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トルーマン :猿(日本人)を自由と言う名の檻で我々が飼うのだ、家畜が主人である我々のために貢献するのは当然の事である
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/292.html
投稿者 中川隆 日時 2019 年 3 月 18 日 07:16:12: 3bF/xW6Ehzs4I koaQ7Jey
 

(回答先: GHQ とユダヤ金融資本は戦後の日本を共産化しようとして農地改革、人為的インフレ生成、預金封鎖、日本国憲法制定を行った 投稿者 中川隆 日時 2019 年 1 月 08 日 21:57:50)


トルーマン 猿(日本人)を『自由』と言う名の檻で我々が飼うのだ、家畜が主人である我々のために貢献するのは当然の事である


トルーマンの言葉

「猿(日本人)を『虚実の自由』と言う名の檻で我々が飼うのだ。
方法は彼らに多少の贅沢さと便利さを与えるだけで良い。
そしてスポーツ・スクリーン・セックス(3S)を解放させる。
これで真実から目を背けさせる事が出来る。猿は我々の家畜だからだ。

家畜が主人である我々のために貢献するのは当然の事である。そのために我々の財産でもある家畜の肉体は長寿にさせなければならない。(化学物質などで)病気にさせてしかも生かし続けるのだ。これによって我々は収穫を得続けるだろう。これは戦勝国の権限でもある」
https://pbs.twimg.com/media/DqbZiVDU0AA6Sv0.jpg
 

  拍手はせず、拍手一覧を見る

コメント
1. 中川隆[-11404] koaQ7Jey 2019年3月18日 11:06:15 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[595] 報告
猿の惑星


動画
https://www.youtube.com/results?search_query=Planet+of+the+Apes+1968&sp=mAEB

出演

テイラー : チャールトン・ヘストン
ノバ :リンダ・ハリソン
中国人 : オランウータン
黒人 : ゴリラ
日本人 : チンパンジー


テイラーたちが不時着した星は、猿が人間を支配する猿の惑星だった。

言葉を話す猿たちと、首輪で繋がれ家畜として扱われる人間たち。

この逆転した世界からなんとか逃げ出したテイラーが最後に見たものとは・・・


___


原作者のピエール・ブールはフランス人ながら英国軍に身を投じて戦い、結局日本軍の捕虜になった悲惨な人。

捕虜時代の恨みつらみをもとに書いたのが「クワイ川の橋」。
また日本人が月一番乗りして、ハラキリするのが「カナシマ博士の月面庭園」
でもって、黄色い連中が世界を支配する未来小説が「猿の惑星」


1 名前: O 投稿日: 02/01/24 15:11 ID:tTH+ej+C

自分はアメリカに住んどるもんなんですが
猿の惑星とは日本人をバカにして作られたということが分かった。

アメリカの知り合いが言うとったよ

「あれは日本人をバカにした映画だよ」

とあっちでは有名らしい。

日本人の前でそんなことは言えないけど俺にだけ話してくれた。

まあアメリカで反日が多かった時代に作られただけにやむおえないことだろう。

で最近新しく放映された「猿の惑星」ももしかしたら・・・

そう考えて改めて見たけど猿が着ている服も確かに日本の侍のように見える。

つまり猿(日本人)の惑星(日本)

そして猿の惑星にでてくる人間はアメリカ人ということです。


あの作品では人間よりも優れていると思いこんだ猿が人間によって人間の方が優れていると証明されますが、それを信じたくない猿との葛藤を描いていますよね?

つまり知恵遅れの猿(日本人)のくせに人間(アメリカ人)に戦争を仕掛けやがって!

という意図が込められているそうです。
http://tv.2ch.net/movie/kako/1011/10118/1011852691.html

2. 中川隆[-11403] koaQ7Jey 2019年3月18日 11:08:12 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[596] 報告

西洋人の日本人観

チャーチル 「日本人は中国娘と猿との野合の末に生まれた類人猿のようなもの」
ルーズベルト「日本人は獣である」

「マンハッタン計画」をスタートさせたフランクリン・ルーズベルト大統領は、日本人を“劣等人種”として激しく差別していたことで知られている。

一般のアメリカ人の間にも、日本人に対する人種差別意識が蔓延していた。 当時のアメリカの雑誌にはこう書かれていた。

「アメリカ人はドイツ人を憎むことを学ばなければならないが、日本人に対しては憎しみが自然と湧いてくる。これはかつてインディアンたちと戦ったときと同様に自然なものだ。」


「普通の日本人は知性が低く、無知である。
たぶん人間なのだろうが、人間であることを示すような点はどこにもない。」
 

当時、トマス・ブレーミー将軍も、こう演説していた。

「諸君らが闘っているのは奇妙な人種である。
人間と猿の中間にあると言っていい。
文明存続のために我々は最後まで戦いぬかねばならない。
日本人を根絶しなければならない!」


ウィリアム・ハルゼー海軍元帥

 日本軍との戦闘に際し

「敵を殺せ!敵をもっと殺せ!猿肉をもっと作れ!」

など度々過激な発言を繰り返したことで知られている。
http://inri.client.jp/hexagon/floorA4F_ha/a4fhc700.html#ex15


