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売国政治家列伝 _ 小泉進次郎
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/791.html
投稿者 中川隆 日時 2020 年 4 月 15 日 19:16:52: 3bF/xW6Ehzs4I koaQ7Jey
 

(回答先: 売国政治家列伝 _ 小泉純一郎 投稿者 中川隆 日時 2020 年 4 月 15 日 18:49:21)


売国政治家列伝 _ 小泉進次郎


今、大人気の小泉進次郎は場の親密性を優先し、揉め事を嫌い、誰の意見に対してもにこやかに応接する非常にできた人物
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/627.html
 

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1. 2021年3月06日 09:31:34 : aEPWmwZz6g : ZGV2Z1VubE9GcFE=[3] 報告
橋洋一チャンネル 第113回 
小泉純一郎のホントの顔【前編】 実は仕事が嫌いで○○ばかり!




橋洋一チャンネル 第114回 小泉純一郎のホントの顔【後編】 拉致被害者奪還と外交力


2. 2021年7月07日 21:12:07 : bF59wLRM6s : Yy5DZEc4U0E3Rms=[3] 報告
【ゆっくり解説】小泉進次郎は本当に無能なのか、検討してみる
2021/07/07






動画で話し忘れましたが、進次郎は日本の二酸化炭素の排出量の数値目標を問われた際、46%と答えました。理由を聞かれると、朧気ながら浮かんできたと答えました。やっぱりやばいね。
3. 中川隆[-17352] koaQ7Jey 2021年8月08日 06:48:47 : nuwvXQTCPk : UGxwQzNyckhmQWc=[11] 報告

2021年08月07日
進次郎は「人質」だった / 悪魔の巣窟コロンビア大学
肩書・学歴のみを重視する日本人
http://kurokiyorikage.doorblog.jp/archives/68867197.html


Koizumi Shinjiro 001Koizumi Juniciro 002Koizumi Junya 1Koizumi Matajiro

(左 : 小泉進次郎 / 父親の小泉純一郎 / 祖父の小泉純也 / 右 : 曾祖父の小泉又次郎 )

  日本人は平等思想を好むが、その裏で学歴や家系を非常に尊ぶ。確かに、我が国は民族的同質性が極めて高く、西歐的な階級社会とは程遠い。だから、善悪は別にして、何らかの「差別」が必要になってくる。人間は平等を愛していても、時折、他者との違いを求め、どちらが優位なのかを知りたくなる。とりわけ、日本人は全国何処にいっても似たり寄ったりの顔つきで、貧富の格差も少ないから、より一層色々な「格付け」に興味を抱く。天皇陛下の目から見れば、百姓でも将軍でも「同じ日本国民、陛下の赤子」だから、日本は稀に見る平等社会なんだけど、ちょっとだけ「序列」をつけて「差別」わ楽しみたくなる。日本人が学校の試験とかスポーツの競技に夢中になるのは、ランキングの刺戟を求めているからだろう。

Arleigh Burke 221(左 / アーレイ・バーク )
  最近発売された『週刊新潮』の記事によれば、小泉進次郎は「親爺の人脈」や「特別待遇」とやらで、コロンビア大学の大学院や、世界的に知られるCSIS(戦略国際問題研究所)に入ったそうだ。ちなみに、この「CSIS(Center for Strategic and International Studies)」というのは、1962年、ジョージタウン大学に創設されたシンクタンクのことで、主導者は合衆国海軍の高名な提督たるアーレイ・バーク(Arleigh A. Burke)と、レーガン大統領の特別補佐官を務め、国務省勤務からNATO大使になったデイヴィッド・マンカー・アブシャー(David Manker Abshire)である。国家論や軍事・外政を勉強している者にとって、有力者が集まるCSISは馴染みが深く、「フーバー研究所」や「ケイトー研究所」、「ヘリテージ研究所」と肩を並べるシンクタンクだ。一般国民だとバーク提督を知らない人もいるだろうが、テレビやラジオの番組でミサイル駆逐艦(イージス艦)「USSアーレイ・バーク」の名を聞いたことはあるんじゃないか。

  気候変動サミットに参加した進次郎は、「セクシー発言」で注目を集め、「ポエム的発想」で話題となった環境大臣だけど、その英語力は留学経験で磨かれていた。2004進次郎は年に関東学院大学を卒業し、父親(純一郎)の「後押し」で難関のコロンビア大学院に入ったそうだ。しかし、その「入学」には関東学院大学の教授と国際関係学研究所の天川由記子(あまかわ・ゆきこ)所長が絡んでいたという。母校の教授は小泉家からの接触を受け、コロンビアに行きたい進次郎の希望をどうしたらよいのかと悩んだらしい。そこで、知り合いの天川に相談してアドバイスを求めたから、今回の暴露記事になったそうだ。進次郎はコロンビア大学で日本の政治を専門にするジェラルド・カーティス(Gerald Curtis)教授のもとで学びたかったそうで、父親の純ちゃんも息子の願いを叶えたかったらしい。まぁ、藝人の「なべおさみ(渡辺修三)」も息子の「やかん(渡辺心)」を明治大学に入れたく、お金を使って替え玉受験をさせたから、どこの業界にも子煩悩な親はいるものだ。

Gerald Curtis 1Gerald Curtis 443(左 : ジェラルド・カーティス / 右 : 小泉総理と一緒のカーティス教授)
  一方、カーティス教授は日本のメディアにも度々登場した学者なので、「ああ、昔、TBSやテレ朝に時々出ていたアメリカ人教授かぁ〜」と覚えている日本人も多いだろう。カーティス教授もYKK(小泉、加藤紘一、山崎拓)とは顔馴染みだから、純ちゃんの「お願い」を聞き入れた可能性は高い。ここでは直接関係ないけど、カーティス教授の素性は知られておらず、どんな民族性なのか興味がある。

  米国人で日本の事を勉強する人にはユダヤ人が多く、合衆国陸軍で対日情報を扱っていたハーバット・パッシン(Herbert Passin)はコロンビア大学のユダヤ人教授であったし、合衆国海軍に属していたエドワード・サイデンステッカー(Edward George Seidensticker)は、カトリック信徒になったドイツ系ユダヤ人のアメリカ人。戦後、上智大学の教授となり、源氏物語を英訳したことで有名だ。モルガン・スタンレーMUFGの日本担当アナリストであったロバート・フェルドマン(Robert Alan Feldman)は、テレビ東京の「ワールド・サテライト・ニュース」に出演したり、政府の諮問委員会に参加したことで有名なユダヤ系アメリカ人である。現在は、東京理科大学で客員教授を務めているそうだ。日本に活動の場を移したマーティー・フリードマン(Marty Friedman)は、人気ロックバンド「メガデス」の元ギターリストで、流暢な日本語を話すユダヤ系アメリカ人。おそらく、歌手の相川七瀬を支持するファンや「タモリ倶楽部」の視聴者なら、フリードマンを知っているだろう。カーティス教授は、一体どんなアメリカ人なのか?

