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第68・69代総理大臣(1978年-1980年) 大平正芳がやった事
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/288.html
投稿者 中川隆 日時 2019 年 3 月 11 日 10:47:07: 3bF/xW6Ehzs4I koaQ7Jey
 

(回答先: 第25代日本銀行総裁(1984-1989年) 澄田智がやった事 投稿者 中川隆 日時 2019 年 1 月 11 日 16:19:50)


第68・69代総理大臣(1978年-1980年) 大平正芳がやった事


2019年3月11日
【三橋貴明】大平正芳の呪縛


どこにも行けない日本国民が日本を守る
https://ameblo.jp/takaakimitsuhashi/entry-12444723181.html

グローバリズムという文明退化
https://ameblo.jp/takaakimitsuhashi/entry-12445436572.html

新刊の執筆に関連し、
大平正芳について調べています。

三木内閣の大蔵大臣として、
戦後初めて通常予算で赤字国債を発行し、
「万死に値する」と叫んだという、あの大平正芳です。

財務省は、1970年以降の
日本政府の長期債務残高(地方自治体分は除く)
についてデータを公表しています。

1970年以降の
「いわゆる国の借金」をグラフ化したものが、以下。

【日本の政府の長期債務残高と対GDP比率】


我が国では、

1975年 通常予算において
初となる赤字国債発行。
大平正芳蔵相「万死に値する!一生かけて償う」と発言

1982年 鈴木善幸首相「財政非常事態宣言」
1995年 武村正義蔵相「財政危機宣言」

と、過去に何度も閣僚や総理大臣が
「財政危機」を叫んできました。

2018年の政府の長期債務残高は
1107.4兆円。

村山内閣時の2.7倍、鈴木善幸時の5.4倍、
そして「万死に値する」三木内閣時の「34.5倍」、
1970年の「152.6倍」に達しています。

それにも関わらず、
財政破綻の「ざ」の字も見えず、
長期金利は十年物でマイナス。
世界最低水準を維持しているのです。

「何か、おかしい」と思わない方がおかしいですよ。
少しでも、思考能力を持っているならば。

それはともかく、
実は日本の「小さな政府」「グローバリズム」
の路線が始まったのが、
「万死に値する」の大平正芳が
総理大臣になった大平内閣以降なのです。

大平正芳は、総理大臣に就任する以前から
「小さな政府」主義者として有名でしたが、
首相として初めて「一般消費税の導入」を打ち出します。

とはいえ、消費税や財政以外の面でも、
大平内閣は「グローバリズム」でした。

1978年末に発足した大平内閣は、
様々な「政策研究会」を組織し、
その後の日本の政策に決定的な影響を与えることになります。

1980年にまとめられた
「大平総理の政策研究会報告書」を読むと、
実に興味深いことが書かれていました。

例えば、研究会の一つに
「環太平洋連帯研究グループ」があるのが目を引きます。

同研究会の報告書では、太平洋について
「内海と化した」「太平洋諸国がひとつの地域社会を形成し得る条件が整った」として、

「太平洋諸国が、その特色とする活力とダイナミズムをよく活用して、
グローバリズム(※原文ママ)の新たな担い手となることを、心から期待する」

と記されているのです。
お分かりでしょうが、
そのまんま「TPP(環太平洋経済連携協定)」です。

また、金融政策については、
「外国為替管理法による厳重な統制が、
人為的低金利政策等を実現する制度的な裏付けであったが、
日本の国際的な地位の向上に伴い、
「原則禁止・例外自由」という構造を持つ
外国為替管理を維持することは不可能になった」

と、1998年の外為法改正を
先取りする方針が書かれています。

また、財政については、
「財政赤字が拡大し、国債の大量発行時代が招来されたことである」
と、指摘し、

「経常的な歳出まで経常的に
公債の発行に依存する現在の状況は極めて危険であり、
当面の目標を「赤字公債」からの脱却におくのは妥当である」

と、早くも「プライマリーバランス黒字化」路線の採用を提言。

信じがたい話ですが、
現在の安倍政権の小さな政府、
グローバリズムのトリニティ路線が始まったのは、
今から40年前なのでございます。

日本のグローバリズム路線は、
40年前の大平正芳の呪縛により
継続しているという恐るべき事実を知ってください。
https://38news.jp/economy/13325  

