当たり役であり、この映画自体は谷崎の作品とは全く関係はないにもかかわらず、谷崎作品のヒロイン像を体現しているかのようである。

 『近松物語』の時代設定は不義密通が極刑となっていた江戸時代。ヒロインのおさんは暦の販売を独占して富を築いていた大経師の御寮人である。卑しからぬ家の出ではあるが、家が零落してしまったために、大経師の元へ嫁に出されていた。しかし、大経師はおさんを遊ばせるだけ遊ばせておいて、自分は下女に手を出している。このあたりの境遇もお遊に似ている。そしてある手違いからおさんは手代の茂兵衛と不義密通の疑いをかけられてしまう。二人で逃避行をしているうちに、本当に通じ合ってしまう、というのが『近松物語』の大きな筋立てだ。

 茂兵衛がかねてから抱いていた恋慕の思いを聞き、心中を嫌がるさまであったり、山中を逃避行するうちに、足をくじいてしまい、茂兵衛の肩を借りているという状況であるのに、一緒に過ごすことが出来て人生で一番楽しいと言ってしまう少しずれたところだったり、おさんの身を案じて一人出頭をしようとして姿を隠した茂兵衛のことを追いかけて叱責をするさまであったりと、香川京子の演じるおさんの行動すべてが雅でやんごとないのだが、そこには谷崎が描く女性像に通ずるものがある。身を隠していた茂兵衛におさんが縋り付くという場面があるのだが、そこで茂兵衛はおさんの怪我した足に接吻を繰り返す。そうしたところもなんだか谷崎らしい。そして『近松物語』で最も美しいシーンの一つに琵琶湖でおさんと茂兵衛が心中をしようとするというものがあるのだが、ここはなんだか『蘆刈』に描かれた山崎を思い出させる。

 そういった感じで、なにかと『近松物語』に、僕は『蘆刈』と『お遊さま』の影をみてしまう。『近松物語』が『お遊さま』の作り直しだという考えは、繰り返すけれども僕の勝手な推測で、何の根拠もないのだけれども、とにかく『近松物語』はよい作品である。
http://ittaigennjitu.blog.fc2.com/blog-entry-31.html

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●『お遊さま』

田中絹代に似ていると家内がかつて職場の年配者に言われたことがあって、その頃から何とはなしに田中絹代の映画に関心を持った。京都文化博物館のフィルム・シアターで『ある映画監督の生涯 溝口健二の記録』を見てからは、溝口監督が田中絹代に惚れていたことを知り、なお興味が募った。

右京図書館で同作のDVDがあって、それを去年12月に借りて来てもう一度見た。そして以前このブログに書いた同作の感想で多少記憶違いを書いていることに気づいたが、それはそのままにしておく。同作のDVDを借りる2か月ほど前、新藤兼人が書いた『小説 田中絹代』を買って読み、溝口と田中の関係はよりいっそうわかった。新藤監督が『ある映画監督の生涯』を撮った最大の理由は溝口と田中の関係に関心があったからと言ってよい。

映画で新藤は田中にインタヴューし、溝口との関係をずばり質問している。それをさらりと交わす田中は見事で、さすが肝が据わっている。だが、新藤はやすやすと引き下がらない。溝口は田中のことが好きであったが、どうすれば振り向いてくれるかといったようなことを言っていたと田中にぶつけると、田中は溝口は面白みのない人物であったと素っ気ない。これは真実の思いだろうか。そのようにつれない田中であるのに、溝口が新作に取りかかり、自分が起用されるとなると、まるで喜び勇んでといった趣で京都の撮影所に行った。そしてインタヴューでは、溝口を男にするためには、すべてを投げ打ってもよいと思っていたと語る。これは溝口を大尊敬していたからだが、田中の語りっぷりは、惚れた男のためには命を投げ出すほどの覚悟を自分は持っていたといったように受け取れる。そのような田中の思いを溝口が感じ取り、そしてどうにか一緒になりたいと願っていたのではないだろうか。

溝口には発狂した妻がいたから、田中と結婚することは出来なかったかもしれないが、後に溝口はほかの女性と結婚するから、田中と一緒に暮らすことは可能であったろう。そうならなかったのは、田中にその気がなかったと考えるしかないが、ふたりが一度も抱き合ったことがなかったのだろうか。『ある映画監督の生涯』ではヴェネツィア映画祭に参加した田中と溝口のカラー写真が何枚か写り、それらは筆者には新婚旅行に見える。その旅行がふたりの間柄の最も親密な時であったと思えるほどだが、ほかにも日本の映画関係者が随行したので、一緒の部屋に泊まることは出来なかったのではないか。あるいは、映画人には暗黙の了解があって、ふたりは夫婦同然の関係を持ったかもしれない。だが、『ある映画監督の生涯』での田中のインタヴューを見る限り、ふたりはプラトニック・ラヴの関係で終わったと思える。そのためにも溝口は田中を頻繁に起用し、名作を撮ることが出来た。ふたりの間に緊張感が持続したからだ。これが肉体関係があると、田中に別な色気のようなものが出て、厳しい溝口が期待する演技をこなすことが出来なかったのではないか。
 溝口は田中に惚れて、周囲の半ば反対のような思いをよそに田中を使い続けた。そのことを痛いほど知っている田中であったから、溝口の名を高めるためにどのような努力も惜しまないと腹をくくっていた。溝口はそういう田中が心強く、味気ない私的な生活の中で大きな潤いになっていたであろう。映画を撮ることしか生き甲斐がない状態で、田中の存在は大きな光であり続けたと思う。そのことは溝口の作品で田中がどういう配役となっているかを見ればわかるだろう。『雨月物語』はその一例だ。溝口田中のコンビの作品の有名どころはみんな見たいと思っているが、去年の秋に『お遊さま』のDVDを買った。「日本名作映画集26」とあって、全集の1枚のようだ。廉価なのでどうせなら全集全部を見たいが、他にどういう作品があるのかまだ調べていない。こういうシリーズこそ図書館に完備してほしいものだ。

『お遊さま』は谷崎潤一郎の原作で、小説では「芦刈」という題であったと思う。能の有名な演目で、同じ題名の小説は美術評論家の加藤一雄も書いている。これを読みたいと思いながら、古書は高価でまだ入手していない。また谷崎の原作はいつでも読めるが、これも未読だ。映画化した後か前か知らないが、溝口と田中は谷崎と会っている。谷崎がこの映画のことをどう思ったかはわからないが、小説は監督が違えば内容が違うから、どんな仕上がりであっても黙認したであろう。それに『お遊さま』は映画としては面白く仕上がっている。谷崎の原作とは違った箇所が多いといった評価は筆者はどうでもよい。違ってあたりまえだ。また、谷崎が監督を務めて撮っても、最高級のものが仕上がるはずがない。そう考えるならば、『お遊さま』は溝口が田中を主役に据えているのであるから、原作の望む限りの名作として差し支えない。1951年の撮影で、筆者が生まれた年だ。そう思って見ると、なおさら楽しい。京都が主に舞台となり、田中演じるお遊さまが暮らす大阪の船場、そして最後の方では伏見や東京が舞台になる。街並みは実に興味深いが、セットもあるだろう。たとえば、大阪の高麗橋の橋柱が映る。そこでお遊さまは眩暈を起こし、妹の見合い相手の男にたまたま見つけられて男の家に運ばれる。高麗橋付近は今ではビルだらけで、この映画のような江戸時代風のたたずまいが1951年頃にあったとはとても思えない。だが、お遊さまが暮らす大きな屋敷はセットではないし、今でも似た建物は同地区にわずかにあるので、51年は高麗橋がまだ木造であったのかと思いたくなる。

