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「神隠し」という殺人事件
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投稿者 中川隆 日時 2020 年 4 月 11 日 19:49:55: 3bF/xW6Ehzs4I koaQ7Jey
 

(回答先: 田舎の権力者の犯罪 投稿者 中川隆 日時 2020 年 2 月 16 日 12:52:28)

「神隠し」という殺人事件


心霊スポットに出掛けた“少女2人”が謎の失踪……伝説の廃墟・坪野鉱泉を巡る「神隠し事件」24年目の真実
鹿取 茂雄 2020/04/11
https://www.msn.com/ja-jp/news/national/心霊スポットに出掛けた“少女2人”が謎の失踪……伝説の廃墟・坪野鉱泉を巡る「神隠し事件」24年目の真実/ar-BB12tc16?ocid=ientp


 3月4日、富山湾の海底から1台の車が引き上げられた。この車は、1996年から行方不明となっていた2人の少女が失踪当時に乗っていたものであり、中からは複数の人骨が発見された。状況から考えて、2人のご遺体とみて間違いないだろう。

 行方不明になってから24年の時を経てご遺体が発見されたというだけでも数奇なものを感じるが、私はそれ以上に大きな衝撃を受けた。この事件のことは、以前からずっと気になっていたからだ。

「肝試しに行く」と言って姿を消した少女たち

 事件のはじまりは、1996年5月5日夜のことだった。当時19歳だった2人の少女は、家族に「肝試しに行く」と言って富山県氷見市内の自宅を出発した。その後、友人のポケットベルに「今魚津市にいる」というメッセージを残し、行方不明になった。


北陸随一の心霊スポットとして知られる“坪野鉱泉”© 文春オンライン 北陸随一の心霊スポットとして知られる“坪野鉱泉”
 魚津市には、北陸随一の心霊スポットと言われている廃墟がある。1982年に廃業した8階建ての温泉旅館で、通称“坪野鉱泉”と呼ばれている。夏場には肝試しの若者たちが集まり、富山県内外の暴走族の溜まり場にもなっていた。

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 富山県警は2人が坪野鉱泉に出かけて消息を絶ったと判断し、事件・事故の両面で捜査を開始。ヘリコプターを投入して大規模な捜索も行われたが、手がかりが掴めないまま歳月が過ぎていった。そのうち、坪野鉱泉の廃墟で暴走族に殺されて埋められたのではないかという噂や、北朝鮮に拉致されたんじゃないかという噂まで囁かれるようになり、巷では「神隠し事件」とも呼ばれ始めた。

実際に現地に行ってみると……

 私がこの坪野鉱泉に興味を持ち、現地を訪れたのは2006年のことだった。もともと廃墟が好きで全国を巡っていたが、事件のことを知り、現地を自分の目で見たくなったのだ。

 夏の日の早朝、内部に足を踏み入れると、日が昇っているというのに薄暗く、足元が全く見えない。下階の窓が板で打ち付けられているため、光が入らないのだ。いたる所に落書きがあり、窓やドアばかりではなく壁や天井まで破壊されている。

 暴走族やヤンキーと呼ばれる人たちには幽霊を怖がる傾向があるのか、破壊して恐怖を紛らわしているように感じる。天井や壁までもが破壊されているのは、金属泥棒が配線の銅を盗んでいった跡だろう。

 全国の廃墟を巡っていると、金属泥棒の痕跡を見つけるだけではなく、そこが盗品の置き場になっている光景を目にすることもあった。廃墟は犯罪の温床になりやすく、治安は総じて悪い。

女子中学生が廃墟で殺害された事件も

 かつて神奈川県にあった病院の廃墟を訪れた際には、数十人の暴走族に囲まれたこともあった。その時は私一人だけで廃墟から出てきたので不気味がられて事なきを得たが、もしも女性だったら危なかったかもしれない。

