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服部良一(1907年10月1日 - 1993年1月30日)
http://www.asyura2.com/21/reki7/msg/693.html
投稿者 中川隆 日時 2021 年 12 月 08 日 16:38:52: 3bF/xW6Ehzs4I koaQ7Jey
 

(回答先: 森田童子 投稿者 中川隆 日時 2021 年 12 月 08 日 11:11:13)

服部良一(1907年10月1日 - 1993年1月30日)


「青い山脈」西條八十(作詞)服部良一(作曲)リリース 1949年
https://www.youtube.com/results?search_query=%E8%97%A4%E5%B1%B1+%E4%B8%80%E9%83%8E++++%E9%9D%92%E3%81%84%E5%B1%B1%E8%84%88+++1949%E5%B9%B4  

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コメント
1. 中川隆[-14688] koaQ7Jey 2021年12月08日 16:40:08 : SJtHPiXsUc : Sm45S0QzRkFPMFE=[55] 報告
池部良・原節子主演 映画『青い山脈』(昭和24年) - YouTube


2. 2021年12月10日 00:14:06 : jKojnsGz2s : NS5ieTFFVDVmWWc=[50] 報告
服部 良一(はっとり りょういち、1907年(明治40年)10月1日 - 1993年(平成5年)1月30日)は、日本の作曲家、編曲家。位階は従四位。作詞家として村雨 まさを(むらさめ まさお)の名がある。大阪府大阪市中央区出身。東成区出生。

ジャズで音楽感性を磨いた和製ポップス史における重要な音楽家の一人である。


来歴

生い立ちから上京まで
土人形師の父久吉と母スエの間に生まれた。

芸事好きの家族の影響で郷土の民謡である江州音頭や河内音頭を子守唄代わりに育つ。小学生のころから音楽の才能を発揮したが、学校を卒業後は商人になるためと、昼は働き夜は大阪市立実践商業学校に通うという日々を送る。姉の勧めで、好きな音楽をやりながら給金がもらえる千日前の出雲屋少年音楽隊に一番の成績で入隊する。しかしその2年後に、第一次大戦後の不景気もあって音楽隊は解散してしまう。なお、当初はオーボエを担当したが、粗悪な楽器で満足に音が出ず、サックスとフルートに転向してから著しく進歩を見せたと、後に述懐している。学生時代の同級生に国際法学者の安井郁がいた。

1926年にラジオ放送用に結成された大阪フィルハーモニック・オーケストラに入団(第2フルートを担当)。ここで指揮者を務めていた亡命ウクライナ人の音楽家エマヌエル・メッテルに見いだされ、メッテルから4年にわたって音楽理論・作曲・指揮の指導を受ける。ちなみにこのころ、朝比奈隆もメッテルから指導を受けている。オーケストラの傍らジャズ喫茶でピアノを弾いていた。1929年頃、コッカレコードでサクソフォーンと編曲を担当、タイヘイレコードの専属となった。1931年頃には大阪コロムビアで街頭演歌師出身の作曲家鳥取春陽のジャズ演歌の編曲の仕事をした。

1932年、当時のヒット曲「酒は涙か溜息か(歌:藤山一郎)」を剽窃したような「酒は涙よ溜息よ(歌は黒田進こと楠木繁夫)」なる曲をタイヘイの指示で書かされるが、こういった仕事をすることに嫌気がさし、1933年2月ディック・ミネの助言もあり、上京して菊地博がリーダーを務める人形町のダンスホール「ユニオン」のバンドリーダーにサクソフォン奏者として加わった。翌1934年2月、東京進出をはかったニットーレコードの音楽監督に就任した。