ともかく、全編が日本風で、洋風の建物は登場しない。主な登場人物はみな和服で、これは谷崎の好みを反映したのかもしれない。その前時代的な雰囲気が実によい。それを味わうだけでもこの映画を見る価値がある。ただし、白黒映像でしかもあまり鮮明でない。廉価なDVDであるからと思うが、最新の技術でもっと鮮明なものに蘇らないものか。また、カラーであればどれほど美しかったかと思わせられる場面が多い。キモノの色合いはもちろんだが、新緑や建物の内外など、せっかくの色合いは鑑賞者が想像しなくてはならない。

 「お遊さま」と題名は主人公をうまく表現している。夫に死なれ、子どもをひとり抱えながら、夫の親の家で優雅に暮らしている。経済的には何の不自由もない。お遊さまには義理の妹がひとりある。お静という名前で、乙羽信子が演じる。結婚適齢期で、そのお見合いの場面から映画は始まる。京都の東山だろうか、林の中で慎之介がひとりで待っていると、花嫁が結わう文金高島田姿のお静が地味なキモノを着たお遊さまと、もうひとりおつきの女性に引率されてやって来る。慎之介は若いお静が見合い相手で思わねばならないのに、お遊さまに一目ぼれしてしまう。ここからがこの映画の悲劇の始まりだ。

お静は姉を慕っていて、姉のためならどんな苦労も耐えるという覚悟がある。ここは少し理解しにくいが、お遊さまがあまりに完璧な女性であるので、妹は自分を影がうすいと思っているのだろう。見合いは仲人の女性が企画したもので、慎之介は彼女からお静のことを訊かれて、あまり気乗りしない様子を見せる。すでにお遊さまが心に入っているのだ。慎之介は独立した骨董商で、仲人にお遊さまの家に商売で出入り出来ないかと相談する。ある日、お遊さまの琴の演奏会に慎之介と仲人は呼ばれて出かける。お遊さまの演奏する様子を見てふたりは驚く。香を焚き、燭台を 灯し、お遊さまは平安時代さながらの衣裳だ。田中は琴の演奏が多少出来たのだろうか。『小説 田中絹代』には楽器は演奏出来ないと書いてあったように思う。だが、本作での琴の爪弾きは見事に音楽と合っている。撮影部分だけは練習したのだろう。それにしても堂に入っている。こういうところに田中の風格が出ている。

それを言えば、本作は全編田中の魅力を見せるためだけに企画されたと言ってよく、よほど溝口が田中にぞっこんであったことがわかる。本作当時田中は42歳、乙羽は27、慎之介を演じる堀雄二は29で、慎之介が13歳年上のお遊さまに一目惚れするのは少々苦しい設定だが、そういう大人の女が好きな男もいる。実際、本作でのお遊さまは人生の甘いも辛いも知り尽くした貫禄が見え、一種妖艶さが漂っている。田中の大阪の船場言葉は実に見事で、それひとつ取っても今の女優は足元に及ばない。また、その理由もわからないだろう。

お遊さまは容易に慎之介に対しての思いを見せない。そのことを慎之介は痛いほど感じている。双方の微妙な感情を描き過ぎず、鑑賞者がいろいろと想像出来ることが、この映画を魅力あるものにしている。先に書いた高麗橋での場面は、慎之介がお遊さまの琴の演奏を聴いた後、仲人にお遊さまと一緒になりたいと本音を漏らしてからの出来事だ。お遊さまは慎之介の家を訪れるつもりが、橋のたもとで眩暈を起こして倒れかかった。それを慎之介が助け、自宅に運んで布団に寝かせたところ、慎之介はつい感情を抑え切れずにお遊さまの顔に触れんばかりになる。その瞬間慎之介はさっとその場を離れるが、その様子をお遊さまは感じ取り、慎之介が下を向いている様子を盗み見る。この場面はとてもぞくぞくさせる。お遊さまは慎之介に好意を持たれていることを悟ったはずだが、妹と結婚するように慎之介を諭す。そして、慎之介もお静もお遊さまの言いなりになって結婚する。

 結婚式の場面で慎之介は「芦刈」を歌う。この能の演目の内容を知らなければ本作の意味はよくわからないだろう。映画の最後でも慎之介は「芦刈」を歌うが、「芦刈」の結末と本作の結末とは全くそぐわないから、映画の物語のその後はお遊さまと慎之介がともに暮らすことになることが想像出来る。だが、映画の最後では慎之介はお静との間に生まれた子を、育ててくれるようにと懇願の手紙とともにお遊さまに残して去るから、やはりふたりは生涯顔を見合わないと考えるしかない。

話が一気に進んだが、お遊さまは慎之介と畜生道の仲となっていると噂が立ったりしながらも、慎之介はお静と結婚する。そして東京に行って商売をするが、落ちぶれてしまう。その理由は描かれない。お静は夫の意中の女性がお遊さまであることを結婚前から知りながらも、慎之介と暮らし、やがて破れた障子の粗末な部屋で病気になって死ぬ。一方のお遊さまはお静の結婚前に子どもを病で呆気なく失くし、舅から再婚を薦められる。やがて伏見の造り酒屋の大金持ちと結婚したはいいが、飽きられて小椋池の近くの屋敷でひとり住まいとなり、また趣味の琴に生きる生活を続ける。慎之介は屋敷に赴き、そんなお遊さまの姿を遠くに見ながら、お静が生んだ子を置いて去る。その子を見つけたお遊さまは喜んで育てる決心をするところで映画は終わる。3人とも不幸と言えば言える。

