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ポーランド人の起源
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/299.html
投稿者 中川隆 日時 2020 年 9 月 01 日 20:11:26: 3bF/xW6Ehzs4I koaQ7Jey
 

(回答先: ドイツ人の起源 投稿者 中川隆 日時 2020 年 9 月 01 日 15:14:48)

ポーランド人の起源


雑記帳 2019年05月12日
ポーランド南部の後期新石器時代集団墓地の被葬者のDNA解析
https://sicambre.at.webry.info/201905/article_22.html


 ポーランド南部の後期新石器時代集団墓地の被葬者のDNA解析に関する研究(Schroeder et al., 2019)が公表されました。この研究はオンライン版での先行公開となります。ポーランド南部のコシツェ(Koszyce)村の集団墓地で2011年に発掘調査が行なわれました。この集団墓地は球状アンフォラ(Globular Amphora)文化(GA)と関連しており、殺害された成人と子供の計15人が丁寧に埋葬されていました。16点の放射性炭素年代測定から、この虐殺事件は紀元前2880〜紀元前2776年と推定されました。

 埋葬された15人の内訳は、男性が8人、女性が7人です。男性のうち成人が3人、10代が2人、10歳未満の子供が3人で、女性のうち成人が5人、10代が2人です。最高齢は50〜60歳の女性で、最年少は1.5〜2歳の男児です。この15人のゲノムが解析され、網羅率は1.1〜3.9倍です。コシツェなどGA集団は、遺伝的には旧石器時代〜中石器時代以来のヨーロッパ西部狩猟採集民(WHG)とアナトリア半島起源の新石器時代農耕民集団(ANF)の混合により形成され、WHGよりANFの方が影響は強くなっています。これはヨーロッパの他地域の新石器時代農耕民集団と同様です。ゲノム解析から表現型も推測されており、この15人はほとんど、褐色の目、黒もしくはダークブロンドの髪と、中間的から濃い肌の色を有していました。

 この15人のミトコンドリアDNA(mtDNA)とY染色体DNAも解析されました。mtDNAハプログループ(mtHg)はHV0aやK1a1b1eなど6タイプに分類されましたが、8人の男性のY染色体DNAハプログループ(YHg)は全員I2a1b1a2b1に分類されました。ホモ接合性から、この15人では近親交配の痕跡はない、と推測されています。この15人では、近親度からおもに4つの核家族が確認されました。母親が子供を抱き、きょうだいが隣同士になっているなど、親族関係に応じた埋葬になっていることから、この15人をよく知る者が埋葬した、と考えられます。この件に関して興味深いのは、母親と息子の組み合わせが4組存在するのにたいして、父親と息子の組み合わせは1組しか存在しないことで、被葬者の父親たちがこの15人を埋葬した可能性を本論文は提示しています。

 YHgの分析から、コシツェ遺跡のGA集団は父系的社会を形成していた、と考えられます。後期新石器時代〜初期青銅器時代のドイツのバイエルン州南部では父系的社会の存在が確認されており(関連記事)、当時ヨーロッパ中央部では父系的社会が一般的だったのかもしれません。ただ、コシツェ遺跡の男女間で、ストロンチウム同位体比の明確な違いは確認されませんでした。しかし、mtHgの多様性とYHgの単一性から、コシツェのGA集団は父系的だった、と本論文は指摘します。GA集団はおもにウシの牧畜に依存していたようです。この生業形態の遊動性は、分裂と融合の流動的な社会を形成したと考えられます。コシツェ遺跡の15人のストロンチウム同位体比からも、比較的高い遊動性が示唆されています。コシツェ遺跡のGA集団は父系的で大規模な拡大家族を形成していた、と推測されています。

 コシツェ遺跡の15人には全員、負傷の痕跡が見られ、最も一般的なのは頭蓋の骨折です。これは、頭部への強打が死因だったことを示唆します。上肢の骨折がないことから、この15人は戦死したのではなく、捕らえられて処刑された、と推測されます。これは、ヨーロッパ先史時代の特定段階における広範で高頻度の暴力パターンに当てはまり、新石器時代には、人口圧力から資源や土地をめぐる競争が激化したのではないか、と推測されます(関連記事)。新石器時代における集団間の紛争は、共同体全体を標的とするか、男性に特化しているかのどちらかに分類されるようで、後者の場合、成人女性や子供は捕虜の対象です。コシツェ遺跡の場合は、儀式的暴力や家族内殺人の可能性も排除できませんが、共同体全体が標的とされていただろう、と本論文は推測します。成人男性が少ないことから、彼らは襲撃時に集落から離れた場所にいたか、逃亡した、と本論文は推測しています。あるいは、コシツェ遺跡の成人男性が狩猟や他集落の襲撃に出かけた隙を狙われたのかもしれません。

 紀元前2880〜紀元前2776年頃に起きたコシツェ遺跡の虐殺の原因の特定は将来も不可能でしょうが、縄目文土器(Corded Ware)文化が急速にヨーロッパ中央部に拡大してきた時期と合致していることに、本論文は注目しています。早期縄目文土器文化集団も含むポントス-カスピ海草原(中央ユーラシア西北部から東ヨーロッパ南部までの草原地帯)起源の集団の遺伝的影響をGA集団が受けていないことから、コシツェ遺跡のGA集団は縄目文土器文化集団と敵対的関係にあり、その紛争の中で虐殺事件が起きたのかもしれません。本論文は、遺伝学・形態学・考古学(同位体分析)を統合した興味深い結果を提示しており、同様の研究はヨーロッパを中心に盛んになりつつあるように思いますが、日本列島も含めてユーラシア東部圏でも同様の研究が進展するよう、期待しています。


参考文献:
Schroeder H. et al.(2019): Unraveling ancestry, kinship, and violence in a Late Neolithic mass grave. PNAS, 116, 22, 10705–10710.
https://doi.org/10.1073/pnas.1820210116


https://sicambre.at.webry.info/201905/article_22.html  

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コメント
1. 2020年9月01日 20:16:15 : WyT5nCL4pQ : YzlncmJkNllTTWc=[51] 報告
雑記帳 2019年06月15日
ポーランド中央部における新石器時代〜前期青銅器時代の人類史
https://sicambre.at.webry.info/201906/article_31.html