Herbert Passin 111Edward Seidensticker 111Robert Feldman 111Marty Friedman 001

(左 : ハーバット・パッシン / エドワード・サイデンステッカー / ロバート・フェルドマン / 右 : マーティー・フリードマン )

  それはともかく、肝心な問題は、進次郎の学力と英語力の方だ。中堅の関東学院でも「優等生」なら米国への留学も可能だが、進次郎の成績は「平均的」だったというから、卒業時の進次郎ではコロンビア大学への留学は極めて困難。(『週刊新潮』 2021年8月12・19日夏期特大号、p.153.) そもそも、留学の前提となる語学力(TOEFLの点数)だって「凡庸」であったというから、進次郎の留学計画は最初から破綻していたのかも知れない。ちなみに、この「TOEFLE」とは外人留学生に課せられる英語試験で、今は形式が違うけど、昔は満点が677点で、有名校だと最低でも620点から630点くらいは要求されたものである。

  その他、高校から学部への入学だと英語と数学によるSATという試験が課せられ、大学院への進学ならGREという難しい試験を受けなければならない。SATの方は簡単な数学と、ちょっと難しい英語の読解程度だから、日本人でも頑張れば合格点を取れる。しかし、TOEFLで躓く進次郎となれば、GREで合格点を取るのは不可能に近い。進次郎よりも前の世代だと、留学を希望する日本人は過去の試験を参考にしたTOEFLの問題集やGREの解説書を購入して勉強したものだ。(一般的に受験勉強はつまらないけど、日本人にとって英語で質問される数学の試験は新鮮だ。日本の学校に通っていると、理科や数学を英語の参考書で勉強する人は滅多にいないから。)

Victor Cha 001(左 / ヴィクター・チャ )
  話を戻す。相談を受けた天川氏は、面識のあるマイケル・グリーン(Michael Green)氏に連絡を取ったそうだ。「ジャパン・ハンドラー」として有名なグリーン氏は、ブッシュ政権で国家安全保障会議(NSC)に属し、大統領特別補佐官に就いた人物である。それゆえ、日本の総理から内々に「お願い事」を打診されれば、「一肌脱いでやるか !」と気張っても不思議じゃない。グリーン氏は早速NSCのヴィクター・チャ(Victor Cha / ブッシュ政権で北鮮問題を担当した補佐官)を紹介し、チャ氏に対しては「父親の跡継ぎだから、小泉家の御曹司を面倒見てね !」と頼んだらしい。そこで、チャ氏は小論文や推薦状で進次郎が政治家になりたい旨を強調するよう、天川氏に伝えたそうである。(上掲記事 p.154.)

  このアドバイスが功を奏したのか、進次郎は条件付きで合格となった。ただし、TOEFLのスコアが600点に達するまで、大学内の英語講座を受けるよう指示されたそうだ。まぁ、勉強するために渡米したんだからいいんだけど、これって、何となく「胡散臭い入学」に思えてくる。それなら、堂々と寄付金を払って正門から入学すればいいじゃないか。

Michael Green 11(左 / マイケル・グリーン )
  新潮の記事によると、進次郎は睡眠時間を削って猛勉強し、コロンビア大で修士号を取れたという。しかし、驚くのは、その後の就職先である。何と、出来損ないの進次郎は、世界的に有名なCSISに就職できたのだ。モノマネ藝人の梅小鉢さんじゃないけど、「へぇぇぇ〜」と叫びたくなる。これは、いくら何でも八百長だろう。CSISの研究員とかスタッフといったら、英語を得意とするアメリカ人やカナダ人にとっても「狭き門」であるのに、そこへ凡庸な進次郎が就職できたなんて奇蹟だ。まるで、小室圭の留学みたいだぞ。マイケル・グリーンによれば、ジェラルド・カーティスの「口利き」で進次郎の「CSIS入り」が実現したそうだが、天川氏には不可解であったらしい。彼女がグリーン氏と会った時、よく進次郎は博士号も無いのにCSISに採用されましたね、と尋ねたら、グリーン氏はニヤッと笑って「人質だよ」と答えたそうだ。(上掲記事 p.155.)

  この会話を聞いた大抵の日本人は、背中に戦慄を感じるというよりも、恐怖と落胆、困惑、心配、不安が入り交じった感情を抱くはずだ。愛国者や神経質な人だと、無意識的に膝から崩れ落ちてしまうだろう。そして、「あぁぁ〜、こんな奴が未来の総理大臣かぁ〜。いったい日本の運命は、どうなるんだ?」と嘆くに違いない。アメリカのエスタブリッシュメントは、裏庭の衛星国や間抜けな後進国を間接的に支配するため、現地で権力を振るう酋長の息子や土豪の娘を米国の教育機関に招き、将来の買弁にしようと考える。日本は米国の属州だから、小泉家の跡継ぎは、何年か先の「支店長」と見なされてもおかしくはない。グリーン氏は茶目っ気たっぷりに「人質だよ !」と控えめに述べていたが、実質的には「操り人形の調教」に違いない。つまり、今のところは、この馬鹿息子をチヤホヤ持ち上げて「アメリカ通」にしてやり、何年後かには「飼い犬」に戻して、アメリカの無茶な要求を次々と承諾させるつもりなんだろう。しかし、「小泉劇場シーズン2」に夢中な日本人は、こうした裏事情には気づかず、地上波テレビの宣伝ばかりを鵜呑みにする。たぶん、巷のオバちゃん達は、永田町の歌舞伎役者に惚れ込み、進次郎がどんなヘマをしようが「進ちゃ〜ん、頑張ってぇぇ〜」と励ますんじゃないか。彼の横に滝川クリステルが居れば鬼に金棒で、石原裕次郎と浅丘ルリ子の再来に思えてくる。

フランクフルトの牙城はコロンビア大学に移った

  学歴重視の日本人は、大学のランキングや試験の難易度ばかりに目を奪われてしまい、教室の中でどんな授業が行われ、如何なる卒業生が輩出されるのかを無視する。元々、学問の質や人材育成に無関心な大衆は、自分の尻や子供の腕に名門大学の烙印(ブランド)が焼き付けられれば、それで万々歳。脳味噌が真っ赤になったり、ツムジが左巻きになってもお構いなし。卒業大学の「評判」が自分の「評価」に変換されればOKなんだから。大学は食堂と大違い。民間のレストランは、たとえミシュランの星を4つ貰っても、客に出す料理が不味ければ世間の評判はガタ落ちだ。しかも、近所にライバル店が現れ、客がそちらに流れてしまえば、やがて閉店となる。東京大学や京都大学の学食で、ウンコ入りのカレーを出したら大騒動になるけど、法学部や教育学部、経済学部では問題無し。学生のオツムは鈍感となり、健康なクルクルパーにされているから、味の違いなんか判らない。

  一般の日本人は「アイヴィーリーグの一つである名門のコロンビア大学」と耳にすれば、即在に「凄いなぁぁ〜、英語力が相当高い人じゃないと入れないんだぁ〜」と溜息をつく。しかし、ちょっと正常で保守的なアメリカ人だと、「なんだ、あんな大学 !」と呟いて、「俺なら真っ平御免だ !」と吐き捨てる。多少アメリカに詳しい日本人だと、「ズビグニュー・ブレジンスキーやヘンリー・キッシンジャーが教えていた大学だよなぁ〜」とか、「オバマが編入した大学だ」と述べるだろう。でも、「フランクフルト学派のユダヤ人が移り住んだ、赤い悪魔の巣窟」と評する日本人は極めて少ない。何しろ、「フランクフルト学派って何?」と訊いてくる日本人が大半なんだから。(フランクフルト学派については、別の機会で具体的に述べたい。)

  フランクフルト学派のユダヤ人がコロンビア大学に移ってきた理由は様々あるけど、コロンビア大学にも受け容れる“素地”があったのは確かだ。1920年代後半から1930年代にかけて、コロンビア大学の社会学部は凋落の危機に瀕していた。当時は不況の波もあったから、思ったように研究費は支給されなかったし、気前の良い旦那衆はそうそう現れるものではない。コロンビア大学はシカゴ大学を創ったロックフェラー財団のような庇護者を持っていなかったから、世間の関心を集める講座やプログラムを実行できなかった。しかし、社会学部には後に社会学の業界で大御所となるロバート・マッキヴァー(Robert Morrison MacIver)教授がいたし、有名な社会学者のロバート・リンド(Robert Staughton Lynd)も雇われていた。このリンド教授は女房のヘレン(Helen Lynd / 旧姓 : Mirrell)と一緒に『Middletown』を書いて出版し、一躍世間の脚光を浴びた人物。しかし、この夫婦は共産主義に親近感を抱く学者カップルであったから、1950年代のマッーカーシー時代になると「赤狩り」のターゲットになってしまった。もっとも、リンド教授自身は「コミュニスト」じゃく「リベラル派」を名乗り、容疑の火消しに躍起だった。でも、本当は“マルキストもどき”のクリムゾン・リベラルだったりして・・・。

