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中山晋平(1887年 3月22日 - 1952年12月30日)
http://www.asyura2.com/21/reki7/msg/660.html
投稿者 中川隆 日時 2021 年 12 月 08 日 14:08:46: 3bF/xW6Ehzs4I koaQ7Jey
 

(回答先: 森田童子 投稿者 中川隆 日時 2021 年 12 月 08 日 11:11:13)

中山晋平(1887年 3月22日 - 1952年12月30日)


「ゴンドラの唄」吉井勇作詞 中山晋平作曲 1915年(大正4年)発表
https://www.youtube.com/results?search_query=%E3%82%B4%E3%83%B3%E3%83%89%E3%83%A9%E3%81%AE%E5%94%84

『カチューシャの唄』作詞 島村抱月・相馬御風 作曲 中山晋平 1914年(大正3年)発表
https://www.youtube.com/results?search_query=%E3%82%AB%E3%83%81%E3%83%A5%E3%83%BC%E3%82%B7%E3%83%A3%E3%81%AE%E5%94%84

「さすらいの唄」 北原白秋作詞 中山晋平作曲 大正6年(1917)発表
https://www.youtube.com/results?search_query=%E3%81%95%E3%81%99%E3%82%89%E3%81%84%E3%81%AE%E5%94%84  

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コメント
1. 中川隆[-14689] koaQ7Jey 2021年12月08日 14:23:07 : SJtHPiXsUc : Sm45S0QzRkFPMFE=[54] 報告
『船頭小唄』 野口雨情 作詞 中山晋平 作曲 1922年(大正11年)
https://www.youtube.com/results?search_query=%E8%88%B9%E9%A0%AD%E5%B0%8F%E5%94%84
2. 中川隆[-14656] koaQ7Jey 2021年12月09日 16:26:11 : jKojnsGz2s : NS5ieTFFVDVmWWc=[19] 報告
中山 晋平(なかやま しんぺい、1887年(明治20年)3月22日 - 1952年(昭和27年)12月30日)は、日本の作曲家。多くの傑作といわれる童謡・流行歌・新民謡などを残した。作品は多岐にわたり、校歌や社歌等を含め中山の作品と判明しているものだけで1770曲存在する。

一部の作品は現在も抒情歌または日本歌曲として歌い継がれている。長調の曲はほとんどが日本固有のヨナ抜き音階で書かれている。また、童謡には「兎のダンス」や「蛙(かはづ)の夜回り」のようなピョンコ節がかなりある。その作品群は独特の曲調から俗に「晋平節」と呼ばれ親しまれている。

経歴

長野県下高井郡新野村(現・中野市)に生まれる。生家は名主、村長を出した旧家であったが父親の急死により落魄し、養蚕をする母親に女手一つで育てられ、長野師範学校講習科を修了後、1903年(明治36年)に尋常高等小学校の代用教員となる。唱歌が好きで生徒からも唱歌先生と呼ばれた。1905年(明治38年)、故郷での代用教員の職を辞し上京。島村抱月の弟の縁により抱月の書生となる。1908年(明治41年)、東京音楽学校予科入学。1909年(明治42年)、本科のピアノ科に入る。1912年(明治45年)、梁田貞らとともに東京音楽学校本科を卒業。東京都浅草の千束小学校音楽専科教員を務める傍ら作曲活動を行う。

島村抱月が松井須磨子らとともに旗揚げした「芸術座」に参加。1914年(大正3年)、トルストイの『復活』公演の劇中歌『カチューシャの唄』を作曲。『カチューシャの唄』は松井須磨子の歌唱によって大流行となり、一躍有名になった。翌年公演したツルゲーネフの『その前夜』の劇中歌『ゴンドラの唄』も大人気であった。

1917年(大正6年)には北原白秋の詞を得て、トルストイの『贖罪』を戯曲化した『生ける屍』の劇中歌として『さすらいの唄』、『今度生まれたら』(日本における出版法でのレコードの発禁第1号。歌手は松井須磨子。歌詞中の「かわい女子と寢て暮らそ。」の部分がわいせつとみなされた[1])を発表した。

