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グリコ「こぺ」炎上で露呈するコミュ力“総低下社会” 河合 薫 健康社会学者 
http://www.asyura2.com/18/social10/msg/137.html
投稿者 うまき 日時 2019 年 3 月 05 日 12:47:27: ufjzQf6660gRM gqSC3IKr
 

グリコ「こぺ」炎上で露呈するコミュ力“総低下社会”

河合 薫
健康社会学者(Ph.D.)
2019年3月5日
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全6007文字
「うちの会社には“解釈会議”っていうのがあるんですよ(笑)」
「カイシャクカイギ? ですか?」
「そうです。社長が会議で言ったことを、終わったあとで“解釈”して部下に伝えるの」
「なるほど。社長が言ったことが部下には伝わらないんですね!(笑)」
「あ、それならうちにもありますよ。でも、後じゃなく前。会議の前日に『明日、こう言ってきたとこは、こうこうこういう意味だからな』って(笑)」
「みなさん、大変ですね」
「(一同笑)はい、大変です」

 いつのことだったか忘れてしまったけれど、社長の言葉を翻訳する“解釈会議”ネタで中間管理職の人たちと盛り上がったことがあった。

 まぁ、社長さんに限らず上の指示が部下に伝わらないのは日常茶飯事だし、何人もの社長さんたちから「どうやったら話が上手く伝わるのか?」と度々質問されていたので、「忖度上手の管理職が解釈して伝えてくれれば願ったり叶ったりだわ」などと、彼らの話にホッコリした気分にもなった。

 が、上司と部下なら許される“解釈”が、女性と男性の間だと、場合によっては「NG」らしい。


 先日、またもや企業のキャンペーンサイトが炎上し、取り下げるという事態が起こった。“燃えた”のは江崎グリコ。同社が2月6日に夫婦間の子育てコミュニケーションアプリ「こぺ」をスタートしたことを記念し、19日「パパのためのママ語翻訳コースター」というコンテンツを公式サイト上で発表したところ、“こぺ燃”してしまったのである。

 「パパとママのコミュニケーションがうまくいくコツを、おしえて!こぺ!」というタイトルがつけられたページには、「すれちがいのストレスを減らすには、まず、パパとママの脳のちがいを知ることから」とし、男性脳と女性脳の違いによりコミュニケーションのすれ違いが起こるという趣旨を説明。で、具体的に「妻の言葉を“翻訳”」した8つの事例を紹介したのだ。

 たとえば、
「一緒にいる意味ないよね?」→「私のこと、どう思ってるのかな?」
「もういい!(ピッ!電話を切る)」→「ほんとは甘えたいの」
「好きにすれば?」→「それをやったら、もう知らないから!」
「わかってない」→「正論はもとめてない」
「仕事と家庭どっちが大事なの?」→「私は何より家庭を優先してるのに、あなたは仕事ばかりなのが寂しいわ……」
などなど。

 これに対し、「女性をバカにしてる!」「全く翻訳が適切ではない」「『女性に対しては共感だけすればいい』と思っているのか」「同じ言語を話しているのに翻訳するって失礼にもほどがある!」などなど批判が殺到し、23日に公開を終了したのである。

次ページコミュニケーションは「受け手」次第という“不条理”


コミュニケーションは「受け手」次第という“不条理”
 一応サイトには、「掲載する情報には充分に注意を払っていますが、その内容について保証するものではありません」という但し書きがあり、監修した専門家・黒川伊保子氏の名前も併記したが、怒るのが仕事になってるご時世、いや失礼、「批判の共有が容易な今のご時世」では、受け入れてもらえなかったということなのだろう。

 ……というか、おそらく私がこうやって書いただけで、「オマエは夫婦関係に真剣に悩んでる人たちの気持ちがわからんのか!」だの、「アンタはいつも差別するな〜だの、男も女も違いはないだの言ってるじゃないか! なのにグリコのことは責めないのか!」だの、批判スイッチがオンになった人もいるに違いない。

 なので、ここまで書きながらも「このネタやめといたほうがよかったかも」と若干怯んでいる。

 でも、もう書き始めてしまったので批判を恐れずに言わせてもらうと、「まぁ、そんなに怒らずにさ、笑い飛ばせばいいのに」というのが率直な見解である。

 ふむ。ひょっとして「翻訳」ではなく、「解釈」くらいにとどめておけば良かったのだろうか。あるいは「ママの言葉」ではなく、「パパの言葉」を翻訳したら、「ウケる〜〜」と好意的に受け入れてもらえたのかも、などと思ったりもする。

 黒川氏の過去の著書には「男性のトリセツ」なる章があり、
・「そのバッグいつ買ったの?」と聞かれたら、「前からあったじゃん」で事なきを得る
・目的と任務さえ押さえてあげれば、男性脳は応用が利く
・不満があったら、率直に言えばいい
・会話を「なんでわかってくれないの?」から始めないのがコツ
といった具合に、案外役立つかもしれないことも記されている。

 まぁ、これでも批判する人は批判するのだろうけど、数年前に「イケメンに職場活性効果アリ」というアンケート結果が公表されたときにはたいした問題にはならなかった。イケメンを美人に置き換えて男性を対象にアンケートしたら「セクハラ」と大バッシングされるだろうに、良い意味でも悪い意味でも、世の中が「女性オリエンティッド」であるのはまぎれもない事実なのである。

 いずれにせよ、男女間に限らず、「コミュニケーション」は永遠のテーマ。

 自分の言いたいこと、思っていることを、相手に100%伝えることなどそもそも不可能だ。コミュニケーションを「言葉のキャッチボール」と例えるように、その主導権は「伝え手」ではなく「受け手(キャッチ)」にある。発せられた言葉が持つ意味は、その言葉を受けとった人に、ある種「勝手に」決められてしまうからだ。

