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実録犯罪史シリーズ『最期のドライブ』 (フジテレビ 1992年)
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/686.html
投稿者 中川隆 日時 2019 年 10 月 21 日 21:16:19: 3bF/xW6Ehzs4I koaQ7Jey
 

(回答先: 実録犯罪史シリーズ『浅虫温泉放火事件 お母さんは犯人じゃない』 (フジテレビ 1993年) 投稿者 中川隆 日時 2019 年 9 月 25 日 22:44:03)


『最期のドライブ』

実録犯罪史シリーズ
『最期のドライブ 富山長野女子高生・OL連続誘拐殺人事件』

監督・長崎俊一
脚本・斎藤久志

1992年6月26日放送(21:02 - 22:52)

動画
https://www.youtube.com/watch?v=tpAlPnodekE

富山・長野連続女性誘拐殺人事件を描いた

キャスト

室井滋
玉置浩二
水島かおり
内藤剛志
野際陽子
山田辰夫
大寶智子
高沢順子
不破万作
久野真紀子

▲△▽▼


「都会的でトンでる女」宮崎知子、連続誘拐殺人の手口とフェアレディZ


富山・長野連続女性誘拐殺人事件

 戦後の女性死刑確定囚は14人。その1人が富山・長野連続誘拐殺人事件の宮崎知子(事件当時34)だ。この事件が人の記憶に残るのは、“フェアレディZ”という当時人気のスポーツカーが誘拐の道具として使われたこと、連続誘拐事件という凶悪な犯罪が“女”の手で行われた犯行だったことだ。さらに事件発覚から裁判に至るまで、宮崎と共に逮捕された愛人・北野宏(28)が“主犯”と誤認されたことも大きな話題となった。

 女性による誘拐殺人事件、共犯とされた男、冤罪とがセットになった事件だったのだ。

 1980年(昭和55年)2月23日、当時高校を卒業間近だった長岡陽子さん(18)は富山駅で、女に「お茶でも飲まない? 車で送っていってあげる」と誘われた。バスの時間までかなりあったこともあり、女の愛車・フェアレディZに乗ってしまう。そしてこの日、女の会社「北陸企画」に泊まった。翌朝、心配をしていた母親の元に陽子さんから電話が入った。「駅前で女の人に声を掛けられて『アルバイトをしませんか』と誘われて泊まった」。だがこの日も陽子さんは戻らず、さらに翌日、陽子さんは「北陸企画にいる」と母親に電話で伝えている。

 25日、女は「自宅に送り届ける」といって陽子さんを車に乗せた上、睡眠薬を飲ませて眠らせ、用意しておいたホテルの浴衣紐で首を絞めて殺した。遺体は岐阜県古河町の雑木林に投げ捨てた。27日、陽子さん宅に1本の電話が入る。女性の声で「11時半に『越州』というレストランに来るように」というものだった。これを聞いた父親はとっさに誘拐だと確信し、警察に連絡した上で「越州」に向かう。しかし「越州」で夜まで待ったが、誰からの接触も電話もなかった。3月5日、岐阜県古河町の雑木林で投げ捨てられた絞殺遺体が発見され、所持品などから遺体が陽子さんと確認された。

 陽子さんの遺体が発見された5日午後6時過ぎ、長野市内のバス停にいた長野信金職員の寺沢由美子さん(20)に女は声をかけた。その後、フェアレディZで郊外のレストランへ行き、「遅くなったから」と車中に泊まることを提案する女。由美子さんが同意すると、睡眠薬を飲ませて用意してあった紐で絞殺。遺体は長野山中の崖から投げ落とした。

