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アメリカ軍はなぜ不利なノルマンディに上陸したのか 「戦後」を作った錯覚
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投稿者 中川隆 日時 2020 年 9 月 26 日 19:52:33: 3bF/xW6Ehzs4I koaQ7Jey
 

(回答先: 共産主義の時代 投稿者 中川隆 日時 2020 年 3 月 20 日 11:56:26)

2020年03月17日
アメリカ軍はなぜ不利なノルマンディに上陸したのか 「戦後」を作った錯覚
アメリカは圧倒的な戦力を持ちながら日本軍を恐れ、ソ連に対日参戦してもらうため、欧州の東半分を譲渡した。それがノルマンディ上陸作戦。

引用:http://format.net.au/site/wp-content/uploads/2014/01/overlord-1024x784.jpg


ノルマンディ上陸は不合理な作戦

第二次大戦でドイツにとどめを刺したのがノルマンディ上陸作戦なのは良く知られていて、何度も大作映画になっています。

だがこの作戦を決めたのが、ソ連の指導者スターリンだったのは、まったく知られていない。

アメリカ軍の上陸地点がノルマンディだった事で東西ドイツが分割され、ソ連の全盛期や中国の発展までつながった。

スターリンがそれほどの影響力を持った理由は日本軍で、アメリカは日本を絨毯爆撃しながら、日本軍にビビリまくっていた。

アメリカの恐れにスターリンがつけ込んだのが『テヘラン会談』で、ここで戦後の枠組みが決定しました。

テヘラン会談に参加したのは英チャーチルと米ルーズベルト、ソ連スターリンの3人と側近達だが、終始スターリンが主導権を握った。


ルーズベルトは1933年3月から1945年4月まで大統領の職にあり、第二次大戦の全期間を通してアメリカ大統領に選任された。

最後は4月12日に脳卒中で倒れ、副大統領トルーマンが大統領に昇格して終戦を迎えた。

ルーズベルトは同じ1933年に政権の座に就いたドイツのヒトラーを最大の敵と見做し、欧州の戦争に参加したがっていた。


ドイツは米国との戦争を避けようとしたので、同盟国の日本に「南京事件」をでっち上げて、経済封鎖をして挑発した。


経済封鎖すれば日本は何らかの軍事行動を起こさざるを得ず、アメリカはドイツと戦って英国を支援することが出来る。

この時点で日本についてはどうでも良く、アメリカ軍に対抗できるとは考えていなかった。


日本軍に狼狽したアメリカの錯覚

だが戦争を開始した日本軍は予想外に強く、アメリカ軍は連戦連敗でもう少しで全艦隊が全滅するところだった。

いくらアメリカの国力が強大でも、戦える軍艦がなくなれば負けを認めて停戦交渉に応じざるを得ない。

そうならずに済んだのはフランス、オランダ、オーストラリア、イギリスなどの弱小部隊が、日本海軍を引き付けて分散させたからだった。


日本軍は米軍に圧勝していた頃、中国やソ連とも対峙し、欧州各国の残存部隊とも戦い、アジア人の武装勢力とも戦っていた。


米艦隊との決戦に備えるべき海軍主力部隊は、オーストラリアやインド洋まで出かけて、どうでも良い作戦に使われていました。

日本が敗戦に向うきっかけになったミッドウェー海戦では、開戦以来一度も定期整備されなかった軍艦や軍用機に故障が続発し、過労から兵士のミスも続出した。


逆に開戦から殆ど働いていなかった米空母は気力充分で、故障も起こさず、存分に力を発揮して圧勝した。

アメリカ海軍は負けそうになったのを英蘭仏豪などが日本軍を引きつけたおかげで、やっと戦況を挽回できたのだった。

大戦前半のアメリカがどのくらい日本軍を恐れたかというと、海軍が全滅したらハワイとグアムを譲渡して和平交渉しようなどと言っていました。


ルーズベルト大統領は1943年になってもまだ、日本軍にはかなりの戦力が残っていて、米軍だけで勝つのは困難だと考えていた。

この錯覚が日本への過剰な絨毯爆撃やマンハッタン計画になり、ソ連への参戦依頼となって現れました。

1943年10月から11月の『カイロ会談』『テヘラン会談』ではスターリンがルーズベルトの弱気を読み、条件を飲まないならソ連は対日参戦しないとハッタリをかました。

ソ連は樺太、千島列島を得ることを確約させたが、後に北海道と日本の東半分の要求にエスカレートしている。


ミッドウェー海戦で日本側はほとんど偵察機を発進させず、米空母を発見できずに敗北した。
開戦以来英仏豪蘭などと戦い続け、故障のため発進できる偵察機がなかった。
米軍だけが相手だったら日本海軍は米艦隊を全滅させていた