慎之介が仲人にいみじくも言ったように、お遊さまは経済的に恵まれてはいるが、再婚せずに家の中で趣味三昧の生活を送ることが幸福であろうか。結局男よりも豪勢な暮らしを取った女と見る意見もあろうが、当時はお遊さまのような身の処し方は普通であったろう。慎之介が仲人にお遊さまを長年待った理想の女性だと言うと、仲人はお遊さまと暮らすには一緒に逃げなければならないと返す。そういう生き方をお遊さまが選択しなかったのは、妹の相手と思ったことと、また慎之介では頼りなかったのだろう。であるから、その後お遊さまは別の男に嫁ぐ。しかもまた金持ちだ。お遊さまにはお静が送ったような貧乏生活は似合わない。名前がそれを示している。また、慎之介としてはそうした手の届かない高嶺の花であるからお遊さまを慕い続けた。本作で描かれるような三角関係が実際にあるわけがないと思うのは勝手だが、慎之介の態度は谷崎の考えにあるものだ。また、筆者にもわかる。そういう理想の女を思い描き続けたいのは、女が穢れとは無縁であってほしいからだ。世の中には安っぽい女がいればその反対に生涯縁のないような立派な女がいるはずだ。そう思わない安っぽい男もいるが、谷崎はそうではなかった。そういう理想の女は手が届かないからよい。添い遂げられなくてもひとりの女を生涯愛し続ける男はいるし、それこそが男の純情と言おうか、生き甲斐になる場合もある。ちょうど溝口監督が田中絹代に抱いた感情もそれに似ていたのだろう。溝口田中のコンビがあっての本作で、筆者にはとても印象深い作品になった。
https://uuuzen.exblog.jp/17685056/


脚本も酷いけど、田中絹代が不細工なオバサン顔でオーラが全く感じられないので、槙之助が単に気が小さく意志薄弱なマザコン・ダメ男にしか見えないんですね。

しかし、ヨーロッパの映画人は何故こんなどうしようもない駄作しか作れない溝口健二がそんなに好きなのかな?

日本の風景や街並みがエキゾチックで美の桃源郷だと錯覚してしまうのかも。

 

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コメント
1. 中川隆[-12993] koaQ7Jey 2019年1月15日 07:12:41 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-22225] 報告

田中絹代がヨーロッパの映画人に人気の理由


北米海外生活 - 5ちゃんねる掲示板

白人男は何故日本のブスが好きなのか
https://life7.5ch.net/test/read.cgi/northa/1125625740/

2白人男は何故日本のブスが好きなのか 2
https://life7.5ch.net/test/read.cgi/northa/1153201560/


_____


アジア女性はブスほど白人にもてる


40 : :03/04/10 10:54 ID:OUWqCGJs

あいつらの美的感覚を疑うよ。
ゴーゴーバーでも何でこんな美人が残ってて
ブスがお持ち帰りされるんだろうと不思議に思うよ。
http://www.unkar.org/read/society6.2ch.net/21oversea/1049826237

368 :とろん:2007/04/08(日) 20:11:57 ID:E/acou04

ファランはなんであんな色黒な不細工な女を好むのだろう。
タイの普通の女性も首をかしげていた。


369 :ももんが:2007/04/08(日) 20:22:30 ID:+HPbzazM

> HYPERLINK "http://www.unkar.org/read/society6.2ch.net/21oversea/1049826237"> HYPERLINK "http://www.unkar.org/read/society6.2ch.net/21oversea/1049826237"368

毛唐に言わせれば、そのほうがエキゾチックなんだとよw
http://www.unkar.org/read/society6.2ch.net/21oversea/1049826237

女の口のあたりが鼻より先に突き出しているところがタイ式土人 HYPERLINK "http://blog.fc2.com/tag/%C7%E4%BD%D5%C9%D8"売春婦によくある特徴。

何度も書いたように、「売春とは限らないじゃないか」という抗弁はマレーシアも含め東南アジアではまったく無効。連れの女を売春婦に見られたくなかったら、女にそれらしい格好をさせ、自分もそれらしい格好をしてそれらしく振舞うべき。(ここが日本なら無料奉仕かもしれないし女のほうが買っているかもしれないといえるが=肉便器)

タイの白人などは、バーの女との契約を競い合ったりする。なかには売春婦の取り合いでバービアで喧嘩を始めるやつもいる。彼らから見てイカシている売春婦を連れ歩くことはむしろ自慢なのである。彼らは、いかにも売春婦という感じの女をそのまま得意げに連れ歩く。

タイでは、わざわざ身寄りのない娘を探してきて結婚する白人男も少なくない。そんな娘はたいてい売春婦。タイに定住するのが主目的だろうが、身寄りのない娘なら親族にたかられる虞がないという考えかららしい。もっとも、たかってくるのが親族だけとも限らないが。

私は以前、ある白人に、どうして白人男性はあんなに醜い女をいつも連れ歩きたがるのだろうか、と真面目に聞いてみたことがある。

というのは、中年を過ぎたような白人男性が売春婦丸出しの女を連れて歩いていることが多すぎるので、私にはどうしてもその動機が理解できなかったからである。
彼らは毎日セックスしたい年齢でもないだろうし、まして誰とでもいいから毎日セックスしたいという歳ではない。金をかけてまで醜い女を連れ歩く意味がどこにあるのか、バーで客をとっていた売春婦と同じ空間で生活するだけでも気持ち悪くないのか、という素朴な疑問である。

その人はわりと誠実な人で、真面目に答えてくれた。彼によれば、彼らが連れ歩く売春婦は「スーツケースのプラグのようなもの」だそうである。プラグとは「詰め物」という意味。スーツケースの荷物が動き回らないように隙間に詰めるものということである。

なお「土人」という言葉を私は誹謗の言葉として使っているのではない。これは客観的な性質なのである。

タイ社会は、自己の中にある「土人」性を十分に自覚している。
「土人」を制度化し、「土人搾取」のシステムを内包しているのがタイの社会なのである。

これは「土人」とそうでない人がいるという意味ではない。そうではなくて、上流色白タイ族であっても、自分自身も白人の前ではいつでも「土人」として最低に卑屈に振舞えるように、それ以上に、タイ社会の中の「弱い部分」を自分以下の「土人」として徹底的に卑下し搾取し、外国人に奴隷として容易に売り払える体制のことである。

この意味でタイこそはアジアの「土人売春国家体制」の大元であり震源地たる「便所国家」なのであって、KLで見るようなものはまったくその「ひこばえ」に過ぎない。(私はその震源地を見る気力をもうなくしたので、KLあたりにいてひこばえを見ているのである)
http://ibrahim.blog49.fc2.com/blog-entry-4.html

2. 中川隆[-12991] koaQ7Jey 2019年1月15日 07:39:59 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-22225] 報告

日本女性がヨーロッパの映画人に人気の理由


戦前、日本の売春婦は、その小柄さ、その恥じない快楽主義、そして彼女たちの自尊と誠実さを込めた甘美なサービスで、国際的な評判を得ていた。

彼女たちは、主要都市の街外れにある、壁で囲まれ、飾り立てられた街区に住み、働いていた。その最も著名なものは、東京の吉原で、きらめく提灯とごった返す小路を持つ40エーカー〔16万m2〕ほどの治安の良い一画を形成し、金張りの龍と朱塗りの門、着飾った客引きや曲芸師と砂糖菓子売り、格子を通して垣間見える池や庭と縁側や格子窓の向こうの女たちといった、集積された東洋の魅惑と悪徳の場であった。

