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江戸時代の鎖国の目的は、戦略物資である硝石の独占、銀の流出制限、奴隷貿易の禁止だった
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/594.html
投稿者 中川隆 日時 2019 年 9 月 02 日 01:49:13: 3bF/xW6Ehzs4I koaQ7Jey
 

(回答先: 「黄金の国ジパング」は事実だった 投稿者 中川隆 日時 2019 年 5 月 05 日 12:39:42)


江戸時代の鎖国の目的は、戦略物資である硝石の独占、銀の流出制限、奴隷貿易の禁止だった

韓国への輸出管理を厳正化すべき歴史的な事実
茂木 誠 2019/09/01
http://www.msn.com/ja-jp/news/opinion/%e9%9f%93%e5%9b%bd%e3%81%b8%e3%81%ae%e8%bc%b8%e5%87%ba%e7%ae%a1%e7%90%86%e3%82%92%e5%8e%b3%e6%ad%a3%e5%8c%96%e3%81%99%e3%81%b9%e3%81%8d%e6%ad%b4%e5%8f%b2%e7%9a%84%e3%81%aa%e4%ba%8b%e5%ae%9f/ar-AAGCFlQ?ocid=ientp#page=2


明は火薬の原料となる硝石の対日輸出を禁止していたが、ポルトガルがそれを横流しした結果、戦国時代の日本で鉄砲が広く普及することに――ポルトガル船(左)が日本の港に入港し、荷降ろしをしている様子を描いた、16世紀末の狩野道味作とされる南蛮屏風。© PRESIDENT Online 明は火薬の原料となる硝石の対日輸出を禁止していたが、ポルトガルがそれを横流しした結果、戦国時代の日本で鉄砲が広く普及することに――ポルトガル船

(左)が日本の港に入港し、荷降ろしをしている様子を描いた、16世紀末の狩野道味作とされる南蛮屏風。

日韓関係がギクシャクしている。直近の問題は、韓国に対する輸出手続き簡略化(ホワイト国扱い)の廃止だ。韓国は日本の対応を非難しているが、駿台予備学校で歴史講座を担当する茂木誠氏は「戦略物資の流通管理はいつの時代も重要なテーマだ。たとえば戦国時代の『鎖国』をめぐっても、似たようなことがあった」という――。

なぜフッ化水素に「厳正な輸出管理」が必要なのか

韓国に対する3品目の輸出審査強化と、韓国に対する輸出手続き簡略化(ホワイト国扱い)の廃止が、「日本による経済制裁だ」と、韓国で激しい反発を引き起こしています。

しかし、韓国の貿易管理体制には、安全保障上の疑義があります。「半導体生産のため」という名目で韓国に輸出されていたフッ化水素などの工業原料の一部が行方不明になっているからです。フッ化水素は半導体の製造に不可欠ですが、同時に広島型原爆製造の前提となるウラン濃縮の際に大量に必要な物質でもあります。

「イエローケーキ」とも呼ばれる天然ウランのなかから、核分裂を引き起こすウラン235を抽出する作業を「ウラン濃縮」といいます。ウランは鉱石ですから、気体にするには3745度の超高温を維持することが必要です。

ところが天然ウランにフッ化水素ガスを反応させた「六フッ化ウラン」は、56.5度で気体になります。これを回転式のシリンダーに詰め、遠心力を使って比重の軽いウラン235を中心部に集めるのが遠心分離装置です。したがって、フッ化水素ガスなしにはウラン濃縮はできないのです。

フッ素は「蛍石」という鉱石に含まれ、これに濃硫酸を反応させたのがフッ化水素ガスです。スプーン1杯で致死量という猛毒であり、その生産と管理には万全の防護が必要です。2012年に韓国のクミ市の化学工場で、タンクローリーに積んだフッ化水素ガスを工場タンクに詰め替える際に起きた流出事故では、従業員5人が死亡、住民4000人が健康被害に遭いました。

中国は蛍石の大生産国ですが、いまだに高品質フッ化水素の量産システムを確立できていません。世界のフッ化水素の供給シェアのじつに80%を日本が占め、その大半を森田化学工業が独占しています。

