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ワーグナー 楽劇「トリスタンとイゾルデ」
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投稿者 中川隆 日時 2020 年 1 月 19 日 21:55:49: 3bF/xW6Ehzs4I koaQ7Jey
 

(回答先: ドイツ人にしか理解できないブラームスが何故日本でこんなに人気が有るのか? 投稿者 中川隆 日時 2019 年 10 月 19 日 08:22:18)

ワーグナー 楽劇「トリスタンとイゾルデ」


Tristan und Isolde Braun Treptow Klose Knappertsbusch Munich 1950 LIVE


Wagner - Tristan und Isolde Opera (Flagstad,Suthaus - recording of the Century : W.Furtwängler)

 

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コメント
1. 中川隆[-14327] koaQ7Jey 2020年1月19日 21:56:45 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-1237] 報告



ワーグナー 楽劇「トリスタンとイゾルデ」2017 JAN 7 by 東 賢太郎
https://sonarmc.com/wordpress/site01/2017/01/07/ワーグナー-楽劇「トリスタンとイゾルデ」/

ロンドンで日々東洋の若僧を感化してくれたお客さまがたの平均像は年のころでふた回りうえ、オックスブリッジ卒のアッパー、保守でした。シティは決してそんな人ばかりではないですが、僕が6年間担当して自宅に呼んだり呼ばれたりの深いおつきあいしたのはそういう方々が多かったようです。人生を処世術をずいぶん教わりました。なんたって大英帝国の精神を継ぐ保守本流の人達だから影響は受けました。

そのせいか、最近コンサーバティズム、トラディショナリズムでかたまった英国のおっさんみたいになってきたな、まずいなと自分で思うこともあります。夏目漱石はロンドンに2年半いて神経衰弱になって帰ってきましたが、それでも彼も影響を受けたのだろう、英国経験者だなあというのは猫に語らせた日本を見る冷めた視線なんかに感じます。ひょんな処で共感を覚えるのは面白いものです。

中でも親しくしていただいた大人の趣味人Cさん。「英国のゴルフクラブは女人禁制だ、なんでかわかるか?」「は?」「女には教えない方がいいものがあるんだ」。クラシック通の彼とは共に夫人同伴でロイヤル・フェスティバルホールに何度も行きましたが「オーケストラに女が多いと台所に見える」と言った指揮者の支持者であることを奥方の前で開陳することは禁じられていました。

女には教えない方がいいもの。今は何事も女性の方が知っていたりしてそんな言葉は化石になりましたが、ワーグナーの音楽、とりわけトリスタンはどうなのか?そう自問すると、これはまだ難しいだろう、やれやれ男の砦が残っていたわいと安心などするのです。この楽劇への僕の見解はCさんも、もうひとりケンブリッジ首席卒業のPさんも「そうだそうだ」とオトナの男納得のものがあったのです。

ワーグナーで好きなものというと、規格対象外のリングは置くとして、トリスタンなのかなあという気がします。解決しない和声は基音なしという意味でドデカフォニー(12音技法)と同じ思想で、それをあの時代に想起したというのも驚きですが、そのグランドデザインで全曲を一貫してしまおうという発想はさらに凄すぎます。

この音楽を聞いてどう感じるかは人それぞれでしょう。僕にとって基音(トニック)回帰なしというのは主なき王国、あてのない旅であります。あるべきものがない、来るべきものが来ない。道すがらどんな美しい景色や人間ドラマがあろうが、それに至らないと満ち足りず、そこまでの道のりが長ければ長いほど渇望はいや増しに増して、どうしようもなく満ち足りません。

そう、この音楽はワーグナーが聴き手に課す4時間にわたる過酷な「おあずけ」のドラマです。西洋音楽のカデンツになれ親しんだ者にほど、つまり教会で日課のようにそれを聞いたり歌ったりして育った当時の歌劇場の聴衆のような人々にとってこれは未知なる彷徨であり、伝統を知っている者ほどつらい。つらい分だけ最後にそれから解放される天国の花園ような光景は忘れ難く、また訪れたくなる。今日的にいうなら、耳の肥えた人にほど常習性があるのです。

あたかも曲全体がトリスタンが飲んだ媚薬であって、この無間地獄に曳きずりこまれようものなら永遠にぬけられません。

ワーグナーがこれを、ジークフリートを中断してまで書きたくなったのはマティルデ・ヴェーゼンドンクとの関係があったからとされますが、W不倫という今なら格好の文春ネタをやらかしたワーグナーにとって「愛」は追っても逃げる幻であり、こう書いてます。

「憧れるものを一度手に入れたとしても、それは再び新たな憧れを呼び起こす」(R・ワーグナー、ヴェーゼンドンクへの手紙より)
正に彼は憑りつかれたようにそういう音楽、無限旋律を延々と書きつらね、
「愛の憧憬や欲求がとどまるところを知らず、死によってしか解決しない」 (同上)
と、音楽の最後の最後に至って、その通りにトリスタンを死なせておいて和声を初めて解決するのです。G#m、Em、Em6、Bと静かにそれはやってきて、楽譜Aのuna cordaからのg#、a、a#、b、c#のオーボエが旋律線として聞こえますが、

楽譜(A)
https://sonarmc.com/wordpress/site01/files/2017/01/tristan2.png

この旋律は前奏曲冒頭(楽譜B)のトリスタン和音のソプラノ声部であって、音名まで合致させているのですね(青枠内)。頑として溶けまいと拒んでいたこの4小節がついに陥落して究極の安寧のなかに溶け入る様は何度聴いても僕を陶酔させてくれます。

楽譜(B)
https://sonarmc.com/wordpress/site01/files/2017/01/tristan11.png

そしてここが重要です。エンディングがあまりに素晴らしいので「初めて解決」と書いてしまいましたが、実はuna cordaの7小節前に、つまりイゾルデの「愛の死」の歌の最後にE、Em、Em6、Bという楽譜(A)の疑似的和声連結が出てきています。

つまり解決はイゾルデという女性によってなされている。

楽譜(A)でたどり着いたロ長調。トリスタンの死によって彼の追い求めた愛は憧憬でも欲求でもなくなり、天空に姿を結ぶのです。

この筆舌に尽くし難いほど感動的なエンディングは不倫がバレてチューリヒを追われ行き着いたヴェネチアのフラーリ聖堂の祭壇画、「アスンタは聖母ではない。愛の清めを受けたイゾルデだ」と言ったティツィアーノの『聖母被昇天』(左)のイメージだったのではないでしょうか。

https://sonarmc.com/wordpress/site01/files/2017/01/800px-Tizian_041.jpg

ロ長調の終結について、僕は以前ブログにしており、ご覧いただいた方もおられると思います。

バーンスタイン「ウエストサイド・ストーリー」再論
https://sonarmc.com/wordpress/site01/2016/11/15/バーンスタイン「ウエストサイド・ストーリー」/

そこに書きましたようにハ長調は自然、ロ長調は人間界をあらわし、ウエストサイドとツァラトストゥラにその隠喩があることを指摘しましたが、実はその元祖は第1幕がハ長調、第3幕がロ長調で終わるトリスタンなのです(注)。この2つの終結は、彼の言葉通り、天界の聖母を人間界のイゾルデに引き下ろしたのだと解しております。
(注)ちなみに第2幕終結は傷を負ったトリスタンの死を暗示するニ短調

さて、この楽劇がなぜ男の牙城なのか。それは男なら言葉は不要、しかし女性に教えようとすると言葉で表わすしかなく、お下品なポルノまがいになってしまうからなのです。

それは前奏曲のエンディングから29小節前で何がおきているか?から始まる長い長い物語(時間)で、ワーグナー自身が媚薬にうなされマティルデとの逢瀬のうちに見た白昼夢だったのではないか?そこには船に乗ってやってくるイゾルデを待つワーグナーがいたのではないか??「愛の二重唱」はクライマックス寸前で待ったがかかり、運命の「おあずけ」にあって苦悶する彼をとうとう解き放ってくれたのはイゾルデだった、そこで何がおきたのか?

男性諸賢はわかっていただけると信じますが、これは只の悲しい男のさがの描写ではない(かなり写実的ではあるが)、後に現実に他人の妻を寝取ってしまった男の書いたものなのだということです。トリスタンを初演したのがコジマを寝取られたハンス・フォン・ビューローであり、ワーグナー自身が昇天したのがかつて『聖母被昇天』に心を吸い寄せられたヴェネチアであったというのも因縁を感じさせますね。

女には教えない方がいいものは僕にはありませんが、しかれども、この楽劇の男の体感目線をエレガントに女性に説明する筆力は僕にはございません。イゾルデはプリマではなく女神、観音様に見えるのであって、トリスタンは多少へぼでもよし、イゾルデがどうか?で僕のこの楽劇への評価は決まるのです。

私はあなたに、このオペラがこれまでの音楽全般の頂点に位置しているということを断言いたします。(ハンス・フォン・ビューロー、雑誌編集長あて書簡)

Tristan was the “central work of all music history”.(Leonard Bernstein)

まったく同感であります。これを聴いて、ドビッシーのペレアスがどうこの世に生を受けたかがわかるのです。そこで男たちの、王国の運命をひきずりまわすメリザンドはイゾルデの末裔とうつります。
イゾルデ歌手の好みですが、これは趣味の問題なので自分で選ぶしかありません。代表的なところで個人的には、フルトヴェングラー盤のフラグスタートは可、カラヤン盤のデルネシュは重くて不可、ベーム盤、ショルティ盤の二ルソンは霊長類最強は認めるが剛腕すぎ、クライバー盤のM・プライスは好みなんですがこの役にはきれい・かわいいすぎ、ですね。


結論です。バーンスタイン盤のヒルデガルト・ベーレンス。僕のイゾルデはこの人をおいてありません。どこといって抜群ではないのですが、まず立ち姿がいいんでね、そのままの声が出てます。ドラマティコにはどうも感じない知性と品格がありますね、この人、その世界でまったくきいたことない法学部卒ですから親近感も覚えてしまいますね。そしてなにより声ですね、高音が澄んで強いけれどもピュアで伸びがいい。オケとぴたっと音程が合う瞬間は恍惚感を覚えるほどだ。

Tristan und Isolde Bernstein Munchen 1981 LP


バーンスタイン盤は日本では不人気の部類でしょう。テンポが遅くてついていけないという。僕も始めは驚き、そう思っていたのですがだんだんわかってきました。この音楽に絶対のテンポはないのです。なにせ白昼夢ですからね、解決しない和音は移行への磁力がないですし、歌手陣、劇場、オケージョンという上演現場の条件によって可変的と思います。これとペレアスだけは音楽全般において異例の存在なのです。

これは1981年にミュンヘンで演奏会形式で3幕を別々の晩に上演した記録で、そこにバーンスタインの深い思い入れを感じます。トリスタンは全ての音楽の中心にあると看破し、ハ長調ーロ長調の対立をウエストサイド・ストーリーに持ち込んだ作曲家の眼からの指揮であり、だからこそ、この作品への全身全霊をかけた敬意と愛情を感じずにはいられません。同じものを共有する僕として、ひょんな処で共感を覚え、そうか、なるほど、だからこのテンポなのかと膝を打つことしきりです。

このトシになってわかったことですね。ベーレンスの絶対の女神、観音様ぶりにバーンスタインも心服した感動の「愛の死」は必聴です。遅いのではなく、これは時が止まっているのです。死をもって愛が成就する、それを感じることがトリスタンを心に取り込むことで、ビデオを見ると最後の「解決」で指揮台で小さくジャンプまでしているバーンスタインの発するオーラがそれを容易に感じさせてくれます。




https://sonarmc.com/wordpress/site01/2017/01/07/ワーグナー-楽劇「トリスタンとイゾルデ」/



▲△▽▼


ワーグナーは音楽を麻薬にした男である 2019 APR 28 by 東 賢太郎

ワーグナーは信じ難いエネルギーで膨大な量の楽譜を残したが、あれだけ多産ということは種をたくさん撒いたということで、まあきれいに書くなら自己顕示欲の塊だった。彼はそこに真の意味における精力絶倫までくっついているのだからきわめてわかりやすい。押しも押されぬ音楽界の大王である。注意しなくてはいけないが、中途半端だとセクハラおやじになってしまう。ところが不思議なもので、あの域までやって大王になってしまうとオッケーどころか崇拝者まであらわれるのである。その世界、過ぎたるは及ぶが如しである。

古来、大王の崇拝者をワグネリアン(Wagnerian)と呼ぶ。英語だから男女はないが、ドイツ語だとヴァグネリアナー(Wagnerianer)で男性名詞である。すると、女性である場合は法則に則って in を語尾につけ、ヴァグネリアネリン(Wagnerianerin)ということに相なる。舌を噛みそうなのでどうでもいいが、男女のリスナーに共通していることが一つある。大王の人としての評価が低いことだ。立派な男だという声は聞いたことがない。唯我独尊、誇大妄想、ホラ吹き、借金まみれ、夜逃げ、踏み倒し、壮大なる浪費癖、王様をカモにして国家財政が危ないほどむしりまくる、女はかたっぱしから寝取る。彼に罪はないがヒットラーがワグネリアンになったから危険な音楽にもなってしまった。救いようもない。しかし、それでも彼は大王なのだ。