 空襲を生き延びたそうした女たちは、首都圏全体に霧散していた。少しでも英語が話せるものは、特殊慰安施設協会に雇われ、郊外の古びた宿屋や、同協会が下町に作ったキャバレーや売春宿で、そのサービスを提供するのを待ち構えていた。

アメリカ人による需要は、ついには、横浜の「ビック・ティッツ〔「大きなおっぱい」の意〕・バー」や。東京の「ハード・オン〔「勃起した」の意〕・カフェ」のような目立った歓楽場所を生みだし、占領が始まって1ヶ月も経たない時点で、歓迎されるとみられる所では、目立たないようにながら、あたかも偶然を装い、そうした女たちが商売を始めていた。

 米兵のうちには、まるで麻薬の幻覚であるかのような、そうした初期の出来事を経験したものがいる。日本の地方で、武器の隠し場所を捜索していた元第8軍団の軍曹が、1945年10月末のある日の経験を述べている。


 彼と同僚は、その日、東京の東方にある小さな海辺の町のほこりっぽい広場に、彼らの乗るジープを止めた。そこで彼らが、昼食のためにK号携帯糧食を開こうとしていた時、シルクハットを被り、黒く盛装した一人の紳士がやってきて、たどたどしい英語で、粗末な場所だがその屋根の下で、食事を摂ったらいかがかと申し出てきた。彼は、ジープの後方バンパーに立ち、海を見下ろす崖の上へと、砂利道を案内した。竹藪の前で車を止めさせ、崖の淵にある、古い宿屋へと小道を下った。

その玄関では、着物を着た四人の麗しい娘が、彼らの靴を脱がせ、二階の、漆塗りの食卓の置かれた畳敷きの部屋へと通した。座布団が差しだされ、ふすまが開けられると、素晴らしい景色がそこに広がり、眼下では波が磯に砕け散っていた。女中が、K号携帯糧食に加えるべく、ビール、おひつに入ったほかほかのご飯、数々の前菜を持って入ってきた。娘たちは、間違った英語をにぎやかにしゃべり、はしを使って米兵たちにそれを食べさせた。そして、指やマッチ棒やビール瓶をもちいた接客ゲーム――言葉を超越した遊び――を彼らに教えた。とっくり入りの燗のついた酒も出され、それを杯で飲んだ。

やがて、食事と歓談に満腹したところで、娘たちが言った。「お風呂に入りましょう」。

 折り返した階段を下りて、崖下のほら穴状の部屋へと案内された。その岩の床はおだやかに傾斜し、一方の壁は海に向かった開口部だった。その床の中央に、タイル張りの湯気をあげる浴槽があった。

娘たちは着物を取り、男たちの服を脱がせ始めた。娘たちは、手おけで火傷しそうなその熱いお湯を自らあびた。その行為は繰り返され、兵士たちは大喜びしてそれをまねた。皆がそうして洗い終わった時、娘たちは浴槽の中に身を沈めた。男たちは、それに従い、その40度を越える熱いお湯に体を入れ、ゆっくりと首までつかったが、火傷はしないようだった。彼女たちは、兵士たちの顔を手ぬぐいでふいて、女中が運んできたビールを小さなグラスで飲ませた。遠くでは、崖の影が、海面の上に長く延びていた。

 皆がよく浸かった頃、女中が清潔な木綿の浴衣を持ってきて、男たちはそれを着て、その帯を前で結び、その結び目を背に回すことを教わった。そして娘たちは、彼らを、二階の個室へと案内した。そこでは、畳の床の上に厚い布団が敷かれ、またしても、ビールが幾本か、食膳の上に並べられていた。

一人の娘が、「アメリカ風の愛し方をして」と、軍曹に手を巻きつけながら言った。軍曹は、一瞬息をのみ、圧倒され、夢中となって、そして、それを拒むには自分が余りに誇らしくなっているのを感じていた。

翌朝、彼は一人で眼を覚ました。隣の部屋の仲間を起こし、そのぜいたくな遊びの代金を請求された場合を心配して、彼らの手持ちの金をかき集めた。

女中がお茶とご飯をもってきた。朝食の後、彼らは、その黒の盛装の男にそれでよいかを尋ねた。その男は、その代金は、一人につき、煙草二箱で結構と言った。玄関では、昨夜の相手をしてくれた娘たちが、靴べらを手にして待っており、満面の笑みをうかべて礼をして、彼らが帰途につくのを見送った。


 そのような、初期の接触がもたらした体験や物語は、親密関係無しといった公式占領政策をアメリカのMPによって徹底させることを不可能にした。ジャングルで闘ってきた精鋭部隊が、すべて「米国内」に帰還し終わるまでに、そうした女たちは、米国人宿泊所や定期的な一掃取締についてのあらましを知っていた。

連合軍隊員によって占められたかつての日本軍兵舎や武器改造工場は、消灯時ともなると、ヒールの音や漂う香水の香り、溜息や何かのきしみ音などが響く、不可思議な時間帯となった。
http://www.retirementaustralia.net/rk_tr_emperor_13_3_1.htm

3. 中川隆[-12989] koaQ7Jey 2019年1月15日 07:51:41 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-22225] 報告

日本女性がヨーロッパの映画人に人気の理由 _ 2


母さん。僕、天使を見たんだよ。本当だよ

私の行きつけのソープは岐阜の金津園、総額35000円の店だった。
当時私はスデに常連の部類になっており、店員もなじみになっていた。
あろうことかあるとき私に店がダブルブッキングをぶちかました!
(俺を誰だと思ってるんだ)

当然に店は平謝り、最高の女性を付けるから勘弁してくれとの事。
吹くじゃねぇか。この手のパターンで良い女が付いたためしは無いが、ここは、なじみの店員の顔を立ててやることにした。
貴様の大風呂敷に付き合ってやる。
。。。。。

私は期待薄だった。
ところがその女性は徹底的に違っていた、部屋に入るなり電気を暗くしていきなりディープキス。
いつもと違うぞ。私は面食らった。
彼女は私の口の中を舐め回しながら器用に私の服を1枚づつ脱がして行き、私の全身にキスの嵐を浴びせつつもいつのまにか自分も全裸になっている。

そしてシズシズとひざまづくと唐突に洗っていない私のチンポをフェラし始めたのだ。
チンポは当然ギンギンで破裂しそうになっている。通常の2割増しだ。(当社比)
それはそれはとてもやさしいフェラだった、慈しむようなフェラだ。

僕の亀頭に彼女の舌が微妙なタッチでまとわりつく筆で撫でられているようだ。
声が出そうだった。
これが一生続けばいいのにと思った。
が、彼女はすぐにフェラを止め、私をベッドに横にした。

そして彼女は天を突いた私のチンコを優しくつかむのだ、まさか?