Robert MacIver 1Robert Lynd 1Helen Mirrell Lynd 01


(左 : ロバート・マッキヴァー / 中央 : ロバート・リンド / 右 : ヘレン・ミレル・リンド )

  コロンビア大学とフランクフルト学派を結び附ける「仲人」は幾人かいて、その内の一人が、ルイス・ローウィン(Lewis Lorwin)という社会学を専攻する知識人であった。彼の本名はルイス・リヴァイン(Louis Levitski Levine)といい、キエフ生まれのユダヤ人。根無し草のユダヤ人らしく、彼の家族はヨーロッパ各地をうろつき、息子のルイスはロシア、スイス、フランスなどで教育を受けた。その後、大学へ進もうとしたルイスは、米国のコロンビア大学に入って博士号(社会学のPhD)を取得する。彼はほんの少しだけウェスリー・カレッジや母校で教鞭を執るが、後にモンタナ大学へと移った。しかし、根っからの左翼であるから、モンタナ州の労働問題に首を突っ込み、地元で絶大な影響力を持つアナコンダ鉱山会社(Anaconda Copper Mining Company)を批判したという。何しろ、ユダヤ人左翼は資本家や大企業が不倶戴天の敵だから、巨大企業による搾取や税金逃れを見逃すことはできない。ローウィンは会社の不正を指摘し、そこの経営陣や地元の政治家、さらには大学のお偉方と一悶着を起こしたらしい。その結果、エドワード・エリオット学長から停職処分を受け、三年間の教員生活に終止符を打つことになった。(詳しい経緯は、Arnon Gutfeld, 'A Russian Jew Named Levine', Michael : On the History of the Jews in the Diaspora, 1975.を参照。)

  この事件で刮目すべきは、当時の西歐系アメリカ人がユダヤ人を「厄介者」とか「脅威」と見なしていたことだ。アーノン・ガットフェルドによれば以下の通り。

  1919年の愛国者達は、「外国人の過激な行動(foreign radicalism)」に最大の脅威を見出していた。ユダヤ人というのが、この脅威に関して、最も目につく、現実的な具体例となった。この見解は移民反対論者を支援することになる。移民に反対する人々は、どのユダヤ人も過激な社会主義軍団にリクルートされる可能性を秘めている、と警告したのだ。そして、ユダヤ人の過激派どもは世界革命をもたらし、アメリカの政治・経済システムを破壊する要因である、とも述べていた。そして、「ボルシェビキはユダヤ人の運動である」という考えは、アメリカ中に広がっていく。多くの点で、こうした「赤の恐怖(red scare)」時代は、1920年代における反ユダヤ主義の道を舗装することになった。反ユダヤ主義は色々な形をとり、時には露骨で騒がしく、またある時には、潜在的で目に見えないものである。リヴァイン事件はこの両方の形をとっていた。(上掲記事、p.216.)

  「リヴァイン」から「ローウィン」に改名したユダヤ人学者は、被服業界の国際労働組織に雇われ、労働問題の専門家となった。さらに、ローウィンは有名な「ブルッキングス研究所(Brookings Institution)」の研究員となる。これは如何にもユダヤ人らしい転職だが、ブルッキングス研究所に雇われたローウィンは、やがて別のユダヤ人と接触し、フランクフルト学派の盟友となってしまう。

  「類は友を呼ぶ」というのはユダヤ人社会にも当て嵌まるようで、ローウィンが出版した本の書評には、ジュリアン・グンペルツ(Julian Gumperz)という社会学者が名を連ねていた。このグンペルツはローウィンを高く評価するマルキストで、後にマックス・ホルクハイマー(Max Horkheimer)の後輩となる。フランクフルト学派の仲間になたローウィンは、これまた上層中流階級の家庭に生まれたユダヤ人。彼はフランクフルト学派の連中とソックリだ。創設メンバーのフェリックス・ワイル(Felix Weil)は、裕福な家庭に育ち、彼の父親であるヘルマン・ワイル(Hermann Weil)は、アルゼンチンで成功した穀物商人であった。フランクフルトで育ったレオ・ローウェンタール(Leo Lowenthal)は、同化したユダヤ人医者の息子だし、藝術面で批判論を展開したテオドール・アドルノ(Theodor Wiersengrund Adorno)は、ワイン販売で儲けた父親を持つ。ヘルベルト・マルクーゼ(Herbert Marcuse)もドイツの上層中流階級に生まれ、父親のカール(Carl)は裕福なユダヤ人ビジネスマンだった。

Felix Weil 001Leo Lowenthal 1111Theodor Adorno 21Herbert Marcuse 001


(左 : フェリックス・ワイル / レオ・ローウェンタール / テオドール・アドルノ / 右 : ヘルベルト・マルクーゼ )

  脱線したので話を戻す。グンペルスはマルクス主義を学ぶためにドイツへ渡り、フェリクス・ワイルが主宰する「マルキスト学習週間」という講座に参加したという。(Thomas Wheatland , The Frankfurt School in Exile , Minneapolis : University of Minnesota Press, 2009, p.45.) ちなみに、フェリクスの父親であるヘルマン・ワイルがフランクフルト学派創設のスポンサーである。当初、フランクフルト大学の運営者は、スポンサーの恩恵に報いるため、「フェリクス・ワイル社会研究所」という名称にしようと提案したが、これはワイルの方が断ったらしい。そこで、西歐社会を破壊しようと目論むユダヤ人どもは、科学的学問としてマルクス主義を確立し、この偉大なる思想に貢献しようと考え、単に「社会研究所(Institut fürSozialforschung)」と呼ぶことにした。(マーティン・ジェイ 『弁証法的想像力』 荒川幾男 訳、みすず書房、1975年、 p.7.)

  ハイデルベルク大学で博士号を取ったグンペルツは、「研究所」のリサーチ・スタッフとなり、フランクフルト学派の創設メンバーであるフリードリッヒ・ポロックのアシスタントになったそうだ。しかし、研究所でホルクハイマーの助手という地位に不満を感じたグンペルツは転職を考え、ルイス・ローウィンに手紙を書いてブルッキングス研究所に勤めようと試みた。ところが、ホルクハイマーからの推薦状をもらっても、ブルッキングスには採用されず、悲嘆の日々を過ごすことになる。確かに、この不採用には落胆したが、グンペルツはめげずに別の道を模索し、アメリカでの人脈を広げつつ、社会学や心理学で著名な学者と顔見知りになった。

  ついでに言えば、グンペルツの私生活も酷かった。ユダヤ人の左翼学者だから仕方ないけど、彼が結婚したヘーデ・テューン(Hede Tune / Hedwig Tune)という女優であった。ただし、彼女は結婚を機に共産主義者となり、「レッドベッド(Redhead)」というコードネームを持つソ連のスパイになった。ヘーデはポーランド人の父親とオーストリア人の母親との間に生まれた非ユダヤ人。ウィーンでそだった少女は普通に成長したが、高校生の時にジャーナリストで作家のカール・クラウス(Karl Kraus)に魅了され、文学の世界に没頭した。ところが、ノーベル文学賞に何度もノミネートされたクラウスは、これまたヨーロッパに住み着くユダヤ人。彼は日本の左翼学者の間で人気が高く、あの赤い法政大学出版から著作集が出ている。ホント、日本の出版社は西洋の赤色分子が大好き。そして、「ヨーロッパの知識人」として紹介する学者が、実はヨーロッパ人のフリをするユダヤ人なんだからタチが悪い。翻訳者は原作者の素性を曖昧にせず、ちゃんと原作者の血筋や人脈を解説すべきだ。

