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北朝鮮からの脱出1945 僅かな判断ミスが生存を分けた
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/264.html
投稿者 中川隆 日時 2020 年 8 月 13 日 16:37:36: 3bF/xW6Ehzs4I koaQ7Jey
 

(回答先: 天皇一族は反日売国奴でアメリカ金融資本のエージェントだった 投稿者 中川隆 日時 2020 年 5 月 21 日 08:47:34)


2020年08月13日
北朝鮮からの脱出1945 僅かな判断ミスが生存を分けた

引揚げ船で満州から帰国した避難民、カメラのような高級品は略奪されたため、引き揚げ中の写真はほとんど無い
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多くの人は帰国を躊躇した

第二次大戦終了後に、朝鮮半島北側に取り残された日本人は、30万人以上と言われています。

満州で取り残された日本人は100万人以上で、ソ連と中国支配地域を合計すると、200万人に達したとされています。

このうち帰国できなかった人は50万人前後と推測されるが、正確な人数は今も分かっていません。

この50万人はソ連と中華民国(台湾)、共産党軍(中国)によって捕らえられたり、暴行された末になくなりました。

これほど多くの残留者を出した原因は、日本本土の大本営が「日本は食糧が不足し混乱している」として帰国させるなと関東軍に命令したからでした。

200万人もの大陸在留日本人が帰国したら、ただでさえ危機的状況にあった本土の食糧事情が、さらに悪化すると考えました。


その一方で関東軍は自分たちだけは安全に帰国できるように計らい、満州や朝鮮北部から、38度線南側に密かに撤退しました。

満州と朝鮮北部の在留日本人には撤退を秘密にし、ソ連と戦いに行くと言って騙して逃げ出していました。

まず軍人が逃げて、ついで軍人の家族が逃げ、次に軍属や警察官、役人が逃げ出して、民間人が列車に乗るのを禁止すらしました。


関東軍が撤退した後でやっと一般人が列車を使えるようになったが、既に8月15日になっていました。

ソ連軍が満州や朝鮮北部に攻撃開始したのが8月9日で、それから終戦の15日まで、民間人は事実上避難を禁止されていました。

ソ連軍は北から満州と朝鮮に進軍を開始し、一刻も早く逃げないとソ連占領地域になってしまいます。

わずかな判断ミスで帰国できなかった人達

ところが関東軍や日本軍はソ連と日本が開戦した事や、日本が降伏した事実すら民間人に秘密にしたため、避難しなかった人が多かったのです。

在留日本人は8月15日に戦争が終わったのは知っていたが、「戦争は終わったのだから逃げる必要はない」と考えた人が大勢居ました。

終戦時点では朝鮮や満州の行政機構はそのまま存在し続ける可能性があり、日本人の資産も保護されると考えられていました。


満州や朝鮮北部に居住していた日本人の多くは、何十年もかけて家を建てたり現地で生活を築いて来たので、捨てるのをためらいました。

かなりの日本人居住者は、このまま自分たちの資産が保全されるほうに期待をかけ、なるべく避難したく無かったのです。

だが関東軍が撤退してしまったので、ソ連軍も日本軍を追いかけるように南下し、戦闘せずに38度線に達する事ができたのです。


ソ連軍はすぐに南下した訳ではなく、その速度は牛歩の歩みくらいゆっくりしたもので、すぐに行動すれば逃げれない訳ではなかった。

理由はソ連軍主力がドイツ占領のため欧州に集中し、極東ではトラックすら不足し、兵士は徒歩で歩いていたからでした。

国境付近にいた日本人がソ連軍に襲撃され、避難民(当時避難民と言っていた)が南下するのを見て人々は始めてソ連軍が迫っているのを知りました。


日本軍や政府が避難指示を一切出さなかったため、避難するかどうかは個人の判断にまかされ、多くの人は「残りの給料を貰ってから」「家や家財を処分してから」ゆっくり日本に戻ろうと思っていました。

