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フィリピン人の起源
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/550.html
投稿者 中川隆 日時 2021 年 3 月 29 日 08:29:15: 3bF/xW6Ehzs4I koaQ7Jey
 

(回答先: 太平洋先住民の起源 投稿者 中川隆 日時 2020 年 11 月 02 日 11:43:36)

フィリピン人の起源


2021年03月29日
過去5万年のフィリピンへの複数回の現生人類の移住
https://sicambre.at.webry.info/202103/article_32.html


 過去5万年のフィリピンへの複数回の現生人類(Homo sapiens)の移住に関する研究(Larena et al., 2021)が公表されました。フィリピンは、アジア太平洋地域の過去の人類の移住の交差点となるアジア南東部島嶼部(ISEA)に位置する、7641の島々から構成される群島です。最終氷期末(11700年前頃)までに、フィリピン諸島は一つの巨大な陸塊としてほぼつながっており、ミンドロ海峡とシブツ海峡によりスンダランドと隔てられていました。少なくとも67000年前頃以降、フィリピンには人類が居住してきました(関連記事)。ネグリートと自己認識している民族集団の祖先が、最初の現生人類の居住と広くみなされていますが、その古代型ホモ属(絶滅ホモ属)や他の早期アジア集団やその後の植民との正確な関係は充分に調査されておらず、議論の余地があります。

 片親性遺伝標識(母系のミトコンドリアDNAと父系のY染色体)および/もしくは常染色体データを用いての以前の調査は、ISEAへのさまざまな移住事象の可能性を解決しようとしましたが(関連記事1および関連記事2)、明確な合意には至っていません。分析の欠如は、フィリピンの多様な民族集団の不充分な把握と、用いられたゲノムデータの限定的な密度に起因するかもしれません。これらの問題に対処するため、これまでで最も包括的なフィリピンの人口集団ゲノムデータセットが収集され、分析されました。その内訳は、全地理的範囲の115の異なる文化的共同体からの1028個体で、250万ヶ所の一塩基多型が遺伝子型決定されました。また、早期完新世におけるアジア東部本土からの移住史をよりよく理解するため、台湾海峡に位置する福建省の亮島(Liangdao)の古代人2個体(それぞれ、較正放射性炭素年代で8320〜8060年前頃と7590〜7510年前頃)からのゲノムデータが生成されました(図1A)。

 本論文の分析から、フィリピンでは少なくとも5回の大きな現生人類の移住があった、と示唆されます。それは、フィリピン内で在来の種区分未定のホモ属であるデニソワ人(Denisovan)とそれぞれ独立して混合した、基底部オーストラレシア集団の南北のネグリート分枝集団と、パプア人関連集団、基底部アジア東部人の分枝であるマノボ人(Manobo)とサマ人(Sama)とコルディリェラ人(Cordilleran)です。基底部アジア東部人の最小限の混合分枝のままであるコルディリェラ人は、農耕移行の確立年代に先行してフィリピンに到来し、全オーストロネシア語族(AN)話者人口集団で広がっている遺伝的祖先系統をアジア東部人とともに持ち込んだ可能性が高そうです。この複雑な人口統計学的歴史は、アジア太平洋地域の人口集団の遺伝的構成に大きく影響を与えた、出入口としてのフィリピンの重要性強調します。


●フィリピン現代人の複数の祖先

 主成分分析による調査は、フィリピンの民族集団が世界規模の比較でアジア太平洋地域人口集団とともにクラスタ化する、と示します(図1B)。ネグリートがパプア人と非ネグリートとの間で一直線に並ぶ独特の勾配を形成するのに対して、コルディリェラ人は興味深いことに、PC1軸でアジア東部人クラスタを定義する端に位置し、アメリカ大陸先住民集団およびオセアニア集団よりもさらに極端です(図1B)。ネグリートと非ネグリートとの間には明確な二分があり、コルディリェラ人に最もよく表される基底部アジア東部人祖先系統と、ネグリートおよびオーストラロパプア人により表される祖先系統との間の深い分岐が示唆されます(図1B)。アジア太平洋地域人口集団の詳細な分析を見ると、非ネグリートは、コルディリェラ人、もしくはティン人(Htin)およびムラブリ人(Mlabri)かマレーの非ネグリートのような、アジア南東部本土(MSEA)民族集団のどちらかに属する集団に明確に分かれます。

 さらなる分析により、後述のようにフィリピンのネグリート集団間の明確な遺伝的構造と、非ネグリート集団間の階層構造とが明らかになり、それはコルディリェラ人やマンギャン人(Mangyan)やマノボ人(Manobo)やサマ・ディラウト人(Sama Dilaut)集団により例証されます(図1C)。これらの観察結果は、推定された祖先系統構成要素と一致します。簡潔に言うと、階層構造はオーストラロパプア人関連のネグリート対非ネグリートの間の二分で始まり、コルディリェラ人対MSEAに属する人口集団への非ネグリートのクラスタ化と、アイタ人(Ayta)やアイタ人(Agta)集団へのネグリートの階層構造、およびコルディリェラ人やマンギャン人やマノボ人やサマ人関連人口集団への非ネグリートの階層構造が続きます。以下、本論文の図1です。
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●フィリピンのネグリートは深い分岐を示します

 地理的障壁と人口集団間の孤立の長い歴史の可能性を考えると、ネグリート集団間ではある程度の分化が予測されます。たとえば、ネグリート集団に限定された主成分分析は、ルソン島中央部ネグリート集団と南部ネグリート集団との間の勾配(PC1軸)、PC2軸沿いのフィリピン北部におけるネグリートの東西のクラスタ化を明らかにします。さらにフィリピン北部ネグリートは深い人口集団構造を示し、3クラスタに分かれます。それは、全アイタ人(Agta)となるルソン島中央部ネグリート、ビコル(Bicol)地域およびケソン(Quezon)州のアイタ人(Agta)集団となるルソン島南東部ネグリート、カガヤン(Cagayan)地域のアイタ人(Agta)とアッタ人(Atta)とアルタ人(Arta)のネグリートとなるルソン島北東部ネグリートです。

 フィリピン北部のネグリートは、オーストラリア先住民およびパプア人の両方にとって外群です(図2A)。合着(合祖)に基づく分岐時間推定手法を用いて人口集団分岐モデルを仮定すると、フィリピン北部のネグリートの祖先は46000年前頃(95%信頼区間で46800〜45500年前)に共通の祖先的オーストラレシア人口集団(基底部スンダ)と分岐した、と推定されます。この分岐はスンダランドの古い大陸の陸塊で起きた可能性があり、オーストラリア先住民とパプア人の25000年前頃(95%信頼区間で26700〜24700年前)の分岐に先行し、おそらくはフィリピン北部の現在のネグリートにつながる、ルソン島への移住の結果としてでした。