 同じ“言語”を使っていても気持ちや意図が伝わらない場合は往々にしてあるし、「コンテクスト(文脈)」=「前後の話の流れの中で、どういう位置づけでその言葉を発しているか」によっても、言葉に込めた意味は変わる。

 であるからして、言葉の「字面」や「断片」を追いながら「伝え手」を一方的に批判することは、「コミュニケーション」の視点から捉えれば、あまりよろしきことではない。相手の伝え方がちょっと稚拙なだけだったり、自分の受け方に誤解や偏りがあったりする可能性も、ゼロとは言えないからだ。

 コミュニケーションは、アクションを起こす「伝え手」ではなく「受け手」に主導権があり、うまくいくもいかないも、かなりの部分が「受け手」次第というのがいかにも“不条理”。グリコさんの肩を持つわけではないけれど、炎上したコンテンツの裏には、「その不条理さに苦しむパパやママたちを、ちょっとだけでも助けたい」という思いがあったのではないか。

 確かに、コンテンツの内容に女性蔑視的な視点が感じられるという批判については、うなずける部分はある。ただ、基本的な「コンテクスト」は、パパとママに仲良くやってほしい――という思いだ。それに、現実的には、サイトで紹介されたやり取りでうまくいく場合も少なからずありそうな気がする。であれば、そんなに怒らなくても……と感じるわけで。「世界平和でいこうぜ!」などと思ってしまうのだ。

次ページ「男脳」「女脳」の真偽


「男脳」「女脳」の真偽
 実際、私は今回のサイトの翻訳をみたとき「へ〜、そういう受け止め方もあるんだ」とえらく感心したし、女性部下とのコミュニケーションに悩む男性上司のヒントになったかもしれないと感じた。

 「個人差はあるにせよ、男の部下ならこれくらい言っても大丈夫だろうと思えるんですけど、女性の部下だと全くイメージがつかめなくて」と、長年男性部下だけと接してきた男性上司たちは、女性たちが想像する以上に女性部下に気遣っている。それを女性たちに話すと、「だったら直接聞いてほしい」(あれ? これ「男性トリセツ」と同じだ!笑)と答えるが、男性上司は直接聞くのもためらいがち。「セクハラになりやしないかと……」という懸念をぬぐいきれず、ビビってしまうのである。

 と、またここで「別に男性の肩を持っているわけではありませんけどね」と念を押しとかないと、「河合薫は女の敵だ!」だの、「男にすり寄っている」だの批判されかねない。嗚呼、なんと難しい世の中なのだろう。

 「掲載する情報には充分に注意を払っていますが、その内容について保証するものではありません」ならぬ、「掲載するコラムには充分に注意を払っていますが、その内容については、あくまでも河合薫の個人的見解であり、万人に共通することを保証するものではありません」と注釈を入れた方がいいのかもしれない。

 話がちょっと横にそれた(笑)。今回の炎上騒動に話を戻すと、コンテンツの前提が「男性脳と女性脳の違いによりコミュニケーションのすれ違いが起こる」となっていた点が、ことをよりややこしくした気がしている。

 研究者の端くれとして念のため言っておくと、以前、「男らしい!順大不正入試「女子コミュ力高い」論」でも書いたように、近年、脳の男女差を否定する調査結果が相次いでいる。

https://business.nikkei.com/atcl/opinion/15/200475/121400197/

 脳科学研究が始まった頃は「脳梁が男性より太い女性は、男性に比べ、自分自身の感情を素早く言語化できる」とされていたが、その後、男女の脳にはいくつか異なる特徴は認められるものの統計的な分析をすると有意差はない――というのが定説になりつつある。「男脳・女脳」と、あたかも性差があるように印象づけるのは言い過ぎである。

 とはいえ、世間は「神経神話」が大好き。「右脳・左脳」「脳に重要なすべては3歳までに決定される」「我々は脳の10%しか利用していない」といった話も、実は、科学的根拠は極めて乏しい。なのに人はそれを信じ、納得し、拡大解釈する。特に「男性と女性の性差」にまつわる問題は、どんなに研究者が否定したところで、人は「わずかな異なる部分」に無意識に反応する。でもって「やっぱりそんなんだよなぁ?」とドラマチックに受け止められてしまうのだ。

 世界的な大ベストセラー『Why Men Don't Listen and Women Can't Read Maps 』(邦題『話を聞かない男、地図が読めない女−男脳・女脳が「謎」を解く』)には遺伝子で性差を語る記述がいくつもあるが、これも実際には非科学的。遺伝子と環境との相互作用のメカニズムに関する研究が蓄積されて分かったのは、その複雑さだ。「影響はあるけど遺伝子がすべてを決めるわけではない」のである。

次ページ「男と女の違い」というより「個人差」

「男と女の違い」というより「個人差」
 そもそも「男と女の違い」に関心が高まるようになったのは、100年以上前の19世紀後半に遡る。それまでは男女にみられる能力・役割・特性の違いは自明の理とされ、研究対象にもならなかった。

 ところがダーウィンが提唱した「性淘汰」説がきっかけで男女差への関心が高まる一方で、産業革命により産業界や経済界に女性が進出。「男性と同じレベルに女性はあるのか?」という、ある種「女性を差別あるいは区別」するための検証作業が進められたのである。

 とりわけ男女間の行動・心理特性をテーマにした研究は多く行われ、「女性は感情的」「女性は自尊心が低い」「男性は攻撃性が強い」「女性は協調性が高い」などの説が続々と発表された。

 が、世界中の研究者たちが「男女の違い」を説明するために行ってきた数多くの心理社会学的研究の神髄は、「男女差がいかに社会的状況に左右され、いかにさまざまな要因の科学反応によって出現しているか」を明らかにした点にある。