8月15日にはソウル行きの列車が出ていたのに(ソ連軍が到達していない地域は、また日本帝国が支配していた)、何日か遅らせたために列車の運行が止まりました。

ソ連軍は満州や朝鮮北部を占領すると鉄道を自分のために使用し、日本人が列車に乗るのを禁止しました。


しかもソウルや38度線近くまで行けば良いのに、「食べ物を調達したい」(暫くは日本円が通じた)一晩休みたいなどの理由で途中下車したグループが大勢居ました。

8月15日から数日間は一日や1時間で列車の運行状況が悪化し、途中で降りた人は全員ソ連に拘束される事になります。

ソウル直行列車は既に運行していないので、どのみち列車が止まった場所で降りる事になるが、ここでも多くの避難民グループが致命的な判断ミスを犯します。

避難民を襲う負の連鎖

38度線までは数百キロで、線路沿いに一日30キロから50キロ歩けば数日であり、しかも8月15日からしばらくはソ連軍は38度線に到達していませんでした。

少し無理をすれば歩いて帰れるのに、ほとんどのグループは「列車が再開したら乗って帰ろう」と思い、降車駅の学校などで滞在してしまいました。

列車の再開を待っている間に、ソ連の先発隊が町にやってきて日本人の移動を禁止し、全員が収容所に拘束される事になります。


終戦から1ヶ月ほどは徒歩なら移動は自由で、朝鮮総督府はまだ(一部が)機能していて、日本円で買い物もできたので、これが最後のチャンスだった。

だが多くの人は無為に時間を潰してしまい、朝鮮総督府は崩壊し、日本円は数分の一に下落し、朝鮮の人々の日本人への態度は悪化しました。

日本帝国や総督府が存在したから朝鮮人は日本人に従っていたので、それがなくなりソ連という新たな支配者が来れば、日本人への態度はきついものになります。


それでも朝鮮北部の避難民は満州よりは良く、満州では日本発行通貨の価値が、半年で400分の1になりました。

退職金代わりに現在の価値で数百万円貰った公務員が多かったが、半年後には1万円分の価値しかなくなっていたのです。

朝鮮北部ではそれでも、3割ほどのレートで朝鮮通貨に交換でき、38度線への帰還でも現金が重要な役割を果たしました。


1945年の冬は日本人はソ連収容所に入れられ、飢えと寒さと疫病で多くの人がなくなりました。

最初に列車に乗って楽をして帰りたいと思ったために、もう歩く体力すら失って力尽きた避難民が多かったのでした。

ソ連軍は略奪を繰り返し、銃をぶっ放しては「女を出せ」と言って暴れ、ソ連占領地域に残った女性全員が被害に遭ったと考えられています。


ソ連はわざと衰弱させて反抗できなくする管理方法を取っていたので、男は栄養失調で動けなくなり反抗するものはいなくなりました。

中国人や中国軍に捕まっても同じ事で、男は衰弱させて反抗できなくし、数十万人の女性が暴力の対象になりました。

朝鮮北部の冬は北海道程度の寒さなので健康でも歩く事は出来ず、1946年の春になってから、ソ連軍や朝鮮人になけなしの現金や金目の物を渡して、ようやく避難民は38度線を目指しました。

