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100年前の日本人の笑顔
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投稿者 中川隆 日時 2021 年 1 月 21 日 19:47:54: 3bF/xW6Ehzs4I koaQ7Jey
 

(回答先: 日本人の「おもてなし」の精神の起源 投稿者 中川隆 日時 2020 年 3 月 05 日 08:45:17)

100年前の日本人の笑顔 2021年01月21日
http://tokaiama.blog69.fc2.com/blog-entry-1380.html


 この数年、YouTubeに100年前シリーズで、昔の庶民の生活写真をアップしてくれている人がいて、若い頃、民俗学を志した私は、それを夢中になって視聴して、100年前の社会に浸りきっている。




 ちょうど、亡くなった祖母の若い頃、母親が生まれた時代なのだが、60年前の私の子供時代と比べても、それほど大きな差異はないように思えるのだが、現代の人々と比べると、極端な違いが感じられる。


 何が違うかというと、女性や子供たちの笑顔だ。
 100年前の笑顔は、どれをとってみても屈託がなく、人間性の素朴さ、裏表のなさが溢れている。
 翻って、現代の女優さんやモデルさん、若い女性たちの笑顔は、昔と比べて格段に美しいのだが、一方で、裏表と心に秘め隠したものがちらついていて、とても素朴とはいえない。


 それを分析するのは難しいが、昔の人にあって、今の人にないものを考えると、それは「共有と連帯」ではないだろうか?
 昔の庶民には、「私的所有」という概念が乏しかった。「みんなで一緒に生きている」という連帯感が強く感じられて、一人の個人が評価されたり、特権を与えられたり、他の人に君臨したりという差別感がなかったのだ。


 だから、ありふれた笑顔に「自分を守る」という自意識が少なく、他人と喜びを共有し、連帯しているという心のありようが、非常に強く出ている。
 ところが、現代の美女たちの写真には、「自分を守る」強固な自意識が滲み出ていて、自分の権利、自分の財産、自分のもの、を大切にして、他人に奪われないようにする警戒心が笑顔に影を落としている。


 つまり、昔になくて、現代にある「差別感」が写真から漂ってくる。
 昔の人は、「私有意識」が少ないから、周囲の誰とでも喜びを共有し、悲しみも共有し、なぐさめあうことができた。だから裏表のない「屈託のない笑顔」を共有することができた。


 例えば、潮干狩りでアサリをたくさん獲ってきた女性がいるが、彼女の笑顔は、「財産を独占できた」からではない。海の恵みは、みんなの共有財産で、自分がたくさん獲ってきても、帰宅すれば、大半を近所に分け与えてしまう。
 彼女は、自分のアサリが他人の口に入って生み出される笑顔を得れば十分なのだ。そうだ、昔の人々は「笑顔」を食べて生きていた。
 だから、こんなにも笑顔が多いのだ。


 100年前の笑顔は、当時の社会性と、これからの人間社会のあり方に大きな示唆を与えてくれる。
 我々は、再び100年前の屈託のない笑顔を取り戻さなければならないのだと。
 それには、ガチガチに凝り固まった「私有意識」や、「差別観念」から解放されなければならないのだろう。
 
 人間を出自や財産や学歴で序列をつける儒教の秩序は、江戸時代では支配階級だけにあったものだ。庶民には無関係の価値観だった。
 庶民は、一つの集団=共同体に埋もれて生きていた。自分個人が突出して権力を得ようとか蓄財しようなどと志す者は非常に少なかった。
 「みんな」というのが個人よりも大きな、大切な単位だったのだ。


 これから、コロナ禍がもたらす新しい社会秩序は、たぶん学歴や財産ではなく、「みんなで助け合って生きてゆく」という、かつてはありふれていた価値観に戻ることになるだろうと私は思う。


 財産も権威も学歴も、豪邸も高級車も、美人もイケメンも何の価値もない。
 ただ、人々の笑顔に接することだけが人生最高の価値になってゆくだろう。
 そんな時代が来るとすれば、コロナ禍による焼け野原も歓迎だ。


 「起きて半畳、寝て一畳。天下取っても二合半」というのは、信長が言ったわけではあるまい。
 「人の一生は重荷を負うて遠き道を行くがごとし。急ぐべからず」というのも家康が言ったわけでもあるまい。どこか市井の庶民の老人が、若者たちへの訓として述べた言葉に違いない。


 この意味は、「決して背伸びしてはいけない。あるがまま、なすがまま、自分の力を冷静に見極めよ」ということであり、「焦らずに、ゆっくり前を向いて歩いて行け」という意味だろう。
 翻って、今はどうか?
 どこもかしこも競争だらけ、人生を焦らせ、背伸びさせ、無理をさせる環境ばかりだ。
 そんな窮屈で愚かな環境のなかで、冒頭に掲げた「笑顔」が生まれるものか。


 素晴らしい笑顔というのは、無理せず、あるがまま、なすがままに、人の幸せを共有して生きている庶民だけが持っている至宝なのだ。


 釈迦の弟子だった比丘尼が言った。
 「霊の世界があるならば、それに応じた供養、対応をしなければならないのではありませんか?」
 釈迦は言った。
 「比丘尼よ、見えない霊の世界など考える必要はない。あなたの見えるもの、聞こえるもの、触るものを大切にして生活しなさい」