 つまり、男女差より個人差の方がはるかに顕著。様々な調整要因を加味して分析すると、男女差の統計的な有意差が認められなくなったり、男女差の傾向が逆転したり……。「男と女の違い」というより「個人差」の問題に行き着くのである。

 当たり前といえば当たり前なのだけど、人は視覚・聴覚・嗅覚・触覚・味覚という五感から、莫大な情報を入手しても、そのうちのわずか一部しか処理できない。なので無意識にパターン化したり、自分が気になっている部分にのみ反応したり、経験と照らし合わせて判断する。これは人が人である以上、絶対に避けることのできないプロセスである。

 だからこそ、心理的な男女の違いを書いた『Men Are from Mars, Women Are from Venus(邦題:ベスト・パートナーになるために―男は火星から、女は金星からやってきた)』(1992年発刊)は世界的ベストセラーになったわけで。邦訳版は、男女の性愛を描いた『愛のコリーダ』の製作で知られる大島渚監督の翻訳で出版されたが、大島監督は「この本は私の長い経験で得てきた知見と根本的なところで一致している」と、長年数々のメディアで「男女の恋愛相談」を受けてきた経験を踏まえ大絶賛したのである。

次ページ冗長性と、ともに過ごす時間の欠落

冗長性と、ともに過ごす時間の欠落
 さて、話をコミュニケーションに戻そう。

 これまで触れてきたように、脳に有意な「男女差」はないが、コミュニケーションスタイルには、環境や経験の違いに起因するある程度の「男女差」がある。また、男女関係なく、コミュニケーションの主導権は「受け手」にあり、「伝え手」以上に「受け手」の“巧拙”にその質が左右される。だからこそ、コミュニケーション不全はいつでも、どこでも起こり、様々な問題の原因になる。

 つまり、思い通りにいかないのが当たり前。なのに昨今は、ちょっとお気に召さないと激しく批判し、同調者が一気に参集して“延焼”につながる。その過剰反応は、ちょっとばかり異常だ。

 一体、なぜこうなるのか?

 もちろん、原因を一つに求めるのは難しい。しかしながら、あくまで私見だが、「冗長性(redundancy)」を伴うコミュニケーションが減ったことが原因の1つではあるまいか。

 冗長性とは、会話における無駄。相づち、間、話の脱線、無駄話などのこと。

 人は、冗長性があることで、自分の解釈の誤りに気づいたり、相手の話に共感したりするチャンスを得る。ときには、抜け落ちた言葉や、語られなかった隙間が、相手の想像力を喚起させる効果もある。適度な冗長性は、コミュニケーションをする者の間に生じる様々な溝を埋める役割を果たすが、その前提として、“共に過ごす時間”が不可欠なのである。

 論理的に、効率的に、短時間で話そうとすればするほど、冗長性も共に過ごす時間も失われることになる。また、SNS上のコミュニケーションでは、冗長性は必然的に落ちる。コンテクストも感じにくいし、対面でないだけに、感じる努力の必要度も下がる。

 うまくいかないのが大前提である他者とのコミュニケーションにおいて、うまくいくための冗長性を強奪されているのが現代社会といっても過言ではないのである。

 ……なんてことを書くと、「ダラダラ話す人は何言ってるかわからないからコミュニケーションできないじゃないか!」だの、「結論が飛躍すぎだろう!」だの、またまたご批判をいただきそうだが。

 嗚呼、ホントにコミュニケーションは永遠のテーマであり、男と女の問題も永遠のテーマ。私の場合、原稿の執筆も永遠のテーマ???「冗長性だらけのコラム」が、皆さんにうまく“解釈”されることを信じつつ……。

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K.Gotou

情報処理従事者

指図なのか願いなのか、納得なのか相槌なのか。これ、男女双方ではっきりしたコミュニケーションとれば、だいぶイケると思うんです。これだけ、はっきりさせれば・・・。
します、しません。いけません、よろしいです(肯定の意味、日本語はここが難しい)。...続きを読む

2019/03/05 06:16:14返信いいね!


M78

中道保守

「こぺ」への批判は、男女の役割分担を否定し、男性的な考え、女性的な考えなどないという勢力からの批判ですから、河合女史が「まあまあ目くじら立てずに」と言っても、説得力を持たない。

2019/03/05 06:43:25


https://business.nikkei.com/atcl/seminar/19/00118/00012/?P=5&mds

男らしい!順大不正入試「女子コミュ力高い」論
男脳・女脳の差ではない!噛み合わない裏にある「男はdo」「女はbe」


河合 薫
健康社会学者(Ph.D.)
2018年12月18日
3 50%

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全6529文字

(写真:PIXTA)
 東京医科大学に端を発した医学部入試での「女性差別問題」が、予想外の展開になっている。

 順天堂大学が12月10日、医学部医学科の入試で女子や浪人生に一律不利な扱いをしていたと発表し、謝罪した。女子受験生の合格ラインは男子受験生より高く設定していたということだが、驚いたのがその理由だ(関連記事:順天堂、入試で一律不利な扱い「女子はコミュ力高い」)。

「長年の経験から女子の面接評価点が高いという結果を得ていた。一般的に大学入学時点の年齢では、女子の精神的な成熟は男子より早く、相対的にコミュニケーション能力が高い傾向にあるため、判定の公平性を確保するために男女間の差異を補正した」

 ……あらあら。いったいこの国のお偉い人たちは、どうなっているのだろう。

 報道でこの「理由」を知った時には、あまりに呆れた内容なので「記者会見で質問攻めにあって、学長がついポロリと口走ってしまったその場しのぎの言い訳なのだろう」と思っていたのだが、そうではなかった。同大学が設置した第三者委員会の調査で、彼らの“本気度”が明らかにされていたのである(調査報告書はこちら
)。

 報告書によれば、多くの教職員から「女子は成熟が早いからコミュ力が高いが、大学に入ると男子も成熟し、能力差が縮小され、解消する。男女間の発達傾向を是正するのに必要だった」という旨の説明がなされた、と。