彼女は遠慮がちに私の上に跨ってきた。
ずぶずぶと入っていく、「ナマだ」 うわ、死ぬほど気持ちが良い。
それもそのはず私は当時プライベートを含め生挿入した事がなかったのだ。

彼女はゆっくり動き出した、(ちゅぷっ、ちゅくっ)静けさの中に、お互いの性器同士が生でこすれる音がする。

こんな気持ちが良いSEXは初めてだ。

「もう出ちゃいそっ、いいの?」
「うん、キテ」
彼女は吐息まじりにそう言うと、ほんの少しだけスピードを早めた。

射精が永遠に続きそうなほどの快感に体が包まれた。

(ちなみに彼女の中に入っていたのは多分30秒くらいだけ)まさに秒殺です。
実際はもっと早かったかも。

イク瞬間ケンシロウの声が聞こえてきた。
「天に帰る時が来たのだ」(嘘)

僕がイってしまった後も彼女は僕のチンコが萎えるまで挿入したままだった。

しばらくして、彼女は体を引き上げる。
彼女からチンポが抜けると彼女のアソコからポタポタと僕の体に精液が落ちてきた。
中に出したのだ、という実感がさらに湧いた。

すごい。これが本当のSEXなんだ、
比べれば今までのゴムツキのSEXなんてお遊びではないか!

彼女はベッドで放心状態で寝ている横に添い寝して僕を優しく見つめた。

そして、当然「早いのね」などとは言わず、

「私のお○こ気持ち良かった? 今日は一杯しようね」

と微笑んだ。
(母さん。僕、天使を見たんだよ。本当だよ)
ここまでで、まだ出会って10分足らずだった(ここは100分の店)
そしてその後、マットで一発。ベットで一発。もちろん全部中出しです。

彼女はイスでも風呂でも暇さえあれば挿入してくるし、咥えてくるしとても礼儀正しいし、何も言う事ありませんでした。(アンタにゃ教える事など何もない)
まさか33000円の大衆ソープでこんな高級ソープなみのサービスを受けるとは…。
非常にギモンです。何か病気を含めて心配になってしまう。

聞けば、彼女はあの阪神大震災で住んでいた家を無くし、岐阜へ流れて来たのだという。

彼女は以前神戸の福原にある超高級ソープに在籍し、念願のマンションを購入したばかりだったが、地震によって10階建てのマンションが5階建てくらいの高さに潰れてしまったらしい。
(まったくもって恐ろしい話だ:彼女は笑ってたけど…)

ちなみに彼女は7階に住んでいたので難を逃れたと言うはなしだった。

なお、その店は総額75000円だったそうです。(そりゃ、サービス良い訳だ)

金津園のも6万円以上の高級ソープはあるんですが、なぜあそこに居たんでしょうか?

謎です。 しかし翌月、彼女は店から姿を消していました。
http://www.ippu-do.com/so-pu.htm


149 :名無しさん@入浴中[sage]:2007/01/19(金) 14:25:40 ID:F0YiZrFB0

いままでで思い出に残るのは
ラテンのみゆき
迎賓館の舞咲
プレジの一夜

特にみゆきは絶品だったなあ・・・遠い目・・・

今は伝説となってしまった みゆきさんは出勤すると自分の持ち部屋に行き、毎日食事も取らずに付きっぱなしであとは店の車で帰るだけです。
彼女の技は基本に忠実なだけで、特筆すべき点は何らないのです。

マットにせよイスにせよベッドにせよ・・・どこにでもあるありきたりです。

彼女が今あるのは、類まれなる演技力・記憶力・心配り・顧客管理 だと思われます。
それプラス、2時間限定でお客さんの恋人になりきる努力。
それぞれのお客さんの趣向にあわせるコツ。それを見抜く眼力。
ああ、来て良かった、また来ようと思わせるような最善の努力です。

彼女は普段から装飾品の一切をしていません。ネックレス・ピアス・ネイル等々
爪はいつも綺麗に切り揃えてあるだけです。服装も華美ではありません。
そんなものが無くても、彼女自身があるだけで男性にとっては十分なのです。
彼女が現在の地位になるまで、吉原や他の地域で足掛け4年掛かっています。

それだけの歳月を要して、コツコツと積み上げて今の彼女があるわけです。
まさにローマは一日にしてならずと言ったところでしょうか。
http://okazu.bbspink.com/soap/kako/1030/10304/1030415082.html

4. 中川隆[-12986] koaQ7Jey 2019年1月15日 09:21:05 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-22225] 報告


2002年2月下旬

吉原(東京)
ラテンクォーター みゆき(早川いづみ)

店総合…80点
姫総合…100点
リップ…100点
マット…100点
本気度…100点

2. Posted by はたぼー October 23, 2011 03:28

ラテンクォーターのみゆきさん、 ホントに素敵な女性でした
ちょっとロリ系で

アソコに入れているのかアナルに入れているのか分からなかったなぁ

幸せになっていることを祈ります
http://blog.livedoor.jp/zqy1tomr6o/archives/240240.html#comments

2003年02月04日(火) ある風俗嬢の引退

ある有名風俗嬢が引退した。
ラテンクォーターのみゆきさんという。

もっとも、彼女のことは噂でしか知らない。
インターネットはおろか、店のアルバムにも載っていなかったらしいが、
連日予約で埋まっていたという。
しかも予約は常連客で埋まるため、
新規で彼女にに入ることはよほど運がよくなければ難しいという話しであった。
もっとも情報源が「2ちゃんねる」だから真偽のほどは定かではない。

去年の10月頃だっただろうか、
ラテンクォーターからみゆきさんの先行予約受け付けのお知らせがきた。
詳しくは忘れたが、たしか
「11月1、3、5、7、...、29日の15:00からの枠について、
 10月の某日朝10時から特別に予約を受け付ける」
というものだった。
しかも、電話予約後 3日以内に総額の65000円を店に入金し、
その後 客のキャンセルによる返金は一切なし、という超強気の内容であった。

俺なんぞはこれを見て、1カ月以上先の予定なんぞ誰が分かるか!
いくらなんでもナメすぎじゃねぇか! と思ったが、
予約が非常に困難だと言うのは単なる噂ではなかったようで、
全枠すぐに埋まったらしい。
その後、朝9:00からの枠の追加予約が行なわれ、
12月もやはり同様の先行予約のお知らせがあった。

1日おきに口開けからびっしり埋まっている仕事をかかえ、
しかもその一部は先払いされているのだから、
そのプレッシャーたるや相当のはずである。
彼女に少なからず興味をいだいたが、
いかんせん、店の傍若無人なやり方が気に食わなかった。

そうこうして年は開けて、1月15日、
その店からメールマガジンが届いた。
「新人情報」、「二輪車お奨め情報」等が続いた最後に、
こう付け加えられていた。
少々ためらわれたが、全文、引用する。

◆みゆき退店について◆
当店在籍していました、 みゆき ですが1月15日をもちまして退店いたしました。
退店理由は、寿退店です。
 
・みゆきからのメッセージです

精神的にも肉体的にもとても疲れました。
2月を最後に、引退しようと密かに考えていましたが、
二度と戻らない決心で、本日、引退することになりました。
とてもお世話になってありがとうございました。