さらにフッ化水素ガスは、科学兵器のサリンガス、VXガスの原料でもあります。こうした物質が、不適切な貿易管理によって第三国に流出するようなことはあってはなりません。世界の安全保障にかかわる戦略物資であるフッ化水素の輸出を、日本政府が厳正に管理するのは当然のことです。

中世の戦略物資だった「硝石」と「硫黄」

現代の「ウラン」や「フッ化水素」に似ているのが、中世の「硝石」と「硫黄」でしょう。これらは宋代の中国で開発された黒色火薬の原料で、木炭と硫黄3+酸化剤の硝石7の割合で配合します。鉱山開発のほか、兵器としても使われました。

宋代に発明されたのは火槍(かそう)という兵器で、槍の先で火薬を爆発させ、敵を威嚇したり、殺傷したりしました。宮崎アニメの「もののけ姫」に出てくる「石火矢」は、この火槍がモデルのようです。南宋を制圧したモンゴル軍がこれを改良し、当時モンゴル帝国の支配下にあったイスラム世界や欧州へ伝えました。英仏百年戦争で大砲が、イタリア戦争では鉄砲が使われています。

欧州式の鉄砲は、大航海時代にポルトガル人の手で日本に伝来し、大砲も明代の中国と日本にほぼ同時に伝わりました。これら火砲は原理的にはみな同じで、黒色火薬の爆発力で弾を飛ばすのです。

火薬がなければ、鉄砲もただの筒です。各国は火薬の原料となる戦略物資の硫黄と硝石の確保に躍起となりました。火山が少ない中国では硫黄の確保が困難で、火山国日本からの輸入に頼っていました。一方、硝石は窒素化合物であり、動植物の遺体や排泄物などの有機物をバクテリアが分解して生まれたもので、民家や家畜小屋の床下から採取されました。水溶性のため、露天では確保が困難で、湿潤多雨の日本では当時、硝石の自給は不可能でした。

「硝石戦争」でもあった信長と石山本願寺の戦い

鉄砲で武装した海上武装商人団・倭寇に苦しめられた明朝は、日本への硝石の輸出を禁止していました。しかし、ポルトガル商人が横流しする中国産硝石は日本へ渡り、戦国時代の日本に鉄砲を普及させることになったのです。その窓口が長崎であり、大分(豊後中ノ浜)であり、大阪湾の堺でした。

当時の大阪平野は低湿地であり、のちに大阪城が建つ場所に、石山本願寺が建っていました。本願寺を総本山とする全国の一向宗(浄土真宗)の門徒たちは、武装して戦国大名と戦っていました。教団兵力の最精鋭部隊が、紀伊の根来寺を拠点とする雑賀衆(さいかしゅう)と呼ばれる鉄砲隊ですが、彼らに硝石を提供していたのが堺でした。

伊勢長島の一向一揆に苦しめられた織田信長は、堺の制圧なしには一向宗の制圧なしと悟りました。15代将軍足利義昭を奉じて上洛した信長は、堺の自治権を奪いました。石山本願寺は信長に激しく抵抗し、10年におよぶ石山戦争(石山合戦)が勃発。この戦争は宗教戦争であると同時に、硝石をめぐる戦いでもあったのです。戦いに敗れた顕如が大挙したあと、石山本願寺は取り壊され、その跡地にはのちに、豊臣秀吉の手で大坂城が築城されました。

本能寺の変で信長が倒れたあと、権力を握った秀吉は、九州平定を急ぎました。九州には、大友・大村・有馬・小西などのキリシタン大名がいて、硝石を手に入れるためにカトリックに改宗し、ポルトガル船とイエズス会宣教師を誘致していたからです。大村純忠は長崎港をイエズス会に寄進しています。宣教師たちに教唆されたキリシタン大名は神社仏閣を破壊し、「異教徒」である日本人奴隷の輸出にも手を染めていました。ポルトガル船が求めた商品は、日本産の硫黄と銀、それに日本人奴隷でした。

これらの事実を知った秀吉は、宣教師(バテレン)追放令を発し、ポルトガル人との貿易を管理下に置きました。こうして輸入硝石は、豊臣政権によって一元管理されることになったのです。