 併せて、第三者委員会によるヒアリングに対し、「これって、僕たちの思い込みや、経験則だけではないですよ〜。医学的見解に基づいているんですよ〜。だって、僕たちお医者さんだもん!」とでも言いたいのか、「コミュ力是正」の根拠として学術論文(Sex differences in the course of personality development: a meta-analysis. Psychol Bull. 1991 Mar;109(2):252-66.)を提出したそうだ。

 過去の複数の論文に基づくメタアナリシスを提出しているところがなんとも姑息なのだが(*参照)、論文自体は自我発達の年齢ごとの性差を目的にしているもので、コミュニケーション能力の性差を分析したものではない。確かに、語彙スキルに関する性差への言及はあるが「語彙スキル=コミュニケーション能力」ではなく、「語彙スキル=言語能力」ですらない。

 言語能力は、語彙力、読解力、文章力から構成されるが、「言語能力における性差はほとんど存在しない」というのが長年蓄積された研究から導き出された一貫した見解であり、こちらのメタアナリシスでも同様の結論に至っている(J.S.Hyde and M.C.Linn “Gender Difference in Verbal Ability”. Psychol Bull. 1988 July ;104(1):53-69 .)。

* メタアナリシス(メタ分析)とは、同じテーマに関する仮説を検討した複数の研究を、共通の効果サイズに変換し、平均値を算出することによって、「仮説はホントかどうか?」を統計的に検討する手法。
 そもそも順天堂大学医学部のお偉いさんたちは、何をもって「コミュニケーション能力」と言っているのだろうか。コミュニケーションは「言葉のキャッチボール」と言われるように、言語を使い、投げるだけでなく、受け手としての能力が大切なことをわかっているのか。

 大学入試という「公正性」が求められる試験で不正操作を良しとする考え方は到底納得できないし、許されることではない。たが、その一方で「でもさ〜、女と男でコミュニケーションって違うよね〜」と思っている人は少なくない。

 というわけで今回は、「男と女とコミュニケーションと」というテーマで、あれこれ考えてみようと思う。

次ページ夫には理解不能「なぜか、ご機嫌ななめになる妻」

夫には理解不能「なぜか、ご機嫌ななめになる妻」
 まずは以下の英文をご覧いただきたい。これは男性と女性のコミュニケーションを考えるときによく使われる夫婦間の会話例である。

妻:“Are you thirsty? Would you like to stop for a drink?”
夫:“No.”

 夫は喉が渇いているのに「無理して運転し続けているのでは?」と、妻が気遣った。それに対し、夫は「大丈夫だよ」と答えた。

 文字通り捉えれば、そうなる。実にシンプルな会話である。

 夫はそのまま車を止めることなく帰宅したが、妻はなぜか、ご機嫌ななめだった。そこで夫は、「何を怒ってるのか?」を問い詰めた。すると妻はこう答えた。

「車を止めて、何か飲みものを買いたかったのに……」

 ふむ。なんともややこしい。

 夫からすれば「だったら、そうはっきり言えばいいじゃないか。なぜ、駆け引きするようなことを言うんだよ」と憤るに違いない。一方、妻は「相手の気持ちを確かめるまで自分の気持ちを伝えるのは悪い」と考えた。

 つまり、妻が期待していたのは、
「僕は大丈夫だけど、なんか飲む?」
と、妻の気持ちを問う一言だったのである。

 実はこれこそが、男女の大きな違い。

 女性にとって会話における言葉は「相手とつながる」のを目的としているのに対し、男性のそれは「情報の交換」である。前者はラポートトーク(rapport-talk)と呼ばれ、後者はリポートトーク(report-talk)。

 つまり、コミュニケーションにおける男女の違いは、コミュニケーション“能力”にあるわけではなく、「コミュニケーション“スタイル”に若干の違いがある」と考えられているのである。

 実際、女性の場合、他者との会話で疑問形を使ったり、曖昧な表現をしたりする傾向があるのに対し、男性は命令形で断定的な表現を用いるとする研究も存在する。

 では、なぜ、こういった「スタイルの性差」が生まれるのか?

「だって女と男は生物学的に違うし、心や脳の違いもあるからでしょ?」

 答えは「ノー」だ。

次ページ男脳?女脳? 根拠なし!

男脳?女脳? 根拠なし!
 実は、世界中の研究者たちが「男女の違い」を説明するために行ってきたこれまでの心理学研究は、男女差が生来のものではなく、「いかに社会的状況に左右され、いかにさまざまな要因の科学反応によって出現しているか」を明らかにしてきた歴史であるといっても過言ではない。

 たとえば、順天堂大学が第三者委員会に提出した論文が掲載されていた心理学領域の学術誌Psychological Bulletin (米国心理学会発行)には、「男と女の違い」のメタ分析を行った論文が複数掲載されている。

 リーダーシップ、自尊心、攻撃性、協力行動、衝動性動的志向、数学の成績、職業への興味――などについては、従来、一貫して男女差があるとされてきた。

 ところが、複数のメタ分析の結果、
・男女差に統計的な有意差は認められない
・様々な調整要因 を加味すると男女差の方向性が逆転するケースもある
などがわかった。

 「感情コントロール」に関するメタ分析の中には「性差アリ」としたものもあるが、男女間の違いは同性内の個人差より小さいとする論文も多い。言語能力については、先に書いた通りだ。

 さらに、脳科学の分野で言われている「男脳・女脳」も眉唾。経済協力開発機構(OECD)が2009年に公表して有名になった「神経神話」の類だ。

 確かに、「脳梁が男性より太い女性は、男性に比べ、自分自身の感情を素早く言語化できる」と考えられていた時代もあった。しかし、イスラエルのテルアビブ大学のダフナ・ジョエル博士らが1400人以上の脳のMRI画像を分析したところ、これまで男女の行動や考え方の違いの根拠とされてきた完璧な「男脳」「女脳」を持つ人はほとんどいなかった。男女の脳には、いくつか異なる特徴は認められたものの、統計的な分析をすると有意差はなし。男脳とされる構造を持つ女性もいれば、女脳といわれる構造を持つ男性も存在したのである。同様の結果は、6000人のMRI画像を分析した英ロザリンド・フランクリン医科学大学のリーセ・エリオット氏らの研究でも示されている。

 つまり、男性と女性では異なる部分より、重なる部分の方が圧倒的に多い。平均値の比較に基づき「男脳・女脳」と、あたかも性差があるように印象づけるのは言い過ぎなのだ。

 では、いったい何が「コミュニケーションスタイルの性差」を生んでいるのか?

