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アメリカ人には音楽は理解できない _ 神童メニューインは何故只の人になったのか
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/439.html
投稿者 中川隆 日時 2019 年 5 月 18 日 14:07:42: 3bF/xW6Ehzs4I koaQ7Jey
 

(回答先: アメリカの演奏家は何故みんな演奏技術だけ凄くて中身ゼロなのか 投稿者 中川隆 日時 2019 年 5 月 18 日 13:17:45)


アメリカ人には音楽は理解できない _ 神童メニューインは何故只の人になったのか

十で神童 十五で才子 二十過ぎれば只の人


ユーディ・メニューイン(Yehudi Menuhin, 1916年4月22日ニューヨーク - 1999年3月12日ベルリン)

メニューインが正真正銘の大天才だった10代の頃のレコードも沢山残ってるんですね。
それ以降は『昔の名前で出ています』になっちゃうんだけど:


Menuhin - YouTube
http://www.youtube.com/results?search_query=+Menuhin+&oq=+Menuhin+&gs_l=youtube.12...0.0.1.11.0.0.0.0.0.0.0.0..0.0...0.0...1ac..11.youtube.iZJWJn-xhKE

メニューイン ‐ ニコニコ動画(原宿)
http://www.nicovideo.jp/tag/%E3%83%A1%E3%83%8B%E3%83%A5%E3%83%BC%E3%82%A4%E3%83%B3

Yehudi Menuhin plays Fiocco Allegro
Oakland, California, 15/03/1928
http://www.youtube.com/watch?v=QosO7n7VQU4

Yehudi Menuhin - Handel "Prayer" (Gebet)
recording 1929. Menuhin was 13 years old
http://www.youtube.com/watch?v=bV5rW5SK_mE
http://www.youtube.com/watch?v=jCILYu5GN4s

Yehudi Menuhin(13 years old) plays Beethoven Violin Sonata No 1
Rec. 12 November 1929
http://www.youtube.com/watch?v=ufz5Uia2hlM&list=PL58EE5156B99A1F07
http://www.youtube.com/watch?v=SeKNSUBzSwc&list=PL3C23F2919B72137D
http://www.youtube.com/watch?v=nV_31nVJsXc

Yehudi Menuhin Ravel Tzigane Rapsodie de concert
George Enescu taught him this piece. Possibly recorded when he was 12 or 15http://www.youtube.com/watch?v=PhbySudKMLk

Yehudi Menuhin plays Bruch's Violin Concerto 1rst Mvt
Rec. 25 November 1931
http://www.youtube.com/watch?v=rTZHd-nUrHc

Yehudi Menuhin - Paganini / Kreisler - Caprice No. 24 - 1932
http://www.youtube.com/watch?v=dnkfc6eoFBY

Yehudi Menuhin (1916-1999) plays Wieniawski Scherzo-Tarantelle Rec.1932 A.Balsam (piano)
http://www.youtube.com/watch?v=wtiQ3X6-Q2w

Menuhin/Enescu play Bach Double Concerto in D minor
Recorded: June 4, 1932
http://www.youtube.com/watch?v=GVEXGAZVZPk&list=PLcf3ffiFjW29R03WRDxO8UE_cejdaOR6P
http://www.youtube.com/watch?v=b5h1zMtxSC4&list=PLcf3ffiFjW29R03WRDxO8UE_cejdaOR6P

Mehunin 1916-1999 & Elgar 1857 - 1934 Sir Edward Elgar.wmv
1. Concerto for Violin in B minor, Op. 61 Recording Date 7/1932
2. Variations on an Original Theme, Op. 36 "Enigma" Recording Date 1926
http://www.youtube.com/watch?v=n4eHlsdEqFo


Yehudi Menuhin _Chausson ; "Poeme" op.25 (1933)
http://www.youtube.com/watch?v=i_h3aOZrUZs
http://www.youtube.com/watch?v=tONG73g2LJU

Young violonist (17 years old) Yehudi Menuhin (1916-199) plays Ernest Chausson (1855-1899) poeme Opus 25 with Paris Symphony Orchestra conducted Menuhin's Georges EnescuRecorded at Studio Albert, Paris, 21 June 1933