1919年(大正8年)、前年の島村抱月の死去により「芸術座」が解散。同じく1919年、斎藤佐次郎による児童雑誌『金の船』に童謡を発表するが、当時はまだ童謡の認知度が低く、教員として唱歌を教えるべき立場をはばかって「萱間三平」との変名による発表であった[2]。その後暫く童謡の作曲からは遠ざかるが、代わりに斎藤佐次郎に恩師の本居長世を紹介している。1920年(大正9年)からは野口雨情と組んで『金の船』から多くの童謡を発表した。他方、「新民謡」(創作民謡)にも力を注ぎ、野口雨情や西條八十、北原白秋等の作詞による多くの曲を作った。その数は全国で141曲にのぼる[3]。

1922年(大正11年)、千束小学校の教員を退職。1928年(昭和3年)からは日本ビクターの専属となり、世界的なオペラ歌手・藤原義江、佐藤千夜子の歌唱で『波浮の港』『出船の港』等々の多くのヒット曲を生んだ。1929年(昭和4年)、西條八十とのコンビで作った『東京行進曲』は佐藤千夜子の歌唱で25万枚のレコード売り上げを記録した。この頃(昭和4-5年)ラジオ文化の発展に伴い、作曲した流行歌の楽譜集が「中山晋平作曲全集」として銀座・山野楽器店から順次発刊され、竹久夢二の表紙画の人気も手伝い大いに売れる。その後、アルト歌手・四家文子、バリトン歌手・徳山l、藤山一郎(バリトン歌手・増永丈夫)ら東京音楽学校出身の声楽家らがビクターに入社し、中山晋平の作品を歌った。洋楽の手法で日本人の情緒感と原始的郷愁を踏まえた作品を多く残した。

1937年(昭和12年)、前妻である敏子夫人の存命中から愛人関係にあった鹿児島県出身の元芸妓で歌手の新橋喜代三と再婚。1942年(昭和17年)、日本音楽文化協会理事長に就任。1944年(昭和19年)、戦局の悪化に伴い熱海の西山町に疎開。同年、日本音楽著作権協会理事長に就任し、1948年(昭和23年)に同会長となる。戦後はほとんど曲を作ることがなかった。1952年(昭和27年)1月3日、第2回NHK紅白歌合戦の審査委員長を務める。

同年12月2日に自らが作った『ゴンドラの唄』が使われた『生きる』を映画館で観たが、その翌日に倒れ、30日3時30分、入院先の熱海国立病院で死去。死因は膵臓炎であった。65歳没。死去の際、自ら作曲した「あの町この町」を口ずさんでいたという[4]。

告別式は翌年1月16日に築地本願寺にて、日本ビクターの社葬として行われ、作曲家・佐々木俊一の指揮するオーケストラによる「哀悼歌」、児童合唱団による「てるてる坊主」、最後には「カチューシャの唄」が歌われた。

「鹿児島小原良節」や「酋長の娘」のヒットで知られる芸者歌手・新橋喜代三(中山嘉子)は後妻。

2007年(平成19年)7月、生誕120年を記念して出身地である長野県内の有志が中心となり晋平の数奇な人生を忠実に再現した映画「ララ、歌は流れる-中山晋平物語」(長野映研製作)が作られ、長野市権堂町の映画館「長野松竹相生座」にて約2週間一般公開され、同月、文部科学省選定作品に選ばれた。

作品

童謡

『シャボン玉』
『てるてる坊主』
『あめふり』
『雨降りお月』
『証城寺の狸囃子』
『こがね虫』
『あの町この町』
『背くらべ』
『鞠と殿様』
『砂山』
『肩たたき』
『赤ちゃん』
『あがり目さがり目』
『あひるのせんたく』
『うぐいすの夢』
『兎のダンス』
『おみやげ三つ』
『蛙の夜廻り』
『かくれんぼ』
『かじかみ坊主』
『かっこどり』
『からくり』
『蛙の夜まわり』
『キューピー・ピーちゃん』
『雲のかげ』
『げんげ草』
『恋の鳥』
『木の葉のお舟』
『すずめ』
『田植』
『茶の樹』
『手の鳴る方ヘ』
『遠眼鏡』
『鳥かご』
『猫の嫁入り』
『ねむの木』
『風鈴』
『迷い子の小猿』
『鞠と殿さま』
『夕立』
『路地の細路』

流行歌

『カチューシャの唄』
『ゴンドラの唄』
『さすらいの唄』
『にくいあん畜生』
『船頭小唄』
『波浮の港』
『酒場の唄』
『出船の港』
『当世銀座節』
『この太陽』
『東京行進曲』
『銀座の柳』
『燃える御神火』
『神風だから』
『建国音頭』
『瑞穂踊り』
『紅屋の娘』
『鉾をおさめて』
『煙草のめのめ』
『流れ星』
『花園の恋』
『あの尾根越えて』
『恋は海辺で』

