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ドイツ人にしか理解できないブラームスが何故日本でこんなに人気が有るのか?
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/681.html
投稿者 中川隆 日時 2019 年 10 月 19 日 08:22:18: 3bF/xW6Ehzs4I koaQ7Jey
 

(回答先: ベートーベン ピアノ・ソナタ第18番変ホ長調 作品31−3 _ 何故この曲だけこんなに人気が有るのか? 投稿者 中川隆 日時 2019 年 10 月 19 日 08:01:40)

ドイツ人にしか理解できないブラームスが何故日本でこんなに人気が有るのか?

ブラームスの名曲といえばもちろん
https://lavender.5ch.net/test/read.cgi/classical/1571178797/


1名無しの笛の踊り2019/10/16(水) 07:33:17.49ID:cMdhEX7k

交響曲第三番
op.117間奏曲集

5名無しの笛の踊り2019/10/16(水) 20:57:40.94ID:4qo9wefL

ブラSym4&1&2

6名無しの笛の踊り2019/10/16(水) 21:16:54.74ID:7RqUVxXQ

交響曲4だな

7名無しの笛の踊り2019/10/16(水) 21:20:41.57ID:QcxS9D2x>>11

世の中の評価ほど才能がある作曲家に思えない。


8名無しの笛の踊り2019/10/16(水) 21:21:02.89ID:ctKkRqgR

ブラームスの子守唄より五木の子守唄のほうが数倍名曲

11名無しの笛の踊り2019/10/16(水) 22:11:02.72ID:cMdhEX7k
>>7
そりゃ才能ない作曲家の代表だし
能力でねじ伏せてる

12名無しの笛の踊り2019/10/17(木) 01:41:08.14ID:9Nb7jkIZ

ブラ2好き

14名無しの笛の踊り2019/10/17(木) 16:59:03.45ID:jMBXcTgj

は?ハンガリッシュダンスじゃね?


15名無しの笛の踊り2019/10/17(木) 17:07:18.65ID:BCVhP2fR
>>14
ジプシーの伝承音楽の採譜です。

16名無しの笛の踊り2019/10/17(木) 17:25:21.91ID:dQxrH7KZ

室内楽に名曲が多い気がする

17名無しの笛の踊り2019/10/17(木) 20:31:20.68ID:tZTojrVC

雨の歌

18名無しの笛の踊り2019/10/18(金) 01:00:49.67ID:qwbcrAPh

ア・カペッラのモテット ”なぜ、苦しむ人に光があたられるのか”
Warum ist das Licht gegeben dem Mühseligen 0p.74-1

ブラームスの合唱曲は宗教的、世俗的問わず、実にしぶい

19名無しの笛の踊り2019/10/18(金) 01:41:36.63ID:V30Bgffa

ホルントリオも好き

21名無しの笛の踊り2019/10/18(金) 07:35:01.16ID:5ftpFWxM

クラリネット三重奏が最高の名曲だね

クラリネット五重奏よりも良いよね

22名無しの笛の踊り2019/10/18(金) 07:38:32.93ID:5ftpFWxM

20代の作品を聴く限り、才能では

バッハ>>ブラームス>モーツアルト>シューベルト>ベートーヴェン>ワーグナー>>ブルックナー

の順だね

ブラームスは30歳以降伸びなかった

23名無しの笛の踊り2019/10/18(金) 07:44:59.78ID:5ftpFWxM

ブラームスとモーツアルトを比較すると

交響曲、協奏曲、室内楽、ピアノ曲すべてでブラームスの方が上だね

24名無しの笛の踊り2019/10/18(金) 09:59:29.50ID:5ftpFWxM

クラリネット五重奏はブラームスの方がモーツアルトより上

レクイエムもブラームスの方がモーツアルトより上

ブラームスが作曲しなかったオペラだけモーツアルトの価値が有るね

25名無しの笛の踊り2019/10/18(金) 10:18:22.78ID:dMOqF0eV

おれは室内楽だけだと思う。

26名無しの笛の踊り2019/10/18(金) 10:40:17.56ID:5ftpFWxM

Knappertsbusch はモーツアルトやシューベルトの交響曲は全然相手にしなかったけど、
Brahms Symphony No. 3 だけは極めて高く評価していたよね:

Johannes Brahms (1833-1897)
Symphony No. 3 in F major, Op. 90

Hans Knappertsbusch (1888-1965), Conductor
Stuttgart Radio Symphony Orchestra (Radio-Sinfonieorchester Stuttgart des SWR)

Rec. 15 November 1963 (Live Recording)
https://www.youtube.com/watch?v=th82p_KdqWo

27名無しの笛の踊り2019/10/18(金) 10:48:03.52ID:5ftpFWxM

ブルックナーはブラームスのピアノ協奏曲第一番を協奏曲史上最高の名曲だと思っていたし


Brahms - Backhaus - Bohm, 1953 Piano Concerto No. 1 in D minor, Op. 15 - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=FLeA3linKSA

28名無しの笛の踊り2019/10/18(金) 10:49:26.88ID:5ftpFWxM

ブラームスはモーツアルトやシューベルト程度では敵う相手じゃないよ

29名無しの笛の踊り2019/10/18(金) 10:56:03.65ID:dMOqF0eV

ブラームスは、はっとするメロディーが全然浮かばなかった人。

30名無しの笛の踊り2019/10/18(金) 11:01:11.41ID:5ftpFWxM

雨の歌は名曲だよ

クラリネット五重奏のメロディーは大人気だし

31名無しの笛の踊り2019/10/18(金) 11:04:52.94ID:5ftpFWxM

brahms Clarinet Quintet in bm-Op115-Lener Quartet & Charles Draper - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=K570sk82hNc

32名無しの笛の踊り2019/10/18(金) 11:15:03.37ID:5ftpFWxM

Brahms Regenlied - YouTube
https://www.youtube.com/results?search_query=Brahms++Regenlied+

33名無しの笛の踊り2019/10/18(金) 12:57:45.72ID:5ftpFWxM

これもメロディーが綺麗なので有名な名曲


String Quartet No. 3 in B Flat Major, Op.67 III. Agitato (Allegretto non troppo) - Trio - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=bOYyXwB51sU

34名無しの笛の踊り2019/10/18(金) 13:03:03.25ID:5ftpFWxM

歌曲はみんな名曲だね

Kathleen Ferrier; Vier ernste Gesange; op. 121; Johannes Brahms - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=9IFYlbn65dI

35名無しの笛の踊り2019/10/18(金) 13:09:35.43ID:5ftpFWxM

出来が悪い交響曲もモーツアルトやシューベルトよりは上


FURTWANGLER & Brahms-Finale from Symphony #1.wmv - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=NUWMrC96sVY
1945年1月23日

36名無しの笛の踊り2019/10/18(金) 13:15:27.33ID:5ftpFWxM

ブラームスはホルンを生かすのが天才的に上手いよね:


brahms Trio in E flat major for Piano, Violin and Horn, Op. 40 - Busch - Brain - Serkin - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=LjgxHRsLTPU

37名無しの笛の踊り2019/10/18(金) 13:23:52.35ID:5ftpFWxM

ポピュラー曲を書いても才能が全然違うよね:

Brahms - Hungarian Dances n°17, n°1, n°3 & n°10 - New York - Walter - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=otpoMv9tgS4

38名無しの笛の踊り2019/10/18(金) 13:29:14.38ID:5ftpFWxM

パガニーニもブラームスのお蔭で有名になったんだよね:


Wilhelm Backhaus plays Brahms Paganini Variations Op. 35 (1-2) - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=7slMrXTcUZk

39名無しの笛の踊り2019/10/18(金) 13:30:45.13ID:5ftpFWxM

Wilhelm Backhaus plays Brahms Variations on a Theme of Paganini Op.35 (1925) - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=t7eWKu1LQPU

40名無しの笛の踊り2019/10/18(金) 13:51:38.03ID:5ftpFWxM

これも二重協奏曲の最高傑作

Brahms Double Concerto Adolf & Hermann Busch - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=vxIo9-CTaCk


Double Concerto in A minor op 102
by Johannes Brahms

Adolf Busch, violin
Hermann Busch, Cello
Orchestre National de la Radiodiffusion Francaise
Paul Kletzki, Conductor
1949

41名無しの笛の踊り2019/10/18(金) 14:32:57.39ID:hkAFIp0Y>>70

ピアノ協奏曲第2番だろ!!


70名無しの笛の踊り2019/10/19(土) 01:51:59.18ID:FYqrGdN/
>>41
甘い旋律と爽やかさと重厚さを兼ね備えた超名曲でありクラシックで私の一番好きな曲

71名無しの笛の踊り2019/10/19(土) 02:11:13.80ID:FYqrGdN/
>>70
ガーシュイン「パリのアメリカ人」風に言うなら「ブレンナー峠のドイツ人」

55名無しの笛の踊り2019/10/18(金) 20:14:01.13ID:5ftpFWxM

バックハウスも晩年はこの曲が一番好きだったんだよね:

Wilhelm Backhaus- Brahms Piano Concerto No. 2 - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=D3k2a4Gi0Fc

Wilhelm Backhaus plays Johannes Brahms Piano Concerto, in 1967.
This is one of the last of his recording.

Wiener Philharmoniker
Conductor: Karl Bohm

43名無しの笛の踊り2019/10/18(金) 16:34:08.99ID:5ftpFWxM

ブラームスは音色がブラームスの音色でないと全然面白くないから正当な評価が難しいんだよね。
こういうブラームスの音を出せる演奏家が居なくなったからブラームスの評価が下がったんだ:


Brahms - Violin sonata n°2 - Busch - Serkin - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=PDoYFyI0EVE

Brahms Violin Concerto Adolf Busch - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=2-xD-u2JAjY

44名無しの笛の踊り2019/10/18(金) 16:43:50.79ID:5ftpFWxM

クラシックの核心 片山 杜秀 (著)

「フルトヴェングラー」の章では「音は悪くてかまわない」と、小見出しがあって次のような記述があった。(137頁)

「1970年代以降、マーラーの人気を押し上げた要因の一つは音響機器の発展があずかって大きいが、
フルトヴェングラーに限っては解像度の低い音、つまり『音がだんごになって』聴こえることが重要だ。

フルトヴェングラーの求めていたサウンドは、解析可能な音ではなくて分離不能な有機的な音、
いわばオーケストラのすべての楽器が溶け合って、一つの音の塊りとなって聴こえる、
いわばドイツの森のような鬱蒼としたサウンドだ。したがって彼にはSP時代の音質が合っている。」

オーディオ的にみて興味のある話で、そういえば明晰な音を出すのが得意の我が家のJBLシステムで
フルトヴェングラーをまったく聴く気にならないのもそういうところに原因があるのかもしれない。

通常「いい音」とされているのは、端的に言えば「分解能があって奥行き感のある音」が通り相場だが、
指揮者や演奏家によっては、そういう音が必ずしもベストとは限らないわけで、
そういう意味ではその昔、中低音域の「ぼやけた音」が不満で遠ざけたタンノイさんだが、逆に捨てがたい味があるのかもしれないと思った。

「いい音とは」について、改めて考えさせられた。

45名無しの笛の踊り2019/10/18(金) 16:46:09.07ID:5ftpFWxM

Brahms, Symphony No. 3 Op, 90 - Furtwangler, live 1949 (complete) - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=fRQTYE1dyQc


Johannes Brahms - Symphony No.3 in F, Op 90

0:00 - I. Allegro con brio
13:16 - II. Andante
22:59 - III. Allegretto
29:22 - IV. Allegro

Wilhelm Furtwangler, Berliner Philharmoniker
recorded live at RIAS Berlin, december 18, 1949

46名無しの笛の踊り2019/10/18(金) 16:47:59.96ID:5ftpFWxM

Wilhelm Furtwangler-Berlin Phil Brahms' Symphony No. 4 Live, 1948 [Remastered - 2016] MUST LISTEN - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=ho-VIo7pLzc


Conductor: Wilhelm Furtwangler
Orchestra: Berlin Philharmonic Orchestra
Live 1948 in Berlin

47名無しの笛の踊り2019/10/18(金) 16:51:13.06ID:5ftpFWxM

Furtwangler - the Melodiya records - Brahms Variations on a theme by Haydn - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=BQGclsYNHNQ

Variations on a theme by F.J.Haydn, op.56a
12~15th Dec. 1943, Philharmonie, Berlin
Wilhelm Furtwängler and the Berlin Philharmonic
____

Brahms - Haydn Variations - NDR - Furtwangler - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=RZUFmoTYl6g

Johannes Brahms

Variations on a theme by Joseph Haydn op.56a

Sinfonieorchester des NDR
Wilhelm Furtwangler
Live recording, Hamburg, 27.X.1951  

48名無しの笛の踊り2019/10/18(金) 17:02:36.94ID:5ftpFWxM

Brahms - German Requiem - Furtwangler, SPO (1948) - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=IUr2nBtGVuc


Ein deutsches Requiem (Johannes Brahms)
0:00 1. Selig sind, die da Leid tragen
12:46 2. Denn alles Fleisch, es ist wie Gras
29:15 3. Herr, lehre doch mich
40:14 4. Wie lieblich sind deine Wohlungen
45:59 5. Ihr habt nun Traurigkeit
55:01 6. Denn wir haben hie keine bleibende Statt
1:06:56 7. Selig sind die Toten

Stockholm Philharmonic Orchestra
Stockholm Philharmonic Chorus
Wilhelm Furtwangler, Conductor
Stockholm 1948

49名無しの笛の踊り2019/10/18(金) 17:08:22.22ID:hiAAA3/w

ヴァイオリンソナタ第2番はフランクのヴァイオリンソナタと似ていてより優れていると思う

50名無しの笛の踊り2019/10/18(金) 18:35:55.29ID:aJvEYDbd

いやぁレクイエムに関しては、モツの方が、、、

51名無しの笛の踊り2019/10/18(金) 18:51:00.31ID:5ftpFWxM

音楽は好き嫌いだから優劣付けても仕方ないよね


Mozart Requiem Karl Bohm - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=B-4ItWlPo48


モーツアルトは曲自体は大したこと無くても好きな人が多いから得してるね

52名無しの笛の踊り2019/10/18(金) 19:17:27.03ID:fVO09eY2

どう考えても、それはないだろう
一般的にも

53名無しの笛の踊り2019/10/18(金) 19:47:17.10ID:5ftpFWxM>>56

ヨーロッパでは20世紀初めまでモーツアルトは子供の音楽だとされていてインテリは相手にしていなかった

ベートーヴェン >> ワーグナー、ブラームス >> モーツアルト、ショパン、シューベルト、メンデルスゾーン

というのが当時の評価

54名無しの笛の踊り2019/10/18(金) 20:01:17.68ID:nIzibNO2

すげぇ
ブラームスって人気だね


56名無しの笛の踊り2019/10/18(金) 20:14:52.97ID:c9jBEvPW

そりゃ、3Bといえば、、、ブラームス!

>>53
その構図だと、ブラの評価は、たいしたことない。


レクイエムでは、やはりカトリックの様式美が大切。よって、モーツァルトが最高。
フォーレが次にくる。

ブラームスは、やや雑多な印象となる。
個人的には、最高だが、プロテスタントだしね。

57名無しの笛の踊り2019/10/18(金) 20:19:29.29ID:5ftpFWxM

武満徹さんはこんなことを言っていました。
このインタビューは’92年9月に行われていますから、武満さんが亡くなる’96年の約3年半くらい前ということになります。

 「最近、ブラームスに夢中になっちゃってて、皆に笑われてますけれども。
今頃、ブラームスがいい、って言うのか、って言われて。」

 「なんていうんだろう、あれだけの音楽としての骨格というか、構築力っていうの、作り上げる力、論理っていうのかな、
とてもわれわれにはないもんだし。
それは、もしかしたらなくてもしょうがないことなんだけど。

でも今頃になって、僕はベートーヴェンとかバッハとかブラームスとか、そういう人たちの音楽の力っていうか、
芸術としての力、決して古くなくって・・・それこそ、ブラームスは同時代人だ(笑)、とつくづくとそう思っていますね。」

58名無しの笛の踊り2019/10/18(金) 20:20:37.90ID:5ftpFWxM

ついこの前出たポリフォーン「総特集・武満 徹」の中に、このクラリネット・ソナタの譜面を見てピアノで弾いてみた武満が

「こんないい音楽があったら、もう他に音楽はいらないんじゃないかというような、譜面を全部見終わったときに、自分が感じた印象というのは、
完璧だ、ということでした」

と講演でしゃべった速記が載っていました。さらにシンポジウムで秋山邦晴がその「ブラームス発言」に現代作曲家としては安易な発言だという疑義が発せられて
それに答える形で、詳しくは原文を当たって頂くとしていくつかの弁明をされたあと、

 ・・あの人が書いた旋律などを見ていると、今までなんとなく聴き流してしまっていたけれど、
その音をよく確かめてみると、そんなに単純な甘ったるい旋律というようなもんじゃないんですね。
そこには確固たる、知的な構造がある。僕なんかがいちばん持ってないものを持っている。

と述べ、ソナタ1番アンダンテ冒頭のE♭とD♭が曲全体の構造に深く密接に関わってる点とリズムのセルがわずか4小節のなかで
2小節ずつ生と死とも言える極端な対比を作っていることでその構造の卓抜さの説明をしました。

こんなブラームス解説はいままで読んだことはなく、もっと第1線の作曲家の方々に名曲解説をして頂き
愛好家の蒙を啓いてもらいたいと思わせるとともに、1番の当方の印象もまんざらまちがっていなかったのがわかり、腑におちた、
という気分になりました。

 しかしあのアンダンテの冒頭に生と死の対比を嗅ぎつけるこの武満の感性の鋭さにはとてもついて行けないものがあります。
ブラームスの深い知性、芸の細かさにあらためて目を開かされました。

59名無しの笛の踊り2019/10/18(金) 20:28:25.14ID:5ftpFWxM

武光徹はこの曲が一番好きだったんだ:

Reginald Kell, Louis Kentner, Anthony Pini play Brahms Trio (R.1941) - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=1G79z6SGaFc

Brahms: Clarinet Sonata in F minor, op 120
cl: Reginald Kell pf: Mieczyslaw Horszowski
http://www.youtube.com/watch?v=c-wYtDLhvkE

60名無しの笛の踊り2019/10/18(金) 20:36:07.31ID:5ftpFWxM

brahms Clarinet Trio, Wlach & Kwarda & Holetschek (1952) ブラームス クラリネット三重奏曲 ウラッハ&クヴァルダ - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=uY1KOvnNicI

brahms Clarinet Sonata No. 1, Wlach & Demus (1953) ブラームス クラリネットソナタ第1番 ウラッハ&デムス - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=84vFArQzQHM

brahms Clarinet Sonata No. 2, Wlach & Demus (1953) ブラームス クラリネットソナタ第2番 ウラッハ&デムス - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=JrhqxXdjI6w

61名無しの笛の踊り2019/10/18(金) 20:37:20.97ID:5ftpFWxM

brahms Clarinet Quintet, Wlach & Vienna Konzerthaus Quartet (1952) ブラームス クラリネット五重奏曲 ウラッハ - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=5rKJCFg3yn4

62名無しの笛の踊り2019/10/18(金) 20:41:17.97ID:Ep5n++YN

玄人むきだよね。ネーメ・ヤルヴィも大のお気に入りだと言っていたし。

63名無しの笛の踊り2019/10/18(金) 20:44:46.19ID:5ftpFWxM

これは映画音楽になったね:

恋人たち Les Amants (1958)

監督:ルイ・マル
出演:ジャンヌ・モロー アラン・キュニー

音楽:Johannes Brahms: String sextet in B flat Major, Op. 18, II. Andante, ma moderato
http://www.youtube.com/watch?v=o0B8LqiReuQ

Brahms-Sextet for Strings No. 1 in B flat Major Op. 18
Isaac Stern, Alexander Schneider: violin-Milton Katims, Milton Thomas: viola-Pablo Casals, Madeline Foley: cello-Prades-1952
http://www.youtube.com/watch?v=u_e86keYgfc

64名無しの笛の踊り2019/10/18(金) 23:49:26.76ID:GyuOUkgb

ピアノ四重奏曲第1番の4楽章にハッとする瞬間がある
ムッシュ・イールという映画に使われていた

66名無しの笛の踊り2019/10/19(土) 00:26:15.25ID:8vCWpJi2

Bra SQ, Sextなんかは、最初に聴いた。初心者向け

67名無しの笛の踊り2019/10/19(土) 00:47:06.29ID:tXOFdf+Q

運命の歌
ヘルダーリンの歌詞による管弦楽伴奏の合唱曲
こういうの他の作曲家でなかなかない気がするんだな
アバドはこの曲を好きだったのか生涯にわたって時々演奏してたようだ

68名無しの笛の踊り2019/10/19(土) 00:47:12.30ID:uvqqpZ8e

今の初心者が聴くなら、ステレオ盤がいいのでは?

69名無しの笛の踊り2019/10/19(土) 01:08:44.21ID:8vCWpJi2

SQ集などは、DGからのOriginalsで、十分堪能できる

アマデウスSQとかだ。

初心者向け

72名無しの笛の踊り2019/10/19(土) 02:31:48.04ID:UHTWi7A1

福田さんだったが
音階が昔に比べてEだかが高くなっていて
ブラームスのトーンが消滅したとか
書いていたのを見てなるほどと思った
ことがある
室内楽の昔のモノラル録音なんか聴くと、確かにそんな気がする
けど、管楽器なんかその頃と規格が違ってるんだろうか
https://lavender.5ch.net/test/read.cgi/classical/1571178797/  

  拍手はせず、拍手一覧を見る

コメント
1. 中川隆[-10728] koaQ7Jey 2019年10月19日 09:36:32 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[2128] 報告

ブラームス最晩年のクラリネット曲に秘められたメッセージとは
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/434.html

ドイツの音とは何か?
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/447.html

ドイツの音楽、ドイツの音、そして世界の音
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/433.html

作曲家フルトヴェングラーとは何であったのか?_宇野功芳 樂に寄す
http://www.asyura2.com/09/reki02/msg/482.html

天才ピアニスト ヴァン・クライバーンとは何だったのか? _ アメリカ人には音楽は理解できない
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/430.html

2. 中川隆[-10727] koaQ7Jey 2019年10月19日 09:42:24 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[2129] 報告

ドイツの音楽はドイツの真空管アンプで聴こうよ
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/698.html

ドイツの真空管 1 _ RV258
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/463.html

ドイツ OCTAVE社の真空管アンプ
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/946.html

粋音舎 _ ドイツ古典フルレンジシステム販売
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/456.html

ドイツ製ヴィンテージ・オーディオ販売 クラング・クンスト KLANG-KUNST
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/479.html

クラング・クンスト _ DSDフォーマットの歴史的名盤の音楽ファイルをダウンロード販売
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/962.html

シーメンス・コアキシャルスピーカー _ 超高性能で激安なんだけど使いこなせるかな?
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/943.html

3. 中川隆[-10720] koaQ7Jey 2019年10月19日 15:25:47 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[2136] 報告

ブラームスの母は熱心なプロテスタントで、父はユダヤ人であったといわれている。ブラームスは家族構成からしても、特定の宗教に固執していたわけではなかった。信仰はプロテスタントであった。

1850年、ワーグナーは「音楽におけるユダヤ教」の中で、「メンデルスゾーンの作品は、深く心に訴えかけるものでもなければ、高い精神性も感じられない」と、メンデルスゾーンに対しての中傷を述べた。

この一言は、次第に広まり、メンデルスゾーンの作品は不評を買うようになり、無視されるようになった。

ブラームスなど、彼を高く評価をする音楽家も多く存在したが、1933年以降、ナチズムの台頭により、ドイツ国全体に反ユダヤ主義が高まったため、再びワーグナーの言葉が注目を浴びることとなった。というのも、ナチスがワーグナーの反ユダヤ主義論を積極的に採用したからだ。その結果、12年もの間、メンデルスゾーンの作品の演奏禁止、業績の封じ込め、記念碑の打ちこわしが行われた。序曲「真夏の夜の夢」の書き直しを要求することもあった。


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ドイツにおけるプロテスタンティズム音楽とその周辺の調査
https://www.chuo-u.ac.jp/academics/faculties/letters/fees_schol/scholarship/report2014/rep06/

 私は2014年9月6日から15日まで、ドイツのライプチヒ、アイゼナハ、ベルリン、ポツダム、ハンブルクを訪れ、プロテスタンティズム音楽の調査を行った。私は長年クラシック音楽が好きで、自分の専攻でドイツの文化史を学んでいる際に、音楽と文化史の繋がりに興味を持ったことがきっかけとなった。特に日本ではあまり触れることのできない、教会音楽を肌で感じたいと思ったし、音楽の原点とも言われる教会音楽について調査をすることで、私を魅了するこれらの音楽の本質に迫りたいという思いにより、今回の調査に至った。

   調査方法としては、日本にて参考文献を熟読し疑問点を取り上げ、プロテスタンティズム音楽の構築に重要な人物や建築物にまつわる場所、博物館を訪れ、質問をするというものである。

ドイツのプロテスタンティズム音楽

 初めに、ドイツのプロテスタンティズム音楽について述べる。1517年、マルティン・ルターが「九十五か条の意見書」を発表し、信仰のよりどころを聖書のみに求め、ローマ教皇の免罪符販売と教会の腐敗を批判したことから、宗教改革が行われた。これによって、教会はカトリック(旧教)とプロテスタント(新教)に二分された。プロテスタントは、礼拝にはより多くの人が参加することを望み、音楽もオルガンや聖歌隊のみではなく皆が声を合わせて歌うべきだとした。(これに対し、カトリックでは、オルガンや聖歌隊が目立って活躍した。)そしてプロテスタントの中でも更に、ルター派とカルヴァン派に分けられた。これらには音楽に関する相違点がある。ルターはあらゆる手段を用いて神を賛美すべきだと主張し、コラールを採用し、聖歌隊もオルガンも残した。一方、よりプロテスタントに厳格であったカルヴァンは、伴奏なしで斉唱をする詩篇歌を採用したために、こちらの党派では聖歌隊もオルガンも用いられなくなった。なお、今回私が焦点を置いたのは、ルター派のプロテスタンティズム音楽である。ちょうどこのころから、ルター派のバッハが教会音楽で活躍し、その土台を築いた。(金澤2007 p15-30参照)


ヨハン・セバスティアン・バッハ

 ドイツプロテスタント音楽はバッハにより築かれた。彼が最も多くの教会音楽を残したライプチヒのトーマス教会、そして彼にまつわる資料を探すためにバッハミュージアム、アイゼナハのバッハハウス、ポツダムのサンスーシ宮殿を訪れた。

1)アイゼナハ

 バッハは父のアンブロジウス、父の従兄のクリストフをはじめとする、音楽一家に生まれた。生誕の地は、アンブロジウスが音楽監督を務めた、アイゼナハである。アイゼナハはライプチヒからICE(特急電車)で約2時間のところにあり、バッハの生誕地のほか、ルターの活躍の地としても名高い、小さな町である。町の中心部のマルクト広場では、300年以上前に、ここで少年のバッハが遊んでいたのだろうか、と想像を膨らませながら歩いた。


写真:街の中心部、マルクト

 バッハ一家は、パン焼き職人であったファイトを初めとし、一家のほぼ全員が聖歌隊や楽器職人を含む音楽家であった。ファイトの故郷ヴェヒマールを中心に、アイゼナハ、エアフルト、アルンシュタット、マイニンゲンの各地にバッハ一族が栄えていった。
 父アンブロジウスは、アイゼナハの音楽監督であった。彼は熱心なキリスト教徒で、ルターを敬愛していた。ルターは、ヴァルトブルク城にて聖書のドイツ語訳をし、15歳から17歳には、この町の聖ゲオルク教会の付属学校に通っていたため、ルター派プロテスタント教徒にとって、この町は非常に重要な都市なのである。ヴァルトブルク城には、ルターの部屋が残されている。城の中心部から離れた、小さな部屋で、壁に向かっている木製の机と椅子からは、当時のルターの勤勉さと、長時間にわたる作業の厳しさが感じられた。


写真:ヴァルトブルク城と街並み


写真:ルターが聖書をドイツ語訳した部屋。

アンブロジウスは教会にて徒弟たちに聖歌を教えるという仕事をしており、またその教会の一つである、聖ゲオルク教会での礼拝では、兄のクリストフがオルガンを演奏した。こうしてバッハはこの町で、幼少期から自然と、プロテスタント音楽に触れていたのだ。七歳になると、ルターが通った学校と同じ、聖ゲオルク教会の付属学校に進学し、週末にはクレンデと呼ばれる小編成の合唱隊として、この町を歌い歩いたという。  10歳になると、父が他界したため、この町を去り、兄がオルガニストを務めていたオールスドルフへと移住することとなった。

 短い期間ではあったが、バッハがプロテスタント音楽家となったのに、間違いなく大きな影響を与えたのは、このアイゼナハであろう。

・バッハハウス

 アイゼナハには、バッハの博物館である、バッハハウスがあり、世界中から観光客が集まっている。


写真:バッハハウスの前にあるバッハ像

(バッハの死から100年後に、この町が、像を作ることを決めた。作成にはリストやクララ・シューマンらも協力した。彫刻家は、アイゼナハのルター像やドレスデンのフラウエン教会の製作者と同じである。当時からバッハが人々にどれだけ愛されていたのかがみてとれる。)

 この家は、1674年にアンブロジウスが購入した家で、1905年に新バッハ協会が購入し、博物館として利用できるように整備したものである。アイゼナハは第二次世界大戦での被害を受けて大火事に見舞われたため、この家も焼失しかけたが、1946年に博物館として再び蘇らせるために改修工事をすることが決定された。なお、新バッハ協会購入当時はこの家でバッハが誕生したと思われていたが、実際に誕生したのはここから少し離れたところにあるため、生家自体は残っていない。


写真:バッハハウス 外観

 この博物館は、二階建ての木造建築で、一階には古楽器のミニコンサートが開催されている、小さなホールがある。展示品は、バッハの生涯についての記事や楽譜、バッハファンが夢中な数学的視点から見たバッハの解説など、多岐にわたっている。館内にいるスタッフは、英語が流暢だったので、質問にも親切に答えてくれた。

・バッハ時代のチェンバーオルガン

 バッハ時代の古楽器のミニコンサートでは、スタッフが説明しながら音色を聞かせてくれた。


写真:バッハ時代のチェンバーオルガン ミニコンサートにて


写真:チェンバーオルガンのふいご

 ルター派の礼拝に、オルガンは必需品である。オルガンは紀元前3世紀にギリシア領アレクサンドリアで発明され、当初は「音の出る珍しい仕掛け」として、キリスト教の弾圧などの道具として使われていた。313年のミラノ勅令によりキリスト教が公認され、392年には国教として認められ、その後徐々にオルガンに対する反感も忘れ去られていった。教会の記録にオルガンが見られるようになったのは、9世紀以降のことであったが、礼拝としてではなく、鐘として使われていて、未だ道具として用いられていた。その後、修道院や教会学校での教育が盛んになるにつれ、聖歌隊の補助のために、ようやくオルガンを楽器として扱うようになった。楽器としてのオルガンは、大きく分けて、ポジティフとポルタティフという二つのタイプがある。ポジティフは、一段鍵盤でペダル付きで、主に普通の町や村の教会で使用された。ポルタティフはふいごがついており、このふいごは演奏者が右手で演奏しながら左手でふいごを引くタイプや、他の者がペダルを足で踏んでふいごを引くタイプがあり、大きな教会で使われた。

 この写真は、他者がペダルを踏むタイプのポルタティフである。観客のうちの一人が、実際にペダルを踏む体験をしていたのだが、演奏中はずっとペダルを踏み続けなければならないため、体力が必要であると思われた。

 展示コーナーでは、書籍を読んでいただけでは分からなかった、バッハのこの時期の私生活について質問することができた。

・幼少期の生活

 バッハ一家の当時の生活は、貧しくはないが贅沢な生活を送れたわけでもなかった。教会で音楽の仕事をしながら、家庭で農業を営む、という二本の軸があった。というのも、poor taxを支払うという義務が課せられていたからだ。この税は、町の貧困層のために、一定以上の収入がある土地の保有者に課せられるものであった。この税のおかげで、音楽家としての仕事のみでは厳しく、農業も営んでいたということだ。

 また、この時代のバッハの学生生活は、聖ゲオルク教会の付属学校にて、宗教、文法、算数の基本的な科目に加え、聖書の勉強が重点に置かれていた。時間は、午前が、6:00~9:00または7:00~10:00で、午後は13:00~15:00であった。また、choir of the Latin schoolのメンバーでもあったため、ラテン語の聖歌に幼少期から親しみがあったという。

 父の死によって、バッハはアイゼナハをあとにし、兄のヨハン・クリストフがオルガにストとして活躍していたオールドルフへと移る。ここから、バッハはオルガンに興味を持ち始め、その才能を開花させていくこととなる。その後、ヴァイマール、アルンシュタット、ミュールハウゼン、ヴァイマール、ケーテンを経て、ライプチヒへと至る。

2)ライプチヒ


写真:ライプチヒ 聖トーマス教会前


写真:聖トーマス教会


写真:聖トーマス教会の床にあるバッハの墓

 聖トーマス教会は、現在も礼拝堂として使用されており、礼拝の時間以外は、一般客向けに開放されていた。左の写真奥には、パイプオルガンがあるが、残念ながらこれはバッハ時代のものではない。教会内では人々が椅子に座り、ゆったりと物思いにふけっている姿が印象的だった。私もここに腰かけ、激務をこなしていたバッハの姿を思いうかべ、時間があっという間にたっていた。教会の一番前には、バッハの墓がある。遺骸は1894年にヨハネス教会の墓地から発見され、その後1900年からヨハネス教会にて埋葬されていた。第二次世界大戦によりヨハネス教会が破壊されたため、1949年にトーマス教会に移された。

・激務の時代

 ライプチヒは、バッハが人生で最も多くの作品を残した地であり、バッハが人生の最期を迎えた地でもある。彼はライプチヒにて、トマス・カントルとライプチヒ市音楽監督を兼任した。一教会歴年中約59日の祝祭日に、市内の主要四教会にて教会音楽を提供し、聖トマス教会に付属する寄宿制のラテン語学校であるトマス学校の生徒を教育することが、彼の職務であった。(トマス学校は音楽専門の学校ではなく、ギムナジウムの前身のルター派プロテスタントのラテン語学校で、基礎科目のほかは、古典語と宗教教育、音楽が三位一体となるべきであるとしていたため、学業もぬかりなく指導する必要があった。)主要教会とは、聖トマス教会、聖ニコライ教会、聖マタイ教会、聖ペテロ教会の四つの教会である。これらの教会で行われる毎週日曜日と祝日の礼拝の奉仕のために、トマス学校の生徒の聖歌隊が各教会に派遣され、その歌声を披露していた。バッハは、これらの聖歌を毎週一曲のペースで作曲し、週末の礼拝のために聖歌隊を指導した。聖歌隊を四つの教会に割り振る作業もあり、演奏に人数が足りないこともしばしばあったため、その都度エキストラを調達することも仕事であった。

・「マタイ受難曲」

 ライプチヒにおける激務の時代に、バッハの声楽曲の最高峰とされる「マタイ受難曲」がうまれた。受難曲とは、聖週間のミサにおいて、福音書に書かれた救世主キリストの受難の箇所を朗読するにあたって、それを劇的に行うことから発展したものである。17世紀にはいると、受難曲はルター派のドイツの教会のために作曲されることが多くなり、ルター派特有のコラールを挿入するようになった。  この曲は全二部から構成されていて、第一部ではイエスの捕縛までが歌われ、第二部では捕縛、ピラトによる裁判、十字架への磔、刑死後、墓の封印 が歌われるといった、イエスの受難の物語となっている。これらの歌詞は、聖書から引用されている。

 当時は今日ほどの評価を得ていなかったが、この曲を復活させたのは、1989年にメンデルスゾーンが行った復活上演であった。この上演は成功をおさめ、これ以降、バッハのほかの多くの器楽曲もが注目されるきっかけとなった。

3)ポツダム

 ライプチヒ時代に、フリードリヒ大王に謁見し、大きな評価を得たのが、ポツダムにあるサンスーシ宮殿である。

・「音楽の捧げ物」

 マタイ受難曲と同様、音楽史上重要である、「音楽の捧げ物」も、この時代にうまれた。このきっかけとなったのが、1745年にポツダムのサンスーシ宮殿にてフリードリヒ大王を来訪したことである。フリードリヒ大王は父親の軍隊王と呼ばれたフリードリヒヴィルヘルムとは異なり、音楽や文学をこよなく愛した人物であった。長年、バッハの来訪を心待ちにしていたが、オーストリア継承戦争の勃発によりかなわず、ようやく機会を得たのである。バッハの死のわずか五年前のことだ。サンスーシ宮殿は、夏の避暑地として利用された宮殿であり、多くの来客が訪れた。大王はこの宮殿に滞在中は、毎晩19:00〜21:00に演奏会を開き、自身もフルートを演奏した。


写真:サンスーシ宮殿 外観


写真:音楽の間…ピアノフォルテとフルート

 バッハは部屋にある七台のピアノフォルテすべてで、それぞれ異なった即興演奏を披露し、その出来に大王も聴衆も大変感動したのだという。そして、大王がバッハにあるお題を提示し、バッハはそれを三声のフーガにしてみせ、これも大変好評であったので、さらに六声のフーガにした。この一連の即興演奏は、高く評価されたため、バッハはライプチヒに戻った後、この即興をもとにして、「音楽の捧げ物」とし、後日フリードリヒ大王に贈った。

音楽の間は、イラストや解説から想像していたものより、はるかに小さな部屋で、客室と同じくらいの大きさであった。壁には絵画やろうそく、シャンデリアなどがかけられていて、かなりきらびやかであった。教会に缶詰の生活を送っていたバッハにとって、緊張する場だったのではないかと思われた。

-プロテスタントとユダヤの狭間で-
フェーリクス・メンデルスゾーン・バルトルディー

 メンデルスゾーンは、ユダヤ教から改宗して活躍をし、死後反ユダヤ主義の影響を大きく受けた作曲家である。ライプチヒはメンデルスゾーンが就任した、ゲヴァントハウスがあるため、ゆかりの地だ。反ユダヤ主義との関係性を調べるため、メンデルスゾーンハウスを訪れた。(なお、これはドイツに到着して初めて訪れる場所であったので、とても緊張していた。)


写真:メンデルスゾーンハウス 入口

 メンデルスゾーンは、幼少期にユダヤ教からプロテスタントに改宗し、以降、プロテスタントとして、19世紀のドイツ音楽界をリードした人物である。その活躍は、多くの作品を残しただけでなく、ゲーテと親交のあったこと、またドイツ初の音楽学校の創立や、ゲヴァントハウス就任、そしてバッハの「マタイ受難曲」の復活演奏を成し遂げたことなど、華々しいものであった。


写真:作業部屋の複製(左奥の棚の上にある胸像は、彼が敬愛したゲーテとベートーヴェンである。)

 1809年、ハンブルクにて誕生したメンデルスゾーンは、ユダヤ人の祖父モーゼスのもと、宗教的に寛容な教育を施されて育った。当時のプロイセンではユダヤ人も国民として平等の権利を有する布告がなされていた。1815年のウィーン会議によって安定していたヨーロッパでは、政権を王政に奪われたブルジョワ階級の人々が盛んに文化活動や学問に力を注ぐようになっていた。このような時代において、さらなる平等の権利獲得に励むユダヤ人は、幅広い教養を身に着けることが将来成功するのに必要であると考えており、メンデルスゾーンはヒューマニズムに基づく理想的な教育を受けた。そして、モーゼフは将来余計な障害に煩わされないために、1816年にメンデルスゾーンに洗礼を受けさせ、ベルリンにて、プロテスタントに改宗させた。

 こうして、プロテスタントとして、前述のとおりドイツを代表する音楽家として活躍をして一生を終えたが、死後、ユダヤ教であったことが問題視された。

ワーグナーによる反ユダヤ主義

 死後、音楽界においても、ワーグナーによって反ユダヤ主義が盛んになっていた。1850年、ワーグナーは「音楽におけるユダヤ教」の中で、「メンデルスゾーンの作品は、深く心に訴えかけるものでもなければ、高い精神性も感じられない」と、メンデルスゾーンに対しての中傷を述べた。この一言は、次第に広まり、メンデルスゾーンの作品は不評を買うようになり、無視されるようになった。ブラームスなど、彼を高く評価をする音楽家も多く存在したが、1933年以降、ナチズムの台頭により、ドイツ国全体に反ユダヤ主義が高まったため、再びワーグナーの言葉が注目を浴びることとなった。というのも、ナチスがワーグナーの反ユダヤ主義論を積極的に採用したからだ。その結果、12年もの間、メンデルスゾーンの作品の演奏禁止、業績の封じ込め、記念碑の打ちこわしが行われた。序曲「真夏の夜の夢」の書き直しを要求することもあった。

 戦後、メンデルスゾーンの演奏や研究は徐々に復活していった。わかりやすい例が、打ち壊された記念碑の再建の取り組みだ。この取り組みは1947年、没後100周年記念の音楽祭にて、胸像の除幕式が行われたことに始まり、1993年には、第三帝国時代に取り壊されたものを取り戻そうとする市民の動きが発端となり全身像の再建の取り組みが始まった。これには市民からの資金援助や、ゲヴァントハウスの支援もあった。2005年にようやく記念碑が完成した。

 生涯、メンデルスゾーンはユダヤ教に対し、どう考えていたのか、自分を真のプロテスタントとしてみなしていたのかは、定かになっていない。

-ドイツ語版レクイエムの製作とその意図- ヨハネス・ブラームス

 ドイツのキリスト教音楽で、マタイ受難曲に次いで重要なのが、ブラームス作の「ドイツ・レクイエム」である。なぜ、ブラームスはプロテスタント教徒であるにもかかわらず、本来カトリック教徒にむけられた作品である、ラテン語で書かれたレクイエムをドイツ語版で作ったのか、という問いを探求すべく、ブラームスの生誕地、ハンブルクにてブラームス博物館を訪れた。


・ハンブルク

 まず、ハンブルクの魅力について述べたい。というのも、私にとって、とても魅力的な都市であったからである。ハンブルクはドイツ最大の港湾都市で、ICEを降り駅のホームに降りた瞬間から、地面から湧き出るような活気を感じた。市内の電車からは、港を一望できる線もあり、移動時間も心を躍らせて過ごした。音楽に関しては、ブラームスのみでなく、メンデルスゾーンが生まれた都市でもあり、また、ビートルズが下積時代に活躍した地としても有名である。活気と音楽に満ち溢れており、いたるところでビールを片手に、ジャズ演奏やアコーディオン演奏が行われて、多くの人が一緒に演奏を楽しんでいる姿が印象的だった。


写真:港の様子


写真:滞在先の最寄り駅で行われていた、JAZZ TRAIN というイベント。この日は各車両でジャズコンサートが行われながら電車が走っていた。地元の人々に絶大な人気があるようで、この電車に乗るために長蛇の列であった。

ハンブルクの肌で感じた魅力について述べたところで本題に戻る。

・レクイエムとは

 レクイエムは「死者のための典礼式文」を用いているために、「死者のためのミサ」として知られている。これは、カトリック教会が採用している祝日、「諸聖人の休日(万聖節)」(11/1)に次いで行われる「諸死者の休日」(11/2)におけるミサ向けて書かれた曲である。諸聖人の休日では、亡くなった聖人全員を記念し、諸死者の休日では亡くなったキリスト教徒全員を記念し、ミサを行う。これは日本のお盆と性格が似ているといえるだろう。なお、レクイエムという名前は、このミサでは導入の聖歌の歌いだしが「永遠の安息を(Requiem aeternum)」という言葉で始まることに由来している。そして、この祝日のみではなく、あらゆる葬儀におけるミサ曲としても次第に普及していった。(金澤2007 p.32-42,156-159参照)

・ブラームスの時代

 このようなレクイエムをドイツ語で書いた理由を探求するには、まず当時の音楽史の動きが重要となってくる。

 1860年代のドイツは、ビスマルクの政策により不安定で、人々は"ドイツらしさ"を重要視し、求めていた。ここでいうドイツとは、言語と文化、領土を指す。こうした時代背景に応えるべく活躍したのが、ブラームスとワーグナーで、それぞれ、「ドイツ・レクイエム」と「ニュルンベルクのマイスタージンガー」を同年1868年に初演した。

 二人の音楽は対をなしていて、当時の音楽界はブラームス派とワーグナー派に分かれていた。ただし、ブラームスはワーグナーのことを尊敬していて嫌っていたわけではなかったし、ワーグナーも同様であったという。一般的に、ブラームスは古典伝統を重視する保守的な音楽家で、ワーグナーはモダンで革新的な音楽家であり、反形式主義であったといわれる。  ワーグナーは、「ニュルンベルクのマイスタージンガー」にて、バッハ風の対位法を用いることによって、ドイツらしさを取り込んだ。このオペラの主人公である、ハンス・ザックスは民主主義の象徴として登場する。そして、プロテスタントのコラールを用いて、反ユダヤ主義を徹底している。

 ブラームスは、「ドイツ・レクイエム」にて、カトリックのコラールとネオ・バロックの対位法を用い、古典的なドイツらしさを取り込んだ。タイトルにわざわざ付けた「ドイツ」からは、本来書かれているラテン語を意図的に避けたことを意味していることが見て取れる。

・ブラームスの宗教観

 ブラームスの母は熱心なプロテスタントで、父はおそらくユダヤ人であったといわれている。ブラームスは家族構成からしても、特定の宗教に固執していたわけではなかった。信仰はプロテスタントであった。  フォイエルバッハは『キリスト教の本質』にて、「聖書には"人間のことば"が述べられている。」と主張しているが、これに対しブラームスは「魂の不滅など信じない」と主張している。彼は神的な絶対的な何かを信じなければ生きられない、人間という弱い生物を信じているとし、人間を愛に飢えた悲しい生き物であるとする。(須藤 p.46 参照)


・ドイツ・レクイエムに込めた想い

 1856年の、敬愛なるシューマンの死と、1865年の母の死に大きなショックを受けた影響で、この二人を祈んで構想された。このことは第二曲「人は皆、草のようで」というフレーズからみてとれる。  キリスト教音楽の最高峰とされる『マタイ受難曲』は、人類の罪をあがなうためになされたイエス・キリストの受難が内容となっている。これに対して、『ドイツ・レクイエム』では、個々の魂におけるキリスト(=光)といかにして出会うか、を内容としている。苦悩に満ち、「生きることの意味」を必死に求めている魂が、ついに光と出会って「永遠の生命」を自覚し、その尽きることのない喜びを知るまでのプロセスが描かれている。

・解釈

 歌詞はルターがドイツ語訳した、旧約聖書と新約聖書からとられている。これは、ブラームスが自国で書かれた最も神聖な書物は聖書であると考えていたからであり、また、聖書を詩的な芸術の源泉であると捉えていたからである。

 しかし、曲中にはイエス・キリストの名前は一切登場せず、その内容は無神的である。キリストを崇める宗教的な曲ではなく、生きている者への慰めを与えるための賛歌としてこの曲を構想したからであり、自分は宗教家ではなく、音楽家である、という信念を貫いた。

 これに対し、批判的な意見もみられる。初演時の指揮者、ラインターラーは、この曲は宗教的でなさすぎる、と批判して、ヘンデルの『メサイア』から"I know that my redeemer liveth"という一節を挿入している。音楽評論家、アーネスト・ニューマンは、この曲は「神学上の物語ではなく、人間の証を音楽の最終目的にしていた」と指摘している。

 このような風潮に反して、ブラームスはタイトルの"ドイツ"のかわりに"人間の"を入れ替えようと提案している。それほどにブラームスは、最愛なる二人の女性の死を尊んでこの曲を書いたのであろう。

・ブラームス博物館

 小さめの一戸建てに、ブラームスの展示が所狭しと並んでおり、図書館も併設されていた。ブラームスは日本人に人気なので、来場者は日本人観光客が最も多いのだという。私が訪れた際も、四人中三人が日本人であった。係の女性はとても親切で、私の質問にも丁寧に答えてくれた。ドイツ・レクイエムについては、詳しい展示がなかったので、ほとんどが直接説明してもらった内容である。それでも足りなかった部分は、併設されている図書館の文献を一緒に探してもらった。

 私がつっこんだ質問をするので、その女性も嬉しかったようでとても仲良くなることができた。そのおかげで一生忘れられない経験をさせてもらった。展示されていたピアノフォルテを弾かせてくれたのである。これはブラームスが下積時代に実際に使用していたものなのである。楽譜は図書館の棚にあるから、好きな曲を弾いてよいよ、と許可してくれたのだ。


写真:この時の感動は鳥肌ものであった。

調査を終えて

 まず、無事にドイツでの計画を遂行することができ、心からほっとしている。海外に一人で行くのは二度目であったが、英語圏以外の国は初めてで、自信がなく、とても不安であった。担当の縄田雄二教授に調査内容から移動の仕方まで、直前までアドバイスをしていただいて、大変お世話になった。

 今回の調査で最も肌で感じたことは、ドイツの音楽に対する親密さだ。町のどこを訪れても音楽であふれていて、そこに人が自然と集まる。これはクラシック音楽に限ったことではなく、ジャズやテクノも同様であった。

 教会や博物館に赴いて、日本で文字からしか学べなかった沢山のことを実際に知識とすることができた。バッハに関する研究は日本でも盛んにおこなわれているので、さらに深めるために関連した文献を読みたいと思う。メンデルスゾーンは子供のころから好きな作曲家で、反ユダヤ主義との関係を知った今聴き演奏してみると、新たな発見があってとても面白い。また今回は、プロテスタンティズムをテーマにしたが、新たに、ワーグナーの反ユダヤ主義音楽に興味を抱いた。それに付随して、ワーグナーとブラームスの比較にもとても興味を抱いている。

 8泊10日の現地滞在の中で、音楽を通じた素敵な出会いがあった。ライプチヒのバッハ像の前で、互いにバッハが好きであるという共通点によりお会いした日本人、その話に共鳴して会話に入ってきてくれたスペイン人。バッハハウスの受付で隣に並んでいて、互いの好きな音楽について会話をした南アフリカの男性、ベルリンフィルハーモニー鑑賞の際、隣の席に座っていたイスラエル人。そしてブラームス博物館で出会った日本人の医師。このうち日本人の二人には特に良くしていただいて、その日の調査を一緒に回ってもらったり、語学を助けてもらったりもした。ベルリンフィルで会ったイスラエル人とは音楽の話からお互いの国の話まで至り、日本がいかに平和であるか、そして音楽はどんな状況下の国でも人々に感動を与えていることを思い知らされた。これらの人々との出会いは全て音楽が好きという共通点によるものである。  自分の関心分野を深めることができたとともに、かけがえのない経験となった。自分の探求心を掘り下げて、一から計画を立て、それを遂行することができたのは、自分の糧として、大きな自信につながった。今後に生かしていきたい。


参考文献


• 井上太郎『レクイエムの歴史 死と音楽との対話』平凡社(1999)
• 岡田暁生『西洋音楽史 「クラシック」の黄昏』中公新書(2005)
• 金澤正嗣『キリスト教と音楽 ヨーロッパ音楽の源流をたずねて』音楽之友社(2007)
• 関根裕子「ドイツレクイエム」『赤いはりねずみ No.30』日本ブラームス協会(2001)
• 樋口隆一『カラー版作曲家の生涯 バッハ』新潮文庫(1985)
• 三宅幸夫『カラー版作曲家の生涯 ブラームス』新潮文庫(1986)
• カール・ガイリンガー『ブラームス 生涯と芸術』芸術現代選書(1997)
• W.フリッシュ「リベラルなモダニスト・ブラームスと反動的保守主義者ワーグナー」『赤いはりねずみ No.25』日本ブラームス協会(1995)
https://www.chuo-u.ac.jp/academics/faculties/letters/fees_schol/scholarship/report2014/rep06/

4. 中川隆[-10719] koaQ7Jey 2019年10月19日 15:38:57 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[2137] 報告

音楽史 ロマン派以降
http://syunju.web.fc2.com/historia2.html

§11 「ロマン派の音楽 〜やっぱり俺には無理みたいです」

 「古典派の次はロマン派」と考えて問題ない。ただし、考えようによってはここから延々ロマン派とも言える。それに、これは正直「器楽曲」よりも「歌曲」での考え方に始まっている、と頭の片隅に置いておくと良い。と言うのは、歌曲を書くには「詩の選択」から始まるからである。例えばこの時代は、生活が産業革命により便利になっていく時代であった。芸術分野では反動からか「不安定な中世の生活」に憧れ作品にすることが流行した。この流れをロマン主義といい、音楽分野でも「ロマン派」との名前が定着した。その代表が「シューベルト」である。ここからの§に登場する作曲家達はそれぞれが強烈な個性を持っている場合が多い。今回のシューベルトのように§が1人の説明で終わる可能性がある。うーん、長くなりそうだ。

 まず、シューベルトについて「暗い」と一言言っておきたい。そして、「何故この人の作品はこんなに暗いのか」、を分析することでシューベルトの本質、ロマン派の本質に迫っていきたい。それというのも「古典派」に「気分」を加えた物がロマン派と言えるのだ。つまり、その「気分」を表す手法を分析することによりロマン派とはこんな音楽、と言えると思うのだ。

シューベルトの音楽 「異常な単純さ」と「脱ソナタ形式」


 シューベルトの初期の交響曲はモーツァルトサイズの小規模な作品である。つくりも非常にシンプルである。これらを「出来損ないのモーツァルトの物まね」と見ているようではもう危ない。ここに十分シューベルトらしさが出ているのだ。 まず、「あまりに単純」な点。既にベートーヴェンが主題を次々に発展させていく手法を見せているのでシューベルトも知っているはずである。これに対しシューベルトは全く別のアプローチをかける。そのキーワードが「民謡風」である。「敢えて『無邪気さ、子供っぽさ』を出す」のだ。その為、ベートーヴェンよりも分かりやすいメロディーである事が多い。しかし、主題をなかなか発展させないので「ベートーヴェン的満足感」がない。要は煮え切らないのだ。しかし、その分聴き手は「少しの変化だけでギョっと驚く」ことができる。

 その上で、ソナタ形式の「再現部」に細工を施す。それまでのソナタ形式では「再現部です!」と主題が帰ってきたことをしっかり分かるようにしていた。しかしシューベルトは「偽の再現部」を考えだし「再現部を分かりにくくする事」にしたのだ。真面目に聞いているお客さんの反応は次のようになるだろう。
 

 「あ、再現部だ!・・・・と思ったら、あれ何か違うな?なんだこれ・・・・あれ、いつの間にか再現部に入ってる・・・・・・」


と煮え切らないこと甚だしい。その上やたら繰り返しが多い。だから注意して聴かないと「メリハリ」が無いように聞こえる。ベートーヴェンのような颯爽とした感じは無い。では、何故そんなことをしたのだろう。これは ベートーヴェンと同じく「ソナタ形式」を意識した結果であった。ただし、意識はしても結論は逆。§9で「アウフヘーベン」と「ソナタ形式」の説明をしたが、それをもう一度しよう。


「アウフヘーベン」の説明。


   Aさん「カレーが食べたい」  Bさん「嫌だ!うどんが良いよ」  →  大げんか   →  A,Bさん「カレーうどんだワショーイ」


ベートーヴェンはこれに疑問を抱きはしなかった。だが、シューベルトは疑問に思ったのではなかったか。つまり、


   Aさん「カレーが食べたい」  Bさん「嫌だ!うどんが良いよ」  →  大げんか   →  A,Bさん「もうお前となんかご飯食べないよーだ」


この様な散々な結果に終わる方が多いのじゃないか、とネガティヴに考えてそれを音楽にしようと思ったのではなかったか。「アウフヘーベンできない人間だっているんだ」、との考えである。その結果アウフヘーベンを体現するソナタ形式にも疑問を感じ、偽の再現部等使い「形式感を薄く」した、とすれば説明が付く。やはり暗い。しかし、ロマン派以降の音楽の特徴として「ソナタ形式からの脱却」は重要な特徴である。この点でもシューベルトはロマン派の典型的な作曲者と言える。では、もう少し細かくシューベルトの使った技を見てみよう。彼は「未完成交響曲」「大ハ調交響曲(グレート)」という現在でも人気の高い交響曲を書き残した。皮肉にも「古典派的ソナタ形式」を諦めた時、彼は彼にしかできない高みに登ったと言える。この2曲を見ていきたい。

未完成とグレート


「未完成交響曲」より1楽章 

 この交響曲の1楽章は勿論ソナタ形式であるが、細部の形式が随分とベートーヴェンとは違う。まず「序奏」が極端に短い。しかも低音楽器のユニゾンである。これにより「和声感」が乏しくなる。「和声感」は「安定感」と言い方を変えても良い。つまり、この交響曲は「いきなり不安」から始まる。そんな交響曲はこれまでに無かった。その後不安を引きずりながらも「第1主題」が始まる。普通ここで第1主題を担当するのは「ヴァイオリン」である筈だ。しかし、この曲では「オーボエ」が担当する。だが、変なのはそれだけではない。この主題は「9小節」一区切りから始まる。しかも、この後もあまり8小節単位は出てこない。今までの古典派の音楽は殆どが「8小節単位」の音楽であった。「字余り」これにより安定感はますます減る。だが、この「不安感」をシューベルトは出したかったのだろうし、この曲の魅力にもなっている。
 なお、この曲は2楽章で終了。本来は4楽章まで書くつもりだったらしいが2楽章で十分な長さだし、何より「完成品」ととらえている人が多い。私もこれで完成していると思っている。ちなみに、2楽章は天国的な音楽。不安感に包まれた1楽章に天国的響きの2楽章。教育的にはよろしくないかも知れない。


「大ハ調交響曲(グレート)」より

 この交響曲も冒頭から変わっている。いきなり「ホルンのユニゾンのみ」から始まる。これも初めてのパターンだ。また、このメロディは一応「8小節単位」ではあるが「4+4=8」の切れ目ではなくて「3+5=8」である。だから演奏する側も相当に吹きにくい。聴いている側も「あれ?」と思わざるを得ないのだ。しかし、シューベルトの憎いところはこのメロディーを複雑なメロディーではなく「素朴な民謡風」に留めたところである。だから普通は「素朴さ」に耳が行き「3+5」なんて誰も気付かない。ただし、「あれ?」とは思うのだ。こういう小さな仕掛けがこの交響曲全体を覆っていると考えればよい。2楽章のオーボエのテーマも全く同じ。ただし、工夫された主題であってもやはりベートーヴェンの様なジェットコースター的曲の展開の上に「ソナタ形式で『結論』を出す」という「快感」は無い。だから「大興奮」も無い。毎日同じルートの散歩コースの中で、季節によって花が咲いたり鳥が鳴いたりを楽しみにする様な平凡な感覚と言っても良いだろう。当然散歩に「結論」など無いのだから。そういう点でもこの曲は「ソナタ形式」に疑問を呈している。そういう訳で、この大交響曲は好き嫌いがハッキリ分かれる。「絶対に結論が出ないと嫌だ」とか「白黒つけろ」という熱血漢には向かないかもしれない。

 この様に「古典派」の音楽、特にベートーヴェンの交響曲とは違い「暗さ」「緩さ」があると言えるシューベルトの交響曲。ロマン派の音楽とは「古典派」に「気分」を加えたものだ、と説明したが、「気分」は「性格」という言い方がなされる。「性格」は「キャラクター」の直訳であるが、ロマン派の作曲家達は「キャラクターピース(性格小品)」と呼ばれる短い曲をたくさん残している。「キャラクター」とは「詩」や「出来事」、「物」、「人物」等の事で、「音楽以外の情報」と考えて良い。これは、ピアノを習うことが流行りだした「裕福な家庭の婦女子」に受けた。「ソナタ第5番」よりも「追憶」等と題名が付いていた方が練習に身が入ったり、聴く方もイメージを作りやすいのだろう。楽譜も出版されるようになりパトロンを探す以外にも職業として「作曲家」が成り立つことになった。さて、話が飛んでしまったが結論として「性格」「詩的要素」が「古典派」に比べてずっと多くなった音楽こそが「ロマン派」と言える。

一口メモ

シューベルトは生前残念ながら「未完成」も「グレート」も演奏して貰えなかったらしい。貧乏であったし交響曲作曲家としては無名であったのだ。彼を発見し再評価したのは「シューマン」。シューマンは作曲家としてよりも音楽評論家としての地位ならば当時既に相当確かな物にしていた。その彼がシューベルトを発見し驚き「彼の作品こそ我々の指針である」とロマン派交響曲の一つの理想型として世に問い、初めて彼の交響曲は演奏されるようになったのであった。ただし、シューベルト自身は歌曲作曲家として生前からそこそこ有名であったらしい。交響曲も素晴らしいが彼が早くからその才能を認められていたジャンルである「歌曲」も併せて聴くのが良いだろう。ただし、半端に聴くと暗い気分になってしまう。是非必死で聴いて欲しい。そうすれば仮に「死にたい気分」になっても「歌曲集:冬の旅」を聴けば、その異常な暗さにかえって「ああ、まだまだだ」と生きる希望がわいてくる(と思う)。ただし、これは「分析」しながら聴けば、という前提があり、つまり分析の方法知らなければならないのだ。「ああ、音楽習っていて良かったなあ」と思うが、「って事は美術系の人達は絵画や彫刻をメチャクチャ楽しんでんだろうなあ」とも予想できるわけで何とも歯がゆい。


§12 「シューマンとメンデルスゾーン 〜目指せロマンの星!明日のスターは君だ」

 シューマンもメンデルスゾーンも現在のコンサートには欠かせないクオリティ、そして人気の交響曲を残している。シューマンの「交響曲第3番ライン」、メンデルスゾーンの「交響曲第4番イタリア」等は現代のオーケストラの花形レパートリーである。「ロマン派」という言葉は彼らのためにあるような物だ、というようなロマンティックな作品が多い。特にシューマンはその傾向が強い。しかも抜群の趣味の良さを誇っている。ここは勝手な趣味であるがシューマンを聴いたことのない初心者は交響曲を聴く前に是非「ピアノ協奏曲」を聴いていただきたい。シューマンのロマンティックな感情、古典音楽への造詣等が見事に集約されている。メンデルスゾーンに関しては「古典的ロマン派」と言われるようにモーツァルトの響きに近いどちらかと言えば理性的な音楽に仕上がっている。しかし、もっと言えば「古典」よりもさらに遡り「バロック音楽」に近い華やかさが湧き出る瞬間がある。また、出生がユダヤ人であったために「ユダヤ人の音楽」が時折顔を見せる。緩徐楽章などにマーラーの先取りとも言える響きが見られる。

 随分な副題を付けたものだが、これには勿論意味がある。このシューマンとメンデルスゾーンはそれぞれ作曲家としても偉大であるが、どちらかというと「評論家」「プロデューサー」としての有能さが音楽史的には大きいのだ。先の§で紹介したように、にシューベルトを発見し紹介したのもその代表的功績である。実は彼ら二人は友人であり、シューベルトの曲を発見したのはシューマンであったがその楽譜を受け取り初演したのはメンデルスゾーンであった。彼らは自分の作品を発表しながらも才能のある若き作曲家や埋もれてしまった作品の発掘に力を入れた。

 メンデルスゾーンの最高の功績は「バッハ『マタイ受難曲』復活上演」である。これはクラシック界の一大事件であった。まず、「バロックの巨匠バッハ」の存在を思い出させたこと。バッハが亡くなって70年以上が経ち、その間すっかり彼は忘れられた存在になっていたのであった。これにより「卓越した作曲上の技巧のすばらしさ」が再び認知された。そして、もう一つは、「過去の作品もコンサートに取り上げられるようになった」こと。それまでは現在のポップスの歌番組ように最新の曲しかコンサートで取り上げなかった。つまり、「懐メロ歌謡ショー」の類は一切無かったのだ。

 この様に彼らはクラシック音楽会に次々と新風を巻き起こしていった。しかも、「温故知新」のスタンスも忘れない知識人として。だが、彼ら自身の作品はポストベートーヴェンの決定打とはならなかった。しかも、5作目の交響曲を書いたところでメンデルスゾーンは若くして亡くなってしまう。シューマンもガックリときたろう。だが、それでもシューマンはクラシック音楽の発展に奔走し続けた。そして、遂に彼は「明日のスター」を見つけたのである。「ブラームス」である。


一口メモ

シューマンもこのブラームスを見いだした後死んでしまう。しかも、発狂した末の死であった。残されたのは美しく音楽の造詣も深くピアノの腕前も確かな妻クララ。ここで、こんな話が度々面白おかしく語られる。

有能な敏腕プロデューサー、シューマン。彼の前に現れたのは新進気鋭の作曲家ブラームス。この若き天才の才能をいち早く認めたシューマンは美しく聡明な妻の待つ家に招待する。その後、シューマンは次第に精神を病んでいく。シューマンの晩年、彼が絞り出したのは「俺は知っている」であった。果たしてシューマンは何を知り、何を考えたのか。ブラームスは、そして妻クララは。  まるでスポーツ新聞の真ん中あたりに載りそうな話だ。クララとブラームスにどこまでの関係があったのか、はクラシック界の謎の一つ。ただし、私としては肉体関係になくとも大した問題ではなかった、とおもうのだが・・・。

というのも、シューマンが亡くなった後もクララは周囲の尊敬を集めることでは変わりなく、ブラームスを精神的に助けること大であったからである。後にワーグナーは「女性の愛による救済」をテーマに掲げることになるが、図らずもその女性の愛に救われていたのはブラームスであった、と言える。このブラームスとワーグナーの音楽については次の項で述べることになる。


§13 「ワーグナーとブラームス 〜2大陣営大激突」

 ようやくシューマンが見つけた若き才能ブラームスの登場。だが、この時代を「ブラームスの時代」と言うことはできない。何故ならば、「ワーグナーとブラームスの時代」であったからである。そして音楽史においてもワーグナーはブラームスと同等、いや、考えようによってはより重要な作曲家とも言える。

 ワーグナーも勿論これまで登場したロマン派の作曲家の様にベートーヴェンを尊敬した男である。だが、この男はその尊敬の仕方がちょっと違っていた。ベートーヴェンの交響曲を素晴らしいと思ったところは同じなのだが、特に「第9」に影響を受けたのだ。今年末に第九天国の日本では考えられないことであるが、かつて「第九」は「変な曲筆頭」であった。何せ、合唱の入った交響曲なんてこの曲しかなかったのだ。だが、ワーグナーは「ベートーヴェン最後の交響曲」を完全に受け入れたて「自分の目指す音楽は第九の延長上にある」と考えた。行き着いた先が、「第九のさらなるパワーアップ」。つまり、「交響曲+歌」の第九に「ストーリー」「演技」「舞台装置」等を盛り込んだのだ。もはや交響曲ではなく「オペラ」であったがワーグナーは「交響曲(特に第九)の延長」と考えていたようだ。
 ワーグナーの音楽の特長はそれだけで論文がいくつも書かれているのでここでは「触れる」程度に留めておく。
 第1に「トリスタン和音」に代表される複雑な和音の使用(トリスタン和音は代表作「トリスタンとイゾルデ」の冒頭に登場し、当時の音楽界にセンセーショナルを与えた)。これは後の後期ロマン派の作曲家達に強い影響を与えた。特に「減7」と呼ばれる和音を変形し使うことによりこれまでに無いアクロバティックな転調を可能にした。また、クロマティック(半音階的)な音の進行も多く、非常に複雑な響きも多くみられる。
 第2に現代的なオーケストレーション(管弦楽法)を考案。オーケストラを機能だけで分業化して使うことを考案。具体例は「ワルキューレの騎行」。難しいパッセージを分業化して演奏させることによりクオリティをあげ、さらにステレオ効果まで生み出す。これも後の作曲家達に影響を与えた。また、ワーグナーチューバ等、新たな音色を求めて楽器を開発した。
 第3に「ライトモチーフ」の完成。ベルリオーズ「幻想交響曲」の項でも紹介したが、「事物、人物、思想、概念」等のテーマ曲、パッセージを予め、それが物語に登場したときに登場させることにより劇的な効果を生む手法を確立した。後に映画スターウォーズでも「フォース」「ジェダイ」「ダースベイダー」等「概念、地位、人物」と用途も広く使用されるように効果も高く応用も利く。

 以上ここでは3つだけの紹介に留めるが、こういう新技をワーグナーはいくつも考え出した。そしてこれらを使う事によって「事物、哲学、政治に至るまで全てを表現することが可能である」と主張した。つまり「音楽でどんな概念でも全てを表すことができる」としたのだ。これに真っ向から反対したのが音楽評論家の「ハンスリック」である。ハンスリックは著作「音楽美論」において「音楽が直接表現できるのは感情などの漠然とした概念までであり、特定の概念は表現できない」と主張してワーグナーの意見に反論した。例えば音楽で「喜び」は表現できても具体的に「ビルを完成させる」という出来事を表すのは不可能である。ただし「ビルのように緻密に音楽を作ること自体は素晴らしい」という主張をしたのだ。つまり、「音楽自体が素晴らしい」のであって「音楽で何かを表現しようと企てるのは余計なことだ」、と言いたかったのである。「標題音楽のワーグナー」VS「絶対音楽のハンスリック」という構図である。しかし、ハンスリックは法学者であり作曲はできなかった。彼は自分の芸術観を体現してくれる作曲者を求めた。それがシューマンが才能を見いだした作曲家ブラームスであった。

 ブラームスもベートーヴェンを徹底的に研究したことでは同じであった。しかし、「第九」に強い関心を示したワーグナーとは違い、ブラームスは「第五番(運命)」の様に一つのモチーフ(主題、部分)をどんどんとパズルのように組み合わせ重ね合わせて作曲する技法に関心を持った。つまり、ブラームスは表現よりも技法に関心が強く、技法を駆使していかに音楽を組み立てるかに心を砕く、まさに本来の意味での「composer(構成する人)であった。ワーグナーならば「この楽劇は哲学的に・・・・」と長々と論文を書いてから作品を発表し、自分の作品が自分の思うように社会に受け入れられるようにするのだが、ブラームスは自分の交響曲はこの様な作曲技法を用いている、と近しい友人に話すのみであった。まるで違う。この為ワーグナー派とブラームス派は真っ二つに分かれて音楽界を二分した。

ここで、ブラームスがどのような技法を使っていったのかを交響曲4番の例で簡単に見ていきたい。


ブラームス作曲 交響曲第4番ホ短調 1楽章提示部

1楽章の冒頭のヴァイオリンパートを見てみよう


 この枯れ葉がハラハラと落ちるような切ない主題は何も予備知識がない人でも素敵に思ってしまう美しい物であるが、勿論ブラームスはただ感覚でこれを作ったのではない。この「第1主題」の音を見てみよう。初めの4小節間の音は「シソミドラファ♯レ」。並び替えれば「ミ♯ファソラシド♯レ」。初めの四小節でどの音もダブることなく「ホ短調の構成音」全てを使い切ってしまった。もちろん偶然ではなく計算しての結果。さらにここにはもう一つ意味がある。音の飛び方を見てみよう。全部が「3度」の跳躍(とその応用)である。下降の3度の連続で4小節間が成り立っている。なお、次の4小節は「上昇の3度」。 つまり、ブラームスは「3度を使う」を提示している。そしてブラームスはしつこい。この3度がどのように使われるか、を見ることがこの楽章を楽しむ方法の一つなのである。

 第1主題はその後も隙あらば密かに3度を使っているがこれはどうぞ自分でご確認を。その後、「橋渡し」である「第2主題直前のファンファーレ」も3度尽くしだ。


 1小節目から16分音符を使いながらもしっかり3度跳躍の積み重ねである。2小節目も、そして3〜4小節目の「締め」までもが3度だ。

 ここで、第2主題に突入。第2主題は第1主題と調性も変えて、かつ性質の違う主題であるはずだ。実際ロ長調へと転調して第2主題は始まる。ちなみに、第1主題がホ短調であるからロ調は属調であり、伝統的なソナタ形式の第2主題の調選択と言える。