ハイドパーク協定

1944(昭和19)年9月18日

フランクリン・ルーズベルト米大統領とウィンストン・チャーチル英首相が
米ニューヨーク州ハイドパークで会談し、日本への原爆投下と将来の核管理について
申し合わせた秘密協定

1972(昭和47)年に初めて公開された

ニューヨーク州ハイドパークの大統領私邸でルーズベルトと会談した英国の
ロナルド・キャンベル大使がルーズベルトから「劣等アジア人種」の品種改良と
いうとんでもない提案を受けたと本国に宛てた書簡に書き残している。

「インド系、あるいはユーラシア系とアジア系を、さらにはヨーロッパ人とアジア
人種を交配させ、それによって立派な文明をこの地に生み出していく。

ただ日本人は除外し、もとの島々に隔離して衰えさせる」


ハル・ノート:日本が対米開戦を決断した無理な米国側の要求。

米国に潜伏するソ連スパイが日米を衝突させるために作成した。
http://mikomo.hp.infoseek.co.jp/a-f2.htm#03


トルーマンのカバートへの返事

1945年8月11日

日本人の理解する唯一の言語は、彼らを爆撃することのように思われます。

獣と相対したときは、獣として扱う他はありません。
http://www.inaco.co.jp/isaac/shiryo/RE_sammuel_1945_8_11.htm


トルーマン回想録

"Japanese are beast. So are treated as"(「日本人は獣だ。だから、そのように扱った」)

アメリカからみると対独戦より対日戦の方が、はるかに「人種戦争」という面が濃厚であった。

ダワー教授によれば、アメリカ側の、日本人に対するステレオタイプの典型は「猿」であり、野蛮人、劣等人間、人間以下、害虫、と続いた。それは、個性もなく次々とわいてくるものであったという。

ところがアメリカのヨーロッパでの敵は、ドイツ人自体ではなくヒトラー一派であり、ジャーナリズムも、日本軍の残虐行為については盛んに報道したという。

ダワー教授は、このような相手を人間以下とみなす発想は、日本人に対して初めてではなく、歴史上繰り返してきた非白人に対する蔑視、具体的にはインディアンと黒人に投げつけてきた表現が噴出したものにすぎないとしている。
http://inri.client.jp/hexagon/floorA4F_ha/a4fhc700.html#ex15

原爆の対日使用は「人体実験」だった。


被爆者治療せず 50年代の米公文書

原爆投下後に広島、長崎に設置された米国の原爆傷害調査委員会(ABCC)をめぐり、米政府が「原爆は特別な兵器ではない」との主張が揺らぐのを避ける意図で、被爆者の治療をさせなかったことが50年代の米公文書で明らかになった。

ABCCは被爆者を検査してデータを収集したが治療はせず、被爆者の間に批判があった。 http://homepage.mac.com/ehara_gen/jealous_gay/atomic_bomb.html


「広島・長崎への原爆攻撃の目的は何だったのか。1つには戦後世界でのアメリカ
の覇権確立である。そしてもう1つは、原爆の効果を知るための無数の人間への
『人体実験』である。

だからこそ、占領後にアメリカ軍が行なったことは、第1に、原爆の惨状について
の報道を禁止し、『人体実験』についての情報を独占することだった。

第2に、史上前例のない火傷、放射能障害の治療方法を必死に工夫していた広島・
長崎の医者たちに治療方法の発表と交流を禁止するとともに、死没被爆者の
ケロイドの皮膚や臓器や生存被爆者の血液やカルテを没収することだった。

第3に、日本政府をして国際赤十字からの医薬品の支援申し出を拒否させることだった。たしかに、『実験動物』を治療するのでは『実験』にならない。そこでアメリカ軍は全力を尽くして被爆治療を妨害したのである。


第4に、被爆者を『治療』せず『実験動物』のように観察するABCC

(原爆障害調査委員会と訳されたアメリカ軍施設)を広島・長崎に設置することであった。加害者が被害者を観察するというその目的自体が被爆者への人権蹂躙ではなかったか。」

広島で女学生(14歳)のときに原爆にあい、現在も原爆後遺症で苦しむ詩人の橋爪文さんは、「ABCC」(原爆傷害調査委員会と訳されたアメリカ軍施設)について、次のような恐ろしい事実を述べている。


「私は広島の生き残りのひとりです。 〈中略〉 

ここで、ひとつ触れたいことは『ABCC』についてです。

これは日本でもほとんど知らされていないことですが、戦後広島に進駐してきたアメリカは、すぐに、死の街広島を一望のもとに見下ろす丘の上に『原爆傷害調査委員会』(通称ABCC)を設置して放射能の影響調査に乗り出しました。

そして地を這って生きている私たち生存者を連行し、私たちの身体からなけなしの血液を採り、傷やケロイドの写真、成長期の子どもたちの乳房や体毛の発育状態、また、被爆者が死亡するとその臓器の摘出など、さまざまな調査、記録を行ないました。