日本政府とソ連と冷戦

実は38度線は完全に閉鎖されていたのではなく、朝鮮人は裏道から南北を自由に往来していて、目先の聞く日本人もこうしたルートで38度線を越えていました。

1946年になると収容所の日本人の多くが飢えと病気で衰弱し、これがアメリカとソ連の冷戦外交に利用されました。

アメリカは散々日本人をいたぶってきたくせに「ソ連は非人道的だ」と善人ヅラして非難し日本人を帰国させるよう圧力をかけた。


ソ連は外交問題にならないようにこっそりと、夜中に日本人を列車に乗せたり歩かせたりして、少しずつ38度線を越えるように仕向けました。

集団ではなく少人数でバラバラに帰還させることで、戦争犯罪が表面化しないようにしたのです。

ソ連は1946年10月19日に日本人帰還を正式に発表したが、すでに取り残された人の97%は脱出するか亡くなった後だった。


1946年6月には満州からの正式引揚げも始まったが、略奪や襲撃にあい、多くの人が帰国できずになくなった。

シベリアに抑留された人達は、この後も厳寒の収容所に収容され、ソ連による洗脳教育を受けて、日本に工作員を送り込むため利用された。

中華民国と共産党軍も同様に、拘束した日本人に洗脳教育を施して、帰国後に反政府運動を行うように仕向けました。


帰国したら日本はGHQによる共産主義や反政府暴動の奨励をしていたので、瞬く間に共産主義が一大勢力になり、今日の左翼を形成していきます。

日本帝国が地上の楽園と宣伝して送り出した満蒙開拓団は、ほとんどが中国人やソ連軍に襲撃されてなくなっています。

さらにおかしいのは現在の日本政府の安倍首相に至るまで、こうした中国、台湾やソ連(ロシア)に対して、抗議した事すらないことです。

http://www.thutmosev.com/archives/72311647.html  

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1. 2020年8月13日 17:46:03 : BhNOqxhm4w : SWloTGRSTW5rYms=[11] 報告
2019年12月16日
在韓米軍の足跡 韓国建国前史から半島撤退まで

最初の反米運動は1945年の「解放」直後から


引用:https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/f/fe/Anti-Trusteeship_Campaign.jpg/640px-Anti-Trusteeship_Campaign.jpg


