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<■176行くらい→右の▽クリックで次のコメントにジャンプ可> 日本人は中国のことになると頭から否定的に論じる者が大多数だが、中国や中国政治のことをよく知らないで妄想的議論をしていることが多い。下に引用する「戦闘教師ケン」氏は中国との関わりが長い人物のようで、中国事情や中国人的思考をよく知っている人間であるようだ。単なる中国シンパではなく、日本人として客観的に中国を見ているように感じる。つまり、多くの日本人の参考になる意見であるだろう。 そして、同時にこの引用文は、地政学(軍事的政治論)的な現代中国史の初歩でもあると思われ、いわば中国を論じるための基礎になるのではないか。 なお、氏が現代日本を「帝政」と呼ぶのは毎度のことで、「愛国者(かつコスモポリタン)」の私には不快だが、氏がどういう意味で「帝政」という言葉を使っているかは不明であるので「訂正」しろ、と文句を言うわけにもいかないww (以下引用) 2025年09月22日
中国は侵略的なのか? 中国による「力による現状変更」「拡大主義」「秩序への挑戦」などというのは、帝国政府やその御用学者による中国批判の常套句である。 果たしてその批判は正当なのか、いや中国から見るとどうなのかについて、私が現地の中国人研究者らと議論した点を踏まえて考察してみたい。 まず帝国政府などが言う「現状」や「秩序」とは、1945年に成立した連合国(帝国呼称で国連)体制を指す。 ところが、現在の中共政府が誕生したのは1949年であり、1950年には朝鮮戦争が勃発している。 中華民国国民党政府は1948年から重慶から台湾への移行が行われ、1950年頃まで続いた。 この際、民国政府の国庫にあった100トンからの金塊に加え、北京から重慶に持ってきていた故宮博物館の文物の大半も台湾に持っていった。 現在の日本政府の金保有量が760トンなので、大した量には思えないかもしれないが、長年の対日戦で疲弊した中国の再建には不可欠のものだったし、故宮博物館の文物は「中華」の正統性を示すものでもあった。 1949年10月、人民解放軍は厦門のすぐ向かいにある金門島に対し、上陸作戦を決行するが大敗。 59年にも砲戦が行われるが、国府軍が防衛している。 つまり、中国本土厦門から10km先にある金門島は、中華民国・国民党軍が大陸反攻を試みる際の拠点になっており、中共政府からすれば安全保障上決して許容できないものとなっている。これに対して、「力による現状変更」をもって批判したところで中国政府からすれば、納得できるものではないし、連合国体制とは無縁の国共内戦の話でしか無い。 しかも、米台同盟の暁には金門島に米軍の核ミサイルが配備されるかもしれないのだから、中国人が聞く耳持たないのは当然であろう。これを非現実的と笑うものもいるだろうが、中共からすれば、至極現実的だった。 実際、1950年代には国民党政府は大陸再侵攻を計画、中共の大躍進政策が失敗し、本土が不穏になる中、1960年には本土再侵攻作戦(国光)を発動、侵攻準備に入った。 少なくとも1962年には蒋介石は作戦を決行するつもりだったが、米ケネディ政権の強い反対にあい、小規模なゲリラ戦(倭寇的な小規模戦力による嫌がらせ)に転じるも、ことごとく失敗に終わった。 国民党政府が国光作戦を断念したのは、1964年に中共が核実験に成功したことと、アメリカのベトナム介入が本格化して、米軍の支援が望めなくなったためだった。 このことは、中共による核保有の正当化と、バックパッシング(敵の戦力を他に向けさせる)策の有効性を証明するところとなった。 同時に、台湾・中華民国の存在は中共にとって「安全保障上許容できない存在」であり続けている。 朝鮮戦争で現状変更を試みたのは、朝鮮政府(朝鮮労働党)であり、朝鮮政府の侵略意志に対してスターリンは(狡く)黙認(反対不明示、中国がOKするならやってもいいんじゃね?俺からは何とも言えないけど、くらいのイメージ)、毛沢東が渋々同意する流れだった。 「米軍は介入しない」と踏んで始めたところ、現実には米軍(連合国軍)が介入、朝鮮軍は敗走し、中朝国境まで押し戻されてしまう。 