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マヤ文明滅亡の原因
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/670.html
投稿者 中川隆 日時 2019 年 10 月 16 日 09:57:05: 3bF/xW6Ehzs4I koaQ7Jey
 

(回答先: 人類最初のアメリカ到達は16,000年以上前であったことが判明 投稿者 中川隆 日時 2019 年 9 月 08 日 05:48:04)


マヤ文明滅亡の原因

2019年10月16日
以前の見解よりも早期に起きていたマヤ社会における暴力的な争い
https://sicambre.at.webry.info/201910/article_30.html


 マヤ社会における暴力的な争いについての研究(Wahl et al., 2019)が報道されました。古典期(紀元後250〜950年)におけるマヤ社会の争いについてはこれまで、儀式的なものであり、その範囲は限定的だと見なされてきました。一方で、古典期末期(紀元後800〜950年)における暴力的な争いの証拠は、マヤ文明の崩壊を促進した、争いの段階的拡大と解釈されてきました。に広範な争いが生じていたことを明らかにしています。

 この研究は、古典期末期よりかなり早い時期となる紀元後697年5月21日に、ウィツナル(現在のグアテマラ北部)が2回にわたって攻撃を受けて焼き払われたと記された、ウィツナル南部に位置する古代マヤ都市ナランホで発見されたエログリフで刻まれた碑文を解析しました。その結果、この碑文は、紀元後7世紀の最後の10年の間に起きた大規模な火災により生じた、ウィツナル近くの湖で見つかった明瞭な炭化層を有する古環境的な証拠と結びつけられました。ウィツナル全域にわたって主要なモニュメントが広範に破壊・焼失したという考古学的証拠も、この結びつきを支持します。堆積物の分析からは、この火災事象後に土地利用の急激な減少が生じたと明らかになり、攻撃がウィツナルの人々に深刻な悪影響を及ぼした、と示唆されました。

 この知見は、極端な暴力的な争いは古典期末期に限定的なものであり、環境ストレスや限られた資源をめぐる競争の高まりの結果として生じたものである、という従来の説に疑問を投げかけています。マヤ低地における繁栄と芸術的洗練の頂点とされる時期に、人々の間で都市の広域の崩壊につながる暴力的な争いが繰り広げられていたのではないか、というわけです。今後は、より広範な地域での研究の進展が期待されます。以下は『ネイチャー』の日本語サイトからの引用です。


マヤ社会における暴力的な争いは、考えられていたよりも早くから起こっていた

 マヤ低地で、繁栄と芸術的洗練のピークとされる時期に、人々の間で過激な争いが起きていたことを示す証拠について報告する論文が、今週掲載される。今回の研究から、マヤ社会では、従来考えられていたよりも早い時期に、都市の広域の崩壊につながる暴力的な争いが繰り広げられていたことが示唆される。

 古典期(西暦250〜950年)におけるマヤ社会の争いについてはこれまで、儀式的なものであって、その範囲は限定的だと見なされてきた。一方で学者たちは、古典期末期(西暦800〜950年)における暴力的な争いの証拠を、マヤ文明の崩壊を促進した、争いの段階的拡大と解釈してきた。

 今回、David Wahlの研究グループは、マヤ社会では、古典期末期よりかなり早い時期に広範な争いが生じていたことを明らかにしている。Wahlたちは、西暦697年5月21日にウィツナル(現在のグアテマラ北部)が2回にわたって攻撃を受けて焼き払われたと記された、ウィツナル南部に位置する古代マヤ都市ナランホで発見されたヒエログリフで刻まれた碑文を解析した。そして、彼らは、この碑文を、西暦7世紀の最後の10年の間に起きた大規模な火災によって生じた、明瞭な炭化層を有するウィツナル近くの湖で見つかった古環境的な証拠と結び付けた。ウィツナル全域にわたって主要なモニュメントが広範に破壊・焼失したという考古学的証拠も、この結び付きを支持するものである。堆積物の分析からは、この火災事象後に土地利用の急激な減少が生じたことが明らかになり、攻撃が、ウィツナルの人々に深刻な悪影響を及ぼしたことが示唆された。

