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同性愛者の死刑を認めた…日本が国際的潮流に逆らう理由と違和感 「生産性がない」発言もありえないが…(現代ビジネス) 
http://www.asyura2.com/18/senkyo248/msg/468.html
投稿者 赤かぶ 日時 2018 年 7 月 30 日 16:20:05: igsppGRN/E9PQ kNSCqYLU
 


同性愛者の死刑を認めた…日本が国際的潮流に逆らう理由と違和感 「生産性がない」発言もありえないが…
http://gendai.ismedia.jp/articles/-/56717
2018.07.29 砂川 秀樹 文化人類学者 


日本政府が同性愛者の死刑を認めた?

今月、オウム真理教による一連の事件で死刑が確定していた7人(26日には残りのオウム死刑囚6名)の死刑が執行されたことをきっかけに、一見それとは全く結びつかない、ある「死刑問題」に関する記事がツイッター上で浮上した。

それは、同性愛行為により死刑に処せられることに関する問題だ。

昨年9月、国連人権委員会で、同性愛行為が死刑の対象になることへの非難を含む決議案が出された。現在、同性愛が死刑になる可能性のある国は少なくとも7ヵ国あり、それらの国々へ圧力をかける決議だ。

投票の結果、賛成27ヵ国、反対13ヵ国、棄権7ヵ国となり、このテーマでは画期的な、国連の場での非難決議の成立となった。



昨年、その非難決議がおこなわれたときも、インターネット上で話題になった。しかし、その理由は、それが画期的だったからではない。

その決議案に対して、日本が反対票を投じたからだ。そのため、「日本は同性愛行為への死刑を認めるのか!?」という驚きと批判の声があがった。

そして、今月の異例な死刑執行をきっかけに、以前のニュースや記事が出回った。それにより初めて知った人も少なくなかったようで、また怒りや戸惑いの言葉が語られることとなった。

しかし、前回も今回も、強く批判する言葉も流れながらも、その声がソーシャルメディア上で大きなうねりとなることはなかった。

それは、前回、批判が流れたときに外務省の担当者が、反対票を投じた理由を語り、それがネットメディアに掲載されていたことが大きいだろう。

それは、その理由が説得力あるかどうかさておき(のちに示すように、それは理由にならないという批判もある)、そこで語られていることが、同性愛行為に対する差別と死刑の存続をめぐる人権問題に関して、日本が国際社会と逆の立場をとっていることを示しているからである。

日本が反対票を投じた理由

反対票を投じた理由を、外務省国連担当大使(総合外交政策局審議官)は次のように説明している。

「性的指向等を理由とした暴力、差別や、そのような差別に基づく刑事罰はあってはならない」というのが、「日本政府の立場」である。

しかし、今回の決議は、「全体の趣旨が,各国に対し死刑制度の廃止及び死刑執行についての一時停止(モラトリアム)を導入することに好意的な方向性を強く示す」内容であったため、反対した。

そして、「死刑制度の存廃、死刑執行のモラトリアムを導入することの適否は、国民世論の動向に十分配慮しつつ、社会における正義の実現等種々の観点から慎重に検討した上で、各国が独自に決定すべき問題」であることを強調する。

大鷹正人「同性愛行為の死刑執行の非難決議に反対したが,性的指向による差別には反対

一方、この説明の前に出されているコメントだが、ジェンダーに関する法律問題に詳しい谷口洋幸氏(金沢大学准教授)は、次のように日本の反対票を批判している。

今回の決議は、「死刑制度の廃止」がテーマではなく、「『平等・無差別の権利』との抵触、つまり『死刑の適用方法』が議論のテーマだった」。

そのため「『精神・知的障害、18歳未満』『背教・不敬・姦通・合意ある同性間性行為』に対する死刑適用の廃止が求められていた」。

「決議の提案国は『死刑の廃止・モラトリアムの義務づけ決議ではない』と説明していて、死刑制度がある国でも賛成して問題ないように練られていた。賛成できなくても棄権することができたはず」と。

松岡宗嗣「国連『同性愛者の死刑を非難する決議』に対し、日本はまさかの反対 これにどれだけの意味があったのだろうか。

そらく、性的指向・性自認に関しては差別を許さないと、死刑の対象にする国に対して、批判する立場に立つ日本だが、死刑に関しては批判される立場であるため、防衛的な態度を強く示すということなのだろう。

さらに最近の日本の死刑判決や執行の流れをみていると、「精神・知的障害、18歳未満」の死刑適用は批判する立場をとらないのではないかとも思える。

実は、この非難決議は、2000年代後半から国連で積み上げられてきた性的指向や性自認に関する人権保障の大きな流れにあり、それに対して日本が反対票を投じたことは、その大きな流れから離脱したように捉えることもできる。

国際社会における流れ

国際社会の中で、性的指向や性自認に関する人権問題の重要な礎となっているのが、2006年11月に国際会議で採択された「性的指向と性自認に関連する国際人権法の適用に関するジョグジャカルタ原則」(通称:ジョグジャカルタ原則)である。

これは、性的指向と性自認に関して、「人権の普遍的享受への権利」「法の下の平等と差別を受けない権利」など29の原則を示したものだ。

インドネシアのジョグジャカルタで開催されたこの国際会議では、国際法律家委員会や元国連人権委員会委員、有識者らによって原則草案に基づいて議論され、採択された。2007年3月には国連人権理事会で承認。2017年11月にさらに10項目が付け足されている。

その後、国連の人権理事会は、2011年に、性的指向と性自認に関する暴力に対する「由々しき懸念」を表明する決議を採択、2014年にも性的指向と性自認に関する決議をおこなっている。