Karl Kraus 001Hede Massing 11Gerhart Eisler 2234

(左 : カール・クラウス / 中央 : ヘーデ・テューン / 右 : ゲルハルト・アイズナー )

  ハリウッド女優のエリザベス・テイラーじゃないけど、ヘーデも離婚や再婚を繰り返し、その都度「ラスト・ネーム」を変えていた。最初の亭主はゲルハルト・アイズナー(Gerhart Eisner)で、ドイツ・オーストリアの共産党に属するユダヤ人であった。彼の母親は非ユダヤ人であったけど、父親のルドルフ・アイズナーがオーストリア出身のユダヤ人であったから、血統的にはドイツに住み着くユダヤ人。父親のルドルフは哲学を専攻する大学教授であったというから、典型的なユダヤ人の左翼家庭である。ゲルハルトの導きにより、ヘーデはベルリンにあるドイツ共産党に入ってしまう。その後二人は離婚し、ヘーデはジュリアン・グンペルツと再婚するが、この夫も共産党に共鳴する極左分子だった。二人は米国のNYへ移り住むが、やがてジュリアンはフランクフルトへ留学し、再婚カップルは破局を迎える。三番目の亭主となるのは、ドイツ人社会学者のポール・マッシング(Paul Wilhelm Massing)で、彼もドイツの共産党(KPD)に属する左翼活動家であった。この時期、ヘーデはあのリヒャルト・ゾルゲ(Richard Sorge)に勧誘され、イグナス・レース(Ignace Reiss)のもとで動くソ連のスパイになってしまった。

Paul Lazarsfeld 1Sophie Lazarsfeld 01Alfred Adler 1


(左 : ポール・ラザースフェルト / 中央 : ゾフィー・ラザースフェルト / 右 : アルフレート・アドラー )

  もう一人、フランクフルト学派の仲人になったと考えられるのは、有名な社会学者のポール・ラザースフェルト(Paul Lazarsfeld)である。彼はウィーンのユダヤ人家庭に生まれた移民で、元々は数学で博士号を取った研究者で、次第に社会科学に興味を示した転向組だ。彼が大衆心理の研究を始めたのは、母親の影響があるのかも知れない。母のゾフィー・ラザースフェルト(Sofie Munk / Sophie Lazarsfeld)はセラピストで、彼女は精神治療を専門とする心理学者のアルフレート・アドラー(Alfred Adler)の弟子であった。このアドラーもオーストリアに住み着くハンガリー・チェコ系のユダヤ人で、彼の「個人心理学(Individualpsychologie)」は日本でもよく知られている。

  ラザースフェルドの才能を見出したロックフェラー財団は、このユダヤ人学者をアメリカに招き、これから発展するコミュニケーション媒体の研究を任せることにした。米国での生活を決めたラザースフェルドは、当時普及し始めたラジオの影響や、その宣伝力に着目し、新たな媒体が大衆に及ぼす効果を研究した。日本人でも心理戦を勉強する人は、ラザースフェルドと協力関係にあったハドリー・カントリール(Albert Hadley Cantril, Jr.)や、ユダヤ人社会学者のエリュー・カッツ(Elihu Katz)の名を知っているはずだ。マスメディアの影響力を研究していたラザースフェルドが、社会学の教授達と顔見知りであっても不思議じゃないし、事実、彼はコロンビア大学で「応用社会科学研究所(Bureau of Applied Social Science)」を創設していたのである。

  ホルクハイマー率いるフランクフルト学派がコロンビア大学に移籍できたのは、ロバート・リンドやルイス・ローウィン、ロバート・マッキヴァー、ジュリアン・グンペルツ等が奔走してくれたこともあるが、コロンビア大のニコラス・マレー・バトラー(Nicholas Murray Butler)学長が理解を示してくれたことも大きかった。そして、この大学には日本でも有名なジョン・デューイ(John Dewey)が盤踞していたから、極左の社会主義者や隠れ共産主義者が繁殖したのも当然だ。デューイの弟子で、後に保守派へと転向したシドニー・フック(Sidney Hook)によれば、彼の師匠はマルクスに批判的だが、心の何処かで共産主義に共鳴しており、社会改革にとても熱心な社会主義者であったらしい。事実、デューイは有名な黒人団体であるNAACPの初期メンバーであったし、極左人権団体のACLUの創設者でもあった。一般の日本人は学校の先生から聞いていないけど、デューイは1928年にソ連を旅行し、共産党にもシンパシーを持っていたからFBIの監視対象になっていたのだ。(John A. Beineke, 'The Investigation of John Dewey by the FBI', Educational Theory, Vol. 37, 1987, p.43.)

Max Horkheimer 199921Nicholas Murray Butler 1111Sidney Hook 222John Dewey 22121


(左 : マックス・ホルクハイマー / ニコラス・マレー・バトラー / シドニー・フック / 右 : ジョン・デューイ )

  日本でもそうだけど、歐米諸国で社会学を専攻する学者には、密かなマルキストや心情的な共産主義者が結構多い。共産党とは距離を置く知識人でも油断はできず、別路線の共産主義を目指す者かも知れないし、「リベラル派」を看板にするピンク左翼という場合もある。国立大学や私立大学にも、共産党に入らずに共産主義革命を模索する赤色細胞がウジャウジャいるし、社会主義や共産主義の理論を用いて西歐社会を破壊したいと願うアナーキストも少なくない。日教組の教師は滅多に口にしないが、天才的物理学者のアルベルト・アインシュタインや国連で人権活動をしていたエレノア・ローズヴェルトは、NAACPの創設メンバーで、あからさまな共産主義者ではないが、心の底で西歐社会を憎む左翼分子であった。

Friedrich Pollock 1443Eleanor Roosevelt 333Albert Einstein 1Karl Mannheim 221


(左 : フリードリッヒ・ポロック / エレノア・ローズヴェルト / アルベルト・アインシュタイン / 右 : カール・マンハイム)

  日本でも昔は「進歩的知識人」が流行しており、今では残骸しか生きていないが、敗戦後30年くらいは、左翼の黄金時代であった。文系・理系を問わず、大学には反日分子や様々なタイプのマルキストが溢れていたのだ。例えば、東大教授から法政大学の学長にまでなった大内兵衛は、筋金入りのマルキスト学者で、その専攻分野は経済学であった。東大の総長を務めた経済学者の大河内一男は、『赤旗』に寄稿する反戦論者であったし、内村鑑三の赤い弟子であった大塚久雄は、これといった業績が無く、社会学の泰斗であるマックス・ウェバー(Max Weber)の『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』を和訳した事だけが「唯一の業績」である。この東大教授は、西洋の市民社会とやらを称讃することで日本は“遅れた”後進国と暗に批判していた。

  同じ東大で名物教授になっていたのが、政治学者の丸山眞男で、彼はアントニオ・グラムシの共産主義思想に共鳴していたが、ユダヤ人社会学者のカール・マンハイム(Karl Manheim)にも憧れていた。一橋大学で社会学を教えていた佐藤毅(さとう・たけし)は本当に碌でなしで、犯罪者の責任を教育や環境のせいにして、政府や世間が社会悪と仄めかしていたのだ。一橋大学には左翼学者がゴロゴロいて、人権思想をバラ撒く田中宏やイスラム擁護で悪名高い内藤正典(ないとう・まさのり)が教えていたし、政府の諮問委員会で権力をふるう竹中平蔵も一橋大学の教授だった。学者としての才能が無いことに気づいたパソナの竹中平蔵は、ロバート・ルービンやラリー・サマーズといったユダヤ人支配者に貢ぐ日本側の買弁となり、参院議員を経て政商に成り下がっていた。こんな売国奴が一橋大学の名物教授になっていたんだから、出資者の渋沢栄一が知ったら「資金を返せ!」と叫ぶだろう。福沢諭吉だって竹中が慶應義塾の教授と判ったら、筆を棄てて刀を握るんじゃないか。何しろ、福沢先生は痩せても枯れても中津藩士だからねぇ〜。