その際私たちは人間としてではなく、単なる調査研究用の物体として扱われました。

治療は全く受けませんでした。

そればかりでなく、アメリカはそれら調査、記録を独占するために、外部からの広島、長崎への入市を禁止し、国際的支援も妨害し、一切の原爆報道を禁止しました。日本政府もそれに協力しました。

こうして私たちは内外から隔離された状態の下で、何の援護も受けず放置され、放射能被害の実験対象として調査、監視、記録をされたのでした。

しかもそれは戦争が終わった後で行なわれた事実です。

私たちは焼け跡の草をむしり、雨水を飲んで飢えをしのぎ、傷は自然治癒にまかせるほかありませんでした。

あれから50年、『ABCC』は現在、日米共同の『放射線影響研究所』となっていますが、私たちはいまも追跡調査をされています。
http://inri.client.jp/hexagon/floorA4F_ha/a4fhc700.html


 
英語教育の先生が、今日本でやられている英語教育について書いていたが、南北アメリカ大陸で7000万〜8000万人いたインディアンの皆殺しをやり、残った者は同化政策で、子どもを親から切り離して寄宿舎に入れて英語教育をやり、言葉も歴史も全部奪っていったのにそっくりだと指摘している。

民族の歴史も文化も言葉も奪っていく絶滅作戦だ。

第二次大戦から「イエローモンキー」といって人間扱いではないが、それはインディアンのときから続いている。

民主主義というのは白人の為のもので、黄色人種や褐色人種を従わせるのが民主主義だ、それを受け入れるのが未開の者の務めで、従わない者は殺してもいいという考えだ。

「これは神の明白な運命」というのが、清教徒がアメリカ大陸に渡り、東部から西部に行くうえでの基本理念だ。

それでアメリカ全土のインディアンを皆殺しにし、生き残った者は囲い込む。その後太平洋まで来てハワイ、フィリピン、日本、中国と全部アメリカの基準で支配するのが使命だというのが一貫している。だからフィリピンでも相当殺された。

 この理念でフィリピン人も日本人も遊び感覚で殺しまくる。インディアンのときには「頭皮狩り」といって、戦利品として耳を切りとり、頭蓋骨を集めた者が最も偉大な民主主義者だとやってきた。

第二次大戦でも日本に対して「インディアンと同じようにやれ」とハルゼーなどがかなりやっている。

アメリカの若い兵隊はフロンティア精神とかカウボーイみたいな感覚で、日本の子どもらが逃げまどっているのに、グラマンで笑いながら撃ち殺す。

人道主義というが、ハルゼーも「捕虜はとらなくていい。とにかく殺せ」とやっている。

「死んだインディアンがいいインディアンだ」というのをもじって、

「6カ月前に死んだジャップがいいジャップだ」

といった。

これは単にハルゼー個人の考えではなく、当時アメリカのマスコミや新聞、雑誌などで強烈にやっていたことだ。

戦争体験者がテニアンに行ったときホテルに飾り物として日本人の頭蓋骨が金粉を塗られて飾ってあった。
http://www.h5.dion.ne.jp/~chosyu/genzainitudukunihonminzokuzetumetusakusen.html


3. 中川隆[-10660] koaQ7Jey 2019年4月23日 22:04:39 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1407] 報告

2. 2019年4月23日 17:14:47 : 1xiHmOT1E6 : Tkh2R1NMWjhKQzY=[1]


ヒロシマ・ナガサキの原爆、東京大空襲など、幼児・児童・老人も含めた民間人を虐殺した米軍です。

下記の記録・証言が事実ではないと断言できるでしょうか?
>== 国内外情勢、近現代史、国のあり方を考える  日本人としての誇りのために!==
◎サイパン島バンザイ・クリフの悲劇は米軍の強姦と虐殺が誘発した2005年06月11日
http://blog.livedoor.jp/wildhorse38/archives/24845255.html

 昭和19年7月、サイパン島陥落時に邦人男女が「万歳」を叫んで次々に断崖から海に身を投げて自殺したいわゆる“バンザイ・クリフ事件” 実は米軍による婦女暴行や虐殺が誘発した事件であったことが生々しい自殺説として『我ら降伏せず サイパン玉砕の狂気と真実』田中徳祐著に綴られていた。彼は敗戦後もゲリラ活動で戦い通した元陸軍大尉である。

この著書はもはや絶版となっており、大きな図書館にかろうじてあるくらいだ。
その手記の一部であるバンザイ・クリフ事件の項を紹介する。

サイパン島「いまだにジャングル内に残っている日本の兵隊さん、住民に告ぐ。いまかけた歌は、なんと懐かしい歌ではありませんか。みなさんの幼い頃を思い返してください。一日も早く、平和な日が訪れるのを、故郷の父母が待っていることを忘れないでください」

 そしてさらに、「米軍は虐待しません。命が大切です。早く出てきてください」 投降を勧める放送は再三くり返された。我々はその放送を頭っから否定した。「そんな甘い手に我々がのると思うか」放送を耳にすればするほど、強い敵気心が湧いてきた。

