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日本共産党の(かなり危ない)アレな裏話…(おや?後ろに誰か来たようだ…(震…|
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/687.html
投稿者 中川隆 日時 2019 年 10 月 22 日 10:21:01: 3bF/xW6Ehzs4I koaQ7Jey
 

(回答先: 不破哲三の正体 投稿者 中川隆 日時 2019 年 9 月 28 日 17:54:28)


日本共産党の(かなり危ない)アレな裏話…(おや?後ろに誰か来たようだ…(震…|
山岡鉄秀(@jcn92977110) & 篠原常一郎(@polyanochika)のTSJ1 - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=zd69x_KR5ms  

  拍手はせず、拍手一覧を見る

コメント
1. 中川隆[-10551] koaQ7Jey 2019年10月26日 13:50:25 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[2318] 報告

#123 【生田×篠原】生田のいくバズ - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=fewaHjxjIEs
https://www.youtube.com/watch?v=C7QH2lpblu8


10月23日収録

【出演者】
・生田よしかつ (豊洲まぐろ仲卸三代目)
・篠原常一郎(ジャーナリスト・元日本共産党国会議員秘書)

2. 中川隆[-11365] koaQ7Jey 2019年11月05日 19:12:55 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1530] 報告
#2019-11-05 オレの話し。日本共産党の職員時代。薄給のシノギ方と思い出。 - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=AuRnzprNHm8


2019/11/04 に公開
ジャーナリスト篠原常一郎(古是三春)

3. 中川隆[-11323] koaQ7Jey 2019年11月07日 18:17:21 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1575] 報告
#2019-11-07 オレの話し。日本共産党の党大会決議案を考える - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=W699bucu8Jg
4. 中川隆[-14819] koaQ7Jey 2019年11月19日 22:30:37 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-1906] 報告

桜問題スクープするも自分たちが散りそうな共産党
筆坂 秀世 2019/11/19

「桜を見る会」は廃止すべき

 内閣総理大臣が主催する公式行事の「桜を見る会」に、多数の安倍晋三首相の後援会員が招待されていたことが明らかになり、来年(2020年)は中止することが決まった。この問題を最初に暴露したのが共産党の機関紙である「しんぶん赤旗」日曜版であった。これが国会でも取り上げられた。

 この会への招待基準として、安倍内閣は「内閣総理大臣が各界において功績、功労のあった方々を招き、日頃の御苦労を慰労するとともに、親しく懇談する内閣の公的行事として開催しているものであり、意義あるものと考えている」と閣議決定した答弁書を出している。

 これでは基準がないのと同じである。恣意的な選定が可能だからだ。

 この会の公開された写真などを見ても、“このタレントがどんな功績、功労があったのだろうか”と思うような人が招かれている。ましてや安倍後援会から850人などというのは、あってはならないことだ。こういう安っぽいことを抑制する高潔さを保つのが首相という立場なのではないのか。

 私が参院議員時代に、招待があったのか、なかったのか記憶に残っていないが、招待状くらいは届いていたかも知れない。もちろん何の関心もなかったし、行きたいとも思わなかった。桜の花など新宿御苑に行かずともどこでも見ることができる。今年など1万8200人もの人が出席したそうだが、桜を見るのではなく、人を見るために行くようなものだ。こんなことのために数千万円もの貴重な税金を費消する必要はない。こんな会はそもそも廃止にすべきだ。

「党の危機」の率直な吐露

 さて、「桜を見る会」問題を追及して一気に政権打倒へと気勢を上げる共産党だが、共産党自身はきわめて厳しい状況に置かれている。

 共産党は来年1月に第28回党大会を開く。その議案が11月初めの中央委員会総会で決められた。議案は3本だ。(1)綱領の一部改定案、(2)第一決議案(政治任務)、(3)第二議案(党建設)となっている。

「党建設」というのは、共産党独得の言い方である。これには大きく分けて2つのことが含まれている。1つは党員を増やし、「しんぶん赤旗」の読者を増やして、党の勢力を大きくすることである。2つ目は、かつては「思想建設」という言葉を使っていたこともあるが、最近は「『量とともに質を』の立場をつらぬく。全党が、綱領学習と科学的社会主義の古典学習に取り組むことを、日常の気風とする」(第27回党大会決議)という言い方がされているように、党員の理論的・思想的強さを鍛えることである。

 少し横道にそれるが、「綱領学習」というのがなんの矛盾もなしに使われているところが共産党らしさでもある。党の綱領というのは、共産党によれば全党の民主的討論を通じて、全党の英知を結集して作られたものということが建前になっている。それなのにその学習が大事だというのだ。なぜか。全党での民主的討論などなされていないからだ。党大会の議案や綱領案も、せいぜい3割程度しか読んでいないのが実態である。したがって民主的討論も、全党の英知の結集も不可能なのだ。現在の綱領は2004年に策定されたものだ。第27回大会は2017年に行われた。綱領策定後13年経っても、全党員が読んでもいないし、その内容を理解していないのだ。

「科学的社会主義の古典」とは、『資本論』や『共産党宣言』などを著したドイツのカール・マルクスやフリードリヒ・エンゲルス、ロシア革命の指導者ウラジミール・レーニンなどの著作を学ぶということだ。社会主義理論の初歩とも言えるのがマルクスとエンゲルスの共著『共産党宣言』なのだが、これすら読んだこともない人が共産党の国会議員になっているのが現状なのだ。

 本論に戻る。このうちの第二議案(党建設)の第2章には、「当建設の現状をどう見るか──危機とともに大きな可能性が」とあるとして、その危機的状況が述べられている。いくつかを紹介する。

「少なくない地域支部で、支部長を70代以上の党員が担うなど、一部の高齢党員に負担が集中している。(中略)このまま推移すれば支部活動が困難に陥ってしまう状況が広がっている。職場支部数が減少し、重要な職場で党の灯が消えている。職場支部が中心の地区のなかには、地区委員会そのものの存続の危機が迫っているところもある」

 70代以上というのは、私と同じ団塊の世代が党活動を支えているということだ。この先、支部が消滅する危険性が迫っているということである。

 職場支部というのは、企業の中の共産党組織のことである。私はかつて都市銀行に勤めていたが、当時はすべての都市銀行に数十人から100人を超える共産党員が存在していた。だが今では間違いなく都市銀行の共産党組織はほぼ壊滅状態になっているはずだ。団塊の世代は、すべて定年退職しているからである。

 地区委員会というのは、各都道府県をいくつかの地区に分けて、その地区ごとに置かれている委員会である。東京ならば23区の各区に、千葉県ならば9つの地区に、大阪ならば20の地区に置かれている。その上が都道府県委員会である。地区委員会が存続の危機にあるというのは、ある地域からすっぽり共産党の組織が消滅するということである。

「赤旗」の配達・集金体制も危機に

 さらに続く。「『しんぶん赤旗』読者の後退は、(中略)党財政の危機に直結している。配達・集金活動を高齢党員が懸命に支えているもとで、配達・集金ができない事態に陥りかねない地域も少なくない」

 共産党は、長く「しんぶん赤旗」読者を増やすことで国民との結びつきを強め、その売り上げで党活動を支えるということを党活動の柱に据えてきた。今回の決議案も同様の立場に立っている。だがこの活動モデルそのものがもはや成立しなくなっているのだ。

 新聞が減っているのは、「しんぶん赤旗」だけではない。一般紙も大幅に減紙している。週刊誌もそうだ。電車内の光景を見れば、10年前や20年前と大きく変わっている。新聞や週刊誌を読んでいる人は皆無に近い。ほとんどがスマホをいじっている。特に若年層の新聞離れが激しい。

 この巨大に変容した社会のもとで「しんぶん赤旗」を増やすことは不可能である。だが共産党の決議案は、「わが党は、危機を打開していく主体的な力ももっている」と強気の姿勢を崩さない。どんな力なのか。次の一文が続くのである。

「世代的継承の問題は、党づくりの最大の弱点だが、同時に、いま60年代、70年代に入党した世代が党の中核的な力となって党を支え、頑張っていることは党の誇りであり、さまざまな社会的経験を積んできた強みを発揮できる」

 意味不明と言うしかない。「世代的継承の問題は、党づくりの最大の弱点」と難しい言い方をしているが、要するに若者がさっぱり入党してこなくなったということだ。そして1960年代、70年代の人が中核になっているのが強みだというのだ。

 この前段では、年寄りばかりの党になり、新聞の配達、集金も困難になっていると嘆いていたのに、今度は一転して強みだというのだから支離滅裂と言うしかあるまい。60年代、70年代に共産党に入党した人は、すでに70歳代や80歳代ということだ。こんな組織に若者が入ってくるわけがない。

 共産党は、今年の9月から来年1月の党大会に向けて党員と新聞を増やす「大運動」なるものを行なっている。党員はすべての支部で1人以上増やす、新聞は日刊紙が2万3000部、日曜版が12万部以上というのがその目標である。この数年をとっても何度も「大運動」が呼びかけられたが、成功したことがない。「大運動」どころか「小運動」にもなっていない。70歳代や80歳代が中心の組織に、「大運動」など不可能なのである。

 では今度はどうやって成功に導くのか。党建設についての決議案には、その答えは何も書かれてはいない。指導部自身が回答を持っていないのだ。苦難の道はまだまだ続く。
http://www.msn.com/ja-jp/news/national/%e6%a1%9c%e5%95%8f%e9%a1%8c%e3%82%b9%e3%82%af%e3%83%bc%e3%83%97%e3%81%99%e3%82%8b%e3%82%82%e8%87%aa%e5%88%86%e3%81%9f%e3%81%a1%e3%81%8c%e6%95%a3%e3%82%8a%e3%81%9d%e3%81%86%e3%81%aa%e5%85%b1%e7%94%a3%e5%85%9a/ar-BBWXjis?ocid=ientp

5. 中川隆[-13330] koaQ7Jey 2020年2月29日 17:24:21 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[191] 報告
私が好きなエピソードがある。

三島由紀夫の友人の素人作曲家が、戦時中「大東亜行進曲」という曲をつくり、北支、中支総司令官に贈り感謝状をもらった。そして戦後は、題名だけを「民主主義行進曲」に変え、GHQへ贈り感謝状をもらったという。

 三島は言う。

〈私はどうも戦後の文化の状況を考えてみて日本人が一方に偏してしまい文化の中心のバランスを崩してしまったように思う。はやい話が戦争中、軍部に協力し鼓吹した人間が戦後たちまちオピニオンリーダーになって、こんどは平和主義、反戦主義、あるいは革命を唱え、あるいは日本の国家観念の破壊をくわだててきたという道すじをみると、私は筆をとる人間として恥ずかしくてしかたがない〉(「私の自主防衛論」)
http://www.asyura2.com/20/senkyo270/msg/216.html

6. 中川隆[-13066] koaQ7Jey 2020年4月20日 18:51:59 : at6ayMU0Ck : WklkR3pzU3dhZmM=[56] 報告
残酷を直視できない「事なかれ主義」の日本人 2020年04月20日
http://tokaiama.blog69.fc2.com/blog-entry-1097.html

「残酷を直視できない事なかれ」は1960年代末の全共闘運動のなかで、すでに見られた。

 「命を賭して」なんて勇ましいかけ声があふれかえるなかで、東大安田講堂や新宿の路上騒乱でも、飛び交うのは命どころか、せいぜい、石と火炎瓶程度にすぎなかった。

 対する警察側も、せいぜい警棒とジュラルミンの盾、それに催涙弾程度だった。
 「命を賭した」ならば、実弾が飛び交うのが筋であり、結末は天安門事件のように残虐な死体の山ということになるべきだった。

 私も興奮しながら参加した、あの当時のデモも、結局、かけ声ばかりで、残酷を直視する姿勢はなく、「事なかれ主義」が横行していたのである。

 今回の新型コロナ騒動の全体像が、日を追うごとに鮮明になりつつあるが、それらの流れのなかで、浮き上がってきた問題点も、はっきり見え始めている。
 私が、1月末の報道(主に羽鳥MS)から一貫して感じているのは、日本政府や関係者の共通点、うんざりするほどの「事なかれ主義」である。