 実際、廃墟で事件も起きている。2004年、千葉県にあるホテルの廃墟で、女子高校生が5人の少年らに拉致されたうえ暴行殺害される凄惨な事件が発生した。2006年には岐阜県にあったパチンコ店の廃墟で男子高校生が女子中学生を殺害する事件が発生。最近だと2017年に愛知県のラブホテルの廃墟で、刺殺された男性の遺体が発見された。

 必ずしも廃墟に出かけて行って事件に巻き込まれた訳ではないが、廃墟には常に危険が付きまとう。事件だけではなく、転落死などの事故も度々起きている。

 そして坪野鉱泉は、廃墟は危険な場所である、ということを示す象徴的な存在として、廃墟を訪れる者に対して警鐘を鳴らし続けてきた。

遺体は40キロ離れた港で発見された

 しかし、行方不明になっていた2人のご遺体は、坪野鉱泉ではなく、そこから40キロも離れた射水市の伏木富山港で見つかった。車で移動すると1時間を要する距離だ。

 位置関係としては、自宅がある氷見市と坪野鉱泉の間に伏木富山港があり、彼女たちが友人のポケットベルに「魚津市にいる」というメッセージを残していることから、坪野鉱泉を訪れた帰り道に伏木富山港に立ち寄ったものと推測される。

 私が地元の人に話を聞いたところ、伏木富山港周辺は深夜でも若者が集まるスポットになっており、少女2人が立ち寄ったとしても不思議はないという。

 では、彼女たちは本当に、廃墟で事件に巻き込まれた訳ではなかったのか。個人的には、疑問も残る。直前に訪れた坪野鉱泉と関連がある可能性も完全には否定できない。また、ご遺体発見までに24年間という非常に長い歳月を要しているが、これこそ本事件最大の謎というべきだろう。

目の前で車が転落したのに沈黙していた目撃者

 ご遺体が発見される経緯を時系列に沿ってみていくと、より謎が深まる。彼女らが消息を絶ったのが1996年、それから18年後の2014年に、県警は目撃者が複数いるとの情報を得ている。さらに5年後の2019年に目撃者3人を特定、今年に入ってから事情を聞いていた。その内容を元に海底の捜索を行い、車とご遺体が発見されたのだ。

 目撃者から聞き取った話は、とても24年前の出来事とは思えないぐらい具体的なものだった。1996年の大型連休中の深夜、発見場所付近の駐車場で車に乗った若い女性2人に声をかけようとしたところ、突然後ろ向きに発進して海に転落した。目撃者は怖くなり、通報せずにその場を立ち去ったという。

 おそらく多くの人が感じることだと思うが、人が乗った車が目の前で海に転落したのに、通報せずに立ち去るものだろうか。その時点で通報していれば、彼女たちは助かっていた可能性もある。警察に通報できない何らかの事情があったと思うのは、下衆の勘ぐりだろうか。また、県警が目撃者の存在を把握してから聞き取りを行うまで、さらに6年を要している。全てにおいて、あまりにも時間がかかりすぎている。

謎は永遠に解明されることはない

 警察の発表によると、車内から発見された人骨は死後10年以上が経過しており、死因はおろか年齢や性別も特定できなかった。車の識別番号や車内にあった所持品から、身元を推定したようだ。死因が特定できない以上、もしも殺人等の事件だったとしても、立証することは不可能に近い。立件できるとしたら死体遺棄罪ぐらいだろうが、既に15年以上が過ぎ、公訴時効が成立している。

 坪野鉱泉の廃墟との関連性、あまりにも長い時間の経過、そして24年後の目撃証言。ご遺体の発見で一応の解決をみたが、全ての謎が解明されたわけではない。むしろ、謎はさらに深まったともいえる。しかし、警察が事件として扱わない以上、それらは今後も解明されることはないだろう。永遠に。