コロムビアの専属作曲家に
1936年コロムビアの専属作曲家となった。入社第一回の作品が同年1月23日吹き込みの淡谷のり子が歌う『おしゃれ娘』で、当時最先端の音楽であったスウィングジャズのイデイオムをふんだんに取り込んだ斬新な作品であった。1937年3月吹き込みによる淡谷のり子『別れのブルース』は、黒人ブルースをベースにした作品で、妖艶なソプラノで昭和モダンの哀愁を歌う淡谷が服部の意向を汲みアルトの音域で歌い、南里文雄に認められて一流の作曲家の仲間入りを果たす。その後ジャズのフィーリングをいかした和製ブルース、タンゴなど一連の和製ポピュラー物を提供。代表作としては、淡谷の『雨のブルース』、霧島昇・渡辺はま子の『蘇州夜曲』、中野忠晴の『チャイナ・タンゴ』、モダンの余韻を残す霧島の『一杯のコーヒーから』、高峰三枝子が歌った感傷的なブルース調の『湖畔の宿』、機知にとんだコロムビア・ナカノ・リズムボーイズの『山寺の和尚さん』、渡辺の『いとしあの星』など、いずれも大ヒットし、服部メロディーの黄金時代を迎えた。だが、太平洋戦争が始まると服部が手がけるジャズ音楽は敵性音楽として排除された。そのような中、1942年に渡辺はま子の『風は海から』、1943年に李香蘭の『私の鶯』などの佳曲を発表し、軍歌一色の中で数少ない抒情性あふれる作風が評価された。

1944年上海に渡り(これは軍歌作曲の依頼から逃げるためだったという説がある)ジャズの活動の場を求めた。上海バンスキングの作者の斎藤憐は服部らに取材して同作を書き上げた。李香蘭と上海交響楽団とともに、『夜来香』をシンフォニック・ジャズにした『夜来香幻想曲』を発表。上海交響楽団ではクラシックの指揮も行い、ロッシーニ作曲「ウィリアム・テル」序曲で、エディションの違いによるメロディーの相違についてイタリア人イングリッシュ・ホルン奏者(かつてアルトゥーロ・トスカニーニのもとで演奏した)と論争になったことを、後に自伝「僕の音楽人生」で語っている(この奏者の名前は語られていないが、在籍年次からしてジラデッロ (Giradello) ではないかと思われる)。

敗戦後よりの活躍

1950年

1954年
第二次世界大戦後は、コロムビアを中心に旺盛な作曲活動を行い、戦前に実験済みだったブギのリズムを取り入れ『荒城の月ブギ』を編曲、笠置シヅ子との提携で『東京ブギウギ』『ヘイヘイブギ』、戦後のプロ野球ブームを歌った『ホームラン・ブギ』、大阪弁をモチーフにした『買物ブギ[3]』などのブギウギの名曲をヒットさせた。このほか主要な作品には、藤山一郎、奈良光枝による『青い山脈』、二葉あき子が歌った『夜のプラットホーム』(1939年に淡谷が吹き込んだが、「出征兵士の士気を殺ぐ」という理由で発禁処分)、霧島昇が歌った『夢去りぬ』・『胸の振り子』、近江敏郎と二葉あき子によるタンゴ調の『黒いパイプ』、ビクターでは灰田勝彦が歌った『東京の屋根の下』、市丸の『三味線ブギウギ』などがある。

また作詞家としての才能も発揮し、前述の『買物ブギ』や『銀座セレナーデ』(歌:藤山一郎)などを「村雨まさを」名義で発表しヒットさせ、終生この名を使った。その後も流行歌作品、管弦楽曲、声楽曲などの創作を精力的に続ける傍ら、古賀政男らとともに日本作曲家協会や日本レコード大賞の創設にも尽力するなど日本のミュージックシーンの発展に尽くし、1969年に紫綬褒章を受章。その後、勲三等瑞宝章も受章。

1993年1月30日、東京都品川区の昭和大学病院で呼吸不全のため85歳で死去[2]。その約1か月後の同年2月26日、作曲家としては古賀政男に次いで史上2人目となる国民栄誉賞が授与された。2007年12月30日、第49回日本レコード大賞にて特別賞を受賞した。

親族
息子に作曲家の服部克久と俳優の服部良次、孫に服部隆之(克久の長男)、バレエダンサーの服部有吉(良次の息子)、曾孫にヴァイオリニストの服部百音がいる。歌手で宝塚歌劇団出身の服部富子は妹。