 翌6日、由美子さんの父親の勤務先に女から電話が入る。この際父親は外出中だったため、応じることができなかったが、同日夜には自宅に同様の女の声で電話が掛かってきた。

「娘さんを預かっています。明日午前10時、長野県の待合室に、お姉さんに現金3,000万円を持ってこさせて。警察に知らせたらもう電話はしない」

 寺沢家は決して資産家ではない。家にあった10万円を持ち、姉は長野駅の待合室に向かう。同時に記者クラブに事件発生を伝え、報道協定が結ばれたのだ。10時半すぎ、駅案内所の電話が鳴り、姉が呼び出しを受けた。女の声だったが、姉が10万円しかないというと「お金と妹のどちらが大事なの」と言って電話は切れた。その後2時間ほどで、今度は自宅に電話があり、姉は再び女の指示に従い長野駅から群馬県高崎駅に移動した。さらに高崎駅から近くの喫茶店へ、そして別の喫茶店へ移動させられたが、警察の尾行を察知したのか、犯人は姉に高崎で一泊して翌3月8日に同じ喫茶店で待機するよう指示する。しかし翌日、喫茶店で待機していた姉に女からの連絡はなく、その後接触は途絶えたのだ。携帯電話などない時代である。連絡は駅や喫茶店の電話からの呼び出しだったが、当時こうしたことは珍しいことではなく、周囲の不審を呼ぶものではなかった。

 こうして誘拐犯との接触に失敗した警察だが、8日未明には「北陸企画」社長の北野宏と宮崎知子から任意で事情聴取を行っている。長野の由美子さん誘拐事件ではなく、富山の陽子さん殺害に関してだ。陽子さんが母親に「北陸企画」の名を伝えていたことから、北野と知子の存在が浮上したのは当然だった。しかし取調べは11日まで続いたものの、なかなか確証を得られない。そんな27日に、由美子さん事件の報道協定を「週刊新潮」(新潮社)がスッパ抜き、これをもって公開捜査に切り替わった。3週間という当時としては至上最長といわれた報道協定だったが、この間マスコミは2つの事件の類似性、関連性を察知し、北野と知子への取材攻勢を続けている。そして3月30日、北野と知子は陽子さん殺害ではなく、由美子さん身代金目的誘拐容疑で逮捕された。

■東京での結婚と離婚、溺愛する息子と実家へ

 宮崎知子は昭和21年富山県月岡村で生まれた。家庭は複雑だった。宮崎には3人の兄姉がいるが、宮崎だけ父親が違った。母親が子ども3人と生活していたところに宮崎の父親が同居し、その後生まれたのが知子だった。夫婦は正式に入籍することはなく、また知子が13歳になるまで認知しなかった。知子は幼少期から利発でありIQが138と高かったという。名門校である県立富山高校に進学し、水泳部に所属した。東京の大学に合格したが、学費が出せないという事情から進学を断念、東京で化粧品会社の美容部員になった。23歳で車のディーラーだった男性と結婚、長男をもうける。だが卵巣嚢腫などで闘病生活を余儀なくされ、夫の浮気も重なり昭和49年に離婚、長男と共に富山の実家に身を寄せた。仕事をしていない知子は、結婚相談所で熱心に男探しをしながら、1人息子を溺愛していたという(由美子さん殺害後、参考人として事情聴取される際も「息子の授業参観に出席する」といって捜査員を外で待たせていたほどだった)。

 昭和52年、友人の紹介で北野宏に出合う。北野は別の女性と結婚したばかりであり、2人を仲介した友人は売春の斡旋をしていた。2人の出会いは当初、“売春”目的だった。だが2人はその後も付き合いを続けた。北野にとって、知子は頭も切れ都会的でセックスの相性もよかった。さらに興味深いのは、知子が提示した「自由恋愛の4つの条件」だった。

 1:お互いのことを推察しない2:私生活に干渉しない3:それぞれの行動は自由4:お互いの立場を尊重する――。これが知子が提示した「自由恋愛」である。この4カ条は、当時の報道でも「男にとって好都合だった」とわざわざ“解説”されているほど、事件とセットで話題となった。今ではいうべくもない条件であるが、当時知子が提示した“自由恋愛”は、世間にとってもフツーではない男女観だったらしく、マスコミでも“トンでる女”といった論調で盛んに取り上げられている。こうした恋愛感は、昭和55年という時代の犯罪報道において、取り上げるに値するほど特異な価値観だったのだろう。この年、人気絶頂だった山口百恵が結婚を機に芸能界を引退したが、これが美談、女の幸せと持て囃されたことを付して記したい。