  とにかく、日本人は学校で何を学んだかを問わず、「どこの大学に合格したのか? どいうった学歴なのか?」ばかりに注目する。筆者は小泉進次郎がどんな学歴でも構わない。日本の政治家は日本の国益を最優先にし、国家の独立と安寧を図るべきだ。もし、本業が日本人から選ばれた代議士なら、国家主義者になるのは当然だろう。ところが、進次郎には日本第一の思想が全く無い。テレビや雑誌で人気を博す小泉家のお坊ちゃんは、皇室伝統にさえ関心が無いのだ。しかし、もっと心配なのは、神奈川の有権者が進次郎の国家思想を尋ねないことだ。彼がどんな政治哲学を抱き、如何なる政策を以て国家を運営したいのか、ほとんどの国民には「謎」となっている。進次郎が思い描く未来の日本とは、一体どんな社会なんだ?

 なるほど、進次郎はテレビ映りが良く、選挙にも強い。同僚の応援演説に駆けつければ、見物客が寄ってくる。しかし、保守派国民の心には不安しか残らない。マスコミから期待される進次郎は、幾つかの大臣職を経て、やがては首相の座に上り詰めるだろう。でも、内閣総理大臣となった進次郎は、日本人の利益を最優先に考えるのか? もしかすると、合衆国政府やウォール街の命令に従う属州総督になるかも知れない。今だって、外国資本の要求に屈する売国奴になる可能性もあるのだ。マイケル・グリーンは進次郎を「人質」と呼んでいたが、心の底では10年先の日本で気軽に使え、何でも言うことを聞く「便利な馬鹿(useful idiot)」と思っているのかも知れないぞ。

Koizumi Shinjiro 0234  現在の進次郎は、支援者の企業に報いるため、国民にとって迷惑な太陽光発電を推進しているくらいだから、数年先の進次郎となれば危険極まりない。たぶん、父親に倣って厚労大臣とか総務大臣、あるいは財務大臣か外務大臣になるかも知れないが、肝心要の知識に乏しく、そのうえ実務にも疎いから、側近の官僚に従うだけだろう。それでも、マスコミ各社は短い言葉で「決め台詞」を口にする進次郎を持て囃し、小泉劇場の再来を期待するはずだ。おそらく、大衆の喝采を浴びる進次郎も自分の影響力に自信を抱き、自民党での基盤を固めることだろう。もし、何らかの要職について外遊ともなれば、進次郎の人気は鰻登りだ。何しろ、クリステル夫人を伴った映像は華やかだから、まるでカンヌかベルリンの国際映画祭に参加する藝能人みたいだ。さらに、クリステル夫人には“お得意”のフランス語という武器があるから、ヨーロッパの政治家と面会した際、英語を交えたフランス語の会話があるのかも。

  まぁ、現在の日本は衆愚政治を称讃する頽廃社会だから、世襲議員の進次郎に高度な知識や教養人の礼儀作法を求めても無駄であろう。それでも、CSISの関係者が述べていたエピソードは衝撃的だ。(『週刊新潮』上掲記事、p.155.) 進次郎がCSISに入って、まだ間もない頃、彼はあるシンポジウムに参加したそうだ。進次郎が「気さくな青年」であることは好ましいが、初対面のアメリカ人に対して、「Hey !」と声を掛けていたなんて、ビックリ仰天である。親しい友人になら、「おい! どうしてる?」でいいけど、面識の無い大人に向かって使う言葉じゃないだろう。でも驚く事に、進次郎は上司のマイケル・グリーンに対しても「Hey !」と呼びかけていたそうだ。これは深刻なレベルの「重症」である。アメリカで生活していた人なら判るが、英語でも敬語や丁寧な言い回しがあるから、時と場所、話しかける相手によって言葉を選ぶのは常識だ。それなのに、二十歳を過ぎた進次郎には解らなかったなんて、とても信じられない。日本の有権者は進次郎の学歴よりも、その根本的な思考形態を問題にすべきだ。

http://kurokiyorikage.doorblog.jp/archives/68867197.html

4. 中川隆[-11964] koaQ7Jey 2023年12月17日 18:42:56 : 4x6eW8jj7A : eVNnd3Z5c1pUcHc=[4] 報告
<■336行くらい→右の▽クリックで次のコメントにジャンプ可>
2023年12月17日
未来の総理、進ちゃん / 小泉家のファミリー・ビジネス
http://kurokiyorikage.doorblog.jp/archives/68951521.html

「彫物大臣」の又さん

Koizumi Shin 843Koizumi Jun 435

  もはや末期的症状を呈しているのか、岸田内閣の支持率がドンドン落ちている。マスコミはパーティー券問題を取り上げ、私腹を肥やした議員を狙い撃ちだ。ところが、奇妙なことに、岸田総理の側近は“お咎めなし”ときている。 この騒動を画策したのが誰なのか判らない。けど、宏池会は分裂する清和会(安倍派)を観て、チラっとほくそ笑む。

  そもそも、政治家に賄賂や腐敗は“附き物”だ。馴染みの企業や特殊団体にタカらない、清廉潔白な議員なんて、よほどの無能か奇人変人の唐変木でしかない。追求する野党だって、脛に傷を持つ前科者だ。懐の中を“ガサ入れ”されれば、連行される奴が続々と出てくる。

Kishida 356(左 / 岸田文雄)
  増税眼鏡に金銭スキャンダルが追加されれば、岸田文雄が崩壊するのも時間の問題だ。では誰が次の総理の後釜になるのか? 先月の産経新聞によれば、1位が石破茂で、その次が河野太郎や立憲民主党の泉健太であるという。(「次期首相候補トップの石破茂氏、自民支持層でも1位」産経新聞2023年11月13日) 赤い朝日の世論調査によると、次期首相候補のトップは小泉進次郎で、回答者の16%が彼を望んでいるそうだ。毎回解せないけど、石破茂が2位につけている。小学生でも「ヤラセ質問があるんじゃないか?」と思えてしまうが、なぜか15%の支持率を得ている。これまたガッカリしてしまうが、河野太郎が13%の“期待”を得て第3位に浮いている。(君島浩「いま首相にふさわしいのは「小石河」だけど…… 朝日世論調査」朝日新聞2023年12月7日)

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(左 : 石破茂 / 河野太郎 / 高市早苗 / 右 : 茂木敏充 )

  さすがに、「陰鬱な茂木敏充を総理にしたい」と思う国民は少数派であった。しかし、この嫌われ者は、まがりなりにも自民党の幹事長となっているから、周りがシラけていても本人はヤル気満々だ。保守派国民の一部は未だに高市早苗を期待しているが、安倍派が凋落している中で彼女が“のし上がる”のは、ちょっと無理だろう。

  そこで、“ダークホース”となり得るのは小泉進次郎である。ただ、没落街道まっしぐらの自民党を立て直し、嵐の中で首相に就任するのは「貧乏籤」でしかない。たぶん、自分の利益と保身を考えれば、「今回は“パス”!」と決めるんじゃないか? もしかすると、謙虚な態度を示して、粗大ゴミの先輩に席を譲ったりしてね。とはいえ、いずれ進次郎は総理の椅子を目指す。退屈でイライラするマスコミも“次世代の新星”と煽るから、近い将来、「小泉劇場シーズン2」を拝観できるだろう。ただし、小泉家の4代目には巨大な背後霊が控えているから、我々は彼の素性とお家事情を把握しなければならない。