輸出入管理がもたらした「徳川の平和」

関ヶ原の戦いを経て、この体制を引き継いだ徳川家康は、欧州ではスペイン・ポルトガルと敵対関係にあった新教国のオランダとイギリスに接近し、イギリスからは射程の長いカルバリン砲を輸入しました。これらの最新兵器は、大坂冬の陣で豊臣家を屈服させるのに効果がありました。

3代将軍家光は、長崎一港に貿易を制限し、オランダと中国にのみ通商を許しました。宣教師を送り込んでくるポルトガル船の来航を厳禁し、それでもマカオからやってきたポルトガル人を処刑しました。

これがのちに「鎖国令」と呼ばれる一連の通達であることは、『世界史とつなげて学べ 超日本史』で詳細に説明したとおりです。それは外国との貿易禁止ではなく、国家による貿易の一元管理と海外渡航の禁止を主眼とするものでした。その目的は、戦略物資である硝石の独占、銀の流出制限、奴隷貿易の禁止だったのです。かくして徳川家は鉄砲生産を独占し、260年におよぶ「徳川の平和」を可能にしたのです。


・敵と味方を見誤らない。

・戦略物資の輸出入を厳格にする。

・同盟国とは兵器を共有する。

徳川幕府から現代日本人が学ぶべき点はたくさんあります。

http://www.msn.com/ja-jp/news/opinion/%e9%9f%93%e5%9b%bd%e3%81%b8%e3%81%ae%e8%bc%b8%e5%87%ba%e7%ae%a1%e7%90%86%e3%82%92%e5%8e%b3%e6%ad%a3%e5%8c%96%e3%81%99%e3%81%b9%e3%81%8d%e6%ad%b4%e5%8f%b2%e7%9a%84%e3%81%aa%e4%ba%8b%e5%ae%9f/ar-AAGCFlQ?ocid=ientp#page=2  

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コメント
1. 中川隆[-8550] koaQ7Jey 2019年9月02日 01:53:31 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[4207] 報告

豊臣秀吉の「バテレン追放令第10条」と奴隷貿易をしていたキリシタン大名・天草四郎

徳富蘇峰の近世日本国民史に、秀吉の朝鮮出兵従軍記者の見聞録がのっています。

『キリシタン大名、小名、豪族たちが、火薬がほしいぱかりに女たちを南蛮船に運び、獣のごとく縛って船内に押し込むゆえに、女たちが泣き叫ぴ、わめくさま地獄のごとし』

ザヴィエルは日本をヨーロッパの帝国主義に売り渡す役割を演じ、マラーノのアルメイダは、日本に火薬を売り込み、交換に日本女性を奴隷船に連れこんで海外で売りさばいたボスの中のボスであつた。

キリシタン大名の大友、大村、有馬の甥たちが、天正少年使節団として、ローマ法王のもとにいったが、その報告書を見ると、キリシタンの悪行が世界に及んでいることが証明されよう。

『行く先々で日本女性がどこまでいっても沢山目につく。ヨーロッパ各地で50万もいるという。

肌白くみめよき日本の娘たちが秘所まるだしにつながれ、もてあそばれ、奴隷らの国にまで転売されていくのを正視できない。

鉄の伽をはめられ、同国人をかかる遠い地に売り払う徒への憤りも、もともとなれど、白人文明でありながら、何故同じ人間を奴隷にいたす。

ポルトガル人の教会や師父が硝石(火薬の原料)と交換し、インドやアフリカまで売っている』


豊臣秀吉は準管区長コエリヨに対して次のように命じています。

『ポルトガル人が多数の日本人を奴隷として購入し、彼らの国に連行しているが、これは許しがたい行為である。 従って伴天遠はインドその他の遠隔地に売られて行ったすぺての日本人を日本に連れ戻せ。』

2002.7.9日付北國新聞の「バテレン追放令」も当時の「宣教師達による日本人女性人身売買」について触れています。
豊臣秀吉のバテレン追放令第10条の「日本人を南蛮に売り渡す(奴隷売買)ことを禁止」を紹介し、次のように述べています。
『バテレン船で現実に九州地方の人々が外国に奴隷として売られていること―などが分かる。秀吉の追放令は、ある意味で筋の通った要求だった。』

