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「旅館の子なんだから」老舗を引き継ぐ姉妹の葛藤 異色の2人、厳しかった母の気持ちに気付くまで
2025年05月04日 09時00分 共同通信
https://www.47news.jp/12533882.html
春日大社(奈良市)の参道から脇道にそれて5分ほど歩き、階段を上ると若草山が見えてくる。その正面にあるのが料理旅館「むさし野」。瓦屋根の軒先には銅板ぶきの意匠が凝らされており、年月を重ねて緑がかったさびが独特の雰囲気を醸し出している。その歴史は古く、むさし野の名は谷崎潤一郎や田山花袋の文学作品にも見られる。
旅館を経営する30代の姉妹。2人は、建築士と絵画修復士という異色の経歴を持つ。
「お姉ちゃんがいるから頑張れる」「妹を全力でサポートします。でも目の上のたんこぶにはならないように」。互いに顔を見つめて笑い合う姿が印象的だ。
ただ、2人が旅館を引き継ぐに至るまでの道のりは平たんではなかった。女将である母の厳しさに、時には反発もした。(共同通信=佐藤高立)
▽「その旅館に泊まつた朝の感じは忘れられない」
創業の年は定かではないが、むさし野は遅くとも江戸時代後期には登山客の憩いの場で、もとは茶屋だったそうだ。奈良奉行だった川路聖謨(かわじ・としあきら)の日記に「武蔵野といふ茶店を小休所にせり」とある。
田山は、紀行文集「日本一周前編」(博文館)で「その旅館に泊つた朝の感じは忘れられない」と書いた。奥の広間から外を見下ろすと、町の屋根が目に入る。どこからか寺の鐘の音が聞こえ、庭では桜が朝露を帯びてきれいに咲いている。「何を見るともなく見てゐると、奈良朝時代の人になつたやうなのんきな気分になつて了ふ……」(日本一周前編)
▽むさし野が大好きだった妹
経営するのは姉の伊豆井晶子(39)と妹の山下実穂(32)。曽祖母が1924年に前の所有者からむさし野を買い取って以降、代々引き継いでいる。今は若女将の実穂が、将来的に母から女将を継ぐ。
2人にとって旅館は身近な場所だった。幼少期から、宴席であいさつする母や、調理場で料理するスタッフの姿をよく見ていた。
特に実穂はむさし野が大好きで、幼稚園児の頃から調理場で皿洗いを手伝ったり、料理をつまみ食いしたり。楽しい思い出がつまっている。けれど、女将の跡継ぎを巡り、姉が複雑に感じていることも知っていた―。
▽「むさし野旅館の子なんだから」 寂しさ感じながら反抗した姉
晶子が跡を継がないと決めたのは、中学生の頃。それまでは長女の自分が継ぐことに抵抗はなかった。働く母は格好よかったし、よく着物姿の絵を描いた。横に小さな自分の絵も添えて。母にあこがれていたと思う。
幼い頃から日本舞踊やピアノ、バレエを習う。跡継ぎとして教育したかったのか、母には「むさし野旅館の子なんだから」とよく叱られた。外泊禁止で門限も早く、しつけは厳しい。成長するにつれ、反抗することが増えた。
でも本当はただ、寂しかった。多忙な母と夕飯を共にすることは少なく、代わりに祖母たちと過ごす。学校の参観日も来てくれた記憶はない。「将来この仕事はできない」。そう感じ跡継ぎはあきらめた。
もちろん嫌な思い出だけじゃない。なにより進路に大きく影響したのもむさし野だった。小学校低学年の頃、洗面所が改装され、4枚の縦長のガラス窓にそれぞれ丸い鏡が埋め込まれたモダンなデザインに。心引かれた晶子は建築士を目指すようになった。
大学では建築系の学科に進み、大手ハウスメーカーに就職。建築士の資格を取得した。その後大学院で学び直しするなど順風満帆だった。
しかし2013年にむさし野に戻る。自分が女将を継ぐのではなく、あくまで体調が心配だった両親の力になりたかった。戻ることを伝えた時、母は涙を流していた。
▽次の100年、200年に
姉が女将の跡を継がないと知ったのは、実穂が幼少期の頃。晶子と両親が口論していたのを覚えている。幼い自分は何もすることはできず、大好きなむさし野がなくなってしまうのではないかと感じ、激しく混乱した。
それ以降、おぼろげながらも、自分が姉の代わりに女将を継ごうと思うようになった。積極的に名乗りをあげたわけじゃない。むさし野の歴史を守りたいがためだった。
ただ、夢はむさし野の女将だけではなかった。大学でイタリア中世史を学び、絵画修復士になる夢を持った。卒業して3年後の2018年秋、イタリアに飛び立つ。現地の専門学校に入学し、修復の技術を学んだ。
修復の前には、光を当て、絵画を調べる工程がある。そこで幾重にも絵の具の層が見え、一つの絵画に何人もの職人が関わっていることを知る。「たくさんの人たちが残してきたものが目の前にある。簡単に残っているわけじゃないんだ」
それから実穂自身も、数百年前の宗教画などに絵の具をのせていく。修復に携わり、歴史の一員になれたようだった。「次の100年、200年に歴史を残す仕事はすてきだと思った」。むさし野を継ぐ決意も強まり、2021年に帰国。若女将修行を始めた。
▽姉妹だからできること
年月が流れ、晶子は母に対する気持ちが、少しずつ変わっていくのを感じている。最近事務室を整理していた時のこと。数百冊もの経営学などの本が並んでいるのを目にした。母は老舗旅館の歴史を継ぐため一生懸命だった。「重圧に耐えながら働いていたんだな」。幼少期に感じた寂しさは消えないが、今になって母の気持ちが分かる気がした。
昨年6月には、姉妹2人そろって取締役に就任。手始めに特別室「明日成(あすなろ)」を改装した。谷崎の中編小説「吉野葛」で登場人物が訪れたのがこの部屋だと考えられる。当時の造りは残っていないが、薄暗かった浴室は窓を大きくし若草山が見えるように工夫。天井にヒノキ、洗面所にスギの一枚板を使うなど、実穂が思い描く「温かみのある空間」を形にした。
晶子は語る。「母が家族を犠牲にしてでも守ろうとしてきたものを自分たちも守りたい。谷崎が見ただろう景色をきれいに残せれば」 実穂はイタリア語や英語で多くの外国人客をもてなし、晶子は建築の知識で実穂のアイデアを形にする。試行錯誤の日々に変わりはないが、どうにかやってこられた。
母が守ってきた旅館を経営するのは、身が引き締まるような思いがする。けれど姉妹だからこそつらいことも乗り越えていける自信がある。「まだまだ母には及ばないけれど、姉妹2人、頑張ります」。晶子は葛藤した過去を笑い飛ばした。(敬称略)
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