★阿修羅♪ > 近代史3 > 159.html
 ★阿修羅♪
▲コメTop ▼コメBtm 次へ 前へ
溝口健二 西鶴一代女 (東宝 1952年)
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/159.html
投稿者 中川隆 日時 2019 年 1 月 14 日 09:16:06: 3bF/xW6Ehzs4I koaQ7Jey
 

(回答先: 昔の日本映画は熱かった _ 溝口健二 赤線地帯 (大映 1956年) 投稿者 中川隆 日時 2019 年 1 月 13 日 19:10:41)


溝口健二 西鶴一代女 (東宝 1952年)

監督 溝口健二

脚本 依田義賢

原作 井原西鶴

音楽 斎藤一郎

撮影 平野好美

配給 東宝

公開 1952年4月17日


動画
http://jp.channel.pandora.tv/channel/video.ptv?c1=&ch_userid=jpchan04&prgid=46330510
https://www.nicovideo.jp/tag/%E8%A5%BF%E9%B6%B4%E4%B8%80%E4%BB%A3%E5%A5%B3

キャスト

お春:田中絹代

奥方:山根寿子

勝之介:三船敏郎

扇屋弥吉:宇野重吉

お春の父新左衛門:菅井一郎

笹屋嘉兵衛:進藤英太郎
笹屋番頭文吉:大泉滉
菊小路:清水将夫
菱屋太三郎:加東大介
磯部弥太衛門:小川虎之助
田舎大尽:柳永二郎
お局吉岡:浜田百合子
待女岩橋:市川春代
お局葛井:原駒子
老尼妙海:毛利菊枝
笹屋女房お和佐:沢村貞子
松平晴隆:近衛敏明
重役真鍋金右衛門:荒木忍
重役田代甚左衛門:上代勇吉
丸屋主人七左衛門:高松錦之助
用人篠崎久門:水野浩
笹屋の大番頭治平:志賀廼家辨慶
所司代役人:坂内永三郎
老人:玉島愛造
丸屋の番頭:石原須磨男
貸衣装屋:横山運平
お熊:出雲八重子
お杉:平井岐代子
お仙:金剛麗子
待女柚垣:草島競子
中宿の女将:津路清子
扇屋の客:国友和歌子
女乞食:衣笠淳子
丸屋の仲居おきん:林喜美枝
丸屋の仲居おたま:大和久乃
お春の母とも:松浦築枝
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%A5%BF%E9%B6%B4%E4%B8%80%E4%BB%A3%E5%A5%B3


▲△▽▼

「西鶴一代女」と「ボヴァリー夫人」「女の一生」「居酒屋」

昨日は、ネットの無料動画で、溝口健二監督を世界的に有名にした「西鶴一代女」を観ましたが、酷く暗い映画で落ち込んでしまいました(苦笑)。

昭和27年の作品です。この作品は、ヴェネツィア映画祭でグランプリを受賞し、翌年は「雨月物語」、翌々年は「山椒太夫」でも獲得して、3年連続の栄誉を授かり、すっかり「世界の溝口」の名を不動のものとしました。「3人好きな監督を挙げよ」と聞かれた仏ヌーベルバーグのジャン・リュック・ゴダール監督が「溝口、ミゾグチ、みぞぐち」と答えたことは有名です。

今でも、日本よりフランスの方が溝口健二研究家が多いぐらいですが、これ程、暗い映画をフランス人が好むとは意外でした。

田中絹代主演で、若き三船敏郎も最初に登場します。田中絹代演じるお春は、3万石の殿様の側室となって世嗣ぎを産んで頂点を極めたかと思ったら、運命の悪戯で落魄して、苦界に堕ちて、堕ちて、堕ちまくる話で、これ程ついていない女性もいないぐらいです。そんな女性は、フランスにはフロベールの「ボヴァリー夫人」を始め、モーパッサン「女の一生」のジャンヌ、ゾラ「居酒屋」のジェルベーズと結構多く描かれ、なあんだ、薄幸女性は、フランス人好みだったわけですか。
https://keiryusai.com/archives/2413

▲△▽▼

西鶴一代女:溝口健二の世界


溝口健二の映画「西鶴一代女」は、井原西鶴の小説「好色一代女」が原作だ。だが、原作を忠実に再現したものではない。ストーリーがかなり自在に変えられているほかに、作品のテーマというべきものが、まるで違っている。西鶴の小説は、好色女の自由奔放な一代記を描いたものだが、溝口健二の映画の主人公はただの好色女ではない。溝口が描いた女は、ある意味で時代の犠牲者だったのであり、彼女は時代の抑圧に耐えなから、人間的な尊厳を失わずに生きたということになっている。

周知のとおり、西鶴の小説家としての原点は「好色一代男」だ。この小説の中で西鶴は、世之介という架空の男に仮託して、人間の好色な業をえげつないまでに描いたのであるが、「好色一代女」もその延長上にある作品だ。世之介を女にかえただけで、人間の好色の本質を追求しようとする態度は共通している。好色一代女の主人公には、男である世之介とちがって名前はないが、一人の女として存在感を持ち、好色なことにかけて世之介に劣ってはいない。彼女もまた、世之介も顔負けするほど貪欲に性的快楽を追求する人間として描かれている。

西鶴の原作では、名前のない女主人公は、宮中の召使いから始まって、踊り子、大名の妾、島原遊郭の太夫、女郎、寺小姓、坊主の妾、祐筆、商家の女中、歌比丘尼等々を経て最後は尼僧で終わるのだが、その間に経験する境遇は、当時(17世紀の日本)において、およそ女性にとって考えられたあらゆる職業に及んでいると思われる。西鶴の女主人公は、これらの境遇を転々と渡り歩きながら、そのたびに男を誘惑して、性的快楽を謳歌するのである。

溝口健二は、原作の女主人公にお春という名前を与えてやったうえで、そのお春が、宮中の女中勤めに始まって様々な境遇を渡り歩き、最期には尼僧となって遍歴するという筋立てについては、おおむね西鶴の作品に負っている。しかし、西鶴の女主人公と違って、この映画の女主人公は、自分の意思で男を誘惑するのではなく、他人の意思に翻弄されて致し方なく身を売るような羽目に陥り、そのたびに身を持ち崩して最後には夜鷹にまで転落する。それでもなお、人間としての自尊心は失わない。そんな高貴な心性の女性として描き上げるのである。この点、溝口一流の女性賛美のひとつの典型であるともいえる。

映画は夜鷹の集団を映すことから始まる。彼女らの一人お春(田中絹代)が、寺の中の羅漢像の群に目をやるうち、その一つの顔が昔の男の顔に重なる。その男とは、宮中勤めをしていた時に言い寄ってきた男なのであった。西鶴の原作では、主人公の女は羅漢像に重ねて今まで出会ってきた男たちの一人一人の顔を思い浮かべることになっており、その中にこの男の顔は出てこない。だから、この場面は溝口特有の仕掛けなのである。

さて、その男(三船敏郎)とお春とはねんごろな中になったのだが、そのことが、封建時代の世には不届き千万というので、二人はお上に逮捕され、男は打ち首、お春は父母ともども洛外追放の処分に付されてしまう、という理不尽な目に合うのである。

男は打ち首にされる際に、言い残すことはないかと役人に言われて、遺言めいた言葉を残す。それは、「何故、男女慕いあうのが悪いのでございます。何故それが不義なのかわかりませぬ。身分などというのもがなくなって、誰でも自由に恋のできる世の中が来ますように。お春さま、真実の思いに結ばれて生きなされ」というものだった。