 取り上げるのが遅れてしまいましたが、ポーランド中央部における新石器時代〜前期青銅器時代の人類集団の遺伝的構成の変容に関する研究(Fernandes et al., 2018)が公表されました。ヨーロッパ系現代人は遺伝的に、更新世の狩猟採集民、新石器時代にアナトリア半島からヨーロッパに到来した農耕民、後期新石器時代〜青銅器時代にかけてポントス-カスピ海草原(中央ユーラシア西北部から東ヨーロッパ南部までの草原地帯)からヨーロッパに拡散してきた遊牧民の混合により形成されました。ヨーロッパの新石器時代の農耕民集団は、在来の狩猟採集民集団と混合していきましたが(関連記事)、その進展は地域により異なります(関連記事)。

 本論文は、ポーランド中央部北方のクヤヴィア(Kuyavia)地域の、紀元前4300〜紀元前1900年頃となる中期新石器時代から早期青銅器時代の17人のゲノム規模データを分析しました。クヤヴィア地域の考古学的な時代区分は、紀元前5400〜紀元前5000年頃の線形陶器文化(Linear Pottery Culture、LBK)、紀元前4700〜紀元前4000年頃となるレンジェル文化(Lengyel Culture)、紀元前3800〜紀元前3000年頃の漏斗状ビーカー文化(Funnel Beaker Culture、TRB)、紀元前3000〜紀元前2300年頃の球状アンフォラ文化(Globular Amphora Culture、GAC)、紀元前2700〜紀元前2200年頃の縄目文土器文化(Corded Ware Culture、CWC)、紀元前2500〜紀元前1900年頃の鐘状ビーカー文化(Bell Beaker Culture、BBC)となり、一部が共存しています。レンジェル文化で本論文においてゲノム解析の対象となったのは、ブジェシチ・クヤフスキ集団(Brześć Kujawski Group、BKG)です。平均網羅率は0.71〜2.50倍です。

 BKGは遺伝的にはおおむねヨーロッパの中期新石器時代農耕民集団と類似していますが、N22とN42の2人は例外です。N22はヨーロッパ西部狩猟採集民集団(WHG)ときわめて近縁で、N42は前期〜中期新石器時代農耕民集団とWHG系統の中間に位置します。クヤヴィア地域の人類集団の遺伝的構成でまず注目されるのは、BKGからGACにかけて、WHG系統要素が増加していることです。これは、在来の狩猟採集民との混合によるものと推測されます。紀元前4300年頃のN42個体はほぼWHG系統なので、クヤヴィア地域においては、紀元前5400年頃のLBK農耕民の到着から少なくとも紀元前4300年頃までの1000年以上、外来の農耕民集団とほとんど混合しなかった狩猟採集民集団が存在し、両者は共存していた、と推測されます。こうしたWHG系統の増加(復活)傾向はドイツ中央部のTRB集団でも見られますが、本論文は、クヤヴィア地域ではそれ以前のBKGで見られることから、農耕民集団と狩猟採集民集団との混合はLBKの後に起きたのではないか、と推測しています。これに関して本論文は、クヤヴィア地域だけではなくヨーロッパ中央部でこの時期に一般的に見られる、人口減少との関連を指摘しています。農耕民集団にとって、狩猟採集民との密接な接触はLBK後の集団存続の鍵となったのではないか、というわけです。

 BKG・TRB・GAC集団のミトコンドリアDNA(mtDNA)ハプログループ(mtHg)には、ヨーロッパの新石器時代農耕民によく見られるN1a・T2・J・K・Vが含まれており、ゲノム規模データと一致します。なお、N22はU5a、N42はU5bです。新石器時代の個体群でY染色体DNAハプログループ(YHg)が解析された3人はI2a2aに分類されています。本論文は、BKGにおけるmtHg- U5とYHg- Iが中石器時代のヨーロッパ起源であることから、クヤヴィア地域では更新世の狩猟採集民集団が母系でも父系でも新石器時代農耕民社会で存続しており、類似の事例はカルパチア盆地やバルカンでも報告されている、と指摘しています。

 クヤヴィア地域の人類集団の遺伝的構成が大きく変わるのは後期新石器時代で、CWC集団において、ポントス-カスピ海草原系統(草原地帯系統)の遺伝的影響が強く見られます。これは、青銅器時代の1個体のYHgがR1aであることとも一致します。一方、CWCとかなり年代の重なるGACには、草原地帯系統が見られません。またGACでは、それ以前の集団よりもWHG系統の割合が増加しています。草原地帯系統の欠如と高いWHG系統の割合という特徴は、クヤヴィア地域だけではなく、ポーランドのキエシュコボ(Kierzkowo)の5人とウクライナのイラーツカ(Ilatka)の3人でも確認されています。ただ、これらはGACの早期集団なので、後期GAC集団には草原地帯系統が存在したかもしれない、と本論文は指摘しています。クヤヴィア地域のCWC集団に関して本論文が注目しているのは、既知のCWC集団よりもWHG系統の割合が高いことです。これは、上述のように、クヤヴィア地域では少なくとも紀元前4300年頃まで、アナトリア半島起源の農耕民集団と混合しなかった狩猟採集民集団が存在したことと関連しているのではないか、と本論文は推測しています。それは、CWCと侵入してきた草原地帯文化集団との相互作用は複雑で、地域により異なっていた、との考古学的知見と一致している、と本論文は指摘しています。また、本論文刊行後の研究では、GAC集団とCWC集団との激しい争いを想定する見解も提示されています(関連記事)。

 ヨーロッパ系現代人の形成過程は、上述のように大まかには、更新世の狩猟採集民、新石器時代にアナトリア半島からヨーロッパに到来した農耕民、後期新石器時代〜青銅器時代にかけてヨーロッパに拡散してきた草原地帯遊牧民の混合と把握されます。しかし、その融合時期や混合の比率が各地域により異なっていたことは、本論文でも改めて示されたと思います。古代DNA研究の進展は著しいのですが、近代以降の知の中心・基準となり遺跡の発掘・研究が進んでいることと、DNAの保存に比較的好条件の環境であることから、ヨーロッパが中心となっています。本論文を読んで改めて、ヨーロッパにおける古代DNA研究が進展していることを思い知らされました。日本列島も含むユーラシア東部圏の古代DNA研究が、ヨーロッパも含むユーラシア西部と比較して大きく遅れていることは否定できませんが、日本人である私としては、今後少しでもヨーロッパとの差が縮まってほしい、と希望しています。