 北部とは対照的に、オーストラロパプア人的な遺伝的兆候は、他のネグリート集団においてよりも、ママヌワ人(Mamanwa)のような南部ネグリートにおいて明らかに高くなっています(図2A)。ママヌワ人ネグリートも、パプア人およびオーストラリア先住民にとって外群として現れ、祖先的ママヌワ人は、37000年前頃(95%信頼区間で36200〜38700年前)に分岐した基底部オセアニア人の派生集団で、オーストラリア先住民とパプア人の分岐前に恐らくはスールー諸島経由でミンダナオ島に拡散した、と示唆されます。しかし、南部ネグリートが北部ネグリートとクレード(単系統群)を形成する、という代替的なモデルは却下されません。これを考えると、共通祖先的ネグリート人口集団が、パラワン島もしくはスールー諸島経由で単一の地域からのみフィリピンに拡散し、続いてフィリピン内で分岐して、南北のネグリートに分岐した、という想定を排除できません。

 南北両方のネグリートはその後、コルディリェラ人関連人口集団と混合し、興味深いことに、南部ネグリートはオーストラリア先住民とパプア人の分岐後にパプア人関連人口集団から追加の遺伝子流動を受けました。この以前には評価されていなかったパプア人関連祖先系統の北西部の遺伝子流動は、インドネシア東部や、サンギル人(Sangil)とブラーン人(Blaan)のようなフィリピン南東部の民族集団で最大の影響を有します。


●マノボ人とサマ人の祖先のフィリピンへの早期拡散

 フィリピン南部の民族集団は、非オーストラロパプア人関連で、一般的にフィリピン北部の非ネグリート集団では欠けている、遍在する祖先系統を示します。これまで「マノボ人祖先系統」と呼ばれていたこの独特遺伝的痕跡は、ミンダナオ島の内陸部マノボ人集団で最も高くなっています。コルディリェラ人および南部ネグリート祖先系統を隠し、マノボ人祖先系統のみを保持すると、ミンダナオ島の他の民族集団間でマノボ人構成要素がより明らかになりました。マノボ人祖先系統に加えて、他の異なる祖先系統がフィリピン南西部で識別されました。この遺伝的兆候は、スールー諸島のサマ人海洋民で最も高く、「サマ人祖先系統」と呼ばれます。全ての他の祖先系統を隠し、サマ人祖先系統のみを保持すると、サマ人構成要素は、サンボアンガ半島(Zamboanga Peninsula)、パラワン島、バシラン島、スールー諸島、タウイタウイ島の民族集団間、さらにはサマ人としての自己認識がないか、サマ人関連言語を話さない人口集団間でさえ、より明確になります。

 高いサマ人祖先系統を有する民族集団は、最小限の混合マノボ人集団であるマノボ・アタ人(Manobo Ata)と比較して、ムラブリ人やティン人のようなアジア南東部本土(MSEA)のオーストロアジア語族話者民族集団と顕著に高い遺伝的類似性を示します。このティン・ムラブリ関連遺伝的兆候は、サマ・ディラウト人や内陸部サマ人集団だけではなく、フィリピン南西部のパラワン島およびサンボアンガ半島民族集団でも見られます。これらの知見は、ティン・ムラブリ関連遺伝的兆候がインドネシア西部の民族集団間で検出される、という以前の観察と一致します(関連記事)。本論文の分析では、この遺伝的兆候もインドネシア西部を越えてフィリピン南西部に広がっている、と明らかになります。

 マノボ人とサマ人の両遺伝的祖先系統は、台湾先住民とコルディリェラ人との間の推定される分岐よりも早く、共通アジア東部祖先的遺伝子プールから15000年前頃(95%信頼区間で15400〜14800年前)に分岐しました(図2B)。驚くべきことに、マノボ人とサマ人の祖先系統は両方、アミ人(Ami)やタイヤル人(Atayal)やコルディリェラ人からの漢人や傣人(Dai)やキン人(ベトナム人)の分岐前に、共通アジア東部人から分岐しました(図2B)。したがって、本論文の知見からは、祖先的マノボ人およびサマ人は、他のティン人およびムラブリ人関連民族集団とともに、漢人や傣人や日本人やキン人やアミ人やタイヤル人の拡大前に、基底部アジア東部人から15000年前頃に分岐した分枝を形成します(図2B)。

 サマ人はマノボ・アタ人と比較してティン人とクレードを形成します。サマ人とティン人およびムラブリ人集団の共通祖先は、祖先的マノボ人と12000年前頃(95%信頼区間で12600〜11400年前)に分岐した、と推定されます。ティン人およびムラブリ人関連遺伝的兆候の現在の地理的分布を考えると、その祖先はコルディリェラ人関連人口集団の拡大前に、スンダランドを経由してインドネシア西部とフィリピン南西部に拡大した可能性が高そうです(関連記事)。興味深いことに、15000年前頃および12000年前頃という上述の推定は、最終氷期末におけるスンダランドの復元から推測される、アジア南東部島嶼部(ISEA)における主要な地質学的変化と一致します。したがって、ISEAにおける気候要因の変化は、人口集団の氷期後の移動と孤立を促進し、ISEAにおける民族集団の分化につながったかもしれません。以下、本論文の図2です。
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●アジア東部人集団としてのコルディリェラ人

 コルディリェラ人民族集団は、ルソン島北部から中央部のコルディリェラ山脈を越えて、フィリピンで唯一の海に接していない地域に居住しています。歴史的に、コルディリェラ人はスペイン人による直接的な植民地化とキリスト教化に抵抗したと知られており、したがって、その独特の文化的慣習の多くを保持できました。この地理的および文化的孤立は、この地域の高い言語的多様性と、一部の集団により示される遺伝的混合の低水準に役割を果たしたかもしれません。以前に報告されたカンカナイ人(Kankanaey)と(関連記事)、それに続く混合およひf3・f4統計分析の組み合わせに加えて、ボントック人(Bontoc)とバランガオ人(Balangao)とトゥワリ人(Tuwali)とアヤンガン人(Ayangan)とカランガイ人(Kalanguya)とイバロイ人(Ibaloi)が、基底部アジア東部人祖先系統を有する最小の混合人口集団として明らかになりました。

 本論文の全混合分析で観察されたコルディリェラ人の間の均質な祖先系統は、強い遺伝的浮動の存在により説明できます。しかし、ホモ接合性連続の数と領域の長さに基づく以前の分析および本論文の調査は、コルディリェラ人の間での最近のボトルネック(瓶首効果)もしくは広範な近親交配を裏づけません。さらに、f3混合とf4統計を用いての検証は、中央部コルディリェラ人が、ネグリートからの遺伝子流動を受けなかったフィリピン内で唯一の民族集団であり続けた、という直接的証拠を提供します。コルディリェラ地域の周辺での一連の移住および植民地期と、ルソン島のネグリートおよび非ネグリート集団との交易および歴史的相互作用の報告された記録を考えると、これは予想外です。アジア太平洋地域の他の全民族集団は、アンダマン諸島人かパプア人かネグリートかティン人およびムラブリ人か、アジア東部北方人と関連する遺伝的祖先系統と混合しています。したがって、地域集団間の標本規模の違いを制御した後でさえ、コルディリェラ人集団は一貫して世界規模の主成分分析ではPC1軸を一貫して定義し、アフリカのコイサン民族集団とは対極に位置する、と明らかになりました(図1B)。