 チェロとホルンによる情熱的な第2主題も人気のメロディーだ。ここで「3度」は登場しているだろうか?6-5節の間に1度あるだけだがそれだけではこのテーマが「3度に支配されてい」るとは言いにくい。ようやくここで「3度の呪縛」から解放されたのだ。だが、ブラームスは甘くない。第2主題の伴奏を見てみよう。


 流れるような第2主題に対して伴奏はカッチリとしたタンゴ風のリズム。この伴奏を良くみて欲しい。何から何まで「3度」でできている。ブラームスの音楽は伴奏であっても聴き逃せないのだ。この後提示部の結尾はさらに不安定な和音が使われ、さらに「展開部」「再現部」「コーダ」が待ちかまえている。そこまで登場するモチーフをどのように使っているか、を聴きながら曲を楽しむことがブラームスの交響曲を聴く醍醐味の一つである。

 さて、楽曲分析から話を音楽史に戻そう。彼の交響曲第1番が「管弦楽だけの交響曲」としてベートーヴェン以来初めて熱狂的成功を収めたことによりブラームスは「ベートーヴェンの後継者」という地位を確実にした。管弦楽の復権とすら言われ、ワーグナー派に対するブラームス派の旗揚げとなったのである。そして、益々ワーグナー派VSハンスリックの罵り合いは激しくなっていった。
 
 だが、この罵り合いは両作曲者の意にかなったものであったのか、は疑問である。先に挙げたブラームスの「交響曲第4番」は彼の作品の中でも傑作とされている。特に「終楽章」は人気の高い楽曲であるが、「交響曲」の楽曲としてはかつて無い異例の形態をとっている。それは「シャコンヌ」という形式の導入であった。シャコンヌとは低音による8小節ほどの短い主題が提示され、その後もこれを他声部などに何度も登場させながら展開していく楽曲形式。だが、この形式は交響曲が誕生した古典派の時代には既に廃れていた。シャコンヌはそれよりも前の「バロック時代」の形式で、勿論J.Sバッハも得意にした。勿論これにはワーグナー派は「そんな前時代的な物を」「ブラームスは古くさい」「保守主義」だの言って糾弾することになった。
 だが、そのワーグナー自身もJ.S.バッハを尊敬しており楽曲に取り入れているのである。ワーグナーはバッハの「平均律クラヴィーア曲集」を愛しており自分でもよく弾き、病床にあっても弟子に弾かせる等して毎日その対位法の粋である音楽を耳にしていたのである。複雑な半音階的進行が使われる楽劇「トリスタンとイゾルデ」の次に発表された楽劇「ニュルンベルクのマイスタージンガー」は一般的に複雑な響きからの反動で分かりやすい古典的響きに戻ったと考えられている。しかし、彼自身「『平均律』の対位法技術を『トリスタン』よりも『マイスタージンガー』により応用した」と語っている。つまり、対位法の使い方は「トリスタン」よりも「マイスタージンガー」の方がより一層複雑である、と作曲者自身が言っているのである。しかも、その対位法はバッハに学んだのである。バッハ、ベートーヴェンに影響を受けた点ではワーグナーもブラームスも一緒なのであった。

 結果としてワーグナーの生んだ複雑な和音、ブラームスが徹底した楽曲構成の双方がロマン派後期の作曲者達に影響を与えることとなる。


§14 「ワーグナー・ブラームスの系譜 〜ブルックナー、R.シュトラウスと国民楽派」

 ワーグナー・ブラームスの後には多くの作曲家が続いたが、「2代陣営」ではなく、さらに「分業化」が進んでしまったので併記して書きたい。


正統派クラシック音楽の後継者

 まず、正統派とは何かの定義であるが、「西洋音楽の語法を中心とした作曲家」と定義付けたい。「西洋音楽」の最初は「グレゴリア聖歌」であった。それは「各地でバラバラな聖歌を歌われないために」という目的があって作られた。即ち、西洋音楽は「地域性=民族音楽」を排除した物である、という事が出発点であったのだ。そこで、言い方は変であるが、「正統派クラシック」と「+地域主義のクラシック」と別けて考えることができる。では、正統派クラシックの旗頭は誰になったのか、を見ていこう。


 まず、ワーグナーの熱烈なファンであり弟子でもあった「ブルックナー」が挙げられる。ワーグナーは楽劇を作ったが、ブルックナーはひたすら交響曲を作る。交響曲は練習で作った「0番」「00番」を含めれば11曲。ワーグナーの「ラインの黄金」や「神々の黄昏」の様な「階段を一歩一歩上るような高揚感」や「神に祈りを捧げるコラール」という宗教的な響きが特徴。また、リズム等の繰り返しも多く「ミニマルミュージック」の先取りとも言えるアイディアも見られる。なお、ブルックナーは「ソナタ形式」において通常は「第1主題」「第2主題」を登場させるところをさらに「第3主題」まで登場させさらに規模の拡大を図っている。また、「民族的音楽を取り入れない交響曲」を創作の中心に置いた作曲家はブルックナーが最後と言える。

 交響曲部門がブルックナーならば「楽劇分野」は「R.シュトラウス」に受け継がれる。ワーグナーは楽劇、つまりオペラ分野で才能を発揮したが、R.シュトラウスも同じく傑作オペラをたくさん残した。管弦楽法の集大成とも言って良い変幻自在な音響効果であり人気も高い。R.シュトラウスの父はワーグナーの楽劇初演に立ち会ってきた偉大なホルン奏者「フランツ・シュトラウス」。フランツ無くしてはワーグナーも新曲の発表は無理、とまで言われた優秀なホルン奏者であった。しかし、フランツ自身はモーツァルトの音楽を愛好しておりワーグナーの音楽は大嫌いであった。そこで、息子のR.シュトラウスには「モーツァルトの音楽を勉強しなさい。ワーグナーは聴いちゃダメ」と教育した。しかし、ダメと言われてもR.シュトラウスは密かにワーグナーの楽劇を研究。特に和音の使い方と管弦楽法を勉強した。結果としてモーツァルトの洗練されたスッキリとした響きから複雑なワーグナーの手法まで身につけた天才作曲家が誕生。交響詩「ドン・ファン」「英雄の生涯」や楽劇「サロメ」「バラの騎士」等の人気のレパートリーを生み出した。
 だが、古典派から続いてきた「機能和声」を使ってクラシックの曲を残したのは彼が最後。つまり、クラシックのコンサートのメインになる曲を作った最後の作曲家がR.シュトラウスと言える。また、彼の生存中に起こった歴史的事件は「第2次世界大戦」。戦後は特に一層古典離れが進むのである。


「国民楽派」= クラシック+地域主義

 ここで言う「地域主義」とは「自分の生まれた土地」「人種」「民族」を意識して作曲する事である。具体的な方法は「民族特有の音階」「民族特有のリズム」を西洋音楽の理論で分析し、場合によっては「デフォルメ化」し作曲に取り入れるという事が中心となる。「デフォルメ化」と言うのは、正確に民族音楽を西洋音楽の技法で表現するのは不可能であるからである。例えば、日本音楽の「間(ま)」や「独特のリズム」を楽譜で正確に表すのは難しい。ただし、大ざっぱに「こういう雰囲気」と表すくらいは簡単にできる。それを利用して新しい音楽を作ろう、という事。この音楽の流れを「国民楽派」と呼ぶ。主にお「チェコ」「ハンガリー」「ロシア」「北欧」「スペイン」などで巻き起こった。要はヨーロッパの中でも地方と呼ばれる地域である。このヨーロッパの周辺地域は音楽的に豊かな土壌があり、前述のブルックナーやR.シュトラウスを凌ぐ人気の作曲家をたくさん生み出した。その点でロマン派の主役達は地方に移った、という見方すらできる。では、実際に見ていこう。

前国民楽派(この言い方は私が考えた)の2人
 次の2人はロマン派シューマンやメンデルスゾーン等と同時代の人であるし、国民楽派とはされていないが、地域の音楽、母国の音楽を大胆に取り入れた初めの2人であるので特記した。また、2人とも偉大なピアニストであり、ピアノ分野においては非常に大きな功績を残した。


「リスト」 
 イケメン天才ピアニストとして登場。ピアノ曲のみならず管弦楽曲も書く。メンデルスゾーンの時代に活躍。彼は自らに流れる「ハンガリー人の血」を意識し、ハンガリーの音楽を取り入れる事を思いつく。「ハンガリー狂詩曲」がその代表。ただ、彼がハンガリー音楽と思った音楽はハンガリーの土着音楽ではなく、ルーマニア的な、古い言い方ではジプシー的な音楽であり、学術的に裏付けのあるハンガリー音楽ではなく、印象だけで書いた他国人によるハンガリー風音楽だ、と断じる見方もある。実際リストは殆どハンガリー語は話せなかったという。しかし、リストは故国に音楽教育機関を設立するために尽力する等ハンガリーの音楽の発展を心から願っていたのは疑う余地がない。


「ショパン」 
 彼も偉大なピアニスト。ポーランドに生まれる。やはりポーランド人だからポロネーズを書く。ただし、業績はリストと一緒でピアノ超人。だが、その一方「バッハ平均律」を意識した「24の前奏曲」を書く。これは実は「バッハを意識」どころか「サラバンド」等過去の音楽様式が百鬼夜行の様に現れは消える、というアカデミックな意欲作であり、ピアノ奏法やバッハのみに着眼していると足下をすくわれる。「ショパンを侮るな作品」の恒例。


「国民楽派」に分類される作曲家達
 正真正銘国民楽派に分類される人達

「ドヴォルザーク(チェコ)」
 ブラームス以後の最も重要な作曲家の1人。ブラームスに才能を認められる。ブラームスは「ドヴォルザークがゴミ箱に捨てたメロディからも交響曲が書けるほどだ」と美しいメロディを次々に生み出すドヴォルザークの才能に感嘆したと伝えられている。しかし、ドヴォルザークの本質はメロディメーカーだけではなくブラームス的な構成力にもある。チェコ等スラヴ圏の音楽を取り入れるが、その美しいメロディの見かけとは裏腹に「第3主題を取り入れた交響曲」等実は技巧的かつ複雑な構造の交響曲を作曲している。交響曲第9番「新世界より」が人気。なお、アメリカに招聘され教壇に立つ。そこで「君たちには君たちの音楽がある」とアメリカ独自の音楽の確立を示唆。以後「アメリカ音楽の模索」が始まる、という風にアメリカでも大きな功績を残した。(なお、アメリカ音楽は混迷を極め、結局その後登場する「アイヴス」という変な作曲家から本格的に始まるとされている。なお、「アイヴス」は後々現代音楽の項で扱いたい。個人的にはもっと演奏されてもよい作曲家だと思う。)


「グリーグ(ノルウェー)」
 北欧の伝説的人物「ペール・ギュント」の物語を題材に劇音楽を作曲。また、ピアノ協奏曲も人気がある。


「チャイコフスキー(ロシア)」
 パリで作曲技法を学びロシア民謡等を主題に取り入れ作曲。交響曲、バレエ音楽等に傑作を残す。「元祖ロシア音楽」の位置付けにある。寒々しい旋律に熱い金管の咆吼、という「ロシア物」のアイデンティティを作ったと言って良い。また、大序曲「1812年」等国威発揚系の音楽も作った。自分はしっかりと外国で作曲の勉強を積んだプロの作曲家だ、という自尊からか「ロシア5人組」というアマチュア音楽家集団が嫌いだったが、その内の1人リムスキーコルサコフの才能だけは認めたらしい、という話もある。


「シベリウス(フィンランド)」
 自国や北欧の伝説を基にした交響詩を数多く作曲。しかし、それ以上に現代的な語法を使い交響曲等純粋音楽を作曲した事が特筆されるべき作曲家である。その点国民楽派のレッテルを貼られる事で損をしている作曲家と言える。


「ニールセン(ノルウェー)」
 響きは「流氷漂う北海」を思わせる透明感がありファンも多い。寒さはシベリウス以上、と思う。「広がりの交響曲」では「歌」を楽器と見なし使っている(歌詞を使わずAh〜だけ=ジャングル大帝のオープニングみたいな感じ)。


「リムスキーコルサコフ(ロシア)」
 「ロシア5人組」と呼ばれるロシアのアマチュア音楽家集団の1人。しかし、彼は後に本気で作曲理論に取り組み、最終的に現代的な管弦楽法の大家として認められた。勿論ロシア風の哀愁漂うメロディも取り入れるが、何よりその色彩豊かな音色が魅力。交響曲「シェヘラザード」は人気曲。プロのオケ奏者でもこの曲が好きな人は密かに多い。チャイコフスキーの奥さんと何かあったらしい、という話もある。

 この他、「国民楽派」と言える作曲家はたくさんいるが、「ドイツ語圏」「フランス」以外の国出身のこの時代の作曲家は大体が国民楽派と言って良い。ただし、「シベリウス」でも書いたように、「国民楽派としての存在感」が大きすぎるために作品の実態が正当に評価されていない可能性がある為、そのうちに「国民楽派」という分類自体が無くなるかも知れない。とは言え、現状音楽の教科書に載っているので何となく載せては見た。

 また、この時代で注目すべき作曲家である「マーラー」はウィーンを中心に活躍しているため一般的に「後期ロマン派」とのみ分類されている。しかし、「ユダヤ人」である事を意識しているためかユダヤ的な音楽を使用している。当時「イスラエル」は存在しないため「国民」とは言えないが「民族意識」は持っていたし、アイデンティティとして曲に盛り込んでいることからマーラーは国民楽派と分類することも可能であるが、そう書いてある本は見たことがない。

 さて、ここで話をフランスに向けてみたい。フランスと言えばだいぶ前に「ベルリオーズ」を取り上げた以来作曲家を紹介していなかった。実際現在コンサートに取り上げる曲は殆ど無いから仕方ないのだが、ブラームスのちょっと年下の作曲家である「サン=サーンス」という作曲家の登場によりフランスの音楽が再び注目されるようになってくる。

§15 「フランスの作曲家達 近代音楽の幕開け」

 フランスには「パリ音楽院」という音楽の大学がある。つまり、教育機関にして研究機関である。また、中世ノートルダム楽派の牙城ノートルダム大聖堂があるのもフランス。伝統的に理論の研究がなされる土地柄である。「国民楽派」が「音楽理論」が「自国の音楽や文学と結びついていった」のに対し、フランスでは「音楽理論」自体を推し進めていった。その様な中で「サン=サーンス」が登場する。


古典・ロマン派の技法の大家サン=サーンス

 フランスはこれから「近代音楽」に突入するが、その前に「古典・ロマン派の総決算」をしたのがサン=サーンスと言える。これまでドイツ語圏に有名作曲家が登場しっぱなしであったがフランス人でもそれくらいはできる、という感じであろうか。フランス人はあまり書かない「交響曲」で成功したのはその一つの例と言える。「フランス=ラテン人=感覚的」という我々日本人が抱く誤解を払拭するにはベストの作曲家と言える理論に裏打ちされた、アカデミックな作風。


印象主義の登場=近代音楽の確立 ドビュッシー、ラヴェル

 サン=サーンスに代表される理論的音楽に若い世代が反発しドビュッシー、ラヴェル等が新しい音楽を確立していった。「印象派絵画」のモネ等と時代を同じくした事等から彼らの音楽を「印象派」と呼ぶ。しかし、アイディアの根底は「印象派」という語感の「曖昧さ」とは全く逆。あくまでも「理論的」に展開されたのがフランスらしい。


機能和声の崩壊 「全音音階」=ドビュッシー

 古典派以来「機能和声」はずっとあり続けてきたが、ドビュッシーが提唱した「全音音階」で遂に理論的に崩壊した。機能和声は「長調、短調、又は旋法」の上に成り立つものであった。例えば「長調ならば「ド=レ=ミ、ソ=ラ=シ」間は全音の幅があり、「ミ=ファ、シ=ド」は半音の幅しか無い。この幅の差があるから音にそれぞれ固有の特徴、機能が生まれる。しかし全音音階はオクターブを全て全音で割り切ってしまう為にどの音にも固有の特徴、機能は生まれない。つまり、機能和声が死んで新たな音楽理論、響きが誕生したのである。「フランス近代音楽」の幕開けである。この全音音階を使って書かれた管弦楽曲が「牧神の午後への前奏曲」である。
 また、通常の「短調」「長調」だけではなく、古典派以降使われなくなった「教会旋法」を楽曲に取り入れるようになる。これによりバロック時代の前期に登場した作曲家が作曲したテーマを楽曲に引用したり、不安定な「無調に近い響き」を作ったりとこれまでの機能和声を崩壊させるのをより推し進めた。

音楽形式の崩壊=ラヴェル

 これまで音楽は「2部形式」「3部形式」「ソナタ」「ロンド」「フーガ」等多くの形式に支えられてきた。これは音楽を作る上での「枠組み」の様なもので、形式がなければ「変化も秩序もない」「つまらない」音楽に成り下がってしまうのを防いでいた。だが、ラヴェルはそれらの音楽形式を使わずにたったの2フレーズが延々繰り返す曲を作った。「ボレロ」である。この曲はリズムの変化が無く(最後の2小節でようやく崩れる)、転調も最後の場面で1度現れるだけ。つまり「転調」「主題労作」といったこれまでの楽曲に必ずあった変化はほとんど無い。この曲に「○○形式」という名前を冠すのは無理で、強いて言うならば「ボレロ風変奏曲」とするしかない。変奏曲とは1つのテーマを次々に変奏していく曲であるが、ボレロは一切変奏はされない。ただし、演奏する楽器が変わっていく。つまり、音色だけは変わっていくのだ。ラヴェルは「音色」も「形式に匹敵する音楽上重要な要因」としたのである。ただし、ボレロは殆ど離れ業に近い傑作でありこの様な曲は当然音楽の主流にはなり得ない。ラヴェルが「管弦楽の魔術師」と讃えられる所以である。

 印象派はこのように既存の「機能和声」「形式」を理論的に壊してしまった。しかし、ドビュッシーやラヴェルの音楽は美しさもあり「聴衆」、そして時に全く異なる評価を下す「評論家」の双方からの支持を得た。現在に至るまでこの2人の曲はコンサートレパートリーに積極的に取り上げられ続けている。ドビュッシー「交響詩 海」、ラヴェル「スペイン狂詩曲」「ダフニスとクロエ」等はこの時代を代表する名作でありこれからも演奏され続けるだろう。


 そして、印象派には加えられないがストラヴィンスキーが加わる。まず、ドビュッシー、ラヴェルが出てきて、最後に彼がトドメを刺した感がある。


何もかも破壊=ストラヴィンスキー

 この頃にフランスで活躍した作曲家として外せないのが「ストラヴィンスキー」である。彼はロシア出身で管弦楽法の巨匠リムスキー=コルサコフに師事し研鑽を積んだ後パリに進出。3大バレエ作品を初めとして名曲を次々に送り出す。その中の1つ「春の祭典」は音楽史の上でも重要な1曲。この曲は「アミニズム」つまり原始宗教を題材としており、明らかにセックスを意識して書かれている。「連続し、解決されない不協和音」「復調」「変拍子」など、これまでにない暴力的な描写が特徴。ドビュッシー、ラヴェルが「美しく壊してくれた」のに対し、この曲は「徹底的破壊」と言えるだろう。当時の聴衆も敏感に反応し、初演では「容認派」「拒否派」入り乱れて殴り合いのケンカにまで発展したという。

 ストラヴィンスキーの登場で古典的音楽は破壊し尽くされてしまった。何も知らない人が聴けば「モーツァルトのアイネ・クライネ・ナハトムジーク」と「ストラヴィンスキーの春の祭典」が「同じ西洋音楽」と思うことはないだろう。「春の祭典」の響きはあまりに古典音楽とかけ離れている。

 そう考え、やはり古典にかえって作曲してみよう、と考えた作曲家達も現れた。それが「フランス6人組」という6人の作曲家達。プーランク、ミヨー、オネゲルの3人が中でも有名。6人組の他にもイベールなどもこの考え方を持ったようだ。また、春の祭典を書いた後のストラヴィンスキーも古典的な形式で曲を書いている。「一見古典派」なのだが、どこか壊れた響きを持つ作風、と言える。最近特にプーランクは人気があるようだ。

 では、フランスに対してドイツ語圏ではどうだったのかを見ていきたい。ドイツでは先に「R.シュトラウス」を紹介した。シュトラウスはドビュッシー等と活躍の年代を同じくしているが先に説明したようにロマン派の語法で作曲している。ドビュッシー、ラヴェル、ストラヴィンスキーに並ぶ「新語法」を作ったドイツ語圏作曲家は、シュトラウスと同時進行で活躍しつつあった。


「ドイツの近代音楽 〜12音技法の3人」

 フランスのドビュッシー、ラヴェルに先行されはしたが、「現代音楽」の扉を叩いたのはドイツ語圏の3人だった。彼らはウィーンで活躍したために「新ウィーン楽派」等と呼ばれるが、私は勝手に「12音技法3人組」と認識している。

「12音技法」とは何か?

 これまでは「ドレミファソラシ」の7つの音「音階」を基本に音楽を作っていた。しかし、12音技法ではその名の通り「半音階全ての音=12音」を全て均等に扱うことにした。これによって「全音音階」よりも「完全な無調音楽」が実現した。ただし、この12音技法は完全な「新語法」である。それだけにこの効果的な使用法も生み出さねば全く意味がない。では、この12音技法を生み出し、そして作曲法を確立した3人を見てみよう。


シェーンベルク

 最初に12音技法を作り出した人。元々は無調ではないけれど無調に近い響きの曲を作っていた。「浄められた夜」「月に憑かれたピエロなどはその傑作として人気が高い。だが、それをさらに進めて遂に12音技法、無調の世界に行き着く。ベルク、ヴェーベルンの師匠。12音技法の創設者ではあるが、現在度々コンサートで扱われる曲目が12音技法前の前述の2曲である事を考えるとシェーンベルクは過渡的役割を果たしたと言って良く12音技法自体はむしろこの2人の弟子が推し進めてくれた、と言えなくもない。


ベルク

 シェーンベルクの弟子。無調の語法「12音技法」を使い情緒的な作品を残す。特に晩年の作品「ヴァイオリン協奏曲」は傑作中の傑作。12音技法がさかのぼりバッハののコラール「今や足れり」に行き着く。このバッハのコラールには「この世の苦しみはもうたくさんです」という「死への憧れ」を意味する歌詞が出てくる。キリスト教では自殺を禁止している。それだけにギョッとする歌詞であるが、それに対してバッハはコラールでは禁止されている「増4度」という音程を使うことでショックを倍増させた。機能和声を崩壊させた「後」の語法と機能和声が登場する「前」の語法が結びついたのである。


ヴェーベルン

 シェーンベルクの弟子。3人の中では一番機械的な隙の無い作曲を目指した。12音技法の講義をした際に「偶然、恣意ではなく確固とした熟慮によって配列されるべきものが12音技法の音列」と言っている。彼はその講義の中で「ラテン語の魔法陣」を紹介した。「SATOR AREPO TENET OPERA ROTAS」というラテン語の文章で、


S A T O R
A R E P O
T E N E T
O P E R A
R O T A S


このように単語1つずつ並べて書くと、何と上、下、左、右どちらから読んでもsator arepo tenet opera rotasと読めてしまう。これこそがヴェーベルンの音楽に対するときの聴き方になる。そんな訳で、ヴェーベルンの音楽はシェーンベルク、ベルクよりも機械的な音楽に聞こえる。そして、ここまで来ると、もはや「近代」ではなく「現代音楽的アプローチ」と言える。ついに、「現代音楽の時代」がやってきた。
http://syunju.web.fc2.com/historia2.html

5. 中川隆[-10718] koaQ7Jey 2019年10月19日 15:53:56 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[2138] 報告

ハンブルクとブラームス さすらい人、ヨハネス

ハンブルク生まれの有名作曲家には、メンデルスゾーン(1809−1847)とブラームス(1833−1897)がいる。今年生誕200年を迎えるメンデルスゾーンが、裕福なユダヤ人銀行家の子息だったのに対し、24歳年下のブラームスは、ハンブルク市内の貧民街に住む下層市民の家庭に生まれた。このことが後々までハンブルクとブラームスの関係に微妙な影を落とすことになる。

ブラームスの生家。2階左がブラームス家

ブラームスの父ヤーコプ・ブラームスは、ハンブルクの北西100Kmに位置するハイデという田舎町の貧しい商人の家に生まれたのだが、音楽家になろうと思い立って様々な楽器の演奏技術を習得し、単身ハンブルクに上京した。まさにグリム童話に出てくる「ブレーメンの音楽隊」の動物達のように、大都会ハンブルクで一旗上げようと考えたに違いない。

船員相手の酒場や娯楽施設が多いエルベ川沿いの港町ハンブルクの楽団で、ビューグルやホルンやコントラバスなどを演奏して生計を立てていたヤーコプは、24歳のある日、没落していたとはいえ中産階級の出身で、17歳も年上のクリスティアーネに、知り合って一週間だというのに唐突に求婚して3人の子供をもうけた。その第2子、長男として生まれたのがヨハネス・ブラームス。ヨハネスと母クリスティアーネは終生強い愛情の絆で結ばれた。

ブラームスが生まれた家は第2次世界大戦の空襲で焼失したが、戦前に撮られた写真によると、やや傾き加減の大きな木造7階建て集合住宅は、よく崩壊しないものだと感心するくらいぼっこい。


シューマンがローレンスという画家に書かせ所持していた20歳のブラームス


父ヤーコプは、ヨハネスに自らヴァイオリンやホルンなどを教えるとともに、貧しいながらも精一杯の教育を与えた。勿論当初家にはピアノなどなかったが、ヨハネスがピアノに興味を示すと、コッセルというピアノ教師の下でピアノと音楽の基礎を学ばせた。たちまち音楽的な才能を発揮したヨハネスを、コッセルは自分の恩師でもあるマルクスゼンという、当時ハンブルクでも指折りの音楽教師のもとに連れて行った。マルクスゼンもブラームスの熱意や勤勉さに感銘を受けるとともに直ちに彼の天賦の才を見抜き、ブラームスを一流のピアニスト兼作曲家にすべく全知全霊を傾けた。1847年、メンデルスゾーンが他界した時、マルクスゼンは友人に、

「芸術の巨匠が一人神に召されたが、より大きな才能がブラームスの中に開花するだろう」

と語ったという。その預言は的中した。


*だが、ちょうどこの頃、13歳のブラームスは、苦しい家計を助けるために歓楽街の酒場やダンス・ホールでピアノを弾くようになる。 日本で言えばまだ中学生だ。荒くれた船員や売春婦がたむろし、紫煙と嬌声が渦巻く酒場での演奏が、ブラームスの健康や人格形成に影響を及ぼさないはずがない。

事実、衰弱したヨハネスを心配した両親は、14歳と15歳の夏をハンブルク郊外のヴィンゼンというのどかな村で静養させた。酒場でのピアノ演奏は、即興演奏や変奏の技法を身につけさせたが、多感な少年期を苦学に費やし、嫌というほど人間社会の裏側を見たであろう。*


*この部分には異論がある。ブラームスは決して酒場などでは演奏しなかった。それは父親の事で、ブラームスがピアノを弾いたのは、ハンブルクの西に位置していた(今はない)綺麗なカフェ・レストランだったという説である。これに就いては今後検証したい。*


ブラームスは、誰に対してもハンブルク時代の出来事を話したがらなかった。だが最晩年になって幼少時代を振り返りこう言ったという。

「私は実によく耐えた。だが、今ではその惨めな体験が私の成長に必要なものだったと確信している」。

ブラームスの理解者シューマンとクララ

ブラームスは、成人するまでにハンブルクで幾度かの演奏会を催し、一人前のピアニストとしての名声を確立していた。また、何曲ものピアノソナタや合唱曲などの作曲活動にも勤しんだ。そして1853年4月二十歳の時、ハンガリーの若手亡命ヴァイオリニスト、レメーニのピアノ伴奏者として演奏旅行に出かけ、初めてハンブルクを後にする。

結局、レメーニとは仲違いをして伴奏者をお払い箱となったものの、この旅先でブラームスは、当代随一のヴァイオリニスト、ヨアヒムや、ブラームスの才能を、自身が発行する芸術評論誌で広く世に知らしめたロベルト・シューマン、そして終生尊敬し合い、深い愛情を持って親交を結んだシューマン夫人のクララなど、掛け替えのない音楽家達と知り合うことができたのである。これらを足掛かりとして、ブラームスはその後、優れたピアニストとして、またベートーヴェンの系譜を継ぐドイツの正統的作曲家としての名声をゆるぎないものにしていった。

1892年(59歳)ウィーン、カールスガッセ4番地の書斎にて


しかし、この生来内気でお世辞にも人付き合いが上手いとは言えない天才作曲家を温かく迎え入れたのは、生まれ故郷のハンブルクではなく、遠く離れたオーストリアのウィーンだった。ウィーン市民はブラームスの人柄と音楽を心から愛し、音楽上の要職を次々と彼に与えて活躍の場を提供したのに対し、ハンブルク市は2度までも、フィルハーモニー協会音楽監督という最高ポストをブラームス以外の音楽家に与えてしまったのだ。ブラームスが生涯ハンブルクに愛着を持ち、そこでの安定した生活を強く願っていたにもかかわらずである。

その理由は明らかではないが、ブラームスが下層階級の出身であることが大きく影響したものと推測されている。ブラームスの失意と傷心は如何ばかりだったろう。ブラームスはやむなくウィーンを定住の地と定め、市内を転々とした後、38歳から63歳で亡くなるまでの25年間、カールス・ガッセにあるアパートを終の棲家としたのだった。

そんな因縁もあってか、ブラームス壮年期の作品群、「ドイツレクイエム」(35歳、ブレーメン)、「ハイドンの主題による変奏曲」(40歳、ウィーン)、「交響曲第1番」(43歳、カールスルーエ)、「交響曲第2番」(44歳、ウィーン)、「ヴァイオリン協奏曲」(45歳、ライプツィヒ)、「ピアノ協奏曲第2番」(48歳、ブダペスト)などは、あたかもハンブルクを避けるかのように初演されている。

ハンブルク市は1889年になって、ようやくブラームスに名誉市民という称号を授けたが、その時ブラームスは既に全4曲の交響曲を完成させ、56歳の押しも押されぬ巨匠に達していたのだ。それでもブラームスは大感激し、ハンブルク名誉市民証書を誇らしげに知人に見せたという。

現在、ハンブルク市内の一角にこじんまりとしたブラームス博物館があるが、開館時間は1週間の内たったの3日間らしい。経緯上、大した展示物が無いからにしても、故郷ハンブルクがドイツの国民的大作曲家ブラームスに示し続けるこの頑なまでの冷淡さは一体どこから来るのだろう。
http://www.geocities.jp/oehler_spieler/HamburgBrahms1.htm

6. 中川隆[-10717] koaQ7Jey 2019年10月19日 15:54:38 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[2139] 報告

ブラームスと女性達 By migunosuke

12月11日のブログで、映画「愛の調べ」の感想として、

「実際にロベルト・シューマン、クララ・シューマン、ブラームスの間に三角関係はあったのか?その根拠は何なのか?」

と書きました。手許にある本にいくつかその根拠が載っていたので順次紹介していきます。

まず最初、「ブラームス (門馬直美著、春秋社)」には次のように書かれています。


第4章 転機

このようにブラームスはもはや、クラーラなしでは生き甲斐を感じないほどになる。そして二人が親密になるにつれて、ブラームスのクラーラに対する気持ちは、敬愛から別の形の愛へと変わっていった。クラーラが十四歳も年長だということは問題ではなく、この三十五歳の女性の美点に惹かれ、多くの経験をもつという魅力にとりつかれたという形だった。

こうして、音楽史上に希有な数多くの手紙の交換が始まった。クラーラに対するブラームスの感情の移りかわりがそれらの手紙ではっきりと知られる。たとえば五四年十一月には、クラーラからの提案もあり、それまでの敬称的な Sie (あなた) から非常に親しい呼びかけである Du (お前、君) に変わった。

また、五五年六月二十日のブラームスの手紙では、それまでの「敬愛する夫人」とか「親愛なる人」が「私のクラーラ」というような表現に変わっている。そしてまた、ブラームスは「私はもう君なしには生きていられない・・・私がいつも、そしてずっと愛しつづけるように、どうか私を愛して下さい」とまで書くようになる。

しかし、クラーラは、このころまでのブラームスからの手紙のほとんどを破棄してしまっている。彼女の心境を語るのはその日記だけである。それにはつぎのように書かれている。

私たちの間にはこのうえない完璧な調和があります。私を惹きつけるのは、彼の若さではない。おそらく私自身のつまらぬうぬぼれでもないでしょう。いや、私が彼のなかで愛しているものは、その新鮮な情感、輝かしいばかりの才能に恵まれたその人柄、高貴なその心なのです。

ブラームスは間違いなく自分の気持ちを伝えていましたし、クララもまんざらではなかったようですね。

次に、「恋する大作曲家たち (フリッツ・スピーグル著、山田久美子訳、音楽之友社)」にはブラームスの女性遍歴について更に詳しく書かれています。


・ブラームスが女性と長続きする関係を築けなかったのは、若いころ家族を養う足しにハンブルクの売春宿でピアノを弾いていたせいだというのが、伝統的な見方である。

・(売春について) 彼は生涯に何度となくその愛にもどっていった。単純で、束縛されない−そして金で買う愛。

・ブラームスはおそらく過度なまでに女性を愛していたが、長期の関係は恐れていた。そしてどんな離婚裁判の判事にも負けないほど結婚については皮肉な見解を持っていた。「ぼくは運悪く結婚しなかった−だからずっと独身だった、ありがたい!」というのが、お気に入りの言いぐさだった。

・ブラームスは女性を信頼せず、たとえ将来愛情に発展しそうな友情が生まれても、突然感情を爆発させ、演奏や歌唱やらについて深く傷つける発言をして、相手を拒絶してしまうのだった。

・ローベルト・シューマンが二度と出てくることのなかったエンデニヒの精神病院に移されたあと、ブラームスはクラーラと子供たちと一緒に暮らしはじめた。(略)二月二七日以降、家計簿はブラームスの筆跡になっている。

・ブラームスとアガーテは婚約し、指輪を交換した。だが、一八五九年、クラーラがハノーヴァーで彼の≪ピアノ協奏曲第一番ニ短調≫を演奏したとき、彼は落ち込んだ。(略)不意に、アガーテと結婚すればクラーラを失うかもしれないと気づき、(略)奇妙な愛の手紙を書いた。(略)アガーテは怒って婚約を解消した

・一八六四年から翌年にかけて書いた二作目の弦楽六重奏のなかで、ブラームスはくりかえし彼女(※アガーテ)の名前を呼んでいる−音楽の棋譜法で可能な限り”文字の綴り”に近づけて。第一と第二ヴァイオリンがA-G-A-D-Eと演奏するパッセージの意味を、ブラームスは友人のヨーゼフ・ゲンズヴァッヒャーにはっきりと説明している。「この時点でぼくは最後の恋愛から自由になったのだ」

・よくブラームスと会っていたウルマンは、この作曲家との情事を告白した知り合いの若い女性について語った。彼女によれば、ブラームスは「情熱的だけど不器用な恋人」だったという。

・ヴィーンで、ブラームスは女声聖歌隊を結成し(ハンブルクでやったように)、そのメンバーのひとりにすぐさま結婚を申し込んだ。が、彼女がある医師と婚約したばかりなのを密かに知り、承諾の返事はもらえないだろうと悟った。またしても空振りに終わったのである。

ブラームスはクララ一筋という訳ではなく、それなりに女遊びもしていたようです。この辺は、貴族の娘に恋しながら、売春婦と遊んでいたシューベルトを思い起こさせます。しかし、ブラームスが一途に愛した女性はクララだけだったように思います。愛が芽生えかけたアガーテも、クララには敵わなかったことが、アガーテとの婚約解消のエピソードでよくわかりますね。一般に、男性は過去の女性を引きずるといいますが、ブラームスはその典型のようです。

最後に、「大作曲家たちの履歴書 (三枝成彰著、中央公論社)」には次のようにあります。


クララ・シューマン/理性と尊敬の念で結婚を踏みとどまる

二人は互いに恋愛感情を持ちながらも、理性と強い意志によって自制し合い、ついに結婚に至ることはなかった。彼らの交友は、時には喧嘩も交えながら四十三年間に及び、その間に交わされた手紙は数千通(破棄から免れたのは約八百通)にのぼったという。そこにはいたわりと尊敬、、そして紛れもない愛情がうかがえる。クララは死のまぎわに数行の文章を残したが、それはブラームスに宛てられたものであった。

ブラームスがクララに一方的に片思いをしていたのではなく、クララもブラームスを愛していたことが伝わってくる話です。ブラームスの片思いならクララからの返信もなかった筈でしょうし、ブラームスの気持ちはクララからの返信で更に燃え上がったのではないかと推測します。

こうした事情を踏まえると、複雑な愛の物語があり、クララ・シューマンを愛したロベルト・シューマン、ヨハネス・ブラームスを扱った映画が複数作られる理由が、十分理解できます。
http://www.miguchi.net/archives/2615

ここでは彼の作品群のうち、とくに魅力的な一角を成す室内楽の、そ れもメロディアスにして甘い郷愁のような音を聞かせるものを挙げてみます。そのため息が誰へのものなのかはたい して重要ではありません。しかしなんだかんだいっても、そういう色調の曲こそが名曲として人気があるのではない でしょうか。これ以上のロマンティストはいないほどでありながら立派な紳士たろうとする努力は、はにかみ屋のブ ラームスの最も愛すべき点に違いありません。


ピアノ三重奏曲第1番

 改訂版を出しはしたものの、二十歳のブラームスが初めてクララに会った直後に書いた曲です。事実は知りませんが、最初から熱き思いに舞い上がってるように聞こえませんか? 

ピアノが冒頭から印象的な低い音を叩き、大きな波のように押し寄せてきたかと思うとチェロが引き継いで熱っぽく胸の内を語ります。揺れ動く感情を野放しにして振り切れるままにし、どうしようもなく高まってきたところで、そうだ、と自らに断定的に言い切ってまた突き進む。そういう感じです。

地に足が着いていないと言えるほど幸せと息苦しさが合体しています。
「好き好き好き好きどうしよう」と小躍りしているようにしか聞こえません!

ヴァイオリン・ソナタ第1番「雨の歌」

 君が好きだと言ってくれた曲 を、君のためにソナタに編曲してみたよ、という曲です。ブラームスのメロディのなかでも最も美しいものの一つではないでしょうか。

ブラームスの同名の歌曲をクララ・シューマンが好んでおり、ピアニストであるクララも弾けるように、かどうかは知りませんが、作曲家自らヴァイオリン・ソナタに 編曲し、それが歴史に残る名曲になりました。

その歌曲が使われているのは第三楽章ですが、色々なところでよ くとりあげられるのは第一楽章の方でしょうか。ヴァイオリンの鼻声で甘え訴えかけるような響きがなんともロ マンティックです。途中から感情が激してきて、思わず叫んでしまうところがあります。フィジカルな自動運動 のようでもありますが、まるでわかってもらおうとして「ぼくだよ、ここだよ」と必死に訴えているみたいでも あり、その後脱力してまた上目遣いに独り言を装って囁き続けます。

「ブラームス・フォー・トゥー」(恋人たちのブラームス)という感じでしょうか。

幻想曲・間奏曲集Op.116〜119

 死の5年前、1892年で59 歳。事実上ブラームス最後の作品群です。作品116の幻想曲が7つ、117 の間奏曲が3つ、ピアノの小品118が6つ、119が2つで、たいていは一枚にまとめて録音されます。

肝臓ガンでクララの後を追って一年後に亡くなったブラームス。享年64歳でした。果して晩年は満ち足りていたのでしょうか。

静けさという意味では確かに最後の作品たるに相応しい雰囲気を持っています。
大変美しい追憶の曲です。しかし「旅立ちの準備が整った者の穏やかなひととき」とは言えません。

幻想曲の2曲目と4曲目など、なんという悲しい音でしょう。
ブラームスは泣いているのでしょうか。

そして上に 掲げた写真も見てほしいと思います。
晩年のブラームスはどうし てこんな目をしているのでしょうか。
http://home.att.ne.jp/delta/myrobalan/brahmschamber.html

ブラームスと女性のこと

 ゴシップ・クラシック界最大の謎とされるのがヨハネスとクララの関係です。他にもモーツァルトとアロイジ ア・ウェーバー、ラヴェルとエレーヌ・ジョルダン・モランジュなど、なかったようであったかもしれない式の 噂話は他項でとりあげました。年譜まで作って調べる人もいるようです。

 クララ・シューマンは、ご存知のとおり、作曲家ロベルト・シューマンの奥さんです。ブラームスからすると 十四歳年上ですが、当時有名なピアニストであり、ドイツの紙幣に描かれたこともある美貌の女性でもありま す。

ブラームスは二十歳のときにこの夫妻に初めて会っています。クララを見てどう思ったかはわかりません が、音楽の中に心境が表れるのなら、この頃に作曲されたのはピアノ三重奏曲第1番です(別項)。そして夫妻 に会ったそのとき、夫のシューマンには才能を見いだされ、後年ブラームスがドヴォルザークにしてやったのと 同じように世に出るきっかけを作ってもらいました。したがってロベルトは彼の恩人なのです。

しかしその恩人 は翌年ライン川に身を投げて自殺を図ります。幸い通りかかった船に助けられて一命はとりとめましたが、以後 は精神病院暮らしとなり、それから一年後に死亡します。人によってはこの自殺の際にシューマンが結婚指輪を 外していたことから、妻とブラームスの関係を知って絶望していたのではないかなどというのですが、一般に受 け入れられている理由は病気を苦にしてのことだとされています。

シューマンは結婚前に娼婦から梅毒をうつさ れており、梅毒は当時致命的な病気であったためどんどん進行していました。それと原因が同じか別か、精神も 病んでいました。梅毒が脳を侵したわけではないという医者の所見もあるようですが、考えられてきたのはまず 梅毒による影響、そして躁鬱病、統合失調症です。

病跡学的には躁鬱が有力らしいですが、被支配の妄想は統合 失調系にも感じられます。奥さんのクララに梅毒がうつらなかったのは結婚時にすでに潜伏期に入っていたため のようですが、そういう知識が当時なかったとすると、シューマンは自らの病気を知りつつクララと結婚したの でしょうか。彼が売春婦と関係を持ったのはブラームスとクララの関係を知った後だという説を唱える人すらい ます。

また、シューマン最後の言葉はクララに抱かれて発した I know の意味のイッヒ・ヴァイスで、幻覚にもてあそばれてきたけれども

「君だとわかるよ」

と言い、最後の力をふりしぼって挨拶したのだとクララは言っているわけですが、一方で

「ブラームスと関係してたこと、 ぼくは知ってるよ」

という意味だと解釈したがる人もいま す。

8人も子供のあったクララは、8番目がブラームスの子だったなどという憶測は横へ置いておくにしても、夫シューマンの療養所入りとその後の死によって経済的に苦しくなり、コンサートをたくさん開くなど苦労したようです。

この頃ブラームスがクララの面倒を見、急接近していたことは知られています。彼のクララへの手紙には大変熱烈なものが何通も残っており、どうみても、それです。その上一番親密だった頃の手紙は二人とも処分している(らしい)というのですから、男女関係 にあったとする見方が出てくるのは当然かもしれません。

クララがブラームスに宛てた「あなたは最高の友人 よ」という見限りメール風のものも残っているようですが、真実が何であったかは知りたい人が前後関係を読んで想像することでしょう。いずれにしても二人がその後一緒になることはなく、表向きは親しい友人関係を貫き ました。

 そしてその急接近の3年後、25歳のブラームスはアガーテ・フォン・ジーボルトという、長崎のシーボルト の従兄弟の子に当たる女性と婚約しますが、いざ結婚の段になると

「今は大変忙しい、結婚によって束縛されたくない。
結婚するかどうかは君が決めてくれ」

という内容の手紙をアガーテに送り、それを受け取ってショック を受けたアガーテにふられるという結果に至ります。なんという気のない言いぐさでしょうか。まるで他の誰か を思っていたかのようです。それとも、成就してしまうことを怖がる心理でも働いていたのでしょうか。

結婚をはじめ、何かが成立してしまうことを恐れて逃亡するケースはよく聞かれます。完成してしまったらその先はな いわけですし、あるものに関して自信がなく、それが露呈してしまうことを恐れる場合もあります。重大な決定 について迷いが出るのは当たり前だとしても、恋愛においては親との幼少期の関係が影を落としているように見 える場合もあります。

キェルケゴールのように自ら婚約を破棄してしまい、後々自責と後悔に苛まれる人もいる ようです。いずれにしても冷淡な態度をとればそれで現実の関係が終わってしまっても仕方はありません。

 この頃に作曲されたのが弦楽六重奏曲第1番です。以後ブラームスは独身を貫き、仲の良かった夫婦によく見られるパタ−ンですが、クララの死の一年後に肝臓ガンで後を追うように亡くなっています。西洋医学では否定 されますが、伝統医学のいくつかでは臓器と感情の結びつきが言われます。そういう意味でいうと肝臓は怒りの 臓器だという話ですが、クララの死後、ブラームスには何か自分への隠された怒りでもあったのでしょうか。

 では、音楽の上では、プライヴェートな出来事はどう表れるのでしょうか。芸術作品は作者の意図やそのとき の感情に関わらず、作品単体で見るべきだという哲学者がいます。こうだったああだったと言ったところで他人 の主観に過ぎないからでしょう。しかし裏を返せばどんな評価も恣意投影なのですから、逆に心情を感じてみるのもありでしょう。

ブラームスの叙情性、それは若いときから一貫して切々と訴えてくる種類のものです。静か に甘く夢見るような歌をうたっていたのが突如感情が高まり、希望やら切なさやらがないまぜになった抑えきれ ないフォルテへと上り詰めた後、フレーズの区切りまで燃焼し切ることなく途中でふっと力が抜け、また独り言というか、内にこもって物思いにふけって行きます。

このホルモンをともなったやるせない波立ちの形には誰しも覚えがあるのではないでしょうか。しかもブラームスの場合、感情が高まるときはチェロなどの肉声に似た擦 弦楽器の持続音をともなって、しかも輝かしくない厚めの音で訴えてくることが多いように思います。

後に手直しをしてはいますが、クララと出会った頃のピアノ三重奏(第1番)の出だしから聞こえる音はどうでしょうか。その経緯からピアニストのクララが耳にし、弾くことになるのは明らかでした。ブラームスはヴァイオリン が弾けましたし。

それはともかく、同じく甘美な旋律で有名なヴァイオリン・ソナタ第1番「雨の歌」は、クラ ラが好きだった歌曲から編曲されたためにそのタイトルで呼ばれます。アガーテと謎の破綻をした直後に作曲さ れた弦楽六重奏曲ですら同種の響きを持っているように聞こえるのは私の耳がおかしいのでしょうか。どれもこ れも内に秘めた想いを感じさせ、それがときに暗い情念に結びついているのが分厚い和声を通り抜けて聞こえて きます。

 婚外であれ何であれ、あからさまな男女関係に入り込むという意味ではブラームスとは反対にも思える奔放さを見せたのはガブリエル・フォーレです。しかしブラームスの音には、そのフォーレに若干似たところを感じる 瞬間があります。

それは重厚な内声部に支えられた溜め息のようであり、何度も改良を重ねた手の込んだ技法によって半ば隠されていますが、人の眼の光が魂に固有だと言われるように、いつも、ある同じ色なのです。そしてフォーレの方は現実につき合える相手への思いに満ちてお り、手に入れては情熱を失うという繰り返しのプロ セスにおける期待を表しているとするなら、ブラームスはある種、手に入らないものに憧れ続けるような種類に 聞こえます。

 もちろんブラームスにも、あまりそのような切ない気分ではなかっただろう期間もあります。ドイツ・レクイ エム、第2交響曲、ヴァイオリン協奏曲などを生み出していた頃、年齢で言えば35歳から50歳ぐらいまでの 間がそうではないでしょうか。この時期の作品は概ね穏やかな満足に満ちているような気がします。しかしそれ も長くは続きませんでした。

 五十代を超えてくると、想いが枯れてくるのではなく、そこに過去への回想が加わってくるようです。それは ときに怒りを伴い、悲痛さを感じさせることもありますが、美化した幸福に酔う瞬間も現れます。名曲として名 高いクラリネット五重奏曲とピアノの間奏曲集が、よく演奏されるものとしては事実上彼の最後の作品にあたるわけですが、これらですら若者の自己陶酔的な嘆きにすら聞こえ、モーツァルトやベートーヴェンが晩年に見せ た、どこかふっきれたあの感覚とは質的に異なっているようです。

人の晩年といってもそれぞれで、青年期に特 徴的な問題を晩年に解く人もいれば、無条件の愛のようなテーマに早くから取り組む夭折の天才もいます。それ らに優劣は関係ないですし、老年期の心理などというものがはたしてどこまで普遍性を持ち得るのかも謎です。
http://home.att.ne.jp/delta/myrobalan/brahms4.html

7. 中川隆[-10716] koaQ7Jey 2019年10月19日 15:56:26 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[2140] 報告

ブラームスとクララって


292 : 名無しの笛の踊り[sage] : 投稿日:2004/03/12 22:04:00ID:5Thzv7ne [1/1回]

「結婚すればよかったと思うこともあるんだよ
 もう十歳くらいの男の子がいてもおかしくないんだから。そりゃ楽しいだろうよ。
 でもなあ、適齢期のころには地位がなくてね。今じゃもう遅すぎるし。」

by ジョージ・ヘンシェルの日記 1876年7月17日記述。

ガクガクブルブル・・・


ブラームス回想録集 ジョージ・ヘンシェル
http://www.amazon.co.jp/%E3%83%96%E3%83%A9%E3%83%BC%E3%83%A0%E3%82%B9%E5%9B%9E%E6%83%B3%E9%8C%B2%E9%9B%86%E3%80%881%E3%80%89%E3%83%A8%E3%83%8F%E3%83%8D%E3%82%B9%E3%83%BB%E3%83%96%E3%83%A9%E3%83%BC%E3%83%A0%E3%82%B9%E3%81%AE%E6%80%9D%E3%81%84%E5%87%BA-%E3%83%96%E3%83%A9%E3%83%BC%E3%83%A0%E3%82%B9%E5%9B%9E%E6%83%B3%E9%8C%B2%E9%9B%86-1-%E3%82%A2%E3%83%AB%E3%83%99%E3%83%AB%E3%83%88-%E3%83%87%E3%82%A3%E3%83%BC%E3%83%88%E3%83%AA%E3%83%92/dp/4276201772/ref=sr_1_2?s=books&ie=UTF8&qid=1365322677&sr=1-2&keywords=%E3%83%96%E3%83%A9%E3%83%BC%E3%83%A0%E3%82%B9%E5%9B%9E%E6%83%B3%E9%8C%B2%E9%9B%86


827 : 名無しの笛の踊り[sage] : 投稿日:2006/06/13 11:43:46ID:PDdjjwSf [1/1回]

ブラームスは早熟の天才肌(ピアノ四重奏曲、バラードその他)


839 : 名無しの笛の踊り[sage] : 投稿日:2006/07/08 11:25:28ID:lPRgnMHf [1/1回]

ブラームスが美青年でなければ全ては平穏だっただろうに


840 : 名無しの笛の踊り[sage] : 投稿日:2006/07/08 16:01:01ID:YXG0GM4F [1/1回]

若い頃のブラームスは運動神経も抜群で、興に乗ったら皆の前で宙返りを披露してたそうだ。まあ、ピアノが鬼のように上手い人は大抵運動神経もいいから、さもありなんな話だ。

さぞモテたんだろうな。
クララの毒牙にひっかかりさえしなければ・・・

841 : 名無しの笛の踊り[sage] : 投稿日:2006/07/08 18:29:59ID:AZTmGu9Y [1/1回]

そしたら天才のままで作曲できたかも知れないのにね。

985 : 名無しの笛の踊り[] : 投稿日:2006/11/03 12:13:42ID:iqhimP4Z [1/1回]

ブラームスが美青年でなければ

5 : 名無しの笛の踊り[] : 投稿日:2003/12/08 14:48:00ID:FwrjoHKK [1/1回]

二人の間には子供がひとりいた。
少なくともシューマンはそう疑っていた。
シューマンはクララとセックスした日を手帳に正確に記録するようになりクララをストーキングするようになった。

90 : 名無しの笛の踊り[] : 投稿日:2003/12/15 11:56:00ID:dOf5SUQw [1/2回]

ブラームスっていうと内向的で、優柔不断で、ぐずぐすした印象があるんだが、クララとやっちゃうほどの甲斐性あったのかな。


92 : 名無しの笛の踊り[] : 投稿日:2003/12/15 14:43:00ID:1hrX1kTj [1/2回]
>>90
 逆ナンだよ−ン。
 熟女のテクにかかったらイチコロだヨ−ン。
 愛してることと、エッチした〜いことの見境がつきまへんねん、若い頃は。
 これ体験的結論。


93 : 名無しの笛の踊り[] : 投稿日:2003/12/15 14:50:00ID:1hrX1kTj [2/2回]

     食パンもジョルジュ・サンドいっち
     にされたっけ。

203 : 名無しの笛の踊り[???] : 投稿日:2004/01/20 23:24:00ID:a8cjojec [1/2回]

結局末っ子の父親って誰なの?


204 : 名無しの笛の踊り[sage] : 投稿日:2004/01/20 23:28:00ID:Hgfs9Fb4 [1/2回]
>>203
ロベルト


205 : 名無しの笛の踊り[???] : 投稿日:2004/01/20 23:32:00ID:a8cjojec [2/2回]

ホントに?


206 : 名無しの笛の踊り[sage] : 投稿日:2004/01/20 23:41:00ID:Hgfs9Fb4 [2/2回]

ほら、ロベルトは克明に記録つけてたから、
それと合致するという。


207 : 名無しの笛の踊り[???] : 投稿日:2004/01/21 00:04:00ID:QuffiUg/ [1/1回]
でも末っ子がデキちゃった頃って病気(梅毒?)がカナリひどくなってきてたのでは?
そんな時にちゃんと勃起したのかが問題だ。


209 : 名無しの笛の踊り[] : 投稿日:2004/01/22 00:13:00ID:3QmKKclJ [1/1回]

 ネタ・・・・・・
要するに、クララは誰と「ネタ」のかが問題だ。


210 : 名無しの笛の踊り[] : 投稿日:2004/01/22 15:42:00ID:m5iUxdNE [1/1回]
>>209
ヨハネスでしょー。
夫がいる身で年下の若い男とはめまくり。
邪魔な発狂夫があぼーんした後は二人で(子連れだけど)堂々と温泉旅行。
再婚しなかったってだけでものすごい良妻賢母として後世に語り継がれる。
イイ人生だね、クララの人生って。


708 : 名無しの笛の踊り[sage] : 投稿日:2005/12/10 05:54:18ID:K7422RwR [1/1回]

とにかく、クララって好きもん女で子供ばっか、やりまくって作ってた。
その上ブラームスの相手もして、すごいもんだと尊敬。


716 : 栗舐めキン愚▼69XES&4[] : 投稿日:2005/12/17 00:32:11ID:LB4yP++i [1/1回]

ブラームスってババ専???
あんなイイ男が好き好んでバァバァにハメハメしたとは思えんのだが


717 : 名無しの笛の踊り[sage] : 投稿日:2005/12/17 02:31:31ID:JyUseF4c [1/1回]

壮年期のブラームスって、成功してエライ高収入だった。
それでも本人は質素を好んだものだから、カネは有り余っていたはずだ。
女だっていくらでもハメまくれただろうに・・・


718 : 名無しの笛の踊り[sage] : 投稿日:2005/12/18 21:02:11ID:yQlMerDi [1/1回]

問題は成功しただけでなく当代の著名人になってしまったことだな
それより何よりクララがいてはどうにもならん


719 : 名無しの笛の踊り[sage] : 投稿日:2005/12/20 01:07:15ID:yql2W2oz [1/1回]

ブラームスは成功してからは気前も良く、親戚や若手音楽家を援助しまくったそうだ。
(新潮社「カラー版作曲家の生涯」より)
人付き合いは苦手でもイイ人だったみたいだね。
ウィーンや故郷ハンブルクでも、風俗のおねぇさんや女学生にお金をばらまいたのかなぁ・・・


720 : 名無しの笛の踊り[sage] : 投稿日:2005/12/22 20:32:50ID:AUqz07Zw [1/1回]

援助が違う意味に見えたw


722 : 名無しの笛の踊り[sage] : 投稿日:2005/12/23 21:49:16ID:MSSBr4tL [1/1回]

子ども好きだったブラームスw

732 : 名無しの笛の踊り[] : 投稿日:2006/01/07 19:21:21ID:hitNDBzq [2/2回]

ヨハネスたんの童貞喪失だが・・・
1847年、14歳のとき、地元ハンブルグのバイト先の酒場で、娼婦のお姉さんに、そそのかされて食われてしまったとの説がある。
14歳の天才ピアニスト美少年が、娼婦やマフィアだらけの酒場でピアノ弾きのバイトなんかやってたら、ショタコン女に食われて当然!!


728 : 名無しの笛の踊り[sage] : 投稿日:2005/12/31 14:55:08ID:W0w4DMdP [1/1回]

ヨハネス君ってヤリチンコじゃねぇか。
もうヤツの音楽は聴かない。

禁欲生活を貫き、41歳で結婚するまで性的経験がなかったマーラーを見習えってんだ。
(妻・アルマ談。いやこれほんとかな〜w)


729 : 名無しの笛の踊り[sage] : 投稿日:2006/01/06 14:21:25ID:brZo7jc+ [1/1回]

マーラーの夜の生活は、相手のことも考えず勝手にベッドに押し入って自分だけ満足すれば後はさっさと出て行って自分の所で寝ちゃうと言う、かなり自己中心なものだったらしい。
そりゃアルマも寝取られる訳だよ。


730 : 名無しの笛の踊り[sage] : 投稿日:2006/01/06 17:36:36ID:ddUtS55G [1/1回]

アルマ自体もヤリマンだしねえ。
あのベース顔好きじゃないけど。

953 : 名無しの笛の踊り[sage] : 投稿日:2006/10/24 06:16:14ID:RNs4YpxY [1/2回]

クララはどっかのア○マとは違って、ヨハネスとは結婚しなかったのね
しかもその後男をとっかえひっかえしてたわけじゃないし


954 : 名無しの笛の踊り[] : 投稿日:2006/10/24 12:59:18ID:9eZcad46 [1/1回]

そりゃクララと違ってアルマは自活の術がなかったわけですから。

955 : 名無しの笛の踊り[sage] : 投稿日:2006/10/24 15:54:21ID:RNs4YpxY [2/2回]

それもマーラーのせいなんだよな
マーラーが何でも支配したがるサドだったばかりに…

325 : 名無しの笛の踊り[] : 投稿日:2004/05/01 23:36:00ID:nsiG+gWb [1/1回]

 だけど、50才過ぎたおばさんっていいんですかネ。
私の母親と同年代のおばさんと・・・・
なんか、キモい世界ですね。ひいてしまいます。
ブラームスってすげー趣味だと言うべきか。


477 : 名無しの笛の踊り[] : 投稿日:2004/12/21 01:19:21ID:LziTxb/q [1/1回]

ブラームスってロベルトとクララの娘ユーリエと結婚をたくらんだこともあったそうだが。


480 : 名無しの笛の踊り[] : 投稿日:2004/12/22 23:15:17ID:4KIw7wVu [1/1回]

カツ丼も旨いが、親子丼も旨いからな。


326 : 名無しの笛の踊り[sage] : 投稿日:2004/05/01 23:56:00ID:DuF3rHKa [1/1回]
>>325
相手は最初っからオバサンだったわけではないし、
そもそもブラームスは生涯クララ一筋だったわけでもない。

ブラームスは1833年5月7日生まれ。シューマン夫妻と初めて会ったのは 1853年9月末だから、当時20歳。
クララは1819年9月13日生まれで、この時34歳になったばかり。ちなみにローベルトは1810年6月8日生まれで43歳。

1869年にブラームス(当時36歳)はシューマン夫妻の三女ユーリエ(当時23歳)に恋愛感情を抱くが、クララ(当時49〜50歳)はそれを知ってか知らずか、さる伯爵のもとへ嫁にやる。(ユーリエ本人は知りもしなかったことだろう)
「アルト・ラプソディー」はこの失恋がきっかけで作曲されたという。
そして、この年9月にクララのもとを訪れたブラームスは、この曲の完成したスコアを無言で手渡したと伝えられる。


132 : 名無しの笛の踊り[age] : 投稿日:2003/12/22 08:47:00ID:XAF0X5yI [1/1回]

ショパンのイメージはドラクロワの肖像画の様に神経質そうな美男子だと思っていたが、あるショパンのサイトに掲示してあった晩年頃の本人と思われる写真を見て今迄のショパンのイメージが崩壊しますた。
やぱーりブラームスはイイ男。
クララが手を出すのも無理なし。

144 : 名無しの笛の踊り[] : 投稿日:2003/12/24 19:34:00ID:EN7AvpQQ [1/1回]

ショパンの肖像画と写真まったくちがうよね。
あの写真スキだけど。

135 : 名無しの笛の踊り[sage] : 投稿日:2003/12/23 00:13:00ID:pGGaBvcU [1/1回]

じゃあバッハやヘンデルって実際はもっと・・・プププwww


136 : 名無しの笛の踊り[] : 投稿日:2003/12/23 00:40:00ID:/d/d9Dam [2/2回]

モーツァルトやベートーヴェンも、かなーり・・・・・・


137 : 名無しの笛の踊り[] : 投稿日:2003/12/23 14:17:00ID:Ye0IiBkd [1/1回]

ブラームスって、ハンサムだったけど、背が低いことをすごく気にしてたんですよねー。


138 : 名無しの笛の踊り[sage] : 投稿日:2003/12/23 17:03:00ID:VwaljHro [1/1回]

まあ肖像画はググってみれ、それなりのものもけっこうある。

理想化がひどいのは19世紀に音楽家を文化英雄としてえがいた画の類。
知れヶ版画になるともっと非道くなる。
モトネタはどっちかというとあまりいい男ではない古い絵だが、少々タッチアップするぐらいならともかく、ひどいのだと類型的な「あるべき姿」に顔を書き換えてんだよね・・・・

イメージグーグルでbachと検索すると、
一見同じでも実は模写で顔が少し違う、なんてのは山ほど出てくる。。。。。

57 : 名無しの笛の踊り[sage] : 投稿日:2003/12/12 22:15:00ID:YW/6Uqsk [1/1回]

若いときのブラームスっていつ見てもええ男やな
これでピアノも作曲もロベルトより上だったんだから
クララがなびかないはずがない。

46 : 名無しの笛の踊り[sage] : 投稿日:2003/12/12 11:43:00ID:tyPcVwx1 [2/3回]

ちなみにクララは、後にブラームスが若い娘たちに恋しだすと、
結構嫉妬していたそうです。うーむやはり・・・。


877 : 名無しの笛の踊り[sage] : 投稿日:2006/08/12 09:39:25ID:l3OOcUFV [1/1回]

ヨハネスはアガーテ嬢に酷いことをしたよね(´・ω・`)
やはりクララが一枚噛んで(ry

若き日のヨハネスは、ゲッティンゲンの大学教授の娘でソプラノ歌手でもあったアガーテ・フォン・ジーボルトと恋愛関係にあり、婚約を交わすに至った。
ところがある日ヨハネスはアガーテにこんな内容の手紙を出す。
「貴女を愛してはいるが、束縛されたくない。貴女の元へ行くべきかどうか返事をおくれ」
アガーテはプライドを傷つけられ、婚約は破棄。二人とも心に傷を残した。

この事件に関してクララがどのように関わったかは資料に残されていないけれど、婚約者をつれなく捨てる位なので、恐らくアガーテに嫉妬したクララがヨハネスに何か吹き込んだものと思われ…

ちなみに後年のアガーテの述懐。

「どんな犠牲を払ってでも、彼と一緒になりたかった」

885 : 名無しの笛の踊り[sage] : 投稿日:2006/08/17 19:34:06ID:1nnrPh3S [1/1回]

まあ、ブラームスと結婚したって幸せにはなれなかったと思うけど。

理由

クララ:カミラ夫人
ヨハネス:チャールズ皇太子
アガーテ:ダイアナ妃

887 : 名無しの笛の踊り[sage] : 投稿日:2006/08/19 20:15:36ID:M3yQUiQF [1/1回]

「愛してはいるけど、束縛はされたくない」て書いておきながら
すでにクララに束縛されていたブラームス・・・


569 : 名無しの笛の踊り[sage] : 投稿日:2005/06/03 01:01:46ID:iGUXrPEP [1/1回]

ピアノ協奏曲第1番の初演で失敗した1859年、ブラームスは結婚にも失敗する。
相手はソプラノ歌手アガーテ・フォン・ジーボルト嬢。前年に婚約に至っていたが、
「愛しているが、束縛されるのは好まない。どうしたらいいだろう」
というような煮え切らない手紙を彼女に送って、結局婚約を破棄されてしまったのだった。


570 : 名無しの笛の踊り[sage] : 投稿日:2005/06/03 01:22:27ID:bwgFJFBH [1/1回]
>>569
その手紙の一部

「僕は貴女を愛しています。もう一度お目にかからなければなりません。
しかし僕は束縛されるわけにはいかないのです。貴女を僕の腕に抱き、口づけし、貴女を愛していますと言うために、戻っていくべきかどうか、すぐ返事をください。」


571 : 名無しの笛の踊り[sage] : 投稿日:2005/06/03 20:53:10ID:qufZ9hFb [1/1回]
>>570
ジャンボヴァカだな
親切な人に紹介されて、マジ惚れて、しかも大学教授の娘だ
「おれについてこい、必ず幸せにしてやる!」ってなんで言えなかったかねぇ

やっぱり、怒ったクララが黙って帰っちゃったのがアレだったんだな、うんうん。


573 : 名無しの笛の踊り[sage] : 投稿日:2005/06/04 01:27:21ID:rCpfOAoC [1/1回]

「束縛されるわけにはいかないのです」ってどう見ても結婚する気全くないじゃん。
体のいい断り文句に決まってるじゃんよ。


575 : 名無しの笛の踊り[] : 投稿日:2005/06/04 12:47:12ID:9mzB/brW [1/1回]

よーするに、結婚はでけへんけど一回やらせろ、ということ。


59 : 名無しの笛の踊り[sage] : 投稿日:2003/12/12 23:51:00ID:ektrfxMi [1/1回]

で、結局ブラームスはクララのまんこに中田氏したの?


60 : 名無しの笛の踊り[sage] : 投稿日:2003/12/13 00:12:00ID:CmWs2uqn [1/1回]

そりゃシューマンほどの漢が発狂するほどのセクースというのだから
恐らくゴルゴの如くクララを抱くブラームスを目撃した物と思われ。


61 : 名無しの笛の踊り[???] : 投稿日:2003/12/13 00:38:00ID:UIJm1hap [1/2回]

ドアの隙間から喘いでる愛妻を目撃→ライン川くだり。ってトコか・・・

233 : 名無しの笛の踊り[] : 投稿日:2004/01/30 02:32:00ID:SL3NGaVg [1/1回]

クララの万個は、強烈に締まったそうだね。シューマンの話によれば。
ヨハネスも、その三段締めの虜となった。

クララの万個を称えよう。


236 : 名無しの笛の踊り[] : 投稿日:2004/01/30 18:39:00ID:oJmPJ62S [1/1回]
>>233
その三段締めで男をたらし込んだんだね、クララ。
・・・ったく・・とんでもねー女だな。
なのに後世の評価はロベルトより高い。
みんな騙されてるんじゃないのか?


237 : 名無しの笛の踊り[sage] : 投稿日:2004/01/30 19:36:00ID:NHfIsLep [1/1回]

子供を8人産んだ女性がそんなんなんですか?

238 : 名無しの笛の踊り[] : 投稿日:2004/01/30 19:55:00ID:lEtrRG6H [1/1回]
>>237
稀にいるんだよなあ。子供産んでも、ユルマン@太平洋にならない女が。

240 : 名無しの笛の踊り[] : 投稿日:2004/02/01 01:48:00ID:qInV8sFi [1/1回]

やっぱ女はマンコなんだ・・。
頑張ってマンコ鍛えて年下男喰ってやる!!
そして発狂した夫を捨てて後の世に名を残すんだーーー!!!