参考文献:
Fernandes DM et al.(2018): A genomic Neolithic time transect of hunter-farmer admixture in central Poland. Scientific Reports, 8, 14879.
https://doi.org/10.1038/s41598-018-33067-w

https://sicambre.at.webry.info/201906/article_31.html

2. 2020年11月24日 10:06:29 : s0KWgdgip6 : Wm12b1o3YzVJYms=[4] 報告
2020年11月24日
14世紀のポーランドにおける人為的な地域生態系の変化
https://sicambre.at.webry.info/202011/article_31.html

 14世紀のポーランドにおける人為的な地域生態系の変化に関する研究(Lamentowicz et al., 2020)が公表されました。この研究は、ポーランド西部のワグフ(Łagów)村近くの自然保護区であるポースキワグ(Pawski Ług)で、異なる泥炭層に含まれる植物と花粉の組成の違いを分析しました。ワグフ村は13世紀初頭に開拓され、1350年に聖ヨハネ騎士団が入植しました。この研究は、さまざまな泥炭層の組成を分析することにより、それぞれの層が形成された時に存在した条件を推測しました。より古い時代の深い層からブナの木やシデの木やスイレンが見つかったので、聖ヨハネ騎士団が入植する前のポースキワグは、原生林に囲まれた湿地だったと結論づけられました。また、泥炭には少量の木炭が含まれていたため、当時この地域に居住していたスラブ系の部族が定期的に原生林の小規模な野焼きをしていた、と示唆されました。

 聖ヨハネ騎士団の下で、大部分の土地は農業労働者に与えられ、農業が行なわれていました。こうした分析から、この時代の泥炭において、穀物の含有量が増加するにつれてシデの含有量が減少した、と明らかになりました。これは、森林を破壊する活動が、湿地の周囲での耕作地や牧草地の確立につながったことを示しています。この研究は、森林破壊がポースキワグの地下水位に影響を与えた可能性を指摘します。また、ヨーロッパアカマツが増えたことは、この樹木種の再定着を示しています。その結果として、土壌の酸性化が進み、ミズゴケが生育するようになり、生息地の酸性化と泥炭の形成が促進されました。これらの知見は、部族社会から封建社会へ移行したワグフの経済的変容が、地域生態系に直接的かつ著しい影響を与えたことを示している、と指摘されています。以下は『ネイチャー』の日本語サイトからの引用です。


考古学:14世紀の部族社会から封建社会への移行に伴う生活の変化が地域生態系に及ぼした影響

 14世紀のポーランドのワグフで起こった部族社会から封建社会への移行は、地域の生態系に著しい影響を与えたことを明らかにした論文が、Scientific Reports に掲載される。この知見は、過去に人間社会と経済に生じた変化がどのように地域環境を変えたのかを実証している。

 今回、Mariusz Lamentowiczたちの研究チームは、ポーランド西部のワグフ村近くの自然保護区であるPawski Ługで、異なる泥炭層に含まれる植物と花粉の組成の違いを分析した。ワグフは13世紀初頭に開拓され、紀元1350年に聖ヨハネ騎士団が入植した。

 Lamentowiczたちは、さまざまな泥炭層の組成を分析することによって、それぞれの層が形成された時に存在した条件に関する結論を導き出すことができた。Lamentowiczたちは、より古い時代の深い層からブナの木、シデの木、スイレンが見つかったことを踏まえて、ヨハネ騎士団が入植する前のPawski Ługは、原生林に囲まれた湿地だったと結論付けた。また、泥炭には少量の木炭が含まれていたため、当時この地域に居住していたスラブ系の部族が定期的に原生林の小規模な野焼きをしていたことが示唆された。

 聖ヨハネ騎士団の下で、大部分の土地は農業労働者に与えられ、農業が行われていた。今回の分析から、この時代の泥炭において、穀物の含有量が増加するにつれてシデの含有量が減少したことが明らかになった。これは、森林を破壊する活動が、湿地の周囲での耕作地や牧草地の確立につながったことを示している。Lamentowiczたちは、森林破壊がPawski Ługの地下水位に影響を与えた可能性があるとする見解を示している。また、ヨーロッパアカマツが増えたことは、この樹木種の再定着を示している。その結果として、土壌の酸性化が進み、ミズゴケが生育するようになり、生息地の酸性化と泥炭の形成が促進された。

 以上の知見は、部族社会から封建社会へ移行したワグフの経済的変容が地域生態系に直接的かつ著しい影響を与えたことを示している。


参考文献:
Lamentowicz M. et al.(2020): How Joannites’ economy eradicated primeval forest and created anthroecosystems in medieval Central Europe. Scientific Reports, 10, 18775.
https://doi.org/10.1038/s41598-020-75692-4


https://sicambre.at.webry.info/202011/article_31.html

3. 2021年1月31日 18:49:56 : pewE9MNtck : TENybGJhVVBSNEE=[9] 報告
雑記帳 2021年01月31日
ポーランド南東部の縄目文土器文化集団の遺伝的多様性
https://sicambre.at.webry.info/202101/article_40.html


 取り上げるのがたいへん遅れてしまいましたが、ポーランド南東部の縄目文土器文化集団の遺伝的多様性に関する研究(Linderholm et al., 2020)が公表されました。ヨーロッパ大陸の新石器時代には重要な人口統計学的変化と人口事象があり、近年では多くの考古遺伝学的研究により示されてきました(関連記事)。人類集団間の遺伝的系統・類似性・混合過程は、異なる生活様式・埋葬習慣・物質文化表現を有する文化複合と関連する、異なる期間と地理的背景の個体群の分析により調べられています。

 ヨーロッパの新石器時代化に関連する人口統計学的事象とそれに続く発展の特定は、集団置換および変化した生活様式への移行の過程における移動性と移住の重要性を示しました。この過程は、ヨーロッパのさまざまな地域でさまざまな経路をたどり(関連記事)、期間に応じて、狩猟採集民と農耕集団との間だけではなく、農耕民集団と牧畜民集団との間の混合パターンに明らかです。紀元前3000年頃の重要な移行過程と、ヨーロッパ東部におけるポントス・カスピ海草原(ユーラシア中央部西北からヨーロッパ東部南方までの草原地帯)のヤムナヤ(Yamnaya)文化複合の出現は、東方からの移住の波と関連しており、それは紀元前三千年紀における人口統計学的(草原地帯系統構成)・文化的・社会的・言語的発展に大きな影響を示しました。