1945年9月8日から韓国(南朝鮮)を守ってきた米軍が、ついに撤退する日が近づいている。


文在演大統領側近の大統領補佐官は「韓米同盟を破棄して中国の同盟国になり守って貰えば良い」と驚きの発言をしています。


米軍撤退後の事は分からないが、朝鮮半島における米軍の歴史を振り返ります。


米軍の恩恵を受けた地域ほど米軍を憎む謎


韓国で2002年に女子中学生2人が在韓米軍の装甲車にひかれる事故があり、全国的な反米デモが巻き起こった。


半島人の特徴としてこういう時は、客観的に物事を考えず、アメリカを悪魔や侵略者として厳しく糾弾します。

1990年代にフィリピンやアジア、欧州から次々に米軍が撤退し、撤退ブームと言うべき状況があった。

特にフィリピンの場合は民衆が一斉蜂起して反米運動を起こし、米軍を追い出すというドラマチックな展開だった。


米軍が撤退したフィリピンは非武装中立国家になり、西側の領海の殆どを中国に占領されたが、それはずっと後の事である。


不思議な事に反米運動で米軍撤退を迫っているのは、フィリピン、沖縄、韓国と米軍無しでは成り立たない地域ばかりでした。

米軍に最も恩恵を受けた地域の住民ほど反米意識が強い。


日本本土、ドイツやイタリアなど、米軍が居なくても自力で守れそうな地域ではそれほどでも無い。


現実世界で米軍への依存が強いほど、それを認めたくないという意識が働くのかも知れない。

フィリピンは植民地時代からずっと米軍が駐留していたが、裏を返すとフィリピンは世界最強の軍隊から無料で守ってもらっていました。

沖縄も同じことで米軍が駐留している限り、最強の無料用心棒を雇っているのと同じなのです。


韓国などは朝鮮戦争で一度は負けて国土の95%を北に占領されたが、米軍に奪還してもらったのが現在の領土です。

こうした米軍依存の国や地域ほど「米軍は必要ない。米軍には迷惑している」と言いたがるのは不思議です。

日本軍の半島撤退


意外というか当然というか、米軍は1945年に朝鮮半島南部を占領していた日本軍から、朝鮮の統治を引き継いだ。

韓国という国が出来る前、既に在韓米軍は存在していて後から韓国と韓国軍が創設されました。


1945年8月9日にソ連が日ソ不可侵条約を破棄して日本に宣戦布告しきました。


対する満州や朝鮮の日本軍は局地戦をしながら後退し、最後に本土へ帰還する計画を立てた。

日本に帰還するには海を渡らねばならないが、アメリカの海上封鎖で海路を塞がれていました。


この帰還作戦は日本がアメリカに降伏し、海上封鎖が解かれ兵士と居留民は帰国し、入れ替わりに米軍が朝鮮に上陸する事に期待していた。


そうならない場合には朝鮮半島の日本軍はソ連には降伏せず、ソ連軍と決戦し玉砕する事になっていました。

ソ連参戦が8月9日で昭和天皇が降伏を決めたのが8月10日過ぎ、終戦の詔勅(玉音放送)が録音されたのは8月14日だった。


8月13日に中立国を通じてアメリカには15日の降伏が伝えられていて、14日には目立った戦闘はなく、15日の玉音放送をもって日本軍は停戦した。


8月6日に広島、8月9日に長崎原爆投下し、米軍機は8月15日にも東京を爆撃している。

まさに一日を争うタイミングで、数日遅れたらソ連軍が北海道や朝鮮南部に襲い掛かってくるのは確実でした。


この時日本にとって切羽詰った問題は、米軍機による民間人への空襲を止めさせる事、米軍によってソ連軍を食い止める事でした。


大本営と関東軍は米軍の到着が早ければソ連に占領されずに済み、日本は分割を免れやがてまた独立できると計算した。

米軍の到着が遅ければ満州と朝鮮の日本軍と民間人数百万人が玉砕し、北海道や東日本はソ連の領土になってしまうでしょう。


9月8日に最初の米軍が仁川に上陸するまでの約1ヶ月間、弱体化した日本軍守備隊は強大なソ連軍と38度線で対峙した。


ソ連軍が攻めてくればソウルは一日で陥落し、1週間で朝鮮半島全体を占領されただろうが、何故か最後まで攻めてこなかった。

この1ヶ月間の空白は物資と軍隊を欧州から輸送するためという意味もあったが、ソ連首脳は特攻や玉砕を恐れない日本軍が兵力以上に強いと思い込んでいた。


アメリカは日本軍と本土で戦えば100万人以上の犠牲が出ると試算したし、ソ連軍もそうした見方をした。


特攻・玉砕はソ連軍を恐れさせ、食い止めたという意味はあったのかも知れない。