 生物学的な性ではなく、社会的な性。世の中の男性と女性の役割の違いによって生まれるジェンダー(gender)に起因しているのである。

次ページ女として生まれるのではなく、女になる。男もまた然り。


女として生まれるのではなく、女になる。男もまた然り。
 社会的動物である人間は、社会的役割を演じつつ自己を確立していく。発達心理学用語ではこれを「社会化」と呼ぶ。

 生まれたときから「女の子」は、他者から「女の子」として接され、「男の子」は「男の子」としての扱いを受ける。女の子ならお人形遊び、男の子ならブロック遊び、女の子ならおままごと、男の子なら外でボール遊び、というように、遊び方(実際には遊ばされ方)も変わる。

 興味深い実験がある。3歳と5歳の複数の子どもに「生後12カ月の2人の赤ちゃんが遊んでいるビデオ」を見せ、赤ちゃんの印象を聞いた。その際、1つのグループには「右側の赤ちゃんは女の子、左側の赤ちゃんは男の子」と伝え、もう1つのグループには「右側は男の子、左側は女の子」と逆パターンを告げ、反応の違いを比較した(ビデオの2人の赤ちゃんは同一の性)。

 その結果、どちらのグループも、「女の子」と告げられた赤ちゃんには「弱い、遅い、無口、やさしい」との感想を、「男の子」とされた赤ちゃんには「強い、すばやい、騒々しい、元気」との印象を抱いたというのだ。3歳と5歳という年齢の子どもにして、ジェンダーステレオタイプの影響を大きく受けた回答結果が導かれたわけだ(参照:『ジェンダーで学ぶ社会学』第1章「生まれる―つくられる男と女」細辻恵子/世界思想社)。

 また、他の実験では3歳、5歳、7歳の子どもの比較で、もっとも柔軟性がないのが5歳で、7歳になると男でも女でいろいろな人がいると認識できるようになるとの指摘もある。

 つまり、社会化はジェンダー化の過程でもあり、その過程で他者との関係性を構築するうえでの「性差」が生まれていく。一般的に、男性は外的な何かを他者と一緒に「する(do)」ことで、女性は他者とともに「いる(be)」ことで、自分の存在を確かなものにする傾向を強めるのである(R.L.Josselson, The Space between Us. 1992)。

 「do」に価値を置く男性は「解決」をコ゛ールにするが、「be」に価値を置く女性は「共感」か゛コ゛ール。「女性部下が相談に来たから、解決の道筋を立ててあげたのに、なぜか不満げだった」という経験のある男性上司は少なくないだろう。

 ただ、女性からすればそれは当たり前。相談の目的は、「そっか。そうだよね」と共感してもらうことだからだ。「私の相談を“一緒”に聞いて欲しかった」、つまり、上司と「be」したかった。その求めが満たされたうえでの「解決への道筋」なら、きっとふくれることはない。

 また、「女性のおしゃべり好きには言語能力の性差が関係している」とする専門家がいるが、これは科学的にはエビデンスのない“都市伝説”。しかしながら、おしゃべりは、be で関係を構築する女性にとって恰好の手段となる。まさしくラポートトークで、相手との距離感を縮めているのである。

 もちろん同し゛女性て゛も個人差はあるし、男性も然りだ。

 ただ、do とbeが社会的・文化的影響でもたらされる性差である以上、日本のように「男女格差」が大きい社会では、男性の前では「自分に求められているであろう役割」を演じる女性は少なくない。

 かくいう私も例外ではない。あれこれおしゃべりせず、結論だけで終わらせたいときでも、
「生意気な女と思われたくない」
という気持ちがよぎると、言葉でつながろうと努力する。

 男性の中にもきっと、
「本当はおしゃべりしたいけど、男のくせにとか思われたらいやだし」
とためらっている人もいるのではないか。

 なんらエビデンスのない個人的感触でしかないけど、会社で出世競争からさっさと身をひいた男性ほど、あれこれ気軽に話しかけてくるように思う。

 で、そういった男性は決まって、「僕はおばちゃんなんだよね」などと自嘲気味に、でも、何かから解放されたような笑顔を浮かべる。

次ページ「それが、男性のコミュニケーションスタイルなのだ」

「それが、男性のコミュニケーションスタイルなのだ」
 以前、東京医大で不正入試問題が発覚したときに書いた記事の中で、「女性医師が患者の死亡率を下げる」(内科、外科)、「女性医師の方が患者の再入院率を下げる」(内科)という調査結果が相次いでいると紹介した(東京医大事件と「女医と患者の死亡率」のねじれ)。

 その理由として、
「先行研究で女性医師は男性医師に比べて、患者の立場でコミュニケーションを取ることが報告されていて、そういった患者との関わり方の違いが患者の予後に影響を及ぼしている可能性」
が指摘されている。

 「患者の立場でのコミュニケーション」という文言に、「ほら、やっぱり女性の方がコミュニケーション能力高いじゃん」と早合点する人もいるかもしれないけど、これもあくまでもコミュニケーションスタイルの性差でしかない。

