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バビロンと演繹的技法
http://www.asyura.com/2003/dispute8/msg/1234.html
投稿者 中央線 日時 2003 年 3 月 18 日 17:22:41:

(回答先: Re: 近代とは 投稿者 まさちゃん 日時 2003 年 3 月 18 日 09:18:50)

まさちゃん様、こんにちは。

>非常に示唆に富むレス、ありがとうございます。

>古代の機械工学を支える程度の数理学は、近代に突入する前に確立されていたようです。

>私が話題にしているのは、中央線さんがおっしゃっている“近代を構築しえた”数理学なのですが。

近代を支えたのは、バビロンーギリシャと順に発展してきた、数理学です。
http://www.city.yokohama.jp/yhspot/ysc/sin/sin66.html

>それらを、もとに「近代」の「自然を制圧しろ」という概念を吹き込んだのが、アリストテレス&デカルト。

概念はともかく、少なくとも農耕の始まりから人間は自然を征服し始めています。
>農地を見て「自然って、いいな〜」とほざくやからは数多く降りますが、農地ほど不自然な土地はありません。
普通、日本のような高温多湿な地域では、土地は苔、雑草、低層木、高層木が混在した状態に“自然”になるはずです。
農地のような、1種類の植物を広大な面積にわたって占有させることは、「自然を制圧」しているという表現がぴったりです。
これは、1種類の益獣を大量に繁殖させる牧畜にもいえますね。

それは、自然に対する、態度と姿勢思想の問題。
アリは、地面を掘るけど「自然」の営みのひとつ。


>中央線さんが「近代」を「自然を制圧しろ」におくのなら、アリストテレスやデカルトはおろか、農耕・牧畜の起源にまでさかのぼらねばならないと思われますがいかがでしょうか?

アリで、あろうが猿であろうが「自然」と敵対しますよ。
度を越したのが、デカルトによる、思想毒化の後。

>>仰られている例は全て技(わざ)や術(じゅつ)に属すると思われます。
>
>バビロン、古代エジプトにも、数学の存在は確認されています。

>それは学としての数学でしょうか、術としての数学(算術)でしょうか?もし、この点に関して詳しい書籍等あればご紹介ください。
三平方の定理を使いこなす工人はたくさんいたと思われますが、それは算術です。
近代的な意味での数学ではありません。この区別は大切です。

http://www.city.yokohama.jp/yhspot/ysc/sin/sin66.html
http://www.users.starnet.com.eg/cjschool/kenkyu7.htm
もう立派に、「学」
書店の、「歴史学」のコーナーをご覧ください。

>少数の公理(あるいは原理、原則、規則、公式etc.)から演繹して全ての知識を導き出すのが“学”です。
経験に基づくたゆまぬ努力とたくさんの“術”が帰納法的に原理原則を見出すのに役に立つことは否定しません。

http://www.city.yokohama.jp/yhspot/ysc/sin/sin66.html
バビロンの時代でもうそれは確立されている。

>現代の学問でもまだ“学”となっていない例は数多く見られます。一例を挙げれば、高温(常温)超伝導です。あれはまだ“術”の段階です。
多くの材料系研究者が、いろいろな素材を組み合わせて超伝導材料を発見しています。まさに帰納法的段階です。しかし、「なぜ超伝導という現象がおきるのか?」を説明する原理は見つかっていません。(少なくとも定説として確立されたものはないというのが私の認識です。)
超伝導の原理が見つかり、その原理に則って体系的に超電導物質が設計・製造されるようになった暁には、超伝導学と呼ばれることでしょう。

それが、探求です。

>>技や術というのは、仰せのとおり(近代に限らず)時代に依らず人間社会とともに存在してきました。
>
>実は、論理というものも普遍的に存在を持ってきたようです。

そのとおりだと思いますが、中央線さんのこの文章は、
>私の主張する「技や術というのは、仰せのとおり(近代に限らず)時代に依らず人間社会とともに存在してきました」
にどう接続するのでしょうか?

単に、データ提示です。

>>たとえば、陶器の作成技術は古来から存在しますが、もちろん化学反応による物性の変化を利用しています。
>>が、これは工芸や巧みの技であって、化学という学問として“離陸”していません。
>
>学問としては“離陸”していないでしょうが、論理体系ではあると思います。

>どのような論理体系か、ご説明くださいませんでしょうか?
仮に論理体系であったとしても、それは陶芸学であって、自然界に存在しない化学物質を地球環境に撒き散らし続ける近代を準備した化学とは別物だと思いますが、いかがでしょうか?

きめられた手順(論理)に沿っていたからこそ、ある程度の大量生産ができたのでは?

>>刀を鍛えるのに焼入れ硬化という金属学体系から導き出される知識は必要ありません。
>>経験によって成功と失敗をを繰り返し、そこから熟達があればよいのです。
>
>いや、あれはあれで論理体系があったりしますよ。

>どのような論理体系か、ご説明くださいませんでしょうか?