252 : 名無しの笛の踊り[sage] : 投稿日:2004/02/07 19:12:00ID:XOCfwTJd [1/1回]

いや、本当にマン○は大事だ。
俺は昨日超美人の彼女と別れたが、その向こうの理由は「最近優しくない」だった。
相手のゆるゆるぶりになんか落ち込んでセクースもしたくなかった、とは言えなかった。


256 : 名無しの笛の踊り[] : 投稿日:2004/02/09 18:35:00ID:Cqcs6ZqT [1/1回]
>>252
へぇ〜、そうなんだ。やっぱ美人でもゆるいと別れたくなるんだ・・
じゃ、私なんか美人じゃないからゆるかったら速攻でゴミ箱逝きだね(泣
これから毎日マンコ鍛えなきゃ!!
おしっこするときはいちいち途中で止めて、 お尻の穴を引き締めて・・・、
他に何すればいいですか?
マンコのゆるい美人ときつく締まるマンコを持ったブサイコはどちらがお好きですか?
美人なうえにキツマンのクララは最強ですね。


257 : 名無しの笛の踊り[] : 投稿日:2004/02/09 23:59:00ID:2pHYdEwY [1/1回]

クララ最強伝説が生まれた。


258 : 名無しの笛の踊り[sage] : 投稿日:2004/02/10 02:16:00ID:mjbEvdMX [1/1回]
>>256
その二人だったら絶対後者が良いよ。
緩い美人は緩くても美人だからプライドが高い。
だから喧嘩したらちょっとした事でもなかなか仲直りが出来ない。
恋人同士の仲直りなんか抱き合うのが一番いいのだけど、緩いからそれもうまく行かない。
キツイブサイコは喧嘩しても折れてくれることが多いので
お互い普通にしていても仲直りしやすいし、抱き合えばもうすっかり気分を直せるし、大げんかしても結構なんとかなる。


264 : 名無しの笛の踊り[] : 投稿日:2004/02/12 21:13:00ID:qz2iEppq [1/1回]
>>258
いや、ブスには立たないだろう、普通。


266 : 名無しの笛の踊り[] : 投稿日:2004/02/13 23:55:00ID:WCM+C1AT [1/2回]

目をつむって,エエ女をイメージしてヤル。
ブス相手のエッチのコツ。
 ちなみに、マンコそのものが問題ではない。
要するに「床上手」かどうかということ。
 クレオパトラのような、カエサルを骨抜きにする当意即妙の話術ができればベスト。
(プルターク英勇伝)


267 : 名無しの笛の踊り[] : 投稿日:2004/02/13 23:57:00ID:WCM+C1AT [2/2回]

 クララは、床上手


925 : 名無しの笛の踊り[sage] : 投稿日:2006/10/03 00:19:36ID:qALE/l13 [1/1回]

クララってオノヨーコみたい

926 : 名無しの笛の踊り[] : 投稿日:2006/10/04 10:06:49ID:HmapD8TH [1/2回]
>>925
だったら、フェラーリが絶妙に上手いんだ。
 ロベルトやヨハネスがメロメロになるのは当然だ。
 おばちゃんのテクは凄いもんなあ。


928 : 名無しの笛の踊り[sage] : 投稿日:2006/10/04 17:55:04ID:K/RMf5Ic [1/1回]
>>926
ロベルトから見ればクララはロリかもしれない
どんな世代からも受けるクララの魔力は絶大だな・・・

492 : 名無しの笛の踊り[] : 投稿日:2005/01/07 00:31:04ID:lfQEK6lZ [1/7回]

「ヨハネス!」
暑い夏の夜。 郊外の路地に甲高い声が漏れた。

「あの人はとてもいい方なんです、クララ」

ヨハネスは神妙な顔つきでクララを見上げた。
狭いヨハネスの居間は夏の湿度で蒸せかえり、余計、クララが上気しているように見える。

「あなたは、たくさんの子供を育てる強い母親です。
だからといって僕のお母さんじゃありませんよ」

「ヨハネス、あの女の魔法に騙されているのよ!」
「静かにしてくださいよ、これ以上近所での私の評判を落とさないでください」

赤みがかった顔をしたクララの呼吸が乱れているを見て、ヨハネスは自信ありげに続けた。

「彼女は歌手としての素晴らしい才能だけではなく、気品溢れる振る舞い、そして何よりも清楚な心、僕という冬の大地に吹雪いた、一つのつぼみなのです」

このヨハネスの挑戦はクララにはあまりも重大なものだった。
「へぇー」
クララは喋りの声調を変え、挑戦的な目つきでヨハネスを見つめた。

クララの目は、人妻のものでも、母親のものでも、音楽家のものでもない、野生で生き残る1人の女のものだった。ヨハネスは、時々かいま見られるクララの支配欲と独占欲には常に圧倒されていた。

「つぼみねぇ・・・そう・・・若いのがいいの?」

クララは勃起したなま暖かい乳房をヨハネスの胸に押しつけた。
汗ばんだ服越しから、クララの硬くなった乳首は彼女の胸の鼓動をヨハネスに生々しく伝える。

「もう、こんなに垂れ下がったオバサンのオッパイはいやなのかな?」

とクララは胸をさらに押しつけた。

「ああ!」と思わず叫ぶヨハネス。

すかさずクララはヨハネスの口の中に舌を押し込んだ。
男性的なクララの舌はか弱げなヨハネスの舌は締め上げ、もてあそび、彼の舌に一切の主体性を与えなかった。

「大声をだしたらダメでしょ。ご近所迷惑なんだから」

ヨハネスにもはや反抗する力はないように見える。

クララは胸をはだけた。
挑戦的に突出する真っ赤な乳首をヨハネスに突き出した。
その挑戦はヨハネスだけでなく、その背後にいる若い女性の声楽家にも向けられたものだった。

ヨハネスの顔が一瞬歪んだ。
彼の脳裏に、若く無垢で、恐れと汚れを知らない彼女の笑顔がよみがえったのだ。
クララはそれを見逃さなかった。
突発的にクララの頭の中に最大限と嫉妬と暴力性が発生した。
クララはヨハネスに飛びかかった。

強姦的なディープキスでヨハネスの声を封じると、おもむろにヨハネスのシャツを開けた。
丈夫なボタンも鍵盤楽器を駆使をする逞しい女性の腕の前には無力だった。

クララの激しい呼吸と制御のきかない彼女の舌が打ち出す、ねちねちとした音が部屋を包む。
クララはヨハネスのズホンを引きずり降ろす。
もうヨハネスには抵抗する力はなく、アマゾネスに捕獲された性奴隷となった。

「ふん!」といってクララは口を離した。
濃密な唾液が2人の口の間に垂れ下がる。
ヨハネスの顔がまた歪んだ。

クララの怒りに震えた手が、ヨハネスの男性の象徴をつかんでいた。
クララの手にしたものは、安宿の朝食にもでないような、小さく張りのない腸詰め肉そのままだった。

一糸まとわぬクララは彼女の深淵を情けないヨハネスの男性部分に押しつけた。
彼女の深淵は力に満ち、愛液が溢れ、ヨハネスの部分にも流れはじめた。
しかし抑圧されたヨハネスは盛り上がらない。
支配者として冷静になったクララは体をヨハネスから離した。
クララが冷たくヨハネスの体を押すと、強力な粘りを持った愛液は糸を引き、
ヨハネスは床にへばり込んだ。

「私の体のどの部分も使っていい、3分間以内に勃起しなさい」

クララは支配者として冷厳にヨハネスに命令した。
ヨハネスには為す術がなかった。
熱いむせかえる部屋に、新しい空気を入れるため クララをヨハネスから離れ、窓を全開にした。

ひ弱な奴隷のヨハネスを遠くからより客観的に見ることになったクララに違った感情がわき起こった。
母親としての女性の性だった。
彼女の顔に慈悲の深みが加わった。

優しく、窓を半開きに戻すと、クララはヨハネスに歩み寄った。
ヨハネスは虐げられた子犬のように怯えた。
クララはあくまでも支配者としては君臨しつつも、救援者としてヨハネスに援助の手を差し伸べた。

細く、そして強靱なクララの手がヨハネスの男性部分を優しくつつみ、規則正しく動き始めた。

「そうよ、こうすればいいの」

クララは優しくつぶやいた。
徐々にであるが、ヨハネスの山にはマグマが吹き込まれ徐々に膨張をはじめた。

ヨハネスはどんどん自律性を取り戻していった。
そして絶対的な支配者であり庇護者であるクララを忘れはじめようとした。
ヨハネスの頭に広がったのは、ヨハネスが品のない冗談をいうと困ったように恥ずかしそうに笑い、ヨハネスがいつもの調子で他人を罵倒しはじめるとムキになってたしなめ、 ヨハネスの不幸を前にすると人一倍泣き、 そして彼の成功を前にして誰よりも大きい大輪の笑顔を見せる若い乙女だった。

「○○○○!」ヨハネスは思わず叫んだ。
そしてその直後、彼が支払わなくてはならない大きな代償に気付いた。
ヨハネスはじっとクララの家を見つめた。

499 : 名無しの笛の踊り[sage] : 投稿日:2005/01/07 01:46:26ID:zyw1g8QQ [1/2回]

とりもなおさず、酸いも甘いも知った包容力をもった熟女に魅せられる感情と、無垢にして純粋なうら若い女に惹き付けられる感情との、この対立は、若い男にとって永遠の矛盾であるということか。

275 : クララ[] : 投稿日:2004/02/25 21:19:00ID:Hag3Psqm [1/1回]

ブラームスもクララもロベルトもそんな人じゃないわよ!!
プンプン!
死ぬまでクララはロベルトのこと好きだったんだから!

4 : 名無しの笛の踊り[] : 投稿日:2003/12/08 11:47:00ID:mCerRgWt [1/1回]

ブラームスって性欲処理の対象は売春婦に限られていたんだよね?
ブラームスの死因は肝臓癌ということがわかっているけど
肝臓癌ということは、セックスでもらったウィルス性肝炎の帰結ということも充分に考えられるぞ。
クララの死因は何だったの?同じく肝臓障害か??

24 : 名無しの笛の踊り[] : 投稿日:2003/12/10 23:02:00ID:i5Ysi+Kq [1/1回]

シューマンって、ブラームスの肖像画を描かせて、ずっと持ってたんですよねー。その絵を見たとき(美少年!)シューマンのブラームスに対する「愛情」の深さを感じました。
例えば、現代だって男の人が、少年の写真を肌身離さず持っていたとしたら、かなり・・ですよね。
シューマンの側に「同性愛」的な感情はなかったのでしょうか?


27 : 名無しの笛の踊り[] : 投稿日:2003/12/11 01:59:00ID:OgxGO813 [1/1回]

クララに対する入れ込み方も尋常じゃないものがあった人だから、
一旦「好き」だと思うと、かなり熱いものがあったんでしょうね、
ロベルトは。


47 : クララvsロベルト[] : 投稿日:2003/12/12 15:11:00ID:KfJBVEqV [1/2回]

 ・1853年10月1日 三者が初対面

 ・1854年2月27日 ロベルトのライン川投身自殺未遂事件
          精神病院入院 医師から、クララとロベルト
          の面会そのものを禁止される(面会許可が出た
          のは2年後ロベルトの死の2日前
          「私は知っている・・・」

    ・初対面〜自殺未遂事件の間に3者間に何があったのか
    ・面会禁止となったのは、ロベルトの精神病の大きな原
     因がクララ(とその周辺関係)にあると精神科の医師
     が判断したため。

 むむむ〜嫉妬・劣等感・自信喪失・(間男)・・・どろどろ〜
 

55 : 名無しの笛の踊り[sage] : 投稿日:2003/12/12 21:28:00ID:kAvSSOmH [1/1回]

ローベルト・シューマンは脳梅だから、ブラームスとクララが精神的影響与えたことによって発狂したというわけではない。

ちなみに同時代人であるニーチェも脳梅で発狂した。
「この人を見よ」の中でシューマンに噛み付いている。


66 : 名無しの笛の踊り[] : 投稿日:2003/12/13 09:38:00ID:4enFp36s [1/1回]
 >>55
 だったら精神科の医者が最愛の妻クララとの面会そのものを拒絶してしまった理由は?


67 : 名無しの笛の踊り[sage] : 投稿日:2003/12/13 11:16:00ID:vJEQAFyQ [1/3回]
>>66
当時は脳が梅毒に侵された結果の発狂だとはわからず、精神病の一種と思われていたのよ。
こういうのって一般常識だと思ってたよ。
シューベルトも梅毒だったらしいし、ベートーベンも梅毒という説があるね。


68 : 名無しの笛の踊り[sage] : 投稿日:2003/12/13 12:35:00ID:x/Qsgsnx [1/1回]

シューマンも梅毒!!
長〜い結婚お預け状態で悶々としていたのでしょうか?!


69 : 名無しの笛の踊り[] : 投稿日:2003/12/13 14:44:00ID:qxcwwgw5 [1/1回]
>>67 
本当に脳にまで達する程の長期間梅毒だったなら、 梅毒ロベルト(潜伏期間を含め)とハメハメしてたクララや子供も梅毒に罹っていたとおもわれるが・・・
 ヨハネスよ、クララとやってたらあんたも脳梅か?


70 : 名無しの笛の踊り[sage] : 投稿日:2003/12/13 15:48:00ID:vJEQAFyQ [2/3回]
>>69
脳を侵されて発狂する以外は目立ちにくい症状だったんでしょう。
検索で調べると末期症状ということで、なかなか想像しにくいけど。
江戸時代の日本でも梅毒は大流行していたらしいし、世界的な現象なのでは?
梅毒が大流行しても皆が罹るわけでもないし。

遊郭とかで感染した男の所帯全員が罹ってたら、日本の人口は激減したんじゃ?
クララや子供に感染しなかった(とほんとうに言えるかどうかわからないが。
早死にした子供もいるし)のは不幸中の幸いじゃないかな。

シューベルトについては詳細なレポート読んだことがある。
症状が重かった時期に創作活動も不振だったとか色々・・・

ま、喪れは専門家じゃないし、そういう説もあるってことでいいでしょ。。


71 : 名無しの笛の踊り[sage] : 投稿日:2003/12/13 15:51:00ID:vJEQAFyQ [3/3回]

高橋悠治さんも脳梅説支持してるんだ・・・。
http://www1.u-netsurf.ne.jp/~mie_y/suigyu/hondana/schumann02.html


72 : 名無しの笛の踊り[] : 投稿日:2003/12/13 18:39:00ID:OwqgzgSN [1/1回]

問題の所在は、ロベルトが梅毒か否かではなく、医者が面会を謝絶せざるを得ないほどロベルトとクララの間にあった葛藤とは何なのか、にある。

  ・いけめんブラームスはどう関係してるのか
  ・才女クララの求めるスタイル、コンセプトと自らのものとの乖離、精神的な弱さ・・


73 : 名無しの笛の踊り[age] : 投稿日:2003/12/13 19:00:00ID:wMnIi62v [1/1回]

やっぱり音楽の才能は
ブラームス>>シューマン
になってしまうんでしょうか。


75 : 名無しの笛の踊り[] : 投稿日:2003/12/13 22:02:00ID:JT6QmFxN [1/2回]
 >73
 というより

  クララ=ヨハネス>>クララ=ロベルト

  ヲンナハコワイ
 な〜んかオトコはコントロールされてるよな〜
 身につまされる  


94 : 名無しの笛の踊り[age] : 投稿日:2003/12/15 22:12:00ID:RhA0HIZj [1/1回]

モーツアルトの奥方も世評通りの悪妻なんですか?
映画のアマデウスの女優の乳には目をうばわれましたが・・・
クララはドイツでは良妻賢母の鏡らしいですが
ここでの話を見てると、それも眉ツバか?という気もする。


95 : 名無しの笛の踊り[sage] : 投稿日:2003/12/15 22:44:00ID:ZdaEcOEA [2/2回]

両者とも「非の打ち所のない良妻賢母ではなかった」というレベルであろう。
良妻賢母でなければ悪妻、という決めつけもどうかと思うが。

97 : 名無しの笛の踊り[sage] : 投稿日:2003/12/15 22:50:00ID:Jr9zDeam [1/1回]

アルマのように夫に勝るとも劣らぬほどの美貌と才覚を持ってる妻というのもカッコイイ。
夫にとっちゃたまったもんじゃないだろうが。


98 : 名無しの笛の踊り[] : 投稿日:2003/12/15 23:41:00ID:dOf5SUQw [2/2回]

賢い男は、美人を妻にしたらあかんね。

101 : 名無しの笛の踊り[sage] : 投稿日:2003/12/16 06:22:00ID:kqwz0KQl [1/1回]

リストのピアノの才能に嫉妬して援助を受けていたのに悪口を言いまくったクララ


103 : 名無しの笛の踊り[sage] : 投稿日:2003/12/17 05:12:00ID:RCSicRO0 [1/1回]

もしヨハネスがクララと結ばれていたらあれほど屈折した人格にはならなかっただろうな


104 : 名無しの笛の踊り[sage] : 投稿日:2003/12/17 08:16:00ID:zajFhVe8 [1/1回]

でも音楽史に残るほどの作曲家にはなれなかったかも知れない。
結ばれないことのもどかしさが芸術に昇華したわけでしょ。


105 : 名無しの笛の踊り[sage] : 投稿日:2003/12/17 08:57:00ID:ywrCHnMe [1/1回]

リストってすごくイイ人ですよね、女好きだけど。
彼ほどの男が何故クララをものにしなかったのか・・・
それとも関係があったとか言う話はあったんですか?


106 : 名無しの笛の踊り[sage] : 投稿日:2003/12/17 09:11:00ID:mkF8vE56 [1/1回]

リストがイイ人?とてもそうは思えませんが・・・。


107 : 105[sage] : 投稿日:2003/12/17 10:59:00ID:VVn+i3EY [1/1回]

訂正 ×イイ人
   ○イイ香具師
それでも私はリスト好き!    
 


108 : 名無しの笛の踊り[sage] : 投稿日:2003/12/17 12:54:00ID:ErvMruz8 [1/1回]

リストのどこがいいヤシ何だか…
ヤリチンの生臭坊主のくせに。


110 : 名無しの笛の踊り[???] : 投稿日:2003/12/17 21:49:00ID:D3GEEExS [1/1回]

リストってイイ香具師と言うより単純なヤツって感じがする。

リストはショパンの事を褒めちぎってたけどショパンの反応は冷たいし。
でもあんまり気にしてないようだったり・・・。
なんとなく空気読めない人って感じかな?


113 : 名無しの笛の踊り[] : 投稿日:2003/12/18 13:21:00ID:SQWdLJ5s [1/1回]
 >105
 リストが自分のリストのなかにクララを加えなかったのは,クララの芸術的体質が自分にとってヤバいことを見抜いたからだ
とオモワレ。ナイーブヨハネスとちご−ておとなですわ。


114 : 名無しの笛の踊り[sage] : 投稿日:2003/12/18 19:39:00ID:PsN5QSNk [1/1回]
>クララの芸術的体質が自分にとってヤバいことを見抜いたからだ

ヤバいってどのように?


119 : 113[] : 投稿日:2003/12/19 16:15:00ID:LTGjJqci [1/1回]
 >114 
 リストの基本コンセプトは「ピアノのパガニーニ」として世に出ること。
マーケットの時流がバッハ・ベートーベンから派手で華麗な宮廷音楽などに移っていることをキチンと見抜いています。クララの父(ヴィーク)やその影響下のクララの古典保守本流主義に縛られるのはヤバい。

マーケットイン=リストVSプロダクトアウト=クララの図式。

 リストにクララやロベルトのような思想性は少なく,受け狙いのマーケッターが本質。
ちなみにロベルトは知性での古典主義と感情での浪漫主義の自己分裂のうちに破滅します。

125 : 名無しの笛の踊り[age] : 投稿日:2003/12/20 20:33:00ID:oHLeYtPv [1/1回]

パガニーニはそんなに凄いお方だったんでつか?


131 : 名無しの笛の踊り[sage] : 投稿日:2003/12/21 11:27:00ID:DOi6EHll [1/1回]
>>125
まあ今残っている楽譜も本人が弾いたのより音を減らしたものらしいので凄かったんでしょうなー


126 : 名無しの笛の踊り[sage] : 投稿日:2003/12/20 22:34:00ID:3SpEU0Sm [1/1回]

「僕はピアノのパガニーニになる!」
と言ったのは若きロベルト君だったんだが・・・
猛練習の末、結局なったのはパガニーニでなく腱鞘炎
ああ、ロベルト!


130 : 113[] : 投稿日:2003/12/21 04:22:00ID:56S640nv [1/1回]
 >>126
 リストが「ピアノのパガニーニになる」と決意したのは、自分の基本コンセプトにつき青春の疾風怒涛時代のさなか
1831年、パリでパガニーニの驚異的な演奏を聴いたときからです。
もちろん、彼なりの批判的な視点も持っています。

143 : 名無しの笛の踊り[] : 投稿日:2003/12/24 19:16:00ID:/XRAAs/e [1/1回]

しかし誰も触れないけど
ロベルトとクララの結婚生活って本当にセックスも含めてうまくいってたのかなー。
ロベルトはエッチの記録をとってたというし、医者は治療の妨げになるからクララとの面会を謝絶してしまうし(うまくいってたら普通しないだろう?)、
ロベルトのロマンティカー気質は、クララやその父のヴィークさんとは違うようだし・・・・・・


147 : 錯乱棒[age] : 投稿日:2003/12/25 21:25:00ID:MYbgewmG [1/1回]

シューマン、エッチの何を記録してたですか?
十二月二十五日、夜ベッドイン ピストン1013回にてクララ到達 以上

とか何とか記してたですか?


244 : 名無しの笛の踊り[sage] : 投稿日:2004/02/01 21:38:00ID:uSTCtn13 [1/1回]
>>147
1846年より記録帳に、2人がセックスした日は「F」という記号を書き記していたそうだ。

245 : 名無しの笛の踊り[sage] : 投稿日:2004/02/03 00:20:00ID:UYcvtYL7 [1/1回]

Fは英語ならファックを指すんだろうが・・・。
「今日はクララとファックした」って意味か?


247 : 名無しの笛の踊り[age] : 投稿日:2004/02/03 05:16:00ID:7HRY2Ymg [1/1回]
>>245
ドイツ語の「フェーゲルン」の頭文字とも言える。

165 : 名無しの笛の踊り[sage] : 投稿日:2004/01/03 01:11:00ID:TskFn2bJ [1/1回]

ヨハネスではなく、ワーグナーということも・・・・・・


166 : 名無しの笛の踊り[sage] : 投稿日:2004/01/03 10:09:00ID:GcQefoMV [1/1回]

ヴァーグナーやリストだと子供仕込まれちゃうから更に大変。

349 : 名無しの笛の踊り[age] : 投稿日:2004/06/17 19:10:00ID:RGcE88sq [1/1回]

ワーグナーが次々と人妻かっさらって行ったのは
いかにも芸術家的な威勢のいい話になるのに・・・・・
ブラームスとクララになると何でこんなにドロドロなの?


350 : 名無しの笛の踊り[sage] : 投稿日:2004/06/17 19:37:00ID:Jab9THOd [1/1回]

それはブラームスが優柔不断だからでしょ。
欲しいものはさっさと手に入れるワーグナーとうじうじしているばっかりのブラームス。


351 : 名無しの笛の踊り[sage] : 投稿日:2004/06/20 01:29:00ID:q0mxOCkJ [1/1回]
ブラームスは子供まで作っちゃったらしいが、ワーグナーはどうなの?
やっぱり遊び慣れてたのかな?
不倫はするけど相手を妊娠させてたという話は無いね。


352 : 名無しの笛の踊り[sage] : 投稿日:2004/06/20 01:35:00ID:SCv4BrJi [1/1回]
>>351
あるよ!! リストの娘で、弟子のハンス・フォン・ビューローの妻だったコージマと!!
コージマはビューローと別れてワーグナーと再婚するけど、まだ別れる前にワーグナーの子を産んでいる。公式にはビューローとの娘とされたイゾルデを。


353 : 名無しの笛の踊り[] : 投稿日:2004/06/20 12:39:00ID:O339dTMu [1/1回]

クララの末の方の子供はブラームスが実の父親、というのは
疑惑に過ぎなかったはずだが・・・・・・

401 : 名無しの笛の踊り[sage] : 投稿日:2004/09/03 01:28:00ID:ISTujA/9 [1/1回]
>>351-352
ハンス・フォン・ビューローはクララの父フリードリヒ・ヴィークのピアノの弟子だった。


424 : 名無しの笛の踊り[sage] : 投稿日:2004/10/17 12:37:01ID:KyLWfSp3 [1/1回]

このスレ、今日見つけてざっと読んだけど、この話が出てこないな。

シューマンの長男が、両親の没後に、
「自分たち兄弟の中で、末っ子だけは半分しか兄弟ではない」
というようなことを言った、と。

450 : 名無しの笛の踊り[] : 投稿日:2004/11/27 18:38:45ID:657aDlRZ [1/2回]

シューマン発狂の原因は、脳梅毒説もあるが
わが子が実はY・Bの種であったと確信してしまったことが原因か?
 シューマン自殺未遂の治療を担当した精神科の医者が、クララとの面会を拒絶させた理由もこれで辻褄が合う。


464 : 名無しの笛の踊り[] : 投稿日:2004/12/05 19:21:07ID:qqo/1cmP [1/1回]

ボンへいった時、シューマンハウスを見てきた。ベートーヴェンハウスが有名だが、シューマン晩年の精神病院跡がそのままシューマン博物館になっているのはあまり知られていない。
で、もちろんクララ関係の資料もたくさん飾ってあるのだが、中にはブラームスがイタリア旅行した時 「香りのよいオリーヴを見つけたので」と枝を同封した手紙もあった。(その枝が100年以上残っているのもすごい)
クララお手製のピアノカバーというのもあり、ロベルトの死後の年代なのでこれはブラームスへ贈ったのだろうと思ったら、ヨーゼフ・ヨアヒムだったか別人への贈り物だったのでビクーリした。
墓地も行ってきますた。ロベルトとクララが一緒に葬られている。


128 :名無しの笛の踊り :2006/01/14(土) 22:34:06 ID:Pvk3wR6l

今朝の朝日新聞土曜版beに、シューマン没後クララが愛人関係になったのがキルヒナーで、シューマン愛用の遺品の金のペンをプレゼントしたことが紹介してあった。しかしキルヒナーは金遣いが荒いから、クララの熱は冷めたのだそうだ。


129 :名無しの笛の踊り :2006/01/14(土) 23:45:07 ID:c8/vxjYA

クララって、思いの外尻軽女だったのね。


130 :名無しの笛の踊り :2006/01/15(日) 16:04:35 ID:Atpg57NK

そういえばキルヒナーって伊達男風情のいけすかない顔してやがったなあ


787 : 名無しの笛の踊り[sage] : 投稿日:2006/03/06 19:44:44ID:39FXtluE [1/1回]

要はクララは美少年のほうが良かったわけか


801 : 名無しの笛の踊り[sage] : 投稿日:2006/03/31 20:59:21ID:q+nnPYF0 [1/1回]

アルゲリッチと同じ下半身がだらしない遊女。


802 : 名無しの笛の踊り[sage] : 投稿日:2006/03/31 21:37:20ID:ldrQABrn [1/1回]
>>801
いやー丸太のほうが上だろ。


803 : 名無しの笛の踊り[sage] : 投稿日:2006/04/06 00:22:46ID:6gVRumnL [1/1回]
マルタとマーラーの奥さんならどっちが遊び女?


810 : 名無しの笛の踊り[] : 投稿日:2006/04/23 06:27:42ID:5MUlvdHt [1/1回]

クララ・シューマンは、すごくけじめがある方だと考えてる。
ブラームスとは恋愛関係にはあったと思うが、世間の目を気にして夫の死後も独身で通してる。ここに貞操観念が見受けられる。
常識のある女性だと考えてる。

800 : 名無しの笛の踊り[] : 投稿日:2006/03/30 19:35:18ID:tuQMmg2K [1/1回]

末子フェリックスはヨハネスの子あげ


517 : 名無しの笛の踊り[sage] : 投稿日:2005/02/20 11:49:05ID:hMRM706x [1/1回]

クララのことに戻るけど、末っ子が種違いってネタは
身内がコワイ婆さんに反発して流したって話があるらしい。


519 : 名無しの笛の踊り[] : 投稿日:2005/02/23 00:49:35ID:zzS8Dgvh [1/2回]
>>517
シュ−マン博物館で末っ子の写真見たが、ローベルトにもクララにも似ていなかった。
ヨハネスの若いころにソックリなんだよな。これが。


764 : 名無しの笛の踊り[sage] : 投稿日:2006/02/19 15:01:37ID:0AHM6bLJ [1/1回]

シューマン家の末っ子フェーリクスがヨハネスの子であるというデマはとっくに否定されています。
ローベルトの日記には妻との交渉があった日に「F」の字を書いており、フェーリクスの誕生からさかのぼっても計算が合うので。

もしその裏でクララがヨハネスと密通していたとかいう香具師がいたら、自分のゲスさ加減を晒しているだけ。

 

767 : 名無しの笛の踊り[sage] : 投稿日:2006/02/19 20:11:49ID:TaW8dLtd [1/1回]
>>764
当時クララとブラームスの肉体関係を誤魔化す為にシューマンの死後いろいろと工作が行われたのは事実だと思うし、普通日記にそんな印つけてる人がいるわけないさ。
当時の人たちはブラームスと夫婦同然の仲と熟知してたのだから、どんな工作も誰にも信用されてない。


768 : 名無しの笛の踊り[sage] : 投稿日:2006/02/20 00:51:35ID:5Ajh00mT [1/1回]

日記にわざわざ妻をFuckしたなんて書くかふつう
書いたとして何の必要があるのだwww

178 : 名無しの笛の踊り[] : 投稿日:2004/01/08 13:56:00ID:bqsyoAVd [1/1回]

音楽家って、大変に変態の人が多くてたいへん 


182 : 名無しの笛の踊り[] : 投稿日:2004/01/09 11:33:00ID:RgWStMX+ [1/1回]
>>178
 当然。品行方正の秀才優等生音楽なんか聴きとうないやろ。
彼らは,底知れぬ深い闇や感覚が麻痺するような極美の世界とは無縁の衆生や。
 しかし単なる無能な変態が圧倒的。
 ファウスト的変態は誰だ?
 ロベルト,クララ,ヨハネスは、充分に変態か?


527 : 名無しの笛の踊り[sage] : 投稿日:2005/03/11 17:26:18ID:Ss3MtB/W [1/1回]

名を残した作曲家が高確率で倒錯した性癖を披露してるのは やはり関係があるのだろうか。


532 : 名無しの笛の踊り[sage] : 投稿日:2005/03/14 21:30:32ID:lbAdUr4U [1/1回]

超有名どころだと
 ブルックナー(ロリ)
 バーンスタイン(ホモ)
あたりから?


536 : 名無しの笛の踊り[sage] : 投稿日:2005/04/03 02:39:44ID:YLzc/fgm [1/1回]

ブルックナーにはレイープの犯歴がある。

537 : 名無しの笛の踊り[sage] : 投稿日:2005/04/03 10:07:45ID:OeIkLlFJ [1/1回]
>>536
皇帝に謁見したのと同じ頃のことだとも、相手は12歳だったともいう。
余談だが、ブルックナーはハンスリックが好意で勧めた縁談を断ったことがあるらしい。
相手はハンスリックの従姉妹だとか。


543 : 名無しの笛の踊り[] : 投稿日:2005/04/11 00:38:06ID:kwd0P3DE [1/1回]
>>537
大嘘こくなヴォケ

>相手は12歳
相手は大人のメイドだ


544 : 名無しの笛の踊り[sage] : 投稿日:2005/04/11 00:48:35ID:9Mdw7G83 [1/1回]
大人ってことは、もう3つ4つ上か。

546 : 名無しの笛の踊り[sage] : 投稿日:2005/04/11 01:20:21ID:OyY3J0So [1/1回]
>>544
おいおい・・・20歳にはなってたようだぞ。それに未遂だったとも。
あと、事件の後で責任を感じて求婚したとかいう話も。


549 : 名無しの笛の踊り[] : 投稿日:2005/04/23 14:24:37ID:/gSplWTg [1/1回]
>>546
ホテルの客室係をしていたベルリンの娘のことなら、レイプ(未遂)だかはともかく、本人もブルックナーとの結婚を承諾するつもりはあったらしい。破談になったのは宗派の違い。
娘はプロテスタント、ブルックナーはカトリックで、相手にもカトリックへの改宗を求めた。


550 : 名無しの笛の踊り[] : 投稿日:2005/04/23 20:43:21ID:alj33IVF [1/1回]

相手は18歳だったと何処かで読んだ覚えがある。


551 : 名無しの笛の踊り[] : 投稿日:2005/04/24 01:23:55ID:8guAju6I [1/1回]
>>550
通常の好みはそのあたりの年齢の女性だったらしい。
一応結婚可能な年齢のはずなので、ロリコン呼ばわりは気の毒な気もする。
しかし、件の女性はもう少し年齢が上だったという。


552 : 名無しの笛の踊り[] : 投稿日:2005/04/24 01:38:27ID:JT79qTxo [1/1回]

ようは行きずりの婚外交渉ってことだろ
レイプ犯と被害者が「結婚を前提とした文通」などするわきゃない


555 : 名無しの笛の踊り[] : 投稿日:2005/05/01 17:04:08ID:WXEOyYV+ [1/1回]

ロリに加えてメイドさんか。ブルックナーもあなどれんな。

184 : 名無しの笛の踊り[] : 投稿日:2004/01/10 00:01:00ID:AgyybBif [1/2回]

一番の変態は、コジマという説もあるぞ。


185 : 名無しの笛の踊り[sage] : 投稿日:2004/01/10 00:37:00ID:ri+OB+Vp [1/1回]
>>184
ケン・ラッセルの映画「マーラー」を連想した。


186 : 名無しの笛の踊り[] : 投稿日:2004/01/10 03:28:00ID:AgyybBif [2/2回]

アルマ・マーラーも。


187 : 名無しの笛の踊り[] : 投稿日:2004/01/10 11:16:00ID:MxfDSk/w [1/3回]

指揮者やったらクレンペラーやろな。


188 : 名無しの笛の踊り[] : 投稿日:2004/01/10 11:21:00ID:MxfDSk/w [2/3回]

美的世界を獲得するために悪魔に魂を売った音楽家


211 : 名無しの笛の踊り[sage] : 投稿日:2004/01/22 16:10:00ID:1eVxARmP [1/2回]

ヨハネスも結婚はしなかった、と言うだけでヴァーグナーやリスト、バルトークのような色魔扱いされず普通の人には実直に思われて居るんだからボロ儲けっすね。


212 : 名無しの笛の踊り[sage] : 投稿日:2004/01/22 17:20:00ID:a3OVOCZn [1/1回]
>>211
ヲヤ? バルトークは一説にマザコンと書かれていたような。


213 : 名無しの笛の踊り[sage] : 投稿日:2004/01/22 18:28:00ID:1eVxARmP [2/2回]
>>212
でも実際にはロリコン。糟糠の妻捨てて走りました。


214 : 名無しの笛の踊り[sage] : 投稿日:2004/01/22 22:47:00ID:248RbQzb [1/1回]
>>212-213
マザコンとロリコンなら両立すると思われ(w


217 : 名無しの笛の踊り[age] : 投稿日:2004/01/24 22:38:00ID:Sz6433vU [1/1回]

バルトークは友人にしたくない嫌な奴みたいですけど、ブラームスを始めとする他の連中もほとんどそのような人格の持ち主なのでしょうか?


218 : 名無しの笛の踊り[sage] : 投稿日:2004/01/25 05:57:00ID:R90h6XXA [1/1回]

確かに彼は屈折した性格でかなりの友人を失ってることが多い。
永年の友ビルロート博士とも晩年に別れているし、ヨアヒムともしっくりいかなかった時期もあるね。


219 : 名無しの笛の踊り[sage] : 投稿日:2004/01/26 14:25:00ID:rwK5S8tf [1/1回]

ブラームスは嫌な奴と言うより、誤解を与えやすいタイプだったみたい。
好意のつもりで遠慮気味に言ったことが、相手にはとんでもない無礼と取られてしまったり。

222 : 名無しの笛の踊り[sage] : 投稿日:2004/01/27 01:06:00ID:zmG5/93x [1/1回]

他の作曲家にもイヤミっぽいこと言ったりしたらしいけどね。


223 : 名無しの笛の踊り[???] : 投稿日:2004/01/27 01:12:00ID:YL5rhz/i [2/2回]

あとリストにもイヤミ言っちゃったんだよね。(ナンテコッタィ・・・

221 : 名無しの笛の踊り[???] : 投稿日:2004/01/27 01:01:00ID:YL5rhz/i [1/2回]

クララともローベルトの作品の再校訂の際、一時期絶交状態にまで逝っちゃったらしいし・・・。
そういえば、ハンス・フォン・ビューローともケンカ別れしたらしいね。
もしかして、ヨハネスって嫌なヤツなのか?


439 : 名無しの笛の踊り[sage] : 投稿日:2004/11/07 11:01:26ID:okclb+A+ [1/1回]

ローベルトの交響曲第4番は、ブラームスが初稿をいたく気に入っていて
ローベルト没後に出版までしたのだが、クララはそれが気に入らなくて
一時は絶交寸前までいったという。


224 : 名無しの笛の踊り[sage] : 投稿日:2004/01/27 01:19:00ID:LVVJJ3On [1/1回]

大のイギリス嫌いで、オックスフォード大学から名誉博士号の授与式の招待状が届いた時も、クシャクシャの葉書に不参と書いてよこしたし、
熱烈なブラームス党のスタンフォードがハンス・リヒターに頼み込んで会いに行った時も、あからさまに無礼な扱いをしている。

226 : 名無しの笛の踊り[] : 投稿日:2004/01/28 21:36:00ID:g8rR9WI+ [1/2回]

リストがソナタを自演してくれたのに目の前で眠ってしまったというのが信じられん。


227 : 名無しの笛の踊り[sage] : 投稿日:2004/01/28 21:38:00ID:Ykx017xp [1/1回]

気持ちは分からなくもないです。
なんというか、ヘビメタを聞いてると眠くなるような感じ。


228 : 名無しの笛の踊り[sage] : 投稿日:2004/01/28 21:44:00ID:JnssQws1 [1/1回]

いくらなんでも失礼すぎるすぎるよなw


229 : 名無しの笛の踊り[age] : 投稿日:2004/01/28 23:07:00ID:g8rR9WI+ [2/2回]

いや、結構いい曲だと思うんだけど、リストのソナタ。
それをまったく理解しなかったというのが信じられないの。
失礼なのは勿論だけど。


230 : 名無しの笛の踊り[] : 投稿日:2004/01/28 23:11:00ID:JF+VyV9O [1/1回]

ソナタと思って聴いてたらやたら巨大な幻想曲みたいなのだったんで
途中でついていけなくなったんじゃないの?


483 : 名無しの笛の踊り[] : 投稿日:2004/12/28 00:10:08ID:0de8AXQ9 [1/1回]

 クララ自身の保守的な音楽性からいえば、 ロベルト・シューマンのもつ革新性より、ヨハネス・ブラームスの方が波長が合うし癒し系だったのかもしれないね。


484 : 名無しの笛の踊り[sage] : 投稿日:2004/12/29 06:50:51ID:U7hEvDB1 [1/1回]

ブラームスの革新性を理解してなかったんじゃあ
結局わかりあっていなかったことになるわけだが。


618 : 名無しの笛の踊り[] : 投稿日:2005/09/08 02:09:53ID:2Bdqnc3w [1/1回]

クララって完全に古典派じゃね?
リスト曲を猛烈に批判してたし
ロベルトとは合わない事も多そう


619 : 名無しの笛の踊り[sage] : 投稿日:2005/09/08 02:19:21ID:6ttRYsyx [1/1回]
>>618
だからブラームスとはめはめしてたんだよw


620 : 名無しの笛の踊り[sage] : 投稿日:2005/09/08 08:44:31ID:AJF3Lgn1 [1/1回]

ただちょぴんと比べて、シューマソは女性には恵まれたなと思う。
エルネスティネたんもわりあいにいい奥さんになったのではと言われてたし


621 : 名無しの笛の踊り[] : 投稿日:2005/09/13 13:25:41ID:Z+UYMddq [1/1回]

ブラームスが古典派よりも古典的形式に拘ったのはそのためだったのか・・・
クララに管理されてた哀れなヤツ。


851 : 名無しの笛の踊り[] : 投稿日:2006/07/25 16:09:04ID:9FRVmfi+ [1/1回]

 ブラームスの音楽趣味は、結局クララの超保守主義趣味の呪縛との切ない格闘、というより妥協なんだろうな。
 第4交響曲終楽章で超古いパッサカリアなんか持ち出してアリバイ証明やっているが、ホントは俺ってもっとロマンティック趣味なんだけどなあ、っていう切ないあきらめの感情が聴き取れる。
 第一楽章最初の『はあ〜』っていうため息はブラームスの全てだよ。


622 : 名無しの笛の踊り[] : 投稿日:2005/09/17 23:02:21ID:w8yRrZ2l [1/1回]

ブラームスはMなんだよ。
きっとクララに亀甲縛りをされていたに違いない。


623 : 名無しの笛の踊り[sage] : 投稿日:2005/09/17 23:14:09ID:B+XVdABG [1/1回]

俺、不器用だからあの縛り方出来るやつは
尊敬するな。


626 : 名無しの笛の踊り[] : 投稿日:2005/09/18 23:48:10ID:opNzNDer [1/1回]

可哀想なロベルト!
弱いロベルト!
自己分裂に苦しんだロベルト!
誠実だったロベルト!
嫉妬と猜疑心に狂ったロベルト!

ジェイムス・ディーンと同じく永遠の青春だ。
君をわが息子として抱きしめてやりたい。


628 : 名無しの笛の踊り[sage] : 投稿日:2005/09/21 07:24:19ID:54ZUMU9F [1/1回]

クララが淫乱なのは確か。


629 : 名無しの笛の踊り[] : 投稿日:2005/09/21 16:45:47ID:2440898c [1/1回]

 くららだけじゃなくて、女はみんな淫乱だぜ。
頭が拒否しても、カラダが受け入れるのさ。

632 : 名無しの笛の踊り[sage] : 投稿日:2005/09/23 14:16:10ID:aG3iBl1N [1/1回]
膣壁守るために濡れてくるのを
すべて感じてると思うヤツだよ。>>629

486 : 名無しの笛の踊り[] : 投稿日:2005/01/01 15:04:33ID:x5DVArHP [1/1回]

「丸山真男/音楽の対話」(中野雄)
http://www.amazon.co.jp/%E4%B8%B8%E5%B1%B1%E7%9C%9F%E7%94%B7-%E9%9F%B3%E6%A5%BD%E3%81%AE%E5%AF%BE%E8%A9%B1-%E6%96%87%E6%98%A5%E6%96%B0%E6%9B%B8-%E4%B8%AD%E9%87%8E-%E9%9B%84/dp/4166600249/ref=sr_1_1?s=books&ie=UTF8&qid=1365325254&sr=1-1&keywords=%E4%B8%B8%E5%B1%B1%E7%9C%9F%E7%94%B7%2F%E9%9F%B3%E6%A5%BD%E3%81%AE%E5%AF%BE%E8%A9%B1%E3%80%8D

を楽しんで読む。  あの知の巨人がこんな強烈なワグネリアンでありフルトヴェングラーに入れ込んでいたとは・・
ブラームスなんか無視されてまっせ。
好きな曲のなかにシューマン「交響練習曲」「ピアノ4重奏曲変ホ長調」が入っていてよかった。

ブラームスへの言及あり。

 「ブラームスは既存の『形式』の枠のなかでしか作品がかけなかった人です」

 「なんせ話す言葉が古すぎた。」

 「若い頃は『現代音楽』の作曲家として通用していたけれど、五十歳近くになったら『生ける古典』になってしまった。」
 
 ブラームスの革新性は「若い頃」の話で、クララに入れあげてからは、クララの古典趣味に染め上げられた生けるミイラに成り果てた・・と私は感じますた。


487 : 名無しの笛の踊り[] : 投稿日:2005/01/02 10:51:08ID:eB0JYFNo [1/1回]
>>486
それではなにゆえ、シェーンベルクがブラームスを「未来を先取りした進歩主義者」と評価したのでしょうか?
とくに、シンフォニーの4番。


488 : 名無しの笛の踊り[sage] : 投稿日:2005/01/02 11:25:27ID:SwW8sF0E [1/1回]

第1楽章第1主題のように、3度進行だけで旋律を作ったりしたところとか、じゃない?
俺はあれはただ単に旋律を書く才能の乏しかったブラームスの苦肉の策なだけではないかと思ってるが。
4楽章もバッハの旋律のパクリだし。


489 : 名無しの笛の踊り[] : 投稿日:2005/01/03 09:41:17ID:FokBzw6c [1/2回]

第4交響曲で、生けるミイラとなったこの小心者の心情を聴いてやってくれ。

第1楽章は、この孤独な男のため息と嘆き節だ。第1VnでHア〜・・
しかし、この小心者にも反骨心はあるようだ。諦めを通り越すと第4楽章で完全に居直ってしまう。毒(クララ)を食らわば皿(バッハ)まで・・。
 ハ単調でため息をつき、ホ短調で居直りやがった。
音楽家の感情言語とは、こういうものなのか。


501 : 名無しの笛の踊り[] : 投稿日:2005/01/12 18:47:26ID:othP7rZk [1/1回]

ピアノ協奏曲第1番て、なんか荒々しくてエロいよな。
これを作っていた時代は、クララへの想いを必死に胸の内に隠して一人悶々としていたに違いない。
毎晩、性欲を必死に押さえようと枕に猛烈なパンチを浴びせてたりしてw

502 : 名無しの笛の踊り[sage] : 投稿日:2005/01/14 23:29:07ID:uARB4osc [1/1回]

うーん、そうなのかなあ? 作曲期間中に、そんなの通り越したみたいだけど。

1856年 ローベルト没
1858年 ヨハネス、ピアノ協奏曲第1番を5年がかりで完成
1859年 ヨハネス、自身の独奏でピアノ協奏曲第1番を初演、大きな不評を買う

504 : 名無しの笛の踊り[sage] : 投稿日:2005/01/19 12:12:35ID:coas6Bik [1/1回]

ピアノ協奏曲1番作ったときにはいい歳だったのか。
それより前なら弦楽四重奏曲やピアノ四重奏曲あたりだな。
これはもうすごい曲だ。
面白みもなんにもない、ただ悶々としてるだけw


505 : 名無しの笛の踊り[sage] : 投稿日:2005/01/19 13:50:45ID:qSzKkKe3 [1/1回]

PC1は暗い性欲をようやく解放できたという曲なんだな、納得できる


941 : 名無しの笛の踊り[sage] : 投稿日:2006/10/09 19:03:50ID:hZO83RVy BE:361897676-2BP(0) [1/1回]

ブラームスって弾くの一番すきな作曲家。
昼どら顔負けの愛憎劇・・いい!

577 : 名無しの笛の踊り[sage] : 投稿日:2005/06/08 13:39:29ID:zHWJDdT4 [1/1回]

ブラームスの2つのラプソディ(No.2)を練習中なんですが、
ラシララシララシララシラと出てくる三連符は、
「彼自身の心がチクチクと病んでる事を表してるかもしれないし〜」
跳躍終わった後のラシラソ〜の所は
「彼の心に潜む悪魔を表現してるかも知れないし〜」
と先生に言われて、このスレ読んだら、この曲がいやらすぃ〜曲に聞こえるようになってしまった…


578 : 名無しの笛の踊り[sage] : 投稿日:2005/06/10 13:28:51ID:TeWPSHtD [1/1回]
>>577
エロチックな表現目指してガンガレ!


579 : 名無しの笛の踊り[sage] : 投稿日:2005/06/10 18:09:38ID:M6VMmaFW [1/1回]

序盤は熱情的にしかし、甚だしくないくらいの勢いで押し倒す。
途中で「不倫は良くない」と思うがそのまま徐々に服を脱がす。
3連符でねちっこく愛撫。左手交差の箇所は喘ぎ声。
を想像して、エロい演奏のうp宜しくw

582 : 名無しの笛の踊り[sage] : 投稿日:2005/06/20 02:16:33ID:RRmmibJy [1/1回]

2つの狂詩曲でエロい表現で弾いてるのは聞いたことがない!
演奏家関係無しに、これは良い曲だなぁ〜
ブラームスのピアノ曲ってしっとり系でも上手くペダルを使って低音残しながら弾くのは難しいですね。

610 : 名無しの笛の踊り[] : 投稿日:2005/08/27 23:45:05ID:vF6qAaEO [1/1回]

あたしヴァイオリン弾きなんだけどさ、ブラームスのヴァイオリンソナタの1番のことをクララがさ、

「繊細でうっとりさせるような最初の楽章、そして第2楽章のあと、第3楽章で大好きなわたしの旋律と再び出会ったときの喜びをわかっていただけると思います。
(中略)
たぶんそれをよりよく理解しうまく表現できる人はたくさんいるでしょうが誰もそれをわたしのように感じることはできません。」


これ読んだとき、ほんとすごいなーと思った。
あたしもこの曲大好きなんだけど、クララはあたしよりもっとこの曲が好きで、ブラームスを愛してたんだろうな、
そしてブラームスもクララを愛してたんだと思う。
この曲を聴くと無性に泣けてくるんだよね。


689 : 名無しの笛の踊り[] : 投稿日:2005/11/15 00:13:58ID:RXYn1aPB [1/1回]

ヨハネス好きは好き者。最近やっとヨハネスの良さがわかるようにw


690 : 名無しの笛の踊り[sage] : 投稿日:2005/11/19 10:12:45ID:6x9pw+Jv [1/1回]

今、ピアノ四重奏曲を聴いてるんだけど、これは凄いね。
行き場の無い悶々とした欲求がぶつかってくる感じ。

693 : 名無しの笛の踊り[sage] : 投稿日:2005/11/19 14:45:29ID:tY2xhKIn [1/1回]

もまいら、1ヶ月禁欲してクラリネット五重奏聴いてみれ。


704 : 名無しの笛の踊り[sage] : 投稿日:2005/11/28 19:57:02ID:S1kD/Woz [1/1回]

ブラームスは昼ドラ向きじゃないかと思う。
ピアノ協奏曲2番の第2楽章とか、ドロドロとした男女関係のドラマにピッタリじゃないの?


695 : 名無しの笛の踊り[sage] : 投稿日:2005/11/20 16:43:37ID:2QCZt/2o [1/2回]

当時のヨーロッパでは婚前交渉というか、特に独身女性の恋愛は厳しく禁じられていた。 でも一度結婚してしまえば、恋愛はある程度大目に見てくれたらしい。
だからフランスの貴婦人なんて、男をとっかえひっかえして恋愛を楽しんでたし、フランス文学でも、独身の男が上流夫人と恋愛するのが当たり前のように描かれている。

一方ではオナニーなんてのは男女関わらず蛇蝎のごとく忌み嫌われていた。
だから当時の独身男は相当ムンムンとしてたんだろうな。
ウェルテルみたいに、一日中相手のことを思いつめて自殺までしちゃうなんて禁欲でもしてなかったら出来ないよ、そんな事。

そんな歴史的背景からブラームスとクララの関係を考えると・・・
うーむ、隠微な世界だ。


696 : 名無しの笛の踊り[sage] : 投稿日:2005/11/20 17:33:26ID:CEB5j77F [1/1回]

日本人は逆だっけ。 当時日本にいた外国人が
「日本人は処女性をまったく大事に思っていない」
って


697 : 名無しの笛の踊り[sage] : 投稿日:2005/11/20 21:06:50ID:H8qWxxDk [1/1回]

そのころ日本はムラで誰かまわずはめはめしまくりだったんでしょ。


699 : 名無しの笛の踊り[sage] : 投稿日:2005/11/20 21:46:22ID:2QCZt/2o [2/2回]

祭りの夜は夜這い三昧だったらしい。
そんな風紀は領主も黙認。
日頃の鬱憤を晴らさせて庶民の反発を予防したんだってさ!

825 : 名無しの笛の踊り[] : 投稿日:2006/06/04 18:01:08ID:ng/0RzRZ [1/1回]

俺最近つくづく思うに、
女は40すぎてからがええな。
おんなは40過ぎて十全なおんなに生まれる。


826 : 名無しの笛の踊り[sage] : 投稿日:2006/06/07 18:28:00ID:qHFe1xOA [1/1回]

40過ぎて良くなるのは女だけじゃないね
ブラたんだってクラリネットトリオあたりまでずっと進歩したね
ドイツレクイエムとかsym1とかPC1とかもいいけどさ

熟して後がやっぱり芸に幅が出ているよ
年取っても腐ること無く、巧い具合に干物になって行ったね
http://www.logsoku.com/r/classical/1070849395/

46 :名無しの笛の踊り:2006/12/12(火) 08:57:15 ID:Xp8sdqFl

クララがブラームスの子を産んだということはぶらーむすにを愛していたからだという証だね。


42 :名無しの笛の踊り:2006/12/01(金) 16:39:35 ID:ll9IWUsW

ブラームスは両親も母親のほうがかなり年上だったし、年上の女性に特別な感情はあったんじゃない?


44 :名無しの笛の踊り:2006/12/02(土) 22:16:39 ID:8jA+PeTr

クララたんは40代後半でもキレイだし起つだろ!!


47 :名無しの笛の踊り:2006/12/15(金) 23:44:40 ID:P857knod

キモイとかいってるやつは年増の良い女を知らないからだろ。
3年前ぐらいに図書館の司書やってる42の女性を口説いたことがあった。
見た目は30中頃ぐらいだったけど。

浮気はしたくないと言ってなかなかガードが固かったけど、2、3ヵ月の間だけ付き合って、会うたびにラブホに行った。

肌を合わせたときの感触とか、低いうめき声とか、フェラとか、経験したことないぐらい快感を味わった。

結局、浮気の罪悪感で堪えられないと、ふられてしまった。
今でも時々図書館で見かけては挨拶するけど、まだ全然綺麗だ。
もう一回だけやらせてくれないかと思う。


45 :名無しの笛の踊り:2006/12/11(月) 10:27:57 ID:1w81IqOK

塾女(40代前半)はマジええわあ。
なんでも受け入れてくれる濃密さ。
はまりまっせ
http://mimizun.com/log/2ch/classical/1162301264/


ブラームスとクララの関係

ロベルト没後150年を経た現在でも不倫説が絶えないが、それを裏付けるものは全くない。事実として存在するのは、ブラームスとクララは生涯にわたって親交が深い友人であったということだけである。「フェリックスはブラームスの子供」という噂まで飛び交うほど、親密な付き合いであったといわれている。

なお、ブラームスはクララが没した翌年、後を追うように病没している。ブラームスはクララの危篤の報を受け取り汽車に飛び乗ったが、間違えて各駅停車の列車に乗ったために遠回りとなり葬儀に立ち会えず、ボンにある夫ロベルト・シューマンの墓へ埋葬される直前にやっと間に合い、閉じられた棺を垣間見ただけであったという。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AF%E3%83%A9%E3%83%A9%E3%83%BB%E3%82%B7%E3%83%A5%E3%83%BC%E3%83%9E%E3%83%B3#.E3.83.96.E3.83.A9.E3.83.BC.E3.83.A0.E3.82.B9.E3.81.A8.E3.81.AE.E9.96.A2.E4.BF.82

8. 中川隆[-10715] koaQ7Jey 2019年10月19日 15:58:26 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[2141] 報告

「クララ・シューマンの弟子たちの回想録 その一 私のブラームス回想録(1905年) フローレンス・メイ」


フローレンス・メイは、ロンドンでクララ・シューマンのレッスンを受けた後、ドイツのバーデンバーデン近郊にあるリヒテンタールの別荘で、クララのレッスンを受けるようになった。クララが演奏活動でスイスへ行っている間、メイはブラームスのレッスンを受けることになる。

 ブラームスのひととなり

当時、ブラームスは38歳。身長はやや低めで体格はがっしり。後年の肥満の傾向は全くなし。

理知的な額を有する堂々たる頭部と頭脳の明晰さを表わす青い瞳。挙動には気取りがなく、社交性と慎み深さが同居する、親しみのもてる人という印象だった。

ブラームスは自分について話すのを極端に嫌っており、自分の作品について話すことはめったになく、集まりではどんなに頼んでも、絶対に演奏しなかった。

ブラームスは極端な気分屋で、演奏しろといわれるのが嫌いなうえに、演奏する彼自身のムードと演奏される側、つまり作品の雰囲気がぴったり合わないと、全くだめだった。

ご機嫌なのは先生(クララ・シューマン)たちと一緒の時で、彼女にはいつも下僕のように使え、態度には尊敬の念が表れていた。それは息子が母に持つ愛情と、芸術家同士の共感とがないまぜになったような感覚−弟子のメイにはそう思えた。

ブラームスは大の散歩好きで、自然への愛着もひとしお。夏の間は4時か5時には起き、自分でコーヒーをいれ、それから朝のおいしい空気と鳥の歌を満喫しに、森へ出かけるのが日課だったという。

ブラームスのピアノ指導法

クララは「ブラームスは最高のピアノ教師」だと言っていた。実際、メイがブラームスのレッスンを受けると、「何一つ欠点のない、全ての資質を備えた理想的なピアノ教師」だった。

ブラームスの頭の中には、技術的な修練方法が、細かなことまで全て入っており、しかもそれをきわめて短時間で教えることができた。

メイがテクニックの弱点を説明して、クレメンティの《グラドゥス・アド・パルナッスム》を弾き始めると、その指をほぐして均等にする作業に取り掛かった。
レッスン初日から、目的に達するにはどうするのが一番なのかの解説付きで、音階、分散和音、トリル、重音奏法、オクターヴといった技術訓練を次々と与えていった。

レッスン中ブラームスは椅子に腰かけ、弟子の指を見ながら、誤った動きを指摘し、自分の手の動きで正しい形を見せながら、夢中で指導していたという。

ブラームスは、通常行われる五本指のエクセサイズがメイに有効だとは思わず、もっぱら一般の作品や練習曲を使い、自ら習得した、困難なパッセージを克服するための練習法をメイにも教えた。

メイの手首も、聞いたこともないブラームス独自の方法で、ほとんど苦労しないまま二週間ですっかりほぐれ、指の付け根の固い出っぱりが、大方消え失せた。

ブラームスは、指づかいには特にうるさかった。特定の指に頼らず、全ての指をできるかぎり均等に働かせるよう注意した。

バッハの楽譜はメイがイギリスから持ち込んだもの。指使いが書かれていなかったので、ブラームスはツェルニー版の運指を使うように(それ以外の書き込みには従わないように)指導した。

当初、レッスンの大半はバッハの《平均律》か《イギリス組曲》。メイの技術が向上すると、レパートリーも音楽の本質を学ぶ時間も少しづつ増えていった。

ブラームスは、曲の細部に至るまで厳しく気を配れと注意する一方、「フレージング」はできるだけゆったりととるように言った。繊細な詩集の外側を縫い進み、飾り付けていくように、フレーズのアウトラインを大きく一筆書きするのである。音楽の陰影を使って、フレーズをつなげたりもした。

音色、フレーズ、感覚など、ブラームスのイメージが音になるまで、バッハの一部分を十回でも二十回でも演奏させた。

ブラームスは些細なことまで信じられないほど誠実で、生徒に向かって物知りぶったり、イライラしたり貶したりしなかった。趣味はほめることで、どんな曲でもまず好みどおりに演奏すると「いいねえ、言うことなし」で、「そこはこう変えて」とはならなかった。


 ブラームスのピアノ演奏法

レッスンの終わりに、メイに頼まれてブラームスが自らピアノを弾くようになったが、一番多く取り上げたのはバッハ。

《48の前奏曲とフーガ》(平均律)を解説付きで、1曲か2曲、暗譜で弾き、その後は気分によって楽譜集から曲を選んで弾き続けた。

ブラームスは、著名なバッハ信奉者達のように、「バッハはただ流れるように演奏すべし」などとは思っておらず、彼のバッハ解釈は型破りで、伝統的な理論に捉われていない。

ブラームスが弾く《前奏曲》は躍動感溢れる力強い演奏で、濃淡と明確なコントラストがついて、まるで詩のようだったという。

バッハの音符一つ一つは感性あふれるメロディを作ってゆく。たとえば深い哀感、気楽なお遊び、浮かれ騒ぎ、爆発するエネルギー、えもいわれぬ優美さ。しかし、情緒は欠けておらず、決して無味乾燥ではない。情緒(センチメント)と感傷(センチメンタリズム)は別物なのだ。組曲では、音色とタッチを様々に変え、テンポも伸縮自在だった。

彼はバッハの掛留音をこよなく愛していた。「絶対にきこえなければならんのはここだ」と言いながら、タイのかかった音符を指し、「その後ろの音符で最高の不協和音効果が得られるように[前の音符を]打鍵すべし、でも、準備音が強くならないように」と強調した。

激しさも要求する一方、「もっとやさしく、もっと柔らかく」が、レッスン中のブラームスの口癖だった。

ブラームスは、バッハ、スカルラッティ、モーツァルトなどの「小奇麗な演奏」を認めなかった。巧みで均一で、正確かつ完全な指づかいは求めたが、多様で繊細な表現が絶対条件、いうならば呼吸のようなものだった。

作曲家が何世紀の人間であろうが、聴く人に作品を伝えるために、ブラームスはモダン・ピアノの力をためらうことなく利用した。

ブラームスは「安手の表情」をつけるのを好まず、特に嫌がったのは、作曲家の指示がないのに和音を分散させること。

メイがそんなことをすると必ず「アルペッジョじゃない。」と注意した。

ブラームスは音の強弱に関係なく、スラーのかかった二つの音符の醸しだす効果に重きを置き、それを強調したため、メイは、「こういった記譜部分は、彼自身の作品でこそ特別な意味を持つことが飲み込めた」と書いている。[※これは、ブラームスが多用していたヘミオラのこと?]

メイが聴いたブラームスの演奏は、「刺激的かつ独特で、到底忘れることはできない。名人芸を自由に操るといっても、それはいわゆるヴィルトゥオーゾ的演奏ではなかった。どんな作品でも、うわべの効果は決して狙わず、細部を明らかにし、深い部分を表現しながら、音楽の内部に入り込んでいるようだった。」

メイが、ブラームスの作品を練習させてほしいと頼むと、「僕の曲は、強い筋力と手の強い掴みが必要なので、今の君には向かないだろう」。自分が書いたピアノ曲は、女性には向いていないと思っていたらしい。

「どうしてピアノ用に、とんでもなく難しい曲ばかり作曲なさるのですか」とメイが詰め寄ると、ブラームスが言うには「(そういう音楽が)勝手にこちらにやってくるんだ。さもなきゃ、作曲なんかできないよ(I kann nicht anders)。」

 「クララ・シューマンの弟子たちの回想録 そのニ 私のブラームス回想録(1905年) アデリーナ・デ・ララ」

クララ・シューマンのレッスンで、ブラームスの《スケルツォOp.4》の一部分を弾き終えたとき、ブラームスが突然部屋に入ってきて、「今弾いた所をもう一度」。

最初のフレーズを弾き終わると、「違う違う、はやすぎる。ここはがっちり提示するんだ。ゆっくりと、このように」。

ブラームスが自ら演奏。鍵盤の上でゆったりとくつろいでいるようにしか見えないのに、それが豊かで深みのある音を、そして雲の上にいるようなデリケートなppを紡ぎだす。あのスケルツォのオクターブを一つも外さず、ものすごいリズム感で演奏するのだ。

ブラームスは生徒が自分の作品の低音(ベース・ライン)を弱く弾こうものなら、烈火のごとく怒った。その作品はきわめて深い音で、そして左手は決然と弾かなくてはならない。ブラームスは先生[クララ・シューマン]と同じで感傷的な演奏を嫌い、「決してセンチメンタルにならず、ガイスティック(精神的)でなくてはならない。」

日常生活では全く飾らず、ユーモアの感覚にあふれ、冗談を飛ばす。こんな人が真に偉大な巨匠だなんて、思い出すのも難しいほど。最初に会ったとき、ブラームスは40歳だったと思う。

 「クララ・シューマンの弟子たちの回想録 その三 ブラームスはこう弾いた ファニー・デイヴィス」

ブラームスの演奏を文字で書き表すことは、非常に難しい。それは孤高の天才が、作品を作ってゆく過程を論じるようなものだからだ。

巨匠の演奏に向かう姿勢は自由かつしなやかで、余裕があり、しかもつねにバランスがとれていた。たとえば耳に聞こえてくるリズムの下には、いつでも基本となるリズムがあった。特筆すべきは、彼が叙情的なパッセージで見せるフレージングだ。そこでブラームスがメトロノームどおりに演奏することはありえず、反対に堅牢なリズムで表現すべきパッセージで、焦ったり走ったりすることも考えられなかった。下書きのようなザッとした演奏をするときも、その背後には楽派的奏法がはっきり見てとれた。推進力、力強く幻想的な浮遊感、堂々たる静けさ、感傷を拝した深みのある優しさ、デリカシー、気まぐれなユーモア、誠実さ、気高い情熱、ブラームスが演奏すれば、作曲家が何を伝えたいのか、聴き手は正確に知ることになったのだ。

タッチは温かく深く豊かだった。フォルテは雄大で、フォルティシモでも棘々しくならない。ピアノにもつねに力感と丸みがあり、一滴の露のごとく透明で、レガートは筆舌に尽くしがたかった。

"良いフレーズに始まり良いフレーズに終る"−ドイツ/オーストリア楽派に根ざした奏法だ。(アーティキュレーションによって生じる)前のフレーズの終わりと、次のフレーズの間の大きなスペースが、隙間なしにつながるのだ。演奏からは、ブラームスが内声部のハーモニーを聴かせようとしていること、そして、もちろん、低音部をがっちり強調していることがよくわかった。

ブラームスはベートーヴェンのように、非常に制限された表情記号で、音楽の内面の意味を伝えようとした。誠実さや温かさを表現したいときに使う <> は、音だけでなくリズムにも応用された。ブラームスは音楽の美しさから去りがたいかのごとく、楽想全体にたたずむ。しかし一個の音符でのんびりすることはなかった。また、彼は、メトロノーム的拍節でフレーズ感を台なしにするのを避けるために、小節やフレーズを長くとるのも好きだった。

若きブラームスが完璧なピアノ・テクニックを象徴する有名な逸話。

巡業先で半音高く調律されたピアノに遭遇したヴァイオリニストのレメーニは、弦が切れるのを怖れて調弦を上げられない。そこでブラームスは、《クロイチェル・ソナタ》のピアノ・パートを公開演奏の場で、瞬時に半音低く移調して弾いた。[※半音高くと移調したという説もある]

移調できるとかできないという次元の問題ではなく、《クロイチェル・ソナタイ長調》とは全く異なる《クロイチェル・ソナタ変イ長調》用に、指の準備が即刻できてしまう能力を持っていた。

この他に、メイの伝記中、ハ短調を半音上げて弾いた話があり、こちらの方が有名。さらにこの回想録シリーズの第2巻でも、似たような移調演奏のエピソードがある。
http://kimamalove.blog94.fc2.com/blog-entry-1992.html

9. 中川隆[-10714] koaQ7Jey 2019年10月19日 15:59:49 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[2142] 報告

信じがたい数の「偉大な作曲家」が飲んだくれだった
https://gigazine.net/news/20161225-great-composer-was-drunk/

「Mozart and Liszt(モーツァルトとリスト)」あるいは「Brahms and Liszt(ブラームスとリスト)」という言葉は、英語圏では「酔っぱらい」の意味で使われます。この言葉通り、表だっては語られないものの、現代において「偉大だ」と言われている作曲家の多くが飲んだくれであり、誰がどう飲んだくれていたのかや醜態の様子がThe Spectatorに記されています。

A surprising number of great composers were fond of the bottle – but can you hear it?
http://www.spectator.co.uk/2016/12/a-surprising-number-of-great-composers-were-fond-of-the-bottle-but-can-you-hear-it/

「偉大な作曲家たちは飲んだくれだった」という話はあまり聞きませんが、ある時、ジャーナリストのダミアン・トンプソン氏は作家のオリバー・ヒルムズ氏の書いたリストに関する文書を読んでいたところ、「晩年のフランツ・リストのぞっとするような酔っぱらいエピソード」を目にしたとのこと。このことから作曲家たちの飲酒癖に興味を持ったヒルムズ氏は調査を開始。調べてみたところリストのバイオグラフィーは音楽学者のアラン・ウォーカー氏なども書いているのですが、ウォーカー氏の著作にはリストの飲酒癖について書かれていません。ウォーカー氏はリストが1日1瓶のコニャック、あるいは1日2本のワインを飲んでいたことを認めていますが、リストがアルコール中毒だっとは考えていない様子。一方で、リストの弟子であるフェリックス・ワインガルトナーはリストについて「確実にアル中」と述べていたそうです。

ブラームスは、売春宿やパブでピアノをよく演奏していました。多くの記事ではブラームスが売春宿などで演奏していた理由について「お金のため」と書かれていますが、実際には、売春婦にとって魅力的なブラームスは、サービスを利用することも多々あったようです。そして、あるパーティーにおけるブラームスの素行について、「酔った彼は、全ての女性たちに衝撃的な言葉を浴びせて、場をめちゃくちゃにした」という言葉も残されています。


by Joseph Morris

上記の2つから見るに、「ブラームスとリスト」という言葉は、意味のない比喩ではななく、史実を踏まえて作られたと言えそうです。

酔っぱらいエピソードが残されているのは、リストやブラームスだけに留まりません。シューベルトは若い頃からお酒を好み、「品行方正な家族のプライベートな宴会に招かれた時の嘆かわしく恥ずべき振る舞い」が複数の文書に記録されています。またベートーベンもシューベルトと同じような感じで、街路をふらふらとした足取りで歩いていたことが記録されています。また、シューマンは1830年に行われたドイツ南西部にあるハイデルベルクのカーニバルで「ラムの飲み過ぎで意識が混乱し道ばたで転倒、宿の女主人のスカートの下をまさぐる」という素行が確認されているとのこと。

このほか、モーツァルト、ヘンデル、ムソルグスキー、チャイコフスキー、シベリウスというそうそうたる面々が「酔っぱらいリスト」に入っていますが、バッハについては「飲んだくれていた」という報告がありません。ただ、2週間の旅路で支払ったビール代金がビール8ガロン(30リットル)分に相当するのでは?という指摘がされています。ベルリオーズとワーグナーはアルコールよりもアヘンを好んでいたようです。

作曲家たちの音楽にアルコールの影響を見いだすことができるかどうかは難しいところですが、ムソルグスキーの「死の歌と踊り」はアルコール中毒に苦しむ中で書かれた曲であり、作曲家の置かれた状況が不穏なハーモニーに反映されていると言えるとのこと。また、酔っ払った状態で正確な作曲活動を行うのは難しいため、シベリウスは人生の最後の30年において曲を完成させることがありませんでした。


by Brandon Giesbrecht

しかし一方で、聴覚を失い最悪の二日酔いに悩まされながらも、ベートーベンは言葉では言い表せないほどに荘厳な楽曲を創り上げました。ベートーベンはベッドで死の淵にいながらも、ドイツのラインランド州から送られてくるワインを楽しみにしていたのですが、ワインが到着して来た時にはほとんど意識がなく、ベートーベンは「なんて残念だ。遅すぎた」とささやき意識を失ったそうです。

一方のブラームスは、死の直前までお酒を楽しむことができました。ブラームスは何とかワインの入ったグラスを口元に持っていき、「おいしい」という言葉を残して亡くなったとのことです。
https://gigazine.net/news/20161225-great-composer-was-drunk/

10. 中川隆[-10713] koaQ7Jey 2019年10月19日 16:02:45 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[2143] 報告
ブラームス:4つのクラリネット作品におけるマタイ動機

 モーツアルトのクラリネット5重奏曲は、モーツアルトが亡くなる2〜3年ぐらい前の作品。モーツアルトは1791年、35才で亡くなった。本人は知らず、晩年の作品となった。

 ブラームスのクラリネット5重奏曲は、ブラームス58才の時の作品。

 ブラームスは63才で亡くなった。5重奏曲は亡くなる6年前の作品になる。やはり晩年の作品だ。

 晩年どころか、ブラームスはこの5重奏曲を作曲する前の年に、自分の創作意欲は枯渇してしまい、もう作曲はできないと感じて遺書まで書いている。身辺整理をして余生を静かに過ごしたいと思ったようだ。57才のときである(私は来年です!)。ちなみに、遺書を書く直前の作品は、弦楽5重奏曲作品111になる。

 遺書まで書いたのに、なぜ翌年になってこんな名曲が生まれてしまったのか? クラリネット奏者、リヒャルト・ミュールフェルトとの出会いがあったことは有名だ。

 5重奏曲だけでなく、クラリネット3重奏曲もほぼ同時に完成させ、3年後には2曲のクラリネットソナタまで作り上げた。全部で4曲。どれも素晴らしい名曲である。 

 で、ここから先の話は、NHK交響楽団首席クラリネット磯部周平さんの研究による。ご本人の話と、雑誌パイパーズの記事をもとにまとめてみた。

 磯部さんは、ブラームスが一度はあきらめていたのに、再びこのような名曲となる曲を作ろうと思った背景には、ミュールフェルトに出会ったことと、もう一つは、クララ・シューマンへの思いを、もう一度彼女にきちんと伝えたい、という思いがあったと推測している。

 というのは、ちょうどこのころ、ブラームスとクララの関係はあまり良好ではなく、絶縁に近い状態にあった。ブラームスはそんな状態のまま人生を終えたくなかった。作曲だけでなく人間としても師と仰いだシューマンと夫人クララへの愛情は、ずっと変わらずに持っていたので、クララとの関係を戻して余生を過ごしたいと思ったのではないか、という。

 そのためにブラームスは、これらクラリネット作品にクララへのメッセージを盛り込んだ。

 クラリネットソナタのスコアをクララに送ったとき、ブラームスは手紙にこう書いている。

 「この曲に私の作品1が出てくるのにお気づきですか? 蛇がしっぽを飲み込んで、輪は閉じられたのです」

 ブラームスの作品1は、ピアノソナタである。20歳のときにこの作品を持ってシューマンを訪ね、シューマンに「天才が登場した」と言わせた曲。そのときクララも一緒に聞いていた。

 「作品1が出て来る」というのは、ピアノソナタの第2楽章の次の部分だ。

 4度上がって、順次下降する音形……これがクラリネットソナタ第1番の最初に本当に出て来る。

 上記ピアノソナタの譜例の少し先には、ドファミ♭レ♭と音までそっくり同じフレーズが出て来る。

 じつはこのモチーフは、シューマンが自分の曲に隠しこんだクララのモチーフとよく似ているといわれる。このモチーフは、シューマン、クララ、ブラームスの3人にはピンと来る秘密のモチーフだという。

 では、シューマン夫妻とは初対面だったはずのブラームスの作品1に、クララのモチーフがなぜすでに使われているのかという疑問が起きるが、実は現在の作品1のソナタは後で改訂されたもので、シューマン夫妻と知り合ってすぐに家族のように迎えられたブラームスが、シューマンにならってクララのモチーフを後で入れたとも考えられているようだ。それほど3人の絆は深いものだった。

 で、このモチーフはクラリネットソナタ1番だけじゃなく、ほかの3つのクラリネット曲すべてに出て来る。最初に出来たのがクラリネットトリオで、その出だしは次のようになっている。

 最初の3度のあと、ミ−ラ−ソ−ファ−ミがこのモチーフである。同じトリオの第3楽章は、もろそのままの形で出て来る。

 次に作曲されたのが5重奏だが、5重奏にも第2楽章のクライマックスにこのモチーフが出て来る。

  さらに第4楽章の冒頭にも、弦とクラのメロディを繋げるとこのモチーフが姿を現す。上はクラリネットパートで実音は短3度下げて読む。

 面白いのはクラリネットソナタ第2番の冒頭だ。次のようなメロディだが、1小節目はクラリネットソナタ第1番冒頭1−2小節目のモチーフの前半と後半を入れ替えた形になっている。

 ほかにも探すと、4曲の様々な箇所にこのモチーフが顔を出す。

 さて、ここまで来てなお疑問に思うのは、このモチーフはブラームスにとって何だったのか、である。クララへの秘密のメッセージであることは分かった。でも、それで本当に何を伝えたかったのかということだ。

 じつは、このモチーフはブラームスが作ったものではなく、バッハのある曲からとられたものだった。それは、不滅の名曲、マタイ受難曲に出て来る次のコラールである。

 大変に有名なコラールで、歌詞の意味は、「私は心から幸せな最後を望んでいます」という意味だそうだ。

 で、結論だが、ブラームスはこのモチーフを辞世のことばとしてクララに贈ったのではないか、ということ。クララもこれがマタイのコラールからとったものであることは知っていたはずだ。ブラームスは単にクララとの関係を取り戻したいと考えたのではなく、シューマンとクララへの感謝と愛情を人生の最後にどうしても伝えたかった。それで、もう一度筆をとった4つのクラリネット曲にこのモチーフを込めたのだろうと磯部さんは言う。

 そのクララは1896年、ブラームスが63歳の時に亡くなった。同じ年ブラームスは肝臓癌をわずらいながら、彼の最後の曲、コラール前奏曲を作曲し、翌年の4月に息を引き取った。

 その最後の作品、コラール前奏曲にも、やはりマタイのモチーフがそのままの形で使われている。しかもそこには辞世の言葉が楽譜の下にはっきりと記されている。


Commented by hornpipe at 2008-11-21 21:43
ア○○○ク様 この場合は、NHK交響楽団の磯部周平さんの説だということを明記して頂くようお願いします。


Commented by hornpipe at 2010-06-28 22:32
掲載誌名と磯部周平さんのお名前を明記して頂ければOKです。そっくり引用せずに、要旨を適当にまとめて下さい(だとしたら、私に断る必要もないのですが)。
と申し上げておいて何ですが、私の記事も含め、ブログの記事は信用度において本来そうした引用には適さないと思います。

この記事の場合、ブラームスがピアノソナタを書き直したという部分が、磯部さんの言葉かどうか私の記憶が不確かです。
http://hornpipe.exblog.jp/6487896/

11. 中川隆[-10712] koaQ7Jey 2019年10月19日 16:04:07 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[2144] 報告

ブラームス 画像
http://www.google.co.jp/search?q=Clara+Schumann&hl=ja&tbm=isch&tbo=u&source=univ&sa=X&ei=BwBhUYb4Lc3trQfL7IDABA&ved=0CJgBEIke&biw=998&bih=892#hl=ja&tbm=isch&q=Johannes+Brahms&revid=779985211&sa=X&ei=OwBhUcPWAa68iAfdrIHQAQ&ved=0CEwQ1QIoAQ&fp=1&biw=998&bih=892&bav=on.2,or.r_qf.&cad=b

クララ・シューマン 画像
http://www.google.co.jp/search?q=Clara+Schumann&hl=ja&tbm=isch&tbo=u&source=univ&sa=X&ei=BwBhUYb4Lc3trQfL7IDABA&ved=0CJgBEIke&biw=998&bih=892

ロベルト・シューマン 画像
http://www.google.co.jp/search?q=Schumann&hl=ja&tbm=isch&tbo=u&source=univ&sa=X&ei=mABhUYuoA8PVrQfwr4GoDw&ved=0CIEBEIke&biw=998&bih=892


クララ・シューマン 愛の協奏曲 GELIEBTE CLARA(2008)

監督:ヘルマ・サンダース=ブラームス

出演:
マルティナ・ゲデック
パスカル・グレゴリー
マリック・ジディ


『クララ・シューマン 愛の協奏曲』 予告編
http://www.nicovideo.jp/watch/sm16580390


Clara (V.O.S.E.)
http://www.youtube.com/watch?v=Vh7EUw1Ncyg
http://www.youtube.com/watch?v=0DV_v8htKo4
http://www.youtube.com/watch?v=LlU4h5pLLAg
http://www.youtube.com/watch?v=DplCbxK6NfM
http://www.youtube.com/watch?v=A1y1rCjGAm4
http://www.youtube.com/watch?v=yltaMpw30Ts
http://www.youtube.com/watch?v=-Kd6zpxryjs

12. 中川隆[-11351] koaQ7Jey 2019年11月06日 22:33:30 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1547] 報告

104名無しの笛の踊り2019/11/06(水) 15:24:06.51ID:UUWHQC/n

>>24

> クラリネット五重奏はブラームスの方がモーツアルトより上
>
> レクイエムもブラームスの方がモーツアルトより上
>
> ブラームスが作曲しなかったオペラだけモーツアルトの価値が有るね


モーツァルト判らん奴の音楽批評する自信てどこからくるのですか?