 今回の知見は、極端な暴力的な争いは古典期末期に限定的なものであって環境ストレスや限られた資源をめぐる競争の高まりの結果として生じたものである、という従来の説に疑問を投げ掛けるものだと、Wahlたちは述べている。


参考文献:
Wahl D. et al.(2019): Palaeoenvironmental, epigraphic and archaeological evidence of total warfare among the Classic Maya. Nature Human Behaviour, 3, 10, 1049–1054.
https://doi.org/10.1038/s41562-019-0671-x


https://sicambre.at.webry.info/201910/article_30.html  

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コメント
1. 中川隆[-13884] koaQ7Jey 2020年2月11日 11:31:53 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-513] 報告

2020年02月11日
マヤ文化における貯蔵・流通
https://sicambre.at.webry.info/202002/article_25.html


 取り上げるのがたいへん遅れてしまいましたが、マヤ文化における貯蔵・流通に関する研究(McKillop et al., 2018)が公表されました。日本語の解説記事もあります。塩は生命の維持に不可欠ですが、人類の主要な生業が狩猟採集から農耕へと移行していく時期に、人類が塩をどのように確保していたのか、明確ではありませんでした。この研究は、ベリーズのマヤ文化期のパインズ・クリーク製塩遺跡群(Paynes Creek Salt Works)と呼ばれる遺跡群の石器分析から、貴重な塩をどのように生産・貯蔵して流通させていたのか、推測しています。

マヤ文化は紀元前 1000 年頃から紀元後 16 世紀にスペインが侵略するまで、アフリカやユーラシアとの交流なしに中央アメリカ大陸で独自に発達した都市文化でした。

マヤ人は鉄器や大型の家畜を使わず、石器を主要利器として高さ 70mに及ぶ石造神殿ピラミッドを人力で建造しました。

マヤの支配層 は、16世紀以前のアメリカ大陸で4万〜5万に及ぶ文字や、暦・算術・天文学を発達させました。このうち、紀元後300〜900年がマヤ文化古典期となります。

 パインズ・クリーク製塩遺跡群は、周囲をマングローブの林に囲まれ、海面上昇により塩水ラグーンの下に沈んでおり、面積は約7.8㎢です。海面上昇により、一帯の遺跡は完全に水没していました。マングローブが堆積してできた酸性の泥炭は、炭酸カルシウムで構成される骨・貝殻・小型の遺骸を分解してしまうため、発掘では魚や動物の骨はほとんど出土しませんでした。一方、マングローブの泥炭には、中央アメリカ大陸の熱帯雨林で通常なら腐敗してしまう木材を保存する性質もあります。残されていた木材は2004年に発見され、 4000 本以上の木杭が手がかりとなって、塩水を入れた甕を火にかける方式で製塩を行なっていた作業所がこの一帯に多数存在した、と明らかになりました。土器を使用する伝統的な製塩の手法は現代にも受け継がれ、土器製塩と呼ばれています。

 パインズ・クリーク製塩遺跡群で発見された20 点のチャート製石器の使用痕は、高倍率の金属顕微鏡で分析されました。このうち一部の石器には木の加工の使用痕が確認されましたが、大部分のチャート製石器は魚・肉・皮の加工に使用された、と明らかになりました。石器の使用痕データは、マヤ文化の経済活動や食生活を検証する上できわめて重要な意味を有します。パインズ・クリーク製塩遺跡群では紀元後600〜900年に、住居内ではなく木造の製塩作業小屋の中で一世帯の消費量を大幅に上回る塩が生産されました。塩はカリブ海沿岸部だけでなくマヤ低地内陸部とも交換されました。

 先コロンブス期の中央アメリカ大陸において、家畜はイヌと七面鳥だけでしたが、この研究は、古典期マヤ人が他にも動物性タンパク質を摂取していた、との見解を提示しています。この研究は石器の使用痕データから、塩漬けや干し物にされた海産魚のマヤ低地海岸部からマヤ低地内陸部の地域間交換が、一定の動物性タンパク質の供給を担っていた、と推測しています。