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コメント
1. 中川隆[-11532] koaQ7Jey 2019年3月11日 11:00:54 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[462] 報告

大平 正芳(おおひら まさよし、1910年(明治43年)3月12日 - 1980年(昭和55年)6月12日)は、日本の大蔵官僚、政治家。

池田勇人の秘書官を経て政界に進出。宏池会会長として三角大福中の一角を占め、田中角栄内閣の外相として日中国交回復に貢献。四十日抗争やハプニング解散で消耗し、選挙中に首相在任のまま死去。

衆議院議員(11期)、
内閣官房長官(第21・22代)、
外務大臣(第92・93・100・101代)、
通商産業大臣(第31代)、
大蔵大臣(第79・80代)、
内閣総理大臣(第68・69代)

を歴任。首相就任までに椎名裁定、三木おろし、大福密約といった苦難があり、田園都市構想や一般消費税構想は実現しなかった。

読書家、クリスチャンとして知られ、「戦後政界指折りの知性派」との評もある。

生い立ち

香川県三豊郡和田村(現観音寺市)の農家・大平利吉と妻・サクの三男として生まれる[1]。兄2人、姉3人、弟妹がそれぞれ1人ずつの8人兄弟だったが、大平が生まれた時長女は満1歳で、兄の1人も2歳半ですでに亡くなっていた[2]。父の利吉は学歴こそなかったものの村会議員や水利組合の総代を務めていた[3][1]。大平は「讃岐の貧農の倅」と称したが生家は中流に属していた[1]。それでも子供6人を抱えた大平家の生活は苦しいもので、大平も幼いころから内職を手伝って家計を支えていた[4][5]。

学生時代

和田村立大正尋常高等小学校(現観音寺市立豊浜小学校)、旧制三豊中学校(現香川県立観音寺第一高等学校)に進んだ[6][7]。兄の大平数光は高等小学校を卒業して家業を継ぎ、後に豊浜町長となって大平の地元での選挙活動を支援した[8]。

1926年(大正15年)、三豊中4年の時大平は腸チフスに罹り4か月間生死の境をさまよった[9][10]。家計に負担をかけないため海軍兵学校を受験したが、受験前に急性中耳炎を患い身体検査で不合格となった[10]。翌1928年(昭和3年)4月、経済的に恵まれなかったものの親戚からの援助[10]や奨学金を得て高松高等商業学校(現香川大学経済学部)に進学[9]。


高商に入学した春、元東北帝国大学教授で宗教家の佐藤定吉が講演に訪れた際キリスト教に出会った[11][12]。自身の病や父の死を立て続けに経験した大平はキリスト教に傾倒し、1929年暮れに観音寺教会で洗礼を受けた[13]。


卒業後の進路について大平は大学への進学を希望したものの経済的に厳しく断念せざるを得なかった[14]。就職するにせよ昭和恐慌の煽りを受け採用自体がなかったため進学も就職も決まらない状態にあったところ、桃谷勘三郎の食客となり桃谷順天館で化粧品業に携わった[15]。

1933年(昭和8年)、再び学業に戻ることを決意した大平は綾歌郡坂出町(現坂出市)の鎌田共済会と香川県育英会の2つの奨学金を得て東京商科大学(現一橋大学)に進学した[16]。大平23歳の時のことである。文京区千駄木に居を構え、在学中大平は経済哲学の杉村広蔵助教授、法律思想史の牧野英一教授らの講義を手当たり次第に履修した[16]。卒業論文は「職分社会と同業組合」[17]。

大学在学中も引き続きキリスト教の活動にも精力的に参加し、YMCA活動に従事した[16]。

大蔵省時代

1935年(昭和10年)、高等試験行政科試験に合格したが、特に官吏志望だったわけではなく、川田順を愛読していた大平は住友系の企業へのあこがれを持っていた[18][19]。ところが当時大蔵次官だった同郷の津島壽一に挨拶に行った折、即決で大蔵省に採用された[20][21]。1936年入省、預金部に配属[22][23]。以後、税務畑を中心に以下の役職を歴任した。