Yehudi Menuhin, early recording - "Abodah" (God's Worship) by Ernest Bloch
http://www.youtube.com/watch?v=Keac2o-GAZQ


Jehudi Menuhin Mozart Violin concerti no 3 & 7 early recordings
http://www.youtube.com/watch?v=xyRURXZIhtA

Yehudi Menuhin, Mozart Violin Concerto n°3 in G Major KV 216, Mv II 19/12/1935
http://www.youtube.com/watch?v=YSVlzTDP7_E
http://www.youtube.com/watch?v=ivrLSTJNgqw


The Young Yehudi Menuhin Encore
http://www.youtube.com/watch?v=4kySfTlSaNg&list=PL5E5CEB8B036B18AA
http://www.youtube.com/watch?v=QVLZkE9YOiY
http://www.youtube.com/watch?v=JAbM8cl82SE
http://www.youtube.com/watch?v=eYW0Bf25fdU
http://www.youtube.com/watch?v=AqD4DmRmA70


▲△▽▼


 メニューインは7歳で神童ヴァイオリニストとしてデビュー。

強靱な技巧と輝かしい音色、高度な芸術性を兼ねそろえ、戦前は10代にして大ヴァイオリニストと認められる。戦前録音のほとんどは名演である。

 戦後は戦中の500回を超える慰問公演、離婚、ナチの収容所の惨状を見たことによるショック等によりスランプに陥り、演奏の出来不出来が激しくなる。さらに1950年代後半以降は脊椎の手術の影響のためかボウイングが衰え始める。

音色の線が細くなり、音程やリズムに難がある録音も少なくない。

 このため戦後やステレオ以降のメニューインはあまり人気があるとは言えず、全否定する向きもある。彼の膨大な録音では不調時の凡演の方が多いというのが実状である。1960年代後半から1970年代半ばまでの録音のほとんどは音色の魅力を欠く凡演と言ってもいい。

晩年はヴァイオリンは引退し、指揮活動に専念していたが1999年3月ドイツで死去。
http://www.toshima.ne.jp/~menuhin/ym2.html
http://www.toshima.ne.jp/~menuhin/ym0.html


▲△▽▼


イェフディ・メニューインは1916年4月、ニューヨークに生まれた。

両親はユダヤ系ロシア人である。

シグモント・アンカーとルイス・パーシンガー、後にはジョルジュ・エネスコとアドルフ・ブッシュに師事したが、ヴァイオリンの技巧は独学で体系的には学ばなかったという。

本人はハイフェッツのアコースティック期のレコードを聴いて同じように弾こうと猛練習したら実現した、そしてあまりにも簡単に身に付いたので、失われるのも速かったと語っている。

実際、戦前の神童期の録音を聴くとハイフェッツ張りの強靱な技巧に圧倒される。

戦後スランプを経験し、カール・フレッシュの教本をさらうなど改めて体系的な技巧を身に付けようとしたそうだが、1950年代後半以降の録音に若い頃の超絶技巧が見られないのも事実である。


 メニューインは神童ヴァイオリニストとして、7歳でデビューした。

1927年(11歳)にはカーネギー・ホールでフリッツ・ブッシュ指揮のニューヨーク・フィルとコンサートを行い、

1929年(12歳)にはブルーノ・ワルター指揮のベルリン・フィルと共演して、バッハ、ベートーヴェン、ブラームスの協奏曲を演奏した。このコンサートは圧倒的な成功をおさめ、なかば伝説と化している。

このコンサートを聴いた物理学者アインシュタイン(自身趣味でヴァイオリンを弾いていた)は

「神が存在することを確信した。」

と語ったという。またクラウディオ・アラウは

「あれは、これまで聴いた演奏のなかで、最大の経験の一つです。」

と語っている(J.ホロヴィッツ 野水瑞穂訳『アラウとの対話』)。

 メニューインの最初の録音は1928年3月(11歳)に行われた米ビクターへの4曲の小品である。米ビクターには1929年2月にも8曲の小品を録音している。(伴奏はパーシンガー)。これは後述のブルッフの協奏曲第1番との組み合わせでBiddulphから復刻されている。("The Early Victot Recordings" LAB031)。