僕の評価を言おう。ワーグナーは音楽を麻薬にした最初の男だ。トリスタンとイゾルデに媚薬が出てくる。敵同士の二人はそれを飲んで惚れあってしまう。あのシーンはワーグナーの音楽の全部の象徴ともいえる。媚薬なんてもんじゃない、麻薬である。彼は富も名声も女も、すべて自らの指が生み出す麻薬で得たのだ。中毒になったバイエルン国王ルートヴィヒ2世は湖で変死した。音楽に狂って暗殺説まである王様はいない。若きヒットラーは食費を切り詰めてまでワーグナーを観に劇場に通った。中毒と戦ってやがて離反したニーチェ。トーマス・マンの中毒はセックスと死のどろどろとして三島由紀夫に伝染した。みんなそれなりに熱くてはまり症のある一癖二癖ある男だ。やっぱり男性名詞であることに意味があるんだろうか。

では作曲家は?サウンドをまねた者は数多いる。しかし中毒症状を発して病膏肓に入ったのはブルックナーでもマーラーでもR・シュトラウスでもない。ドビッシーだ。トリスタンなくしてドビッシーはないと断言する。他の者はすべて、それに比べればなんちゃってワグネリアンに過ぎない。ペレアス、海、遊戯のスコアを見ればわかる。僕はそれを、海をシンセで演奏して発見したのだ。ドビッシーがカネの亡者とは聞いたことがないが、女にはやはりめちゃくちゃだった。オカマ系ではない、ワーグナーと同系の、男性、オスそのものである。そうでなくてトリスタンなど書けるはずもないではないか、第一幕前奏曲は男のセックスすばりの克明極まりない描写であり、なぜフェミニストの先生がセクハラ告発しないのか不可解である。解決しない和声とは男の欲求が満たされないそのものずばりなのである。それに感応したドビッシーは、和声連結をまねたりワグナーチューバを使ってみたりの薄っぺらな表層ではない、音楽の根幹、本質で深く深くワグネリアンとなり、やはり男を迷わせ破滅させるメリザンドを解決しない和声で描く。そう、はっきり書こう、両者にとって同じことは、女は客体だということなのである。主体である女性にはわからない所があると思う。

ではヴァグネリアネリンはいないのだろうか?いやいや、いるではないか。しかも、大王に負けない女王である。コジマ・ワーグナーだ。最初の夫、大指揮者ハンス・フォン・ビューローからワーグナーが寝取ったことになってるがどうだろう。僕はコジマが自分からのイニシアチブで乗りかえたような気がしてならない。ビューローには申し訳ないが、音楽家として格が違いすぎた。もしそうならコジマは大王を食った大女王ではないか。ワーグナーの大言壮語はとどまることなく「俺のような世紀の天才にカネを出し惜しむような奴は馬鹿だ、後で後悔するぞ」といっている。ところが、コジマはそんな男を「謙虚で慎ましい」といっている。どういうことだろう?

彼女は本気でそう思っていたのだ。夫の没後も毀誉褒貶から名声を守り、バイロイト音楽祭を今の形に興隆させたワグネリアンの女神である。「慎ましい」、何に対して?もちろん夫の音楽のもっている本源的価値(intrinsic value)に対してだ、それ以外に何があろう。コジマはあのフランツ・リストの娘である。父リストは、誰も弾けず、価値は棚ざらしだったハンマークラヴィール・ソナタを弾いて世に認めさせた。ベートーベンの音楽は発見されるのに時間を要したが、娘はワーグナーの音楽にそれを嗅ぎ取った「違いの分かるオンナ」だったに違いない。「あなた、このスコア、百年後にはン億円で売れるわよ、間違いないわよ、それにしちゃちょっと謙虚すぎない?」と言ったかどうか知らないが、世間では大王様である夫の尻を叩いて、勇気を与え、安心も与えたのは彼女だ。男女の「創造的分業」の鏡である。本当に賢い女性は活動家になる必要はない、こういうことができてしまうし、それは絶対に女性しかできないのだ。

ワーグナーをバイロイト音楽祭やウィーン国立歌劇場やベルリン国立歌劇場やヘッセン州立歌劇場に観に行く。あれは「観に」という感じが近い。細部にまで耳を澄まして「聴きに行く」というよりも、「メタ」に五感が反応するものであって、僕的にはお正月に神社に昇殿参拝してドドドドンと太鼓がたたかれ、ご祈祷が始まり神職が祝詞(のりと)を読み、大麻でササ−ササーっとお祓いを受けてまたドドドドンで終わる、ああよかったねえというあの福々しい感じにトータルには近い。タンホイザーのヴェヌスのエロティックな場面とか、ラインの黄金の水中の乙女の場面とか、まずはヴィジュアルにおお〜!となって忘れられないのもあるが、音楽は8割がた僕には祝詞みたいなものだ。しかし2割があまりに良すぎて麻薬であって、それを待つ苦行に耐えているからこそ「来た来た来た!!」となって薬効が倍加するのだから始末が悪い。

ちなみにモーツァルトに祝詞はなくて、徹頭徹尾、終始美しい。それはそれで難しいものだが、しかしドイツの田舎の歌劇場でモーツァルトは何とか聞けても、ワーグナーは無理だ。なぜかというと、人間、体のサイズというものだけはどうしようもない。ワーグナーにはアスリートの側面があるのだ。甲子園クラスのチームと当たってホームベースに整列すると、まずつぶやいたのは「おい、でかいな」だった。広島カープにミコライオという2メートルの投手がいたが、横浜の試合後にJRに乗って、隣にやけにでかいやつが立ってるなと思ったら彼だった。ヒゲが僕の頭の上にあった。あんなのが投げて打てっこないや。じゃあ音楽家はどうか?そんなことはないと思いきや、ワーグナーのオペラだけは別ジャンルだった。ソプラノが舞台にしずしずと出てくる。普通なら顔に目が行くが、しかし、違うのだワーグナーだけは。女性に失礼なので名前は書かないが、まず感じるのはやっぱり「おい、でかいな」だ。中肉中背だけのキャスティングなどあり得ない、東京ドームで少年野球を観るみたいになってしまう。

ブルックナー、マーラーに劣らぬオケのサイズだ。その大音量に負けず5時間も声を張りあげるとなると、ソプラノは巨山が聳えるようなマツコ・デラックスみたいな体格が必須であって、世界中探したってそうはいない。僕はコロラトゥーラの澄んだきれいでかわいい声のソプラノが好みだが、彼女らはワーグナーではお呼びでないのである。おおざっぱに言うならばモーツァルトで大事だといわれるものは聴く側には不要であって、委細構わず常人離れの大音声で客席を圧倒し、大向こうをうならせ、伴奏オーケストラもフルスロットルのアクとケレン味たっぷりでよろしい。そうでないワーグナーなど、僕はなに勘違いしてるの?としか思えないのだ。

レコードならショルティとカラヤンのリングがやっぱりすごい、こりゃあ500グラムのステーキを平らげるようなもんだ。4番バッター軍団はギャラも高いし大物はスケジュールも合わないから舞台上演は難しい、どうしても録音がベストということになるが、もし「リングを舞台で聴かせてやるよ指揮は誰がいいかね」なんて夢がかなうなら僕はロリン・マゼールを指名したい。彼は指揮界のアクとケレン味の大王である。そのせいだろう、日本では甚だ人気がないが彼の音楽力のファンダメンタルは破格だ。ヴァイオリニストでもあり、同業者の間で「ベートーベンの交響曲のスコアを記憶で書けるか?」と話題になった時、俺は無理だ、でもひょっとしてあいつならとマゼールで意見が一致したという逸話がある。

彼は歌なしのリングもやっているが、抜群に面白いのが1978年のこの録音だ。マゼールは脂ののった48才。カラヤンやクレンペラーが振ったフィルハーモニア管弦楽団はプライドが高く、ボケナスの指揮者など上から目線でコケにするつわものオケだが、完全に御してやりたい放題である。痛快この上なし。昭和のむかし、男ならなりたい三大職業が連合艦隊司令長官、プロ野球監督、オーケストラ指揮者だった。で、 指揮者なら?僕はワーグナーの麻薬を撒き散らして思いっきりあざとくやりたい。この「リエンツィ序曲」みたいに。



https://sonarmc.com/wordpress/site01/2019/04/28/ワーグナーは音楽を麻薬にした男である/



2. 中川隆[-14326] koaQ7Jey 2020年1月19日 22:16:38 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-1236] 報告
僕が聴いた名演奏家たち (ヒルデガルト・ベーレンス)2017 JAN 7 by 東 賢太郎
https://sonarmc.com/wordpress/site01/2017/01/07/僕が聴いた名演奏家たち%ef%bc%88ヒルデガルト・ベーレ/


2009年8月に草津音楽祭でベーレンスが来日して倒れ、そのまま日本で亡くなってしまったショックは忘れません。バーンスタインのイゾルデでぞっこんになってしまい、一度だけ目にした彼女の歌姫姿が目に焼きついて離れず、それから時をみては数々のオペラCDで偲んでいただけに・・・。


女神であるベーレンスを聴く幸運はドイツ時代のフランクフルトで訪れました。1995年5月13日土曜日、アルテ・オーパーのプロアルテ・コンツェルトで、フランス人のミシェル・プラッソンの指揮、ドレスデン・フィルハーモニーで「ヴェーゼンドンク歌曲集」、「トリスタンとイゾルデから前奏曲と愛の死」です。これにどれだけ興奮してのぞんだかは前稿からご想像いただけましょうか。


この5月に会社から辞令が出て僕は野村スイスの社長就任が決まっていました。チューリヒに赴任する寸前だったのです。欧州でロンドンに次ぐ大店ですから当時の社内的な客観的風景でいうとまあご栄転です。サラリーマンの出世は運が半分ですが、この時「なんて俺はついてるんだ」と思ったのはそっちではなくて引越しまでにこの演奏会がぎりぎり間に合ったほうでした。

ベーレンスのイゾルデ!!男の本懐ですね(なんのこっちゃ)、ドイツ赴任を感謝するベスト5にはいります。声は軽い発声なのによくとおってました。バーンスタイン盤のあの高音の輝きとデリカシーが思ったより暖かみある声という印象も残っていて、前稿で姿勢と書きましたが、彼女の表情や人となりの良さが音楽的なんだとしか表現が見当たりません。

イゾルデだけでないのはもちろんでサロメ(カラヤン盤)、エレクトラ(小澤盤)が有名ですが、あまり知られていないサヴァリッシュ/バイエルン放送Oとのリング(ブリュンヒルデ、下のビデオ)は絶品です。そしてアバド/VPOのヴォツェックも大変に素晴らしい。この人が歌うとマリーのあばずれ感やおどろおどろしさが薄いのが好みを分かつでしょうが、オケを評価しているブーレーズ盤のイザベル・シュトラウスより好みで愛聴盤です。


もうひとつ、これも忘れられている感がありますがドホナーニ/VPOとの「さまよえるオランダ人」も素晴らしい。54才の録音ですが声の輝きも強さも健在で、ボーイソプラノ的でもある彼女の高音が生きてます。ビルギット・二ルソンのワーグナーが好きな方には評価されないでしょうが、ゼンタはやはりこの声でしょう、引き締まって筋肉質のドホナーニとVPOの美音もDECCの腕でよく録れておりおすすめです。
ゼンタ、待ってくれ!ちょっとだけ、待ってくれ!

https://sonarmc.com/wordpress/site01/2017/01/07/僕が聴いた名演奏家たち%ef%bc%88ヒルデガルト・ベーレ/

3. 中川隆[-14325] koaQ7Jey 2020年1月19日 22:18:15 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-1235] 報告


ドホナーニ/VPOとの「さまよえるオランダ人」

4. 中川隆[-14324] koaQ7Jey 2020年1月19日 22:23:45 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-1234] 報告
特別なトリスタン体験 2019 JAN 20 by 西村 淳

新交響楽団第244回演奏会
指揮 飯守泰次郎
二塚直紀(トリスタン)、池田香織(イゾルデ)他
ワーグナー:楽劇「トリスタンとイゾルデ」抜粋(演奏会形式)
第1幕 前奏曲
第2幕 全曲
第3幕 第3場

2019年1月20日(日)2:00PM
東京芸術劇場コンサートホール

「トリスタンとイゾルデ」は1991年10月、サンフランシスコの戦争メモリアルオペラハウスでの公演を見て、そして聴いたのが最初で最後だ。

その頃働いていた横河電機でのアプリケーション・シンポジウムで一等になったご褒美にアナハイムでのISA(Instrumets Society of America)への視察旅行があった。帰国する前にサンフランシスコまでその足を伸ばしたわけだが、緊張感に満ちたアメリカ社会の中でこの街の安全と開放的な空気がいっぺんに好きになってしまった。昼は観光、夜はコンサートと短いながら充実した日々だったし、とうとうオペラまで観てしまったわけだ。

それまで「トリスタン」は「前奏曲と愛の死」くらいしか知らなく粗筋をつまんだ程度の知識しかなかったが、この時の公演は第3幕でイゾルデの「愛の死」で涙が溢れ、止まらなくなってしまった。カーテンコールが終わっても呆然として人前を憚らず泣けた空前絶後の音楽体験だった。

ワーグナーに媚薬を盛られてしまったわけだ。それ以来この曲は特別なものとして常に心のどこかにあり出来れば演奏体験もと思っていたが、アマオケの雄たる新響が取り上げてくれた。自分がその場にいない残念さもあったが、私にとっての音楽は聴く楽しみ半分でもあるので弾く楽しみは先に残しておこう。

ライヴ・イマジンで度々お世話になっている新響のU夫妻からチケットをプレゼントされ、勇躍会場に。アマチュアのコンサートはいいところを聴くことが鉄則である。しかしながらワーグナーのスコアは易しくなくちょっと不安もあった。

ところが前奏曲が鳴り始めてすぐにワーグナーの特別な世界が拡がり、それが杞憂であったことをすぐさま思い知らされた。そう、音楽そのものに入れたし最後にはやっぱり泣いてしまった。素晴らしい。本当に素晴らしい体験だった。

この公演を聴けたことは一生の思い出となるに違いない。指揮の飯守さんはじめ新響の面々、そして何よりもトリスタンの物語を真摯に伝えてくれた歌手の皆さんに心から拍手を贈りたい。ブラーヴォ!