  「小泉王朝」の“始祖”となるのは、「刺青の又さん」と呼ばれた小泉又次郎である。この「又さん」は、総理大臣となった小泉純一郎のお爺ちゃん。衆院議員に当選して、若槻内閣や濱口内閣で逓信大臣になった人物だ。しかし、その背中には「昇り龍」の入れ墨があった。これじゃあ、インテリ・ヤクザの安藤組よりイメージが悪い。国粋会の故・工藤和義(くどう・かずよし)会長の方が立派に見える。だから、又さんは毛並みの良い“貴族院の先生”というより、歌舞伎町で見かける“粋な任侠オヤジ”といった感じである。

  元々、又さんは港湾人足を率いる「小泉組」の親方だった。気の荒い鳶(とび)職の連中を束ねる訳だから、刺青の一つや二つ体に彫っていても不思議じゃない。帝大卒のエリート議員と違って、又さんは“職人上がりの貴族院議員”であったが、青年の頃は陸軍士官になりたかったそうだ。しかし、その夢が叶わなかったので、自棄(やけ)になったのか、自分の背中に刺青を彫ってしまった。親族の話によると、又さんの背中を風呂場で流せるのは、娘の芳江だけであったらしい。この芳江と結婚したのが、後に純一郎の父となる「鮫島純也」だ。婿養子の純也は「小泉純也」と改め、義父の跡を継ぐ「小泉家の二代目」となった。

Koizumi Matajiro 111Koizumi Junya 532Koizumi Jun 324Koizumi Shin 345
(左 : 小泉又次郎 / 小泉純也 / 小泉純一郎 / 右 : 小泉進次郎 )

  小泉家の婿殿は、神奈川県の“浜っ子”じゃなく、九州の“薩摩隼人”であったという。彼は1936年に地元の鹿児島一区から出馬するが、あえなく落選。再度の挑戦でやっと代議士になった苦労人だ。しかし、内閣の要職にあったため、敗戦後、GHQの公職追放に遭ってしまう。義父の又次郎も公職追放の身であったが、こちらは六畳二間の貸家に隠遁し、愛人の松元寿々英と一緒に晩年を過ごしていた。後に純也は防衛庁の長官となるが、安保騒動で批判の矢面に立たされる。また、自衛隊の「三矢研究」が問題となり、その責任を問われる立場になってしまった。

Curtis LeMay 213(左 / カーチス・ルメイ )
  これに加え、小泉長官には後々まで言及される不名誉な歴史があった。大東亜戦争末期、日本の都市部を空爆し、大勢の民間人を焼き殺した司令官、あのカーチス・ルメイ(Curtis Emerson LeMay)将軍が、何と、1964年に勲一等旭日大綬章の叙勲対象になってしまったのだ。長官の純也は椎名悦三郎と一緒にルメイ将軍を推薦する破目となり、総理大臣の佐藤栄作が最終的に決定した。さすがに、昭和天皇による“親授”はなく、代わりに空幕長が勲章を授けたというが、我が国の自衛官は悔しさで唇を噛みしめた。筆者も引退した柿谷勲夫・陸将補が憤っていたのを今でも覚えている。

Robert McNamara 213(左 / ロバート・ストレインジ・マクナマラ)
  たぶん、ルメイ将軍の補佐役(共犯)だったロバート・ストレインジ・マクナマラ(Robert Strange McNamara)も驚いていたんじゃないか。いくら何でも、女子供と老人や怪我人を標的にした計画殺戮であったのに、その主犯格を標章するなんて正気の沙汰じゃない。国土を塩漬けにされたカルタゴ人が、勝者のローマ人に感謝し、白菜の漬け物を寄贈したらペルシア人でも“アホ”と呼ぶだろう。気違いのフェニキア人だって、スキピオやファビウスの彫像は造らないぞ。(Brian Herbert Warmington, 'The Destruction of Carthage : A Retractatio', Classical Philology, Vol.83, No. 4, 1988, p.309.を参照。)

  ちなみに、ハーヴァード大学の助教授だったマクナマラは、第二次世界大戦中、陸軍の航空隊に所属し、大尉から中佐にまでなっていた。彼には絨毯爆撃が「戦争犯罪」にあたるという認識があったから、ドキュメンタリー映画『The Fog of War』で当時を振り返っていた。戦後、大学教授からフォード自動車の社長になったマクナマラは、ケネディー政権とジョンソン政権で国防長官を務めている。)

  「安保男」と揶揄された純也は、1969年に癌を患って急死する。当時、息子の純一郎は日本に居らず、英国のロンドンに“留学”していた。父の死去を聞きつけ、純ちゃんは直ちに、故郷へ帰還することに。祖国の空港に現れた純ちゃんは、黒いサングラスを掛けたまま、姉や弟、そして支援者らの出迎えに応じたが、その目は涙で赤くなっていた。(岩崎大輔『ダークサイド・オブ・小泉純一郎』洋泉社、2006年、pp.133-34.)

  正確な裏附け情報は無いけれど、純ちゃんの“留学”には複雑な経緯があった。「小泉劇場シーズン1」の純一郎しか知らない世代だと、子供の頃の“おとなしい”純ちゃんは想像できまい。高校の恩師や同級生の話によれば、少年時代の純一郎は、独りで本を読んでいるような“物静か”な少年であった。学校でも「目立たない生徒」であったというから意外だ。高校生の純ちゃんは、父親の家業(政治家の職)には興味が無く、もっぱら映画や音楽の話ばかり。エルヴィス・プレスリーの歌を口ずさみ、その姿を真似たり、といった茶目っ気もあったらしい。

  政治家の息子ならよく解ると思うが、純一郎は代議士の家系を嫌っていた。親友の安藤正宣によれば、純ちゃんは地元の横須賀を避けているような節があった。潔癖症のせいなのか、青年時代、そして政治家になったてからも、“孤高”の純ちゃんは“ドブ板選挙”が大嫌い。支援者のオッさん達と朝まで酒を飲み交わすようなタイプじゃなかった。たぶん、私生活に他人が割り込むような、濃厚で密接な関係を嫌っていたのだろう。別れた女房(宮本佳代子)に関しても、一切マスコミに語らなかったのは、自分のプライヴァシーを“聖域”にしたかったからじゃないのか?

  1950年代から60年代にかけて青春を送った日本人には、言葉に出来ない複雑な心境がある。ハリウッド映画やビートルズとかプレスリーといった洋楽、パリやNYのファッションは大学生の心を摑み、旧態依然とした日本社会への嫌悪感を醸し出していた。代議士の家庭に育った純ちゃんが、ベトベトした人間関係を嫌ったのも理解できる。政治家の支援者は“義理と人情”で動くし、時には“理不尽なしきたり”に堪えねばならない。

  たぶん、映画ファンの純ちゃんなら、菅原文太や高倉健のヤクザ映画より、絢爛豪華な『ゴッド・ファーザー』の方を好むんじゃないか、と思ってしまう。マフィア映画の『バラキ(The Valachi Papers)』(1972年)には、ローマの古典を愛読するコーザ・ノストラ(闇組織)のボスが登場したりする。日本のヤクザ映画で『韓非子』や『六韜』を繙く暴力団の組長が描かれるのか?