17世紀の日本人がこんなことをいうとはとても考えがたく、実際に西鶴の原作にも出てこない。溝口健二が勝手にもち込んだ部分なのだが、彼がわざわざこういう言葉を入れたのには、時代背景も作用していたのであろう。この映画が公開されたのは1952年、日本社会は戦後民主主義が花開こうとしていた時代だった。溝口はそんな時代精神を背景にして、男女の自由恋愛の思想を、場違いなところに織り込んだものらしい。

ともあれ、男の遺言を聞かされたお春は、以後「真実の思いに結ばれて生きて行こう」と決意したが如く、次々と数奇な境遇に身をゆだねていくのである。

お春にとって、次の重大な転機は、さる大名の妾になる事だった。世継ぎが出来ず、お家断絶の危機に瀕した大名家が、家臣に妾を探させる。家臣は、妾になる女の条件を記した紙を持って京都にやって来る。だがなかなか条件にあう女が見当たらない。そこへ、野山の園遊会の席上踊っていたお春が目に留まる。彼女のあらゆる部分が、妾になれる女の条件を備えているというわけなのだ。

こうして、大名の妾となったお春は一人の男子を出産する。しかし世継ぎを生んだお春にはもう用はないというわけで、お春はなんだかんだと因縁をつけられて大名家から追い出されてしまうのである。

この部分は西鶴の原作とは違っている。西鶴の原作では、子どもが生まれるとはなっていない。そのかわりに、大名が日に日に衰弱していく。それは大名が女の色香に惑わされ、あまりにあちらの度を過ごした結果であるとして、追い出されるということになっている。

追い出されて実家に帰ってくると、お前の出世をあてこんで借金が増えてしまったので、それを返すために、島原に行ってくれと父親からいわれる。親の欲のために、身を売れと言われるわけである。しかし、お春は反抗することもなく、いわれるままに身を売るのである。

映画ではこの先、商家の女中となっておかみさんの髪を結ったり、やっと持つことをできたささやかな所帯が、亭主を盗賊に殺されることで失ったり、尼寺に世話になるようになったものの、寺の中でセックスしているところを住職に見られて追い出されたり、商家の丁稚と駆け落ちした途端にその丁稚が連れ去られたりと、数奇な人生を送り、その旅に身を一段下へと持ち崩すうち、ついには乞食の境遇に落ちてしまう。

乞食になったお春が寺の門前で三弦をつま弾いていると、ある行列が通り過ぎる。その行列の中心には、お春の子どもが駕籠に乗っている。無論お春にそんなことはわからぬが、何かにせかされるように、その行列をじっと見つめるのだ。

衰弱しきったお春は、夜鷹の集団に助けられ、それが縁になって自身も夜鷹になる。ここで残酷な場面が出てくる。客だと思って男についていくと、あるところに案内される。そこには複数の男たちがいたのだが、お春を案内した男は彼らに向かってお春の顔を見せ、化け猫には騙されるなと忠告する。それがあまりにも人を馬鹿にした話なので、さすがのお春も逆上する。そして、腹いせに化け猫の真似をしてみせる。しかし、もらった金を放り出すようなことまではしない。いくら気位の高いお春でも、さすがにそこまでする気力は残っていないのだ。

ここで、画面は冒頭のシーンにもどるというわけなのだ。冒頭のシーンに続いて、三船敏郎が「真実の思いに結ばれて生きなされ」といった言葉を、お春は思い出すのだが、果して自分の人生は、この忠告に応えたものとなっただろうか。

ここで画面は更に一転して、お春が息子のいる大名家に召し戻されるという話に変る。この運命の急変に、お春は戸惑いつつも喜ぶのだが、その大名家に行ってみると、過酷な話が待っていた。

自分が召し戻されたのは他でもない。大名の世継ぎの母親が売春をしているということが表沙汰になってはゆゆしきことだ。だから、お前を国元に幽閉するというのだ。だが、その前に一度だけ子どもにあわせてやろう、といわれるが、面と向かっての対面ではない。子どもが邸内を歩いている姿を、庭の一隅から遠目に見るだけだというのだ。

お春が庭の一隅に、大勢の家来に囲まれながらかしこまっていると、目の前を子どもが通り過ぎる。子どもはお春の方に目を向けるまでもなく、スタスタと通り過ぎてしまう。その後をお春が追いかける。周囲の家来たちが制止しようとするが、わたしはあの子の母ですと毅然といって、なおも追いかけると、家来たちはみなその場にかしこまる。

そうこうするうちに、お春の姿はどこかに消えてしまい、彼女を乗せて国元に旅立つはずだった籠だけが、無残な姿で取り残される。

このあたりの場面が、この映画のクライマックスといってよいのではないか。お春はこれまでの生涯にわかって、常に他人の意思に服従して生きてきたが、最期には自分の意思を通すわけだ。たとえ自分の息子であっても、息子のために自分の人生を犠牲にするのはいやだ。せめて人生の最後なりとも、自分の意思に従って、自由に生きてみたい。お春のそんな意思が感じとれるのだ。

ラストシーンは、尼僧となったお春が念仏をあげながら、家々を角付して歩くシーンである。お春が念仏をあげると、家から出てきて、お布施をくれる者もいる。窓を開けて両手を振り、追い払おうとするものもいる。だがお春の心はどんなことがあっても乱れない。いまやこの世のあらゆる束縛から解放されて、ひたすら我が道をゆく。そういう悟りの境地が成立している。それ故、念仏の題目は、「請願成就」と聞こえるのだ。

なお、この映画には、日本の伝統音楽が効果的に使われている。浄瑠璃などがそのままの形で使われているほか、伝統的な日本音楽と西洋音楽とをミックスさせて、独自の音の世界を現出させている。その意味でも、この映画には非常に面白いところがある。
https://movie.hix05.com/mizoguchi/mizo105.saikaku.html


▲△▽▼


凄絶な陶酔の美学  溝口健二 「西鶴一代女」


今晩は、今日も昨日に引き続き溝口健二の作品を紹介しますね。
紹介する作品は「西鶴一代女」です。この作品はまさに天才溝口による凄絶な一作でした。
今日はYou Tubeで映像を見つけることが出来ましたので、それを最後に紹介しますね。
(尚この記事も再投稿になりますので、一度お読みになった方はご了承下さい)

この作品を初めて見たのが18才位の時、幸運にも銀座の『並木座』のスクリーンでした。しかしその映像の凄まじい呪縛力!まさに監督の溝口自身が完全にこの作品に酔っています!!物事に酔う者が、他の者にその素晴らしさを伝えることができる。この映画は当にこの言葉をそのまま実践して出来上がったような見事な作品です。
また主人公「お春」を描く監督溝口のどこまでも厳しいリアリズムの眼!私にとっての陶酔と呪縛の上映時間は瞬く間に過ぎていきました。

周知のように溝口は戦後この作品を制作するまで全くの不調でした。「歌麿をめぐる五人の女」(46年、松竹京都)や「夜の女たち」(48年、松竹京都)で、幾分の立ち直りは見せましたが、やはり戦前の幾多の名作には遠い出来栄えと言わざるを得ませんでした。そこに黒澤明のような新しい才能の台頭や、時代の流れを敏感に感じ取った溝口の焦りや足掻きを感じることも出来ます。しかし監督としての溝口はこの一作で戦前の幾多の名作を凌ぐ傑作を作り上げました。

映画が始まります。斎藤一郎の箏をフューチャーした格調高い音楽が流れ、クレジット・タイトルが現れてきます。この芸術性の高さ!いかにも溝口作品のオープニングです。

映画のファースト・シーンは荒れた奈良の流れ寺の夜、薄曇に浮かぶ月がさっと黒雲に隠れていきます。
すると「にいさん、にいさん、」と言う声が聞こえ、厚化粧の娼婦お春(田中絹代)が客を引いています。しかし、客は一向に付きません。カメラはじっとそのお春を後ろからワン・シーンで捉え続けていきます。この冷徹なまでのカメラ・ワークと人間観察の凄まじさ!