豊臣秀吉は、この奴隷狩りを止めさせるために、イエズス会の司祭、コエリュに詰問しています。

「九州に来る西洋の商人たちが日本人を多く購入し連行していることをよく知っている。いままで誘拐して売り飛ばした日本人を返せ。それが無理なら、ポルトガル船に買われて、日本にいる監禁されている日本人だけでも開放しろ。そんなに金が欲しいなら、代金はあとで渡す。」

これにコエリュが答えて

「日本人売買の禁止はかねてからのイエズス会の方針である。問題なのは、外国船を迎える港の領主(キリシタン大名や天草四郎)であり、厳しく日本人の売買を禁止しない日本側に責任がある。」

このやり取りで、秀吉は激怒し、奴隷売買禁止令を発します。

天草四郎があれだけ最新鋭の鉄砲で武装できたのも、奴隷狩りの豊富な資金があったからです。
彼らは現在の絵や小説やドラマに描かれているようなムシロ旗に竹槍の武装などしてないんですね。 鎧を着て、銃で武装した組織的武士団です。

戦前までは、この事実はよく知られていたそうです。
そのため、古い物語などに出てくる天草四郎は魔回転生に出てくるような化け物として描かれています。 しかし、戦後はあべこべに日本人がキリスト教徒を迫害したのだと教科書で教育しています。 奴隷貿易で子供や女性を連行されたのは日本人の方なのに。


日本の歴史教育ではキリシタン殉教者の悲劇は教えます。
しかし、天正少年使節団が報告した日本人女性50万人が奴隷として売買されていた悲劇を、火薬一樽で50人の娘が売られていった悲劇を、どうして教えないのでしょうか?
http://okwave.jp/qa/q2869029.html


日本人女性をドレイとして売り飛ばした切支丹大名の非人間性、これが武士か、日本人か


キリシンタン大名の大友、大村、有馬の甥たちが天正少年使節団としてローマ法王のもとに行ったが、その報告書を見るとキリシタン大名の悪行が世界に及んでいることが証明されよう。

 「行く先々で日本女性がどこまでいってもたくさん目につく。ヨーロッパ各地で五十万という。肌白くみめよき日本の娘たちが秘所まるだしにつながれ、もてあそばれ、奴隷らの国まで転売されてゆくのを正視できない。 鉄の枷をはめられ、同国人をかかる遠い地に売り払う徒への憤りも、もともとなれど、白人文明でありながら、何故同じ人間を奴隷にいたす。ポルトガル人の教会や師父が硝石(火薬の原料)と交換し、インドやアフリカまで売っている。」


 この少年たちの父や叔父たちが日本女性を数十万単位でポルトガルの教会の師父たちと共謀して売った悪なのである。これがキリシタン大名や小名、豪族たちの偽らざる真実の姿なのである。ポルトガルの教会の師父が世界的売春組織のボスであることを知って、キリスト教のなんたるかを連想されるがよい。

日本のキリシタン大名が、キリスト教(カトリック)の宣教師、そして、ポルトガルの奴隷商人に、火薬一樽につき五十人の日本の美しい娘を奴隷として、ヨーロッパなどに売り飛ばした、と言う一件である。

 この件は、日本側に、日本の娘たちを捕らえて、キリスト教の奴隷商人に売り渡す勢力が存在しなければ、全く成り立たない。実際、十六世紀以降、キリスト教ヨーロッパの征服者たちは、サハラ以南の黒人、アフリカ地帯から、合計数千万人の黒人奴隷を中南米、北米大陸に連行した。しかし、この件は、黒人側に、奴隷売買の権力者が存在しなければ、成り立たない。

 我々は歴史書によって、当時、アフリカ黒人部族の首長たちが、ヨーロッパキリスト教奴隷商人から資財を受け取り、それと引き換えに、黒人同胞を売り渡して居たことを承知して居る。

 しかし、全く同じことを、戦国末期の一部の日本人権力者がやって居たことを始めて知って、正直なところ大きなショックを筆者は受けた。

 九州のキリシタン大名大友宗麟は、カトリックの宣教師に煽動されて、永禄四年、宇佐八幡宮を焼いた。天正九年十月八日には、豊前彦山の三千坊といわれる坊舎を焼いたと。
 大友宗麟は、カトリックの極悪悪魔主義者たる宣教師と、ポルトガルの商人から、火薬の原料硝石を輸入するために、豊の国の神社仏閣を焼き払い、若い娘たちをドレイとして、売り払ったと。