 安倍晋三がコロナ禍をひどく軽く考え、オリンピック開催を第一義に情報操作する姿勢を見せていたのは、はっきり分かった。
 PCR検査をしたがらないのも、疫病パンデミックという恐ろしい事態を矮小化、小さく、軽く見せようとして、なんとか無理矢理でもオリンピックを実現したい、という軽薄な考えの上に、見せかけだけの対策を行っている姿がはっきり見えていた。

 とにかく、事態の深刻さを直視したくない。政権の人気取りだけは大げさに報道するが、直面する事態を軽く見せかけ、すぐにでも解決できるようにしか公表しない。

 期待していた「オリーブの木」の黒川君までも、コロナ禍に関して「事なかれ」姿勢が見えたので、本当にがっかりした。そういう姿勢では、これからの恐ろしい時代を真正面から切り開くことなどできるはずがない。
 靖国神社を参拝するなどの無益な冒険を敢行できるなら、もっと真剣に問題を受け止められるはずだ。

 メディアの司会者の大半も、事態の深刻さを理解できている者は、テレ朝の玉川徹を除いて、ほとんどいなかった。
 日本人は、どうして、ここまで現実にある問題の矮小化=「ことなかれ」が好きなのだろう?
 私は、「残酷を直視できない」日本人の文化的パーソナリティに大きな問題があるような気がしている。

 外国映画やドラマを見ていると、日本では、まずお目にかかれない残虐シーンが、これでもかと豊富に出てくる。
 フリンジ・NCIS・Bones・lie to me 手元にあるDVDをみても、ほぼすべてのドラマが、まるで残虐シーンの競争をしているように、これでもかと破損腐敗した遺体をリアルに題材にしている。

 戦争映画でも、ライアン・地獄の黙示録・プラトーン・フルメタルなど、すべての映画に、銃弾で頭が吹っ飛ぶシーンとか、銃器自殺とか、本当の殺人シーンを再現しているような迫力のある残酷シーンが目白押しだ。

 翻って、日本映画やドラマで、遺体の出てくるシーンがあったとしても、アンチリアリティの制約でもあるのかと思える実に抽象的で陳腐な表現ばかり。
 人が死んでいても、アメリカドラマのように脳味噌が吹き飛んだり、腐敗してウジが湧いていたり、血糊が変色して黒ずみ、真っ黒の臓物が飛び出していたりするシーンは、ほとんど見たことがない。

 以下は、残酷と称する映画の予告編だが、アメリカの映画関係者が見たら、お笑い芸人の遊びにしか見えないだろう。
 https://www.youtube.com/watch?v=DK0Z2F06U5A

 血が噴き出たり、肉片が飛んだりの現実感が希薄なのだ。だから、座頭市など日本映画のチャンバラシーンは、現実感のない観念的な映像ばかりだったので、「殺人でなく、体操にすぎない」と、海外では不評だった。
 後に、勝やタケシが、少しはリアリティのある殺陣を公開してみても、どこか芝居じみて現実感に乏しい表現から逃れられないでいる。

 テレビドラマで、毎回死体が登場する、沢口靖子の科捜研シリーズとか、内藤剛志の刑事シリーズなども、24時間経た遺体の血糊が顔料赤のままになっていて、リアリティからほど遠い子供だまししか感じ取れず、現実感・空気感・肌に染み入る衝撃を感じることができないことにより、とてもアホらしくて見ていられない。

 日本製の映画やドラマが評価されないのは、こうした真実・現実から乖離した観念的でリアリティのない表現ばかりであることが最大の原因だろう。演出家たちは、かつて川内康範が作詞のリアリティを得るため日航機事故の遺体置き場に通ったような努力が必要だろう。

 というより、こうした「残酷を直視できない事なかれ」は、戦後のある時期までは、戦争の残虐を体験させられたことの反作用だったのだろうが、その後、日本人から勇気や精神的タフネスを奪うために、意図的に演出された路線だったような気さえするのだ。

 もう少し言えば、これはCIAの日本国民コントロール政策に含まれた陰謀だったかもしれない。
 「血を見ることを嫌悪する」心優しい日本人ばかり作って、小さな犠牲を厭わず戦闘的な姿勢を奪い去る仕掛けだったかもしれないのだ。
 こうした傾向は、1960年代末の全共闘運動のなかで、すでに見られた。

 「命を賭して」なんて勇ましいかけ声があふれかえるなかで、東大安田講堂や新宿の路上騒乱でも、飛び交うのは命どころか、せいぜい、石と火炎瓶程度にすぎなかった。
 対する警察側も、せいぜい警棒とジュラルミンの盾、それに催涙弾程度だった。
 「命を賭した」ならば、実弾が飛び交うのが筋であり、結末は天安門事件のように残虐な死体の山ということになるべきだった。

 私も興奮しながら参加した、あの当時のデモも、結局、かけ声ばかりで、残酷を直視する姿勢はなく、「事なかれ主義」が横行していたのである。
 「これが日本人の文化的パーソナリティ」と言ってしまえば、それまでだが、世界の他国では、アメリカの映画やドラマに出てくる残酷こそが真実なのだ。
 日本人は、あるべき真実を、たくさんのオブラートで包んで、雰囲気だけを味わって「行き着くべきところに行き着かない」という臆病さがあると考えるべきだろう。

 こうした日本的臆病が、今の日本政府の「事なかれ主義」による重い重い、無意味な政策の羅列につながっていて、日本人が事態を正しく直視することを妨げている。
 それどころか、日本的事なかれ主義は、今や、ネット界の主流にもなってしまっている。
 ユーチューブも、残酷シーンがわずかでも含まれている動画は、片っ端から削除していて、昔のような自由な情報収集が不可能になっている。
 今、私が、この文章のなかで「残酷シーン」を紹介しようとしたら、ほぼすべてのシーンが削除されてしまって、これでは「残酷」とは何であるのか、子供たちに理解させることさできなくなっている。

 まさに日本流事なかれ主義が、世界のSNSを制覇しているような状況で、かつてイスラム国が捕虜の首を切断する生々しい映像も、今や探し出すことさえできない。
 逆に言えば、ネットSNSを利用している世界中の読者は、世界には残酷が存在しない、蝶と花だけの世界であるかのような洗脳をもたらしているのではないか?

 ネット上には、ネットの残酷シーンに拒絶反応を示して、追放を要求する知性も思索もない馬鹿が溢れているが、現実社会が蝶や花だけの世界と勘違させられている連中が、いざ、コロナ禍のような事態に遭遇して、対策を正しく考えることなどできるはずがない。

 我々の人生には、苦もあれば楽もあり、天国もあれば地獄もある。人生に真正面から対峙し、苦難を克服するには、良いことも悪いことも、あらゆるすべての情報が必要なのだ。
 ユーチューブのように、「残酷排除」のような愚かな姿勢では、子供たちは正しい人生観を持てなくなる。
 我々は、すべての真実を隠蔽しないで見せるメディアを必要としているのではないのか?
 もう、いいかげん「事なかれ主義」は追放されなければならない。

http://tokaiama.blog69.fc2.com/blog-entry-1097.html

7. 中川隆[-12741] koaQ7Jey 2020年5月06日 23:03:43 : JiV1eTDCIw : eXZlblBTcFo4T1k=[25] 報告

どうなる朝◯半島?! 篠原氏が語る今の◯産党
【怒れるスリーメン】309後半 篠原×高橋×加藤


8. 中川隆[-12747] koaQ7Jey 2020年5月09日 18:28:37 : QcuvlpHMNk : QnNKREY3S0p2OXM=[10] 報告
質問コーナー!【怒れるスリーメン】311後半 篠原×高橋×加藤
野坂参三は何故共産党を除名されたのか?


9. 中川隆[-9784] koaQ7Jey 2020年11月19日 19:30:56 : SLEgGoMUOc : YU1tY1pGWlVUTTY=[20] 報告

2020年11月19日
福島瑞穂の夢が叶う日 / 日本の解体は先ず家族破壊から
黒木 頼景
http://kurokiyorikage.doorblog.jp/archives/68836442.html

Multi Ethnic Britain 2Multi Ethnic Germany 2

(左 : 「多民族主義」が浸透したブリテン / 右 : トルコ人との共存が実現したドイツ )

  歐米社会と同じく、我が国においても左翼陣営というのは中々しぶとい。彼らは保守派国民と違って粘り強く、一旦、狡猾な計画を立てると、何年かかっても、必ずや遂行しようと努める。「しつこい、めげない、あきらめない !」というのが彼らのモットーだ。スターリンやブレジネフがまだ健在な頃は、日本でも共産党や社会党の議員は非常に元気で、念願の社会主義政権は「あと、もう少し」というところだった。しかし、ソ連の崩壊で共産主義政権の夢は脆くも崩れる。暴力革命を目指した武闘派は素浪人となってしまい、社会党は土井たか子のババア軍団頼みとなってしまった。(以前、「マドンナ旋風」とやらで、変なオバはん議員が誕生していたのを覚えている。)

Miyamoto Kenji 1( 左 / 宮本顕治 )
  コミンテルン日本支部の代々木共産党だって凋落が著しく、幹部はノーメンクラツゥーラ(特権階級)であるのに、一般党員は貧乏のまま。しかも、今では党の屋台骨となる党員が、ほとんどヨボヨボの高齢者。さらに可哀想なのは、高級党員から搾取される下っ端党員で、年金にすがるしかない老人は、寝床の中でプロレタリア革命を求めていた。でも、共産党のドン(中央委員会議長)である「ミヤケン(宮本顕治)」はソ連が崩壊しても至って元気。長時間にも亙る講演会や会議にも大忙しだった。しかも、ミヤケンはソ連書記長並の待遇で、宮本邸の周辺は防衛上の理由ということで、党が周辺の土地を大規模に購入。この首領様には私設SP、秘書、医療関係者(看護婦)、運転手などが附いていたというから凄い。元々、ミヤケンは丈夫な体を持っており、必殺技が「絞め技」だった。この腕力があったから、小畑達夫を絞め殺すことができた。しかし、健康なのは食生活にもあった。ミヤケン本人が述べていたけど、酒を飲む習慣は無かったという。なぜなら、12年間の獄中生活を余儀なくされたから、禁酒禁煙が身についたんだって。皆様ご存じの通り、ミヤケンは「網走帰り」で、日本の敗戦で釈放された犯罪者。日本に上陸したアメリカ軍は、一般国民にとって占領軍だけど、獄中の共産主義者にとったら「解放軍」である。

  脱線したので話を戻す。令和の青年は「社民党」なんていう政党がある事さえ知らないが、数名の議員だけを擁して僅かながら残っている。でも、瀕死の状態だ。譬えてみれば、疫病に感染した上海豚のような有様。今の社民党だと、頓死(とんし)も有り得る。しかし、いくら社会主義者が衰退しても、福島瑞穂や辻元清美などが放った執念が絶えることはない。かつて、ヨーロッパでは共産主義という妖怪が歩き回っていたが、令和の日本では家族破壊という怨霊が漂っている。伝統的な日本を憎む左翼分子は、家族の絆を断ち切り、家系を明らかにする戸籍制度を廃絶せねば、と目論む。しかし、邪悪な奸計はこれだけじゃない。左翼陣営はアジアから大量の移民を輸入し、日本を雑種国に改造しようと謀っているのだ。左翼からすれば、同質な国民だけで幸せに暮らす日本なんて絶対にダメ。どんな人種にも開かれた雑居ビルにしなきゃ。日本人が同じ血統を親子代々継承し、天皇陛下を尊敬しているなんて赦せない。同志となる支那人や朝鮮人をもっと増やして、皇室を打倒するのが左翼分子の悲願だ。

  東京新聞などの報道によれば、最近、夫婦別姓を主張する地方議会が増えたそうで、2019年には39件の要望があったらしいが、2020年には47件に増加したそうだ。おそらく、こうした要望は地方自治体に潜む左翼議員の提案だろうが、反日軍団は国家の基礎となる家族を標的にする。日本が彼らの「理想郷」にならないのは、家族を大切にする意識や伝統があるからだ。それゆえ、左翼陣営は仲間である大学教授と連携し、教育現場で如何に「結婚制度」や「家族制度」が陰鬱なものであるかを刷り込む。彼らの赤い教義では、結婚は幸せの象徴ではなく、活き活きとした個人を窒息させる牢獄でしかない。親孝行は“過去の遺物”で、“自分らしく”生きるのが理想である。たとえ家族といえども、それぞれの人生があるので、砂粒のような個人が基本だ。