客が付かなかったお春は寺の羅漢堂へと足を運んでいき、羅漢像を一つ一つ見つめていきます。その内、羅漢像にかつて自分と経験のあった男の面影を見つけていくことになります。「ふふ、似てるわ」!
このあたりの溝口の演出の妙。ここにお春の人生とこの映画の主題が総て集約されています!!お春は積年の疲労からかその場に倒れ込んでしまいます。若い頃のお春は御所に勤める女中でした。しかし運命と男に翻弄され続け身を持ち崩し遂には・・・。

田中絹代の体を張ったような体当たりの演技が見事!彼女はここで、18歳から老年した母親の役までを、溝口の演出に応えて見事に演じ切っています。しかし18歳の生娘を演じて何の違和感も感じさせないあたりは完全に舌を巻いてしまいます!!この時彼女は43歳!!

女優には老年すると引退するか、スクリーンに老醜をさらけ出していくかという2種類のタイプがあります。
前者の代表が原節子とするなら、後者の最右翼がこの田中絹代です。しかしこの後半の老いた母の演技は凄まじい。ここでの彼女の演技は時に震撼をも誘います。また娼婦の実情を若い衆に知らせる世話人に買われ、皆の前で老醜を暴露された後に演じる化け猫の演技の凄み!!

原作は井原西鶴の「好色一代女」、溝口と脚本の依田義賢は原作から主人公の好色の部分を取り除き、
男に騙されながらも恨むことのない無垢な女性像を作り上げます。ここではその狙いがまた見事に成功しています。このあたりはあのフェリーニの「カビリアの夜」(57年)を連想させますが、これはそれに先立つ5年も前の作品です。

しかしこの作品での透徹したリアリズムは見事です。ワン・シーン・ワン・カットとリアリズムは本来相反する技法なんですが、溝口はその両者を見事に融合させ芸術の領域にまで昇華させているのはさすがです。

中でも江戸の松平氏の側室探しのシーンはユーモラスで最高です。溝口は大勢の側室候補を通りに一堂に並べてワン・シーンでこの場を描き尽くします。この演出の妙の見事さ!
映画は落ちぶれたお春が、自分の生んだ松平家の幼い嫡男の籠をじっと凝視するシーンで頂点を迎えます!
カメラはお春の前で止まる籠を映し出し、籠が開きお春がわが子の姿を見た瞬間、音声が総て止まります。お春のこの時の表情とそれに続く嗚咽!!そこに尺八の音楽が流れていきます。このシーンの演出はもう溝口の独壇場で、完全に脱帽!!

ラストはどこからともなく声明が聞こえて、諸国を行脚するお春のシーンで終わります。お春の人生は仏教と出会うことで初めて救済されていきます。この宗教=仏教による救済の眼の確かさ!
また夫であった扇屋弥平(宇野重吉)が殺され、老尼(毛利菊枝)の下へ行くあたりから仏教の無常の概念が色濃く描かれていくのもまた出色の演出です。

これぞ溝口作品の真髄!この作品は溝口芸術の粋を凝集した彼の狂気のような傑作です。
私にとっては「近松物語」(54年)と並ぶ戦後の溝口作品のベスト・ワンです!!まだ御覧になっていない方には是非お薦めする作品です!!

余談ですが、この作品の製作者児井英生はそれまで娯楽作品一辺倒の製作者でしたが、生涯に一度だけ赤字になってもいいから芸術作品を作りたいということで、この作品のプロデュースに取り掛かり、溝口に監督を任せたそうです。事実この作品は興行的には振るわず、彼のプロデュースした作品の中で唯一の赤字を記録した作品だったそうです。しかし良くぞ赤字覚悟でこの作品をプロデュースしてくれましたね!!

この作品がヴェネチア国際映画祭で国際賞を受賞して、フランスではこの作品一作で溝口が神格化されたことを考えると一層その感を深くします!!
https://blogs.yahoo.co.jp/maskball2002/35291667.html

溝口健二は極左のマルキストだったのでヨーロッパの映画人に人気が有るのですね。  

  拍手はせず、拍手一覧を見る

コメント
1. 中川隆[-13000] koaQ7Jey 2019年1月14日 13:27:21 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-22225] 報告

しかし、よくこんな不細工なババアを主役にしたな。

日本で溝口健二が全然人気無いのはこのオバサンの顔を見ただけで憂鬱になるからさ。

ヨーロッパではオペラで60歳の女性歌手が16歳の町娘を演じたりするから、女優の容姿については語らない習慣が有るし、アジア女はそういう容姿なんだと思っているのかもしれない。

2. 中川隆[-12992] koaQ7Jey 2019年1月15日 07:13:59 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-22225] 報告

田中絹代がヨーロッパの映画人に人気の理由


北米海外生活 - 5ちゃんねる掲示板

白人男は何故日本のブスが好きなのか
https://life7.5ch.net/test/read.cgi/northa/1125625740/

2白人男は何故日本のブスが好きなのか 2
https://life7.5ch.net/test/read.cgi/northa/1153201560/


_____


アジア女性はブスほど白人にもてる


40 : :03/04/10 10:54 ID:OUWqCGJs

あいつらの美的感覚を疑うよ。
ゴーゴーバーでも何でこんな美人が残ってて
ブスがお持ち帰りされるんだろうと不思議に思うよ。
http://www.unkar.org/read/society6.2ch.net/21oversea/1049826237

368 :とろん:2007/04/08(日) 20:11:57 ID:E/acou04

ファランはなんであんな色黒な不細工な女を好むのだろう。
タイの普通の女性も首をかしげていた。


369 :ももんが:2007/04/08(日) 20:22:30 ID:+HPbzazM

> HYPERLINK "http://www.unkar.org/read/society6.2ch.net/21oversea/1049826237"> HYPERLINK "http://www.unkar.org/read/society6.2ch.net/21oversea/1049826237"368

毛唐に言わせれば、そのほうがエキゾチックなんだとよw
http://www.unkar.org/read/society6.2ch.net/21oversea/1049826237


女の口のあたりが鼻より先に突き出しているところがタイ式土人 HYPERLINK "http://blog.fc2.com/tag/%C7%E4%BD%D5%C9%D8"売春婦によくある特徴。

何度も書いたように、「売春とは限らないじゃないか」という抗弁はマレーシアも含め東南アジアではまったく無効。連れの女を売春婦に見られたくなかったら、女にそれらしい格好をさせ、自分もそれらしい格好をしてそれらしく振舞うべき。(ここが日本なら無料奉仕かもしれないし女のほうが買っているかもしれないといえるが=肉便器)

タイの白人などは、バーの女との契約を競い合ったりする。なかには売春婦の取り合いでバービアで喧嘩を始めるやつもいる。彼らから見てイカシている売春婦を連れ歩くことはむしろ自慢なのである。彼らは、いかにも売春婦という感じの女をそのまま得意げに連れ歩く。

タイでは、わざわざ身寄りのない娘を探してきて結婚する白人男も少なくない。そんな娘はたいてい売春婦。タイに定住するのが主目的だろうが、身寄りのない娘なら親族にたかられる虞がないという考えかららしい。もっとも、たかってくるのが親族だけとも限らないが。

私は以前、ある白人に、どうして白人男性はあんなに醜い女をいつも連れ歩きたがるのだろうか、と真面目に聞いてみたことがある。

というのは、中年を過ぎたような白人男性が売春婦丸出しの女を連れて歩いていることが多すぎるので、私にはどうしてもその動機が理解できなかったからである。
彼らは毎日セックスしたい年齢でもないだろうし、まして誰とでもいいから毎日セックスしたいという歳ではない。金をかけてまで醜い女を連れ歩く意味がどこにあるのか、バーで客をとっていた売春婦と同じ空間で生活するだけでも気持ち悪くないのか、という素朴な疑問である。