 そんな“自由恋愛”からか、宮崎にハマっていった北野は、昭和27年富山県で生まれている。北野の生い立ちも複雑で、母親が駆け落ちした男性との間に生を受けた。その後父親が出て行ったが、母と祖母の元で地元の工業高校を卒業、知子と出会った頃は電気関連の仕事を転々とだがしていた。

 知子は北野と出会ってすぐに、冷蔵庫販売の仕事を一緒にやろうと北野を誘った。その後もさまざまな怪しいビジネスを北野に持ちかけるなどしている。だが、実際にはどれも立ち消えた末、知子と北野は贈答品販売会社「北陸企画」を設立した。しかし思いつきのようなビジネスが上手くいくはずもない。金策に困った知子は、議員の名刺を偽造して金集めを画策したり、土地ころがしを北野に提案するようになる。また妊娠したとの嘘や、フェアレディZ購入資金などといって、300万円ほどの金を引き出している。

 さらに知子は、結婚相談所などで知り合った複数の男たちに生命保険金を掛けたり、土地や500万円以上の貯金を搾取したといわれる。中でも9,000万円の保険金を掛けられたトラック運転手は、知子に誘われ海岸に行き、そこでクロロホルムを嗅がされ溺死させられそうになっている(これは運良く未遂に終わったが)。知子には金に対する強い執着があったのだ――。
https://www.cyzowoman.com/2012/11/post_7064_1.html

「凶悪事件犯は男」――時代の論理を覆した女死刑囚「フェアレディZ」

■犯行時の信条は「お金持ちだけが幸せになれる」

 知子は一攫千金を夢見ていた。金銭的に恵まれなかった幼少時代。しかし中学時代から周囲に「自分の父親は地主で大金持ち」といった嘘を吹聴しミエを張った。学力は優秀だったが、家の経済事情で合格した東京の大学にも入学は果たせなかった。最初に結婚した夫はムスタングに乗り「カネがなくても、最高の車に乗り、高級品を身につける。そうすれば自然にカネ回りがよくなる」と嘯くような男だ。そして離婚したが、地道に働くのではなく、売春をし、実母とともに生活保護を受ける生活へと落ちていた。知子は派手な服装で頻繁に外出し、周囲に怪しい儲け話を持ちかけ、「父は古美術の鑑定家」「父親の膨大な遺産が入った」という嘘を相変わらずついた。「貧乏人はいくら苦労しても絶対に幸せになれない。この世はお金持ちだけが幸せになれる。絶対に」。地道に働くなんて真っ平。これが犯行時の知子の信条だったという。また溺愛している息子を医者にするという夢のためにも金が必要だった。そんな中、知子が実行したのが2件の誘拐事件だった。

 知子は一攫千金ばかりに固執した。だがその犯行は実に行き当たりばったりだと言わざるを得ない。保険金殺人にしても、あまりに安易な方法で失敗しているし、誘拐にしても遺体を隠すことなく投げ捨て、挙げ句2件とも金を入手すらできていないのだから。

■「誘拐殺人犯は男」という“常識”と「男の責任」

 誘拐容疑の共犯として逮捕された2人だったが、当初から警察は北野が“主犯”であり知子は男に唆された“従犯”だと決め付けていたフシがある。また知子も「北野に指示され女性たちを迎えにいっただけ」との供述をしていたことも、それに拍車をかけた。当初、北野は取調べに対し無実を主張したが、刑事は「宮崎を見殺しにするのか。男なら宮崎の罪を着ろ」「宮崎はこのままでは死刑だ。女の罪をかぶって命を救うのが男の責任だろ」と攻め立てていく。「男の責任」を全面に出し、北野から自白を迫るための手法だったのだろうが、 昭和55年という時代に犯罪においても「男の責任」という“論理”がまかり通っていたことは興味深い。