引用:http://nisei.hawaii.edu/docs/IO/4992/img4992.jpg


スターリンが支配した1945年

さらにスターリンはドイツへの上陸地点を、バルカン半島からフランスに変更させ、ルーズベルトは了承しました。

バルカン半島はクロアチア、ボスニア、ブルガリアなど大戦後に共産圏に組み込まれた国々で、ソ連側に近い。

ここにアメリカ軍が上陸したら、バルカン半島は米英側が支配する「西側」になり、ソ連はドイツ侵攻すら不可能になるかも知れない。


ソ連がドイツに侵攻するには東欧諸国を占領しながら進撃するが、そこにアメリカ軍が居座っていたら、どうする事もできません。

チャーチルには事の重大さが分かっていたのでバルカン半島を強く主張したが、ルーズベルトはもうボケかけていたのか、頭が回らずフランスに変更してしまった。

この結果東欧諸国は全てソ連が占領し、ドイツは東西に分割されて、「ソビエト連邦」という強大な超大国が出現しました。


ソ連の出現によって中国も共産化し、こんにちの「中華人民共和国」が出現する原因も作りました。

日本軍はルーズベルトの間抜けぶりに狼狽しながら、なるべく多くの領土を「アメリカに占領してもらう」作戦を展開しました。

米ソに分割されたら、ソ連に取られたほうは未来永劫真っ暗闇になるのは分かっていたからで、特に朝鮮半島南側と北海道をソ連に取られるかどうかが焦点だった。


だがアメリカ側はトルーマン大統領に替わっても「日本に上陸したら大量の犠牲者を出す」と言って停戦交渉に応じようとしなかった。

そこで外務省と海軍は弱気になっていた昭和天皇を説得し、終戦の詔勅を録音してラジオ放送した。

ソ連参戦は8月9日でラジオ放送は15日、アメリカ軍は突然の日本の降伏にオロオロし、日本や朝鮮に上陸しようとはしない。


戦後世界は偶然生まれた

ソ連軍はシベリア鉄道で大量の物資と兵士を輸送して、日本上陸と朝鮮半島での決戦に備えつつありました。

そこへやってきたのがパイプを咥えたマッカーサーで、米軍の方が先に日本と朝鮮南部に達した事で、ソ連軍は占領を断念した。

終戦はこのように奇跡的なタイミングで行われ、数日でもずれていたら北海道や韓国がソ連領になった可能性が高い。


逆にアメリカ軍がもっと迅速に動いていたら、北朝鮮や千島列島にソ連軍が到達できなかった可能性もあった。

固定不変のように思われている領土や国家の枠組みは、このように偶然決まる事もあります。

そして強大になったソ連を中心に戦後数十年が始まり、戦勝国アメリカは思ってもみなかった苦戦をするのでした。

http://www.thutmosev.com/archives/66119291.html  

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コメント
1. 中川隆[-6503] koaQ7Jey 2025年6月05日 10:51:43 : A144Wc1oMo : NEdHS0VmUmRsbms=[12] 報告
<■137行くらい→右の▽クリックで次のコメントにジャンプ可>
アメリカの主流メディアが有力者とグルになるのは昔からだ。例えば、フランクリン・デラノ・ローズヴェルト(FDR)が大統領の時も、マスコミは下半身麻痺の“秘密”を意図的に隠していた。今では誰でも車椅子のFDRを知っているが、発症当時の1920年代には公表されず、アメリカ国民の多くは知らなかった。従来、FDRはポリオ(poliomyelitis / 急性灰白髄炎)に罹って両脚が麻痺したと言われてきたが、真相は違う。テキサス大学のアーモンド・ゴールドマン博士(Dr. Armond Goldman)によれば、ギラン・バレー症候群(Guillain-Barré Syndrome)により、FDRの脚が麻痺したそうだ。

  海軍次官を退いた後、まだニューヨーク知事になる前のローズヴェルトは、まだ元気だった。しかし、1921年に突然、彼は両脚の感覚を失う。立って歩くことすら出来なくなってしまったから大変だ。当初、彼は悪寒や疲労のせいで脚の神経が鈍くなった、と思っていた。ところが、実際は免疫システムの異常で末梢神経の障碍が起こっていたのだ。FDRはローズヴェルト家の侍医であるジョージ・ドレイパー(George Draper)医師に診察を頼んだが、ドレイパー氏は有効な治療法を提示できず、FDRの恢復に悲観的であった。一方、まだ希望を捨てていないFDRは、按摩にマッサージをしてもらったり、ぐらつきながらも歩行訓練に励んでいた。だが、ドレイパ医師は車椅子を勧め、松葉杖を使った歩行には賛成できず「私は彼に勧めないね」と述べていた。(Steven Lomazow and Eric Fettmann, FDR's Deadly Secret, New York : Public Affairs, 2009, p.29)