色と温度とかとを対比させながら、適切なオペレーションをしないと、刀は出来上がらない。

これもやはり刀剣学に過ぎないであって、近代の物質工学や金属工学や冶金学とは異なると思われます。
>近代的工学は対象を選びません。刀剣学は刀剣に終始しますが、学として自立した金属工学は、航空機材料から原子炉遮蔽容器から・・・ありとあらゆる物をその対象とできるようになります。

理学によって普遍性を与えられたわけです。

>>和算も、算術と呼ばれたとおり、数学とは似て非なるものです。
>>それら帰納的知識から演繹的体系を構築して初めて学問としての自立があります。
>
>帰納的知識とともに、ひらめき、想像力、神からのご託宣?などというものが、演繹的展開の素材になった例は数多くありますね。

そのとおりですが、中央線さんのこの文章は、
>私の主張する「帰納的知識から演繹的体系を構築して初めて学問としての自立があります」とどう接続するのでしょうか?
それは、その通り。だが、ある程度は、陶芸であれ、刀剣であれ、「帰納的知識から演繹的体系を構築した」という面があります。

私は何も、帰納的知識その他が演繹体系に貢献してないなどとは一言も言っておりませ。

>>関孝和は積分概念に近いところまで達していたといわれていますが、やはり、ライプニッツ、ニュートン流の微分積分学とは異なります。
>
>近代の論理ではないでしょうが、それなりの論理体系に支えられていたのではないでしょうか?

>もちろん、関孝和が非論理的な人間であったなどと私は申し上げているわけではありません。言いたいのは、術と学は違うということなのです。
あれを「学」ととらえる、数学者は多いし、私もそう捕らえております。


>>しかし、学としての医学を確立したのは、西洋医学だけだと思います。
>
>西洋&近代の論理に基づいたものだけが「学」ではないと思いますよ。

中央線さんの件名にあるとおり「近代とは?」を議論しているつもりだったもので。近代的学問について語ってきたつもりでした。

>おっしゃるとおり、印度論理学などは、排中律立を金科玉条にする西洋(形式)論理学をはるか昔に凌駕しています。
し・か・し、
印度は近代科学を生み出しませんでした。なぜでしょうか?(ま、生み出す前に英国に支配されたから、というのがありそうな解答なんですが、凡庸でつまらないですね・・・)

他者を制圧しようという意欲に乏しかったから。

>また、朱子学でしたっけ?陰陽二元論で世界の一切の生成を説明しようとしたのは。しかし、あれも、コンピュータ科学(西洋科学の結晶!ノイマン万歳!!の世界)の2進数で全てを表現し0と1で世界を表象し尽くそうという原理によって、「東洋も惜しいところまで達してたのにね」と西洋科学によって再発見されたものです。朱子学も思弁に終始し、また物質力に転化する形の科学を生み出しはしませんでした。

具体化しようという意欲に乏しかった。

>なぜ一人西洋のみが近代科学を生み出したのか?そして物質力(はっきり言えば武力ですが・・・)で世界を制覇しえたのか?これが私の抱えている問題意識です。

彼らは、あまりに独占欲に溢れていたから。

残念ながら、西洋が生み出した科学技術研究の現場(の末席あるいは桟敷席)にいる私にとって、それほど西洋科学技術の影響力は強く体にしみこんでいます。それが職業的科学研究者になるということなのです。
>というか、西洋的科学以外の研究アプローチで研究などしようものなら(まず、予算がつきませんけどね(^^))、誰も相手にしてくれないのが現実です。研究者業界からパージされることは必定。おまんまの食い上げです。

理学系は、「霊界6次元モデル」とかやっても大丈夫。
岡潔は、「奈良文明」の人だし。

>>東洋医学があるではないか!とおっしゃられそうですが、東洋医学が効くか効かないかは西洋医学の知識によって判定されている有様です。
>
>昔は、東洋医学の論理体系を使いこなせる人々がいたのだが。

>論理は使えても、東洋医学が効く(特に西洋医学が無力な病に)ということは西洋医学によって「再発見」されたのではないですか?そして東洋医学の研究は今や西洋医学的手法によってなされています。誰も“気の流れ”概念を駆使して研究している医学研究者はいません。“気の流れ”とは西洋医学で言うところの何か?を研究している研究者はたくさんいますが。

東洋医学の理論家が、健在であれば、東洋理論から、西洋理論を考察できたかもしれないね。

>>西洋医学に限らず、西洋起源の学問に通低する要素還元論的思考は限界に来ていることは、さまざまな分野で指摘されていることです。
>
>還元論が趨勢を誇った時代は終わり、今後「統合」というもうひとつの自然な思想形態が、また脚光を浴びていますね。

「また脚光を浴びていますね」とありますが、前回脚光を浴びたのはいつ頃のことでしょうか?
>もし「統合」が「全体論」のことだとするなら、確かに20年ほど前にホーリズムやホロン、あるいはタオ自然学などニューエイジサイエンスが脚光を浴びましたが、あれはオカルトです。

東大等でさかんな、「システム論」のこと。

>要素還元論的思考(これこそ西洋近代の本質)の支配力は強く、現代の職業的研究者でその影響力から抜け出す(=非要素還元論的思考の構築)のは容易なことではありません(努力はされています。誤解されているが多いのですが、複雑系はその1つです)。

政治学、哲学、思想経済学では、自然に統合しながらやっていますが。
また、東大は「システム論」万歳。


>「自然な思想形態」とおっしゃいますが、思想は人間自然との乖離(自然と乖離したがゆえに、生きていくために人間は思想などを生み出す必要があったのでしょう)
を示す証左かと思われますが、いかがでしょうか?
人間に近い霊長類の一部を除いて、思考らしきことをしている生き物、ましてや思想している生き物を私は寡聞にして知りません。

自然と乖離しない(ましな)思想というのもありましたよ。東洋思想とか、インド哲学とか。

>私は、あっしらさんほど博識でも論理能力に優れているわけでもないので、中央線さんにとっては、退屈な議論相手でしょう。
簡単にペシャンコこにしてくださって構いませんので。

いや、面白いですよ。

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