大恐慌の影響で米ビクターはクラシックの録音を休止したため、英HMVに移籍し、11月には最初の大曲バッハ:無伴奏ソナタ第3番を録音した。1931年には専属契約を結び、ブルッフの協奏曲第1番を録音し、1932年には作曲者指揮でエルガーの協奏曲を録音した。

 エネスコに師事したために、1930年からメニューインはフランスに住むことになる。メニューインはエネスコから最も強い影響を受けたと語っている。エネスコやピエール・モントゥー、ジャック・ティボー、アルフレッド・コルトーらと私的に室内楽を演奏し、エネスコの指揮で数多くの演奏会や録音を行っている。
エネスコは無償でレッスンを行い、『エネスコ回想録』(松本小四郎・富田弘共訳)に

「十歳の彼が弾くショーソンの『詩曲』には、三十歳のヴァイオリニストのような深みがあった。しかも、その驚嘆すべき技巧もさることながら、彼のヴァイオリンには、詩情と恍惚の境まで高揚するような情熱が溢れていたのである。
かつての神童は、今や卓抜したヴァイオリニストになっている。その精神は今も昔も同じままである。情愛の深さ、その寛大さも昔のまま。恩師に対する熱意のこもった崇拝の念も、その忠誠心も昔のままである。
私はこれまで一度たりと、彼に失望したことがなかった。それどころか、時が経つにつれ、彼に感動することが幾度もあった。」

と書いている。

 メニューインはポール・パレーやウィレム・メンゲルベルク、アルトゥーロ・トスカニーニらの名指揮者やアルトゥール・シュナーベルとも共演している。特にトスカニーニとの交友には多くの逸話がある。メニューインはトスカニーニの招きに何度も応じ、私的に演奏した。ミラノではモーツァルトの協奏曲第7番の緩徐楽章を演奏中に電話が鳴り、憤ったトスカニーニは壁から電話線をむしり取って「これでもう邪魔なしに音楽を楽しむことが出来る。」と言ったという。また、伴奏ピアニストの譜めくりを買って出たこともある。

 1935年には世界ツアーを行い、12月から1936年11月にかけて膨大な数の録音を行っている。1936年から約1年間演奏活動を中断したが、1937年12月、カーネギー・ホールでのシューマンのヴァイオリン協奏曲のアメリカ初演で復帰した。(10月にサン・フランシスコで世界初演をする予定だったが、ナチの声明によって中止に追い込まれた。)復帰後もハンサムな青年ヴァイオリニストとして人気はますます高まり、ハリウッドから映画出演の依頼もあったという。

 この時期の演奏は強靱な技巧、輝かしい音色と火のでるような情熱に加えて高度な芸術性を感じさせる。協奏曲やソナタの両端楽章では白熱した演奏を行い、緩徐楽章やバッハの無伴奏曲では遅いテンポでじっくりと歌う。

あらえびすは『名曲決定盤』で

「メニューインを一度聴いた人たちは、その重厚な気品と、高邁な気魄に敬服せざるはない。」

と述べている。また野村光一は、1947年頃撮影され日本では1951年に上映された映画「巨星メニューヒン」(ブルーノ・モンサンジョンによるドキュメンタリー"Yehudi Menuhin -The Violin of the Century" EMI にその一部が収録されている。)について

「彼が弓を大きく使い、悠々迫らざる態度で古典曲を熱演している時は、まるで野球選手がホームランをかつとばす時のように爽快味を痛感させる。(中略)あんな迫力のある端的な演奏は今の世の如何なるヴァイオリニストも成し得ぬところであろう。あれはベーブ・ルースのホームランに匹敵する。」

と書いている。(『芸術新潮』1951年10月号「メニューヒンのテクニック」)。
これは戦前録音のほとんどと1940年代の好調時の録音の特徴を見事に言い表している。ただ、1935年頃からの録音には、量産したためか若干緻密さに欠けた演奏も含まれている。