吉田 康子
1/21/2019 | 12:31 AM Permalink
ワーグナーは私にとってあまりご縁も無く、ワグネリアンという言葉に恐れを抱いてわざわざ近づく事も無い遠い世界の人でした。たまたま新響の練習後にお目にかかったUご夫妻が、今回の歌の素晴らしさを語っていたのが印象的で、ご招待に便乗させて頂きました。

人の声ってこんなにも力強く心を揺さぶるものなんだと感動。そしてワーグナーの音楽の大きさ、深さに魂を奪われたような気分です。それにしてもオケの皆さんは、アマチュアという立場でどうやってここまで素晴らしい音楽を作り上げたんだろう?と素直な驚きの思いも。本当に心に残る演奏を聴かせて頂き,ありがとうございました。



西村 淳
1/21/2019 | 4:16 AM Permalink
歌の世界は器楽とまた別のものですね。オペラ、リートあたりになると私もまだほとんど知らない世界がそこにあります。モーツァルトならオペラ、シューベルトならリート、ヴェルディもプッチーニも、そしてワーグナーさえよく知らない。言葉の壁を言ってしまうとそれまでですが、歌は感動をよりストレートに伝えてくれるもののようです。



東 賢太郎
1/28/2019 | 5:49 PM Permalink
トリスタンは異形の作品であの年代にこれを書いたワーグナーは好き嫌いはともかくけた外れの巨人ですね。しかも同時に名歌手もリングも構想して台本まで書いてるまぎれもないお化けです。ドレスデン蜂起でゲバ棒を振って指名手配となったり、小説や評論を書いたり、借金が返せず英国に逃げたり、数々の浮名を流したりしてますがどこにそんな時間があったのか不思議です。

西村 淳
1/29/2019 | 6:11 PM Permalink
トリスタンは自筆譜ファクシミリも最近刊行されていますね。ほしいなあ、ですが所謂宝の持ち腐れの可能性が高いし・・こんな悩みがまだあるうちがいいのかもしれません。
飛んで飛んでのワーグナー、友人にはしたくない人物ですね。でもどこかで惹かれているみたいな。凡人はみんなきっとそう。
いずれにせよ、私にとってはまだまだ大きな未知の世界です。

東 賢太郎
1/29/2019 | 10:16 PM Permalink
スコアは持ってますがまるで百科事典か電話帳です(どっちも見かけなくなりましたが)。怖くてじっくり付きあおうとは思いません、それだけで人生尽きそうなんで。リングは通して聞かれましたか?これ、味をしめると病みつきになります。もう魔性の音楽です。15時間のうち大半が禅問答に耐えるみたいなものですが、あまりに素晴らしい部分が要所要所に出てきて忘れられず、あれを味わうには我慢しようとなってまた聴くという感じでしょうか。一種の麻薬ですね。

西村 淳
1/30/2019 | 7:11 PM Permalink
リングは断片でしか知りません。昔々FM放送で柴田南雄さんがライトモチーフの説明をしていたバイロイト音楽祭の中継がありましたが、このモンスターを知るにはまだ若すぎました。
ショルティの有名な録音もトリスタンのスコアと同じ命運を辿りそうで、手が出ないでいるのが正直なところです。それにしてもこれを味わっているとは流石ですね。


東 賢太郎
2/2/2019 | 12:32 AM Permalink
いえ、そんな大したことはないですよ。リングは攻略法があるんです。まずライトモチーフを全部暗記する、これだけはマスト。でもそれで8割は終わりです。僕は最初、ジョージ・セルのニーベルングの指環 (ハイライト) で覚えてから広げました。

西村 淳
2/2/2019 | 7:34 AM Permalink
やはりワーグナーはライトモチーフに尽きるわけですね。逆にわかってしまうと存外簡単なわけですか。それにしてもリブレットだけでは何も生まれないのに、これに音楽が付くとストレートに心に働きかけてくる。まさに麻薬ですね。
ワーグナーはクナッパーツブッシュ、録音でもこの陶酔感は格別でした。

https://sonarmc.com/wordpress/site31/2019/01/20/特別なトリスタン体験/

5. 中川隆[-14323] koaQ7Jey 2020年1月19日 22:27:28 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-1233] 報告
見事なトリスタンとイゾルデ!(読響定期)2015 SEP 7 by 東 賢太郎
https://sonarmc.com/wordpress/site01/2015/09/07/見事なトリスタンとイゾルデ%ef%bc%81%ef%bc%88読響定期%ef%bc%89/


1か月もクラシックを聴いていないと禁断症状が出るかと思いきやそうでもありません。5月に5日間断食した時に意外に平気でしたが、クラシックも物心ついてからそんなに「抜いた」ことがないので精神状態に何が起こるかわからないのです。
今日は6時からU-18の野球があって、3時開演のサントリーホールは微妙だなと思ってでかけました。出し物は例によって知らず。それがワーグナーのトリスタン全曲であったのです。まずい、こりゃ5時間かかるぞ、これが初動。野球の方が気にかかっていたのでした。それに、絶食中の胃袋にいきなりステーキみたいで重いなあ・・・。

僕はワグネリアンというほどではないですがドイツ時代の3年間はどっぷり浸かっていて、トリスタンはC・クライバーのCDを聴きこみ(マーガレット・プライスが好きなんで)、舞台はマインツ、ヴィースバーデン、それからバレンボイム(ベルリン国立歌劇場)も東京とミラノ・スカラ座で2回きいたりしています。

「トリスタンとイゾルデ」は男女が死のうと毒薬を飲んだつもりが媚薬にすり替わっていたという、そこだけクローズアップすると非常にばかばかしい話です。喜劇みたいですが大真面目な悲劇になっているばかりか、愛とは何か、死とは何かと哲学問答みたいにもなってくる。

二人は不倫で昼は会えない。だから夜がいい闇が好きだ夜が明けないでくれとなり、昼の光は欺瞞だ幻影だ消してしまいたいとなる。でも光はちゃんとやってくるんで、それならいっそあの世の闇の中で、誰にも邪魔されずに永遠に愛しあっていようよとなってホントに死んでしまうのです(ただ、イゾルデの死因が何か、未だもって僕にはわからない)。

我が国のほこる曽根崎心中も、悪い奴にカネを貸して騙されちゃった、汚名を死でそそぎたいんで一緒に死のうなんて(訴訟せんかい)究極の情けない男が出てきて今や現実離れしてますが、トリスタンのこの現実感のなさはさらに上手といえ、これで傑作を書いてしまうなどワーグナーの独壇場であります。

しかも、そうなった原因が二人が元から愛し合っていたわけでも格別に淫乱だというわけでもなく、薬の効き目なのであって、彼らは運命の被害者だ、だから大真面目に悲劇なのだというスケルトンなんですが、媚薬という存在がおとぎ話っぽいのでどうも心中の動機に迫真性がない。「イゾルデの媚薬」をダシにしたドニゼッティの「愛の妙薬」の喜劇のほうがまだ多少はホントらしい。

希薄な迫真性の上にきわめてマジで迫真性に富んだ音楽がのっかるもんですから、そのミスマッチを一歩引いて見ているとどこか喜劇に思えてくる。この複雑骨折の相貌はモーツァルトの魔笛と双璧でしょう。オペラ狂のイタリア人のお客さんにそう言ったら、彼の見解は媚薬はバイアグラだった(笑)というもので、やはりこれは悲劇である。しかしこんな曲を書くワーグナーの淫乱ぶりはもっと悲劇だったけどね、でした。

たしかに、この曲の「愛のパワー」は全開です。前奏曲のffは男性の、愛の死のは女性の「頂点」を生々しく描写したもの(後者は筆者想像)。第2幕で有名な「愛の二重唱」の後者の「絶頂の和音」がクルヴェナールの闖入でかき消されてしまう所など、聴いている方までおいおいちょっと待ってよとなるのがニクいばかり。お客さん説に賛成!

曲頭に意味深に鳴る「トリスタン和音」。あれに二人の愛の謎が、悲劇の予兆が、隠避にひっそりと横たわっている。全曲が前奏曲と愛の死にエッセンスとなって凝集してストーリーと絡み合っている。まったくもってもの凄い音楽であって、これに憑りつかれると生活に支障が出るほど頭の中で鳴り続ける。媚薬みたいに危険な音楽です。

余談ですが、トリスタン和音は解決しない。専門家によるとそういうことになってる。素人ですからナポリ6度が半音下がる解決を連想します(それを解決と言っちゃだめよなんですが)。愛の死も短3度ずつ上がってお尻はその連続だ。ナポリがキーですね。でもクラシックの勝利の方程式みたいなD⇒Tが出てこないですね。期待は次々にはぐらかされて、絶頂に至れない愛ですね。

その5時間にもわたる満ち足りない悶々もやもやが、愛の死の最後の最後に至ってC⇒Fm6⇒Cとカンペキに、荘厳な夕陽が地平線に落ちるみたいな絶対的な静寂と安定感をもって、ついについに「解決」する。全曲に仕掛けられた和声のトリック!ラストの空前絶後のどんでん返し!!(安物のミステリーのキャッチコピーになっちゃいました)。

ワーグナーは長い、退屈だ。たしかにそうかもしれませんが、この曲は5時間も我慢(休憩1時間ありますけど)した甲斐が絶大な感動で報われるという10倍返しの稀有な作品であります。そのことはクラシック音楽を楽しむ共通原理みたいなものでもあり、他の作曲家でも、そうか、つまんないところも寝ないで我慢してみようってきっとなります。

さらに凄いと思うのは、この1回しかない和声解決という大どんでん返しの終結で「とうとう愛まで成就したんだ」というメッセージがそっと客席に天から届くのです、二人の死をもって。そう、散々ケチをつけた「現実感のないお話」なんですが、そうか、そうだったのかとカンペキに納得に至って茫然としている自分がいる(しかしあそこで間髪いれないブラボーはやめて欲しいなあ)。

こうやって僕は毎回ワーグナーめにしてやられるのです。悔しいけど。

今日の歌手はお見事でした。水で喉を潤しながらの「完投勝利」。最初はセーブして、第2幕で全開になって。なんとなくわかります、先発投手が9回投げるぞっていう感じ。イゾルデは緊急登板だったレイチェル・ニコルズですが健闘しました。みんな良しですがアッティラ・ユン、容貌で日本人と思ったが韓国人でした。すばらしい。久々に本物のワーグナーのバスを聴きました。

マルケ王は弱い人だと女房取られてそれかよって、二人のダシ扱いですからワーグナーは、まったく様にならなくて話の迫真性がますます失せるんですね。このキャスティングは大正解です。

そして最後に、しかし特筆大書で、カンブルラン、読響。ブラボー、最高でした。演奏会形式は初めてでしたが、オーケストラパートがこんなに絶妙な響きに書いてあったのかと目からうろこの気づきがたくさんありました。ありがとうございます。

この曲をききながらずっとドビッシーの「ペレアスとメリザンド」が耳にこだまするなんて初めて起きたことです。ドビッシーはまずワーグナーにはまり、トリスタンを否定して独自の和声の道に進みましたが、降参したんでしょうね。

だからメリザンドは不思議娘のまま子供を残して死にますしもうオペラ書かなかったし。なにせこの和声トリックは空前絶後、やればパクリになるんで。これぞ弁証法的発展。

帰ってきて、U-18の負けをさっと見届け、そこからずっとトリスタン前奏曲でピアノと格闘するはめになってしまいました。カンブルランの指揮は明晰、知的ですね、ブーレーズ並みの理性を感じますがそれでいてツボの盛り上げもうまい。彼の曲への敬意、愛情、情熱が全員を高みに引っぱり上げましたね、これぞ指揮者であります。そういうときのワーグナーはインパクトがあります。読響はここまで磨くのに集中したセッション組んだんでしょうね、実に良い音でありました。おかげ様で、これでまたクラシックにつつがなく戻れそうです。
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6. 中川隆[-14322] koaQ7Jey 2020年1月19日 22:52:27 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-1232] 報告
数学とトリスタン前奏曲 2019 JUN 29 by 東 賢太郎
https://sonarmc.com/wordpress/site01/2019/06/29/数学とトリスタン前奏曲/