 このような人物こそ、日本史上極悪の民族への裏切り者、売国奴、国賊、として特筆大書され、徹底的に日本国民に、教えなければならないのではないか。
 しかし、大友宗麟のみでない。日本人キリスト教徒は、全員大友宗麟と同類の顕在的また潜在的な売国奴、ではないのか。
http://www.asyura.com/0411/bd38/msg/361.html


キリスト教布教に躍起になり、日本人を奴隷として連行するのは何故かと秀吉は耶蘇を詰問


大分(豊後)は、キリシタン大名・大友宗麟の領地です。
織田信長は、ポルトガル(+イエズス会・サビエル、大友宗麟経由)から大量の武器・資金援助を受けていたようです。

当時、大友宗麟・有馬晴信・大村純忠・高山右近・小西行長・黒田如水・細川忠興らのキリシタン大名たちは、武器輸入のかたに日本人を奴隷として売買して利益を上げた、と言われています。

天正15年(1587年)6月18日、豊臣秀吉は宣教師追放令を発布した。その一条の中に、ポルトガル商人による日本人奴隷の売買を厳しく禁じた規定がある。日本での鎖国体制確立への第一歩は、奴隷貿易の問題に直接結びついていたことがわかる。

 「大唐、南蛮、高麗え日本仁(日本人)を売遣候事曲事(くせごと = 犯罪)。付(つけたり)、日本におゐて人之売買停止之事。 右之条々、堅く停止せられおはんぬ、若違犯之族之あらば、忽厳科に処せらるべき者也。」(伊勢神宮文庫所蔵「御朱印師職古格」)
 
http://www.asyura.com/0411/bd38/msg/354.html


 大西洋奴隷貿易時代の日本人奴隷

天正15年(1587年)6月18日、豊臣秀吉は宣教師追放令を発布した。その一条の中に、ポルトガル商人による日本人奴隷の売買を厳しく禁じた規定がある。日本での鎖国体制確立への第一歩は、奴隷貿易の問題に直接結びついていたことがわかる。

 「大唐、南蛮、高麗え日本仁(日本人)を売遣候事曲事(くせごと = 犯罪)。付(つけたり)、日本におゐて人之売買停止之事。 右之条々、堅く停止せられおはんぬ、若違犯之族之あらば、忽厳科に処せらるべき者也。」(伊勢神宮文庫所蔵「御朱印師職古格」)

 日本人を奴隷として輸出する動きは、ポルトガル人がはじめて種子島に漂着した1540年代の終わり頃から早くもはじまったと考えられている。16世紀の後半には、ポルトガル本国や南米アルゼンチンにまでも日本人は送られるようになり、1582年(天正10年)ローマに派遣された有名な少年使節団の一行も、世界各地で多数の日本人が奴隷の身分に置かれている事実を目撃して驚愕している。

「我が旅行の先々で、売られて奴隷の境涯に落ちた日本人を親しく見たときには、 こんな安い値で小家畜か駄獣かの様に(同胞の日本人を)手放す我が民族への激しい念に燃え立たざるを得なかった。」

「全くだ。実際、我が民族中のあれほど多数の男女やら童男・童女が、世界中のあれほど様々な地域へあんなに安い値でさらっていって売りさばかれ、みじめな賤業に就くのを見て、憐 憫の情を催さない者があろうか。」

といったやりとりが、使節団の会話録に残されている。この時期、黄海、インド洋航路に加えて、マニラとアカプルコを結ぶ太平洋の定期航路も、1560年代頃から奴隷貿易航路になっていたことが考えられる。

 秀吉は九州統一の直後、博多で耶蘇会のリーダーであったガスパール・コエリョに対し、

「何故ポルトガル人はこんなにも熱心にキリスト教の布教に躍起になり、そして日本人を買って奴隷として船に連行するのか」

と詰問している。南蛮人のもたらす珍奇な物産や新しい知識に誰よりも魅惑されていながら、実際の南蛮貿易が日本人の大量の奴隷化をもたらしている事実を目のあたりにして、秀吉は晴天の霹靂に見舞われたかのように怖れと怒りを抱く。秀吉の言動を伝える『九州御動座記』には当時の日本人奴隷の境遇が記録されているが、それは本書の本文でたどった黒人奴隷の境遇とまったくといって良いほど同等である。「中間航路」は、大西洋だけでなく、太平洋にも、インド洋にも開設されていたのである。

