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文芸誌の懸念
http://www.asyura2.com/19/senkyo264/msg/609.html
投稿者 肝話窮題 日時 2019 年 8 月 18 日 19:41:35: PfxDcIHABfKGo isyYYouHkeg
 

 
 文芸誌の「すばる」と「文学界」が、立て続けに国語教育の特集をしている。高校の国語でこれから、文学が選択科目になるためだ。若い人が文学に触れる機会が失われていくのでは、との懸念が伝わってくる。
 現代国語といえば小説や詩歌、評論だと思っていたが大きな変化が起きるかもしれない。新指導要領に沿った試験問題例には、実用文として行政のガイドラインや駐車場の契約書が出てくる。素人目にも「これが国語か」と思える内容だ。

 「実用的な文章が読める力は必要だろうけど、そんなものを国語の教材としてえんえんと教えるとは」。文学界9月号に歌人で元国語教師の俵万智さんが書いている。「言葉や表現の豊かさにあえて触れさせない意地悪を、なぜするのだろうか」。

 俵さんによれば、短歌は31字だが百字分でも千字分でも伝えられる。一方で百字で百字分を伝えるのが契約書。それを国語で教えるのは「言葉を、現実を留めるピンとしてしか見ていない」。

 新学期になり、手にしたばかりの国語の教科書をわくわくして読み進める。そんな経験をお持ちの方もおられるか。ガイドラインや契約書ではそうはいかない。俵さんらの懸念が的中しないでほしいと、大昔の高校生も思う。
 
 教科書で出会わなかったら一生出会えない。そんな文学があると、すばる7月号で作家の小川洋子さんが語っていた。そして文学は「広い世界へ行くためのドア」になるのだと。自分の狭い世界、狭い価値観から解放されて。

朝日新聞天声人語 2019年8月17日
https://www.asahi.com/articles/DA3S14142249.html?iref=tenseijingo_backnumber  

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コメント
1. 2019年8月19日 14:16:53 : h4ECTIpSW2 : a2JCZ3NxaldKR3c=[1] 報告
現代には音が足りないんじゃないかね。
えもいわれぬ余韻や語感というものを養うには他人の作りし和歌短歌を詠むだけでなく、自分でつくって詠むような習慣と学習が必要かと。流れ、止め、払い。勢い、するどさ。弛緩。など自然の動き。
逆に世俗化した川柳みたいのは意識的に貧そになっていくだけで好ましくないかな。世俗の逆を行けと思うね。
話したい内容が文語表現についておらず、聞いてる側がよくわからずとも、何かを一念に真剣に考えている人間の言葉には勢いがある。勢いが勝るだけまだ人としての価値を見る。そこを大事にしてもらいたい。
2. 2019年8月19日 20:11:18 : k77Et3x2fI : OWN3aS5PQXVZTlE=[1] 報告
 「ならぬ」と言われれば、その逆のことをしたくなるのは、或いは人間の常なのかもしれない。もしそうなら、とりわけ虚構で以って構成される芸術作品であれば猶のこと、例えば「あの鯨を追いかけてはならぬ」と言われた船長は命懸けのリベンジに何度も執念を燃やしたわけだし、また舞台の上で「誰も寝てはならぬ」と歌われても客席の隣人はすでにスヤスヤと心地よい居眠りに余念がなかったわけである。およそ芸術作品の受容とは、市民社会の道徳的規範となったり、社交上の嗜みとしての教養であったり、政治的プロパガンタであったり、娯楽や気散じであったり、御国によって様々である。いずれにしても芸術作品に描かれる人間像とは「人間とは何か?」という問いへの具体的な答えでもあり、受容者たる我々は、そこに心の友人ばかりでなく、永遠のライバルすら見出すこともしばしばであろう。そして、それが虚構であることに気付きつつ、現実との距離感を推し量ることで、昨日よりも少しだけ人生経験を積んだような気にもなるというわけであろう。
 さて、近代以降の我が国では、「文学を教えねばならぬ」と命じられたお役人が、国家の忠実な僕を養成するための国語教科書に文芸作品を載せることを思い付いた。しかしながら、そもそも「何故にわざわざ文学なるものを教えねばならぬのか?」という疑問への答えを考えておく手間が端折られたせいだろうか、お役所の仕事として代々引き継がれることもなく、今頃になってようやく「何故なのだ?」と皆が騒ぎ出したということのようである。
 では、何故、国家は高校生に文学を教えねばならぬのか? その答えは、すでに出ているのかもしれない。つまり、冒頭に示したように「ならぬ」の逆をしたくなるのが人間であれば、文学など教えたくないというのが国家のホンネであろう。成程、私のような一介の老人にも高校生時代があって、読みかけの文庫本は授業中でも先生に隠れて必死で読もうとしたものだ。また、友人の誰某は、テスト勉強をしなければならぬ時期程、逆に現実から逃避し、結果として偉大なる長編小説を読み通したことを自慢していた。無学無教養な私の思い出話を基準にして恐縮の至りであるが、或いは私のような人間が再生産されてしまうことが十分予想されていたからこそ、国家が文学を教えたくなかったとも言えようか。高校生の文学受容については、国家によって厳選された文芸作品をテキストに国語運用能力の養成を期するというよりも、むしろ手当たり次第に読み漁るという冒険的な乱読経験に開放するほうが、より健全な気がしないでもない。何故なら、わざわざ先生から教わるまでもなく、読みたい生徒は一人で勝手に探し出して読んでいるものだからだ。そういう意味で、「教科書でなければ出会えない文芸作品もある」からこそ文学を教えねばならぬとする作家先生の答えには、目下スマホ全盛時代の高校生諸君のリサーチ能力を少々甘く見過ぎておられるような印象も受ける。また、「大昔の高校生」たる天声人語氏は、その力作が教科書の例文に採用される名誉を失うことに大いなる危機感を覚えておいでのご様子であるが、縮刷版が図書館の書庫に眠っておりさえすれば、いつか日の目を見よう。文献を探し当てる愉しさは、宝探しに似てスリル満点であり、検索も容易な電子書籍時代になっても変わることはない。文学など教科書で読んではならぬと言われれば、国家に隠れてこっそり読めばいいのである(笑)
3. 2019年8月19日 21:15:14 : o4TAHv9bY2 : TkxjRlJBbFdvNFk=[12] 報告
文学も 見ざる聞かざる 知らざるで

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