  また、結婚した男女が一つの「姓(氏族名)」に統一されるなんて、「個人の尊厳」を奪う悪法である。離婚する女性にとって、支那風の夫婦別姓は都合がいい。一般的に、左翼は離婚を喜ぶ。リベラル思想を植え付けられた大卒女子は、将来の不幸や老後を予見するので、躊躇なく左翼分子の囁きに耳を傾ける。なるほど、夫婦別姓なら判子やカードを変更しなくてもいいし、亭主と別れた時に一々書類を旧姓に戻す必要もない。それに、職場の同僚に離婚を気づかれないから安心だ。たとえ、子供が母親と違う姓になっても、「個人」が重要視される時代になればOK。もし、息子がいれば父親と同姓にすればいいし、娘なら結婚して相手の姓を名乗るかも知れないので、厭な思いをするのはせいぜい20年くらいだ。左翼議員は「個人としての女性」を強調するが、本当は支那人や朝鮮人が好む社会制度にしたいんじゃないか。支那や朝鮮では妻は夫の姓を名乗らない。女(嫁)というのは所詮「他人の娘」で、子供をもうけるための「レンタル子宮」ていど。後は毎日無料でセックスができる合法娼婦といったところだ。

Fukushima Mizuho 2(左 / 福島瑞穂 )
  今では社民党なんて化石みたいな集団だけど、その思想に共感する人が絶滅した訳じゃない。辻元清美のように、泥船の社民党から立憲民主党に鞍替えした者は結構多いんじゃないか。それに、地方議会だと未だに左翼が隆盛を極め、外国人参政権から人権法案、多文化共生、男女共同参画、原発反対など、あらゆる反日思想が生き延びている。夫婦別姓の議論もその一つで、何としてもこの流れを加速しようと彼らは躍起だ。福島瑞穂なんて政治家になる前から、筋金入りの夫婦別姓論者で、個人的にも実行していたのだ。彼女の「パートナー」は極左弁護士の海渡雄一(かいど・ゆういち)で、普通の結婚はせず、籍を入れない「事実婚」で娘をもうけている。彼らの娘は「海渡双葉(かいど・ふたば)」といい、福島氏本人が述べているように、「エコロジスト的な名前」であるらしい。(福島瑞穂「戸籍制度と女性差別・婚外子差別」 戸籍と天皇制研究会・編 『戸籍解体講座』 1996年、p.113.)

  極左思想を実践する福島瑞穂は、その信念通り、事実婚を選び、娘が生まれても海渡氏の認知を取らず、放置したままだった。福島氏が認知届を出さなかったため、娘の戸籍には父親の欄が空白であったという。普通の日本人だと信じられないが、「非嫡出子」を選んだ福島氏は、娘に「氏」というものを教えなかったそうである。それゆえ、娘本人に「氏」の概念が育たず、幼稚園の保母に注意されたそうだ。母親は「家族名なんてどうでもいい」と思っていたが、子供にとったら幼稚園のみんなと違うから、何となく嫌なものであったという。印象的なのは、双葉が幼稚園に通っていた時の話である。彼女は水泳プールに通っていたそうで、子供達が順番にプールへ飛び込む練習があったらしい。その時、子供達は先生から名前を呼ばれ、「斎藤花子です」とか「山田花子です」といって順番に水の中に飛び込んだ。ところが、双葉はまごつく。なぜなら、「氏」というものを解っていなかったからだ。

  保母から叱られたこともあって、福島氏は娘に「姓」をつけようかと思ったらしい。すると、娘の双葉は母親の「福島」じゃなく、「パパの名前がいい」とせがんだそうだ。福島氏は著書の中で「なぜなんだろう?」と述べているが、娘からすれば、みんなと同じように「父親の子供」になりたかったんじゃないか? なぜなら、通常、父親が「伊集院」なら娘も「伊集院」だし、祖父が「綾小路」なら父も「綾小路」で、家族の姓も「綾小路」だ。子供としては母親の旧姓じゃなく、世帯主の「綾小路」がいいと思うはずだ。もし、「福島」とか「犬養」という姓だと、学校の友達が「どうしてお前だけ名前が違うんだ?」と訊いてくるから、毎回説明しなければならないし、「お前、母ちゃんの連れ子なのか?」と言われかねないので、やはり父親と同じ姓がいい。幼い子供はみんなと同じ“普通の生活”を望むので、左翼思想に基づく奇抜な行動様式には愛着が無いのだ。

  ちなみに、海渡双葉は両親の思想を受け継ぎながら育った。彼女は法学部を卒業し、法科大学院を経て、今はバリバリの極左弁護士になっている。彼女は学生時代から極左思想の持ち主だから、人相と同じく、頭の中身も親譲りと言えるだろう。とにかく、彼女は典型的な左翼弁護士で、一応、横浜合同法律事務所に属しているが、その本業は「プロ左翼」と呼んでもおかしくはない。彼女は死刑廃止を訴える人権思想だけじゃなく、憲法問題や貧困問題、反原発運動、監獄での人権などにも甚大な関心があるようだ。国会で秘密保護法が持ち上がった時、左翼集会で反対演説をしていたくらいだから、「蛙の子は蛙なんだなぁ〜」と思ってしまう。

  福島瑞穂の戸籍解体願望は、その幼少期に淵源があった。彼女の母親は娘達と話す時には快活であったが、父親(夫)と祖母(姑)と話をする時には、まるで別人のようになってしまい、終始うつむき加減だったという。色々な事に気を遣う母親を見て、少女時代の福島氏は気の毒に思っていたそうだ。ゆえに、こうした母の姿を見て育った少女は、「家制度に押しつぶされたくない」、「『嫁』とか『奥さん』という役割は、将来演じたくない」、「私は『御主人』などもちたくない」と思ったそうだ。(福島瑞穂 「あなたも家から解放される?」、『サンサーラ』1991年2月号、 p. 126) 女性を鋳型に嵌め込もうとする「家制度」を激しく憎んだ福島氏は、結婚した女性が夫の“家(家門)”に属することが厭だったという。福島氏曰わく、

  「○○家之墓」という真黒い墓石を見ると、こんな所には、閉じ込められたくないと思う。(上掲記事 p.127.)

  結婚に基づく家制度を嫌った福島氏は、事実婚の女性とか、同棲カップル、父親から認知されない私生児を産んだ未婚の母に矢鱈と親切だ。また、本人の素性がバレやすい戸籍制度や縁故採用も嫌いで、志願者を採用する際、その思想を調査する警察とか、身元調査を行う銀行などを憎んでいた。 (『戸籍解体講座』 pp. 105-106.) そう言えば、元大阪府知事の橋下徹も戸籍制度が大嫌いで、各国民の素性や血統が明らかとなる“因習”に異議を唱えていた。まぁ、週刊誌によれば、自殺した父親が元暴力団員で、母子家庭で育ったというから、「暗い過去」を暴いた佐野眞一や週刊朝日を赦せないんだろう。それに、以前、大阪市の戸籍係が興味本位で橋下氏の戸籍を不正閲覧したので、彼は鬼のように怒っていた。

  しかし、国民一人一人を確認できる戸籍制度は貴重で、日本が人民投票の民衆政治をとっているなら、その構成員を厳格に管理するのは当然だ。米国のように公民の管理が杜撰で、誰が正式な国民なのか判らぬ国家は最低だ。何しろ、不法移民や密入国者までが有権者になれ、二重投票が横行しているんだから、日本人はこの悪しき具体例を避けねばならない。ところが、日本政府は国境の壁を低くし、大量のアジア移民を歓迎している。日本人の数が減ったから、支那人や朝鮮人、ベトナム人、フィリピン人、タイ人などを輸入しようという訳だ。でも、アフリカや中東アジアから移民や難民を受け容れたヨーロッパがどうなったのか、我々は知っている。とても、「西歐人」と思えない連中が、イギリス人とかドイツ人、スウェーデン人、フランス人、ノルウェー人と名乗っているから驚く。浅黒いノルマン人やアラブ人みたいなゲルマン人なんて普通じゃない。

Norwegian woman 2Norway 3

(左 : 昔から居る「ノルウェー人」のタイプ / 右 : 新たに「ノルウェー人」となった移民女性 )

  なるほど、何千万人ものアジア人が定住し、日本の主幹労働力となれば、民間企業は低賃金労働者をこき使えるだろう。それに、来日したアジア人だって飲み食いをするし、自動車や住宅をも購入するから、日本経済は活発化する。しかし、伝統的な日本は移民の流入でズタズタだ。必ずや近い将来、「国民の一体感」とか「日本人の絆」は消滅し、その代償として「不信社会」が誕生する。不気味なアジア人が我々の隣人となり、学校や職場には支那人やフィリピン人といった“よそ者”が至る所に立ち尽くす。学校では民族ごとの集団が出来上がり、食堂では朝鮮人グループとかベトナム人同郷団が一カ所に固まって飯を食うに違いない。職場も異人種の坩堝(るつぼ)と化し、冷たくギスギスした人間関係が普通となるだろう。赤提灯で「同じ釜の飯を喰う先輩後輩」なんて光景は消え去り、アジア人の中途採用や突然のリストラが常態となる。もしかしたら、マレーシアや香港、シンガポール、フィリピン出身の社員が増えるから、職場の共通語が英語になるかも知れない。日本人は本当に素性が判らない人種が混在する多民族社会を望んでいるのか? 左翼陣営は「世界市民」が仲良く暮らす日本列島を夢見ているが、日系日本人の大半は、依然として「昔ながらの日本」を望んでいるはずだ。
http://kurokiyorikage.doorblog.jp/archives/68836442.html

10. 2021年4月17日 18:24:23 : RSLdzPRb1s : Y0wwMFV6MDlreDI=[45] 報告
コミンテルン成立後は、各国への政治的干渉と、組織化があり、北欧各国や英国には、たくさんのソ連スパイがいた。それは冒頭の番組に取り上げられたように、小さな町の女給さんやお手伝いさんに至るまで共産党スパイ組織が存在した。

 当時、日本でも同じように、コミンテルンによるゾルゲ事件が起きていた。
 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B3%E3%83%9F%E3%83%B3%E3%83%86%E3%83%AB%E3%83%B3#:~:text=%E3%82%B3%E3%83%9F%E3%83%B3%E3%83%86%E3%83%AB%E3%83%B3%EF%BC%88%E3%83%AD%E3%82%B7%E3%82%A2%E8%AA%9E%3A%20%D0%9A%D0%BE%D0%BC%D0%B8%D0%BD%D1%82%D0%B5%D1%80%D0%BD%E3%80%81,%E3%81%AE%E6%8C%87%E5%B0%8E%E7%B5%84%E7%B9%94%E3%81%A7%E3%81%82%E3%82%8B%E3%80%82

 日本の場合は、日本共産党がコミンテルンの代理人として、国内の共産主義拠点を成立させることに奔走し、たくさんの共産党員を生み出した。
 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%AC%AC%E4%B8%80%E6%AC%A1%E5%85%B1%E7%94%A3%E5%85%9A_(%E6%97%A5%E6%9C%AC)

 だが、共産党はコミンテルンの下部組織であり、すべてソ連共産党中央委員会の指示に従わねばならず、主体的で良識ある活動家は、共産党から離れていった。
 また、不可解なことに、宮本顕治・野坂参三・市川正一など、共産党草創期の大幹部たちは、山口県、それも田布施周辺出身者が多い。岸信介・佐藤栄作兄弟、明治天皇になった大室寅之佑などだが、この謎は、まだ分かっていない。

 私の若い時代、1970年代でも、古い共産党オルグが無数にいたが、原水禁運動を巡って共産党の独善的な運動破壊が起きて、頗る評判を落としたことで、共産主義運動は勢いを失っていた。
 それは、「原水禁運動」が国民運動として巨大な盛り上がりを見せているそのときに、突如、共産党が「原水協」を結成し、「社会主義・共産主義国家の核兵器は民衆に必要なもの」という屁理屈を押しつけることで原水禁運動を破壊したことによるものだった。
 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8E%9F%E6%B0%B4%E7%88%86%E7%A6%81%E6%AD%A2%E6%97%A5%E6%9C%AC%E5%8D%94%E8%AD%B0%E4%BC%9A