 第2次世界大戦にアメリカが参戦すると、メニューインは連合軍と赤十字の慰問公演を行うことになる。1日に3回演奏することもあり、全部で500回を超えたそうである。1943年には爆撃機に乗ってイギリスを訪れ、イギリス全土で演奏会を開いた。その際自由フランス政府のためにも演奏を行い、ド・ゴール将軍からロレーヌ十字賞を贈られている。1944年には解放直後のブリュッセル、アントワープ、パリで演奏会を開き、1945年にフランスのレジヨン・ドヌール勲章を受賞した。

慰問公演の過労のせいか、最初の結婚の失敗のためか、このころから演奏の出来不出来の差が激しくなる。

出来の悪い時は遅いテンポで大味な演奏になるか、せかせかしたテンポで暴走してしまう。また、技巧的には問題ないがどこか生気のない演奏も多い。

ただ、曲や演奏会の前半は不出来だが、後半になって興が乗ってくると別人のように素晴らしい演奏をすることがある。最後の数小節だけを完璧に感動的に弾いたとか、アンコールだけ良かったという逸話もある。

大味な演奏の例としてラロのスペイン交響曲(2)(1945年)とブラームスの協奏曲(1) (1943年放送録音)等が挙げられる(後者は戦前の録音がないだけに全盛期のスタイルを伝える貴重な記録、と最近評価を改めた)。

暴走する演奏では同曲(3)(1947年)の第3楽章や1951年日本録音の小品集が挙げられる。

生気のない演奏ではフルトヴェングラー/ルツェルン祝祭o.とのベートーヴェンの協奏曲やブラームスのソナタ第3番(2)(1947年)などがある。


最後にメニューインの音色について述べることにする。

この時期(1950年代半ばまで)のメニューインの音色はカンポーリやパールマン、オイストラフに近い、硬質で線の太い非常に輝かしい音である。

ところが、不調時には楽器が鳴らない痩せた音になることがある。

その例として前述のブラームスの協奏曲や1944年録音の「亜麻色の髪の乙女」(p:バラー、RCA)、フリッチャイ指揮RIAS so.とのチャイコフスキーの協奏曲の1949年ライヴ(DG)などが挙げられる。メニューインの音色についてはメニューインについて(2) 1950年代以降でも触れる予定である。
http://www.toshima.ne.jp/~menuhin/ym1.html


▲△▽▼

1999年3月12日、ベルリンで急性心不全のため82歳の生涯を閉じたユーディ・メニューインは、4歳の誕生日を迎えてからシグムント・アンカーにヴァイオリンを学び、7歳のときにはベリオの「パレエの情景」をはじめて聴衆の前で演奏するほど、めざましい才能を発揮している。

メニューインは1927年2月(メニューイン10歳の時)にはパリでポール・バレー指揮のラムルー管弦楽団と『スペイン交響曲』とチャイコフスキーの協奏曲を演奏して圧倒的な成功をおさめた後、彼がサンフランシスコ時代から憧れていたジョルジュ・エネスコに師事する。エネスコはメニューインの非凡な才能を愛し、「私が彼に教えるのと同じだけ私に教えてくれる」といってレッスン代を取らなかったし、メニューインもエネスコから芸術面だけでなく人間的にも多大な影響を受けたのである。

神童メニューインの名前は(エネスコを師とした修行と活躍により)世界的になったが、それを決定的にしたのは1929年4月12日(メニューイン、この時、12歳)のベルリン・フィルへのデビューだった。メニューインはブルーノ・ワルターの指揮で三大B(バッハの第2番、ベートーヴェン、ブラームス)を演奏し、稀にみる成功をおさめたのである。

終了後、感動と興奮で騒ぐ聴衆を静めるために警察を呼ぶほどであり、聴衆の一人だったアインシュタインは興奮して

『今、私は神の存在を信じる』

と語り、ワルターは回想記に

『驚いたのは、メニューインが技巧的に見事だったということではなく、彼が(齢12歳にして既に)精神的にも成熟した演奏を示したということである。その点にこそ奇跡はあったのだ』