 台湾のアミ人もしくはタイヤル人ではなくコルディリェラ人は、オーストロネシア語族話者人口集団拡大についての最小限の混合された遺伝的兆候の、最良の現代の代理として機能します。アミ人とタイヤル人は両方、ティン人・ムラブリ人関連(もしくはオーストロアジア語族関連)およびアジア東部北方関連と類似した遺伝的構成要素との混合を示します。さらに、全てのフィリピンの民族集団は、アミ人もしくはタイヤル人とよりも、コルディリェラ人とより多くのアレル(対立遺伝子)を共有します。さらにコルディリェラ人は、アミ人とタイヤル人を除いて、マレーシア人やインドネシア人やオセアニア人と、さらにはマレー半島とオセアニアのラピタ(Lapita)文化の古代個体群の間でさえ、最も多くのアレルを共有します(関連記事)。


●アジア本土からフィリピンへのコルディリェラ人関連集団の移住

 台湾海峡の馬祖(Matsu)島(馬祖列島)は行政区分では中華人民共和国でも中華民国(台湾)でも福建省に属し、現在は台湾が実効支配しています。馬祖島の亮島(Liangdao)で発見された2個体は、現代人ではコルディリェラ人やアミ人やタイヤル人、古代人ではフィリピン北部やマレーシアや台湾やラピタ文化の個体群と最高水準の遺伝的浮動を共有します。中国本土に近い亮島の位置(中国本土からは26km、台湾からは167km)を考えると、8000〜7000年前頃の個体である亮島2は、アジア本土への「コルディリェラ人」祖先系統の最古のつながりを表します。

 予測されるように、亮島の2個体(亮島1および亮島2)は、基底部スンダ祖先系統との混合を示しません。亮島1および亮島2は両方、アジア東部北方集団との共有された祖先系統・混合明確な証拠を示し、それはアジア東部本土と台湾の現代および古代の人口集団・個体群と類似しています。これは、アジア東部の古代の個体群の最近の分析と一致します。それによると、さまざまな時点で人口集団間の遺伝子流動が明らかになり、アジア東部北方人と亮島の2個体を含むアジア東部南方人との間である程度の遺伝的類似性が示されました(関連記事1および関連記事2および関連記事3)。

 しかし、現代コルディリェラ人はこのアジア東部北方祖先系統構成要素を示さないので、コルディリェラ人関連集団とアジア東部本土および台湾の民族集団との間の分岐の下限(8000年前頃)を提供します。この知見は、フィリピン北部における4000〜3000年前頃の新石器時代遺物の最初の考古学的証拠と合わせて、最初のコルディリェラ人はこの時点でのアジア東部沿岸部の他集団と同様に、定住農耕民ではなく複雑な狩猟採集民だった、と示唆されます。アジア東部北方祖先系統は後に到来したに違いなく、中国沿岸部と台湾地域に起源があり、パタン諸島およびルソン島沿岸地域へ拡散しました。アジア東部北方祖先系統の存在がじっさいに農耕拡大の遺伝的兆候ならば、コルディリェラ人におけるその一般的な欠如から、これらの集団間での新石器時代への移行は、人口拡散ではなく文化的拡散の結果だった、と示唆されます。


●完新世の移住と言語および新石器時代文化

 フィリピンへの完新世の移住については、2つの対照的なモデルが提示されてきました。一方は出台湾仮説で、オーストロネシア語族と赤色スリップ土器と穀物農耕をもたらした、台湾から海洋航海民による新石器時代要素一式の北方から南方への一方向の拡大を支持します。もう一方は出スンダランド仮説で、海洋交易ネットワークと、以前に居住可能だった土地の気候変化による浸水に続いてのスンダランドからの人口集団拡大により先行する、早期完新世以来のフィリピンへの人口集団の複雑な南北の移動を想定します。

 本論文の分析では、ネグリートやマノボ人やサマ人的集団の北方への移住後、中国南部・台湾地域からフィリピンへのコルディリェラ人関連祖先系統の遺伝子流動が、1万年前頃以後に複数の波で起きたかもしれない、と示唆されます。これは、アミ人と、コルディリェラ人とフィリピン中央部・北部のさまざまな集団との間の分岐よりも早い中央部コルディリェラ人との間の、推定される(遺伝的)分岐を説明できるかもしれません。さらに、ルソン島からミンダナオ島へのコルディリェラ人関連祖先系統の単純で段階的な一方向の移動で予想される、ネグリート・パプア人とコルディリェラ人との混合の年代の南北の勾配は観察されません。それどころか、ネグリート・パプア人とコルディリェラ人との混合の最古の年代は、フィリピン諸島全域に散らばっており、推定される中国南部・台湾の起源地域からフィリピンへの人口集団の複雑で不均一な移動を示唆します。

 多様な遺伝的祖先系統からの移住にも関わらず、フィリピンの全民族集団が、オーストロアジア語族のマレー・ポリネシア分枝内に収まる言語を話す、という事実の観点では、フィリピンの言語的景観は著しく多様性が低くなっています。言語と遺伝子の不一致のあり得る一つの説明は、フィリピン諸島内外で広範な言語置換を促進した、移住してきたオーストロネシア語族話者人口集団の支配的影響です。一部の単語が元の非オーストロネシア語族言語に保持されてきた可能性があるので、完全に言語置換は起きなかったかもしれません。たとえば、一部のネグリート集団は、あらゆる他のオーストロネシア語族言語では完全に説明されていない、特定の語彙要素を含む言語を話します。同様に、ボルネオ島の陸ダヤク人(Land Dayak)のオーストロネシア語族話者は、その言語に保持されたオーストロアジア語族の語彙項目の証拠をいくつか有しています。

 一連のさまざまな遺伝的および考古学的証拠から、農耕はフィリピンにおけるコルディリェラ人関連人口集団の最初の到来と関連していなかった、と示唆されます。コルディリェラ人には欠如しており、8000年前頃となる亮島の2個体には存在するアジア東部北方祖先系統構成要素に加えて、コルディリェラ人とアミ人・タイヤル人との間の8400年前頃(95%信頼区間で8800〜8000年前)の分岐は、台湾およびフィリピンへの農耕の到来に先行します。公開されている利用可能なゲノム配列データを用いて2・2外群(TTo)手法を適用すると、その分岐年代は17000年前頃(95%信頼区間で25000〜9500年前)とさらに古くなります。