米軍の上陸によって日本軍は海路で帰国することが出来、韓国の統治権を米軍に引き渡した。

朝鮮戦争の米軍


日本軍の停戦は1945年8月15日だが、米軍が朝鮮に上陸したのは9月8日だった。

9月9日に朝鮮総督府がアメリカ軍への降伏文書に署名し、朝鮮半島で第二次大戦が終わった。


日本は満州も米軍に占領してもらいたかったのだが、軍に余裕が無いという理由で拒否されている。


1945年9月7日、米軍は南朝鮮に軍政を宣言し、1982年まで戒厳令を敷いた。

因みに「サウス コリア」(南朝鮮)をそのまま英語の国名として現在も使用している。

9月11日には軍政庁を作って統治を始めたが、中身は朝鮮総督府の朝鮮人役人達だった。


1948年8月15日に朝鮮総督府を公式に韓国政府とし、大韓民国を建国した。

即ち現在の韓国政府は、朝鮮総督府を韓国人に入れ替えた組織である。


独立2年後の1950年、米軍への反発や朝鮮半島の軽視から、米軍は韓国から撤退してしまっていた。


1950年6月25日、北朝鮮は突如として国境線を突破し28日にソウルを占領した。

頼みのアメリカ軍は、韓国の反米活動で「出て行け」と言われたので、韓国ではなく日本に居た。


米軍は最初日本からの空爆でお茶を濁したが、国連軍を結集して日本で準備している間に、韓国の大半を北に占領されてしまっていた。


北朝鮮軍は朝鮮半島の最南端の釜山まで快進撃を続けたが、そこには日本からの補給を受けた米軍が陣取っており、ようやく止まった。

北朝鮮軍が釜山を包囲したのが8月15日ごろで、9月15日に米軍が仁川上陸作戦を決行した。


北朝鮮軍は補給線が延びきったところで強力な敵に遭遇し、背後から上陸されて挟撃され、絵に描いたような大敗を喫した。


連合軍は38度線を突破して、中朝国境まで北朝鮮軍を追い込んだ。

ソ連軍と中国軍は「参戦しない」と言いながら参戦し、アメリカ軍は中国軍によって再び38度線に追い返された。

司令官のマッカーサーは中国への原爆使用を要求したが、大統領は将軍を解任し、中国と取引して停戦した。

これが朝鮮戦争で、韓国人は99%までアメリカ軍のお陰で命拾いをした。

戦後の在韓米軍


アメリカ軍のお陰で国土を守った事から、韓国における米軍の権限は強大な物になった。

韓国人は米軍によって抑圧的な生活をさせられていると感じ、反発を強めていった。


韓国人は米軍に感謝するどころか、敵とみなして反対運動を再開しました。


韓国政府は日本に対してもそうしているように、国民の敵意をアメリカ軍に向けさせ、政権への不満の捌け口に利用しました。

例えば韓国軍と韓国政府は朝鮮戦争の期間中、100万人以上の韓国人を「スパイ」として粛清していた。


だが米軍がもっと少数の韓国人を、同様の容疑で処分した方を大々的に宣伝して、自らの犯行を隠しています。


米軍による犯罪や交通事故も、韓国政府の犯罪を隠すために煽っている側面が強い。

米軍向けの慰安婦問題も、韓国政府が怒りを米軍に向けさせる為に煽ったのだが、意に反して国民の怒りは韓国政府に向った。


韓国では政府が批判され国民が不満を持つたびに、日本と米国を「いけにえ」にする事で批判をかわしています。


また韓国では米軍の存在で北と対立しているとか、統一の障害になっているという批判もされている。

たしかに北朝鮮が韓国を統治するには米軍は障害になっていて、文在演は米軍撤退を強く望んでいます。

2016年には規模縮小という名目で、韓国から在韓米軍は撤退する事になっていました。


撤退後も空軍の一部と、少数の陸軍は残る事になっているが米韓連合軍の指揮権は韓国に移譲される予定でした。


だが北朝鮮によるミサイル発射や核開発危機があったので、韓国は急に「撤退するな」と言い先送りになった。


今度はまた韓国が「撤退しろ」と言い出していて、アメリカもいい加減うんざりしている。
http://www.thutmosev.com/archives/35719532.html

2. 2020年8月13日 17:47:39 : BhNOqxhm4w : SWloTGRSTW5rYms=[12] 報告
2019年08月15日
終戦直前 韓国・北朝鮮を生み出した関東軍とソ連軍の駆け引き
ソ連軍が近づくと関東軍は戦わず、民間人を見捨てて逃げ出した。