と書いている。 (その後も世界的神童として活躍し)1934年には神童嫌いで有名なトスカニーニと競演して例外的に気に入られたという。(気難しがり屋のトスカニーニに気に入られるのはとてつもなく難しいことです)。おそらく当時のメニューインほどセンセーショナルな成功をおさめた神童はいないだろう。実際、当時の録音はとても10代の少年とは思えぬほど音楽的にも成熟した優れた演奏が多い。
http://nekodayo.livedoor.biz/archives/815400.html


▲△▽▼

巨匠に学ぶ

UAEを含む血管内治療だけでなくあらゆる手技・手術は楽器の演奏に似ています。私は5歳よりヴァイオリンを習い、いまでも時々楽器に触れます。

共通していることは基本がもっとも大切ということです。

ヴァイオリンの巨匠ヤッシャ・ハイフェッツは、3オクターブのスケールを弾かせれば技量がわかるといっています。音階が基本であり音階をきちんと弾けるかどうかということです。

興味深い実話があります。ユーディ・メニューインという天才ヴァイオリニストがいました。10代前半でベートーベン、ブラームス、バッハの協奏曲をオーケストラと共演するほどでした。

その10歳そこそこのメニューインは母親に連れられて当時の巨匠、ウジェーヌ・イザイの元にやってきました。ウジェーヌ・イザイはヴァイオリンの皇帝といわれたほどの巨匠でした。当然多くの若き天才ヴァイオリニストが皇帝の下にレッスンを受けにやってきました。

イザイは幼少のメニューインがブラームスやチャイコフスキーの協奏曲を非常な完成度で演奏できることには関心を示さず、まず、3オクターブの分散和音を弾いてほしいといいました。

メニューインはこれができなかったのです。これでレッスンは終了で親子は逃げるようにイザイの元を去っていったと伝えられています。ヴァイオリンの愛好家であれば後年のメニューインの演奏がどうであったか知っていると思います。

外科手術はアッぺにはじまりアッペに終わるといいます。

UAEをはじめとする血管内治療でもきちんと穿刺ができ、シース、カテーテルを挿入することができ、確実に止血ができるという基本中の基本が大切です。
http://uae-ivr.blogspot.jp/2011/12/blog-post.html


▲△▽▼


戦前から戦争直後の1950年頃まで(即ち、SPレコード全盛の時代)、大家・中堅・新進を問わず、およそレコード評論家と名のつく人のほとんどが、ユーディ・メニューインの未来像をフリッツ・クライスラーに次ぐ20世紀のヴァイオリン界の帝王として描いた。

ヴァイオリニストとしてのみならず、音楽家としても20世紀屈指の存在であったジョルジュ・エネスコすらも、「メニューインの師=育ての親」としてのみ知られていた時代が長く続いたのである。

ハイフェッツに優るとも劣らない演奏技術と、バッハの《無伴奏ヴァイオリン・ソナタとパルティータ(全6曲)》の録音を20歳そこそこの青年時代に完成してしまったというレコード界空前の偉業を目の前にすれば、未来の帝王の姿をこのアメリカ生まれ、凛々しくも童顔の少年に想い描かない方がどうかしていたと言っていいだろう。

「メニューイン神話」はそういう次元の、しかも超弩級の実例であった。

生まれながらの資質だけでパガニーニ、サラサーテの難曲を煙の如く弾き去ってしまう天才少年の後ろ姿に、世間の評判とは裏腹の

「ヴァイオリニストとしての将来性はない。もう手遅れだ」

と痛烈な烙印を押したのは巨匠イザイである。 師として彼にヨーロッパ音楽の伝統を伝授したエネスコもブッシュも、メニューイン坊やの天与の資質に目をくらまされて、彼がヴァイオリンという楽器を生涯の友とするために不可欠な職人的基礎訓練(例えば音階とアルペジオ奏法の完璧な習得)を欠いているということに気付かなかった。

同じユダヤ系でも、ハイフェッツやミルシテインなどのロシア学派(レオポルド・アウアー門下)は、生涯にわたり「世紀のヴァイオリニスト」として栄光を保ち続けた。

余りにも才能に恵まれ過ぎたが故に基礎訓練を怠り、負債(ツケ)を壮年期以降払い続けなければならなくなったこの偉大な人物の心中は如何ばかりであったか…、だが、そのことを彼自身は終生口にしなかった。