その人はわりと誠実な人で、真面目に答えてくれた。彼によれば、彼らが連れ歩く売春婦は「スーツケースのプラグのようなもの」だそうである。プラグとは「詰め物」という意味。スーツケースの荷物が動き回らないように隙間に詰めるものということである。

なお「土人」という言葉を私は誹謗の言葉として使っているのではない。これは客観的な性質なのである。

タイ社会は、自己の中にある「土人」性を十分に自覚している。
「土人」を制度化し、「土人搾取」のシステムを内包しているのがタイの社会なのである。

これは「土人」とそうでない人がいるという意味ではない。そうではなくて、上流色白タイ族であっても、自分自身も白人の前ではいつでも「土人」として最低に卑屈に振舞えるように、それ以上に、タイ社会の中の「弱い部分」を自分以下の「土人」として徹底的に卑下し搾取し、外国人に奴隷として容易に売り払える体制のことである。

この意味でタイこそはアジアの「土人売春国家体制」の大元であり震源地たる「便所国家」なのであって、KLで見るようなものはまったくその「ひこばえ」に過ぎない。(私はその震源地を見る気力をもうなくしたので、KLあたりにいてひこばえを見ているのである)
http://ibrahim.blog49.fc2.com/blog-entry-4.html

3. 中川隆[-12990] koaQ7Jey 2019年1月15日 07:42:12 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-22225] 報告

日本女性がヨーロッパの映画人に人気の理由


戦前、日本の売春婦は、その小柄さ、その恥じない快楽主義、そして彼女たちの自尊と誠実さを込めた甘美なサービスで、国際的な評判を得ていた。

彼女たちは、主要都市の街外れにある、壁で囲まれ、飾り立てられた街区に住み、働いていた。その最も著名なものは、東京の吉原で、きらめく提灯とごった返す小路を持つ40エーカー〔16万m2〕ほどの治安の良い一画を形成し、金張りの龍と朱塗りの門、着飾った客引きや曲芸師と砂糖菓子売り、格子を通して垣間見える池や庭と縁側や格子窓の向こうの女たちといった、集積された東洋の魅惑と悪徳の場であった。

 空襲を生き延びたそうした女たちは、首都圏全体に霧散していた。少しでも英語が話せるものは、特殊慰安施設協会に雇われ、郊外の古びた宿屋や、同協会が下町に作ったキャバレーや売春宿で、そのサービスを提供するのを待ち構えていた。

アメリカ人による需要は、ついには、横浜の「ビック・ティッツ〔「大きなおっぱい」の意〕・バー」や。東京の「ハード・オン〔「勃起した」の意〕・カフェ」のような目立った歓楽場所を生みだし、占領が始まって1ヶ月も経たない時点で、歓迎されるとみられる所では、目立たないようにながら、あたかも偶然を装い、そうした女たちが商売を始めていた。

 米兵のうちには、まるで麻薬の幻覚であるかのような、そうした初期の出来事を経験したものがいる。日本の地方で、武器の隠し場所を捜索していた元第8軍団の軍曹が、1945年10月末のある日の経験を述べている。


 彼と同僚は、その日、東京の東方にある小さな海辺の町のほこりっぽい広場に、彼らの乗るジープを止めた。そこで彼らが、昼食のためにK号携帯糧食を開こうとしていた時、シルクハットを被り、黒く盛装した一人の紳士がやってきて、たどたどしい英語で、粗末な場所だがその屋根の下で、食事を摂ったらいかがかと申し出てきた。彼は、ジープの後方バンパーに立ち、海を見下ろす崖の上へと、砂利道を案内した。竹藪の前で車を止めさせ、崖の淵にある、古い宿屋へと小道を下った。

その玄関では、着物を着た四人の麗しい娘が、彼らの靴を脱がせ、二階の、漆塗りの食卓の置かれた畳敷きの部屋へと通した。座布団が差しだされ、ふすまが開けられると、素晴らしい景色がそこに広がり、眼下では波が磯に砕け散っていた。女中が、K号携帯糧食に加えるべく、ビール、おひつに入ったほかほかのご飯、数々の前菜を持って入ってきた。娘たちは、間違った英語をにぎやかにしゃべり、はしを使って米兵たちにそれを食べさせた。そして、指やマッチ棒やビール瓶をもちいた接客ゲーム――言葉を超越した遊び――を彼らに教えた。とっくり入りの燗のついた酒も出され、それを杯で飲んだ。

やがて、食事と歓談に満腹したところで、娘たちが言った。「お風呂に入りましょう」。

 折り返した階段を下りて、崖下のほら穴状の部屋へと案内された。その岩の床はおだやかに傾斜し、一方の壁は海に向かった開口部だった。その床の中央に、タイル張りの湯気をあげる浴槽があった。

娘たちは着物を取り、男たちの服を脱がせ始めた。娘たちは、手おけで火傷しそうなその熱いお湯を自らあびた。その行為は繰り返され、兵士たちは大喜びしてそれをまねた。皆がそうして洗い終わった時、娘たちは浴槽の中に身を沈めた。男たちは、それに従い、その40度を越える熱いお湯に体を入れ、ゆっくりと首までつかったが、火傷はしないようだった。彼女たちは、兵士たちの顔を手ぬぐいでふいて、女中が運んできたビールを小さなグラスで飲ませた。遠くでは、崖の影が、海面の上に長く延びていた。

 皆がよく浸かった頃、女中が清潔な木綿の浴衣を持ってきて、男たちはそれを着て、その帯を前で結び、その結び目を背に回すことを教わった。そして娘たちは、彼らを、二階の個室へと案内した。そこでは、畳の床の上に厚い布団が敷かれ、またしても、ビールが幾本か、食膳の上に並べられていた。

一人の娘が、「アメリカ風の愛し方をして」と、軍曹に手を巻きつけながら言った。軍曹は、一瞬息をのみ、圧倒され、夢中となって、そして、それを拒むには自分が余りに誇らしくなっているのを感じていた。

翌朝、彼は一人で眼を覚ました。隣の部屋の仲間を起こし、そのぜいたくな遊びの代金を請求された場合を心配して、彼らの手持ちの金をかき集めた。

女中がお茶とご飯をもってきた。朝食の後、彼らは、その黒の盛装の男にそれでよいかを尋ねた。その男は、その代金は、一人につき、煙草二箱で結構と言った。玄関では、昨夜の相手をしてくれた娘たちが、靴べらを手にして待っており、満面の笑みをうかべて礼をして、彼らが帰途につくのを見送った。


 そのような、初期の接触がもたらした体験や物語は、親密関係無しといった公式占領政策をアメリカのMPによって徹底させることを不可能にした。ジャングルで闘ってきた精鋭部隊が、すべて「米国内」に帰還し終わるまでに、そうした女たちは、米国人宿泊所や定期的な一掃取締についてのあらましを知っていた。

連合軍隊員によって占められたかつての日本軍兵舎や武器改造工場は、消灯時ともなると、ヒールの音や漂う香水の香り、溜息や何かのきしみ音などが響く、不可思議な時間帯となった。
http://www.retirementaustralia.net/rk_tr_emperor_13_3_1.htm

4. 中川隆[-12988] koaQ7Jey 2019年1月15日 07:52:41 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-22225] 報告