今週の忙しさは尋常でなく、岐阜県庁でのプレゼン、中国投資家5名の来社、重要な戦略会議3つが重なった。すべてはご縁とご自分のアイデアから出たもの。表面的に関連はないが全部に僕の頭の中では各々相互のリンクが貼ってある。

この感じは連立方程式の問題を解くのとそっくりだ。それが今週は5元方程式になったということ。でも基本はおんなじだ。美しい景色だが世界で僕しか見えている者はない。このオンリーワン感覚はビジネスをする快感である。

数学が好きだったのは、所与の雑多猥雑にみえる条件がうまく解くときれいに収束して堂々たる一本道にいたり、嫌が応にも唯一つのゴールに到達してしまう。その一本道に出た瞬間に地平が天国のようにぱーっと開け、やった!という快感が走るからだ。

ここまで書いてきて思い出した。それが「トリスタンとイゾルデ」の前奏曲にあることをお示ししよう。このyoutubeの6分47秒からだ。


Wagner - Prelude and Liebestod from 'Tristan Und Isolde' (Karajan-BPO)


これが何を生々しく描いているかは別稿に書いた。それと数学はいっしょ。連立方程式の解き方だ。

https://sonarmc.com/wordpress/site01/2019/06/29/数学とトリスタン前奏曲/
7. 中川隆[-14321] koaQ7Jey 2020年1月19日 23:13:22 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-1231] 報告
楽劇「トリスタンとイゾルデ」(R. ワーグナー作曲)
Wagner - Tristan und Isolde Vorspiel - Berlin - Furtwängler 1930 - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=4o142b5plHc


Kirsten Flagstad and Ludwig Suthaus - Liebesduett - YouTube
http://www.youtube.com/watch?v=B-ImojzMOAs


蓄音機で フルトヴェングラー  トリスタンとイゾルデから「愛の死」- YouTube
http://www.youtube.com/watch?v=JS0GA_0vIFc

Kirsten Flagstad and Furtwangler - Liebestod - YouTube
http://www.youtube.com/watch?v=4tgn511ceNQ


 下の楽譜は、総演奏時間三時間以上にわたるこの楽劇の最初の部分(左:「前奏曲」より)と、最後の部分(右:「イゾルデの愛の死」より)です[Edition Peters Nr. 3407より改変]。このほんの数小節の中にも「トリスタンとイゾルデ」の魅力は満載されていますので、これを使って私なりの解説を試みます。

 
 まず矢印で示した小節の和音。これは、この楽劇が始まって最も初めに聴衆の耳に入る和音です。そして、この和音は、極めて絶妙なバランスの上に成り立っています。

和音はFを基音にH、Dis、Gisと4つの音から構成されています。一見単純に見えますが、実はこれは従来の機能和声法では解釈できない非常に特殊な音の並びなのです。不協和度は少ないものの、非常にストレスの大きな響きで、解決を待たねばならない不安定な音の固まりです。

これが、次の小節になるとE majorの和音に帰属し解決され、ここに至って聴衆は安堵を覚えます。逆にいえば、従来の理論では、一見、解決策のない不安定な音に聞こえた和声は、極めて単純な和声に落ち着きうることを、ここで初めて知ることができるのです。

この複雑怪奇な「トリスタン和声」は、機能和声法をきりぎりの所まで拡大解釈して見せたワーグナーの偉大なる手腕の発露です。

この和声は後にドビュッシーやスクリャービンらによってさらに拡張されていくことになります。実際、この和音の発見をもって、クラシック音楽全史を「トリスタン以前」と「トリスタン以降」に分類することさえできるのです。

 さて、我々は、ここでもう一つ重要なことに気づかねばなりません。それはトリスタン和声が解決したその和音に、Dの音が含まれていることです。トリスタン和声があまりにも怪奇であったために、我々は次の小節で完全に和声が解決されたような錯覚を覚えるのですが、じつはその和音は属7を伴った「未解決」な和音にすぎません。

こうした語法は曲全体にわたって使用されています。和音の解決が再び次の不協を生み、このストレスの解決もまた・・・といった具合に、問題は次々と提起され、解決されないまま引き継がれていくことになります。この延々と続く和声のうねりは、トリスタンとイゾルデ二人の永遠に解決されることのないであろう愛を意味していることは言うまでもありません。

 そして、なにより我々が注意しなければならないのは、トリスタン和声の持つ独特な生理的効果です。この絶妙な和声は、なぜか官能的に響きます。まさにこれこそがこの楽劇の最大の魅力です。

この音楽以前に、これほど官能美をたたえた音が鳴り響いたことはなかったでしょう。この法悦感を喚起する原理は、「四度音程」の累積に基づいたF、H、Dis、Gisという音の選択にあるようです。

実際、この原理は楽劇を隅ずみまで支配しています。結果として麻薬的効果が聴衆を陶酔の世界へと誘い、音楽的快感の虜とさせるのです。我々はこの和声のもつ圧倒的な煽情効果の前になすすべもありません。楽理を超越した仮想界。その抗い難いメフィスト的求心効果。幻影への陶酔。カタルシス的な憧憬。情動の浄化。「音楽」というものの魅力を余すところなく表現しつくした芸術中の芸術。それが「トリスタンとイゾルデ」なのです。

 さて、トリスタンの魅力はなにも和声だけではありません。上の楽譜(左)に赤色でしめしたメロディーライン(モティーフ)に注目して下さい。Gis、A、Ais、Hという、単純な上行性の半音階進行です。

しかし、トリスタン和声に乗ったこの音の動きは、上へ上へ、高いところへ高いところへ、という至高なものへの憧憬を思わせます。もちろん、トリスタンとイゾルデ二人の至上な愛への憧れを示しているのでしょう。しかし、彼らの羨望もHの音で未解決のままに終わっています。

実ることのない愛。切なくも悲痛な終焉を想像させるに十分の旋律です。

この4つの音からなるモティーフもまた、楽劇中で何度も繰り返し現れます。しかも、その度に、解決を見ることなく音の渦へと消えていくのです。そして、二人の理想世界への憧れは望蜀として膨張し、最後には二人の死という形で結実します。

その瞬間、憧れのモチーフは、上の楽譜(右)の様に、Gis、A、Ais、H、Cis、Disと、Disの音まで到達し、これと同時に和声も極めて純粋なB majorの主和音に解決されるのです。このモティーフが不安に満ちたトリスタン和声と共に初めて聴衆の前に提示されてから、じつに3時間以上たった終結部で、ようやく死(浄化)による解決を迎えるわけです。

この楽劇は、最後の協和音「救済」に向かう葛藤を描いた壮大なドラマであると言えます。大河のうねりは聴くものの心を毟裂き、そして清らかに透きとおった高次の解決を迎えるその瞬間、我々は鳥肌の立つ思いを覚えます。
http://gaya.jp/myprofile/tristan.htm


<愛>は空虚な記号です。ただ、その空虚さ、あるいは無根拠性を隠蔽し、<愛>を実体化する道具として媚薬があります。

『トリスタンとイズー』の媚薬が有名ですが、古典的恋愛物語に登場する愛する若者たちはみな、あたかも媚薬が効いているかのように強い持続的な情熱にかられています。

実は媚薬こそがこうした若者の不条理な情熱のメタファーなのかもしれません。
実際、<愛>は麻薬のように心身に大きな変化をもたらすことがあります。<愛>の炎は身も心も焼き尽くすと言いますが、恋愛物語では全身にあらわれる症状が描かれることがあります。

「トリスタンの心臓の血の中には、鋭いとげをつけ、かぐわしい花を咲かせた、一本のいばらが根をはりひろげて、肉体も、心も、欲求も、そのすべてが、イズーの美しい体に、なにかこう強いきずなでもって巻き付けられているように、思われるのだった。」 『トリスタンとイズー』

「あなたを垣間見ただけで、私の声はうちふるえ、舌はこわばり、全身が微細な炎にちりちりと焼かれる」サッフォー

フィッシャーは『愛はなぜ終わるのか』のなかで次のK・ユングのことばを引用していますが、今日の大脳生理学の知見からすればこれもすでにレトリックではなく、字義通り科学的にある程度説明がつく内容です。

「ふたりの人間の出会いは、ふたつの化学物質の接触のようなものだ。何らかの反応が起こると、両方とも変質する。」

それでは愛する人の大脳ではどんな化学反応(情報操作)が起こっているのでしょうか?(以下、『愛はなぜ終わるのか』による)


人間の脳は主に三つの部分からできています。

最も原初的な本能を調整する脳幹(爬虫類脳とも呼ばれる)。
情動を司る大脳辺縁系(同じく哺乳類脳)。
感覚、言語機能をはじめ、各機能の統合をおこなう大脳新皮質。

<愛>は情動の一種ですから、それが活躍する舞台は大脳辺縁系ということになります。そして、中心となる作用素は、興奮、歓喜、恍惚などを引き起こす興奮性伝達物質フェニルエチルアミン(PEA)であると考えられています。

「ロマンス中毒患者」と呼ばれる人たちがいまして、彼らは実を結ぶはずのない恋を病的に求め、高揚と陰鬱の状態を交互に味わい続けるのですが、彼らにはPEAの分泌が多いことがわかっています。

ロマンス中毒患者にMAO抑制剤を投与しますと、数週間で「相手を選ぶのに前よりも慎重になって、さらには恋人なしでも快適に暮らせるようにさえなった」といいますから、恋愛を病ととらえた12世紀以前の西洋人の考え方には根拠があったことになります。

トリスタンとイズーが飲んだ媚薬というのは今風に解釈すれば、PEAの分泌を高める興奮剤だったのかもしれません。

ただし、PEAと<愛>の病が一義的に関係しているわけではないことは付け加えておくべきでしょう。

「PEAは高揚と不安を引き起こすだけで、そんな化学的状態になる経験はたくさんあり、恋の情熱はそのひとつでしかない。」
<愛>がPEAに依るとしても、PEAによる高揚感、不安感は愛以外の様々な形をとりうるということです。

PEA効果には時間的に限りがありますから、ロマンティックな恋愛の期間はずっと続くわけではありません。18ヶ月〜3年もすれば、恋に落ちた人も再び相手に対し中立的な感情を抱くようになるといわれています。

つまり、その間は相手を、そしてさらには世界全体を高揚と不安を通じて情動的にみる態度が維持されうるわけです。結晶作用という知覚的な麻痺ももちろん伴うことでしょう。

PEA効果が切れると同時に愛もお終いになるというわけではありません。激しいロマンチック・ラブのあとには落ち着いた愛着による新しい愛の可能性もあるからです。この愛を司る物質はエンドルフィンで、心を落ち着かせ、苦痛をやわらげ、不安をしずめるといった、まさにPEAと反対の作用があります。

小さい頃に下垂体不全をおこした人の中にはPEA分泌不良による「愛の不感症」という症例もあるようですが、エンドルフィンによる静かな愛はこれとは別で、これこそ永続的な、現実的な人間関係の源でしょう。しかし、恋愛物語が対象とするのはやはり、PEA効果による病に苦悩する激しい愛ということになります。

「意識はある対象についての意識である」というのが現象学の出発点です。人はある対象を憎むべきものと捉えることにより、はじめてそれを憎むのであり、形をもたない憎しみエネルギーみたいなものが予めあり、それがたまたま見つけた対象に向けて発散されるのではない、というのが現象学的なとらえ方です。

しかし、これと反対の考え方もあります。人の情動とは無定形のマグマみたいなもので、それが外界の対象にそそがれるのは偶然であり、そのマグマが仮の形を得て持続するためのアリバイを外界の対象が与えるにすぎない、という考え方です。
このような考え方をとるならば、PEA効果が自己を持続させるために、高揚と不安状態を創出するアリバイが必要となり、それを外界にもとめる。情熱恋愛とはPEAの自己保持のアリバイであり、恋愛(物語)における障害とは、まさに保持時間をできるだけ延長するための仕組みに他ならない。要するに、恋愛物語の主体はPEAだという逆説です。

外在的障害がない場合、あるいは解決されたあとになおも内在的障害が待ち受けているのは、PEAの麻薬効果が自己を維持するためにあらゆるアリバイを捏造するせいなのかもしれません。  
http://www.ccn.yamanashi.ac.jp/~morita/Culture/love/lovemac.html

8. 中川隆[-14320] koaQ7Jey 2020年1月19日 23:15:43 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-1230] 報告

フルトヴェングラー ワーグナー トリスタンとイゾルデより愛の死
ヴィルヘルム・フルトヴェングラー指揮ベルリン・・フィルハーモニー管弦楽団
録音1942年11月8日(9日)ベルリンライヴ


9. 中川隆[-14319] koaQ7Jey 2020年1月20日 13:39:07 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-1221] 報告
2009年9月12日
リヒャルト・ワーグナー 楽劇「トリスタンとイゾルデ」全曲 名盤 〜禁断の恋〜 
http://harucla.cocolog-nifty.com/blog/2009/09/post-55f2.html