 投降呼びかけの放送とはうらはらに、米軍は人道上許しがたい残虐な行為を次々と展開しだした。我々は、バナデルの飛行場を見おろせる洞窟に潜んでいた。距離にして1000米くらい先に、上陸してすぐの3月20日から作業をはじめ完成させた滑走路が横たわっていた。しかしいまは米軍の砲爆撃で無惨な姿をさらけだしている。

 そこへ、三方から追いまくられた数百の住民が逃げ込み、捕われの身となった。 幼い子供と老人が一組にされ、滑走路の奥へ追いやられた。婦女子が全員、素っ裸にされた。そして、無理やりトラックに積み込まれた。積み終ったトラックから走り出した。婦女子全員が、トラックの上から「殺して!」「殺して!」と絶叫している。 その声がマッピ山にこだましてはねかえってくる。

 やがて、次のトラックも、次のトラックも走り出した。 絶叫する彼女たちの声はやがて遠ざかつていった。 ……なんたることをするのだ! 小銃だけではどうすることもできない。もし、一発でも発砲すれば敵に洞窟の場所を知らせることになる。この悲劇をただ見守るより仕方ない。(この婦女子はその後、1人として生還しなかった)

 婦女子が連れ去られたあと、こんどは滑走路の方から、子供や老人の悲鳴かあがった。ガソリンがまかれ、火がつけられた。飛び出してくる老人子供たち。その悲鳴・・・。米軍は虐待しません、命が大切です。早く出てきなさい……。

あの投降勧告はー体なんだったのか。常夏の大空をこがさんぱかりに燃え上がる焔と黒煙。幼い子供が泣き叫び、絶叫する。断末魔があがる。そのすさまじいばかりの叫びが、中天高くあがり太平洋の波をゆさぶらんばかりである。

「おい、もうがまんならん。撃て」この状況をみていた私は叫んだ。同時に吉田軍曹が一発撃った。しかし、なんの効果もない。敵は、もはや我々に無頓着である。

 残虐な行為は凄絶をきわめた。火から逃れようとする子供や老人を、周囲にいる敵兵は、ゲラゲラ笑いながら、また火の中へ突き返す。かと思えば、死に物狂いで飛び出してくる子供を、再び足で蹴りとばしたり、銃で突き飛ばしては火の海へ投げこんでいる。

二人の兵隊が滑走路のすぐ横の草むらに置き去られて泣いている赤ん坊をみつけだし、両足を持って、真二つに引き裂いて火の中へ投げこんだ。「ギヤッー!」という悲鳴。人間がまるで蛙のようにまた裂きにされ殺されていく……。彼らは、それをやっては大声で笑った。無気味に笑う彼らの得意げな顔が、鬼人の形相に見えた。

 射撃をやめ、この非道な行為を脳裏に焼きつけた。いまは眼からは一滴の涙も出ず、この恨みを、どこまでも生き抜いていつかきっと返さねばならぬと、全身に激しい怒りがみなぎった。恨みに狂う我々はしかし手のほどこしようもない。焼き殺されていく無惨な運命にただ合掌し、霊を弔うだけが精一杯だった。

 我々の発砲にとうとう敵の反撃が始まった。看護婦たちが自決した右上の丘陵伝いに、攻撃してきた。我々は洞窟に潜み、抗戦をつづけた。そして夕暮れまでなんとか持ちこたえた。だが、この戦闘でも半数は死傷者となり、明日への戦闘能力を失った。

『我ら降伏せず サイパン玉砕の狂気と真実』田中徳祐著からの抜粋

ライフ誌に載った日本人の頭蓋骨のお土産ここにこんな写真がある。
http://livedoor.blogimg.jp/wildhorse38/imgs/b/f/bf16a5c1.jpg

これは1943年の「ライフ」誌に載っていた、南太平洋戦線で戦った米兵が婚約者に送った日本人の頭蓋骨である。「あれがパリの灯だ」で有名な飛行冒険家のリンドバーグの手記に載っていたが、日本兵の捕虜を飛行場に集め、ブルドーザで生きているまま踏み潰した話、たくさんの日本兵の捕虜を殺害し残飯捨て場に捨てた話、この写真のように日本兵の頭蓋骨をお土産に持って帰るのが流行った話おまけにまだ緑色した頭蓋骨(皮を剥いで間もない)を衣のう(軍隊の大型の袋)に入れていて飛行場で注意を受けた話、大たい骨を削って靴べらにするのが流行った話等

常識では考えられないことをするのが騎馬民族アングロサクソン、支那人、朝鮮人である。これをやられたのが我々の父であり、祖父の時代の日本人である。

今回 天皇皇后両陛下の戦没者慰霊のご訪問を機に遺族の間に反米感情が沸き起るのではないかと、米政府が心配するのもわかるが、日本人はGHQの洗脳を完全に受け入れて悪いのは日本軍だと思い込んでいるから心配しなくともいいですよ。__
http://www.asyura2.com/18/warb22/msg/630.html#c2