私は、婚約しました。
一人の男性につくしていくことに決めました。
本日、連絡先をすべて解約しましたので、
一人一人お伝えできなかったことをお許し下さい。
そして、皆様からのメッセージもお受け取りできないことをお許し下さい。
皆さまと出会えて良かったです。
たくさん可愛がってくれてどうもありがとうございました。

ラテンクォーターを今後ともどうか宜しくお願いします。
ずっと変わらないマイペースなラテンクォーターであり続けてくれるように、
今後は、陰ながら祈っていたいと思います。
ラテンクォーターにお客様たちを残していきたいです。
これが、私にできる最後のお仕事です。
お店の方、みゆきのお客様たちをどうか宜しくお願いします。
みゆきのお客様たちがが、ラテンクォーターで素敵な女の子と出会えてくれることを 願ってます。

お世話になりました。
みゆき

今まで応援して頂きまして本当に有難う御座いました。

真実は知るべくもないが、
上の文章が単なる上っ面の言葉だけでないことは間違いない。

実際に彼女に入ったことのある人はどう感じているのかと思い、
2ちゃんねるのスレをのぞいてみた。
すると、

501 :名無しさん@入浴中 :03/01/15 22:18 ID:01tjgyL4
   たった今、心にぽっかり穴があきますた。

を皮切りに、(以下少々長いが、2ちゃんねるから引用)

504 :名無しさん@入浴中 :03/01/15 23:18 ID:NMbLOu0z
   みゆき引退だな。。。。。

505 :名無しさん@入浴中 :03/01/15 23:30 ID:01tjgyL4
   ダンナを頃してみゆきを吉原に呼び戻せ!俺のストーキングの成果を見よ!
   ・・・なんていう奴が出ませんように。

506 :名無しさん@入浴中 :03/01/15 23:47 ID:cJMsOQ/Z
   みゆきを獲得した男がうらやますい〜
   毎晩あの激しいSEXを独占か〜

   伝説のNO.1が寿引退・・・・ラテンにぽっかり穴が空いたな
   携帯も解約済みの上、メルマガ流してくれたよな
   綺麗に去ってくれてありがと
   さみしいけど幸せをねがってるよ

   みゆきちゃん、ありがとう!!
   おつかれさま

508 :名無しさん@入浴中 :03/01/16 03:21 ID:mo86WZaI
   みゆきさま〜!!

509 :名無しさん@入浴中 :03/01/16 08:12 ID:Lmg2S/OW
   >>506

   店のメルマガ目を通して無かったよ。貴方のおかげで引退を知りました。
   ガ〜〜〜〜〜〜〜ン

   あ〜〜〜あ お気に入り姫いなくなっちゃったな。
   二度とラテンに行くことも無いだろう。
   ただ以前みたいに、寿退店がカモフラージュであって欲しいと願ってるが
   鯖落までしてるんだから本当だろうなぁ… ガックシ

510 :名無しさん@入浴中 :03/01/16 08:27 ID:s6fPVV1j
   みゆき以上の姫いないよ
   仕事も手につかない

511 :名無しさん@入浴中 :03/01/16 08:46 ID:Lmg2S/OW
   >>509

   同感です。
   あれだけ気を使ってくれてお客の事考えてくれる姫はいなかったなぁ。
   婚約者って客だったんだろうか?
   不謹慎だが解消されてカンバックして欲しいと思う反面
   幸せにと思う事半々だな。
   あ〜〜〜〜〜あ ワイン風呂良かったなぁ。

512 :名無しさん@入浴中 :03/01/16 08:51 ID:Lmg2S/OW
   それにしても 引退記事 メルマガの一番上に明記すべきだよ。
   ラテンにとっちゃ大大問題だったのに。
   あんなに下じゃみゆきの顧客は見ねぇ〜って。
   去年の先行予約とか何だったんだろうなぁ〜 新規顧客の掘り起こしか?
   店側から辞める前に顧客を開拓してくれとでも言われてたのかな?
     みゆきの顧客は増えるが
   店の顧客は増えねぇのに。。。

513 :名無しさん@入浴中 :03/01/16 10:04 ID:G0Gz75ku
   客をみんな差別なく大切にしてくれた姫だからこそ
   あれだけの顧客を維持できたんだと思うよ。
   客だけでなく、店の事や在籍姫のことまでいつも気にかけていた。
   先行予約は決してただの新規開拓なんかじゃなかったよ。
   ラテン話題を売る為に自ら考えた手段だったんだよ。
   自分が叩かれても店に話題を呼んであげようと必死に考えていたよ。
   自身の羽を自ら織って影で支えた偉大な人だった。

514 :名無しさん@入浴中 :03/01/16 10:24 ID:Lmg2S/OW
   >>513

   そう言えばいつも店が流行って欲しいみたいな事言ってたけ…
   おおお マジで鶴の恩返しみたいだったかも。
   でも、俺には休暇だと言ってた(他のお客は知らないけど)
   せめて真実言ってもらえれば
   お別れにもう1回会いに行ったのに… 残念。
   随分お世話になったから余計にそう感じるよ。

515 :名無しさん@入浴中 :03/01/16 10:25 ID:Lmg2S/OW
   まるで通夜で思い出を語り合ってるみたいだな(W

516 :名無しさん@入浴中 :03/01/16 10:45 ID:knIDc3a3
   いやー客に軽々と引退を話す姫じゃなかろう
   誰にも告げず店に客を残す みゆきさんらしいよ
   もういなくなるよ〜という行動はとっていたよな
   言葉で告げないけど、
   持ち部屋の荷物片付けることで客に伝えようとしてくれたんじゃないの
   綺麗な終わりだった

517 :名無しさん@入浴中 :03/01/16 11:48 ID:Lmg2S/OW
   これでラテンの顧客300人前後減るんだろうなぁ少し心配だ。

   お店としては出来る限り辞めて欲しくなかったんだろうけど。
   最後の方は見ていて少し辛そうだったからしょうがないな。

と続いていた。
みゆきさんがどんな女性であったのか、
また彼女の引退で客がどう感じているかが伺い知れる。
噂のかたまり「2ちゃんねる」といえども、
どれが本当でどれがウソかは分かるものだ。

風俗はもちろん時間から時間までの遊びである。
しかし、人と人とのふれ合いである以上、
分かっていてもそう単純に割り切れないところがあるのだ。
自分の経験とダブって見えて、切なさを禁じえない。
しかし、たとえ馴染みの女の子が去り、心に吹き荒ぶ荒野が広がったとしても、
気がつけばチンポは再びおっ立っているのだ。
それが男である。
たくましく生きねばならない。
http://www.enpitu.ne.jp/usr4/bin/month?id=42702&pg=200302

January 29, 2007
ラテンクォーター みゆき(早川いづみ)

もう上がっちまったが姫だが、ラテンのみゆきは慶応卒だったらしい。

真偽の程は別として、100人を悠に越える常連の
予約を公平に受け、さばくため、貸切はおろか、Wすら受けずに
一休一勤の全コマを一月先まで常に売り切っていた、伝説の嬢だ。