 さらに、考古学的証拠では、7000〜5000年前頃の中国南部沿岸部とベトナム北部の共同体は漁撈民・狩猟採集民であり農耕民ではなく、水田稲作は中国南部とISEAで3000〜2000年前頃にやっと確立した、と示唆されます(31)。これは、ジャポニカ米(Oryza japonica)の最近の包括的な系統発生分析と一致します。コメがISEAにもたらされたのは2500年前頃後で、フィリピンの稲作はもっと最近始まった可能性が高い、と示唆されます(32)。さらに、ISEAにおける稲作の研究では、台湾からのフィリピンとインドネシアのイネ品種の起源への裏づけも、コメの台湾からのおもな拡散への強い裏づけも提供されません。

 したがって、コルディリェラ人関連集団の移住の推進力は、農耕ではなく、気候変化による台湾と中国南部との間の古代の陸塊の地質学的変化により触媒されたかもしれません。その地質学的変化は、12000〜7000年前頃の沿岸部平野の漸進的な浸水をもたらしました。これは、コルディリェラ人の有効人口規模における推定される減少の時期の頃であり、コルディリェラ人関連人口集団とアミ人・タイヤル人との間の分岐年代と一致します。したがって、以前に議論された一連の証拠を伴う本論文の知見は、フィリピンとISEAの先史時代の文脈における農耕と言語と人々の拡散の一元的モデルを支持しません。


●一部のフィリピンの民族集団への最近のアジア南部人およびスペイン人との混合の証拠

 2000年前頃から植民地期以前まで、ISEAの文化的共同体は地域全体のインド洋交易ネットワークに積極的に参加しました。この長距離の大洋横断交換経路に沿って、2つの連続したヒンドゥー教と仏教の王国であるシュリーヴィジャヤとマジャパヒトがあり、MSEA沿岸部やインドネシア西部やマレーシアやフィリピンのスールー諸島までの広範な地域を支配しました。この大規模な多国間交易の人口統計学的影響は、低地マレー人やインドネシアの一部民族集団において現在明らかで、アジア南部人の遺伝的兆候の検出により示されます。ジャワ島やバリ島やスマトラ島のインドネシア人に加えて、航海民のサマ人関連人口集団であるコタバル・バジョ(Kotabaru Bajo)やデラワン・バジョ(Derawan Bajo)も、アジア南部人祖先系統の検出可能な水準を示します。したがって、予想外ではありませんが、これらの知見から、スールー諸島の海洋民であるサマ・ディラウト人や、サンボアンガ半島のサマ沿岸部住民は、アジア南部人からの遺伝子流動の証拠を示します。

 フィリピンは1565〜1898年の333年間、スペインの植民地でした。しかし、ビコラノス人(Bicolanos)や、スペイン語系クレオール話者のチャバカノ人(Chavacanos )といった、一部の都市化された低地住民でのみ、ヨーロッパ人との混合の有意な人口集団水準の兆候が観察されます。ボリナオ人(Bolinao)やセブアノ人(Cebuano)やイバロイ人やイロカノ人(Ilocano)やイヴァタン人(Ivatan)やパンパンガ人(Kapampangan)やパンガシナン人(Pangasinan)やヨガド人(Yogad)の集団の一部の個体も、ヨーロッパ人との混合の低水準を示しました。この混合は450〜100年前頃に起きたと推定されており、スペイン植民地期に相当します。他のいくつかのスペイン植民地とは対照的に、フィリピンの人口統計は、ヨーロッパ人との混合による影響を大きくは受けていないようです。


●まとめ

 本論文で説明されたフィリピンの微妙な人口史は、出台湾もしくは出スンダランド仮説のどちらかの基礎的モデルとのみ一致しているわけではありません。まとめると、フィリピンは過去5万年に少なくとも5回の古代の現生人類の移住の大きな波があった、と示されます(図3A〜D)。最初の2回は46000年前頃以後の旧石器時代狩猟採集民集団の拡散に特徴づけられ、現代人の基底部オーストラレシア分枝と遺伝的に関連しています。これらのうち、より早期のネグリート集団は、おそらくパラワン島およびミンドロ島を経由してフィリピン北部に拡散してきて、続いてママヌワ人に代表される基底部オセアニア人分枝(図2Aおよび図3A)が、スールー諸島経由でフィリピン南部へと拡散しました。

 さらに、デニソワ人もしくは他の関連する絶滅ホモ属(古代型ホモ属)は、ネグリートの拡散時にすでにフィリピンに存在しており、独立した局所的な古代型ホモ属との混合が生じました(関連記事1および関連記事2)。さらに、ネグリート民族集団間のデニソワ人祖先系統の検出可能な水準を考え得ると、この絶滅ホモ属からの遺伝子移入兆候は現在まで明らかです。さらに、狩猟採集慣行を伴う元々の狩猟採集民の遺伝的祖先系統が、その後の移住により置換および/もしくは希釈されたにヨーロッパの人口史とは対照的に、フィリピンにおけるネグリートの祖先系統は現在まで依然として大量に存在します。これは、現在までの一部集団で観察されるように、生計の狩猟採集民様式の実践が伴います。

 ネグリートに続くのは、15000年前頃以後のフィリピンへの「マノボ人」的および祖先的「サマ人」的な遺伝子流動で、それは最終氷期末のISEAにおける大きな地質学的変化の頃に、南方経路で起きた可能性が高そうです。その後もしくは同時に、パプア人関連人口集団の西方への拡大があり、フィリピン南東部の民族集団に遺伝的影響を残しました。最後に、アジア南部人からサマ人民族集団への遺伝子流動のわずかな影響と、一部の都市化された低地住民とヨーロッパ人との最近の混合に先行する、最も新しい大きな移住事象は、早ければ10000〜8000年前頃となる、中国南部と台湾からフィリピンへのコルディリェラ人関連集団の移動でした(図2Bおよび図3D)。この拡大は複数の波で起きた可能性が高く、古代の航海民集団は、フィリピン内外の現代の人口集団に広がっている言語優位の持続的遺産をもたらしました。以下、本論文の図3です。
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 現在確認されている、水田稲作の到来および拡大の年代と、中国南部・台湾からフィリピンへの人々の人口統計学的移動の年代との間の関連についての遺伝的証拠は見つかりません。全員が一部のアジア東部北方祖先系統を示す、亮島2および他の台湾とアジア東部南方の古代人個体群の遺伝的構成を考えると、最も簡潔な説明は、コルディリェラ人はアジア東部北方人集団からの遺伝子流動の前にフィリピンに拡散してきた、というものです。この観察から、フィリピンにおけるコルディリェラ人の到来年代の境界は遅くとも8000〜7000年前頃と推測され、フィリピンの早期コルディリェラ人は遊動的な狩猟採集民だった、と示唆されます。フィリピンの集団間の複雑な混合から分かるように、他の全てのコルディリェラ人的集団は最終的に、さまざまな時点で在来人口集団と混合しました。したがって、コルディリェラ人は人口史において独特の位置を占めており、基底部アジア東部人の最小限の混合された子孫として明らかにされます。


