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Re: キリスト教カルバン主義の観点から資本主義の動機を解明するのは限界がある。 投稿者 行司 日時 2002 年 10 月 10 日 16:21:48:

(回答先: RES有難う御座います。 投稿者 ジョンスミス 日時 2002 年 10 月 09 日 18:46:42)

《@まず疑問の一点ですが、キリスト教は「利得心や利己心」をマイナスと考えていたのでしょうか?
 たしかに福音書には「地に富を蓄えてはならない。天国に富を蓄えなさい」とありますが、これは
 その方が利益が多い、つまりは「利得心、利己心」に訴えていることにほかならないのではないで
 しょうか?》
キリスト教新約聖書の実態はパウロの手紙を中心としたパウロの教義、パウロ教です。キリストその人の言葉は非常に少ないですね.ただ、キリストの教えの核心は愛です.つまり利他心です。したがって、利己心(self interest)は、基本的には逆の価値になります。また、キリスト教では金銭を鵜ることを反対してはいませんが、カネをうるのは自分の生活が成り立つ範囲にしなさい、余剰分はほかに与えなさい、という教えといってよいでしょう。


《A恐らく中世の宗教的な社会と近代の違いはここにあるのでしょうが、キリスト教(他の宗教も)来
 世も含めた利益を考えるのに対し、近代の合理主義者は現世利益のみを考察するといった違いでは
 ないでしょうか。》

ウェーバーはそうではない、と指摘した点に意味があります。初期資本主義をになったカルバン主義者たちはルター主義ともちがい、仕事を神への奉仕としており、死後、神のよい選別の対象となるための献身であると考えていたと説明しています。

《B神が来世の利益を約束できないとしたら、そもそも崇拝の対象になるかどうかはかなり疑問ですし
 もし神でないとしたら何が道徳や秩序の担保になるのかと。ここに「社会契約」や「観客」「歴史発
 展の法則」への考察といったものがあったのかもしれません。》

まあ、およそそういってもいい面はあるでしょう。いわゆる予定説に立つカルバン主義の考えでは働くことは神の栄光を増すためと考えますが(救済手段としての労働)、たとえばロックの「社会契約」という考え方は神がいようといまいと働くこと自体に富を増やし、社会的に意味があるとすることで、近代資本主義の理論的根拠の整備をすすめましたね。か

《C放蕩息子の例えのように、ある種の悪徳がむしろ救いへの原動力といった弁証法は、いかにもキリ
 スト教的な発想のようにも思います。》
そういった解釈も可能でしょうね。

《ところでウエーバーの「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」をどう思われますか?》

資本主義の精神をカルバン主義というキリスト教の観点から資本主義の精神を理解するというは、やはりかなり限界がああります。物質的利益を自己のために取得することへの情熱は、帝国主義、植民地主義、奴隷制をもっていた古代ギリシアから認められその後一貫して認められる心性だからであり、キリスト教の宗教改革によって、はじめて芽生える心性だからではないからです。また、彼は自分で告白しているように、宗教音痴でして、言い換えれば、キリスト教の持つ否定的側面についての知識がまったくありません。キリスト教の神の名のもとに、西洋人は帝国主義・植民地主義・奴隷制度を展開し、20世紀の初頭までに、北米の先住民は98%殺りくされていること(コロンブス以降南北アメリカで総計5億人の殺りく数にのぼっています)に、なぜ、目をつむっていたのでしょうか。事実上そうした行為を免罪しているに等しく、説得力はありません.この本が書かれたのは20世紀の初頭で、そういった事実を彼は知っていたはずです.興味深いことは、この本を書いている途中にアメリカ旅行をしており、その際、オクラホマ準州の先住民のコミュニティーを訪れ、そこで、原始林がなぎ倒され、公害もひどく、彼らの生活が資本主義のよって根本から破壊されている現実を確認しているのにもかかわらず、です。彼は、直前んシカゴを訪れていますが、それにくらべ先住民の生活の方が文明がある、と感嘆しています。

また、この本の原論文第2章の注釈(1905年版)にあるとおり、直接これを書く動機となったのは、彼が尊敬する名高い法学者イエリネックの著作「人権宣言論」読破によります。イエリネックは表現の自由、信教の自由,政教分離などの人権の淵源をフランス革命に求めず、北米植民地であったロードアイランド州のキリスト教指導者、ロジャー=ウイリアムズであり(彼がその州の民主主義憲法を書いた)、キリスト者でありながら先住民の政治文化を研究し、その民主的システムに驚嘆していたその人である、と喝破しています。


ウェーバーの偉大な点は資本主義は西洋社会の宿命であるとした上で、資本主義経済の発展の最後段階にあらわれる「末人」すなわち「精神のない専門人」と「心情のない享楽人」が登場する、つまり、公共の最善のあり方と自己の最善のあり方をバランス良く両立することが両者ともできない、という予見にたっしていたことでしょう。竹中平蔵氏など前者に入りますし、現段階が、資本主義の末期状態にあるともいえるわけです。ちなみに、この「末人」という概念はニーチェの「ツアラトストラかく語りき」に提示される概念です。

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