パスワードを知ることの出来た幸運な常連は、
直接個人HPで予約状況を確認し、彼女にメールで予約を入れる。

一時期店に管理を任せたが、ダブルブッキングなどのトラブルが発生した為、
以降引退まで全ての予約は彼女が完璧に個人管理した。

予約の前日、すなわち公休日には
明日の確認メールを各常連宛に、逢瀬を期待させる一言を添えて個別に送る。

逢瀬の後には決して次をねだらぬトーンで、
かつ逢いに行った男の自尊心を確実に満たしてくれる丁寧な礼が届く。

11月の解禁日以降はヴィラージュヌーボを自費で仕入れ、
訪れる客全てに振る舞い、
クリスマスには個別のメッセージを
少ない休みの時間を削ってグリーティングカード形式のメールで
百数十人の顧客全てに送る。

決して饒舌ではないが、何より多くを語る眼差しに込められた気持ちは
うたかたの逢瀬の間は、全ての客にとって真実だった。

最後のメリークリスマスを通った回数の多寡に関わらず
連絡先のわかる全ての客に送り終えた後、
年が変わり彼女の出勤は突然途絶えた。

一月余りの後、店のHPに引退を告げるメッセージと
個人HP を閉鎖しメールアドレスを無効にする事の詫びを残し、
彼女はこの世界から完全に姿を消した。

見事な引き際だった。
http://blog.livedoor.jp/zqy1tomr6o/archives/240240.html


泡姫の人気は容姿と全然関係無いみたいですね。

溝口健二のヨーロッパでの人気も日本人にはわからないだけなんでしょうね。

5. 中川隆[-12985] koaQ7Jey 2019年1月15日 10:28:50 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-22225] 報告

溝口健二は気品の有る上流階級の美女が大嫌いだった


滝の白糸・残菊物語 溝口健二 

都内の名画座で行われている溝口健二特集。
滝の白糸、と、残菊物語、を観た。

新藤兼人『ある映画監督の生涯』dvd に収録されている佐藤忠男と新藤兼人の音声解説はめっぽう面白く、ツタヤで2週間借りっぱなし、毎日、何度も連続してみても飽きることがない。なかでも、入江たか子と、田中絹代は圧倒的存在感である。むろん、気品の高さ、美しさ、では入江たか子。はじめてこのビデオを観たとき、うわさにきく入江たか子を観たときは息が止まりそうであった。。。 日本女性特有の美、と奥ゆかしさ、というものをそれまで信じていなかったが、「ある映画監督の生涯」にインタビュイーとして登場した入江たか子を観たとき、外国女性にはあり得ないものがある、と確信した。入江たか子はこのインタビューを行ったとき、すでに高齢であったが、気品と香華、。。女性の魅力というものは年令を超えている。

滝の白糸は入江たか子が22歳で出演し、みずからプロデュースをやった映画。無声映画であるが、流れるようなストーリー。75分の作品である。入江は妖艶。

残菊物語。佐藤忠男は上記の音声解説でこのように語っている。ある英国評論家に佐藤が、溝口でベストは何か?と尋ねたところ残菊だ、と直ちに相手が答えた、と。 140分を超える長さである。ストーリー自体はありふれた夫婦物語。妻が世間の無理解に逆らって夫を助ける話である。溝口映画でもかなり長い部類に入るが長さは全く感じなかった。この作品をdvd解説で新藤は次のように言っている。ストーリ自体は古いが、この映画のテーマは普遍性があります、と。

新藤は女性と問題を多く起こしたがその結果、奥さんが発狂した(と、溝口は信じていた)。幼いときから溝口は多くの女性に取り巻かれ助けられた。溝口の映画は妻(女性)にタイする贖罪意識から作られている。 映画を観おわってハタと気が付いた。新藤兼人自身が溝口の後を追っているのだ、と(女性に対する贖罪と感謝)。新藤における最大の女性はむろん母親である。 残菊物語の語り直しは、新藤の「愛妻物語」である。

両映画とも、ラストが素晴らしかった。

ある映画監督の生涯 溝口健二の記録(田中絹代)1975年
http://www.youtube.com/watch?v=7YGXnjUiWXE

芸術家同士の愛情と対立と尊敬。

実生活ではたとえ結婚できなくても。。「(溝口)先生からそう想われている、ということは、結婚したも同然。。。そうじゃございません?新藤さん! そうじゃございませんか?」
新藤は田中絹代へのインタビューが成功しなかったらこの映画(ある映画監督の生涯)はあきらめよう、と覚悟を決めてインタビューに臨んだという。新藤の必死の食い下がりに、田中も応じた。気迫と感動のインタビューである。


解説対談で新藤兼人は、溝口と田中は男女の仲になった、と明かしている。ベネツア映画祭に参加したときホテルでのことである。わたしは大いに驚いた。もちろんインタビューで田中はこのことを明かすわけはないし、インタビューする新藤だってこのことをまだ知っていない。

新藤「(男女関係になったことは)よかったとおもいますよ。田中絹代は溝口健二が恋いこがれた女性ですから。。。」。。わたしは胸が熱くなった。
https://furuido.blog.so-net.ne.jp/2013-06-02

▲△▽▼

女優・高峰秀子は、戦前の女優で一番美しかったのは入江たか子であったと、回想したという。

なるほど、滝の白糸は美しい。容貌ばかりでなく、鉄火肌、捨て身の「誠」が滲み出る美しさ、姐御の貫禄、遊芸の色気、温もりを伴った美しさなのである。それは、村越が下宿の老婆に「姉さんから仕送りをしてもらっている」と話していたことからも瞭然であろう。もとはと言えば、自分の悪ふざけが村越の運命を狂わせた、その償いのためだけに彼女は生き、死んで行ったのである。その「誠」を知ってか、知らずか村越も後を追う。

「女性映画」の名手・成瀬巳喜男は「女のたくましさ」を描出することに長けている。
一方、「女性映画」の巨匠・溝口健二が追求したのは「女の性」、(成瀬に向けて)「強いばかりが女じゃないよ」という空気が漂う、渾身の名作であった、と私は思う。お見事!
https://nasino.muragon.com/entry/252.html

▲△▽▼

入江たか子

入江 たか子(いりえ たかこ、本名・東坊城 英子(ひがしぼうじょう ひでこ)、1911年(明治44年)2月7日 - 1995年(平成7年)1月12日)は、明治から昭和期の日本の映画女優。


東京市四谷区(現・新宿区)に生まれる。
子爵東坊城家の出身で父の東坊城徳長は子爵、貴族院議員。

1922年(大正11年)、その父が亡くなり生活に困窮するも文化学院中学部に入学。油絵を習っていたが、関東大震災で家は半壊し、手放さなければならなくなった。

1927年(昭和2年)、文化学院を卒業後、日活京都撮影所の俳優で兄の東坊城恭長(後に監督・脚本家)を頼って京都に移る。同年、兄の友人で「エラン・ヴィタール小劇場」の主宰者野淵昶に請われて女優として新劇の舞台に立つ。それを観た内田吐夢の目に留まり、その勧めに従い同年、日活に入社。