「バテレンどもは、諸宗を我邪宗に引き入れ、それのみならず日本人を数百男女によらず黒舟へ買い取り、手足に鉄の鎖を付けて舟底へ追い入れ、地獄の呵責にもすくれ(地獄の苦しみ以上に)、生きながらに皮をはぎ、只今世より畜生道有様」

といった記述に、当時の日本人奴隷貿易につきまとった悲惨さの一端をうかがい知ることができる。

 ただし、こうした南蛮人の蛮行を「見るを見まね」て、「近所の日本人が、子を売り親を売り妻子を売る」という状況もあったことが、同じく『九州御動座記』に書かれている。秀吉はその状況が日本を「外道の法」に陥れることを心から案じたという。検地・刀狩政策を徹底しようとする秀吉にとり、農村秩序の破壊は何よりの脅威であったことがその背景にある。

 しかし、秀吉は明国征服を掲げて朝鮮征討を強行した。その際には、多くの朝鮮人を日本人が連れ帰り、ポルトガル商人に転売して大きな利益をあげる者もあった。−−奴隷貿易がいかに利益の大きな商業活動であったか、このエピソードからも十分に推察ができるだろう。
http://www.daishodai.ac.jp/~shimosan/slavery/japan.html
 

2. 中川隆[-8549] koaQ7Jey 2019年9月02日 01:54:10 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[4208] 報告

イエズス会は日本で何をしてきたか
 
○日本人の奴隷貿易

1587年九州平定過程にあった秀吉は、 イエズス会の日本のトップである、ガスパル・コエリョに、イエズス会の日本での行為について詰問している。

「予は商用のために当地方(九州)に渡来するポルトガル人、シャム人、カンボジア人らが、多数の日本人を購入し、彼らからその祖国、両親、子供、友人を剥奪し、奴隷として彼らの諸国へ連行していることも知っている。それらは許すべからざる行為である。」(ルイス・フロイス「日本史4」)

当時キリスト教は教義で奴隷を公認しており、イエズス会は商船の奴隷貿易に関する許認可権をもっていた。コエリョ自身がポルトガル商人に代わって日本人奴隷売買契約書に署名した記録もある。日本人奴隷貿易は15世紀後半には16世紀の後半には、ポルトガル本国やアメリカ、メキシコ、南米アルゼンチンにまで及んでいた。

『東洋ポルトガル古記録』には「ゴアにはポルトガル人の数より日本奴隷の数の方がより多い」「日本人奴隷は男よりも女が好まれた。行き先はゴアを中心とする東南アジアだが、ポルトガル本国にも相当数入っている」と記されている。 ローマに派遣された少年使節団も、世界各地で多数の日本人が奴隷の身分に置かれているのを目撃して驚愕している。

彼らは大村、小西らキリシタン大名らにより捕虜とされたもの達や仲介商人によるものである。奴隷売買と引き換えに当時日本では希少価値であった硝石と交換され、硝石一樽と日本人女性50人が交換されたという記録もある。当時の日本人の奴隷売買は人口1200万に対し2万人から4万人余と推定される。


○寺社の破壊と僧侶の殺害

秀吉は同じくイエズス会のコエリョに「キリシタンは、いかなる理由に基づき、神や仏の寺院を破壊し、その像を焼き、その他これに類した冒涜を働くのか」と詰問する。

秀吉は農村秩序の核になっている寺社の破棄を、かなり重く見ていた。

実際特に九州では寺社破壊は凄まじく、例えば大村領では神社仏閣が破壊され、その結果6万人以上のキリスト教信者が生まれ、87の教会ができたという。寺社破壊はキリシタン大名の統治する地域で日本各地に及んだ。キリシタン大名であった高山右近は大阪の高槻城主であった時に、普門寺、本山寺、広智寺、神峯山寺、金龍寺、霊山寺、忍頂寺、春日神社、八幡大神宮、濃味神社といった大寺社を焼き討ちにより破壊したといわれている。イエズス会のコエリョをはじめ当時の宣教師の多くは仏像や仏教施設の破壊にきわめて熱心であり、九州では信者を教唆して神社仏閣破壊させたことをフロイス自身が書いている。