 以上、本論文についてざっと見てきました。本論文は、フィリピンへの現生人類の拡散が、台湾もしくはスンダランドのどちらかのみに由来するのではなく、複雑な複数回の移動の結果だった可能性が高いことを示しました。また、農耕の拡大と人類集団との拡大が一致しない場合もあることも示されました。本論文は、アジア南東部に留まらず、アジア東部やオセアニアの現生人類集団の進化史を考察するうえでも重要な知見を提示した、と言えるでしょう。なお、恐らくは執筆に間に合わなかったため本論文では取り上げられていない最近の研究としては、2200年前頃のグアム島集団がフィリピンから到来した可能性を指摘した研究(関連記事)と、ISEA現代人におけるデニソワ人の遺伝的影響を検証し、ホモ・エレクトス(Homo erectus)のような「超古代型人類」と現生人類との交雑はなかっただろう、と推測した研究(関連記事)があります。最近のアジア東部各地域集団の形成史に関する研究(関連記事)を踏まえると、コルディリェラ人関連祖先集団は遺伝的には、基本的に内陸部南方祖先系統で構成されていた、と言えるでしょう。今後のユーラシア東部における古代DNA研究により、内陸部祖先系統内の南北の混合がいつどのように進んでいったのか、明らかにされていくと期待されます。


参考文献:
Larena M. et al.(2021): Multiple migrations to the Philippines during the last 50,000 years. PNAS, 118, 13, e2026132118.
https://doi.org/10.1073/pnas.2026132118


https://sicambre.at.webry.info/202103/article_32.html  

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コメント
1. 中川隆[-5233] koaQ7Jey 2021年5月03日 04:22:16 : VB5J2ALj5k : eXZCdXBKRnJBS0U=[3] 報告
雑記帳 2021年05月02日
オセアニアの人口史と環境適応およびデニソワ人との複数回の混合
https://sicambre.at.webry.info/202105/article_3.html


 オセアニアの人口史に関する研究(Choin et al., 2021)が公表されました。考古学的データでは、ニューギニアとビスマルク諸島とソロモン諸島含むニアオセアニア(近オセアニア)には、45000年前頃に現生人類(Homo sapiens)が居住していました(関連記事)。リモートオセアニア(遠オセアニア)として知られており、ミクロネシアとサンタクルーズとバヌアツとニューカレドニアとフィジーとポリネシアを含む太平洋の他地域は、3500年前頃まで人類は居住していませんでした。この拡散は、オーストロネシア語族およびラピタ(Lapita)文化複合の拡大と関連しており、台湾で5000年前頃に始まり、リモートオセアニアには3200〜800年前頃までに到達した、と考えられています。

 オセアニア人口集団の遺伝的研究は、オーストロネシア語族の拡大に起因するアジア東部起源の人口集団との混合を明らかにしてきましたが(関連記事1および関連記事2および関連記事3および関連記事4)、オセアニアの移住史に関しては疑問が残っています。太平洋地域への移住が島嶼環境への遺伝的適応をどのように伴ったのか、また古代型ホモ属(絶滅ホモ属)からの遺伝子移入がオセアニア個体群においてこの過程を促進したのかどうかも、不明です。オセアニア個体群は、世界で最高水準のネアンデルタール人(Homo neanderthalensis)および種区分未定のホモ属であるデニソワ人(Denisovan)の組み合わされた祖先系統を示します(関連記事1および関連記事2および関連記事3)。本論文は、全ゲノムに基づいた調査を報告します。この調査は、太平洋の人口集団の人口史および適応の歴史と関連する広範な問題に対処します。


●ゲノムデータセットと人口構造

 ニアオセアニアとリモートオセアニアの移住史に影響を与えたと考えられる地理的区域の20の人口集団から、317個体のゲノムが配列されました(図1a)。これらの高網羅率ゲノム(約36倍)は、パプアニューギニア高地人やビスマルク諸島人(関連記事1および関連記事2)や古代型ホモ属(絶滅ホモ属)を含む(関連記事1および関連記事2および関連記事3)、選択された人口集団のゲノムとともに分析されました。最終的なデータセットには、太平洋地域の355個体を含む462個体と、35870981ヶ所の一塩基多型が含まれます(図1b)。

 ADMIXTURE、主成分分析、遺伝的距離の測定(FST)を用いると、人口集団の多様性はおもに4要素により説明される、と明らかになりました。それは、(1)アジア東部および南東部個体群、(2)パプアニューギニア高地人、(3)ビスマルク諸島人とソロモン諸島人とバヌアツ人(ni-Vanuatu)、(4)ポリネシア人の外れ値(本論文ではポリネシア個体群と呼ばれます)と関連しています(図1c・d)。最大の違いはアジア東部および南東部個体群とパプアニューギニア高地人との間にあり、残りの人口集団はこの2構成要素のさまざまな割合を示し、オーストロネシア語族拡大モデルを裏づけます(関連記事)。

 ビスマルク諸島人とバヌアツ人の間では強い類似性が観察され、ラピタ文化期末におけるビスマルク諸島からリモートオセアニアへの拡大と一致します(関連記事)。ヘテロ接合性の水準はオセアニア人口集団の間で著しく異なり、個々の混合割合と相関します。最も低いヘテロ接合性と最も高い連鎖不平衡は、パプアニューギニア高地人とポリネシア個体群との間で観察され、おそらくは低い有効人口規模(Ne)を反映しています。とくにF統計は、バヌアツのエマエ(Emae)島民からポリネシア個体群のバヌアツ人において、他のバヌアツ人より高い遺伝的類似性を示し、ポリネシアからの遺伝子流動を示唆します(関連記事)。以下は本論文の図1です。
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●ニアオセアニアとリモートオセアニアの定住

 オセアニアの移住史を調べるため、いくつかの進化的仮説により駆動される一連の人口統計モデルが複合尤度法(composite likelihood method)で検討されました。まず、パプアニューギニア高地人と他の現代人および絶滅ホモ属との間の関係が決定され、以前の調査結果(関連記事)が再現されました。次に、遺伝子流動を伴う3期の人口統計が想定され、ニアオセアニア集団間の関係が調べられました。観測された部位頻度範囲は、ニアオセアニアにおける定住前の強いボトルネック(瓶首効果)により最もよく説明されました(Ne=214)。ビスマルク諸島およびソロモン諸島の人々とパプアニューギニア高地人の分離は39000年前頃までさかのぼり、ソロモン諸島人とビスマルク諸島人の分離は2万年前頃で(図2a)、これは45000〜30000年前頃となるこの地域における人類の定住の直後となります(関連記事)。以下は本論文の図2です。
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 次に、マラクラ(Malakula)島のバヌアツ人個体群に代表される、リモートオセアニア西部人口集団がモデルに組み込まれました。バヌアツ人個体群の祖先の一部はビスマルク諸島からの移民で、3000年前頃以後にバヌアツ人の遺伝子プールの31%以上に寄与したと推定され、これは以前の古代DNA研究と一致します(関連記事)。しかし、最適なモデルでは、バヌアツに3000年前頃以降に到来したパプア人関連人口集団は、他のニアオセアニア起源集団の混合だった、と明らかになりました。バヌアツ人のパプア人関連祖先はパプアニューギニア高地人と分岐し、後にソロモン諸島人関連系統から約24%の遺伝的影響を受けました。興味深いことに、台湾先住民のバヌアツ個体群への直接的寄与は3%未満と最小限で、2700年前頃までさかのぼる、と明らかになりました。これは、現代リモートオセアニア西部人口集団のアジア東部関連祖先系統が、おもに混合されたニアオセアニア個体群から継承されたことを示唆します。