 ヨーロッパ南部における紀元前3100〜紀元前3000年頃のヤムナヤ複合の出現は、さらに北方の縄目文土器複合(Corded Ware Complex)の出現(紀元前2900〜紀元前2800年頃)とほぼ一致しています。より早期の考古遺伝学的分析では、縄目文土器複合(CWC)個体群は草原地帯系統を示す、と明らかにされてきました(関連記事)。しかし、ヨーロッパ中央部で分析された同時代の個体群では、草原地帯系統がさまざまな程度で見られます。この草原地帯系統は、球状アンフォラ(Globular Amphora)文化と関連する個体群では見られませんでした(関連記事)。ヨーロッパ大陸の人口統計学的先史時代に関する知識は過去5年で大きく増加しましたが、これらの人口事象の地域的な解像度は不充分で、その関係は激しく議論されて批評されています。

 紀元前5400年頃、農耕はポーランド中央部にもたらされ、それは前期新石器時代への移行を示す線形陶器文化(Linear Pottery、Linearbandkeramik、略してLBK)複合の出現と一致します。LBK地域の近隣の狩猟採集民集団はその生活様式を維持し、ほぼ千年間新石器時代生活様式の拡散は停止しました。しかし、混合パターンで見られるように、農耕民集団と狩猟採集民集団との間には明らかに接触がありました(関連記事)。これらの関係は、長期間にわたってLBK後の農耕共同体の北限だったクヤウィ(Kuyavia)地域で見られる、レンジェル文化(Lengyel Culture)のブジェシチ・クヤフスキ集団(Brześć Kujawski Group、略してBKG)で明確に示されます。

 次の千年紀の間となる紀元前4000年頃、つまり中期銅器時代に、漏斗状ビーカー(Funnel Beaker)文化漏斗状ビーカー文化(TRB)が出現し、銅器時代生活様式が、スウェーデンの一部や現在のポーランドの大半を含むヨーロッパ中央部の北部地域へと拡散しました。ポーランドのTRB個体群は、ほぼヨーロッパ西部狩猟採集民集団(WHG)と関連する狩猟採集民集団との混合を示します。紀元前3100年頃、ポーランドのTRBはバデン(Baden)文化および球状アンフォラ文化(GAC)の出現(紀元前3400/3100〜紀元前2800年頃)とともに衰退し、ポーランドの多くの地域ではそれらの文化に置換されました。GACはむしろ短命な現象で、紀元前2800年頃以後、縄目文土器複合(Corded Ware Complex)が優勢になっていき、その消滅まで500年ほど継続しました。

 GACとCWCの個体群はひじょうに異なる遺伝的系統を有していました。ポーランドでは、CWC関連個体群は東方のヤムナヤ文化草原地帯牧畜民からの顕著な遺伝子流動を示しましたが、GACの個体群は草原地帯系統をほとんど示しません。紀元前2400年頃、鐘状ビーカー文化(Bell Beaker Culture、略してBBC)複合が南西からこの地域に侵入してきて、さらに別の主要な遺伝的構成が在来集団に追加されました。ポーランド南東部では、BBCは紀元前2200年頃に消滅します。ポーランドにおける発展は明確に、ヨーロッパ大陸で起きた混合事象と、人口統計学的および社会的発展における移動性の重要さを示します。

 ミトコンドリアDNA(mtDNA)とY染色体DNAと核DNAの識別により、系統と起源と混合を確認できます。ヤムナヤ牧畜民はY染色体ハプログループ(YHg)R1a・R1bをヨーロッパ大陸にもたらし、それ以前に拡大していたYHg-G2aをほぼ完全に置換した、と示されてきました。CWC個体群へのmtDNAの寄与は、mtDNAハプログループ(mtHg)U2・Wの出現と関連しています。完全な置換に近いこの大規模な寄与は、中石器時代狩猟採集民および前期新石器時代農耕民集団の遺伝的系統をほとんど保持していないCWC個体群ではひじょうに明確です。CWC複合と関連する個体群の研究では、狩猟採集民集団や、後期銅器時代〜前期青銅器時代にかけてアジア中央部で栄えたアファナシェヴォ(Afanasievo)文化およびヤムナヤ文化複合のような草原地帯文化集団との系統・混合が検出されています。経時的に、次のBBC複合の個体群との混合の証拠が現れ、先史時代ヨーロッパのこの地域は重要な社会的領域で、東西両方からの人類の遺伝子の坩堝だった、と示唆されます。考古遺伝学的分析は、人口統計学的過程を解読する最良の可能性を有しており、CWC複合と関連する個体群は、紀元前三千年紀における発展への重要な手がかりを提供します。

 CWC複合の最も特有の特徴の一つは埋葬儀式で、これはヨーロッパ中央部の大半に急速に広まりました。この広大な文化複合内の移住パターンと、地域的な下位集団があったのか、それとも他の種類の下位区分があったのかどうか、識別して理解する試みがなされてきました。CWCのさまざまな下位集団がどのように互いや周辺集団と相互作用したのか、識別して理解するために、先史時代におけるひじょうに重要な時期(紀元前2800〜紀元前2300年頃)のCWC関連個体群の詳細な分析がたいへん重要です。その理解は、CWC下位集団の複雑なネットワークと社会構造の理解に役立つだろう、個体群の親族関係も調べることでさらに深くなります。ポーランド南東部の地域的なCWC集団間のゲノム識別特性をさらに調べることにより、より完全でありながら複雑な像が、さまざまな文化集団からのいくつかの混合事象とともに浮き彫りになるでしょう。