 また、私が高校生だったころも、学内に全共闘派と民青同盟派の深刻な争いがあって、運動の統一と団結が決定的に阻害されていたが、これもコミンテルン崇拝残党の指示だったともいわれる。
 私個人のコミンテルンに対する印象をいえば、スターリンがコミンテルンを私物化し、ソ連の利権にのみ奉仕させる機関に変えたことで、日本共産党も硬直し、徹底的な組織主義的行動で、人間的な温かみや説得力を失い、共産党離れの決定的な原因を作ったと考えている。

 日本共産党が、組織主義を前提に、トップの志井体制が20年以上も続いている、いわば独裁体制が成立していることで、組織は極めて風通しの悪い、非民主的性格を帯びていると思わざるをえず、もはや共産党の国民思想運動としての復権はありえないだろう。
 また、共産党は東大のようなブランドに執着しているエリート崇拝者が多いともいわれ、これでは広く人々の支持を集めることは不可能だ。

 ソ連邦が解体され、ロシアが復活した今では、ソ連時代の独善的な本質が露骨に表に出てくるようになり、プーチン体制とは、私権、私利私欲、強欲な利己主義の代名詞になっている。プーチンは、ただ自分の権力を誇示し、自己陶酔したい一心で領土拡張に邁進し、北方領土の返還も拒否している。

 また、中国共産党が、人間性を崩壊させた強欲ぶりを発揮していることから、人々の共産主義や共産党勢力への不信感を加速させている。
 まさに、中国・ロシアのむき出しの強欲、非人間的行為が、共産主義思想の崩壊を招いているというべきだろう。

http://tokaiama.blog69.fc2.com/blog-entry-1466.html

11. 中川隆[-4418] koaQ7Jey 2021年6月05日 09:00:18 : G3Hqt2fLQw : RTV5dkcvQ2NLV2s=[16] 報告
【ゆっくり解説】世界一わかりやすい右翼・左翼の分類特徴解説講座
2021/06/04



12. 中川隆[-4338] koaQ7Jey 2021年6月08日 19:24:26 : LdxeKd6OUo : dUVRNlpNRmguZk0=[46] 報告
【ゆっくり解説】日本に左翼が多い理由
2021/06/08


13. 中川隆[-5007] koaQ7Jey 2021年7月14日 11:11:01 : PZddMrZD2w : c1ZOSXVQWldZMVU=[14] 報告
私が共産主義者にならなかったワケ
2021年07月13日
http://tokaiama.blog69.fc2.com/blog-entry-1554.html
 私は、今から半世紀以上も前のことだが、高校生時代、マルクス主義に没頭した時期がある。
 高校の社研サークルは、毎日のように党派のオルグがやってきて、革マル派・中核派・ブント・反帝学評など盛りだくさんの新左翼系活動家が来ていた。当時は、さすがに資本論は荷が重いので、「共産党宣言」とか「家族国家私有財産の起源」とか、10冊くらいの岩波文庫版を使って、その意味を討論しあった。

 学校の授業など興味はなかったが、新しい知識の宝庫だった古典共産主義文献は、何でも知りたい私の知的好奇心を激しく刺激した。
 私は中学生の頃から「弁証法」について興味があって、マルクスの弁証法的唯物論に夢中になった。これは、マルクスに言わせれば「ヘーゲル弁証法を逆さまにひっくり返したもの」というものだ。
 弁証法三原則に「否定の否定・対立の統一・量質転化」というのがあって、事物現象は、かならず三段階の発展プロセスをもって、「止揚」されるというものだ。

 始めて聞くと、何が何だか分からない極端な抽象論にすぎないのだが、三段階発展論の原点、最初に「鶏が先か卵が先か?」という論争があって、ヘーゲルは、最初に霊的カオスがあって、否定されて物質的存在になり、もう一度否定されて霊的存在に還る。つまり、人類は、あらゆる矛盾を克服して絶対精神に向かって歩み続ける、という理屈だった。

 この最初に存在した「霊的カオス」を、物質的カオスに置き換え、逆立ちさせたのが、マルクス流、弁証法的唯物論だった。
 これは宇宙の存在は、最初に物質があり、そのなかに意思が生まれ、思索が生まれるが、やがて倒錯して、宗教的な世界=霊的世界が登場してくる。しかし、それもいずれ否定されて、再び究極の矛盾のない物質的世界に還るというものだ。

 小難しい理屈を並べたが、私の70年近い人生経験によれば、「哲学者」なんていったって、特別な存在ではなく、精神障害を患ったような偏執狂的兄ちゃんが、人の理解を超えた難解な屁理屈を並べて、自分は特別な存在であり「宇宙の叡智」であると勘違いして、他人に対して偉そうにふるまっているだけのことだから、怖れ多がる必要はない。ただの屁理屈・妄想狂マニアによる言葉の遊びにすぎないのだ。

 しかし、はじめて哲学に触れる若者にとっては、宇宙の深淵に触れたような気分になり、ヘーゲル弁証法を数ページでも理解したなら、宇宙の真理を自分のものにしたかのような快感・興奮に陥り、自分が人類に超越する特別な存在になったかのように錯覚し、他人の意見に耳を貸さない優越感に浸るものだ。

 この優越感を利用して、特権的存在になったかのように舞い上がらせ、他人の意見を嘲笑しながら自分たちだけが真理の領域にいると思い込んでしまった妄想的宗教団体がたくさんある。
 例えばオウム真理教がそうで、幹部たちは優越感に有頂天になり、自分たちが選ばれた人間だと勘違いして、人々の人生や命まで支配できると思い込み、あのザマになった。
 同じように、子供の頃から「優秀」とおだてられて調子に乗った若者を、ヘーゲル弁証法のエッセンスに触れさせて優越感で支配したのが文鮮明の統一教会だ。

 宗教だけなら、まだマシだが、これが政治団体となると、社会に大きな波風を引き起こす。
 例えば、私が若い頃、公安警察にメンバーに違いないと思われて、散々な目に遭わされた赤軍派とか、日本共産党や新左翼諸党派なども、弁証法的唯物論に触れて調子に乗った優越感に支配されながら暴走したグループだ。

新左翼諸党派の本質を一言でいえば、オウム真理教も幸福の科学も同じだが、一種の優越感といえるだろう。自分たちは選ばれた特別の存在だから、自分たちの理屈通りに世の中が変われば、すべて問題が解決すると妄信してしまった連中だ。
 自分たちは「最高存在」だから、他人の意見など聞く必要がないという傲慢さが共通点でもある。

 「最高存在」という言葉は、どこかで聞いた。そうだ北朝鮮だ、中国だ。そうだ、共産主義思想を掲げた独裁専制国家は、必ず「最高存在」という言葉を使いたがる。
 日本共産党も同じだ。「最高存在」の志位和夫は、実に30年を超えて共産党の全実権を掌握している。
 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BF%97%E4%BD%8D%E5%92%8C%E5%A4%AB

 一つの組織で、30年間もトップが変わらないということは何を意味するのか?
 例えば、一般的な企業の場合、幹部クラスは3〜5年程度で、半強制的に転勤させられる。理由は「流れない水は腐る=流れる水は腐らない」ということだ。
 一カ所に権力者が数年もいれば必ず権力や利権が集中し、反対者が排除されて独裁体制が成立する。組織よりも、自分の利益を優先させるようになるのが人間というものなのだ。

 ベラルーシのルカシェンコは、大統領を28年間続け、対立候補を弾圧して独裁体制を堅持している。ムガベは37年間ジンバブエに君臨した。プーチンも20年以上、ロシアに君臨している。
 いずれも超長期政権に君臨し、その腐敗ぶりが世に知られてきた。志位和夫も事実上、30年間以上だから、負けていない。

 なんで、こんなことが許されるのか? といえば、私が学んだ「共産主義」の書かれざる綱領に「優秀な人物が、優秀な思想で、社会を正しく指導すれば最高の社会が成立する」という不文律が、巨大な壁のように君臨していたからだ。
 組織というのは「優秀」が好きだ。日立も東芝も三菱も、優秀な人物が巨大組織のトップを務め、企業全体を牽引したわけだが、いずれも 無様な結末を迎えて、東芝など社名さえ失いかねないほどに追い詰められているのだが、その本当の原因は、私にいわせれば、「流れない水は腐る」という原理である。

 「優秀」という定義が根本から間違っている。日本では「学歴信仰」が深く根付いていて、東京大学を卒業すれば「優秀な人物」というレッテル、お墨付きをもらえることになっている。
 だから、もちろん志位和夫も東京大学出身だ。上に述べた巨大企業の最高役員の大半も東大出身だろう。
 本当にそうなのか?
 
 「東大卒は優秀」という恐ろしい勘違いのせいで、日本社会は根底からねじ曲げられてきた。
 例えば私を個人攻撃している大垣市民病院の岩田洋介という医師は、自分は旭丘高校を出て東大医学部を卒業したのだから超一流人間だと錯覚してしまって、私を「無学歴」と誹謗嘲笑し、延々と凝りもせず、8年間もツイッターで低俗下劣な嫌がらせを繰り返している。

 なるほど、東大を出ると、こんな下劣なことをやるようになるのか? と私は深く納得した。だが、病院側に抗議しても、東大信仰のゆえんか、無視されたままだ。
(余談、ツイートが大垣市民病院の医療者用Wi-Fiからであることを発見したので訴訟を起こそうとしたら、予想賠償金額は20万円、訴訟費用が90万円という見積もりだった。復讐するなら長期服役を覚悟するしかない)
 https://twitter.com/tokaihomo

 まあ、「優秀」といったって、この程度のゴミのような人間性だと思って間違いない。共産主義を体系化したともいわれるマルクス・エンゲルス・レーニンも「優秀マニア」だったとともに、何よりもユダヤ人だった。トロツキーもブハーリンもそうだ。
 ユダヤ教の経典タルムードには、「神に選ばれたユダヤ人は、それ以外の民衆をゴイム(奴隷)として使役し、利用してかまわない」と書かれている。だから、「優秀なユダヤ人は、それ以外の人々を見下しているわけだ。

 そんなわけで、共産主義というのは「優秀な人間が正しい理論で人々を領導すれば、何もかもうまくいく」というユダヤ流の自分勝手な思い込みで成立していることを知り、私は共産主義者になることを断念したわけだ。
 そんな思い上がった連中には、虫唾が走るなんてもんじゃない。

 ホセ・ムヒカのような苦労人は、絶対に他人を見下したりしない。自分を優秀だと勘違いすることもない。もし、人間社会に本当に信奉すべき人間と思想があるとすれば、それはホセ・ムヒカだ。
 つまり、人間苦労してナンボというのが唯一の真理なのだ。

 共産主義そのものの理屈は決して間違っているとは思わないが、「優秀」というのが大好きな人物ばかりが集まっていれば、それは思い上がって自滅崩壊する定めにある。
 そもそも、「優秀」というのは、「優生保護」に直結するものだ。

 実は、日本で優生保護思想を実現しようとした人々の多くが、革新側の人物だった。
 優生保護法の実現に尽力したのは、日本社会党の加藤シズエや市川房枝だった。
 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8A%A0%E8%97%A4%E3%82%B7%E3%83%85%E3%82%A8
 その結果、多くの障害者が強制的に断種させられた。

ファッシズムと優生保護 2017年02月25日
 http://tokaiama.blog69.fc2.com/blog-entry-78.html

 再び優生保護思想 2018年04月30日
 http://tokaiama.blog69.fc2.com/blog-entry-331.html

 早い話、共産主義者もまた優生保護思想が大好きだ。人道の仮面を被っている分だけ始末が悪い。これも「優秀病」の脅迫観念から必然的に派生するのである。
 もしも、私が共産主義者になっていたなら、たぶん真っ先に粛正されていたことだろう。「優秀」という発想が大嫌いだったからだ。

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 ちょっと待て! その染色体検査=NIPT
2021年07月12日 (月) 10:51
カテゴリ : 未分類

NIPTというのは、大半の妊婦がダウン症など染色体異常を周産期前に検出するための遺伝子検査として大々的に宣伝されている。
 https://niptjapan.com/
 https://nipt.hiro-clinic.or.jp/lp/down-syndrome/?gclid=Cj0KCQjwraqHBhDsARIsAKuGZeGvwTukjxuzwhTApzWyU3_B-QdfGg7Ph4dXTuhHBE7dUPgOVB4G0qAaAly5EALw_wcB#what