○島原の乱の真相

キリシタンの悲劇として描かれている最大のものが1637年の『島原の乱』である。教科書からは島原・天草地方のキリシタン弾圧が酷く、重税を課したことから農民たちが圧政に立ちあがったと読める。しかし事実はかなり異なっている。

当時の反乱勢は3万7千人、篭城戦時では幕府軍は12万以上で圧倒的な差がありながら制圧に半年を費やしている。しかも緒戦においては板倉重昌率いる幕府軍4万人は惨敗。一揆勢の死傷者が僅かに7名なのに対し、幕府軍の死傷者は4千名にのぼった。しかも板倉は討ち死にしている。

これは、反乱勢が大量の武器弾薬を保有していたからにほかならない。では、彼らが大量の鉄砲などを保有していただけではなく、その使い方にも習熟していたのは何故なのか。

まず、一揆勢の中心が百姓ではなく、キリシタン大名だった有馬や小西の残党だったことである。有馬と小西は関が原の合戦において西軍側につき、他国に移封される。『天草征伐記』と『徳川実記』等の記述にも、キリシタン大名であった小西行長の遺臣が中心になって、それに有馬の旧臣も加わって、困窮した農民を糾合して蹶起したとある。

しかもただの「農民」とは思えない行動が目立つ。一揆勢の行動で目に付くのは寺社への放火や僧侶の殺害である。有馬村では村民らが、所々の寺社を焼き払ってキリシタンに戻ると宣言し、これに周辺八ヵ村の村民らが同調して寺社に火を点け、キリシタンにならない村民の家には火をかけている。さらに島原城の城下町でも江東寺、桜井寺に放火している(『別当利杢左衛門覚書』)また彼らは、代官の林兵左衛門を切り捨てた後、村々へ廻状を廻し、代官や『出家』『社人』(下級神官)らをことごとく打ち殺すように伝達した為に、僧侶、下級神官や『いきがかりの旅人』までが殺されたという(『佐野弥七左衛門覚書』)。

その後彼らは、九州諸藩の討伐軍の接近を知って島原半島に移動し、島原の旧主有馬家の居城で廃城となっていた原城に籠城する。島原と天草の一揆勢が合流し、大量の鉄砲と弾薬を保有してこの場所に立て籠もったのである。彼らが原城に籠城したのはポルトガルなどの外国勢力の支援を期待していた可能性があり、少なくとも幕府はポルトガル等の支援を警戒していた。それには理由がある。

ポルトガルやスペインには明と朝鮮を日本の傭兵を使って占領する計画があった。その際幕府と対立することは確実で、九州のキリシタン大名を幕府から離反させる計画であった。

そのためには長崎周辺を軍事拠点化する必要がある。クルスがイエズス会に宛てた書翰によれば、 九州が日本から離反する際には、キリシタン大名達がポルトガル人に基地を提供することは確実で、特に小西行長が志岐港を差出すことを確実視している。キリシタン大名たちとの間で計画は相当詰められていたようだ。

更にフランシスコ会の宣教師の本国への報告によれば「有馬や長崎は1590年には軍事要塞工事が行われており、イエズス会の宣教師達は、長崎近辺に有している村落のキリスト教徒たち全員に、三万名の火縄銃兵を整えた」とある。イエズス会は来たるべき戦いの為に、多くの武器弾薬を準備し、長崎近隣の信徒達に火縄銃の訓練をさせていたのだ。乱の中心勢力は小西行長や有馬の家臣である。スペイン・ポルトガルの影を幕府が想定したのは不思議ではない。

この3万挺の銃などの大量の武器の押収記録はない。大量の武器は島原、天草、ポルトガル船などに分散して隠され、訓練は江戸時代に入ってからも密かに続けられていた可能性が高い。そう考えないと、島原の乱における単なる百姓一揆とは思えない軍事行動や、大量の武器の調達や島原藩や唐津藩などの正規軍を一時圧倒したことの説明は困難だろう。
http://www.rui.jp/ruinet.html?i=200&c=600&t=6&k=0&m=335080

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