  高校時代、純ちゃんは親友の安藤氏に「将来の希望は外交官」と打ち明けたそうで、ソフト父の跡を継ぐ「政治家」ではなかったらしい。小泉家のお坊ちゃんは、得意の「英語を活かして外交官になるんだ」(p.106)と話していたそうだ。確かに、北米や歐州に赴任する外交官の方が格好いいし、交渉相手がイギリス人の紳士やフランス人の官僚なら、御洒落なユーモアを交えた会話になる。

  一方、地方議会の泥沼選挙では、敵陣営に対する陰湿な“嫌がらせ”は少なくない。昔、県会議員選挙で、小泉系だった牧島功が謀叛を起こし、小泉家の恩人である竹内清と対立したことがあった。牧島の“造反”に激怒した竹内陣営は、牧島の家に「棺桶」を送りつけたというから凄い。(上掲書、pp.193-94.)この“エピソード”は横須賀で有名な伝説らしく、牧島氏の義母によると、子供用の棺桶であったという。それでも普通の人が聞けばビックリするだろう。ホント、昭和時代の選挙は今と違っていた。中選挙区制度の時代だと、本当に有権者に「実弾(現金)」が飛んでいたんだから。

強姦疑惑と英国留学

 「政治家三世」という身分であっても、純ちゃんは田中派や竹下派にいるような“泥臭い”世襲議員じゃなかった。彼には独特の“オーラ”があり、その“ウェール”は透明でもチタン合金のように固く、液体窒素のように冷たい。永田町で偉くなっても純ちゃんは意外なほど“気さく”で、誰でも迎え入れるような“度量”があった。しかし、その奥底には、何か得体の知れない“暗闇”が横たわっている。おそらく、親友でも覗き見ることができない領域で、何重にも閉ざされている密室のようなものだろう。

  高校生の純ちゃんが、親友の安藤氏と話している時のことだ。「政治家の家庭は公私がなく、正月休みまで誰かしらが家に上がり込んでくる。支援者に挨拶されるのはイヤだ」と“か細い声”で呟いていたそうだ。(上掲書、p.107) 小泉総理は時折“冷酷な男”と評されるが、それは彼が厳格に「公私」を分けているからだろう。幼い時から自宅に他人が出入りすれば、誰だって腹が立つし、「何で、いつもいつも、他人がドカドカと家に入り込んでくるんだ!」と不愉快になる。

  おおよそ、政治家の女房子供には、普通の人が持つ“プライヴァシー”が無い。たとえ、選挙で親父(オヤジ)を励ましてくれる支援者であっても、夕飯時に闖入してくれば「何だ、この野郎! 図々しいな!」と思ってしまうし、母親がその“がさつ者”に頭を下げる姿を見れば、子供としては居たたまれなくなる。大衆というのは普段は常識的でも、基本的に下品だ。選挙となれば「女房を連れて挨拶に来い!」と要求するし、毎晩のようにやって来ては、タダ酒の宴会で大騒ぎとなる。選挙事務所に集まった古株の支援者も同じ類いで、候補者の夫人が事務所や街頭に姿を現さず、亭主だけが演台に立って熱弁を振るえば、「カミさんは手伝わないのか!?」と野次を吐く。代議士に必要なのは法案作成能力や政治理念なのに、烏合の衆は候補者の私生活を知りたがる。「どんな女房を持っているのか?」とか、「息子はどこの大学に通っているのか?」といった“どうでもいいゴシップ”に興味を示す。おそらく、進次郎が総理大臣になれば、女房のクリステルがマスコミの取材を受けるだろう。もしかすると、古巣のフジテレビが出演依頼をするかもね。

  横須賀高校に通っていた純一郎は、卒業前に東京大学を目指すが、あえなく受験に失敗。二浪の末に慶應義塾大学の経済学部入った。それもそのはず。浪人中の純ちゃんはガリ勉とならず、「息抜き」と称して結構、スキーや映画を楽しんでいたというから、帝國大学に入れなくても自業自得だろう。

  だが、「慶應ボーイ」となった純ちゃんは一変する。「慶應横須賀学生会」で会長を務めていた純ちゃんは、OLや女子学生を集めてダンス・パーティーを開いていたというから、『フットルース』の日本版だ。国会議員と同じく、パーティー券を売りさばいて資金を集めていた。だが、プレイボーイとなった純ちゃんは、“ハメ”を外し過ぎたのかも知れない。「やっつけ」の度が過ぎたのか、純ちゃんは“ある慶應の女子学生”を“やって”しまったようだ。

  この“強姦事件”は父の純也によって揉み消されたようだが、窮地に陥った純ちゃんは、急遽(1967年)、“避難場所”を求めてロンドンへ留学することに。たぶん、“熱気(ほとぼり)”を冷ますための逃避行だろう。父の死後、選挙に望んだ純一郎は、選挙公報に「ロンドン大学政治経済学部へ留学」と書いてしまったが、「ユニヴァーシティー・カレッジ・ロンドン(University College London)」には、政治学部があるけど、そこへ入学できる程の語学力と予備知識があったとは思えない。もしかすると、英語の習得コースみたいなクラスに入ったのかも知れないけど、「London School of Economics and Political Science」への留学なら嘘だろう。もし、沈黙したままだと、純ちゃんは小池百合子と同じタイプになっちゃうぞ。

ヤクザの選挙対策本部長

  1969年の初出馬は、亡き父の「弔い選挙」となったが、祖父から受け継いだ地盤にもかかわらず、孫の純ちゃんは落選する。準備不足や公明党のネガティヴ・キャンペーンもあったけど、“当選”を“当然”のように期待していた支援者は愕然とした。そこで、母の芳江や姉の道子・信子は、「大先生(おおせんせい)」と呼ばれる竹内清(本名「青木清」)を頼ったそうだ。

  竹内氏は1955年から横須賀市議を四期務めた後、1975年に神奈川県会議員に進出し、五期当選を果たした元県会議長。息子の竹内英明が父の跡を継いで県会議員になっている。この重鎮は横須賀政財界の“顔役”と目され、土木工事や建築、飲食店関係の者から圧倒的な支持を受けていた。日本各地の選挙区には、よく“この手の大物”がいて、地元の政財界に幅を利かせている。地元の有力者であった竹内氏は、小泉家の芳江と道子、信子らに懇願され、1972年に小泉純一郎の選挙対策本部長に就任したそうだ。

  ところが、「後ろ楯」となってくれる選挙対策本部長には、更なる“後ろ楯”があった。何と、彼は指定暴力団「稲川会」の三代目である稲川裕紘(いながわ・ゆうこう/ 本名「稲川土肥」)会長が襲名披露式を行う際、来客名簿に名を連ねる関係者であったのだ。(上掲書、p.33.)というのも、「横須賀一家」の竹内氏は、稲川会の石井隆匡(いしい・たかまさ / 本名: 石井進)二代目会長と深い繋がりがあったからだ。

  ジャーナリストの岩崎大輔は、竹内氏を取材すべく彼の自宅を訪ねた。岩崎氏は竹内氏の過去を尋ねたが、最初は否定していたという。(上掲書、p.46) だが、岩崎氏が諦めずに問い続けると、竹内氏は観念したのか、腕に彫った刺青を披露した。この老人はシャツの袖をまくり上げ、その腕を岩崎氏に見せると、「洗った、です」と答えた。(上掲書p.47) 確かに、竹内氏の腕には刺青があったが、その箇所は“ケロイド状”になっていた。竹内氏は「全部手術して、こんなの」と語り、刺青の除去を決意した理由を話す。

  子供ができたし、夏になれば半袖も着たいし、海水浴に行きたい。こんな苦しいものはなかったですよ。(上掲書、p.48)