日本女性がヨーロッパの映画人に人気の理由 _ 2


母さん。僕、天使を見たんだよ。本当だよ

私の行きつけのソープは岐阜の金津園、総額35000円の店だった。
当時私はスデに常連の部類になっており、店員もなじみになっていた。
あろうことかあるとき私に店がダブルブッキングをぶちかました!
(俺を誰だと思ってるんだ)

当然に店は平謝り、最高の女性を付けるから勘弁してくれとの事。
吹くじゃねぇか。この手のパターンで良い女が付いたためしは無いが、ここは、なじみの店員の顔を立ててやることにした。
貴様の大風呂敷に付き合ってやる。
。。。。。

私は期待薄だった。
ところがその女性は徹底的に違っていた、部屋に入るなり電気を暗くしていきなりディープキス。
いつもと違うぞ。私は面食らった。
彼女は私の口の中を舐め回しながら器用に私の服を1枚づつ脱がして行き、私の全身にキスの嵐を浴びせつつもいつのまにか自分も全裸になっている。

そしてシズシズとひざまづくと唐突に洗っていない私のチンポをフェラし始めたのだ。
チンポは当然ギンギンで破裂しそうになっている。通常の2割増しだ。(当社比)
それはそれはとてもやさしいフェラだった、慈しむようなフェラだ。

僕の亀頭に彼女の舌が微妙なタッチでまとわりつく筆で撫でられているようだ。
声が出そうだった。
これが一生続けばいいのにと思った。
が、彼女はすぐにフェラを止め、私をベッドに横にした。

そして彼女は天を突いた私のチンコを優しくつかむのだ、まさか?

彼女は遠慮がちに私の上に跨ってきた。
ずぶずぶと入っていく、「ナマだ」 うわ、死ぬほど気持ちが良い。
それもそのはず私は当時プライベートを含め生挿入した事がなかったのだ。

彼女はゆっくり動き出した、(ちゅぷっ、ちゅくっ)静けさの中に、お互いの性器同士が生でこすれる音がする。

こんな気持ちが良いSEXは初めてだ。

「もう出ちゃいそっ、いいの?」
「うん、キテ」
彼女は吐息まじりにそう言うと、ほんの少しだけスピードを早めた。

射精が永遠に続きそうなほどの快感に体が包まれた。

(ちなみに彼女の中に入っていたのは多分30秒くらいだけ)まさに秒殺です。
実際はもっと早かったかも。

イク瞬間ケンシロウの声が聞こえてきた。
「天に帰る時が来たのだ」(嘘)

僕がイってしまった後も彼女は僕のチンコが萎えるまで挿入したままだった。

しばらくして、彼女は体を引き上げる。
彼女からチンポが抜けると彼女のアソコからポタポタと僕の体に精液が落ちてきた。
中に出したのだ、という実感がさらに湧いた。

すごい。これが本当のSEXなんだ、
比べれば今までのゴムツキのSEXなんてお遊びではないか!

彼女はベッドで放心状態で寝ている横に添い寝して僕を優しく見つめた。

そして、当然「早いのね」などとは言わず、

「私のお○こ気持ち良かった? 今日は一杯しようね」

と微笑んだ。
(母さん。僕、天使を見たんだよ。本当だよ)
ここまでで、まだ出会って10分足らずだった(ここは100分の店)
そしてその後、マットで一発。ベットで一発。もちろん全部中出しです。

彼女はイスでも風呂でも暇さえあれば挿入してくるし、咥えてくるしとても礼儀正しいし、何も言う事ありませんでした。(アンタにゃ教える事など何もない)
まさか33000円の大衆ソープでこんな高級ソープなみのサービスを受けるとは…。
非常にギモンです。何か病気を含めて心配になってしまう。

聞けば、彼女はあの阪神大震災で住んでいた家を無くし、岐阜へ流れて来たのだという。

彼女は以前神戸の福原にある超高級ソープに在籍し、念願のマンションを購入したばかりだったが、地震によって10階建てのマンションが5階建てくらいの高さに潰れてしまったらしい。
(まったくもって恐ろしい話だ:彼女は笑ってたけど…)

ちなみに彼女は7階に住んでいたので難を逃れたと言うはなしだった。

なお、その店は総額75000円だったそうです。(そりゃ、サービス良い訳だ)

金津園のも6万円以上の高級ソープはあるんですが、なぜあそこに居たんでしょうか?

謎です。 しかし翌月、彼女は店から姿を消していました。
http://www.ippu-do.com/so-pu.htm


149 :名無しさん@入浴中[sage]:2007/01/19(金) 14:25:40 ID:F0YiZrFB0

いままでで思い出に残るのは

ラテンのみゆき
迎賓館の舞咲
プレジの一夜

特にみゆきは絶品だったなあ・・・遠い目・・・

今は伝説となってしまった みゆきさんは出勤すると自分の持ち部屋に行き、毎日食事も取らずに付きっぱなしであとは店の車で帰るだけです。
彼女の技は基本に忠実なだけで、特筆すべき点は何らないのです。

マットにせよイスにせよベッドにせよ・・・どこにでもあるありきたりです。

彼女が今あるのは、類まれなる演技力・記憶力・心配り・顧客管理 だと思われます。
それプラス、2時間限定でお客さんの恋人になりきる努力。
それぞれのお客さんの趣向にあわせるコツ。それを見抜く眼力。
ああ、来て良かった、また来ようと思わせるような最善の努力です。

彼女は普段から装飾品の一切をしていません。ネックレス・ピアス・ネイル等々
爪はいつも綺麗に切り揃えてあるだけです。服装も華美ではありません。
そんなものが無くても、彼女自身があるだけで男性にとっては十分なのです。
彼女が現在の地位になるまで、吉原や他の地域で足掛け4年掛かっています。

それだけの歳月を要して、コツコツと積み上げて今の彼女があるわけです。
まさにローマは一日にしてならずと言ったところでしょうか。
http://okazu.bbspink.com/soap/kako/1030/10304/1030415082.html

5. 中川隆[-12987] koaQ7Jey 2019年1月15日 09:20:28 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-22225] 報告

2002年2月下旬

吉原(東京)
ラテンクォーター みゆき(早川いづみ)

店総合…80点
姫総合…100点
リップ…100点
マット…100点
本気度…100点

2. Posted by はたぼー October 23, 2011 03:28

ラテンクォーターのみゆきさん、 ホントに素敵な女性でした
ちょっとロリ系で

アソコに入れているのかアナルに入れているのか分からなかったなぁ

幸せになっていることを祈ります
http://blog.livedoor.jp/zqy1tomr6o/archives/240240.html#comments

2003年02月04日(火) ある風俗嬢の引退

ある有名風俗嬢が引退した。
ラテンクォーターのみゆきさんという。

もっとも、彼女のことは噂でしか知らない。
インターネットはおろか、店のアルバムにも載っていなかったらしいが、
連日予約で埋まっていたという。
しかも予約は常連客で埋まるため、
新規で彼女にに入ることはよほど運がよくなければ難しいという話しであった。
もっとも情報源が「2ちゃんねる」だから真偽のほどは定かではない。

去年の10月頃だっただろうか、
ラテンクォーターからみゆきさんの先行予約受け付けのお知らせがきた。
詳しくは忘れたが、たしか
「11月1、3、5、7、...、29日の15:00からの枠について、
 10月の某日朝10時から特別に予約を受け付ける」
というものだった。
しかも、電話予約後 3日以内に総額の65000円を店に入金し、
その後 客のキャンセルによる返金は一切なし、という超強気の内容であった。

俺なんぞはこれを見て、1カ月以上先の予定なんぞ誰が分かるか!
いくらなんでもナメすぎじゃねぇか! と思ったが、
予約が非常に困難だと言うのは単なる噂ではなかったようで、
全枠すぐに埋まったらしい。
その後、朝9:00からの枠の追加予約が行なわれ、
12月もやはり同様の先行予約のお知らせがあった。