画像引用:https://www.jiji.com/news/handmade/topic/d4_mili/sov808-jlp02617204.jpg

瀬戸際の駆け引き

現在の私たちは朝鮮半島の真ん中で北朝鮮・韓国に分かれた地図を当たり前に見ています。

だが1945年夏の朝鮮半島は現在とはまったく違う世界で、その後数が月の偶然によって韓国と北朝鮮が誕生した。

ほんの少し違っていれば半島すべてが共産主義の朝鮮民主共和国になったかも知れないし、一つの大韓民国だったかも知れない。

またソ連の領土の一部や、中華民国や共産中国の「朝鮮自治区」になっていた可能性がかなり在った。

全ては日本陸軍関東軍とソ連軍のかけひきによって進み、たまたま両軍が止まったのが地図上の「38度線」でした。

この38度線も関東軍の将校らが、たまたま地図上の線を目安に、ここを防衛線にしようと決めたのに過ぎませんでした。


始まりは1941年から45年の対米戦で、圧倒的優勢な米軍に対処するため、中国大陸や半島から優秀な将兵を太平洋戦線に移動させた。

優秀な人は太平洋に移動し玉砕したので終戦末期に大陸に残っていた兵士は、あまり戦力にならないと考えられたような人達でした。

こういう事情だったので関東軍上層部はソ連と戦う自信がなく、攻めてきたら逃げるという作戦を立てました。


日本の軍中枢である大本営は敗戦を確実視し、100万人以上いた日本人移民を全員見捨てて、関東軍だけが日本に帰国せよと命令しました。

1945年8月9日にソ連が日ソ不可侵条約を破棄して、日本軍が居ない場所を狙って前進してきました。

関東軍はあらかじめ少し後退していて、ソ連軍も日本軍が居ない場所だけ前進するという暗黙の合意が成立していました。


全ては僅かな偶然で決まった

ソ連軍はドイツを倒すため欧州戦線に全力を投入していて、極東の日本軍には勝てないとスターリンは考えていました。

欧州戦線のソ連軍を極東に移動させるには数か月かかり、その間日本軍と交戦してはならないと指示していました。

戦力としては極東ソ連軍の方が関東軍より優勢だったが、1939年のノモンハン事件では同じく劣勢だった日本軍に苦戦したからでした。


ノモンハンの戦闘で日本軍は弾薬が尽きても刀や槍で襲い掛かり、兵器や人数では圧倒的に優勢だったソ連軍の方が大きな損害を出していました。

関東軍は安全に撤退するため100万人の日本人移民には「ソ連軍と戦いに行く」と言って騙し、朝鮮半島まで撤退しました。

軍に見捨てられた日本人移民はソ連軍と中国軍らに襲われるのだが、これは本題ではないので省略します。


関東軍は将兵らの動揺を抑えるために、軍人の家族だけをこっそり38度線まで移動させ、8月15日までに主力部隊は38度線まで撤退しました。

関東軍は朝鮮半島南部を最終決戦の地と定め、もしソ連軍が38度線を越えて進軍したら、全軍が民間人とともに玉砕する計画でした。

と同時に関東軍はアメリカ軍が早く上陸するよう催促し、結局米軍は8月25日にソウルに到達しています。


ここで重要なのは「8月15日」は日本軍が勝手に停戦しただけで、ソ連軍が襲い掛かる脅威は続いていたのです。

関東軍はソ連軍を騙す事もしていて、広島長崎の原爆投下後に「日本の半分をソ連軍に引き渡す」という密約をしていました。

この約束は結局果たされず、自分が生き残るために日本を裏切ったのか、ソ連軍を足止めする高度な駆け引きだったのかは不明なままです。


中国や満州や北朝鮮に取り残された日本人100万人以上は、現地で大変な目に遭い、ソ連軍に捕らえられた日本兵のほとんどがなくなりました。

そしてたまたま関東軍が停止した38度線以南を米軍が占領し、そこが韓国になりました。

ソ連は北朝鮮を独立させる気はなかったが、韓国との対抗上なりゆきで北朝鮮を建国した。
http://www.thutmosev.com/archives/80699739.html

3. 2020年8月13日 17:51:56 : BhNOqxhm4w : SWloTGRSTW5rYms=[14] 報告
1945年8月15日は昭和天皇の終戦の詔書がラジオ放送された日で、日本が連合軍に降伏した事になった。
終戦の詔書は8月14日に内閣が作成し、同日天皇が裁可し発布され、翌15日正午にNHKでラジオ放送された。