使用痕分析されたチャート製石器は、魚・肉・皮の加工に主に使用されていました。近隣のワイルド・ケイン・キー遺跡の住居跡のゴミ捨て場からは、アジやスズキなどの骨が出土しています。こうした魚の干物を作る際に、チャート製石器で魚の腹を切り開いて内蔵を出した、と考えられます。皮の搔き取りに関する使用痕は、魚を塩漬けにするさいに塩分の浸透を促進するため鱗を取る作業だった、との可能性が指摘されています。パインズ・クリーク製塩遺跡群から出土したカヌーと木製櫂からは、ベリーズ沿岸部から内陸部の途中までカヌーが輸送に用いられた、と示唆されます。

たとえば、内陸部のルバアントゥン遺跡では、動物遺存体の39%はアジやスズキを含む海産魚です。さらに内陸部のティカル遺跡やセイバル遺跡においても、海産魚の骨が出土しており、魚の干物は徒歩で内陸部に輸送された、と推測されています。

 ただ、パインズ・クリーク製塩遺跡群では、魚の背骨1 点とマナティの肋骨片1 点が出土しているだけです。骨の出土量がきょくたんに少ないのは、マングローブ泥炭は酸性なので、上述のように、土器の夾雑物の石灰岩やマングローブ泥炭に堆積した牡蠣の貝殻の炭酸カルシウムが溶け出し、魚骨や他の骨が保存されにくいことも一因として考えられます。

しかしこの研究は、魚全体が塩干しによる干物として骨ごと内陸部に運ばれたのが主因だろう、と推測しています。仮に魚の干物の重量を減らすために頭部を切除したのならば、骨を切断した使用痕が石器に残っているはずですが、パインズ・クリーク製塩遺跡群のチャート製石器には骨の加工に関する使用痕は全く確認されていません。

一方、カリブ海沿岸の古典期マヤ人は、マナティの肉を食用しました。一部の分析石器から、マナティなど動物の肉の切断や皮の搔き取りに使われた可能性が指摘されています。

 マヤ低地海岸部からマヤ低地内陸部への地域間交換品としては、これまでに塩・カカオ豆・放血儀礼に用いられたアカエイの尾骨・海の貝などが挙げられてきました。

これらの交換品に加えて、海産魚の干物が、マヤ低地の地域間交換において従来考えられていたよりも重要な役割を果たしていた可能性が高い、とこの研究は指摘します。

逆にマヤ低地内陸部からは、トウモロコシや他の物資が運搬された、と推測されています。

調味料としての塩だけでなく、塩漬けにされた魚の干物は、ユーラシア東西で古くから動物性タンパク質の保存食や交易品として重要な役割を果たしてきました。塩干しによる魚の干物は長期間にわたって貯蔵できます。

塩と魚の干物は貯蔵可能で、マヤ低地内陸部の食料の不足を補い、古典期マヤ諸王国の富の蓄積に重要な役割を果たした、と考えられます。これらの知見により、マヤ文化古典期の人々が生命維持に必要な塩をどのように生産して流通させていたのか、具体的なモデルとして描けるようになりました。


参考文献:
McKillop H, and Aoyama K.(2018): Salt and marine products in the Classic Maya economy from use-wear study of stone tools. PNAS, 115, 43, 10948–10952.
https://doi.org/10.1073/pnas.1803639115

https://sicambre.at.webry.info/202002/article_25.html

2. 中川隆[-13883] koaQ7Jey 2020年2月11日 11:34:22 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-512] 報告

2020年02月11日
航空調査によるマヤ文化の見直し
https://sicambre.at.webry.info/202002/article_24.html

航空調査によるマヤ文化の見直し関する研究(Canuto et al., 2018)が公表されました。日本語の解説記事もあります。

マヤ低地中央部は大部分が深い森林に覆われた地域のため新たな遺跡の発見は困難で、1集落を完全に地図化して特徴を明確にするには長い年月を必要とします。そのため、マヤ文化の都市生活様式や人口や土地利用や社会政治的複雑性についての情報は限られていました。

しかし航空調査では、レーザー光線のパルスを使って土地被覆と地形の3D地図を作製する技術が用いられ、広範囲にわたる林冠の下の地面の詳しい地図が迅速に作製されるので、建造物や道路や農業の様子を景観スケールで記録できます。この研究は、マヤ低地地域についてこれまでで最大規模の航空調査の結果を発表しました。