 19歳の少女が亡くなり、その後24年もの長い間、冷たい海底に沈んでいた。彼女たちが生きていたら、今年で43歳だ。その無念、ご遺族の心境は、察するに余りある。心からお2人のご冥福をお祈りしたい。

https://www.msn.com/ja-jp/news/national/心霊スポットに出掛けた“少女2人”が謎の失踪……伝説の廃墟・坪野鉱泉を巡る「神隠し事件」24年目の真実/ar-BB12tc16?ocid=ientp
 

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コメント
1. 中川隆[-13258] koaQ7Jey 2020年4月11日 19:54:28 : 8AFzBVbKDo : NXRHZUxHekZQOU0=[-7] 報告
世間には「犯罪とは都市で起こるものであり日本古来の農村地帯は牧歌的で秩序だっていて、近代の都市部とは違い平和で犯罪はなかった」という誤解があります。

しかし、そういう閉鎖された農村地帯とか地方コミュニュティーというのは実は陰鬱でおかしな犯罪の温床でもあったのです。

例えば、間引き、夜這い、村八分、村の権力者による暴行、強姦、犬神や狐憑き殺人のような迷信や因習に縛られた暴行事件、実は殺人事件であった神隠しなど犯罪行為はゴロゴロありました。

まあ村の女性がレイプ同然に暴行されてたり、村のある一家が村八分で酷い目に合わされたり、嬰児が大量に間引きで処理されても、お上には訴えられず表立った犯罪にはなりにくいということはありますけどね。

「昔は村や地元の秩序状態が犯罪にはなりにくい犯罪を誘引していた」が正解です。

ただ、夜這いについては現代では少々、誤解があり、まるで村の女性が村の男に有無を言わさずレイプされてしまうよう言われてますが、実際は当時の独身女性には貞操観念などなく、しかもセックスは最大の楽しみであり、村の女性たちは

「村の男が私を悦ばせにやってくる」と夜ワクワクして床についたそうです。

薩摩だったかの逸話に村の男が男色に耽り女性とのセックスをサボりだしたのに怒った女性たちが、男たちが集まって男色している所に殴りこんで乱闘になったという逸話すらあります。

「当時の村の女は夜這いによって無理矢理犯された哀れな性奴隷であった」
という現代の誤解は「女性が自分の意思でセックスを求めるわけがない」という歪んだ女性像から来ています。

第二に女性の側にちゃんと自分の体調や相手によっては拒否権があり、
もしも、それを破って強引な夜這いに及んだ男は村八分などの制裁を受けます。
つまり夜這いは「村の男女の性の捌け口であり最大の娯楽」という男女共に楽しめる平等なものでした。

しかし、これもあくまで過去の時代の話しで現代では夜這いは一般的風習にそぐわない単なる犯罪行為になってしまったのも事実です。 夜這いの習慣の名残は各地でトラブルを生みました。

例えば単なる旅行者の女性が村の若者に村の夜這いの習慣によって集団レイプされた事件とか南九州で東京から来ていた女性が地元の男に略奪婚の習慣で拉致されて、親子ともども「うちにもやっと嫁さんが来た」と泣いて喜んだ事件とか表立った騒ぎになった事件がいくつもありました。

あと名張毒ブドウ酒事件とか津山三十人殺しも動機は夜這いのもつれらしく、陰鬱な農村型犯罪です。

他に月ヶ瀬村の殺人や殺人事件とは思いにくいですが「便層で死んだ男」事件などもそのカテゴリでしょう。
http://pandaman.iza.ne.jp/blog/entry/526459/

これが日本の農村の風俗


30年前に徳山ダム予定地で水没する運命だった徳山村に入って民俗調査したとき、飲み屋のママが「「毎晩、若い衆が「やらせろ」と忍んでくるので本当に困る」」 とこぼしていた。徳山など西日本の閉ざされた村では、後家さんが若衆の性教育をする義務があった。