 本論文では、ポーランド南東部の墓に埋葬された、CWCと関連する50個体およびBBCと関連する3個体の側頭部錐体骨標本が分析されました。このうち、CWC関連16個体とBBC関連3個体の計19個体から遺伝的データが得られました(網羅率は0.02〜5.4倍)。調査対象地域(図1)は、1〜4と6〜10と5の各遺跡に大きく3区分されます。1はクラコウ・ミスツルゼジョビツェ(Kraków-Mistrzejowice)、2はボストゥフ(Bosutów)、3はプロショビツェ(Proszowice)、4はペウチスカ(Pełczyska)、5はルブチェ(Łubcze)、6はミロチン(Mirocin)、7はシュチトナ(Szczytna)、8はフウォピツェ(Chłopice)、9はスコウォシュフ(Skołoszów)、10はスベツェ(Święte)です。3地域の遺跡区分は、サブカルパチア(Subcarpathian)地域に位置するジェシュフ丘(Rzeszów Foothills)地域がシュチトナ遺跡とフウォピツェ遺跡とミロチン遺跡とスベツェ遺跡、マウォポルスカ高地(Małopolska Upland)がクラコウ・ミスツルゼジョビツェ遺跡とプロショビツェ遺跡とボストゥフ遺跡とペウチスカ遺跡、ヴォルィーニ声地(Volhynian Upland)西部のソカリ尾根(Sokal Ridge)がルブチェ遺跡となります。

 全被葬者は同じ葬儀を示す類似様式の埋葬で、副葬品にいくつかの違いがあり、放射性炭素年代は一致しています。ストロンチウム同位体分析では、16個体のエナメル質標本が用いられました。この16個体はおもに成人の男女で、子供もいました。エナメル質は第一大臼歯(M1)優先で、第一小臼歯(P1)からも採取されました。さらに8個体で、炭素13および窒素15安定同位体分析が行なわれました。考古学的情報に基づく地理的下位集団との関連における遺伝的多様性のパターンだけではなく、ストロンチウム同位体分析や放射性炭素年代測定により得られた他の結果との関連における遺伝的データも調べられました。これらの個体群は4集団に区分されます(表1)。以下、本論文の図1です。
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●DNA解析

 遺伝的データが得られた19個体のうち10個体は、放射性炭素年代で3985±35〜3830±35年前でした。これらの遺伝子配列は、古代DNAに特徴的なシトシン脱アミノ化パターンを示しました。ボーランドの銅器時代の全個体は、ヨーロッパもしくはユーラシア西部起源のmtHgを有しており、具体的にはH2およびH7を含むHと、HV・I2・J1・K1・T1・T2・U4・U5です。ペウチスカ(図1の4)遺跡の個体群は、他のCWC遺跡群で特定された同じmtHgを示します。ヤムナヤ複合の個体群とは対照的に、ポーランド南部のCWCおよびBBC個体群は、mtHg-I2・J1を有していましたが、ヤムナヤ文化個体群でよく見られるmtHg-W・U2は欠如していました。

 19個体は全て遺伝的に性別が決定され、そのうち10個体は未成年なので、以前は形態的な性別評価が不足していました。8個体が女性、11個体が男性で、男性は全員YHg-Rに分類されました。このうち7個体はさらに詳しく分類され、ヤムナヤ文化およびBBC個体群に特徴的で、とくに青銅器時代以来ユーラシアに拡大したR1b1a1b(M269)もしくはR1b1a1b1a1a(L11)でした。

 個体間の相互関係を調べるため、本論文で調査された個体(表1)の全ての組み合わせで、条件付きヌクレオチド多様性推定値が用いられました。その結果、強い構造化は明らかになりませんでしたが、いくつかの個体間(pcw040とpcw041、pcw061とpcw062、pcw211とpcw212)でより密接な関係が浮き彫りになりました。さらに、プロショビツェ遺跡(図1の3)の1個体(pcw420)と、スベツェ遺跡(図1の10)の2個体(pcw062・pcw110)およびスコウォシュフ遺跡(図1の9)の1個体(pcw191)との間で、条件付き多様性の低下が観察されました。


●主成分分析

 主成分分析(図3B)では、地理的近接にも関わらず、ポーランド南部のCWC個体群とBBC個体群との間で、明確な遺伝的分離があることを示唆します。ポーランド南部のCWC個体群の遺伝的多様性は、ドイツの既知のCWC個体群の大半と重なりますが、ポーランドの既知のCWC関連8個体は、BBC個体群とより密接な類似性を示します。ポーランド南部のBBC個体群の遺伝的多様性は、ヨーロッパ中央部(チェコ共和国、ドイツ、ポーランド、ハンガリー)のBBC個体群の広範な多様性と重なります。考古学・地理・遺伝学の結果に基づいて、文化的区分(CWCとBBCの2集団)および遺跡の地理的分布(表1で示される集団1〜4)による検証がさらに行なわれました。以下、本論文の図3です。
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●混合

 標本群の系統追跡のため、現代人214集団と古代人485個体を用いて123の集団・個体の標本にまとめ、K=2からK=10でADMIXTURE分析が行なわれました(図4A)。混合分析では予想されたように、ポーランドの銅器時代個体群は主要な3系統を有する、と示されました。それは、ヨーロッパ西部および北部狩猟採集民(WHG、橙色)、近東新石器時代(NEN、赤色)、アジア起源の緑色と青色です。アジア起源は、アジア南部(SA、濃紺色)、アジア北東部(NEA、水色)、アジア南東部(SEA、淡緑色)、南北アメリカ大陸(NSA、濃緑色)です。ポーランド銅器時代個体群は以前の混合分析(関連記事)と類似しており、スベツェとシュチトナとミロチンの個体群は、ヤムナヤ文化関連個体群よりも大きなNEAおよびSEA構成要素を有していました。

 ポーランドのCWC個体群は、サハラ砂漠以南および他のアフリカ現代人集団で最も顕著なさらに別の構成も有していました。以前の研究によると、この構成要素は草原地帯系統を有する集団よりも新石器時代ヨーロッパ集団でより明らかである、と明らかになりました。個体群の集団の違いに関しては、集団1はSAの割合がより大きく、SEAの割合がより小さい構成要素を有しているのに対して、集団3および4は、より大きなSEA およびNEN構成要素を有します。この変動は、以前の研究で観察されたヨーロッパ中央部新石器時代個体群の変異および構成要素分布に反映されています(図4A)。本論文の知見は、現在のポーランドの異なる地域のCWC集団間の構造化と同様に、ポーランド南部のより早期の新石器時代集団と、侵入してくる草原地帯牧畜民との間の変動的な局所的混合パターンを指摘しています。以下、本論文の図4です。
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●f2・f3・f4統計