1937年(昭和12年) - 横浜税務署長[24]。当時東京税務監督局直税部長だったのが池田勇人で[24]、以後しばしば部下として会う[25]。

1938年(昭和13年) - 仙台税務監督局間税部長。どぶろく退治に尽力[26]。

1939年(昭和14年) - 興亜院にて大陸経営にかかわり、1939-1940年に張家口の蒙疆連絡部で勤務したほか[27][28]、帰国後も頻繁に大陸に出張[29]。

1942年(昭和17年) - 本省主計局主査(文部省・南洋庁担当)[30][31]。大日本育英会(後の日本育英会、現独立行政法人日本学生支援機構)の設立について査定[32][33]。

1943年(昭和18年) - 東京財務局関税部長。国民酒場を創設[34]。

1945年(昭和20年) - 津島壽一大蔵大臣の秘書官[34][35]

1946年(昭和21年) - 初代給与局第三課長[36][37]

1948年(昭和23年) - 経済安定本部建設局公共事業課長[38][37]

1949年(昭和24年) - 池田勇人蔵相秘書官。以後1952年まで務める[39][40]。

1950年(昭和25年) - 国税庁関税部消費税課長兼任

政治家としての活動

池田側近として

池田内閣の頃
1952年(昭和27年)、大蔵省時代の上司だった池田勇人の誘いを受け、大蔵省を退職し自由党公認で衆議院選挙に立候補し当選[41]。以後、連続当選11回。1957年(昭和32年)、池田勇人が宏地会を発足させると、当然のごとく池田のもとに馳せ参じた。[42]。

大蔵省の先輩である前尾繁三郎をヘッドとする大蔵省出身者の池田の政策ブレーンとなり、宮澤喜一や黒金泰美らとは、池田勇人側近の「秘書官トリオ」と呼ばれる[43]。

1960年(昭和35年)に第1次池田内閣で内閣官房長官に就任[44][45]。「低姿勢」をアピールする同内閣[45]の名官房長官と評された[46]。

第2次池田内閣・第2次池田内閣第1次改造内閣でも官房長官を務め、続く第2次池田内閣第2次改造内閣で外務大臣に就任した[47][48]。戦前は中国勤務を経験し占領時代はアメリカを旅行した経験から外交を身近に感じていた大平は外相就任を望んでいた[48]。

外相時代は韓国との国交正常化交渉を巡って、金鍾泌中央情報部長との間で最大の懸案だった請求権問題で合意(いわゆる「金・大平メモ」1962年11月12日)、日韓交渉で最も大きな役割を果たした政治家である[49][50]。一方で日中関係の進展を念頭に置いていた池田との離反という代償も伴った[51]。

中国大陸との関係に関しては、経済的、地政学的、また極東の政治的現実の観点から、「長崎国旗事件」によって途絶えた日中関係を現実的な重大な課題として受け止め、前向きな姿勢で対中関係の改善に取り組んだ。アメリカが主導する「中国封じ込め」政策に苦しみつつも、日中経済貿易関係の拡大を徹底して追求した[52]。LT貿易の成立[53]、貿易連絡事務所の相互設置と新聞記者交換の実現等、日中関係はこれまでに見られないほど進展した[54]。


https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E5%B9%B3%E6%AD%A3%E8%8A%B3

2. 中川隆[-11352] koaQ7Jey 2019年3月20日 09:47:36 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[653] 報告

大平正芳は何を誤解していたのか:

【三橋貴明×山本太郎】Part1 絶対にTVでカットされる国債の真実 - YouTube 動画
https://www.youtube.com/watch?v=ynVn-3tLhj4&feature=youtu.be


【三橋貴明×山本太郎】Part2
「日銀破綻論」の大嘘〜御用学者が増税したい本当の理由、そして財務省の裏工作 - YouTube 動画
https://www.youtube.com/watch?v=FP3RyPpewvs


【三橋貴明×山本太郎】Part3
日本人を貧困に突き落とす東京大学名誉教授〇〇〇 - YouTube 動画
https://www.youtube.com/watch?v=9rF05-miTV8


▲△▽▼

「日本の未来を考える勉強会」ー貨幣と経済成長ー 
平成30年3月7日 講師: 中野剛志 - YouTube動画
https://www.youtube.com/watch?v=PIVG7XDGrH4

第2回「日本の未来を考える勉強会」ー貨幣と租税ー 
平成29年4月27日 講師:中野剛志 - YouTube 動画
https://www.youtube.com/watch?v=Zc9-Y5jiIO4
 


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