 これは何を言っているかというと、「人生を送るにあたって、見えない価値に心を奪われてはならない。私たちが、生きていて、見えるもの、触れるもの、聞こえるものに従って生きよ」
 という意味で、まさしく冒頭に掲げた100年前の笑顔の本当の意味なのだ。
 100年前の笑顔には、「FXで損したらどうしよう、彼氏がイクメンでないから嫌だ、金が足らない、私より美しい者がいる」、とかの夾雑観念はない。


 ただ、周囲にいる人を大切にし、人の笑顔に導かれて生きていた。これが釈迦の到達した悟りではないだろうか?
http://tokaiama.blog69.fc2.com/blog-entry-1380.html
 

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コメント
1. 2021年1月23日 18:07:51 : C262U7JCBk : TFpjbTFDOE1tbGs=[31] 報告
昔、そのまた昔、人々は、個人で生きていたわけではなかった。「その人」ではなく、「一族=部族=一団」とでも表現すべき、集合体で生きていた。

 それは例えば、白川郷あたりの記録をみれば、明治時代まで、一軒の合掌造りで、数十名の人々が共同生活をしていて、柳田国男の秋風帖には荘川で最大42名が一軒に住んでいたと書かれている。

 そこに、個性はあっただろうが、「自分を強く意識する個的自我」は少なかっただろう。男女は別々の部屋で居住し、結婚(性交)は、一つ屋根の同居人とは固く禁止され、必ず他の屋根の異性でなければならなかった。
 もちろん、これは遺伝病を出さないための洗練された「生活の知恵」だった。

 合掌造りには、茶室のような小さな「にじり戸」が設けられ、それが異性に逢いにゆく扉だった。
 性交は、小さな出作り小屋などで行った。生まれてくる子供は、一つ屋根の「みんなの子」だった。一応、男女の関係は特定されていて、もしも、他の異性と浮気でもしようものなら、集落全体から口を極めて罵られたと書かれている。

 人々は、「個人としての人生」を送るのではなく、家に付随した「みんなのための人生」を送った。そこでは「一人はみんなのために、みんなは一人のために」という共同体の合理的な関係があり、白川郷では、人の自我は、その家に付随したものと考え、いわば、珊瑚が一つ一つの胞子に独立しながら、全体で「共生体」を作り出して、それが「一個の存在」であるかのように、人の心は「全体像」を見せても、独立したものではなかった。

 私は、若い頃から全国の山を歩き、「限界集落」を多く見てきた。数十名にまで減った小さな集落では、一人一人に集落を守るための大切な役割があって、一人一人の個性の集合体が、集落の命を司っている。
 そんな不便な限界集落に、国や自治体が道を拓くと何が起きるか? それは限界集落に便宜を図って作られたのに、道は限界集落にとどめを刺す残酷な剣として作用する。
 「拓かれた道」を通って、人々は、そこから出ていってしまうのだ。

 白川郷でも同じことが起きた。冬になれば5メートルもの積雪のある白川郷では、その閉鎖性故に、人々の共有と団結があったのだ。
 そこに、資本主義と道がやってきた。

 戦国時代から、白川郷は「煙硝つくり=鉄砲火薬」に適した環境として知られ、加賀藩は、「お留め村」として外部との出入りを遮断して、白川郷の住民に煙硝作りに当たらせていたのだが、それも明治維新とともに廃れた。
 代わって入ってきたのが生糸産業のような資本主義だった。
 それは高山や岡谷などで最初に一大産業として勃興し、女工さんの人手を求めて、飛騨一帯の娘たちが駆り出されるようになった。

 白川郷からも、娘たちが、白骨や野麦峠を経て高山や松本、岡谷に斡旋されるようになった。
 これが白川郷の共同体を崩壊させた。娘たちは苛酷な労働であっても、そこで稼ぐようになり、一個の個性と自我を成立させていったのだ。

 ひとたび、「個人生活」を知った娘たちは、元の共同体合掌集落に帰りたがらなくなった。六畳一間に10名以上が寝るような生活に戻りたくなかったのだ。そこには個人的自由が存在しなかったのだから。

 一つの共同体では、一人一人に共同体を支えるための大きな役割が課されている。食料生産、家事、介護、子育て、祭祀など、それは決して楽ではないが、共同体の一員として、集落全体をも支える大切な生活要素だった。
 だが、資本主義は、そんな共同体から情け容赦なく、大切な「細胞」を奪っていった。

 とりわけ、若い娘たちが高山や岡谷に出るようになると、合掌造りを支えてきた要素、介護や家事、祭祀が崩壊してゆく。子供が減ってゆく。遺されるのは老人ばかり。
 老人は、孤独に埋もれて朽ちてゆかねばならなくなった。
 共同体では、若い娘に子供が生まれてきて、子供たちは、老人たちの愛と教育をいっぱいに受けて、その死を見ながら育ってゆくのだ。

 老人にとって、子供たちに、自分の人生で得た、すべての知識と経験を教えながら、自分の死に様を見せて去ってゆくというのが、共同体生活の神髄なのだ。

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