 外群f3統計が検証され、古代の集団・個体群が本論文で個別に生成された古代の標本群とより多くの遺伝的浮動を共有していました。参照古代集団・個体群の異なる人口規模と、密接に関連した個体群と集団間の有意な結果の欠如により、これらの分析から正確な結論を抽出するのは困難です。したがって上述のように、本論文で取り上げられた古代の個体群が遺跡の地理的分布に基づいて4集団にまとめられ(表1)、これらの集団は相互および古代の参照個体群・集団と比較されました。古代の参照個体群は、ADMIXTURE分析と同じ基準にしたがって集団にまとめられました。全体的に、有意ではないものの、結果からは、4集団がヤムナヤ文化個体群よりもロシアのアファナシェヴォ文化個体群の方と遺伝的浮動を多く共有し、集団1・2・3はロシアのアファナシェヴォ文化個体群よりもポーランドのCWC個体群の方と遺伝的浮動を多く共有する傾向が示唆されました。このパターンは、f2統計にも反映されています。

 本論文の標本セットにおける構造化を検証するため、複数のf4統計(O、X、A、B)が実行されました。Oは外群としての現代ヨルバ人です。Xは本論文で仮定された銅器時代4集団(集団1〜4)です。AとBは混合に関して検証された集団を表します。まず、本論文で取り上げられたポーランド銅器時代集団間の相互関係が検証されました。ほとんどの結果は有意ではありませんでしたが、集団2は集団3を除いて集団1および集団4とより密接と観察され、集団3となるペウチスカ遺跡(図1の4)BBC個体群は異なる集団と確認されました。有意なf4統計はおもに主成分分析上の集団化パターンと一致する、と観察されました。他の既知のヨーロッパ新石器時代集団で検証すると、類似のパターンは後期銅器時代および終末期銅器時代集団で観察されましたが、球状アンフォラ文化(GAC)のようなより早期の集団では観察されませんでした。

 集団1〜4は遺伝的に、ヤムナヤ文化個体群よりもロシアのアファナシェヴォ文化個体群の方とより密接で、また相互よりもロシアのアファナシェヴォ文化個体群の密接でした。集団1〜4に関して、ロシアのアファナシェヴォ文化個体群と同じ集団・年代・遺跡の2個体をf4統計で比較した時でさえ、相互よりもロシアのアファナシェヴォ文化個体群の方と有意に多くの遺伝的浮動を共有します。これらの結果は、ロシアのアファナシェヴォ文化個体群に対するf3およびf4統計に偏りがある可能性を示唆します。f2統計ではこの偏りは観察されず、予想通り、集団内の個体は相互にロシアのアファナシェヴォ文化個体群よりも密接です。アファナシェヴォ文化集団の小さな標本規模(5個体)のため、アファナシェヴォ文化集団の1個体(RISE507)を削除することでさらに偏りは減少し、別の1個体(RISE50811)と同様の可能性が高いことから、ロシアのアファナシェヴォ文化個体群との類似性に関しては、注意して解釈される必要があります。

 本論文の観察結果をさらに調べ、参照データの生成に起因するかもしれない偏りを追跡するため、ヤムナヤ文化個体群データセットを全ゲノム配列データセット(WGS)と濃縮データセット(CP)に分割し、同じf4統計計算が実行され、WGSヤムナヤ文化個体群データを用いてのf4統計の結果のみが信頼されます。WGSデータセット内でより類似性を有するにも関わらず、混合参照データセットを用いて得られた場合と同様の結果が依然として観察されます。


●親族関係分析

 個体間の親族関係を確認するため、個体の全組み合わせ間でREAD(Relationship Estimation from Ancient DNA)が用いられました。スベツェ遺跡(図1の10)で一親等の親族関係が2組(男性pcw040と少年pcv041、および女性pcw061と女性pcw062)と、フウォピツェ遺跡(図1の8)で2親等の関係が1組(子供のpcw211とpcw212)特定されました。さらなる集団に基づく統計的分析では、関連する各組み合わせのより低い網羅率のゲノム(つまり、pcw041とpcw062とpcw212)が除外されます。


●ペアワイズヌクレオチド多様性

 ペアワイズヌクレオチド多様性を用いて、個体のペアと集団間(集団1のpcw040とpcw070、集団3のpcw260とpcw280、集団4のpcw361とpcw362)の差異が検証され、その値がさまざまな新石器時代集団の個体のペア間で推定される多様性と比較されました。個体水準では、ペアワイズヌクレオチド多様性はREADの結果と一致している、と明らかになりました。換言すると、READ分析でも関連性が認められた3組(男性pcw040と少年pcv041、女性pcw061と女性pcw062、pcw211とpcw212)間でのより密接な関係が見つかります。集団水準では、ヌクレオチド多様性が集団間と類似しており、他の銅器時代文化集団で見られる多様性と同等である、と明らかになりました(図4B)。集団2は異なる遺跡の個体で構成されており、擬似的に推定値が上昇するかもしれないので、含まれていません。


●機能的一塩基多型

 網羅率の高い7個体(pcw040、pcw061、pcw070、pcw211、pcw361、pcw362)で、ラクターゼ(乳糖分解酵素)活性持続(LP)、目や髪の色、アジア系統と関連するいくつかの特徴といった、機能的一塩基多型がいくつか検証されました。この7個体は全員、アジア系統アレル(対立遺伝子)もLPも有していません。この7人のうち色素沈着関連一塩基多型の予測に充分な網羅率の個体では、茶色の目と濃い色(茶色もしくは黒色)の髪が予測されました。


●ストロンチウム同位体分析

 ストロンチウム同位体値(87/86)によると、ジェシュフ丘の遺跡に埋葬された一部の個体は外来民でした(図2B)。これらの個体の食性パターンはCWC個体群と一致しますが、考古学および同位体データでは、外来民の出身地(子供時代を過ごした場所)は、部分的にソカリ尾根もしくはウクライナだった可能性が示唆されます。これらのデータを用いて、個体の集団間の潜在的な関係を検証するため、人口統計を用いてFST分析が行なわれました。それは、(A)本論文における分析で用いられた4集団(集団1〜4)間。(B)ジェシュフ丘の個体群で、新たに地元民か外来民かで区分された4集団間。外来民は、ソカリ尾根の遺跡で埋葬された個体群と組み合わされました(集団1a、集団2、集団3、集団4a)。(C)全データセットを5集団に区分することにより(集団1a、集団2、集団3、集団4、集団5)分析が繰り返され、集団5はジェシュフ丘の外来民のみで構成されていました。