 この研究は、グアテマラのペテン県にある隣り合わない合計2000㎢の12地域の地図を作製し、マヤ低地の様々な地域を対象に、都市から奥地までのマヤ集落の特徴を明らかにしました。

この研究は、61000以上の古代建造物が確認されたことから、紀元後650〜800年頃となる古典期後期のマヤ低地一帯には1100万人以上が居住していた、と推測しています。

また、この地域の各地にある多数の湿地帯は大幅に農業用に変えられ、道路網は遠く離れた都市や町をつなぎ、一部の都市や町はしっかりと要塞化されていた、と明らかにしました。

これは予期していなかった結果でした。ただ、こうした航空調査は従来の「現場に実際に足を運ぶ」考古学的調査方法に替わるものでなく、それだけに頼らないよう、中位が喚起されています。


参考文献:
Canuto MA. et al.(2018): Ancient lowland Maya complexity as revealed by airborne laser scanning of northern Guatemala. Science, 361, 6409, eaau0137.
https://doi.org/10.1126/science.aau0137

https://sicambre.at.webry.info/202002/article_24.html

3. 中川隆[-13823] koaQ7Jey 2020年2月12日 19:16:28 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-449] 報告
2020年02月12日
古典期マヤ社会を崩壊させた旱魃
https://sicambre.at.webry.info/202002/article_26.html

 取り上げるのがたいへん遅れてしまいましたが、古典期マヤ社会を崩壊させた旱魃に関する研究(Evans et al., 2018)が公表されました。日本語の解説記事もあります。紀元後800〜1000年頃となる古典期終末期のマヤ文化の崩壊は一般的に、過去の気候急変が古代社会の衰退にどれほど大きな影響を及ぼすのか、という事例として使用されます。マヤ地域の古気候研究では、古典期マヤ社会の崩壊が異例な乾燥期に起きたことは示されているものの、この時期が実際にどの程度乾燥していたのか、明確になっていません。大半の気候データは、たとえば他の時期より単純に湿度が高い、もしくは乾燥しているなど、質的な復元に限られています。

 この研究は、沈殿石膏を含む堆積物コアを使ってメキシコのチチャンカナブ(Chichancanab)湖の水の同位体組成を復元しました。この研究は、過去の乾燥状態の代用として、湖の底に層状に沈殿した石膏の結晶構造に組み込まれた水分子の三重項酸素と水素の同位体組成を測定しました。その結果、古典期終末期、マヤ低地の年間降水量は平均で約50%、最も乾燥していた時期では最大70%も減少していたことを発見しました。また、現在と比較して相対湿度が3〜8%減少していたという測定結果も初めて出せました。この知見により、低地マヤ社会が経験した旱魃の深刻さと継続期間が明らかになったとともに、マヤの農耕および社会政治的システムに対する旱魃の影響をより深く理解するために必要な定量的データが得られました。


参考文献:
Evans NP. et al.(2018): Quantification of drought during the collapse of the classic Maya civilization. Science, 361, 6401, 498-501.
https://doi.org/10.1126/science.aas9871


https://sicambre.at.webry.info/202002/article_26.html

4. 2020年6月27日 08:25:01 : h8mTljU3UM : anJWam1WWEd1bjI=[11] 報告
雑記帳
2020年06月27日
マヤ文化最古の儀式用建造物
https://sicambre.at.webry.info/202006/article_33.html


 マヤ文化最古の儀式用建造物に関する研究(Inomata et al., 2020)が報道されました。考古学界では従来、マヤ文化はじょじょに発展したと考えられており、土器の使用および定住生活の開始とともに、小規模村落が紀元前1000〜紀元前350年頃(以下、すべて較正年代です)となる中期先古典期に出現した、と想定されてきました。しかし近年、グアテマラのセイバル(Seibal)遺跡の人工的な高台のような初期の儀式用複合施設など、初期の祭祀用建造物群が発見されたことで、このモデルに疑問が呈されています。

