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日本最大の土偶、国宝《縄文の女神》に見る、失われた創造性
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/1501.html
投稿者 中川隆 日時 2022 年 2 月 22 日 04:09:09: 3bF/xW6Ehzs4I koaQ7Jey
 

(回答先: 日本人の起源と江戸時代までの歴史 投稿者 中川隆 日時 2021 年 4 月 24 日 13:31:04)

日本最大の土偶、国宝《縄文の女神》に見る、失われた創造性
2/21(月)
https://news.yahoo.co.jp/articles/d93b68a5795176c35767046fc7be6000f766d38d


国宝《縄文の女神》山形県舟形町西ノ前遺跡出土

https://news.yahoo.co.jp/articles/d93b68a5795176c35767046fc7be6000f766d38d/images/000

 文=藤田令伊 写真提供=山形県

■ クリエイティビティ不足の日本

 このシリーズでは、本来はアートではないけれど、アート作品と同じように鑑賞されうるものも時折紹介している(仏像などがその典型)。今回もそういう対象を取り上げたい。

【写真】国宝《縄文の女神》山形県舟形町西ノ前遺跡出土

 いうまでもなく、私たちは21世紀を生きている。テクノロジーが高度に発達し、インターネットや5Gが世界中をつなぎ、いまやファクスでさえ絶滅危惧種の感がある時代である。さらに昨今ではメタバースが台頭するなど、私たちを取り巻く技術の進歩はとどまるところを知らない。

 一方、それに対して、私たち人間のクリエイティビティのほうはどうかというと、技術の発達に比していささか心許ないものがあるのではないか。

 とくに日本。平成の30年間、次代を切り拓く新たなビジネスを創り出すことができず、欧米はおろか、じつはアジアの国々にも置いてけぼりを食いつつある現状である。なのに、そのこと自体にさえわれわれは鈍感でいる気がする。そうなっている原因はいろいろあろうが、根本的にはいまの日本人のクリエイティビティ不足にあると私は見ている。

 《縄文の女神》は、そのことを暗黙裡に、しかし厳然と物語っている古代遺物である。1992年、山形県舟形町の西ノ前遺跡から発掘されたもので、2012年に国宝の指定を受けた。高さ45センチという日本に現存するなかでは最大の土偶となっている。

 縄文時代の土偶はほかにも驚くべきものが存在するが、これまで私が実物を見てもっともしびれたのはこれである。

 ご覧のように人体が表現されているが、その表現のしかたはごく大胆である。全身は八頭身、スマートな体型をしている。足が長く、骨盤は横方向にはさほど張っておらず、腰からの上の胴体がスラリと伸びている。スマートな印象をもたらす一つの要因は腕がないことだ。なんと、両腕ともにバッサリ省略されており、そのためになお縦のラインが強調されて見える。

 装飾的にも興味深いアレンジが見られる。下半身は横縞模様が細かに刻まれているのに対し、上半身の多くの部分は無地である。そのため、模様の密な重みが感じられる下半身に対して上半身には疎の軽やかさがそなわっており、結果、作者がどこまで意図的だったのかはもちろん不明だが、全体としては軽やかなのに安定感があるという複雑な意匠を実現している。つまり、軽やかさと重みという矛盾するベクトルが見事に解決されているのだ。

 また、これも大胆なのは、顔がまったく表現されていないことである。目も鼻も口も何もなく、ずんべらぼうという驚くべき顔なのだが、にもかかわらず、決して不自然さを感じさせない。おそらく、今日の私たちには見出し切れない工夫やアレンジが潜んでいるのであろう。そして、これをつくったのは5000年前の縄文人なのである。

 と《縄文の女神》を見ていくと、はたして今日の彫刻家でこんな造形表現をひねり出せる人がいったいどれほどいるだろうかと思わされる。現代の彫刻家で《縄文の女神》の作者に匹敵できるのは、あのアルベルト・ジャコメッティぐらいなのではないか。

 ボヤキになってしまうが、近年、アーティストたちに落胆させられるのは、売れ線を追いかけてばかりの人が少なくないことだ。そのときそのときの流行の亜流をつくり、しかも「いまはこれがイケてますから」と臆面もなくいってのける。自分が人真似で終わっていることに恥も気づきもないのである。

 オリジナリティが尊ばれるアーティストにしてこの始末なのだから、いわんや他の分野においてをやという話である(何かのヒット商品が生まれたら、すぐその二番煎じ三番煎じが出現する現象は読者諸氏もご承知の通りだろう)。平成時代が「失われた30年」と呼ばれることになってしまったのも必然なのかもしれない。 縄文の土偶や土器を再評価したのは岡本太郎であった。彼は縄文時代を大昔のことだからと軽く見ることは決してなかった。しかも、単に造形といったことにとどまらず、縄文人の精神や知恵に迫ろうとし、何の躊躇もなくリスペクトを表明した。

 《縄文の女神》は、ただ表面的なものではなく、きっとそこに込められた縄文人の知恵や思考の賜物でもあるのだろう。この稀有なるデザインは、太古の人々の切なる祈りや思いといった、目には見えない深いところから因ってきていると推察する。そして、それこそが真のクリエイティビティというものだろう。上っ面の流行を追いかけているだけでは決して生み出しえないものである。

 もう一つ。《縄文の女神》が大英博物館で展示されたとき、彼の地では絶大なる人気と評価を博した。日本で《縄文の女神》が国宝に指定されたのはそのあとの話である。他者の評価を待つまでもなく、自分の眼で物事の真価を認められる人間でありたいものである。  

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