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津波が奪った母との日常、教壇に立つ女性「生かしてもらった私が伝える」<東日本大震災12年>(東京新聞)
http://www.asyura2.com/21/idletalk42/msg/224.html
投稿者 蒲田の富士山 日時 2023 年 3 月 10 日 19:30:27: OoIP2Z8mrhxx6 ipeTY4LMlXiObY5S
 

2023年3月10日 06時00分

https://www.tokyo-np.co.jp/article/235629?rct=national

 あの日の登校前、いつもの「行ってきます」を言い忘れてしまった。母は津波にさらわれ、二度と伝えられなくなった。東日本大震災から11日で12年。東北を離れて横浜市の小学校に勤める女性教諭は今、子どもたちに後悔と教訓を伝えている。(米田怜央)
 2011年3月11日、仙台市内の高校の1年生だった赤間仁美さん(28)は体育館での部活中、立っていられないほどの揺れに襲われた。天井の照明が落ちた。沿岸部の宮城県名取市閖上地区にある自宅には母哉子ちかこさん=当時(50)=と中学生の弟がいた。
 父と一緒に駆け付けた避難所で弟には会えたが、母の姿はなかった。「あとはよろしく」と弟に言い残し、近くに暮らす祖母の八重子さん=同(79)=と曽祖母のくにゑさん=同(94)=を車で助けに行ったと聞いた。
 がれきの街を海側へ捜しに歩くと、景色が「真っさらになった」。自宅の一帯を津波がのみ込んでいた。何も言えず立ちすくんだ。母とは数週間後、市内の遺体安置所で対面した。祖母と曽祖母も亡くなっていた。地区では、全住民の1割を超える754人が犠牲になった。
 長女だった。父から「泣くな」と言われた。「しっかりしなくちゃ」と背負い込んだ。母のいなくなった家で料理をしたり、家計簿をつけたり。夜に部屋で一人泣いた。
 助けになったのは変わらず接してくれた友人らと、やはり母だった。高校2年のある日、流されていた生徒手帳が地元周辺で見つかった。忘れていた手紙が中から出てきた。「自信をもって精いっぱいやるだけの事をやってね」。高校受験前に母が書いてくれた言葉だった。教師になるという小さい頃からの夢も応援してくれていた。生きることに前向きになれた。
 県内の教育大学へ進学。ボランティアサークルで被災した子どもたちに勉強を教え、学外では自らの体験を語った。思い出すのはつらかったが、「生かしてもらった私が伝えないと」。就職先は横浜市に決まった。首都直下の大地震が予想されている土地で警鐘を鳴らしたかった。
 海に近い市立大道小(金沢区)の教壇に立ってから6年になる。受け持つクラスの防災訓練や授業で体験を伝えてきた。「災害が起きた時に先生はいないかもしれない。自分の命は自分で守ろう」。母は祖母らを助けようとして犠牲になった。災害時の避難行動をあらかじめ決めていれば、違ったかもしれない。児童の保護者からは「家族で防災の話をするようになった」と声をかけてもらった。
 震災の記憶が少しずつ薄れていく中、ふとした時に台所に立つ母の後ろ姿を思い出す。願いは二つ。助かる命が増えてほしい。そして、当たり前だと思っている日常を大切にしてほしい。

【関連記事】大停電 星空を再現 「ママは星になった」「絶望とは対極の光」 11、12日 府中でプラネタリウム上映
 

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コメント
1. 蒲田の富士山[1509] ipeTY4LMlXiObY5S 2023年3月10日 19:37:22 : GPtzwewnig : M1FZWDV5bWgzZ1U=[159] 報告
<東日本大震災12年>大停電 星空を再現 「ママは星になった」「絶望とは対極の光」 11、12日 府中でプラネタリウム上映(東京新聞)
2023年3月7日 06時37分

https://www.tokyo-np.co.jp/article/235016

 「流れ星は天国へ向かう魂。その多さに耐えられなくなり目を伏せた」。東日本大震災が発生した二〇一一年三月十一日の夜、大規模停電の被災地を照らした満天の星を再現しながら、こうした被災した人たちの体験や思いを紹介する二つのプラネタリウム特別番組が十一、十二の両日、東京都府中市南町の「市郷土の森博物館プラネタリウム」で上映される。(宮本隆康)
 仙台市天文台の職員が、震災発生日の星空について書かれた地元紙の読者投稿を読み、被災の記憶を刻もうと番組「星空とともに」を制作。震災翌年の三月十一日に初公開され、一三年に日本プラネタリウム協議会全国大会で流されると、大きな反響を呼んで全国で上映されるようになった。
 番組は約四十五分間で、被災者から寄せられた星と震災にまつわる体験を紹介している。冒頭に紹介した言葉や「星空は、失意に突き落とされた私たちに降り注がれた、絶望とは対極の希望の光だった」といった思いが読み上げられる。
 続編の「星よりも、遠くへ」は約五十分間。クラウドファンディングで約三百万円を集め、八カ月かけて一八年に完成させた。
 被災者七人のエピソードを交え、それぞれが見上げた星空を再現している。津波で妻を亡くし、幼い子ども二人に「ママは星になったんだよ」と言い聞かせた男性や、被災した家屋から星空を見上げながら、震災発生十日目に救助された男子高校生の体験なども取り上げている。
 「星空とともに」は十一日、「星よりも、遠くへ」は十二日に、ともに午後三時半に投影。各定員百八十人で午前九時から整理券を配る。

2. 蒲田の富士山[1518] ipeTY4LMlXiObY5S 2023年3月14日 14:52:26 : GPtzwewnig : M1FZWDV5bWgzZ1U=[168] 報告
以下引用は、2重投稿というか、2重コメントになります。
あまりにもな長文ではないので、許してね。

ーーー以下引用

多くの大好きなものを失った。だけど、この10年、私は一度も泣いていない(東京新聞)

https://www.tokyo-np.co.jp/article/89954

私は1人の命じゃない

 東京都江戸川区の会社員植松南美(みなみ)さん(23)=宮城県石巻市出身
 10年。私は一度も泣いていない。
 家も学校も先生も友達も親戚も近所の人も、多くの大好きなものを失った。だけど、この10年、私は一度も泣いていない。
 私は遺族じゃないから。
 遺体安置所や避難所、友人たち。周りを見渡して、私よりもっと悲しい人がいるんだから、私よりもっとつらい人がいるんだから、私は泣いてはいけないと、強くならなければいけないと、当時、子どもながらに思わざるを得なかった。大人にならなければならなかった。
 なぜ私が助かったのか。 この10年、何度も何度も思った。何も悪いことをしていないのに重い十字架を背負ってしまったように。
 3月11日。これから先、死ぬまでずっと私は、あの日を思い、考えながら生きてゆく。
 私は1人の命じゃない。

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