 Human Originsおよび1000人ゲノム計画の両方と統合された一塩基多型パネルを用いて、全ての潜在的な集団化が検証されました。集団1にジェシュフ丘の外来民を含めると、代替の集団4aに含められる場合よりも、他の集団との間の距離が短くなる、と明らかになりました。遺伝的距離の一般的パターンは同じままで、結果は参照データセット(Human Originsおよび1000人ゲノム計画)間で再現可能です。データセットが5集団に区分されると(ジェシュフ丘の個体群を地元民と外来民に区分)、ジェシュフ丘の外来民はソカリ尾根の個体群と最も近く、両者は他集団との関連においてひじょうに類似したパターンを示す、と観察されました。しかし、集団5がヌクレオチド多様性検証に基づいて統一されよく定義された下位集団を構成するという証拠は検出されず、地理および考古学的文脈に基づく集団Aが遺伝的分析に最も関連しているので、さまざまな分析にわたって用いられる、と明らかになります。以下、本論文の図2です。
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●考察

 本論文で分析された全個体は、CWCおよびBBC複合の埋葬と関連しています。地理的位置とストロンチウム同位体分析に基づいて異なる4下位集団が識別され、遺伝学に基づいて本論文の標本セットでは少なくとも2つの異なる集団が特定されました。mtDNAとY染色体のデータは、地域の遺伝的多様性のわずかに異なる像を提供し、ヨーロッパ中央部の他地域の対応する考古学的背景の個体群に関する以前の研究とは対照的です。以前の研究とは対照的に、とくにヤムナヤ文化牧畜民とつながるミトコンドリア系統は見つからず、代わりに、本論文の標本で見つかったmtDNA系統のほとんどは、以前の研究における西部CWC標本群の場合と同様に、ヨーロッパ新石器時代農耕集団と関連しているかもしれません。本論文の結果は、以前の観察と比較して、早期新石器時代集団とのより強い継続性を示唆します。換言すると、本論文は在来個体群の明らかな「取り込み」の痕跡を検出しました。しかし、埋葬は調査された全事例で典型的なCWCパターンを示すので、新石器時代以来の埋葬儀式の影響は限定的なようです。

 YHg-R1b1a1b(M269)もしくはR1b1a1b1a1a(L11)は、ヤムナヤ文化およびBBC個体群に特徴的で、青銅器時代とその後にユーラシア全域へとくに拡大しました。不思議なことに、YHg-R1b1a1bは他の既知のヨーロッパ(ドイツ、ポーランド、ボヘミア、エストニア、リトアニア)のCWC個体群では珍しく、後のBBC共同体と関連しています。ヤムナヤ文化関連集団の遺伝的兆候の包含は見られますが、近隣地域で見られるものとは異なる在り様です。これらの結果は、以前の研究の推定より高い水準の、より早期の新石器時代個体群とのCWC共同体の継続性を示唆します。またこの結果から、CWC集団は草原地帯世界の影響を示す、と分かります。つまり、特定のY染色体を有する個体群においてです。後に、BBC共同体の影響はより強くなりました。

 主成分分析では、地理的近接にも関わらず、CWC個体群とBBC個体群との間に明確な遺伝的分離がある、と明らかになりました。ポーランド南部のCWC個体群の遺伝的多様性は、ドイツの既知のCWC個体群の大半と重なりますが(関連記事)、ポーランド低地のCWC関連8個体は、BBC個体群とより密接に類似しています。ポーランド低地のCWC共同体を単一墓文化と呼ばれるCWC世界の北西部の代表とみなすならば、この事実は予想外ではありません。ポーランド南東部のBBC個体群の遺伝的変異は、ヨーロッパ中央部(ボヘミア、モラヴィア、ドイツ、ポーランド南西部、ハンガリー)のBBC個体群の広範な変異と重なっており、考古学的データとよく一致します。この結果は、混合分析と一致します。構造化がさらに地域水準で検出できるのかどうか判断するため、標本が地域的下位集団に区分され、その関係性が検証されました。

 個体水準のf4統計によると、ポーランド南東部のCWC個体群は既知のCWC個体群およびヤムナヤ文化個体群と同等に異なりますが、ペウチスカ遺跡(図1の4)の3個体は、ヤムナヤ文化関連個体群を除いて、ドイツやエストニアやリトアニアやポーランド西部のCWC個体群を選択する傾向があります。しかし、これはポーランド中央部北方のクヤヴィア(Kuyavia)地域のCWC個体群には当てはまりません(関連記事)。ポーランド南東部のCWC個体群は、クヤヴィア地域のCWC個体群よりもヤムナヤ文化関連個体群の方を選ぶ傾向があります。本論文の結果は、ヤムナヤ文化集団の移住事象がヨーロッパ全域でさまざまな集団に与えた影響を強調します。つまり、ヤムナヤ文化集団の移住による過程が残した遺伝的影響は、地域や文化により大きく異なります。

 集団3(表1)を除いて、集団2が集団1および集団4とより密接である、という統計的に有意な値が得られ、ペウチスカ遺跡のBBC個体群は異なる人口集団である、と確認されました。これは、ポーランド南部の銅器時代内だけではなく、同じ文化を表す集団間の構造化を示唆します。前期〜中期新石器時代標本群と比較すると、CWC関連の集団1と集団2と集団4は、ヤムナヤ文化牧畜民、およびエストニアやドイツやリトアニアやポーランド中央部の既知のCWC集団の大半と、同等の遺伝的距離を示します。ポーランド南東部のCWC個体群は、ポーランド低地のCWC個体群よりもヤムナヤ文化個体群の方と有意に密接に関連しており、ポーランド中央部のさまざまなCWC集団間の分化が裏づけられます。これは、CWCの低地と高地の物質的の違いを示す考古学的知見と一致します。