 本論文は、これまで知られていなかったアグアダ・フェニックス(Aguada Fénix)遺跡(メキシコ合衆国タバスコ州)の、航空ライダー(LIDAR)測量および発掘調査の結果を示します。LIDARとは、レーザー光を用いたリモートセンシング法で、地表の3Dマップを作成でき、これまでにも成果が得られています(関連記事)。アグアダ・フェニックス遺跡は、南北1413 mで東西399m、高さ10〜15 mの人工の基壇を有し、それを中心に9本の堤道が広がっています。放射性炭素年代のベイズ解析により、この建造物の年代は紀元前1000〜紀元前800年頃と推定されました。これはマヤ地域における既知の遺跡では最古となる大公共建造物で、スペイン人侵入以前のマヤ地域の歴史全体を通して最大のものとなります。

 アグアダ・フェニックス遺跡には、より古いオルメカ文化のサン・ロレンソ(San Lorenzo)遺跡の祭祀センターと類似する点もありますが、おそらくアグアダ・フェニックスの地域社会には、サン・ロレンソ社会に匹敵するほどの顕著な社会的不平等はなかった、と考えられます。アグアダ・フェニックスおよび同時代のその他の祭祀用建造物群は、マヤ文化の初期の発展における共同作業の重要性を示唆しています。以下は『ネイチャー』の日本語サイトからの引用(引用1および引用2)です。


考古学:マヤ文明最古の儀式用建造物が発見される

 マヤ文明によるモニュメンタル建造物(記念碑的建造物)として最大かつ最古のものが発見されたことを報告する論文が、今週、Nature に掲載される。

 マヤ文明は、先古典期中論文著者前1000〜紀元前350年)に小さな村が次々と出現して以降、徐々に発展していったというモデルが考古学者によって提示されていた。しかし最近、紀元前950年頃のものとされるグアテマラ・セイバルの人工的な高台のような初期の儀式用複合施設が発見され、このモデルは再考を迫られている。

 猪俣健(いのまた・たけし)たちの研究チームは、タバスコ(メキシコ)でLIDARを用いた航空探査を行い、これまで知られていなかったマヤ遺跡を発見した。LIDARとは、レーザー光を用いたリモートセンシング法で、地表の3Dマップを作成できる。アグアダ・フェニックスと命名されたこの遺跡には、南北1413メートル、東西399メートルの高台がある。この建造物は、周りよりも10〜15メートル高く、9つの土手道が周辺に伸びていた。猪俣たちは、放射性炭素年代測定法を用いて、この建造物が紀元前1000〜紀元前800年に建設されたと推定しており、これまでにマヤ地域で発見された最古のモニュメンタル建造物となった。

 猪俣たちは、アグアダ・フェニックス遺跡がほぼ同時代のオルメック文化などの他の考古遺跡とは異なり、顕著な社会的不平等を明確に示す標識(例えば、地位の高い人物の彫像)がない点を指摘し、アグアダ・フェニックスなどの儀式用複合施設が、マヤ文明の初期の発展段階における共同作業の重要性を示唆していると結論付けている。


考古学:アグアダ・フェニックス遺跡の大公共建築とマヤ文明の起源

考古学:初期のマヤ人による大公共建造物

 メソアメリカのマヤ文明は一般に、徐々に発展したと考えられてきた。しかし近年、初期の祭祀用建造物群が発見されたことで、この考え方に疑問が呈されている。今回、猪俣健(米国アリゾナ大学)たちが、航空ライダー測量で、これまで知られていなかったアグアダ・フェニックス遺跡(メキシコ・タバスコ州)において長さ1400 m、高さ10〜15 mの、年代が紀元前1000〜紀元前800年までさかのぼる祭祀用基壇を発見したことで、従来の考え方は完全に覆されるだろう。


参考文献:
Inomata T. et al.(2020): Monumental architecture at Aguada Fénix and the rise of Maya civilization. Nature, 582, 7813, 530–533.
https://doi.org/10.1038/s41586-020-2343-4


https://sicambre.at.webry.info/202006/article_33.html

5. 中川隆[-16018] koaQ7Jey 2021年10月11日 12:51:38 : A5sZu4rx0I : YlFmL2IwWFlFYjI=[17] 報告
謎だらけの「マヤ文明」に関して現在解明されている事実【ゆっくり解説】
2021/10/10


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