1日おきに口開けからびっしり埋まっている仕事をかかえ、
しかもその一部は先払いされているのだから、
そのプレッシャーたるや相当のはずである。
彼女に少なからず興味をいだいたが、
いかんせん、店の傍若無人なやり方が気に食わなかった。

そうこうして年は開けて、1月15日、
その店からメールマガジンが届いた。
「新人情報」、「二輪車お奨め情報」等が続いた最後に、
こう付け加えられていた。
少々ためらわれたが、全文、引用する。

◆みゆき退店について◆
当店在籍していました、 みゆき ですが1月15日をもちまして退店いたしました。
退店理由は、寿退店です。
 
・みゆきからのメッセージです

精神的にも肉体的にもとても疲れました。
2月を最後に、引退しようと密かに考えていましたが、
二度と戻らない決心で、本日、引退することになりました。
とてもお世話になってありがとうございました。

私は、婚約しました。
一人の男性につくしていくことに決めました。
本日、連絡先をすべて解約しましたので、
一人一人お伝えできなかったことをお許し下さい。
そして、皆様からのメッセージもお受け取りできないことをお許し下さい。
皆さまと出会えて良かったです。
たくさん可愛がってくれてどうもありがとうございました。

ラテンクォーターを今後ともどうか宜しくお願いします。
ずっと変わらないマイペースなラテンクォーターであり続けてくれるように、
今後は、陰ながら祈っていたいと思います。
ラテンクォーターにお客様たちを残していきたいです。
これが、私にできる最後のお仕事です。
お店の方、みゆきのお客様たちをどうか宜しくお願いします。
みゆきのお客様たちがが、ラテンクォーターで素敵な女の子と出会えてくれることを 願ってます。

お世話になりました。
みゆき

今まで応援して頂きまして本当に有難う御座いました。

真実は知るべくもないが、
上の文章が単なる上っ面の言葉だけでないことは間違いない。

実際に彼女に入ったことのある人はどう感じているのかと思い、
2ちゃんねるのスレをのぞいてみた。
すると、

501 :名無しさん@入浴中 :03/01/15 22:18 ID:01tjgyL4
   たった今、心にぽっかり穴があきますた。

を皮切りに、(以下少々長いが、2ちゃんねるから引用)

504 :名無しさん@入浴中 :03/01/15 23:18 ID:NMbLOu0z
   みゆき引退だな。。。。。

505 :名無しさん@入浴中 :03/01/15 23:30 ID:01tjgyL4
   ダンナを頃してみゆきを吉原に呼び戻せ!俺のストーキングの成果を見よ!
   ・・・なんていう奴が出ませんように。

506 :名無しさん@入浴中 :03/01/15 23:47 ID:cJMsOQ/Z
   みゆきを獲得した男がうらやますい〜
   毎晩あの激しいSEXを独占か〜

   伝説のNO.1が寿引退・・・・ラテンにぽっかり穴が空いたな
   携帯も解約済みの上、メルマガ流してくれたよな
   綺麗に去ってくれてありがと
   さみしいけど幸せをねがってるよ

   みゆきちゃん、ありがとう!!
   おつかれさま

508 :名無しさん@入浴中 :03/01/16 03:21 ID:mo86WZaI
   みゆきさま〜!!

509 :名無しさん@入浴中 :03/01/16 08:12 ID:Lmg2S/OW
   >>506

   店のメルマガ目を通して無かったよ。貴方のおかげで引退を知りました。
   ガ〜〜〜〜〜〜〜ン

   あ〜〜〜あ お気に入り姫いなくなっちゃったな。
   二度とラテンに行くことも無いだろう。
   ただ以前みたいに、寿退店がカモフラージュであって欲しいと願ってるが
   鯖落までしてるんだから本当だろうなぁ… ガックシ

510 :名無しさん@入浴中 :03/01/16 08:27 ID:s6fPVV1j
   みゆき以上の姫いないよ
   仕事も手につかない

511 :名無しさん@入浴中 :03/01/16 08:46 ID:Lmg2S/OW
   >>509

   同感です。
   あれだけ気を使ってくれてお客の事考えてくれる姫はいなかったなぁ。
   婚約者って客だったんだろうか?
   不謹慎だが解消されてカンバックして欲しいと思う反面
   幸せにと思う事半々だな。
   あ〜〜〜〜〜あ ワイン風呂良かったなぁ。

512 :名無しさん@入浴中 :03/01/16 08:51 ID:Lmg2S/OW
   それにしても 引退記事 メルマガの一番上に明記すべきだよ。
   ラテンにとっちゃ大大問題だったのに。
   あんなに下じゃみゆきの顧客は見ねぇ〜って。
   去年の先行予約とか何だったんだろうなぁ〜 新規顧客の掘り起こしか?
   店側から辞める前に顧客を開拓してくれとでも言われてたのかな?
     みゆきの顧客は増えるが
   店の顧客は増えねぇのに。。。

513 :名無しさん@入浴中 :03/01/16 10:04 ID:G0Gz75ku
   客をみんな差別なく大切にしてくれた姫だからこそ
   あれだけの顧客を維持できたんだと思うよ。
   客だけでなく、店の事や在籍姫のことまでいつも気にかけていた。
   先行予約は決してただの新規開拓なんかじゃなかったよ。
   ラテン話題を売る為に自ら考えた手段だったんだよ。
   自分が叩かれても店に話題を呼んであげようと必死に考えていたよ。
   自身の羽を自ら織って影で支えた偉大な人だった。

514 :名無しさん@入浴中 :03/01/16 10:24 ID:Lmg2S/OW
   >>513

   そう言えばいつも店が流行って欲しいみたいな事言ってたけ…
   おおお マジで鶴の恩返しみたいだったかも。
   でも、俺には休暇だと言ってた(他のお客は知らないけど)
   せめて真実言ってもらえれば
   お別れにもう1回会いに行ったのに… 残念。
   随分お世話になったから余計にそう感じるよ。

515 :名無しさん@入浴中 :03/01/16 10:25 ID:Lmg2S/OW
   まるで通夜で思い出を語り合ってるみたいだな(W

516 :名無しさん@入浴中 :03/01/16 10:45 ID:knIDc3a3
   いやー客に軽々と引退を話す姫じゃなかろう
   誰にも告げず店に客を残す みゆきさんらしいよ
   もういなくなるよ〜という行動はとっていたよな
   言葉で告げないけど、
   持ち部屋の荷物片付けることで客に伝えようとしてくれたんじゃないの
   綺麗な終わりだった

517 :名無しさん@入浴中 :03/01/16 11:48 ID:Lmg2S/OW
   これでラテンの顧客300人前後減るんだろうなぁ少し心配だ。

   お店としては出来る限り辞めて欲しくなかったんだろうけど。
   最後の方は見ていて少し辛そうだったからしょうがないな。

と続いていた。
みゆきさんがどんな女性であったのか、
また彼女の引退で客がどう感じているかが伺い知れる。
噂のかたまり「2ちゃんねる」といえども、
どれが本当でどれがウソかは分かるものだ。

風俗はもちろん時間から時間までの遊びである。
しかし、人と人とのふれ合いである以上、
分かっていてもそう単純に割り切れないところがあるのだ。
自分の経験とダブって見えて、切なさを禁じえない。
しかし、たとえ馴染みの女の子が去り、心に吹き荒ぶ荒野が広がったとしても、
気がつけばチンポは再びおっ立っているのだ。
それが男である。
たくましく生きねばならない。
http://www.enpitu.ne.jp/usr4/bin/month?id=42702&pg=200302

January 29, 2007
ラテンクォーター みゆき(早川いづみ)