105名無しの笛の踊り2019/11/06(水) 15:26:58.86ID:UUWHQC/n

ベートーベン信者にしても、
アインシュタインの相対性理論が理解出来ない様に、
自分ごときにはモーツァルトの良さ判らん。って風にはならんのだろか?

客観的にオノレを見て阿呆な批評してるって事にはならんのだろか?

106名無しの笛の踊り2019/11/06(水) 18:42:50.68ID:XwhnSAK3

音楽は誰でもわかるから優劣が自己判断できるんだよ

量子コンピューターとか MMT とか自分では判断できないから専門家の言葉を信じるけど
音楽の良し悪しは聴けばすぐにわかるからね

録音を聴くのでも昔はレコードが高かったから宇野功芳みたいな批評家の評価を信じるしかなかったけど
今は youtube で只で聴けるから演奏の良し悪しの判断も宇野功芳に頼る必要はなくなった

宇野功芳が今出て来ても相手にされないだろうね。

107名無しの笛の踊り2019/11/06(水) 18:50:31.67ID:XwhnSAK3

楽譜が読めたり楽器を弾けない人間には音楽はわからないと思ってるアホも多いけど

そもそも原始民族は楽譜なしで音楽を愉しんでいるからね

専門家でも礒山 雅みたいにメンゲルベルクのマタイ受難曲の演奏の価値が全然わからなかったアホがいるし
吉田秀和の演奏評はすべて見当外れだったし

音楽家が音楽を理解できているというものでもないんだ

108名無しの笛の踊り2019/11/06(水) 19:05:58.74ID:XwhnSAK3

因みに、クラシックの大作曲家は全員アル中

ジャズやロックのミュージシャンはアル中ではなく麻薬中毒でした。

ジャズやロックは元々、マリファナや覚醒剤とセットになっているんです。
ジョン・レノンやポール・マッカートニーも重度の麻薬中毒者でした:

マリファナが無いと作曲できなかったポール・マッカートニー

ビートルズと薬 ‐ ニコニコ動画(原宿)
http://www.nicovideo.jp/watch/sm3011883

109名無しの笛の踊り2019/11/06(水) 19:07:52.83ID:XwhnSAK3

ブラームスは、売春宿やパブでピアノをよく演奏していました。
多くの記事ではブラームスが売春宿などで演奏していた理由について「お金のため」と書かれていますが、
実際には、売春婦にとって魅力的なブラームスは、サービスを利用することも多々あったようです。

そして、あるパーティーにおけるブラームスの素行について、
「酔った彼は、全ての女性たちに衝撃的な言葉を浴びせて、場をめちゃくちゃにした」という言葉も残されています。

110名無しの笛の踊り2019/11/06(水) 19:09:56.12ID:XwhnSAK3

聴覚を失い最悪の二日酔いに悩まされながらも、ベートーベンは言葉では言い表せないほどに荘厳な楽曲を創り上げました。
ベートーベンはベッドで死の淵にいながらも、ドイツのラインランド州から送られてくるワインを楽しみにしていたのですが、
ワインが到着して来た時にはほとんど意識がなく、ベートーベンは「なんて残念だ。遅すぎた」とささやき意識を失ったそうです。

一方のブラームスは、死の直前までお酒を楽しむことができました。
ブラームスは何とかワインの入ったグラスを口元に持っていき、「おいしい」という言葉を残して亡くなったとのことです。

「Mozart and Liszt(モーツァルトとリスト)」あるいは「Brahms and Liszt(ブラームスとリスト)」という言葉は、英語圏では「酔っぱらい」の意味で使われます。

111名無しの笛の踊り2019/11/06(水) 19:15:04.96ID:UUWHQC/n

>
> > クラリネット五重奏はブラームスの方がモーツアルトより上
> >
> > レクイエムもブラームスの方がモーツアルトより上
> >
> > ブラームスが作曲しなかったオペラだけモーツアルトの価値が有るね
>
> ↑
むしろ、こいつはブラームスのツラ汚しだろ?
こんな奴に評価されても、
ブラームスは地獄で困った顔してる事だろう。

112名無しの笛の踊り2019/11/06(水) 19:52:17.00ID:XwhnSAK3

ブラームスは風俗狂いのアル中だろ

他人がどう思うかなんか一切考えていない

フランクがヴァイオリン・ソナタを見てくれと楽譜を渡したのに相手にしなかったし
余程性格が悪かったんだな

大芸術家は人格者じゃないという証明だ

113名無しの笛の踊り2019/11/06(水) 21:36:11.75ID:UUWHQC/n

> >
> > > クラリネット五重奏はブラームスの方がモーツアルトより上
> > >
> > > レクイエムもブラームスの方がモーツアルトより上
> > >
> > > ブラームスが作曲しなかったオペラだけモーツアルトの価値が有るね
> >
> > ↑
とりあえずモーツァルト判らん時点で、音楽判らん奴なんだよ。
ブラームスの良し悪しなんて関係無くな。
モーツァルト判らんって時点でな!

114名無しの笛の踊り2019/11/06(水) 21:45:15.21ID:XwhnSAK3

モーツァルトが子供の音楽だというのは良くわかってるよ

モーツァルトでいいのはドン・ジョバンニだけだな

115名無しの笛の踊り2019/11/06(水) 21:49:01.36ID:XwhnSAK3

モーツアルトの子供の音楽でも演奏で補えば何とか聴けるよな

Mozart: Adagio And Fugue In C Minor, K.546 - Orchestral Version - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=JSVFM5cbNHI


Berliner Philharmoniker · Herbert von Karajan

116名無しの笛の踊り2019/11/06(水) 21:57:27.31ID:XwhnSAK3

これもこういう名演で聴くと第一楽章だけは子供の音楽ではなくなっているね:

Mozart: String Quartet No. 16 in E-Flat Major, K. 428 I. Allegro ma non troppo - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=SxyVR6v9iPY

The Vienna String Quartet

117名無しの笛の踊り2019/11/06(水) 21:59:04.03ID:UUWHQC/n

> モーツァルトが子供の音楽だというのは良くわかってるよ
>
> モーツァルトでいいのはドン・ジョバンニだけだな



モーツァルト判らんコンプレックス炸裂!!
その通り!!
モーツァルト判らんってホンモノの音楽判らんって意味だからな!
ムキなるのは当然だな!
ブラームスかつぎ上げてモーツァルトに対抗して、
モーツァルト判らんゴミ脳の自分を慰めてろ!

118名無しの笛の踊り2019/11/06(水) 22:01:04.45ID:UUWHQC/n

ブラームスはモーツァルトを神の様に崇めていた。

ブラームスをかつぎ上げてモーツァルトを貶すって!
自分は音楽判らんゴミ脳自覚してる様なもんだろ?
音楽批評辞めた方が善いぞ?
恥さらしめ!

119名無しの笛の踊り2019/11/06(水) 22:02:27.13ID:XwhnSAK3

これも演奏がいいから子供の音楽ではなくなっている:


String Quartet No. 18 in A Major, K. 464: IV. Allegro non troppo
Budapest String Quartet
https://www.youtube.com/watch?v=pObFoi6ecpc

Capet Quartet - Mozart String Quartet #19 K.465 Dissonanzen 1st & 2nd Mvt (1928) - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=aNZHcLE5t3A

120名無しの笛の踊り2019/11/06(水) 22:04:44.74ID:UUWHQC/n

モーツァルト判らコンプレックスで
そのホンモノの音楽判らん悔しさでブラームスかつぎ上げてモーツァルトに対抗、抗議するホンモノの音楽判らんゴミ屑のスレッド!!

121名無しの笛の踊り2019/11/06(水) 22:05:42.38ID:XwhnSAK3

>ブラームスはモーツァルトを神の様に崇めていた。


ブラームスはユダヤ人の息子で母親が47歳の時の子供
子供の時からキャバレーや売春宿でピアノを弾いていたから名の有る大作曲家が眩しく見えただけだろ

122名無しの笛の踊り2019/11/06(水) 22:08:09.96ID:XwhnSAK3>>124

バッハもビバルディやテレマンを神の様に崇めていたけど、バッハの方が上だろ


123名無しの笛の踊り2019/11/06(水) 22:09:20.77ID:UUWHQC/n

> モーツァルトが子供の音楽だというのは良くわかってるよ
>
> モーツァルトでいいのはドン・ジョバンニだけだな


これをくちにしてしまった奴は、
2度と音楽愉しめないよな?
ホンモノの音楽が未来永劫判らんと言ったも同然だよな?

124名無しの笛の踊り2019/11/06(水) 22:17:21.72ID:UUWHQC/n
>>122

> バッハもビバルディやテレマンを神の様に崇めていたけど、バッハの方が上だろ


思い込み激しい女レベルの発言。

ブラームスとモーツァルトなら圧倒的にモーツァルトのが格上。
それは、ブラームス自身も知ってる事。

総合的に見れない阿呆自覚無い奴。

まぁモーツァルト判らんってホンモノの音楽判らん事を意味してるから認めたくないって事もあるんだろな?

125名無しの笛の踊り2019/11/06(水) 22:26:47.15ID:XwhnSAK3

モーツァルトを聴く気になるのはこういう凄い演奏がある場合に限られるよ
ドン・ジョバンニでも他の演奏では聴く気が全く起きないからね:

Don Giovanni - 1954 Salzburg Festival - Wilhelm Furtwangler HD - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=i7Teu60nNYc

DON GIOVANNI - Ezio Pinza, dir Bruno Walter, Met 1942 - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=XS3z2yeNpqg

126名無しの笛の踊り2019/11/06(水) 22:29:19.62ID:XwhnSAK3

>ブラームスとモーツァルトなら圧倒的にモーツァルトのが格上。

35歳で死んだ人間はどんな天才でも大人の音楽は書けないんだよ

ブルックナーの音楽は70歳を過ぎないと書けないんだ
https://lavender.5ch.net/test/read.cgi/classical/1571178797/l50

13. 中川隆[-11349] koaQ7Jey 2019年11月07日 08:06:21 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1549] 報告

127名無しの笛の踊り2019/11/07(木) 05:22:49.50ID:Dq2eYksv

> >ブラームスとモーツァルトなら圧倒的にモーツァルトのが格上。
>
> 35歳で死んだ人間はどんな天才でも大人の音楽は書けないんだよ
>
> ブラームスやブルックナーの音楽は70歳を過ぎないと書けないんだ



モーツァルト判らんって事は伝わってくるわ。
思い込み激しい新興宗教狂い女レベルの発言だな。
まぁ、ニセモンの音楽を悦ぶフリしてたら良いわ。
未来永劫ホンモノの音楽判るまい。

128名無しの笛の踊り2019/11/07(木) 05:29:27.89ID:Dq2eYksv
>>123

> > モーツァルトが子供の音楽だというのは良くわかってるよ
> >
> > モーツァルトでいいのはドン・ジョバンニだけだな
>
> ↑
これをくちにするモーツァルト判らんコンプレックスが、悔しくてブラームスかつぎ上げてモーツァルトに対抗、抗議するスレッドだな。
モーツァルト判らん奴の音楽批評なんて誰も聞かないのにな。
空気読まずに、モーツァルト判らんコンプレックス由来のブラームス引き合いに出してくちにする音楽ではなく音憎になってしまった。愚か者。

アインシュタイン、ショパン、
ドボルザーク、マーラー、俺、などモーツァルト判る人間の境地に未来永劫到達しない。音楽判らんコンプレックスを攻撃に変えた哀しい奴!!

129名無しの笛の踊り2019/11/07(木) 08:04:37.58ID:XTHFK800

モーツァルトの書いたオペラは、メロディーは確かに綺麗だけど、品が無く騒々しくてガキの恋愛ごっこという感じ

LE NOZZE DI FIGARO 29-01-1944 Directore Bruno Walter - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=jwJtrqkHB8k

Die Zauberflöte 3-3-1956 English MetOpera (Sullivan, Uppman, Amara, Peters, Hines - Walter) - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=G2xsfpKosqQ

一方、モンテヴェルディが75歳で書いた『ポッペーアの戴冠』(1642年)は奇跡的な美しさと気品の高さ:

L'Incoronazione di Poppea. Claudio Monteverdi (1567 - 1643) - YouTube
René Jacobs Concerto Vocale
https://www.youtube.com/watch?v=5uPCSwdlp80


35歳で死んだ人間はどんな天才でも大人の音楽は書けないんだよ

14. 中川隆[-11343] koaQ7Jey 2019年11月07日 09:05:55 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1555] 報告

130名無しの笛の踊り2019/11/07(木) 09:03:08.60ID:NIC+VnVV
>>129
モーツァルトは今でいうメンヘラか下品なギャルが好む音楽だろうな

131名無しの笛の踊り2019/11/07(木) 09:04:48.94ID:XTHFK800

因みに、モーツァルトは子供向けの音楽だから小学生でも、赤ちゃんでも、犬や猫でも理解できる。

一方、ブラームスやブルックナーみたいな大人の音楽は大人にしかわからない

それから、バルトークを犬に聴かせると不安な様子になってワンワンと吠え始める

犬や猫でも理解できるのはモーツァルトみたいな子供向けの音楽だけなのさ

15. 中川隆[-11342] koaQ7Jey 2019年11月07日 09:38:38 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1556] 報告
132名無しの笛の踊り2019/11/07(木) 09:37:06.98ID:XTHFK800

オペラでもオーケストラ曲でもピアノ協奏曲でもモーツァルトよりはバルトークの方が上だね


Bartok - Bluebeard's Castle - Boulez - Norman - Fried - Paris 2006 - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=CxbhDLGOMPg

Bartok Der wunderbare Mandarin - Boulez Wiener Philharmoniker (1992 Movie Live) - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=PpYMNBGWjaM

Bartok Concerto for Piano no. 2, Sz. 95 (Anda, Fricsay, RSO) - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=40Ewxm9dFJM


モーツァルトは音楽がわからない人でもBGM的に愉しめるというのが人気の秘密なんだ

16. 中川隆[-11341] koaQ7Jey 2019年11月07日 09:49:54 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1557] 報告

133名無しの笛の踊り2019/11/07(木) 09:47:57.07ID:XTHFK800

ブラームス、モーツァルト、ベートーヴェンのピアノ協奏曲を同じピアニスト・指揮者で比較してみれば誰でも


ブラームス >> ベートーヴェン >>>モーツァルト

という評価になるよ:


Wilhelm Backhaus- Brahms Piano Concerto No. 2 - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=D3k2a4Gi0Fc

Wiener Philharmoniker
Conductor: Karl Böhm

____

Mozart - Wilhelm Backhaus, August 2, 1960 (Live) Piano Concerto No. 27 in B-flat major, K. 595 - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=MAwoOdmQ8T0

Wiener Philharmoniker
Conductor: Karl Böhm

____


Wilhelm Backhaus plays Beethoven, Piano Concerto No.4 - Karl Bohm, Wiener Symphoniker (1967) - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=WP3OfvqpgCw

WILHELM BACKHAUS, piano
Wiener Symphoniker
KARL BOHM, conductor
Recorded at Studio Rosenhugel, Vienna, 3-9 April 1967

17. 中川隆[-11340] koaQ7Jey 2019年11月07日 10:02:50 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1558] 報告

134名無しの笛の踊り2019/11/07(木) 10:01:59.83ID:XTHFK800

ブラームス、モーツァルト、ベートーヴェンのピアノ曲を同じピアニストで比較してみれば誰でも


ベートーヴェン >> ブラームス >>>>>モーツァルト

という評価になるよ:


Brahms, Six Pieces, Op 118, Backhaus - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=Q8VvNPqXikM


W. A. Mozart : Piano Sonata in A Major, K331
Wilhelm Backhaus - The Last Recital - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=F1jjB7TrS1E


ベートーヴェン: ピアノ・ソナタ 第32番 ハ短調 Op.111 バックハウス 1961 - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=uyk6g0wnJQE

18. 中川隆[-11339] koaQ7Jey 2019年11月07日 10:29:06 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1559] 報告
138名無しの笛の踊り2019/11/07(木) 10:27:07.35ID:XTHFK800

ブラームス、モーツァルト、ベートーヴェンのヴァイオリ・ソナタを同じヴァイオリニストで比較してみれば誰でも

ブラームス >> ベートーヴェン >>>>>モーツァルト

という評価になるよ:

Brahms - Violin sonata n°1 - Busch - Serkin - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=0La39ga0v-c

Brahms - Violin sonata n°2 - Busch - Serkin - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=PDoYFyI0EVE

Brahms - Violin sonata n°3 - Busch - Serkin 1939 - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=3EetVzuubko

Adolf Busch & Rudolf Serkin - Beethoven Violin sonata No.5 in F op.24 Spring (1933) - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=JrNQrxMxZpk

Adolf Busch plays Beethoven Violin Sonata No 9 (Kreutzer) - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=jzkBf-aC3Fo

Mozart - Violin sonata K.379 - Busch - Serkin - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=XHRJ1AsUsm8

Mozart - Violin sonata K.380 - Busch - Serkin - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=T8U72iZMSmk

Mozart - Violin sonata K.481 - Busch - Serkin - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=M7JTCnEJ3hM

19. 中川隆[-11338] koaQ7Jey 2019年11月07日 10:35:07 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1560] 報告

139名無しの笛の踊り2019/11/07(木) 10:34:04.71ID:XTHFK800

ブラームス、モーツァルト、ベートーヴェンのヴァイオリン協奏曲を同じヴァイオリニストで比較してみれば誰でも


ブラームス >>> ベートーヴェン >>>>>>>> モーツァルト

という評価になるよ:


Brahms Violin Concerto Adolf Busch - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=2-xD-u2JAjY

Beethoven Violin Concerto Adolf Busch Fritz Busch 1942 - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=7NCKU5R8g0c

Mozart Violin Concerto No. 5 (Adolf Busch, 1945) - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=C8VWXCL413o

20. 中川隆[-11337] koaQ7Jey 2019年11月07日 10:46:37 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1561] 報告

141名無しの笛の踊り2019/11/07(木) 10:45:36.93ID:XTHFK800

音楽家にランクをつけると


バッハ、ヘンデル、モンティヴェルディ、ベートーヴェン
>> ブルックナー、ワーグナー、ブラームス
>>モーツァルト、シューベルト、ドビュッシー、バルトーク、メンデルスゾーン、シベリウス
>>シューマン、ショパン、ベルク、シェ-ンベルク、ストラヴィンスキー、ショスタコービッチ


かな

モーツァルトは女の子に人気が有るから誰も悪口は言えないだけさ

21. 中川隆[-11336] koaQ7Jey 2019年11月07日 10:49:16 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1562] 報告
因みに、ベートーヴェンはモーツァルトよりヘンデルの方が上だと言っていた
22. 中川隆[-11335] koaQ7Jey 2019年11月07日 11:31:21 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1563] 報告

143名無しの笛の踊り2019/11/07(木) 10:51:42.15ID:Dq2eYksv

モーツァルトがダントツでナンバーワンなんだけどなぁ、

モーツァルト判らん=ホンモノの音楽判らんって事確定だからな!
認めたくないってところが本音だろな。

自分の知性が足りないのでモーツァルト判りません!これで全て筋が通る。

認めないから、話の筋が全然通らなくなるんだよなぁ!
新興宗教狂いのおばさんと同じかんたんな理屈が通らん知性レベル。

ブラームス聞く様な奴の知性レベルって事だな!
ミスチル、米酢、とか聴く奴より知性レベル低いんだろなぁ、

144名無しの笛の踊り2019/11/07(木) 10:54:57.66ID:Dq2eYksv

アインシュタイン、ハイドン、ショパン、マーラー、ドボルザーク、ビゼー、
ブラームス、ベートーベンより、
自分の音楽批評のが正しい!


まずはこれを宣言してくれや!
でないと筋通らんからな。
阿呆相手するとここまでお膳立てしなきゃ話進まんからな、阿呆相手するのシンドイわ!

145名無しの笛の踊り2019/11/07(木) 11:17:47.37ID:XTHFK800

音楽家や政治家は しがらみが多いから本当の事が言えないんだよ

本音を言ったら食っていけなくなるからね

146名無しの笛の踊り2019/11/07(木) 11:30:16.95ID:XTHFK800

モーツァルトの時代は作曲するのが簡単だったんだよ

現代ではいくら才能が有っても過去の作品と同じ様な曲は作れないから何か異常な事を考えないといけない

シェーンベルクも最初期の清夜はモーツァルトを超える名曲だったけど、それ以上は同じスタイルで作曲できなくなって
無調音楽や、十二音技法の方向に進んで破滅した


シェーンベルク: 浄夜 作品4 (1899) [弦楽合奏版1943] カラヤン 1973 - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=bJoBGTPdtrY

モーツァルトと同じ位の天才は沢山居たんだよ
モーツァルトは早く生まれたから得しただけさ

23. 中川隆[-11334] koaQ7Jey 2019年11月07日 11:45:34 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1564] 報告

147名無しの笛の踊り2019/11/07(木) 11:36:19.72ID:XTHFK800

ベートーヴェンは、ヘンデルを、J. S. バッハ、ハイドン、モーツァルトらと並んで賞賛していたのであるが、この時期になってそうした作曲家たちのなかでヘンデルを第1位に置くようになったのである。さらに、この内容を裏付ける証言をいくつか挙げておこう。

エドワード・シュルツが「ハーモニコン」誌(1824 年1 月)に寄稿した話は以下のようなものであった。

食卓での座談すべてを通じて、ベートーヴェンがヘンデルにつき語ったこれほど興味深い話は、ほかにありませんでした。私は彼のすぐそばに腰かけ、彼がドイツ語で

「ヘンデルは古今最大の作曲家だ」

と明確に語るのを聞きました。この不朽な天才の《メサイア》につき、ベートーヴェンがどんな感動をもって、というより私が言いたいのは、言葉の極をつくして話したかは、あなたにお伝えしかねるほどです。

「自分は脱帽し、ヘンデルの墓前にぬかずきたい」

と彼が口にしたとき、われわれのだれもが心を打たれました。ハスリンガーと私が会話をモーツァルトのほうに向けようと何度も試みたのですが、効果がありませんでした。(フォーブス1971-74,下:997)


また、ヨハン・アンドレアス・シュトゥンプフは次のように証言している。

そこで私は鉛筆を手にし、きわめてはっきりした文字でこう書いた。

「これまで出た作曲家のうち、だれが一番偉大とお考えですか」。

「ヘンデル」、というのが即答であった。

「ヘンデルに自分はひざまずく」といって、彼は方膝を床に曲げた。

「モーツァルトは」、と私は書いた。

彼はそれを受けて、

「モーツァルトはすぐれているし、すばらしい」。

「そうですね、モーツァルトは《メサイア》に伴奏の補いを加えたことによって、ヘンデルをさえも輝かしくすることができました」

と私は書いた。

「そうしなくても、あの作は生き長らえただろう」

、というのが彼の答えであった。(中略)

私はあえて、こう書いてみた。

「音楽では無双の芸術家だるあなた御自身が、ヘンデルの価値を、あらゆるものにもまして高く称揚しておいでとすれば、ヘンデルの主要作品の総譜ぐらいお持ちなんでしょうね」と。

「私がだって。この貧乏なやつが、どんな逆立ちをしてああいうものを手に入れたとでもおっしゃるのかな。そう、《メサイア》と《アレクサンダーの饗宴》の総譜は、ひととおり手がけはしたがね」。(フォーブス1971-74,下:1054)
http://www.ri.kunitachi.ac.jp/lvb/rep/matsumura02.pdf


149名無しの笛の踊り2019/11/07(木) 11:38:44.78ID:Dq2eYksv

アインシュタイン、ショパン、
チャイコフスキー、マーラー、
ドボルザーク、ハイドン、
ブラームスもベートーベンも、
モーツァルトがナンバーワンと答えていた。

つまり、モーツァルト判らん=ホンモノの音楽判らんと言える。

こいつらはモーツァルト判らんコンプレックスでスネてる、これが客観的判断なんだよなぁ!

まぁ、モーツァルトの事想い出す都度、自分がホンモノの音楽が未来永劫判らんと自覚して腸でも煮えくり返らせて、
音楽ではなく音憎を愉しんでくれや!

150名無しの笛の踊り2019/11/07(木) 11:40:52.98ID:XTHFK800

ベートーヴェンがバッハのマタイ受難曲やモンティヴェルディの『ポッペーアの戴冠』を聴いたら
ヘンデルより高く評価するだろうから

ベートーヴェンの自分より前の作曲家の評価は

バッハ >> モンティヴェルディ >> ヘンデル >> モーツァルト >> ハイドン >> グルック

になるよ

24. 中川隆[-11333] koaQ7Jey 2019年11月07日 11:50:07 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1565] 報告

作曲家論
https://classic.wiki.fc2.com/wiki/%E4%BD%9C%E6%9B%B2%E5%AE%B6%E8%AB%96

•はじめに
•ベートーヴェン論
•モーツァルト論
•ハイドン論
•ショパン論
•ブラームス論
◦ベートーヴェンとの比較
◦ブラームスの協奏曲について
•バッハ論
◦他のバロック作曲家より人気がある理由
•ブルックナー論
•マーラー論
•メンデルスゾーン論
•ラフマニノフ論
•ショスタコーヴィチ論


はじめに

一口メモばかり書いていたら、もう少し長い文章で語りたくなってきたため、このページを作成しました。


ベートーヴェン論

ベートーヴェンはクラシック音楽の金字塔となる大傑作を数多く作曲した。

彼によって生み出されたクラシック史上の最高峰となる作品群は、後年の多くの作曲家の目標になり、道しるべとなった。

作曲者の生涯の全作品を総合的に比較すると、後の作曲家は誰一人として太刀打ちできていないと思う。

他の作曲家と比較して、ベートーヴェンは何が違ったのだろうか?


まずは、彼にはずば抜けた才能に加えて、厳しい英才教育を施されたおかげで強固に固められた基礎があったことが挙げられる。

若いときの作品は地味で面白くないと感じるところがあるが、よく聞けば既に同時代のトップレベルであると思う。


そして、音楽と芸術に対する徹底的な妥協のない真摯さがあったからこそ、成熟してからさらに異次元の飛躍を遂げることができたのである。

飽くなき高い理想の追求をし続けることができたのは、彼の真摯さと空気を読まない性格の強さゆえだろう。


とはいえ、理想の高さの魅力以上に、ベートーヴェンの音楽は根底的な音の響きや使い方それ自体に尽きない魅力があり、それこそが重要であると私は考えている。

彼の音楽は、シンプルでいくら聴いても飽きない魅力的な要素を多くもっていて、それが強固な骨格と筋肉になっている。

だからこそ、何か画期的な世界を目指したて冒険をしたときにも土台が崩れず、聴いていて楽しめるような音楽としての魅力を保ち続けることができたのである。

•音楽の魅力

彼の音楽の魅力を簡潔に書くというのは無理難題だと思うが、あえて挙げてみよう。


まず、音楽的な品格の高さが重要な要素として挙げられる。

ベートーヴェンの音楽は高貴な精神を宿しており、純度の高い高潔さがある。


伸びやかに音を鳴らして音それ自体の生の魅力が活かされていることも特長である。

特に若い時の音楽は伸びがあり、聞いていて気持ちよくなる。

ベートーヴェンはシンプルな音形を使って、音そのものを高らかに響かせて存分に歌わせ、それにより素敵さを演出することに長けていた。


たとえば、「皇帝」協奏曲の1楽章の伸びの良さと品のよさはどうだろう。

ロマン派の音楽は、何かしらの気分を音楽に含ませており、「感情の支配下」にある。

それが音楽の表現の幅と、聞き手にとっての気分の幅を狭めている。

それと比較して、ベートーヴェンの音楽の音自体のシンプルさの中に魅力をこめて、聞く人を楽器が奏でる音それ自体に魅了させる。

とにかく、聞いている人の気分をよくさせることが得意である。


他にも手もちの芸風は多く持っており、例えば長調の曲でよく見せる竹を割ったようなすっきりとした割り切りの明快さの魅力もある。

胸が膨らむような広がりを持った壮大さもある。


一方で激情性もまた、ベートーヴェンの一面としてやはり重要である。

ベートーヴェンは冷静さを保ったまま、様々な種類の激情を表現し、それをコントロールしながら楽曲の構築を行うことが出来た。

後世のクラシック作曲家はベートーヴェンとしう先例を知っていながら激情を完全にコントロールして表現する音楽を作れなかった。

対抗馬となるのはショパンくらいだろうか。


晩年に至って、ずっしりと精神的な重みや手ごたえのある音楽を書けるように成長したことは、さらに驚異的なことである。

これは、ベートーヴェンの音楽がもともと持っていた親密性の魅力を発展的に肥大化させたものと考える。

中期の傑作の森では外面的な巨大な構築性を見せているが、もともとかなりパーソナルな精神をも表現できる人だった。


また、彼はエンターテイナーでもある。

音楽において、観客を楽しませて気持ちよくさせることに配慮が行き届いている。

盛り上がってほしい時にはちゃんと盛り上げる。聞き手の気持ちをちゃんと汲んで、演奏会というショーが成り立つように曲を書いている。

だから、非常に激情的だったと言われるベートーヴェンだが、決して独りよがりの人ではなかったのだろうなと想像させられる。

激情性すらも、彼の中ではエンターテイメントとしてうまくコントロールされている。


晩年の作品はその色が薄くなった。そのおかげで作り物っぽさが希薄になり、人間精神の中で一人一人の個人が心の奥の方で本当に大事に持っているパーソナル領域を生々しく表現できた。

その代償としてとっつきにくく、曲を理解できるまでに時間がかかるようになってしまったのだが。

•形式性


ベートーヴェンの音楽は古典派の形式性を保っていることも重要である。

ロマン派に入り、時代が下るほど崩れて迷走していった形式性は、ベートーヴェンにおいてはまだ十分に機能していた。

精神的な内面性の表現に音楽の比重が逆転してしまった時代においては存在しえない、音楽の構造性それ自体の価値が楽しさを持っている時代であった。

個別の曲が、自立した個別的に精神的内面とそれに適合する形式の両方を創造しなければならない時代になると、相対的に形式の力が弱まった。


創造性はえてして、まず形式に束縛されて表現の範囲に制約があり、その中での自由を追求する時代にもっとも発揮される。

表現の幅の制約は、創作性の妨げにはならないのである。

テレビゲームにおいてゲーム製作者は、ファミコン時代はまったく貧弱な表現力しか持たなかった。

しかし、その枠内でもプレーヤーを熱狂させる自由さがあり、充実感があった。

時代が下って表現力が高くなると、むしろ無茶な設定が出来なくなり、表現が目的になり、束縛物となってしまった。


また、現代の日本のポピュラー音楽は、Aメロ、Bメロ、サビというワンパターンの形式に枠内にすっぽり収まった曲が多い。

しかし、その制約の中で生み出されたメロディーや楽曲の表現力は、90年代にすばらしい黄金時代を築いた。

それと同じようなことが発生していたのが、ハイドンやモーツァルトからベートーヴェンの時代であると思う。


彼はいろいろな事が出来る器用さがあったが、それを実現する音楽のフォーマットとしての応用性の高さも才能の発揮を後押しした。

その自由度におぼれすぎず、一つひとつの曲を作りこんで、形式的にも技法的にも内面的にも完成度の高い際立った個性のある作品を作成した。

晩年は、やや自由度におぼれてしまい破綻しかけているが、その分の精神性の高みが魅力を高めている。


総合力は、さまざまな事を高いレベルで実施できることから生まれる。

出来ることの幅広さは、天才性の大きな要素である。

ベートーヴェンと比較してしまうと、後世の作曲家は全員、狭い範囲のことしか表現できなかった。

一部の能力では上回っていても、それ以上に多くの点で劣っていた。

だから総合的にはベートーヴェンに勝てなかったのである。


なお、ベートーヴェンの音楽の素晴らしさは、フルトヴェングラーの「音と言葉」に素晴らしい文章で詳細に語られている。

さすがベートーヴェンを振らせたらナンバーワンなだけある。きわめて説得力があり、深いレベルで納得感の高い説明である。

モーツァルト論

神がかり的なバランス感覚、天真爛漫さ、悪魔的な魅力、メロディーメーカーとしての才能、ロマンチックさなど、天才的な愛される要素を多くもっていた、古今のクラック音楽家の中でもっとも素晴らしい作曲家の一人。

オペラのように自由に楽器を活躍させて、歌わせる事にも長けていた。


現代楽器との相性がよいのも、現代における人気の源泉のひとつだと思う。


モーツァルトの得意分野はオペラと協奏曲とよく言われる。

18世紀後半のオペラと協奏曲で現代でもメジャーなレパートリーになっているのはモーツァルトの作品だけである。

ハイドンとの差がもっとも大きな分野といってもよい。

結局、ベートーヴェンが1800年以降に主要な曲を書き、一方でバロックの大作曲家達は1750年ごろまでに主要な曲を書いている。

ある意味で1750年〜1800年は谷間の世代である。

ただし、モーツァルトとハイドンという大巨匠がいるために、音楽的遺産は決してものたりないものではないのだが。


モーツァルトは多くの音楽をよく勉強し、自分の音楽の中に取り込んでいた。


モーツァルトは形式的な厳格さ、単純な和声という古典派時代における制約の厳しさをむしろ逆用し、シンプルな中であるからこその豊かさを実現した。


形式的な整備の完璧さ、バランスの良さと外面的な手持ちの表現手段の豊富さ故に、モーツァルトは最も芸術的に純度の高い結晶として、深い段階に到達した作品を書いた作曲家といえる。

音楽に限らず、相対的な評価は、同じような高いレベル同士で比較するからこそ可能である。モーツァルトは基礎的なレベルが高く、その中でさらに厳選されたさらに高いレベルに到達する音楽を作り上げることが出来た。


モーツァルトの軽やかさと気軽さは、モーツァルトの人気の高さの大きなウェイトを占めている。

モーツァルトの音楽は、本当に聴きやすい。

次の世紀に入ると気軽さが薄れて芸術音楽としての側面が強くなっていく。

バランスにおける絶妙な天才性があるため、軽さだけで終わっていない。これてあわせて軽さが成り立っているところはある。


モーツァルトの音楽におけるフットワークの軽さと、人間の生理的感覚との一体感は、非常に優れた面のひとつである。

息継ぎするように一瞬の休憩を入れたり、気分転換したり。ちょっと急いでみたり、立ち止まってみたりというような当意即妙な身体感覚と適合する音楽は、楽しさの大きな理由となっている。

一方で、ロマンチックさや芸術性ももっている。彼の音楽は同時代の多くの音楽と比較して複雑であり、次の時代に近いものがある。

ハイドン論

ハイドンの曲は非常に沢山ある。

いくら現役が長かったからとはいえ、この曲数を書いたのであるから、サクサクと新曲を量産していたわけである。

それにも関わらず、明白な駄作や手抜きが少ないのはすごい。


簡単には聞き終わることが出来ない大量の作品はさながら宝の山のようである。順番に聴いていくと、次の曲を聴くたびに新しい魅力に出会えること、曲に仕込まれた機知に富んだ仕掛けを楽しめること、これがハイドンを聞く楽しみの中の最大の点だと思っている。


単独の曲を、腰を据えて何度何度も繰り返し聞き込むための曲としては、同時代においてもモーツァルトに劣る。

ハイドンは、歌うような忘れがたいメロディーを曲の中心にもってきておらず、機知とか雰囲気的な温かみが主な魅力であるため、中毒のように同じ曲を聞き込み口ずさむようなことにはあまりならない。


しかし、沢山の曲を順番に聴くような聴き方をする場合においてハイドンはモーツァルトに負けない。

CDというフォーマットによりマーラーやブルックナーのよう長い曲を中断なしで聴けるようにしてくれた点で時代にマッチした。

ハイドンは現代のMP3プレーヤーのように超大量の音楽を好きなだけ聴けるデバイスに向いており、まさに今の時代に新しい真価を見せるようになった作曲家と思っている。


ハイドンの作品の中では、やはり交響曲が入門として最適である。管弦楽であるから華やかであり、分かりやすく聴きやすい。

聴き手を意識した華やかな曲が多い。特にザロモン交響曲はエンターテイメント性が高い。爽快で心地よくて、気持ちよく聞ける。


しかし、心の宝物になりそうな感動的な名品が数多くあるという点で、弦楽四重奏曲こそがもっとも驚異的な作品群であるだろう。

交響曲作曲家としてのハイドンと弦楽四重奏曲作家としてのハイドンは全く別の作曲家であると言っても過言ではないと思う。

私は弦楽器のみの室内楽は何重が最適であるかが作曲家によって異なると考えているが、ハイドンの場合は四重奏にピッタリはまっている。

簡潔でキレが良いハイドンの音楽は、音が厚すぎない方が良いのである。

バランスが完璧であるし、さばさばとして、はっきり言い切る音楽性も相性が抜群である。特に晩年は、練達の驚異的な作曲技術の高さをじかに感じることが出来る。

弦楽四重奏曲は一つ一つの作品のクオリティーの高さが抜群に高く、心の宝物になりうるような素敵さを備えているうえに、そのような作品が大量に書かれていている。

1曲書けただけでも凄いと思えるレベルの曲が数10曲もあるのだから、畏敬の念を感じる。

(このWikiでは、あまり高い点ばかり付けるのもいかがなものか、と考えて点数を控え目にし過ぎてしまったと反省している。いつか時間が出来たら一通り聴きなおして点数を上げるつもりである)

そして、作品を追うごとに品質が少しずつ確実に上がっていくのである。数十年かけて書いた作品群がだんだん品質が上がって最後のあたりが一番すばらしい作品になるとは、なんともすばらしい話である。


ショパン論

ショパンのピアノ作品における質と量の掛け算としての成果の巨大さは、他の作曲家を完全に圧倒している。

他の作曲家は傑作から駄作までいろいろだが、ショパンは初期の曲を除いてほぼすべてが素晴らしい傑作である。 


過大評価もしれないが、クラシックの全ピアノ曲の現代の音楽鑑賞のにおける価値の観点での質と量の掛け算をした場合に、ショパン一人の作品が、その中の1割以上を占めているのではと思われるほどである。

それだけの価値のある音楽を書いたということは、ピアノという楽器自体を演奏すること自体の魅力に対しても、何%かの影響を与えているかもしれない。


そのような圧倒的な成果を出せたのは、他の作曲家と比較してそもそもピアノ音楽作曲家としての才能があるうえに、その才能を浮気せずにほぼピアノのみに注ぎ込んだ結果であろう。

フルトヴェングラーがピアニストにはショパンが居るからうらやましい、というような意味のことを書いていた記憶があるが、まったくそのとおりである。


ショパンのピアノ作品は、一般的な楽曲としての素晴らしさと、ピアノ書法の素晴らしさの両方を兼ね備えている。

それらは、お互いに関連しており、一体となって高い価値のある結晶体としての作品に結実している。

ピアノの楽器の機構が出す音自体と、精神的な表現芸術である音楽の内容が一致しており、無駄がない。鳴らすべき音がそのまま表現と一体になっている。それが他の作曲家には欠けており、表現したいこととピアノという楽器が出す音に乖離があるのである。この点において、ショパンの音楽は完璧な理想系のひとつである。


天才的な書法の素晴らしさとともに、丹念な作り込みを音楽的にも、ピアノの響きをつくり上げる点でも実によく磨きをかけているのが素晴らしい。

細かなニュアンスを繊細に織り交ぜており、一つ一つの音に高い価値が与えられている。


ただし、ショパンの音楽は病的な陰鬱さの深い影を常に帯びている音楽である。

それが、曲にはずれがない理由のひとつになっている。

生々しいマズルカは、大変根暗な音楽となっている。これがショパンの本質なのであろう。

外面的な聴き手を重視した曲や、形式的な作りこみをした曲ではある程度隠されているが。

このため、健康的な精神に基づく古典派の巨匠の音楽には、総合的に見て芸術的な普遍的な文化遺産としての価値がどうしても一歩及ばなかった感はある。

これはショパンの音楽の構造的な限界になっている。


ブラームス論

ジャンルとしてはオペラを除く多くの分野で傑作を残しているのは確かである。

ロマン派を代表する大作曲家であることも異論はない。

しかしながら、ドイツ3Bの一人に挙げられていること、演奏頻度が非常に高いことのせいで、どうしても過大評価の作曲家という印象を持ってしまっている。


ドイツ3Bの一人というのは、ブラームスに対する誉め言葉であるという以上に真剣にとらえない方がよいと思っている。

バッハやベートーヴェンと比較してしまうと、さすがにブラームスがワンランク落ちるのは否めないだろう。

しかし、生涯の創作活動において何度か到達した頂点の頂の高さにおいては、ブラームスも2人とかなり近いレベルにある。

その点では、ドイツ3Bというのも伊達ではない。


チャイコフスキー、ドヴォルザークとともに、後期ロマン派の中では音楽的なバランスを保って総合性を発揮し、ほとんどのジャンルで傑作を残した代表的な作曲家の一人ではある。


過大と感じる最大の理由は、彼の創造した音楽の、芸としての範囲の狭さである。

厚ぼったい音空間がずっと継続する中で、ターーラララのような手癖フレーズを連発するつなぎ部分を織り交ぜながら、強奏の爆発と沈静を繰り返すような基本的枠組みをベースに、ひとつの作品をまとめられたような作品が多い。

はっきり言いたいことを言えずに、自分の感情を十分に表現しないまま、ふさぎこんでしまっているような印象をも持ってしまう。


そのような多くの作品は、そこそこの長さの多楽章の曲であるにも関わらず、期待値を上回ることなく、予想範囲をはみ出すことなく、終わってしまう。

テクニックを駆使して細かい部分の複雑度を上げているので、どの作品もある程度の水準には達しているが、それだけである。


格別の思い入れをもってロマンチックな感情や多くのアイデア注ぎ込んでを完成度を高めた曲に関しては、大変素晴らしい出来である。


ベートーヴェンとの比較

ブラームスと、彼が尊敬し模範としたベートーヴェンを器楽曲で比較してみる。


交響曲  ベートーヴェン>ブラームス

協奏曲  ベートーヴェン<ブラームス

室内楽  ベートーヴェン>ブラームス

ピアノ曲 ベートーヴェン>>ブラームス

•交響曲

交響曲に関しては、ベートーヴェンの5番、6番、9番はあまりにも究極的に優れていて、ブラームスは太刀打ちできていないと個人的には考えている。

その3曲を除いたベートーヴェンの3番、7番とブラームスの1番、4番を比較するなら、これはブラームス優位。

さらに、ベートーヴェンの4番、8番とブラームスの2番、3番の比較なら、いい勝負だと思う。

しかしベートーヴェンは2番も魅力的だ。

•協奏曲

協奏曲に関しては、ブラームスのピアノ協奏曲1番、2番、ヴァイオリン協奏曲の方が、ベートーヴェンのピアノ協奏曲1番〜5番曲、ヴァイオリン協奏曲よりも優れていると思う。

ベートーヴェンのピアノ協奏曲5番とブラームスのヴァインリン協奏曲の魅力はそれぞれの構成で古今の協奏曲でも屈指のすばらしさ。

それ以外で比較した場合にブラームスは2曲はどちらも力の入った力作揃いで素晴らしい。ベートーヴェンはそのレベルではない。

ブラームスのダブルコンチェルトとベートーヴェンのトリプルコンチェルトの比較も、ブラームスが上だろう。

こうして比較しても分かるが、ブラームスはロマン派でもおそらく最大の協奏曲作曲家である。

一方でベートーヴェンは他の分野と比較して協奏曲は弱いと思う。

•室内楽

室内楽に関しては、ヴァイオリンソナタやチェロソナタは両者いい勝負だと思うが、ベートーヴェンのほうがやはり魅力がやや上か。3重奏曲以上で見るとブラームスもクラリネット五重奏曲は大変優れているし、弦楽六重奏曲などいい曲はいくつかあるが、ベートーヴェンの大公トリオと弦楽四重奏の傑作の量や孤高の世界と比較すると、やはり分が悪い。

•ピアノ曲

ピアノ曲に関して、ブラームスも決して悪い作曲家ではないが、創作活動の中の大きな割合はないので、名作を多く残しているベートーヴェンとは比較にならないだろう。


ブラームスの協奏曲について

ブラームスの協奏曲は、形式的な自由さ、楽曲の外面的な華やかさ、ロマンチックな感情表現の容易さと気兼ねなくたっぷりと感情表現できる気楽さ、オーケストレーションの問題点の隠蔽など、ブラームスの不得意な範囲を補うことが出来ていた。

それでありながらどの作品も、交響的な充実感と重厚さを持ち、個人的な強い思い入れを感じされた大作となっている。

このため、交響曲以上に充実しているといっても過言ではないロマン派を代表する作品群となっている。


バッハ論

バッハは非常に人気がある作曲家である。

多くの作曲家の曲が発掘された現在は、昔ほどバロック時代の中で人気の差はなくなってきていると思うが、それでも今でもずば抜けて人気がある。


その理由は挙げてみると多くある。

音楽に父性と豊饒さと複雑さと温かみがあること、音感が優れていること、メロディーに分かりやすく耳を捉えるキャッチーさがあること、雰囲気がバラエティーに富んでいること、器楽曲が多いこと、古今のさまざまな音楽を取り込んでおりバラエティ豊かであること、出来が良い曲においてみせる完成度の高さと凄み、このあたりであろう。


一方でルネッサンスからバロックの大きな流れがバッハのにおいて集大成として最高峰の音楽として結実した、バッハを聞けば全てが分かる、のような評価は過大評価であろう。

バッハがバロック作曲家の中でも非常な芸術的高みに長い時間と努力の末に到達したのは確かである。

しかし、バッハが集大成だというような評価に基づく音楽の聴き方は、バロック時代の多様性をスポイルしてしまう。


例えば、今後ロック、ソウル、ポップス、ヒップホップ、ヘヴィーメタルの要素を持つ素晴らしいアーチストが仮に現れたとする。それが20世紀半ばからのロック・ポップスの流れ全てを総合したような偉大な音楽家であり、その音楽家を聞けばすべてが分かるなどということがあり得るだろうか。20世紀の音楽は、たとえどんなに偉大な音楽家であっても、一人ですべてを代表できるようなことはあり得ないというのは誰もが納得だろう。


ごく普通の仕事のためにさらっと書いたような大量の曲もある。

まあ、全曲が最高という作曲家はいないのはバッハも同様であり、それらの曲は同じバッハであるだけにとっつきやすいのだが、魅力はそれほどたいしたことがないと思う。

出来れば、それらを聴く時間を省略して、他の多くの多彩なバロック作曲家の曲を聴いたほうがよいと思う。


他のバロック作曲家より人気がある理由

バッハが他のバロック時代の作曲家と比較して人気がある理由は複合的である。もう少し詳しく書いてみる。

•音楽が複雑である


バロック時代の通奏低音による音楽は、現代からみて単純すぎるものが多く、飽きたり物足りなかったりする。しかしバッハは当時としては極めて複雑な音楽であり、また現在でも有効な複雑さであるために、飽きずに聴ける。

•音楽性自体に分かりやすい特徴がある。(例えば、豊饒さ、温かみ、父性など)


音楽自体の明確な個性の魅力があり、一般的な鑑賞者に訴求するものがある。

例えばヴィヴァルディの活力やヘンデルのようなキラキラとした輝かしさのように、個性は人それぞれであるが、バッハの魅力は単純に「いいなあ」と大抵の人に思わせるものがある。

•曲に明確な個性を持たせている


個別の曲に対して、それぞれに明確な個性を意図的に与えており、順番に聴く場合に刺激が多い。バロックの作曲家にありがちな、同工異曲で似たような曲ばかりの、曲に強い個性を与える意思を感じない作曲家よりも、鑑賞していて楽しい。

•メロディーに分かりやすく耳を捉えるキャッチーさがある


曲の個性と同様であるが、バッハの音楽は、分かりやすく印象に残りやすいメロディーを配置した曲が多い。

美メロディーを量産するようなタイプではないのだが、他のバロックの音楽家と比較して、聴き手の印象に残るようなインパクトのあるメロディーを選択する傾向がある。まるで現代のヒットメーカーのようだ。

•雰囲気がバラエティーに富んでいること


これも、現代のヒットメーカーのようだ。

他のバロックの音楽家と比較して、様々な雰囲気を作り出す。そのため、いろいろ聴いた時に飽きないのである。

いい曲ではあるが同じような曲ばかりという多くの作曲家よりも、現代においては価値が高いのである。

•器楽曲が多いこと


バロック音楽は声楽が重要であるが、声楽は歌詞が分からないことと、現代のポピュラー音楽がライバルになるために一般性を持ちにくいところがある。

ヘンデルはバロックを代表する素晴らしい作曲家だが、声楽が中心であるために人気の点で不利になっている。

その点、声楽の教会音楽が一番重要であるものの、器楽曲でも重要作を多く書いたバッハは有利である。

•古今のさまざまな音楽を取り込んでおりバラエティ豊かであること


同じような形式の音楽ばかり聴いていては、同じ作曲家ばかり聞いているとしまいには飽きてしまう。

バッハは古今の音楽を取り込んだので、形式的に豊富で刺激が多い。

•出来が良い曲においてみせる完成度の高さと凄み


例えば無伴奏ヴァイオリンのためのシャコンヌなどが挙げられる。

通常作品とは隔絶した世界遺産級の文化遺産となる完成度の高さをもった作品だと思うのだが、バッハの時代は、まだ完成度の極めて高い作品を作ろうという発想自体がほとんど無かったと思う。

明らかに本人が意識して特別に高いレベルの作品を作成しようとしたのは、文献が残っていなくても作品自体を見れば明らかだ。

そして、そのような作品を本当に作ることが出来たことが、多くの音楽家から特別な尊敬を受けることとなった。

•音感が優れていること


優れた作曲家はそれなりに音感が優れているものだが、最も優れた人が必ずしも最も優れた作曲家になるわけではない。

バッハは、そこに音が欲しいという箇所に確実に音を配置したり、単純な中にちょうどよい複雑さや刺激を配置できるような、優れた音感を持っていた。

それが、普通の鑑賞者にも音楽的に優れているとなんとなく感じさせるものになっている。


ブルックナー論

ブルックナーの音楽は、精神的に禁欲的でありながら、一方で楽しみ方としては快楽主義的な音楽であり、その点で矛盾を内包している音楽である考えている。


ブルックナーの音楽は直接的な肌感覚や華やかさや直接的な感動に欠ける音楽である。まったく女性に受けそうにない。


しかしながら、若い時に書かれた曲を聴くと、晩年の作品ほど地味で超然とした世界ではなく、もっとずっと人間的である。

確かに考えみれば、あまりに特殊な音楽感覚しか持っていなかったら、オルガニストとして高名になることは出来なかったであろう。

直接的な感覚的刺激にあふれたワーグナーの楽劇の熱烈な信者であったわけだから、音楽鑑賞者としては超然としたものを極端に好むわけではなかったと推測できる。


やはり、長年の積み重ねの中で特異な方向性をガラパゴス的に伸ばしていき、個別的な特殊進化をしたことでたどり着いた音楽世界なのだろう。


ブルックナーの音楽は、豊富で繊細な色とりどりのニュアンスを聞かせる音楽ではないため、一見するとシンプルで素朴な音楽に聞こえる場合が多い。

しかし、実は内部的にはかなり複雑な和声の動きを見せている。


後期ロマン派らしい、落ち着かない複雑な転調が、漂う霧のようなあいまいな雰囲気を作っているともいえる。

逆に霧の深さが転調の複雑さを見えにくくしている面もあると思う。

ブルックナーの音楽は、細かいことを気にしないおおらかさで聴くものであるため、内部構造の複雑さに着目する必要はないのである。


ブルックナーの音楽は、超越的で宇宙的な感覚によるものである。

なにより、ゆったりとして、人間的な肌感覚に訴えるものが希薄なフレーズを積み重ねて構成されている。

その最たる例が、ブルックナー・リズムによる5つの音の繰り返しである。

たいていの場合、繰り返される5つの音に精神に訴える明確な意味が感じられない。

次のメロディー演奏に向かうためのつなぎである場合が多い。


しかし、同じ音形を執拗に積み重ねながら、次にどの方向に音楽が向かおうとしているかが重要なのである。

エネルギーを溜め込んで爆発に向かっているのか、エネルギーを吐き出して力を緩めているのかといったことである。


変容と積み重ねにより、通常の音楽の数倍に引き伸ばされて希薄化された時間間隔の中で音楽は書かれている。

大曲であることはその必然的帰結となっている。

ラフマニノフの音楽が感情の力学に基づいているとするなら、ブルックナーの音楽はエネルギーの蓄積や放出といった力学に基づいてかかれている。

その結果生み出される巨大エネルギーのダイナミクスこそが最大の魅力だ。

特に、圧倒的な大管弦楽のユニゾンや、ブルックナー休止は、かっこいい。

音形が優れたセンスであるとは限らないが、聞き手を激しく翻弄するには効果的なものである場合がほとんどだ。

長い時間をかけてエネルギーを溜め込み、圧倒的な迫力でもって爆発的に放出することである。


普通の作曲家がサッカーボールがポンポン動くような音楽とするなら、ブルックナーはボーリング玉のようである。

質量が大きいゆえに慣性が働くため、動き出すのに時間がかかるが、動き始めると強いエネルギーを保持し、何かにぶつかれば激しい衝突を起こすのである。


マーラー論

マーラーは確かに後期ロマン派屈指の交響曲作曲家である。そして、クラシック史上の大作曲家の一人である。

しかし、世の中の多くのマーラーファンが、マーラーのどこに強烈な魅力を感じて熱心なファンになっているのか、自分には掴みきれていないところがある。

ファンの書いている評論を読んでも、自分の心に十分に響いてこないのである。

それどころか、ファンが本当に心の奥深いところで共感しているようにすら、文章から感じ取れないのである。

そもそも、深い共感を得ることを求めること自体が、マーラーの聴き方として的外れなのかもしれない。


マーラーの交響曲には、お下品なところがある。

ヒステリックな高音の多用、金管の多用、激しさと静けさの強烈すぎでかつ突発的すぎる対比などである。

構築性の脱却によるカオスのような統制の無さも、その印象を強くしている。

ベートーヴェンやシューマンに感じられる音楽的品格には、マーラーはほとんど興味が無かったのだろうと思われる。


とはいえ、一方で特に緩徐楽章では、純化し昇華した精神の独特の高貴さが感じられる瞬間も多い。

したがってお下品なだけではないし、そのような多様性が魅力なのであろう。


どんちゃん騒ぎで騒々しく、底の浅さや無駄さが散見される。

統一感がなく、構成において突発的なものや、癇癪をおこしたかのような不安定さがある。

聞く側には、多様性を清濁併せ呑むような寛容さが必要であり、すべてを受け入れるのは相当な精神的な強靭さを要求されると思う。

マーラーファンは、どうやら強靭な精神を発揮しているわけではなく、多様性や多面性をそのまま楽しんでいるようだ。


マーラーの作品は、ほぼ交響曲と管弦楽伴奏の歌曲であるが、歌曲作曲家として、ロマン派を代表する作曲家である。

自分以外も多くの人が認めるところと思うが、トップレベルの作曲家ということに文句はない。

これは、旋律美の才能、独特の節回しが管弦楽伴奏にマッチしていること、管弦楽の表現の巧みさや表現の幅広さとの融合が理由である。

それに加えて、交響曲に見られるお下品さが、歌曲ではあまり発揮されないことがかなり重要である。

また冗長さもかなり少ない。

余計なものがなく、否定的要素が少ないからこそ、素直に才能あふれる音楽として楽しめる。


マーラーの音楽で面白いなといつも思うのは、時間感覚がそれまでの他の作曲家と違う点である。

音楽には永遠の世界に近いようなゆったりとした時間が流れている。

ときとして時間は止まりそうになることすらある。


音楽表現におけるマーラーの開拓精神は素晴らしい。

新しい音楽表現を追及し、それまでには存在していなかった新しい音楽を作り上げた功績自体は否定できない。

20世紀にも、その遺産はある程度受け継がれている。


交響曲のバラエティーの豊かさは、素晴らしい。新しいことにチャレンジし続けたマーラーは、初期と中期と後期ではそれぞれかなり違う作風となっている。また、個別の作品に与える個性も非常に強いものとなっている。

このため、初期の2番から4番には若干似た雰囲気はあるももの、基本的にすべての交響曲が別世界であることで、全曲聴くことのモチベーションや、語ることの多さにつながっている。


マーラーのメロディーメーカーとしての才能はかなりのものだ。特に、夢の中の世界のような童話的な世界においては他に類をみないような個性をもっている。


メンデルスゾーン論

天才的な神童としては歴代最高というのは自分も同感である。

モーツァルトも凄いのだが、10代前半にして既に一流作曲家といえる完成度に達していたのは、メンデルスゾーンだけである。


ロマン派の一理由作曲家としてはやや地味で軽く見られている感がある。

しかし、よく聞くとロマン派の作曲家の中でも正統派感は実は一番かもしれない。

少なくとも室内楽においてはブラームスよりも正統的と感じる。

音の絡ませ方、音感とセンスの良さと構成の品の良さやバランスの良さが、実に良い。

ブラームスは手癖をすぐに繰り出す。音の重厚さに逃げる。そういう欠点がない。

そして大半の分野で成功作を作った作曲家の一人でもある。


ただし、残念ながら交響曲が軽い内容であるのが痛い。ベートーヴェンのような渾身の交響曲を残さなかったのだから。

その辺りは、指揮者としての活動が中心だったためなのだろう。もったいないことだと思う。

協奏曲も、ヴァイオリン協奏曲の完成度はものすごいが、どっしりとした大作というよりも端正ながらも線の細い感じである。

彼の細身の体型を思い出してしまうような音楽である。


ラフマニノフ論

自分が生まれて初めて強く心を揺さぶられるような感動を体験したクラシック音楽は、ラフマニノフのピアノ協奏曲2番である。

したがって、今でも彼の音楽には自分の音楽鑑賞の原点という想いを持っている。


メランコリックなメロディーの魅力と、感情の力学という他に類を見ない独特の音楽構成において、彼の音楽は高い価値がある。

大衆迎合的ということで生前は高く評価されなかったラフマニノフであるが、完成度が傑出して高い作品もあるし、表現力の高さはやはり特筆するべきものがある。

同時代には古くさいとされたロマンティシズムを保ち続けて、時代を超えた本質的品質の高い音楽を作ったことは、特筆するべきことであろう。


しかし一方で、いかにも感覚が鈍く野暮であり、なんとなく作ったようなぼんやりとした雰囲気をだらだらと続けたりするなど、芸術を鑑賞する際に刺激してほしい感性を刺激しない、つまらない音楽である作品が多いことは、認めざるをえない事実だと思う。

したがって、生前に大衆的人気はあったが専門家からはあまり高く評価されなかったのは、当然であるといえよう。

自分はラフマニノフの音楽は基本的に好きだが、そのような欠点は目をつむって聴いているのは認める。その欠点がほとんど無いと言っていいのは、ピアノ協奏曲2番くらいのものだ。


とはいえ、ラフマニノフ独特の感情力学やメランコリーが、ラフマニノフにより発見され前人未踏で後継者もいないほどの孤高のレベルに到達したことの価値が、その欠点よりもはるかに重要である故に、現在においても高い人気と評価を得られていると考えられる。


もうひとつの重要点は、ピアノに楽器としてのスケールの大きさを最大限に生かす音楽を書いたことだ。

ピアノ協奏曲3番における、オーケストラと対峙し、極端な音数による圧倒的なピアノの潜在的な器の大きさ開拓したことは、特別な成果である。

ピアノはさまざまな面がある楽器である。作曲家によって使い方が大きく異なってくる楽器であり、多くの作曲家が新しい楽器の可能性を開拓してきた。

ラフマニノフの場合は、たとえば重音による鐘のような効果や、音数によるテクニカルな圧倒性による巨大さを開拓した。


この2点を追求しなければ、ラフマニノフの評論にはならないだろう。


ショスタコーヴィチ論

自分は、この人はやはり交響曲を高く評価できる人だと思う。

室内楽は、いい曲が少しあるが、メインとなる弦楽四重奏が交響曲と比較すると高く評価していない。


交響曲において、ショスタコーヴィチは社会性、大河性という新しいものを音楽に持ち込んだ。

20世紀の歴史書としての音楽という点では非常に高く評価したい。

20世紀の交響曲作曲家はいろいろいるが、テーマの分かりやすさ、深刻さと壮大さ、投入された精神力の強靭さの総体において、やはり最大の交響曲作曲家であろう。

歴史書的な音楽としての素晴らしさは見事だ。

ロシアが実践した共産主義社会という人類史的な実験の時代に生きたことや、狂気の独裁者スターリンによる悲劇と恐怖の時代に生きたことが、ものの見事に音楽化されている。

狂騒、錯乱や根暗さ、闇黒、悲劇、国家、群像を、これほどまでに表象している音楽というのは、ショスタコーヴィチ以前には思い当たらない。


ショスタコーヴィチの音楽は諧謔、皮肉、深刻さとユーモアなど、音楽の中に強烈な対比を内包している。構成上もそうだし、内容的に幅広い強烈さを対比させて、お互いを強調している。

その振幅の広さや、幅広さを表現できること自体が人気の秘密であろう。


しかし一方で、自分はショスタコーヴィチの音楽は機械的な書法が気になる。わざとらしく、印象を残そうとして作ったように聞こえてしまうオスティナートや、不自然なほどの鋭い対比などはその例である。

楽譜上の音の列を組み合わせただけであり、音楽におけるちょっとしたフレージングや、楽器が出す音以外のノイズや倍音、演奏しにくいことによるゆがみなどの、楽譜には現れない音楽演奏の生々しい音への配慮が感じられない時があるのも気になる。


最終更新:2017-02-23 01:17:09
https://classic.wiki.fc2.com/wiki/%E4%BD%9C%E6%9B%B2%E5%AE%B6%E8%AB%96

25. 中川隆[-11332] koaQ7Jey 2019年11月07日 12:08:53 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1566] 報告

2006年12月 5日
モーツアルトへの挑戦 ブラームスの辞書


現在に伝わる資料を読む限り、ブラームスのモーツアルトに対する姿勢には一貫性がある。交響曲第40番の自筆譜を所有していたり、ピアノ協奏曲のカデンツァを複数作曲していたりという作品への積極的なアプローチが見られる。モーツアルトのあるアンダンテ楽章を評して「あれが自分に書けたら、自作のガラクタを全部くれてやる」と言ったとも伝えられている。有名なところでは、「モーツアルトのように美しく書けないならば、確かに書くことを目指すべきだ」という趣旨の発言もあった。

尊敬と言うよりも畏怖に近い感情を持っていたのではないかと思われる。

半ば畏れていたモーツアルトに対してブラームスは、創作人生の最後で真っ向から対峙する道を選ぶ。クラリネットの名手リヒャルト・ミュールフェルトとの出会いによって一連のクラリネット入り室内楽を生み出すことになった。その最初のものは作品114イ短調の三重奏曲だ。ブラームスがそう欲しさえすればこの次にクラリネットソナタを作曲してお茶を濁すことも出来たはずなのだが、ブラームスはクラリネット五重奏曲を世に問うのだ。

クラリネットに弦楽四重奏を加えた編成のクラリネット五重奏曲には、まばゆいばかりの先例がある。モーツアルトその人の作曲によるイ長調ケッヘル581だ。もちろんブラームスはその先例の存在を認識していたに決まっている。そして自分がクラリネット五重奏曲を発表すれば、人々はいやでもモーツアルトのクラリネット五重奏曲と比較することを知ってたはずだ。

それでも敢えて作曲に踏み切ったブラームスの決意が爽やかだ。

今までにかすかにモーツアルトへの思いを感じさせる瞬間はあった。交響曲の調性がジュピター主題になっていることがその代表だ。ピアノ四重奏曲第1番がト短調なのは、モーツアルトの同種曲を意識していたかもしれない。けれどもこれらはあくまでも推測だ。今度は違う。ブラームスの脳裏にモーツアルトがあったことは否定出来まい。

そしてそのことは、ブラームスがフィナーレにモーツアルト同様変奏曲を持ってきたことで確信が深まる。あくまでもモーツアルトと同じ土俵に上がるという意思表示だとも思える。イ短調に転ずる変奏はモーツアルトがヴィオラに与えた最高の出番だが、ブラームスではチェロにすり替えられて33小節目に投影されている。

どちらかの五重奏曲に軍配を上げるのは本稿の目的ではない。生涯を通じて畏怖尊敬してきたモーツアルトに最後の最後で挑戦して見せたブラームスの心意気を思いやってモーツアルトの命日に花を添えたい。モーツアルト本人が預かり知らぬ記念イヤーの喧噪もまもなく終わる。
http://brahmsop123.air-nifty.com/sonata/2006/12/post_b4ee.html

26. 中川隆[-11331] koaQ7Jey 2019年11月07日 12:18:01 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1567] 報告

153名無しの笛の踊り2019/11/07(木) 11:58:31.61ID:XTHFK800>>154

結論
モーツァルトは音楽がわからない子供が聴いてればいいんだよ

154名無しの笛の踊り2019/11/07(木) 12:05:10.20ID:Dq2eYksv
>>153

> 結論
>
> モーツァルトは音楽がわからない子供が聴いてればいいんだよ


これから、匿名掲示板以外でも、
最初にモーツァルト否定してから音楽批評してみろよ!
だーれも!
モーツァルト判らん奴の音楽の話!批評!演奏!歌唱に興味無からな!

モーツァルト判らんって哀し過ぎだな!
お前をモーツァルト判らん様に産んだ母
を怨め!