内容はポツダム宣言を受諾する事と、日本軍への停戦命令で、大本営は14日には全軍に積極的な戦闘停止を命令し、米軍側にも翌日の降伏を知らせた。

米軍は15日になっても、おかまいなしに本土空襲を実施し犠牲を出したが、この日を境に戦争は収束に向った。


これが当たり前だと多くの人は考えているが、天皇の命令で戦争が終わるのは、世界的に考えて例外と言っていい。

ドイツは降伏を許されず「本土決戦」のうえ全滅し、イタリアは大混乱の末に政府が転覆して軍が降伏した。

いずれにしろ、降伏する側の元首の都合で「今日で戦争やめる」と言い出したからといって、勝つのが分かっている戦勝側は同意しない。


ローマとカルタゴの戦争でカルタゴは廃墟にされたし、負ける側の都合など、勝つ側は少しも配慮してくれない。

ポツダム宣言で日本に降伏を勧告していたといっても、勝つ側は約束など守る必要がない。

戦争に負けた側は約束を破ったら罰せられるが、勝った側を罰する者など誰も居ないからです。

朝鮮総督府の最後

何故米軍が天皇の命令で戦争を辞めたのかは、一つには米国内でもソ連の脅威に備えて対日戦は終戦にしたいという意見が存在した。

終戦に積極的だったのは米国務省で、ルーズベルトやトルーマン大統領も、早期に終戦したいと考えていたようです。

米国は戦勝が決まっていたといっても、4年間の戦争でかなりの犠牲を出し、兵士や国民にも終戦への期待が高まっていた。


そしてソ連の脅威は現実になりつつあり、欧州の半分を占領し朝鮮半島や北太平洋にも進出していた。

アメリカ側にも「そろそろ終戦にしたい理由」があったから8月15日で戦争が終わったが、そうでなければ中東戦争のようにずっと続いたでしょう。

日本の外務省は中立国スイスで米側代表と交渉し、日本が提示した降伏条件を概ね受け入れるという言質を得ていた。


8月15日に戦争を終結させると決めた日本帝国は、日本が占領していた領土の保存に取り掛かった。

戦争が終われば日本軍は本土に撤退するが、その前に帝国から独立させて、日本の影響力を残したいと考えた。

まずタイは日本の同盟国だったのだが、日本軍が無理やり戦争に巻き込んだ事にして、急遽戦勝国にしてしまった。


朝鮮半島の北側はソ連が占領したが、南側は関東軍(日本軍)が守っていたので、これも独立させる事にした。

8月15日に朝鮮総督府は独立準備委員会をつくるよう独立運動家に命令し、タイのように独立させるつもりだった。

8月17日に独立運動家に施政権を名目上引き渡したが、米国側が拒否したので、翌18日に再び朝鮮総督府を復活させた。

アメリカは米軍が到着するまで、日本軍と総督府が統治するのを望み、その後は米国が信託統治するつもりだった。

http://www.thutmosev.com/archives/66414398.html

4. 中川隆[-11056] koaQ7Jey 2020年10月02日 11:28:57 : EF1PnyRTuQ : OHNEQ3VoSXdGWG8=[16] 報告
2020年10月02日
金正恩の出生と過激さの理由 在日の子として侮蔑される

後継者に指名された金正恩

引用:http://img4.cache.netease.com/photo/0001/2010-10-11/900x600_6IN5EMVA00AO0001.jpg