4. 中川隆[-10535] koaQ7Jey 2019年4月28日 12:37:23 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1551] 報告

内田樹の研究室 涅槃状態に入った安倍政権 2019-04-26
http://blog.tatsuru.com/2019/04/26_0924.html


北方領土問題の解決が政府のアジェンダから消されました。

そんな問題ははじめから存在しなかった、ということにすれば政権の失策は問われない。

これは安倍政権になってから、重要な問題のすべてについて政権が採用してきた遁辞です。

それについて去年ある大学での講演でしゃべったことの一部を再録しておきます。

 そして、2012年から安倍政権が始まる。これが僕の戦後史第五段階論の第五段階に相当するわけですけれども、これはもう切るカードが何もないわけですね。経済カードも政治カードも、新しいカードは何もない。やれることは外交的には全面的な対米従属、アメリカの企業に対する市場開放と、日本の公共財の切り売り。

 とりあえず、それさえしておけば政権は延命できる。

 とにかく「やってはいけないこと」だけはわかっている。

 それは鳩山政権がやったことです。

「国土を返してくれ、国家主権を返してくれ」ということはおくびに出してもいけない。それを言った瞬間に政権が崩壊することだけはわかっている。だから、対米交渉は一切何にもしない。全部アメリカの言う通りにするということだけが決まっている。

「対米交渉」というのは、交渉らしきものをしているただの時間つぶしです。安倍政権の国会運営と同じです。「やっているふり」をしているだけです。最終的にはアメリカの要求を全部丸のみにする。それがわかっているから、アメリカは安倍政権の延命を許している。さすがに対米自立のために何もしなかった政権というのは戦後初めてです。

 日本は主権国家であって、望むものはもうすべて手に入れているので、要求することはなにもない。完全に満たされているというのが安倍政権下の日本国民が享受している「妄想」です。

 もう全部達成し終えた。国土も回復したし、国権も奪還した。だから、世界中から日本は尊敬されている。世界中の人が日本をすばらしい国だとあこがれている。「日本すごい」とか、「世界が尊敬する日本」とかいうテレビ番組や書物が溢れていますけれど、これが第五段階の特徴です。

 もう達成すべき目標がなくなった。すべては手に入ったので、何の努力も要らない。涅槃状態のうちにある。それが現在の日本です。

 敗戦後の国民的な課題であったはずの「国土の回復、国権の回復」は実はとっくの昔から達成されていたので、そんなことは今さら考えるに及ばない。それどころか、明治維新からあと先の大戦までの近代日本がやってきたことはすべて「すばらしい達成」ばかりであって、そのせいで世界中の人々から、とりわけアジアの被侵略地や旧植民地の人たちから感謝され、尊敬されているというような妄説に人々が取り憑かれている。

 沖縄の基地問題に対する日本国民の無関心、北方領土に対する無関心、北朝鮮の拉致問題に対する無関心、すべて同根です。今の日本は最高の状態で、安倍政権がやっている政策は外交も経済すべて成功しているという話のうちに眠りこけているのが現代日本人が落ち込んでいる「ニルヴァーナ状態」です。

 その病的な「努力したくない」感は自民党改憲草案の前文に徴候的に現れています。そこにはこんなことが書いてあります。

「我が国は、先の大戦による荒廃や幾多の大災害を乗り越えて発展し、今や国際社会において重要な地位を占めており、平和主義の下、諸外国との友好関係を増進し、世界の平和と繁栄に貢献する。」

 これを日本国憲法の前文と比べると、その異様さが際立ちます。憲法前文にはこうあります。

「われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めている国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思う」

 自民党改憲案は「占めており」、現行憲法は「占めたいと思う」です。

 自民党草案を起草した人間の脳内では、日本はすでに国際社会において重要な地位を「占め終わっている」。

 だとすれば、いったいこれ以上何を努力する必要があるのか。
 実現困難な理想を掲げて、それに向けて鋭意邁進するというタイプの文言はもう使わないということについてどうやら起草委員たちはひそかに合意していたようです。

 日本にはもう努力目標が存在しない。

 アメリカからの国家主権の奪還は不可能なので、それについてはもう語らない。アメリカとロシアからの領土の回復は不可能なので、それについても、もう語らない。安保理の常任理事国入りについても、もう語らない。

 それが21世紀の日本人が落ち込んでいる国民的規模での「涅槃」状態です。

 これは重い病気に罹った人間が「私はまったく健康である。他の人たちが私の健康を羨ましがっているほどだ」とへらへら笑っているのと変わらない。主観的にはいい気分かも知れないけれど、そうやっているうちに手当をしない患部はどんどん壊死している。(後略)
http://blog.tatsuru.com/2019/04/26_0924.html

5. 中川隆[-10354] koaQ7Jey 2019年5月11日 14:59:03 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1751] 報告
2019.05.11
米支配層が朝鮮に求めているのは屈服だけだと理解した朝鮮がミサイル発射実験

 朝鮮が行った短距離ミサイルの発射実験に関し、アメリカのドナルド・トランプ大統領は信頼関係を損なう行為ではないと発言した。朝鮮側は真の平和と安全は主権を守るための強い物理的な力必要だと主張、長距離ミサイルの発射実験も準備しているとしている。