155名無しの笛の踊り2019/11/07(木) 12:16:27.99ID:XTHFK800

クラリネット五重奏曲は誰が聴いても

ブラームス >> モーツァルト だよ。

ブラームスも自分の方が上だと思っていたから わざわざ同じ土俵で勝負したんだよ:

brahms Clarinet Quintet, Wlach & Vienna Konzerthaus Quartet (1952) ブラームス クラリネット五重奏曲 ウラッハ - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=5rKJCFg3yn4


mozart Clarinet Quintet, Wlach & Vienna KonzerthausQ (1951) モーツァルト クラリネット五重奏曲 ウラッハ - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=cy7iN6qUFwQ

27. 中川隆[-11330] koaQ7Jey 2019年11月07日 12:26:07 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1568] 報告

156名無しの笛の踊り2019/11/07(木) 12:22:56.04ID:XTHFK800

レクイエムは誰が聴いても

ブラームス >> モーツァルト だよ。

ブラームスも自分の方が上だと思っていたから わざわざ同じ土俵で勝負したんだよ:


brahms A German Requiem, Walter & NYP (1954) ブラームス ドイツ・レクイエム ワルター - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=3FT_d4_XFGA


Mozart-Sussmayr Requiem, Walter & NYP (1956) モーツァルト レクイエム ワルター - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=y_VaT3Ox0-Y

28. 中川隆[-11329] koaQ7Jey 2019年11月07日 12:43:20 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1569] 報告
158名無しの笛の踊り2019/11/07(木) 12:42:02.11ID:XTHFK800

交響曲は誰が聴いても

ブラームス >> モーツァルト だよ。

ブラームスも自分の方が上だと思っていたから わざわざ同じ土俵で勝負したんだよ

Brahms - Symphony n°2 - New York - Walter - YouTubee
https://www.youtube.com/watch?v=rwrDbIpb4QU

Brahms - Symphony n°3 - New York - Walter - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=AmHNq8pwWC8


Mozart - Symphony n°39 - NYP - Walter - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=K5iU1GE2p8U

Mozart - Symphony n°41 - NYP - Walter - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=sYrPP1TNe-Q

29. 中川隆[-11328] koaQ7Jey 2019年11月07日 13:23:09 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1570] 報告

弦楽五重奏曲は誰が聴いても

ブラームス >> モーツァルト だよ。

ブラームスも自分の方が上だと思っていたから わざわざ同じ土俵で勝負したんだよ


Brahms Quintet No. 2 In G Major Budapest String Quartet (1958) LP - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=KfwEjPcmutA

mozart String Quintet in G Minor, K.516 - 1. Allegro - YouTube
Takács Quartet · Gyorgy Pauk
https://www.youtube.com/watch?v=aB_L9NS5G3o


30. 中川隆[-11327] koaQ7Jey 2019年11月07日 13:24:40 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1571] 報告

交響曲は誰が聴いても

ブラームス >> モーツァルト だよ。

ブラームスも自分の方が上だと思っていたから わざわざ同じ土俵で勝負したんだよ

ブラームス 交響曲 第4番 ホ短調 作品98 ワルター-コロンビア響 Brahms Symphony No. 4 - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=MW-YqiKcnfo

Mozart - Symphony n°40 - Vienna - Walter 1956 - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=YQ5tphtHAW8

31. 中川隆[-11328] koaQ7Jey 2019年11月08日 03:52:54 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1570] 報告

オーケストラ曲は誰が聴いても

ブラームス >> モーツァルト だよ。


Brahms - Hungarian Dances n°17, n°1, n°3 & n°10 - New York - Walter - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=otpoMv9tgS4

brahms Alto Rhapsody, Miller & Walter (1961) - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=179or2CG91M

Brahms='Tragic' Overture=Bruno Walter '53 in 'New Estereo' - YouTube
Walter, The New York Philharmonic
https://www.youtube.com/watch?v=HZo4__WUjtI

Brahms - Haydn Variations (Walter - Columbia SO) - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=UNw4hni9vNw

EINE KLEINE NACHTMUSIK (MOZART)
B.WALTER,VIENNA PHILHARMONIC - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=3IaBdcsg5Q0


モーツァルト フリーメイソンのための葬送音楽 K.477
ブルーノ・ワルター コロンビア交響楽団 1961年3月8日
https://www.nicovideo.jp/watch/sm19301520?ref=search_tag_video&playlist=eyJpZCI6InZpZGVvX3dhdGNoX3BsYXlsaXN0X3NlYXJjaCIsInNlYXJjaFF1ZXJ5Ijp7InR5cGUiOiJ0YWciLCJxdWVyeSI6IuODluODq-ODvOODjuODu-ODr-ODq-OCv-ODvCIsInBhZ2UiOjEsInBlclBhZ2UiOjMyLCJzb3J0IjoiK2gifX0&ss_pos=4&ss_id=e1e2a9c3-d000-4425-8062-b778d7c35698

ブルーノ・ワルター指揮ウィーンフィル
モーツアルト「3つのドイツ舞曲」「皇帝ティトゥスの慈悲序曲」
https://www.youtube.com/watch?v=0XOQoOAA7Zo

32. 中川隆[-11327] koaQ7Jey 2019年11月08日 04:26:34 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1571] 報告

162名無しの笛の踊り2019/11/08(金) 00:06:39.57ID:nGjAuck/>>166

女性が聴いて性的に興奮するブラームスの名曲と言えば?


166名無しの笛の踊り2019/11/08(金) 01:22:05.35ID:ChJpgzW2
>>162
ピアノ協奏曲1番の二楽章かな

ともかくフロイト的な見方をすると
室内楽やらピアノ小品なんかあちこちで見え隠れするけど、
例によって晦渋さで塗り込められてるとこが多いので
宇野コーホー氏は、そういう女々しさを嫌ったのでしょう

グリモーのやつなんか最高にエロチックだわな
ちょっとキモい


Hélène Grimaud Plays Brahms Piano Concerto No.1 Maestoso - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=jctfNq9rKI8

Staatskapelle Berlin Orchestra
Kurt Sanderling(Conductor)


Hélène Grimaud – Brahms Piano Concerto No.1 & 2 - Wiener Philharmoniker (Trailer) - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=0sfG_l5Npcg

33. 中川隆[-11326] koaQ7Jey 2019年11月08日 04:56:25 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1572] 報告

グリモーは美人ですね


Hélène Grimaud Plays Brahms Three Intermezzo Op. 117 - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=oyFYDwxUmIA

1.Andante Moderato (00:00)
2.Andante non Troppo (04:33)
3.Andante con Moto (08:58)


6 Klavierstucke, Op. 118 - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=DuUj1u5wjfY
https://www.youtube.com/watch?v=H8aCBuGt9Ug
https://www.youtube.com/watch?v=ASG0A7KAS4M
https://www.youtube.com/watch?v=4OnCP9jjI6Y
https://www.youtube.com/watch?v=6fKdrC6Tw1Y
https://www.youtube.com/watch?v=H4rwU0Vmy4g


Hélène Grimaud Plays Brahms Four Pieces Op. 119 - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=gT496p0C7NM

1. Intermezzo-Adagio (00:00)
2. Intermezzo- Anadantino un poco agitato (02:44)
3. Intermezzo- Grazioso e giocoso (07:31)
4. Rhapsodie- Allegretto risoluto (09:21)


Helene Grimaud Brahms Piano Sonata No 3 Op 5 - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=n4GnS9cjulg


34. 中川隆[-11325] koaQ7Jey 2019年11月08日 05:00:49 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1573] 報告

フランス女性もブラームスが大好きなんですね


Brahms Piano Sonata No.2 op.2 - YouTube
Hélène Grimaud, piano
https://www.youtube.com/watch?v=gcZ3pzGdm7A


brahms 16 Waltzes, Op.39 - 15. In A-Flat Major (Live) - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=UP6oS-9qLp4

Brahms: 16 Waltzes, Op.39 - 15. In A-Flat Major (Live) · Hélène Grimaud

35. 中川隆[-11324] koaQ7Jey 2019年11月08日 05:27:50 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1574] 報告

美人は得なんだ

36. 中川隆[-11323] koaQ7Jey 2019年11月08日 05:33:23 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1575] 報告

美人は得なんだ


















37. 中川隆[-11322] koaQ7Jey 2019年11月08日 05:36:25 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1576] 報告

美人は得なんだ

















38. 中川隆[-11321] koaQ7Jey 2019年11月08日 05:42:27 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1577] 報告

美人は得なんだ














39. 中川隆[-11319] koaQ7Jey 2019年11月08日 09:26:10 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1579] 報告

エレーヌ・グリモーは共感覚者

共感覚(きょうかんかく、シナスタジア、synesthesia, synæsthesia)は、ある刺激に対して通常の感覚だけでなく異なる種類の感覚をも生じさせる一部の人にみられる特殊な知覚現象をいう。

例えば、共感覚を持つ人には文字に色を感じたり、音に色を感じたり、形に味を感じたりする。 英語名 synesthesia は、ギリシア語で共同を意味する接頭辞 syn- と感覚を意味する aesthesis から名づけられた。感性間知覚。


音に色が見える共感覚

色聴と呼ばれ、日本にも専門の研究者が存在する。


共感覚者であると確証される現在の海外の人物

共感覚者であることを第三者が確証できるほどの極めて具体的な自らの共感覚の例を掲げた著作・芸術作品などの活動が確認できるほか、大学などの研究機関において被験者として検証実験を受けたり、研究者の著作・学術論文中にて引用・言及されており、共感覚者であると確証するに足る人物を挙げる。


エレーヌ・グリモー (ピアニスト)

アメリカ公共放送PBSとのインタビューで本人が語っている。


Helene Grimaud interviewed by Alexis Bloom for Quick Hits







いつもCは黒、Bは青、Fは赤、リストの曲は金色がかった色調に感じる。


また、11歳の時にバッハの平均律クラヴィーア曲集Fシャープメイジャー(嬰ヘ長調)のプレリュードを弾いている時に明るい暖かな赤とオレンジの間の色調を感じた。

数字にも色を感じる。2は黄色、4は赤、5は緑。

曲によってはいつも特殊な色の世界を感じる。時によって調性に影響される。

Cマイナー(ハ短調)は黒、Dマイナー(ニ短調)は青。

ベートーヴェンのテンペストソナタは黒、合唱幻想曲は黒、緑、赤、黄色のらせんを感じる。

___


マイケル・トーキー(作曲家)

音階や母音などに色を感じ、その色を主題として題名に取り入れたバレエ音楽『グリーン』『エクスタティック・オレンジ』などを作曲した。インタビューの中で、ひとつの実験として始めたが、特定の趣を押し付け「観客が音楽を楽しめる幅を狭めてしまったのではないか」と心配もしたと述べている。


___


イツァーク・パールマン(ヴァイオリニスト)

パールマンは、G線でBフラットを弾くときは深緑色、E線でAを弾くときは赤を感じる。

____


フランツ・リスト(作曲家・ピアニスト・指揮者)

オーケストラを指揮したとき、「ここは紫に」など、音を色として表現した指示ばかり出し、団員たちが困惑したエピソードが有名[要出典]。


____


女性の高い声を「黄色い声」などと言うように、人類、あるいは特定の環境・文化において複数の種類の感覚を結びつける比喩的習慣が広く存在するが、共感覚はそのようなものと直接は関係しておらず、共感覚を持たない人には感じられない上述の数字に色を見るなどの感覚を、主観的な知覚現象 (クオリア) として生々しく感じている。

共感覚は五感のような基本的な感覚の種別に関してだけではなく、感情や単語や数などに関して起こることもある。 共感覚者の間での複合した知覚の関係に相関は認められていない。 例えば、ある人がある文字を青く感じたとしても、他の共感覚者が同様に感じる傾向があるとは限らない。

共感覚を手がかりに主観的な心の世界と客観的な脳との関係を深く探る手がかりとしようとする研究が継続的に行われている。

赤ちゃんにおいては視覚、聴覚、味覚、触覚、嗅覚等の異なる種類の感覚が未分化な知覚を生み出しており、通常その後の成長による感覚の発達にともなう脳の結合の変化によってこうした共感覚は失われていくとされる。この場合、成人して共感覚を保持している人は発達の過程で何らかの理由で脳の異なる部位への結合が保たれ、これらの複合した知覚もそのまま保たれているとする説もある。

共感覚の中でも、音楽や音を聞いて色を感じる知覚は「色聴」といわれる。

絶対音感を持つ人の中には、色聴の人がいる割合が高い。

また、色聴は共感覚の中で一番発生率が高いと報告されている。

色を感じる音にも様々なものがあり、音程、和音、単語、または音楽自体が聴こえることもある。 似たような感覚として「音視」というものもある。これは色に形や音が聴こえるという色聴とは反対の感覚である。


かつては共感覚で感じる知覚というのは共感覚者によって異なるとされてきたが、最近の研究では、多くの被験者を対象にした実験の場合、知覚にいくつかの共通点が見られることが分かった。

例えば、聞こえた音に色が付いて聞こえるサウンド・カラー共感覚(sound-color synesthesia:色聴)保有者の集団実験では、高い音ほど明るい色に見えるという傾向が見られたという。

また黒字の文字を見ても別の色に見えることがあるというグラフィーム・カラー共感覚(grapheme-color synesthesia:書記素色覚)保有者の集団実験では、やはりある文字には似たような色を感じる傾向があるということがわかった。

ところが、ある傾向が見られることは確かだが、あらゆる種類の共感覚があり、いずれの共感覚にしても個人によって誘因や症状の度合いは異なることも分かっている。この多様性のせいで、個人のもつ共感覚を定義するのは容易なことではないし、彼ら自身、自分の持っている感覚に名前が付いていないことに気付いていないことが多い。



色の付いていない文字なのに色が付いて見える人がいる。これを共感覚という。また、音声に色がついて見える人や、円周率の数列に美しさを感じる人もいる。
神経学者のリチャード・E. シトーウィックは、共感覚の診断のために用いる基準を以下のように決定した。


1.共感覚者のイメージは空間的な広がりをもち、はっきりと限定されたロケーション(位置)を特定できることが多い。 [訳註]共感覚者は空間的なイメージの中で、自分の位置している場所がはっきりと分かる。

2.共感覚は無意識的に起こる。

3.共感覚の知覚表象は一貫性がある。

4.共感覚はきわめて印象的である。

5.共感覚は感情と関係がある。


シトーウィックは、空間の広がりを見据えた実験を提言したが、最近の多くの研究はこれを正しくないとしている。例えば、共感覚者の中には文字の色や、単語の味が「わかる」のであり、実際に視覚器や味覚器で感じているわけではないのである。


共感覚者の多くは子供のころに他人とは異なる隠れた感覚に気づく。

そして彼らは自然とその感覚を日常生活に適用させていく。

また、共感覚で人の名前を覚えたり、電話番号を覚えたりすることに使うこともあれば、暗算に利用することもできる。しかし同時に、絵画・映画などの視覚的な作品や音楽を創造する上での困難になることさえある。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%85%B1%E6%84%9F%E8%A6%9A
40. 中川隆[-11318] koaQ7Jey 2019年11月08日 09:30:33 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1580] 報告

野生のしらべ – 2004/5/11 エレーヌ グリモー (著)
https://www.amazon.co.jp/%E9%87%8E%E7%94%9F%E3%81%AE%E3%81%97%E3%82%89%E3%81%B9-%E3%82%A8%E3%83%AC%E3%83%BC%E3%83%8C-%E3%82%B0%E3%83%AA%E3%83%A2%E3%83%BC/dp/4270000163


2007年06月28日 狼女=エレーヌ・グリモー


・性別: 女性。
・姓名: エレーヌ・グリモー Helene Grimaud。
・何人?: フランス人。
・何者?: クラシックのピアニスト。
・生年月日: 1969年11月7日生。
・備考: 美人ドキドキ


対称性の強迫


・子供の頃は奇行と奇癖の目立つ問題児。集団生活に馴染めず、いじめられっ子で友達もできなかった。


・幼少時からの対称性の強迫行為。勉強机の上で本の両側に同数の鉛筆が配され、本はノートから等距離に並べられなければならない。靴紐は両足とも同じようになるまで結んでは解いてを何時間も繰り返した(エレーヌ・グリモー『野生のしらべ』p.59)。


・コンサート・ピアニストになってからも強迫行為は暫く続いた。演奏旅行中に投宿したホテルの家具や備品を左右対称に並べ替えないと気が済まない。コンサート後は疲れているにもかかわらず、気を利かせたメイドが凝りに凝った強迫的ディスプレイを元に戻してしまったと確信して、恐れつつ電気も点けずに、ベッドルーム、バスルーム、洗面台と巡り、全てを並べ直して回った(同上。p.59-60)。


・しかし日本を演奏旅行中のある日、ホテルに帰り疲労の極致にあって猶、イルカのプリントされたセーターをその柄が上下左右対称になるよう物差し(!)を使って折り畳んでいた時に、発作的にセーターを窓から投げ捨て、以後強迫症状は止んだ(同上。p.60)。


・楽器の演奏やスポーツ等、完璧の追及が要求される営みには生得的な強迫的性格が必要、とエレーヌ・グリモーは主張する(同上。p.65)。


就眠の儀式


・眠る前にベッドの中で、教理問答で習った祈りを一定の規則で繰り返し声に出して唱える。そうして漸く眠りに就くことができた。言い間違えたり、発音やイントネーションが気に入らないと最初から唱え直し、満足するまで何時間でも続け、時には明け方に疲れ切って眠り込む、ということもあった(同上。p.51-52)。


・後、この儀式は音楽で役立つことになる。音楽学校の試験前夜、課題のシャルパンティエがどうにも退屈で憶える気が起こらず、諦めて床に就いたが、突然祈りの習慣が甦り、無意識的にスキャンされていたシャルパンティエの譜面を全て、かつて祈りを反復したようにリズムとアクセントに満足が行くまで飽くことなく繰り返してイメージ・トレーニングし、翌日試験ではその曲を完璧に弾きこなした(同上。p.52-53)。


自傷行為或いはエンドルフィン嗜癖(?)


・自傷行為が対称強迫の対象となる。6歳の時、母の故郷コルシカの海岸でかかとに傷を負い、麻酔無しで縫合の手術を受けたのだが、その最中に思わず笑みがこぼれるほどの至福感を体験する。たぶんエンドルフィン(*)が大量に分泌されたんだと思う。しかし心配する両親を尻目にめくるめく快感に浸っている自分に対して後ろめたさを感じてしまい、苦痛と涙を装ってことがこじれる。数分後に全ては忘却されたが、これを契機に全ての障害が始まった、とグリモー自身は記している(それが隠蔽記憶でなければね)(同上。p.40-44)。

(*)エンドルフィンについては ↓

「報酬系・ドーパミン・渇望:コルトレーン、ヘロインを断つ その16」
http://ameblo.jp/lm199781/entry-10017910374.html

「練習による依存の適正な代替:コルトレーン、ヘロインを断つ その28」 参照。
http://ameblo.jp/lm199781/entry-10025913975.html


・数年後、砂利道で偶然転んで膝に傷を負い、生を強く実感、エンドルフィン体験が甦る。自傷行為が勃発し、しまいには対称強迫と連動して右手に傷をつけると左手にも傷をつけないではいられなくなる。両手・両膝・両肘に絆創膏を貼った以前にも増して奇妙な子供とグリモーはなってしまう。(同上。p.57-59)。


[覚書: エンドルフィンは自傷行為が習慣化する理由の一つであるかもしれないが、事後的に(或いは発端として)生ずる自罰衝動はエンドルフィンでは説明できない? やはりエンドルフィンだけではタナトスを説明できない? そりゃそうか。]


・7歳の時、情操教育のため(まあ、問題児だったから)両親に音楽教室へ連れて行かれ、女性ピアノ教師が弾くシューマンを聴き、深く魅惑される。

自身の内奥から生ずる魔力、とグリモーは表現するが、それってやっぱエンドルフィンじゃないだろうか(音楽に感動するとエンドルフィンが出ます)。明らかに音楽はグリモーの性に合っていた。以後ピアノにのめり込み、自ら進んで練習する。両親はさらに偏った性格になるのではないかと心配するがもう遅い(*)。音楽という全く別種の刺激に触れて報酬系は新たに賦活され、グリモーを猛烈に駆り立てる。それかあらぬかパリ音楽院に入学した13歳の頃に自傷行為は自然に消えた(**)(強迫性プラス報酬系駆動、というのはコルトレーンの生涯を理解する上でもかなり参考になる)。


(*)この辺はグレン・グールドとちょっと似ている。手袋おやじも子供の頃はむちゃくちゃ練習大好きで、変人になることを危惧した両親から練習時間を日に4時間と制限されていた。そしてグールドもまたグリモー同様友達のできないいじめられっ子だった。しかし性格はちょっと(いやかなり)違う。グールドの場合は強迫じゃなくって分裂病質だとかアスペルガー症候群だとか言われたりしている。ミシェル・シュネデール『孤独のアリア』、宮澤淳一「グールドと精神医学」(KAWADE夢ムック文藝別冊『グレン・グールド』)参照。
(**)『野生のしらべ』p.64, p.59


・エンドルフィン仮説(ドーパミンでもいいけど)をさらに裏付けるのは、くたくたになるまで運動することを好んだ、というエピソード。延々と続く歩行や階段の駆け上り、バーベルや鉄アレイ、ランニング・マシーンを通じての肉体の酷使。この女、疲労を超越した快楽の味を占めているのが見え見えですぜ、ニセ医者の旦那(ちなみに歩行やジョギングといった反復運動はセロトニン神経を活性化する。セロトニンについては後で触れるかも)(同上。p.256-257)。


狼大好き


狼マニア。「狼女」たる由縁の症状。

アメリカ移住後、狼と運命的な出会いを経験、強く嵌り込む。

狼について大学で勉強し、果ては土地を買い込み放し飼いにして狼保護センターを設立するに至る。狼についての生物学的・博物学的な知識は『野生のしらべ』にも惜しみなく投入され、自伝的エピソードのカウンター・メロディを成す。気に入るととことん強迫的(いちず、とルビを振りたい)になるタイプみたいです。狼のために恋人も捨ててしまいました。
http://ameblo.jp/lm199781/entry-10038082588.html

▲△▽▼

アンニュイな魅力のエレーヌ・グリモー 
http://akira-nonaka.blog.so-net.ne.jp/2016-02-04

エレーヌ・グリモーというピアニストは、昔からCDをずっと聴いていて馴染みのあるピアニストではあった。

今年2月に久しぶりの新作を発表し、「ウォーター」というタイトルでDGから発売される。それに伴い、じつに5年振りの日本でのリサイタルも開いてくれるようで、楽しみ。

彼女の容貌や、その全体像から香りでるような、なんともいえないアンニュイなフンイキ......
(以下掲載する写真は、FBでの彼女の公式ページからお借りしております。)

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彼女の生い立ち、そして彼女の人となり、人生観・価値観みたいなものが、いわゆる普通の可愛い女性とは少し違うというか、一線を画した、少し表現が悪いけれど、「ちょっと変わった女性」的な摩訶不思議なところに妙に惹かれるものがある。

そういう意味も含めて、彼女の生い立ち、人となりを本で読んでみたいと、ずっと捜していた。

去年、フィルハーモニー・ド・パリでのCDショップで購入したグリモーの本。


もちろんフランス語で書かれているので読めないので、記念として買った意味合いが多かった。

でも彼女のことをもっと知りたい.....そんなことから日本での書籍がないか調べた。


野生のしらべ
エレーヌ・グリモー
北代美代子 訳
https://www.amazon.co.jp/%E9%87%8E%E7%94%9F%E3%81%AE%E3%81%97%E3%82%89%E3%81%B9-%E3%82%A8%E3%83%AC%E3%83%BC%E3%83%8C-%E3%82%B0%E3%83%AA%E3%83%A2%E3%83%BC/dp/4270000163


内容はグリモーが自分の人生を振り返るもので2003年に書き上げた自叙伝、それを北代美代子さんが和訳されてランダムハウス社から和書として発売されている。彼女の生い立ち、人生観が書かれていて、とても自分にはタイムリーな本に思えた。

これを読了して、彼女の人生を知ったとき、なぜあのような独特のフンイキがあるのかが、理解できたように思えた。偶然ではないのだ。やはり、それ相応の試練の人生を歩んできているからこそ醸し出されるオーラなのだ、ということがわかった。

だが、和訳本にありがちなのだが、1冊丸々読んでみたところ、正直大変読みづらく、わかりにくい。日本語の文章がスムーズでなくて頭に入ってこないのだ。何回も読み返さないと全体が掴めなかった。

彼女のことをもっと、もっと知ってほしい、という一念から、この本の所々の抜粋をして、自分のコメントを少々入れて、パブリックドメインにするにはギリギリいいかな、というレベルの自己判断の元、日記にしてみることにした。


目的は、全体の流れがわかりやすいように、彼女の人生がキャプチャーできるようにまとめること。
そして、この本に興味を持ってもらって一人でも多くの方に読んでもらいたいように誘うこと。

(読んでみて問題あるようでしたらコメント示唆ください。)

彼女のCDも昔から、いろいろ持っていたが、今回のこの日記を書く上でさらに買い増して、このような布陣で臨む。

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グリモーは、フランスのエクス=アン=プロヴァンスの生まれ。

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小さいころから、言うことを聞かない、「ひとりの友達もつくらず」「人と違って」いた。左右対称性に異常にこだわる、という病気でもあって、自傷行為まで見せるようになって、心配した母親がその有り余るエネルギーをピアノに向かわせたところから、彼女とピアノとの出会いが始まる。

左右対称性の異常は、体の一部に傷がついた場合は、必ずその反対側にも傷をつけたいという欲望を感じるようになるし、自分の領土も同じように左右対称に整理されている必要があった。

勉強机の上では本の両側に同じ数の鉛筆がなければならず、本はノートの周りに同じ距離をとって並べなければならなかった。片方の靴ひもが反対側ときっちり同じになるまで結んでは、ほどきを繰り返したり.....

この対称性への強迫観念は自傷行為にまで到り、両親を悲しませ、音楽学校、ピアノに向かわせようとする。

もうこの頃からふつうではない、彼女独自の「人と違った」世界が広がっていた。

「人と違う」ことを生きることは、たとえばグリモーにとって小学校に通うこと自体、耐えがたい苦痛であって、それを救ったのが彼女が音楽的才能に恵まれていたということ。

ピアノを通じて、自己実現の手段、自分のありうる場所を見つけるようになれた、ということだった。

1982年13歳でパリ国立高等音楽院に入学して、その才能を開花させるものの、必ずしも順調ではなかったようだ。

入学試験はショパンのピアノソナタ第2番&第3番の第1楽章。この頃からグリモーは、ショパンに対して自然と通じ合うものを感じていたようだ。大いなるエレガンスと究極の洗練を持つ、そしてなによりも自分の感性に溶け込んでくる、と言っている。

そうして、もう一人尊敬している音楽家、ピアニストとして彼女が挙げているのがコルトー。その創意と音楽性、そしてある意味での完璧さの欠如。〜ダンディの襟元でほどけたネクタイのように〜とつねに称賛していた。コルトー版での指使いとペダルがきわめて錯誤的とも......

15歳になったときに録音、つまりCDを出すチャンスに恵まれる。彼女自身が望み選んだ作曲家がラフマニノフ。


グリモーは、もともとラフマニノフの音楽が、そしてそのピアノ協奏曲のなかではとりわけ一番身近に感じた「第二番」が好きだったようだ。たとえば、初めのフレーズですべてが語られてしまう「第三番」とは正反対に、「第二番」には冗長さという欠点がまったくない、と言い切っている。

自分は「第二番」より圧倒的に「第三番」派なので(笑)、そういう嗜好、考え方もあるんだな、と考えさせられた。自分は、第三番のあの初めのフレーズが全体を貫く共通主題になっていて、全体の統一感・様式美を決めている......そういう部分が特に好きなので、グリモーの考え方とは全く逆なのである。


ラフマニノフの音楽は当時の音楽語法に逆行していて、さまざまな分野で「革命」そのものが時代の流れであったとき、同時代のラヴェルやバルトークが組み込まれることになる動きが誕生していた、まさに、そういうご時世に、ラフマニノフは変わることなくロシア・ロマン主義に執着し、チャイコフスキーがその名を高らしめた音楽形式に忠実だった。

彼女は、このピアノ協奏曲「第二番」について、もう巷では有名なラフマニノフが交響曲第1番で大失敗してノイローゼになって、この曲で復活するまでの経緯を事細かく説明して、その感動をこの本で我々に伝えようとしていた。彼女のこの曲に対する情熱と言うのがひしひしと伝わってくる。

彼女の最初のCDはアムステルダムで録音された。

16歳以降になってから、ブラームスに傾倒。周囲からはイメージに似合わないと随分反対されたみたいだが、彼女のブラームス愛は相当のもので、どうしてもレパートリーとして加えたいと願うようになる。


ブラームスのどのような作品を聴いても、彼女にとって「知っている」という感覚を持つらしく、なにか自分のために書かれているように感じる....自分の感動の揺らぎに正確に対応しているという感覚.....そういう信じられないような親近感を持つらしい。

この本に書いてあるグリモーの「ブラームス讃」は、もう本当にとりとめもないくらい、何ページも費やして、そして限りなく熱く語れているのだ。

ブラームスのピアノ協奏曲第1番、第2番もすばらしい作品としてCDとして完成させている。こうしてみると彼女は、15歳にしてはじめてCD録音をしてからおよそ20作品ほどの録音を世に送ってきているのだが、自分の想いのたけの作品を着実に録音という形で世に送ってきているのだということが実感できる。(このあたりの作品の解析は、次回の日記で試みます。)

このように自分の存在感、自己表現として音楽、ピアノの道を歩むものの、「自分の音を見つけ出す」ために悩み、フランスの伝統的な音楽界が自分に課してくるステレオタイプのイメージに随分苦しめられたようで、このままここにいても、という閉塞感から、パリ音楽院を離脱して、アメリカ移住を決心する。

でもその前に、1980年代の終わりごろに、マネージャーとの出会いも含め、国外でリサイタルを開けるようになったころの話を書かないといけない。ドイツ、スイス、日本、ロンドンなどなど。グリモーは空港が持つあの独特の雰囲気が大好きのようだった。

これは私もそう。毎年、海外音楽鑑賞旅行に出かけるときの、出発するときの羽田や成田のあの雰囲気、とてつもなくワクワクして、これから始まるちょっとした冒険に心踊るような子供のような感覚....とりとめもなく大好きである。

グリモーは、この時期に人生を決定する大事な出会いをする。

マルタ・アルゲリッチ。

マルタは、その通り道ですべてを押しつぶして進む力であり、絶対的に君臨する生の躍動である。
内面のできごとを全的に感じ取る。風のような女性だ。

彼女とのパートナーでもあったギドン・クレーメルとも大きなパートナーになってもらい、彼女がパリを離れるときにマンションを貸してくれたりしている。

マルタは、まわりに集まる若い音楽家の群れを、考えられないような寛大さで養っていたという。(笑)

そういう中間の過渡期を経て、グリモーはアメリカでのコンサート・ツアーの話を持ちかけられる。
このときは彼女は英語はまだ話せなかったようだ。

このアメリカツアーのときに、もう自分は帰らない、という決心をする。

パリで扉に鍵をかけ、ジーンズを二本ばかりと洗面用具入れ、旅費の代わりに数冊の本をスーツケースに投げ込み、そうしたあと、すぐにフロリダ州の州都タラハシーの住民になっていた。

森林におおわれた平らな田園地帯にある恐ろしく退屈な町。

そこでグリモーが引っ越してきたことに町の人は気づき、自然の外でホームパーティを開いてくれた。

そのとき、「気をつけたほうがいい。あそこには男が住んでいる。ベトナムの帰還兵だ。頭がちょっとおかしい。危険なやつだと思われている。」と言われる。

そして数日後に深夜に眠れなくて譜読みとかするとますます目が冴える、そして深夜の闇の中に散歩に出かける。

その瞬間、グリモーは、初めてそれを見た。

犬の姿をしている。でも瞬間的に犬ではないとわかる。
闇の中でその動物は鋭い眼光で、グリモーを見た。彼女の全身に震えが走った。

その後方に男が立っていた。町の人に教えてもらっていた危険な男、ベトナムの帰還兵だった。

2人は立ち話をして、その男はおもむろに自己紹介をする。グリモーがクラシックの音楽家であることを告白すると、自分もクラシック音楽が大好きで、レコードをたくさん持っている。好きな時に聴きにこればいい。

グリモーは、この誘いをちょっと荒っぽいと思ったらしいが(笑)、その動物は?と聞き返す。

これは狼だ。これがグリモーの狼とのはじめての対面。

狼は、柔らかな足取りで、彼女に近づいてきて、左手の臭いを嗅ぐ。
すると狼は、自分のほうからグリモーの手のひらに頭を、そのあと、肩をこすりつけた。
その瞬間は彼女は全身に電流が走る、電光のような火花を感じる。

そうすると狼は、仰向けになって横たわると、グリモーにお腹を見せた。

男は、「こんなのははじめて見た。自分に対してもこんな姿を見せることは滅多にない。」

最初の初対面で、グリモーは狼との運命の結びつきを感じ取る。

狼の社会〜群れ〜は人間社会と奇妙に似ている。それは体育会系の民主主義で、他の個体からリーダーと認められたものは、力、速さ、狩りの腕前だけで支配するのでなく、大きな部分を心理的影響力に依存している、と言われている。

この男との出会いから、グリモーはこの狼と恋に落ちてしまった。
この狼と会いたいがために、何回も訪れて、何時間もいっしょに過ごした。
狼からの愛情の交換は強烈で豊かだった。

不意に襲い掛かってくることもある。

狼のほうから愛情表現をされ通じるものを、狼は彼女の中に見出したのだ、と思う。双方にとって運命の出会いですね。

狼といっしょに過ごすことで、お互いどんどん相通じるものを感じ合う。
それからというもののグリモーは、狼に会いたいがためにしょっちゅうその男の家を訪ねる。

愛情という点について、狼はグリモーの人生の中でもっとも重要な存在になる。

これをきっかけにグリモーは動物行動学の勉強を始める。
さまざまな講演に出席する。アメリカ国内を歩き回り、専門家が狼の生態と行動を研究している保護区を訪ねたりした。

音楽、ピアノの割く時間は当然減らすことになる。レパートリーの幅を広げず、同じ曲の追及。注意を室内楽に集中した。

グリモーは、狼の行動学、研究そして自然復帰とだけを目的とする財団と公園を創設したかった。
狼の群れを住まわせる土地を買うために、コンサート出演料のすべてを貯金した。

そこでまず目的を達するために、いったんこの男と狼と分かれ、ひとりニューヨークに出る。ひとりゼロからの出発。五番街にバッグを下ろす。

目的の資本金に手をつけないがために、厳しい食生活、貧困の生活の一途。
電話帳を片手に政府機関を訪ね、コンサート用のステージ衣装のほかは、たった一枚しかなかった着替えを洗濯をするためのコインランドリーを探したりした。

3年。ようやく落ち着いてきたのが1997年。

自ら望んだ不安定な生活を両親に知らせることもなく、極秘に暮らした。
まさにバヴァロッティとヨーヨーマくらいしかクラシックの音楽家は知られていないクラシック不毛の土地。

ピアノの練習の条件がこれほど厳しいことはなかった。
まず、自分のピアノがなかった。


練習したいときは、五十七番街のスタンウェイ社にいくか、お金を払って2,3時間ピアノを借りた。

ようやく2001年にはじめてコンサート・ピアノ、スタインウェイDの所有者となった。

でもグリモーには狼たちがいて、音楽があった。

来る日も来る日も狼の囲い用の土地を探すために懸命になった。そんなある日、不動産屋から連絡があって、ついにグリモーにとっての天国の土地を見つけてくれた。

地元当局との果てしない交渉の結果、「ニューヨーク・ウルフ・センター」を設立。

30名ほどの従業員を雇用。(現在はわかりませんが。)最初の狼数匹を収容した。
センター設立後は、1999年に750名の子供が、2002年には8500人が訪れるようになった。

グリモーの最大の楽しみにしていることのひとつは、夜、囲いの狼たちのそばで音楽の研究をすること。

そして、コンサートの出演料はすべて、この施設の運営費、狼の養育費に充てられ、それが尽きてくると、またコンサート遠征に出かける、という毎日。

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なんと野性的なんだろう!彼女の野性的で摩訶不思議なオーラがいっぱいなのは、このような人生を歩んできているからなのだ。

表面的な生き方をするだけでは絶対得られない、修羅場の人生を歩んできたからこそ得られる”本物”の凄み。

この彼女の人生を書き綴った(彼女自身の独白本)、この「野生のしらべ」という本は、もっともっと詳しく内省的に彼女の心情描写を綿密に描いています。


自分は、それを何回も読んで全体のシナリオが見えるレベルで掻い摘んでいるに過ぎなくて(パブリックにできるギリギリのレベルという自己判断ですが.....)、5月の彼女のリサイタルの前に、ぜひ読んでもらいたい本と思ってこの日記にしました。この本を読み終わったとき、ほんとうに感動してしまい、ぜひこの感動を伝えたいとただそれだけを思っただけ。

またこういう人生の変遷の歴史を知りつつ、一連の彼女のCDを聴き込むと、よりエレーヌ・グリモーというピアニストの真髄がわかるような気がしました。

自分もグリモーのことは、プロフィール欄に書かれている表向きのことくらいしか見識がなかったので、この本を読んで、彼女の数奇な人生に本当に感動した次第なのです。

海外への音楽鑑賞旅行も、なにもヨーロッパだけに限ったことではなくて、アメリカもぜひ訪問したい夢があります。(ヨーロッパには、数えきれないくらい、何回も行っているのだが、アメリカには、なぜか縁がなく、生涯にかけて1回も訪れたことがないのです。)

そのときコンサートホールやオペラハウスだけでなく、番外編として、このグリモーの「ニューヨーク・ウルフ・センター」をぜひ訪問してみたい!

次回の日記では、彼女のディスコグラフィーを聴きこんでの試聴記を予定しています。ここで説明してきた彼女の作曲家の嗜好をそのまま録音として作品化してきた、その変遷の歴史、彼女の音楽観を理解しつつ聴き込む訳です。

つくづく思うのは、クラシック録音の王道のDGレーベルのピアノの録音がじつに美しいと感じることです!!!


コメント

ま〜さん
グリモーの稿、じっくりと読みたいと思います。話は変わりますが、児玉麻里さんのベートーヴェンのピアノ・ソナタ全集をこのところ聴きこんでいますが、まあ素晴らしい演奏であり高品位な録音ですね。いつも聴き終わって感じるのは、ベートーヴェンの音楽の素晴らしさです。壮大な交響曲の世界もいいですが、もっと身近に置いておきたい世界、ベートーヴェンのピアノ・ソナタにはそんな魅力が満ちています。このディスクを紹介していただいたノンノンさんに改めて感謝!

by ま〜さん (2016-02-07 08:53)

ノンノン
ま〜さん、

まさにおっしゃる通りですね。自分も大編成ものも好きなのですが、室内楽も音楽的、そしてオーディオ的の両方において好きです。室内楽というと隙間の美学というか、演奏者の息遣いやフレージングの生々しい表現が、目の前で展開される感覚が、とてつもなく好きだったりします。生演奏だけでなく、オーディオ的にも。またお恥ずかしい限りですが、オーディオの再生環境からすると深夜の時間帯や騒音を考えると、大音量のオケよりも室内楽のほうが、より接しやすいメリットもありますね。

児玉麻里さんのSACD、気に入っていただいて光栄です。今年の11月には、児玉麻里・児玉桃姉妹によるPENTATONEからの新譜もあるようで、期待しています。もちろん日記で取り上げますよ!(笑)
by ノンノン (2016-02-07 18:58)

Judy
野生の調べは確かに読みにくくて、私も何度か読み返しました。訳が悪いというよりHeleneの思考がとても深くてしかも超スピードで動くので、平均的な人にとっては一度読みでは理解し難いのでしょう。私はカリフォルニアに住んでいる上、彼女の弾いたBeethovenのTempestによって救われたことがご縁で、もう狼センターには3回、Helene自身との晩餐会というのにも2回行く機会に恵まれました。実物はさらに優雅で美しく、どんな人の話もあの目でじーっと相手を見ながら熱心に聞くので誰もが惹かれてしまいます。もしものんのんさんが狼センター並びにHeleneとのFound Raising Dinnerに興味がお有りなら、3回目が2017年の4月から6月にはあると思いますのでお知らせすることが出来ます。

Heleneがきっかけでしたが、のんのんさんのBlogは「親切」に満ち満ちていてとても読み甲斐があります。人のためにこれだけの時間を割いて写真も満載してBlogを書いてくださってありがとう。
by Judy (2016-10-28 15:33)

ノンノン
Judyさん、コメントありがとうございました。そして、とても暖かいメッセージありがとうございました。いたく感動いたしました。(笑)この自叙伝の複雑さというのが、グリモーさんの思考回路にある、というコメントは鋭いと思いました。確かにその通りですね。なんか俗的なものとは距離感があって、すごいピュアで、生き物の本能と通じ合うような、そんな才能の持ち主ですよね、彼女は。Judyさんが人生経験において、グリモーさんと深い関わりを持っていらっしゃたことに驚き、うらやましいのと、グリモーさんに関する私の拙文を読んでいただき、光栄だと思いました。ありがとうございます。

じつは、来年の海外旅行は、どこに行くのか決まっているので、グリモーさんのウルフセンターの創立祝賀ディナー(?)、ぜひぜひ参加してみたいのですが、なかなか日程が取れそうにありません。

その反面、その翌年の2018年に、生まれてはじめてアメリカに渡航する予定で、そのときの他人と違う旅行という位置づけで、最大のイヴェントとして捉えているのが、グリモーさんのウルフセンターへの訪問なのです。

旅行前になりましたら、自分のネットワークでウルフセンターへの住所、行き方など調査しようと思っていたのですが、もしよろしければ、ご教示願えると大変光栄なのですが、いかがでしょうか?
自分でも思ってもいない展開でした。(笑)

このコメント欄で公開など不都合がありましたら考慮します。

まだまだ先だなぁと思いながらも、早く行きたい、という気持ちも交差して、複雑だったんですが、Judyさんのコメントで、一気の気持ちがそちらに加速してしまいました。(笑)

私の拙ブログも読んでいただき、ありがとうございます。もともと海外旅行の現地情報を、お世話になっている旅行会社スタッフと共有したいと思い、始めたブログでしたが、どんどんテーマの枝葉が広がっていきました。今後とも、よろしくお付き合いいただけると光栄です。ありがとうございました。
by ノンノン (2016-10-29 01:49)

Judy
http://nywolf.org/
忘れない内にこのページを載せておきます。ここに行けばWolf Conservation Centerのことはほとんどわかりますし、Heleneがピアノと同等のPassionを持ってこのNYWCCを維持しているのがわかります。晩餐会もその寄付を募るためのものでした。私は犬は飼っていても、野生の動物とそれほど通じるものを持ち合わせていないので、HeleneやBartokのように特殊な感覚を持っている人は凄いな〜と感心するのみです。去年の4月に一度目のFund raising dinnerのお知らせを受けて一晩考えて決めたのですが、行って良かったです。
14人のゲストのうち私だけが帰る宿が別方向ということでなんとHeleneとボーイフレンドのMatが送ってくれるという幸運にも恵まれました。その日のお昼はBrhams Piano Concerto #1を弾いて、夜からの晩餐は知らないゲストたちと3時間もおしゃべりして、Heleneは相当疲れていたはずです。でも、私を完全にゲスト扱いで自分は車の後ろの席に座って私にどうしても助手席に座るようにいって譲らなかったのです。お陰様で宿につくまでの20分位3人で話が弾んで、「またね〜。」という感じでお別れしました。遅かったので宿の玄関の電気がついていなかったらHeleneは心配して車から降りて私が無事に中に入れるまで見ていてくれたのですよ。今年の6月の二度目の晩餐会で会った折にMatもHeleneもこちらのことを実によく記憶していてくれたので驚きました。だって、ゴマンといるファンの中のひとりですよ。それほど誠心誠意の人たちなので、あんなに世界中を回ってコンサートして、体は大丈夫かな、長生きしてほしいな、と祈るのみです。コンサートの後のリラックスの秘訣はなんとかなり緊張を強いられるTVドラマを観ることなんだそうです。そのことでは一年目に隣の席に座ったMatと意気投合して、お互いに好きなドラマ名を交換し合ったのでした:The Americans, Hannibal Lechter, The Fall, Happy Valley,
スパイ物、残酷な殺人、人間の奥底に隠された秘密が暴かれた時、、、などというトピックばかりです。日本でも見る機会があったら是非見てみて下さい。Heleneの音楽鑑賞にまた深みを与えてくれることでしょう。

長い間生きてきて、誰かのファンとしてこういうことに参加したのは初めてだったので、偉大なアーティストと生で触れ合う価値の凄さがわかりました。

のんのんさんもきめが細かく愛情深い人であることはBlogから疑う余地もありません。どうか忙しいときには休むことも考えて長生きしてくださいね。
by Judy (2016-10-30 12:27)

ノンノン
Judyさん、ありがとうございました!

なんと素敵なグリモーさんとの想い出なんでしょう!
詳細な描写まで教えていただき、なんかその場が頭の中に浮かんできそうです。

教えていただいたHPの中に、Donationがありましたので、自分の出来る範囲で、ぜひ寄付させていただこうと思います。自分の個人情報も送れるようなので、なにかグリモーさんと繋がるような感じで嬉しいですね。

NYWCCは、偶然なのかFBのほうで、登録していたりしました。(笑)じつはそこだったというのを知って驚きです。
FBのほうからの寄付できるようになっているんですね。

ぜひ2018年の旅では、NYWCC訪問を実現して、自分のブログにその報告をしたいと思っておりますので、そのときはぜひご覧になってください。

どうもありがとうございました。
by ノンノン (2016-11-01 22:41)

Haru maro goro
ノンノン様、初めまして。

グリモーがデビューした時は、演奏より長髪の美少女だった印象ばかりが強くて、でもどこか気になるピアニストでした。それからかなりの年月が経ち、テレビ放送で髪型が変わって大人になったグリモーの演奏会を聴きました。少女期のイメージが変わってびっくりしたのを覚えています。それから、彼女の演奏を聴いています。
先日、彼女の弾くバルトークのコンチェルトのCDを聴いて、グリモーの検索をしてこちらのブログに辿り着いたのです。
ノンノン様の素晴らしい文章のおかげでグリモーの歩んできた道を知りることができて嬉しく思いました。彼女の演奏に惹きこまれた理由の一部はこの事に関係していたかもしれません。ご紹介くださりどうもありがとうございました。
私はコンサートからかなり足が遠のいています。東京文化会館のバックヤードの記事、とても興味深く拝読しました。20年位前に行ったのが最後です。


by Haru maro goro (2016-11-24 19:23)

ノンノン
Haru maro goroさん

コメントありがとうございました。
グリモーさんは、ピアノ作品はさることながら、その容貌もなんか吸い込まれるような純粋なものを感じるので、とても魅力的で人を惹きつけるなにかをもったピアニストだと思います。

ボクもこの野生の調べを読んで、ずいぶんと、そのピュアな瞳に隠されている本能みたいなものの原因がわかり感動しました。

生演奏からずいぶん離れているとのことですが、ぜひ足を運んでみてください。生演奏独特のよさは、その感動、演奏家の息遣いが直に感じられることだと思っています。

ボクもオーディオで聴く良さもわかりつつ、生演奏のよさも認めるという両刀派だったりします。(笑)
by ノンノン (2016-11-27 08:39)
http://akira-nonaka.blog.so-net.ne.jp/2016-02-04

41. 中川隆[-11317] koaQ7Jey 2019年11月08日 09:34:31 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1581] 報告

グリモー、成熟のブラームス 2013年10月24日
http://www.japanarts.co.jp/news/news.php?id=635


 フランス出身のピアニスト、エレーヌ・グリモーのブラームスの偏愛ぶりはよく知られている。インタビューなどでも、早い時期からブラームスの音楽は心の琴線に触れるものがあったと語っており、とりわけブラームスのピアノ協奏曲については「ピアノの全レパートリーの中でも最高峰の作品」、なかでも第一番の協奏曲は「ダイアモンドの原石のようで、魂の純粋な表現である」と話す。

 グリモーはそのブラームスのピアノ協奏曲第1番を1997年、26歳のときにザンデルリンク指揮ベルリン・シュターツカペレ管と録音し、話題を呼んだ。またその後もピアノ・ソナタなどの独奏曲やチェロ・ソナタなどの室内楽などにも取り組んできた。そしてここにきて再びピアノ協奏曲の世界にのめりこんでおり、俊英アンドリス・ネルソンスと新たにレコーディング――しかも今回は第2番も一緒に――を行なった。第1番はバイエルン放送交響楽団との演奏会でのライヴ録音(第1番はライヴでないと若きブラームスのエネルギーが伝わらないという)、第2番はオーケストラを変え、ウィーン・フィルとの楽友協会での収録である。

 指揮者のネルソンスについてグリモーは最近のラジオのインタビューにおいて次のように語っている。「ここ数年ネルソンスと共演を重ねることができて幸せです。彼は本当に純粋な音楽家で、奇をてらったところはなく、あらがえない魅力を持っています。ダイナミックかつエネルギーに満ち、その表現の幅の広さは驚くほどです」と絶賛している。二人の音楽的な共感ぶりはレコーディングからも十分に聴き取れるだろう。

 そのネルソンスとグリモーのコンビが10月にロンドンでフィルハーモニア管とブラームスのピアノ協奏曲第1番を演奏するということで、前々から楽しみにしていたのだが、残念ながらネルソンスがインフルエンザで直前に降板、代わりにフィンランドの指揮者ハンヌ・リントゥが登場した。リントゥはおそらくソリストともオーケストラとも初顔合わせで、最初はお互いやや手探りの感もあったが、そうした中でグリモーは自分のペースを崩さず、時には音楽的な主導権を取り、曲を深く掘り下げていった。テンポはけっして速くなく、また重厚さには欠けるものの、彼女の特色である硬質でクリアな響きで若きブラームスの詩情をくっきりと歌い上げた。第二楽章では静謐な祈りのような世界が繰り広げられ、グリモーはソロをきわめて美しく立体的に奏した。そして終楽章は気迫に満ち、ソロとオーケストラのバランスもよく、堂々とした演奏であった。そこには若き激しいグリモーではなく、成熟したグリモーの思索するブラームスがあった。

 11月のバーミンガム市交響楽団の日本ツアーでは、信頼するネルソンスのタクトのもとで、ピアノとオーケストラが一体となった、パッションに満ちたブラームスが期待できるであろう。

後藤菜穂子(音楽ジャーナリスト、在ロンドン)
http://www.japanarts.co.jp/news/news.php?id=635

42. 中川隆[-11316] koaQ7Jey 2019年11月08日 09:57:34 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1582] 報告

美人ドキドキ


Hélène Grimaud Plays Brahms Piano Concerto No.1 Maestoso - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=jctfNq9rKI8

Rec 1997
Staatskapelle Berlin Orchestra
Kurt Sanderling(Conductor)

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Brahms - Piano Concerto No. 1 Hélène Grimaud, Piano [HD] - YouTube

Hélène Grimaud, piano,
Southwest German Radio Symphony Orchestra | SWR Sinfonieorchester Baden-Baden und Freiburg, Michael Gielen, 17.IV.2005.




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Brahms - Piano Concerto No. 1 (Hélène Grimaud) - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=2ji8cTeL6OY

Live At Herkules Saal, Munich / 2012
Piano: Hélène Grimaud
Conductor: Andris Nelsons
Vienna Philharmonic Orchestra

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Brahms - Piano Concerto No. 2 (Hélène Grimaud) - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=TouKF4-vHFY

Live At Musikverein, Vienna / 2012
Piano: Hélène Grimaud
Conductor: Andris Nelsons
Vienna Philharmonic Orchestra
43. 中川隆[-11315] koaQ7Jey 2019年11月08日 10:08:26 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1583] 報告

命がけの冬山登山のごとくブラームスを弾く美女ピアニスト 2013.10.8
https://crea.bunshun.jp/articles/-/3813

エレーヌ・グリモーが迎えた円熟の季節


エレーヌ・グリモー『ブラームス:ピアノ協奏曲第1番&第2番』 ¥3600 発売中(ユニバーサル ミュージック)

 さて、行楽の秋ですが、ハイキングや登山などアウトドアが趣味の皆さんは、紅葉シーズンたけなわで楽しい気分を満喫されているかも知れません。

 同じ山登りでも、今回ご紹介するフランス人ピアニスト、エレーヌ・グリモーの新作は、険しいアルプスの岩山をたったひとりで登るようなストイックな音楽。もともと、ドイツロマン派への取り組みに定評のあるグリモーだけど、その王道であるブラームスのピアノ協奏曲第1番と第2番をレコーディングした本作(2枚組)は、魂のすべてを注いで作曲家と格闘した「本気」っぷりが半端ではありません。

 第1番のコンチェルトはブラームス25歳のときの作曲で、この世の「第1番」とナンバリングされたコンチェルトすべてが放っている、青臭く理想主義的な美意識に溢れています。そしてまた、リーフレットに載っている当時のブラームスの写真を見たら、女なら誰でもよろけてしまうはず……あまりにも完璧な美青年なのだから!

 金髪&ブルーアイズのヨハネス青年の姿は当時の画家によっても描かれ、可憐な横顔は女性と見紛う美しさ。この頃には既に先輩シューマンと知り合い、その妻クララへの片思いが始まっていたはずなんです(そのわずか20年後には、かの有名なサンタクロースのようなルックスに変貌するのですが……)。

 20代の青年ブラームスによる第1番のコンチェルトは、内圧されたパッションとプライドがふんだんに詰め込まれ、既に厭世感のようなものも漂っていて、巨大な才能ゆえに自分を持て余していた若き音楽家のエゴがぷんぷんしている。聴くたびに心が震えます。

 グリモーはこの曲が大好きで20代の頃から何度か録音をしているけど、43歳の美魔女となった今、かつてないほど若々しく純粋な演奏に立ち返っているのが凄いです。天才少女として10代の頃から注目されてきたグリモー、演奏家として円熟の季節を迎え、いよいよ激しくブラームスに恋をしている感じなのです。


頭突きをするようなワイルドで激しい演奏

エレーヌ・グリモーは、1969年南仏エクサン・プロヴァンス生まれ。現在は、ニューヨーク郊外に居を構え、野性オオカミの保護活動にも取り組んでいる。 (C) Mat Hennek

 尊大で険しい旋律と真正面から向き合い、頭突きをするようなワイルドな激しさで弾きこなす様子は、急傾斜の氷の山を、たったひとりで登っているよう……というのは、私の勝手なイメージですが、芸術的でもありスポ根的でもあるグリモーのピアニズムは、よくあるフランス系の瀟洒なタイプとは異なり、何やら孤高の美学のようなものを感じさせます。若手指揮者アンドリス・ネルソンスの指揮がまた、岩をけずる荒波のようなブラームスの「ロマン主義」を鼓舞し、完璧なコンビネーションなのが凄い。ピアニストとの真剣勝負の共演はまさに「試合」といった緊迫感です。

 登山家の山に対する想いと、ピアニストのブラームスに対する想いはどこか似ているのかも。その昔、難解でダイナミックなこのコンチェルトを女性ピアニストが弾こうとすると「女のくせに、ブラームスなど」と言われたこともあったと聞きます。しかし、山があるから登らずにはいられぬように、女とて、ブラームスを弾かずにいりゃりょうか。

 激しいパッションとインディペンデント精神で演奏するグリモーが感動的なのは、彼女こそがブラームスの「孤高」を理解しているからでしょう。大学で動物学を学び、野生のオオカミとともに暮らしているというグリモーは、その特殊なライフスタイルを『野性のしらべ』という著作で詳らかにしていますが、どこか生涯独身を貫いたブラームスのエキセントリックと共通するものを感じてしまうのです。

 第1番のコンチェルトがハードな冬山だとすると、第2番は穏やかなルートで登る紅葉の山といった雰囲気だけど、そこに染み込んでいる孤独感はいっそう根深く、ブラームスの生きた「狭き道」を感じずにはいられない。全身全霊でおすすめしたい「登山クラシック」です。


小田島久恵(おだしま ひさえ)
音楽ライター。クラシックを中心にオペラ、演劇、ダンス、映画に関する評論を執筆。歌手、ピアニスト、指揮者、オペラ演出家へのインタビュー多数。オペラの中のアンチ・フェミニズムを読み解いた著作『オペラティック! 女子的オペラ鑑賞のススメ』(フィルムアート社)を2012年に発表。趣味はピアノ演奏とパワーストーン蒐集。
https://crea.bunshun.jp/articles/-/3813

44. 中川隆[-11314] koaQ7Jey 2019年11月08日 10:23:30 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1584] 報告
エレーヌ・グリモー 2011.3.24
http://w2322.nsk.ne.jp/~kiyoto/p-grimaud.html


グリモーさんの最新CD、ココリアーノの「ファンタジア・オン・オスティナート」。張り詰めたクリアな緊張、心地よい饒舌。一昨年暮の演奏会の印象が甦る。
「ココリアーノ。初めての作曲家だが。聴きなれたメロディーがリフレイン、初聴の取っ付きにくさはうまく回避。鍵盤を凝視する演奏家、何が起きるのか息を詰め見守る。コンセントレーション、耳を欹てる。澄み切ったキレイな弱音の連打音が快い。クリアな創造空間、心地よい緊張感、明晰さ。進行が停止する音楽、今日の演奏では予想される瞬間。よりよきものを求めるどん欲さ、ソレを得るプラスとストップするマイナス、前者をチョイスする。演奏家の本能、特徴、特質。ノープロブレムでなく弛まなく続く葛藤。作曲家の要求、ピアニスト自身の美意識を満足させるため。考え抜いて考え抜いての創造の苦しみ。最良のモノを求め総てにキモチを込めた跡、柔らかさとカッシリさが交叉する14分間。」

同じCDの中、ペルトの「クレド」。一聴するととてつもなく騒がしく賑やかな曲。平均律クラヴィーアの冒頭のメロディーや荘厳なコーラスありで、あたかも宗教曲の様相。でも中間部、作曲家の頭の中が映し出されギョッとする。「ここまで音楽?!」。飛び跳ねハジける雑然ウヤムヤ、何でもござれの収拾ナシ。音楽を識別・選び出すフィルターの許容量の大きさに亜然。されどクライマックス、神の下での整然さ、その中に包括され収まる。どちらが「クレド(信条)」。ダイナミックさの幅に家人の白い目、ボリウムのツマミをさわりながらオタオタ。2、3度聴くと病み付きに。グリモーさんの真摯な表情が浮かぶ様、一方満足げの嬉しそうなニコニコ顔も。共感なのか、自分自身のメッセージの発信なのか。

表紙がオオカミの大きな雑誌を眺めているグリモーさんの写真をよく見かけていた。ペットとして飼うなんて、お嬢さんの気まぐれ。美人のピアニストだから常識の枠を超えても許されるのかという好奇な目で見ていたのかも知れない。ところが、昨年の秋、「オオカミと暮らす」というイギリスのRMアソシエィツ社製作の番組をBSで観て、認識を新たにした。グリモーさんは、現在ニューヨーク北部の「オオカミ保護センター」で暮らしている。オオカミを自然界における捕食者の最高の存在と捉えることによって、生態系のバランスを本来のスガタに戻し、野生の素晴らしさを認識するとともに、環境保護の意識を高める。しいては、人間が生物の頂点であることを考え直すキッカケにもつながる。そんなプロジェクトを行うNPOを自ら立ち上げ率先実行しているということである。漫然と流れの中に生きているのではなく、自分の存在に問題意識を持ち続けている真摯なひたむきさに、ピアニストの音楽に通ずるものを感ずる。

こうあらねばという自分がイメージするモノに駆り立てられる音楽。ピアニストが感じるキレイなものを追い求める。思い入れタップリ、人間臭さプンプン。過度の装飾はなし。表現できない時、醒めて途切れてしまいそうな緊張、ソレを恐れて突っ走る。感情過多、何かに憑かれた様な情熱。表現できる喜び、嬉しそうにその快感に浸る。次をどう表現しようか、との悩みを確かめながらの試行錯誤はない。掛け声、鼻歌、ウナリ声が聞こえる。目を細め集中力を高め音楽にコンセントレーション。自分が意図する音楽へ。行儀のよいステージマナーでない。美女だから許されるパフォーマンス。素適な音楽を提供してくれるから許されるコト。顔をクシャクシャにして自分の世界に没頭。

TVの中でグリモーさんはインタヴューに答えている。「曲を頭の中で練習している。思い浮かべてイメージを変化させる。指を動かすことはさほど大切と思わぬ。イメージをハッキリさせることが大事。演奏の大部分は頭の中でつくる。」「音の色が見える。曲全体が一つの色に見えることも、一音一音が色付けされることも。誰にでも見えるものと思っていた、気付くには集中が必要だが。」人が飛び付き特別視しそうなエピソードである。でも山師的ハッタリはなく穏やかに当たり前のことと話す様子に、とてつもない音楽性を感じて恐れ入る。

「普段の練習をステージで再現すれば、聴衆はある程度満足するだろうが、そうはありたくない。毎回毎回その時点でしか音楽を求め表現したい。そうすることで、聴衆の心に迫りドキッとさせたい。」常に、よりよいもの、よりパーフェクトなもの、別な美しさがある筈という上質な人間性を感じる。不完全がゆえの劣等感とは無縁、高次元のプラス志向の資質である。

身近な存在の写真家はグリモーさんを評している。「彼女は音楽だけに生きていない。関心の広さと行動力が演奏をより興味あるものにしている。彼女は音楽だけに専念し続けることは出来ないので、ある瞬間は全く別なものに集中している。音楽以外に情熱を燃やすことが彼女の音楽に人間味を増している。オオカミもこともそうである。」未だに理想とするものを掴みきれず模索し続けるが、達成しそうな明るい未来を予感させる、得体の知れぬスケールの大きさを感じてしまう。

グリモーさんに興味を持ったのは、木下健一さんの感想を読んだからである。木下さんは、グリモーさんに「暗さ、一種の癒しがたい孤独感」を感じ「漆黒に塗り込められた音楽、自閉症的孤独の裏に沈んでいく、孤独の狂気の相」と表現され、一時期のエッシェンバッハさんに相通ずる世界にいる様に書かれている。私自身もその頃のエッシンバッハさんが好きで、ベートーベンの後期のソナタ(29番から32番)のレコードを何度も何度も聴いている。当時の私の精神状態に似通ったものがあったためかも知れない。あえぎあえぎと言ったらよいのか、音楽的につながっていなく途絶えがちでインインメツメツ悩んでいる暗い音楽、きれいに美しく演奏することも余裕もなく、感情をストレートに叩きつける悲惨なモノであった。この後期ソナタはこのたびCD化された。ふくらませるだけふくらませた「ハンマークラヴィア」の3楽章。細かいところにこだわり、22分もかけて演奏している32番の2楽章を懐かしく聴いている。

グリモーさんには最悪の暗さを感じない。エッシェンバッハさんの轍は踏んでいない。一人で作曲家に相対することの限界、無力さを感じているから、絶望は感じていない。ピアノという楽器の表現の可能性に絶望するか希望を持つかの差なのか。作曲家の音楽を自分なりの感覚的でどう表現するか、自分の意図する音楽まで塗り込めるかの差なのか。TVには、この2人がベートーベンの4番のコンチェルトを共演している2楽章のサワリが入っている。エッシェンバッハさんがエグル様に思いを込めたバックに、グリモーさんが感情を込め美しさを表現している。2人の特徴が現われているゾクゾクするシーンである。

ショパンの「バラード1番」、ピアニスト18才の録音。有名な曲だからという余分な思い入れ、ドラマチックな脚色はない。力むことなくごく自然、清楚で透明感にあふれたもの。ピュアでさわやか、みずみずしいストレートな感情表現。弾ける様な躍動感、踊り続ける快活さ。軽やかにスピン、そしてターン。クライマックスに向けて、一途なひたむきさ。初々しい音楽の喜び、颯爽と明るい青春譜。私の心に音楽を聴き始めた頃の素直な感動が甦る。曲にまつわる沢山のエピソードは今不要。素直な演奏である。ちょっと以前の私には理解し得なかった気がする。

「クライスレリアーナ」、19才の録音。シャープな感覚の広がり、断片があざやかに交錯。細やかな工夫に彩られアイデア盛りだくさん。コレデモカコレデモカ、意外性のある音の絡み合い。不意打ちされ、新しい曲を聴いている様でワクワク。よくあるメランコリックな厚ぼったさが支配することはない。重苦しさを引き摺るコトもない。豊かで多様な感情表現。脆弱でブルーな気持ちも肯定、自己のその資質にオーバーラップ。ハッとする美しさ。既存なモノに満足していないスガタ、オリジナルな自己表現。反抗なんて大それたことはしていない筈。今、気になる存在だから、昔の録音を関心を持って聴いている。少なくとも、その頃気を入れ聴いた記憶はない。一般受けしてチヤホヤされている美人ピアニストとして敬遠していた。「あの頃からそうだったのヨ」、そんな声が聞こえそうでウラメシイ。

ブラームスの「幻想曲集Op.116」、今から8年前の演奏。若い頃の演奏、その時点におけるピアニストの美意識の集成。純化された感情のエッセンス。自分の感覚を信じてのクリアランス、鋭敏さ。総てを鮮明にとの強がり、繊細さも誇らしげ。しかし、このブラームスでは、未整理の厚ぼったさ、クスミとカゲの不透明さを表出。スベテをピュアにすることの大変さを知ったから。そうする必要がないと感じたから。割り切れない心情も当然あってよいものと判ったから。全面バラ色の青春ジェットコースターから降りて、物静かな公園のブランコ遊びに興ずる様。

暗いツブヤキ、危うい脆さ。現実味を帯びたファージーさ、憤りのない未解決。ネガのキャラ、傷つき易いナイーブさを垣間見る。もろい華奢な音楽に存在を賭ける。消え入りそうなものとシャープさ、音楽家のクリアな感覚と美意識。厚ぼったさ、雑に聴こえるほど無造作。どう表現したらいいのかとの戸惑いより、こうするしかないといった開き直り。ゆったりすると大事なものが消失、この瞬間にこれだけを盛り込まなくてはという強迫意識。すべての音符を十分に個性付けする余裕なし。飾れず自分自身の総てをさらす。遣り切れなさを音の配列で懸命に模索・表現、苦悩のオーラは感じない。演奏家にピアノの可能性を信じている何かを感じる。深刻な絶望でないことが救い。

一昨年、ミョンフンさんとのベートーベンの協奏曲4番を聴いた。その時、アンコールに演奏されたブラームスの「間奏曲Op.117-1」。私がそれまでこの曲に持っていた印象、秋の公園、枯れた木々、寂寥感は感じなかった。このピアニストの場合は、冬の室内、暖房が利いた暖かい部屋のイメージ。切れ味シャープな冷たさはなく、ホクホクゴコロで作曲家と対話。追い詰めての精神的ダイエットによる痩身でなく、フックラした暖かみのある自画像。ギスギスでなくクリア、音楽に広がり。ステキなアプローチ、魅力的で説得力あるもの。考えられた意外性にハッとした。

ブラームスの「ピアノソナタ2番」の2楽章、19才の録音。聴いたことのない展開に衝撃を受ける。複雑な迷路、単純化の作業ナシ。音の重ね合わせ、上乗せ、並列、意外性の連続。難解な数学、入り組んだ幾何学模様、謎解きのプロセス。理論からかけ離れたアプローチ、根拠なし。既存の経験則の外、ピアニストのカンと感覚のヒラメキだけが頼り。信じられない音のつながり、素晴らしい帰結。想像を超えた高次元の収拾、歓喜な音の強調。同じ曲でのウゴルスキーさんが単調でオトナシク思える。桁違いの音楽性を秘めたピアニストであることに間違いはない。
(2004.2.11、2.14、2.21)

グリモーさんの「野生のしらべ」を読む。オールマイティのスーパーウーマン。逞しいイマジネーション、きらめきと輝きの飛び級的思考過程、オトギの国から哲学まで広い範囲で、抜群の記憶力、理解力、論理力、明晰さ。とびっきり鋭敏なアタマと感情を併せ持つ。傷つきやすさ、自分を最高と思う自負、自尊心、豊か過ぎる感受性を御することの難しさ。幼き時、安堵を得るための儀式、寝る前のお祈り、コレとコレをしたら大丈夫。次には、音楽の中に能力と感情の捌け口を見出し、自分の可能性の表現に没頭する、存在価値の再確認、満足感・心の平安。更に、音楽について苦悩、何を表現できるか、自己表現の最良手段なのか、もっとウマク表わせないか。チッチャナわだかまりが心に重く圧し掛かる、見え過ぎるからやれるべきことが出来なくなる。しかし、狼保護というもう一つの自己表現ツールを見出したことで精神のバランスが整う。その結果、音楽に過度にのめり込むコトなく楽な気持ちで立ち向い新鮮な喜びを見つける。やりたいコトが呪縛から放たれ見えてくる。レパートリーは広くない、沢山の知識の大きさを誇ることはせず、いろんな気持ちのヴァリエーションを盛り込むことができるから。金太郎飴の演奏でなく常に発展途上のイキモノである。素適な女性だがそばにいるだけで疲れてしまいそうな気がする。

今年、東京でミョン・フンさんと共演したのラベルの「ピアノ協奏曲」をBSで観る。グリモーさんにとって自国の作曲家、共通土壌の音楽性、自信作のイマジネージョン。1楽章と3楽章、キラキラとした薄っぺらさ、軽やかで洒脱、楽しそうに面白がっている。指の回りの速さ、駆け巡る音符、イタズラッコの茶目っ気。真面目はドン臭い、力を抜いたくずし。均整を狙わず、逸脱寸前のハラハラドキドキ。それが粋、私の偏見なのか。ユニークな低音の響き、素適なこだわりの工夫。2楽章は一転して、心の安らぎ・穏やかさ。私の好きなジャン・フィリップ・コラールさんのバロック風の荘厳で敬虔な有り難味ではない。女性らしい優しい繊細な感覚、柔らかさ。それでもって脆くはかない美しさ、キレイさを勢イッパイ表現する。メンタルでなくセンシティヴィティ。ピアニストが楽譜からイメージした音楽、オリジナルでウットリ聴き入るだけ。思い通りの表現、嬉しそうな顔、充実感。
(2004.7.19)

アシュケーナージさん指揮、N響によるシューマンのコンチェルトをBSで見る。細部にわたりジックリと聴くことができ、改めて曲の面白さを教えられた気がする。3楽章、白熱したピアノ、オケとのヤリトリというか一方的。何かに憑かれた様なせっぱつまったヒタムキサ。玉砕覚悟の大立ち回り、ハラハラドキドキのツッパリ・パフォーマンス。真正面からのストレート勝負。この瞬間に是非伝えたい思いが凝縮、せき立てられかり立てられ、なりふり構わずさらけ出す。シツケの行き届かぬ音の乱れ、拘っている場合でなく仕方なし。自分自身の感情の追い込み、必死の格闘。無理が通って道理も通る、「一丁アガリ」威勢のよい掛け声の雰囲気。でも、達成の爽快な充実感でなく、痛々しいほどツンツンした神経の尖がり、パンパンに膨れた緊張が、重く心にのしかかる。
(2004.11.11)

バルトークの「ピアノ協奏曲3番」、ピエール・ブーレーズ指揮、ロンドン交響楽団。ブーレーズさんに負けじ劣らじの音楽性、バルトークとはかくありきと物申す自負。積極的に前向きに主導権、枝葉でなく根幹を把握。ツヤツヤとした音の表情、無機質の野蛮の権化とならじ。オーケストラとのコントラスト、音のブロックの衝突。臆することなく自己主張、個性発揮。巨大微小、伸縮自在、一歩も引けを取らず。常にプリマドンナ、女王陛下のノーブルさ。耳を澄ますと聞こえる夜の音楽でなく、湧き上がって伝わり来る静謐さ。脆弱なピアノの音、皆が眠りに落ち静まり返ったしじまに優しく響く。息を呑む幽けさと鋭敏さ。森の夜明けに転じ、音の寝起き、ザワメキと喜び。作曲家特有のトバリの切り口、微妙な和音のズレをドンビシャ。絡み合う糸をほぐす、イヤ、複雑に纏まっていただけとの如き滑らかさ。予測し得ぬ進行も当然の帰結。充実感にゾクゾク。変幻自在、乗りに乗った演奏。イキイキワクワク楽しがり、快活な笑い躍動感。ハムレット的深刻さの苦悩や、音楽上の急き立てられる衝動はない。音楽を母国語の様に思いのまま操る。表現なし得ぬ持ち札のギャップ、違和感はない。作曲家特有のギクシャク感、ダイナミックスのアンバランスにも難なく対応、後手々々すること心配全くナシ。クライマックスの快進撃、シャットアウト。音感や美意識のみならずバルトーク音楽にも絶対感覚を持っている。個性的。
(2005.2.4)

ショパンの「ピアノソナタ2番」。大見得を切っての流暢さ、屈託のなさ。悩みなき無重力、音の空中浮遊。彫りの深い切れ味クッキリ。再現は硬質ガラスの音色が加味。ノープロブレムから問題提起フェイズ。拉がれたキモチの発露、率直な感情の表われ。慌しく荒々しい身辺事情、無理して音を整えることはナシ。内面は穏やか、平穏無事、キレイという美意識を確保。周りは激しさを募るばかり。葬送の行進、厳かに敬虔にメリハリを付け、仰々しくキメルことでセレモニーに重みと格調が増す。失った者への思い、装飾、ヒネリを加えない素朴さ。心からの淋しさ、ポッカリとあいた空虚感。ナミダナミダの女々しさや称えるという賞賛的発想はないが、力のない澄み切った音に、失ったものの大きさを知る。再び聞こえる行進の音、儀式でなく悲しみのココロ、亡くなった者への心からの追悼。巻き戻したテープの早送り再生、エポックメイキングな音が見え聴こえする。果かなく空しい集約作業。