ヴェルディの傑作オペラ「ドン・カルロ」は、王子がかつての恋人である姫を自分の父親である国王に王妃として横取りされてしまうという悲恋の物語でした。一方ワーグナーの「トリスタンとイゾルデ」は、国王の王妃となる予定の姫を迎えに行った騎士が、飲んでしまった媚薬のおかげで姫と恋に落ちてしまい、最後は命を落とすという悲恋の話です。やはりクスリにはノ〇ピーでなくても弱いようですな。(笑) 悪いクスリは絶対にやめましょうね。

という訳で、この話は「禁断の恋」がテーマなのです。実はワーグナーは作曲当時、恩人ヴェーゼンドンクの夫人マティルダと不倫の恋をしていました。ですので、この作品の騎士トリスタンこそはワーグナー自身で、イゾルデ姫はマティルダだというのがもっぱらの定説です。但し当の本人はそれを認めてはいなかったらしいのですが。

それにしても、ワーグナーのオペラはどの作品も長大です。四夜にわたり上演される、楽劇「ニーベルンクの指輪」は別格としても、どのオペラも上演に4〜5時間はかかる大作ばかりです。しかし、それらの作品の中で、僕が最も愛して止まないのは、楽劇「トリスタンとイゾルデ」です。他の作品の場合には生の公演でならいざしらず、家でCDを全曲聴き通すなんてのは中々出来ないのですが、「トリスタン」だけは例外です。

この作品は、さすがにワーグナーが禁断の恋の真っ只中にあって作曲しただけあって、全編が愛欲と官能の香りに満ち溢れています。これほどまでに「エロス」を感じさせる音楽芸術が一体他に有るでしょうか。ですので、この作品は非常に解り易いです。最初の「前奏曲」と最後の「愛の死」を続けて、「前奏曲と愛の死」としてオーケストラ・コンサートでよく演奏されますが、それはこのオペラの集約であって、全体は「前奏曲」と「愛の死」に挟まれた一つの巨大な作品になっているのです。なので、「前奏曲と愛の死」が好きになれば、楽劇「トリスタンとイゾルデ」を理解するのは全く難しくありません。まったくもって、この作品は何度聴いても本当に官能的で素適な音楽です。直江兼続ではありませんが、やっぱり人間一番大切なのは「愛」ですよね。

ここで、あらすじをおさらいしておきます。

時代:伝説上の中世

場所:イングランド西南部のコーンウォール

主要登場人物

トリスタン(T):マルケ王の甥であり忠臣
イゾルデ(S):アイルランドの王女
マルケ王(Bs):コーンウォールの王
ブランゲーネ(Ms):イゾルデの侍女
クルヴェナール(Br):トリスタンの従者
メロート(T):マルケ王の忠臣

第1幕

アイルランドの王女イゾルデは、コーンウォールを治めるマルケ王に嫁ぐため、王の甥であり忠臣のトリスタンに護衛されて航海していた。かつてトリスタンは、戦場でイゾルデの婚約者を討ち、その戦いで自らも傷を負ったが、名前を偽ってイゾルデに介抱をしてもらったことが有った。イゾルデはトリスタンが婚約者の仇だと気付いたが、既にそのときトリスタンに恋に落ちていた。

イゾルデは、自分をマルケ王の妻とするために連れてゆくトリスタンに対して、激しい憤りを感じていた。彼女は一緒に毒薬を飲むことをトリスタンに迫ったが、毒薬の用意をイゾルデに命じられた侍女ブランゲーネが、代わりに用意したのは「愛の薬」だった。その為、船がコーンウォールの港に到着する頃には、トリスタンとイゾルデは強烈な愛に陥ってしまった。

第2幕

イゾルデがマルケ王に嫁いだ後、マルケ王が狩に出掛けたすきに、トリスタンがイゾルデのもとを訪れ、二人は愛を語う。ところがマルケ王が突然戻ってきた。実はこれはイゾルデに横恋慕していた王の忠臣メロートの策略だった。マルケ王はトリスタンと妃の裏切りに深く嘆く。王の問いかけにトリスタンは言い訳をしようとしないので忠臣メロートが斬りかかるが、トリスタンは自ら剣を落とし、その刃に倒れた。

第3幕

フランスのブルターニュにあるトリスタンの城。トリスタンの従者クルヴェナールは、深手を負ったトリスタンのために、イゾルデを呼びよせた。けれども、イゾルデが駆けつけたその時、トリスタンは息絶えた。

そこへ、全ては愛の薬のせいだと知ったマルケ王がやって来るが、イゾルデは至上の愛を感じながらトリスタンの後を追った。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

これまで自分が生で接した最上の「トリスタン」の舞台は2007年10月のベルリン国立歌劇場の日本公演です。指揮はダニエル・バレンボイム、会場はNHKホールでしたが、ワルトラウト・マイヤーが円熟の極みの大変素晴らしいイゾルデを聞かせてくれました。

この作品のディスクは、高校生のときにフルトヴェングラーのLP盤5枚組を購入したのが最初ですが、それ以降、幾つか演奏を聴いて来ましたのでご紹介してみたいと思います。

ハンス・クナッパーツブッシュ指揮バイエルン歌劇場(1950年録音/オルフェオ盤)



古今のワーグナー指揮者の中で最も偉大なるクナのライブ録音です。何しろクナがウイーン・フィルとDECCAに録音を残した「前奏曲と愛の死」「第2幕抜粋」は神々しいほどの名演中の名演でした。ですので、この全曲盤にも大いに期待したいのは当然です。ところが残念なことにあのDECCA録音と比べると余り魅力を感じられません。録音は年代的には標準レベルですが、肝心の演奏がクナ本来の実力には程遠い出来栄えだと思うからです。これは記録としての価値に留まると思います。

ウイルヘルム・フルトヴェングラー指揮フィルハーモニア管他(1952年録音/EMI盤)



これはもう歴史的な録音です。モノラル録音としては優秀なので鑑賞に支障は有りません。有名な「第九」と同様に音質を越えた不滅の演奏です。べームやクライバーの造形と比べれば随分と甘いですが、この深く深く沈滞してゆく味わいは他の誰とも違います。元々不健康な雰囲気の表現には比類が有りませんが、この作品の場合に音楽と見事に一体化しているのです。フルトヴェングラーを聴かずして「トリスタンとイゾルデ」は絶対に語れません。イゾルデのフラグスタートは確かに既にオバさん声なのですが、逆に非現実的な雰囲気に感じられて良いと思います。なお、「前奏曲と愛の死」の管弦楽の演奏としては、1954年のベルリン・フィルとのライブ録音(グラモフォン盤)が全曲盤を凌駕する名演です。官能と絶頂という点ではこれ以上の演奏を聴いたことがありません。

カール・ベーム指揮バイロイト祝祭歌劇場(1966年録音/グラモフォン盤)




ベームのオペラがどんなに素晴らしいか、実演でどんなに燃え上がるかを証明したワーグナーの聖地バイロイトでのゲネプロライブ録音です。ベームが観客無しのセッション録音を嫌って招待客を前にして行った演奏なので精緻でいてかつ劇的なまでに迫力が有ります。沈滞する部分がややあっさり感じられますが、逆に全曲を一気に聴き通すには向いています。主役の二人、ビルギット・ニルソンとヴォルフガング・ヴィントガッセンの歌にも全く文句のつけようが有りません。全3幕がぴったりと各CD毎に収まっているのも鑑賞には便利です。


レジナルド・グッドオール指揮ウエールズナショナルオペラ(1981年録音/DECCA盤)



評論家の山崎浩太郎氏が熱烈に推薦したために知る人ぞ知るディスクとなりました。それは「動かざること山の如し」、クナッパーツブッシュ顔負けのスケールの巨大さです。それはそれで良いのですが、クナのようにテンポの流動性が無く常にインテンポの印象を与える為に、全曲を聴いているとどうも長く感じられてしまいます。オーケストラと歌手も最高レベルとはいいかねます。ですので、これはあくまでマニア向けの演奏でしょう。以前はDECCAでしたが現在はタワーレコードがライセンス販売しています。


レナード・バーンスタイン指揮バイエルン放送響(1981年録音/フィリップス盤)



バーンスタインも非常にテンポが遅くスケールの大きな演奏です。そのセッション録音の現場に現れたベーム翁が絶賛したそうですが、ベームとは対照的な演奏なのが面白いです。優秀なオケを使って精緻な演奏を行っているのは良いのですが、やはり少々テンポが遅過ぎてもたれます。ですがこのマーラーのようにドロドロ粘る、いかにも後期ロマン派風の演奏には確かに説得力が有りますし、緊迫感の有る部分では非常に高揚して聴き応えが有ります。最近亡くなったベーレンスの全盛期のイゾルデが聴けるのも貴重ですし、ペーター・ホフマンのトリスタンもとても素晴らしいです。


カルロス・クライバー指揮ドレスデン歌劇場(1982年録音/グラモフォン盤)



クライバーの「トリスタン」は、本当はバイロイト音楽祭での生演奏が非常に素晴らしかったです。ですがそれらが音質の良い正規録音盤で出ていない以上は、セッション録音のドレスデン盤を聴くしか有りません。僕はクライバーの才能は認めますが、あの体育会系の健康的な音楽には感心しない場合が良く有ります。ベートーヴェンやブラームス、シューベルトあたりでは往々にです。この「トリスタン」は不健康では有りませんがロマンティックな雰囲気が良く出ているので決して嫌いではありません。ただマーガレット・プライスのイゾルデは声がリリック過ぎて現実世界の人に感じられてしまうのが難点です。


以上はどれも素晴らしいもですが、特に愛聴しているのはベーム盤とフルトヴェングラー盤の二つ、それに次点としてバーンスタイン盤です。但し、もしもクナッパーツブッシュがウイーン・フィルとDECCAに全曲録音を残してくれていたら史上最高の「トリスタン」になったことでしょう。大変残念です。

その後に聴いた、クリスティアン・ティーレマンのウイーン国立歌劇場ライブはいかにも放送局の録音という自然な感じで好印象でした。



http://harucla.cocolog-nifty.com/blog/2009/09/post-55f2.html
10. 中川隆[-14318] koaQ7Jey 2020年1月20日 13:45:45 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-1220] 報告
リヒャルト・ワーグナー 楽劇「トリスタンとイゾルデ」全曲 名盤 〜禁断の恋〜 

コメント

こんにちは。ハルくんさん。
久しぶりにコメントします。。。
実は私はオペラはまったく聴かなくてですね、でもこのトリスタン・イゾルデは聴きたいなと思っていたんです。

ガッコに通っているとき(何年前の話だ!)、岩波文庫で「トリスタン・イズー物語」を読んでやたら感動しました!!!
先日も読みかえしたんですけれど、やはり感動というか、無意味に感動というと聞こえが悪いんですが、理屈抜きで感動するんですよね。自分でもわけわかりません。

オペラの方もそうなんでしょうか。。。
でも何を買っていいかわからなくて〜〜。
フルヴェンかベームか・・・
二者択一のところまで絞り込むことができました。。。

でも、まだ悩んでいることにはかわりません。
ガツンと決めの後押しが欲しいです〜〜〜。
ここはぜひ、皆さんのお力を拝借したいです!!!
投稿: はるりん | 2009年9月13日 (日) 18時01分

はるりんさん、こんにちは!
こちらこそコメント差し上げずに失礼しています。でももうじきあの彼(!)の特集開始しますからね。楽しみにしててね〜。

「トリスタン」で最初に買うべきCDとしてはですね、ここは迷うことなくベームでしょうね。@演奏に勢いが有るので長さを感じにくい(でもワーグナーは長いゾ〜)A歌手が最高 B各幕が1枚づつのCDに収まっている B録音も良い という理由からです。ガツンと後押しします。
投稿: ハルくん | 2009年9月13日 (日) 19時17分

私が持っているCDは、かろうじて
フルトヴェングラーの「前奏曲」と「愛の死」だけです。
このオペラも見たいし、
楽劇「ニーベルンクの指輪」も絶対に
全部見てやろうと思っています。
実現するのは、いつのことかわかりませんが。
ワーグナーってすごいですよね。
投稿: 四季歩 | 2009年9月13日 (日) 19時50分

おおう!!!ハルくんさん。
さっそくの決めのガツンをありがとうございます。
ベームを買うことにします。

ワーグナーのトリスタン・イゾルデとっても楽しみです。
やはりトリスタンが情けない男なのでしょうか。。。
文庫のトリスタンはそれはもうしょ〜もないほど情けない男なんですよ〜。
でも、ほら〜、私はそういう男が好きなので。。。

お妃さま。トリスタンはもうお妃さまのことは思い切りまして、二度とお目にかかることはありますまい

とか言って涙ながらに別れをイゾルデに告げておきながら、せめてもうひと目と言って何回もイゾルデのところに帰ってくるんですよね。

トリスタンって馬鹿じゃないの!!!と思いつつ、
しっかりしろ〜〜!!!とその度に感動するはるりんでした。
トリスタンってまるでどこかの誰かさんのようでして。。。
ところで、彼の特集、楽しみです。
投稿: はるりん | 2009年9月13日 (日) 20時55分

四季歩さん、こんにちは。
「前奏曲と愛の死」がお好きでしたら全曲も間違いなく気に入りますよ。
生公演は滅多に有りませんが是非ともですね。ワーグナーのオペラは元々動きが少ないのでCDでも結構楽しめます。

それにしてもワーグナーは凄いです。どうしてこんなに長くしなければならないのかなぁといつも思いますよ。(笑)
投稿: ハルくん | 2009年9月13日 (日) 21時39分

はるりんさん、ベームはCD3枚組なので対訳付きの国内盤でもそれほど高くありません。僕のは例によって中古品ですのでもっと安かったですけど。

トリスタン君は仕方がないですよ。媚薬がよほど効いてしまったのでしょう。おかげで身を滅ぼすとはね。クスリは一度くせになるとやめられないのですね〜(笑)
はい次回からは、はるりんさんの「彼」の特集です。(笑)お楽しみに!
投稿: ハルくん | 2009年9月13日 (日) 21時48分

ハルくんさん、saraiです。
遂にトリスタンですね。
まさに愛と官能のオペラ、しびれますね!!