また、2016年には、「性的指向と性自認を理由とする暴力と差別からの保護」に関する決議を賛成多数で可決し、この問題を扱う独立専門家の任命を命じている。

この2016年の決議は、151ヵ国の628にのぼる市民団体の共同キャンペーンにより実現したもので、「歴史的勝利と言われている。独立専門家が任命されることで、各国の状況を調査報告し、各国の政府や関係者と暴力や差別の状況について協議することができるからだ。

この一連の流れは、国際社会全体として、LGBTなど性的指向や性自認に関するマイノリティに対する差別を撤廃していこうとする方向に着実に動いていることを示している。

反対する国々

しかし、この流れに根強く抵抗する国々もある。その多くは、イスラム教の支配力が強い国やイギリスの旧植民地だった国だ。

前者は宗教的な教えに反するという理由からであり、後者は、植民地だった当時、イギリスに同性愛を違法とする法律があり、それが持ち込まれたことによる。

だが、話が複雑なのは、もともとイギリスから持ち込まれた法律に由来しながらも、同性愛を違法とするアフリカの国々は、同性愛を認めないことが「アフリカの価値」として主張することだ。

そして、その「文化」を認めることが要求され、「人権」に関して介入してくることは、内政干渉であると退けられる。

このような議論が起こるのは、何も性的指向、性自認に限ったことではない。

女性が置かれている厳しい社会状況、民族的なマイノリティに対する人権侵害、独裁的な政治体制など。そして、死刑制度もそうだ。

EUは、死刑は廃止あるいは執行停止すべきという立場に立っており、今月のオウム真理教事件に関する死刑執行を批判する声明を出している。

そのように、様々なテーマで、「人権」をめぐり議論になるということは、あるテーマでは人権を理由に他の国を批判する立場に立つことになり、別の課題では批判される立場に立つこともありえる。

同性愛行為が死刑の対象になることへの非難を含む決議案への日本は、その二つの立場の矛盾を抱えた形だ。

国連担当大使の発言からは、性的指向、性自認に関しては、死刑になることを批判しながらも、死刑自体は存続させていきたい立場から、後者を優先したということになる(日本政府が、非難決議の中で求められている「精神・知的障害、18歳未満」に対する死刑適用の廃止についてどう考えているかなども気になるところだ)。

そして、この日本が反対票を投じたできごとは、「人権」に関連して他国を批判・非難すること、その状況を変えることを要求することをどう考えるべきなのか、というテーマに至らずにいられない。

どれだけ意識されていたかわからないが、この反対票に対する批判が大きな盛り上がりとならないのは、そのテーマの難しさを含んでいるからだろう。

つまり、少なからぬ人が同性愛行為が死刑となることはとんでもない人権侵害と思い、国際的な圧力をかけることに賛成するとしても、逆に死刑廃止や少なくとも運用停止を日本に求める国際的な声には、「そちら側の価値観を押し付けられても」ということになるのだ。

人権の線引き

では、それぞれの国の「人権」の線引きは不可侵であるべきか。

それではいけないと考えられるからこそ、国連という場で人権の個別的なテーマが常に議論され、人権侵害と判断されることに対して圧力をかけていくことがおこなわれている。

また、国連という舞台に限らず、人権問題について国際NGOなどが積極的に関わっていくこともある。

日本において、性的指向や性自認に関わることが違法とされる国の状況には反対する人でも、同性間の結婚を認めることなど、LGBTがそうではない人と同じ権利を求めることに対しては、「欧米の思想」として日本にはそぐわないという声が時々聞こえる。

また、日本では同性愛行為などによって逮捕されたり、死刑にされたりするわけではないのだから、もういいのではないかと。

しかし、もしも、欧米などで錬られてきた人権思想はそれ以外の国に関係ない、死刑にならないならそれ以上は求めなくてもいいと考えるなら、日本も含め多くの国々で女性の参政権も認められていなかっただろう。

もちろん、命を奪われない権利は人権の根幹をなすものだが、それだけでないことはいうまでもない。また、直接命を奪われなくても、社会における差別や偏見、不平等は人を死においやっていく。

         

先日、自民党の衆議院議員、杉田水脈氏がLGBTは生産性がないがゆえに支援の対象をすべきではないなどと雑誌に書き記したことをきっかけに、大きな批判を浴びている。

それに関しては、多くの人が的確な批判をおこなっているので、ここでは詳述しないが、国会議員がそうした発言をすることは、まず何より、人を死においやっていくことであること、そして、国際社会の今の流れから大きく外れることを指摘しておきたい。

これから、おそらく海外からの批判も増えるだろうが、そのような動きが出るのは、先に書いた通り、人権の線引きをそれぞれの国の判断だけに任せておくべきではないという国際社会の土台に基づくものだ。

そして何より、国内ですでに批判が大きなうねりとなっていることからわかるように、それは「欧米の思想」によるものではない。

人権思想は、理論化され明文化されていったり、他の地域に先んじて明確に打ち出されていったりする地域はあるけれど、国や地域に囲い込まれるものではない。

それに共感する人、響く人がいるならば、それはその国や地域の思想でもある。もちろん、それがどれだけその地域で力を持つ思想となるかどうかは別問題であるが。どんな国や地域でも、様々な思想がせめぎあっているし、国や地域を超えて影響し合っている。

人権について考えるべきことは、その思想がどの地域由来に「見えるか」ではなく、それが誰をどういう状況から守り、救うための力になりうるか、だ。

また、逆にいえば、社会における平等性や権利の欠如が、誰にどういう否定的な影響をもたらすかということだ。

日本政府の反対票も、杉田水脈氏の発言もその観点から論じられ、批判されなければならない。









































 

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コメント
 
1. 2018年7月31日 03:23:10 : fN49t61XCI : FElYK1RoPUo[342]
「国際的潮流」とか「人を死においやる」とか古臭い脅し文句に好感。

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