 女子は初潮が来れば離れに住まわせ、赤飯を配った。これが「おいで」の合図で、その晩から近所の若衆が娘の元に夜な夜な忍んでくる。これを「夜這い」と呼び、1960年代まで、西日本では、ありふれた習俗だった。

 当然、子供ができるが、お腹が膨らめば、娘は忍んできた若衆のなかから一番気に入った男を夫に指名する権利があった。若衆は、これを拒否することはできなかった。もし拒否すれば、村から叩き出されるほどの指弾を浴びた。 

夫指名はお腹の子の種男である必要はなかった。どうせ、生まれた子供は、村の共同体みんなで育てるのであって、誰の子でも構わないのだ。子供は村全体の財産であり、みんなで育てる義務があった。村の共同体では、困ったことは、みんなで相談して解決するのであって、一人でも飢える者を出すことは許されず、餓死するときが来れば、みんなで一緒に餓死したのである。そこには貧しくとも、孤独という苦悩は皆無であった。 
やがて若衆が都会に出るようになり、都会の家畜的労働者の習俗を村に持ち帰ることによって、夜這いも廃れ、共同体も瓦解していったが、祭りなどには、そうしたフリーセックスの習慣が遅くまで残り、1980年代まで村の祭りは無礼講であり、どの人妻と寝ても良かった。

できた子供が、父親の子である必要があるのは、権力と財産を相続する必要のある名主や武家に限られいて、共同体生活をしてきた民衆には、受け継ぐべき権力も財産もなく、したがって父の子を特定する理由がなかったのである。
http://blog.livedoor.jp/hirukawamura/archives/1805329.html



「夜這い」

 筆者は若い頃から民俗学が大好きで、宮本恒一の熱狂的ファンを自認し、その真似事をしながら、山登りの途中、深い山奥の里を訪ねて、その土地の人と世間話をしながら、新しい民俗的発見をすることを楽しみにしていた。

 かつて、揖斐川の上流に徳山郷 という平安以前に起源を持つ古い村があって、その奥に能郷白山や冠山という奥美濃山地(両白山地)の名峰があり、このあたりの山深い雰囲気に惹かれて何度も通った。今は無意味な形骸を晒すのみの巨大なダム底に沈んだ徳山の里は、筆者の足繁く通った1970年代には、いくつかの立派な集落があり、春から秋までは渓流釣りマニアでずいぶん賑わったものだ。

 そのなかに、名古屋からUターン里帰りした中年女性の経営する小さな飲食店があった。そこでよく食事をして世間話に興じながら、おばちゃんに村の事情を聞いていたが、実におもしろい話がたくさんあった。

 一番凄いと思った話は、近所の農家の中学生の娘が妊娠したことがあったが、その相手は祖父だったという。しかし、当時の徳山では、この程度は全然珍しいものでなく、ありふれていると言ったことの方を凄く感じた。

 夜になると近所の若者が飲みにくるが、必ず店仕舞のときまでいて「やらせろ!」としつこく強要し、うっとおしくてかなわないという話や、この村では後家女性がいれば、婿入り前の若者たちの性教育係を務めるのが村の伝統的義務とされているというような話も驚かされた。

 参考までに、昔の性事情を知らない若者たちに言っておくが、戦前の日本では、とりわけ西日本における古代弥生人の末裔たちの里にあっては、国家によって定められた一夫一婦制結婚形態というのはタテマエに過ぎず、それが厳格に守られた事実は存在しない。つまり適当なものであった、というより、民衆レベルでは自由な乱交が当たりまえであって、生まれた子供が自分の子供である必要はなかった。

 というと、ほとんどの若者たちが「ウソー!」と驚くに違いないが、これが真実なのだ。例えば一番典型的だった中国山陽地方の集落では、一つの集落で、結婚まで処女を保つ娘は皆無だった。初潮が始まると、親が赤飯を炊いて近所の若者宅に配る。それが「おいで」の合図となる。その日から娘は離れの座敷に寝泊まりするのである。