夢のようなオペラですが、決して眠くならない、稀有なオペラです。saraiは生で3回見ましたが、2001年にミュンヘンと東京でほぼ同じキャストで見たバイエルン国立歌劇場の2回の公演が最高でした。初演したオペラハウスってこともありますが、ハルくんさんと同じく、ワルトラウト・マイヤーが素晴らしかったのが一番です。マイヤーはやはりワーグナーオペラにつきますが、なかでも、イゾルデが最高です。タンホイザーのヴェーヌスも官能的ですが、あまりに官能的過ぎて・・・!
映像作品では、何といっても、バイロイトのバレンボイム指揮で、ルネ・コロのトリスタン、ヨハンネ・マイヤーのイゾルデ、ハンナ・シュヴァルツのブランゲーネ、マッティ・サルミネンのマルケ王は感動ものです。見ていると、こっちの頭までおかしくなって、熱が出そうになります。ここまでいくと、ビョウキですね。
実はCDでは聴いたことがありません。アナログディスクでは、バーンスタインのトリスタンが素晴らしかった。saraiとしては、やはりこれは映像が欲しいところです。したがって、イゾルテ役はそれなりの容貌が要求されます(笑)。
投稿: sarai | 2009年9月14日 (月) 09時28分

私の宝と言うべきベームの全曲盤を推してくださり本当にありがとうございます。「トリスタンとイゾルデ」への想いを私のブログでも取り上げていますが寄り道が多く、なかなか前へ進みませんがベーム盤への想いはきちんとコメントするつもりです。

さて情報ですが来月10月11日午後8時よりNHKハイビジョンでメトロポリタン歌劇場での「トリスタンとイゾルデ」公演が放送予定です。デボラ・ヴォイトのイゾルデ、演出はディーター・ドルン。

(なお翌日はゲオルギュがミミ役の「ラ・ボエーム」です)
機会があればご覧ください。
投稿: オペラファン | 2009年9月14日 (月) 09時38分

嗚呼、ハルくんさんはやはりこの曲がお好きなのですね(やはり、とは???)
皆さんの入れ込みようを見ると気が引けるのですが、オペラはあまり聴かない(見ない)上に、ワーグナーは苦手なんです。でも文庫で「トリスタンとイズー」を読むのは好きですけど。

ワーグナーの曲って、fffとか書いてある割に大きな音が鳴らないのですよ。だからクライマックスをfffにしようと思うととても疲れるのです。

大きな音を出さずに効果的にfffにするコツは、弱音との対比とか、アーティキュレーション(スラーやスタカートの使い方)だと思うのですが、そのあたりに芸がなくて、ただレガートで強奏を要求されると奏者は死んでしまいます。
でも、その強奏を突き抜けて歌うことを要求される歌手はもっとかわいそうかもしれません。
投稿: かげっち | 2009年9月14日 (月) 21時37分

saraiさん、こんにちは。
バイエルン歌劇場では僕も「神々の黄昏」を観ることが出来ました。やはりバイロイトと並ぶワーグナーの聖地ですからね。素晴らしい体験でした
僕はこの作品はむしろ音楽だけの方が集中できるように思います。ですので生公演についても、舞台よりも音の記憶の方が鮮明なのです。
投稿: ハルくん | 2009年9月14日 (月) 23時29分

オペラファンさん、こんにちは。
いつも貴重なトラックバックを頂戴して有り難うございます。ベームの全曲盤は聖地バイロイトの比類ない演奏記録ですね。全てのワグネリアンの宝なのではないでしょうか。

ゲオルギューがミミの「ラ・ボエーム」もイイですね。飛び切り美人の彼女も最近はネトレプコの勢いに隠れた感が有りますが、まだまだ魅力的です。ああ、ワタクシは美人にはホントに弱い!(笑)
投稿: ハルくん | 2009年9月14日 (月) 23時37分

かげっちさん、こんにちは。
はい、やはりこの曲は好きですよ〜。
なんと言いましてもこのほとばしる情熱!めくるめく愛と官能の世界!僕はまだまだヴェーヌスべルクの住人です。魂が救済されるまでにはまだまだ当分時間がかかりそうです。(笑)

それにしてもこの重厚な管弦楽の響きを突き抜けて歌わなければならないワーグナー歌手は大変です。ホントに気の毒ですね。
投稿: ハルくん | 2009年9月14日 (月) 23時50分

ネトレプコとゲオルギュー。どちらがいいか夜、寝られないくらい悩むところですが、私は自分自身、齢を取ってきたせいかゲオルギューのように熟女ぽい方にぐらつきそうです。しかしネトレプコの「ラ・ボエーム」や「愛の妙薬」の映像を見ると・・・しかしゲオルギューのアディーナも、うっとりします。

困った!困った!この節操の無さのみワーグナーに似ているのでしょうか?
なお「ラ・ボエーム」の放送の翌日はプッチーニの歌劇「マノン・レスコー」が放送予定で、マノン役はカリタ・マッティラらしい。

彼女の声がプッチーニに合っているかどうかよくわかりませんが、北欧美人のマノンを楽しめそうです。

「トリスタンとイゾルデ」の話題から見事に脱線してしまい、本当に失礼しました。
投稿: オペラファン | 2009年9月16日 (水) 00時09分

「ネトレプコとゲオルギュー。どちらがいいか夜、寝られないくらい悩むところです」
いや〜オペラファンさんならではのコメントです!ご冗談ではなく本当に悩んでおられるようなご様子には感服します。(笑)
もう一人、ストラータスも綺麗でしたよね、って「トリスタン」からどんどん脱線しているのは僕の方です。

あ〜美人にはホントに弱い弱い・・・(笑)
投稿: ハルくん | 2009年9月16日 (水) 00時31分

はじめまして。
ワーグナーを好きになりたいが、なかなか好きになれない者です。
理由は作品が歌手、指揮者ばかりでなく、聴き手にも、とてつもない負担を強いるところがあるからだと思います。

私のように人生に疲れ切り、癒しを求めている人間にはワーグナーは止めておいた良いのでしょうか…。
しかし、ワーグナーを聴きたい…。

そこで質問ですが、《トリスタン》で、オーケストラをたっぷり鳴らすエネルギッシュな演奏ではなく、穏やかで、角の取れた、聴いていて癒されるような演奏はないでしょうか?

《トリスタン》に癒しを求めるのは無理かもしれませんが…。
例えばヤノフスキの《指環》はスケールは小さいものの、木目細やかで、疲れることなく聴けます。

まだ途中ですが。
そのような演奏を《トリスタン》にも求めています。
もしあれば、教えて下さい。
宜しくお願い致します。
投稿: ロフラーノ | 2010年5月29日 (土) 12時19分

ロフラーノさん、はじめまして。
ようこそお立ち寄りくださいました。ありがとうございます。
なかなか難しいご質問ですね。

穏やかで癒されるような「トリスタン」ですか。フランス人がフランスの歌劇場で演奏すると、そんな感じになりそうですが・・・どうもCDは見当たりませんね。
ひたすら美しい演奏ということであれば、ハイライト盤ですが、クナッパーツブッシュがウイーンフィルとDECCAに録音した「前奏曲」「2幕の抜粋」「愛の死」という最高の演奏が有ります。50年代のウイーンフィルの柔らかく最美の音が味わえますし、フォルテの音も決して柔らかさを失いません。2幕も夢を見ているような心地良さです。聴かれたことは有りますか?
投稿: ハルくん | 2010年5月29日 (土) 13時44分


ハルさん、お答えありがとうございます!
やはり《トリスタン》からスケールの大きさや力強さを取ったら《トリスタン》の魅力は無くなるのでしょうね(笑)。

クナッパーブッシュ盤は聴いたことがないので、購入してみようかと思います。HMVにありましたので。

フラグスタートやニルソン等ビックネームが名を連ね、正統派演奏の極致といったところでしょうか。

あと、気になる演奏がひとつあります。
グッドオールです。

クナッパーブッシュの再来とも評された彼の演奏も聴き手を圧倒するような力強い演奏なのでしょうか?
もし力強さには欠けるものの、細部にまで細心の配慮が行き届いた素晴らしい演奏なら購入するのですが…。
ヤノフスキの《指環》はそうでした!
投稿: ロフラーノ | 2010年5月29日 (土) 15時06分

ロフラーノさん、こんにちは。
お返事が遅くなってしまいました。
グッドオール盤は「力強い演奏」というよりも「スケールの大きい演奏」という感想です。何しろ遅いテンポをずっと保つので、僕には長丁場を乗り切って鑑賞を続けるのは少々厳しいです。

演奏に指揮者の意図、配慮は感じますが、やはりオーケストラの質の問題で、繊細な表情を描くには限界が有るとも思っています。
でも、ご興味をお持ちでしたら、やはりご自分の耳で確かめられる事をお勧めします。
投稿: ハルくん | 2010年5月30日 (日) 17時20分

こんにちは。
先日したURL、発言者が誰か記載がなく判り辛くて御免なさい。
昨日みたく朝〜体調な日の夜はいつも、フリッチャイ/モーツァルト♪ミサ/DG、ヘレヴェッヘ/フォーレ♪レクイエム、そしてトリスタン。

といっても1枚目だけ。フルトヴェングラー/EMIの前奏曲で満足し過ぎて、2枚目〜未聴のままなので昨夜1枚目だけ他盤の扉を。

クライバー/バイロイト'74/Hypnos→録音が異常にイイ。イゾルデも。ただ、前奏曲にもっと怪しさ、暗さが欲しい。クライバーの煌びやかさが前奏曲には...かと。同/SKD/DG→意外に残念な録音なので、大好きなSKDさを余り感じず、イゾルデも'74に比べると...。フルトヴェングラー/EMI→前奏曲の怪しさ、只ならぬ雰囲気。録音もクライバー/DGより遥かにイイ。ベーム/バイロイト/DGは最後の楽しみに、まだ寝かせておきマス。
投稿: source man | 2010年9月28日 (火) 11時00分

source manさん、こんにちは。
Cクライバーには不健康な音楽は余り似合わないと思いますね。南米生まれのせいかも?

それはともかくトリスタンならばバイロイトの演奏のほうが良いと思います。録音についても東西ドイツの共同制作ですし、デジタル録音ということもあって、アナログ期のSKドレスデンの音とはだいぶ違う印象なのでしょう。とても同じルカ教会の音とは思えません。
ベーム盤は全曲通して聴いて真価が分かる演奏だと思います。じっくり聴かれてください。
投稿: ハルくん | 2010年9月28日 (火) 22時49分

ハルくん様
デルネッシュ、ヴィッカース、カラヤン&BPOのEMI、今はワーナーのスタジオ録音は、如何思われますか。
投稿: リゴレットさん | 2018年3月19日 (月) 11時34分

リゴレットさん
私はカラヤンがベルリンフィルを指揮した演奏は大抵のものが苦手なので、「トリスタン―」も聴いていません。ただ最近はディスカヴァーカラヤンのつもりで少しづつ聴くようにはしています。

これもその中の候補の一つではあり、中古で見つければ購入すると思います。
などというコメントで誠に申し訳ありません。
投稿: ハルくん | 2018年3月19日 (月) 12時53分


ハルくん様
この楽劇、ニルソン、ウール、ヴァン・ミル、レズニックが顔を揃えた、ショルティ指揮のDecca盤は、絶対と言って良いほど名盤候補には、上がって参りませんね。
クナの指揮でイゾルデの物語りと呪い&前奏曲と愛の死を録音していたプリマが、是非全曲をやらせて貰えるよう切望して、実現したスタジオ録音らしいです。
リゴレットさんよりか
投稿: リゴレットさん | 2018年4月15日 (日) 07時57分


リゴレットさん
ショルティ盤は記事の後に購入しましたがまだ追記できていません(こんなのばかりですが・・・)
さすがに当時のウイーンフィルの音が魅力ですし、ニルソンは当然素晴らしいです。

もしもクナッパーツブッシュが全曲録音できれば遥かに素晴らしいでしょうが、それは無い物ねだりですね。
投稿: ハルくん | 2018年4月16日 (月) 13時09分

ハルくん様
C・クライバー盤、まだ途中で放り出さなかっただけでも、ヨシとしなければならないのでは(笑)?