しかも、米軍(マッカーサー)は鴨緑江を越えて中国本土に進入する姿勢を示したために、毛沢東は中共内部の圧倒的反対を押し切って「義勇軍」による介入を決意、米韓軍は38度線まで押し戻されて休戦に至っている。 この時、マッカーサーは北京などに対する核攻撃を準備しており、トルーマンに司令官を解任されている。 その後、朝鮮半島では70年に渡って冷戦(朝鮮戦争の休戦状態)が続いている。 これはあくまでも休戦であって、終戦ではないため、いつ戦闘状態になってもおかしくない状況にある。 この場合、「力による現状変更」とは何を意味するのか。 講和条約ではない休戦協定にはそこまでの拘束力はない。 実際、2017年の朝鮮半島危機時には、米軍は朝鮮侵攻を準備しており、日本政府は第一次トランプ政権に対して相当強く「侵攻」を要請したとされる。 実現しなかったのは、トランプ大統領の意思(気分?演技?)でしかない。 当然ながら、中国共産党としては統一韓国が成立し、義州に米軍基地が置かれ(元は帝国陸軍の飛行場)、核兵器が配備される状況など許容できるはずがない。 これは中国にとってもロシアにとっても、連合国体制以前に安全保障上の国家的危機となるため、人民解放軍による再介入を検討せざるを得なくなるところだった(実際に検討しただろう)。 ベトナム戦争が進行中の1964年にはトンキン(東京)湾事件(中国呼称は北部湾)が発生し、北ベトナムに対する大規模無差別爆撃が行われるきっかけとなった。 これは現代では米国政府による捏造(陰謀)だったことが判明している。柳条溝事件や張作霖爆殺もそうだが、陰謀は本当にあるだけに、陰謀論はどこまでも現実味がある。 実際には「北爆」だけで終わったものの、現実には米政府内では陸上戦力による北ベトナムとラオス侵攻が検討されていたが、朝鮮戦争同様、中共軍の介入を恐れて空爆だけに留めた経緯がある。 中越国境に米軍基地が置かれて、広州と広州湾が米軍機の直接攻撃範囲内に入るような状態を中共政府が許容できるはずもなかった。 北爆のみの犠牲者数は現代でも不明だが、ベトナム戦争において米軍が殺害したベトナム人は200~300万人に及ぶとされている。 人口の多い中国南部で戦争が勃発すれば、その数倍の被害が出ただろう。 その後、米国によるアジア介入は抑制され安定期を迎えるが、米国(と英国)政府は香港と台湾を通じて中国本土における民主化運動、ウイグル独立運動、チベット独立運動を支援し続けた。 近年になって、中国政府が香港に対する統制を強化したのは、米英との国力差がなくなり、香港で大手を振って活動してきた中共打倒運動を取り締まっても、米英政府は介入できないと踏んだためである。 実際、米英政府は文句を言うだけに留めている。 (中共の主観的には)米英が主導する民主化運動、ウイグル独立運動、チベット独立運動は「(力による)現状変更」ではないのだろうか。 さらに2000年代以降には、中央アジアにおいて「カラー革命」が進行、旧ソ連の流れをくむ権威主義政府が続々と打倒され、親米政権が樹立、中央アジアに米軍基地や米軍のミサイルが置かれるリスクが発生した。 これは中国人やロシア人からすると、アメリカにとっての「キューバ危機」と同様のリスクであり、許容できるものではなかった。 そして、中国では2012年に習近平政権が樹立、14年には「総体的国家安全」理念が提示され、治安強化と軍近代化が加速していくことになるが、これは米軍によるアフガニスタンとイラク侵攻に続いて中央アジアでも勃発したことと、「第二位を叩く」国際パワーゲームによって中国に対する各種攻撃が本格化することが容易に予想されたためだった。 そして、それは(中国人的に)現実のものとなっていく。西側人がどれほど「民主主義の優位性」を信じたところで、それはイデオロギーでしかなく、現実の世界はパワーゲームによって成り立っており、トッププレイヤーが第二プレイヤーを全力で叩くのは常套手段なのだ。 こうした中国の動きに対し、日本は「脅威」と断じ、バランシング(勢力均衡)による対抗を試みた。 「日米同盟の強化」とは中朝の軍事力や国力増大に対して、武力でこれを封じ込めることを目的とする。 