 朝鮮の金正恩労働党委員長は2月27日と28日にかけてハノイでトランプ米大統領と会談したが、合意に至らなかった。決裂した理由はマイク・ポンペオ国務長官とジョン・ボルトン国家安全保障補佐官が同席したことにあると言われている。このふたりには朝鮮と交渉する意思がない。ネオコンと同じように、従属しなければ破壊するという姿勢だ。

 それから2カ月後の4月24日、​金正恩委員長は列車でウラジオストックを訪れた。25日にはロシアのウラジミル・プーチン大統領と会談​に入る。その際、プーチン大統領は金委員長によるアメリカとの「関係正常化の努力」と韓国との対話を歓迎したという。

 本ブログでは繰り返し書いているように、プーチン大統領は朝鮮半島の軍事的な緊張を緩和させ、鉄道やパイプラインで東アジアを結びつける計画を遅くとも2011年に打ち出している。

 アメリカのバラク・オバマ政権がリビアやシリアへジハード傭兵を送り込んで侵略戦争を始めたこの年の夏、ロシアのドミトリ・メドベージェフ首相はシベリアで朝鮮の最高指導者だった金正日と会い、110億ドル近くあったソ連時代の負債の90%を棒引きにし、鉱物資源の開発などに10億ドルを投資すると提案しているのだ。言うまでもなく、朝鮮は資源の宝庫。植民地化されずに開発が進めば豊かな国になる。

 ロシアや中国はユーラシア大陸に鉄道網を張り巡らせ、エネルギー資源を運ぶパイプラインを建設しようとしている。朝鮮が同意すれば、鉄道とパイプラインは朝鮮半島を縦断、釜山までつながる。西の果てはヨーロッパだ。

 金正恩の父、金正日はロシアの提案を受け入れたが、2011年12月に急死する。朝鮮の国営メディアによると、12月17日に列車で移動中に車内で急性心筋梗塞を起こして死亡したというが、韓国の情報機関であるNIS(国家情報院)の元世勲院長(2009年〜13年)は暗殺説を唱えていた。これが事実なら、誰が殺したのか?

 それに対し、アメリカ支配層の基本戦略は支配と略奪。ヨーロッパ流とも言える。十字軍の中東侵略は財宝だけでなく知識を盗むことに成功した。スペインやポルトガルは15世紀から17世紀にかけて世界を荒らし回り、ラテン・アメリカで金銀財宝だけでなく、資源も略奪する。その象徴的な存在がボリビアのポトシ銀山だ。

 イギリスはボーア戦争(1899年から1902年)を引き起こしてトランスバールとオレンジを併合、すでにイギリス領になっていたケープ植民地とナタールを合わせてできたのが南アフリカ連邦を作り上げる。

 この地域ではダイヤモンドや金が大量に産出、その流通をロンドンがコントロールすることになる。つまり、金本位制を採用する国の通貨はロンドンが支配することになった。

 ボーア戦争の前にイギリスは中国(清)の侵略に乗り出している。当時のイギリスは機械化が進んで生産力が向上していたが、生産した製品が思うように売れない。清との交易では大幅な赤字になっていた。

 この状況を打開するためにイギリスは麻薬のアヘンを売りつけることにする。綿製品をイギリスからインドへ、アヘンをインドから中国へ、茶を中国からイギリスへという仕組みだ。

 麻薬の流入を清政府が容認するはずはなく、戦争になる。1840年から42年まで続いたアヘン戦争と56年から60年にかけての第2次アヘン戦争だ。こうした戦争でイギリスは勝利するが、内陸部を制圧する戦力がない。そこで目をつけられたのが日本だった。このイギリスの戦略を引き継いだのがアメリカにほかならない。

 時を経て20世紀の後半。1989年にベルリンの壁が壊され、90年には東西ドイツが統一された。その際、アメリカの国務長官だったジェームズ・ベイカーはソ連のエドゥアルド・シェワルナゼ外務大臣に対し、統一後もドイツはNATOにとどまるものの、東へNATOが拡大することはないと約束したことが記録に残っている。

 それをミハイル・ゴルバチョフは信じたが、アメリカは約束を守らない。すでにNATO軍はロシアの玄関先まで到達、軍隊を配備し、ミサイルを設置してロシアを恫喝している。その結果として軍事的な緊張は高まり、全面核戦争の危険性は冷戦時代よりはるかに高まってしまった。これがドイツ・モデル。

 ジョージ・W・ブッシュ政権の要求に従ってリビア政府は2003年に核兵器や化学兵器の廃棄を決定する。廃棄すれば「制裁」を解除することになっていたのだが、アメリカ政府は約束を守らない。それどころか、2011年2月にはバラク・オバマ大統領はアル・カイダ系武装集団などを使ってリビアを侵略する。破壊、殺戮、略奪で現在は暴力が支配する破綻国家だ。これがリビア・モデル。