 ところがNIPTの本当の呼び名はニフティといい、それは中国共産党軍事組織が開発したもので、世界中の妊婦・胎児の遺伝情報を収集して、生物兵器を研究している疑いが出てきた。

 https://news.yahoo.co.jp/articles/db208c6f9f5ca2014bf5737c91dfc66bbef56fca


 ロイター2021年7月8日 中国大手が軍と開発した出生前検査、遺伝子データが当局に渡る可能性
 https://jp.reuters.com/article/health-china-bgi-nifty-idJPKCN2EE0AU

 [7日 ロイター] - 中国の遺伝子解析最大手BGIグループ(華大集団)が中国軍と共同開発した出生前検査のデータを二次利用し、診断データが国家安全保障に直接関連する場合には中国当局に提出可能な規定となっていることが分かった。同社の出生前検査は世界中の妊婦数百万人に利用されている。ロイターが公開資料などを基に調査した。

 BGIが人民解放軍と協力して出生前検査を開発し、診断データを保管・分析していることが明らかになったのは初めて。
 BGIは2013年に出生前検査の海外での販売を開始。同社の「NIFTY」は非侵襲的出生前検査(NIPT)として世界で最も販売されている検査の1つで、母体からの採血によって胎児の異常を調べる。

 BGIによると、これまでに検査を受けた女性は世界全体で800万人余り。NIFTYは英国や欧州諸国、カナダ、オーストラリア、タイ、インドなど少なくとも52カ国で販売されているが、米国では販売されていない。

 ロイターの調査で、検査を受けた女性500人以上の遺伝子データが、BGIが運営する深圳の「国家基因庫(ナショナル・ジーンバンク)」に保管されていることも分かった。国家基因庫には中国政府が資金を提供している。

 またロイターの調査によると、BGIは香港の自社研究所に送られてくる検査後の血液サンプルやデータを人口調査に利用していることを認めた。
ロイターの調査では、BGIによる個人情報保護規定や規則の違反は見つからなかった。同社は、検査の際に同意を得ており、海外のサンプルやデータは5年後に廃棄しているし、検査や分析にあたって個人情報にアクセスすることはないと説明した。

 ただ、BGIの検査の個人情報保護規定によると、収集したデータが中国の国家安全保障に直接関連する場合には当局への提供が可能となっている。
同社によると、これまでにNIFTYのデータについて中国当局から提供の要請を受けたことはなく、提供したこともないという。

 米国家テロ対策センターはロイターの取材結果について、NIFTYを受ける海外の女性は中国の情報機関へのデータ提供を認めている個人情報保護規定に注意すべきだと指摘した。
 専門家の話に基づくと、出生前検査を販売し、研究のためにデータを利用している企業は複数あるが、いずれもBGIほど大規模ではない。またBGIは政府とつながりを持ち、軍と協力してきた実績もある。

 ロイターの調査によると、BGIは2010年に軍と組んで胎児の遺伝子の研究を開始。軍の研究者と共同で出生前検査について数十件の研究結果を報告している。
***************************************************************
引用以上

 中国共産党=人民解放軍は、何の目的で、世界中の妊婦胎児の遺伝情報を大規模に収集しているのか?
 それは、どうやら生物兵器の研究であるらしい。
 以下は本日の「新唐人テレビ」の記事。

 中国バイオ大手が軍と提携 世界中の妊婦の遺伝子データを収集【禁聞】2021年7月12日
 https://www.ntdtv.jp/2021/07/51082/

 ロイターは7月7日、中国バイオ大手の華大基因(BGI)が中共軍と共同開発した出生前検査を通じて、世界数百万人の女性の遺伝子データを収集して、民族や人種などのグループに分けて全面的な研究を行っていると報じました。

 ロイターは7日、中国バイオ大手のBGIグループが中共軍と出生前検査方法を共同開発し、それを使って数百万の女性の遺伝子データを収集することによって、「人口の質」を向上させるほか、兵士の聴力喪失や高山病などへ対処するためにも遺伝子研究を進めていると報じました。

 BGIは2013年からこの「胎児染色体異常非侵襲性出生前遺伝子検査(NIFTY)」を推進していました。この検査は妊婦の血液を検査するだけで、胎児のダウン症の有無が分かるとしています。BGIはさらに、妊婦の遺伝情報のほか、国籍や身長、体重などの個人情報を保存していますが、氏名は含まれないとしています。

32歳のポーランド人、アメリアさんはNIFTY(にふてぃ)の検査を受けたことがあります。

 ポーランド人のアメリアさん
 「私は、私に関係するそれらの敏感なデータに何が起きたのか知りたかった。例えば私のゲノムと私の子どものゲノムについてだ」

 NIFTY検査は出生前に行われる一般的な検査の一部ですが、研究に役立つようなデータを提供する必要があります。例えばBGIには、スーパーコンピューターを使ってNIFTYのデータを分析し直し、中国人女性におけるウイルスの流行状況を作図したり、彼らの精神疾患に関する指標を見つけたり、チベット族やウイグル族をはじめとする少数民族をえり分けて、彼らの遺伝子と特徴の相関関係を見つけるという研究テーマがあります。

 アメリアさんは、同意書に署名して自分の遺伝子データが保管され研究に用いられることにも同意しましたが、自分の情報が最終的に中共に送られるとは知らなかったし、同意書にもそれに関する説明はなかったと話しています。

 アメリアさん
 「私の情報が中国政府に把握されると知ってショックを受けたことを認めなければなりません」

 これまでに世界で800万人以上の女性がNIFTY検査を受けています。NIFTYは英国や欧州諸国、カナダ、豪州、タイ、インドなど世界52か国で販売されていますが、米国では販売されていません。

 大紀元時報コラムニストの王赫氏
 「中共は1950年代からバイオ戦争に特に興味を示していた。21世紀に入ってバイオ科学が飛躍的に発展し、遺伝子戦争が中共内部で一つの重点的核心項目となった。彼らは遺伝子兵器を新たな戦略分野に位置づけてそれによる軍事覇権を熱望している。よってその分野のことを長い間継続して行っている」

 BGIは中国人の関連データを収集していることについては認めていますが、ロイターは出生前検査を受けた外国人を含む少なくとも500人の遺伝子情報が、中共政府の支援を受け、BGIが運営する深圳の「国家基因庫(ナショナル・ジーンバンク)」に保管されていると報じました。ロイターは、現在のところBGIによる個人情報保護規定や規則の違反は見つからなかったが、NIFTY検査ウェブサイトのプライバシーポリシーには、収集されたデータが中国の国家安全保障や国防に直接的に関係するものであれば、当局への提供が可能になっていると記されています。
 
 これまでに、BGIが中共軍と出生前検査の分野で提携したとの報道はありませんでしたが、ロイターは、BGIが2010年から、中共軍と組んで遺伝子の研究を開始し、出生前検査について数十件の共同研究結果を発表していると報じています。これにはテストと出生前検査の改善やデータの分析が含まれています。

 米国は、BGIが収集・分析した遺伝子のデータはすでに米国にとって国家安全保障上の脅威となっていると考えています。米国政府顧問は今年の3月に、BGIはAIを使って大量の遺伝子データを収集・分析し、中国共産党のために最大かつ最も多様なヒトゲノムを入手し、それによって軍事戦略的に優位な立場を獲得できるようにしていると警告しました。また、「遺伝子組み換え兵士」の出現や、米国人や食品に対し、有害な遺伝子操作を行う可能性もあるとしています。

 在米独立研究者で時事コラムニストの戈壁東氏
 「中共は生きた人間からの臓器を収奪して利益を得るほどの邪悪な政権で、ウイルスを故意に広めて世界に災いをもたらすこともできる、極めて邪悪な反人道的な政権だ。武漢ウイルスが世界に与えた危害はまだ終わっていない。中共はこんどは人間の遺伝子に目を付けたが、そのことがあなたの幸せにつながるとあなたは思うだろうか」

 アメリアさんは、もし彼女がBGIテストの研究範囲を知っていたら、他社の出生前検査を選択しただろうと話しています。

 アメリアさん
「出生前検査を選ぶときに、非常に重要なことは、自分にとって正しいかどうかだ」
*****************************************************************
 引用以上

 先に、新型コロナウイルスは、中国共産党によって生物兵器として開発されたもので、武漢における人体実験の途上で誤ってパンデミックを引き起こしたが、中国共産党は収拾不可能な事態になったことで、世界中にこのウイルス感染者を観光客として送り出し、全人類にウイルスを拡散伝播させる道を選んだとWHO調査員、閻氏の決死の報告があった。
 
閻魔様の恐ろしい告発 2021年07月06日
 http://tokaiama.blog69.fc2.com/blog-entry-1547.html

 中国共産党は、自国民の体制批判派を不法に拘束して、生きたまま臓器を抜き取って殺害し、臓器を世界中に売りさばいてボロ儲けするという、ナチス以来の凄まじい悪魔、巨悪である。
 この中国共産党軍が、世界中の妊婦の遺伝子データを集めているとすれば、当然、目的は中国共産党の権益拡大、領土拡張戦争に利用する生物兵器研究しか考えられない。

 参考情報
 中国、出生前診断のミスで健常胎児1.5万人が中絶か 2018年09月27日
 https://www.epochtimes.jp/p/2018/09/36594.html

 https://www.sankeibiz.jp/business/news/210705/prl2107051705151-n1.htm

 この問題は、もう少し調査し、成果が得られたら報告したい。

http://tokaiama.blog69.fc2.com/blog-entry-1554.html

14. 2021年7月14日 11:12:26 : PZddMrZD2w : c1ZOSXVQWldZMVU=[15] 報告
【ゆっくり解説】日本に左翼が多い理由
2021/06/08



15. 2021年8月11日 07:22:50 : Byxbbc4XKU : WE51OVA5THEuZlU=[3] 報告
僕は今の日本社会を見ていて、正直「怖い」と思うのは、人々がしだいに「不寛容」になっているような気がすることです。

 言葉が尖っているのです。うかつに触れるとすぐに皮膚が切り裂かれて、傷が残るような「尖った言葉」が行き交っている。だから、傷つけられることを警戒して、みんな身を固くしている。あるいは、自分の言葉の切れ味がどれくらいよいか知ろうとして、「刃」に指を当てて、嗜虐的な気分になっている。

 そういう「尖った言葉」が行き交っている。外から見ると、あるいはスマートで知的なやりとりが行われているように見えるのかも知れません。でも、僕はそういう言葉がいくら大量に行き交い、蓄積しても、それが日本人全体の集団としてのパフォーマンスが向上することには結びつかないと思います。

 僕はものごとの適否を「それをすることによって、集団として生きる知恵を力が高まるか?」ということを基準にして判断しています。もちろん、その言明が「正しいか正しくないか」ということを知るのもたいせつですけれど、僕はそれ以上に「それを言うことによって、あなたはどのような『よきもの』をもたらしたいのか?」ということが気になるのです。言っている言葉の内容は非の打ち所がないけれど、その言葉が口にされ、耳にされ、皮膚の中に浸み込むことによって、周りの人たちの生きる意欲が失せ、知恵が回らなくなるのだとしたら、その言葉を発する人にはそれについての「加害責任」を感じて欲しい。

 よく考えてみたら、それは僕がずいぶん昔からずっと言ってきたことでした。
 若い頃は左翼の言葉づかいに対して、そのような不満を感じていました。「革命をめざす」といっている人たちがお互いに相手について「はしなくも階級意識の欠如を露呈し」とか「嗤うべきプチブル性」とかいう非難を投げ合っていたからです。正直言って、そんなことをいくらやっても得るところはほとんどないんじゃないかと思っていました。というのは、そうやって「革命闘争を担う資格を持つ人」の条件を厳しくすればするほど「革命の主体」の頭数は減るだけだからです。「世の中をよりよいものにしよう」と願う資格のある人間の条件を厳密化することによって、この人たちはどうやって世の中をよくする気なんだろうと思っていました。

 同じことは、そのあとフェミニズムやポストモダニズムにも感じたことです。今度は「はしなくも性差別意識を露呈し」とか「はしなくも植民地主義者の加害者意識に気づくこともなく」というふうに表現は変わりましたけれども、それでも「真に差別され、徹底的に疎外された人間だけがシステムを批判する権利を持つ(それ以外の人間はすべて無意識のうちに差別し、疎外する側に加担している)」ということになると、すてきに切れ味はいいテーゼではあるのですけれども、これもやっぱり、徹底すればするほど「世の中を少しでも住みやすくする」事業の仲間の頭数を減らす結果になる。
http://blog.tatsuru.com/2021/08/02_0935.html