DGのラ・ボエームも例の調子で、後拭い的にアバドが残された歌手とスカラ座のオケで、ヴェルディのレクイエムを録音しましたし、EMIのヴォツェックも同様に投げ出した為、ヤノフスキが呼ばれてR・シュトラウスの沈黙の女に演目を替えて、全曲盤を収録する羽目になりましたからねぇ…。
投稿: リゴレットさん | 2018年4月17日 (火) 19時53分

http://harucla.cocolog-nifty.com/blog/2009/09/post-55f2.html

11. 中川隆[-14317] koaQ7Jey 2020年1月20日 13:50:15 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-1219] 報告
2012年5月 1日
ワーグナー 楽劇「トリスタンとイゾルデ」 クリスティアン・ティーレマン/ウイーン国立歌劇場盤

クリスティアン・ティーレマン指揮ウイーン国立歌劇場(2003年録音/グラモフォン盤) 



ゴールデン・ウイークには、普段中々聴けないCDをじっくりと聴くのも大きな楽しみです。最近は、家でオペラを聴くことが少なくなっています。昔はCD(LP?)やビデオでも良く鑑賞していたのですが、この頃は余り取り出すことが有りません。もちろん鑑賞に長時間が必要だということもありますが、ならばバッハの大作の鑑賞をしているのですから、余り理由にはなりません。たぶん自分の中で、オペラは家でCD、DVDを鑑賞するよりも、劇場で生の舞台を鑑賞する方が愉しいという感覚が強くなっているのかもしれません。ただ、その割には、生の舞台で期待外れになることも少なく無いので、結局のところは良くわかりません。
ワーグナーのオペラのディスクは一通り持っていますが、頻繁に取り出して聴くのは「トリスタンとイゾルデ」と「パルジファル」の二つだけです。それ以外は「指輪」も含めて、滅多に聴きません。

「トリスタン」については、以前、「トリスタンとイゾルデ 名盤 〜禁断の恋〜」という記事で愛聴盤のご紹介をしました。その後、クリスティアン・ティーレマンが2003年にウイーン国立歌劇場で演奏したライブ盤を購入したのですが、きちんとは聴いていませんでした。今回、それを、ようやくじっくりと聴いてみました。

オーストリア放送協会による放送用録音ですので、スタジオ録音と比べると、どうしても緻密さや分離、ダイナミック・レンジの点で劣るかもしれません。但し、昔から放送録音を聴き慣れてきた耳には、スタジオ録音の人工的な音造りよりも、舞台が目の前に浮かぶ自然な音像がむしろ好ましく感じられます。

今からもう10年も前の演奏なのですが、カぺルマイスターとして地道にキャリアを積んできたティーレマンのオペラ指揮だけあって、実に堂に入ったものです。ワーグナーの傑作オペラだからといって妙に肩に力の入リ過ぎていない、のびのびとした指揮ぶりの印象です。テンポが特に遅いわけでも無いのに、何かゆったりと聞こえるのは、フレージングの良さでしょうか。カール・ベームの、あの極度の緊張感に包まれた壮絶な演奏とは異なります。と言っても、何も緩んだ演奏だということでは全く無く、1幕の結びや、3幕での緊迫した部分における迫力は中々のものです。けれども、最も印象に残るのは、オーケストラ、すなわちウイーン・フィルのしなやかで美しい演奏です。

僕がこれまで愛聴してきた、ベーム盤はバイロイト管、フルトヴェングラーはフィルハーモニア管、バーンスタインはバイエルン放送響ですので、ウイーン・フィルの全曲盤は持っていませんでした。かのクナッパーツブッシュ/ウイーン・フィルの抜粋盤などを聴くと、「ああ、これが全曲盤であったらさぞや・・・」と思わずにいられなかったのです。

もちろん、ティーレマンはクナッパーツブッシュではありませんが、このしなやかで艶の有る美しい響きは、やはりウイーン・フィルならではです。それに、表現力の素晴らしさも、最高の機能を持った歌劇場オーケストラならではの実力を、余すところなく示しています。トリスタンを歌うトーマス・モーザーは決して超人的なヘルデン・テナーではありません。けれども、恋に落ちてしまい、悲劇的な結末を迎える人間的な弱さを持ったトリスタンとして、魅力は充分です。イゾルデを歌うデボラ・ヴォイトも、若々しく美しい声が、恋に落ちる美女を想像させてとても良いです。これが、もしもDVDだと、彼女の恰幅の良い姿がアップで見えてしまうので、むしろ興ざめ??になりかねません。現実よりも、想像の世界の方が良いことは世の中によく有ることです。(笑)

全体として、ベームの迫力には及ばず、フルトヴェングラーの沈滞の深さにも及ばず、バーンスタインの濃厚なロマンティシズムにも及びませんが、ワーグナーの書いた管弦楽の美しさを、これほどまでに生かし切って、しかも愛と悲劇のドラマを充分に感じさせる演奏はこれまで無かったかもしれません。オリンピックであれば、種目別では他の選手にメダルを譲っても、団体総合で金メダルというところです。

補足ですが、このCDも各3幕が、1枚毎にぴったり収まっているので、鑑賞には便利です。

大好きな「トリスタンとイゾルデ」に、またまた愛聴盤が加わりました。やっぱり人生は愛だわなぁ〜(笑)




コメント

ハルくん、こんにちは
ううん、私の場合、LPやCDは結構、「ジャケット買い」をしますが、上記のCDはシャケットの絵が私の趣味ではないので、演奏者達が気に入っても、多分、入手しないで終わりそうです。

さて、「トリスタンとイゾルデ」ですが、これ、主人公達の年齢設定って、確か、10代後半か、20〜22歳なのですね。ですから、声的に若々しく感じなんければならない筈なのですが、ドラマティックソプラノが歌うことが多いので、大人の女性と言うイメージの録音がほとんどだと思っています。その中で、唯一、「青春」を感じさせてくれたのは「グッドオール指揮ウェールズナショナルオペラO.」の録音でした。

後は、「ベーム指揮バイロイト祝祭歌劇場O.」は素晴らしいとは思いますが、録音を度外視すれば、フラグスタートとメルヒオールの輝かしい歌が聴ける「ラインスドルフ指揮メトロポリタン歌劇場O.」が最も好きです。
投稿: matsumo | 2012年5月 3日 (木) 11時17分



matsumoさん、こんにちは。
このCDジャケットの絵は、デイヴィッド・ホックニーという、ピカソに影響された現代画家の作品ですからね。ジャケットとしては奇抜ですが、僕は中々新鮮で良いかなぁとは思っています。

この人は「トリスタン」や「春の祭典」などの舞台装置のデザインもやっているそうです。

この音楽の持っている濃厚で官能的な曲想からは、どうも青春の恋愛の印象は受けません。「ロミオとジュリエット」の世界からは遠く感じますね。むしろ、円熟した大人の恋愛に感じてしまいます。
フラグスタートもフルトヴェングラー盤では、すっかりオバハン声になりましたが、かつては素晴らしい声を聞かせていましたね。
投稿: ハルくん | 2012年5月 3日 (木) 12時50分

http://harucla.cocolog-nifty.com/blog/2012/05/post-7587.html
12. 中川隆[-14316] koaQ7Jey 2020年1月20日 13:55:17 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-1218] 報告

クリスティアン・ティーレマン
Tristan und isolde bayreuth 2019 thielemann - YouTube 動画
https://www.youtube.com/watch?v=6GbBs1PFv-8


Stephen Gould tristan
Georg Zeppenfeld marke
Petra Lang isolde
Greer Grimsley kurwenal
Armin Kolarczyk melot
Christa Mayer brangane
Tansel Akzeybek junger seemann,ein hirt
Kay Stiefermann ein steuermann

regie Katharina Wagner

Bayreuth Festival Orchestra
Christian Thielemann
1 august 2019
Stereo

13. 中川隆[-14315] koaQ7Jey 2020年1月20日 14:07:56 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-1217] 報告

【DVD】Wagner: Tristan und Isolde 2015年
クリスティアン・ティーレマン 、 バイロイト祝祭管弦楽団

ワーグナー:楽劇「トリスタンとイゾルデ」(全曲)

シュテファン・グールド(トリスタン)
ゲオルク・ツェッペンフェルト(マルケ)
エヴェリン・ヘルリツィウス(イゾルデ)
イアン・パターソン(クルヴェルナル)
ライムント・ノルテ(メーロト)
クリスタ・マイヤー(ブランゲーネ)
タンゼル・アクゼイベック(牧人,水夫)
カイ・シュティーファーマン(舵手)
バイロイト祝祭管弦楽団&合唱団
クリスティアン・ティーレマン(指揮)
【演出】カタリーナ・ワーグナー

【収録】
2015年7〜8月、バイロイト祝祭劇場でのライヴ


近代的で謎めいた舞台と、ティーレマンの重厚な音楽によるライヴ

ワーグナーのひ孫で、何かと話題を巻き起こすカタリーナ・ワーグナーの新演出による「トリスタンとイゾルデ」のこの映像。

最近のバイロイトにおける「新演出」についての賛否両論の激しさは知る人ぞ知る、と言った様相を呈していますが、この「トリスタン」は比較的穏健な場面で幕を開けます。とは言っても、装置はなかなか不可解。近代的で謎めいた器具類が示唆するものは一体何なのでしょう?

そんな疑問は最後まで解けず、第3幕での幻想的な雰囲気も相俟って、一度見終わっても「もう一度」と繰り返し観賞したくなること間違いなし。また特筆すべきはやはりティーレマンが紡ぎ出す上質のペルシャ絨毯のような音の織物で、歌手たちの歌を巻き込みながら、陶酔の頂点を目指すところは、さすが、当代随一の「ワーグナー指揮者」たる所以でしょう。

レビュー

2015年のバイロイトの"トリスタン"が映像化。常にその斬新な発想が物議を呼び、今回の上演時も話題を呼んだカタリーナ・ワーグナーの演出によるもの。ポイントの場面場面で「えっ、そう動く?」と言いたくなってしまう演出が続出。観ていて驚きはありますが、キャラクターにより象徴的に色分けがなされた衣装、ユニークな舞台装置と共に全編に渡るスケール感のある舞台作りは見応えがあります。そしてティーレマンの下、グールドの惜しげもなく響かせる朗々とした美声、ヘルリツィウスの細身の身体からわきあがるような魂のこもった歌唱、主役2人の熱演、名演ぶりが実に素晴らしい。
intoxicate (C)古川陽子
タワーレコード (vol.123(2016年8月10日発行号)掲載)
https://tower.jp/item/4283865/Wagner%EF%BC%9A-Tristan-und-Isolde


【DVD】Wagner: Tristan und Isolde
クリスティアン・ティーレマン 、 バイロイト祝祭管弦楽団

(いまさら、分かりきったことながら…)凋落の現代バイロイト。その末期的歌唱水準の現状を知るのに最適。加えて演出も指揮も実に凡庸
2018年8月15日


黄金期の名演だけを崇めて依怙地に他を一切認めない、別にそういう狂信的な保守派ヴァグネリアンなんかでなくても、洋の東西を問わず、「Poor Tristan」と評価するのがコレに対する世界スタンダードの常識。何にせよ、大問題は〈イゾルデ〉の「悪声ヘタクソ・ソプラノ」=エヴェリン・ヘルリツィウスの歌唱で、『激甚災害級』と表現するしかない。第一印象で「うぇっ! なんじゃこりゃぁ?!」「お願いだから勘弁して…」というリアクションがフツー。そう感じないとしたら、オペラリスナーとしてはかなり問題がある。

戦後再開バイロイトにおいては、カラヤンが指揮した1952年度から2018年までに計14人のソプラノが〈イゾルデ〉としてステージに立ったそうで、私の手元にはその全員の録音があるし、うち何人か生声に接した人もいるのだけど、歌と声に関して黄金期の「Great Wagner Singing」の系譜に名を連ねて恥ずかしくないのは、ここ30年ではニーナ・ステンメだけだ。演技力と美貌が武器のヴァルトラウト・マイアーは若い頃から声が良くないし、イレーネ・テオリン※(2008-2012シーズン)、本盤のヘルリツィウス(2015)、ペトラ・ラング(2016-2018)の3人に至っては酷いなんてもんじゃない。断言するが、その中でもヘルリツィウスは度し難く劣悪だ。BR-KLASSIKで音声ライヴストリーミングされた初日公演[確か第1幕で来賓のメルケル首相が昏倒して退席するハプニングがあったりした]も本盤の映像収録公演もどっちも聞くに堪えない。衰退した現代バイロイトであっても、歌手陣が激しいブーイングを受けることは稀だが、ヘルリツィウスは例外だった。但し、彼女の場合には止むを得ない裏事情があったのも事実で、ハナから歌唱力に目をつぶっての起用だった点はちゃんと書いておかないとフェアではない。本盤収録の新プロ初年度2015年の〈イゾルデ〉は、同シーズン〈ジークリンデ〉も兼任するアニャ・カンペ(上記3人よりはマシなソプラノ)が当初予告されていたのだけど、プレミエまで一か月の土壇場で造反。〈イゾルデ〉をキャンセルする一方で、BPO新シェフに内定していた《リング》担当のキリル・ペトレンコ陣営には義理立てして〈ジークリンデ〉は予定通り契約を履行、という「バイロイト陣営(カタリーナ・ヴァグナー+ティーレマン)に対するベルリン派の計画的クーデタ」と書き立てられたスキャンダル降板劇が発生。窮余の策として、歌唱力こそ悪名轟きお世辞にも美形とは言えないが、ダンス能力も備えた"舞台女優"として経験豊富、その演技力で「カタリーナ治世下バイロイト新時代の注目プロダクション」《トリスタン2015》を崩壊の危機から救ってくれそうなヴェテラン、キャリア最終盤で失う物も無いヘルリツィウスに代役を受けて貰った、というスッタモンダの経緯があった。