彼が恐るべき天才少年であった頃の録音を聴けば、いまどきの才能とは質を異にしていたぐらいのことは誰にも判る。
http://classicalmusic.livedoor.biz/archives/53255821.html
 

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コメント
1. 中川隆[-10393] koaQ7Jey 2019年5月18日 14:13:11 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1926] 報告

メニューイン戦前・神童時代のCD紹介 (1928年〜1939年)

メニューインの神童時代はいつまでなのかは色々議論がある。

15、6歳位まで、または1936年にいったん演奏活動を休止するまでという意見もあるが、とりあえずこのページでは1939年までの録音を扱う。

理由は1938年の復帰後の録音もそれ以前と遜色なく見事なものであるということである。そして1940年以降の録音は復刻CDで聴く限り別人のように生気がなく、鈍く大味な演奏になっているのである。


 バッハ:無伴奏ヴァイオリン・ソナタ&パルティータ
・全曲 1934〜1936年 EMI 7243 5 67197 2 9(artリマスタリング) 旧盤 EMI CHS 7 63035 2
・5曲 1934〜1936年(無伴奏ソナタ第2番以外) Naxos Historical 8.110918、8.110964

・無伴奏ソナタ第1番 1933年録音 未CD化
・無伴奏ソナタ第3番 1929年録音 Naxos Historical 8.111127、Biddulph LAB 032
・無伴奏ソナタ第2番〜アンダンテ 1932年録音 Naxos Historical 8.110965
・無伴奏パルティータ第1番〜サラバンデ 1933年録音 未CD化
・無伴奏パルティータ第3番〜プレリュード 1938年録音 未CD化

全曲盤はEMIからCD化されている。もともと全集として録音されたものではなく、個別の曲がSPとしてリリースされた。ソナタ第2番はSPが発売されなかったためNaxos HistoricalのCDには収録されていない。

音質は現行輸入盤EMIのartリマスタリング盤がEMI旧盤やNaxos盤よりも優れている。
演奏はシェリングや最近のヴァイオリニストに比べると緻密さには欠けるが、もの凄い気迫と輝かしい音色で弾かれている。全曲としては最古の録音だが全く古さを感じない。シャコンヌが特に感動的である。

この全曲CDはソナタ第3番とパルティータ第2番が1934年、ソナタ第1番とパルティータ第1番が1935年、ソナタ第2番とパルティータ第3番が1936年録音である。

メニューインはそれ以前、1929年にソナタ第3番を、1933年にソナタ第1番を録音している。前者はLP転写盤の全曲盤に1934年の再録音の代わりに収録されていた。
ビダルフのCDはLPに比べて音に迫力がなかったが、ナクソス盤はそれよりはましな音である。
演奏は師匠アドルフ・ブッシュの影響が強く重厚なボウイングで古めかしく弾かれている。再録音とは別人のような演奏で技巧的に優れている。わずか13歳の時の録音である。

ソナタ第1番の旧盤は未復刻(第1楽章冒頭のみメニューイン50歳記念LPに収録されていた)で、SPを聴いた感想だが、再録音と同一スタイルながら、音がうわずったりすることなくより優れた演奏であった。

他に断片を3種戦前に録音しているが、いずれも全曲とは別の録音である。ソナタ第2番〜アンダンテはナクソスのバッハ:ヴァイオリン協奏曲のCDに収録されている。 無伴奏パルティータ第1番〜サラバンデとパルティータ第3番〜プレリュードは未CD化で前者はヴァイオリン協奏曲第2番のSP(HMV DB2003/5)の最終面に収録されていた。
後者はエネスコ指揮メンデルスゾーンのヴァイオリン協奏曲の米ビクター盤のSP(16169〜72、オートチェンジャー)の最終面に収録されている。


 バッハ:ヴァイオリン協奏曲
・ヴァイオリン協奏曲第1番 1936年、第2番 1933年(エネスコ指揮)、二つのヴァイオリンのための協奏曲 1932年(エネスコ、モントゥー指揮)パリ交響楽団
Naxos Historical 8.110965
EMI 7243 5 67201 2 1(artリマスタリング)、旧盤 EMI CDH 7 610182