●オーストロネシア語族拡大への洞察

 フィリピンとポリネシアのオーストロネシア語族話者を本論文のモデルに組み込むことにより、オセアニア人口集団におけるアジア東部祖先系統の起源が特徴づけられました。移住に伴う孤立を想定して、台湾先住民、およびフィリピンのカンカナイ人(Kankanaey)やソロモン諸島のポリネシア個体群といったマレー・ポリネシア語派話者は7300年前頃に分岐した、と推定され、これはフィリピンの人口集団に関する最近の遺伝学的研究と一致します(関連記事)。他のオーストロネシア語族話者集団をモデル化しても、同様の推定が得られました。

 これらの年代は、台湾からの拡散事象は4800年前頃に始まり、オセアニアに農耕とオーストロネシア語族言語をもたらした、と想定する出台湾モデルと一致しません。しかし、アジア北東部人口集団からオーストロネシア語族話者集団へのモデル化されていない遺伝子流動(関連記事)が、パラメータ推定に偏りをもたらしているかもしれません。そのような遺伝子流動を考慮すると、出台湾モデルにおいて予測されるよりも古い分岐年代が一貫して得られたものの、信頼区間とは重複します(8200年前頃、95%信頼区間で12000〜4800年前)。これは、オーストロネシア語族話者の祖先が台湾の新石器時代の前に分離したことを示唆しますが、パラメータ推定における不確実性を考慮すると、古代ゲノムデータを用いてのさらなる調査が必要です。

 次に、近似ベイズ計算(ABC)を用いて、さまざまな混合モデルにおける、ニアオセアニア個体群とアジア東部起源の人口集団との間の混合の年代が推定されました。その結果、2回の混合の波モデルが、ビスマルク諸島とソロモン諸島の人々の要約統計に最もよく一致しました。最古の混合の波はこの地域でラピタ文化出現後の3500年前頃に起き、ビスマルク諸島とソロモン諸島の人々についてはそれぞれ、2200年前頃と2500年前頃でした(図2c)。これにより、台湾先住民からのマレー・ポリネシアの人々の分離が、ニアオセアニア人口集団との即時で単一の混合事象の後に起きたわけではない、と明らかになり、オーストロネシア語族話者はこの拡散中に形成段階を経た、と示唆されます。


●ネアンデルタール人とデニソワ人からの遺伝的影響

 太平洋島嶼部の人々は、主成分分析やD統計やf4比統計により示唆されるように、かなりのネアンデルタール人およびデニソワ人祖先系統を有しています。ネアンデルタール人祖先系統が均一に分布しているのに対して(2.2〜2.9%)、デニソワ人祖先系統は集団間で顕著に異なり(関連記事)、パプア人関連祖先系統と強く相関しています(図3a・b・c)。注目すべき例外はフィリピンで観察されており、「ネグリート」と自認しているアイタ人(Agta)と、それよりは影響が劣るもののセブアノ人(Cebuano)で、デニソワ人祖先系統の相対的影響が高めではあるものの、パプア人関連祖先系統をほとんど有していません。

 古代型ホモ属(絶滅ホモ属)祖先系統の供給源を調べるため、信頼性の高いハプロタイプ(図3d)が推測され、クロアチアのヴィンディヤ洞窟(Vindija Cave)のネアンデルタール人(関連記事)およびシベリア南部のアルタイ山脈のデニソワ洞窟(Denisova Cave)のネアンデルタール人(関連記事)とのハプロタイプ一致率が推定されました。ネアンデルタール人の一致率は全集団において単峰型で(図3e)、ネアンデルタール人のゲノム断片は人口集団の組み合わせで有意に重複しており、単一のネアンデルタール人集団からの非アフリカ系現代人集団の祖先への1回の遺伝子移入事象と一致します。

 逆に、デニソワ人から遺伝子移入された断片では、異なる最大値が見られました(図3e)。以前に報告されたように(関連記事)、2つの最大値兆候(デニソワ人のゲノムとの一致率は、それぞれ98.6%と99.4%)がアジア東部個体群で検出されただけではなく、台湾先住民やフィリピンのセブアノ人やポリネシア個体群でも見つかりました。約99.4%一致するハプロタイプは、約98.6%一致するハプロタイプよりも有意に長く、アジア東部人口集団では、アルタイ山脈のデニソワ人と密接に関連する人口集団からの遺伝子移入が、遺伝的により遠い関係の絶滅ホモ属集団からの遺伝子移入よりも新しく起きた、と示唆されます。

 パプア人関連人口集団でもデニソワ人の2つの最大値が観察され、一致率は約98.2%と約98.6%です。近似ベイズ計算を用いると、一貫して、パプアニューギニア高地人は2回の異なる混合の波を受けている、と確認されます。約98.6%の一致率のハプロタイプは、全人口集団で類似の長さでしたが、約98.2%の一致率のハプロタイプは、パプア人関連人口集団において、他の人口集団における98.6%の一致率のハプロタイプよりも有意に長い、と示されました。

 近似ベイズ計算パラメータ推定は、最初の混合の波が222000年前頃にアルタイ山脈デニソワ人と分岐した系統から46000年前頃に起き、パプア人関連人口集団への第二の混合の波が、アルタイ山脈デニソワ人と409000年前頃に分離した系統から25000年前頃に起きた、と裏づけます。このモデルは、アルタイ山脈デニソワ人とは比較的遠い関係にあるデニソワ人系統からの混合の波が46000年前頃に起きた、と報告した以前の研究(関連記事)よりも支持されました。本論文の結果は、パプア人関連集団の祖先とデニソワ人との複数の相互作用と、遺伝子移入元の絶滅ホモ属の深い構造を示します。

 フィリピンのアイタ人についても、2つのデニソワ人関連の最大値が観察され、それぞれ一致率は98.6%と99.4%です(図3e)。99.4%の最大値の方は、おそらくアジア東部人口集団からの遺伝子流動に起因します。アイタ人における遺伝子移入されたハプロタイプは、パプア人関連人口集団のハプロタイプと有意に重複していますが、パプア人とは関係ないデニソワ人祖先系統の比較的高い割合(図3c)は、追加の交雑を示唆します。