「子守歌」、穏やかな物腰、噛んで含める口調、ソフトタッチ。何度もの繰り返し、キラキラ光る万華鏡の中。クリアランンスの倍加、まどろみでなく目が冴えてきそう。突然のオシマイ。グリモーさん、眠る直前まで、沢山のコトが賑やかに目の前に現われており、眠りに落ちる瞬間、画像が突如消えるのか。「舟歌」、小船ではなく大型船。秘密なくセキララ、堂々朗々。ロマンチックというよりドラマチック。グリモーさんのショパン、18才録音のバラードと同様、ショパンらしくという脚色は全くない。自分で感じるがままの率直な表現、私の心に真っ直ぐ訴えてくる。真っ正直過ぎてハラハラドキドキする気恥ずかしさも何のソノ。
(2005.2.7)

 ラフマニノフの「ピアノソナタ2番」。シットリとした潤い、カラフルな色合い、メタリックな響きナシ。シャープなメスで前近代的な重厚さに立ち向い、シェイプアップしスリム化。フットワークの軽さ、精神の内面構造が明らか、モンスターのヨロイ・カブトというブラックボックスは存在せず。ロシア風というエィンシェントな田舎臭さは消失、都会センス充満、粋でシャレた香りが漂う。鋭い切っ先、ハッとする剣捌き、新鮮な切り口の断面。生々しい感情との遭遇、ハラハラドギマギ。スローライフ、ストップモーション。コンセントレーション、一つ一つの音の重みと深みが増長。ロマンの羽が生え、フンワリムード。でも、砂糖タップリのベタベタ甘さではなく、独立した絶対的なモノ。一人よがりの面白がりでなく、同意と支持を得たナィーブさ、大きなウネリで大きく開花。人の心を阻害耳障り音々は強く作用せず、葛藤は解凍モード、味方に取り入れての融合のカタチ。ピアニスト、作曲家の土俵の上で音楽観を展開、きれいさに陶酔感。ダイナミックさ、心地よいシリアスでメンタルな揺れの寄木細工。1985年、16才でのCDを聴く。1楽章、2楽章、いずれも2分ずつゆっくりとした演奏。前のはロシア風を意識。今回は、ショパン風ラフマニノフ。
(2005.2.11)

2年半ぶりにグリモーさんを聴く。2月に発売されたCDの曲が主体、それが一つの完成品と感じていたから、再現かなと思いきや、さらに進化した音楽。プライベートな独白に、ドラマチックと公共性と加味したもの。2年半前のココリアーノは神経ピリピリの感性の現われ、初聴と重なり取っ付きにくく五里霧中の手探りの記憶。今回は市民権を得たストレートな感情の表現、音楽の表情を窺い知る切り口多し。しかし、ピアニストの意図するコンセプト、高邁でハイレベルなフェイズもあり、理解及ばぬ瞬間も。でも、少なくとも今、精神の均衡が保たれ、明るい美しさを感じ嬉しく思っている。

グリモーさんの新聞評をみる。音楽に託されたコンセプトを評価したいという筆者の意図に反し、演奏テクニック云々だけの否定的な感想に終っている。書いた人のプロフィルを検索すると、ウチの父親とよく似たキャリアで、四角四面の似通った見方をみて苦笑する。彼にはグリモーさんにサガンさんの小悪魔を認めることができなかったのかな。(2005.7.17、7.20)

ベートーヴェンの「皇帝」。ジックリ語りかけるピアノ、効果よく浮き上がり、シリアスに心に響く、重みある存在感。作曲家のメッセージが、ビンビン手に取る様に。今までの印象、大きなスケール賑やかに、楽しげなザワザワ感、ブリリアントな競い合い、何か遠いところでの輝き、イマイチ好きではなかったのだが。こんなに含みの多い曲だったのだ、好さを再確認、好きなピアニストだからかも知れない。ベートーヴェンの「ピアノソナタ28番」、作りのない自然のフクラミ、キレイさを際立たせ、そして、いつもながら、音の重なり濁りも何のソノ、コウあるしかないとの思いの急きたて、説得力。ヒラメキに感受性をプラスの直観力。インスピレーションを着実に描写、演奏家の恣意でなく、作曲家の意図。フーガの絡み合いの素敵さ、グリモーさんの天才性。 先頃、内田さんも「ピアノソナタ28番」を録音、隅々までのダイナミックな抉り、コントロールの下、陰陽のコントラスト、手に取る様。自分のイメージの寄木細工、スッキリとクリアがモットー、判らないものを解きほぐす、ピアニストの試み、理知的な追い込み、時には窮屈。ノーミス狙いのパーフェクト処理、堅牢たる創造。
(2007.9.3)

6年ぶりにライブを聴く、同じ構成のCDを昨年発売、胃を手術したとのウワサも。モーツアルトの「ピアノソナタ8番」。1楽章、不協和音の連打、引っ掛り吃音気味の装飾音。何かに憑かれた様に疾風奔走、重苦しいアトモスフェア、落ち着く静寂スペースなし。やり場のない沈痛心の苛立ち、居ても立っても居られなさ。2楽章、コンセントレーション、キレイサのこだわり、ドラスティックな仕掛け。内省的突っ込み、ヒーリングに程遠い、ナーヴァス・アプローチ。切羽詰まった窮屈さ、演奏家のモーツアルト、このソナタしかないのかも。

ベルクさんの「ピアノソナタ」。止めどなく溢れ出る音の粒、湧き上がる奔流。中心から外へ外へと大きな広がり、眩い光り輝き、フルカラー総天然色のパレット。ばら撒かれた満天の星、一転輝きの消失、浮かび上がるロマンのオーロラ。アイデア工夫、手際良い表現、美しいクリアランス。

リストの「ピアノソナタ」、強烈な打鍵、その激しさに目を見張る。モチーフの目まぐるしい変化、進化して別断面を覗かす。大スペクタクルでの圧倒、反面美しい囁きにも注視。傷付き易い感性を赤裸々に、剛柔共に、途轍もないセンシティブ・クオリティ。表出する痛々しさ、ハラハラドキドキ気分。シッカリとした拠り所が共存、精神バランスを保持、ツァラトゥストラに成り変っての説教か。 以前受けた印象を再確認。作品群に真摯な問い掛け、初々しくフレッシュに、新鮮な解釈を施す。ホットな気持ちをありのまま、イメージに向ってストレート。多少音が濁っても、必然の成り行き、ノープロブレム。最初聴いた9年前に比べ、沢山の方々がグリモーさんに関心を寄せている。最大の理解者との自負(不遜)、看板を下そうか。後にCDを購入、ライブでの充実した成熟を再確認。
(2011.1.24)

木下健一さんが亡くなられたとの報を聞く、以前「レコード芸術」の海外楽信のフランス担当をされていた、すごいショックである。私が書く演奏会の感想に応援を下さった恩人である。2000年の金沢、チョン・ミョンフンさん指揮のフランス国立管弦楽団の感想を、仏訳して、楽員、楽団関係者への日本ツアーの配布資料しますとの連絡がキッカケ。エルバシャさん、グリモーさんをはじめ、沢山の演奏家の生の情報を教えていただいた。兄貴分の様な存在と思って連絡していたが同じ年齢とのこと、ここ何年間は連絡取り合うことがなかった、久しぶりの情報が訃報とは、非常に寂しい。
http://w2322.nsk.ne.jp/~kiyoto/p-grimaud.html

45. 中川隆[-11313] koaQ7Jey 2019年11月08日 10:27:13 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1585] 報告
2016年 05月 17日
エレーヌ・グリモー ピアノ・リサイタル GRFのある部屋
https://tannoy.exblog.jp/25235393/


今日は楽しみにしていた、エレーヌ・グリモーの演奏会に行ってきました。会場は、新宿のオペラシティです。この会場には、近くのバス停から渋谷行きに乗り、のんびりと行っても30分で着きます。とても便利な演奏会場なのですが、新宿にもどこにも寄りません。帰ってくるとそこは、家から200mの最寄りのバス停。地下鉄にも乗らず、喧騒の中に行かないので、演奏会の余韻をそのまま持って帰ることが出来ます。帰りは20分ぐらいで戻って来ますから、専用の送り迎え付き見たいです。

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下りる停留所は、国立劇場前で、オペラシティには、少しだけ歩きます。そのアプローチもいい感じです。もう、六時半になろうとしているのですが、陽が長くなっています。

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特徴ある入り口を入っていくと、ゆったりとしたアプローチが、目の前の甲州街道の喧騒から、音楽ホールへの気分転換を図ってくれます。この会場には、何時もオーケストラを聴きに来ます。だからといって、良くオーケストラのコンサートが開かれているわけではありません。山形交響楽団や東京交響楽団、東京フィルハーモニー、それに外国の一流だけど、超一流ではないオーケストラが演奏をしに来ます。

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今日の席は、なるべく前の方で聴こうと思い、前から4列目でした。ピアノはいつも右側で聴いています。指使いは見えませんが、演奏しているときの表情はが見えます。音も右側の方が良いですね。ピアノがピカピカで凄く大きく見えました。彼女の持ち込みのピアノなのでしょうか?(翌日ホールに確かめたら、ホールのピアノから選んだそうです)

彼女のCDは良く聴いています。入魂の演奏が多く、安易に聞き流すわけにはいきません。真摯な演奏には、こちらも真剣な姿勢を要求されます。会場の入りは、七〜八割ぐらいでしょうか?大分空席も見えました。この演奏を聴きに来ないのはもったいないと思いました。普通のピアノ演奏会から比べれば、すこし高い入場料ですが、それでもCD二枚分です。あれだけCDが出ていても、CDを購入する層と演奏会を聴きに来る層は違うのでしょうか。

私の中では、CDで聴くような音が、実際にするのだろうか?という興味が大きかった事も事実です。
演奏曲目は、

前半

・ラヴェル:水の戯れ op.30
・リスト:エステ荘の噴水
・ドビュッシー:沈める寺
・フォーレ:舟歌第5番
・ヤナーチェク:アンダンテ (霧の中より)
・アルベニス:「イベリア組曲」よりアルメリーア
・べリオ:水のクラヴィア
・武満 徹:雨の樹・素描 II

後半

・ブラームス:ピアノソナタ第2番嬰へ短調

というプラグラムです。このプログラムは、彼女の最新のアルバム「Water」に収録されている曲目だそうです。前半は全曲通して演奏されると言う事でした。順番にもこだわりがあるのでしょう。しかし、よく見るとCDのアルバムとは異なる順番で構成されていました。


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黒の上着に、パンタロンという実用的な姿で出て来たグリモーは、とても46歳には見えません。すっとピアノに座ると、第一曲が流れてきました。ん?これはラヴェルではありませんね。しかし、極めて美しいピアノの音です。いままで聴いたピアノリサイタルは、数え切れないほどですが、もっともはっきりとした音を出しています。調律もあっているし、音が澄んで、そして遠くまで響いていく音です。最後のペダリングも長く余韻が響いてきます。一番近い音は、メジューエワですが、演奏スタイルが違います。

二曲目もパンフレットの順番のリストではありません。どうやら順を変えて演奏されているようです。終わってから、曲順変更の案内を見ました。この順番が、CDでの順番ですから、元に戻したのでしょうね。リストも素晴らしく、最後の沈める寺の、音が沈んでいく最後まで余韻を響きかせておりました。終わった途端盛大な拍手が来ました。大満足です。

・べリオ:水のクラヴィア
・武満 徹:雨の樹・素描 II
・フォーレ:舟歌第5番
・ラヴェル:水の戯れ op.30
・アルベニス:「イベリア組曲」よりアルメリーア
・リスト:エステ荘の噴水
・ヤナーチェク:アンダンテ (霧の中より)
・ドビュッシー:沈める寺


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休み時間は、15分です。知った顔を探しましたが、常連はお見受けしませんでした。ただ、先日紀尾井のレーゼルでもお会いした旧知の方と再会しました。78歳になられるそうですが、ヴァイオリンとピアノの演奏会を中心に聴きに来ているそうです。去年の上野のワルキューレでもお見受けしましたが、とてもお元気です。私も、あと10年頑張らなければとネジ巻かれました。

後半は、ブラームスの作品2番のピアノソナタ第二番です。19歳のブラームスが、師匠のシューマンの奥さん、クララに献呈した曲です。嬰ヘ短調は、シューマンのピアノソナと1番と同じですね。青春の情熱に満ちています。その複雑な曲を、一切混濁せず、引き抜けていくグリモーの力量に驚きました。切れ味の違いは有りますが、パワーは、アルゲリッチにも負けません。全くミス無く、オクターブの難しい奏法を楽々とこなしていくのです。

第二楽章と第三楽章は、ロ短調、最後は嬰ヘ短調から、嬰ヘ長調へと昇華されていきます。前半のリストも、そういえば嬰ヘ長調の曲です。演奏会全体の色合いが、水のような調正に統一されていたのかも知れません。ピアノのおとはDGの定評あるピアノ録音と全く同じでした。録音の様に演奏会場では聞こえませんから、逆な意味で驚きました。  

アンコールは、お得意のラフマニノフでした。情緒たっぷりで、まったく違う響きを見せてくれました。私の中では、二十年前のロンドンでのポリーニ、昨年の名古屋でのメジュエーワ、そして、今回のグリモーが忘れられない演奏会になった様です。7月には、ロシア派の巨匠、プレトニョフがあります。私も最近は、ピアノとヴァイオリンばかりですね。

ホールを後にして、初台の食堂に入った途端、食堂の上を高架が通っている様な振動がし始めました。同時に、お客の携帯が一斉に振動し始め、緊急地震速報のけたたましい音が鳴り響きました。食堂の係りの人が、すぐに自動扉をあけていつでも逃げ出せるようにしましたが、それだけで収まったようです。

急いで、食事は終わらせて、バスに乗っていたら、あっという間です。高円寺の車庫を過ぎると、もう誰も乗っていません。家の近くの停留場下りて、夜道を歩いたら、これは、便利だと実感しました。次のオペラシティはヒラリー・ハンになるとおもいますが、その前に、お隣の新国立での、ローエングリーンがあります。また、バスに揺られて行きましょう。


Commentedby リウー at 2016-05-17 18:20 x

 行きたかったのですが、都合がつきませんでした。2010年のコンサートはアルバムresonanceの曲順そのままでした。
グリモーの音は、実際に聴くとかなり力強い感じがしました。

Commentedby TANNOY-GRF at 2016-05-17 18:25

リウーさん 残念でしたね。前回は6年前だったのですね。音は言われるように、力強い奏法です。ペダルを使って、あれだけ切れの良い音を出すのは、打鍵のスピードが速いからでしょうね。スタインウェイのピアノのサンプルみたいな音でした。

Commentedby Bellwoodat 2016-05-19 11:32 x

これは行ってみたかったですね。今はちょっとヨーロッパ旅行直後の虚脱状態なので。もっと小さいホールだったら無理して行っていたかもしれません。CDを買ってみます。

Commentedby TANNOY-GRF at 2016-05-19 15:53

Bellwoodさん あれだけの強行軍ですから、無理ないですね。私が聴いたピアニストのなかでも一二を争うほど、音が澄んできれいでした。空席があったのが信じられません。オペラシティは、次の晩はアルゲリッチだったのです。大分の震災のチャリティですね。とんでもないホールです。

Commentedby TANNOY-GRF at 2016-05-19 16:03

オペラシティのホールは、大きさはムジークフェラインザールとほぼ同じですね。違うのは、天井の形状です。前の方の10席ぐらいは、反射板の下で、音が抜けすぎません。今回は4列目でとても細かなニュアンスを聞き取ることが出来ました。SACDで聴くDGの音でした。ご夫婦で来られているかとさがしていました。
https://tannoy.exblog.jp/25235393/

46. 中川隆[-11312] koaQ7Jey 2019年11月08日 10:41:36 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1586] 報告

グリモーが机の上で指を動かしている。→何を弾いているのか。2017年3月7日
https://www.nemo2sha.com/grimaud-air-bach/


エアー指さばき。テーブルの上で指を動かしているエレーヌ・グリモーの動画がありました。さてエレーヌが何の曲を弾いているのかわかるかな?という質問と共にFacebookに公開されていたのが以下の動画。なんと13万回以上再生されている!



みなさん思い思いの答えをコメント欄に書いています。はい、正解が多いですね。以下に正解を書きますがその答えを読む前に何の曲か上の動画を見て、考えて下さい。

答え:「J.S.バッハの平均律クラヴィア曲集第1巻の第2番ハ短調のプレリュード」です。正解した方、おめでとうございあす。

この動画を見て思ったことを2つ3つ書いてみましょう・・・。

●グリモーというピアニストは、評価が分かれるピアニストでもあります。ものすごく熱狂的に彼女を持ち上げる人も居れば、冷ややかに酷評する人もいる。そして彼女の事を悪く言う人たちが、ほぼ決まったようにいう事があります、「彼女は利用出来るものはすべて利用して有名になった」「狼さえも彼女は自分の名声のため利用した」と言います。おお厳しい。・・・でもね、口さがないみたいですけれど、有名になるには利用出来るものは利用しないといけませんよね。自分自身が有名になったことないからわからないですけど。

腕が良ければ有名になれるというのは、ナイーヴな幻想です。才能のある人がチャンスを掴み、それを複数回ものにして初めて、有名になれるんですよ。才能だけじゃ駄目です。「面白いから売れるんじゃない、売れた物が面白いんだ」という誰かの名言がありますが、その感覚に少し通じますね。

「グリモーは有名になったら狼も捨てた」という話もよく聞くので、そうなのかなと昨日まで思っていたのですが、上の動画をよくご覧下さい。狼・・かどうかは100%の自信がありませんが、少なくとも大型の犬っぽい(ハスキー?シェパード・・?)動物が、彼女の右側に座っているようなのが見える。そして彼女が着ているTシャツにはWolfの文字が読める(正確にはfはみえないが多分fかvesです)。つまり、彼女は今も狼に愛着を持っていて、狼もしくは大型の犬を連れて歩いている、ということになりはしますまいか。疑ってごめん。

●また机の上のカップにはスターバックスの文字が。そして中に少し残っているドリンクはピンク色をしている・・・。これはネットでも話題になったスタバの裏メニュー「ピンクドリンク」なのではないか・・・??つまり、グリモーは熱心なスタバのファンでもあるのではないか・・・??

http://toyokeizai.net/articles/-/123451

●彼女のお腹のあたりにはウェストバッグのようなものが見えるので、もしかしてウェストバッグを愛用しているのか・・とぞっとしかけましたが、あれは肩からかけるタイプのバッグが脚の上で横になっているからそう見えただけで、たぶんウェストバッグじゃあ・・・ないよね。
https://www.nemo2sha.com/grimaud-air-bach/
47. 中川隆[-11310] koaQ7Jey 2019年11月08日 11:05:58 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1588] 報告

2017.02.26
なぜ音楽の「天才」は東京藝大を頂点とする秩序から排除されるのか
中川 右介
https://gendai.ismedia.jp/articles/-/51050

昨年秋から、クラシック音楽に関係するベストセラーが二点出ている。

ひとつは、直木賞を受賞した

恩田陸著『蜜蜂と遠雷』(幻冬舎)
https://www.amazon.co.jp/gp/product/4344030036/ref=as_li_ss_tl?ie=UTF8&linkCode=sl1&tag=gendai_biz-22&linkId=1a62c47df6c6c9dab9f7bad165124a60

もうひとつは東京藝術大学の現役の学生に取材したノンフィクション

二宮敦人著『最後の秘境 東京藝大 天才たちのカオスな日常』(新潮社)
https://www.amazon.co.jp/gp/product/4103502916/ref=as_li_ss_tl?ie=UTF8&linkCode=sl1&tag=gendai_biz-22&linkId=def841b0ff1e34820ed6f007005db4b2


この二冊は、まったく関係ないが、続けて読むと、何かが見えてくる気がする。

まず『蜜蜂と遠雷』だ。

架空の日本国内で開催される国際ピアノコンクール(モデルは浜松国際ピアノコンクール)の予選から本選までを、三人称多元視点で映画的に描く。コンクールに応募した、4人(モデルはいないと思う)が主人公だ。

その4人は、Amazonにある内容紹介を引用すると、

「養蜂家の父とともに各地を転々とし自宅にピアノを持たない少年・風間塵15歳」
「かつて天才少女として国内外のジュニアコンクールを制覇しCDデビューもしながら13歳のときの母の突然の死去以来、長らくピアノが弾けなかった栄伝亜夜20歳」
「音大出身だが今は楽器店勤務のサラリーマンでコンクール年齢制限ギリギリの高島明石28歳」
「完璧な演奏技術と音楽性で優勝候補と目される名門ジュリアード音楽院のマサル・C・レヴィ=アナトール19歳」

この4人とその関係者、審査員の数名が登場人物で、コンクールの一次、二次、三次、本選までの2週間が描かれる。それぞれの過去も説明されるが、それほど詳しくはない。

恩田陸はミステリ作家のイメージなので、これもミステリかと思ったらそうではなかった。

現実のコンクールは、殺人事件のひとつや二つが起きてもおかしくないくらい、欲望と名誉と金が渦巻く世界だ。しかし、この小説では、性格や人格に問題のある音楽家は出てくるが、彼らも音楽を愛し、音楽にはみな真面目な態度で対峙する。

審査員を色仕掛けや金で買収することも含めて、犯罪めいた出来事は起きない。主人公のひとりが不法侵入めいたことをするが、その程度だ。

「誰が犯人か」ではなく、「誰が優勝するのか」を知りたくで頁をめくっていくことになる。2段組で500頁近い大作で、読むのに5時間かかったが、一気に読んだ。それくらい面白い小説である。

だが、ストーリーを要約するのは難しい。

ひたすら演奏シーンが続く小説で、ストーリーは「あるピアノコンクールの予選から本選までが描かれる」でしかない。

主人公の4人が本選まで残るのだろうなということは、まあ、最初から察しはつく(実際にどうなるかはここでは書かない)。しかし、読み終わる頃、つまり本選が終わったところでは、もう誰が優勝するかはどうでもよくなっていた。

といって、「参加することに意義がある」とか、「音楽に優劣はつけられない」というキレイゴトに落ち着くのではない。結果は、一応出るが、あくまで、一応、なのだ。

そのラストは、漫画『タッチ』(あだち充)のラストに雰囲気が似ている。知りあいの元漫画雑誌編集者と話した時も、それが話題になった。

恩田が『タッチ』を意識しているのかどうかは分からないが、うまい終わり方だった。ただ、これを物足りないと感じる人もいるだろう。それはもう、好みの問題だ。


東京藝大を頂点とする秩序の実態

さて、『蜜蜂と遠雷』は天才の物語だ。

天才と天才は互いに理解でき、切磋琢磨していく。

天才ではない人は、どんなに努力しても、その頂点世界へは入れない。自分も天才と思っていたけどそうでなかった人は、いくら努力しても天才にはなれない。

そういう、どうしようもない「差」が描かれる。

天才に属する主人公たちの側に立って描かれるので、そういう現実は「すばらしい」こととなっている。

だが、読者のほとんどは天才ではない。

ピアノ音楽業界に関係のない人や楽器を演奏しない者は、他人事として楽しんで読めるが、ピアノを習っていていま努力している人、あるいはかつて努力した人が読むと、絶望感がわいてきて、それが作品への怒りに変わるのではないかと心配になるくらい、天才ではない人に対して冷淡だ。

この割り切りを、ピアニストやピアニスト志願者やピアノ教育関係者が容認できるかどうか。「こんなのは絵空事だ」と一蹴するか、粗探しをして批判する人のほうが多いような気がする。


ここで思い出すのは、10年ほど前、ドラマ化、アニメ化もされてブームになったコミックの二ノ宮知子著『のだめカンタービレ』(講談社)だ。

ブームになると、クラシック音楽業界は商機ととらえて飛びついて、一緒に盛り上げた。

あのとき、クラシック音楽業界は『のだめカンタービレ』を喜んで受け入れた。それは、あのコミックの主人公たちが、かなりの「変人」ではあるが、音大というシステムの内側にいる者だったからだ。

東京藝大を頂点とする日本のクラシック音楽業界の秩序を脅かすものではなかったのだ。

だが『蜜蜂と遠雷』は危険な小説である。東京藝大というシステムの無意味さを、著者が意識していないとしても、告発してしまっている。

だから、面白い。

このように『蜜蜂と遠雷』は音楽教育業界にとって危険な小説だから、拒絶反応もあるだろう。

といって、正面からは批判しにくいので、「こんな漫画みたいな主人公はいない」とか「演奏の描写が素人っぽい」という、そういうテクニカルな面での批判になる。

天才を排除してしまうシステム

『蜜蜂と遠雷』の危険性を逆説的に証明しているのが、二宮敦人著『最後の秘境 東京藝大 天才たちのカオスな日常』(新潮社)だ。

こちらはタイトルがまがまがしいが、ノンフィクション。

著者の二宮敦人は小説家。妻が現役の藝大の美術学部生で、彼女から聞く藝大生の話が信じられないようなエピソードが多いので興味を抱いて、取材して書かれたもの。現役の学生にインタビューした内容が中心の本だ。

東京藝術大学は唯一の国立の藝術大学で、美術学部と音楽学部とがある。この二つはもとは別の大学だったが、戦後、ひとつになった。この本では美術の学生と、音楽の学生の双方が、均等に描かれている。

帯には〈謎に満ちた「芸術界の東大」に潜入した前人未到、抱腹絶倒の体験記〉〈やはり彼らは只者ではなかった。〉とあり、奇人変人ものの装いをしている。

その奇人変人ぶりは、美術学部の学生のほうに多く、音楽学部学生は、口笛の専門家という変わった学生も出てくるが、親に言われて子供の頃からピアノを習っていて、頂点である最難関の東京藝大に入りました、という従来のイメージの学生が多い。

そういう子供の頃からピアノを習っている人たちは、「一般庶民とは別世界に住んでいる」という点では変わっているが、残念ながら、『蜜蜂と遠雷』の主人公のような天才性も奇抜さもない。

奇人変人度では、美術学部の学生に圧倒的に負けてしまう。


この本は、「東京藝大」全体をテーマにしているので、量的に美術と音楽が均等になっているが、読んで印象に残るのは美術学部生の話のほうだ。

美術学部生は誰もが、どこかしら「奇人変人」なのに、音楽学部生は、根本的なところでは一般社会からズレているものの、性格や人格には破綻はなく、あまり面白くない。

東京藝大の音楽学部からは秀才しか生まれないんだなあ、いやその逆で、天才は排除されて秀才しか入れない藝術大学なんだなという、音楽業界で言われていることの再確認をした。

現実の音楽の天才とは?

ここで改めて『蜜蜂と遠雷』を思い出す。

『蜜蜂と遠雷』の主人公たちは、この日本音楽界の頂点である東京藝大とは無縁だ。

つまり、この小説からこんな世界観が読み取れる。

〈破天荒な天才は、ピアノ教室を底辺とし東京藝大を頂点とするシステムからは排除される。しかし、真の天才は、分かる人には分かるので、何らかの方法で世に出て、秀才たちを打ち負かす。〉

一生懸命にピアノを習い、頂点である東京藝大に入れた人も、東京藝大には入れなかったけど他の音大に入った人も、藝大・音大を目指している人も、みんな天才の引き立て役でしかないのだ。

では、現実の音楽の世界での天才たちとは、どういう人なのか。


1月に、クラシック音楽の最高峰で活躍している人々のエピソードをまとめた

『現代の名演奏家50 クラシック音楽の天才・奇才・異才』(幻冬舎新書)
https://www.amazon.co.jp/dp/434498451X/ref=as_li_ss_tl?s=books&ie=UTF8&qid=1487832793&sr=1-1&keywords=%E7%8F%BE%E4%BB%A3%E3%81%AE%E5%90%8D%E6%BC%94%E5%A5%8F%E5%AE%B650%E3%80%80%E3%82%AF%E3%83%A9%E3%82%B7%E3%83%83%E3%82%AF%E9%9F%B3%E6%A5%BD%E3%81%AE%E5%A4%A9%E6%89%8D%E3%83%BB%E5%A5%87%E6%89%8D%E3%83%BB%E7%95%B0%E6%89%8D&linkCode=sl1&tag=gendai_biz-22&linkId=2202032c84a69e5eb0c50815caf7b348


を上梓した。

音楽教育論の本ではないのだが、「音楽を誰かから学ぶ」とはどういうことなのかを考える手がかりを散りばめたつもりだ。

指揮者やヴァイオリニストやオペラ歌手も出てくる本だが、ピアニストのエピソードをいくつか紹介しよう。

当代一のピアニストといえば、マウリツィオ・ポリーニとマルタ・アルゲリッチであろう。ポリーニは1960年に、アルゲリッチは65年に、ショパン国際ピアノコンクールで優勝した。

そしてこの二人の「師」とされるのが、やはり20世紀のピアニストのなかでトップ10に入るクラスの、アルトゥーロ・ベネデッティ・ミケランジェリだ。

ところが、この三人の演奏はまるで違う。

師と弟子も違えば、弟子同士も違うのだ。師弟といっても、「こう弾け」とか「こう解釈するのが正しい」とか、そういうものを伝授する関係ではない。

アルゲリッチはイタリアのミケランジェリのもとに一年半ほどいた。それなのに彼がレッスンをしたのはわずか4回。

このことについてミケランジェリは「静寂の音楽」を教えたかったからだと、禅問答のようなことを言っている。

これ以上ここにいてもしょうがないと思ったのか、アルゲリッチはその後、アメリカへ行く。彼女が憧れているピアニスト、ヴラディーミル・ホロヴィッツに弟子入りしようと考えたのだ。

アルゲリッチがホロヴィッツのもとへ行ったのは、彼女が最初にレコードを出した時、何の面識もないのにホロヴィッツから賞賛の手紙が届いたからだった。それでアルゲリッチとしては、この人のもとへ行って教えてもらおうと思ったわけだ。

しかし、ホロヴィッツという世界最高のピアニストは、弟子をとらないことでも知られていた。アルゲリッチも、結局、会うこともできなかった。

だが、それで恨みに思うことはない。

ホロヴィッツはめったに演奏しなくなっていたが、アルゲリッチはスケジュールの都合がつく限り、ホロヴィッツのコンサートへ行く。そして楽屋を訪ねることもあったが、それ以上の関係にはならない。

一度もレッスンをしなくても、この二人も師弟関係にあると言ってもいい。

アルゲリッチは何かをホロヴィッツからも学び取っているのだから。


そのアルゲリッチが師となることもある。

フランス出身のエレーヌ・グリモー(1969〜)は、この年代のピアニストとしては珍しく有名コンクール出身ではない。パリ音楽院に入学したが、そのシステムに馴染めず、指導教授とも対立して音楽院をやめてしまった。チャイコフスキー・コンクールでは入賞もできなかった。

それでも17歳でプロとしてデビューするのだからスゴイが、その後も協奏曲のコンサートに出演した際、巨匠指揮者バレンボイムと対立する。

壁にぶつかった彼女を迎え入れたのが、アルゲリッチだった。

ヴァイオリニストのギドン・クレーメルが主宰する音楽祭にグリモーが呼ばれ、そこでアルゲリッチと出逢い、「直感の生命力」を学んだという。そしてクレーメルからは「譜面上での知的な練習」を学んだ。

おもしろいのは同じピアニストのアルゲリッチからは精神的なことを、ヴァイオリニストのクレーメルからは具体的な練習法というかアプローチの仕方を学んでいることだ。

このように、世界のトップクラスの音楽家たちのエピソードには、専業の教師から学ぶことよりも、音楽家同士の交流から学び取ったことのほうが多く出てくる。

単純に、そういう話のほうが面白いからでもある。

だが、「音楽を学ぶ」ことには、日常的な練習とか教育とは違う次元のものがあり、そこに到達した者だけが、世界最高峰の演奏家になれる。

音楽院や教師不要論を展開するつもりはないが、結局、天才同士にしかわからない世界があり、そうやって認め合う者たちによって、クラシック音楽の最高峰という世界は作られているのだ。

『蜜蜂と遠雷』が描く「若い天才たちが知り合うことで刺激を受けて成長していく物語」は、いかにも作り物めいているように思うかもしれないが、かなりリアリティを感じるのだ。

48. 中川隆[-11404] koaQ7Jey 2019年11月08日 12:22:52 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1494] 報告


気になるピアニスト: エレーヌ・グリモー 2005/05/15
https://otium.blog.fc2.com/blog-entry-1076.html


現在活躍しているフランス人ピアニストの中で、私が一番気になるのはエレーヌ・グリモー(Hélène Grimaud)という女性ピアニストです。

と言っても、彼女はアメリカに住んでいて、英語の方が流暢ではないかと思ってしまうほどなのですが。

フランスでは余りコンサートをしていません。それでも彼女はフランスでもかなり人気があります。

というのも、彼女は大変な美人なのです。

フランスの男性好みの美女ではないかと思います。ただ顔立ちが良いというのではなくて、個性があって、こういう人をガールフレンドにしたら大変そう... という感じ。





彼女はオオカミ好きとして知られています。アメリカではオオカミ保護センター(Wolf Conservation Center)までつくってしまったくらいなのです。それで、よけいに神秘的な魅力があるのかも知れません。

初めのうち、私は彼女が美人だからもてはやされているのだと抵抗を感じていたのですが、コンサートに行ってからは印象が変わりました。この人の演奏には何か惹き付けられる魅力があるのです。

シンプルなパンタロン姿で、子どもがはにかむような表情を見せて舞台に登場したエレーヌ。ラフマニノフのピアノ協奏曲第2番でした。ピアノの惹き方にはかなり男性的な力強さがあります。

指使いを見て驚きました。

指が恐ろしく長い! というのをまず感じたのですが、その指が、まるでオオカミが爪で引っ掻くような動きをしたのです。手前から鍵盤の奥に動く。野生的な情熱を感じました。

優れたピアニストは、ピアノの先生が教えるような手の形では弾いてはいないとは思っていました。でも、こんな動きを見たのは初めてです。

それが、なぜかテレビで見る彼女の演奏では見えないのが不思議...。下に彼女が演奏しているところをビデオで見れるリンクを張りますが、それを見ても、コンサートで見たオオカミの指の動きは見えません。

追記(2019年):

エレーヌ・グリモーと、彼女がニューヨークに開いたWolf Consevation Centerの狼たちが映っている動画がありました:


Hélène Grimaud joue avec les loups - HQ (TV5 Le Point)






◆一風変わったピアニストの自叙伝



5月9日の日記(夢と現実のギャップから「パリ症候群」は生まれる?
https://otium.blog.fc2.com/blog-entry-1083.html


で、私が住んだエクス・アン・プロヴァンスは何か孤独を感じさせる町だったと書いたのですが、エレーヌ・グリモーはこの町で生まれています。

彼女は半生を語る自叙伝も出版していて、日本語版の紹介では次のようになっています。

 野生のしらべ

「15歳でCDデビューを果たし、天才少女とうたわれたピアニスト、エレーヌ・グレモー。苦悩と迷い、あこがれと確信にみちた半生をみずみずしく綴った自伝的エッセイ。学校に溶け込めない、友だちができない、勉強も習い事も、うまくいかない。自分の気持ちを表現できない。私の居場所はここではない「どこかべつの場所」…。度重なる自傷行為やひきこもりと闘う彼女を救い、癒したのは、本と自然とピアノ、そしてオオカミだった。今、エレーヌは、世界中の子どもたちのすこやかな精神のために、惜しみなく手をさしのべる」

この本の中で彼女は、「私は子ども時代には何のノスタルジーを持っていない(Je n'ai aucune nostalgie de l'enfance.)」などと語っています。

あのエクス・アン・プロヴァンスという町は、やはり冷たさのある町なのかな、と思ってしまいました。でも、それを推進力にしたエレーヌと、そこから何も見出さなかった私との差を感じてしまいます...。天才と凡人の差...。

エレーヌは15歳で初めてのCDを出してしまうほどの天才でした。私はもっと長い年月ピアノを弾いたのですが、全く上達しませんでした...。


◆母国より日本の方が頻繁に来ている!

フランスで彼女のコンサートに行くのは容易ではありません。

かなりのエレーヌ・ファンが私の友達の中にいるのですが、はるばるコンサートに行ったら彼女の都合でキャンセル。その後に、ようやくディジョンでコンサートがあったときに演奏を聞けて感激していました。

ところが、彼女が初めて日本でコンサートを開いたのは17年前で、頻繁に来日しているようです。

今年も6月末から各地でコンサートをするようです。2月に来日したばかりのようなのに!

そうなのですよね...。

日本では、世界の名だたる演奏者のコンサートが開かれるのですから。

私も日本でコンサート通いした頃には、主だったピアニストはすべて生で聞くことができたように思います。

それでも気難しいエレーヌ。フランスだけではなくて、日本でもコンサート・キャンセルをやっているようです。

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エレーヌ・グリモーに関するリンク:


☆ドイツ・グラモフォン(Deutsche Grammophon)のエレーヌ・グリモー情報(英語、仏語): ビデオ、CDの視聴、プロフィール、写真などが豊富に入っています。


・CD紹介: Hélène Grimaud: Rachmaninov, Chopin
https://www.deutschegrammophon.com/jp/cat/4775325

・CD紹介: Hélène Grimaud: Credo
https://www.deutschegrammophon.com/jp/cat/4717692


☆エレーヌ・グリモーのオフィシャルサイト(Hélène Grimaud’s Official Website)
http://www.helenegrimaud.com/

☆Universal Classicsのサイトのエレーヌ・グリモー情報
https://www.universal-music.co.jp/helene-grimaud/


https://otium.blog.fc2.com/blog-entry-1076.html
49. 中川隆[-11669] koaQ7Jey 2019年11月08日 15:19:07 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1229] 報告

173名無しの笛の踊り2019/11/08(金) 14:52:59.86ID:bBOUIBJs

モーツァルト判らんコンプレックス炸裂!!

それにしてもブラームスは偉人受け悪い過ぎで、
凡人受け担当だな!!


174名無しの笛の踊り2019/11/08(金) 15:05:06.86ID:KEXXni1S

フルトヴェングラーもクナッパーツブッシュもモーツァルトの交響曲は殆ど演奏しなかった

大指揮者の交響曲の評価は

ブルックナー >> ベートーヴェン >> ブラームス >> シューベルト >> メンデルスゾーン
>> モーツァルト >> シューマン >> チャイコフスキー >> フランク >> ベルリオーズ >> シベリウス

175名無しの笛の踊り2019/11/08(金) 15:15:09.47ID:KEXXni1S


クナッパーツブッシュが一番高く評価していた交響曲は

brahms Symphony No. 3, Knappertsbusch (1963) ブラームス 交響曲第3番 クナッパーツブッシュ - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=th82p_KdqWo

指揮:ハンス・クナッパーツブッシュ
シュトゥットガルト放送交響楽団
録音:1963年11月15日 (実況録音)

_____


Bruckner Symphony No.8 in C minor - Hans Knappertsbusch - Munchner Philharmoniker - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=Y98VWelVzOM

ハンス・クナッパーツブッシュ
ミュンヘン・フィルハーモニー管弦楽団
1963年ライブ音源

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Bruckner - Symphony No 9 - Knappertsbusch, BPO, 30-01-1950 - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=RoSBvB0_s2E

Berlin Philharmonic Orchestra conducted by Hans Knappertsbusch
Live recording 30/01/1950 Titania-Palast, Berlin


Bruckner, Sinfonie Nr.5, Knappertsbusch 1959(pseudo-stereo) - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=k-R9xxLCC2c

Munchner Philharmoniker
Hans Knappertsbusch 1959(pseudo-stereo)

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Bruckner Symphony No.7 Hans Knappertsbusch 1963 - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=tGMhTdHjRmY

Koln Radio Symphony Orchestra 10 may 1963

50. 中川隆[-12007] koaQ7Jey 2019年11月08日 20:00:29 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[891] 報告

180名無しの笛の踊り2019/11/08(金) 19:19:24.21ID:VRMcv5T4

この流れ糞うぜえ

181名無しの笛の踊り2019/11/08(金) 19:28:39.16ID:KEXXni1S

常識的な作曲家のランキング


バッハ、ヘンデル、モンテヴェルディ、ベートーヴェン

>> ブルックナー、ワーグナー、ブラームス

>>モーツァルト、シューベルト、ドビュッシー、バルトーク、メンデルスゾーン、シベリウス

>>ハイドン、シューマン、ショパン、ベルク、シェ-ンベルク、ストラヴィンスキー、ショスタコービッチ

>>チャイコフスキー、ラフマニノフ、ドボルザーク、フォーレ、ラベル、グリーク、ヴィヴァルディ


を認めないアホがいるからブラームスの音楽史上でのポジションがわからなくなるんだな

182名無しの笛の踊り2019/11/08(金) 19:57:50.18ID:KEXXni1S

常識的なオペラのランキング


ポッペアの戴冠 >> ウリッセの帰還 、オルフェオ

>> トリスタンとイゾルデ、 神々の黄昏、ワルキューレ、パルジファル

>> ヘンデルのオラトリオ >> ドン・ジョヴァンニ

>> 魔笛、フィガロの結婚、コジ・ファン・トゥッテ

>> 魔弾の射手 、 ペレアスとメリザンド、 ヴォツェック、青ひげ公の城

>> ヴェルディ、プッチーニ、ビゼーのアホ・オペラ


を認めないアホがいるからモーツァルトの音楽史上でのポジションがわからなくなるんだな

51. 中川隆[-12105] koaQ7Jey 2019年11月08日 20:48:12 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[793] 報告

183名無しの笛の踊り2019/11/08(金) 20:42:41.57ID:KEXXni1S

モーツァルトの魔笛がオペラの最高傑作だと思っているアホは
魔笛をヘンデルと比べてみれば自分の視野の狭さがわかるよ:


Die Zauberflote Bruno Walter Metropolitan Opera 3rd March, 1956 - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=G2xsfpKosqQ
____

Handel - Opera Agrippina, HWV6 Rene Jacobs Akademie fur Alte Musik Berlin - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=jJ6fP5MTXgU

René Jacobs, conductor
Akademie für Alte Musik Berlin


_____

handel Hercules - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=UtY3kwWA_mY

English Baroque Soloists · John Eliot Gardiner

____


Handel - Samson - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=4rkISEQyW88

Münchener Bach-Orchester
Karl Richter

____

Handel 1724 Giulio Cesare HWV 17 Emmanuelle Haïm - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=EYrhRv59l78

52. 中川隆[-12635] koaQ7Jey 2019年11月09日 05:47:59 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[263] 報告

184名無しの笛の踊り2019/11/08(金) 21:04:59.19ID:IVBRKiGF

2004-2019年で世界で最も演奏された作品
Verdi La traviata 9449 1907
Mozart Die Zauberflöte 8924 1434
Bizet Carmen 8404 1629
Puccini La bohème 7794 1518
Puccini Tosca 6844 1425
Mozart Le nozze di Figaro 6699 1304
Mozart Don Giovanni 6293 1204
Puccini Madama Butterfly 6259 1345
Rossini Il barbiere di Siviglia 6030 1299
Verdi Rigoletto 5831 1251
Strauss,J Die Fledermaus 5172 838
Mozart Così fan tutte 4306 855
Verdi Aida 4166 880
Humperdinck Hänsel und Gretel 4032 716
Donizetti L'elisir d'amore 3822 851
Lehár Die lustige Witwe 3515 539
Puccini Turandot 3354 718
Tchaikovsky,P Yevgeny Onegin 3310 700
Verdi Nabucco 3070 747
Donizetti Lucia di Lammermoor 2702 590

185名無しの笛の踊り2019/11/08(金) 21:05:56.63ID:IVBRKiGF

2004-2108のオペラの最も演奏された作曲家
Verdi 39655 8481
Mozart 32493 6218
Puccini 29558 6237
Rossini 12835 2821
Donizetti 11326 2580
Wagner,Richard 11294 2934
Bizet 9369 1872
Strauss,J 7530 1192
Strauss,R 6635 1393
Offenbach 6137 1067
Tchaikovsky,P 5820 1324
Lehár 5613 800
Handel 4602 1136
Humperdinck 4110 736
Britten 3947 850
Kálmán,E 3928 643
Janáček 3122 635
Bellini 3050 731
Gounod 2929 634
Leoncavallo 2600 619

186名無しの笛の踊り2019/11/08(金) 21:06:34.19ID:IVBRKiGF

これがオペラの世界の現実だよ

187名無しの笛の踊り2019/11/08(金) 21:10:53.84ID:4DOcYLoD

モーツァルトは聴きやすい

188名無しの笛の踊り2019/11/08(金) 21:12:45.12ID:4DOcYLoD

ワーグナーのオペラは通して聴くのはちょっときつい


190名無しの笛の踊り2019/11/08(金) 21:35:16.72ID:IVBRKiGF

>>184, >>185 の数字の左はperformances(上演回数)でみぎはproductions(演目とでもいうのか?)だよ
これは世界でならした数字
国によって作品の偏りがあるのは否定できない

191名無しの笛の踊り2019/11/09(土) 05:44:39.00ID:glD+LRwS

2台の独奏楽器の為の協奏曲は誰が聴いても

バッハ >> ブラームス >> モーツァルト

だよ。 作曲家のランキングはすべてのジャンルで大体同じになるんだ:


Bach Double Violin Concerto-Fritz Keisler and Efrem Zimbalist - YouTube
NYC, 1915
https://www.youtube.com/watch?v=J3l9i5LZRA0

Bach - Heifetz - Friedman, 1960 Concerto for Two Violins in D Minor, BWV 1043 - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=UdIq_0FonZE

Brahms Double Concerto, Francescatti & Fournier & Walter (1959) - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=tcyCY4q5Isw

Brahms, Double Concerto (Oistrakh, Rostropovich) - YouTube
David Oistrakh, Mstislav Rostropovich
Cleveland Orchestra, George Szell, 1970
https://www.youtube.com/watch?v=Et1zSwsXubE

Mozart Concerto for Flute, Harp, and Orchestra in C Major, K. 299 - YouTube
Hubert Jellinek · Wiener Philharmoniker · Karl Münchinger
https://www.youtube.com/watch?v=btuJ3zsrz_M

Marcel Moyse - Concerto for Flute and Harp in C Major - Mozart KV 299 - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=8m3-d05JAF4
https://www.youtube.com/watch?v=h-WuhAdF1ds

53. 中川隆[-12652] koaQ7Jey 2019年11月09日 06:34:03 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[246] 報告
192名無しの笛の踊り2019/11/09(土) 06:32:36.77ID:glD+LRwS

ピアノ独奏の変奏曲は誰が聴いても

バッハ >> ベートーヴェン >> ブラームス >> モーツァルト

だよ。 作曲家のランキングはすべてのジャンルで大体同じになるんだ:

Glenn Gould plays Bach - The Goldberg Variations, BMV 998 (Zenph re-performance) - YouTube
recorded in June 1955
https://www.youtube.com/watch?v=Ah392lnFHxM

Bach The Goldberg Variations BWV 988 (Recorded1981) - Glenn Gould 432Hz - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=ktwqfgeOOsg

Mozart - Variations K.353 - Kraus - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=_U3D9zO8QiA

Lili Kraus plays Mozart Variations K455 (1938 recording) - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=7-r_xWY0fN0

beethoven 32 Variations in C minor on an Original Theme, WoO 80 - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=ZJHtr9x-OFI

Diabelli variations- W. Backhaus.. - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=m0ud7EwbPaY

Brahms - Händel Variations, Op. 24 (Murray Perahia) - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=c7oZFVs_Ixw

Richter plays Brahms Handel Variations opus 24 - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=m8uVBxy-c1M

Wilhelm Backhaus plays Brahms Variations on a Theme of Paganini Op.35 (1925) - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=t7eWKu1LQPU

Backhaus plays Brahms Variations on an Original Theme opus 21 (1936 rec.) - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=_V3yjBQfSpE

54. 中川隆[-12741] koaQ7Jey 2019年11月09日 08:15:23 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[157] 報告
194名無しの笛の踊り2019/11/09(土) 08:11:02.31ID:glD+LRwS

弦楽四重奏曲は誰が聴いても

ベートーヴェン>> ショスタコービッチ >> バルトーク >> ブラームス >> シューベルト >> モーツァルト

だよ。 作曲家のランキングはすべてのジャンルで大体同じになるんだ:
僕はショスタコービッチは生理的に受け付けないけど

Mozart - String Quartet No. 14 in G major K. 387 Takács Quartet - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=9H26VD_QYx0

Mozart - String Quartet No. 15 in D minor K. 421 (417b) Takács Quartet - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=D4yG5dh5uuE

Beethoven - String quartet n°11 op.95 - Busch SQ - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=QqA1cM4OQMs

ベートーヴェン 弦楽四重奏曲第12番 バリリ四重奏団 - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=HUBbt8bWjMs

ベートーヴェン 弦楽四重奏曲第13番 バリリ四重奏団 - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=RHUk2kBi53g

Beethoven String Quartet No.14 op.131 Capet Quartet 1928 - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=dulV8wxCFRM

Beethoven String Quartet No15 A Minor Op132 Capet Quartet 1928 - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=IOeh9DaYVo0

Beethoven String Quartet No 16 Op 135 in F major.! Alban Berg Quartett - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=38DA-F1V0t8

シューベルト 弦楽四重奏曲第13番 Vienna Konzerthaus Quartet (1951) - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=U8uB-zBAKME

String quartet n°14 D.810 "Der Tod und das Mädchen" Busch String Quartet
https://www.youtube.com/watch?v=Rt9zBed3oW4

シューベルト 弦楽四重奏曲第15番 Vienna Konzerthaus Quartet (1950) - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=AMDi5rZHEoc


Busch String Quartet - Brahms Quartet #1 - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=1E7pUkIh6Hk

The Busch quartet play Brahms String Quartet No. 2 in A minor - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=ZISBEHevtO0

String Quartet No. 3 in B Flat Major, Op.67 Alban Berg Quartett - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=-1ZBEsj1cKc


Bartók String Quartet No.3, Takács Quartet - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=QhPv_2-VG1Y

Bartók String Quartet No.4 Takács Quartet - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=5xPhenUxi0c

Bartók String Quartet No.5 Takács Quartet - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=7f29-B2XVDA

Bartók String Quartet No.6 Takács Quartet - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=Vtz7S5FTDaE


Shostakovich - String quartet n°8 - Borodin SQ Edinburgh 1962 - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=gwostsHeRdw

55. 中川隆[-13073] koaQ7Jey 2019年11月09日 12:27:00 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-175] 報告

198名無しの笛の踊り2019/11/09(土) 12:07:23.06ID:glD+LRwS

序曲のランキングは


ベートーヴェン >> ヘンデル >> ワーグナー >> グルック >> ドビュッシー
>> ウェーバー >> シューマン >> メンデルスゾーン >> モーツァルト
>> シューベルト >> リスト


かな。 モーツァルトのオペラは名作でも序曲は大した事ない:

Georg Frideric Handel - Agrippina - Sinfonia (John Elliot Gardiner with English Baroque Soloists) - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=OHDC5OVuquM

Handel - Overture to the oratorio Solomon - YouTube
John Eliot Gardiner conducts the English Baroque Soloists
https://www.youtube.com/watch?v=EJCXxS3GRv8

Handel Israel in Egypt - 1. Overture - Gardiner - YouTube
John Eliot Gardiner conducts the English Baroque Soloists
https://www.youtube.com/watch?v=H67RY06mNPY

handel Alcina - Overture - Karl Richter - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=-rHbnP2_K0o

handel Belshazzar - Overture - Karl Richter - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=m3Vuf8jr7TM

handel Jephtha - Overture - Karl Richter - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=L_jtWiXDFOQ

G. F. Haendel - Giulio Cesare - Ouverture - Karl Richter - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=_mUYAWmjVP4

56. 中川隆[-13072] koaQ7Jey 2019年11月09日 12:28:16 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-174] 報告

Gluck - Alceste Overture - Berlin - Furtwangler 1942 - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=dbvs8n1f-Cc

WILHELM FURTWaNGLER 'IPHIGENIE EN AULIDE' Gluck, Overture - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=bDbLJ3sWgRI

____

Furtwängler conducting Mozart's Don Giovanni Overture Salzburg 1954 (In Colour) - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=4s1OFwAlMMw


Bruno Walter - Mozart Le nozze di Figaro フィガロの結婚ーOverture(1932) - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=-Y0Wm68wYp0

Bruno Walter - Mozart Le nozze di Figaro Overture NBCso 1951.2.24 - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=IccckVE7_fg

_____

Beethoven - Egmont Overture - Wilhelm Furtwangler, 1953 - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=ONDQHSy7aEs

Beethoven - Egmont - Berlin - Furtwangler 1947 - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=TnlADE2CUGs

Leonore Overture No. 2, Op. 72a - YouTube
(1954 Live) Berliner Philharmoniker Wilhelm Furtwangler
https://www.youtube.com/watch?v=VTTqcKI98-8

Wilhelm Furtwangler Coriolan, overture - YouTube
Live recording; Berlin, on 27 July 1943
https://www.youtube.com/watch?v=QoultibNlus

57. 中川隆[-13071] koaQ7Jey 2019年11月09日 12:30:12 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-173] 報告

序曲

Weber - Oberon - Leningrad - Mravinsky 1978 - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=0w8KI7sVx2k

Weber, Ouvertüre zu 'Der Freischütz', Furtwangler 1954(pseudo-stereo) - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=bs0WfMA5sto

Weber, Ouverture zu 'Euryanthe', Furtwangler 1954(pseudo-stereo) - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=E1TPPCNFr9Y

_____
schubert Rosamunde Overture (Furtwangler) - YouTube
Berlin Philharmonic, Wilhelm Furtwangler Live Recording, September 15, 1953
https://www.youtube.com/watch?v=GlbPgRDoSkc&list=RDGlbPgRDoSkc&start_radio=1

____

Mendelssohn - A Midsummer Night's Dream Overture - Berlin - Furtwangler studio - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=C38_LZp2n6E

Furtwangler - Mendelssohn Fingal's Cave - Overture Op.26 (1930) - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=j1OV5Omci9k

_____

liszt Les Preludes, Furtwangler & VPO (1954) - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=ozNlrE-1KBs

____

Schumann - Manfred Overture Op. 115 (1852) - Furtwangler, BPO, 1949 (Remastered 2012) - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=B9JW6lL4iMo

58. 中川隆[-13070] koaQ7Jey 2019年11月09日 12:31:19 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-172] 報告

wagner Tannhauser - Overture - NBC Symphony Orchestra-Toscanini (1948) - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=D8Yq1CibSeI

Wagner - Overture to The Mastersingers of Nuremberg - Furtwangler BPO 1942 - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=FoU-iCT21fc

wagner Die Meistersinger von Nürnberg, Prelude, Schuricht (1961) - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=c4T9IeV0xJM

Wagner - Tristan und Isolde - Prelude and Liebestod (Furtwangler - Berlin Philharmonic,1942) - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=LQbORNavtbk

Wagner Parsifal Prelude Wilhelm Furtwangler - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=K5Fp8d2jZ8E

______


Brahms - Tragic Overture - Vienna - Knappertsbusch live - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=3F55iz4WhkM

Academic Festival Overture, Op. 80 - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=vyiaLll7_D8

_____


Debussy - Prelude à l'après-midi d'un faune - Leningrad - Mravinsky - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=9LpkGXLgPBo


という事で、序曲に関してはモーツァルトもブラームスも期待外れでしたね

ウェーバーやリストやシューマンの方が遥かに名曲でした

59. 中川隆[-13338] koaQ7Jey 2019年11月09日 15:39:14 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-440] 報告

206名無しの笛の踊り2019/11/09(土) 15:27:36.47ID:glD+LRwS

20年ほど前アメリカで、モーツァルトを聴くと「IQが上がる」「頭が良くなる」と話題になりました。

大学生を対象にしたテストで、モーツァルトを聴くと空間認知のスコアが上がるという研究結果が出たのです。

そのため、子どもにはモーツァルトを聴かせるべきだという説が大流行し、「モーツァルト効果(The Mozart Effect )」と呼ばれるようになりました。

しかしその後、他の研究者が再現しようとしたところ同じ結果は出ませんでした。
そして、この「噂」に終止符を打ったのは、モーツァルトの故郷であるオーストリアのウィーン大学が出した研究結果です。

2010年に発表された論文で、モーツァルトの音楽に特別な効果はないことがわかりました。


オーストリアのウィーンの研究者は、単にモーツァルトの音楽を聞くだけで、特定の認知機能強化があるという、
いわゆる「モーツァルト効果」にはエビデンスがない、という明確な結果を示した。〜ScienceDaily

というわけで、モーツァルト効果は単なる「言い伝え」となったのです。
ではなぜ、日本では今でもこのテーマが話題になるのでしょうか? 
簡単に言えば、本やCDの宣伝効果があるからでしょう。

210名無しの笛の踊り2019/11/09(土) 15:31:30.97ID:Qcd/gKbL

> >
> > > > 序曲のランキングは
> > > >
> > > > ベートーヴェン >> ヘンデル >> ワーグナー >> グルック >> ドビュッシー >> ウェーバー >> シューマン >> メンデルスゾーン >> モーツァルト >> シューベルト >> リスト
> > > >
> > > > かな。 モーツァルトのオペラは名作でも序曲は大した事ない:
> > > >
> > > >
> > > ↑
これが、ブラームスとかベートーベンみたいな偽物かつぎ上げるゴミ脳の言葉!

211名無しの笛の踊り2019/11/09(土) 15:32:04.27ID:glD+LRwS

モーツァルトは子供の音楽で、モーツァルト・ファンはIQ低いんだ

それで「モーツァルトは史上最高の天才」だとか、「モーツァルトを聴くと IQ が上がる」だとかすぐに信じてしまうんだな。

60. 中川隆[-13355] koaQ7Jey 2019年11月09日 15:57:42 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-457] 報告
212名無しの笛の踊り2019/11/09(土) 15:55:01.48ID:glD+LRwS

同じイタリアの作曲家でもモンテヴェルディの音楽とヴェルディやプッチーニの音楽が天と地ほで違う理由


ミラノとは北イタリアの厳しく寒い、霧の土地です。
ナポリやローマの地中海に面した温暖明媚な都会でもなければ海辺の町でもない。
そこにある空気はイタリア的というよりゲルマニアに近い。
https://womanlife.co.jp/topics/k-2734

イタリアでは一般的にミラノ、フィレンツェ、ヴェネチアがあるゾーンを北イタリア、
ローマの辺りを中央、ローマから下、ナポリ、シチリアのゾーンを南イタリアと言います。
イタリアは、南北に長い国なので場所によって気候や風習が大きく違います。
建物の雰囲気も南北では大きく違います。
イタリア人の中でも、「彼は南の人だから」とか「北の人だから」と会話に出てくるほど性格に違いがあり、
その違いは日本でいう東京と大阪の違い以上に顕著です。

南イタリア人は、まさに日本人がイメージするイタリア人像です。笑うのが大好き、ふざけるのが大好きです。
 
イタリア人は、家族や友達のつながりが強いのですが、南の人は特に強いつながりを持ちます。
また、近隣住民とのつながりも強く、家族のように振る舞います。
初めて会った人でもまるで旧友のように話し始めます。
それは、観光客であっても話し始めたら抱きしめてくれて旧友のように接してくれます。

北イタリアの人は、イタリア人のイメージと違い神経質で心配性な人が多いです。
友達や家族のつながりを大切にしながらも、自分の時間や空間を大切にします。働き者でもあります。

旅行で人とのふれあいを期待するなら南イタリア、建築物や芸術を楽しむ旅行には北イタリアが良いかもしれませんね。
個人的に仕事・住居・ショッピングは、北イタリア、食・バカンスは南イタリア
ただし、南イタリアの女性だけの旅はいろいろ注意も必要。女性のご旅行の際は2人以上での旅行にしてみては?

文:Maki.C(イタリア在住音楽家/翻訳家)
http://www.ryugakupress.com/2016/02/26/italian-4/

61. 中川隆[-13370] koaQ7Jey 2019年11月09日 16:06:12 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-472] 報告
イタリアの南北で分裂する!? 「イタリアの深刻な南北問題」
2018年2月メールマガジン
https://guideassociation.com/mailmagazine/post-4028/

Buon Giorno!
ボンジョルノ!
おはようございます!

フィレンツェ観光ガイドサービス&ブライダルフローレンス(海外挙式プランナー)
代表 片庭未芽(カタニワミメ)です。

2月後半に入りましたが、
イタリアはまだまだ寒い北風が吹く
寒い日が続いております。

なんと今週末は、
シベリアから寒波が入ってくるそうで、
フィレンツェでは滅多に降らない、雪の予報も。。。。!

さて、今日のメールマガジンのテーマは・・・・・

イタリアの南北で分裂する!? 
「イタリアの深刻な南北問題」

を取り上げてみました!

イタリアは日本と同じく、
南北に長い国土をしています。

日本と似ていて、周囲を地中海に囲まれています。
(日本は島国ですが、イタリアは半島です)

よくイタリア事情で耳にする
「南北問題」って聞いたことありますでしょうか?

簡単にいうと、

イタリアの北と南でかなりの
生活水準の格差があり
それが、分裂問題、または、人種差別

(地方差別というのが相応しいかもしれません)

にまで繋がっているのです。

特に、イタリアの本当の首都は
ローマですが・・・・

イタリアの経済の首都は
ミラノという、
北にあるイタリア経済を
支える大都市です。

ミラノに行くと、
イタリアンスーツをビシッと着て
ネクタイをしたビジネスマンが多く、
街も、とても綺麗。

特にファッション、モードの発祥地
と言われ、
ショッピング通りを歩いているだけで、
オシャレな「ミラノマダム」=セレブ
が闊歩しています。

(なんと釣れている犬まで
ヴィトンのリードをしていたり。。。。!!)

ミラノ、その近郊のトリノ、
自動車産業で有名なエミリアロマーニャ州などには、
イタリア全体を支えて行く
経済の街が集中しているのです。

ところが。。。。。

南イタリアを見てみましょう。

ローマは首都ではありますが、
経済としては

観光都市以外としては
特に際立ったものもなく、

街は、汚いし、盗難は多いし。。。。

さらにローマから南に行くと。。。

ナポリ、カラブリア、プーリア、シチリア。。。

ますます、「危険地区」とも言われる
ヤクザのアジトが多く存在する場所でもあります。

でも、外国人が考える

「陽気なイタリア人」
というイメージはまさに
南イタリアの人たちなのでは
ないでしょうか?

実は南イタリアでは
失業率が高く、
(働いていても、正式な契約ではなく、
全て、nero=黒い労働と言われて、
税金を払わない、日雇い労働)

物価は北イタリアよりも
安いのですが、
給料が安く、
(というか稼ぎがないので、生活もなかなか大変)

そのために、
若者は、南を拠点とする「ヤクザ」に
傾倒して行くので、
犯罪や薬物に染まって行く。。。

というのが南イタリアの状況なのです。。。。

結果、イタリアという国全体に何が起こるのかというと。。。

南イタリアの人は税金を払わないので、

(職が無いか、
Nero =税金無払いの職についているから)

結局、北イタリアの人が払っている高額な
税金は南にほとんどまわされる・・・・

= 北イタリアの労働者が重税に悩まされるが
それは、ほとんど、自分たちの街(北イタリア)には
反映されていない。

という悪循環が生まれるのです。。。。

実際、イタリアには、
LEGA NORD=北結束政党
というのが古くから存在し、
現在、かなり選挙では
有力だとも言われているのですが、
彼らのモットーは
「南北分裂」

「イタリアの北と南を分けよう!!」

そうすれば、

南イタリアに税金を回さずに、
北イタリア経済に恩恵をもたらすことができる
という目的を掲げているのです。。。

実際、北イタリア(特にミラノ)には、
南イタリアから移住した
住民が多いと言われます。

(南では、仕事がないので、
北に行って出稼ぎしているか、
そのまま、移住して、ミラノ生まれの子供達の世代が
今のミラノ人の中心となっている場合が多いのですが)

中でも、ミラノ言葉で
「sei proprio un mandarino」
「お前は、ミカンだね!」
という人を馬鹿にする言葉があります。

ミカン=南イタリアからくる果物:
南イタリア人のように、馬鹿だという意味

という、ひどい「人種差別と言っていい」
言葉があるくらいなのです。。。

やはり、ナポリ弁や、カラブリア弁を話していると
かなり学校でも馬鹿にされると言いますし。。。

ただ、イタリアは最近はもう、学校の中でも、
地方の差別というよりは、
外国人の生徒がかなり増えてきているので
そちらの差別の方がどうしても濃くはなっているようですが。。。

何年か前に、イタリア映画で
「benvenuto ai sud」=南へようこそ!

というお笑い系映画が流行りました。

北イタリアのエリートを目指していたサラリーマンが
突然、南イタリアに飛ばされるというストーリーで。。。

最初は、家族や周囲に、「死に別れ」当然のように見送られ、
防弾チョッキを着て、南に単身した主人公。

最初は、生活に慣れず、
南イタリアの方言も全く理解できず、
恐怖と不信感に悩まされ
1日も早くミラノへ帰りたいと
嘆きます。。。

ところが、徐々に、南イタリアの人々の
心の暖かさ、陽気さ、懐の深さ、
生活リズムのリラックス感

何よりも素晴らしい自然と美しい海、そして美味しい食事。。。など

に主人公は気がついていき、

結局は彼は南の素晴らしさを発見することになるという
ストーリーなのです。。。

イタリアというのは、
地方色がとても強い国だと思いますが、
それ全てを合わせて、
多種多様の民族が
昔から、混じり合い(古代ローマ帝国時代から)
お互いに共有し、影響しあい、発展してきた国です。

人って違うからこそ、「素晴らしい」と思いませんか?

イタリアという国の素晴らしさはそこにあると思います。

北から、南から「本当にイタリアという国は、行く街、
会う人、全然特徴が違う!」

だから何度訪れても興味深い国

:それがイタリアの良いところだと思っています。

来月の3月の選挙では、
このleganord レーガノルド :南北分裂を掲げている政党が
勝たないことを祈るばかりです。。。。
https://guideassociation.com/mailmagazine/post-4028/

62. 中川隆[-13457] koaQ7Jey 2019年11月09日 17:20:01 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-559] 報告

215名無しの笛の踊り2019/11/09(土) 15:59:48.23ID:Qcd/gKbL

>>214

> > > モーツァルトは子供の音楽で、モーツァルト・ファンはIQ低いんだ
> > >
> > > それで「モーツァルトは史上最高の天才」だとか、「モーツァルト効果」のデマをすぐに信じてしまうんだな。
> >
> > ↑
ブラームスやベートーベン聞く奴の知性レベルが解るコメントですな!

217名無しの笛の踊り2019/11/09(土) 16:35:47.00ID:glD+LRwS

お子様には未成年のアイドルの歌う流行歌とモーツァルトが合ってるんだよな

218名無しの笛の踊り2019/11/09(土) 16:48:27.62ID:Qcd/gKbL

> お子様には未成年のアイドルの歌う流行歌とモーツァルトが合ってるんだよな


だよな!だよな!
このモーツァルト判らんスレッド最高!
https://lavender.5ch.net/test/read.cgi/classical/1571178797/l50

63. 中川隆[-13636] koaQ7Jey 2019年11月09日 19:58:54 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-738] 報告

231名無しの笛の踊り2019/11/09(土) 19:42:51.99ID:glD+LRwS

Brahms orch. Schoenberg Piano Quartet No. 1 in G minor Op. 25 (1861 orch. 1937) - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=ZAhrIt6Rd0I

Performed by the London Symphony Orchestra conducted by Neeme Järvi.

____

Brahms orch. Edmund Rubbra Variations & Fugue on a theme by Handel Op. 24 (1861 orch. 1938) - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=OXHjZI6tWZw

Originally composed for solo piano.
Performed by the London Symphony Orchestra conducted by Neeme Järvi.

232名無しの笛の踊り2019/11/09(土) 19:45:05.44ID:glD+LRwS

ブラームス/シェーンベルク ピアノ四重奏曲第1番 - YouTube
サイモン・ラトル指揮BPO
https://www.youtube.com/watch?v=xANZT4GdyMg
https://www.youtube.com/watch?v=Yppkz1DQFsw
https://www.youtube.com/watch?v=wLOpvIiu09g
https://www.youtube.com/watch?v=225xKAM9McM

233名無しの笛の踊り2019/11/09(土) 19:49:48.94ID:glD+LRwS

シェーンベルグ編曲より原曲の方が遥かにいいというのが何かなー


Piano Quartet No. 1 in G Minor, Op. 25 - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=H47HIgpeNfE
https://www.youtube.com/watch?v=6zort-YrOqM
https://www.youtube.com/watch?v=C-ZhWhF-itc
https://www.youtube.com/watch?v=wqORoyQ3mgA

Artist: Adolf Busch
Artist: Hugo Gottesmann
Artist: Herman Busch
Artist: Rudolf Serkin



▲△▽▼


ブラームスの「交響曲第5番」?