作品

主な作品
おしゃれ娘(詞:久保田宵二、歌:淡谷のり子)
別れのブルース(詞:藤浦洸、歌:淡谷のり子)
雨のブルース(詞:野川香文、歌:淡谷のり子)
街のピエロ(詞:久保田宵二、歌:霧島昇)
浮世ぐるま(詞:林柳波、歌:霧島昇)
歌え若人(詞:島田芳文、歌:霧島昇)
蘇州夜曲(詞:西條八十、歌:渡辺はま子・霧島昇)
旅の喫茶店で(詞:高橋掬太郎、歌:霧島昇)
明日の運命(詞:西條八十、歌:渡辺はま子・霧島昇)
蒙古の月(詞:サトウハチロー、歌:霧島昇・松原操)
春之助の唄(詞:西條八十、歌:霧島昇・二葉あき子)
南の星(詞:西條八十、歌:霧島昇)
孝女白菊(詞:西條八十、歌:霧島昇)
みたから音頭(全国民募集歌、歌:霧島昇・菊池章子)
日本晴だよ(詞:佐藤惣之助、歌:霧島昇)
守備隊月夜(詞:西條八十、歌:霧島昇)
たそがれの牧場(詞:西條八十、歌:霧島昇)
アリラン月夜(詞:高橋掬太郎、歌:赤坂百太郎)
いとしあの星(詞:サトウハチロー、歌:渡辺はま子)
ハートのクィーン(詞:藤浦洸、歌:霧島昇・松原操)
ある月の夜に(詞:サトウハチロー、歌:霧島昇・松原操)
夢去りぬ(詞:加茂六郎、歌:霧島昇)
一杯のコーヒーから(詞:藤浦洸、歌:霧島昇、ミス・コロムビア)
胸の振り子[4](詞:サトウハチロー、歌:霧島昇)
湖畔の宿(詞:佐藤惣之助、歌:高峰三枝子)
私の鶯(詞:サトウハチロー、歌:李香蘭)
東京ブギウギ(詞:鈴木勝、歌:笠置シヅ子)
ジャングル・ブギー(詞:黒澤明、歌:笠置シヅ子。映画『醉いどれ天使』の挿入歌)
買物ブギー(詞:村雨まさを[5]、歌:笠置シヅ子)
銀座セレナーデ(詞:村雨まさを、歌:藤山一郎)
三味線ブギウギ(詞:佐伯孝夫、歌:市丸)
ホームラン・ブギ(詞:サトウハチロー、歌:笠置シヅ子)
アイレ可愛や(詞:藤浦洸、歌:笠置シヅ子)
青い山脈(詞:西條八十、歌:藤山一郎・奈良光枝)
東京の屋根の下(詞:佐伯孝夫、歌:灰田勝彦)
銀座カンカン娘(詞:佐伯孝夫、歌:高峰秀子)
花の素顔(詞:西條八十、歌:藤山一郎)
丘は花ざかり(詞:西條八十、歌:藤山一郎)
山寺の和尚さん(詞:久保田宵二、歌:中野忠晴、コロムビア・リズム・ボーイズ)
バンジョーで唄えば(詞:藤浦洸、歌:中野忠晴)
チャイナ・タンゴ(詞:藤浦洸、歌:中野忠晴)
銀ブラ娘(詞:藤浦洸、歌:美空ひばり)
サム・サンデー・モーニング(詞:山口国俊、歌:霧島昇・小川静江)
復興ソング(詞:不明、歌:霧島昇、松原操)
夜霧のギター(詞:野村俊夫、歌:霧島昇)
あじさい旅情(詞:石本美由起、歌:島倉千代子)
意想曲1936年(越天楽やチャイコフスキーのスラヴ行進曲、三善和気の戦友などが引用されている)
若人の歌(管弦楽とジャズ)
室内管弦楽組曲「東亜共栄圏」
夜来香幻想曲(シンフォニック・ジャズ)
管弦楽曲「中支の印象」
カンタータ「文明開化録」(詞:佐藤惣之助)
ラジオ・オペラ「桃太郎」(台本:サトウハチロー)
東京のアメリカ人(アメリカ人の東京見物)
オペラ「聖者の恋」(台本:寺崎浩)
ラジオ・オペラ「新浦島物語」(台本:藤田敏雄)
ピアノ小協奏曲(宅孝二によるピアノ独奏で初演)
交響組曲「香港」
交響詩曲「ぐんま」(詞:鈴木比呂志)
おおさかカンタータ(詞:喜志邦三・坂田寛夫、朝比奈隆指揮大阪フィルハーモニー交響楽団・合唱団により演奏)
初代徳島県民歌(詞:金沢治)
3代目群馬県の歌(詞:高草木昭允、補作:群馬県の歌選考委員会)
夜のプラットホーム(詞:奥野椰子夫、歌:二葉あき子)
東京ブルース(詞:西條八十、歌:淡谷のり子)
広東ブルース(詞:藤浦洸、歌:渡辺はま子)
懐かしのボレロ(詞:藤浦洸、歌:藤山一郎)
山のかなたに(詞:西條八十、歌:藤山一郎)
箏、合唱と管弦楽のための「漂泊」
交響詩「富士」
2つのクラリネットのための協奏曲
グランド・ワルツ「グリーン利根」(詞:鈴木比呂志、群馬交響楽団 他)
交声曲「あかぎ賛歌」(詞:鈴木比呂志、群馬交響楽団 他) 