 これは、山陽地方(西日本の古い農家といってもいい)の古い農家の作りを見れば分かる。必ず夜這いのための娘の泊まり部屋が設けられていたはずだ。古い民俗家屋展示を見るときは、昔のこうした光景を見るのだ。すべての構造に歴史の深い意味が隠されていると知ってほしい。

 若者の男たち、ときには、なりすましの親父たちも、赤飯の出た家に夜這いをかけて、初々しい少女を抱いて性欲を満足させたわけで、これなら風俗性産業が必要なはずがない。昔だって男たちに強烈な性欲があった。それが、どのように処理されていたか? 考えながら、赤線・性産業の由来・必要性を考えるのだ。

 夜這いの結果、もちろん子供ができてしまうわけだが、生まれた子供が誰の子であっても、事実上関係ない。子供の父親を指名する権利は娘にあった。別に実の父親である必要はなかった。夜這いをかけた誰かの内、一番好きな男を父親に指名するのである。これが、やられる側の娘の権利であった。

 夜這いを拒否することは、男にとって大きな屈辱だった。そんなことをすれば後々まで男に恨まれて「八つ墓事件」のような事態が起きかねない。津山殺戮事件の裏には、こんな背景も考える必要がある。

 父親を特定することが意味を持つのは、子供たちに受け継がせるべき財産・権力のある有力者に限られていて、持たざる民衆にあっては、受け継がせるべきものもなく、名もない我が子種を残す必要もなく、したがって、女房が誰の子を産もうと、どうでもよいことなのである。

 生まれた子供は「みんなの子供」であった。集落全体が一つの大家族だったのだ。みんなで助け合って暮らし、みんなで子供を育てたのであって、小さな男女の家族単位など、権力が押しつけたタテマエ形式にすぎなかった。

 タテマエとしての結婚家族制度は、明治国家成立以降、政権が租税・徴兵目的の戸籍制度整備のために、それを強要したのである。

 それは権力・財産を作った男性の子供を特定するための制度であった。それは名主・武家・商家・有力者などの権力・財産を「自分の子供に受け継がせたい」インテリ上流階級にのみ意味のあることであり、このために女性を婚姻制度、貞操に束縛したのである。

 農民をはじめ一般大衆にとっては、束縛の多い不自由な一夫一婦制など何の意味もなく、たとえ配偶者がいても、誰とでも寝るのが当然であり、生まれた子供は「みんなの子供」であって、集落全体(大家族)で慈しんで育てたのである。

 このようにして、かつての日本では夜這いに見られるような自由な性風俗に満ちていた。「集落全体が大家族」という考え方で助け合い社会が成立していて、夫を失った後家は、若者たちの性教育係になり、冒頭の飲食店のオバサンも、徳山の若者たちから、そのように見られていたわけで、決して徳山の若衆が性的変態だったわけではない。

 そうした自由な性風俗は1960年あたりを境にして、急速に失われていった。その後、読者が知っているように、女性に貞操観念が求められるようになった理由は、世の中全体が豊かになり、個人が財産を蓄積する時代がやってきたことによるのである。

 豊かになれば財産を「自分の子供」に相続させたくなる利己主義が芽生えるのである。「自分子供」を特定するために、誰の子かはっきりさせる必要があり、女性の自由な性を抑圧し、貞操観念に閉じこめる必要があった。
http://protophilosophy.noblog.net/blog/t/10590234.html

2. 中川隆[-5138] koaQ7Jey 2021年4月28日 16:56:49 : hXgPIRrCOI : QW03RVRmUlRTU2c=[30] 報告
【ゆっくり解説】坪野鉱泉 行方不明事件 2020年に進展が、
2021/04/28




3. 2021年5月04日 08:15:22 : 6g3hl1MK3s : ZGxQcUswWnJzNVk=[28] 報告
【ゆっくり解説】日本で実際に起きた神隠し事件3選
2021/04/23に公開済み




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