 ルソン島におけるホモ・ルゾネンシス(Homo luzonensis)の発見(関連記事)を考慮して、ネアンデルタール人やデニソワ人以外の絶滅ホモ属からの遺伝子移入の可能性も調べられました。絶滅ホモ属の参照ゲノムを利用せずとも、現代人のゲノム配列の比較により絶滅ホモ属との混合の痕跡と思われる領域を検出する方法(関連記事)で、ネアンデルタール人とデニソワ人に由来するハプロタイプを除外すると、合計499万塩基対にまたがる59個の古代型ハプロタイプが保持され、ほとんどの集団で共通していました。アイタ人とセブアノ人に焦点を当てると、両集団に固有の遺伝子移入された約100万塩基対のハプロタイプしか保持されませんでした。これは、ホモ・ルゾネンシスが現代人の遺伝的構成に全く、あるいはほとんど寄与しなかったか、ホモ・ルゾネンシスがネアンデルタール人もしくはデニソワ人と密接に関連していたことを示唆します。以下は本論文の図3です。
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●絶滅ホモ属からの遺伝子移入の適応的性質

 絶滅ホモ属からの適応的な遺伝子移入の証拠は存在しますが(関連記事1および関連記事2)、オセアニア人口集団における役割を評価した研究はほとんどありません。本論文ではまず、適応的遺伝子移入兆候における濃縮について、5603の生物学的経路が検証されました。ネアンデルタール人とデニソワ人に由来する断片については、有意な濃縮がそれぞれ24と15の経路で観察され、そのうち9つは代謝機能と免疫機能に関連していました。

 ネアンデルタール人からの適応的遺伝子移入に焦点を当てると、OCA2やCHMP1AやLYPD6Bなどの遺伝子が複製されました(図4a)。また、免疫(CNTN5、IL10RA、TIAM1、PRSS57)、神経細胞の発達(TENM3、UNC13C、SEMA3F、MCPH1)、代謝(LIPI、ZNF444、TBC1D1、GPBP1、PASK、SVEP1、OSBPL10、HDLBP)、皮膚もしくは色素沈着表現型(LAMB3、TMEM132D、PTCH1、SLC36A1、KRT80、FANCA、DBNDD1)と関連する遺伝子の、以前には報告されていなかった兆候が特定され、ネアンデルタール人由来の多様体が、有益であろうとなかろうと、多くの現代人の表現型に影響を与えてきた、との見解(関連記事)がさらに裏づけられました。

 デニソワ人については、免疫関連(TNFAIP3、SAMSN1、ROBO2、PELI2)と代謝関連(DLEU1、WARS2、SUMF1)の遺伝子の兆候が複製されました。本論文では、自然免疫および獲得免疫の調節と関連する遺伝子(ARHGEF28、BANK1、CCR10、CD33、DCC、DDX60、EPHB2、EVI5、IGLON5、IRF4、JAK1、LRRC8C、LRRC8D、VSIG10L)における、14個の以前には報告されていない兆候が示されます。たとえば、細胞間相互作用を媒介し、免疫細胞を休止状態に保つCD33は、約3万塩基対の長さのハプロタイプを含み、オセアニア集団特有の非同義置換多様体(rs367689451-A、派生的アレル頻度は66%超)を含む、7個の高頻度の遺伝子移入された多様体を伴い、有害と予測されました。

 同様に、ウイルス感染に対するToll様受容体シグナル伝達とインターフェロン応答を調節するIRF4は、29000塩基対のハプロタイプを有しており、アイタ人では13個の高頻度多様体が含まれます(派生的アレル頻度は64%超)。これらの結果から、デニソワ人からの遺伝子移入が、病原体に対する耐性アレル(対立遺伝子)の貯蔵庫として機能することにより、現生人類の適応を促進した、と示唆されます。以下は本論文の図4です。
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●島嶼環境への遺伝的適応

 太平洋の人口集団における古典的一掃と多遺伝子性適応の兆候が調べられました。デニソワ人からの適応的遺伝子移入として識別されたTNFAIP3遺伝子(関連記事)を含む、全パプア人関連集団に共通する44個の一掃の兆候が見つかりました。最も強く的中したなかには、妊娠中に内因性プレグナノロンの抗痙攣作用を媒介するGABRPと、肥満度指数および高密度リポタンパク質コレステロールと関連するRANBP17が含まれます。最高得点は非同義置換を特定し、おそらくはGABRPの多様体(rs79997355)に損傷を与え、パプアニューギニア高地人とバヌアツ人では70%以上の頻度ですが、アジア東部および南東部人口集団では5%未満と低頻度です。人口集団特有の兆候の中で、栄養欠乏に対する細胞応答を調節し、血圧と関連するATG7は、ソロモン諸島人で高い選択得点を示しました。

 高いアジア東部祖先系統を有する人口集団間では、29個の共有される一掃兆候が特定されました。最高得点は、ALDH2など複数遺伝子を含む約100万塩基対のハプロタイプと重複します。ALDH2欠損は、アルコールに対する有害反応を起こし、日本人では生存率増加と関連しています。ALDH2の多様体rs3809276の頻度は、アジア東部人関連集団では60%以上、パプア人関連集団では15%未満です。脂質異常症および中性脂肪水準とデング熱に対する保護と関連するOSBPL10周辺で強い兆候が検出され、これはネアンデルタール人からの適応的遺伝子移入と明らかになりました。人口集団特有の兆候として、ポリネシア個体群におけるLHFPL2が含まれ、その変異は、鋭い視力に関わるひじょうに多様な特性である眼の網膜黄斑の厚さと関連しています。LHFPL2の多様体はポリネシア個体群では約80%に達しますが、データベースには存在せず、研究されていない人口集団におけるゲノム多様性を特徴づける必要性が強調されます。

 ほとんどの適応的形質は多遺伝子性と予測されるので、形質関連アレルの統合されたハプロタイプ得点を、一致する無作為の一塩基多型のそれと比較することにより、充分に研究された遺伝的構造を有する25個の複雑な形質(関連記事)の方向性選択が検証されました。対照としてヨーロッパの個体群に焦点当てると、以前の研究で報告されたように、より明るい肌や髪の色素沈着への多遺伝子性適応兆候が見つかりましたが、身長に関しては見つかりませんでした(図4b)。太平洋の人口集団では、ソロモン諸島人とバヌアツ人で、高密度リポタンパク質コレステロールのより低い水準の強い兆候が検出されました。