16. 中川隆[-11768] koaQ7Jey 2024年1月19日 16:16:34 : re2B4g0XOQ : L3NkSzlsTW1nbEU=[2] 報告
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朴先生からのご質問「原理主義について」- 内田樹の研究室
2024-01-17 mercredi
http://blog.tatsuru.com/2024/01/17_1736.html

 さてここで第二番目の質問です。
 マルクス主義あるいはフェミニズムへの盲信と、内田先生のレヴィナス信奉との根本的差異をお聞きしたいと思います。いや、私にはなんとなくわかるんですが、内田先生はレヴィナスへの「帰依」、批判者への「筆誅」という言葉をお使いになるので、韓国読者に対しては、そのへんをクリアしていただければと思います。

 二番目の質問にお答えします。朴先生はもう「なんとなくわかる」とお書きになっていますけれど、その通りです。僕の答えはいつもと同じです。僕がある種のマルクス主義者やある種のフェミニストに対して異議を申し立てしているのは、その「原理主義的」な姿勢が不適切だと思うからです。
 マルクス主義もフェミニズムもすぐれた思想であり、それまではっきりとは意識化されてこなかったさまざまな社会的な不正や非道を前景化して、社会を「より住みやすいもの」にしたことについては多大な功績があります。僕はその功績は率直に認めますし、敬意も払います。でも、マルクス主義者もフェミニスト、その他の「主義者」たちの多くが陥るピットフォールは「切れ味のよ過ぎる思想的利器」を手にしたときに、それで「すべてのものを切りさばきたい」という欲望を抑制できないことです。
 いかなる思想でも、それが効果的に適用できる分野と、あまり有効でない分野と、全く有効でない分野があります。例えば、マルクス主義やフェミニズムで文学や映画や音楽や美術を論じることは「適用過剰」だと僕は思います。そして、「適用過剰」によって、それらの思想はむしろその本来の寿命を短縮してしまったように見えます。

 僕が中学生から大学生、大学院生だった頃、60年代から70年代にかけては、マルクス主義の全盛期でした。その時期、マルクス主義者たちは政治や経済や歴史について語るだけにあきたらず、芸術の領域にまで踏み込んできました。そして、個々の作物について、そこに「階級意識があるかどうか」「革命的かどうか」「前衛的であるかどうか」をうるさく査定するようになりました。僕はそれにうんざりしていました。僕はとにかく「査定されること」が大嫌いだったからです。できあいの「ものさし」をあてがわれて、査定されて、格付けされて、点数をつけられることが僕は骨の髄から嫌いなのです。
 僕の書くものに階級意識が欠如していようと、革命性がなかろうと、そんなことは僕にはどうでもいいことです。僕はどうしても言いたいことがあるので書いている。「こういうふうに書くと階級意識があると評価される」というような査定基準を横目で見ながら書くなんて、まっぴらごめんです。
 そもそも「他の人間が書いた模範に従って書け」というのは、「僕が書かなくても、誰かが似たようなことを代わりに書くようなことを書け」ということです。それは言い換えると「私が存在してもしなくても、世の中には何の変化もない」と宣言するということです。これは自分に対する「呪い」です。
 僕は久しく「僕が語らなければ、他に僕と同じことを語る人がいないこと」だけを選択的に語ってきました。そうでなければ、ものを書く甲斐がありません。誰かが僕に代わって、僕が言いたいことを過不足なく語ってくれるなら、僕は別の「僕がしないと誰もしそうもない仕事」を探して、それをします。
 そういう人間にとって、この「マルクス主義的査定」は耐えがたいものでした。さいわい、マルクス主義者たちがあちこちで人々の意識や、創作物における「階級意識の欠如」をうるさくとがめているうちに、みんなうんざりして、誰も彼らの話を聴かなくなりました。
 やれやれと思っていたら、80年代にフェミニストたちが登場してきて、今度は「ジェンダー・ブラインドネスをはしなくも露呈し」とか「無意識の男性中心主義が行間からにじんで」という「フェミニズム的査定」が始まりました。
 僕自身はそれまでも女性の権利拡大にはつねに賛同してきました。ご存知の通り、僕は家事労働を進んで引き受ける夫でしたし、育児については妻以上に熱心な父親でした。フェミニズムの政治的主張については最大限の敬意を払ってきました。
 でも、文学や映画にまでフェミニズムが入り込んで来て、作品の良否を言い出したことについては反対しました。僕のフェミニズム批判の書『女は何を欲望するか』はたしか韓国語訳が出ていると思いますけれども、フェミニズム言語論と文学論に対する反論です。
 勘違いしないで欲しいのですけれど、僕は社会理論としてのフェミニズムにはまったく反対していません。そうではなくて、それが適用されるべき領域(政治や経済や社会問題)には適用し、それが適用するのが不適切な領域(映画や文学)に持ち込むのは抑制的であって欲しいと言っているだけです。
 その頃フェミニストたちの集会で「身体論」についての講演することがありました。講演の後に、フロアーにいたフェミニストから「あなたの身体論は100%男性至上主義的な観念論である」と言われました。僕の語る身体論には全くジェンダーの観念がないからだそうです。彼女によると、女性は自分の身体を考えるときに、おのれの女性性をまず意識し、徹底的にそれに繋縛される。ところが、内田はそのことが全然わかっていないと言われました。
 僕はしかたなくこう反論しました。もし、自分の身体をとらえるときに、「私は日本人としてしか身体をとらえることができない」とか「私はキリスト教徒としてしか身体をとらえることができない」とかいう人がいたら、「国籍とか信教とかいう人工物を経由してしか身体にアプローチできないとは、ずいぶん不自由ですね」と僕なら言います。
 僕たちが武道で扱っている身体は、骨格筋とか関節とかいう解剖学的な身体から始まって、呼吸や経絡や「気の流れ」のような計測不能のものにまでに及びます。そのレベルでの活動には、自分が社会的に何者であるかというようなことはもうまったく関与しません。分子生物学レベルには、人種も国籍も信教も年齢も性別もありません。ですからもし、あなたが「私たちにとっての身体とは『女性であること』に尽くされて、いついかなる場合でも『女性であること』から抜け出すことができない」と本気で思っていらっしゃるなら、あなたは武道にはまったく向いていないですと答えました。
 僕はどんなものであれ「原理主義的なもの」が嫌いなのです。そして、原理主義的立場から「できあいのものさし」でものごとの良否を査定できると思っている人たちが嫌いなのです。
 
 では、僕のレヴィナスに対する「帰依」はどうなのか、それは原理主義ではないのか、というお訊ねが続きます。
 ご存知の通り、僕は「レヴィナスの弟子」であって、「レヴィナス主義者」ではありません。「レヴィナス主義者」であるためには、「レヴィナスが何を言おうとしているか私は知っている」ということが前提になります。そうであるからこそ「レヴィナス主義に照らして」、ものごとの良否を判断できる。でも、僕はそもそも「レヴィナスが何を言おうとしているのかよくわからない」から「弟子」をしているわけです。40年以上読んで来て、まだよくわからない。そんな人間が「レヴィナス主義」の名において、何ごとかを断定的に述べることはできません。
 僕がしているのは「伝道」です。「とにかくレヴィナスを読んでください」と道行くみなさんにとりすがって懇請している。
 ですから、僕はこれまでさまざまな方のレヴィナス論を読みましたけれど、一度として「おまえはレヴィナスが読めていない」とか「おまえのレヴィナス理解は間違っている」とかいう論評をしたことはありません(されたことは多々ありますが)。それは他人のレヴィナスの理解度を査定する権利が僕にあるとは思っていないからです。
 レヴィナスは「開かれた謎」として等しくすべての読者の前にあります。そこからひとりひとりの読者はその人固有の「意味」を読み出し、それを通じて、知性的・感性的・霊性的な成熟を遂げることができる。僕の仕事は「レヴィナスという人がここにいるよ」と告げるだけです。レヴィナスをどう読むかは、ひとりひとりの自由です。そういう人間のことを「レヴィナス主義者」と呼ぶことはできないと思います。

 最後に「筆誅」の件ですけれど、これはあるフェミニストがレヴィナスはただのセクシストだと評したことに対して、「伝道者」として抗議したものです。レヴィナスであれ誰であれ、「縮減する読み」に対して僕は抗議します。自分に理解できないところについては、「理解するに値するものは何もない」というのは、いくらなんでもひどい。
 レヴィナスをどう読むのもその人の自由ですし、「私はレヴィナスをこう読んだ」ということを語る自由はどなたにもあります。多様な「読み」が共生することが何よりの僕の願いです。ですから、「私はこう読んだ。そして読む価値がないと判断した。だから、みんなも読むな」という方向に読者を導くような読みは「伝道者」としては許すわけにはゆきません。それだけの話です。お分かり頂けたでしょうか。


http://blog.tatsuru.com/2024/01/17_1736.html

17. 中川隆[-10879] koaQ7Jey 2024年4月16日 17:23:37 : HONZEEU5Kw : cVFmQW5SS1dDU2s=[5] 報告
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2024年04月16日
飯山陽が劣勢な理由 / 左翼の長い影
http://kurokiyorikage.doorblog.jp/archives/68956522.html

日本の若者は国家意識を無くした

student riots in Japan 213Japan in 1980s
(左 : 全共闘に精を出す大学生 / 右 : 80年代のバブル景気に浮かれた日本人)

  日本の政治が混迷し、没落の一途を辿っているのは、日本人にデモクラシーが適していないからだ。そもそも、民衆が代議士を選ぶことじたいが間違っている。「政治は武士の役割」というのが日本の國體(constitution)だ。幼い頃から忠君愛国を叩き込まれた武士と、目先の利益だけを追求し、受験勉強が唯一の苦労というのが平民の子供だから、才幹と気概の点で後者は比べものにならない。

  しかも、昭和の教育が劣悪で、敗戦となるや、共産主義者と反日主義者が大繁殖。日本の政治を“左傾化”させ、“鬱血状態”や“没落の悪循環”に導いたのは、何も占領軍だけのせいじゃない。アメリカ軍の“威光”を利用して出世を謀った「敗戦利得者」や学生運動で“有頂天”になった「アンファン・テリブル(enfant terrible)」*にも原因がある。(*「他人に迷惑を掛けても平気なガキども」という意味。) 歐米諸国と同じく、我が国も「高学歴社会」となっているから、政治家や官僚、企業経営者、地方公務員、ホワイトカラーの専門職、研究所や工場の技術者などは、程度の差こそあれ、「大卒者」で占められている。となれば、大学教師は未成年の精神構造に大きな影響を与える立場にあるはず。日本人の精神がどこか異常で、奇妙なくらいに歪曲しているのは、小学校から大学に至るまで、左翼陣営の「非国民化イデオロギー」が浸透しているからだ。

  日本の先を歩く米国では、幼稚園から大学までリベラル派の独擅場となっている。以前、ブルックリン・カレッジのミシェル・ランバート(Mitchell Langbert)准教授と、ヘテロドックス・アカデミー(Heterodox Academy)研究所のショーン・スティーヴンス(Sean Stevens)所長が大学教員に関する調査を行ったことがある。彼らが実施した教員の政治意識調査によれば、民衆党支持者が共和党支持者を大きく上回っており、約「9対1」の割合であることが判った。(Christian Schneider, 'Democratic professors outnumber Republican ones by 9 to 1 ratio, according to new data', The College Fix, January 22, 2020.)ランバート氏とスティーヴンス氏は、政党に登録している1万2千372名をサンプルにして大学教授の政治指向を調査したが、驚くことに、そのうちの48.4%が民衆党員であり、共和党員はたったの5.7%しかなかった。これが一般国民だと違っており、29%が民衆党員で、26%が共和党員となっている。この調査では、政治献金についても質問がなされており、民衆党の候補者に献金した教授と共和党の候補者に献金した教授の比率は、「95対1」であったというから、まさしく目眩がする数字だ。