FDR 36565FDR braceFDR wheelchair 2
(左 : 松葉杖で立つFDR / 中央 : 下肢装具をつけたFDR / 右 : 車椅子のFDR )

  FDRは政治的野心を抱き、将来の大統領を目指していた。となれば、弱々しい姿を世間に晒すことはできない。彼は事態を打開すべく、運動で腕や上半身を鍛え、両脚には踵から尻までの金属製下肢ブレイスを装着し、下半身麻痺の深刻さを隠そうとした。身に付けた下肢装具は10ポンドの重さもあったから、脚を動かすだけでも一苦労だ。腰や尻の力を最大限に使わないと動かす事ができない。専門医のロバート・ロヴェット(Robert W. Lovett)医師と相談したドレイパー先生は、FDRの努力を目にしても“絶望的”と考えていた。

FDR Swiming poolFDR Swiming Pool 22
(左 : プールサイドに坐るFDR / 右 : 水中でリハビリに励むFDR )

  だがFDRは諦めない。復活のために彼はリハビリを続けていたという。FDRは若い頃、水泳を嗜んでいたので、水に浸かって脚の筋力を取り戻そうと考えたのである。水中なら脚への負担が軽減されるので、水泳が最も有効な手段に思えたのだ。(上掲書、p.31) FDRは友人に向かって「再びゴルフをするんだ」と意気込んでいたが、それは不可能に近い夢であった。でも、プールに浸かって2時間もリハビリに努めたというから凄い。さらに、FDRはこのリハビリを続けるため、1926年、ジョージア州のワーム・スプリングスに別荘を建てることにした。高額なヨーロッパ風のスパであったが、裕福なお坊ちゃんだから問題無し。当時の日本人じゃ考えられないけど、FDRは20万ドル(201,667.83ドル)以上の費用をかけてプール附のコテージ(プラス「1,200エーカーの森」)を建てたという。(上掲書、p.33)

Roos T McIntire 11( 左 / ロス・T・マッキンタイアー)

  しかし、運命の女神は残酷だった。FDRの麻痺は治らず、車椅子で大統領になることに。ただ特筆すべきは、段々と体が衰弱するFDRに対し、ホワイトハウスの侍医であるロス・T・マッキンタイアー(Ross T. McIntire)医師が採った治療方法である。大統領となったFDRには、どうしても避けられぬ会合があった。それは閣僚と議会指導者との会議だ。ところが、ローズヴェルト大統領は鼻孔の感染症で鼻の粘膜が腫れてしまい、仕事に支障が生じていたのだ。確かに、これでは鼻が詰まって呼吸が難しくなる。

  そこで、マッキンタイアー医師は腫れを止めて縮小させる方法を考えついた。1930年から40年代のアメリカでは、コカインを使って症状を緩和する方法が珍しくなかったので、躊躇わず試すことにした。ニューヨークで耳鼻科の専門医だったジョーダン・ジョセフソン(Jordan S. Josephson)医師によれば、内科医がコカインを使うのは普通で、治療薬というか対処療法の一種であった。コカインは細胞を収縮させ、即座に患者をリラックスさせる効果があったという。(Steven M. Gillon, Pearl Harbor : FDR Leads the Nation into War, New York : Basic Books, 2011, p.76)

  「コカインの吸引」といっても、中毒患者がよくやるような、机の上に麻薬をふりかけ、ストローで鼻から吸い込むという方法じゃない。綿棒を使って薄めたコカインを鼻孔に直接塗るというやり方だ。今では違法薬物だけど、第19世紀には医療用に使われたそうで、医者が麻酔薬として使っていたし、特効薬の成分にもなっていたそうだ。心理学の大家であるジグムント・フロイトは、コカンイを「魔法の薬」と呼んでいた。確かに、大ヒット商品の「コカ・コーラ」には、魅力的なコカインが含まれていたし、元々は頭痛薬として販売されていたのだ。

  ここで問題なのは、「大統領職を務めていたFDRが、どれほどのコカインを摂取していたのか?」である。特に気懸かりなのは、真珠湾攻撃の前とか、重要な外政交渉の時にも使っていたのかどうかだ。ウィンストン・チャーチルやヨシフ・スターリンとの会談なのに、合衆国大統領が麻薬でラリッていた”じゃ笑い話にならない。もし、気分が高揚し、米国に不利な取引を決めたら、国家にとっての重大な損害になる。暗黒街に精通するスターリンなら、このチャンスは見逃さないだろう。