もう上がっちまったが姫だが、ラテンのみゆきは慶応卒だったらしい。

真偽の程は別として、100人を悠に越える常連の
予約を公平に受け、さばくため、貸切はおろか、Wすら受けずに
一休一勤の全コマを一月先まで常に売り切っていた、伝説の嬢だ。

パスワードを知ることの出来た幸運な常連は、
直接個人HPで予約状況を確認し、彼女にメールで予約を入れる。

一時期店に管理を任せたが、ダブルブッキングなどのトラブルが発生した為、
以降引退まで全ての予約は彼女が完璧に個人管理した。

予約の前日、すなわち公休日には
明日の確認メールを各常連宛に、逢瀬を期待させる一言を添えて個別に送る。

逢瀬の後には決して次をねだらぬトーンで、
かつ逢いに行った男の自尊心を確実に満たしてくれる丁寧な礼が届く。

11月の解禁日以降はヴィラージュヌーボを自費で仕入れ、
訪れる客全てに振る舞い、
クリスマスには個別のメッセージを
少ない休みの時間を削ってグリーティングカード形式のメールで
百数十人の顧客全てに送る。

決して饒舌ではないが、何より多くを語る眼差しに込められた気持ちは
うたかたの逢瀬の間は、全ての客にとって真実だった。

最後のメリークリスマスを通った回数の多寡に関わらず
連絡先のわかる全ての客に送り終えた後、
年が変わり彼女の出勤は突然途絶えた。

一月余りの後、店のHPに引退を告げるメッセージと
個人HP を閉鎖しメールアドレスを無効にする事の詫びを残し、
彼女はこの世界から完全に姿を消した。

見事な引き際だった。
http://blog.livedoor.jp/zqy1tomr6o/archives/240240.html


泡姫の人気は容姿と全然関係無いみたいですね。

溝口健二のヨーロッパでの人気も日本人にはわからないだけなんでしょうね。

6. 中川隆[-12984] koaQ7Jey 2019年1月15日 10:29:24 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-22225] 報告

溝口健二は気品の有る上流階級の美女が大嫌いだった


滝の白糸・残菊物語 溝口健二 

都内の名画座で行われている溝口健二特集。
滝の白糸、と、残菊物語、を観た。

新藤兼人『ある映画監督の生涯』dvd に収録されている佐藤忠男と新藤兼人の音声解説はめっぽう面白く、ツタヤで2週間借りっぱなし、毎日、何度も連続してみても飽きることがない。なかでも、入江たか子と、田中絹代は圧倒的存在感である。むろん、気品の高さ、美しさ、では入江たか子。はじめてこのビデオを観たとき、うわさにきく入江たか子を観たときは息が止まりそうであった。。。 日本女性特有の美、と奥ゆかしさ、というものをそれまで信じていなかったが、「ある映画監督の生涯」にインタビュイーとして登場した入江たか子を観たとき、外国女性にはあり得ないものがある、と確信した。入江たか子はこのインタビューを行ったとき、すでに高齢であったが、気品と香華、。。女性の魅力というものは年令を超えている。

滝の白糸は入江たか子が22歳で出演し、みずからプロデュースをやった映画。無声映画であるが、流れるようなストーリー。75分の作品である。入江は妖艶。

残菊物語。佐藤忠男は上記の音声解説でこのように語っている。ある英国評論家に佐藤が、溝口でベストは何か?と尋ねたところ残菊だ、と直ちに相手が答えた、と。 140分を超える長さである。ストーリー自体はありふれた夫婦物語。妻が世間の無理解に逆らって夫を助ける話である。溝口映画でもかなり長い部類に入るが長さは全く感じなかった。この作品をdvd解説で新藤は次のように言っている。ストーリ自体は古いが、この映画のテーマは普遍性があります、と。

新藤は女性と問題を多く起こしたがその結果、奥さんが発狂した(と、溝口は信じていた)。幼いときから溝口は多くの女性に取り巻かれ助けられた。溝口の映画は妻(女性)にタイする贖罪意識から作られている。 映画を観おわってハタと気が付いた。新藤兼人自身が溝口の後を追っているのだ、と(女性に対する贖罪と感謝)。新藤における最大の女性はむろん母親である。 残菊物語の語り直しは、新藤の「愛妻物語」である。

両映画とも、ラストが素晴らしかった。

ある映画監督の生涯 溝口健二の記録(田中絹代)1975年
http://www.youtube.com/watch?v=7YGXnjUiWXE

芸術家同士の愛情と対立と尊敬。

実生活ではたとえ結婚できなくても。。「(溝口)先生からそう想われている、ということは、結婚したも同然。。。そうじゃございません?新藤さん! そうじゃございませんか?」
新藤は田中絹代へのインタビューが成功しなかったらこの映画(ある映画監督の生涯)はあきらめよう、と覚悟を決めてインタビューに臨んだという。新藤の必死の食い下がりに、田中も応じた。気迫と感動のインタビューである。


解説対談で新藤兼人は、溝口と田中は男女の仲になった、と明かしている。ベネツア映画祭に参加したときホテルでのことである。わたしは大いに驚いた。もちろんインタビューで田中はこのことを明かすわけはないし、インタビューする新藤だってこのことをまだ知っていない。

新藤「(男女関係になったことは)よかったとおもいますよ。田中絹代は溝口健二が恋いこがれた女性ですから。。。」。。わたしは胸が熱くなった。
https://furuido.blog.so-net.ne.jp/2013-06-02

▲△▽▼

女優・高峰秀子は、戦前の女優で一番美しかったのは入江たか子であったと、回想したという。

なるほど、滝の白糸は美しい。容貌ばかりでなく、鉄火肌、捨て身の「誠」が滲み出る美しさ、姐御の貫禄、遊芸の色気、温もりを伴った美しさなのである。それは、村越が下宿の老婆に「姉さんから仕送りをしてもらっている」と話していたことからも瞭然であろう。もとはと言えば、自分の悪ふざけが村越の運命を狂わせた、その償いのためだけに彼女は生き、死んで行ったのである。その「誠」を知ってか、知らずか村越も後を追う。

「女性映画」の名手・成瀬巳喜男は「女のたくましさ」を描出することに長けている。
一方、「女性映画」の巨匠・溝口健二が追求したのは「女の性」、(成瀬に向けて)「強いばかりが女じゃないよ」という空気が漂う、渾身の名作であった、と私は思う。お見事!
https://nasino.muragon.com/entry/252.html

▲△▽▼

入江たか子

入江 たか子(いりえ たかこ、本名・東坊城 英子(ひがしぼうじょう ひでこ)、1911年(明治44年)2月7日 - 1995年(平成7年)1月12日)は、明治から昭和期の日本の映画女優。


東京市四谷区(現・新宿区)に生まれる。
子爵東坊城家の出身で父の東坊城徳長は子爵、貴族院議員。

1922年(大正11年)、その父が亡くなり生活に困窮するも文化学院中学部に入学。油絵を習っていたが、関東大震災で家は半壊し、手放さなければならなくなった。

1927年(昭和2年)、文化学院を卒業後、日活京都撮影所の俳優で兄の東坊城恭長(後に監督・脚本家)を頼って京都に移る。同年、兄の友人で「エラン・ヴィタール小劇場」の主宰者野淵昶に請われて女優として新劇の舞台に立つ。それを観た内田吐夢の目に留まり、その勧めに従い同年、日活に入社。