  たぶん、日本でも状況は似たり寄ったりだろう。国立や私立の区別はなく、ほとんどがプロ左翼かピンク・リベラルとなっている。今では「遠い昔の出来事」となっているが、1960年代から70年代にかけての大学は、左翼分子の特殊部落であった。文学部や法学部、教育学部、史学部などはもちろんのこと、自然科学を専攻する学生でも、全学連や全共闘に加わって暴れ回っていた。明治から昭和の前半くらいまで、教師と学生との私的な交流というものがあったが、フランスの極左学生みたいな連中が増えたことで、日本の伝統はズタズタになってしまった。教授を皆の前で罵倒し、吊し上げることを喜んでやっていたんだから、支那の文化大革命と同じだ。

Jean-Pierr Duteuil 213343(左 / ジャン・ピエール・デュトゥール)
  1968年5月には悪名高きフランスの左翼暴動が起きたけど、日本でもこれに触発されたのか、左巻きの大学生がキャンパスで猿真似に興じていた。パリの5月暴動で学生の先頭に立っていたのは、札付きの“赤い三人衆”で、ドイツ生まれのアシュケナージ・ユダヤ人たるダニエル・コーン・ベンデット(Daniel Cohn-Bendit)、アルザス出身のユダヤ人であるアラン・ジェスマル(Alain Geismar)、そしてPSUに属していた社会主義者のジャック・ソヴァジョ(Jacques Sauvageot)であった。コーン・ベンデットの親友であったジャン・ピエール・デュトゥール(Jean-Pierr Duteuil)は、アナーキストのマルキスト。父親も筋金入りのマルキストであったから、親子代々の共産主義者だ。

Daniel Cohn Bendit 0324Alain Geismar 21334Jacques Sauvageot 324Oda Makoto 992
( 左 : ダニエル・コーン・ベンデット / アラン・ジェスマル / ジャック・ソヴァジョ / 右 : 小田実)

日本の左翼学生も様々で、ある者はマルクス・レーニン主義の心酔者。また、ある者はスターリンの独裁政治を批判し、志半ばで斃れたレオン・トロツキーを尊敬するクルクルパー。ユダヤ人の共産主義に馴染めない田舎者は、毛沢東主義者となって「アジアとの共存」を掲げていた。小田実(おだ・まこと)に感化された極左は、ベトナム戦争に反対し、観念論で「アジアとの連帯」を呼びかける始末。

Ooe Kemzaburo 324(左 / 大江健三郎)
  ちなみに、小林秀雄から「気味の小説は小説じゃない」と酷評にされた小説家の大江健三郎は、フランスの左翼やユダヤ人哲学者のサルトル(Jean-Pierr Sartre)に憧れていたのか、ナイト・クラブの酌婦の前では「僕、アルジェ生まれ」と嘯(うそぶ)いていた。一緒に居た阿川弘之は「何言ってやがんだ! お前は愛媛生まれじゃないか!」と腹を立てていたけど、遠藤周作は隣で笑っていたのかも。

  とにかく、呆れてしまうが、当時の左翼学生は“本気”なのか“ファッション”なのか、何が動機で学生運動に参加したのか判らない。だだ、60年安保闘争の世代と同じく、70年代に新左翼にのめり込むような連中は、カルト宗教の信者と変わりがなかった。ヘルメットをかぶり、ゲバ棒を持って機動隊に突っ込んだ連中は、まさしく人生を棒に振ってしまったし、逮捕された者は「前科者」となって、まともな就職先が見つからなかった。闘争の末に障碍者となった学生は、「後悔先に立たず」を実感する。しかし、上手く立ち回った連中は、藝能界やマスコミに潜り込んだ。法学部の学生は、仙谷由人のように法曹界を土俵とし、人権派弁護士になっていた。朝鮮人の支援者になる弁護士が多いのも、左翼教育の結果である。

Kan Naoto 8243(左 / 菅直人)
  「ズルカン」と呼ばれた菅直人は、東工大の暴力学生ではなかったが、日本への憎しみを“売り”にする「市民活動家」へと変貌していた。師匠の市川房枝からも「駄目な奴」と思われていたのに、マスコミの支援で我が国の総理大臣になれたんだから、永田町には悪魔と貧乏神が混在しているんだろう。だいたい、民主党の「サポーター」には国籍条件が無かったから、在日朝鮮人が「サポーター」になっていてもおかしくはなかった。

  菅直人はあるインタビューで自分の過去を偽っていた。「暴力では社会は変えられない。私はもともと、社会の矛盾をひとつひとつ解決していくという改革派なんです。そういう意味では、いまに至るまで挫折感はない」*と語っていたが、単に“卑怯者”だから仲間を見捨てただけだろう。 (*註 / 臼井敏男『叛逆の時を生きて』朝日新聞出版、2010年, p.197.)後に、機動隊を率いていた佐々淳行が茶化していたけど、菅直人は武闘派の学生じゃなかった。第五列や第六列といった後方に隠れ、逃げ足だけは早い卑劣漢であったから、障碍者にならず、弁理士になれたのだ。菅は「市民運動」とやらに邁進したが、その根底には松下圭一(法政大学教授)のドス黒い政治思想が流れていた。

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(左 / 坂本龍一)
  「元左翼」というのは藝能界 にも潜んでいる。例えば、都立新宿高校で左翼運動に熱心だった故・坂本龍一は、東京芸大に進んでYMOを結成したが、高校時代は左翼生徒であった。1980年代、シンセサイザーを演奏する坂本氏は、大量の電気を浪費するが、一向に気にする様子はなかった。「エコロジー」なんて頭の片隅にも無かったはずだ。当時は一風堂の土屋昌巳と同じで、「JAPAN」のデイヴィッド・シルヴィアンに憧れたのか、お化粧の方に夢中だった。

  ちなみに、同校で運動に加わっていたのは、坂本氏の先輩で、後に安倍内閣で官房長官となる塩崎恭久だ。塩崎と坂本の二人は、機動隊が入る前の安田講堂に足を運んだそうで、中にいた全共闘の学生らと話すことが出来たという。なるほど、生徒会長になった不良生徒(塩崎氏)が、荒れ狂う東大に赴いて、「自由」や「個性」を学んだというわけだ。さすが、二年生を率いて校長室を占拠する生徒会長は、ひと味もふた味も違っている。

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(左 / 塩崎恭久 )
 大臣を経験した塩崎氏は、議員を引退すると地元の愛媛で里親の支援をしているそうだが、自身の「転向」をどう思っているのか? だいたい、高校生の時からバリケード封鎖をしていた不良生徒が、政界に入って厚労大臣となり、不憫な子供に“温かい家庭”を斡旋するんだから、機敏なカメレオンだってビックリだ。息子の塩崎彰久はオヤジの地盤を引き継ぎ、今では自民党の代議士で、厚生労働政務官となっている。ホント、岸田文雄に林芳正、河野太郎、小渕優子、小泉進次郎といい、永田町にはボンクラの世襲議員がゾロゾロいる。一般国民というのは、自分の投票で子や孫の将来を台無しにしているが、その自覚が無いところに真の悲哀がある。

  演出家のテリー伊藤も、日本大学で学生運動に勤しんだ一人である。ただ、機動隊との衝突で一生涯の障碍を背負ったから悲惨だ。彼が機動隊から逃れる時、後ろに居た誰かが石を投げたという。不幸にも、その石が偶然、彼の左目に当たってしまい、伊藤氏は斜視になってしまった。藤竜也みたいに、同大学の芸術学部に入って映画界にスカウトされる方が、よっぽどマシである。下らない大学をさっさと辞めて、大好きなスポーツ・カーを買った方が遙かに健全だ。真田広之も日大の学生だったが、左翼分子にはならず、役者の世界に入った。二枚目俳優だから当然だけど、デビューして直ぐに『忍者武芸帖 百地三太夫』の主役なんだから凄い。(筆者も劇場で観たけど、真田氏の出演作品の中では一番いい。現在、彼はハリウッドの『Mortal Kombat』や『Shogun将軍』に抜擢され、ステレオタイプの「日本人」を演じているが、昔の方が良かった。)

  NHKの贔屓を得た小説家の高橋源一郎も、横浜国大で暴れ回ったうちの一人だ。彼は学生運動で逮捕されたり拘留されたりと、散々な青春時代を送っていたが、後に小説を書いて有名人となった。拘置所では“沈黙”を貫いたそうで、朝八時から夜の八時まで、12時間もずっと下を向いて黙っていたというから、ある意味“真面目な奴”だ。でも、取り調べの後に独房入りだから、正常な精神状態ではなかったはずだ。実際、一種の失語症に罹ったみたいで、喋るときの発音が難しくなったそうである。大学を除籍になり、筋肉労働者になっても、小説家になれたんだから良かったじゃないか。しかも、明治学院大学で教授になれたし、無事退職したことで“オマケ”として附いてくる「名誉教授」にみなれた。しかし、国際学部の学生はどんな気持ちで彼の授業を受けていたのか?

ポルシェに乗っていた左翼学生

  大学で暴れていた一般の左翼学生というのは、一種の“お遊び”に興じていた不真面目な人々で、内心では政府転覆など考えてもいなかった。要するに、みんなでワッショイ、ワッショイ、と騒いでいると、何となく自分が日本全体を動かしているように思えたのである。令和の大学生が聞けばシラけてしまうが、全共闘に共鳴するアホな学生は、「チェ・ゲバラに倣え、我らも社会主義革命を!」とか、「差別の元兇たる天皇制を打倒せよ!」、「ベトナムを侵掠する米帝國に反対!」「在日米軍基地を許すな!」と本気(?)で叫んでいた。

  筆者が高校生の時、御茶ノ水駅附近にある楽器店でギターを買ったことがある。そのついでに神田の三省堂に立ち寄ろうとしたが、途中で目にした明治大学の風景のせいで気分が悪くなった。入り口や塀には汚い看板がズラリと並んでおり、殴り書きの文字(日本や米国を呪う罵倒のスローガン)が踊っているように見えた。当時、筆者は看板を眺めながら、「アルフォンス・ミーシャ(Alfons Maria Mucha)のようなアール・ヌーヴォー風じゃなくてもいいから、もっと美しい文字で綺麗なイラストを附ければいいのに・・・。」と思ったものである。しかし、怨念に凝り固まった学生には、美術的センスは皆無だ。どいつもこいつも紅衛兵みたいな奴らばかり。「安保反対」を掲げながら「国防軍の創設」を主張しない学生は、一体どんな頭をしているのか? 左翼学生というのも呑気なもので、フォーク・ギターを片手に、ボブ・ディランやジョン・レノンの歌を奏でて喜んでいる。一方、ノンポリの学生達は酒を飲みながら、共産主義の幻想に酔いしれていた。

student riots 1970sStudent riots in Paris 2134
(左 : 学園闘争に熱中する日本の大学生 / 右 : パリで抗議行動に没頭するフランスの大学生)

  ゲバ棒を振るう学生達も甘えん坊だ。自分たちは思いっきり火焔瓶を投げつけているくせに、いざ機動隊が反撃すると「暴力反対!」と叫ぶ。彼らは警察官が決して発砲しないことを確信していたから、安心して角材を振り回していた。国家に刃向かっても、“国家権力(暴力装置)”は決して民衆を射殺しない、と信じ切っている。支那大陸で北京政府に反抗したら、即座に“皆殺し”か戦車で轢き殺されるのがオチだ。北朝鮮なら学生全員が逮捕され、どこかの広場で公開処刑だろう。もしかすると、あっさりとした銃殺じゃなく、「てるてる坊主」みたいに軒先で縛り首だったりして。場合によっては、牢獄で餓死とか。

  まぁ、みんなと一緒に「武力闘争」をしているうちは、危険なようで気楽である。ところが、いざ卒業が目の前にチラつくと大変だ。おちゃらけ学生は急に“現実”が怖くなる。長髪でジーンズ姿の青年も、就職面談となれば、長い髪を切って清潔感を出すしかない。彼らは親に買ってもらった背広を着込み、真剣な面持ちで会社に赴く。面接で過去を詮索されないか、とヒヤヒヤする青年は、慎重に言葉を選びながら答える。でも、過去がバレて不合格になれば意気銷沈だ。もし、晴れて合格となれば「ああ良かった!」と胸をなで下ろす。