ナチス政権の成立によってドイツを追われることとなったシェーンベルクは、パリを経てアメリカに亡命する。その地でシェーンベルクはオーケストラ作品への編曲を幾つか手がけるが、その一曲にブラームスが若かりし頃に書いたピアノ四重奏曲もあった。

シェーンベルクは出来上がったこの編曲に大変満足し、聴衆からも高い評価も獲得する。中には「ブラームスの交響曲第5番」というものまであった。しかし、実際のこの曲はブラームスが決して自らの交響曲に使わなかった楽器や特殊奏法のオンパレードであり、そして何より、ジプシー音楽的な情熱をそのまま表現した音楽それ自体、ブラームスが決して交響曲の題材に選ばなかったものである。

そのことを考えると、この編曲をブラームスの交響曲第5番と呼ぶことは、やはりあまり適当なこととは言えない。しかし、一つ視点を変えてみると、また違った様相が見えてくる時がある。

シェーンベルクはウィーンで正統派ユダヤ教徒の家庭に生まれた。しかし宗教的には自由な環境で育つ。1898年、24歳の時にプロテスタントに改宗する。同化ユダヤ人となってウィーンでの社会的地位を改善するためであったが、ウィーンで勢力の強いカトリックは選択しなかった。その後、シェーンベルクはウィーンやドイツ・ベルリンで活動を続ける。しかしユダヤ的なものへのこだわりはシェーンベルクの中でくすぶり続け、「ドイツ人」を追われた1933年、亡命の経由地パリでユダヤ教に改宗する。

しかし、ドイツ時代のシェーンベルクは、自分を偉大なドイツ音楽の継承者だと信じて疑わなかった。このことは次の言葉からも推し量る事ができよう。「ドイツ民族の魂から生まれた、外国の影響を全く受けていない私の音楽は、ラテンやスラヴ民族の覇権の期待に最も効果的に対抗し得る芸術の実例である。」(1931年、エッセイ「国民音楽」より。)偉大なドイツ音楽の伝統を受け継いだその自分を放り出したナチスに対して、シェーンベルクは憤懣やるかたないことだったろう。アメリカの地で、シェーンベルクは快適な環境を容易には見つける事ができずにいた。ましてや、ヨーロッパで苦労の末獲得した作曲家としての名声や尊敬など、ここ新世界アメリカでは御伽噺でしかなかい。

そんな中での「ブラームスの交響曲第5番」という言葉は、例えそれが編曲に対しての言葉であっとしても(アメリカの聴衆にはこの作品のメロディがブラームスのものだと気付かない者もいたが)、シェーンベルクは決して悪い気はしなかったであろう。

その昔、ブラームスの交響曲第1番は初演された当時「ベートーヴェンの交響曲第10番」と呼ばれた。偉大なベートーヴェンの伝統を受け継ぐもの、という意味を込めてである。これを踏まえると、シェーンベルクはここにおいて、ベートーヴェン−ブラームスと続くドイツ音楽の系譜の中に位置付けられる存在となったのである。そしてこの編曲以降、シェーンベルクの作品には《コル・ニドレ》や《ワルシャワの生き残り》《現代詩編》など、ユダヤ的な作品がより目立った位置を占めるようになる。このブラームスのピアノ四重奏曲の編曲は、シェーンベルクのドイツ的なものからユダヤ的なものへの転回点の時期に位置する作品であるといえるかもしれない。
https://www.chibaphil.jp/archive/program-document/brahms-sinphonie-5

▲△▽▼


ブラームス ピアノ四重奏曲 第1番 ト短調 シェーンベルク編曲版
https://www.chibaphil.jp/archive/program-document/brahms-piano-quartet

〈未完成〉との間を繋ぐ鍵としての『ハンガリー・ジプシーの音楽』

1828年に31歳で早世したシューベルトと、5年後の1833年に生れたブラームス。その接点が、1880年代にブライトコプフ社が刊行したシューベルト全集で、ブラームスが交響曲の巻の編纂を担当したことにあるのは拙著『交響曲の名曲・1』で述べたとおりだ。しかし1822年前後に作曲されたまま眠り続け1865年に初演された〈未完成〉と、それより前の1861年に完成・初演されたブラームスの〈ピアノ四重奏曲・第1番〉との関係をひもとくのは一筋縄ではいかない。鍵は『ハンガリー・ジプシーの音楽』にある。

以前ハンガリーの指揮者I.フィッシャーがN響に客演して『ハンガリー音楽特集』を指揮した際に〈未完成〉が入っていたので、その理由について質問を受けたことがある。しかし、これは音楽映画『未完成交響楽』をご存じの世代には説明を要しないことであろう。そこではハンガリーの貴族エスタルハージ家の令嬢との恋の破局が、第3楽章以下を破棄させた原因として描かれていたからだ。史実を自由に取捨選択してロマンティックなフィクションを創作した古典的音楽映画にクレームをつけるなら、例えば、最晩年に作曲されることになる〈菩提樹〉が既に歌われている等、幾らでもできるが、シューベルトが高名な貴族の音楽教師として雇われてハンガリーのツェレスに赴いたのは事実(但し令嬢は、まだ12歳だったのだけれども)。そして〈未完成〉にハンガリー・ジプシーの音楽を思わせる主題が登場するのも明らかなのだ。

第1楽章が始まって直ぐオーボエとクラリネットがユニゾンで吹く主題@がそれ(以下ジプシー関係の譜例は、比較し易いようにイ短調に移調してある)。ついでに言うと、こうした単旋律を木管で呈示する場合、普通は一つの楽器のソロの方が推奨される。違う楽器2本のユニゾンだと音程が合いにくいからだが、シューベルトが敢えてリスクを犯したのはハンガリー・ジプシーの使う木管楽器の土臭い音色を、ダブル・リードのオーボエとシングル・リードのクラという異種の混合色で真似しようという意図があったからだという説もある。

brahms pq fig01

Aがハンガリー・ジプシーの短音階とされるものだが、@の↓のミ♭あたりが、クラシック音楽の一般的な短音階とは違って『こぶしを効かせた』感じとなる。これを半音高いミ・ナチュラルで演奏してみれば、この音が〈未完成〉の哀調を帯びた雰囲気の鍵を握っていることがお分かり頂けることだろう。

brahms pq fig02 03

ジプシー音楽はウィーンでも聴けたはずであり、シューベルトがツェレスで初めて接したということにはならないと思われるので、シューベルトの場合、時系列的な前後関係まで深追いしても意味はないが、ブラームスの場合は直接の伝授者がはっきりしている。17歳の時に知り合ったハンガリーからの亡命ヴァイオリニスト、レメーニだ。その成果が35歳の1868年に〈ハンガリー舞曲集〉として発表されたのはご存じのとおりだが、それより前に初演されて大成功を収めたハンガリー・ジプシー系の作品がある。それが他ならぬ、この〈ピアノ四重奏曲・第1番〉なのだ。

1861年にクララ・シューマンのピアノ他で行なわれた初演は、特に第4楽章が聴衆から最も喝采され、友人の大ヴァイオリニスト、ヨアヒムもこのフィナーレ楽章を絶賛したという。Bがその主題。この場合音程そのものは普通の旋律的短音階なのだが、6小節目(↓)で高く跳ね上がるあたりが民俗的だ(普通ならオクターヴ下になるはず)。

パソコンがフリーズしてしまったおかげで、この原稿は03年のニューイャー・コンサートを観ながら打っているのだが、アーノンクールが〈ハンガリー舞曲第5番〉をブラームスが一番気に入っていたというライヒェルトの編曲で演奏している。その中で最も目立った特徴は、主部の終わりで、旋律線が通常よりオクターヴ高く跳躍すること。この『裏返った』強調こそは、Bの6小節目と同じで、ブラームスがジプシー風と感じていたポイントの一つに他ならないのではあるまいかと、改めて実感した次第。フィナーレ楽章中間部のチェロに出てくる短調の主題Cなどは、ジプシーの嘆きそのものと言っても過言ではなく、理屈っぽい説明は不要だろう。
https://www.chibaphil.jp/archive/program-document/brahms-piano-quartet

交響曲をどう終わらせるか。ベートーヴェンの重圧。

ハイドンが100曲以上も交響曲を書き、モーツァルトも40曲を超えたのに、ベートーヴェンが9曲しか残さなかったのは後の交響曲作曲家にとって大きなプレッシャーとなった。数の少なさではなく、作曲家が芸術家としての全能力を注ぎ、思想的な主張まで折り込んだ選りすぐりの傑作として交響曲を位置づけなければならなくなったからだ。そのためブラームス、チャイコフスキー、ドヴォルジャーク等は、古典派の時代だったら交響曲としてもおかしくない内容の曲を、〈セレナード〉や〈組曲〉として発表することになる。シューベルトがロ短調交響曲を未完成のまま残した理由を、そうしたあたりに求める学者も少なくない。

シューベルトは6曲の未完成交響曲を残しているが、そのうちの5曲は〈6番〉を作曲した19歳より後に集中している。楽想は幾らでも湧いてくるのから、素材は直ぐに出来てしまうのだが、それを纏めあげてベートーヴェンに較べて見劣りしないような4楽章仕立ての大交響曲として仕上げるのが至難の業だったからだ。ロ短調の〈未完成〉の場合は、第1楽章からトロンボーンを使うのに加え、最初から大衆音楽としてのジプシーの要素を導入するなど、ベートーヴェンを越えようとする新機軸を採用して意欲満々で前半2楽章を書き終えたものの、その着地の仕方に手こずり、仕切り直し的に再挑戦したハ長調の〈グレイト〉で、一応、一つの解答を見出したところで神に召されたのである。

ブラームスの場合も2曲のピアノ協奏曲を、その内容の重厚さから『ピアノ独奏付きの交響曲』と呼ぶこともあるし、例えば〈交響曲第5番〉になるはずがヴァイオリンとチェロの〈二重協奏曲〉になったように、交響曲として着想した素材を、結局は違う形の曲に仕上げたケースも多い。

ブラームスは43歳の1876年に完成・初演した〈1番〉を含めて4曲しか交響曲を残していないのだが、シェーンベルクの堂々たる編曲でお聴きになれば、それより15年前に初演されたこの〈ピアノ四重奏曲・第1番〉こそは、2曲の〈セレナード〉よりも『幻の交響曲』に相応しいことを実感されるに違いない。シェーンベルクは、冗談めかして「ブラームスの〈5番〉」と呼んでいたそうだが、原曲の成立年代を考慮するなら、ブルックナー風に〈0番〉とする方が似合いではあるまいか。しかしその場合に引っ掛かる可能性があるのが、ジプシー音楽風のフィナーレなのだ。

フィナーレを締め括る『ジプシーの音楽』による熱狂

シェーンベルクは長さや構成は原曲を尊重して、オーケストレーションだけに仕事を限っているので比較し易い。もし仮にブラームス自身が同様の試みを行なったとしたら、色彩は比べ物にならないくらい地味になったに違いないにしろ、シェーンベルクの編曲版と同じく原寸大の交響曲的な大作が出来上がったのは間違いないのだ。もし、それを〈交響曲第1番〉として発表したなら、当時の批評は、前半3楽章の北ドイツ的な重厚さを認めつつも、新進気鋭の若手が力及ばず、第4楽章で「大衆音楽へ擦り寄った」として批判した可能性が強い。

我々が、こうしたフィナーレにそれほど違和感を感じないのは、既に後の〈ハンガリー舞曲集〉の編曲者としてのブラームスを知っていることも大きい。更には、チャイコフスキーの交響曲〈第4番〉やドヴォルジャークの〈8番〉等、民俗音楽的・民衆音楽的な要素を打ち出したフィナーレを結論とする交響曲が歴史的に承認されてしまってから後の耳で聴いているという事実も忘れてはなるまい。

結局ブラームスは、交響曲の終楽章としては4曲とも構成的に凝った『芸術音楽』として誰からも後ろ指を差されないフィナーレを書いたわけだが、このシェーンベルク編曲版を体験すると、血気盛んだった20代に、こうした舞曲的な乗りで最後にエネルギーを開放するタイプの交響曲 -- ベートーヴェンの〈7番〉やメンデルスゾーンの〈イタリア〉を継承してバッカス的な熱狂で終わるタイプのシンフォニーを発表しても良かったのではと思えるのだ。少なくとも筆者は、シェーンベルクの優れた編曲に感謝しつつ、後の4曲に比すべき本格的な交響曲として演奏するつもりである。

話を〈未完成〉に戻そう。一頃〈未完成〉を完成させようという試みが真剣になされ、作曲を公募するコンクールさえ行なわれたこともある。それをブラームス=シェーンベルクによる〈0番〉的な解答から遡って考えてみると、シューベルトの場合も、ハンガリー・ジプシー的なフィナーレ楽章という選択肢もあり得たのではないかという気がしてくる。今回この2曲が並んだのは偶然の賜物だが、〈未完成〉の『幻のフィナーレ楽章』という観点から、想像を巡らすのも一興であろう。
https://www.chibaphil.jp/archive/program-document/brahms-piano-quartet/page-2


シェーンベルクの編曲と楽章の解説
https://www.chibaphil.jp/archive/program-document/brahms-piano-quartet/page-3


この編曲はナチスを逃れてロサンジェルスに定住することになったシェーンベルクに、同様の境遇で同地にいた指揮者クレンペラーが提案することで実現した。チェロやヴィオラを弾いて原曲を知り尽くしていたシェーンベルクは、ブラームスの構造をいじることなく、オーケストレーションのみに徹して編曲を行なったが、ピッコロ&バス・クラリネット、コールアングレといったブラームスの使わなかった管楽器を含む3管編成で打楽器をマーラーの交響曲ばりに総動員したために、極めて色彩的なスコアとなっている。編曲は1937年、初演は翌38年5月7日にクレンペラーの指揮によってロスで行なわれた。その時のエピソードとして、この編曲を無調・12音技法の雄シェーンベルク自身の新作と勘違いしたロスのマネージャーが「なぜ人が『シェーンベルクにはメロディが無い』と言うのか私には分からんね。あの曲は、とてもメロディックなのに」と評したことが知られている。

第1楽章 アレグロ、ト短調、4/4拍子、ソナタ形式。

第1主題はDとEからなる。ブラームスは〈4番〉の第3楽章で、こうした双頭主題を上下に重ねて同時に出すといった芸当を見せるが、ここではDが終わったらEをという普通の形。しかし再現部ではE→Dと逆にして古典派的・図式的なシンメトリーを避けるように工夫し、全体がストーリー風に発展してゆくロマン派的な展開を選択。第2主題はFとその変容Gで、苦悩を内に秘めた第1主題群に対して、若者らしく積極的に進む意志が感じられる。

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20代のブラームスはシューマンによってヨーロッパ楽壇に華々しく『天才出現』と紹介されたものの、翌年そのシューマンが入水自殺を図り、やがて精神病院で没するという悲劇を目の当たりにした。これが23歳の1856年のこと。子供達を育てながらピアニスト・作曲家として活躍する未亡人クララ・シューマンに対する想いは生涯に亙って続くが、当時は極めて熱いものがあった。この楽章には、そうした『シュトゥルム・ウント・ドランク(疾風怒濤)』時代の青年作曲家の心の嵐と諦念が刻印されている。

第2楽章 "インテルメッツォ(間奏曲)" アレグロ・マ・ノン・トロッポ、ハ短調、9/8、三部形式。

インテルメッツォと題されてはいるがシューマン風な短いエピソードではなく、実質的にはかなり規模の大きなスケルツォ楽章。但しベートーヴェン的な哄笑や諧謔とは無縁で、主部はむしろ歌謡的。ブラームスは〈交響曲第2番〉の第3楽章で、牧歌的な主部に軽快なトリオを挟む『逆スケルツォ』を実践しているが、この楽章はその原型か。第1楽章の嘆きを継承したような暗い主部Hに、突然、光が差し込んだかのような軽快なトリオ(アニマート、変イ長調)Iが挟まれている。

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このIは5小節の変則的なメートリクを採用しているだけでなく、その中にシューマン→ブラームス楽派のDNAとも言うべきヘミオラのリズム・パターン(タイを使った2小節単位の3拍子)を含んでいるのが重要。メンデルスゾーン風のスケルツォの飛翔感にペンタゴン的な5角形の車輪を与えたようなこのトリオは、一見、ごく普通の走馬灯のように見えるが、実は、全曲中で最も過激な実験精神を秘めた箇所なのだ。後の〈ハイドンの主題による変奏曲〉の最後で5小節周期のパッサカリアを採用しているが、このトリオはテンポが速いぶん、リズム的な要素がマジカルに浮き上がってくる。

主部に戻った後のコーダは、トリオの陽光を回想しハ長調で結ばれる。

第3楽章 アンダンテ・コン・モート、変ホ長調、3/4、三部形式。

前楽章のコーダで予感されたように、ここで楽章としては初めて長調に転ずる。この楽章はオーケストラ化によってシンフォニックなスケールを獲得し、本格的な緩徐楽章としての訴えかけが一段と強まった。この主部J全体は〈交響曲第2番〉を走行試験的に先取りしているのだが、コーダでその原主題が、正に〈2番〉そのままの姿で現示されるあたりは、ブラームス・ファンにとって聞き逃せないポイントの一つであろう。

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付点リズムを特徴とする経過的エピソードを経て飛び込む中問部(アニマート、ハ長調)Kは、シェーンベルクがギャロップ風のリズムを打楽器群によって強調したために、騎馬軍団が走り抜けてゆくようなイメージが一段と鮮明になっている。

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第4楽章 "ロンド・アラ・ツインガレーゼ(ジプシー風のロンド)" プレスト、ト短調、2/4、ロンド形式。

シェーンベルクがこの楽章のジプシー風の性格を強調しているのは、冒頭のBの伴奏音型の弦に弓の木部で叩く奏法を要求して、ハンガリー・ジプシーの楽器チンバロン(棒状の撥で弦を叩くピアノの原型となる楽器)を模していることでも明らかだ。更に重要なのは、この楽章の舞曲的なエネルギーを謝肉祭的な熱狂へと開放するために、木琴、鉄琴、タンバリンといったブラームスが使わなかった打楽器群を総動員して、原色的なオーケストレーションを施していることだ。

シェーンベルクは第1楽章ではブラームスの渋い響きを尊重しているのだが、楽章を追うごとに色調を自らの時代の方に引き寄せ、このフィナーレで近代兵器としてのオーケストラのパレットを全開するのである。

3小節周期の乗りの良いメートリクを特徴とするBに対して、無窮動的なLは、祭のざわめきを感じさせるが、シェーンベルクがそこに原曲にはない不協和音によるハロウィン的なギャグを仕込んでいるあたりも聞き物だ。

brahms pq fig13

中間部でテンポが緩んで、Cを交えた新たなクープレに入るあたりは〈ハンガリー舞曲・第1番〉や〈5番〉と似たパターン。コーダ直前のカデンツァは、ストコフスキーを思わせるオルガン風な響きと、ソロ群の対比が鮮烈な効果を上げる。コーダのストレッタ(追い込み)もオーケストラ化による筋肉強化、特に金管群の音色旋律的な格闘が興奮を一段と煽り、舞曲的な熱狂が臨界に達したところで締め括られる。
https://www.chibaphil.jp/archive/program-document/brahms-piano-quartet/page-3

64. 中川隆[-13653] koaQ7Jey 2019年11月09日 20:07:30 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-755] 報告

234名無しの笛の踊り2019/11/09(土) 20:06:30.19ID:glD+LRwS

Johannes Brahms - Luciano Berio Sonata for Clarinet and Orchestra (1986) - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=Fp96PLO9ugg

Johannes Brahms (1833-1897): Sonata for Clarinet and Orchestra in F Minor Op. 120 n.1,
trascrizione per clarinetto e orchestra di Luciano Berio (1925-2003) (1986)
--- Fausto Ghiazza, clarinetto --- Orchestra Sinfonica di Milano "Giuseppe Verdi" diretta da Riccardo Chailly ---

I. Allegro appassionato
II. Andante un poco adagio
III. Allegretto grazioso
IV. Vivace

65. 中川隆[-13670] koaQ7Jey 2019年11月09日 20:09:55 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-772] 報告

235名無しの笛の踊り2019/11/09(土) 20:09:21.41ID:glD+LRwS

Brahms Clarinet Sonata, Opus 120 No. 2 in Eb (orchestrated) - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=0YEUjECXhUM


Margaret Donaghue-Flavin performs with the Frost Symphony Orchestra - April 22, 2016.
Thomas Sleeper, conductor and orchestrator.

66. 中川隆[-14320] koaQ7Jey 2019年11月10日 11:32:55 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-1422] 報告

251名無しの笛の踊り2019/11/10(日) 07:32:40.43ID:lK3Y379i

お子様は未成年のアイドル歌手の歌う流行歌とモーツァルトを聴いてればいいんだよ

そもそも、谷村新司の曲とモーツァルトの名曲とレベル全然変わらないだろ:


いい日旅立ち (山口百恵) - YouTube 動画
https://www.youtube.com/watch?v=QMhX_pF0NkA

鬼束ちひろ - いい日旅立ち・西へ - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=xPZXIQdHaZ0

252名無しの笛の踊り2019/11/10(日) 07:39:27.31ID:lK3Y379i

誰も本当の事言わないけど、モーツァルトの歌曲より中島みゆきの方が上じゃね

春なのに/柏原芳恵 - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=MCEy3SLfPoI

中島みゆき「世情」(1978年4月10日)
https://www.nicovideo.jp/watch/sm27227751

ホームにて / 中島みゆき
http://www.youtaker.com/video/sven-5d2afe3e36af48e69101f457543280c7110.html.%E3%83%9B%E3%83%BC%E3%83%A0%E3%81%AB%E3%81%A6-%E4%B8%AD%E5%B3%B6%E3%81%BF%E3%82%86%E3%81%8D.html

中島みゆき − エレーン
https://www.nicovideo.jp/watch/sm32317926

中島みゆき まつりばやし
https://vocu.net/song/56448532/Nakajima_Miyuki_-/


中島みゆき (Miyuki Nakajima) Music Best 200 (MP3-PC-SP) HTML5
http://lemonlemon.dip.jp/mp3/index-08.html


歌曲だとモーツァルトもブラームスも谷村新司も中島みゆきも全然差が出ないんだな

257名無しの笛の踊り2019/11/10(日) 07:57:48.81ID:lK3Y379i

お子様には未成年アイドルの歌う流行歌とモーツァルトが一番合ってるんだよな
お子様にはブラームスはもったいない

Kathleen Ferrier; Vier ernste Gesänge; op. 121; Johannes Brahms - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=9IFYlbn65dI

Kathleen Ferrier ~ Sapphische Ode (Brahms) - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=l_c2misp2PE

brahms Fünf Lieder op.94 - 4. Sapphische Ode - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=CJmLhqyzetM

Kathleen Ferrier - Brahms for contralto, viola and piano - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=DP0M1omMFQg


雨の歌

brahms Nachklang, op.59, No.4 - YouTube
Mischa Maisky · Pavel Gililov
https://www.youtube.com/watch?v=4JvoVQ-6pbQ

Edith Wiens Regenlied Brahms Op. 59 .wav - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=JO5elthLWxA

67. 中川隆[-14319] koaQ7Jey 2019年11月10日 11:35:20 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-1421] 報告

266名無しの笛の踊り2019/11/10(日) 09:59:34.19ID:lK3Y379i

Brahms Symphony No. 1 聴き比べ

J.Brahms Symphony#1 [ C.Munch O-de-Paris ] (1968) - YouTube
Charles Orchestre de Paris
https://www.youtube.com/watch?v=NU13001P7cA

brahms Symphony no. 1 (Furtwangler) - YouTube
Berlin Philharmonic, Wilhelm Furtwangler
Live Recording, Feb. 10, 1952
https://www.youtube.com/watch?v=uGexRHe2iBk

Brahms - Symphony No.1 (recording of the Century Wilhelm Furtwängler 1951) - YouTube
Sinfonieorchester des Norddeutschen Rundfunks
Wilhelm Furtwangler Live performance in 1951 (Hamburg)
https://www.youtube.com/watch?v=Bw266Ox-N8k

Brahms - Symphony n°1 - Vienna - Furtwangler 1947 - YouTube
Wiener Philharmoniker
https://www.youtube.com/watch?v=JB-pscrSHig

267名無しの笛の踊り2019/11/10(日) 10:05:28.66ID:lK3Y379i

toscanini 1941 Brahms Symphony No 1 in Restored Sound - YouTube
Recorded in Carnegie Hall, New York City, on March 10, May 14, and December 11, 1941.
https://www.youtube.com/watch?v=iWYzyOLTfDQ

brahms Symphony No. 1, Toscanini & NBCso (1951) - YouTube
Rec. 6 November 1951, at Carnegie Hall, in New York
https://www.youtube.com/watch?v=gYQcsjiMa_8


brahms Symphony No. 1, Toscanini & The Phil (1952) - YouTube
指揮:アルトゥーロ・トスカニーニ フィルハーモニア管弦楽団
録音:1952年9月29日 ロイヤル・フェスティヴァル・ホール (ロンドン)(実況録音)
https://www.youtube.com/watch?v=DqYC4MQMWPY

268名無しの笛の踊り2019/11/10(日) 10:13:07.29ID:lK3Y379i

Brahms Symphony No. 1, Walter & ColumbiaSO (1959) - YouTube
Bruno Walter (1876-1962), Conductor Columbia Symphony Orchestra
https://www.youtube.com/watch?v=_M9I-3cRVaI


Brahms “Symphony No 1” Willem Mengelberg, 1940 - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=qpmKkVyxrsE


brahms Symphony No.1 In C Minor, Op.68 - YouTube
Herbert von Karajan Berliner Philharmoniker; Released on: 1987-01-01
https://www.youtube.com/watch?v=MIvEyGm7AKc

269名無しの笛の踊り2019/11/10(日) 10:16:16.93ID:lK3Y379i

結局、Brahms Symphony No. 1 の最高の名演は

FURTWANGLER & Brahms-Finale from Symphony #1.wmv - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=NUWMrC96sVY


The recording was made at the Berlin "Admiralspalast" by the RRG on Jan. 23, 1945.
This was Furtwänglers last Berlin wartime concert.


Brahms 1st Symphony Finale Furtwangler - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=SpITA8yxt3M
https://www.youtube.com/watch?v=zwbJ4F2Ug1g


Allegro non troppo ma con brio - Piu allegro

Wartime recording from January 1945. First three movements were either not recorded, or are missing,
I am not sure which. One can imagine how they must have been played as this movement is surely the culmination of what came before it.

68. 中川隆[-14318] koaQ7Jey 2019年11月10日 11:37:17 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-1420] 報告

273名無しの笛の踊り2019/11/10(日) 10:53:01.73ID:lK3Y379i

Brahms Symphony No. 4 聴き比べ


♪ブラームス:交響曲第4番へ長調 Op.98 - クルト・ザンデルリング指揮ベルリン交響楽団 1990年 - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=Ck8o-fR4jNE

brahms Symphony No.4 - C.Kleiber Bayerische Staatsorchester【Full HD】(1996 Movie Live) - YouTube
1996.10.21 Live
https://www.youtube.com/watch?v=t_L8BajLmtE

Brahms Symphony No.4 - Carlos Kleiber - Berliner Philharmoniker (live) - YouTube
28 June 1994, Berliner Philharmonie
https://www.youtube.com/watch?v=pGiXx-TcY3Y

Brahms - Symphony No. 4 (Carlos Kleiber - Wiener Philharmoniker) - YouTube
The award-winning 1980 recording Carlos Kleiber / Wiener Philharmoniker
https://www.youtube.com/watch?v=keXPClVJGrc

Brahms - Symphony No.4 - Kleiber, VPO (Live 1979) (remastered by Fafner) - YouTube
Vienna Philharmonic Orchestra conducted by Carlos Kleiber, Vienna, live 16 December 1979.
https://www.youtube.com/watch?v=2YassHUkDYc

274名無しの笛の踊り2019/11/10(日) 10:59:28.22ID:lK3Y379i

Brahms - Symphony n°4 - Berlin - Furtwängler 1943 - YouTube
Berliner Philharmoniker Wilhelm Furtwangler Recorded in Berlin, 27 & 30.VI.1943
https://www.youtube.com/watch?v=9I-Ovumi9mA

Wilhelm Furtwangler-Berlin Phil Brahms' Symphony No. 4 Live, 1948 [Remastered - 2016] MUST LISTEN - YouTube
Berlin Philharmonic Orchestra Live 1948 in Berlin
https://www.youtube.com/watch?v=ho-VIo7pLzc

Brahms - Symphony n°4 - Berlin - Furtwangler Wiesbaden 1949 - YouTube
Berliner Philharmoniker Live recording, Wiesbaden, 10.VI.1949
https://www.youtube.com/watch?v=zlaTYaQP8IM

Brahms - Symphony n°4 - Vienna - Furtwangler Salzburg 1950 - YouTube
Wiener Philharmoniker Live recording, Salzburg, 15.VIII.1950
https://www.youtube.com/watch?v=fZj9Ge60u54

275名無しの笛の踊り2019/11/10(日) 11:04:11.13ID:lK3Y379i

ブラームス 交響曲 第4番 ホ短調 作品98 ワルター-コロンビア響 - YouTube
Columbia Symphony Orchestra 1959年2月 REC
https://www.youtube.com/watch?v=yDSJ5nYkUnM
https://www.youtube.com/watch?v=MW-YqiKcnfo


Brahms - Symphony n°4 - New York - Walter - YouTube
New York Philharmonic Studio recording, New York, 21.II.1951
https://www.youtube.com/watch?v=vw4EqGejunA


Willem Mengelberg (1871-1951) Brahms Symphony No. 4 (R.1938) - YouTube
Mengelberg and his Concertgebouw Orchestra
recorded on November 29, 1938, at Concertgebouw, Amsterdam
https://www.youtube.com/watch?v=MY63tc8xPDE
https://www.youtube.com/watch?v=My1tqHaEBH0

276名無しの笛の踊り2019/11/10(日) 11:13:03.43ID:lK3Y379i

Brahms Symphony No.4 in Em op.98 - Knappertsbusch - Bremen (1952) - YouTube
Orchestra: Bremen Philharmonic 12 December 1952
https://www.youtube.com/watch?v=dKHYE86SW_Y

Symphony No. 4 in E Minor, Op. 98 I. Allegro non troppo - YouTube
Hans Knappertsbusch Orchestra: SWR Symphonieorchester
https://www.youtube.com/watch?v=-6x2eEqBfcg
https://www.youtube.com/watch?v=sEKTcrls_Xg
https://www.youtube.com/watch?v=oXaC2HM--Bs
https://www.youtube.com/watch?v=y_vzcwVOndk

Symphony No. 4 in E Minor, Op. 98(Live) - YouTube
Hans Knappertsbusch Orchestra: WDR Sinfonieorchester Köln
https://www.youtube.com/watch?v=jbXflC2Uk58
https://www.youtube.com/watch?v=O95grlbkRGs
https://www.youtube.com/watch?v=vSrQGQHEsuE
https://www.youtube.com/watch?v=tacKLNy8fi0

277名無しの笛の踊り2019/11/10(日) 11:17:06.42ID:lK3Y379i

brahms Symphony No. 4, Schuricht & BavarianRSO (1961) - YouTube
Bavarian Radio Symphony Orchestra (Symphonieorchester des Bayerischen Rundfunks)
Rec. September 1961, in Munich(München)
https://www.youtube.com/watch?v=L2bZ-ITFgbI


brahms Symphony No. 4 - Schuricht · Wiener Philharmoniker - YouTube
Carl Schuricht, conductor · Wiener Philharmoniker / Recorded Live: 24.4,1965, Wien, Musikverein, Grosser Saal
https://www.youtube.com/watch?v=0KBAy7M2w74

280名無しの笛の踊り2019/11/10(日) 11:25:32.01ID:lK3Y379i

Brahms Symphony No 4 Yevgeny Mravinsky - YouTube
Leningrad Philharmonic Orchestra Yevgeny Mravinsky, Conductor 28.IV. 1973
https://www.youtube.com/watch?v=pqLEhNuAh7M
https://www.youtube.com/watch?v=PJwQb1lY2R8


(Mravinsky)Brahms Symphony No. 4 Mvt IV - YouTube
Evgeny Mravinsky and his Leningrad Philharmonic Orchestra. The year is 1973.
https://www.youtube.com/watch?v=DwNZXJlTMww


Brahms - Symphony n°4 - Mravinsky Budapest 1962 - YouTube
Leningrad Philharmonic Orchestra Live recording, Budapest, 10.II.1962
https://www.youtube.com/watch?v=wDkAAl5xL1s


69. 中川隆[-14326] koaQ7Jey 2019年11月10日 11:59:42 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-1428] 報告

285名無しの笛の踊り2019/11/10(日) 11:52:45.62ID:lK3Y379i

ブラームスは『ルサンチマン人間』を嫌う人が愛する音楽

Johannes Brahms - Liebestreu (Mischa Maisky & Pavel Gililov) - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=DPdX2Za1Z4I

Johannes Brahms - Immer leiser wird mein Schlummer (Mischa Maisky & Pavel Gililov) - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=CI32m4RqxJQ

Johannes Brahms - Lerchengesang (Mischa Maisky & Pavel Gililov) - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=BGv71ulK0lw

Mischa Maisky & Pavel Gililov Brahms - Sommerabend from songs... without words, Op. 85-1 - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=oauGCZHd1No


Brahms: Wiegenlied, Op.49, No.4 · Mischa Maisky · Pavel Gililov - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=EqVOx5P9w3E

Johannes Brahms - Immer leiser wird mein Schlummer (Mischa Maisky & Pavel Gililov) - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=CI32m4RqxJQ

70. 中川隆[-14367] koaQ7Jey 2019年11月10日 12:33:24 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-1469] 報告

289名無しの笛の踊り2019/11/10(日) 12:03:48.53ID:lK3Y379i

Mozart、Mozart と騒いでるお子様にはブラームスはもったいない

お子様は10代のアイドル歌手の歌う流行歌とモーツァルトを聴いてればいいんだよ

290名無しの笛の踊り2019/11/10(日) 12:31:51.27ID:lK3Y379i

モーツァルトの歌曲より10代のアイドル歌手の歌う流行歌の方が名曲じゃん


八神純子 みずいろの雨 1978 - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=x5wCEIR1UEQ

高田みづえ 私はピアノ 19801231 - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=61OyycYfnY4

石川ひとみ まちぶせ - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=ycbUJFRcTEc

71. 中川隆[-14366] koaQ7Jey 2019年11月10日 12:39:31 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-1468] 報告

83名無しの笛の踊り2019/11/10(日) 12:38:10.43ID:lK3Y379i

お子様は未成年のアイドル歌手の歌う流行歌とモーツァルトを聴いてればいいんだよ

そもそも、谷村新司の曲とモーツァルトの名曲とレベル全然変わらないだろ:


いい日旅立ち (山口百恵) - YouTube 動画
https://www.youtube.com/watch?v=QMhX_pF0NkA

鬼束ちひろ - いい日旅立ち・西へ - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=xPZXIQdHaZ0

72. 中川隆[-14374] koaQ7Jey 2019年11月10日 12:47:25 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-1476] 報告
モーツァルト(1756−1791)
http://kumoi1.web.fc2.com/CCP017.html

 モーツァルトは、かつては「神童」と呼ばれ、どちらかと言えば神に祝福された、幸福な幼児のイメージで語られていた。「モーツァルトはそんな幼稚な音楽じゃない」と反論しても、かえって「何をこいつは。そういうお前自身が幼稚なんだ」という目で見られてしまう傾向があった。ベートーヴェン風の苦悩と闘争、それを経て達する歓喜の歌、あるいはブラームス流の諦観、そうしたものが「高度な音楽」であり、すばらしいものだ。ベートーヴェン以前には、真に偉大な作曲家はいない。そう思っている人が少なくなかった。

 だが苦悩と闘争というのは、いわば文学的イメージである。ホッブスは原始状態を「万人の万人に対する闘争」と考えた。その闘争を緩和するのが法による秩序であり、国家という存在なのだ。

 しかし、原始人も群れて暮らしていた。群れから離れると、生存していく上での脅威は高いものになった。誰かが大きな獲物を仕留めると、それを巡って殺し合い奪い合うのではなく、群れで分かち合うのがむしろ普通だったらしい。群れの安定性を保つために、分かち合いが義務とされ、人に分けない者は群れの成員としての資格がないとされる。また殺し合いは、群れを不安定にし、成員の生存を脅かすものとして、排除された。またその頃にはリーダーという存在も現れた。多分リーダーがまず現れ、そのリーダーが群れを統率する上で「殺すな」「分かち合え」といったことを説いたのだと思う。もちろん、そうした群れでは、獲物を最初に食べるのはリーダーだっただろう。しかし比較的に公平な分配が行われていたようだ。

 闘争がわれわれの日常の現実になるのは、「競争社会」といったものが成立したからである。闘い勝つことが美徳であり、だめなヤツは敗れ去る。そのだめなヤツの悲哀を歌うのもいい。だが単にだめで終わらず、あくまで積極的に挑戦する。それが正しい道だと誰もが思っている。「夢を追う」という言い方もある。「夢」とは、要するに他人に勝つことである。

 もちろん、勝つことだけが目的で、他人の失敗を願うといったことは卑怯だとされるが、戦争や格闘競技で相手のミスを誘うことは、正当な戦術である。相手を実力が出し切れない状況に追い込む、あるいは相手のミスに乗じて勝ちを取る、といったことが賞賛されるのだ。

 皆さんも「宋襄の仁」という言葉を聞いたことがおありだろう。宋の国の襄公は、敵軍が川を渡るのを見て、自軍の参謀が「今こそ攻撃のチャンスです」と言うのを聞かず、「今攻撃するのは卑怯である」と、そのまま見ていた。また川を渡り終えた敵軍がへとへとに疲れて、陣形を立て直すこともできないのを見て、また参謀が「今が最後のチャンスです」と言ったのに、やはり「今攻撃するのは卑怯である」と見逃し、敵軍が十分に戦闘準備するまで待っていた。

 それからやっと攻撃しかけたのだが、宋はあっけなく敗れてしまった。そこでこのように「敵に無用の情けをかける」ことを「宋襄の仁」と呼んで、中国では笑いものにする(ただし宋の国では「襄公は正々堂々としていた」というので、賞賛されたそうだ)。

 他にも井戸に落ちて「助けてくれ」と叫んでいる敵兵を憐れんで助けた兵士が、その敵兵にいきなり殺されてしまった、という話もある。このように、戦争は情け無用であって、卑怯と言われようと何と言われようと、勝つことが最大の目的だとされている。多くのスポーツは、そういう考え方で行われているだろう。

 しかし、たとえばフィギュアスケートの場合を考えてもらいたい。ある時、トップ争いをしていた女子選手がジャンプの失敗で転倒した。次に荒川静香が完璧な演技を披露して優勝した。彼女が前の選手の演技の時に「転んでくれますように」と思っていたり、転倒の瞬間に「やった、これで私のもの」と喜んでいたとすると、その後完璧な演技ができただろうか。そういうマイナスの演技イメージを思い浮かべたのでは、自分の演技にも乱れが出たことだろう。やはり「相手は完璧だった」と仮定して、全力を尽くしたのだと思う。

 芸術で「競争する」というのは、フィギュアスケート・タイプの競争である。モーツァルトは自分が完璧な作品を書けると確信していた。他人のまずい作品を嘲笑したが、それによって勝とうとしたわけではない。他の選手の転倒という事実を許せなかったのだ。相手も完璧な演技をしてもらいたい、それでこそ競技全体のレベルが高くなる。

 モーツァルトは、今日で言うADHDだったと思われる。ヒルデスハイマーの皮肉に満ちた評伝で、モーツァルトの落ち着きのない性格について、ある人が「いつもピアノに向かったときのように落ち着いていてくれればいいのに」とぼやいたという話が出てくる。音楽についてだけ、驚くべき集中力を発揮したということである。

 しかしまた、彼はバッハと並ぶ完璧な耳を持っていた。よくモーツァルトの天才を証明する逸話として、システィナ礼拝堂で歌われていた門外不出の秘曲、アレグリの『ミゼレーレ』を一度聴いただけで、その夜、宿で完全な楽譜に書いたという話が取り上げられる。だが絶対音感を持つ人は、聴いた音に対する記憶力が優れているのが普通らしい。『ミゼレーレ』は、主要声部がいささか単調な繰り返しであり、高音部に即興的なメロディを付け加えて演奏された。モーツァルトには容易に聞き取れただろうし、繰り返しも多いので、記憶することも簡単だったのだろう。


<モーツァルトの耳>

 モーツァルトの耳には軽微な奇形があった。耳殻に襞が全くなく、皿のように平板だったのだ。このページにはWikipediaからもらった肖像を掲げたが、それは生前の画像であると伝えられること、耳を髪で覆ってその現在では「モーツァルト耳」と呼ばれる奇形を隠していることに、信憑性を感じたからである。

 この『ミゼレーレ』は、タリス・スコラーズの非常に美しい演奏のCDが出ている。2005年の再録音盤は、まだ日本語解説付きで手に入るだろう。ト短調で始まり、ハ短調の装飾旋律がからむ。ここで聴くノン・ビブラートのハイCは、実に美しい。装飾音型を変えた二種類の演奏が入っていて興味深いし、解説も大いに参考になる。

 モーツァルトの天才性は、そうした『曲技団的』能力にあるのではない。そういう能力では、グラズノフの方が優っている。彼は、一度聴いた曲なら、どんな駄作でも憶えていたそうだ。だがその中で、人類史上最高の作品を書いたかというと、そうでもない。私には、むしろ絶対音感がなかったといわれるチャイコフスキーの方が、はるかに面白いと感じる。

 ロビンズ・ランドンの「モーツァルト」に次のような話が紹介されている。まだモーツァルトがさほど有名でなかった頃、ある人がアマチュアの弦楽四重奏団を作っていたが、知人からモーツァルトの楽譜を見せられ、「一度これを演奏して見給え」と言われた。しかし、彼らの技量では難しくて弾けなかった。そこで、知り合いの老作曲家にその楽譜を見せに行った。どの程度の作品か、判断してもらおうというわけである。老作曲家は、ぱらぱらとページをめくって、「かなり熟達した作曲家だな、40歳代だろう」と言った(実は20歳代の作品)。それから譜面を読み始めた。ところがそのまま黙ってしまったので、「先生、どうなんですか?」と尋ねたところ、老先生は顔を上げたが、その目はうっとりと夢見るような眼差しだった。「なんてすばらしい音楽なんだ!」と老大家は叫んだ。

 天才とは、ナニカの技術において人より優れているだけのものではない。楽譜を読むだけで頭の中に音として響くとか、逆に音を聴いただけで楽譜になるという人は多いのである。ベートーヴェンも、聴覚を失ってからでも作曲していたし、シューベルトの歌曲の楽譜を読んで感心したという。

 要するに、モーツァルトの天才性とは「なんてすばらしい音楽なんだ!」という一言に尽きる。彼はこの世で最美の音楽を書いた。ある時、イタリアの大作曲家が死んだ。人から「後継者は誰がいいでしょう?」と尋ねられたパイジェルロは、言下に「それはモーツァルトだ」と答えたそうである。「彼の音楽には少し難しいところがあるが、非常に優れている」(ランドン「モーツァルト」より)。

 モーツァルトが難しいと思う人は、今日では一人もいないだろう。だが実際、当時の人には難しく聞こえた。テンポが速く、次から次へと新しい楽想が湧いて出るので(多動性)、当時はすべてを味わい尽くすことができなかったらしい。


<モーツァルトのテンポ>

 ヒルデスハイマーの著書に、次のようなエピソードが出ている。ある裕福な市民(ブルジョア)が、娘を連れて評判の歌劇「フィガロの結婚」を見に行った。ところが、第一幕が終わっても、一つもアリアが出て来ない。「どういうことだろうね」と娘に言うと、彼女は「何を言ってるの、お父さん、もういくつもきれいなアリアが出て来たじゃないの!」と返事した。父親は、どれもレシタティーヴォだと思い込んでいたのである。なぜか。テンポが速過ぎたのだ。当時の音楽愛好家の心に染みついていたのは、グルックのオペラであった。そのテンポは、現代では当時よりやや速く演奏されているが、実はかなり遅く、変化も少ない。要するにメロディは聴き取りやすい。

 話し相手より少し遅いテンポで話せば、相手をリラックスさせ、説得力が増すという実験結果があるそうだ。最近は、私には聞き取れないほど早口にしゃべる人がいて、就職面接で「頭の回転が速い、雄弁だ」と思わせることがあるらしい。ところが、そういう人に営業を担当させたらさっぱりだったということが多い。顧客から見ると、相手の思惑に関係なく、言いたいことをぺらぺらとしゃべりまくっただけで、営業になっていない。組織のリーダーや営業マンは、しゃべる能力より聴く能力の方が重要なものらしい。

 アメリカン・ジョークの一つに、こういう話がある。鉄鋼王カーネギーのところに、一人の客が尋ねてきた。秘書が部屋の外で聴いていると、その客はのべつ幕なしに何かをしゃべり続けている。カーネギーは時折「ふむふむ」、「ほう」と相槌を打つだけである。やがて用件が終わって部屋から出て来た客は、感嘆して叫んだ。「なんて話し上手な人なんだ!」

 よく「話し上手は聞き上手」と言うが、上記のエピソードは、本当にあった話かも知れない。「王者」たるものは、聞き上手でなければならないのである。たとえば戦国を制した徳川家康は、家臣の意見をよく聞いたそうだ。時には疑問があっても家臣の言う通りに動く。結局彼が覇者になった一番の理由が、そこにあると言う人もある。

 モーツァルトの音楽は、当時の人々にとっては早口で一方的にしゃべりまくる営業マンのようだっただろう。だが、すでに次の世代(娘の世代)は、モーツァルトのテンポを聞き取ることができるようになっていた。モーツァルトが死んでから、ウィーンは空前のモーツァルト・ブームに沸いたが、それは偶然ではないのだ。

 音楽のテンポは、ある程度社会性を帯びている。江戸時代の日本は、すべてのテンポが緩やかだった。オランダ人が江戸の町を歩いていたら、向こうから誰かが歩いて来る。「いずれは道を譲り合うことになる」と思いながら歩いて行くと、薄ら笑いを浮かべながら、どこまでもまっすぐ進んでくる。ぶつかる寸前になって「あぶない」と、とっさに身をかわしたが、見ていると日本人は何事もなかったかのように、なおもそのまままっすぐ歩いて行く。

 実際、町人同士がぶつかり合うまでまっすぐ歩き、ぶつかった後に初めて「これはどうも失礼しました」と互いにペコペコお辞儀する場面がよく見られたという。かといって歩くのが速いわけではない。むしろオランダ人が世界のどこで見たよりも遅い。そのため、彼らは「日本人はおそろしく動作の鈍い人種である」と報告した。だが逆に日本人は、オランダ人の素早い動きが信じられなかったそうだ。普通ならぶつかり合うところなのに、突然目の前から消えてしまったのである。「オランダ人はおそろしく素早いぞ」「バテレンの妖術か?」というのが当時の印象だったらしい。

 昭和30年代の日本は、新しい建築が相次ぎ、都市の景観はめまぐるしく変化した。日本人は忙しく動くようになった。後年、日本人(特に大阪人)は、世界一速く歩いているという測定結果が出た。だからぶつかることが多くなったわけではない。通行量が多く、しかも非常に速く歩いているなら、ぶつかり合いは江戸時代より多くても不思議はないのだが、事実は逆だった。みんながすばしこく、ちょこまか動いているのであって、おそらく江戸時代人から見ると、全員忍者のように見えるだろう。

 江戸時代は変化の少ない社会だった。あまり歴史を知ることのない庶民は、宇宙が始まって以来、江戸は徳川が治めていたと思いこんでいることも少なくなかった。「変化が激しい」「人口密度が高い」というのは、動作を敏捷にさせる要因なのである。絶えず周囲の状況に注意を払い、危険には機敏に反応する必要があるからだ。

 その意味で、モーツァルトのテンポを見直すのも悪くない。現在はせかせかした演奏が多いが、本当に昔はそうだったろうか。ある時テレビを見ていると、戦後復興期に登場した美空ひばりの「りんご追分(52年)」が出て来たのだが、桂三枝がそのオリジナル録音に付いて歌おうとすると、あまりにも遅いテンポなので、全く間が持たない。私もこの歌は記憶にあり、美空ひばりの声で流れてくると。「ああ、この歌はこうこうで、次の音符はこう」と、すぐ分かるのだが、それは桂三枝の憶えているテンポと同じだった。2割ないし3割も速いタイミングだ。

 52年(昭和27年)と言えば、朝鮮戦争の特需でやっと一息ついた日本が独立を果たした年だ。敗戦後の日本は、アメリカ領土になっていた。その間、日本という国家は、名目上、世界地図から消滅していたことになる。もちろん49年には国旗(日の丸)の掲揚が許されるなど、徐々に国家としての体面が回復しつつあったらしいが、戦争の傷跡は随所に見られた。たとえば私の生まれた家の近くには、空襲で破壊された大阪砲兵工廠の焼け跡が57年頃まで存在していた。

 記憶の中のテンポと、実際のテンポの違い。それは社会状況の違いである。昭和27年はまだほとんどの日本人がやせ細っていて、物産も貧しく、夏にはラジオの高校野球中継でも聴きながら昼寝をし、夕涼みに屋外の縁台に腰をかけることができれば最高だった時代だ。すだれが風にそよぎ、風鈴がチリンと鳴って、時には「さおーだけー」という声が聞こえてくる。当時はみんなが貧しかったというのは大げさだが、敢えて言えばみんながホームレスだった。欲を持つと言っても、せいぜい毎日白米のご飯を食べたい、という程度のことだった。ちなみに、私は白米1:麦2のご飯を食べて育った。冷えると臭いニオイがあるが、それに醤油をかけ、お湯で薄めて食べた。おかずなど何もない時代である。味噌汁をかけて食べることができれば、贅沢な方であった。卵かけご飯など、夢のようなごちそうだったが、それさえも冷えた麦ご飯の臭いニオイを覆い隠すものではなかった。


<モーツァルト晩年の困窮>

 モーツァルトは、死んだときほとんど破産状態だった。未亡人(コンスタンツェ)が皇帝に謁見すると、皇帝は破産報道を知っていて、彼女に厳しい目を向けた。当時は、破産というのは犯罪のようなものだったからだ。その時、コンスタンツェは夫の遺作演奏会、楽譜出版など、2,3の試みを提示して、破産を免れることが可能だと弁術した。事実、彼女はすべての負債を完済したばかりか、亡夫の遺した作品で大もうけしたという。

 だが晩年の収入が少なかったわけではないらしい。それどころか、当時としては相当な高収入だったようだ。彼はハイドンやサリエリのような高い地位にはなれなかったが、一応宮廷作曲家の称号を得て、給与ももらっていたし、ピアノ教師と楽譜出版、オペラでの収入もあった。夫婦共に浪費癖があったことが、困窮の理由かも知れないが、それだけでは説明できない。人気にかげりが見えた死の年だけでも、現在の日本円にして5000万円以上の収入があったのである。

 浪費癖は、「神童」時代に王侯貴族の生活を垣間見たこと、ザルツブルグに戻ってからは召使い同然に扱われて、憤懣のあまり大司教の下を飛び出したことを考え合わせれば、つまりは貴族のように暮らしたかったということだ。ある意味では父親にも責任があったと言える。

 またある人によると、フリーメーソンの支部を作ろうとしていたのではないかという。そのための費用が必要だったというのである。

 そういう可能性もあるだろうが、秘密結社だというので、フリーメーソンの影響を過度に考えるのも正しくないそうだ。当時の知識階級には、フリーメーソンの会員だった人物が多い。ハイドン、サリエリもフリーメーソンの会員だったと言われ、皇帝ヨーゼフ2世も寛容であり、実際はかなりオープンなものだったらしいのである。

 結局、モーツァルト晩年の経済的困窮の理由は分からない。ただ死の年には、収入が全盛期の半分ぐらいに減ってしまっており、実際以上に困窮した感じがあっただろう。現代でも莫大な収入のあった人気アーティストが、人気にかげりが見えて収入が減ると詐欺を働いたり、かつては高額の年棒をもらっていたプロ野球選手が、退団後に落ちぶれて強盗になった例がある。「あの金はどこに消えたの?」と聞いても、本人にも分からない。


<モーツァルトが愛した女性>

 モーツァルトが生涯愛したのはコンスタンツェの姉、アロイージアであった。美人だというだけでなく、音楽的才能がすばらしかったらしい。彼が結局コンスタンツェと結婚したのも、そうすればアロイージアの側にいられると思ったからだろう。だが、コンスタンツェを愛していなかったとは思えない。

 しかし彼がADHDだったとすると、コンスタンツェにとってもかなり扱いにくい夫だった可能性がある。

 彼が死んだとき、コンスタンツェにしてみれば、「バカな男と結婚して、まだ芽が出ないうちに死なれてしまった」と、嘆かわしいことおびただしい。ところが、ある弔問客が「あなたの夫は天才だった」と言ったので、「あのバカが天才?」と、彼女は心底驚いたという。それまで、夫の作品などただのクズだと思っていたのだ。しかしその後、散逸していた夫の作品をかき集めて演奏や出版を行い、事業家としての能力を発揮している。

 コンスタンツェは、しかし、やはりモーツァルトを愛していたのだろう。彼らの結婚生活はひどいものだったが、それなりに楽しい一面もあった。われわれは現在、モーツァルトのほぼすべての作品を耳にすることができる。それはコンスタンツェが、散逸していた楽譜を精力的に集めたことが大きく寄与している。それは、作品によほどの愛情を注いでいなければできないことだ。

 彼女自身はヘンデルなどの古い音楽を好み、夫が在世中は、全く彼の音楽を理解しなかった。しかしニッセンと再婚して共同で伝記を執筆したりするうち、やはり音楽への理解や、前夫への愛が甦る瞬間はあったに違いないと思う。「私より姉を愛していた」と思い知ることもあっただろうが、姉に劣らず彼女自身を愛していたことも分かったと思う。


<モーツァルトの死>

 あまりにも急な死だったので、モーツァルトの死は、音楽史上のミステリーとされることが多い。死後に訪れたモーツァルト・ブームの中で、サリエリが突然「私がモーツァルトを殺した」と叫んで自殺を図ったという史実もある(映画『アマデウス』の冒頭場面である)。オーストリア官憲が彼を精神病院に閉じ込めたので、真相は分からなくなってしまったが、モーツァルト自身も「誰かに毒を盛られた」と思い込んでいたらしい。

 「サリエリがモーツァルトに一服盛った」という噂は、モーツァルトが死んだ直後からあった。サリエリ自身は、モーツァルトが死んだと聞くと「死んだって?それは助かった。あんな天才にいつまでも生きていられたんじゃ、われわれ凡才は仕事を失ってしまうからね」と語ったそうだ。後にサリエリが「私が殺した」と言って自殺しかけたとき、ベートーヴェンは「やっぱりあいつか。初めからそうだと思っていたよ」と言った。実はベートーヴェンもシューベルトもサリエリに学び、そのタチの悪い妨害や陰謀に悩まされた経験があるそうである。

 ただし、サリエリが築いていた宮廷作曲家という地位は、有力な競争相手が出現したら突然失ってしまうような不安定なものではなかったらしい。たとえ解任されても、年金を受け取ることができたのではないだろうか。モーツァルトも晩年には宮廷作曲家に任命されたが、特に妨害は受けていないようだ。サリエリが地位を守るためにモーツァルトを殺すという可能性は小さい。

 単純な病死だったという説がある。モーツァルトは幼い頃から病弱で、その病歴からリューマチ熱だったのではないかというのである。モーツァルトの遺骨が出れば検証できるかも知れないが、現在のところ、モーツァルトの墓は見つかっていない。当時の医師の診断は「粟粒熱(ぞくりゅうねつ)」という訳の分からない病名で、現代の医学では「そのような病気は存在しない」とされる。

 食中毒説もある。ディスカバリー・チャンネルで紹介された、豚肉の寄生虫による中毒で、1860年頃、彼とよく似た症状で死んだ農家の娘は、遺体の検証で、食中毒だったことが確認されたそうだ。

 一番有力なのが毒殺説で、当時は毒と言えばヒ素と決まっていた。モーツァルト最後の病状は、ヒ素中毒によく似ているという。トファナ水というのはヒ素の溶液で、濃度を注意深く調整すれば、飲ませてから何日後に死ぬかを正確に決定できるという話まであった。ただこれは、人によって致死量が違うことも分かっているので、かなり誇張されたおとぎ話である。

『元素の百科事典』に出ているエムズレー博士の説は、アンチモン中毒である。モーツァルトの頃はアンチモンが発見されて間もない時代で、あまり正体がよく分からないまま、胃腸薬などとして処方されていたそうだ。だがアンチモンは毒性があり、飲み過ぎるとヒ素中毒に似通った症状が出る(周期表でもヒ素と同族である)。モーツァルトにもアンチモン製剤が処方されていたので、誤って飲み過ぎたのではないかという。なお現在では、医薬として用いられることはない。


<モーツァルトの姉>

 もう一つ、モーツァルトの生涯で特徴的なのは、姉ナンネルとの関係である。それはメンデルスゾーンの姉ファニーとの関係にも似ている。この姉たちは、弟たちの先生でもあった。たとえばモーツァルトは当時ヨーロッパ一のピアノの名手と言われたが、クレメンティとの競争演奏では、客観的に見ると引き分けだった。そのクレメンティを、モーツァルトは「達者な腕前だが機械的で情感に欠ける」として否定している。また、何人かいた弟子について、「それにしても女の子の方が音楽的に弾くのはどうしたことでしょう」と言っている。彼の感想では、女性のピアノの方が情感があり、音楽的なのだった。男が弾くと、無機的になりがちだ。それは音楽ではない。

 この話は、彼の幼児期のピアノの先生が、実はナンネルだったということを明かしているのだろう。ナンネルの作品は残っていないが、作曲を行っていたことは分かっている。だがヴォルフガングが「お姉ちゃん」の真似をして作曲し始めると、父レオポルトは、もうそれ以上姉には教えず、弟を神童として売り出すことに熱中した。

 ナンネルも神童だったらしいことは、当時の人たちの記録に残っている。あるとき、宿に足止めを食らった客の中に、まだ幼かったモーツァルト姉弟がいた。彼らは退屈しのぎに連弾だったか二重奏だったかを披露したそうだ。「この二人の神童のピアノは、われわれを大いに愉しませた」という。

 父親レオポルトが、弟の方を特に熱心に育てたのは、当時の男女差別的な社会情勢が原因であっただろう。女性はピアノの名手であっても、それは身持ちのいいお嬢様の趣味の芸事を時たま披露するだけであって、職業的音楽家の道などはどこにもなかった。貴族の奥様になる、といった目標の方が、はるかに重視された。ましてや作曲家などとんでもない。

 実際のナンネルの才能は、現在知られているよりはるかに優れていたと思われる。彼女はしばしば弟の協奏曲のソロを努めた。彼女のピアノこそモーツァルトの音楽の原点にあったのではないだろうか。

 それはさておき、私の好きな作品について述べたい。


『グラン・パルティータ』〜第3楽章「アダージョ」

 モーツァルトには傑作が多いが、「グラン・パルティータ(大組曲)」は、その中でも最高の一つである。正式な名称は「13管楽器のためのセレナード」といい、木管のアンサンブル曲だ。セレナードとしては第10番(変ロ長調)とされる。

 モーツァルトの時代、まだ現在のように「交響曲が最高のジャンル」といった考え方はなかった。交響曲、セレナード、ディヴェルティメントの区別は「演奏機会」の区別なのだろう。内容で分けられているわけではない。もちろん演奏機会は内容に結びついている。たとえばベートーヴェンの七重奏曲などは同じ性格を持ち、やはりリラックスした気分の曲である。ここに「苦悩と闘争」のベートーヴェン像を見出すのは、深読みに過ぎる。こういった作品は、リラックスした気分を作り出すためのものであり、食事時のBGMとして演奏されたりしていたのだ。

 本題の「グラン・パルティータ」について言うと、私は80年頃、エド・デ・ワールト指揮のオランダ管楽合奏団(?)のLPをオーディオ的な興味で買って聴いた。最初は「まあ、いい音はするがモーツァルトらしい能天気な曲だなあ」と思っただけだった。

 グラン・パルティータの本当の良さが分かったのは、父の死の直後だった。長い間、寝たきりの父の存在は重荷だったし、愛情の薄い人だったので、「早く死んでくれればいい」とさえ思っていた。だが、死んだとき、重荷だろうと厄介だろうと、父と母と私しかいなかったその年月、良くも悪くも、父が家族の中心にいた。いささか子供っぽいが、「ボクたちは明日からどう生きていけばいいの」というのが、当時の心境だった。

 それは暑い8月のことで、当時は父の家の屋根裏部屋に住んでいたのだが、夏には50度以上にもなり、30分もいれば半狂乱になるような部屋だった。そこに私のオーディオ・システムを置いていた。葬儀まではレコードを聴くこともなく、屋根裏部屋には立ち入らずにいたのである。だが葬儀の後、世間が「盆休み」に入り、親戚一同も去って、静かになった。母と仲が良かった伯母だけがしばらく家に留まっていたが、その日は二人でどこかに出かけ、私は一人で家にいた。

 久しぶりに音楽を聴こうと屋根裏部屋にこもったが、哀しかった。なぜもっと父に優しくできなかったのだろう。父がまた歩けるようになり、一緒に笑うことができるようになる。それが父と私の共通の夢だったではないか。なのに何もできないまま死なせてしまう。後追い自殺したいほど、非常な罪悪感があった。自殺の動機の中には、肉親が死んで、遺族が後追い自殺したケースが多いそうだ。当時の私もそういう状態だったのだ。

 だが私は、音楽を聴けば多少は慰めになるかも知れないと思った。

 最初にかけたレコードは、ハイティンク指揮のブラームス『ドイツ・レクィエム』である。名曲・名演で、録音もいいのだが、その時の私には、むしろブラームスの傲慢さが耳障りだった。「どうせお前らの悲しみというのは、この程度だろう」と下品に口を歪めて笑っているようだった。要するに嫌みな訳知り顔をした、人生などてんで分かってないオッサンがでっち上げた曲なのだ。

 レコードを代えて、ベーム指揮のベートーヴェンの「荘厳ミサ曲」にした。ブラームスほど嫌な感じはないが、「お前らの個人的な悲しみは関係ないよ」というような音楽だった。

 次はリヒターの「マタイ受難曲」。史上最高の名曲と思う「憐れみたまえ、わが神」のくだりを聴いたが、やはりどこか客観的な音楽だった。ベートーヴェンほど突き放した感じではなく、戸口に立っている友人のようである。「分かる。分かるよ。大丈夫か。しっかりしたまえ」と言っているようだが、それ以上気持ちの側にやってくることはない。

 他にもいくつか聴いたと思うが、あまり記憶にない。とにかく最後に聴いたのは、『グラン・パルティータ』である。なぜそんなものを取り出して聴いたのかも分からないが、私にとっては最高の救いの音楽だった。年若い友人が耳元で一生懸命慰めてくれているような、「世界は美しいし、人生はもっともっと生きる価値があるんだよ」と話してくれているような音楽なのだ。

 よく晴れた日で、陽がやや夕暮れの色彩を帯び、青空の下に黄金の光が満ちた。隣家の壁や屋根が、すべて美しい光に照らされた。第3楽章のアダージョに差し掛かったときのことだ。いつもは貧しく汚らしく感じていた風景なのだが、柔らかい木管の響きの中で、突然この上なく美しい風景に変容した。それはまるで魔法の眼鏡を通して見ているようだった。

 モーツァルトは魔法の眼鏡である。その眼鏡をかければ、この世のことはすべてが美しく見える。

 その日から、モーツァルトの大ファンになった。実を言うと、その時までモーツァルトと言えば、交響曲第40番やピアノ協奏曲第20番といった短調作品以外は、退屈な曲が多いと思っていた。一部の曲はいろいろな機会に耳にタコができるほど聴いていたし、知らない曲でも、どれも同じようなワンパターンの節回しで、聞き慣れた響きがする。だから「ああ、またあのパターンか」と最初から飽きてしまい、しっかり聴くことがほとんどなかった。

 しかしそれ以後、彼の作品を注意して聴くようになった。楽器の音色を活かした音響の美しさ、ありきたりなようだが情感あふれるメロディ。「フルートとハープのための協奏曲」などは、依頼があったので、やむを得ずこの取り合わせで作曲した(彼はフルートが好きではなかった)のだが、後の作曲家にはもうこの他の組み合わせを考えられなくなったほどの調和がある。もっとも、ドビュッシー晩年の美しい「フルート、ヴィオラとハープのためのソナタ」やラヴェルの「序奏とアレグロ」では、それぞれヴィオラ、クラリネットを加えることで、新たな音響美を模索している。

 なお「十三管楽器」という編成をユニークだと思う人は多いだろうが、当時は木管アンサンブルが流行していたので、そんなに珍しいわけではないようだ。セレナード第11番変ホ長調、同第12番ハ短調も管楽アンサンブルである。ちなみに、木管をウィンド(Wind=風?)と呼び、金管はブラス(Brass=真鍮)と呼ぶ。他にリード楽器(Reed=舌、簧)という分類もある。

 CDでは、ベーム指揮ベルリン・フィル管楽アンサンブルの演奏が一番納得できる。やや古い録音なので、音響面では最上とは言い難い。少し艶が不足しているようである。だが、第3楽章はやはり美しい。私の耳には、北に大きな窓がある部屋で、その窓から見える緑が室内に照り映えている中で演奏しているように聞こえる。

 小学館版のモーツァルト全集に採られたマリナー=アカデミーの演奏はディジタル録音でもあり、音質は万全である。第1楽章の開始部分は、ばら色の光が差すような美しい音である。第3楽章はトリラーがやや耳障りに聞こえるのが残念だ。他の楽章は優れたアンサンブルが展開されている。

 コレギウム・アウレウムの2回目の録音(ディジタル)は、音も表情も美しく、楽しめる。全体に青白い音が立ち並ぶ。アンサンブルに清潔感があり、他の演奏に比べるとこぢんまりして、いかにも室内楽風である。この曲の交響楽的壮麗さを愛する人には、物足りないかも知れない。


『ピアノ協奏曲第9番変ホ長調「ジュノーム」』

 モーツァルトが21才で書いた大傑作で、当時ウィーンに滞在したジュノームという未婚の女性ピアニストのために書いたと伝えられる。第1楽章の開始はあまりスケール感がなく、むしろ「可愛い」と言いたいようなシンプルな始まりだが、音楽が進行するにつれて実は壮大な曲であることが分かってくる。第2楽章はハ短調の透明な悲しみに満ちた音楽。ロマンティックな味わいと、バラード風の展開が魅力である。第3楽章もユニークだ。ロンドなのだが、中間部で大きくテンポを落とし、突然別の楽章が始まったかのような変化を見せる。

 なおジュノームというピアニストは記録に残っていないので、どんな女性だったかはよく分かっていない。最近の研究では、モーツァルトの知人の娘でジュナミという女性が(既婚婦人?)がその正体だと言われる。だが「ジュノーム」というニックネームがいかにも若きモーツァルトの憧れを表したロマンティックな響きを持っているので、今後もそう呼ばれ続けるだろう。

 この曲を初めて知ったのは、ルドルフ・ゼルキンのピアノ、アバド=ロンドン響のCDである。第2楽章で、ゼルキンは心の打ち震えるようなみずみずしい表情を聴かせていて、すばらしい演奏だ。オーケストラも透明感と色彩感があり、万全と言える。

 シフのピアノ、ヴェーグ指揮ザルツブルグ・モーツァルテウム。ゼルキン盤よりさっそうとした切れ味の良さがあり、なかなかの名演である。ただ私の耳には、音が全体に青みがかって単色に近いように聞こえる。

 内田のピアノ、テイト=イギリス室内管のオケ。2006年に発売されたポリドール版『モーツァルト全集』の中の1枚で、内田光子のピアノには濃やかな表情があり、オケの響きも悪くない。日本では、実力の割に内田の人気が低いような気がするのは、私だけだろうか。

 ピリス/グシュルバウアー盤は、録音のせいか、オケが少し透明感を欠く。ハスキル盤もモノラルなので、ここでは番外とする。

 なお、ゼルキン盤など、多くのCDでなぜか『ピアノ協奏曲第17番』ト長調と組み合わされていることが多い。これもしっとりした味わいのある傑作で、モーツァルト自身、大いに気に入っていたそうだ。未聴の人にはお奨めする。


『交響曲第36番ハ長調「リンツ」』

 私の偏愛する曲だが、実は第1楽章の短い序奏が気に入っていて、その遅いテンポに引きずられたかのように、主部も遅く演奏されるのが面白いのである。雨は止んだが、まだすっかり晴れ上がったわけでなく、道端の木々には薄暗い蔭が残っている。しかし、息を潜めていた虫たちがやっと鳴き始めた、という雨上がりの気分である。もし序奏がなく、いきなり主部が始まっていたとすれば、現代の演奏家なら、もっと速く演奏するだろう。

 このことが、モーツァルト演奏の正しいテンポを疑わせるのである。この主部は、現代の常識的なテンポから見れば、半分近くも遅く演奏されているのが普通なのだ。だからといってモーツァルトの味がしないわけではなく、むしろかえって面白い。彼の在世当時は、こういうテンポだったのかなと思わせるのである。

 CDでは、ベーム指揮ベルリン・フィルが一番いい。いかにも壮大な曲のように響き、序奏部分も単なる序奏に終わっていない。

 レヴァイン=ウィーン・フィル盤やバーンスタイン=ウィーン・フィル盤も、序奏は単に主部を導入する経過句のように演奏していて、やや不満である。

 昔コンサートホール・ソサエティで出ていたシューリヒトのLPは、すばらしかったように記憶する(現在手元にはない)が、CDへの復刻は、発売が予告されながら実現しなかった。


『フィガロの結婚』

 モーツァルトの典型ともいうべき美しいメロディが続々と現れる、すばらしいオペラである。私はバッハの『マタイ』とこの『フィガロ』を西洋音楽が到達した二大高峰と思う。もちろん彼はこの後にも『ドン・ジョヴァンニ』、『コシ・ファン・トゥッテ』、『魔笛』といった名作を書き、人によっては『フィガロ』より上だと言う。たとえばキエルケゴールは、『ドン・ジョヴァンニ』こそ最高傑作だと思っていた。なるほど音楽は美しいが、私には、『フィガロ』ほどの緊密なドラマにならず、少し弛緩が見られるような気がする。モーツァルトは、やや落ち目に差し掛かっていたのではなかろうか。上り調子だった時期の『イドメネオ』、『後宮からの誘拐』などの張り詰めた清冽感に比べて、少し物足りないものを感じるのである。

『フィガロ』を頂点と考えるなら、彼が落ち目になったのは、やはりこの作品が思うほどの成功を収めなかったことにあるだろう。初演は大成功で、「アンコール、アンコール」が続き、上演は深夜に及んだ。あまり極端なので、政府は過度のアンコールを禁止する政令まで出したという。ところが、それほどの大成功なのに、劇場では早々と演目からおろしてしまった。当時は、まだモーツァルトは前座扱いで、興業主はソレールというスペインの作曲家のオペラで大もうけを企んでいた。そのため、「駆け出し作曲家」、モーツァルトのスペインを舞台とした『フィガロ』がアペリティフとして用いられたというのである。事実ソレールのオペラ『椿事(珍事)』は、『フィガロ』以上の大当たりだったそうだ。

 当時はフランス革命騒ぎの最中であり、ヨーロッパではいわゆる「革命の輸出」に神経を尖らせていた。ところが台本の原作となったボーマルシェの戯曲は革命思想に親近感のあるものだったので、ウィーンでは上演が禁止されていた。こうした事情があるので、政治的な理由から葬り去られたという説もある。

 今となっては真相は分からないが、その頃からモーツァルトの予約演奏会のチケットが売れなくなり、かつて彼をもてはやした知人たちが、何となく距離を置くようになったのは事実らしい。彼の収入は少ないものではなかった(事実は相当な高収入だった)が、しきりに困窮を訴えるようになったのもこの頃からだ。

 それはそうと、私が一番いいと思うのは、やはりベーム指揮、プライ他のDVD(ポネル演出のオペラ映画)である。F=ディースカウ演ずる伯爵が、夫人の部屋にやって来る。ちょうどケルビーノを匿おうとしていたところなので、夫人とスザンナは大慌て。この場面が手に汗握る緊迫感で描かれる。このDVDでは、伯爵夫人をキリ・テ・カナワが演じているが、同じベームのCDでは、伯爵夫人をヤノヴィッツが歌っており、彼女の透き通るような美声を好む人には、CDの方がいいかも知れない。あの美しい『手紙の二重唱』では、ヤノヴィッツの声がうっとりするようなハーモニーを形作る。

 世界文化社から出ている「オペラ名作鑑賞」の第四巻にはバレンボイム=ベルリン国立歌劇場の上演と、コンピエーニュ帝国劇場の上演が収められ、かなり興味深い。コンピエーニュ版は歌劇のエロス的な側面を強調したというが、ケルビーノはテノールが演じており、普通の演出の性倒錯的な魅力はかなり減じている。第四幕の女たちの演技は、なるほどやや官能性を表に出しているが、驚くほどでもない。ここでスザンナは不倫の予感に身を震わせ、イケナイ感覚に酔っているように見える。台本にはそういう要素が内在しており、変わった演出というには当たらない。

 バレンボイムは、日本ではジャクリーヌ・デュ・プレとの不幸ないきさつがあってあまり人気が出ないが、実力はやはり大したものである。欲を言うと、このDVDではケルビーノの『恋とはどんなものかしら』が、大人の女性が歌っているように聞こえてしまう。

 メータ指揮=フィレンツェ歌劇場の公演。伯爵夫人のグヴァザーヴァがとても美人で愛らしく、魅力的だ。『恋とはどんなものかしら』は少年っぽくストレートに歌われている。スザンナは実力の高い歌手らしく、悪くはないが、いささか魔女風の顔立ちであり、色気では伯爵夫人に負けている。

 このように見ると、歌手という存在は生まれついての容貌や体つき、声質に多くを負っているのであって、努力だけではどうにもならない部分があると思う。バレエやフィギュアスケートもそうだろう。浅田真央のビールマン・スピンは世界一美しいと思うが、もっと短足に生まれついた人が同じことをやっても、感銘を与えることは難しい。かなり難易度の高い(つまり難しい)技らしいが、彼女はあまりにも楽々とやってのけるので、素人目には普通の技のように見える。結局、ああきれいだなと思うのは、彼女の肉体を賞賛しているのだ。

 そう言えば、私は映画が好きだが、特定の俳優のファンではなく、どちらかと言えば映画を監督で選ぶ方である。一番好きな映画監督はフェデリコ・フェリーニであり、中でも『魂のジュリエッタ』は最高に美しい映画だと思っている。私小説的な『8・1/2』や『アマルコルド』はイマイチである。もちろん他にもいる。詩的イメージに満ちたウッディ・アレンは、映画というジャンルに限定されない天才だと思う。少々古いが、巧妙な映画造りのヒチコック、ゲーム的映画というべき一つの典型を作り上げた黒澤明、フェリーニの衣鉢を継いだような寺山修司(ただし「田園に死す」以外はそれほどでもない)、一時期熱心に見ていたタルコフスキーなど数多い。