映画音楽
ロッパ歌の都へ行く(小国英雄監督)
東京の女性
支那の夜
翼の凱歌(山本薩夫監督)
阿片戦争(マキノ正博監督) - 『風は海から』(詞:西條八十、歌:渡辺はま子)を含む
私の鶯 (島津保次郎監督) - 満洲映画社、李香蘭他
のんきな父さん(マキノ正博監督)
今ひとたびの(五所平之助監督)
春爛漫狸祭(木村恵吾監督)
花くらべ狸御殿(木村恵吾監督)
醉いどれ天使(黒澤明監督)
青い山脈(今井正監督)
銀座カンカン娘(島耕二監督)
山のかなたに(千葉泰樹監督)
やぐら太鼓(マキノ雅弘・滝沢英輔監督)
チャッカリ夫人とウッカリ夫人(渡辺邦男監督)
やがて青空(小田基義監督)
青い果実(青柳信雄監督)
西遊記(藪下泰司監督、アニメーション)
ミスター・ジャイアンツ 勝利の旗(佐伯幸三監督)


テレビ音楽
OTVシグナルミュージック(大阪テレビ放送の開始終了音楽[6])
光速エスパーの主題歌「光速エスパーの歌」


学校校歌
大島町立第一中学校校歌(詞:西条八十)
高槻市立清水学校校歌(詞:郷田悳)
久喜市立本町小学校校歌(詞:濱梨花枝)
前橋市立大利根小学校校歌(詞:有川美亀男)
富岡市立西中学校校歌(詞:鈴木比呂志)
香港日本人学校校歌(詞:鳩貝実次郎)
香港日本人学校の歌(詞:藤田一郎)
浜松市立細江中学校校歌(詞:細江中学校国語部)
宮崎県立宮崎西高等学校校歌(詞:南邦和)
茨城県立上郷高等学校校歌(詞:西条八十)


トリビュートアルバム
服部良一 〜生誕100周年記念トリビュート・アルバム〜(2007年10月17日)
生誕100周年を記念して発売されたトリビュート・アルバム。


書籍
『ぼくの音楽人生』日本文芸社、1993年3月

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9C%8D%E9%83%A8%E8%89%AF%E4%B8%80

3. 中川隆[-14600] koaQ7Jey 2021年12月12日 05:54:03 : 2HgCum6vhM : dEUvbTVqOG9EN0k=[2] 報告
胸の振子 1947年 作詞:サトウハチロー 作曲:服部良一

胸の振子 霧島 昇 - YouTube
https://www.youtube.com/results?search_query=%E8%83%B8%E3%81%AE%E6%8C%AF%E5%AD%90%E3%80%80%E9%9C%A7%E5%B3%B6+%E6%98%87


胸の振子 石原裕次郎 - YouTube
https://www.youtube.com/results?search_query=%E8%83%B8%E3%81%AE%E6%8C%AF%E5%AD%90%E3%80%80%E7%9F%B3%E5%8E%9F%E8%A3%95%E6%AC%A1%E9%83%8E

4. 中川隆[-14599] koaQ7Jey 2021年12月12日 05:55:14 : 2HgCum6vhM : dEUvbTVqOG9EN0k=[3] 報告
胸の振子 霧島 昇 昭和22年

作詞:サトウハチロー 作曲:服部良一
映画「見たり聞いたりためしたり」主題歌


"知る人ぞ知る"名曲で、発表された当時より、永い時を経て、ミュージシャンや一部の音楽好きの人の間に広がってきた”隠れスタンダード”です。
よく“古い歌の割にモダンな感じ”などと評されますが、逆に僕はこの歌のノスタルジックな響きがたまらなく好きなのです。