 健康社会学でも「医師と患者のコミュニケーション」から病気の予後や生きる力などを検討する研究の蓄積があるのだが、医師が患者の方を向き、うなずきながら話を聞いたり、日常的なたわいもない会話を医師がしたりすると、医師への信頼感が増し、生きる力が強まることがわかっている。

 ラポートトークを好む女性のコミュニケーションスタイルが、患者が求める医師とのコミュニケーションに合致した結果なのだ。女性の方が男性よりうなずく傾向が高いという結果もあるので、より患者は「お医者さんは自分のことをちゃんと診てくれてる」という安心感につながっている可能性も考えられる。

 さて、冒頭の問題に戻る。
 ここからはあくまでも私の推測である。

 いったいなぜ、順天堂大は「女子の方がコミュ力が高い」などという馬鹿げた理由を挙げたのか……。

「採用面接するとさー、女子の方がしっかりとした意見を持ってるんだよね。
男子はガキなんだよな。でも、10年も経てば男も一人前になるし、女子は、結婚や出産・子育てで戦力としてカウントできなくなる可能性もあるし……」

 こんな、一般のビジネスパーソンの方たちと同じ感想を持っていたのではないか。

 でも、それを理由にするのはさすがにマズイと考えた。
 そこで「コミュニケーション能力」という言語明瞭意味不明の実に便利なタームを用いた。

 かなり無理筋だけど、それが、「do=解決」を優先する男性のコミュニケーションスタイルなのだ、きっと。解決のためなら、無理やりでもいいいから理由を探す。そう考えると、あの会見はある意味、極めて男らしい(笑)。世間の反応を見る限り、解決には程遠く、結果は大失敗に終わったのだが。

 ただ、男性的コミュニケーションによる“自爆”で、根拠のない「女子=コミュ力が高い」説が脚光を浴び、“隠れ信者”が増えたような気もしている。「あんな言い方したら身も蓋もないけど、やっぱり女子の方がコミュ力高いよね」って。

 結局は彼らの思う壺? なんか、ややこしい。

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順天堂、入試で一律不利な扱い「女子はコミュ力高い」
165人が不合格に
2018/12/10 16:49
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順天堂大は10日、医学部医学科の入試で女子や浪人生に一律不利な扱いをしていたと発表した。不利益な扱いで不合格となった受験生は2017、18両年度で計165人。うち2次試験で不合格の48人を追加合格の対象とし、入学意向を確認する。1次試験の不合格者には受験料を返還する。差別的な扱いは遅くとも08年度には始まっていたという。

医学部入試での不適切な合否判定について謝罪する順天堂大学の新井一学長(右)(10日午後、東京都文京区)
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医学部入試での不適切な合否判定について謝罪する順天堂大学の新井一学長(右)(10日午後、東京都文京区)

順大は文部科学省から不適切な入試の可能性があるとの指摘を受け、10月に第三者委員会を立ち上げ調査していた。新井一学長は記者会見で「受験生や保護者らに多大な心配や迷惑をかけ深くおわびする」と謝罪した。

第三者委の調査結果によると、不適切な扱いがあったのは一般入試の「A方式」「B方式」やセンター試験利用入試など4つの入試方式。2次試験では4方式で一律に女子を不利にしていた。例えばA方式では小論文、面接試験の点数(1.0〜5.4点)で合格者・補欠者を決める際の基準点について女子を男子より0.5点高くしていた。

1次試験では「A方式」で学力試験の成績が一定以下の場合、合否判定で女子や浪人生に厳しい基準を設けていた。

順大によると、女子の方が面接の得点が高い傾向にあり、同日の記者会見で「入学時点では女子の方がコミュニケーション能力が高い。男女間の差異を補正するものと考えていた」と説明。女子寮の収容能力が足りなくなるため合格者を抑えてきた経緯もあったとしている。

浪人生の扱いについては浪人年数と学力試験を組み合わせて評価していたため一律の差別とは考えていなかったという。

追加合格の入学意向の確認は12月28日までに行い、

希望者の人数を19年度の募集定員から差し引く。

文科省が医学部医学科がある全国81国公私立大の2013〜18年度の入試を調べたところ、順大の男子の合格率は女子の1.67倍で、最も差が大きかった。順大は16年度以前の入試についても第三者委で調べる。
https://www.nikkei.com/article/DGXMZO38739820Q8A211C1CR8000/

東京医大事件と「女医と患者の死亡率」のねじれ
ジェンダー・バイアスは組織の隅々まで


河合 薫
健康社会学者(Ph.D.)
2018年8月7日 
東京医大で女子の合格者数を抑えようとする得点操作が発覚した(写真:Rodrigo Reyes Marin/アフロ)
 今から5、6年ほど前だろうか。
 ある医療系学会の基調講演の講師に呼ばれた時、「女性医師が増えて困っている」とこっそりと教えてもらったことがある。

 「うちの教室(医局)には女性医師はいらない。入れないでくれ」と訴える先生も多く、困っている、と。

 「育児中の女性医師は常勤勤務から非常勤になるケースが多い。世間からはセレブな女医に見られるからプライドだけは高い。そういった面からも女性医師は嫌われてしまうんですよね。
 あとこれは昔からあることですが……女性医師というだけで差別をする男性医師がいるのは事実です」

 こう「嫌がられる理由」を話していた。

 であるからして、例の東京医大での、女子の合格者数を抑えようとする得点操作問題は残念だし憤りを覚えたが、さほど驚かない自分もいた。

 ただ、一部の報道では「緊急の手術が多く勤務体系が不規則な外科では、女性医師は敬遠されがち」「医師のブラックな現場がそもそもの問題」との意見が散見されたが、女性医師を嫌うのは外科だけでも、ブラックな現場だけでもない。