 アメリカ軍はベトナム戦争で負けたが、その戦争でベトナムの国土は惨憺たる状態になる。アメリカ軍による「秘密爆撃」ではカンボジアやラオスでも国土が破壊され、多くの人々が殺された。戦闘では通常兵器だけでなく、化学兵器の一種である枯れ葉剤(エージェント・オレンジ)やナパーム弾が使われている。CIAのフェニックス・プログラムでは人々を殺すだけでなく、共同体を破壊した。

 ソ連が消滅してから3年後の1994年にアメリカはベトナムに対する「制裁」を解除するが、その代償としてベトナムは新自由主義を受け入れる。IMFなどの「毒饅頭」を食べることになったのだ。

 しかもベトナム戦争中にアメリカ側が行った犯罪的な行為は不問に付され、ベトナムの庶民は低賃金労働者として西側巨大資本の金儲けに奉仕させられている。これがベトナム・モデルだ。

 アメリカ支配層が朝鮮半島で目論んでいるのはこの3モデルのひとつ。アメリカ側が朝鮮に許す選択肢は屈服の仕方の違いであり、主権を認める気などない。それを朝鮮側も一連の交渉で理解しただろう。
https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/201905110000/

6. 中川隆[-9540] koaQ7Jey 2019年6月18日 07:20:23 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[2930] 報告

米国「貿易圧力」の下 日本産業の勝敗からみえるもの
人民網日本語版 2019年06月17日
http://j.people.com.cn/n3/2019/0617/c94476-9588654.html

1980年代、米国が貿易不均衡を口実に、半導体や自動車といった日本の優位産業に圧力をかけた歴史は、今も多くの日本人が昨日のことのようにありありと覚えている。その後、日本の一部の産業は徐々に国際競争の舞台から姿を消し、一部の産業はその後も発展を続けている。こうした経験や教訓は振り返る価値がある。新華社が伝えた。

半導体分野では、80年代にダイナミック・ランダム・アクセス・メモリ(DRAM)を代表とする日本の半導体製品がグローバル市場を突如席巻した。日本の半導体産業は急速に発展し、米国の警戒を引き起こした。

86年に調印された「米日半導体協定」を通じ、米国は日本政府へダンピング(不当廉売)輸出をやめるよう一方的に要求するとともに、日本国内のユーザーに海外製品の利用を奨励した。91年にも米国は協定第2弾を打ち出し、海外製品の日本市場でのシェアが20%以上になるよう要求し、米国製品の対日輸出増加を強行した。

産業協定だけでなく、米国は85年に調印された「プラザ合意」を通じ、大幅な円高を促し、日本製品の輸出競争力を削ごうとした。また関税を駆使して、日本から米国に輸出された半導体製品などに大幅な関税の上乗せを行った。

日本の「村山談話を継承し発展させる会」の藤田高景理事長は、当時のことを話し始めると記憶がありありとよみがえるという。藤田氏は取材に対して、「米国は日本がダンピングを行っていると非難し、貿易赤字に言及したが、これは口実に過ぎず、重要なポイントは日本の半導体産業が急速に発展し世界のトップクラスになり、米国に脅威を感じさせたこと、米国政府に危機感を抱かせたことにある」と述べた。

米国には日本の半導体産業に圧力をかける動機があり、多方面で圧力をかけてきたが、単純な外部からの圧力では日本の半導体産業を打ち負かすことはできなかった。実際、86年の「半導体協定」調印後も長らく、日本の半導体製品は引き続き世界で一人勝ちの状態が続いた。

米国の集積回路を研究する企業のまとめた統計では、90年の時点で、世界の10大半導体企業のうち、日本企業が6社を占め、トップ3にはNEC、東芝、日立が並んだ。95年の時点でも、日本企業は4社を占め、NECが2位、東芝が3位だった。

しかし90年代になると、日本の半導体企業のDRAM技術路線では世界のパーソナルコンピューターとスマートフォンの発展の流れに対応出来なくなった。現状に閉じこもりがちな日本の半導体企業はこうして少しずつ米国のインテルや韓国のサムスンに追い越されていった。

一方で、日本の自動車産業も同じように米国の「貿易圧力」を受けた。種々の制限に直面しながら、日本の自動車メーカーは外からの圧力を発展の原動力に変え、モデル転換とバージョンアップを実現させた。米国の圧力を受けて衰退しなかっただけでなく、世界の産業競争の中で絶えずリードを拡大した。

米日間の自動車貿易摩擦は80年代初頭にさかのぼる。当時、米国産自動車の日本市場シェアはほぼゼロに近かったのに対して、日本車の米市場シェアは20%を超え、日本は米自動車市場の最大の輸入先国となっていた。米日の自動車消費文化の違いが貿易不均衡を招いた主な原因だが、米国は同じように制裁手段によって問題の解決をはかることを決定した。

81年、米国の圧力を受けて日本の通商産業省(当時)は米国への乗用車の輸出自粛に同意するよう迫られ、日本は輸出量を168万台に制限することにし、以降この数字を踏まえて動態調査を行うとした。これを土台に、米国はさらに日本に市場開放を迫り、米国車をもっと買うよう求めた。