サトウハチローさんの詩は、やや難解ながら、人を好きになった時の、せつない思いや、心のときめきを不思議な言葉の響きで表現しています。
言葉の意味はそれほどこだわることなく、人それぞれが解釈すればいいのです。

そもそも、タイトルの「胸の振子」とは、いったい何なのでしょう?
恋した時に胸が高鳴る、文字どおりの心臓の鼓動の事でしょうか?・・・・・・・・・もちろん、その意味もあるけど、僕は”恋心”そのものの事だというような気がしてます。

この歌の大ファンの元NHKアナウンサー、山川静夫さんは、その意味を”理想の人”だと解釈してたようで、”心の中の一番大切なもの”という意味だと自著(その名も「胸の振子」文芸春秋’91年刊)に書いておられたのを読んだことがあります。

10年ほど前「タモリの音楽は世界だ」というテレビ番組で、EPO(ヴォーカル)、金子飛鳥(バイオリン)、大谷幸(ピアノ)という3人で、この「胸の振り子」が演奏されたことがあります。(大谷幸さんは平成ガメラシリーズの音楽などを担当してる作曲家)

この曲を好きな理由をタモリさんから聞かれて、EPOさんは「生まれる前の世界なのに懐かしさを感じる」と答え、金子飛鳥さんは「異国情緒があって色っぽい曲」、大谷さんは「洋楽の影響を受けながら日本的なところが残ってるところ」と語ってました。

EPOさんと飛鳥さんの意見は全然ちがうようで、実は同じものだという気がします。

EPOさんと僕は同世代(たぶん飛鳥さんも)なので、この感覚がなんとなくわかるんですが、生まれる前の日本って、ある意味で外国なんです。そして、異国情緒とノスタルジーは隣り合わせな感覚なんだと思います。

服部良一さんは、この曲をディック・ミネさんを想定して書いたそうだけど、レコード会社がちがったので実現できず、霧島昇さんが抜擢されました。

結果的には霧島さんで大正解だったと思います。
霧島さんの朗々とした歌い方が、たまらなくいいです。
もし、ミネさんが歌えばもっとモダンな感じにはなっただろうけど、果たしてここまで名曲になりえたかどうか・・・。
(ミネさんは服部良一さんの”2000曲記念ショー”などにも出演してるので、きっとステージではこの曲を歌ったと思われます。)

また、この歌はサトウハチローさんのコラムをもとにした映画「見たり聞いたりためしたり」の主題歌として、灰田勝彦さんも劇中で歌いました。
灰田さんはこの歌を自分の“持ち歌”として日劇などのステージで歌ってたそうです。

残念なことに灰田さん、ミネさんの「胸の振り子」はレコードにならなかった(?)けど、少なくとも灰田さんの映画「見たり聴いたり・・・」のフィルムは現存してるらしい(未確認)ので、CS放送やDVD化されることを期待してます。

なお、、今の50代以上のおとうさんには石原裕次郎さんの歌として知ってる人も多いかと思います。

その“裕ちゃんバージョン”は、霧島さんのオリジナルバージョンにあるイントロのメロディーが間奏のところで出てくるところが、なんとも気が利いてて素敵です。

女性一人男性二人のアダルトなボーカルトリオ、ハイファイセットの1980年代のコンサートツアーで、1940年代に3人がタイムスリップした・・みたいな趣向のコンサートがあったのですが、そこで、コール・ポーターやデューク・エリントンなどの曲とともに、服部良一メドレー”として、この「胸の振子」も歌われたのでした。
「What‘s New」や「エニシング・ゴーズ」や「ムード・インディゴ」といったアメリカの名曲以上に、この「胸の振子」は心に残りました。

1993年に亡くなった服部さんの音楽葬では、まだ御存命だった淡谷のり子さんや藤山一郎さんが服部さんのヒット曲を歌う中、この「胸の振子」は若いEPOさんが霧島さんの代わりに歌いました。

ミュージシャンの間では「蘇州夜曲」を上回るほど人気があるこの曲も、世間一般では知名度が低いのですが、それには理由があります。

昭和44年の著作権改正前の曲は、昔の古い契約がいまだに残ってたり、特定のレコード会社が管理してて著作権使用料がやたら高額だったりで、この「胸の振り子」もそんなレコーデイングしにくい曲のひとつのようです。