 だって冒頭の医師は、

 「早くから女性医師が働きやすい職場にしようと取り組んできた結果、女性医師が増え、逆に女医医師が嫌われることになってしまった」
と、頭を抱えていたのである。

 つまり、「女性医師」という存在そのものが面倒くさい存在だ、と。

 「女性医師というだけで差別する男性医師がいる」。この一言こそが問題の根っこに深く深く広がっていて、
「結婚や出産でやめてしまうから」
「育児で緊急時対応できないから」
「だから女性ではなく男性」
というのは言い訳でしかない。

 とどのつまり「女性医師」の存在そのものへの嫌悪感が「入口から排除しよう」と点数削減という動きに繋がったのだ、と個人的には理解している。

次ページ自覚なき価値観が“刃”に

 「排除されていない者は包括されている」との名言を残したのは、社会学に大きな影響を与えたドイツ出身のゲオルク・ジンメル博士だが、博士は「構成人員の割合によってその集団の性質が変わる」と、数の重要性を指摘した。

 ジンメル博士自身が「ユダヤ人である」という理由で、ベルリン大学の教授になれなかったのは社会学史上有名な話だ。

 その「排除」と戦い続けたジンメル博士の理論のひとつに、「よそ者と放浪者」という定義がある。

自覚なき価値観が“刃”に
 放浪者は「今日訪れ明日去り行く者」であるのに対し、よそ者は「今日訪れて明日もとどまる者」。私たちは「旅行客(放浪者)」にはとても親切にするが、その人が同じ土地で暮らすようになると「よそ者」扱いし、態度を豹変させる。

 「よそ者は集団そのものの要素であり、貧者(社会的弱者)や多様な『内部の敵』――その集団における内在的な部分的な地位が、同時に集団の外部と集団の対立を含んでいる――と異なることではない」(『社会学―社会化の諸形式についての研究』ゲオルク・ジンメルより)

 つまり、よそ者とは「集団の内部に存在する外部」で、よそ者差別は普遍的に存在する。

 これまでにも「数」の重要性を指摘したコラムを書いてきた通り、男社会に紅一点の女性が加わった途端、男VS女が顕在化する。この構図は人種、性別、学歴などあらゆる属性の違いで起こる現象である。

 内集団である多数派(男性)のメンバーは、自分たちの地位の高さの見せしめに「よそ者(女性)」を差別し、排除する。「よそ者」はある意味、多数派が権力を振るう装置として機能してしまうのだ。

 しかも悲しいかな、よそ者が女性の場合、無能呼ばわりされることが多い。

 「女性医師というだけで差別する男性医師がいる」という言葉の奥底には、女は面倒くさいという感情と「女性医師は無能」という偏見が混在しているのではあるまいか。そして、それは医師の世界に限らず「男社会」のあちこちに存在しているのである。

 例えば、「女性社員が80%を占めているのに管理職は男性だらけ」という会社に私は何度も行ったことがある。なぜ、圧倒的な女性の職場なのに階層組織の上位は男性のみになってしまうのか?
 ジェンダー・バイアス。

 社会に長年存在した「当たり前」が自覚なき価値観となり、女性蔑視を生んだのだ。

 言わずもがな古来よりリーダーの多くが男性だった。

次ページ男社会だったツケは想像以上に根深い

 その結果、過去の男性リーダーたちの振る舞いが「求められるリーダー像」とみなされてきた。
 攻撃的で、野心的。人の上に立つのが得意で、自信家で、押しも強い。唯我独尊で個人主義なたくましさもある――。
 そういったステレオタイプが、「リーダー像(男性)」として刷り込まれているので、どうしたって女性リーダーの言動が無能に見える。

 そして、その「リーダー=男性」という自覚なき価値観が、時に“刃”となり、女性リーダーを傷つけてしまうのだ。

男社会だったツケは想像以上に根深い
 男性上司が「あーしろ、こーしろ、アレはだめ、コレはダメ」と権威的な言動をしても「正しい振る舞いを教えてくれる部下思いの上司」と受け入れられるが、女性上司が同じことをすると「感情的」「押し付けがましい」と非難される。
 女性上司が、部下に温かさや思いやりを示しても大して評価されないけど、男性上司が同じ言動をとると「優しい上司」と評価される。

 さらに「よそ者=女性=無能」という方程式の根深さを暴いたのが、通称「ゴールドバーグ・パラダイム」と呼ばれる社会心理学者フィリップ・ゴールドバーグ博士の心理実験だ。

 1968年、ゴールドバーグ博士は、学生たちに「女性問題に関する」テーマに書かれた論文を読ませ、内容を評価させた。ただし、学生には内緒で、論文の執筆者欄が「男性の名前」になっているものと、「女性の名前」のものの2種類を用意(論文内容は同一)。男女の差異が評価に与える影響を検証した。

 その結果、男性名が入った論文を読んだ学生は論文を高く評価。一方で、女性名が入った論文は低く評価された。女性問題がテーマの論文であるにもかかわらず、だ。しかも、結果は女子学生を被験者にした場合も同じだった。

 名前だけで評価が変わるとはにわかに信じ難いかもしれないけど、ゴールドバーグ・パラダイムに追従する調査結果は、半世紀経った現在に至るまで多数発表されている。

 例えば、1997年に実施されたスウェーデンの医学者、C・ウェンナラとA・ウォールドらは、スウェーデン医学研究評議会(Swedish Medical Research Council)による研究費補助金の審査過程を検証し、男性は「男」というだけで高く評価され、女性は「女」というだけで低く評価されていた現実を、統計的な分析から暴いた(C.Wenneras & A.Wold; "Nepotism and Sexism in Peer-Review", Nature, 1997.)。

 そして、女性が男性と同等に評価され研究補助金を得るには、「最高ランクの学術誌に男性の2.6倍もの論文を発表する必要がある」と結論付けた。これは不可能に近いことを意味している。