 ペウチスカ遺跡のBBC個体群は、草原地帯の祖先よりも、大半はチェコのBBC集団と同様にドイツやポーランド低地やエストニアのCWC個体群の方と近くなっています。興味深いことに、ポーランド南東部のCWC個体群(集団1と集団2と集団4)とは対照的に、ペウチスカ遺跡のBBC個体群は、ヤムナヤ文化関連個体群よりも、新石器時代のイベリア半島やイタリア半島やハンガリーやスウェーデンやポーランドの漏斗状ビーカー文化(TRB)およびブジェシチ・クヤフスキ集団(BKG)の方と、有意に密接な類似性を共有し、ポーランドの球状アンフォラ文化(GAC)個体群とは有意ではないものの、正の類似性を示します。これは、ウチスカ遺跡のBBC集団とより早期の集団との間の潜在的な継続性を示します。この過程に関連する集団の遺伝的特異性は、150〜200年後のヨーロッパ中央部におけるBBCの特徴との類似性を示します。

 CWCの複雑な個性は埋葬儀式の種類にも見られる、という見解に基づくと、とくに墓と二重埋葬の研究は、潜在的な親族関係に関して、CWC集団の地域の社会的構造の解釈に光を当てられます。肯定的な結果は、3ヶ所の二重墓から得られ、全て同性の個体が含まれます。フウォピツェ遺跡の11号墓(pcw211とpcw212)およびスベツェ遺跡の408号墓(pcw061とpcw062)で親族関係が観察されました。フウォピツェ遺跡11号墓の被葬者2人は2親等の親族関係を表しますが、スベツェ遺跡408号墓の被葬者2人は一親等の親族関係を表します。ルブチェ遺跡の二重墓の被葬者2個体(pcw361とpcw362)は、本論文のREAD分析では密接な関係はありませんでした。しかし、その類似したYHg-R1b1a1b1a1aからは、男性系統での共有祖先の可能性が示唆されます。

 フウォピツェ遺跡では、若い女性2人が同時に死亡して埋葬されましたが、その死因は特定できません。ルブチェ遺跡の人類遺骸は保存状態が悪すぎて、死亡時や死因に関する情報を得られませんでした。興味深いことに、スベツェ遺跡の408号墓では、より若い女性個体(pcw061)がより年長の女性個体(pcw062)より早く死亡しており、pcw061遺骸はおそらく別の場所から掘り出され、pcw062の墓に追加されました。壁龕建築は「再訪」と二次的堆積を可能としましたが、この慣行は珍しい埋葬儀式の一部で、女性2個体間の親族関係が関連していたかもしれません。興味深いことに、ストロンチウム同位体分析によると、pcw061は外来民で、pcw062は地元民だったので、この密接に関連した女性2個体は、異なる場所で子供時代を過ごしました。この観察は、CWCの埋葬慣行と社会組織も考えると、とくに驚くべきで重要です。この女性2個体は、一部の事例では親族が異なる時期に死亡しても共に埋葬されたことを示します。

 密接に関連した個体はスベツェ遺跡の40A号墓(pcw040)と43号墓(pcw041)でも見られますが、二重墓に埋葬されておらず、相互に近くの場所に埋葬されました。両者は外来民でした。pcw040とpcw041は一親等の関係にあり、同じ放射性炭素年代を示すので、父と息子である可能性が最も高そうです。両者の墓が近くにあることから、親族関係は社会の重要な部分で、CWC共同体の埋葬慣行で明確に現れたのかもしれません。


●まとめ

 先史時代の社会的過程は、解釈はもちろん特定も困難です。本論文では、古代DNAとゲノム分析を用いて、銅器時代のポーランド南部に存在したCWCとBBCとの間、およびCWC内のいくつかの水準の構造化と人口動態が検出できました。集団間の混合を評価することにより、草原地帯系統の拡大のようなより早期の既知の人口統計学的事象が、本論文のCWC個体群でも検出できます。当然、ドイツ中央部の集団およびドイツ低地に居住するCWC下位集団との強いつながりも見つかりました。これらのつながりは新しくありませんが、ポーランドの他の先行研究の標本群ではさほど明確ではなかった、興味深い南部の起源を示唆しているかもしれません。さらに、クヤヴィア地域とポーランド南部のCWC集団間の少ない関連性が検出され、CWC伝統の拡大の詳細な経路が明らかになりました。特定された最も珍しい兆候は、CWCとアファナシェヴォ複合との間のものです。ヤムナヤ文化よりもさらに東方の草原地帯集団からのこの遺伝的取り込みは、これらの地域にとって新規であり、以前の見解よりも複雑なCWC集団の構造と歴史を示唆します。

 本論文の結果は、標本数の少なさだけではなく、草原地帯系統の拡大に先行し、地理的により広範な個体群における同じ兆候の出現もあるため、慎重に扱う必要があります。本論文の知見は、以前のゲノム研究での推定よりも小さなヤムナヤ文化集団拡大の影響を示唆する、最近の考古学的観察と一致します。CWC系統は、最初の新石器時代の共通するmtDNA系統だけではなく、ヤムナヤ文化牧畜民により同化され置換された系統へのつながりも示します。さらに後の時代では、BBC集団の遺伝子プールにおけるCWC南東部集団の遺伝的残存が検出されます。ポーランド南東部は紀元前三千年紀における重要地域で、異なる起源を有する人類集団の真の先史時代の坩堝でした。この地域では、典型的なBBC集団のゲノムが、ヨーロッパの他地域よりも200年早く出現したかもしれません。

 ストロンチウム同位体の使用により、本論文の標本群では地元民と外来民を検出でき、CWCのさまざまな下位集団がどのように相互作用したのか、光を当てます。これらの特徴を基礎として用いることで、埋葬された個体間の親族関係をより詳しく調べられます。調べられた個体間、とくに珍しい埋葬慣行の親族関係の異なる3種類を識別することにより、CWCの社会構造の根底にある儀式と伝統に関する理解が深まります。


参考文献:
Linderholm A. et al.(2020): Corded Ware cultural complexity uncovered using genomic and isotopic analysis from south-eastern Poland. Scientific Reports, 10, 6885.
https://doi.org/10.1038/s41598-020-63138-w


https://sicambre.at.webry.info/202101/article_40.html

4. 2021年5月01日 18:24:47 : lVUDwG90TQ : My9UOTJ4RWJwSms=[29] 報告
【ゆっくり解説】何度も分割されて消滅しても再建! 不死鳥の様な国、ポーランドとは?
2021/04/28



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