同年、内田監督の『けちんぼ長者』で映画デビュー。華族出の入江の、突然の映画界デビューは、当時の世を騒然とさせた。

以後、村田実の『激流』、内田の『生ける人形』、溝口健二の『東京行進曲』などに主演し、たちまち、日活現代劇人気ナンバー1女優の地位につく。

1931年(昭和6年)、千恵蔵プロを主宰していた片岡千恵蔵が、入江の現代劇での芸者役を見て「入江は時代劇に向いている」と認め、『元禄十三年』(稲垣浩監督)で相手役に抜擢。時代劇初出演を果たした。

「入江ぷろ」の創設

1932年(昭和7年)、新興キネマと提携して映画製作会社入江ぷろだくしょんを創立。当時、阪東妻三郎などスター男優が次々と独立プロダクションを作っていたが、女優の独立プロも現代劇の独立プロも「入江ぷろ」が初めてであった。

この時代、入江たか子は日本映画界最高の位置にあった。
その第1作は溝口健二監督、中野英治共演による『満蒙建国の黎明』だった。
この作品は満州建国を背景に川島芳子からヒントを得た超大作で海外ロケを行い、半年の製作日数をかけた大々的なものだった。

この後、日活の俳優、田村道美と結婚し、のちにたか子のマネージャー・プロデューサーとなる。田村が自らの人気を考えて結婚を公表せず、籍も入れない別居生活であったため、兄の恭長は田村を嫌い、映画界を辞める。結婚10年後に子供が生まれ、これを機に法的にも結婚する。

1933年(昭和8年)、泉鏡花の名作『滝の白糸』をまた溝口監督で撮り、大好評となる。ところが、溝口は一女優の入江ぷろだくしょん作品の監督ということに屈辱を感じていたため、強引に実体のない名前だけの「溝口プロダクション」という名前をその横に列記させてもらい体面を保っていた。

続いて、サナトリウム(療養所)に勤務する美貌の看護師を演じた、久米正雄原作の『月よりの使者』が空前の大ヒットとなる。

1935年(昭和10年)頃は人気の絶頂にあり、この年のマルベル堂プロマイドの売り上げでは、1位が入江たか子、2位が田中絹代であった。

しかし、1937年(昭和12年)に吉屋信子の人気小説を映画化した『良人の貞操』のヒットを限りに「入江ぷろだくしょん」は解散、東宝と契約。

1937年(昭和13年)、長谷川一夫の東宝入社記念映画『藤十郎の恋』(山本嘉次郎監督)に出演。

1941年(昭和16年)、『白鷺』(島津保次郎監督)に出演。零落した美妓に扮し、泉鏡花の当たり狂言を原作とする「流れて動いて生きる、それが女というものでしょうか」との名ゼリフが評判となった。

戦時下に相次ぐ兄3人の死に直面し、仕事に対する情熱も冷めかけ、戦後は病気がちとなり、それに輪をかけるように主役の仕事も減っていった。1950年(昭和25年)にはバセドウ病の宣告を受け、無理を押して仕事をしながら入院費を工面し、ようやくのことで1951年(昭和26年)末になり大手術を受け、命を取り留める。


退院後は仕事をとることもままならなかったが、大映と年間4本の契約を結ぶ。その大映に戦前鈴木澄子主演であてた「化け猫映画」のリメイクの企画が持ち上がり、その主役の話が持ち込まれた。

生活のためと割り切り引き受け、1953年(昭和28年)、大映京都で『怪談佐賀屋敷』(荒川良平監督)に主演する。迫真の演技が受け映画は大当たり、次々と化け猫役が舞い込んだが、一方で「化け猫女優」のレッテルを貼られる。

更に1955年(昭和30年)、溝口監督の『楊貴妃』に出演。先述のように、かつて入江ぷろだくしょんという一女優の独立プロに雇われの身であったことを恥じていたことから入江に反感を持っていた溝口は、入江の演技に執拗な駄目出しをした上、

「そんな演技だから化け猫映画にしか出られないんだよ」

とスタッフ一同の面前で口汚く罵倒するという嫌がらせを行った。

執拗ないじめに耐えきれなかった入江は降板、その後は女優として満足な役が与えられなくなった。

1959年(昭和34年)、芸能界に見切りをつけ、銀座に「バー・いりえ」を開き、実業界に転身する。その後は娘の女優、入江若葉の夫の店である有楽町のとんかつ店を手伝いながら余生を過ごした。その間、黒澤明の『椿三十郎』、市川崑の『病院坂の首縊りの家』、大林宣彦の『時をかける少女』、同じく大林の『廃市』に請われて出演し、話題となった。

娘の若葉によると、かつて化け猫を演じた姿を「女優の生き様として知って欲しい」と、若葉に往年の化け猫映画を進んで見せたという。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%85%A5%E6%B1%9F%E3%81%9F%E3%81%8B%E5%AD%90

極左でマルキストの溝口健二は入江たか子みたいな貴族階級の人間を憎悪していたんですね。

6. 中川隆[-12982] koaQ7Jey 2019年1月15日 13:25:28 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-22225] 報告

男が不細工なフィリピン女性にメロメロになる理由

★フィリピンパブはなぜ男を狂わせる?

 全身火だるま状態でフィリピンパブに突入――。こんな派手な事件が愛知県で起きた。
 被害に遭ったのは西尾市の「ショーパブ ズー」。13日午後11時50分ごろ、男性が
灯油をかぶって火だるまになり、店内に飛び込んで死亡した。鉄筋2階建ての1階部分
140平方メートルのうち100平方メートルが焼けたという。

(中略)


 客がフィリピン女性にメロメロになるケースが多い。いったい、何がいいのか。

「一番の魅力は性格です」とはフリーライターの出町柳次氏だ。

「フィリピン女性はラテンのノリがあり、屈託のない明るさで接客するんです。しかも
優しくてフレンドリー。頼みもしないのに“疲れてるでしょ”と手のひらのマッサージを
してくれ、毎朝“おはようメール”で起こしてくれたりもします。思い込みの強い客は
相手が自分にホレていると錯覚してしまうのです」

 セックスでも献身的だ。

「スペイン系の血が流れている女性は肌が白く、見事なモデル体形。カトリックの教えも
あって、とことん男に尽くします。ベッドでは“もういいよ”と言うまでフェラや全身
ナメをたっぷりしてくれるし、感度も抜群。事後は靴下をはかせ、髪をとかしたりして
くれる。ヘソのそうじまでする女性もいます。ほかの国のホステスと奉仕の精神が違う
のです」(風俗ライターの蛯名泰造氏)

 一度、付き合ってみたいものだ。

日刊ゲンダイ - 2013/2/16 7:00
http://netallica.yahoo.co.jp/news/20130216-00000003-a_aaac

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