同じ服部良一メロディーでも、「蘇州夜曲」は渡辺はま子さんの移籍にともない、曲の管理が複数のレコード会社に分散したという説があり、カヴァーをレコーデイングしやすい状況下にあるらしいのです(あくまで推測で詳しい事情はわからないのですが)。

その辺の事情は前述のタモリさんの番組でも語られてましが、EPOさんに限らず、いろんな歌手の「胸の振子」が聴けるよう、レコード会社さんは柔軟な考えを持ってほしいです。

なお、服部さんは、昭和25年の渡米時、この曲の譜面をビング・クロスビーに贈ったそうです(英語タイトル「アイル・カム・トゥー・ユー」)。
でも、クロスビーがこの曲を歌ったかどうか、勉強不足であきらかでありませんが、クロスビーが歌う「胸の振り子」の音源があったとしたら素敵でしょうね。

霧島昇さんの御子息である坂本紀男さん(声楽家で音楽大学教授)は、この「胸の振子」と「蘇州夜曲」を“父の最も愛した曲”と語ってました。

「蘇州夜曲」に比べてカヴァーヴァージョンが出しにくい状況とは言え、魅力的なカバーもいくつかあります。
先述の裕次郎さん以外にも、実力派コーラスグループのサーカス、「もののけ姫」の米良美一さんや、小堺クンと伊東ゆかりさんのデュエット、ジャズシンガーのアン・サリーさんによるもの、先述の霧島さんの御子息、坂本紀男さんも父親ゆずりの朗々とした美声でレコーディングしています。

なかでも個人的に気に入ってるのはボニージャックスによるもので、コーラス、ハーモニーが素晴らしいです(僕は「歌は生きているー服部良一の世界」というオムニバスCDに収録されたのを見つけることができましたが、もとは1977年に発売されたLP「ボニージャックス/服部メロディを歌う」からの収録と思われます)。

霧島昇さんのオリジナルに一番近い雰囲気のカバーバージョンとしては、昭和30年代に香港の女性歌手、葛蘭(ゲイラン)さんが吹き込んだものがお奨めです(タイトルを「尋夢曲(シンモンチュウ)」と名を変えた中国語バージョン)。
僕はその葛蘭バージョンを「上海歌謡倶楽部 第8集 香港香港」( TOCP8528 東芝EMI)で買いましたが、別のオムニバスにも収録されてるようなので、今でも手に入る可能性大です。

でもやっぱり、霧島昇さんの昭和22年のオリジナルに勝るものはありません。
すべての音楽好き、歌好きの人の”心の琴線”に触れる不思議な神通力を持った曲です。

         懐かし歌謡劇場TOPへ戻る
追記:2013年4月、この「胸の振子」の英語版「アイル・カム・トュ・ユー」が収録された「服部良一・僕の音楽人生:完結編”銀座カンカン娘”」がビクターより発売されました。(※注)
これは服部さんが昭和25年に渡米した祭に、”服部良一と彼の楽団”としてニューヨークで録音されたもので、ボーカルのアメリカ人歌手、ロバート・ジャレットさんのクルーナー唱法も素晴らしくて、霧島さんのバージョンと同じイントロの華麗なオーケストレーションとともに胸にしみます。
もう一曲の英語版「ダンシング・デキシーランド・スタイル(東京ブギウギ)」(ボーカルはベティ・アレンさん)とともに、アメリカのミュージカル・ナンバーのような仕上がりになってます。
服部良一ファンならずとも、すべての音楽ファン必聴!!
(※注:「服部良一・僕の音楽人生完結編」は同時にコロムビアとテイチクからも発売されてますが、英語版「アイル・カム・トュ・ユー」が収録されてるのはビクター盤なので注意してください)

http://genir.sakura.ne.jp/munenofuriko.html

5. 2021年12月12日 10:31:55 : 2HgCum6vhM : dEUvbTVqOG9EN0k=[20] 報告
『銀座カンカン娘』1949年4月発売 作詞:佐伯孝夫、作曲:服部良一

銀座カンカン娘 高峰秀子 - YouTube
https://www.youtube.com/results?search_query=%E9%8A%80%E5%BA%A7%E3%82%AB%E3%83%B3%E3%82%AB%E3%83%B3%E5%A8%98++%E9%AB%98%E5%B3%B0%E7%A7%80%E5%AD%90

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