  ちなみに、日本軍による「卑劣な奇襲(sneak attack)」というのは“計算尽くのレッテル”で、FDRやジョージ・マーシャル将軍は既に知っていた。だいたい、奇襲の前に演説の原稿が出来ていたんだから、プロレス並みの八百長だろう。後に、友人のハミルトン・フィッシュ(Hamilton Fish)下院議員が真相を知って激怒したのは充分理解できる。何しろ、悪名高い奇襲の当日、マーシャル将軍は記者に対し、11時25分までオフィスに行かず、乗馬のために外出中だったと述べていた。ところが、これは真っ赤な嘘だった。ヘンリー・スティムソン長官の軍事補佐官を務めていたジョージ・L・ハリソン(George L. Harrison)は、10時頃、マーシャル参謀長を陸軍長官室で見かけたというのだ。そして、彼は実際に将軍と会って話をした、と述べている。(Hamilton Fish, Tragic Deception, Old Greenwich : Devin-Adair, 1983, p.109) マーシャルの副官だったジョン・ディーン(John R. Dean)中佐や海軍のアーサー・マッカラム(Arthur McCollum)中佐も同様な話をしていたから、ハリソンの証言は確かだろう。

Harry Hopkins(左 / ハリー・ホプキンス )
  FDR本人はコカインの投与を知らされていなかったから、マッキンタイアー医師の治療で呼吸が楽になったと思うくらいだった。しかし、どうしても気になるのは、FDRの側近だったハリー・ホプキンス(Harry Lloyd Hopkins)が、カイロ会談(1943年11月22日)やテヘラン会談(1943年11月28日~12月1日)、ヤルタ会談(1945年2月4日~11日)で何を大統領に吹き込んだのか、という点である。この左翼補佐官はソ連の膨張政策に協力的で、原爆の情報をヨシフ・スターリンに流していたと告発されるくらいの人物であった。となれば、判断能力の衰えたFDRに優しく囁き、ソ連に有利なアドヴァイスを与えたとしても不思議じゃない。

Yalta conference 0032FDR 0023
(左 : ヤルタ会談でのFDR / 右 : 眉に黒色腫が出来たFDRと除去手術後の別人みたいなFDR)

  「鮪(マグロ)と女郎は皮まで無駄にしない」というのが悪党の常識だが、アメリカの闇組織もボロ雑巾を擦り切れるまで使うようだ。さすがに、第三期目になるとFDRの体調は見るからに悪化し、記者会見にも出せない状態となっていた。それゆえ、大統領が正常な判断能力を以て会談に臨んだとは思えない。何しろ、FDRは癌に冒されていたから、ヤルタ会談の頃にはかなり弱っていたはず。大統領を診察していたハワード・ブルーエン(Howard G. Bruenn)医師によれば、FDRの左眉に出来た黒色腫(melanoma)は皮膚癌の兆候だった。案の定、FDRは左目が見えなくなっていたから、相当なレベルで脳腫瘍も進行していたのかも知れない。晩年の顔写真を見ると別人のようだった。だから、一部のアメリカ人が不審に思い、「影武者がいるんじゃないか?」と疑っていたのである。『Strange Deathh of Franklin Roosevelt 』を書いたエマニュエル・ジョセフソン(Emanuel Josephson)も怪しんでおり、別人が記者会見に現れた、と思っていたそうだ。

George Creel 111( 左 / ジョージ・クリール)

  1944年11月7日に異例の四選を果たしたFDRは、1945年4月12日、ワーム・スプリングスの別荘で息を引き取る。享年63。死因は高血圧による脳出血と発表されたが、本当にこれが原因なのか、そして4月12日が命日なのかも判らない。FDRと親しいマッキンタイアー医師は、死亡当日にワーム・スプリングに居合わせなかった。そこで、代わりにジャーナリストのジョージ・クリール(George Creel)が死亡証明書に署名を行っていたというから驚きだ。これは実におかしい。だいたい、遺体の検死すらやっていないんだから、何がが死亡原因だったのか特定できない。もっと怪しいのは、FDRの死後、彼の治療記録が紛失していたことだ。(Steven M. Gillon, Pearl Harbor : FDR Leads the Nation into War, p.75) もしかすると、側近の誰かが“不都合な真実”を隠すために書類を奪ったのかも知れないぞ。
https://kurokiyorikage.doorblog.jp/archives/68991888.html

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