同年、内田監督の『けちんぼ長者』で映画デビュー。華族出の入江の、突然の映画界デビューは、当時の世を騒然とさせた。

以後、村田実の『激流』、内田の『生ける人形』、溝口健二の『東京行進曲』などに主演し、たちまち、日活現代劇人気ナンバー1女優の地位につく。

1931年(昭和6年)、千恵蔵プロを主宰していた片岡千恵蔵が、入江の現代劇での芸者役を見て「入江は時代劇に向いている」と認め、『元禄十三年』(稲垣浩監督)で相手役に抜擢。時代劇初出演を果たした。

「入江ぷろ」の創設

1932年(昭和7年)、新興キネマと提携して映画製作会社入江ぷろだくしょんを創立。当時、阪東妻三郎などスター男優が次々と独立プロダクションを作っていたが、女優の独立プロも現代劇の独立プロも「入江ぷろ」が初めてであった。

この時代、入江たか子は日本映画界最高の位置にあった。
その第1作は溝口健二監督、中野英治共演による『満蒙建国の黎明』だった。
この作品は満州建国を背景に川島芳子からヒントを得た超大作で海外ロケを行い、半年の製作日数をかけた大々的なものだった。

この後、日活の俳優、田村道美と結婚し、のちにたか子のマネージャー・プロデューサーとなる。田村が自らの人気を考えて結婚を公表せず、籍も入れない別居生活であったため、兄の恭長は田村を嫌い、映画界を辞める。結婚10年後に子供が生まれ、これを機に法的にも結婚する。

1933年(昭和8年)、泉鏡花の名作『滝の白糸』をまた溝口監督で撮り、大好評となる。ところが、溝口は一女優の入江ぷろだくしょん作品の監督ということに屈辱を感じていたため、強引に実体のない名前だけの「溝口プロダクション」という名前をその横に列記させてもらい体面を保っていた。

続いて、サナトリウム(療養所)に勤務する美貌の看護師を演じた、久米正雄原作の『月よりの使者』が空前の大ヒットとなる。

1935年(昭和10年)頃は人気の絶頂にあり、この年のマルベル堂プロマイドの売り上げでは、1位が入江たか子、2位が田中絹代であった。

しかし、1937年(昭和12年)に吉屋信子の人気小説を映画化した『良人の貞操』のヒットを限りに「入江ぷろだくしょん」は解散、東宝と契約。

1937年(昭和13年)、長谷川一夫の東宝入社記念映画『藤十郎の恋』(山本嘉次郎監督)に出演。

1941年(昭和16年)、『白鷺』(島津保次郎監督)に出演。零落した美妓に扮し、泉鏡花の当たり狂言を原作とする「流れて動いて生きる、それが女というものでしょうか」との名ゼリフが評判となった。

戦時下に相次ぐ兄3人の死に直面し、仕事に対する情熱も冷めかけ、戦後は病気がちとなり、それに輪をかけるように主役の仕事も減っていった。1950年(昭和25年)にはバセドウ病の宣告を受け、無理を押して仕事をしながら入院費を工面し、ようやくのことで1951年(昭和26年)末になり大手術を受け、命を取り留める。


退院後は仕事をとることもままならなかったが、大映と年間4本の契約を結ぶ。その大映に戦前鈴木澄子主演であてた「化け猫映画」のリメイクの企画が持ち上がり、その主役の話が持ち込まれた。

生活のためと割り切り引き受け、1953年(昭和28年)、大映京都で『怪談佐賀屋敷』(荒川良平監督)に主演する。迫真の演技が受け映画は大当たり、次々と化け猫役が舞い込んだが、一方で「化け猫女優」のレッテルを貼られる。

更に1955年(昭和30年)、溝口監督の『楊貴妃』に出演。先述のように、かつて入江ぷろだくしょんという一女優の独立プロに雇われの身であったことを恥じていたことから入江に反感を持っていた溝口は、入江の演技に執拗な駄目出しをした上、

「そんな演技だから化け猫映画にしか出られないんだよ」

とスタッフ一同の面前で口汚く罵倒するという嫌がらせを行った。

執拗ないじめに耐えきれなかった入江は降板、その後は女優として満足な役が与えられなくなった。

1959年(昭和34年)、芸能界に見切りをつけ、銀座に「バー・いりえ」を開き、実業界に転身する。その後は娘の女優、入江若葉の夫の店である有楽町のとんかつ店を手伝いながら余生を過ごした。その間、黒澤明の『椿三十郎』、市川崑の『病院坂の首縊りの家』、大林宣彦の『時をかける少女』、同じく大林の『廃市』に請われて出演し、話題となった。

娘の若葉によると、かつて化け猫を演じた姿を「女優の生き様として知って欲しい」と、若葉に往年の化け猫映画を進んで見せたという。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%85%A5%E6%B1%9F%E3%81%9F%E3%81%8B%E5%AD%90

極左でマルキストの溝口健二は入江たか子みたいな貴族階級の人間を憎悪していたんですね。

7. 中川隆[-12981] koaQ7Jey 2019年1月15日 13:26:08 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-22225] 報告

男が不細工なフィリピン女性にメロメロになる理由

★フィリピンパブはなぜ男を狂わせる?

 全身火だるま状態でフィリピンパブに突入――。こんな派手な事件が愛知県で起きた。
 被害に遭ったのは西尾市の「ショーパブ ズー」。13日午後11時50分ごろ、男性が
灯油をかぶって火だるまになり、店内に飛び込んで死亡した。鉄筋2階建ての1階部分
140平方メートルのうち100平方メートルが焼けたという。

(中略)


 客がフィリピン女性にメロメロになるケースが多い。いったい、何がいいのか。

「一番の魅力は性格です」とはフリーライターの出町柳次氏だ。

「フィリピン女性はラテンのノリがあり、屈託のない明るさで接客するんです。しかも
優しくてフレンドリー。頼みもしないのに“疲れてるでしょ”と手のひらのマッサージを
してくれ、毎朝“おはようメール”で起こしてくれたりもします。思い込みの強い客は
相手が自分にホレていると錯覚してしまうのです」

 セックスでも献身的だ。

「スペイン系の血が流れている女性は肌が白く、見事なモデル体形。カトリックの教えも
あって、とことん男に尽くします。ベッドでは“もういいよ”と言うまでフェラや全身
ナメをたっぷりしてくれるし、感度も抜群。事後は靴下をはかせ、髪をとかしたりして
くれる。ヘソのそうじまでする女性もいます。ほかの国のホステスと奉仕の精神が違う
のです」(風俗ライターの蛯名泰造氏)

 一度、付き合ってみたいものだ。

日刊ゲンダイ - 2013/2/16 7:00
http://netallica.yahoo.co.jp/news/20130216-00000003-a_aaac

▲上へ      ★阿修羅♪ > 近代史3掲示板 次へ  前へ

  拍手はせず、拍手一覧を見る

フォローアップ:


★登録無しでコメント可能。今すぐ反映 通常 |動画・ツイッター等 |htmltag可(熟練者向)
タグCheck |タグに'だけを使っている場合のcheck |checkしない)(各説明

←ペンネーム新規登録ならチェック)
↓ペンネーム(2023/11/26から必須)

↓パスワード(ペンネームに必須)

(ペンネームとパスワードは初回使用で記録、次回以降にチェック。パスワードはメモすべし。)
↓画像認証
( 上画像文字を入力)
ルール確認&失敗対策
画像の URL (任意):
投稿コメント全ログ  コメント即時配信  スレ建て依頼  削除コメント確認方法

▲上へ      ★阿修羅♪ > 近代史3掲示板 次へ  前へ

★阿修羅♪ http://www.asyura2.com/ since 1995
スパムメールの中から見つけ出すためにメールのタイトルには必ず「阿修羅さんへ」と記述してください。
すべてのページの引用、転載、リンクを許可します。確認メールは不要です。引用元リンクを表示してください。
 
▲上へ       
★阿修羅♪  
近代史3掲示板  
次へ