断然ナクソス盤のCDの音質が優れている。マーストン復刻でライナーノートによるとイギリス盤、フランス盤、ドイツ盤、オーストラリア盤のSPも聴いたが断然米Victor盤の音質が優れていて、復刻も米VictorのSPが使われているとのことである。前述の無伴奏ソナタ第2番〜アンダンテとの組み合わせである。
EMIでは旧盤の方がいい音だった。どちらもシャコンヌとの組み合わせだが、これは全曲盤と同一の演奏である。artリマスタリング新盤のシャコンヌは同じEMI新盤の全曲盤よりも音質が落ちる。

演奏は20歳の時の第1番はスケールが大きくなっていて輝かしい。10代の時の2曲は優しさを感じさせる。いずれも緩徐楽章の深みはなかなかのものだが、全体に戦前のメニューインの録音の中では大したものではない。

 モーツァルト:ヴァイオリン協奏曲
・モーツァルト:ヴァイオリン協奏曲第3番 1935年、第7番 1932年(エネスコ指揮)、アデライデ協奏曲 1934年(モントゥー指揮) パリ交響楽団
Biddulph LAB 004
EMI CDH 7 63718 2

上に挙げた2種のCDは現在は入手困難かもしれない。他の復刻が現在手に入るようだが、筆者は聴いていない。
ビダルフ盤が絶美の音質である。EMIも悪くない復刻だ。

演奏では第7番が戦前のメニューインのベストパフォーマンスである。疑作なのであるがまるでモーツァルト自身が弾いているかのようである。
アデライデ協奏曲も名演である。この曲は20世紀に入ってからの完全な偽作である。
第3番はかなりロマンティックな演奏で抵抗を感じる。

なお断片として下の演奏も存在する。
・モーツァルト:ヴァイオリン協奏曲第3番からアダージョ 1929年(パーシンガー、ピアノ) Biddulph LAB 031、MALIBRAN CDRG 135

ビダルフ盤はパーシンガー伴奏の最初期の小品集とブルッフのヴァイオリン協奏曲第1番との組み合わせである。MALIBRANは1928年から1938年までの小品集。どちらも良質な復刻。
http://www.toshima.ne.jp/~menuhin/MenuhinCD1.html


バッハ:ヴァイオリン協奏曲第1番、同第2番、
2つのヴァイオリンの為の協奏曲、
無伴奏パルティータ第2番よりシャコンヌ
ジョルジェ・エネスク(vn&cond.)/ピエール・モントゥー(cond.)/イェフディ・メニューイン(vn) [EMI CDH 7 610182 2]

メニューインはエネスクとブッシュといふ大家を師に持つ20世紀を代表するバッハ弾きである。様式からバッハを捉へるのではなく、感情の投影をバッハに見出し、音に精神を吹き込む。
当盤はメニューイン神童時代の輝ける記録であり、ヴァイオリン協奏曲の第1番と第2番は師エネスクの指揮のもと、2つのヴァイオリンの為の協奏曲では、エネスクのヴァイオリンを交へての師弟共演となつてゐる。
メニューインの特徴は強いアクセントと粘つた感情表現であり、熱のこもつたバッハ像を打ち立ててゐる。これに対し、渋く詫びた音楽を奏でるエネスクは老巧で、第2楽章の内面追求は流石である。(2005.8.16)


フランク:ヴァイオリン・ソナタ、ルクー:ヴァイオリン・ソナタ、ショーソン:詩曲/パリ交響楽団/ジョルジェ・エネスク(cond.)/ヘプツィバー・メニューイン(p)/イェフディ・メニューイン(vn) [Biddulph LAB 058]

少年メニューインはエネスクを師と仰ぎ拝して教へを乞ふた。
そして、ヴィブラートの奥義を譲り受けた。
師が得意とした近代フランスの楽曲からは、時にエネスクかと錯覚するくらゐ似た音が聴こえてくる。特にショーソンは瓜二つである。だが、所詮は真似事で、楽器を超越したエネスクの侘び寂びを知つた感情表現を求めることは出来ない。