金正恩の一族

北朝鮮は健康不安から表に出てこなくなり妹に権力委譲しているとも噂されるが、今一度金正恩という人間を検証してみたい。

北朝鮮は独裁的共産国家なので、権力を握っている人の性格や人間性は大きな影響を与えます。

金正恩を知るにはまず祖父の金日成が、日本占領下の朝鮮北部で生まれるところから、紐解かなくてはならない。

金日成の母方の祖父がキリスト教徒で反日活動家であり、一家は1919年に平壌ちかくから満州に引っ越してきました。

金日成は恵まれた家庭に育ち、5年制の旧制中学校に2度進学したが、2度とも退学して中国共産党に入党した。

金日成は東北抗日聯軍という反日テロ組織の隊員になり、1935年ごろから満州の日本人を襲撃したり拉致を繰り返した。


北朝鮮の日本人拉致は戦後始まったものでも、金正日が始めたものでもなく、金日成が20代前半の頃から得意としていました。

日本人へのテロ行為を繰り返したのでついに日本軍の討伐作戦が実施され、あっけなく壊滅して金日成は1940年ソ連に亡命しました。

その後第二次大戦中は極東の中国人部隊の大隊長として朝鮮兵を率いるが、この階級を見てもソ連が金日成をまったく重要視していなかったのが分かる。


事態が急変したのは1945年夏で、中国大陸を占領していた日本陸軍関東軍は、敗戦は不可避と判断し大陸から撤退し始めます。

作戦は大陸の日本軍を陸路で朝鮮半島に移動させ、海路で釜山から日本に帰国するというものだったが、上手く行かなかった。

中国や満州の日本人の多くは撤退時に置き去りにされ、ソ連軍の進出によって日本軍も朝鮮半島と大陸に分断された。

国民の誰も金日成を知らなかった

太平洋の消耗戦に大量の兵士を投入した関東軍は、既にソ連軍と戦う戦力がなく、朝鮮半島でジリジリと後退した。

釜山から日本への海上航路は米軍によって遮断されたので、ソ連軍が前に出ると日本軍はその分後ずさりし、時間稼ぎをしました。

8月15日になって昭和天皇の玉音放送があり、米軍は戦闘を中止し、関東軍は38度線で踏みとどまりました。


中国大陸に置き去りにされた日本人と日本軍は、中国人に捕らえられて虐待され、ごく一部だけが生きて帰国した。

関東軍は自分たちの影響力を半島に残すため、終戦直前に朝鮮建国準備委員会を設置し9月6に「朝鮮人民共和国」を建国したが、進駐してきた米軍に取り消されてしまった。

怒った南朝鮮人が反米暴動を起こすなどしたので、アメリカは南朝鮮を「大韓民国」として独立させたが、これは関東軍が一時建国した朝鮮人民共和国が元になっている。


一方38度線の北側を占領したソ連軍も、建国した韓国に対抗させるために「朝鮮民主主義人民共和国」を建設し北朝鮮になった。

北朝鮮の国家元首には大隊長の金日成大尉が連れてこられたが、単にソ連に居た朝鮮人でもっとも地位が高かったからだと思われる。

あまり期待されずに指導者に納まった金日成は、国民からの人望もなかったのだが、これは韓国の李承晩も同じだった。


朝鮮半島は第二次大戦に巻き込まれず、日本軍の締め付けも緩かったので、実は朝鮮人の多くは日本に留まりたがっていました。

金日成だの李承晩だのは要するに朝鮮を投げ出して他国に居たような奴らで、信用できないというのが両国民の本音だった。

金日成はこの状況を挽回するため、南朝鮮に侵攻して「祖国統一の英雄」になり権力を強化しようとし、ソ連に無断で戦争を始めました。


同様に国民から支持されなかった李承晩は、自分を支持しない国民を容赦なく粛清し、朝鮮戦争より大きな犠牲を出したと言われています。


在日朝鮮人を追い出したがっていた日本政府は「北は地上の楽園」と騙して出国させた。
新潟港には見送りの大観衆が詰めかけ、お祭りのようだったと言われている。
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引用:http://chosonsinbo.com/jp/files/2015/09/48bbeaff5f200b26b7d6971dbfbfcb07.jpg

金正恩の過激さの理由

日韓併合で日本は朝鮮を併合し、朝鮮人は日本人だったのだが、敗戦によって日本・韓国・北朝鮮は別の国に分かれます。

1945年から1950年まで韓国に朝鮮人の多くを帰国させたが、帰国を拒否した数十万人がそのまま住み着き、在日韓国人になりました。

1950年に朝鮮戦争が勃発すると朝鮮人帰国は中断し、1959年から北朝鮮への帰国事業が始まりました。


この帰国事業で渡航したのが金正恩の母になる高英姫で、平壌芸術大学から万寿台芸術団に入り、金正日の目に留まり3番目の妻になったと言われている。

高英姫に該当する日本での在日朝鮮人は2人が候補として推測されているが、日本の記録では特定できていない。

1960年代に帰国したときは9歳くらいだった筈なので、知人の証言などから特定するのは困難でしょう。


高英姫の次男が金正恩で、母が同じ金正哲のほうが、生まれた順番から一時は後継者として有力候補だった。

北朝鮮の最高指導者としては金正男のほうが順位が上なのだが、2001年に成田空港でつかまって失脚しました。

この密航事件も金正恩を最高指導者にしたい勢力が日本政府に通報したとも噂されているが、真偽は確かめようも無い。


繰り上がり当選のように最高指導者になった金正恩には悩みがあり、在日朝鮮人帰国者の子であるため、侮蔑したり侮る高官が多かったと言われている。

後の過激なまでの粛清は、自分を侮って失脚させようとした者への報復と考えられる。

父や祖父より過激な反米路線を取るのも、実は幹部や国民からの侮りから、過激にならざるを得ないのかも知れない。


こうした家庭で生まれたのが金正恩で、最高指導者の子供でありながら、在日帰国者の子供として部下からは侮蔑されて来ました。

金正恩にクーデター未遂事件があったのは周知の事実で、この事件以降粛清と軍事力強化にまい進する事になった。

今後も金正恩が急に大人しくなる事はないでしょう。
http://www.thutmosev.com/archives/72152988.html  

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