 しかし、絶対的に好きな俳優もいる。それはオードリー・ヘプバーンで、「マイ・フェア・レディ」や「シャレード」など、物語そっちのけで彼女の映像に見入ってしまう。ちょっと見ただけでは大して美人にも見えないし、特別私好みのタイプとも思わないのだが、なぜあれほど魅力を感じるのか、自分でも分からない。彼女が出演した映画なら、すべて見たいと思うのは、「着せ替え人形」のイメージだろう。いろいろな衣装を着せて、そのあらゆる美質を味わいたい。それは好きな曲をいろいろな演奏で聴いてみたいのに少し似ている。いわば彼女自身が芸術品で、彼女を見ることが喜びだというわけだ。彼女自身は容姿に劣等感を持っていたそうだが、「ローマの休日」を見たマリア・カラスは彼女のようになろうと、猛烈な減量をした。その結果、歌手生命を縮めることになったようだが、少なくとも当時のカラスは美人だった。

 話は逸れるが、カラスはもちろん天才的なプリマ・ドンナで、オペラの歴史を変えたと言われるほどのすばらしい歌手である。そのカラスのエピソードには、興味深い話がいくつもある。

 カラスがまだある教室でレッスンを受けていた頃、普通の生徒は、自分のレッスンが済むとさっさと帰ってしまうのに、カラスはいつまでも残っていて、全然関係ないはずのバス歌手のレッスンなどを興味津々で聴いていたというのである。後年、彼女が配役に加わるとなぜかアンサンブルが引き締まり、「みんなが上手になった」という。彼女が何か指示したわけではない。他の配役の分まで知っていて、みんなが上手に歌えるような演技、そういう刺激を与える演技をしたということである。

 また彼女が端役しかもらえなっかた駆け出しの頃、フィデリオ役を歌うことになっていたある歌手が、急な病気で出られなくなった。「誰か代役のできる者はいるか?」と聞くと、カラスが手を挙げた。「フィデリオなら以前からスコアを研究していたし、デビューするなら最高の役で、と決めていたの」というのだ。この志の高さと研究心は、やはり最高の芸術家にのみ見出されるものであろう。

 もちろん歌手には恵まれた天分が必要なわけだが、それだけでは間に合わないものがある。「志が高い」と言うと「野心的だ」と思う人もいるだろうが、それは違うと思うのである。目の前に願ってもない大役のチャンスがあるのに、首をすくめてやり過ごすのでは、プリマ・ドンナになれるはずがないし、「彼女がメンバーに加わると、全体のレベルが上がった」というのは、音楽全体を見通す力があったからだ。

 われわれの日常の仕事でもそういう面がある。向上心を出世欲と見なして嫌う人はいるが、少しでも会社を伸ばそうと思うなら、同僚に遠慮して力を発揮しないのは、間違っている。私はいつももう一歩上をと考えてきた。同僚には上昇志向に見えただろうが、私には反対に、同僚が適当なところで手を打って、力を出し尽くさないのがもどかしく思えた。出世などは関係ない。全体のレベルが上がれば、自然に自分の収入も増えるはずだと思っていたからである。現に会社は成長した。私の功績だけとは言わないが、少しずつ周囲の人たちの考え方もそういう方向に変わってきたと思う。

 とにかく、モーツァルトにはそうした意味での「天才」もあった。時には突飛な言動に見えても、音楽に関する限り、彼は正しかっただろうと思うのである。

http://kumoi1.web.fc2.com/CCP017.html

73. 中川隆[-14415] koaQ7Jey 2019年11月10日 13:36:05 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-1517] 報告
クールな音楽家モーツァルト
---モーツァルト:ピアノ協奏曲 Nos. 11&14 坂崎 紀
https://www.seitoku.ac.jp/daigaku/music/mozart06/writings/sakazaki.html

 ヒットする曲の条件は何だろう。必ずしも音楽の質だけで決まるとはいえないが、誰でもわかりやすく、多くの人が共感できる曲はヒットするといえるだろう。逆に一部の専門家しかわからないような凝った音楽、聴き手に一定水準の音楽的能力や音楽経験を要求するような曲はヒットしにくいといえる。

 この問題について、モーツァルトが1782年12月28日付の手紙の中で興味深いことを書いている。


 「予約演奏会用の協奏曲が2曲必要です。これらの協奏曲は、非常に易しいものと非常に難しいものとの中間を正確に狙ったもので、とても華やかで聴いて楽しく、シンプルで自然ですが無内容に響くことはありません。専門家のみが真に楽しめる個所もここかしこにありますが、素人でも満足を感じるはずです、たとえその理由がわからなくても。」

 ここには作曲家の職業上の秘密、あるいはモーツァルトのプロ作曲家としてのドライな面が感じられる。予約演奏会というのは前売り券を売り、演奏会を行う方式。およそ18世紀頃から公開演奏会が一般化するにつれて採用されるようになった。不特定多数の人が安価にチケットを入手できるようにするかわりに聴衆の数が多くなるように演奏会を企画して利益を上げようというものだ。いわば薄利多売。これは現在の各種演奏会の方式と本質的には同じだ。

 チケットが売れなければ話にならないから、幅広い層にアピールしなければならない。しかしモーツァルトは決して「わかりやすければいい」とか「素人にはわかりやすいものを」といってはいないし、もちろん「理解できる人だけが聴けばいい」ともいっていない。その中間を正確に狙う、というところがミソ。

 「華やかで楽しく、シンプルで自然」というはこの時代の古典主義の理念で、技巧を凝らしたり複雑さを追求した難解な音楽は好まれなかった。これはひとつには啓蒙思想による人間の自然な感覚を尊重する風潮に由来し、社会的には音楽を享受する階層がそれまでの王侯貴族から中産市民階級に拡大したためだ。

 晩年のバッハは、当時の音楽評論家から「技巧が過度、もっと自然であるべきだ」と批判されているが、これは古典主義的な音楽観からなされたものと解釈できる。「一部の音楽通の貴族にしかわからないような音楽はこれからは時代遅れ」ということなのだ。だからハイドンやモーツァルトの音楽は、ある意味ではバッハよりも単純素朴といえるが、これは音楽がより広い層に受け入れられることにつながる。

 さてウィーンといえども、音楽通の数は限られるだろう。チケット金額が同じなら、演奏会に音楽通がひとり来てくれるよりも、平均的一般人(素人)が3人来てくれた方が営業面では有利なのだ。しかしモーツァルトはもっと計算して「音楽通も満足するし、一般人も楽しめる」と書いている。つまり4人来ることを狙っているのだ。これは作るテクニックとしてはむずかしい。凝った和声や繊細な表現といったものは音楽通には受けるが、一般人にはわからない。逆に派手で明快な音楽は一般人にはわかりやすいが、そればかりだと、音楽通には内容空疎な印象を与える。

 ただ音楽というのは時間経過の中で変化していくものなので、わかりやすい部分と、やや凝った部分をうまく混ぜ合わせれば、音楽通も一般人もある程度まで満足させることは可能だろう。モーツァルトはそういう曲を書こうとしていたのだ。

 ではモーツァルトはこの手紙を書いた後、どんな協奏曲を書いたのだろうか。この手紙の直後に書かれたのはピアノ協奏曲第11番ヘ長調 K.413(387a)と第14番ハ長調 K. 415(387b)だったと考えられている。インマゼールがフォルテピアノで演奏したCDを聴いてみよう*。

 これらの曲は大局的にはウィーン古典派の音楽で、現在の基準からすると明快でわかりやすい音楽。しかし作曲された18世紀末の時点では斬新で新しい面もあったと思われる。特に第1楽章ではさまざまな音楽的要素が出てきて、感傷的なフレーズもあれば、大げさな身振りでハデなところもあるが、これらの要素のうちのいくつかは当時としては新しくユニークで音楽通向けであり、いくつかはより一般的で大衆的だったのだろう。

 モーツァルトはしばしば「神童」、「天才」といわれるから、人によってはインスピレーションに駆られて神がかり状態で一気に曲を書き上げる「ゲイジュツカ」というイメージを抱くかもしれない。しかしそれはいささかロマン主義的な幻想というべきだ。

 前掲の手紙からすると、彼は自分の音楽に対してかなりメタ認識ができており、ある意味では冷静かつ客観的に「どうすればウケるか」を考えながら作曲し、演奏していた。そう、モーツァルトは「冷静」、「カッコいい」、という2つの意味でクール cool なミュージシャンだったのだ。

-----
*W. A. Mozart: Clavier-Concerte 11, 13 & 14.
Orchestra Anima Erterna/ J. v. Immerseel
(Channel Classics CCS 0990)
https://www.seitoku.ac.jp/daigaku/music/mozart06/writings/sakazaki.html

74. 中川隆[-14530] koaQ7Jey 2019年11月10日 16:58:26 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-1632] 報告

294名無しの笛の踊り2019/11/10(日) 15:29:39.45ID:lK3Y379i

Brahms ヴァイオリン協奏曲 聴き比べ


brahms Violin Concerto, Kreisler & Blech (1927) - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=hCbmN6bn3Yw

Fritz Kreisler (1875-1962), Violin
Leo Blech (1871-1958), Conductor
Berlin State Opera Orchestra (Staatskapelle Berlin)

Rec. 21, 23, 25 November 1927, Berliner Singakademie
_____

Fritz Kreisler - Brahms-Violinkonzert - Sir John Barbirolli - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=2wcLM7verXg

Recorded in London, on the 18th and 22nd June, 1936
by Fritz Kreisler and the London Philharmonic Orchestra
Orchestra conducted by Sir John Barbirolli.
______

brahms Violin Concerto - Thibaud (1953) - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=G8jkd_LWP0k

Jacques Thibaud (Vn)
Concerts Pasdeloup
Jean Fournet (Cond)
18 I 1953 (LIVE)


296名無しの笛の踊り2019/11/10(日) 15:37:25.61ID:lK3Y379i

Szigeti - Harty Brahms Violin concerto - Hallé Orchestra (R.1928) - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=1B4-2NgqfIo

______

BRAHMS VIOLIN CONCERTO IN D MAJOR Op. 77; SZIGETI, ORMANDY, PO (1945) - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=mdmPvBB8faM

Philadelphia Orch. cond. by Eugine Ormandy
transfer from Jpn Columbia 78s / SW-8/10(XCO-34296/300)
recorded in 1945

______

Brahms Violin Concerto Joseph Szigeti Dimitri Mitropoulos 1948 - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=i01KRWW54wE

Joseph Szigeti, New York Philharmonic Orchestra, Dmitri Mitropoulos

_____

ブラームス ヴァイオリン協奏曲 ニ長調 作品77 シゲティ-メンゲス - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=7TOD6kiU4VA


Vn:ヨーゼフ・シゲティ Josef Suk
Cond:ヘルベルト・メンゲス Herbert Menges 
ロンドン交響楽団 London Symphony Orchestra
1959 REC


75. 中川隆[-14529] koaQ7Jey 2019年11月10日 17:00:00 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-1631] 報告

298名無しの笛の踊り2019/11/10(日) 15:44:37.51ID:lK3Y379i

brahms Violin Concerto, Neveu & Dobrowen (1946) - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=ATg9Qz-F3GU

Ginette Neveu (1919-1949), Violin
Issay Dobrowen (1891-1953), Conductor
Philharmonia Orchestra

Rec. 16-18 August 1946
______

brahms Violin Concerto, Neveu & Schmidt-Isserstedt (1948) - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=9FM2_krep7U
https://www.youtube.com/watch?v=729L0ke5Lxs

Ginette Neveu (1919-1949), Violin
Hans Schmidt-Isserstedt (1900-1973), Conductor
North German Radio Symphony Orchestra (NDR Symphony Orchestra)

Rec. 3 May 1948, in Hamburg (Live Recording)
______

Ginette Neveu - Brahms Violin Concerto, 1rst mvt (1949) - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=5YIP897fMus
https://www.youtube.com/watch?v=EkODm9aHyns
https://www.youtube.com/watch?v=S3tiacSii6c

conductor: Antal Dorati
orchestra: The Hague Residentie Orchestra
Rec. 10 June 1949 (5 months before she died)

299名無しの笛の踊り2019/11/10(日) 16:08:05.71ID:lK3Y379i

Gioconda de Vito - Brahms Violin Concerto Op.77I - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=lN3kicvRsLs
https://www.youtube.com/watch?v=YgjRHXulUjc
https://www.youtube.com/watch?v=87dSNG2YX2Y

1949 Artist: Gioconda De Vito Paul van Kempen Orchestra: Berlin Deutsche Opera Orchestra
_____

Violin Concerto in D Major, Op. 77 (Live)
https://www.youtube.com/watch?v=F2bXD9RefN4
https://www.youtube.com/watch?v=7rccRhz6s1Y
https://www.youtube.com/watch?v=Er9BPFV6Qds

Gioconda de Vito, Wilhelm Furtwangler, Orchestra sinfonica nazionale della RAI di Torino
_____

brahms Violin Concerto, de Vito & Schwarz (1953) - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=eoTFpWGBjtc

Gioconda de Vito (1907-1994), Violin Rudolf Schwarz, (1905-1994), Philharmonia Orchestra
Rec. 25, 27 February & 2, 5 March 1953, at Kingsway Hall, in London
_____

Brahms Violin Concerto Gioconda De Vito - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=rDdeKQk59kw

Gioconda De Vito, violin Orchester des Bayerischen Rundfunks
Eugen Jochum, conductor Munchen, 1956


76. 中川隆[-14537] koaQ7Jey 2019年11月10日 17:02:40 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-1639] 報告

300名無しの笛の踊り2019/11/10(日) 16:23:32.45ID:lK3Y379i

Brahms Violin Concerto op.77 - Heifetz - Toscanini - NYP - 1935 - YouTube
Heifetz - Toscanini - New York Phil. 1935
https://www.youtube.com/watch?v=nH4orwL6XZs
____

Jascha Heifetz plays Brahms Violin Concerto Op.77 (Koussevitzky 1939) - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=soQY-PUOpxw

Serge Koussevitzky Boston Symphony Orchestra Recorded in 1939. 4. 11
____

brahms Violin Concerto, Heifetz & Szell (1951) - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=Mocfd5QXzfY

Jascha Heifetz (1901-1987), George Szell New York Philharmonic Orchestra
Rec. 9 December 1951 (Live Recording)

_____

[HQ] Jascha Heifetz - Brahms' Violin Concerto in D major, Op. 77 - YouTube
Jascha Heifetz ; Fritz Reiner ; Chicago Symphony Orchestra 1955/01/21, 22 Stereo, Orchestra Hall, Chicago
https://www.youtube.com/watch?v=7iG9tUJ7Am4

301名無しの笛の踊り2019/11/10(日) 16:31:34.96ID:lK3Y379i

Brahms Violin Concerto Bronislaw Huberman - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=Nbww8l79mKA

Bronislaw Huberman, violin
Philharmonic Symphony orchestra of New York
Artur Rodzinski, Conductor
Carnegie Hall, New York, 23.I.1944
_____

Violin Concerto in D Major, Op. 77 (1943) - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=MEXPYAO0H-c
https://www.youtube.com/watch?v=fCfhzvnoXGI&list=OLAK5uy_nG4SFR_y8X66wqQ_P0kiEWGidNIq301x0&index=2
https://www.youtube.com/watch?v=KLeUBOx3wwQ

_______

Adolf Busch William Steinberg New York Philharmonic Symphony Orchestra
Brahms Violin Concerto Adolf Busch - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=2-xD-u2JAjY

Adolf Busch, violin Orchester Der Stadt Basel
Hans Munch, Conductor 1951

302名無しの笛の踊り2019/11/10(日) 16:34:45.38ID:lK3Y379i

Brahms - Violin concerto - Oistrakh - Klemperer - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=KkfgFuCUe8w

David Oistrakh
Orchestre National de la Radiodiffusion Française
Otto Klemperer
Studio recording, Paris, 17-19.VI.1960

_____

Brahms Violin Concerto - David Oistrakh, The Cleveland Orchestra, Szell (1970, JapanSACD 2010) - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=9rzJPkwwCL0

Recorded at Severance Hall, Creveland, Ohio, on May 13 & 16, 1969


77. 中川隆[-14536] koaQ7Jey 2019年11月10日 17:04:12 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-1638] 報告

304名無しの笛の踊り2019/11/10(日) 16:45:04.84ID:lK3Y379i

brahms Violin Concerto (Anne-Sophie Mutter – Karajan 1981) - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=NTaNqM1HCeU

Anne-Sophie Mutter – Solo Violin
Herbert Von Karajan: Berlin Philharmonic Orchestra

______

Brahms - Concerto fo Violin and Orchestra in D - Anne-Sophie Mutter - Kurt Masur - NYPO - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=v3zq756odHA

Conductor: Kurt Masur
Violin: Anne-Sophie Mutter
Orchestra: New York Philharmonic Orchestra
Year: 1997


306名無しの笛の踊り2019/11/10(日) 16:55:28.70ID:lK3Y379i

Kyung Wha Chung plays Brahms violin concerto (1985) - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=pKVuQQkvqWA

Myung-Whun Chung and KBS Symphony Orchestra.
This concert took place in Seoul, Korea on August 12th, 1985.
______

Kyung Wha Chung plays Brahms violin concerto (1996) - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=UtnaJ2ZkN60

Andre Previn and Kölner Rundfunksinfonie Orchester. December 1996.
_____

(ReUp) Kyung Wha Chung plays Brahms Violin Concerto (2001) - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=sjEzqaoKth8

Myung-Whun and Orchestra dell'Accademia Nazionale di Santa Cecilia.
The concert took place in Yokohama, Japan on May 18th, 2001.

_____

brahms Violin Concerto - Kyung-Wha Chung Haitink Super World Orchestra (2003 Live) - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=FGsKFJbq6KE

Bernard Haitink Super World Orchestra 2003.7.14 Suntory Hall Live. Japan
https://www.youtube.com/watch?v=FGsKFJbq6KE
____

Kyung Wha Chung plays Brahms violin concerto (2016) - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=roE4l6v3vGg

concert of Verbier Festival 2016, with the Festival orchestra under Charles Dutoit.
Performed on 22nd July, 2016.

_____

Kyung wha chung plays Brahms violin concerto (Tong-yeong International Music Festival 2018) - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=oelcmJ13HDU

Kyung-Wha Chung, violin
Bochum Symphony Orchestra Steven Solane, Conductor

78. 中川隆[-14550] koaQ7Jey 2019年11月10日 17:44:20 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-1652] 報告

305名無しの笛の踊り2019/11/10(日) 16:46:19.66ID:IG8874dG

youtubeをダウウンロードして、
wav(44.1k/16bit, foobar2000)で聴くと、音質が良くなるよ。

モーツァルトの場合、歌と伴奏が明確なので、歌謡曲と比較できるかもしれないが、
そのことと楽曲クオリティとは関係ない。


308名無しの笛の踊り2019/11/10(日) 16:55:49.33ID:zHRQVo1t>>309

一度、圧縮した音源って元に戻せるのか?

309名無しの笛の踊り2019/11/10(日) 17:04:06.98ID:0E/7c/DY
>>308
音源は元に戻せない
でもブラウザで再生するよりwasapi対応のfooberの方が音質は良くなる

310名無しの笛の踊り2019/11/10(日) 17:22:41.32ID:IG8874dG

foobar2000で、wav(44.1k, 16bit=CD)にconvert
mp4muxerで、demux->映像を削除

非可逆圧縮(mp3, m4a, mp4)でも、wavにすることで明確に異なる音質となる。
HDDにもやさしい。

311名無しの笛の踊り2019/11/10(日) 17:27:45.93ID:IG8874dG

どがらじ URLで映像ダウンロード
https://dogaradi.123net.jp/

https://www.youtube.com/watch?v=oelcmJ13HDU

312名無しの笛の踊り2019/11/10(日) 17:38:40.09ID:0E/7c/DY
>>310
音質がかわるのはfooberで再生するからだろ


https://lavender.5ch.net/test/read.cgi/classical/1571178797/l50

79. 中川隆[-14612] koaQ7Jey 2019年11月10日 19:27:13 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-1714] 報告

316名無しの笛の踊り2019/11/10(日) 19:17:53.34ID:lK3Y379i

brahms 21 Hungarian Dances, WoO 1 No. 1 In G Minor - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=Y-V4A-BNAZU


brahms Hungarian Dance No.2 In B Minor - YouTube
Anne-Sophie Mutter · Lambert Orkis
https://www.youtube.com/watch?v=Yr8rTy8-CBg


brahms Hungarian Dance No.5 In G Minor - YouTube
Anne-Sophie Mutter · Lambert Orkis
https://www.youtube.com/watch?v=SVTuFLIUNH4


Anne-Sophie Mutter Brahms Hungarian Dance No.6 in D flat - transc. - YouTube
November 30, 2005.
https://www.youtube.com/watch?v=kjGP4MHxdTA


brahms 21 Hungarian Dances, WoO 1 - Transcription Joseph Joachim - No. 7 In A Major - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=hC-yX-ZGAkA

317名無しの笛の踊り2019/11/10(日) 19:23:45.69ID:lK3Y379i

Kyung Wha Chung - Brahms Hungarian Dance No.1 - YouTube
Kyung Wha Chung, violin Philip Moll, piano
https://www.youtube.com/watch?v=OBaIydQM_No

Kyung Wha Chung plays Brahms Hungarian Dance No.1 - YouTube
at the recital held at Lord Harewood's estate in 1980. Accompanied by young Pascal Roge.
https://www.youtube.com/watch?v=YSAMVa_wHpE

80. 中川隆[-14620] koaQ7Jey 2019年11月10日 19:34:45 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-1722] 報告

319名無しの笛の踊り2019/11/10(日) 19:30:02.57ID:lK3Y379i

Brahms - Ballades, Sonatas, Scherzo & Variations (Century’s recording Claudio Arrau) - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=YGBdftavZuQ


Ballades, Op.10

Piano Sonata in F Sharp minor, Op.2

Piano Sonata in F minor, Op.5

Scherzo in E Flat minor, Op.4 (1:33:05)
Variations & Fugue On A Theme By Handel, Op.24 (1:42:29)

Piano : Claudio Arrau
Stereo recordings in 1971-73-74-77-78, at Germany, Great Britain & Netherlands
Label : Philips

320名無しの笛の踊り2019/11/10(日) 19:31:59.80ID:lK3Y379i

Brahms - Piano Sonata No.3 in F minor, Op.5 - Claudio Arrau - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=3KDAe2GtYmw

Claudio Arrau, piano
Recorded live at the Teatro Municipal, Santiago, Chile, 15 May 1984

81. 中川隆[-14637] koaQ7Jey 2019年11月10日 20:01:49 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-1739] 報告

Lucia Popp Brahms Lieder Geoffrey Parsons - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=hUW2BirkICQ


Lucia Popp Brahms Lieder for Marina Zoege von Manteuffel.

1. Die Trauernde op.7 no. 5
2. Sehnsucht op.14 no.8
3. Madchenfluch op.14 no.9
4. Wie komm' ich denn zur Tür herein
5. In stiller Nacht
6. Es steht ein Lind'
7. Madchenlied op.85 no.3
8. Vorshneller Schwur op.95 no.5
9. Madchenlied op.95 no.6
10. Das Madchenlied op.107 no.6
11. Regenlied

322名無しの笛の踊り2019/11/10(日) 19:42:48.73ID:lK3Y379i

Anne Sofie von Otter. Brahms - Lieder (1991) - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=xrXQ2tLHfUs

:00:02 Anne Sofie von Otter - Brahms. Zigeunerlieder. He, Zigeuner
0:00:57 Anne Sofie von Otter - Brahms. Zigeunerlieder. Hochgeturmte Rimaflut
0:02:19 Anne Sofie von Otter - Brahms. Zigeunerlieder. Wi?t ihr, wann mein Kindchen am allerschonsten ist
0:03:49 Anne Sofie von Otter - Brahms. Zigeunerlieder. Zigeunerlieder. Lieber Gott, du weit
0:05:12 Anne Sofie von Otter - Brahms. Zigeunerlieder. Brauner Bursche fuhrt zum Tanze
0:06:45 Anne Sofie von Otter - Brahms. Zigeunerlieder. Roslein dreie in der Reihe
0:08:09 Anne Sofie von Otter - Brahms. Zigeunerlieder. Kommt dir manchmal in den Sinn
0:10:27 Anne Sofie von Otter - Brahms. Zigeunerlieder. Rote Abendwolken
0:11:55 Anne Sofie von Otter - Brahms. Dort in den Weiden steht ein Haus
0:13:27 Anne Sofie von Otter - Brahms. Vergebliches Standchen
0:15:06 Anne Sofie von Otter - Brahms. Die Mainacht
0:18:57 Anne Sofie von Otter - Brahms. Ach, wende diesen Blick
0:20:55 Anne Sofie von Otter - Brahms. O kuhler Wald
0:23:22 Anne Sofie von Otter - Brahms. Von ewiger Liebe
0:27:56 Anne Sofie von Otter - Brahms. Junge Liebe
0:29:29 Anne Sofie von Otter - Brahms. Wie rafft' ich mich auf in der Nacht
0:34:10 Anne Sofie von Otter - Brahms. Unbewegte laue Luft
0:38:19 Anne Sofie von Otter - Brahms. Heimweh
0:41:39 Anne Sofie von Otter - Brahms. Madchenlied
0:43:13 Anne Sofie von Otter - Brahms. Standchen
0:44:53 Anne Sofie von Otter - Brahms. Sonntag
0:46:38 Anne Sofie von Otter - Brahms. Wiegenlied
0:48:27 Anne Sofie von Otter - Brahms. Zwei Gesange. Gestillte Sehnsucht
0:54:24 Anne Sofie von Otter - Brahms. Zwei Gesange. Geistliches Wiegenlied

Nils-Erik Sparf - viola, Bengt Forsberg - piano

323名無しの笛の踊り2019/11/10(日) 19:45:17.68ID:lK3Y379i

Elisabeth Schwarzkopf Lieder by Brahms (Von ewiger Liebe, Liebestreu...) - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=MVmlgR0fd-4


Johannes Brahms (1833 - 1897)

00:00 I. Von ewiger Liebe, Op. 43/1 (Wenzig)
04:50 II. Liebestreu, Op.3/1 (Reinick)
07:04 III. Feldeinsamkeit, Op. 86/2 (Allmers)
10:43 IV. Therese, Op. 86/1 (Keller)
12:33 V. Der Tod, das ist die kühle Nacht, Op.96/1 (Heine)
15:33 VI. Wiegenlied, Op. 49/4 (populaire)
17:18 VII. Wie Melodien zieht es mir, Op. 105/1 (Groth)
19:49 VIII. In stille Nacht, WoO 33 n° 42 (Spee vonLangenfeld-Brahms)
22:52 IX. Da unten inm Tale, WoO 33 n° 6 (popualire)
24:57 X. Meine Liebe ist Grün, Op. 63/2 (Schumann)
26:31 XI. Verglebliches Stänchen, Op. 84/4 (Zuccalmaglio)

Elisabeth Schwarzkopf (1915-†2006), soprano
Edwin Fischer, piano
RAI Torino, 11 Feb. 1954

324名無しの笛の踊り2019/11/10(日) 19:51:38.71ID:lK3Y379i

Brahms - Vier ernste Gesange - Hotter - Moore - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=VUioxhzXEZ0

Hans Hotter
Gerald Moore
Studio recording, London, 11-12.XI.1951
_____

Brahms - Todessehnen - Hotter - Raucheisen - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=VrF0OPv6j6M
Sechs Lieder op.86 - n°6 Todessehnen (Max Gottfried von Schenkendorf)

Hans Hotter
Michael Raucheisen
Radio recording, Berlin, 1944

82. 中川隆[-14795] koaQ7Jey 2019年11月10日 22:19:36 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-1897] 報告

328名無しの笛の踊り2019/11/10(日) 22:09:58.84ID:lK3Y379i

Evgeny Kissin & Yuri Bashmet - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=PlMQsGVpTqM

Evgeny Kissin & Yuri Bashmet at concert, 2011

Brahms
Sonata for viola and piano in E flat major, Op. 120 No. 2

329名無しの笛の踊り2019/11/10(日) 22:17:33.05ID:lK3Y379i

ブラームス: 弦楽五重奏曲 第2番 ト長調 作品111 アルバン・ベルク四重奏団 1998 - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=Qc7f1_2_oU4

アルバン・ベルク四重奏団 Alban Berg Quartett 1998年4月5日
ハリオルフ・シュリヒティヒ(ヴィオラ)Hariolf Schlichtig, viola
Brahms : String Quintet, Op.111

______

Johannes Brahms String Quintet in G major Op.111, Amadeus Q. - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=1VhA_hrVQBI

Amadeus Quartet
Cecil Aronowitz, Viola II
Rec.: 1967

_____

Budapest String Quartet - Brahms Quintet in G Op.111 (再復刻) - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=Ua5Sjir0cuc

J. Roismann - A. Schneider - I. Ipolyi - M. Schneider
2nd Viola ; Hans Mahike
transferred from JPN Victor 78s / JH-1-3(2D-1271/3, 1280/2)

_____

Brahms Quintet No. 2 In G Major Budapest String Quartet (1958) LP - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=KfwEjPcmutA

Cello – Mischa Schneider
Viola – Walter Trampler
Viola – Boris Kroyt
Violin – Alexander Schneider, Joseph Roisman

330名無しの笛の踊り2019/11/10(日) 22:17:37.60ID:lK3Y379i

ブラームス: 弦楽五重奏曲 第2番 ト長調 作品111 アルバン・ベルク四重奏団 1998 - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=Qc7f1_2_oU4

アルバン・ベルク四重奏団 Alban Berg Quartett 1998年4月5日
ハリオルフ・シュリヒティヒ(ヴィオラ)Hariolf Schlichtig, viola
Brahms : String Quintet, Op.111

______

Budapest String Quartet - Brahms Quintet in G Op.111 (再復刻) - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=Ua5Sjir0cuc

J. Roismann - A. Schneider - I. Ipolyi - M. Schneider
2nd Viola ; Hans Mahike
transferred from JPN Victor 78s / JH-1-3(2D-1271/3, 1280/2)

_____

Brahms Quintet No. 2 In G Major Budapest String Quartet (1958) LP - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=KfwEjPcmutA

Cello – Mischa Schneider
Viola – Walter Trampler
Viola – Boris Kroyt
Violin – Alexander Schneider, Joseph Roisman

83. 中川隆[-14821] koaQ7Jey 2019年11月10日 22:46:34 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-1923] 報告

332名無しの笛の踊り2019/11/10(日) 22:31:41.92ID:lK3Y379i

Brahms - Piano Quintet op.34 - Busch - Serkin - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=uEe7punlI6s

Busch String Quartet (Adolf Busch - Gösta Andreasson - Karl Doktor - Hermann Busch)
Rudolf Serkin
Studio recording, 13.X.1938
________

Sonata for 2 Pianos in F Minor, Op. 34b (Live) - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=CIguO5HNZNQ
https://www.youtube.com/watch?v=SBsc0vyfyZE
https://www.youtube.com/watch?v=Fqk5ruccAWA
https://www.youtube.com/watch?v=u9mX3gEddD8

Piano: Lilya Zilberstein
Piano: Martha Argerich
___

Sonata for 2 Pianos in F Minor, Op. 34b - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=AopxJOjr6CE
https://www.youtube.com/watch?v=WNEUrAD6voc
https://www.youtube.com/watch?v=hOMQYVRVf30
https://www.youtube.com/watch?v=MZha3TwEN1c

Piano: Martha Argerich
Piano: Alexandre Rabinovich

333名無しの笛の踊り2019/11/10(日) 22:40:43.05ID:lK3Y379i

Glenn Gould - [Brahms] Rhapsody, Op. 79, No. 1 - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=UpZgY7zPROY
https://www.youtube.com/watch?v=SNQ0ywuRRD0
_____

Johannes Brahms - Rhapsody in G minor Op.79 No.2 - GLENN GOULD - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=AZZwmhjY6VE
https://www.youtube.com/watch?v=MIid1PJlYbg
_____

Brahms - Rhapsodie No.1, Op.79 (Martha Argerich) - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=NcgOp-2T05A

Recording : 1960 in Hannover, Beethoven-Saal

___

Brahms - Rhapsodie no.2, Op.79 (Martha Argerich) - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=LId7GyalXD4

Recording : 1960 in Hannover, Beethoven-Saal

334名無しの笛の踊り2019/11/10(日) 22:44:38.57ID:lK3Y379i

Complete tapes of Glenn Gould in the studio recording Brahms Rhapsodies Op.79 - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=FypVVO5uVkQ

"Recorded in 1982 in New York City, the following tapes constitute the entire Brahms Rhapsodies sessions. These were to be Gould's last piano recordings."

______

Glenn Gould - Brahms Ballades - New York, 1982 - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=X9Ui65P2-DA

______

Glenn Gould plays Brahms (best pieces from 10 Intermezzi for Piano) - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=j-rF98HSKNc

84. 中川隆[-14883] koaQ7Jey 2019年11月10日 23:32:59 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-1985] 報告

337名無しの笛の踊り2019/11/10(日) 23:31:45.51ID:lK3Y379i

Piano Trio No. 2 in C Major, Op. 87 - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=foFR0R5Tku4&list=OLAK5uy_k9PFNcVh0MpqJ73jya8j1mCYJ0v2VG6mg
https://www.youtube.com/watch?v=-erjcIdTGCo&list=OLAK5uy_k9PFNcVh0MpqJ73jya8j1mCYJ0v2VG6mg&index=2
https://www.youtube.com/watch?v=VMv1XEER_Qw&list=OLAK5uy_k9PFNcVh0MpqJ73jya8j1mCYJ0v2VG6mg&index=3
https://www.youtube.com/watch?v=MtuKCvoSTn0&list=OLAK5uy_k9PFNcVh0MpqJ73jya8j1mCYJ0v2VG6mg&index=4

Artist: Dame Myra Hess
Artist: Joseph Szigeti
Artist: Pablo Casals
Composer: Johannes Brahms
______

Piano Quartet No. 3 in C Minor, Op. 60 - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=ZC3jEDsd9Nc&list=OLAK5uy_k9PFNcVh0MpqJ73jya8j1mCYJ0v2VG6mg&index=5
https://www.youtube.com/watch?v=3dWhW07TspI&list=OLAK5uy_k9PFNcVh0MpqJ73jya8j1mCYJ0v2VG6mg&index=6
https://www.youtube.com/watch?v=IpLRI7HSsYc&list=OLAK5uy_k9PFNcVh0MpqJ73jya8j1mCYJ0v2VG6mg&index=7
https://www.youtube.com/watch?v=NCTW35TXB38&list=OLAK5uy_k9PFNcVh0MpqJ73jya8j1mCYJ0v2VG6mg&index=8

Artist: Dame Myra Hess
Artist: Joseph Szigeti
Artist: Milton Katims
Artist: Paul Tortelier
______

Brahms Horn Trio, Sonata No. 2 - Joseph Szigeti, M.Horszowski, John Barrows (UK 1961 LP) - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=r_-T2_cQYto

Composed By – Brahms
Horn – John Barrows
Piano – Mieczyslaw Horszowski
Violin – Joseph Szigeti

85. 中川隆[-14900] koaQ7Jey 2019年11月10日 23:48:49 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-2002] 報告
338名無しの笛の踊り2019/11/10(日) 23:47:34.81ID:lK3Y379i

Szigeti Brahms Violin Sonata No.1(r.1951) - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=KdNbh0qNBDU
_____

Joseph Szigeti plays Brahms Violin Sonata No.3, Op.108 - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=_a7xAdgctlE

Egon Petri, piano
Recorded in 1937
______

Szigeti plays Brahms Sonata no. 3 in D Minor, op. 108 - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=ZCEnXsvZPxQ

Joseph Szigeti, violinist
Mieczyslaw Horszowski, pianist
______

Joseph Szigeti - Brahms Violin Sonata Nr.3 Op.108 - Adagio (1946) - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=OjOb9je6M3Y

Piano acc. by Leonid Hambro
transfer from Jpn Columbia 78s / SW-12(XCO-35392)
recorded in 1946

86. 中川隆[-14908] koaQ7Jey 2019年11月10日 23:58:58 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-2010] 報告

YouTube からiTunesに音楽をダウンロードする方法
https://www.imobie.jp/support/fix-how-to-download-youtube-to-itunes.htm

HD動画変換、オンライン動画変換 - OnlineVideoConverter.com
https://www.onlinevideoconverter.com/ja


2007/11/58 Yoshii9 へのiPodの接続…iPodは高音質か?
https://web.archive.org/web/20130312141851/http://shyouteikin.seesaa.net/article/63516831.html

12/58 Yoshii9 へはiPodは繋がない…iPodの音質の限界を知った切っ掛け
https://web.archive.org/web/20121004002400/http://shyouteikin.seesaa.net/article/129279700.html

iTunes を入手 - Microsoft Store ja-JP
https://www.microsoft.com/ja-jp/p/itunes/9pb2mz1zmb1s?cid=appledotcom&rtc=1&activetab=pivot:overviewtab

iTunes - アップグレードして今すぐiTunesを手に入れよう - Apple(日本)
https://www.apple.com/jp/itunes/download/

iPodへの曲・音楽の入れ方 iPod Wave
https://www.ipodwave.com/ipod/ipodmusic.htm

87. 中川隆[-15022] koaQ7Jey 2019年11月11日 08:49:40 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-2124] 報告

348名無しの笛の踊り2019/11/11(月) 08:10:39.16ID:6YxBe1vB

ここでモーツァルト、モーツァルトと騒いでるクルクルパーに教えてやるけど

音楽家がモーツァルトを高く評価するのは、モーツァルト以外の作曲家の曲を聴いた事が無いからなのです。

毎日朝から晩まで楽器の練習してたら、ブルックナーとかベルクを聴く時間も体力も無くなるからね

ピアノやフルートの初心者でも弾けるのはモーツァルト位だから
それでモーツァルトはファンが多いんだな

そもそも音大の学生は音楽なんか全然知らないよ
朝から晩まで楽譜と睨めっこしないといけないから、高級な音楽を聴く時間なんかないんだ

だから音大の学生はモーツァルトみたいな初心者向け音楽しか知らないんだ
ウェーベルンとかショスタコーヴィッチなんか学校で教材にしないから誰も聴いていない

349名無しの笛の踊り2019/11/11(月) 08:11:37.60ID:6YxBe1vB

音大生が音楽を知らない理由

「彼らには決定的に時間が足りない」のじゃないかと思います。

「人様が演奏しているのなんか聴いている暇があったら練習しなくてはいけない」のだと。

「1日でも練習をサボったらそれが聴衆にわかってしまう」と言ったのは、ピアニストの誰だったか・・・。晩年のホロヴィッツだったかもしれません。

卑近かつ低次元な話で申し訳ありませんが私も30代末から十数年間ピアノ教室に通いつつ練習していましたが趣味とはいえ発表会の前、数か月は余暇はすべて練習に費やしました。(それにしては「ヘボ」でしたが)

そんな私でも「一日でも練習をサボったら、二日分後退してしまう。」と脅迫観念に囚われたものです。

ましてや、プロともなれば1曲を仕上げるのに、数か月いや年単位でしかも1日じゅう寝食を忘れて練習が必要でしょう。そのプレッシャーたるや如何ほどのものか・・・。想像するだに恐ろしい。

350名無しの笛の踊り2019/11/11(月) 08:13:26.68ID:6YxBe1vB

たしか内田光子さんだったと思いますが「1日8時間は」とインタビュー記事にあったような記憶が・・・。

でも、この辺のプロ事情は文献などで貴兄の方がよほどお詳しいことと推察いたします。

また「音楽家」がiPODの音に”いい音ね”って簡単に感激するのは実は彼らなりのリップサービスで真意は「プロでないあなたたちこそ音楽をほんとうの意味で楽しんでいるのね!」ってことでしょうか。

私も先生から「生徒さんこそいろんな音楽を知ってて楽しんでるのよね〜」ってマジで言われたことがあります。

そうなんです!彼らは自らが演奏するジャンル以外の音楽に関しては無知であることを強いられているのです。

しかも、最も多感な時期にず〜っと。これも「決定的に時間が足りない」からでしょう。

また「彼らは客席でどう聞こえるかはあまり気にしていない」も、たぶん違うような気がします。

彼らの関心事はただただ「自分の演奏が聴衆にどう聞こえ、かつ訴えかけるのか」では、無いでしょうか。

何しろそれが「プロがプロたる所以」なのですから・・・。

ここでも「一日でも練習をサボったら聴衆にバレてしまう」という苦悩に満ちた告白が思い起こされます。

88. 中川隆[-15215] koaQ7Jey 2019年12月06日 10:59:53 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-2280] 報告

604名無しの笛の踊り2019/12/06(金) 10:07:14.82ID:fySE2EN/

ブラームスは演歌なんだよ
真面目に聴くのはアホ

605名無しの笛の踊り2019/12/06(金) 10:19:08.12ID:fySE2EN/

モーツァルトは女・子供向け
モーツァルトを聴く男はアホ

606名無しの笛の踊り2019/12/06(金) 10:22:06.33ID:fySE2EN/

そもそもエロイカ、運命、第九、ジュピター、新世界とか中高生しか聴かないだろ

俺が最後に第九を聴いてからもう20年は経つな

そんなの聴く年配のクラシックファンなんかいるのか?

89. 中川隆[-15209] koaQ7Jey 2019年12月06日 12:10:34 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-2274] 報告

610名無しの笛の踊り2019/12/06(金) 11:58:54.67ID:fySE2EN/

モーツァルトよりハイドンの交響曲の方が名曲だよ
同一指揮者で聞き比べてみればすぐにわかる


Bruno Walter - VPO - Haydn Symphony #100 Military - 1st Mvt (1938) 再復刻
https://www.youtube.com/watch?v=inbLPp-5HHQ

Haydn - Symphony n°96 - Vienna - Walter
https://www.youtube.com/watch?v=6zGjzMITnfU

Haydn Symphony No. 86 (Bruno Walter, 1938)
https://www.youtube.com/watch?v=mshl5IJObRM

____

Mozart - Symphony n°38 - Vienna - Walter 1936
https://www.youtube.com/watch?v=n4-i__GGWw4

Mozart - Symphony n°41 - Vienna / Walter
https://www.youtube.com/watch?v=dCqNEnIY1k8

611名無しの笛の踊り2019/12/06(金) 12:04:57.60ID:fySE2EN/

モーツァルトやハイドンよりブラームスの交響曲の方が更に名曲だけどね

Brahms sinf n3 Bruno Walter
https://www.youtube.com/watch?v=TxYeiocnIok

Symphony No. 1 in C Minor, Op. 68: IV. Allegro - Allegro ma non troppo Wiener Philharmoniker, Bruno Walter
https://www.youtube.com/watch?v=hmmwDb1hU1Y

90. 中川隆[-14118] koaQ7Jey 2020年2月01日 14:57:37 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-800] 報告

991名無しの笛の踊り2020/02/01(土) 14:41:46.20ID:XNN/kaNn

ワルターの愛人(?)フェリアーの歌

Schubert, Schumann, Brahms : Lieder by Kathleen Ferrier & Bruno Walter
https://www.youtube.com/watch?v=LFKRTQJyTKg&feature=emb_title

Immer leiser wird mein Schlummer, op.105 n°2 (47:41)
Der Tod, das ist die kühle Nacht, op.96 n°1 (51:45)
Botschaft, op.47 n°1 (55:12)
Von ewiger Liebe, op.43 n°1 (57:27)

Contralto : Kathleen Ferrier
Piano : Bruno Walter
Live recording in 1949, Edinburgh Festival

992名無しの笛の踊り2020/02/01(土) 14:45:33.91ID:XNN/kaNn

ヨハネス・ブラームス 『雨の歌 Regenlied ・ 余韻 Nachklang』

Mischa Maisky - Song of the Cello
https://www.youtube.com/watch?v=9oZX2hjn7PU&feature=emb_title

Brahms violin sonata n°1 in G major for violin and piano.
Adolf Busch (violin), Rudolf Serkin (piano).
Live recording on 13 October 1936; London
https://www.youtube.com/watch?v=vGoU3rRcsNY&feature=emb_title

8 Lieder und Gesange, Op. 59: No. 4, Nachklang · Lenneke Ruiten & Hans Adolfsen
https://www.youtube.com/watch?v=bdvR-Vr71cQ&feature=emb_title

8 Lieder und Gesange, Op. 59: No. 3, Regenlied · Lenneke Ruiten & Hans Adolfsen
https://www.youtube.com/watch?v=Wt91UV3bxlc&feature=emb_title

993名無しの笛の踊り2020/02/01(土) 14:49:01.44ID:XNN/kaNn

ヨハネス・ブラームス 『4つの厳粛な歌』

Kathleen Ferrier; "Vier ernste Gesänge"; op. 121; Johannes Brahms
https://www.youtube.com/watch?v=9IFYlbn65dI&feature=emb_title

Brahms: Four Serious Songs, Flagstad & McArthur (1956)
Vier ernste Gesänge, Op. 121 (Four Serious Songs)
Kirsten Malfrid Flagstad (1895-1962), Soprano
Edwin McArthur (1907-1987), Piano
Rec. 22-23, 26-27 November 1956, in London
https://www.youtube.com/watch?v=oNnuPNNQ-Pc&feature=emb_title

Brahms - Vier ernste Gesänge - Hotter / Moore
Hans Hotter Gerald Moore
Studio recording, London, 11-12.XI.1951
https://www.youtube.com/watch?v=VUioxhzXEZ0&feature=emb_title

994名無しの笛の踊り2020/02/01(土) 14:53:07.23ID:XNN/kaNn

モーツァルト : ガキの音楽

ブラームス: 大人の音楽

91. 中川隆[-14114] koaQ7Jey 2020年2月01日 15:38:40 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-796] 報告
995名無しの笛の踊り2020/02/01(土) 15:35:58.50ID:XNN/kaNn

Brahms: Songs without words
Mischa Maisky · Pavel Gililov
https://www.youtube.com/watch?v=JfKKyjMeRzE&list=OLAK5uy_lkfOPkrXNNioVS4-vn-PGtOimUbCzcUuo

92. 中川隆[-14106] koaQ7Jey 2020年2月01日 21:17:53 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-788] 報告
2名無しの笛の踊り2020/02/01(土) 16:53:40.32ID:XNN/kaNn

これがブラームス 最高の名曲

ヨハネス・ブラームス 『雨の歌 Regenlied ・ 余韻 Nachklang』

Mischa Maisky - Song of the Cello
https://www.youtube.com/watch?v=9oZX2hjn7PU&feature=emb_title

Brahms violin sonata n°1 in G major for violin and piano.
Adolf Busch (violin), Rudolf Serkin (piano).
Live recording on 13 October 1936; London
https://www.youtube.com/watch?v=vGoU3rRcsNY&feature=emb_title

8 Lieder und Gesange, Op. 59: No. 4, Nachklang · Lenneke Ruiten & Hans Adolfsen
https://www.youtube.com/watch?v=bdvR-Vr71cQ&feature=emb_title

8 Lieder und Gesange, Op. 59: No. 3, Regenlied · Lenneke Ruiten & Hans Adolfsen
https://www.youtube.com/watch?v=Wt91UV3bxlc&feature=emb_title

3名無しの笛の踊り2020/02/01(土) 20:45:17.21ID:XNN/kaNn

>>2 よりこっちの方が名曲じゃないかと思ったりするんだけど:


中島みゆき 世情
https://www.nicovideo.jp/watch/sm27227751

時代 -ライヴ2010〜11- (東京国際フォーラムAより)
https://www.youtube.com/watch?v=Ry_bpaKDcAo&list=RDRy_bpaKDcAo&index=1


歌曲では差が出ないんだよね

6名無しの笛の踊り2020/02/01(土) 20:58:20.92ID:XNN/kaNn
これ位の大曲でないと差が出ないよね:

Brahms - Ein deutsches Requiem - Stockholm / Furtwängler(1948)
https://www.youtube.com/watch?v=D_dxlS87yrw&feature=emb_title


Bruno Walter: Brahms Live - Edinburgh Festival 08-09-1953 (Fischer-Dieskau & Seefried)

JOHANNES BRAHMS

• Tragic Overture, op. 81
• Ein Deutsches Requiem, op. 54

Irmgard Seefried, sp
Dietrich Fischer-Dieskau, br
Edinburg Choral Union & the Wiener Philharmoniker: BRUNO WALTER
Live - Edinburgh Festival September 8, 1953

https://www.youtube.com/watch?time_continue=90&v=733HSVuUC0Q&feature=emb_title

93. 中川隆[-14103] koaQ7Jey 2020年2月02日 09:22:29 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-785] 報告
9名無しの笛の踊り2020/02/02(日) 08:54:29.81ID:OJ3PStc1


Schubert, Schumann, Brahms : Lieder by Kathleen Ferrier & Bruno Walter

Johannes Brahms (1833-1897)

Immer leiser wird mein Schlummer, op.105 n°2 (47:41)

Der Tod, das ist die kühle Nacht, op.96 n°1 (51:45)

Botschaft, op.47 n°1 (55:12)

Von ewiger Liebe, op.43 n°1 (57:27)

Contralto : Kathleen Ferrier
Piano : Bruno Walter
Live recording in 1949, Edinburgh Festival


https://www.youtube.com/watch?v=LFKRTQJyTKg&feature=emb_title

10名無しの笛の踊り2020/02/02(日) 08:57:46.28ID:OJ3PStc1

Mischa Maisky · Pavel Gililov

Brahms: Songs without words - Denn es gehet dem Menschen wie dem Vieh op.121 No.1
https://www.youtube.com/watch?v=0XldMyyTs-U&feature=emb_title

Brahms: Songs without words - Ich wandte mich und sahe an op. 121 No. 2
https://www.youtube.com/watch?v=Y8zv0sp9Reg&feature=emb_title

Brahms: Songs without words - O Tod, wie bitter bist du op. 121 No. 3
https://www.youtube.com/watch?v=AaBEERFx_4E&feature=emb_title

11名無しの笛の踊り2020/02/02(日) 08:59:54.47ID:OJ3PStc1

ヨハネス・ブラームス 『4つの厳粛な歌』

Kathleen Ferrier; "Vier ernste Gesänge"; op. 121; Johannes Brahms
https://www.youtube.com/watch?v=dro8ijKzpuo&feature=emb_title


Dietrich Fischer-Dieskau; "Vier ernste Gesänge"; (1973); Johannes Brahms
https://www.youtube.com/watch?v=9IbycKYgiD8&feature=emb_title


Brahms - Vier ernste Gesänge - Hotter / Moore
Hans Hotter Gerald Moore
Studio recording, London, 11-12.XI.1951
https://www.youtube.com/watch?v=VUioxhzXEZ0&feature=emb_title

94. 中川隆[-14013] koaQ7Jey 2020年2月06日 12:20:00 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-682] 報告

クラシック音楽 一口感想メモ
ヨハネス・ブラームス(Johannes Brahms, 1833 - 1897)
https://classic.wiki.fc2.com/wiki/%E3%83%96%E3%83%A9%E3%83%BC%E3%83%A0%E3%82%B9

ロマン派が爛熟し新奇さに走って構造の崩れた曲が増えた時代に、古典的な形式美を保持した曲を書き続けた人気作曲家。ドイツ3Bと呼ばれるのは伊達ではない。本格派にして実力派である。堅実な音楽ではあるが十分にロマン的情緒があり、素晴らしいメロディーメーカーでもある。

各ジャンルでロマン派を代表する傑作を書いた点で、同年代のチャイコフスキー、ドヴォルザークと双璧である。

難を言えば、このレベルの作曲家にしては芸風が狭く音楽がバラエティに欠けていると思う。また、いい所までいくのに突き抜けきれずにもどかしさの残るような作品が多い。一部の突き抜けられた作品はロマン派を代表する傑作になったのだが。あと、ターーラララのような手癖フレーズに安易に走ることが多いのも個人的には結構気になる。


交響曲

•交響曲第1番ハ短調作品68◦5.0点


闘争から勝利という図式が分かりやすく、ロマンチックな雰囲気を濃厚に持った名旋律が満載である。最後は楽しくウキウキした気分で締めくくられるので楽しく聞ける曲。ただし、長年推敲しすぎと気合入りすぎで多くの濃厚なものを詰め込みすぎなので、まとめきれておらず流れが不自然な箇所があったり、息苦しさを感じたりするところはある。

•交響曲第2番ニ長調作品73◦4.0点


風光明媚な土地の豊かさに包まれて生活するような、明るく田園的で広々とした気楽な雰囲気。さらさらと流れるように書かれたような緩やかさやロマン派らしい耽美的楽想と、古典交響曲的な緊密さ動機労作と、堅牢な構成の両面があり戸惑う。一楽章の第2主題は文句なしの美メロだが、それ以外はどのメロディーも惜しい。

•交響曲第3番ヘ長調作品90◦3.5点


3楽章が分かりやすい代わりに二楽章はいまいち。一楽章と四楽章は充実しているのを楽しめるものの、強い愛着を感じるほどのものでない。全楽章が静かに終わるのもなんだかなあと思う。


•交響曲第4番ホ短調作品98◦4.5点

古めかしい形式を交響曲に生かしたことは、現代からに見ると新鮮な創造性を感じる。一楽章の冒頭の魅力は素晴らしい。諦観と豊かさは見事なもの。二楽章の旋法を活用した古めかしい雰囲気も詩的で善い。三楽章も間奏的なものとして効果十分。四楽章のシャコンヌはゴツくていかめしくてめんどくさいが、創造的ではある。

管弦楽曲

•セレナーデ第1番ニ長調作品11◦3.5


難しいことを考えず心地よい音楽をくつろいで楽しめる。センスが良いので長くても飽きない。

•セレナーデ第2番イ長調作品16◦3.0点


ヴァイオリンが無いので管楽器が大活躍。少し響きに慣れが必要だが、内容は一番同様に良い。

•ハイドンの主題による変奏曲作品56a◦4.0点


なんといっても主題が魅力的。管弦楽のための変奏曲として、ヴァリエーションの豊富さ、ニュアンスの豊富さ、管弦楽らしい各種の管と弦楽合奏の共演という要素など、楽しくウキウキした気分で聴ける。

•大学祝典序曲作品80◦3点


大学生達の宿歌をつなげて作った序曲だが、対位法的な技法もうまく活用されていて、単なる明るい祝典序曲に留まらない音楽的豊かさがある。

•悲劇的序曲作品81◦3.0点


交響曲の一つの楽章のような曲。単一楽章なのでどうしても軽さがあり、深い所を繋げて展開していくストーリーを楽しむことが出来ないのだが、音楽的には充実していて、交響曲に匹敵している。


協奏曲

•ピアノ協奏曲第1番ニ短調作品15◦5.0点


一楽章では若いロマンチックな情熱がほとばしり、二楽章では思慕と感傷的気分に浸りきるような気分を隠さない。ほとんど若気の至りで書いたようなほとばしる情感をそのまま露わにした曲だが、二度と来ない青春時代の精神をそのままストレートな率直に表現した曲として大きな魅力があると思う。

•ピアノ協奏曲第2番変ロ長調作品83◦4.5点


交響曲のように充実した協奏曲。ピアノが派手に全面に出て引っ張る感じでない。明るく開放的なイタリア的。ピアノの豊富な音数が作る豊かさ充実感と、メロディーが浮き立つのは交響曲以上か。少しゴテゴテした暑苦しさや、構成の作り込みに繊細さが足りない所などが欠点か。

•ヴァイオリン協奏曲ニ長調作品77◦5.5点


個人的にはヴァイオリン協奏曲の最高傑作だと思う。特に一楽章の重厚なオーケストラに乗せて情緒たっぷりにヴァイオリンを歌わせる手法と複雑な構成と展開の出来の良さは見事なもの。軽い曲が多いヴァイオリン協奏曲の中において、この曲が見せる深淵さを見せる大人の情緒が良い。二楽章の叙情性や三楽章の活発さも素晴らしい。

•ヴァイオリンとチェロのための協奏曲イ短調作品102◦2.5点


他の管弦楽曲と比較して非常に渋い。独奏楽器が2つなので、CDて聴くとあまり独奏という感じがせず、オーケストラは協奏しているというより後ろで支えている感じ。大家の演奏で聴けば聴き映えはする堂々とした独奏パートでを楽しむことは出来るが。


室内楽曲

六重奏曲

•弦楽六重奏曲第1番変ロ長調作品18◦4.0点


重厚だが柔らかくて温かみがある。弦の多くて声部の制約なく自由に書いている。響きがブラームスに合っているし、声部の豊かさが叙情となって美しさを出している。特に一楽章はかなりの名作。三楽章以降はややレベルが落ちて普通の音楽になる。

•弦楽六重奏曲第2番ト長調作品36◦4.0点


瑞々しくて甘くて美しい叙情に溢れる魅力作。交響楽団のような音の厚みや豊かさと、室内楽の要素を併せ持ち、両方の良さを兼ね備えている。一楽章の湖のほとりのような美しさは印象的。それ以外の楽章も同じくらい充実してる。三楽章は泣ける。甘い思い出を振り返ったり、優しい気持ちを思い出すような感情の曲。


五重奏曲

•弦楽五重奏曲第1番ヘ長調作品88◦3.0点


響きの豊かさ、対旋律の豊富さ、ニュアンスの精妙さなど耳を楽しませる曲としての充実感は素晴らしいのだが、メロディーなど心に響く感じがあまりない。

•弦楽五重奏曲第2番ト長調作品111◦3.5点


音楽的な充実感が半端ない。五本の弦楽器を縦横に活用して、聴いていて楽しく耳を楽しませる熟練の技を楽しむ事が出来る。

•ピアノ五重奏曲ヘ短調作品34◦3.0点


ある意味で中期までのブラームスらしさが最も典型的に詰まった曲だろう。重厚さ、情熱、憧れや諦めなどの感情、暗さなど。どちらかといえば若書きで練達の技術とまでいかず、分かりやすい魅力的な部分も少ない。人気曲で熱心なファンも高く評価する曲だが、正直個人的にはブラームスの室内楽のなかで上位とは思わない。

•クラリネット五重奏曲ロ短調作品115◦5.5点


クラリネットの哀愁漂う音色と諦念に満ちた曲想を存分に楽しめる晩年の大傑作。最終楽章の変奏曲が多少平凡な気がするが、1から3楽章までは全てにおいて文句なし。ブラームスの代表作のひとつであるとともに、ロマン派の室内楽の最高傑作だろう。1楽章のイントロからインパクトがすごい。2楽章は特に、両端部分の旋律の絶妙さといい、名人芸的な中間部の魅力といい、圧倒的に優れている。


四重奏曲

•弦楽四重奏曲第1番ハ短調作品51-1◦2.5点


このようなブラームスの弦楽の室内楽らしい緊密なアンサンブルが生み出す音の分厚さで押していく曲想の場合、四重奏だと音が足りなくて欲求不満になる。曲としてもブラームスらしいというだけで強く耳を引く部分は特にないと思う。

•弦楽四重奏曲第2番イ短調作品51-2◦3.5点


1番と違い柔らかくてロマン派の情緒たっぷり。音の薄さが気にならない。1,2楽章の哀愁が良くてその余韻のまま最後まで聞かせる。

•弦楽四重奏曲第3番変ロ長調作品67◦3.5点


四声部に適合して弦楽四重奏らしい曲を書く点や、曲の作り込みとロマン的情緒の表現において進歩してる感じがある。特に二楽章はロマンチックな良い曲。他の楽章も充実感があり秀逸。

•ピアノ四重奏曲第1番ト短調作品25◦3.5点


1楽章は実験的で聴いて楽しい曲とは思わない。二楽章はなかなかよい。三楽章の憧れに満ちた曲はぐっと胸に迫る。ここが一番の楽章。四楽章のジプシー風を活用した情熱的な音楽も面白い。この楽章は特にアンサンブルが効果的で生で聴いてみたい。

•ピアノ四重奏曲第2番イ長調作品26◦3.0点


明るく朗らかで柔らかい響きが支配的で、心地よく聞ける曲である。一楽章のリズムなと分かりやすく耳を楽しませる場面は多い。ただ曲が長いしやや底が浅い感じもあり、ブラームスらしいコクがない。

•ピアノ四重奏曲第3番ハ短調作品60◦3.5点


緊密で緊張感や悲劇的な雰囲気のある曲。無駄が少なく完成度は高い。その中で三楽章は耽美的な回想の雰囲気で心奪われる。

三重奏曲

•ピアノ三重奏曲第1番ロ長調作品8◦3.5点


渋めの曲想で親しみやすくはないし、名作という程の楽章も無いが、どの楽章も内容は濃く充実してる。三重奏だが音は厚い。

•ピアノ三重奏曲第2番ハ長調作品87◦2.5点


三楽章が多少いいかなという位。他の楽章は地味で、いい曲とまでいかないと思う。

•ピアノ三重奏曲第3番ハ短調作品101◦3.0点


最終楽章の高揚感や、三楽章の変わった拍子での繊細さに魅力を感じた。前の二つの楽章もそれなりに魅力がある。

•クラリネット三重奏曲イ短調作品114◦3.0点


ピアノが入っているので、五重奏にはない力強さがあり、クラリネットソナタにはないアンサンブルの楽しさがある。諦観やほの暗い情熱など自分の気分を生々しく音楽にしたような感じ。ブラームスのクラリネット入りの曲の中では暗くて甘さが少なくて取っつきにくい。

•ホルン三重奏曲変ホ長調作品40◦3.0点


この曲を聴いてホルンとは哀愁ただよう渋さを持つ楽器だとイメージが変わったのは自分だけだろうか?最終楽章だけやたら明快で、それ以外は渋い内容。

二重奏曲

•ヴァイオリン・ソナタ第1番ト長調作品78◦3.5点


柔らかくて穏やかなヴァイオリンが十分に歌うのを存分に楽しめる。あまり屈折していない若々しい中に、複雑な大人の感情も取り込まれた音楽。ブラームスの粘っこさや重厚さが二重奏の場合は曲の支えになってヴァイオリンを存分に歌わせることに結実している。

•ヴァイオリン・ソナタ第2番イ長調作品100◦3.0点


明るくたくましい音楽。ヴァイオリンを豊かに力強く響かせる。あまり底が深い感じは無いが、その分気楽に聴ける。

•ヴァイオリン・ソナタ第3番ニ短調作品108◦4点


どの楽章も非常にメロディーがわかりやすく、感情移入しやすい曲。

•チェロ・ソナタ第1番ホ短調作品38◦3.5点


チェロの音色の甘さの活用は程々にして、渋い情熱的要素を重視しているのが心地よい。低音域の活用が上手い。ブラームス得意の耳をつくヴァイオリンの泣きの高音域が無いのが心地よくて好きだ。

•チェロ・ソナタ第2番ヘ長調作品99◦2.5点


力強いし渋くて内容は充実しているのだが、楽想やメロディーが全体的に凡庸なのであまり楽しめない。

•クラリネット・ソナタ第1番ヘ短調作品120-1◦3.5点


両端楽章がやや渋くて取っつきにくいが、中間の二つの楽章は孤独さや人生の回想を感じさせる魅力的な音楽。

•クラリネット・ソナタ第2番変ホ長調作品120-2◦4点


1楽章の甘美な回想の音楽はかなり魅力的。二楽章も甘くて強い回想。三楽章はいつもより控えめで雰囲気を壊さず終わる。クラリネットの甘さを生かし、すてきな歌心に溢れた名作。

ピアノ独奏曲

•ピアノ・ソナタ第1番ハ長調作品1◦3.5点


交響的な四楽章、室内楽的な三楽章。内容豊富で快活で堂々とした一楽章はベートーベンの後継者らしい素晴らしさ。若書きの作品ながらシューマンのソナタにもひけを取らない良さ。

•ピアノ・ソナタ第2番嬰ヘ短調作品2◦2.0点


3曲で最初に書かれたそうで、1番と比較するとこの曲は随分とありきたりの部分ばかりで面白くない。

•ピアノ・ソナタ第3番ヘ短調作品5◦2.5点


立派だが頑張っている若書き作品の感じが強い。二楽章の温かさとロマンチックさの共存は魅力。

•4つのバラード作品10◦3.0点


渋くて男臭い世界。渋さの中に隠された甘さが面白さの秘訣か。どの曲もそれなりのインスピレーションがあり、つまらない曲は無い。

•自作主題による変奏曲ニ長調作品21-1◦3.5点


叙情的で感動的な主題なので、しんみりとした気分になり感動する。

•2 ハンガリー民謡の主題による14の変奏曲作品21-2◦3.0点


ごく短い主題の変奏曲。出来はいいが主題が短すぎて習作の感がある。

•シューマンの主題による変奏曲作品23◦3.0点


沈鬱でメランコリックな主題を使い、その気分をずっと引っ張りながら変奏していく。主題が素晴らしいので聴き映えはする。

•ヘンデルの主題による変奏曲とフーガ作品24◦4.0点


明るく明快でストレートで健康的。そして実に多彩で表情豊か。次々と楽しい変奏が現れてワクワクするので長い曲だが飽きない。書法ピアノ的でなかなか良い。

•パガニーニの主題による変奏曲イ短調作品35◦3.5点


難曲で有名。リストやラフマニノフほど華麗ではなく、重々しいブラームスらしさはある。技術やフレーズの鋭さを楽しむ曲としてかなり良いが、観賞用音楽として音楽的内容の豊富さはヘンデルの主題の変奏曲より下だと思う。

•8つの小品作品76◦3.0点


様々な種類の曲で構成された8つの曲。曲に特別感は無いものの、小ぶりな小品はどれもブラームスらしい渋い詩情におり楽しめる。また曲がピアノ的になっている。

•2つのラプソディ作品79◦1番3.5点


室内楽のような楽想でややピアノ曲らしさに欠ける。多くの素材を使ってしっかりした構成で書かれており、中期以降にピアノソナタが無いブラームスだけに、ソナタの代わりになる曲。

◦2番3.0点


立派な曲だが、1番と比べるとコンパクトであり、第一主題が次々と転調するものである、低音の面白いつかいかたの部分など、やや実験的である。


晩年の作品

•7つの幻想曲作品116◦3.3点

1曲目は交響的な響きと力強さと粘っこさ。2曲目の夜想曲のような雰囲気に込められた諦観。これらの曲は印象的なのだが、それ以降の5曲ははっきりしないモヤモヤとした雰囲気と面白くないメロディーだけの曲になってしまう。なんとなく美しく感じる場面はあるが、瞬間的なものに留まる。


•3つのインテルメッツオ作品117◦3.5点

三曲とも長めで穏やかで瞑想的で回想するような内容あり、枯れた味わいがあるので、晩年らしい作品となっている。

•6つの小品作品118◦3.0点

力強い曲もあるバランスの取れた曲集だが、何となく瞑想的だったり夢見るような場面が多いので晩年らしい。他の晩年の曲集と比較して何となく普通のレベルの曲が多い。

•4つの小品作品119◦3.5点

1,2曲目の特別感のある諦観にあふれた枯淡の境地は素晴らしい。そしえ四曲目の突然古い曲を持ち出したかのような、活き活きとしたカーニバルのような音楽には驚くが非常にいい曲である。


https://classic.wiki.fc2.com/wiki/%E3%83%96%E3%83%A9%E3%83%BC%E3%83%A0%E3%82%B9

95. 中川隆[-12994] koaQ7Jey 2020年3月06日 11:45:33 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[540] 報告

ブラームス論

ジャンルとしてはオペラを除く多くの分野で傑作を残しているのは確かである。

ロマン派を代表する大作曲家であることも異論はない。

しかしながら、ドイツ3Bの一人に挙げられていること、演奏頻度が非常に高いことのせいで、どうしても過大評価の作曲家という印象を持ってしまっている。


ドイツ3Bの一人というのは、ブラームスに対する誉め言葉であるという以上に真剣にとらえない方がよいと思っている。

バッハやベートーヴェンと比較してしまうと、さすがにブラームスがワンランク落ちるのは否めないだろう。

しかし、生涯の創作活動において何度か到達した頂点の頂の高さにおいては、ブラームスも2人とかなり近いレベルにある。

その点では、ドイツ3Bというのも伊達ではない。


チャイコフスキー、ドヴォルザークとともに、後期ロマン派の中では音楽的なバランスを保って総合性を発揮し、ほとんどのジャンルで傑作を残した代表的な作曲家の一人ではある。


過大と感じる最大の理由は、彼の創造した音楽の、芸としての範囲の狭さである。

厚ぼったい音空間がずっと継続する中で、ターーラララのような手癖フレーズを連発するつなぎ部分を織り交ぜながら、強奏の爆発と沈静を繰り返すような基本的枠組みをベースに、ひとつの作品をまとめられたような作品が多い。

はっきり言いたいことを言えずに、自分の感情を十分に表現しないまま、ふさぎこんでしまっているような印象をも持ってしまう。


そのような多くの作品は、そこそこの長さの多楽章の曲であるにも関わらず、期待値を上回ることなく、予想範囲をはみ出すことなく、終わってしまう。

テクニックを駆使して細かい部分の複雑度を上げているので、どの作品もある程度の水準には達しているが、それだけである。


格別の思い入れをもってロマンチックな感情や多くのアイデア注ぎ込んでを完成度を高めた曲に関しては、大変素晴らしい出来である。


ベートーヴェンとの比較

ブラームスと、彼が尊敬し模範としたベートーヴェンを器楽曲で比較してみる。


交響曲  ベートーヴェン>ブラームス

協奏曲  ベートーヴェン<ブラームス

室内楽  ベートーヴェン>ブラームス

ピアノ曲 ベートーヴェン>>ブラームス

•交響曲

交響曲に関しては、ベートーヴェンの5番、6番、9番はあまりにも究極的に優れていて、ブラームスは太刀打ちできていないと個人的には考えている。

その3曲を除いたベートーヴェンの3番、7番とブラームスの1番、4番を比較するなら、これはブラームス優位。

さらに、ベートーヴェンの4番、8番とブラームスの2番、3番の比較なら、いい勝負だと思う。

しかしベートーヴェンは2番も魅力的だ。

•協奏曲

協奏曲に関しては、ブラームスのピアノ協奏曲1番、2番、ヴァイオリン協奏曲の方が、ベートーヴェンのピアノ協奏曲1番〜5番曲、ヴァイオリン協奏曲よりも優れていると思う。

ベートーヴェンのピアノ協奏曲5番とブラームスのヴァインリン協奏曲の魅力はそれぞれの構成で古今の協奏曲でも屈指のすばらしさ。

それ以外で比較した場合にブラームスは2曲はどちらも力の入った力作揃いで素晴らしい。ベートーヴェンはそのレベルではない。

ブラームスのダブルコンチェルトとベートーヴェンのトリプルコンチェルトの比較も、ブラームスが上だろう。

こうして比較しても分かるが、ブラームスはロマン派でもおそらく最大の協奏曲作曲家である。

一方でベートーヴェンは他の分野と比較して協奏曲は弱いと思う。

•室内楽

室内楽に関しては、ヴァイオリンソナタやチェロソナタは両者いい勝負だと思うが、ベートーヴェンのほうがやはり魅力がやや上か。3重奏曲以上で見るとブラームスもクラリネット五重奏曲は大変優れているし、弦楽六重奏曲などいい曲はいくつかあるが、ベートーヴェンの大公トリオと弦楽四重奏の傑作の量や孤高の世界と比較すると、やはり分が悪い。

•ピアノ曲

ピアノ曲に関して、ブラームスも決して悪い作曲家ではないが、創作活動の中の大きな割合はないので、名作を多く残しているベートーヴェンとは比較にならないだろう。


ブラームスの協奏曲について

ブラームスの協奏曲は、形式的な自由さ、楽曲の外面的な華やかさ、ロマンチックな感情表現の容易さと気兼ねなくたっぷりと感情表現できる気楽さ、オーケストレーションの問題点の隠蔽など、ブラームスの不得意な範囲を補うことが出来ていた。

それでありながらどの作品も、交響的な充実感と重厚さを持ち、個人的な強い思い入れを感じされた大作となっている。

このため、交響曲以上に充実しているといっても過言ではないロマン派を代表する作品群となっている。

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