ただし、米国は同盟強化の対価として、日本の「さらなる国際貢献」を求めたため、自衛隊(帝国政府傭兵)は世界各地で米軍の支援をする流れが進んでいった。 さらに帝国政府(安倍政権から)は「自由で開かれたインド太平洋」を主導するが、これは中共の「一帯一路」に対抗しつつ、中国を大陸に封じることを目的としている(封じ込め戦略)。 帝政日本からすれば、「台湾の本土化」は台湾海峡の封鎖と中共海軍力の太平洋投射自由化を意味するものとなる。 この場合、沖縄の米軍基地は存在意義(中共封じ込め)を失い、中部太平洋への撤退を余儀なくされるが、これは現行帝政の崩壊を意味する。 これは、現行帝政は在日米軍のパワー(力と権威)によって成立しているためで、駐留ソ連軍の撤退と同時に崩壊した旧東欧の諸共産党政権や現代ではアフガニスタン・カブール政権の例から説明できる。 つまり、現行帝政を維持するためには在日米軍の存在が不可欠であり、そのために日本政府はたとえ税収の全てを米国に献上しても差し支えないくらいの考えでいる(背に腹は代えられない)。 同時に、自民党や霞が関が必死になって台湾有事への介入を主張する根拠にもなっている。 この辺については別稿をもってさらに検討したい。 逆に中共からすれば、台湾に米軍基地がなくても、沖縄に米軍基地があり、「核があるかもしれないし、少なくともいつでも核を配備できる」状況にあることは、安全保障上非常に大きな脅威となっている。 同時に中国人からすれば、日本はほんの80年前に海の向こうからやってきて、満州を植民地化した上、中国本土に攻め込み、約8年に渡って海上封鎖した上に国土の3分の1と中原を支配したという事実がある。 しかもその日本は最終的に自力では追い返せず、2000万人からの死者を出す事態となった。 中国はその長い歴史においてずっと北方「蛮族」に攻められ続けたが、海の向こうから侵略されたのは英仏が初めてで、それも非常に部分的な支配でしか無かった。 実際、海を越えての戦力投射は本質的にコストが高く、困難であるため、歴史上これを本格的に可能にしているのは20世紀以降の米軍しかないと言っても過言ではない。 だが、日本は部分的にそれを実現し、中国はそれを自力では完全に追い返せなかった。これは日本人には想像できないようだが、中国人にとって恐ろしいまでのトラウマとなっている。 つまり、日本帝国軍、中華民国軍、アメリカ軍の連合軍が中国本土に再上陸してくるというケースである。 ケ小平が「韜光養晦」を掲げたのは、1990年に至ってもなお、中共には日台米連合軍と戦うだけの国力と戦力がないことを自覚していたためであり、同時に2014年に習近平が路線転換を宣言したのは「ようやく西側連合軍による本土上陸くらいは退けられるようになった」と認識したがためだった。 だが、その習近平政権も現在の日台米連合軍と戦争して勝てるとは思っておらず、「2030年代前半までに戦力拮抗を実現する」旨の政策を掲げているほどだ。 そして、その日本はかつては良識的な主権者・統治者たちが「帝国による中国侵略」に対して謝罪と反省を明示していたが、現代では明治帝政の侵略行為も帝国軍による蛮行も否定するのが当たり前となり、しかも外務省が主導して「歴史戦」を演じるに至っている。 侵略に対する反省がないということは、中国人的には日帝による再侵攻の可能性を肯定することであり(「あいつらまたぞろやる気だ!」)、その備えは十二分にしなければならないという話になる。 こうした中国人の認識に対し、令和帝国人たちはバランシング(戦力拮抗)で対抗しようとするため、東アジアでは途方もない軍拡競争が発生しようとしており、帝国政府は軍事力増強のため国民が耐えられないほどの増税を課そうとしている(経済荒廃と少子化が進むだけで無駄なのだが)。 日本の話は別稿で考察を続けたい。 私の場合、40年にわたるシミュレーションゲーム歴から「敵の視点から盤面を見る」癖がついており、中国(中共)人との会話もそこから本音を引き出そうとした。 だが、日本人の圧倒的多数は自分の視点や立場からしかモノを考えない。それが二次大戦の失敗となり、現代でも大きな過ちとなる原因となっている。
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