 この調査では、審査員のコネが審査の評価に影響していたことも突きつめたため、スウェーデン医学研究評議会はその翌年から、研究助成金の交付審査のやり方を改善し、助成金の獲得や研究キャリアの男女比較について の報告を毎年行っている。

 コネ審査……ね。そういえば東京医大は裏口入学でも問題になってましたっけ。

 いずれにせよ、男社会だったツケは想像以上に根深く、私たちの想像をはるかに超えているのだ。

 入試から助成金の確保、仕事への評価に至るまで、組織という組織の隅々まで、ジェンダー・バイアスは蜘蛛の巣のごとく張り巡らされている。たとえ運よくその蜘蛛の巣をくぐり抜けた女性が数人いたとしても、「男社会の壁」を打ち砕くのは至難の技。

 企業がそうであるように、医師の世界でも「トップ」がよほど覚悟を決めて「排除の壁撲滅」に挑まない限り、女性医師や女性医師の卵たちへの差別はなくならない。

次ページ「女性医師が患者の死亡率を下げる」調査結果が相次いでいる


 念のため断っておくが、「女性リーダーは男性リーダーより劣る」とか、「女性研究者は男性研究者より劣る」とか、「女性医師は男性医師より劣る」などの研究結果を私はこれまで見たことはない。

「女性医師が患者の死亡率を下げる」調査結果が相次いでいる
 むしろ逆。「性差はない」「女性リーダーの方が部下の能力が発揮される」ことに加え、医学会においては「女性医師が患者の死亡率を下げる」(内科、外科)、「女性医師の方が患者の再入院率を下げる」(内科)という調査結果が相次いでいるのである。

 米国ハーバード大学公衆衛生大学院が行った「Comparison of Hospital Mortality and Readmission Rates for Medicare Patients Treated by Male vs Female Physicians 」というタイトルの論文は米国で話題になり、ワシントンポスト、ウォールストリートジャーナル、CNN、ハーバードビジネスレビューなど、多くのメディアでも取り上げられた。

 この調査では2011〜2014年にアメリカの急性期病院に入院した65歳以上の高齢者およそ130万人のデータを分析。医師の性別により患者の「30日以内の死亡率や再入院率」を比較したところ、女性医師が担当すると両方とも低くなる傾向が認められたのだ。

 具体的には女性医師だと「30日以内の死亡率が0.4%、再入院率は0.5%下がる」(死亡率0.4%は過去10年間の死亡率改善とほぼ同レベル)ことがわかった。

 こういった結果が出ると「でも〜、それって〜女の医師が単に症状の軽い患者を診てるケースが多かったからじゃないの〜?」という意見が出る。

 そこでこの調査では、

男性医師と女性医師の診療している患者の重症度を同レベルにする
同じ病院で働いている男性医師と女性医師を比較する
 などの補正を行い(統計的な手法)、環境要因の影響を排除。
 加えて、

入院患者の診療しかしない内科医である“ホスピタリスト”のデータを用いた分析
 も行い、調査の信頼性を高めた。

*ホスピタリストとは、1990年代に生まれた「入院患者の診療」しかしない診療医。「外来患者」を担当するのはプライマリケア医。ホスピタリストは一般的にシフト勤務をしているため、患者が具合が悪くなり病院に運ばれたときのシフト勤務医師がその患者の担当医となる。
 ここまで丁寧に分析をした結果が、「女性医師の患者の死亡率を下げる」という結果だったのである。

 この調査が行われた背景には、「この患者は重症だから、Aさん(女性)では難しいだろう。Bくん(男性)に担当してもらおう」とか、「女性の医者では不安です。男性の医者を主治医にしてください!」といった“ジェンダー・バイアス”が米国で起こりがちだったため、それ払拭する目的があった。

 当初の仮説は「性差なし」。ところがいい意味で結果は研究者たちを裏切った。

 「性差がない」どころか、「女性医師で死亡率が下がる」というエビデンスが得られてしまったのだ。

 では、なぜ「女性医師が患者の死亡率を下げるのか?」

次ページ医師は「残された命」に光を与えてくれる存在

先行研究で「女性医師は男性医師に比べて、患者の立場に立ってコミュニケーションを取る」ことが報告されていて、そういった患者との関わり方の違いが患者の予後に影響を及ぼしている可能性が指摘されている。

 健康社会学の分野でも、近い人との質のいいコミュニケーションが余命を伸ばす研究結果は多数報告されているし、個人的な経験からも、これはかなり納得できる考察である。

 個人的な話で申し訳ないが、3年前に旅立った私の父親は「お医者さま」の言葉を何よりも頼りにしていたのである。

医師は「残された命」に光を与えてくれる存在
 「○○先生から運動していいって言われた!」「○○先生が“血液検査の結果も良好!”って言ってた」「○○先生から“順調ですね!”って言われた」などなど、入院中も通院しているときも、父は医師の言葉に勇気をもらっていた。そして、そういう父を見るのが、私たち家族の希望でもあった。

 そのつまり、なんというか、医師というのは医療現場が考えている以上に、患者や家族にとって「残された命」に、光を与えてくれる存在なのだ。その「光」が生存率や予後にも影響することを「医学会の偉い人たち」にはもっとわかって欲しいと思う。

 そして、今回の「一律減点事件」を必要悪などとするのではなく、「患者の立場に立ってコミュニケーションを取ること」が患者の死亡率に影響する可能性を示唆した極めて重要な研究が、女性医師への偏見をなくし、女性医師たちの活躍の場が広がる意義あるものとしてもっと世間に広まって欲しいと心から願っている。

■訂正履歴
記事中の死亡率、再入院率に誤りがありました。お詫びして訂正します。記事は修正済みです。 [2018/8/7 10:30]
面倒くさい女たち

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