  在学中に勉強しなかった学生は、どうしたものかと思い悩んだ。でも、「体育会系」を前面に出してアピールすれば何とかなった。「一生懸命頑張ります!」と言えば鉄鋼メーカーに入れることもあったし、営業部では忍耐と体力が重要だ。理系の学生ならもっと有利で、金属プレス加工や化学製品のメーカー、あるいは精密部品の製造企業に受け容れられたりする。ちょっとコネがあれば総合商社に入れたし、テレビ局や新聞社、出版社は「ゴキブリ・ホイホイ」みたいな受け容れ先だった。元々労働組合やリベラル知識人が強いから、“学生運動の落ちこぼれ”でもOK。上司にも「左翼シンパ」や「左翼崩れ」がウヨウヨ居るから大丈夫。読売のナベツネだって元左翼(共産主義者)じゃないか。

  東京大学や早稲田大学、日本大学、法政大学などで左翼運動に係わっていた連中は、どこから“資金”を得ていたのか判らないが、上層部の学生には“とんでもない奴”が紛れていた。例えば、早稲田大学の荒岱介(あら・たいすけ)は飛び抜けている。彼は1965年に法学部に入るが、1968年に除籍となっていた。荒氏は「社学(社会主義学生同盟)」の委員長や「全国学生対策部長」に就任した人物で、東大安田講堂の闘争では兇器準備結集罪で指名手配を受けていた。彼は1969年4月に逮捕され、裁判に掛けられて有罪判決を受ける。刑務所には三年間服役し、1977年に出所したそうだ。塀の中に入る人間というのは“懲りない面名”なのか、荒氏は人生で七回も逮捕されたという。ちなみに、府中刑務所では民族派右翼の野村秋介(のむら・しゅうすけ)と一緒だった。

  学生運動を知らない世代は、マスコミのプロパガンダ記事に騙され、純粋で真剣な学生が腐敗した政府に反抗したと思っている。だが、教室を占領した連中なんて、ほとんどが“チンピラ左翼”か“俗物”でしかない。令和の大学生が驚いてしまうのは、荒氏が「ポルシェ」に乗っていたことだ。彼は世間の倫理道徳や組織上層部の説教が嫌いで、自らの欲望を満たすことに何の躊躇(ためら)いも無かった。荒氏は言う。

 ・・・そういうこと(道徳主義)に若者を縛り、革命的規律という名の下に、好きなことをさせない、何を買っちゃいけないとか言って、市民社会からかけ離れていくということを、俺は突破したくてね。当然、若者がBMWに乗りたいというのもいいわけじゃない。・・・俺は文化に出あいたかったんだよ。自動車はドイツ生まれで、ポルシェで言えばフェルナンド・ポルシェが作った文化である。そういう文化を知りたい、乗って味わいたいと思った。そんなの当たり前だと思う。(宮崎学『叛乱者グラフィティ』朝日新聞社、2002年、pp.84-85.)

  平成の緊縮財政で貧しい生活を“当然”と考えるようになった学生からすれば、「いった、どんな奴なんだ?」と思ってしまうだろう。しかし、1950年代から70年代までの日本だと、意外にも高額所得者の子供で左翼になる者が少なくなかった。(「元左翼財界人」に関しては別の機会で紹介したい。) チェ・ゲバラに憧れ、ベトナム戦争に反対し、人民解放のために革命を目指す荒氏であったが、段々とレーニン主義者や新左翼に懐疑的となったそうだ。彼は1990年代になると従来の思想を棄ててしまい、今度は「エコ左翼」というか、世田谷か吉祥寺に棲息する「環境革命家」へと転向する。荒氏によれば、左翼闘争はゲバ棒から火炎瓶、さらに重火器から爆弾へとエスカレートするので、世間との隔たりが大きくなってしまうという。彼は次のように述べた。

  まぁ、現実との関係においては、現実に理論が接近するんじゃなくて、現実に理論が接近できなくなってしまって、あるべき姿の方向に現実を接近させろというふうにますますなっていったんだよ。(上掲書、p.88)

  つまり、左翼学生がどんな理想を語りかけようが、世間の人々は振り向かず、むしろ軽蔑の眼差しで“距離を取る”という訳だ。確かに、1970年代の新左翼運動の頃から、一般の大学生には、ある種の“変化”が訪れていた。安保闘争の世代は、Tシャツにジーンズといった薄汚い格好であったが、新世代の学生は、米国のアイビィー・ルックを真似て、紺色のブレザーにネクタイを締めていた。街を歩くと、身綺麗な若者が、「VAN」のロゴが印刷された紙袋を手に提げ、友人や恋人と楽しそうに話している。こんな光景を目にした若者からすれば、新宿や代々木でマルクス理論を語るなんて野暮天だろう。恋人と一緒に銀座へ赴き、ウィンドー・ショッピングを堪能する方がいい。ウッドストックでのヒッピー姿なら分かるけど、麻布や目黒、あるいは新橋や神楽坂で、日本人がヒッピー・スタイルを真似ても、それは滑稽でしかない。

Ivy Look in America 2143Ivy style Americans 662
(左 : 東部の有名大学に通うエリート学生 / 右 : アイヴィー・スタイルのアメリカ人 )

  高級ブランドのVANで身を包んだお坊ちゃん達は、早稲田や法政の田舎者とは違っていた。美形の女子学生と一緒に喫茶店に入り、ジャズでも聴いている方が“格好良く”思えたのだ。一世を風靡したVAN-JAC社は、1978年(昭和53年)に営業不振で潰れてしまうが、1980年代の大学生は、もう学生運動には戻らなくなっていた。好景気は青年の精神を変えてしまうものだ。この世代は小難しい哲学議論より、ショット・バーに通って仲間と談笑したり、人気のディスコで踊り明かす方をキャンパスライフと考える。デートになればスポーツカーを用意し、女の子を乗せて軽井沢に直行だ。苗場のスキー場に赴けば、ロマンティックな夜で意中の女性を口説こうとする。「ブハーリン」と聞いても、「それ、ロシアのウィスキー?」と尋ねる世代に、共産主義革命なんて無理だろう。

  それでも、学生運動が忘れられない世代は、財界やマスコミ界で息を潜め、嘗ての仲間や後輩の左翼学生を支援する。朝日新聞と連携するテレビ朝日などは、『ミカドの肖像』で大宅壮一ノンフィクション賞を得た猪瀬直樹を持て囃し、「朝まで生テレビ」や「ビートたけしのTVタックル」に招いていた。当時の一般視聴者は猪瀬氏の過去や素性を知らず、『昭和16年夏の敗戦』を書いた著者とか、道路公団を批判する反骨の知識人、と思っていた。(『国民新聞』の読者は違うけど。)

Inose Naoki 823(左 / 猪瀬直樹)
  東京都の副知事から都知事に登り詰めた猪瀬氏は、作家になる前に、信州大学の全共闘議長を務めていた。闘争は1969年6月、文学部のバリケード封鎖から始まったというが、猪瀬氏は全共闘の主力部隊を率いていたそうである。しかし、学生運動には国家を根本的に変える中身が無かった。口先だけの学生達は、単なる観念論じゃだ。動物園で飼われているナマケモノが、「百獣の王」を気取っているようなものだ。職員から餌をもらっているシマシウマに、弱肉強食のジャングルなど解らない。学生運動にのめり込んでいた猪瀬氏も、何となく「世間の風」という“壁”に気づいていたのだろう。

  ある時、彼は国際反戦デーや佐藤栄作首相の訪米阻止のために上京するが、そこで目にした光景は彼の人生を変えるものであった。東京にやって来た猪瀬氏は、新宿の裏通りでコーラを買おうとしたそうだ。そこで、猪瀬氏は表通りから裏通りに足を運んだわけだが、迷い込んだ場所にはパチンコ屋があって、軍艦マーチが流れていたという。突然、猪瀬は通りを一つ隔てただけで“別の世界”があることに気づく。彼は当時を回想し、次のように述べていた。

 そこには日常性があるわけですよ。そのころから、学生運動はこんなものだな、という自覚はあった。学生運動で世界が変わるなんて思っていなかった。日常性の連続がふつうの生活なんです。そして日常性から日本の近代やナショナリズムをもう一度とらえなおさないといけにないと思った。(臼井敏男『叛逆の時を生きて』、p.145.)

  猪瀬氏によれば、1960年代の学生運動は、69年の佐藤訪米阻止闘争で終わったそうである。(上掲書、p.144.) 「あの時点で九割の人は学生運動を止めた」というから、岩波書店の『世界』や『朝日ジャーナル』で活躍していた左翼知識人は、闘争時代の「残滓」なのかも知れない。猪瀬氏は信州大学を卒業後、東京の出版社に勤め、そこの給料で大学院への資金を貯めるにしたそうだ。

  まぁ、左翼組織が強い明治大の大学院だから、心からの“転向”は無かったと思うが、『週刊ポスト』に連載を持ったり、実際の政治に係われば、イヤでも“現実の世界”が判ってくる。学生時代には“綺麗事”を並べていればそれで良かったが、実際の仕事になれば汚いことだって進んでやるしかない。代表作の『ミカドの肖像』だって、“ネタ本隠し”があったそうで、元ネタは早川和廣の『堤義明 悪の帝王学』や草野洋の『西武商法 悪の構図』であったという。たぶん、“パクリ本”とバレるのが恥ずかしかったのか、猪瀬氏は引用先の出典を挙げていなかった。でも、佐野眞一がそれを暴露したから万事休す。『ミカドの肖像』を作成するに当たって、ノンフィクション作家の池田房雄とジャーナリストの岩瀬達哉が協力したそうだ。この二人がネタになりそうな題材とデータ集めに奮闘したそうで、猪瀬氏は触れられたくない過去の暴露に怒っていた。

  最近、国会議員の裏金問題化や悪徳知事の横暴が話題となっているが、そもそも日本人にはデモクラシーなんて“体質”に合わない。選んでいる国民が、選んだ政治家を嫌っているんだから本末転倒である。例えば、愛知県の大村秀章知事は、衆議院で出世の見込みがないと分かった鞍替え組で、津田大介に理解を示すなんちゃって左翼。静岡県の川勝平太知事は、支那人と昵懇で国益の売却者だ。しかも、大学教授の時からパワーハラスメントの常習者ときている。徳島県知事に鞍替えした後藤田正純は、“下半身検査”で不合格となった不適格議員。2000年から2022年まで、ずっと再選を果たしてきたのに、なぜか一度も大臣になれず、衆議院に見切りをつけての知事選だった。

  赤く染まった北海道は、反日や共産主義者の産地となっている。知事の鈴木直道は北海道出身じゃないけど、支那人に国土を明け渡す売国奴。有名な「夕張リゾート」は2017年、支那企業の「元大(げんだい)リアルエステート」に“たった2億円”で売却されてしまい、2019年になると、この支那企業が香港系のファンドに15億円で転売だ。本当に酷いけど、これが現実の北海道である。二階俊博に可愛がられるくらいだから、鈴木知事がどんな人物なのか、誰にでも分かるだろう。

  今、東京15区の補欠選挙が世間の注目を集めているが、世論調査で首位に立っているのは、共産党の支援を受けた立憲民主党の酒井菜摘(さかい・なつみ)である。二番手は日本維新の金澤結衣(かなざわ・ゆい)で、日本保守党の飯山陽(いいやま・あかり)は、地元民からの知名度を得るだけで精一杯。もし江東区民が正常なら、飯山氏がトップに立っているはずだけど、地元民は「この人誰?」といった反応だ。

飯山あかり00213(左 / 飯山陽)
  飯山氏は移民流入の深刻さを解っているので、平穏な暮らしを望む庶民からすれば、彼女が最も相応しい国会議員となるはず。だが、一般国民は左翼教育のせいで健全な判断能力を持たない。普段は常識的な人でも、政治となれば、ちょっと左寄りとなってしまい、無意識のリベラル派で候補者を選ぶ。左翼教育の影は長く、薄くなったように思えても、人々の脊髄に残っている。我が子や地元の将来を大切にする庶民が、知名度だけで左翼分子に投票し、自ら「故郷の破壊者」となってしまうんだから、本当に憐れだ。せめて自民党支持者の七割くらいが飯山氏に投票するのであれば、まだ救いがある。しかし、左巻きにされた国民が正常な判断を下すとは思えない。乙武候補がコケたことくらいが救いである。
http://kurokiyorikage.doorblog.jp/archives/68956522.html

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