●人類史と健康への示唆

 オセアニアへの移住は、現生人類の島嶼環境への生息と適応の能力に関する問題を提起します。現生人類の変異率と世代間隔に関する現在の推定を用いると、ニアオセアニアの45000〜30000万年前頃の定住の後に、島嶼間の遺伝的孤立が急速に続くと明らかになり、更新世の航海は可能であったものの限定的だった、と示唆されます。さらに本論文では、アジア東部とオセアニアの人口集団間の遺伝的相互作用は、厳密な出台湾モデルで予測されていたよりも複雑だったかもしれない、と明らかになり、ラピタ文化出現後のニアオセアニアで少なくとも2回の異なる混合事象が起きた、と示唆されます。

 本論文の分析は、リモートオセアニアの定住への洞察も提供します。古代DNA研究では、パプア人関連の人々が、バヌアツへと最初の定住の直後に拡大し、在来のラピタ文化集団を置換した、と提案されています(関連記事1および関連記事2)。本論文では、現代のバヌアツ個体群におけるほとんどのアジア東部人関連祖先系統は、初期ラピタ文化定住者からよりもむしろ、混合されたニアオセアニア人口集団からの遺伝子流動の結果だった、と示唆されます。これらの結果は、ポリネシアからの「逆移住」の証拠と組み合わされて(関連記事1および関連記事2)、バヌアツにおける繰り返された人口集団の移動との想定を裏づけます。比較的限定された数のモデルの調査だったことを考慮すると、この地域の複雑な移住史の解明には、考古学と形態計測学と古ゲノム学の研究が必要です。

 本論文のデータセットにおける多様なデニソワ人から遺伝子移入されたゲノム領域の回収は、以前の研究(関連記事1および関連記事2)とともに、現生人類がさまざまなデニソワ人関連集団から複数の混合の波を受けた、と示します。第一に、アルタイ山脈デニソワ人と密接に関連するクレード(単系統群)に由来する、アジア東部固有の混合の波が21000年前頃に起きた、と推定されます。このクレードのハプロタイプの地理的分布から、その混合はおそらくアジア東部本土で起きた、と示されます。

 第二に、アルタイ山脈デニソワ人とは遺伝的に比較的と追い関係の別のクレードが、ニアオセアニア人口集団とアジア東部人口集団とフィリピンのアイタ人に、類似した長さのハプロタイプをもたらしました。本論文のモデルはニアオセアニアとアジア東部の人口集団の最近の共通起源を支持しないので、アジア東部人口集団はこれらの古代型断片を間接的に、アイタ人および/もしくはニアオセアニア人口集団の祖先的人口集団を経由して継承した、と提案されます。ニアオセアニア個体群の祖先への混合の波を仮定すると、この遺伝子移入はサフルランドへの移住の前となる46000年前頃に恐らくはアジア南東部で起きた、と推測されます。

 第三に、パプア人関連集団固有の別の混合の波は、アルタイ山脈デニソワ人とは遺伝的にもっと遠い関係にあるクレードに由来します。本論文では、この遺伝子移入は25000年前頃に起きたと推測され、スンダランドもしくはさらに東方で起きた、と示唆されます。ウォレス線の東方で見つかった絶滅ホモ属はホモ・フロレシエンシス(Homo floresiensis)(関連記事)とホモ・ルゾネンシスで、これらの系統がアルタイ山脈デニソワ人と関連していたか、デニソワ人と関連する人類もこの地域に存在していた、と示唆されます。

 アジア東部とパプアの人口集団で検出されたデニソワ人からの遺伝子移入の最近の年代から、絶滅ホモ属は25000〜21000年前頃まで生存していた可能性がある、と示唆されます。アイタ人における比較的高いデニソワ人関連祖先系統から、アイタ人の祖先が異なる独立した混合の波を経てきた、と示唆されます。まとめると、本論文の分析から、現生人類と絶滅ホモ属のひじょうに構造化された集団との間の交雑は、アジア太平洋地域では一般的現象だった、と示されます。

 本論文は、太平洋諸島住民の未記載の10万以上の頻度1%以上の遺伝的多様体を報告し、その一部は表現型の変異に影響を及ぼす、と予測されます。正の選択の候補多様体は、免疫と代謝に関連する遺伝子で観察され、太平洋諸島に特徴的な病原体および食資源への遺伝的適応を示唆します。これらの多様体の一部がデニソワ人から継承された、との知見は、現生人類への適応的変異の供給源としての絶滅ホモ属からの遺伝子移入の重要性を浮き彫りにします。

 高密度リポタンパク質コレステロールの水準と関連する多遺伝子性適応の兆候からは、脂質代謝における人口集団の違いがあり、この地域における最近の食性変化への対照的な反応を説明している可能性がある、と示唆されます。太平洋地域の大規模なゲノム研究は、過去の遺伝的適応と現在の疾患危険性との間の因果関係を理解し、研究されていない人口集団における医学的ゲノム研究の翻訳を促進するために必要です。以下は『ネイチャー』の日本語サイトからの引用です。


遺伝学:太平洋地域の人類集団の祖先を読み解く

 太平洋地域の人類集団史の詳細な分析について報告する論文が、今週、Nature に掲載される。今回のゲノム研究は、ヒトの進化、ヒト族の異種交配、そして島嶼環境での生活に応じて起こる適応に関して新たな知見をもたらした。

 太平洋地域は、パプアニューギニア、ビスマルク諸島、ソロモン諸島を含む「近オセアニア」と、ミクロネシア、サンタクルーズ、バヌアツ、ニューカレドニア、フィジー、ポリネシアを含む「遠オセアニア」に分けられる。人類は、アフリカから移動した後、約4万5000年前に近オセアニアに定住した。遠オセアニアに人類が定住したのは、それよりずっと後の約3200年前のことで、現在の台湾からの移住だった。

 この人類集団史をさらに探究するため、Lluis Quintana-Murci、Etienne Patinたちの研究チームは、太平洋地域に分布する20集団のいずれかに属する現代人317人のゲノムを解析した。その結果、近オセアニア集団の祖先の遺伝子プールが、この集団が太平洋地域に定住する前に縮小し、その後、約2万〜4万年前にこの集団が分岐したことが判明した。それからずっと後、現在の台湾から先住民族が到来した後に、近オセアニア集団の人々との混合が繰り返された。

 太平洋地域の集団に属する人々は、ネアンデルタール人とデニソワ人の両方のDNAを持っている。デニソワ人のDNAは複数回の混合によって獲得されたもので、これは、現生人類と古代ヒト族との混合が、アジア太平洋地域で一般的な現象だったことを示している。ネアンデルタール人の遺伝子は、免疫系、神経発生、代謝、皮膚色素沈着に関連した機能を備えているが、デニソワ人のDNAは主に免疫機能と関連している。そのため、デニソワ人のDNAは、太平洋地域に初めて定住した者が、その地域で蔓延していた病原体と闘うために役立つ遺伝子の供給源となり、島嶼環境の新たな居住地に適応するために役立った可能性がある。


参考文献:
Choin J. et al.(2021): Genomic insights into population history and biological adaptation in Oceania. Nature, 592, 7855, 583–589.
https://doi.org/10.1038/s41586-021-03236-5

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