大きく圧力をかけてくる米国の政策に直面し、日本の自動車産業はチャンスをとらえてモデル転換を加速した。まず日本は対米自動車輸出量に自ら制限を設けたが、輸出額は制限しなかった。こうして日本メーカーは米国に付加価値の高い製品を輸出するようになった。

次に「プラザ合意」による円高が、かえって円の購買力を高め、日本メーカーはチャンスをつかまえ、手にした利益で新しい設備と技術を買い入れ、モデル転換とバージョンアップのペースを加速した。

さらに輸出制限措置を回避するため、日本メーカーは米国に直接投資して工場を建設する動きを加速させた。例えば、トヨタは累計220億ドル(約2兆3808億円)の対米投資を行い、米国で14万人近くの従業員を雇用した。このような現地化した生産は貿易戦争のリスクを解消する上でプラスになるだけでなく、米国の消費者の日本ブランドに対する認知度を高めることにもなった。

米国の圧力に直面して、日本メーカーは低燃費で確かな品質を目指す技術開発路線を堅持し、グローバル化配置に基づく海外発展戦略を重視したとともに、「リーン生産方式」の管理理念を通じて絶えず効率を高め、コストを削減し、圧力の緩和に成功しただけでなく、米自動車工業に対するリードをさらに拡大することができた。

米日貿易摩擦の歴史を振り返ってわかることは、後発国の追いつき追い越せ式の発展プロセスは守りに入った国の警戒感を引き起こし、圧力を受けるということだ。うまく対処すれば、圧力は意味をなさなくなる。日本の関連産業の勝敗は、典型的な事例だといえる。(編集KS)
http://j.people.com.cn/n3/2019/0617/c94476-9588654.html

7. 中川隆[-12981] koaQ7Jey 2020年3月14日 07:56:07 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[823] 報告

62名無しさん@お腹いっぱい。2020/03/09(月) 08:46:42.32ID:IRTPDkJ+

敗戦後の1945-1952年にかけて少なくとも5000人の混血児(GIレイプ・ベイビー)が誕生
一説によると2-3万人とも

稀にいる180cm前後のコーカソイド的な体格と顔立ちの日本人は、この子孫である可能性が高い
https://ja.wikipedia.org/wiki/GI%E3%83%99%E3%83%93%E3%83%BC


63名無しさん@お腹いっぱい。2020/03/09(月) 08:47:37.98ID:IRTPDkJ+
>>62
GIレイプ・ベイビー

草刈正雄(1952年生まれ、185cm、福岡県小倉市出身=小倉基地) 父は朝鮮戦争で死亡

鮎川誠(1948年生まれ、180cm、福岡県久留米市出身=小倉基地) 父はアメリカ軍の軍人だが、会った記憶はない

青山ミチ(1949年生まれ、黒人ハーフ、神奈川県横浜市出身=横須賀基地) 生き別れたアメリカ人の父親を捜そうとしてニュースになる

泉アキ(1950年生まれ) 父の顔を知らずに育つ

カシアス内藤(1949年生まれ、黒人ハーフ) 父は朝鮮戦争で死亡

西川ヘレン(1946年生まれ)

スティーブ・フォックス(1953年生まれ)

疑惑:
谷隼人(1946年生まれ、179cm、長崎県佐世保市出身=佐世保基地)
松岡きっこ(1947年生まれ)

安室奈美恵の母親(1950年生まれ)
観月ありさの母親
浅野忠信の母親(1951年生まれ)


65名無しさん@お腹いっぱい。2020/03/09(月) 16:09:19.48ID:mZVdE+OB

朝鮮人が日本人の彫りの深い顔のいることに嫉妬し、かつてはロシア人が東北に入ったとかトンデモ説を流し、今度はGIベイビーか?

当時ケトウと嫌われていた人との混血が歓迎されたわけがない。

終戦時、ロシア人にレイプされ妊娠した子供もほとんどおろされている。


66名無しさん@お腹いっぱい。2020/03/09(月) 16:24:33.81ID:IRTPDkJ+

「父は朝鮮戦争で死亡」がドッグ・ホイッスルな
戦後、米兵に日本女性が強姦されまくって大量に混血児が産まれた
老人たちはずっとこの事実を隠してきた
日本兵の強姦児も当然アジア中にいるだろう。慰安婦問題はその一部


69名無しさん@お腹いっぱい。2020/03/09(月) 16:51:07.81ID:IRTPDkJ+

高橋紀子(1946年)
山本リンダ(1951年、福岡県小倉市出身=小倉基地) 父は朝鮮戦争で死亡

もGIレイプ・ベイビーだな
やっぱり敗戦直後にハーフ顔の芸能人が集中してるわ
米兵の強姦児が日本の芸能界を支えた、とか泣けてくる事実

クォーターの安室奈美恵、観月ありさになると顔はほぼアジア人
体格と四肢の長さにコーカソイド的な形質が残る

https://lavender.5ch.net/test/read.cgi/geo/1581905600/l50

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