エネスクの録音が残らないフランクとルクーは価値がある。しかし、フランクのソナタはティボーやデュボアらの御家藝と並べると音楽が脂ぎつてゐて困る。増してや、妹ヘプツィバーをコルトーやマースと比べるのは酷であらう。聴くべきは名曲ルクーのソナタだ。グリュミォーと並ぶ名盤として知られた録音で、情熱的なメニューインの直向きな演奏が犇と迫る。(2009.4.17)


シューベルト:華麗なるロンド、
シューマン:ヴァイオリン・ソナタ第2番、
ピツェッティ:ヴァイオリン・ソナタ
ヘプツィバー・メニューイン(p)/イェフディ・メニューイン(vn) [Biddulph LAB 067]
少年期のメニューインを代表する録音集で、最も輝かしい名演はシューベルトである。冒頭から感情が溢れんばかりに投入されてをり圧倒される。師エネスクと見紛ふばかりの振幅の大きいヴィブラートは偉大なエスプレッシーヴォの音楽を奏でる。主部に入つてからの熱気は尋常ではなく、強いアタックと躍動するリズムが終止途切れることなく炎上する様は鬼気迫る。この激情がシューベルトの音楽に相応しいかを云々することは最早下らぬことにすら思へる。

シューマンも同様の名演だが、この曲には彼岸に到達したエネスクの神にも等しい名演がある為、比較すると力尽くの情熱で押し切つた青二才の演奏に聴こえて仕舞ふ。

ピツェッティのソナタはエネスクの第2ソナタを想起させる玄妙で内省的な作品だ。妹ヘプツィバーの神秘的なピアノが魅力的で、異教的な官能美を振りまくヴァイオリン共々深い感銘を残す逸品だ。(2006.9.7)
http://www.h6.dion.ne.jp/~socrates/violin.html


Yehudi Menuhin clip - Bach ciaccona (Chaconne) d minor
http://www.youtube.com/watch?v=cN6LGPRGnLI
http://www.youtube.com/watch?v=julBoaxI10g


ユーディ・メニューイン(1956−57年録音/EMI盤) 

子供のころから「神童」ともてはやされたメニューインは、ある専門家によれば、デビュー前にマスターしておかなければならないヴァイオリニストとしての基礎技術が欠けていたそうです。

それでは大人になってからは、豊饒な音も持たず、確かな技術も無いとなると、何が特徴かということになりますが、月並みな表現ですが、この人には「精神」が有ったと思います。

この演奏も、聴き始めは音程の不安定さと汚い音に耳を覆いました。第1番のフーガなどは、「のこぎりを引いているのではないか」と思ったぐらいです。

ところが聴き進むうちに、それでもバッハの偉大な音楽に真正面から必死で立ち向かう姿が浮き上がってくるのです。それは、燃えさかる炎の中に人を助けに飛び込んでゆくような、人間の意思を超えた何か壮絶なものを感じずにいられません。

決してリファレンスの演奏にはなり得ませんが、「凄いものを体験した」という聴後感は、シゲティ以上かもしれません。
http://harucla.cocolog-nifty.com/blog/2012/04/bwv10016-c297.html

▲△▽▼


やはり生徒のメニューインより先生のエネスクとブッシュの演奏の方が遥かにいいですね:


The famous Chaconne of Bach played by Adolf Busch.Rec. 1929
http://www.youtube.com/watch?v=t8Im6z30nQo

Enescu plays Bach - Partita No. 2 in D minor, Recorded: 1948-1949
http://www.youtube.com/watch?v=2-kmvrDYyFE


Yehudi Menuhin plays Bach Chaconne
Very excellent recording from around 1935.
http://www.youtube.com/watch?v=lm1q3gadv50
http://www.youtube.com/watch?v=rMTCuaJaBwY

2. 中川隆[-10392] koaQ7Jey 2019年5月18日 14:13:48 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1927] 報告

イェフディ・メニューインのページ
http://www.toshima.ne.jp/~menuhin/ym0.html

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