[※広瀬ナントカいうライターがあるライナーノーツで『テオリンは全盛期のギネス・ジョーンズに匹敵する』と書いてた。デタラメもいいとこ。欧米なら蔑視され業界から干される類いの実に不誠実な誇大表現]

音楽ジャーナリズムが言葉を濁す「不都合な真実」だが、世界中の全てのオペラハウスで歌手が著しく実力低下した現在、オペラ黄金期であった約半世紀前には中堅クラスでも当たり前に上演出来た「歌手とオケの高次の一体化あっての"楽劇"」は目下の"豪華な顔触れ"と形容されるキャストを揃えても夢物語。それが今日のオペラ業界が直面している悲しい現実だ。バイロイトであれ、ニューヨーク、ミラノ、パリ、ウィーン、ミュンヘン、主要劇場でもローカルのカンパニーでも、どこでも、現在の80歳前後、ドミンゴ世代を最後に、実力を伴った名歌手は久しく人材難で焦土化の一途、とりわけ歌手陣に過酷なスタミナとパワーを要求するヴァグナー作品、中でも殺人的負荷と難度で声帯が深刻に損耗することから多くの歌手が忌避する《リング》や《トリスタン》の場合、災害レベルの歌唱水準に落ち込んでしまうのが日常茶飯事となっている。

では、ティーレマンは? 現代を代表する卓越したヴァグナー解釈者ならではの、先行レビュアーが云うところの「完璧な指揮」とやらで、そうした困難な現状に立ち向かい、評判に相応しい成果を収めることに成功しているのか? その問いには即答できる。「Nein」だ。大不評であっという間に廃盤になったティーレマンの「黒歴史」2003年ウィーン・ライヴDG全曲盤[=タイトルロールのトマス・モーザー/デボラ・ヴォイトは本盤のスティーヴン・グールド/ヘルリツィウスより"若干不快指数が低い"という点でまだマシ]もそうだったし、本盤を含むバイロイト・ライヴ2015-18もそうだが、全体への洞察より精度と細部のポリッシュアップを優先するティーレマンの《トリスタン》は、決まって劇的緊張感と推進力が弱くて盛り上がらずクライマックスで不発、非力でダレる。耳心地よく流れるばかりで、"イージーリスニング版トリスタン"とでも呼びたくなる趣。一言で言って、生ぬるい。メジャーレーベルに冷遇されたが、ホルスト・シュタイン以後で最も貢献度の高かった「バイロイトの大番頭」で、凄みを滲ませた重厚な《トリスタン2006-12》を聴かせたペーター・シュナイダーにすら、ティーレマンは及ばない。確かに、恥も外聞もかなぐり捨てて「遂に来るとこまで来てしまった」現代バイロイトの客寄せパンダ興行《ヴァルキューレ2018》の「指揮者としてのバイロイト・デビュー」のバカ騒ぎがむしろ痛々しさを強調する結果となった"老害アマチュア指揮者"プラシド・ドミンゴとの比較なら、ティーレマンは当然"プロ中のプロ"と言って差し支えないが…。いずれにせよ、これは「完璧な指揮の《トリスタン》」なんかでは全然ない。「完璧な指揮」という賛辞は、例えば、二線級のオケと歌手を率いて尚偉大な成果を収めたレジナルド・グッドールのような人の《トリスタン》や、敗色濃くなった戦時下ベルリン1943年に第三帝国が意地になって総力を挙げて制作したロベルト・ヘーガーの全曲録音、そして、黄金期1950s-70sバイロイトの年度別放送音源(今ではネット上で無料・格安で幾らでも入手できる)、そういうものを聴いたときに感嘆と共に自然に心から沸き起こる、そんな局面で使うべき言葉のはずだ。可哀想なことにリアルな世界の広大さを露ほども知らず、メジャーレーベルが自己都合で築き上げた旧態依然の偏狭な枠組みだけを眺めては、未だにそれを「世界の総て」と信じて疑わない都合の良い消費者でしかない、そういうタイプのクラヲタと思しき先行レビュアーはそれらを耳にしたこともなければ、存在すらよく知らないのだろう。

歌手も指揮者も"終わった"時代にあって、視覚要素の創造性は「オペラの"最後のフロンティア"」なわけだけど、「名義貸し」の丸投げっぽくて、実際どこまで携わっていたのか疑問な"曾孫"カタリーナ・ヴァグナーの演出コンセプトは、行き当たりばったりの思い付きのハッタリが目立ち、劇的求心力を欠き機能不全。ドラマとして全然面白くない。

奇を衒って、第2幕で、ミシェル・フーコーが近代社会の見えざる管理統制システムの比喩として語った「パノプティコン(一望監視型刑務所)」と思しきセットを組んでみたり、ジョージ・オーウェル《1984》的全体主義への警鐘、或いは、2015年当時の時事ネタを踏まえてスノーデン事件以後の文脈における「グローバル規模のプライバシーなきサイバー監視ネットワーク」批判まで強引に射程に収めたかったのかも知れないが、要は、「街中に監視カメラが溢れ死角は無く、全てが可視化されるSNS時代には権力への抵抗はおろか、不倫すら統制され"丸見え"で成就は難しい…」という程度のネタで欲張って大風呂敷を広げただけのように見える。

曖昧で婉曲な言い回しに終始したこんな中途半端な舞台より、例えば、当事者として目撃してきたリアルな体験であればこそ語り得る「ヴァグナー家の家督相続と音楽祭権益を巡って延々と繰り広げられる骨肉の争い、謀略と裏切りに満ち、足を引っ張り合う醜い内ゲバだらけの音楽祭の内幕」を赤裸々に描いて、その渦中で宿命を背負わされているカタリーナ自身を率直にそこに投影してみせれば、よほど説得力があってスリリング、現実世界に災いをもたらしオペラ以上に狂気とカオスに満ちたヴァグナー一族の壮大な愛憎劇を展開できただろうに…
https://www.amazon.co.jp/Tristan-Isolde-Blu-ray-Bayreuth-Festival/dp/B01E7ZORYS

14. 中川隆[-14012] koaQ7Jey 2020年2月06日 12:31:24 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-681] 報告

クラシック音楽 一口感想メモ
ヴィルヘルム・リヒャルト・ワーグナー(Wilhelm Richard Wagner , 1813 - 1883 )
https://classic.wiki.fc2.com/wiki/%E3%83%AF%E3%83%BC%E3%82%B0%E3%83%8A%E3%83%BC

歌劇、楽劇の巨人であり、ドイツロマン派を代表する作曲家の一人。

作品ごとに雰囲気が全然違い、音楽の構造すら違ったりする。それでありながら全てが傑作である。新しい時代を切り開いた革命家であり、それまでには存在しなかった音楽の可能性を切り開いた。

陳腐さが全く無い音感の良さ、音に強烈なエネルギーを持たせる表現力、表現の幅広さや奥行きや劇的な構成力など、多くの能力において、ロマン派の中で最高峰の実力者である。


歌劇

•『さまよえるオランダ人』 序曲

•『タンホイザー』 序曲◦4.0点


まだロマンの浸りきるところまでたどり着いていない、初期らしさの残る作品。しかし堂々としていて既に完全に大作曲家の領域に達している。

•『ローエングリン』 序曲◦4.0点


初期の中ではやはり1番完成している。非常に情熱的で、ロマン的純度が高いイメージで究極感のある音楽である。

•『トリスタンとイゾルデ』 前奏曲

無限旋律やトリスタン和音の妙は、音楽の構造として見事な発明品である。そして、愛を情熱的に表現した音楽は、聴いていて熱い想いを感じさせる。

•愛の死

•『ニュルンベルクのマイスタージンガー』序曲◦5.0点


堂々としたゲルマン的な英雄的な力強さに満ちている。行進曲でありながら、序曲らしさを兼ね備えているのが素晴らしい。

•『ニーベルングの指環』 (Der Ring des Nibelungen )

ライトモチーフとストーリーを覚えると楽しんで聴けるSFファンタジー超大作。さしずめ19世紀版のスターウォーズといった所か。

•序夜『ラインの黄金』 序曲◦4.5点


自然が発生して、物語の場面へと誘う雰囲気の作り方の素晴らしさと期待感の高さは、全4夜の超大作にふさわしいもの。

•第1夜『ヴァルキューレ』 第1幕◦4.0点


叙情的に物語が始まる場面だが、雰囲気の作り方がうまさは完全に天才の所業である。ライトモチーフを追う楽しさはを端的に味わえる。

•ワルキューレの騎行◦5.0点


有名な曲。ビュンビュンとワルキューレが飛び交う雰囲気は何度聴いてもかっこいい。

•第2夜『ジークフリート』

•第3夜『神々の黄昏』

•『パルジファル』 前奏曲

神聖さ、厳粛さを強く感じさせながらも、ロマン的な情熱とドラマトゥルギーを併せ持ち、そして宗教がかった曲にありがちな陳腐さに堕ちていないという、ワーグナーにしか作れない素晴らしい音楽。


その他

•ジークフリート牧歌

•交響曲

https://classic.wiki.fc2.com/wiki/%E3%83%AF%E3%83%BC%E3%82%B0%E3%83%8A%E3%83%BC

15. 中川隆[-17286] koaQ7Jey 2021年8月11日 15:49:59 : Byxbbc4XKU : WE51OVA5THEuZlU=[32] 報告
クナッパーツブッシュ



Knappertsbusch: Tristan und Isolde: Act 3; LIVE in Zürich (1947) Lorenz, Flagstad




ACT 3:

0:00:00 — Vorspiel
0:06:45 — Scene 1: “Kurwenal! He! Sag’, Kurwenal!”
0:10:33 — Scene 1: “Die alte Weise; — was weckt sie mich?”
0:15:59 — Scene 1: “Dünkt dich das? Ich weiß es anders”
0:23:10 — Scene 1: “Der einst ich trotzt’, aus Treu’ zu dir”
0:25:54 — Scene 1: “Isolde kommt! Isolde naht!”
0:29:04 — Scene 1: “Noch ist kein Schiff zu sehn!”
0:39:21 — Scene 1: “Mein Herre! Tristan! Schrecklicher Zauber!”
0:44:02 — Scene 1: “Wie sie selig, hehr und milde”
0:47:34 — Scene 1: “O Wonne! Freude!”
0:50:48 — Scene 2: “O diese Sonne! Ha, dieser Tag!”
0:54:16 — Scene 2: “Ich bin’s, ich bin’s, süßester Freund!”
0:59:53 — Scene 3: “Kurwenal! Hör’! Ein zweites Schiff”
1:03:37 — Scene 3: “Tot denn alles! Alles tot!”
1:08:13 — Scene 3: “Mild und leise wie er lächelt”



Hans Knappertsbusch
Tonhalle-Orchester Zürich
(Recorded 5th June, 1947, Stadttheater, Zürich)

Tristan — Max Lorenz
Isolde — Kirsten Flagstad
Brangäne — Elsa Cavelti
Kurwenal — Andreas Boehm
Marke — Lubomir Vischegonov
Melot — Alexander Kolazio
A shepherd — Rolf Sander
A steersman — Wilhelm Felden


16. 中川隆[-17285] koaQ7Jey 2021年8月11日 15:53:08 : Byxbbc4XKU : WE51OVA5THEuZlU=[33] 報告
クナッパーツブッシュ


Wagner - Orchestral Works / Presentation + New Mastering (Century’s recording : H.Knappertsbusch)




Götterdämmerung
I.Morgendämmerung und Siegfrieds Rheinfahrt / Vorspiel (00:00)
Dawn and Siegfried’s Rhine journey / Prologue
L’Aube et le voyage de Siegfried sur le Rhin / Prologue
II.Siegfrieds Trauermarsch / 3.Akt (12:34)
Siegfried’s funeral march / Act Three
Marche funèbre de Siegfried / Acte trois



Die Walküre
‘’Leb wohl, du kühnes, herrliches Kind !’’ (20:04)
Wotans Abschied und Feuerzauber / 3.Akt
Wotan’s Farewell and Magic Fire Music
L’Adieu de Wotan et le miracle du feu
Wotan : George London



Parsifal
‘’Ich sah das Kind an seiner Mutter Brust’’ (37:41)
Kundrys Erzählung / Kundry’s narration 2.Akt


Tristan und Isolde
I.Vorspiel zum 1.Akt (43:31)
II.’’Weh, ach wehe! Dies zu dulden! 1.Akt (53:39)
III.’’Mild und leise, wie er lächelt’’ (1:15:15)


Isoldes Liebestod, 3.Akt
Mort d’Isolde
Isolde : Birgit Nilsson / Brangäne : Grace Hoffman


Wiener Philharmoniker
Hans KNAPPERTSBUSCH
Recorded in 1956,58-60

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