 警察は誘拐殺人という凶悪事件において、女が主導したなどとはハナから考えず、“男”である北野が主犯だと疑わなかった。被害者たちも女性とはいえ18歳と20歳という年齢であり、彼女たちを誘拐し殺害、さらに身代金を要求した犯行が、女主導で遂行できるはずがないと考えた。ましてや単独犯などあり得ないというのが当時の“常識”だった。こうした取調べの末、北野は「自分が殺害した」という調書にサインしてしまう。この北野の自白、そして知子の供述に基づき、検察は富山、長野両事件とも殺人の実行行為は北野、誘拐は知子、死体遺棄は2人の共犯という“北野主犯説”で2人を起訴したのだ。

 だが北野は弁護士の接見を契機に無罪を訴え始める。同時に「恐ろしい女と俺がいた。それだけでも恥なければいけない。俺は罪に服さなければならない人間です。卑怯者にはなりたくない。無罪になっても生きておれん」と自らの責任を語っているのも興味深い。当時の“男の責任”とは、これほど人を縛りつけるものだったのだろう。

 裁判で北野は一環して無罪を主張した。知子に対しても、「これ以上嘘をつかないでくれ!」「魔女のような心を持つ恐ろしい女」と糾弾するなど、かつては愛人関係にあった2人による全面対決が繰り広げられたのだ。

 北野の法廷での無罪主張ではあるが、検察は起訴事実に則り“北野主犯”を簡単に崩すわけにはいかない。多くの証人を出廷させ、北野の犯行を立証しようとした。が、法廷を重ねても殺害に関与した証拠はおろか、物証も出ることはなかった。そして昭和60年第125回公判で、遂に検察は殺害・死体遺棄ともに、北野ではなく知子の単独犯行という異例の訴因変更を行うのだ。初公判から、既に5年の月日がたっていた。

 昭和63年年2月、富山地裁は一連の誘拐殺人が知子による単独犯行と認定、死刑判決を下した(98年最高裁で確定)。一方の北野には無罪となった(93年2月名古屋高裁・金沢支部で確定)。北野の拘留は実に8年にも及んだのだ。

 これは冤罪事件でもある。一部の犯行を認めた知子、その供述に沿ってでっち上げた犯罪ストーリー、強引な聴取、自白偏重、物証軽視、そして「男の責任」という論理や「凶悪犯は男」と思い込んだ見込み捜査――ここには、現在に至るまでの警察の問題点も如実に現れている。

 裁判で認定された身代金目的誘拐殺人事件に北野の影はない。ただ知子の愛人でありビジネスパートナーだった北野は、犯行当時の3月3日から8日の間、知子の「東京の男から金を貰う」という嘘の儲け話に従い、長野、東京、埼玉長野、高崎とフェアレディZを意味もわからず運転しただけだった。

 連続殺人と冤罪。しかしこの事件をマスコミがセンセーショナルに報じた要因の1つに当時人気のスポーツカーだったフェアレディZの存在があったことは間違いない。赤いスポーツカーを駆使しての犯罪に、当時のマスコミは知子を“フェアレディZの女”と呼んだ。

 なぜ被害者女性たちは、いとも簡単に知子を信じたのか。その要因にもフェアレディZの存在が指摘されている。声をかけたのが男ではなく、妙齢のサングラスをした都会的女性だった。しかも会社を経営しているらしい。愛車はフェアレディZ――。連続誘拐事件の代名詞的存在として使われてしまう車種となってしまったが、知子の犯行動機の1つが、フェアレディZの250万円というローン返済だったというのも、皮肉としかいいようがない。

 66歳となった宮崎知子は、現在でも名古屋拘置所に収監されている。そして昨年8月には、富山地方裁判所に2回目の再審請求を行った。
(取材・文/神林広恵)

参考文献
「女性死刑囚 十三人の黒い履歴書」(鹿砦社)深笛義也
「女高生・OL連続誘拐殺人事件」(徳間書店)佐木隆三
https://www.cyzowoman.com/2012/11/post_7185_1.html


 

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