新民謡

『須坂小唄』
『野沢温泉小唄』
『望月小唄』
『千曲小唄』
『大町小唄』
『三朝小唄』
『東京音頭』
『山の唄 守れ権現』
『大島おけさ』
『天龍下れば』
『龍峡小唄』
『浅間節』
『お諏訪節』
『さくら音頭』
『下館音頭』

など。およそ3000曲。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%AD%E5%B1%B1%E6%99%8B%E5%B9%B3

3. 中川隆[-14485] koaQ7Jey 2021年12月23日 11:04:13 : awWxEb0EXI : N3piT1lTNzRsWVk=[3] 報告
歴史的音源 カチューシャの歌 松井須磨子 初盤




流行歌吹き込みヒット第一号となる、大正3年に島村抱月主催の芸術座で公演した「復活」に主演した松井須磨子による劇中歌、この人気に目をつけた関西のオリエントが吹き込み発売すると爆発的に売れた。この後「ゴンドラの唄」「さすらいの唄」と松井による劇中歌のヒット曲が生まれた。




【高音質版】蓄音機で蘇る松井須磨子の唄声……!『カチューシャの唄』【大正浪漫】




復活唱歌(カチューシャの唄)
唄:藝術座(松井須磨子)
オリエント (JPN) A-756(動画内の字幕は誤り)
蓄音機:Victrola VV1-90

ミディアム針でしかも録音が今一つだった前回から大幅に反省して、今回はラウド針を使ってオーディオインターフェイスを調節して高音質にした再撮影・再録音・再編集版です。




[78 RPM] 蓄音器で蘇る、松井須磨子の歌声「カチューシャの唄」




「カチューシャの唄(復活唱歌)」
唄:松井須磨子
オリエント A757
1914年録音
蓄音器:Victrola VV1-90

若干の音割れはこちらの失敗です、技術不足ですみません…




復活唱歌(カチューシャの唄) 〜松井須磨子〜












ゴンドラの唄 〜松井須磨子・他〜









大正4年録音




さすらいの唄 〜松井須磨子〜




大正6年発売



松井 須磨子 ♪さすらひの唄♪藝術座劇 「生ける屍」 1917年 (大正6年) 78rpm record








【演劇】SP盤から蘇る松井須磨子の朗読、戯曲「復活」から【字幕付き】




既にアップしたSP盤「カチューシャの唄(復活唱歌)」の裏面で、意外と知られていない?松井須磨子の朗読する島村抱月の戯曲「復活」の一節です。
大正時代、特に1914年頃の新劇女優の演技と発声法はこんな感じだったんですねー。

テキストは「抱月全集第五巻(1919年 天祐社/刊、1979年に日本図書センターから復刊)」所収の「復活」から、該当する箇所を文字起こした上で旧字旧仮名を新字新仮名に置き換え、テキストとレコードの相違部分はアップロード主の聞き取りでレコードに合わせています。

※注釈〜広辞苑第5版から※
「総領(そうりょう)」……家名を継ぐべき子。家督、嫡子。また転じて、長男または長女の称。
「桂庵(けいあん)」……縁談・奉公などの紹介者。口入れ屋。また、雇人の請宿。
「お店者(おたなもの)」……商店の奉公人。





森の娘 松井須磨子








沈鍾の唄
森の娘
東京
藝術座
田邊若男
3273
-------------
大正7年9月、藝術座の第10回公演にかけられた戯曲「沈鐘」の中の歌です。
島村抱月
楠山正雄
  どこからわたしや來たのやら
  いつまたどこへかへるやら
  咲いてはしぼむ花ぢややら
  むれてはあそぶ小鳥やら
 
  小鳥が森にさへずれば
  母さん知らぬ戀ひしさよ
  花さく春もすぎゆけば
  父さんあはぬなつかしさ
 
  ふた親知らぬ家もなき
  私は森の娘にて
  こがねの髪をすきながら
  小鳥や花とくらそもの

先にアップしてあります「紅燈の唄 寺井金春 書生節 」とそっくりです。





松井 須磨子 ♪♪火粉さん。山羊さん♪(沈鐘の唄) 東京藝術座 1918年 (大正 7年) 78rpm record , Columbia . G - 241






松井 須磨子 ♪今度生まれたら。わしが好なは♪藝術座劇 1917年 (大正6年) 78rpm record

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