Tattoo 111
  確かに、刺青を彫った者でも、月日が経つと後悔する人は結構多い。不良だった女性でも、結婚や出産を機に、刺青を消そうとする。確かに、幼い子供を育てるようになれば、幼稚園の保母や他の母親の視線が気になるし、周囲の“噂話”も気になる。例えば、夏になっても長袖を着ていたり、いつも包帯を腕に巻いていれば、同じ幼稚園の母親達から「何か変!」と思われる。それに、我が子と一緒にプールに入れないとなれば、幼い子供は不思議そうに、「ママ、どうしてプールに入らないの?」と訊かれてしまうし、ビキニ姿の母親達からも奇異な目で見られてしまうだろう。だから、我が子を不憫に思う母親は、意を決して病院に赴く。“若い頃の愚行”を悔いた母親は、激痛に堪えて何度もレーザー治療を受ける。こうして色鮮やかな刺青は徐々に消えてゆく。だが、その傷跡はケロイド状態だ。

  岩崎氏は竹内氏のヤクザコネクションと小泉家に及ぼす影響を尋ねたが、竹内氏は頑なに「選挙のことで石井さんに何か頼みに行ったことはない」と断言した。おそらく、直接、何かを頼んだことはないだろう。もし、純ちゃんに利益誘導とか瀆職行為の“疑い”があるとすれば、それは竹内氏を介した不正行為なのかも知れない。事実、地元の選挙や支援者への配慮は、姉の信子が仕切っているし、ドロドロした利害関係は弟の正也が担っていた。

  純一郎より三歳下の「小泉正也」は、地元で「正也代議士」と呼ばれるくらいの存在だった。彼の役割は「兄貴を陰で支える代理人」といったものなんだろう。正也は表向き、兄の純一郎に仕える“私設秘書”となっていたが、裏舞台では「地元利権の調整役」となっていた。実際、「コンステレーション」を経営する正也には、日立金属へ公共事業を流す役目もあったらしい。颯爽とした純ちゃんには、二階俊博や竹下登といったベテラン議員とは違い、金銭スキャンダルとは無縁の“クリーンさ”があった。しかし、それは竹内清や正也といった“裏方”が資金調達に奔走していたからだ。

  初出馬で落選した時も、純ちゃんは支援者に助けてもらっている。1969年から4年間、浪人だった純ちゃんは横浜市にある「三福不動産」の“幽霊社員”だった。建前として、福田赳夫の秘書となっていたが、三福不動産からは20万円の月給をもらっていた。当時、サラリーマンの平均月収が7万8千円であったから、かなりの厚遇である。(上掲、p.188) この不動産会社を経営する福住喜代治・社長は、亡き小泉純也の支援者であった。おそらく、落選中の新人を養うつもりで面倒を見てやったのかも知れない。

  他の国会議員も似たり寄ったりだが、小泉家には親子代々、“直臣”や“陪臣”みたいな支援者がいるし、選挙を手伝う代わりに“報酬”をねだる経営者や業界団体も存在する。進次郎が太陽光発電の業者を支援したのも、小泉家の利権構造があったからだ。「小泉組」の歴史と一家の腐れ縁を考えれば、小泉政権で公共事業を請負い、“甘い汁”を啜った企業は1つや2つじゃないだろう。「クリーンな純ちゃん」から「セクシー進ちゃん」に変わっても、相続した利権構造に変化は無い。進次郎が総理大臣になる頃には、もっと“支援企業”とか“タニマチのオジさん”が増えているかも知れない。

「アメリカの忠犬」たる進次郎

  昔、丸大ハムのCF(TV宣伝)に、「腕白でもいい、たくましく育ってくれれば!」というセリフがあった。でも、小泉家の床の間には、「馬鹿でもいい、総理大臣になってくれれば!」という家訓があるんじゃないのか? 霞ヶ関の高級官僚、とりわけ財務省や経産省のキャリア官僚は、劣等生の進次郎を小馬鹿にし、「あんなのが将来の首相なのか!?」と嘆く。ところが、米国のパトロン連中は指を数えて楽しみにしている。

 「英語を得意」とする進次郎が留学先に選んだのは、フランクフルト学派の左翼が蠢くコロンビア大学であった。しかも、このボンクラ息子を指導した恩師が、日本政治を専門とするジェラルド・カーチス(Gerald Curtis)なんだからウンザリする。これまた唖然としてしまうが、進次郎が所属したとされるシンクタンクというのは、かの有名なCSIS(国際戦略研究所 / Center for Strategic and International Studies)で、素人の進次郎を預かるハンドラー(世話係)というのも、これまた日本学を専攻する「日本通」だった。その名はマイケル・グリーン(Michael Jonathan Green)。GHQの日本分析官からコロンビア大学の教授になったハーバード・パッシン(Herbert Passin)が生きていたら何と言ったことか。(パッシンはユダヤ人学者であったけど、カーチスとグリーンの血筋はどうなのか。彼らが話さないので判らない。)

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(左 : ジェラルド・カーチス / 中央 : 「小泉家」のお坊ちゃん / 右 : マイケル・グリーン )

  日本人の取材を受けたグリー氏は、進次郎を「大名の人質みたいなもさ!」と、笑って答えたが、たぶん本当に“将来の手駒”として育てていたのだろう。かつて、ローマ共和国の元老院は、ガリア人やゲルマン人の野蛮国を統治するため、酋長の息子をローマに招き、ローマに従順な指導者を育てていた。華やかな都でローマ風の教育を受けた若者は、「ローマの友人」として故郷に帰り、未開の同胞達を束ねる棟梁になっていた。米国のエスタブリッシュメントからすれば、日本人なんて極東の未開部族に過ぎず、進次郎はさしずめ「便利な馬鹿(useful idiot)」という扱いだったのかも。褒めそやして学位を与えれば、地元の有権者は「進ちゃん凄い!」と驚くし、アメリカ風の英語を喋れば、これまた「進ちゃん格好いい!」と大喜びだ。これじゃあ、コーラの空き瓶を手にして喜ぶアフリカのブッシュマンと同じだ。

  一方、引退した純ちゃんは、出来の悪い息子を案じたのか、米国の石油業界に媚びを売ることにした。でも、引退した細川護熙と一緒に「反原発」を叫ぶなんて情けない。おそらく、ワシントンやウォール街に潜む大御所達に向けたメッセージなんだろう。「どうか、愚息の進次郎を何とぞよしなに・・・!」と言いたかったのかも知れない。小泉家の人別帳には、「家族と使用人と敵」しか記されていないというが、肝心の「庇護者」が抜けている。たぶん、ここに「アメリカの有力者」が記されているんだろう。

  世襲議員の進次郎が総理大臣になった時、我々は「彼が何を政治理念にしているのか?」じゃなく、「どんな“勅令”を拝領しているのか?」を考えるべきだ。おそらく、テレビや新聞は待ちに待った「小泉劇場シーズン2」を大々的に取り上げるだろう。そして、テレビを観た地元の有権者や一般国民は、“爽やかで若い指導者”に歓喜するはずだ。しかし、この新鮮な首相が持ち込む“旋風”は、ちっとも“新鮮”じゃなく、“手垢にまみれた”利権構造の再構築か、“言葉を変えただけの旧式政治”に違いない。民衆政治(デモクラシー)は娯楽を与えながら民衆を苦しめ、いつの間にか国家を衰退へと導く。進次郎にも竹中平蔵みたいな“オンブお化け”が附くけど、「進ちゃ〜ん、素敵〜! 頑張ってぇ〜」と応援する国民には見えない。彼らに見えるのは、笑顔を振りまくクリステル夫人だけ。でも、老婆となった安藤優子が現れると怖いなぁ〜。

http://kurokiyorikage.doorblog.jp/archives/68951521.html

5. 中川隆[-11962] koaQ7Jey 2023年12月17日 18:44:31 : 4x6eW8jj7A : eVNnd3Z5c1pUcHc=[6] 報告
経世会vs小泉劇場 そして安倍晋三|茂木誠
https://www.youtube.com/watch?v=vDaoGbuyB4c

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